私小説という美学イデオロギー : 中村光夫『風俗 小説論』の戦略
著者 柳瀬 善治
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 9
ページ 77‑98
発行年 1998‑06‑28
URL http://hdl.handle.net/10076/6523
私小説という美学イデオロギー ー中村光夫『風俗小説論』 の戦略I
[はじめに…症候としての私小貌】
昭和二十五年に河出書房から出版された『風俗小説論』で
は、著名な、そして悪名高き「『蒲団』=私小説の祖」 という
テーゼが提出される。
このテーゼの、文学史的妥当性については、これまで様々に
批判がなされている (1)。ただ、このテーゼはいわゆる
r史
的厳密性」 によって、否定されるべきものだろうか。このテー
ゼに含意された中村の政治的スタンスと史的記述の戦略の問題
は十分に検討されてきたであろうか。
『展俗小説論』はいうまでもなく、一種の 「文学史」 の読み
である。しかしこれは一つの記述戦略である。その試みは現在
の日本文学における r状況」 に対する批判を内包しており、そ
の欠酪を、一種の 「症候J として、いわば過去=幼年期にさか
のぼって再検討しようという姿勢である。
中村光夫の文学史記述について、蛙秀美は「だが、しかし、
中村光夫的「文学史J は、決して 「歴史」 ではない。それはむ 柳瀬善治
しろ、近代日本の文学がいかに制度的に 「歴史」 化していった
のかを解析しているのであ」
り
それは「文学を歴史として成
り立たせているものへの考古学的ともいうべき批判的な解析」
であるとしている
(2)。この観点は、さらに展開されなければならない。文学史とい
う形式の選択は、あくまでも現状を批判するために過去へと湖
行するためのものであり、客観史としての文学史を書こうとし
たものではない。近代リアリズムの 「発生j 「展開」 「変質」
「崩壊」という起承転結を露骨に意識した論構成は、この
「文
学史」 が戦略的に構成された思考実験であったことを物語る。
本稿はその 「思考実験」が日本文学的な言説の 「私小説性」
を一種の 「美学イデオロギー」 として批判するための読みであ
ったこと、そしてその批判は小林秀雄とマルクス主義からその
最良の部分一息考と貨幣の暴力性のアナロジーに基づくイデオ
ロギー批判一を引き継いだことで可能となったことを論じる。
77
一美学イデオロギー批判としての近代リアリズム批判
『風俗小説論』の副凛は「近代リアリズム批判Jと題されて
いる。
ここでいう「近代リアリズム」とは、いわゆるr見たままを
再現する」と言う文学上の技法ではない。またそのような技法
の史的発生論のために使われているのでもない。
『風俗小説論』での 「リアリズムjは、次のような「想像 力」
の意味合いと深く関わる。例えば、島崎藤村を巡って次の
ように書かれている。
つまり藤村は個々の場面の情景や雰囲気を「フレッシ
ごに再現する手腕は数年にわたるS‑ud yによつて獲
符してゐたが、その背景に肝心の人物を「ヴィヴィッド」
にうきだたせ、踊らせる作家的想像力はほとんど欠いてゐ
たといふことになります。
(『風俗小説論』
初版 河出書房 1950・6・25発 行
P48
以下の『風俗小説論』の引用はこの初版本によ
る。)
ここでの
「想像力Jと言う言葉は、単にr患像カをたくまし
くする」というような意味でもなく「無から有を想像(創造)
するJという意味でもなく、ほとんどr自己批判能力J 「作者
との距離」 と同じ意味で使われている(3)。「藤村にはt一葉
亭にあつたやうなユーモアも自己に対するイロニーもなかつ
た」
(P48)
と言う一文はこれを裏づける。 「自己批評の能力は近代小説家がどれほどもつても持ちすぎ
ることのない才能だからです」
(P17)これは中村のいうr血肉化J
(P空
r血肉を分かたれたJ
(P16)という言葉とも関わってくる。「小説といふ仮構に自
分の存在を賭け、想像力から生まれた人間に自己の血と肉を盛
るといふやうな、狂気じみた作業が、比喩でなく実際に行はれ
るのは、このやうな作家の孤独を前提としてはじめて可能とな
ることなのですが」 (P39)という一文は、構造主義批評を通
過した今から見れば一見古めかしく写るかもしれない。しか
し、この背後には独特の作品r構成」観が存在する。
少なくとも自然主義以後の小説では、構成とは筋の起伏
を点々することではありません。それは作品の主人公に封
して持つ作者の人間的批判であり、青葉をかへて云へば、
彼の意識の限界を作者が明確に意識することによつて、他
の作中人物と封等なそれぞれ猥自の生命を浮彫りすること
なのです。そして「寂しき人々」 はおそらくかうした構成
の見事な典型です。
(P64〜65)
ここでは、「構成」
は
「筋の起伏j‑‑プロットではなく、ま
た一人称三人称と云った人称と語りの構造の問題でもなく、そ
れ自体作者の思想を語る媒体として捉えられている。もっとも
作者を語るのは語り手でも登場人物でもなく、作品の 「構成」
そのものなのだ。
‑78‑
まず、「彼の意識の限界を作者が明確に意識すること」は、
登場人物の思想的限界を作家が明快に意識することである。た
だ、それは作者の思想によって人物が「操り人形」 (坪内濃遥
『小説神髄』の馬琴批判の用蘇) のように操作されることをさ
すのではない。
先の
r想像力」も「構成」 のなかで再現されたものとしてと
らえられなければならない。それでは中村のいう「構成」と
は、何を持し、弟在の言語論の知見を持ってどの様に言い換え
られるか。
この点について中村は初期の著作『二葉亭四迷論』において
永井荷風の『冷笑』を批判しながら、次のように述べている。
だが、永井氏がここで犯した第一の錯誤は、氏がまづ作
中に人間を設定して、これに氏の審美観、社食観を替らせ
ることによつて、氏の思想表現を語つた点である。したが
って氏の思想には彼らを動かす力はない。彼らはただ最初
に設定されたままの 「個性」に従って行動し、作者に口を
開かせられるや否や各自の趣味の燈舌漠と化してしまふ。
趣味は人間の生活を改変する力を持つことはできない。か
くて最初に設定された人間の影は薄れ、残るものは作者の
一人相撲の一または自己陶酔の一「議論」 のみである。
(P94)
そうではなく、さらに作者自体が「構成」によってその意識
の限界を相対化されるのでなければならない。その「構成」と は、現在の言葉で言えば《テクスト》と言い換えられる一種の 物質性をもった他者との媒介の契機、『二葉亭四迷論』の言葉 を借りて亨えば「思想と文学との実践性がもっとも荒々しく噛 み合う場所」
(P89)
である。
r作品Jは書かれた時点で、作家の意志から切り離され、一
っの他者の読解の中に置かれた社会的構成体‑各々が相対的自
立性を持った文化的イデオロギー諸装置‑の一部となる。
そして読書行為によって、他のイデオロギー装置の再現前体
である法的・経済的・性的言説と批評的に連関させられる事に
ょって、そこにはらまれるズレやズレの隠蔽の諸形態が記号的
に顕在化する。その社会的・歴史的な文脈に沿った連関の仕方
が、いわゆる言説分析であり、「場所的メタフ叫‑」
(アルチユセール)によって連関を表現したものが言説空間という名辞で
ある。以上のような言説分析によって、小説はその表現の端々
に露呈する社会的政治的関係性(性、人種、階級、学歴など)
を批判的に解読されるのである。
「趣味」は「生活を改変する力を持つことはできない」とい
ぅフレーズには、「文学」を「社会性」 の導入で批判しようと
いう中村の論の構えが見え隠れする。社会性と批評的読書行為
を視野に入れた表象形態、それが中村光夫のいう「近代小説の
リアリズム」
なのである。
さらにこのような「リアリズムJは中村のr私小説性」批判
とも密接に関わる。『蒲団』と『破戒』に共通してみられると
‑79‑
される「私小説」の「定型」 (P聖とは、小説の人称に関わ
る語りの構造を指すのではない。
そして、更に重要な意味を持つのは、作家がその小説に
直接「私」を登場させると否とを間はず、リアリズムとい
ふ文学の根本技法と、ひいては文筆の観念自踏までが、そ
れによつて決定されてしまつたといふことです。
(P54〜55)
ここでいわれているのは、人称に関わる小説の構造一小説に
直接r私Jを登場させる一のことではない。「文筆の観念自
体」を決定するものとして捉えられた、一つの美学的理想と言
表行為の主体との想像的・イデオロギー的関係のことである。
「花袋以来の私小説家は」 rつひにはその形式をできるだけ
単純化して縮小し、その媒介を最小限にして、自己の「心境」
を直接に読者の胸に響かせることを理想とするに至るJ 「小説
の理想型を小説否定の理念の上に捕らえてゐる」
(P98〜聖
とい・ク。
私小説論が提出する「小諌の理想型Jは、読書行為によって
鏡在化し、また社会性へと開かれ、観念の中へと封じ込めるこ
とが不可能な、小説のマテリアルれテクスチユアルな部分、つ
まりは中村の言う「媒介」を限り無く消去し、r最小限にし
て、自己のr心境jを直接に読者の胸に響かせることを理想と
する」ものである。そこでは小説は、書く前の作家の「姿勢」
か、作家が読んだ後の「余韻」 の問題に、すなわち観念論の枠 組みへと還元されてしまい、マテリアルなエクリチュールとし ての側面が消去されてしまう(4)。
そういった再現された「姿勢」は、しばしば「純粋」と評さ
れ、また作家が読んだときにのみ発生する「余韻Jは、「散文
詩」
(佐藤春夫)の様と評されるが、それを中村光夫は「小説
否定の理念」と呼ぶのである。「散文詩」という形容自体、テ
クスチャルな社会性としての小説の側面を否定する一「姿勢J
と「余韻Jが無媒介に結び合うl格好の理念であると青えよ
う。このようなテクスチャルな部分を消去する詩的かつ美的な
理念、それたよって可能になる絶対的観念=崇高に隷属する読
書行為の美学形態をポール・ド・マン、あるいはそれを受けた
フォレスト・ピールにならって、r美学イデオロギー」と呼ぶ
ことができよう(5)。中村光夫の批判はそのような「小説否
定の理念」である美学イデオロギーへと向けられているのであ
る。
田山花袋の創作理念である「自然」概念を批判した箇所で、
中村は「要するにこれは彼が「雑多紛々」たる自己の実生活の
些事にまで「自然のあらはれとしての意味」を見いだしたL
の
であり、そのようなr自然」 にもとづいた創作は「自然を媒介
として自己を普遍化することし であったと述べ、それに対し
「もし自他の境が本営になくなつたら、人生の劇はほとんど成
り立たず、したがつて小説も小説の運命を免れまいという根本
の疑問」を提出している。
‑80‑
さらに花袋の 「自然」
が
「事実そのものJ であり、同時に
「そこに見いだす意味‑すなわちなんらかの形で普遍的、法則
性‑であるという素朴な矛盾」 を持ち、その原因を 「彼はここ で
「自己」 を「自然」 の法則またはリズムの体現者 (または
「代表者」…引用者注) と云ひたかつたJ からだと述べてい
る。
自他の差異=社会性を消失させる 「小説否定の理念J である
r自然」 を、分析抽出なく曖昧な法則瞳として前提し、且つそ
れを芸術家としての自己の特権として一方的に代行=代表する
花袋の言説はそれ自体美学イデオロギー的である。そのイデオ
ロギーを語る主体を暴く手続きがここでとられている。
中村武羅夫の言を受けて 「何が書かれているかJ
より
r誰が
書いたか」 に「意識の力点が置かれているような小説」 と中村 光夫は r私小説」 を呼ぶ。この点について中村光夫は次のよう
に詳細な分析を行う。
何が書かれてゐるより、誰が書いたかに 「意識の力点が ある」 といふのは一鰻誰の意識なのでせうか。この場合
は、作者の意識とも読者の意識とも取れます。おそらく筆
者は漠然と隻方を意味したので、この曖昧なところが巧ま
ずして私小説の性格にぴつたりあつてゐるのかもしれませ
ん。
言説において 「誰が、何を、何のために、誰に向かって語る か」
を確定する手綾きは、イデオロギー論において必須の手続 きである (6)。私小説籠というディスクールにおいて、「誰
がどの文脈で何について語っているのか」 「そしてそれがどの
ように隠蔽され、どのような利害が生じているのか」 を特定
し、その隠蔽の形態の歴史に、「作者即作中人物」 という
「奇 妙な通念の普遍化乃至固定化の歴史j の過程の歴史性を見、そ
こで生じた 「社会性の喪失」 の原田であるイデオロギー構造
(社会性を消去する主体の寄りのねじれと歴史的反復)
を
「私
小説の定型」として形式化=対象化すること。それこそが中村
光夫の試みた言説分析であり、イデオロギー批判であった。
かういふ夙に小説を一つの r作品」 として対象化せず、
「何が」
より
「誰が」 を問題にする習慣が結局、「ものL
を通じた人間関係のはつきり確立してゐなかつた、当時の
社食における近代性の未熟からきてゐることは、今日では
多く説明を要さぬところでせう。
この
「「もの」 を通じた人間関係」 への視点は、言語或いは
貨幣を媒介とした社会関係のこと、その 「媒介性」 「現実性」
の重視を意味している。
「文壇といふ狭い特殊な共同体の内部の、感傷的な人間関
係」
はこの
「媒介牲J を消去しており、その消去のための装置 が
「私小説」 r私小説論」 という曖昧なディスクールなのであ
る。この
「「ものL を通じた人間関係」 の重要性は、丹羽文雄
を論じる際に欲望と貨幣の閉居と絡みつつ、より具体的に繰り
返されることとなる。
81
二
私小説件の可視化‥・その徴候的読解
中村の 『風俗小説論』は個々の作品の構造化には至っていな
い。その意味で三浦雅士の発言を借りれば 「神話としての文学 史J であり 「作品論には行かないようになっている」
(7)の
であり、また構造化が徹底していないため、その作品のそれぞ
れの時代における変化・不変化も作家の態度の共通性という形
でしか扱えない。
しかし、ここまですでに述べたように、中村の試みが言説状
況をにらんだ一種の歴史的なイデオロギー批判にあった以上、
そのような作品 (語りの構造) 至上主義の立場による批判はそ
れ自体政治的なものでしかない。中村が直接言語理論に向かわ
ずにそのような迂回をした理由として二つの理由が考えられ
る。
一つは、公式マルクス主義文学理論や、構造主義的作品論の
ような、歴史的に存在が自明裾された実体的な一つの言語
(上
部構造、オブジェクトレベルの私小説) の上に、それを超克し
た絶対的な解釈をなす超越的な言語(下部構造、もしくはメタ
レベルの語りの構造) がかぶさるという循環を避けたというこ
と。そしてもう一つは、彼は何よりもまず、文壇における
「文
学という制度J の存在にいら立っており、その眼に見えない制
度が絶えず 「自然主義」 「心境小憩」 「純粋小説」 「風俗小
説」という形で歴史的に「反復」され、それが言説一心境小説 論、純粋小説論一によって歴史的に顕在化され、かつ政治的に 顕彰され、さらには美学的に問題の核心が隠蔽されているこ と、そのことを対象化し批判しようとしたからである。
彼の
「私小説論」 は遍在的でかつ不可視の 「私小説性」
とい う制度 (だと中村が判断するもの) を可視的にすることに向け
られた。そのため彼の批判は徹底して、人称的な語りの構造と
して記述できる技術論としてではなく、作家の感度とそれを取
り巻く文壇の態度一つまり言説の主体による媒介性 (「ものを
媒介にした人間関係」
)
の隠蔽と共同体の読書態度での
「趣 味」
の再生産一と結びついた形で技術を扱わせることになっ
た。
それは文学的な言説にあらわれる 「症候」
への
「イデオロギ
ー分析」 であり、いわば文化的な言説に反復して現れる主体の
態度を顕在化し、分析すること、そこで 「誰がどの様な文脈で 語り、どの様な利害が生じているのか」 「そこで何が隠蔽さ れ、且ついかにそれに失敗しているのか」 を分析することであ る。
すなわちそれは言説において歴史的に反復され、そのほころ
びを形象的に露呈する 「症候J‑「その整合性そのものが、主 体側のある種の無知を前提とするJ 「それ自身の普遍的基盤を 崩してしまうような特定の要素J
(8)‑を暴き出すことなの
である。
そしてそこでの技術とは、共同体における明示化されない慣
82
習且つ身体化された文化的戦略の複合体、ピエール・プルデュ
ーのいうハビトスであり、その私小説論での再生産構造を中村
は批判したのである
(9)。彼の論に 「態度」 「姿勢」 という表現が頻発することはこの
事を明瞭に示していよう。
かうした『蒲団』の描克の鋏陥は、軍なる技法の未熟さ
のためではなく、もつと根本的な作者の制作態度の問題な
のです。だから『蒲団』の読後に焦らの感じる息苦しい平
板性は、さうした形式のためではなく、もつと根本的な作
者の主人公に対する態度からきてゐます。
(河出書房 『風俗小説論』
P43)さらにこの 「態度」 批判は過度の文学信仰への批判と切り離
せない。中村が私小説作家の 「文学性」をどのように放ってい
るかを検討すれば明らかであろう。
しかしこの場合、彼を告白に導いたのが、道徳的勇気よ
りむしろ文筆的勇気であつたといふ事実もまた否定できな
いと思ひます。「今の文筆など殊に西洋の影響を受けてい
きなり文畢を有難いものとして換ぎ廻つてゐる。これぢや
まだまだ途中だ。Jと二葉亭が冷評したのはかうした時代
の雰囲気に対してです。このやうな雰囲気に勤まされて、
苗袋が己れの 「醜なる心」を曝けだしたとき、それが文筆
臭かつたの鱒嘗然のことです。
(『風俗小説論』 P72〜74) っまり「文学」という美学的理念によってすでに守られたも
のが花袋の 「醜なる心J の表象だったのであり、そこには他者
の批判と社会性がない。いわば、美学的理想との想像的関係を
結んだ主体に態度を純粋と呼んで顕彰する姿勢、それがここで
いう「文学的勇気」であり、それを疑うことのないのが「私小
説」
という言説なのである。
では、「いかに血肉化されているかJ 「思想をいかに生きる
かJという中村光夫のテーゼはこれとどう違うのか。
三 社会的テクストとしての 「作家の顔」
rいかに血肉化されてゐるか」 「思想をいかに生きるか」と
いう一見古めかしく見える中村光夫のテーゼは、小林秀雄の書
ぅ「強靭な作家の顔」 「仮構された作家の顔」 (『作家の
顔』)という記述と対応している。それは作品が作家の姿勢を
「表出」 (告白される内面性を前撮として)していることを指
すのではない。
この
「仮構された作家の顔」 は、、既に社会的な言語によって
構成され、他者との批評関係のなかで媒介された後の徹底的に
テクスチェアルな物、ドゥルーズーーガタリの言う「記号の顔貌
性(=エs農ite du巴g已fic葺Ceごとして、理解すべきである
(10)。
彼らにとって「リアリズム」 「私小説」 を技術R構造として
取り出すこと、つまり「小説技術の問題に解消してしま」うこ
‑83‑
とと、また作家の芸術的な姿勢‖‖意図だけを取り出すこと、つ まり「生きることと書くことが一敦している」 ととらえること
は実は片面だけを穿っているに過ぎない。
これは作家と作品のどちらかを自立的に取り出して論じると
いうことではなく、むしろその二重性を射程に入れることだと
捉えたほうがよい
(11)。r作者が、小説という実生活から独立した世界を通じて読者
と交涼し、読者はその仮構性のなかで作者にふれるところに小
説の真実な社会性が保証される」。
この小説観は既に『二葉亭四迷論』 (1936年10月
芝 書店
その後1947年に進路杜より再刊) において提出され
ている。
そして作者の廉いは、この自己の思想の純粋な場に、あ
らゆる作中人物を通行させることによつて、自己の思想の
客観性を、或ひはこの人間的な正しさを計画することにあ
ったのだ。(略)そしてこれは、単なる文季長法上の約束
ではない。逆にこれこそ現‡そのものの姿なのだ。
(『t一葉亭四迷論』 「浮雲」 引用は単行本 進路社
1
947年版
Pぴ
さらに、後年の『l一葉亭四迷伝』 (講談社
1958)では
より平易かつ明腺な形で語り直されている。
遭遇をはじめ、自然主義の作家にあつては、蔦貰とは、
ある事物を生き生きと本音らしく嘉しだすことで、現象を 現象として再現することが建前であつたに反して、l一葉亭 にとつて「摸嘉小説の目的」は「偶然の形の中に明白に自 然の意を嘉し出す」事であり、現象はただそのためのかり ものにすぎませんでした。(略)人の性質を寓すことと一 国の大勢を捲くのが、彼にとつて切りはなせぬ理由もここ にあります。かういふ考へは素朴な蔦生論になじんできた 我国の作家には、現代でも衝撃をあたへるかも知れません が、文字による表現の抽象性、小説の社食性からい云つて 嘗然の主張なので、近代のヨーロッパ作家は(ロシアを含 めて)すべてかういふ夙に考へたのです。 (『二葉亭四迷伝』 講談社
1958PlO2〜聖
r小説の社会性Jは具体的にはr人の性質を嘉すことと一国
の大勢を描く」 ことが「切り離せぬ」という要請に発し、かつ
「文字による表現の抽象性」 に立脚することで成立する。
これをさらに敷節していえば「人の性質を寓す」 ことは、そ
の
「人J の言動、仕種、話し方、話す内容に、その「人」
の属
する社会的位置、牲、学歴、階級などが、浮き彫りになるよう
に措くこと、つまりその背後にr一国の大勢」が描きだされる
ようにするということである。これが先にふれたr近代リアリ
ズム」
と密接に関わる。
中村の義論においては、単に技術=構造だけが取り出せると
いうのは、「思想を喪失した」 「単なる職人的技術への風化J
(『風俗小説論』P180)という硯友社、プロレタリア文学者、
‑84‑
横光利一、丹羽文雄らに共通した欠点である。
ここでは「私」をテクストのなかでどのように批判的な認識
とともに表象するか、つまりは誇り手=言表行為の主体と登場
人物旦盲表の主体との明確な分離の元に分節化し、そこにその
背後にある社会の姿をも浮き彫りにさせ (=社会性)、かつそ
れを統一性を保つたもの ("構成、虚構性)として表象するか
という点、中村の言う「近代小説のイロハ」 の実践に関する困
難さが消されている。
また一方で、態度の純粋さが言語を通してでも「再現」
でき
るというのは私小説家と私小説論者共通の欠点であり、ここで
は逆に、次のような認識が消去される。
「私」 はテクストのなかでしか表象されえず、そのようなテ
クストは、書き手の姿勢の問題に遼元されない社会的、歴史的
なコンテクストの中に既に埋め込まれている。社会的、歴史的
なコンテクストは、テクストにおいて書き手の意図を裏切り、
「形象の亀裂」 「語るものと語られるもののズレ」として顕在
化する。フォレスト・ピールの言葉を借りれば、テクストにお
けるイデオロギーは「言語的な物質性と、意味と文化の精神的
な、救済的な形式との分離、そしてその分離の産出、再産出の
プロセス」
(川ごとしてあらわれる。「分離の産出、再産出の
プロセス」をダイナミズムとして生み出すのは、いうまでもな
く相互行為としての読書行為である。読書行為において批判的
に解読されることで、テクストとコンテクストとの開のイデオ ロギー的関係が露呈し、かつ観念の全体性の中に還元できない r物質的な抵抗性」 (物質的存在としての道具としての記号で
はない)が生産されるのである。
この亀裂と物質性の罷識が「私小説論」では消去され、「意
味と文化の精神的な、救済的な形式」だけが、「小説否定の理
念」=「詩的なものJとして生き延び、その理念と想像的に結
びついた作者の 「姿勢Jと、その r姿勢」を肯定する読者の
「余親Jだけが礼賛されるのである。
マルクス主義という「思想の暴力性」を経由した小林秀雄、
中村光夫にとってそのような安易な「内面」 r技術」信仰は既
に過去のものでしかなかった。
ここでいう媒介牲とは、メタレベルの言語という第三項=媒
介項によって、自立した、実体的な二項対立(例えば、作者と
読者、実践と理論、ブルジョアとプロレタリア)がつながれ、
止揚されること、つまり昭和初年代に支配的であった一般論的
なヘーゲル=マルクス主義を意味するのではない。そうではな
くて、そういった認識自体が、柄谷行人の青葉を借りれば、
「あらゆる認識がすでに表象装置のなかにありj (ほ)それに
ょって構成されたものにすぎず、あらかじめ言説的なものを前
堤としていること、つまり階級・代表性・資本制経済が「必ず
人間の媒介性を伴うこと」 (14)を示しているのである。
四
マルクス主義者小林秀雄の痕跡
‑85‑
中村光夫は、『風俗小説論』において、論争相手であった丹
羽文雄を批判していく過程で人間の抽象化能力と金銭に対する
欲望をアナロジーの形で語っている。
人間が複雑な利害関係に結び合はされて廉い社食を形造
るのは、この抽象的理性による物であることは、たとへば
撲らの社曾生活にほとんど血液に等しい役割を果たしてゐ
る金銭が、斉は直接的には僕らの生活に何も役立たぬ品物
であることを考へても分かります。(中略) そして金銭に
対する人間の欲望が、人間の抽象能力を前堆におくとすれ
ば、その抽象化されたために無限に綾大された欲望の支配
する近代社食は、人間がめいめいに人生に封する恩恵を持
つことを強制される社食と言へませう。守銭奴の心理はあ
る抽象化された欲望への献身といふ点では革命家の心理と
同じなのです。
だから、近代の社食では金銭があらゆる人間の交渉につ
いて廻るやうに、思想は人間の生き方の本質をなしてゐる
ので、
「思想は人間より現書的だ」 といふドストフェスキ
ーの逆説は、一面においてかうした近代人の心理を道破し
たものでせう。
現代の社食では各自がなんらかの形で抽象世界の現資性
を信じなければ生きられないのです。
(P209‑210〉
この
「抽象能力Jを前提とした言語=金銭‑‑血液のアナロジ
ー、そして「無限に鏡大された欲望の支配」が
「めいめいに人生に封する思想を持つことを強制」するという暴力性にまで言
及したこの記述は、ほとんどマルクス主義者を思わせる。
「守銭奴の心理(資本家)Jと「革命家の心理」を等価と見
なすところは、公式マルクス主義者へのアイロニーにもなって
いる(15)。そして、この金銭=百恵森はまた小林秀雄のマル
クス論に隣接するものである。
社会の或る事情が商品といふ物質をこの世に送り出す様
に、文単作晶といふものも、ある人閉の自然過程に依つて
この世に送り出された、言葉といふ、単なる物質であるこ
とに聯かも挙りはない。軍なる商品が意味を持たぬように
単なる言葉は意味を持たぬ。人がこれらに交渉するところ
に意味を生ずる。商品が人間の交渉によつて帯びる魔術性
は、青葉が人間の交渉によつて帯びる魔術性に比べれば凡
そ比較を絶するほど単純であらう。
(小林秀雄「アシルと亀の子 三木清氏へ」 小林秀雄全集 第一巻
P亜)全自然が一つの運動ならば、もはや、人間は自然の外側
にたつて、存在する心理を認識し、表現するものとして現
はれはしない。(略)すべては運動の形態である。人間と
いふ形態が生産され、人間の脳髄を通過した様々な観念形
態が、事実上あるといふに過ぎぬ。自然の運動が人間精神
を造形したのなら、人間精神が生産した多種多様な観念形
86
態の運動も、原理的には異なつた性質のものではない。
(小林秀雄「アシルと亀の子Ⅳ」 昭和五年七月 小林秀雄
全集第一巻)
現在を支配するものはマルクス唯物史観における 「物」
ではない、彼が明瞭に措定した商品といふ物である。然
し、諸君の脳中に於いてマルクス観念単なるものは、理論
に貫かれた青践でもなく、貫陰に貫かれた理論でもなくな
ってゐるではないか。正に商品のl形態となつて商品の魔
術をふるつてゐるではないか。商品は世を支配するとマル
クス主義は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として
人間の脳中を横行するとき、それは立派な商品である。そ
して、この変貌は、人に商品は世を支配するといふ平凡な
辛苦を忘れさせる力を持つのである。
(小林秀雄「様々なる意匠」 小林秀雄全集第一巻P25)
「マルクス主義」という「一意匠」はそれ自体r商品の一形
態」
となつて 「人間の脳中を横行」 する。「マルクス主義」
は、すでに「抽条化されたために無限に擦大された欲望」
によ
って幾重にも媒介されたものであり、他者とのオブジェクトレ
ベルの係争的な関係をもたされて、「商品J の如くに、社会構
成体の中に張り巡らされた象徴秩序のネットワークの間を「横
行」し、浮遊する。そして「マルクス主義」という「意匠」は
それ自体「商品の一形態」となって、他者の欲望に媒介された
抽象的欲望となって、「人間の脳中」を暴力的に支配し、「人 間がめいめいに人生に封する思想を持つことを強制」するので ある。
貨幣の媒介による「商品」
の
「支配J
の
rカ」があたかも、
「マルクス主義」という「一意匠」 に乗り移り、メタレベルの
特権的な評価言語として錯視させることになる。
その支配の過程は一つの 「自然の運動」 の過程であり、その運
動、象徴秩序のなかでの物質化された欲望のネットワークのな
かで、r人間という形態が生産され、人間の脳髄を通過した様
々な観念形態が、事実上あるというに過ぎぬ」。人間の意志は
その象徴秩序=自然の中から自由であることはできず、「人間
精神が生産した多種多様な観念形態の運動」は、相対的な「様
々な意匠」 となる。「マルクス主義」も意匠の一つに過ぎない
のであり、「欲望」に集介された「商品」となる。それが「言
葉が人間の交渉によ\って帯びる魔術性」なのである。
このような「青葉の魔術性」という用語法については、既に
綾目広治の指摘があるように、三木清の『唯物論と現代の意
識』
(岩波書店 昭和三年五月) の『ドイツイデオロギー』読
解に寄るところが大であろう(16)。この認識を中村光夫もま
た共有していたのである。
ここから中村は小林のマルクス主義者としての側面の正当な
継承者であることが理解される。蓮実重彦は秀美との対談のな
かで、中村光夫がマルクス主義批評家であったこと、そして数
年後にプロレタリア作家を「彼らJとして対象化したことに着
87
目しているが、マルクス主義者の最良の部分、言語と貨幣の原
理の並行性に着目し、言説を社会構成体としてイデオロギー分
析する論の構えは、鮭のいう「転向」によって切断される事な
く、彼の中に脈々と息づいていたものと思われる(け)。
小森陽一はご】うした表現状況(「資本主義的な伝達回路」
のなかでの象徴秩序…引用者) の中における(ことば)は、貨
幣を媒介に、あらゆる他のものやコトと同じ市場のなかで交換
可能な(記号)として、自らを流通させる宿命に身をゆだねざ
るを希ない。(ことば〉が、特権的に「真実」や「真理」を指
し示せるわけではないのだ。(略) 「自然主義」小説や「私小
説J的な「告白」の構図は、もはや「文学」という特権化され
た領域における擬態のゲームでしかない。J (18)と述べてい
るが、中村の認識はこの小森の認識にはるかに先駆する。
新フランクフルト学派の一人であるヨツヘン・ヘーリッシュ
は、アドルノとゾーン・レーテルの等価交換分析についての論
のなかで、理性と貨幣の開音について 「商品・貨幣形態ととも に超越論的主体が与えられている」 「自我意識、理性、引いて
は理論形成それ自体が交換合理性の結果」なのであると述べて
いる
(19)。
またそれを受けて、仲正昌樹は、r(貨幣)を媒介にした
(等価交換)が社会全体に対して普遍的な妥当性を獲得するこ
とで、すべての(自我)を同一的な反省(思考)の形式へと強
制する実存的反省システムが完成するJ (20)と述べている。 理性を持つ主体の形成が貨幣による欲望の媒介の事後に成立
し、それが同一的な思考の強樹を生んでいるという認識を、す
でに小林秀雄と中村光夫は、アドルノ・ゾーン・レーテルと同
時代(1930〜40年代) に引き出していたのである。
さらに、浅田彰は、ドゥルーズ・ガタリの『アンチ・エディ
プス』を援用しながら、欲望と貨幣の関係について次のように
述べている。
貨幣による一次元化があって初めて、質的な差異が量的
な大小に、つまりは一定方向のコースにおける先後に遭元
され、それによぅて本文に述べるような運動過程の展開が
可能になる。言い換えれば、多様な欲望が貨幣への欲望に
束ねられ、一次元的な競争過軽へと引きずり込まれるので
ある
(21)。
浅田はこのプロセスをイデオロギーの近代型のモデルの特徴
としているのだが、中村光夫の欲望1=貨幣論の洞察は現在のイ
デオロギー論の成果へと接続可能なものなのである。すなわ
ち、「貨幣による一次元化しによって「多様な欲望が貨幣への
欲望に束ねられ」、「抽象化されたために無限に接大された欲
望の支配する近代社食は、人間がめいめいに人生に封する思想
を持つことを強制される社食」となる。「抽象世界の現実性」
という「恩恵」、それこそが、言語による関係という抽象的な
ものによって構築されたものであり、そして現実世界を想像的
に錯視させ、人々がそのなかで生きることを「強制」される外
‑‑一88‑
部のない思考形態、すなわちアルチエセール的な意味でのイデ
オロギーなのである (22)。通常ヘーゲル=ペリンスキー的な
「普遍的なイデアJとしてとらえられている「自然の意」
は、
アルチエセールのいう 「歴史を持たないイデオロギー」 の反復 構造、そして、「偶然のかりそめの現象」 は歴史的文脈に相対
される言説の個々の修辞、風俗と感性の表象としてとらえ直す
べきである (ここに夏目漱石の『文学論』の認識的要素として
のFと情緒的要素としてのfの区分に通底するものを見いだす
こともできよう)。
そして 「抽象世界の現‡牲」 というフレーズは、「文字によ る表現の抽象性、小説の社食性」 というテーゼと通底する。言
寄による媒介・抽象化=言説化をへてはじめて再現されたもの
として現実のリアルさが姿をあらわす。言説化されたものであ
るがゆえにそれに対する批判的吟味も可能となる。そのような
認識の上になりたつのが小説の社会性なのである。中村は小鋭
表現にはつきりとイデオロギー分析の必然性を藩めていたので
ある。
五
ヴァレリイとードストエフスキー‥・恩恵の暴力性と作品と
いう物質
ここで、中村光夫の小説における社会性・思想性の表象の問
題に戻るとすれば、その認識はおそらく、フローベール体験に
よってその端緒をつかみ、『転向作家論』 (昭和十年二月『文 学界』) 『純粋小説詮について』 (昭和十年五月『文学界』)
『生活と制作と』一(昭和十年六月『文学界』) の執筆時点で形
成され、更にその後の二葉亭四迷研究のなかで練り上げられて
いったものと思われる
(23)。そして作者の願いは、この自己の思想の純粋な場に、あ
らゆる作中人物を通行させることによつて、自己の思想の
客観性を、或ひはこの人間的な正しさを計画することにあ
ったのだ。 (略) そしてこれは単なる文筆技法上の約束で
はない。逆にこれこそ現貨そのものの姿なのだ。
(『二葉亭四迷論』
「浮芦
引用は前掲書
Pl16)ここには、既に技綾上の間者を越えた小説の思想性の表象の
閉居が提出されている。
そして、そこにはヴアレ‖ノ・‑の芸術論、小林秀雄の宿命論、
更にはドストエフスキー論のエコーが聞かれるのである。
「なぜ人間の捕らへた思想は空しいか、それは人間精神
の戯れであるからだ、なぜ人間を捕らへた思想は正しい
か。自然の理法は人間精神より沈着であるからだ」 と、小
林秀雄氏は云ふ。「人生の思想」 の追求こそ彼の生涯にわ
たつて引かれた宿命の簸であつた。
(『二葉亭四迷論』 「浮雲J
PllO)「人間は思想に捉へられたときにはじめて異に具線的に
生き、思想は人間に捉へられたときに眞に現質的な姿を現
はす…‥・」
(
「未成年」 の独創性について) と小林秀雄氏
‑89‑
は云ふ。だが彼の眼に入るものは単に思想がかうした姿で
他人の裡に生きる風景のみでない。彼自身の思想さへ、か
うした他人の閉に浮沈する自己の具線的な姿としてしか映
じぬのだ。 (P89〜90)
いはば彼の思想はここでは単に外部から人生に包まれて
ゐるのみではない。むしろ 「人生」 とはその内部から彼の
思想に働きかけその形成に参具し或ひはこれを破壊するも
のなのだ。かくてのみ彼の思想は常に現貰におけると同じ
く荒々しい生成の過程におかれるのだ。おそらく現貴にお
いて思想とはかうした形以外で存在しないことを彼は知つ
てゐたのだ。
「ときとして塾術家は (一時的に哲学者の道を踏み)
自
己の意蘭を強め、正常化し、それに個人以上の権利を奥へ
得る原理を獲得しようと試みる」とヴァレリイはいふ。
(略) むろん作家がここに設定する r一般性の外貌を持
つ」コ翠論」
とは彼自身にとつていかに必然に見えようと
突貫においては二面の仮構物にすぎない。そしてこの
「理 論」
の正しさは、云ひかへれば、その眞の一般性はただそ
の作品によつてのみ澄かされるのだ。
(『二葉亭四迷論』 「浮雲」
P126〜響
ここで、中村はヴァレリイを通じて、「理論」 は作品=物質
をもってはじめて成立すること、それ以前には 「理論」
は
「一
着の仮構物」、「単なるr外貌」 にすぎぬ」ものであり、「鼻 の一般性」 を獲得しえないことを示している
(24)。「理論」
は
「思想」 を作品化するための必要条件であり、必
須の手続きだが、それだけでは十分ではない。作品=物質とい
う媒介を通じて、思想は読者との関係をとり席び、それによっ
て
「眞の一般性」 を獲得する。「彼自身の思想さへ、かうした
他人の間に浮沈する自己の具笹的な姿としてしか映じぬ」
もの
なのである。
「
「人生」 とはその内部から彼の思想に働きかけその形成に
参輿し或ひはこれを破壊する」 「現貴におけると同じく荒々し い生成の過程におかれる」 という記述はいわば外部の侵入によ
って思想が絶えずディコンストラクトされ、新たな生成変化の
ただ中におかれるというテクスト論的な認識すら語っている。
ただ、それが近代においては 「貨幣による一次元化」
によってすでに 「重層決定J
(アルチエセール)されたものであり、
rテクストの戯れ」 を楽しめる代物、つまり中村のいう
「趣 味」
「感受性の総和」 の領域に限定されたものでないことはい
うまでもない。
柄谷行人は1974年に『群像』に連載された『マルクスそ
の可能性の中心』の初出のなかで、ヴァレリイに触れて次のよ
うに言っている。
しかし、言語という物質は、その時私の精神に還元しえ
ないのであって、むしろ作品という結果が、私が本当に何
を考えていたかを明らかにするのである。(中略)
二つの90
意味で、このヴァレリーの指摘は重要である。一つは、
「こうした対象物こそ、私たちの探求の確実な要素にほか
ならぬ」 と考えた点である。作者からも読者からも出発せ
ず、オブジェから出発した点だ。もう一つは、それと関連
するが、(価値)を、生産する過程と消費する過経とが相
互に切り離されていて、決して同一視しえないということ
に求めたことである
(25)。中村の『二葉亭四迷論』のテクスト理解、そして『風俗小説
論』の貨幣論はこの柄谷行人のマルクス=ヴアレイ理解に先駆
する。柄谷は中村光夫が小林秀雄に比べ 「理論的に不徹底」
(26)であり、『リアリズムの源流』の江藤淳に比べ、言語そ
のもののレベルに至らず「まだ心理や意識のレベルでやってい
る」
(27)
として否定的に見ているが、そのような理解は、本
稿の論点から見れば一面的なものであり、むしろ中村光夫の
「可能性の中心」は「作品り商品という不透明なオブジェ」と
いう桶谷テーゼと接続可能なのである。
六
「自由意志の否定」というスピノザ的藩識
そしてその作品というオブジェはr理論」だけでなく同時に
「社会」も写しだしていなければならない。
っまり、或る人間を描く場合、彼自身の 「特有の形状」
より、彼の中に現はれた、人間一般の観念、時代の姿、あ
るひは社食の間贋がコ日的」なのであり、それらの 「意」 をはなれて「形」だけを扱ふのは、(文筆においてそれが 可能だとしても)無意味だとするのが、昔時の彼の思想な のです。
(『二葉亭四迷伝』1958 講談社
P璧
さらに、中村の言う「理知」 「思想jを先にふれたマルクス
的な文脈の中において見れば、r理知」は、単なる小説執筆時
の批判的視点、分析能力のみを揖しているのではなく、金銭=
言語によってあらかじめ媒介された社会性の中に人間は「つね
にすでに」 いるのであり、そのような規制のなかで「重層決
定」
(アルチユセール)されることでしか生きられないことを
知ることにほかならず、「思想」とは「抽象世界の現実性(暴
力性…引用者注)を倍じること」 (『風俗小説論』Pぴに他
なら々い。 それこそが最初に触れた中村的「想像力」 の定義
なのである。
このような言帯(思想の媒介性)=貨幣(欲望の表象)観、
そこから来る意志、情念の受動性の認識は、マルクス的であ
り、またスピノザ的でもある。 錯乱した記号としての「私」
の根源的な被媒介性=受動性こそが、磯田光一が、小林秀雄に
ふれていうところの、唯一の 「自然」 のなかにあり、その
「対
象への献身と受難」という「情熱」に憑かれた「人間」 の「宿
命」なのであり(讐、これは、スピノザのいう「無限=観
念」と「情念」 (情熱)と「人間」との関係に対応する。
マルクスは『経哲草稿』の「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批
‑91‑
判」の部分においてフォイエルバッハに影響されながら「それ
ゆえ、対象的な感性的な存在としての人間は、一つの受苦的
〓eidend〕な存在であり、自分の苦悩【‑eiden〕を感受する存
在であるから、一つの情熱的〓eiden芳bafl‑icb〕な存在であ
る。情熱、激情は、自分の対象に向かってエネルギッシュに努
力をかたむける人間の本質力である。」 (空というヘーゲル
の読みを定示している。
柄谷行人はこのマルクスのフレーズに触れながら、人間が
「欠如を持つ存在」であり、それは空腹であることと違い、
「意味(価値)におおわれてJおり、「受書的であるというこ
とは、意耗・歴史・文化の根源に見いだされるべきもの(空
だと述べている。
ここに、磯田の指摘する小林秀雄的な、そしてまたスピノザ
的な「情熱」 の定義と通底するものを見いだすことができる。
無論、『経哲草稿』は60年代に日本に紹介されたものであ
り、この時点で小林や中村が読んでいたわけほない
(31)。しかし、先に触れたlニ木津の『唯物史観と現代の意識』に
も、フォイエルバッハ『キリスト教の本質』マルクスの『フォ
イエルバッハについてのテーゼ』からの引用として、「彼にと
っては、r感性的、即ち受動的、受容的」 (sinn〓chゝ・iLei
dend㌔e完ptiエの謂であったが、マルクスは無産者的基礎経験
からして感性をもって「実践的な、人間的‑感性的な活動」
(prpktisOhe盲eロSCh‑ich・Sinn‑icbe tatigk已t)として解せね ばならなかった」 (引用は近代日本恩恵大系27 三木清集
p
l15)という一文が存在するのであり、受苦的でありながら主体
的情熱的であるマルクスの人間存在の認識は、決して知られざ
るものではなかった。そして、それをスピノザを通してドスト
エフスキーと二葉亭四迷解釈に応用したのが、小林秀雄と中村
光夫の独創だったのである。
中村のいう「思想の自然状態は情熱なのだ」というフレーズ
もまたこの文脈で理解される必要がある。そして、限られた情
報や経験から「正しい思想」と「誤った思想」を弁別する(マ
ルクスとは区別される) マルクス主義に代表される「様々なる
意匠Jとは、スピノザのいう「表象像(イマジナリー)J
の別
名なのである。
先に引いた小林の一文、rなぜ人間の捕らえた思想は空しい
か、それは人間精神の戯れであるからだ、なぜ人間を捕らえた
思想は正しいか。月然の理法は人間精神より沈着であるから
だ」、さらにそれをドストエフスキー理解に敷節した 「人間は
思想に捉えられたときに初めて眞に具体的に生き、思想は人間
に捉えられたときに異に現貫的な姿を現す」はまさにスピノザ
的な認級を請っている。
アランはそのスピノザ論において次のように言っている。
すべての観念は嘗表の集積である。そしてこれらの言表
が観念を構成しているのである。知解する言動と判断する
言動は同じものである。したがって、人間の魂の中には自
‑92‑
由な意志はないと言おう。世の中に神と無関係なものは何
もない。出来事の進展は、神の本性から必然的に永遠の法
則にしたがって出てくるのである。だから、それは個体の
慈意に依存するものではない。人間は自己を自由であると
思っている。なぜなら、彼は自分の行為を意識しながら、
その原因を知らないからである
(32)。この自由意志論はいうまでもなく『エチカ』の第二部 「精神
の本性および起靡についてJ定理35の備考、あるいは定理亜を
踏まえている。
定理48
精神の中には絶対的な意志、すなわち自由な意志は存し
ない。むしろ精神はこのことまたはかのことを意志するよ
うに原因によって決定され、この原因も同様に他の原因に
よって決定され、更にこの後者もまた他の原因によって決
定され、このようにして無限に進む
(33)。同様の自由意志論は小林秀雄の翻訳したアラン『精神と情熱
とに関する八十一章』の第四部第七草、 「自由意志と倍念とに
ついて」
でも展開されており、小林がこの間壌設定を理解して
いたことが判る
(34)。この自由意志論は小林秀雄研究の成果にどのように接続でき
るか。
樫原修はその刺激的な論、「小林秀雄の自然観」 において、
小林の 「アシルと亀の子Ⅳ」 のマルクス理解とr常識につい
て」
というデカルト論に触れながら次のように述べている。
小林は, (コギトの世界) という (厄介な出来) のもの
が、現に人間に背負わされていることをデカルトは直観し
たのであり、二元論と云う便利な立場を案出したのではな
いというのである。別の箇所で小林は、精神と自由、自由
と必然と言った二元論を、人間が避けて通ることの出来な
い
(秩序のヂレンマ)と呼び、〈この分裂した不完全な在
るがままの状態) こそが人間に与えられた現実だと述べて
いる。自然とのジレンマのうちにある精神が、世界観とい
う名で世界を覆うなどということはありえないのだから、
抽象化された二元論によって構成された世界観などは真理
でもなんでもなく、(人間精神が生産した)観念形態に過
ぎないのだと、デカルトはマルクスとともに言うことがで
きると、小林なら答えるであろう。しかし、問題は、あら
ゆる哲学形態は個人が生産したイデオロギーであるほかは
ないというマルクスの思想自体も、普遍的真理としてでは
なく、イデオロギーとして (人間精神が生産した〉 観念形
態として現れるしかない、ということである、すなわち、
すべてを自然の運動と見る一元論も、それ自体としては二
元論的な構成を払拭できないのではないか、と言うことで
ある
(35)。
樫原論文はこれを 「人間に与えられた現実そのものの表現」
(P∽○)
「自然と精神との出会い」を成す「デカルト的な場」
ー93‑
(Pご)と呼び、これを小林の思考の出発点であるとするのだ
が、これは中村光夫の二葉亭四迷論の小説の定義そのままであ
り、またアラン=スピノザの自由意志論一超越論的主体と自由
意志の否藩、そしてそれを重層決定するr神即自然」 (自然と
のジレンマ)の指摘一に隣接する。
スピノザが『デカルトの哲学原理』を書いた徹底したデカル
ト主義者であったこと、アランがスピノザ主義者であったこと
を考えれば、小林秀雄のデカルト論がスピノザ的な響きを持つ
ことも不恩義ではない (36)。そして小林秀雄の影響下に成立
した中村光夫の二葉亭論が「人間に与えられた現実そのものの
表現」 である 「デカルト(スピノザ)的な場」を措き出すこと
を目的とした小説論として唐実するのも当然のことなのであ
る。
この