福田雅章先生のご退職に寄せて (福田雅章教授退職 記念号)
著者名(日) 上條 醇
雑誌名 山梨学院大学法学論集
巻 65
ページ 1‑2
発行年 2010‑03‑10
URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000370/
福 田 雅 章 先 生 の ご 退 職 に 寄 せ て
上 條 醇
福田 雅章 先生 は︑ 二〇
〇九 年三 月を もっ て山 梨学 院大 学を 定年 退職 され まし た︒ 先生 は︑ 一橋 大学 を退 職さ れた 後︑ 二〇
〇三 年か ら本 学法 学部 に六 年間 勤務 され まし た︒ 二〇
〇四 年か らは 三年 間法 科大 学院 の授 業を 担当 され
︑法 曹養 成に 尽力 され まし た︒ 六年 と短 期間 では あり まし たが
︑先 生の 教育 と研 究 に対 する 真摯 で熱 意溢 れる 取り 組み に敬 意と 感謝 を表 した いと 思い ます
︒ 先生 のご 専門 は刑 事法 で︑ 刑法 は勿 論刑 事訴 訟法
︑刑 事政 策︑ 少年 法と 刑事 法分 野を 幅広 く研 究さ れて おり ます
︒ 研究 のテ ーマ は︑ 大別 する と︑
﹁安 楽死
﹂に 関す るも の︑
﹁監 獄法
﹂に 関す るも の︑
﹁子 ども の人 権﹂ に関 する もの の三 つに 集約 され ると 思い ます
︒本 学に 来ら れた 頃は
︑D CI
︵子 ども の権 利の ため の国 連N GO
︶ジ ュネ ーブ 本 部理 事を 務め られ てお り︑ 福田 先生 とい えば
︑﹁ 子ど もの 人権
﹂や
﹁子 ども の権 利条 約﹂ とい うこ とば がす ぐに 浮 かぶ とい う印 象を 持ち まし た︒ 子ど もに 対し てだ けで なく
︑弱 者に 対す る人 権に つい てい つも 熱く 語っ てお られ た よう に思 いま す︒ 先生 の研 究室 は︑ いつ も多 くの 学生 が押 しか けて とて も賑 やか でし た︒ 法科 大学 院の 学生 には
︑朝 八時 から 十時 三十 分ま での
﹁刑 法早 朝ゼ ミ﹂ を行 い︑ ある 時は
︑徹 夜も 辞さ ない とい う熱 血指 導を され てい まし た︒ 一橋 大学 時
1 福田雅章先生のご退職に寄せて
代を 含め て︑ 先生 の研 究室 から 多く の優 秀な 法曹 が育 った とい うの も肯 けま す︒ 先生 には 不思 議な 吸引 力が あっ て︑ ゼミ を希 望す る学 生が
︑毎 年門 前市 を為 すと いう 状態 でし た︒ 先生 は︑ 大変 なテ ニス の愛 好家 でし た︒ 毎日 やら ない と落 ち着 かな いと いう ほど で︑ キャ ンパ スで も先 生の テニ スウ エア ー姿 を何 回も 見か けま した
︒強 烈な サー ブに スマ ッシ ュ︑ 多分 豪快 なテ ニス なん だと 推察 して おり ます
︒ 先生 は東 京生 まれ です が︑ 長野 県の 野沢 町︵ 現佐 久市
︶に 疎開 され 少年 時代 を過 ごさ れた とお 聞き して
︑長 野県 松本 生れ の私 は大 変親 近感 を持 ちま した
︒し かし
︑忙 しさ にか まけ て先 生と じっ くり お話 しす る機 会を 作れ なか っ たこ とが 残念 でな りま せん
︒ 最後 に︑ 先生 がご 健勝 でず っと テニ スが 続け られ ます よう に︑ そし て︑ 今後 のご 研究 が益 々深 まる こと をお 祈り いた しま す︒
法学論集 65 〔山梨学院大学〕 2