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四川省俄亜 ナシ族の兄弟共妻 型婚姻

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(1)

四川省俄亜 ナシ族の兄弟共妻 型婚姻

松 岡 正 子

1.先 行 研 究

2.俄 亜 大 村 の概 況 と歴 史

3.俄 亜 ナ シ族 の兄 弟共 妻 型 婚 姻 とア ンダ

本 稿 は,2007年9月 に 筆 者 が 西 番 研 究(図1)の 一 つ と して 実 施 した, 中 国 四川 省 木 里 県 俄 亜 郷 俄 亜 大 村 にお け る ナ シ族 調 査 の うち の 婚 姻 につ い て の 報 告 で あ る。

俄 亜 郷 は,四 川 と雲 南 の省 境 の,四 方 を 山 々 に 囲 ま れ た 険 要 な 山 間 部 に 位 置 す る 。 そ の た め交 通 が 極 め て 不 便 で あ り,外 部 との 往 来 は 馬 か 徒 歩 に よ っ て海 抜3千 数 百 メー トル の 山 を越 え て い く ほ か は な い 。 現 在 で も木 里 県 で 唯 一,郷 人 民 政 府 所 在 地 ま で 車 の通 行 可 能 な公 路 が 通 じ て い な い 郷 で あ る(1)。しか し外 部 との 往 来 が 長 期 にわ た って 制 限 され,外 来 の 文 化 や 情 報 の 導 入 も限 られ て き た た め に,当 地 に は,な お 生 活 様 式 や 経 済 活 動,宗 教 な ど に 旧 来 の 形 が 色 濃 く残 され て い る。 婚 姻 慣 習 や 家 族 形 態 に お い て も 例 外 で は な く,兄 弟共 妻 型 や 姉 妹 共 夫 型 の 婚 姻 が 続 け られ て い る 。

本 稿 で は,先 行 の 報 告 資 料 と2007年 の 筆 者 に よる 調 査 に も とつ い て,俄 亜 ナ シ に お け る独 特 の 婚 姻 形 式 の 形 成 とそ の 背 景,近 年 の 変 化 に つ い て考 察 す る。

(1)郷 人 民 政 府 の 書 記 に よれ ば,08年 に は 公 路 が 開 通 予 定 で あ る とい う。 外 部 との 往 来 は,例 ば 香 格 里 拉 県 城 か ら は 車 で 約3時 間 か け て 七 樹 湾 ま で 行 き,そ こで 馬 に 換 え て 海 抜 高 度3600 メ ー トル の 山 を 越 え,お よ そ12時 間 で 俄 亜 郷 人 民 政 府 に着 く。4つ の村 へ は,す べ て 山道 を 馬 か 徒 歩 で 行 き,河 谷 の 俄 亜 大 村 ま で は約30分 歩 く。

一227一

(2)

1.先 行 研 究

四 川 省 の ナ シ族 に つ い て は,1970年 代 後 半 か ら1980年 代 初 期 に か け て 国 家 の少 数 民 族 調 査 の 一 環 と して 次 の2つ の 現 地 調 査 が 行 わ れ た 。

そ の1は,宋 兆 麟 劉 尭 漢,厳 汝 姻 らに よ る も の で あ る。 彼 らは,1981 年 に 雲 南 と四川 の省 境 に 位 置 す る ロ コ湖 か ら金 沙 江 を越 え て俄 亜 郷 に入 り, 俄 亜 大 村 に つ い て 詳 細 な 調 査 を 行 った 。 この うち宋 兆 麟 は,調 査 後 に 『 妻 制 与 共 夫 制 』(上海 三 聯),『 走 婚 与 イ火婚 一金 沙 江 奇 俗 』(雲南 人 民 出 版 社),

俄 亜 大 村 一一 快 巨 大 的 社 会 活 化 石 』(四 川 人 民 出版 社2003年)を 刊 行 し た 。 こ の うち2003年 の宋 報 告 は,そ れ ま で 掲 載 され な か っ た1980年 代 当

図1「 西 番」諸集 団の言語 分布

出 所 〕 四 川 省 人 口普 査 緋 公 室 編 「四川 藏 族 人 口 」(中 国 統 計 出版 社 、1994)4‑6頁 、孫 宏 開 江 流 域 的 民 族 語 言 及 其 系 属 分 類 」(「民 族 学 報 」、1983)1983‑3、 池 田巧 西 南 中 国(川 西 民族 走 廊)地 域 の 言 語分 布 」 崎 山理 編 「消 滅 の 危機 に瀕 した言 語 の研 究 の 現状 と課 題」(国 立 民 族 学博 物 館 調 査 報 告39、2003)110頁 よ り作 成 。

[凡例]

Oチ ベ ッ ト語 ア ム ド カ ム

3ギ ヤ ロ ン 4白 5グ イ チ ョン 6ア ル ス 7ダ 8チ ャバ 9ム ニ ヤ 10ナ ム イ 11シ ュ ミ 12チ ュ ユ

∈)チ ャン語

プミ語

A俄 亜郷

「六

(3)

四川省 俄 亜ナ シ族 の兄 弟共 妻型 婚姻

時 の 写 真 や 図 を多 く収 録 して お り,婚 姻 と家 庭,経 済 生 活,信 仰 の 項 目に つ い て個 別 の 事 例 を あ げ,具 体 的 な 報 告 が 記 され て い る。

特 に婚 姻 と家 族 に 関 して は,情 報 が 詳 細 で あ り,イ ン フ ォ ー マ ン トと筆 者 と の 問 答 な ど は,住 民 の意 識 を 知 る上 で 貴 重 な 資 料 とな っ て い る 。 これ らは 当 時 を 知 る基 本 的 な 資 料 と して 重 要 で あ り,他 の 研 究 者 に も しば しば 引 用 され て い る。 しか し恋 人 関 係 の 「安 達 」(以 下,ア ン ダ と記 す)に つ い て は,筆 者 の 調 査 時 に 住 民 が 写 真 につ い て 次 の よ うな 不 満 を も ら した 。 ア ンダ は,社 会 の 暗 黙 の 了 解 事 項 で あ り,公 開 す る もの で は な い 。 原 則 と し て 夜,人 に知 られ な い よ うに通 う もの で あ る 。よ って 表 紙 の 写 真 の よ うに, 正 式 の婚 姻 関 係 の な い 女 性 が 明 る い うち に 堂 々 と男性 の 部 屋 に 行 く とい う の は 不 自然 で あ る。 ま た ア ン ダ と説 明 され た 写 真 の2人 の 男 女 は,実 は兄 弟 姉 妹 の 関 係 で あ る,と 。 宋 報 告 に は,事 実 の部 分 と宋 氏 自 身 の 解 釈 が 記

され て お り,解 釈 に つ い て は な お 検 討 の余 地 が あ る と思 わ れ る 。

そ の2は,中 国少 数 民 族 社 会 歴 史 調 査 と して 『四 川 省 納 西 族 社 会 歴 史 調 査 』(1987)に 収 め られ た もの で あ る 。 本 書 に は,四 川 省 内 で ナ シ 族 と さ れ るナ シ 人 とナ リ人 に つ い て4ヶ 所 を と りあ げ,① 塩 源 県 沿 海 公 社 達 住 村 の 納 西 族(李 近 春 等1980年2〜3月),② 木 里 蔵 族 自治 県 俄 亜 郷 の 納 西 族(劉 龍 初 等,1984年8〜9月),③ 塩 源 ・木 里 県 の 納 日人(劉 尭 漢 等, 1980年3月),④ 塩 源 県 左 所 区納 日人(楊 学 政 等,1976年3〜6月)に け る調 査 報 告 を収 め て い る。 調 査 項 目は,社 会 歴 史 調 査 の 定 例 項 目 に沿 っ た も の と思 わ れ,概 況,婚 姻,家 庭,喪 葬 習 俗,宗 教 信 仰,民 間 伝 説 故 事 に 分 か れ る 。 た だ し当 時 の調 査 は,特 に婚 姻 ・家 庭 に 集 中 して 行 わ れ て お り,俄 亜 に つ い て は 生 産 経 済 や 衣 食 住 に 関 す る項 目が た て られ て い な い 。 しか し数 値 を 含 む 自然 条 件 や 文 献 に基 づ く資 料 な どの 基 礎 的 資 料 が あ り, 俄 亜 ナ シ の こ の20年 間 の変 化 や,当 時 の他 地 域 との 比 較 か ら俄 亜 ナ シ の 婚 姻慣 習 の形 成 を考 え る うえで,宋 らの報 告 と重 ね な が ら読 む と有用 で あ る。

1.俄 亜大 村の概 況 と歴 史

俄 亜 郷 は,総 戸 数873戸,総 人 口5694人 で,チ ベ ッ ト族 とナ シ 族 が 人 口 の 約90%を 占 め る 。 こ の うち ナ シ 族 は 最 多 の3598人 で63.2%を 占 め,

一229一

(4)

次 にチ ベ ッ ト族 が1356人 で23.8%,漢 族735人 が13.0%の ほ か,ペ ー族 が5人 い る(2006年)。 こ れ を1980年 代 初 期 と比 べ る と,約25年 の 間 に 人 口 は1.3倍 に 増 え,な か で も ナ シ 族 の 伸 び が 大 き い 。1982年 に は 総 戸 数 592戸,総 人 口4291人 で,民 族 別 に は ナ シ 族 が2490人(58.0%),チ ベ ッ

ト族1147人(26.7%),漢 族579人(13.5%)で あ っ た。 こ の20年 間 に 総 戸 数 は1.5倍 に増 え,戸 別 の 平 均 家 族 数 は7.2人 か ら6.5人 に 減 少 して い る 。本 郷 で は 外 部 か らの 移 出入 は あ ま りな く,自 然 増 加 が ほ とん どで あ る 。

よ っ て戸 別 の 平 均 家 族 数 の増 加 は,分 家 の 増 加 を示 す もの とい え る 。 俄 亜 郷 は,俄 亜 大 村 の ほか 蘇 達 村,立 碧 村,俄 碧 村,長 瓦 村,魯 司 村 の 6つ の行 政 村 か らな る(表1)。 ナ シ族,チ ベ ッ ト族,漢 族 は そ れ ぞ れ が 固 有 の 言 語 を 用 い,ほ ぼ 民 族 ご とに 集 住 して 暮 らす 。 この うちナ シ 族 は,平 均 海 抜 高 度 が2000メ ー トル を 越 え る 蘇 達 河 沿 い の 俄 亜 と蘇 達,お よび 東 義 河 沿 い の 魯 司 の3村 に 集 中 し,さ ら に俄 碧 に 約700人,ヤ 瓦 に も約250 人 が ほ ぼ ナ シ 族 だ け の 集 落 を形 成 す る。郷 全 体 の 平 均 海 抜 高 度 は2400メ

トル で,西 北 部 に は 海 抜4,418メ ー トル の 特 貢 吟 山が 讐 え,沖 天 河 や 金 沙 江 な どの 河 川 が 山 問 を 南 北 に 貫 流 す る 。 年 間 平 均 気 温14度,年 間 無 霜 期

俄 亜 大村

(5)

1 卜○ ω H l

表1〕 俄 亜 郷の6行 政村 の概 要

人 口 (人)

戸 数

(戸) 組数 民 族 (%)

海 抜 (m)

面 積 (由)

水 田 (由)

(田)

退 耕'

(由) 玉米 大麦 小 麦

(100kg)水稲 花椒 核桃 黄 牛 ヤ ク ブ タ ヤ ギ メ ン

ヨ ウ 黄 金2

(g)

俄亜 1413 185 5 ナ シ 2100 2254 129 2125 1229 4540 2297 634 898 266 934 1042 182 356 2817 2817 5436 3048 70

蘇達 846 147 6 ナ シ 2200 1131 77 1054 276 1947 994 802 192 25 281 1819 181 219 1327 2043 3602 7200

立碧 953 144 5 1700 1959 20 1939 747 2246 1605 1805 40 20 70 1489 147 227 3186 4672 4672

俄碧 1337 213 6 ナ シ56

蔵44

1700 1526 25 1500 1271 512 .. 905 45 51 81 575 210 453 2899 4023 6350

十 瓦 840 131 4 ナ シ31

蔵69

:11 1242 99 1143 681 1314 322 1207 201 67 130 1325 112 334 292 1879 6663

魯司 305 53 2 ナ シ 2000 441 10 431 300 517 214 497 44 14 66 758 76 67 455 706 1486

注 〕(1)退 耕 還 林:傾 斜 地 の 耕 地 を 林 地 にす る こ と。 本 村 で は,2002年 に始 ま り,04年 ま で は, 金240元 が 補 償 され た。

(2)東 義 河 と蘇 達 河 は,砂 金 の 産 地 と して 知 られ て い る 。

出所 〕2007年 現 地 で の 聞 き 取 り に よ り作 成

1ム ー あ た り米240斤,05年 か ら は1ム ー あ た り現

S

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260日,年 間平 均 雨 量 は 約1,000ミ リで7〜9月 に集 中 し,比 較 的 温 暖 で 雨 量 も十 分 で あ る。 ま た 蘇 達 河 と東 義 河 か らは 砂 金 が とれ,現 在 も蘇 達 村

と俄 碧 村 の 住 民 の主 な 収 入 源 とな って い る 。

俄 亜 村 は,俄 亜 郷 の6村 の な か で 最 も古 い 村 落 で,400年 以 上 の 歴 史 を もつ 。 村 内 は,か つ て の 支 配 者 で あ っ た 木 官 府 の屋 敷 を 中心 に 河 の 東 側 に 住 居 が 集 住 し,背 後 に あ る神 山 で は,毎 年,祭 天 や 祭 山 な ど の 活 動 を行 う。

中腹 に は 火 葬 場 が あ る 。 河 の 西 側 に は水 田 や 段 々 畑 が 拓 か れ,山 頂 は 草 地 に な っ て い る 。 表1か ら も 明 らか な よ うに,人 口や 総 面 積,耕 地 面 積 が 最 大 で あ る 。 河 谷 に は 水 田,河 の 西 側 斜 面 に は 棚 田 が広 が り,食 糧 生 産 も最 多 で,水 田 は ほぼ 本 村 の み に 集 中 して い る 。 山頂 の 牧 草 地 で は,ヤ ギ や メ

ン ヨ ウ,ブ タ を放 牧 し,ヤ ク は 本 村 と蘇 達 だ けが 飼 育 す る。 経 済 作 物 に 相 当す る もの は な いが,食 の 自給 自足 は可 能 で あ る。

本 村 で は,生 活 圏 を ほぼ 村 内 で 完 結 で き た た め に 衣 食 住 の 自給 自足 的 生 活 を長 期 に わ た っ て 行 って き た 。 そ れ は,か つ て は外 部 に対 す る 防 衛 に お い て 有 利 で あ った が,近 年 の経 済 中心 の社 会 にお い て は,こ れ とい った 現 金 収 入 の 手 段 が な い こ と は貧 困 を 意 味 して い る。 本 村 は,一 人 当 た りの年 間 純 収 入 が 約1700元 で,郷 内 で は豊 か な ほ うで あ る が,四 川 省 の 平 均 純 収 入 の70%弱 に す ぎ な い 。 しか も現 在 の現 金 収 入 は,退 耕 還 林 の 補 償 が 主 で あ る 。 補 償 は,2002年 に始 ま り,04年 まで は1畝 あ た り米240斤 支 給 さ れ た が,生 態 林 で5年,経 済 林 で も8年 とい う制 限 が あ る うえ に, 05年 か らは 現 金240元 に 替 わ り,実 質 的 な 収 入 減 とな っ た 。

ま た本 村 で は,か つ て は 小 学 校 の就 学 率 も約70%に す ぎす,12歳 にな っ て や っ と小 学 校 入 学 とい う例 も あ っ た 。 しか し2004年 か ら国 家 が 「両 免 一 補 」 政 策(学 費 と寄 宿 舎 費 の 免 除,生 活 用 品 費 の 補 助)を うち だ して, よ うや く小 学 校 の就 学 率 が100%に 近 づ い た が,郷 内 に 中学 校 は な い(08 年9月 に 開 校 予 定)。 こ の よ うに 住 民 は,教 育 水 準 が 低 い た め に外 部 へ の 出 稼 ぎ も あ ま り望 め な い 。これ まで 高 校 進 学 で 郷 外 に 出 た の は3名 にす ぎ ず, 高 校 の あ る 木 里 県 の 県 城 ま で は 徒 歩 で 数 日を 要 す る 。 現 在 も外 部 との 物 資 の 往 来 は,主 に馬 幣 に よ る。 馬 幣 は,各 戸 の 若 い 男 性 が 自家 の 馬 数 頭 を 引 い て 友 人 ら と行 う小 規 模 の もの で,馬 で 山 を 越 え て 雲 南 省 側 の 永 寧 県 や 香 格 里 拉 県 の 県 城 に行 き,塩 や 生 活 用 品等 を 購 入 して 村 ま で 運 ぶ 。

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四川省 俄 亜ナ シ族 の兄 弟共 妻型 婚姻

住 民 は,多 くが な お 経 済 重 視 の 外 部 世 界 とは 異 な る 価 値 観 で暮 ら し続 け て い る。総 戸 数50戸 の うち テ レ ビが あ る の は15戸 に す ぎず,住 民 の 約70

%が テ レ ビを も っ て い な い た め に 普 段 か ら外 部 の情 報 に 接 す る こ と も少 な く,家 具 や 家 電 な ど消 費 物 資 は あ ま り入 って い な い 。 ほ とん どの 家 庭 が 今 も トウ モ ロ コ シ の嘔 酒 を作 っ て い る。 自家 で 酒 を 製 造 す る こ とは,四 川 の 民 族 地 区 で もか な りめ ず ら しい 。 こ こ で は,上 級 学 校 へ の 進 学 か 試 験 に合 格 して人 民 解 放 軍 の 軍 人 に な る こ とが 農 村 を で る た め の 最 も 賞 賛 され る方 法 で あ り,考 え方 は ほ ぼ 改 革 開 放 前 の 中 国 農 村 の そ れ を 思 わ せ る 。

3.俄 亜大 村の婚 姻 と家族

俄 亜 ナ シ は,伝 承 に よれ ば,明 代 に雲 南 麗 江 の 木 土 司 が 四川 進 出 の 際 に 派 遣 した 兵 士 た ち の 末 喬 で あ る 。 木 土 司 が 撤 退 した 後 も四 川 に と ど ま り, 敵 対 す る チ ベ ッ ト族 に 囲 まれ な が ら,防 御 に 適 した 土 地 を選 ん で 移 り住 ん だ 。 彼 らに は か つ て の 支 配 者 の末1と して の 誇 りが あ り,内 部 で 完 結 す る 閉 鎖 的 な 社 会 を築 い て 自集 団 の 存 続 を 図 ろ うと した 。 そ の 結 果,婚 姻 は村 内 で 繰 り返 され て 濃 厚 な 血 縁 関 係 が 形 成 され て お り,特 殊 な家 族 形 態 も出 現 し た。

多 様 な 婚 姻 慣 習 とは つ ぎ の よ うで あ る。 宋 報 告 に よれ ば,恋 愛 は 自 由 で あ り,成 人 に 達 した ら ほ とん どが ア ン ダ(特 定 の恋 人)を もつ 。 しか も生 涯 に何 人 もの ア ン ダ を もつ 。 しか し婚 姻 は 父 母 が 決 め,逆 ら う こ とは で き ず,離 婚 も認 め られ な い 。 道 徳 的 に も経 済 的 に も大 家 族 を理 想 と し,父 母 を 扶 養 し,姑 嫁 関係 を 円滑 に す る た め に,兄 弟 の子 と姉 妹 の子 との 婚 姻 が 最 も奨 励 され て い る 。 婚 約 は 非 常 に早 く,早 婚 が 一 般 的 で あ る 。 結 婚 式 を あ げ て もす ぐ に は 同居 せ ず,夫 は 妻 の も とに 通 い,子 供 を も うけ た 後 に夫 方 に い く 「不 落 夫 家 」 も行 わ れ て い る。 婚 姻 形 態 に は,一 夫 一 妻 型,一 妻 多 夫 型,一 夫 多 妻 型 が あ り,嫁 が ず 嬰 らな い ア ン ダ 関 係 の ま ま 一 生 をお え

る場 合 もあ る 〔宋2003:11〜71〕

本 章 で は,多 様 な婚 姻 慣 習 が どの よ うに 関 連 しあ って 俄 亜 村 の 社 会 秩 序 を 形 成 して き た の か,さ ら に現 状 と今 後 に つ い て,1980年 代 の 宋 報 告 と劉 報 告 を も とに 具 体 的 に 分 析 し,先 行 研 究 と筆 者 の2007年 の 調 査 とを 比 較

一233一

(8)

しな が ら考 察 す る。

(1)1980年 代 の 婚 姻 形 態

劉 報 告 に よれ ば,1980年 代 に は,婚 姻 型 式 は 父 母 が き め る一 夫 一 妻 型 が 主 で あ る 。1982年 の 統 計 で は,一 夫 一 妻 型 は 総 戸 数130戸 の うち74戸 で, 57%を 占め,健 在 の 夫 婦169組 の うち106組 が こ の型 で,63%に 達 す る

劉1987:77〕 。 しか し これ は,1980年 代 に お い て な お 約40%が 一 夫 一 妻 型 で は な い こ とを 示 す も の で もあ る。 中 華 人 民 共 和 国 で は,1953年 に婚 姻 法 が 成 立 し,一 夫 一 妻 制 を婚 姻 の 基 本 型 と して す で に30年 を 経 て い る 。 に もか か わ らず,こ こで は依 然 と して 国 家 の 婚 姻 法 とは 全 く異 な る 婚 姻 慣 習 が 社 会 的 に 公 認 され,存 在 して い た(2)。

一 夫 一 妻 型 以 外 の婚 姻63組 に は,一 妻 多 夫 型,一 夫 多 妻 型,嫁 が ず 嬰 らな いア ン ダ 型 が あ る 。 こ の うち最 多 が 一 妻 多 夫 型 で,63組 中 の56組 で, 約90%で あ り,全 体 の169組 中 で も36%を 占 め る 。 しか も本 村 の 一 妻 多 夫 型 は,複 数 の 兄 弟 が 一 人 の 妻 を 嬰 る,兄 弟 共 妻 型 で あ る。 ま た 複 数 の兄 弟 と い っ て も,多 くが 比 較 的 年 齢 の 近 い2人 の兄 弟 の 問 で 行 わ れ て い る。

兄 弟 共 妻 型 の56組 の うち,2人 兄 弟 の場 合 が44組 で78.5%と ほ とん ど を 占 め,兄 弟3人 が10組 で18%,兄 弟4人 が2組 で3.5%で あ る 〔劉,1987:

77〕。 ま た 一 夫 多 妻 型 も,実 は 姉 妹 共 夫 型 で あ り,兄 弟 共 妻 型 の姉 妹 版 と い え る。

しか し宋 報 告 お よび 劉 報 告 に よれ ば,本 村 の婚 姻 に は様 ・々な 問 題 が あ る。

第1は,婚 姻 は 父 母 の 決 定 に よ る こ とで あ る。 そ れ は,婚 姻 の 目的 が 大 家 族 の維 持 に あ る か らで あ る 。 これ は絶 対 的 な 「老 規 矩 」 で あ り,た とえ 夫 婦 間 の 感 情 が あ わ な い と して も離 婚 は許 され な い 。 婚 姻 に 関 して は,本 人 同 士 の 感 情 は 問題 に され な い た め,む し ろ最 初 か ら良 好 な夫 婦 感 情 が あ

る ほ うが 稀 で あ る と され る。 ま た 最 も奨 励 され る の が,兄 弟 と姉 妹 の 子 ど う しの結 婚 で あ るが,そ れ は 兄 弟 姉 妹 の 子 達 は幼 い 頃 か ら一 緒 に育 つ た め, 舅 姑 は実 の 親 と同様 の 近 しさ で あ り,嫁 姑 の 確 執 が 起 こ りに くい か らだ と す る。 反 面,若 夫 婦 の 感 情 は兄 弟 姉 妹 の そ れ で あ り,結 婚 後 もそ れ ぞ れ の

(2)少 数 民 族 は,か つ て は 早 婚 が 多 く,チ ベ ッ ト族 の 一 夫 多 妻 型 婚 姻 の よ うに特 殊 な 婚 姻 慣 習 も あ る 。 そ の た め婚 姻 法 の 適 用 や 実 施 に つ い て は 民 族 の 慣 習 が 考 慮 され,一 様 で は な い 。

(9)

四川省 俄 亜ナ シ族 の兄 弟共 妻型 婚姻 ア ンダ と関 係 が 続 く。

第2は,「 不 落 夫 家 」が 一 般 的 で あ り,同 居 しな い ま ま の 夫 婦 もあ る こ と で あ る。 本 村 で は,結 婚 式 後 も妻 が 夫 方 で 同 居 はせ ず,子 供 が で き て 始 め て 同居 す る 。 婚 姻 は嫁 ぐ側 に と って は労 働 力 の減 少 で あ り,嫁 ぐ側 の 家 庭 経 済 も重 視 され て い る 。 同居 の 時 期 は,双 方 の家 庭 の 働 き手 の 過 不 足 や 経 済 事 情,本 人 同士 の 感 情 の如 何 に よ っ て 決 め られ る 。 ま た 夫 方 に 移 っ て も 夫 婦 関係 を 結 ば ず,夫 あ る い は 妻 が そ れ ぞ れ 別 の 相 手 とア ン ダ 関 係 を結 ぶ 場 合 も少 な くな い 。 た だ し相手 の 如 何 に 関 わ らず,妻 が 生 ん だ 子 供 は 夫 の 子 と され る 。

第3は,兄 弟 共 妻 型 あ る い は 姉 妹 共 夫 型 の 実 施 に よ って 結 婚 適 齢 期 の 男 女 の ア ン バ ラ ン スが くず れ て い る こ とで あ る。 本 村 で は 共 妻 型 が 多 い こ と か ら,必 然 的 に結 婚 で きな い 女 性 が 生 じる 。 住 民 は この よ うな 女 性 に 同情 的 で あ る 。 劉 報 告 で は,生 まれ た 家 に生 涯 留 ま っ て 嫁 が ず,ア ン ダ 関 係 に よ っ て子 ど も を生 んだ 女 性 が80年 代 初 め に も10数 人 お り,生 ま れ た 子 供 は 実 家 で 育 て る とあ る 〔劉1987:87〕

ま た 兄 弟 共 妻 の 場 合,結 婚 式 は 長 男 か 次 男 が 適 齢 期 に な っ た 時 に行 い, 他 の 兄 弟 も新 郎 と して 並 ぶ 。 しか し年 齢 の 離 れ た兄 弟 間 で は,末 弟 が 成 長 した 時 に は 妻 は す で に 中年 で,年 齢 の差 だ けで は な く性 格 や 好 み も末 弟 と は あ わ な い 。 よ っ て共 妻 は多 くの 場 合,年 齢 の近 い 兄 弟 の 問 で 行 う。 た だ

し年 齢 の 近 い 兄 弟 間 で も全 員 が 夫 婦 関係 に 満 足 す る わ けで は な い 。 そ こ で 満 足 で き な い 場 合 は,自 分 だ け の ア ン ダ を 外 部 に もつ 。 あ る い は 兄 弟 全 員 で 共 妻 を嬰 った 場 合,年 齢 の 離 れ た 末 弟 が 婚 姻 の解 消 を 父 親 に 申 し立 て る

こ とが あ る(3)。

で は,こ の よ うな 矛 盾 や 問 題 が あ る に も関 わ らず,多 様 な婚 姻 慣 習 が 継 続 され て き た の は なぜ な のか 。 一 夫 一 妻 制 に つ い て,宋 報 告 で は 次 の よ う な 事 例 を あ げ る。 生 格 塔 は,俄 亜 村 で 最 初 の 党 員 で 支 部 書 記 を 務 め た 。 結 婚 も共 産 党 の 婚 姻 法 に従 って 本 村 で 初 め て 一 夫 一 妻 制 の小 家 庭(核 家 族)

(3)1家 で は,1950年 に長 男 と2歳 下 の 弟,12歳 下 の 弟 の3人 の兄 弟 が52年 生 ま れ の 妻 を嬰 っ た 。 上 の2人 は比 較 的 良 好 な 関 係 で 妻 を 共 有 して い る が,末 子 は 成 長 後,こ の 婚 姻 に 不 満 を もっ て 解 消 を望 ん だ た め 新 た に 嫁 を 迎 えた 。1家 で は,父 が健 在 で 分 家 して い な い の で,長 と次 男 は1人 の妻 を 共 有 し,三 男 は 一 夫 一 妻 型 で 同 じ家 に 暮 らす 劉1987:77〜78〕

一235一

(10)

を 決 行 した 。10数 年 間 暮 ら して き たが,大 家 族 を 離 れ て 孤 立 無 援 で あ っ た た め にだ ん だ ん 貧 し くな っ た 。 小 家 庭 は この 地 で は や は り無 理 で あ る。4 人 の 息 子 に は 共 通 の 妻 を嬰 りた い 。 そ して 大 家 族 形 態 の も とで 少 しで も豊 か に暮 ら させ た い,と 宋2003:83‑84〕

こ の よ うに 少 な く と も80年 代 ま で の 最 大 の 理 由 と して 考 え られ る の は, 貧 困で あ る 。 限 られ た 耕 地 や 家 畜 で 自給 自足 で き る だ けの 最 低 の 生 産 力 を 維 持 す る に は,家 産 の 分 散 を極 力 さ け,農 業 と放 牧 とい う主 要 な 生 産 労 働 を 家 族 で 力 を 合 わ せ て 行 う,そ の た め に は子 供 の結 婚 に よ る分 家 を さ け, 大 家 族 の 形 態 を継 続 す る一 方,出 費 の面 で は,経 費 を 要 す る嫁 迎 え(婿 迎 え)に 関 わ る 経 費 を で き るだ け 軽 減 す る こ とが 必 要 で あ っ た。 そ こで 共 妻 や 共 夫,あ る い は兄 弟 姉 妹 の 交 換 婚 な どが 繰 り返 され た と考 え られ る。

第4は,嬰 らず 嫁 が ず のア ン ダ 型 関係 が,多 様 な 婚 姻 形 態 の 矛 盾 の 解 決 法 の 一 つ と して 行 われ て い る こ とで あ る。 ア ンダ とは,正 式 な 婚 姻 以 外 の 男 女 の恋 人 を い う。金 品 の 授 受 も契 約 も な く,個 人 の 愛 情 だ け で結 ば れ る 。 た だ し男 女 の1〜2回 程 度 の 関 係 は これ に 相 当せ ず,比 較 的 長 期 の 安 定 し た 関 係 の 男 女 をア ン ダ と よぶ 。俄 亜 ナ シは,男 性 は17,8歳,女 性 は15,6歳 に な る と恋 愛 は 自由 で あ り,結 婚 式 を あ げ た 後 も 夫 あ るい は妻 以 外 の 異 性

との 恋 人 関 係 が 黙 認 され て い る 。 た だ しア ンダ は,白 昼 堂 々 と行 わ れ る も の で は な く,で き る だ け他 人 に 知 られ な い よ うに す る。 劉 報 告 に よれ ば, 80年 代 初 め に生 涯,正 式 の 結 婚 を しな か った 女 性 は10数 人 い た 。

しか しア ンダ は,同 じナ シ族 の 一 支 と され るモ ソ 人 の ア チ ュ 婚 とは 異 な る。 モ ソ 人 は,成 年 に な っ た らア チ ュ と よば れ る恋 人 を も っ て,男 性 が 夜 に 女 性 の 部 屋 に通 い,一 生 の うち で 何 人 もの ア チ ュ を もつ 。 母 が 家 長 とな る母 系 制 が 行 わ れ て お り,社 会 全 体 が 嫁 が ず 嬰 らな い とい う婚 姻 形 式 を実 施 す る。 成 人 は 実 家 に 生 涯 留 ま り,女 性 が うん だ 子 は 女 性 の実 家 の 男 性 が 養 う。 こ れ に 対 して俄 亜 ナ シ で は,父 が 家 長 と な る 父 系 制 が 原 則 で,一 一 妻 を主 とす る もの の 兄 弟 共 妻 や 姉 妹 共 夫 も あ り,嫁 が ず 嬰 らな い 男 女 も い る。 ま た 当 地 で は,成 人 男 性 の み が 家 屋 屋 上 に 自分 の 部 屋 を も って い る た め,ア ン ダ 関 係 を結 ぶ に は,夜,女 性 が 男 性 の も とを 訪 れ,明 け方,秘 か に帰 る 。

以 上 の よ うに,俄 亜 ナ シ で は,麗 江 ナ シ と 同様 に,青 年 期 の 恋 愛 は 自由

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四川省 俄 亜ナ シ族 の兄 弟共 妻型 婚姻

で あ るが,婚 姻 はす で に親 が 決 め る一 夫 一 妻 制 で あ った と考 え られ る。 と こ ろが 俄 亜 に 定 住 す る よ うに な って 外 部 の 異 民 族 と対 峙 して 内 部 だ けで 完 結 す る社 会 を つ く らざ る を得 な くな っ た こ とや,貧 困 の な か で 自給 自足 の 経 済 を維 持 す る に は,結 局,共 妻 あ る い は 共 夫 に よる 大 家 族 制 が 最 も理 想 的 で あ る とい うこ とを み な が 認 識 す る に い た っ た と考 え られ る 。 劉 報 告 で は,共 妻 や 共 夫 とい う婚 姻 形 態 は 周 辺 の チ ベ ッ ト族 の 婚 姻 に影 響 を 受 け た

と も い う 〔劉1987:78〕

そ して特 殊 な 婚 姻 形 態 の た め に 生 じ た様 々 な 矛 盾 を 内 々 で 解 決 す る方 法 も考 えだ され た 。 それ が 男 女 の 愛 情 部 分 を 補 うア ン ダ 関 係 の結 婚 後 の 継 続 の 黙 認 で あ る 。 よ っ て 結 婚 式 は,新 た な 夫 婦 の 開始 で は な く,家 庭 経 済 を 維 持 す るた め に新 しい 家族 成 員 を 迎 え た こ とを社 会 に告 げ る儀 式 とな った 。 俄 亜 村 で は,夫 婦 は 家庭 経 済 を 支 え る表 の 制 度 で あ り,ア ン ダ は 男 女 の愛 情 を満 た す 裏 の 制 度 で あ っ た とい え る。 本 村 で は,嫉 妬 や 独 占欲 とい っ た 男 女 の愛 情 に は つ き もの の原 因 に よ る殺 傷 事 件 が ほ とん ど表 沙 汰 に な っ て い な い。 そ れ は,多 様 な 婚 姻 慣 習 が 社 会 秩 序 を維 持 す る 「老 規 矩 」 と して 認 識 され,そ れ が 伝 統 と して 守 られ て い った か らで あ ろ う。

(2)四 川 省 塩 源 県 達 住 村 の ナ シ族 の ア ン ダ

で は,俄 亜 ナ シ の様 々な 婚 姻 慣 習 は,本 当 に 「老 規 矩 」と して 必 要 で あ っ た の か 。 木 天 王 の兵 士 の 子 孫 と して 同様 の 歴 史 を もつ 達 住 ナ シ の 事 例 と比 較 し て考 察 す る。

塩 源 県 沿 海 郷 達 住 村 の ナ シ族(以 下,達 住 ナ シ と記 す)は,俄 亜 ナ シ と 同 様 の歴 史 を もつ 。1987年 の李 報 告 に よれ ば,本 村 は81戸 中75戸,570 人 が ナ シ で,周 辺 に は ナ リや プ ミ族,チ ベ ッ ト族 が 居 住 す る。 伝 説 に よれ ば,明 代,麗 江 の木 土 司 が 雲 南 の 寧 痕 や 四 川 の塩 源,木 里,中 旬 に 進 出 し た 際,兵 士 達 の 一 部 が 木 土 司 の 勢 力 が 衰 え た 後 も幾 つ か の 土 地 を 経 て,最 後 に ロ コ湖 の 東 北 に 位 置 す る この 地 に定 住 した 。 初 め 永 寧 土 司 の 管 轄 下 に あ っ たが,か つ て 敵 対 して い た 相 手 で あ った た め に あ え て 木 里 大 ラマ の 支 配 下 に入 っ た 。 しか し俄 亜 ナ シ と違 っ て 日常 的 に 周 囲 の 他 民 族 と接 触 す る 機 会 が 少 な くな か っ た 。 ナ リ(ナ シ族 の 一 支)や プ ミ族,チ ベ ッ ト族 と近 接 し,永 寧 ま で の道 路 は す べ て この 地 を通 るた め,ナ リ語 や プ ミ語 も理 解

一237一

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し,多 くが 漢 語 も わ か る 〔李 近 春,1987:1〜3〕

達 住 ナ シ の 婚 姻 は,一 夫 一 妻 制 で あ る。 父 母 が 決 め,当 事 者 本 人 に選 択 の 権 利 は な い 。婚 前 の 男 女 の恋 愛 は 同一 の 「斯 汝 」(父 系 親 族 集 団)以 外 で は 許 され た が,こ の100年 の 間 に 「斯 汝 」 内 の婚 姻 も行 わ れ て い る。 他 民 族 に 囲 ま れ な が ら も木 天 王 の 兵 士 の 末 喬 で あ る とい う誇 りを もち,血 統 の 純 潔 性 を 保 と う と して 村 内婚 を 行 った 結 果,姑 舅 表 婚(父 の姉 妹 の 息 子 と 母 の 兄 弟 の 娘 の 婚 姻)や 嬢 表 婚(母 の姉 妹 の 子 ど う しの 婚 姻)が 蜘 蛛 の巣 状 に は りめ ぐ らされ た 。 しか し農 業 生 産 や 馬 に よ る 運 送 業 の発 展,経 済 文 化 交 流 の 増 加 に よ り,村 外 の 同 一 民 族 や 近 隣 の他 民 族 との 通 婚 もで て き た 。

こ の150年 余 りの 間 に,村 外 婚 に 該 当 す る者 は56名 で,そ の うち 外 部 か ら嫁 い で き た 者 が18人,外 部 に嫁 い だ 者 が22人,婿 入 り した 者 が6人, 外 部 に婿 に 行 った 者 が6人 い る 。地 域 は 寧 痕 県 の 永 寧,大 小 洛 水,北 葉 嫡, 塩 源 県 の 長 白,臥 竜 河,前 所,三 河,木 里 県 で み な 近 隣 で あ る 。 ま た 民 族 別 で は,同 一 民 族 のナ リが44人 で80%を 占め,プ ミ族4人,漢 族4人, チ ベ ッ ト族2人,ナ シ族2人 で あ る。

ま た か つ て は,長 男 にだ け 妻 を 嬰 らせ,次 男 は結 婚 せ ず に 同 居 した 。 次 男 は ラ マ に な った り,木 里 大 ラ マ の た め に 賦 役 に で た り,一 家 の 次 世 代 を 扶 養 す る義 務 が あ り,子 供 達 は 父 の 弟 を 父 と 同様 に 尊 重 した。 末 子 は,馬 を 使 っ て 商 売 をす る能 力 が あれ ば 結 婚 させ た 。 姉 妹 共 夫 型 が3例,2つ 家 庭 の兄 弟 姉 妹 を交 換 す る形 の 結 婚 が4例 あ る。 ま た 未 婚 の ま ま,嬰 らず 嫁 が ず 型 もあ る。1980年 代 に は,適 齢 期 を越 え て い な が ら未 婚 の 男 子 が27 名,同 様 の 女 性 が27名 い た 。 一 部 の 女 性 は 密 か に 未 婚 男 性 と恋 愛 して 性 的 関 係 を もち,4人 が 子 供 を 生 ん だ が,や む な し と され た 。老 人 の話 で は, 結 婚 し な い の は 生 活 が 苦 し く て 妻 子 を 養 え な い か ら で あ る とい う 〔 1987:19〕 。

俄 亜 ナ シ との 大 き な 違 い は,兄 弟 共 妻 型 婚 姻 が な い とさ れ る こ とで あ る。

しか し次 男 が 結 婚 しな い で 同居 す る とい うの は,次 男 に つ い て は 実 質 的 な 共 妻 型 か ア ンダ 関係 が 継 続 され て い た 可 能 性 が 高 い 。 や は り俄 亜 ナ シ と同 様 に,歴 史 的 な 内婚 制 の 傾 向 と貧 困 に よる 大 家 族 維 持 の 必 要 性 が 結 婚 形 態 に 大 き な影 響 を及 ぼ して い る 。 ま た 達 住 で は,貧 困 や 男 子 の 出 家 が 男 女 比 率 の ア ン バ ラ ン ス を うみ,結 婚 で きな い 女 性 が ア ン ダ を 結 ん で い る 。 しか

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四川省 俄 亜ナ シ族 の兄 弟共 妻型 婚姻

し達 住 村 は この 地 域 の 交 通 の 要 衝 の 一 つ で,経 済 発 展 の 機 会 は 俄 亜 よ り も 高 い こ とか ら,一 夫 一 妻 制 の 普 及 が 進 んだ 。 た だ し,や は り同様 に ア ン ダ に よ る社 会 の 裏 側 か らの サ ポ ー トも表 制 度 の 維 持 の た め に暗 黙 の 了 解 を え て い た とい え る。

(3)近 年 の俄 亜 ナ シの 婚 姻 と家 庭

本 節 で は,俄 亜 村1組 を事 例 と して 家 族 と婚 姻 に つ い て 考 察 す る 。1組 全50戸 の家 庭 状 況(表2)は,2006年9月,TZ(男 性 ・60歳 ・1963〜

2006年 ま で 俄 亜 村 会 計 を担 当)と 住 民 数 名 か らの 聞 き取 りに よ る。

TZに よれ ば,1組 に は 複 数 の 家 名 が あ る 。家 名 は,父 系 親 族 集 団 の うち 近 い 関係 の 間 で 同一 名 称 が 用 い られ る。 彼 ら の婚 姻 で は,兄 弟 と姉 妹 の子 供 ど う しの 婚 姻 が 最 も よい と され,同 一 家 名 内で は 婚 姻 関 係 を結 ば な い。

家 名 別 の 戸 数 と家 族 数 は,机 黒7戸,宋 得7戸,瓦 初5戸,東 巴5戸,拉 布4戸,机 机 美4戸,拉 波3戸,打 机3戸,木 瓜3戸,加 黒2戸,阿 珠 ・ 高 上 ・英 札 ・瓦 克 ・高 文 ・机 才 が 各1戸 で あ る。 異 な る家 系 か らな る兵 士 団 の 末 喬 とい う歴 史 的 要 因が 村 内 婚 を可 能 に させ た とい え る。

住 民 の 話 に よれ ば,近 年 結 婚 した 若 い世 代 の ほ とん どが 一 夫 一 妻 の 婚 姻 で あ る。 これ は 全 村 で み られ る 傾 向で あ り,結 婚 後 は 可 能 な 限 り親 や 既 婚 の 兄 弟 と同 居 す る。一 夫 一 妻 型 は,1982年 に は全 村 の 約60%に す ぎ な か っ た が,こ の 約20年 間 に,一 夫 一 妻 型 を 当然 とす る 考 え方 が 若 者 だ けで な く親 の世 代 に も普 及 した こ とが わ か る。 本 村 で は,依 然 と して 家 族 の 絆 は 強 く,親 の 同 意 の な い 結 婚 は あ りえな い か らで あ る 。

む ろ ん 総 戸 数50戸 の な か に は,一 夫 一 妻 型 で は な い 婚 姻 も あ る 。 兄 弟 共 妻 型 が な お11組 あ り,こ の うち2人 兄 弟 が9組,3人 兄 弟 が1組,4 人 兄 弟 が1組 で あ る 。 年 齢 的 に は,50代 が5組,40代 が6組 で あ り,一 世 代 前 の 婚 姻 で あ る 。 また2例 に つ い て は,共 妻 の2人 の 兄 弟 は,夫 の う ち1人 が 放 牧 の た め に 常 に 山 に い る と説 明 す る。 な お40代 の 共 妻 夫 婦 の うち1組 は す で に共 妻 型 を解 消 し,弟 は ア ンダ 婚 で 子 供 を産 ん だ 妹 と と も に 分 家 して い る 。 妻 が 弟 とは あ わ な か っ た か らだ とい う。 ま た 別 の40代 夫 婦 の 例 で は,40代 の 長 男 と次 男 は 共 妻 で あ るが,30代 の3男 は 一 夫 一 妻 婚 で あ り,こ の3人 兄 弟 は結 婚 後 も 父 と と も に 同 一 家 屋 内 で 生 活 して い

一239一

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〔表2〕 俄 亜 村1組 の 家 族 ・婚 姻 ・家 庭 経 済

面机

農 作業 以外 の 仕 事

商医 108151551510515920101010205153020

0 5 FO O 511221

000rO1111

15 10 10 ×

OrOO212

0 5 rO211 20 8 15 3 15 20

208

15 20

1030

15 × 10 × × 30 20 9 20 10 × 20 15 20

7015501020

15 20 30 × 40 × 50 10

0053412020

30 × 20

20

30 × 10 60 15 4

× 1 2 2 1 2 3 × 3 1 3 4 5 5 8 × 4 8 12 5 4 9 × 8

5331

3 3 ρ0 1 ワ々 5 F D

5712713

× 9 7 7 1 3 8

39

(螺)

9臼 1 2 2 1 3 4 × 3 1 4 2 3 2 3 2 44 6 4 44 3 9 J F D [D 9自 9自 1 1 9召 2 凶4 1 9自 4 4

3FD6

3 9 自 3 1 5 3 3 ワ自 3 5 6 8

退()

耕地(宙)

2 4 4 2 1 9﹂ 4

幻制n55139 器 4 1 5 1 2 14155137117

74554115152119

3 3 4 6 125248511121

4411159334251119175

5 7 2 りQ2りQ111

931151519

5 1 ρ019213

511312111

5 1212 410 919

513720

交換婚③イ トコ婚

②兄 弟土ハ妻

11

伽2

2

制2

御140H 御

㈹4040 くく22 2

幽2 励3 励4

働 ㈹4040 くく22

幽2

①分年収(千元)戸主の年齢

家族数

○ ○ ○ ○ ○ 03172α926 ρ00FD830ゾー0δρ04443ρ0653ρ0ρ04ρ06 ○ ○ ○ 012210110αB578FD828 凶45420δ7FD51059595 05αB

2 6 8030び4374rD55447EOOσ11

0101

545GU9710FD45762042311111

○ 0211b1 ρ00FDOFD74川48545 03αB81050∩◎467FD45ρ00ゾ4

6 1 rO79FD7640ゾρOFD ○ 022

10rD91FD576815 ○ OFO2

177FD33FD

ρ057 0 0 0111FDFDFD44ρ0ρ040ゾ0ゾ 10 5946ρOqδりQ11 84212

10719163416713 房名

1 2 3 4 5 ρ0 7

891011121314

5 ρ0 7 8 0U11111 0 1 2 0δ 422222 FD 6 7 ∩◎2222

90122333345330Q

ρ 0 7 83300 0 び 0 1344

234444444

5 ρ044 47 48

4950

注 〕 ① 分 家:○ は 分 家 した た め に 同 世 代 に2組 以 上 の 夫 婦 が い な い 場 合 で 、核 家 族 か 直 系 家族 。 無 印 は 拡 大 家 族(大 家 族)。

② 兄 弟 共 妻:2(50代)の 例 は 、2人 の50歳 代 の兄 弟 が1人 の 妻 を もつ こ と。

③ 交 換 婚 は、1組 の 兄 と弟 が1組 の 姉 と妹 とそ れ ぞ れ 結 婚 す る 形 態 、本 村 で は21と28。 村 の イ トコ 婚(NO13)で は 、兄 と妹 が それ ぞ れ の 娘 と息 子 の 婚 姻 を 決 め た。新 夫 婦 は20代

④ 未 婚 の母:恋 人 関係(ア ン ダ)の ま ま で 子 供 を生 み 、 母 側 で 育 て る 。2(30代)の 例 は 30代 の 未 婚 の2人 の 娘 が 子 供 を 持 つ こ と。

〔出所 〕2007年 現 地 で の 聞 き 取 りに よ り作 成 。

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四川省 俄 亜ナ シ族 の兄 弟共 妻型 婚姻

る。 これ らの事 例 に よれ ば,一 夫 一 妻 型 が 一 般 的 に な った の は,現 在30歳 代 の 夫 婦 が 結 婚 す る 頃,す な わ ち1980年 代 半 ば 以 降 か ら と考 え られ る 。ま た 一 夫 一 妻 婚 にな っ て も,多 く の場 合,分 家 は せ ず,大 家 族 を 形 成 して い る。

これ に 対 して 旧来 か ら の慣 習 で,な お根 強 い の が,婚 前 婚 後 の ア ンダ 関 係 で あ る 。本 村 に は,嫁 が ず に 子 供 を 生 ん だ 女 性 が な お7例 あ る。20代 が 1名,そ れ ぞ れ2人 の 子 供 を もつ30代 が2名,40代 が2名,50代 以 上 が 2例 で,現 在 もな お 行 わ れ て い る こ とを示 して い る 。 現 在 の婚 姻 は,ア ダ 関 係 か ら結 婚 に至 る 場 合 も少 な くな い とは い え,な お 相 手 の 決 定 に親 の 意 向が 働 い て い る こ とを うか が わ せ る 。 そ れ は,現 在 も20代 の結 婚 に お い て30代 の兄 弟 姉 妹 の 交 換 婚 が2組 あ る こ とや,親 が 決 め た 交 叉 イ トコ 婚 が1組 あ る こ とか ら も推 測 され る。

で は,な ぜ 結 婚 が 今 日な お,当 事 者 の意 思 以 外 の 要 因 に よ っ て も決 定 さ れ る の か 。表2に よれ ば,2006年 度 の本 村 の 戸 別 の 平 均 年 収 は約5千 元 で あ るが,1万 元 以 上 が11戸,8千 元 が4戸,7千 元 が1戸,6千 元 が3 戸,5千 元 が8戸,5千 元 未 満 が26戸 で あ る。 これ を家 族 数 で み る と,8 千 元 以 上 の 豊 か な グル ー プ は 平 均12.8人 で,15戸 の うち14戸 が 拡 大 家 族 で あ る の に 対 して,5千 元 未 満 は 平 均5.8人 で,26戸 中約 半 数 が 核 家 族 で あ る。 ま た 全 戸 数 中 の 核 家 族 の うち8戸 は 戸 主 が40代 以 下 で,分 家 に よ る独 立 で あ る 。 や は りか つ て と同 様,経 済 的 要 因 が 大 き く 関与 して い る。

以 上 に よれ ば,現 在 も経 済 的 な 豊 か さ は労 働 力 の 多 さ と繋 が って お り, 分 家 は経 済 的 に は決 して 好 ま しい 状 況 を うん で は い な い 。 ま た 労 働 力 が 多 い 場 合 は,若 い 世 代 が 馬 幣 を して 外 部 か ら生 活 用 品 や 食 品 な どを 仕 入 れ, 小 さ な商 店 を 開 い て 商 い をす る,あ る い は 農 牧 産 品 を 外 部 に売 る とい う現 金 収 入 の 道 も可 能 で あ る。 表2か ら明 らか な よ うに,大 家 族 は,経 済 的 に は 概 して 豊 か で あ り,磨 面 機 や 油 鋸 な どの 生 産 用 具 だ けで は な く,テ レ ビ や ラ ジ カ セ な ど の電 化 製 品 も そ ろ って い る 。

で は,現 在,彼 らは ど の よ うな 家 族 形 態 を 理 想 と して い る の か 。 典 型 的 な 大 家 族 と してJG(68歳 ・男 性)家 の 事 例 を あ げ る。JGは 代 々 シ ャ ー マ ンの 家 系 で,本 人 も能 力 の 高 い シ ャ ー マ ン の一 人 と して 知 られ て い る(4)。

代 々 複 数 の 兄 弟 が 共 妻 の 婚 姻 を続 け,大 家 族 で 暮 ら して き た 。JGの 父 も兄 弟2人 で 共 妻 だ っ た が,彼 の 世 代 は,貧 し くて 他 の 兄 弟 が 育 た ず,妹 が1

一241一

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人 だ け い て,村 内 に嫁 い だ 。

JGに は,妻(66歳,村 内 出 身)と の 間 に3男3女 が い る。 長 女 と3女 (45歳 と31歳)は と もに 舅 舅(妻 の 兄 弟)の2人 の 息 子(兄 と弟)に 嫁 い だ 。 婚 約 は 親 同 士 が 早 く に決 め て お り,最 も理 想 と され る婚 姻 で あ る。 次 女 は 自 由 恋 愛 で 村 内 に嫁 い だ 。 長 男 と次 男(41歳 と33歳)は 村 内 の 姉 妹 と結 婚 した 。 親 同 士 と本 人 達 の 意 思 で あ っ た と い う。 現 在 は,3世 代 が 同 居 し,両 親,長 男 と次 男 の家 族,3男(25歳,未 婚)の14人 家 族 で あ る。

JGは 家 長 と して 大 変 尊 敬 され て い る 。 ま た 長 男 と次 男 の 妻 は 姉 妹 な の で, 家 内 の 女 性 た ち の 人 間 関 係 は 良 好 で あ り,孫 世 代 の2家 族 の 子 供 た ち は, ほ とん ど実 の 兄 弟 姉 妹 と して 育 て られ て い る。

JG家 は,1万 元 以 上 の年 収 が あ り,村 内 で も経 済 的 に豊 か な 家 庭 で あ る 。2007年 は,20畝 の 田畑 の うち,水 田14畝 で30000斤 の 米 を収 穫 し,

(4)筆 者 が 在 村 中 に も病 気 の 治 療 や 家 族 の こ とを 占 って も ら うた め に 村 人 が よ く来 て お り,若 弟 子 た ち も相 談 に き て い た 。機 才 家 で は,長 男 が 労働 の あ い ま に シャ ー マ ン の修 行 を して い る。

本 村 に は,現 在 もな お10数 名 の シャ ー マ ン とそ の 弟 子 た ち が い る 。 本 来 は,人 々 に つ くす た め の 仕 事 で あ るが,実 質 的 に は特 定 の 現 物 あ るい は金 銭 の報 酬 が あ る た め,若 い 世 代 に は一 つ の 半 専 門 的 な 職 業 と して 意 識 され て い る。

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四川省 俄 亜ナ シ族 の兄 弟共 妻型 婚姻

6畝 の 畑 で は5畝 か ら トウ モ ロ コ シ4000斤 を 得,1畝 に は 自家 用 の 野 菜 を 栽 培 した 。 農 作 物 は す べ て 自家 用 で,自 給 に は十 分 で あ る。 ま た7畝 退 耕 還 林 に して,現 金1680元 を受 け 取 った 。家 畜 は 馬8頭,黄 牛9頭,豚 30頭,綿 羊4匹 あ る。 馬 は3男 が 馬 幕 とな っ て 物 資 の 運 搬 に使 用 し,仕 入 れ て き た 日用 品 を次 男 が 小 商 店 で 売 る。 長 男 は 木 匠 の 技 術 を も って い る。

兄 弟 で 漢 方 薬 材 を採 取 にい く こ と も あ る。 家 庭 経 済 は 長 男 が す べ て を と り し き っ て い る 。JGに は シ ャ ー マ ン の謝 礼 と して の 収 入 も あ る 。JG家 に は, テ レ ビや 小 型 ステ レオ セ ッ トが あ り,最近,簡 単 な ソ ー ラ ー機 も買 い 入 れ た 。

JG家 の事 例 で も 明 らか な よ うに,大 家 族 は 家 族 間 関 係 が うま くい っ て さ え い れ ば,や は り経 済 的 に は最 も望 ま しい 家 族 形 態 で あ る。 際 立 った 現 金 収 入 の道 が 見 つ か らな い 限 り,分 家 して零 細 な 家 庭 経 済 で 豊 か に な る こ と は,少 な く と も本 村 で は 容 易 で は な い 。 そ の た め大 家 族 向 け の 婚 姻,例 ば 兄 弟 姉 妹 の 交 換 婚 は,本 人 の 承 諾 が あれ ば よ り望 ま しい 結 婚 と され て い る。 しか し婚 前 のア ン ダ 関係 が 自 由で あ る とい う慣 習 は,若 者 の 感 情 か ら い え ば今 後 も継 続 され るだ ろ うし,そ うな れ ば 本 意 で は な い結 婚 も あ り う る。 い わ ゆ る 未 婚 の 母 を慣 習 と して 長 く受 け 入 れ て き た こ とか らい え ば, 結 婚 後 の ア ン ダ 関係 が 秘 か に続 け られ る 可 能 性 も 否 定 で き な い 。

おわ りに

俄 亜 ナ シ で は,長 期 にわ た っ て 兄 弟 共 妻 型 や 姉 妹 共 夫 型 の婚 姻,お よび 不 落 夫 家 とい う慣 習 が 行 わ れ て き た 。 これ は,歴 史 的 に 意 図 的 に 外 部 との つ な が りを 断 って き た 環 境 の な か で 内部 で 完 結 した 社 会 を築 くた め に,ま た 貧 困 の な か で 大 家 族 制 に よ っ て 経 済 生 活 を 安 定 させ るた め に 形 成 され た 慣 習 で あ っ た 。 しか し こ の よ うな 婚 姻 形 態 は,一 方 で 適 齢 期 の 男 女 の バ ラ ンス を崩 し,結 婚 で き な い 男 女 を 生 ん だ ば か りで な く,男 女 の 感 情 的 な 部 分 に も大 き な 矛 盾 を 残 した 。 そ こで,人,々 は 旧来 の 婚 姻 慣 習 を 「老 規 矩 」

と し て遵 守 させ る一 方 で,ア ン ダ 関 係 に よ って 「老 規 矩 」 の さ ま ざ まな 矛 盾 を解 決 し,な に よ り も男 女 間 の 感 情 を大 切 にす る こ と を暗 黙 の 了 解 事 項 と した。 す な わ ち結 婚 は 夫 婦 関 係 の 開 始 で は な く,家 庭 経 済 の パ ー トナ ー 関 係 を 結 ぶ こ と と した 。 外 部 の 敵 と貧 困 に対 処 す る た め に,俄 亜 ナ シ は,

一243一

(18)

ア ンダ 関 係 を 兄 弟 共 妻 や 姉 妹 共 夫 とい う婚 姻 形 態 を 裏 で 維 持 す る 制 度 と し て 容 認 して き た の で あ る。

本 村 で は,結 婚 は 一 夫 一 妻 の 婚 姻 が 一 般 的 に な っ た 現 在 で もな お,貧 が な お 今 日的 な 問題 で あ る以 上,本 人 の意 思 だ け で は き め られ な い 状 況 に あ る。 大 家 族 とい う形 態 は,経 済 的 豊 か さを 実 現 す る た め に は な お 有 効 だ か らで あ る 。 た だ し一 夫 一 妻 を 当 然 とす る 若 い 世 代 が,結 婚 後 の 他 者 との ア ンダ 関 係 を そ の ま ま 「老 規 矩 」 と して 容 認 す る とは 考 え に くい 。 結 婚 と 家 庭 経 済 の 維 持 とい う旧来 の結 び つ き の変 化 は 今 後,さ け られ な い とい え

よ う。

〔引 用 文 献 〕

宋兆麟(2003)『 俄 亜大 村 一一快 巨大的 社会 活化 石』 四川 人民 出版 社

松 岡正子(2007)「 四川 ナ シ族 にお け る祭天 と祭 山(1)一 俄 亜 ナ シ を事 例 と し て 」『国際 問題研 究所 紀要 』第130号 愛知 大学 国際 問題研 究所183〜202頁 李近 春(1987)「 四川 省塩 源 県沿 海公社 達 住村納 西 族社会 歴 史調査 」『四川省 納西

族 社会歴 史 調査 』 四川省 社会 科学 院 出版社1〜6頁

劉龍 初(1987)「 四川 省木 里 蔵族 自治 県俄 亜納西 族 社会歴 史 調査 」『四川省 納 西族 社 会歴 史調 査』 四川省 社 会科 学院 出版 社70〜132頁

参照

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