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5章 マラ リア

1 マラ リアの概要

教授 神原 虞二

マラ リアとは蚊によって人か ら人‑ とマラリア原虫が伝染 されて起 きる病気 である。マラ リア原虫を伝染す る蚊 はハマダラカ属の蚊で,壁などに止 まる 時,尾部を壁面に対 して斜めに高 く持ち上げるのが特徴である。我国では田舎 の牛小屋などによ く見 られる。人が躍 るマラリア原虫には4つの種が知 られ, いずれ も典型的マラリア発作 (周期的に繰 り返す発熱)の原因となる。現在マ ラリアが旅行者感染症 として問題 となっているのは, このうちの 1種,熱帯熱 マラリア原虫が熱発作以外にさまざまな合併症を引き起 こし,治療の遅れが時 に致命的となるためである。人への感染は,蚊が人か ら血を吸 う際,口吻を皮 膚に刺入 し,まず唾液を注入するが, この唾液の中にスポロゾイ トと呼ばれる 感染力のある原虫がいれば成立す る (図 1)。スポロゾイ トは血流に乗 って肝 臓に行 き,肝細胞に侵入する。肝細胞内では多数分裂 と呼ばれる分裂方式によ り増殖する。大 きく脹れあがった肝細胞内に 1万を越す原虫 (メロゾイ トと呼 ぶ)が形成され,やがて細胞を破壊 して外に出,血流中に入 り,赤血球に侵入 す る。赤血球の中で も同 じ分裂方式で増殖 し∴ 5‑30のメロゾイ トを形成す る。このメロゾイ トは赤血球を破裂 させ,外に出ると再び新 しい赤血球に入 っ て仲間をふやす。 この赤血球への侵入,増殖,破壊の過程が繰 り返 され,た く さんの赤血球が壊 されてゆ くことにより, さまざまな生体反応が引き起 こさ れ,マラリア独特の症状を示す ことになる。一部のメロゾイ トは赤血球に入 っ た後,分裂過程に向かわないで,雄 と雌の原虫 (ガメ トサイ トという)を形成 する過程に入 る。 この雌雄のガメ トサイ トが蚊に吸血 されると,蚊の腸内で赤 血球膜を破 ってお互いが接合 (受精) し,蚊の中での複雑な発育過程へと向か 最終的には何千,何万 もの感染源 となるスポロゾイ トが形成され,唾液腺 に集まって感染の機会を待つ この状態の蚊が人を刺せば,同 じ感染サイクル が繰 り返される。

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1 マラ リア感染環 2 マラ リア流行地の分布

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マ クロガメー ト

マラ リアは世界の熱帯,亜熱帯地域 に,まれには温帯地域にまで広 くみ られ る。 この ことが年間 2億 という患者発生を もた らし,熱帯病の王者 と呼ばれる 由縁である。さて人はあ らゆる生物の うちで最 も適応性に富んだ生物で,最 も 広 く地球上に分布する。 自分の力で環境を変えることのできる唯一の生物だか

らである。‑⊥方,他の生物 はそ れぞれの種により生息環境が異なるため,地球 上で環境 に応 じた住み分けを している。マラ リアの存続のためには,人 と適当 な‑マグラカの共存が必要 となる。 この ことはマラ リア流行の地域分布を決定 しているのは,ハマダラカの生息分布であることを示す。ハマダラカといって もすべての‑マグラカ種が伝播者 となるわけではない。約400種の‑マグラカ

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5 マラ リア

の うち60種が重要であるとされ る。 この伝播能力を規定す る要因は 1)好ん で人か ら吸血 し, しか も十分な密度 (数)のあること 2)マラ リア原虫が体 内で発育できること 3)体内で発育 したスポロゾイ トを多 くの人に伝染 させ るに必要な寿命の長 さを もっ ことなどです。 これ らの条件を満たす‑マグラカ 種は,.種により異なった生息条件を選ぶ。 とくにこの条件は幼虫 (ボーフラ) において選択的である。例えば東南アジアで最 も普遍的なマラリア媒介性ハマ ダラカはAnophelesminimusと呼ばれ る種であるが, この種の幼虫は山麓 または山間の小川のよどみに発生す る。 このことは東南アジアで最 も普遍的に マラ リアが存在するのは,山麓の丘陵地帯であり,広大な水田の広がるデルタ 地域ではないことを意味する。東南アジアの高い人口密度を支えたのは,豊富

な食糧 (米)生産にマラ リア流行の低 さという幸運が加わったためである。熱 帯アフ リカの広大な地域で,高度のマラ リア流行が人 口増加を制限 してきたの と対照的である。さて現在の東南アジアの社会情勢は急激な経済発展により大 きく変動 している。工業化による人口の都市集中は,都市周辺の環境を一変さ せた これ らの地域では我国 と同 じように最早マラ リア流行を維持す るのに十 分な数の‑マグラカの住める環境は失われている。マラ リアが見 られな くなっ

た代わ りに公害問題が深刻化 している。経済発展の影響は地方にも及び,森林 の伐採,観光事業,農薬,化学肥料の普及,養殖漁業の発達など田舎において も環境の変化が次々と進行 している これ らの環境変化は‑マグラカの生息環 境にも大 きな影響を及ぼ し,結果的にマラ リア流行が変化 している。多 くの場 合,流行は減少に向か う このため今 日のマラ リア流行地域の分布 は刻 々と変 化 している。 このような中にあって現在 も安定 した流行を保 っているのは森林 地帯 と海岸地帯に存在す るマラリアである。

3節 森林地帯のマラ リア

タイ国はマ レーシア国 と並んで最 も経済発展のめざましい国ですが, ここに もマラ リア流行地がある。タイでは組織だ ったマラリアコ′ン トロール活動が実 施 され,か っては流行の大部分を占めた丘陵地域のAnophelesminimus

よる流行はほとんどみ られな くなった。現在問題 となっているのは,上記地域

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よ りさらに森林深 く分 け入 った場所 に存在す るAnophelesdirusという‑マ グラカによって引き起 こされるマラリア流行である この蚊は森林近 くに住む 人達だけでな く,そこに入 り込んで労働する人達にマラリア,それ も何故か圧 倒的に熱帯熱マラ リアを伝染 させ る この森林マラ リアはカ ンボジアおよび ミャンマー国境の山岳地域に多発 し,森林 という環境に加え政治的な理由か ら も対策が難 しい。表に示 したのはタイ国の ミャンマー国境にあるメソッ トとい

メソット病院入院マラリア患者症状別比較

脳性マラリア その他の入院 マラリア

症例数 22 26

(男,女) (10,12) (15,ll) 年令 16‑40 15‑64

(平均) (25.4) (28.1) 国籍

タイ

ミャンマー (うちカレン族) 初期症状から 入院までの日数

(平均)

3‑7 1‑5 (4.0) (3.0)

死亡者 8

(死亡率) (36.4%)

う町の県立病院に入院 したマラリア患者の内容である。軽症のマラリア患者 は 地域のマラ リアセ ンターを訪れるのだが,一部の重症患者のみが病院に入院す ることになる。患者の構成はどち らの場合 も変わるものではない。一 目で気付 くこ とは入院患者のすべてが15か ら64才までの働 きざか りの青壮年に限 られ る ことである。 このことはこのメソッ ト地域にはすでに土着のマラ リアが存在 し ないことを意味する。 もし土着マラ リアが存在する場合は,全ての年令層が同

じような感染機会を持つ ことか ら,年令構成の大部分を占める若年層,幼小児 が患者の大 きな部分を占める筈である。事実 この山間の町メソッ トのマラリア 流行 はすでに制圧 され,入院患者 はさらに深 く森林に入 り込んで仕事をするき

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5 マラ リア

こり,農夫,宝石掘 りなどである。 もう一つ気付 くことはタイ国内の病院であ りなが らミャンマー人 とくにカ レン人に重症者が多いことである。彼 らは ミャ ンマー国内での独立を主張,中央政府 に対抗 しているため, しば しば政府軍に 追われてタイ側に逃げ込んで くる。タイ人 は発熱などの場合す ぐ医療機関に行 くが,彼 らは不法入国のため脳性マラ リアなど重症の合併症がでるまで市販薬 で済ませようとす るため治療が遅れて死亡す るケースが多い。さて ここに見 ら れる森林マラ リアは周辺諸国で も最 も重要なマラ リア流行中心 となっている。

マラ リア対策の遅れたーミャンマー,カ ンボジア,ラオス,ベ トナム,バ ングラ ディッシュなどでは,いまで も山麓地ハマダラカ (An.minimus)によるマ ラ リア流行地が山間地,丘陵地 に残 っている。ただ しいずれの地域 において も いずれタイ国 と同 じ道をたどり,森林の‑マグラカ (An.丘irus)によるマラ リア伝播が最後まで残 って くるもの と予想 される。一方イン ドネ シアにもい く つかの森林‑マダラカが認め られるが,重大な流行に関係 しているのはボルネ オ島 (カ リマ ンタ ン) にい るAn.dirusの兄弟種 ともい うべ き'ハマダラカ

(An.balabacensis)で,森林マラ リア流行を形成 している。

4 海岸地帯のマラ リア

ベ トナム,タイ,マ レーシア,バ ングラディッシュにいたる東南アジア大陸 部 とイ リア ンジャヤとその周辺諸島を除 くイ ン ドネシア諸島の沿岸地域に広 く 認め られるマラ リア流行 は,散在性で限局性である。 この流行を担 っているの

は,海岸沿 いの海水の混 じった水溜 ま りに発生す るハマダラカAnopheles sundaicus(イ ン ドネシア一部地域では兄弟種 ともい うべ きAn.′subpictus) である。海水の混 じた溜まり水ので き方により,ハマダラカの発生様式が異な

るため,結果的にマラ リア流行様式 も異なる。原則的にはこの種の蚊は幼虫の 生育に海水成分 と日光を必要 とする そのためマ ングローブや雑木の生い茂 る 海岸地帯には蚊の発生がな く,それ らの途切れた開けた砂浜や草原を持っ地域

に発生す る。作 られる水溜ま りの大 きさや数によって流行の程度や広が りが規 定 され る。 さらに水溜まりは単 に海水が混 じるだけでな く,藻や水草による栄 養化が必要である。 このような条件 は降雨量によって大 きく変動す るため,結

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2 イ ンドネシア,北スマ トラ州アサ‑ ン地区におけるマラ リア調査。数字はマラ リ ア原虫陽性率を示す。海岸沿いの村のみに陽性者は認め られた (神原,1983)0

I I I I l

3 1PERUPUK村の部落別マラ リア原虫陽性率。 1村落内でも海岸近 くに のみ高い陽性率が認められる (神原,1983)0

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5 マラ リア

果的に流行時期は降雨に関係 した季節変動を示す。 ここでは私達の研究現場イ ン ドネシアの例を挙げて説明する。図2に示すのはスマ トラ島アサ‑ ン地区に おけるマラリア流行分布である。マラ リア流行は海岸沿いの村のみに認め られ る。さらにひとつの村においても海岸に近い地域 と,離れた地域 とでは調べ ら れた幼児のマラ リア原虫保有率 に25%か ら0%までの差が認め られる (

3)。 この差は媒介蚊の入団による夜間飛来数の差 と完全に一致 し, この地域 の媒介蚊は小 さな発生源に育ち,限 られた範囲で活動す ることが予想 され,実 際にもそのことが確かめられた。すなわち人家近 くの小 さな人工的または自然 に作 られた水溜まりに,満潮時などに海水が混 じることにより蚊の発生源が形 成 され,周辺住民か ら吸血することにより小 さな流行サイクルが維持 されてい たことが判明 した。 これ らの水溜まりは雨期に形作 られ,ここに海水が混 じ,

4 イ ン ドネ シア, ロンポ ック島に見 られた蚊の発生源。乾期,海 に開 く河口が打ち 寄せ られる砂でまさに閉 じられようとしている。 これより上流 は海水の混 じた巨大 な水溜まりとなる (神原,1994)

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5 イ ン ドネ シア,スンバ ワ島に見 られた蚊の発生源。流れのない川沿いにあるのが 養魚池。どちらにも多数のハマダラカ幼虫を検出 (神原,1996)0

さらに雨期明けの強い日光を浴びて,決まった種の藻や水草が生い茂 るように なると多 くのボーフラが発生す る。すなわちマラ リアの流行はむ しろ乾期に活 発になることが示 された。さて この種のボーフラ繁殖場所のでき方 は地域 によ りまちまちである。前述のような小 さな水溜まりか ら,河川が乾期に流水量が 減少す ると,波によって打ち寄せ られた砂が河口を堰止め作 られる巨大な水溜 ま りまである (4)。さ らに近年経済発展の一環 として,各地 にマ ングロー ブを切 り開いて大小 さまざまな養魚池が作 られるようになり, これが重要な媒 介蚊発生源 となっている (5)。 これ ら甲発生源の条件により流行規模や流 行時期 に差が生 じて くるが,いずれの場合 も, 1発生源か らのマラ リア流行の 地域的広が りは 1村落を越えるようなことはない し,流行時期 は乾期のいずれ かの時期に集中する。大陸側における海岸地域のマラ リアも大同小異である。

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5章 マラリア

5 その他のマラ リア流行

前述のマラリア流行は東南アジアの大部分にあてはまるが,西側のバ ングラ ディッシュ,イ ンドに入ると多少様相が異なって くる。また東側のニューギニ アか らソロモ ン,フィリピンに至 る地域 も異なる媒介蚊を持 前者では森林 性の ものに加えて,平野部におけるマラリア流行が認め られる。 しか しこの流 行は全土にまたがるものではなく,局地的で しかも季節変動の大 きいものであ る。フィリピンでは媒介蚊の種の違いがあるが,主体は森林の多い丘陵地のマ ラ リアであり,一部海岸地域のものが認められる。ニューギニア島か らソロモ ン諸島に至る地域は, これまでの地域 と全 く異なった様相を呈す る。 この地域 には強い伝染力 と環境適応性に富んだ‑マグラカが生息 し,東南アジアでは見 られない広範囲の高度の流行が認 め られ る 海岸 に沿 った平坦地で はAn farautiが,内陸部 に入 るとAn.punctulatusが流行 の主役 を果 た してい

る。

6 まとめ

現在の東南アジアは目覚ましい経済発展に伴 ってマラリア媒介蚊の住む環境 が急激に変化 してきている。さらに人の生活習慣 も日々変化 しつつある。元来 か ら東南アジア地域のマラ リア流行は地域限定性がある中等度のもので,全体 として人間生活に大 きな影響を及ぼすほどの ものではなかったと考え られる。

現在の社会変化 は,養魚池などの場合を除いて,ほとんどマラ リア流行を抑え る方向に進んでいる。近い将来森林地帯のマラリアを除いてマラリア制圧が成 功することが予想される。森林マラリアについては制圧方法に有効なものが見 つか らない。森林保護などの問題 と今後 どのような折 り合いをっけてゆ くのか が重要であろう

図 2 イ ンドネシア,北スマ トラ州アサ‑ ン地区におけるマラ リア調査。数字はマラ リ ア原虫陽性率を示す。海岸沿いの村のみに陽性者は認め られた ( 神原,1 9 8 3 ) 0
図 5 イ ン ドネ シア,スンバ ワ島に見 られた蚊の発生源。流れのない川沿いにあるのが 養魚池。どちらにも多数のハマダラカ幼虫を検出 ( 神原 ,1 9 9 6 ) 0 さらに雨期明けの強い日光を浴びて,決まった種の藻や水草が生い茂 るように なると多 くのボーフラが発生す る。すなわちマラ リアの流行はむ しろ乾期に活 発になることが示 された。さて この種のボーフラ繁殖場所のでき方 は地域 によ りまちまちである。前述のような小 さな水溜まりか ら,河川が乾期に流水量が 減少す ると,波によって打ち

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