水村美苗「私小説 from left to right」の複数性
著者 川野 祐理子
雑誌名 大妻国文
巻 51
ページ 13‑31
発行年 2020‑03‑16
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00007001/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
大妻国文 第51号 二〇二〇年三月
水村美苗 「私小説 from left to right」 の複数性
川 野 祐 理 子
水村美苗 「私小説 from left to right」 (以下 「私小説」 と略す) は、 話題 となったデビュー作 「續明暗」 に続く、 作家の第二作目である
(1)
。 雑誌掲載時に は 「日本近代文学 私小説 from left to right」 の題名で1992年から二年に渡 り、 雑誌 批評空間 (福武書店・太田出版) に連載された
(2)
。 曖昧な性質をもっ た私小説というジャンルがはらむ問題と、 移動をめぐる政治性に対して 「私小 説」 がどのように格闘しているのか、 ジェンダー論とポストコロニアルな観点 を踏まえ、 考察してみたい。
「私小説」 は、 物語る権力を手に入れた人物によって語られる小説である。
「私」 は己が描き出す姉と母を、 自分と同じ枠で括らない。 それは姉と母、 二 人の関係においても同じで、 姉と母は互いに異なる性質をもった人物として読 者に提示する。 これらの相容れない人物に挟まれる語り手として、 「私」 の物 語は構成される。 だがその大きな物語の下には、 複数の抑圧構造と個々に闘う 物語が隠されている。 本論はこういった姉と母の声の復元を目指すと同時に、
私小説というジャンルの新たな可能性を 「私小説」 に見いだそうとする試みで ある。
1 「私小説」 の特殊性
私 が語る小説「私小説」 は、 帰国子女というものがまだ一般的でなかった昭和の時代に、
父親の仕事の都合でアメリカに移住した家族を主題にしている。 特に 「私」 と 水 村 美 苗「 私 小 説
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姉・奈苗が30歳を超えた物語現在までの人生について、 物語現在と回想とが折 り重なって構成されている作品である。 主人公であり語り手の 「美苗」 は作者 と同姓同名で、 作者水村美苗の経歴と重なる部分が多い。 「私小説」 の題名と 合わせられることで、 読者が小説の内容を限りなく現実に近いものとして受容 する可能性は高まるといえる。
水村美苗 「私小説」 が野間文芸新人賞に選ばれたとき、 審査員の六名中四名 が題名と内容の関連について言及した
(3)
。 飯田祐子は鈴木登美が提唱した 「読み のモード
(4)
」 の用語を引用し、 「私小説」 は読者に 「現実の情報で補完し、 現実 の作者と繋がることを要請」 しており、 私小説という 「モードで語ることで、
聞き手をつくり出そうとする語り手の強い欲望」 の存在を指摘している
(5)
。 たし かに物語に書かれない空白の部分や要素は、 自然と読者のなかで作り出され、
創作部分の個人差によって各作品に受容の差が生まれるのだと考えられる。
私小説という用語が用いられ始めたとされる1910年代後半から現代に至るま で、 数々の論者が私小説の説明を試みてきた。 この事実から分かるように、 こ の用語は未だ定義されていない
(6)
。 そのような状況下において近年では、 「私小 説なるもの」 (鈴木貞美
(7)
)、 「私小説言説」 (鈴木登美
(8)
)、 「自己表象テクスト」
(日比嘉高
(9)
) など、 言説の性質により近づけた用語の提唱もなされている
(10)
。 こうした研究状況を念頭に、 「私小説」 についての先行研究を確認しておき たい。 「私」 は家族と12歳で渡米したが、 ほとんど英語が分からないために
「存在しないがごとくに無視される」 ようになる。 級友に無視されるような最 下層に位置付けられた、 渡米して数年間の 「私」 は、 日本の近代文学全集を心 の支えに生きていた。 そのような状態でも大学生になる頃には否応なく英語が 身につき、 言語能力によって階層化される社会を渡っていけるようになってい く。 こうした物語構造について、 「私小説」 における越境、 ジェンダー、 植民 地主義的意識、 言語などに起因する目線に焦点を当てる議論が見られる
(11)
。 たとえば青柳悦子は、 「母親と奈苗と美苗は、 三者三様に、 それぞれを自分 とは対照的な人間とみなして」 おり、 「 私小説 は、 女たちの断絶と孤独の 物語である」 と述べている
(12)
。 青柳が指摘するように、 一番近い存在である家族 に対する違和感への言及は小説内に散見され、 特に 「私」 から奈苗と母へのま 14
なざしは、 語り手の権力によって強化されて読者へ届くといえるだろう。
また溝渕園子は、 英語の能力によって階層化される現実が、 「私」 の行動を
「常に英語を優先するという方向へと決定づけてきた」 とする。 その一方で、
英語が堪能になっても東洋人であるために、 英語を正当に継承することができ ないという 「私」 の思いが 「人種や主体形成の問題へと還元されていく」 とも 論じる
(13)
。 colored の単語や漢字の字面によって、 「私から見ても向こう側の」
「人間と一緒くたにされてしまうことに対する驚き そして屈辱」 を感じて いる 「私」 の姿は、 まさに言語の問題が人種問題や植民地主義的意識に還るこ とを体現している。
さらに 「私小説」 における越境をジェンダー性から考察した吉原真里は、
「小説を通じて、 日本男性の描写が例外なく意地悪、 平板、 よく言って滑稽」
であり、 彼らの姿が 「日米間の越境という行為」 と 「社会への属性にもたらす もののジェンダー性を浮き彫りにしている」 と指摘する
(14)
。 女性についても日本 へ帰らなくてよいのは姉妹が女であるから、 奈苗の容姿が派手に変化したのは 女であるから、 などの記述が小説内に見られる。 交際・結婚についても多く描 かれ、 ジェンダーに起因する目線で 「私小説」 の女たちは囲われている。 語り 手の 「私」 は自らが 「向こう側の人間」 だと線を引かれる屈辱を感じていなが ら、 奈苗と母に対しては徹底的に自分とは異なる存在であると違和感を表明す る。 この 「私」 の姿勢は家族内で女たちを階層化し、 二人の声を聴き取りづら くさせてしまう。
こうした物語構造を念頭におき、 奈苗と母の声を丁寧に拾い上げていくこと で複数の声を内包する小説として捉え直してみたい。 特に、 女性を取り巻く視 線が抑圧的であることに注目し、 それが彼女たちの生き方にどのような影響を 与えたのか考察する。 さらに、 こういったまなざしの作用を奈苗と母はいかに して断ち切るのか。 これらを検証し、 水村美苗 「私小説」 の独自性の検討へと 接続させる。
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2 規範というまなざしの暴力
小説には、 「私」 と奈苗を平等には扱わない人物として姉妹の母が登場する。
作中に描かれたなかで 「私」 の一番古い記憶は、 まさに不平等への不満に占め られている。 その場面は次のように語られる。
あれはまだ小学校に上がる前であった。
黒く光ったアップライト・ピアノはある日突然私たちの家に登場した。
日本のサラリーマン階級が競ってピアノを客間に置く時代に突入する少し 前で、 かなり無理して買ったのではないだろうかと思う。 二三日して母は 綺麗な着物に着替えると、 小さかった奈苗と私の手を引いて 「横浜」 に挨 拶に行った。
娘に教えてやって下さいね。 […]
母のいう 「娘」 はもちろん奈苗のことであった。 奈苗と私は姉妹そろっ てピアノを始めたが、 基礎ができたところで、 奈苗だけが 「横浜のおじちゃ ん」 から直接習うようになったのである。 不服そうな私に母は言った。
だって、 あんたにはバレエをやらせてるじゃない。
たしかに同じころ二人で始めたバレエは、 いつのまにか私一人が続け るようになっていた。 だが奈苗のピアノと私のバレエとは似て非なるもの であった。 母は私のバレエのレッスンは覗いたこともなかったが、 奈苗の レッスンには綺麗な着物に着替えて必ず 「横浜」 までついていった。 (104
〜106頁)
母の、 奈苗のピアノに関する行為は 「あたかも孟母に変化
へ ん げ
したよう」 だと、
驚きと困惑をもって否定的に語られる。 「奈苗のピアノのことを思うと、 今な お釈然としないものが胸にふつふつと沸き上がってくる……」 とも書かれ、 現 在でも 「私」 が奈苗を否定的に捉える原因になっている。 こういった姉妹の扱 いの差は、 作中に母が登場するたびに語られていく。 重要なのは、 母が 「私」
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に何かをした・しなかったことが語られるわけではなく、 奈苗に異常なる関心 を示して何かをしたことが描かれていることだ。 「私」 に関しては、 描かれて いないという空白から推測するしかない。 描かれる母の行為は、 奈苗を 「ふつ うのお嬢さん」 として日本人の男性と結婚させようという意識の表れである。
私は今も驚きとともに、 あの火だるまのような母の情熱を思い出す。
そこには、 私には理解できない、 母親と長女との間の濃密な愛憎関係があ り、 またそれに輪をかけたような、 奈苗のもって生まれた性格もあったで あろう。 娘の将来というものに最終的には結婚しか描けぬ母の限界も、 母 の育った時代そのものの限界もあったにちがいない。 […] 唯一言えるこ とは、 それが、 もう若くはない母の中にあった、 奈苗の若さを通じて今一 度己れの中の女を確認したいという衝動と通じるものであったということ である。 実際、 母が奈苗の色恋沙汰に無関心になるのと、 母自身の色恋沙 汰が始まったのとは時を一にしていた。 (154・155頁)
母が言うように、 「小さいころからいかに奈苗が手のかかる子供であった」
としても、 奈苗のあらゆることに関わっていく母の姿勢は説明できない。 女だ から結婚を機に日本に帰ればよい、 という両親の考え方を姉妹は受け継いだ。
その結果、 結婚自体を未だしていないために、 姉妹は今日までアメリカに残る ことになってしまう。 母は 「あんたたちが娘でよかった、 日本の大学を出なくっ ていいから」 と娘たちによく言っていた。 息子であれば日本の社会に受け入れ られるよう、 日本の大学を卒業しなければならないから、 ということである。
母の育った時代の限界とは、 女は社会参画すること自体が特別で、 結婚して家 庭に入るならば日本の大学を出る必要がないことを示している。 こういった社 会の認識のなかで母が育ったのであれば、 奈苗が生まれるより前に規範として 母に染みついたと考えるべきだろう。 時代に養われた意識に沿って、 母はある べき婚前女性の姿に奈苗を近づけることに執着したのだといえる。
母がそこまで 「ふつうのお嬢さん」 にこだわるのは、 自身の 「まともではな い生い立ち」 に理由があるのだろう。 母の従兄弟にあたる 「横浜のおじちゃん」
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は、 「富を越えた、 はるかにかぐわしいもの」 が充満する家で生まれ育ってい る。 その一方で母の育ちは裕福ではなく、 美苗・奈苗の父と 「道ならぬ恋にお ちい」 った結果、 二人の結婚は 「祝福よりも怨嗟を多く買った」。 語られてい る要素から考えれば、 母は 「ふつうのお嬢さん」 にはなれなかったのだと推測 される。 だからこそ奈苗を通じて 「今一度己れの中の女を確認」 し、 娘の人生 をもって自分の娘時代を上書きしようとしたのだ。 つまり、 母は己に向けられ るはずだった視線を、 奈苗越しに手に入れようとしたといえる。
また、 20年前にやっとニューヨークにたどり着いた時、 母は 「電気釜とお米 と梅干しを買いこみ、 ホテルの部屋でこっそりとご飯を炊いた」。 「私」 はこの 母の行動を、 「いくら日本食を好むとはいえ、 ご飯がなければないで何週間で も何ヵ月でも平気で過ごしてしまえる私たちとちがい、 母はやはりどこまでも 日本人であった」 と、 食の嗜好からも母を日本人と印づける。 さらに、 次のよ うにも語る。
日本人も韓国人もないというアメリカの現実は母にとってはアメリカとい う異国の現実でしかなかったが、 奈苗と私にとっては、 そこで自分の居場 所を見つけねばならない現実そのものであった。 そしてそれはアメリカに 来ても日本の世界におさまっている母にはわかりようもないことであった。
(248頁)
同じだけの時間を過ごしながら、 姉妹と母の間にある越えることのできない 溝の存在が断言される。 日本で培った規範に則って娘を育てる母を、 「私」 は
「日本人の母」 と国籍をもとに印づける。 また奈苗は、 結婚しろと言われてき たが、 結婚する理由が分からなかったために反発ばかりしていた、 と発言して いる。 姉の発言を受けた 「私」 は、 自分たちが 「働く必要を自分のものだと思 わずに育った」 ことを認める。 しかし、 「母だって」、 結婚する理由など 「分か らないままに娘たちを育ててきたのにちがいなかった」 とも語る。 奈苗の結婚 を諦めるまでの母は、 己の欲望のために規範をただ踏襲して繰り返し、 その仕 組みを再生産する存在として描かれているのだ。
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さて、 こうした母の視線への渇望は規範という姿をとって、 奈苗の前に立ち 現れてくる。 しかしそれだけではなく、 奈苗はアメリカ社会からもまなざされ ている。 それぞれ別の基準をもつ規範に挟まれることで、 奈苗はさまざまに感 化されることになる。 高校卒業時までは大きな変化もなく、 「ふつうのお嬢さ ん」 に関して母とぶつかる描写もない。 だが高校を卒業し、 ボストンの音楽学 校へ進学したことで始まった寮生活によって、 奈苗は母の監視下から外れた。
これが彼女に大きな変化をもたらすこととなる。
寮生活ではさまざまなバックグラウンドをもつ人々に囲まれ、 奈苗は周囲に 染まっていく。 一年次を終えて帰省する奈苗を迎えに行った 「私」 と母が、 彼 女の服装や雰囲気に圧倒されたときの様子は次のように記されている。
私の目には、 Hispanic にも Filipina にも Indian にも Chinese にもVietnam- ese にもなんにでも見えるのだが、 日本人にだけは見えなかった。 […]
バスを降りてきた奈苗は Port Authority という、 雑多な人種の入り混じっ た、 俗を通り越して猥雑ですらある空間に、 あたかもそこが生まれ落ちた ときからの自分の棲家ででもあるかのように平然ととけこんでいた。 […]
ナニ、 あの恰好……。
隣りで母が情けなさそうな声を出すのが聞こえた。 (127頁)
母の反応からも分かるように、 奈苗はボストンで周囲の影響を受けながらこ の状態を作り上げた。 ボストンという大都市に移ったことで、 「人種の入り混 じった」 より複雑な世界を見た奈苗は、 猥雑な世界に溶け込むような姿へと変 貌する。 「奈苗はひどく周囲に染まりやすい娘であった」 という 「私」 の語り も、 奈苗の変化の度合いを強調する。 同時に、 奈苗のこの姿が音楽学校の内で は特別異端ではなかったことも推察できるだろう。 また 「私」 の 「あなたみた いなんと一緒に歩くの、 ママだって恥ずかしいって言ってたわよ」 という発言 は、 母の奈苗に対するまなざしを、 端的に表している。
このような姉の姿を 「私」 は 「国籍不明」 と形容する。 「私」 は高校時代に 有色人種として一括りにされたときの、 驚きと不愉快さの感触を思い起こして
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いるが、 奈苗には一括りにした側と同じ態度をとる。
自分が東洋人であるのを知る驚きとは、 それは西洋人から、 あなたは 向こう側の人間です、 と私から見ても向こう側の人間と一緒くたにされて しまう驚きであった。 しかも、 私自身彼らではないことを幸せの一つとひ そかに数えている人間と一緒くたにされてしまうことに対する驚き そ して屈辱であった。 (254頁)
溝渕園子は 「私」 の記述について、 他の 「東洋人」 に対して 「優越感をひそ かに持つ 「美苗」 自身の内面化されたコロニアルなまなざし」 の存在を指摘し た。 また 「日本人」 であることは西洋にルーツをもつ人々から負の価値を与え られるが、 「東洋人」 や 「colored」 からすれば逆に暴力的な記号になる可能性 をもつ、 「表裏一体のものとして描かれている」 と論じている。 たしかにこの 両面からの視点が 「私」 を 「日本人」 として生きにくくさせているといえるだ ろう。 アメリカの中学校へ通い始めた頃のことを、 「私」 は 「奈苗の屈折に黒 ずんだ不機嫌な顔を見れば」、 「いくらか心が慰められるのであった」 と思い返 している。 生きにくさの共有を姉に求める 「私」 の感情は、 「私」 の奈苗に対 するまなざしへと波及していく。
一方、 母と奈苗から結婚相手の候補として品定めされていた日本人男性は、
奈苗をどうまなざしたか。 22歳の奈苗が日本で 「目のまえに派手なミニのドレ スを着て立った」 とき、 「私」 だけでなく日本人をも 「たじろがせるようなも のがあった」。 しかし、 服装だけが目立ったわけではない。
もちろん奈苗が日本の女とちがうのは化粧や洋服に限らなかった。 身のこ なしも顔つきもちがった。 口の開け方がちがった。 そして空気がちがった。
私はこんなに国籍不明の体を衆目に曝しながらも、 なおかつ日本の男と結 婚しようという奈苗に何となく腹が立った。 結婚させようとしている母に も腹が立った。 (61頁)
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当時彼女と交際していた日本人の男は、 奈苗のことを常々 「アメリカ向き」
と言っていた。 しかし彼自身はいずれ日本へ帰って親の会社に勤めることが決 まっている。 つまりアメリカで生きていくつもりのない男は、 奈苗に結婚の確 約をするどころか相談をすることもなく、 ただ恋人として楽しくやっていただ けなのである。 これはこの男だけでなく、 他の日本人男性に関しても同じだっ たのであろう。 なぜなら奈苗が交際してきた数々の日本人男性との話は、 この
「問題の男」 のほかは詳しく記述されておらず、 結婚の兆しがなかったことを 暗に示しているからである。
こののちに奈苗はこの男と破局し、 自殺未遂を起こすのだが、 破局の契機は 相手の両親が 「タバコを吸うようなお嫁さんはイヤだ」 と言ったことだった。
たしかに奈苗は相手の両親に会いに行ったが、 結婚の意思表示をするためでは なかった。 そのうえで相手方の両親が 「お嫁さん」 と表現することは、 二人の 将来に結婚がないことを意味する。
この男との破局、 自殺未遂といった事件を経て、 母は奈苗の結婚に対して
「恐ろしいほどの情熱を傾け」 るようになる。 当たり前のものと思っていた奈 苗の結婚が、 どうやら困難なものであるらしいと気づいたからである。
母の情熱の矛先は奈苗のピアノから奈苗の結婚にとって代わった。 もとも とその傾向のあった母だが、 あのころからは、 何かに憑かれたように奈苗 の結婚に執心するようになった。 それは母の時代の人間の言葉で言えば
「傷物」 となった娘をどうにか 「ふつうのお嬢さん」 として日本の男と
「まともな結婚」 をさせなければということに尽きた。 (152・153頁)
母から見て、 奈苗は 「傷物」 になってしまっている。 たしかに睡眠薬を使用 した自殺未遂を起こしはしたが、 すぐに発見されることを見越しての実行だっ たため命に別状はなかった。 「横浜」 しか自殺未遂を知る人もいなかった。 そ れでも母はもう奈苗を 「ふつうのお嬢さん」 とは思えず、 負の烙印を押してし まうのである。 「私」 は 「奈苗が自殺をはかったりするのは、 相手の男へのあ てつけだけでしたことではなく、 母への申し開きでもあった」 と語る。 しかし
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そのような奈苗の気持ちは、 母に伝わっていない。
これらの奈苗への視線は、 価値基準が異なるために方向性が揃っておらず、
彼女を不安定にさせてしまう。 他人からの視線によって人は己を意識するが、
そのまなざしの力は大きく、 ときに暴力にもなる。 アメリカで生まれ育った人 からは 「東洋人」 として見られ、 己の家族や日本で生まれ育った人からは 「ア メリカ人」 として見られる。 こういった視線を丁寧に集めていくと、 どちら側 からも線を引かれる人物として奈苗は浮かび上がってくるのである。
3 固定から解放へ
印を捨てる身体母は、 奈苗を 「ふつうのお嬢さん」 として日本人男性と結婚させることに情 熱を注ぎ続けてきた。 しかしこの母娘関係はやがて壊れることとなる。
私自身幾度も会うこととなった日本人のチェリストと [奈苗が] 恋仲になっ たのは三十に手が届く直前であった。 彼は東京の資産家の次男であった。
母は恐ろしいほどの情熱を傾けた。 その関係が壊れてしまったときはもう 怒る気力もなかった。 それが本当に最後だった。 そのあと母は憑きものが 落ちたように、 奈苗の色恋沙汰に興味を示さなくなったのであった。 (154 頁)
母が気づかなかった、 あるいは気づこうと努めなかった娘たちの世界では、
以前から奈苗の結婚は難しいものになっていた。 それを自殺未遂という明確な 事件によってやっと認識を改め、 奈苗とチェリストの男の交際を支援したにも 関わらず、 恋人たちの関係は壊れてしまった。 努力が水の泡となったことで、
母は奈苗の結婚を諦める。 代わりに 「火だるまのような母の情熱」 は母自身に 向かった。 姉妹の父である己の夫の長期入院をきっかけに、 彼を病院から老人 施設に移し、 姉妹の実家である自宅を売り払い、 日本へと姿を消してしまった のである。 どのような経緯で日本へ行き、 何をして暮らしていたかは書かれて いない。 分かるのは物語現在において年下の恋人がいること、 「彼」 の仕事の 22
都合でともにシンガポールで暮らしているということだけだ。 母の仕事や暮ら しぶりは描かずに、 年下の恋人の存在を何度も語る 「私」 は、 「以前母から色 情狂だと言われていたお返しに、 最近は母に対してその言葉を使っている」 奈 苗と同じく、 否定的に母を見ている。
母は家族に相談せず、 体の弱い父を老人施設に入れたまま放置し、 家族の調 整役を 「私」 に担わせている。 このように 「私」 が母を身勝手な人物として描 く理由は多くあるが、 語り手と異なる解釈もできるのではないだろうか。
奈苗がチェリストの男との交際をやめたとき、 自分の娘への態度が娘を導か ないことに母は気づいた。 己の中に当然のごとく存在する規範を発見し、 人生 を振り返りもしただろう。 家族の前から突然姿を消す前の母は、 姉妹を平等に は育てなかったと評されても、 近代の母親像から外れるような人物ではなかっ た。 夫に協力してもらうことなく一人で家事をし、 夫の客をもてなし、 家族全 員の世話をし、 奈苗が音楽学校の寮に入ると外に働きにも出る。 現代では子ど もの性別によって身に着けさせる能力を決めたりなどせず、 夫にも家事や育児 の分担を求めるようになってきている。 比べて母の思考や言動は、 近代の家父 長制度が求める 「母親」 の姿、 そのままだといえる。
「私」 の高校時代の友人である Sarah は、 「私」 が英語で祖母・母・自身につ いて小説を書くことを提案するが、 その場面で 「私」 は次のように語る。
祖母は東洋の無知と迷信と因習にとらわれたまま死んでいくが、 その 中で苦しみながら育った母親はアメリカの占領軍によって解放され、 最後 に、 アメリカに渡った娘の私はさらに大きく大きく解放される。 (373頁)
祖母は 「私」 にとって 「ひらがなと漢字とで縦に書かれた日本近代文学の世 界の住人で」、 それに比べて母は解放されていると認識している。 たしかに母 はアメリカに憧れていたのだが、 それは 「解放」 ではなく、 そういう生活もす ることができる、 という許容に過ぎなかった。 母の日常生活は先に引用したよ うに、 アメリカにあっても日本式であり続けたからだ
(15)
。 一人で外へ出て遊んだ り、 知人を自ら家に招待するような描写もほぼない。 近代の封建的制度が期待
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するこのような母親像の踏襲を、 母は奈苗とチェリストの男の破局を機に辞め たのだ。
母は家族一人一人に、 そして家族という単位の安定に尽くしてきたといえよ う。 「私」 も 「日本に戻るといえば家族で戻る図しか思い浮かばず」、 一人で帰 る決心ができなかった。 これは家族という近代の制度が 「私」 を拘束している といえるのだが、 それは母にも同じようにいえるのである。 作中では母が自分 のためだけに時間を使うような描写が見当たらない。 「母親」 の姿しか見せな いことに何の疑問も抱かない家族の姿は、 むしろやんわりと隠された暴力にも 感じられる。
この状況から、 奈苗の自殺未遂、 チェリストの男との破局、 夫の長期入院と いう段階を経て、 母は本当に 「解放」 された。 自分がもっていた規範で対応で きなかったという気づきは、 これまでの意識について深く考えさせただろう。
その結果、 「母親」 としての人生とは別の、 自立した個としての生き方を発見 したのである。 家族のためだけに生きるのではなく、 自分のためにも生きる、
自由な人生を母は手に入れた。 姉妹は 「身勝手な生き方をしている」 母という 認識を全面に押し出すが、 母は家父長制度の枠組みから解放された人物でもあ るのだ。
さて、 今度は奈苗の解放の物語について考察していく。 一家に決定的な変化 を起こした奈苗の自殺未遂は、 「問題の男」 へのあてつけだけでなく 「母への 申し開き」 でもあった。 この時から彼女は 「日本に対して一種のアレルギー症 状」 を起こしていた、 と 「私」 は書いている。 また奈苗の結婚を望む気持ちは、
母が奈苗の結婚を望む気持ちと 「どうしようもないぐらい分かちがたく混ざり あっていた」。 つまり奈苗のアレルギー症状は、 日本人の恋人との別離のみが 原因なのではなく、 日本人男性と結婚させようとする母もまた、 アレルゲンに なっているのだ。 以下は日本に対するアレルギー症状を起こした後の描写であ る。
一方で母の干渉をうるさがりながら、 もう一方では自分から電話をかけて は、 その時々の恋人についてあれこれ長い間話しこみ、 そのたびに母に期 24
待をもたせたり母を失望させたりをくりかえした。 そして気が向くと恋人 を家に連れてきては、 性懲りもなく母の手料理を食べさせたがったりもし た。 (153・154頁)
アレルギー症状を起こしたところで、 奈苗が日本人と交際をしなくなったわ けではない。 母が奈苗から完全に分離するまで、 「母娘ともに 「まともな結婚」
を諦めるまでの十年近い歳月は、 涙とののしり声とため息に費やされた歳月で あった」。 母の望み通りにはなりたくないと奈苗が考えても、 ここまで自身に 深く入り込んでしまっている母を切り離すには相当の痛みと困難が伴うと思わ れる。 そのときに改めて、 母という 「枠組み」 がいかに強固で、 己を守ってき たかを認識したことだろう。 自分から母を分離できない奈苗の姿は、 彼女の精 神が未だ母に依存していることの証左だといえる。
ここでもう一度、 物語現在の奈苗の状況を確認しておこう。 四年ほど前に日 本人チェリストの男と別れたことで母からは完全に見放され、 父は老人施設で 毎日を過ごすのみで頼りにはできない。 一昨年の春に実家は売られ、 芸術家の 多い地区に買ったロフトに猫二匹と住み、 車で二時間掛かるところに住む妹と の毎日の電話を支えに生きている。 ここ一年近く恋人の気配はなく、 基本的に はアルバイトで食べながら、 彫刻を続けている。 収入の不安定さ、 芸術家とし ての将来、 父の世話の負担、 パートナーの不在、 頼りの妹との物理的距離など、
物語現在においても奈苗に関する心配事は多い。
あれは一年半以上前のことだった。
あのあたりからである。 あのあたりから母親に見捨てられてしまった 奈苗の未来がこの肩にかかってきたのが急に現実味を帯びて感じられるよ うになったのである。 私はその重さにひたすら当惑した。 (335頁)
この 「私」 の実感は、 実家が売られて母が父を老人施設に入れたまま姿を消 した後に立ち現れてきたものである。 同じ頃の奈苗が 「泣き暮らしていた」 な ど、 彼女の心細さに関して作中では多く言及されている。 ゆえに読者は、 自分
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の思うがままに生きてきた結果、 物語現在では寂しい人生を送っている可哀想 な人物として奈苗を見る方向へと傾く。
こうした語りの力学はあるものの、 細部を考証していくと新たな解釈の地平 が開かれる。 母と決裂するきっかけとなった日本人チェリストの男に出会うま でに、 奈苗はピアノをやめ、 彫刻をやり始めている。 このピアノは母の意志に よって始められたもので、 教えてもらえるよう 「横浜」 の家へ頼みに行ったと きのことを 「私」 は鮮やかに、 細やかに描いている。 そこからも母の 「火だる まのような」 情熱や 「憑かれた」 様子が窺える。 因縁の記号となったピアノを 自ら切り離すこと、 そのうえで自ら選択した彫刻という新たな記号を取り付け ることは、 非常に重要な出来事である。 この転換によって、 実は母からの分離 が一歩進んでいる。
しかしピアノとの決別だけでは、 奈苗の母からの分離は達成されない。 チェ リストの男との別れを最後に母は奈苗の結婚に対して完全に興味を示さなくなっ たばかりか、 奈苗の人生そのものをほとんど気にかけなくなる。 その結果、 奈 苗は人生そのものに一人で立ち向かわねばならなくなった。 しかし同時に、 結 婚しなければならないという意識も自然と薄れることになる。 奈苗は初めて、
本当の意味で自分の人生を生きているのだ。 これは日本でずっと暮らしていて はおそらく叶わなかった。 日本にいれば、 日本人をたじろがせるほどの要素を 備え得る可能性は低いからである。 つまり、 母の希望通り日本人男性と結婚す る可能性が高くなる。 結婚すれば母の願望は 奈苗の結婚生活を大事なく存続 させること" へと転換し、 継続されていくことになるだろう。
しかしアメリカに来たことで、 奈苗は中学生以前とは全く異なる性質を手に 入れた。 世界に開かれていてさまざまな民族が入り混じって生きるその国は、
彼女の中に小さくなっていた奈苗本人を、 長い時間をかけて外へと引き出した のである。 奈苗にこだわっていた母の方から彼女を切り離すこととなり、 その 結果奈苗は母から自立する方向へと促された。
奈苗も一人で食べていくうちに変わらざるをえない部分では変わってきて いた。 日本に対するアレルギーもいつのまにか治まり、 Manhattan にい 26
るせいもあって、 今は私より日本人とのつきあいも多いくらいである。 い まだに日本人には見えないが、 日本人が驚いて眼をむくような恰好はしな くなった。 (157頁)
毎日のように妹と電話で繋がりながらも、 アメリカで生きていくつもりなの だろう。 家を買ったこと、 アルバイトをしてでも彫刻をやり続け、 引っ越そう かと戯れに言ってみるときにも日本ではなくアメリカの地名を出すことなどか らもそれが窺える。 すべてを自分の判断で決めることができる物語現在、 母の 情熱や女として価値づけようとするまなざしから奈苗は解放され、 真の自由を 得たのである。
「私」 が日本に帰ろうと思うと告げると、 奈苗はそれを後押ししつつも泣い た。 この場面によって読者の奈苗への印象がネガティブな方向に強化されると も考えられる。 だが母のみならず 「私」 と、 二人に引き取られるであろう父
(16)
も 去ったアメリカでこそ、 奈苗は自立の最終段階を迎えることができるのである。
物語現在の約一年半前に Manhattan で姉妹が会ったとき、 「母親に放り出され た奈苗はもう泣いてはいなかった」。 同じように物語最終部で泣いている奈苗 も、 再び前を向いて歩み始めることを一昨年の場面は示唆している。
現実世界から逃避しているだけに見えた 「私」 の日本文学への逃避も、 大学 院まで進んで文学を専攻したことで、 大学にて教えられる立場・「男の賃金の 半分で働く必要」 のない立場の獲得という、 社会的地位の上昇に繋がっている。
この 「私」 の物語に対して、 奈苗の人生や性質は否定的に語られるか、 あるい は 「私」 の物語の引き立て役になるばかりで語られることすらなかった。 しか し従来の議論とは別に、 奈苗の人生もまた解放されるという物語構造を見いだ すことができるだろう。 「私小説」 とは、 抑圧されていた女たちがそれぞれの 生き方を見つけ、 新たな世界へと羽ばたいていく物語なのである。
4 声の複数性
「私小説」 において大きな問題となるのは、 なぜ水村美苗が私小説と題して 水 村 美 苗「 私 小 説
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書いたのか、 あるいは書かなければならなかったのかということである。 私小 説というジャンルに関する研究では、 男性作家による作品が主流であったこと、
明治期から現代まで私小説というジャンルが存続してきたことが、 共有された 認識となっている。
作家たちはなぜ 私 を書くのかという視点から、 「「小説の主人公 (語り手)
=作者 (作家)」 というメッセージが強い」 本作について梅澤亜由美は考察し ている。 その著作によれば 「私小説」 は日記を書きながら回想する 「私」、 そ してその 「私」 を書く作者水村美苗、 という二重構造になっている。 また、
「書く私」 と 「書かれる私」 の 「自己コミュニケーションの構造と効果をその ままテーマとし」、 「私小説」 を 「書くことが、 作家に直接的な変化をもたらし た」 とも論じている
(17)
。
先にも引用した青柳悦子は、 「閉鎖的でナルシスティックな私小説とは異なっ た新種の私小説」 だとしたうえで、 「本来 「内閉」 を本質的特徴としていたは ずの 私小説 がいわば脱構築され」、 「「開かれた」 私小説」 が生み出された と述べる
(18)
。
同じく吉原真里は、 「近代日本文学とは違う形で 「日本語の中に西洋の世界 を現」 そうと」 しているとし、 日本近代文学の作家が 「「私」 を本質的に問う ことがなかったという批判を前提に」 して、 「私小説というジャンルの限界を 問い直している」 と考察した
(19)
。
先行論における議論を踏まえて考えると、 「私小説」 の独自性が見えてくる。
ヨーロッパにおいては必要に迫られて発生した私小説であったが、 日本におけ る私小説は単に先進文化の模倣に過ぎなかった。 ゆえにヨーロッパでは 私 とは何かを求める文学であったのに対し、 日本では 私 の姿を ありのま ま に描くものとして成立した。 こういった事実は、 私 の生活が読者に読 まれるに値するのだという、 彼らの意識を照らし出す。 また、 私 以外の存 在は他者として、 背景へと押しやられてしまいがちであった。
対して水村美苗 「私小説」 も、 一見 「私」 の語りに奈苗と母の声は遮られて いるように見える。 しかし本論で二人の声を集めての詳察が可能であったよう に、 二人の声は消されているわけではなく、 たしかに物語内に存在する。 これ 28
は 「私」 が奈苗と母の声を、 聞き届けられるべきものだと考えていることを示 す。 奈苗と母に多くの違和感を表明する 「私」 だが、 二人の存在に葛藤しつつ も共存する物語となっているのだ。
我々は 「私小説」 を、 「私」 の語る物語と、 他者の物語という二つを見いだ すことのできる、 複数的な小説として再発見する。 このような他者のいる小説 を 「私小説」 と銘打ったことは、 日本近代文学に確固たる地位を持ち続ける私 小説、 これを揺さ振るという挑戦の姿勢そのものにほかならないのだ。
附記 本稿の内容は、 第58回大妻女子大学大学院院生発表会 (2019年7月4日) にお ける口頭発表 「私小説の両義性 水村美苗 私小説 from left to right を読む」
を基にしている。 会場内外で有益な示唆を頂いた。 厚く御礼申し上げます。
(注)
(1) 本稿における作品本文の引用は、 すべて水村美苗 私小説 from left to right (ちくま文庫、 2009年) に拠った。 本作品は改行時の行頭のスペースが二字分であ るため本稿でもこれに従い、 出典は引用末尾の ( ) 内に頁数のみ記した。 なお、
引用資料内の […] は中略、 [ ] 内は引用文に補った註であることを示す。 引用 の際、 作中のルビは通常省略する。 本論では主人公を 「私」 と記述し、 分かりにく い場合のみ 「美苗」 と記述する。 「私」 は主人公 「美苗」 を指し、 私 は一般的な 個人を指す。
(2) 「批評空間」 は1992年10月〜1994年1月に福武書店から、 1994年4月〜10月には 太田出版から刊行された。
(3) なかでも三浦雅士は 「私小説」 が 「私小説の不可能性を示している」 と述べた (野間文芸新人賞選評 群像 講談社、 1996年1月)。
(4) 鈴木登美 語られた自己 日本近代の私小説言説 大内和子・雲和子訳、 岩波 書店、 2000年。
(5) 飯田祐子 「聞き手に向かう 書くことと読まれることとフェミニズム、 私小 説 from left to right を通して」 小森陽一ほか編 岩波講座 文学 別巻 文学理論 岩波書店、 2004年。
(6) 私小説の研究史を整理した文献では勝山功 大正・私小説研究 (明治書院、 1980 年) 等が有名である。 その勝山や他多くの研究者が、 初めて客観的且つ論理的に私 小説を論考したものと挙げるのが小林秀雄 「私小説論」 ( 小林秀雄全集 第三巻
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新潮社、 2001年) である。 私小説はフランスで社会と個人の関係から生まれたもの だと説き、 日本は未だ社会も個人というものも未熟なために、 日本で書かれる私小 説は模倣に過ぎない、 核心に迫れないものだと論じた。 小林のこの見解は現代まで 影響力を保持している。
(7) 鈴木貞美 日本の 「文学」 を考える 角川選書、 1994年。
(8) 鈴木登美 語られた自己 (前掲)。
(9) 日比嘉高 自己表象 の文学史 自分を書く小説の登場 翰林書房、 2002年。
(10) こういった用語は、 現代において私小説とされる作品が書かれた当時には 「私小 説」 の用語が誕生していなかったこと、 私小説の定義が未だ定まっていないため、
安易に使用すると議論が逸れるとの懸念から提唱された。 一方で梅澤亜由美が 「私 小説そのもののさまざまな可能性を提起するものの、 これまでのように概念規定を 曖昧にする恐れがある」 ( 私小説の技法 、 33頁) と指摘するなど、 論の趣旨によっ て使い分ける必要性が認められている。 梅澤の文献については注17を参照。
(11) 以下で言及する研究の他にも、 私小説研究は数多い。 主なものとして石阪幹将 私小説の理論 (八千代出版、 1985年)、 山口直孝 「私」 を語る小説の誕生 (翰 林書房、 2011年)、 安藤宏 「私」 をつくる 近代小説の試み (岩波新書、 2015年) などがある。 水村美苗 「私小説」 に関する研究では池内輝雄 「インターテクスチュ アリティ=水村美苗」 國文學 解釈と教材の研究 (學燈社、 1996年8月)、 高木徹
「水村美苗 私小説 from left to right を読む」 CUWC gazette (中部大学女子 短期大学、 1998年3月)、 田司雄 「国家 水村美苗 私小説 from left to right」 一柳 廣孝ほか編 文化のなかのテクスト (双文社、 2005年)、 高垣俊之 「水村美苗 私 小説 from left to right の英語を読む」 尾道文学談話会会報 (2013年12月) など があり、 多くの示唆を得た。
(12) 青柳悦子 「複数性と文学 移植型 境界児 リービ英雄と水村美苗にみる文学 の渇望」 言語文化論集 筑波大学、 2001年3月。
(13) 溝渕園子 「水村美苗 私小説 from left to right 試論 異言語混交文の必然性 をめぐって」 文学部論叢 熊本大学、 2006年3月。
(14) 吉原真里 「Home Is Where the Tongue Is: リービ英雄と水村美苗の越境と 言語」 アメリカ研究 THE JAPANESE ASSO-CIATION FOR AMERICAN STU DIES、 2000年。
(15) 家の外観に反して、 台所には日本から持ってきた日本製品が所狭しと並んでいた。
母は日本食がなくては耐えられず、 椅子には畳に座るように膝を折って座るなど、
その生活は日本にいた頃とあまり変わらない。
(16) 物語後半にて 「私」 へ届く母からの手紙には、 自分も 「彼」 と日本に帰るので
「私」 が日本に帰ってくるのなら、 父を日本に引き取ろうとの提案が書かれていた。
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この手紙の到着以前に 「私」 自身も、 父は自分がどうにかしなければならないと考 えている。 奈苗に父を任せ続けることに 「私」 は限界を感じていることが分かる。
(17) 梅澤亜由美 増補改訂 私小説の技法 勉誠出版、 2017年。
(18) 青柳悦子 「複数性と文学」 (前掲)。
(19) 吉原真里 「Home Is Where the Tongue Is」 (前掲)。
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