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今 別 町 地 域 調 査 (青函海底 トンネル坑 口の町)

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(1)

今 別 町 地 域 調 査

(青函海底 トンネル坑 口の町)

1 9 7 4

弘 前 大 学 教 育 学 部 地 理 学 研 究 室

(2)

今 別 町 地 調 査

1. .自 然 環 境 2. 口‑

5. 業 ‑‑‑・ ‑‑‑ ‑・

4. 5. 6. 7. 観 8. び ・・ ・

............"...̲.."."....5

‑1‑

(3)

近年 ,わが国 におけ るモ ータ リゼ ーシ ョンの進行 や,鉄道新幹線 の高速化な どに よる交通革命は, 地域 の性格 を大 き く変 え よ うと してい る と くに僻遠 の地 境 においてその傾向が著 しい.青森県の 津華半 島北部 は本州北端 の地域 であ り,交通路線 も単感の国鉄津車線が走 ってい るのみであ る。 こ の地域は全 く虜のあた らぬ場所 として,経済的 にも羨進地域 の典型 とみなされ てきた。 しか し, 本 の経済高度成長 に ともな って,北海道 と本州 の連絡は青函連絡船のみに依存す ることを不可能 に な ら しめた。 ここに北海道 と本 州を結 ぶ最短距 離であ る,浮 草半島三 厩 と渡島半 島吉 岡間の海底 ト ンネル工事 の計 画がなされ る ことVCなった。青 函 トンネル は当然.東北 新幹線 と北海道 新幹線 の連 絡機能 も果 すわけで.津華半 島北部 がにわかに脚光を浴びて きた。 この交通変革 は この地域 に大き な変化を与 え ることは 当然予 想 される ところであ る. したが って . この地域 にスポ ットライ トをあ てて,現況 を明らかに L,今 後いか に変化 してい くかを見 るvc絶好 の機 会 と考えた弘前大学地理 学 研究室 では,毎年学 生の巡検調査 を実施 してい るが,本年 度は津軽半島の今別町を対 象地域 とし て,地域性 を明 らかにす ることを試みた. 幸 いに も,今別町長 丸山 惇氏の特別 の御 理解 と御厚 意を 頂 き,役 場当 局の御後援の下 に調査を纏め ることが出来た。 ここにお世話 になった方 々に厚 く感謝 を申しあげ,つ たない 報告書 の御 叱正 を頂 きたい と念願 す る ものであ る

(横 弘)

‑2‑

1,y・‑・‑・1‑‑I・‑

(4)

1 自 然 環 境

1) 今 別 町 の 概 要

今別町は津 軽半島北部 に位置 し,東西 17Kn南北 14K皿で,北は津 要海峡に面 し,東は平飴村, 南東 は蟹田町 ,北西は三厩村,南西は半 島の中央部 を縦走す る中山山脈 によって市浦村 と接 し, 面 積 124',80KJn2 である.

今別町の人 口は昭和 46年 で7,547人であ り.人 口推移 をみ ると5年毎 の国勢調査 で著 し く人 口が減 少を示してい る。 これは 出稼 ぎが 多 くなった事 に起 因 してい ると思 われ る。 また過去 (昭和 55‑45年 )10年 間の人口滅少 は

8.7多であ り,原因はFP/'卒者な ど若年 層 の県外就戦,町外‑の流 出が 出稼 ぎ の他 に考えられ,出生 児数 の減 少 も考 えられ る。 しか し,青函 トンネル工事 が進め られ,今別 町はその坑 口地 にあ た り,今 後は却って人 口が増加す ると 思われ る。

今別町の集落 は,海岸線 に沿 っ て8 部 落 (奥平部 ,砂ケ森,裏月 .大泊, 山崎,村 元,今 別,浜名) が断続的 配列 L.今別川流域 の山間地 vc大川平.

鍋 田,二 股の5部落が点在 してい る。

哩 可

2) 今 別 町 の 地 形 地 質 及 び 気 候 a,.

津亜半島は東 の下地半島 と対 峠 して本州最北端をな し.'中 vt陸奥 湾を抱き,北は津華 海 峡を隔て て,北 海道の渡 島半 島を望む。

津車半島は西 の竜飛 崎と東 の高野崎 との二 突角を北向けその間 は三厩湾を7:=す。 竜飛 崎は増川 島を (715.7皿) 主峰 とす る山地 の突角であ り,高野崎は袴腰岳 を (70 7.1m)主 峰 とする山 地 の突角 である。二つ の山地は今別川 河谷 によって 痛てられてい る. また.今別川河 谷の東側 vcは 扇状地帯 が形成 されてい る.卓 聾半島 の海岸線 に沿 って海岸段丘が発達 している ことは早 くか ら注

目され ているが,今別 町 の付近では,三つの段丘面に区別 で きる.

‑5‑

(5)

1)海 岸 段 丘

上 記 のよ う托今別 町付近 では海岸段 丘面 としては三 成の面に区別 で きるoす TLわち,下位段丘面 (50‑ 5 0m)中位 段丘面 (7 0‑‑ 1 5 0m)上位段丘面 (15 0‑ 2 0 0 m)5区分で あ る。

下 位最丘面は海抜5 0‑ 5 0mの平坦Ti:段丘面 を保有 し現 在 の海岸線に治 って津 軽半 島の北岸 か ら東岸 にか けて発達 しその段丘面は多 くの小 さい 峡谷をTLす背後の山地 からの小 河川 で切断 されて 面 としての連続性 を欠い てい るが,三厩 湾岸 では西か ら東‑ と今別の広い河 谷平野で隔て られて はい るが,W長 く連続 して 見え るO.段丘 面の幅は今別川 口の両側三虚から 山崎 に至 る三威湾 の中部 で 比鹿 的幅広 く発達 し lrd以上 に及 び,その他では 多 くが2 0 0‑ 5 0 0mの狭い ものであ る.

この段丘面は多 く畑地 が分布 していわ ゆる半 薯半漁 の零細 な鼻業経営 が行 TLわれてい る。

中位段丘面は下丘段丘面 と明瞭7:=炭丘 崖または斜面 を以 て境 として海抜7D‑ 1 50皿の高度 に あ り段丘面は下位 段丘面 よりも開折 が進 んで後背 山地 に発す る河川の間 の細長い 稜 線上 の平 滑面 と して残 ってい る。 中位 段丘面の分 布 はその下 の段丘面 よりは広 く, ことに今別 を中心 と して酉の三 厩 と東 の大泊 と母衣月 との間の誘釜に及び,その幅 も今別 南方では 1‑ 2Kに及ん でい るOまた 今別 南部 では 高ま 70mの所に砂嘆 膚を示 してい るが傑形 か ら見れば川砂利 の よ うに思われ今別川 の河岸駈 面 と連続 してい ると も見える。

上 位段丘 面は海抜高度 150、 2 00mの緩斜面として 竃飛 崎.高野崎の 山地 中 頓斜面 に肩状

配列 してい る。 この段丘面は北部 では国有林 の ヒJ,'の 自然 林を7:i:すが 巨木の多い 材積の豊か な美林 をな している0

2)扇 状 塊 (今別東部 扇状地帯) 開 口扇状地は北 の坊主 岳 (49 8皿) と南の尖岳 (529.1皿).との間を東 方 の袴腰岳 (707.1m)の北斜面 か ら西流す る関口川 が中位の海岸段丘面 を 削刺 して ,西方鍋 田付 近 の下位海岸 段 丘面にか けて扇面 を展開 して北 から 南 に転 位 T,つつす でに現在は虜面を10 m枚 と掘削 した流路をTLしているO 虜 頂海抜 高度は12 0m扇端は5 0 m 扇面は西に向かって二等辺三角形 状 に 展開 し半径約 2KzIであ る.扇面 は平滑 で嘆士 を7:iL時に人 頭大の 巨大 TLl虎 も

の 地 帯も 舟木凪

(6)

あるが黒土は薄い. 扇端 では下 位段丘 面を鍋田付 近で over・1ap してい るようであ る下位段 丘面 の高度 が20‑ 50mで少 し低 いのは この付 近の段 丘は堆積段丘で硬い基盤岩層 を欠 くためで あ ろ う

関口扇状地 には 昭和25年 に宮城岩手 の入植者の開拓部落21戸あ ったが現在 では16戸 で1 4ね の耕地 の うち0.8Aaを水田にそ の他を畑地や牧草地 な どvc利用 してい る.

関 口扇状地 の南方 vcは今別川 の右岸 山稜 に斜面 が緩い傾斜 で広 く続い てい るがや は り嘆層を主 と す る fang ld皿erate(扇状地堆積物) よ り成 り関口扇状地 よりも古い開析扇状地 と思われ る.

属領は 150m東端は50皿で今別の河岸皮丘 面vc急傾斜の斜面で臨んでい る。

b.

今別川河合一帯は水成岩 よ り成 る新第三系 に よって占められ一に玄武岩や石 英粗面岩の臥 あ るの みであ る。河川流域 の平 担地は 第四紀層 であ り丘陵地帯は新窮三岩層で山岳地帯は安 山岩か ら成 ってい る。 土他 ま「投vc植 壌土 が多 く今別川長川等の流域 の丘 陵地{・は腐植土が見 られるが 山 嶺一帯は表土 が薄 く上層は安 山岩とTLってい る.

C. ・候

卓軽海峡 に面 してい るため潮流の影響を受けやすいが年平 均気 温は10℃前後 僻拝l]4611.5℃)

で あ り県平均 とほとん ど変 らTLい。 しか し4〜 7月 の北西風 8‑10月の偏東風 が強 く農産物 の 生育vc悪影響を及 ぼ して い る. この偏東風 (ヤマセ) は開 口扇状地上 の関 口開拓 で特vc蔵書 を及 ぼ しているL,これは 待避 岳 (707.11皿)と鳥岳 (560.9m)の間vc500皿を越 す山 がTLくヤマ セの影響 をま ともqc受 けるのが関口開拓の地区だか らである. ヤマセ は尊作物に悪 影響を与 えるだ けでな く漁業 に とって も出漁不能な どの事 態を しば しは生 じさせる因 とな ってい る

冬期は北西風が吹き降雪 も11月下 旬か ら盛年5月まで続き積雪 も多い。降 水量は年平 均5.2hn (昭和46年) で豪雨 のひん度 も低 く梅雨期 の雨 も此奴的少TLく台風 もまれ であ る.

月別気象状況 (4 6年中)

(℃ ) (Ⅷ )

月別 (平 降 雨 日数(含雪 ) 月 最大 日量 平 1 2.1 ‑ 5.0 一口.5 28 112 ・15 5.6 2 2.5 ‑ 5.4 ‑0.5 2 7 80 21 2.9 5 4.7 1.5 1.8 25 128 5 0 4.1

4 ll.4 5.2 7.5 12 82 24 2.7

5 15.9 7.6 ll.8 15 61 14 2.0

7月 よ り次頁表

‑ 5‑

(7)

(℃ ) (Ⅶ )

9 21.1 14.5 179 14 148 45 4.9 10 16.4 8.4 12.4, 21 118 25 5.8 ll 1〔J.5 4.2 7.4 17 68 17 2.5 12 4.7 ‑D.8 4.0 27 155 50 4.2

学年 25.9 ‑5.4 ll.5 19 97 45 5.2 l

3) 今 別 町 の 土 地 利 用

今別町付 近は三厩 常岸を中心と して漁業地帯 であ り,三風 竜飛 ,大泊, 麦 月 などの ほか小 さ 7:L湾を利用 した小漁港が多 く住民 の多 くは生活 の頚 を海 に求 め陸地 には背を向け て来 たといえる。

ただ し今 別の平野や東部 の海岸平 野地帯 では 鼻菓地 帯をな してい る. 津盛半 島北 岸 の漁業 地帯 で も 主食は 漁襟 による収入で購 うが 副食物 は 自給 をは か り背後の山地 との間の下位海岸段丘面 の狭 い平 地 をそ の生産 vcあててい る。今別町 の 山地帯 の大部分 は国有林 であ りその 国有林は ヒバ の自然林 を 主 体 と してい る。

三厩湾 中央部 の今 別町 では5D a未満の零細経営 の農業従事者は全体の y3位であるが三厩村 な どでは6 5多忙も及ぶ。 これは 今別JTVCは今別川沿岸 の広い 水田 を持つ 鼻家 が多い からで あるo し か しな が ら1払 以上の尊家 とな ると全 体の 力 帝 にと とまるO また段丘 瓦上の耕作黄熟 甘特異 な も のであ る。 最 丘面 も開析 谷で刻 まれて狭い が耕地 もまた細か く仕切 られてい る。 これは ヤマセ風 を 防 ぐ意味 もあるが鼻作業 が機械化 されてい TLい ことを示す と共 に崖道の整備 もTLく耕地整理 もな さ れ てい ない ことを示す。

この地域は 平辺地 としては段丘面 と沖積平野とで何れも面 積は狭 く限 られてお り特 に分布の広 い 下位段丘 面は 面積 が狭い ので 産耕地以 外に利用す るこ とは 7:=るべ く避けてい るoJ

今別川 中流 の開析扇状地 も多 くは 採草地 として利用 され「 斜 ま耕地化 してい るO

自然災害 とは異な るが今別町 南部 の林道 を営林 署 で工事 してい るために今別町 の上 水道が 汚 濁す るな どの被害 が出ている。 また今別 町 の山地 の大 部分が国有林 であ り,いわゆ る 「軒先 国有林 」地 帯を成 してい る。

‑6‑

(8)

関口扇状地 においては開拓入植者は道路に沿 って 直角に地割 を行T=い畑地 には ジ ャガイモTi:どの 根菜類 が多 く植 えつけてあった これはヤ マ七の影響で背丈の高い野菜が生育 しに くい ためであ っ . この開拓部 落 におい てはヤ マセ‑ の対 策が一番肝要であ ると感 じたが,実際肉牛の飼育 でヤ マ セの被害 を受 けて も営農を継続 できるよ うにほ とん どの 貴家が行 ってい る. また関 口川 の水利権 が 肩端 の鋼ヨ部 落 にあたるため に山崎地区か らの揚水に頼 る水田耕作が行なわれ てい た.

(小野寺 功 ・藤 田 正吉 )

参 考 資 料

今別町の概 要 (1974年 )

町勢要覧 い まべつ(1972年)

日本 大学文理学部 自然科学 研究所 研究記 要 (19d 5年)

‑ 7‑

(9)

2

1) 累 年 人 口 及 び 世 帯

世 帯 数 女 1対す る男00人vc一世帯当人 口

大正昭和255011145095 574 1,214 1,141 2,555 106.4 6.29 二李 木 459

585 11,252,421 11,21,4128 22,5(22,,,8]847085552 1100.602.8 6.46.455 ‑ 本木 492 1,412 1,5]5 2,915 95.9 5.92 596 1,527 1,260 2,587 105.5 5.92 ‑本木 541 1,645 1,655 5,298 S9.5 6.65 今 別 598 1,257 1,512 2,559 95.8 6.09 ‑本木 582 1,758 1,794 5.552 58.0 6.45 48D 1.564 1,599 5.165 97,8 6.10 ‑本 木

758 2,222 2,525 4,547 95.5 6.59 (住民登盲 一 別轟 4.1) 1.544 4.046 4,098 8,144 98.7 6.60

55 1,442 5,945 4,118 8,065 95.8 5.59 40 1,568 5,652 4,025 7,657 90.2 4.88 45 1,652 5,615 5,745 7,558 9占.6 4.45 46 1,719 l 5,704 5,845 7,547 96.4 4.95 47 1,714 5,674 5,792 7,466 96.9 4.55

48年 1,695 5,654 5,756 7,570 97.5 4.55 t

< 累 年 人 口 及 び 世 帯 >

今別町は, 昭和50年 までは今別村 ,一 本木村 にわかれていたが, 昭和50年 両村 が合併す るこ とに よって人 口はお よそ8,D 0O人に連 した.今別の人 口は, この年 にピークを示 したの であるが, それ以来年 々減少 傾向 を示 し今 日に至 ってい る

ところで,町全体の人 口は一般 的 に減少 してい るが,一 方世帯数 は逆 に年 々増加 してい る. この ことは,威家 族化的傾 向 であ り,近年 の 日本全 体の風 潮 とな ってい る。 これは, 資本主 義の発達, また各家庭 の所得 が上昇 して経済的に余裕が出て きたこ とがあげ られるが,それ と共 に時代の流れ に よる影着が大 きい とも言 える0

‑8‑

(10)

2)

区 分

年 次

自 然 的 人 口 動 態 亡 増威 ① 社 会 的 人 口 動 態 増減 毎) ㊨ + ㊨ 昭 和 50年 241 61 +180 206 ◆ 174 + 52 +212

55 167 65 +104 284 468 ‑ 184 ‑ 80 55年 187 54 +155 2% 481 ‑ 185 ‑ 52 57年 195 56 +157 508 557 ‑229 ‑ 92 58年 184 55 +151 441 592 ‑151 ‑ 20 汐 年 154 65 + 91 450 587 ‑ 157 ‑ 66 40年 157 ヨ〕 +1ロ1 219 410 ‑191 ‑ 84 41 152 65 + 69 518 440 ‑ 122 ‑ 55 42年 156 57 + 99 455 524 ‑ 69 + 5ロ 45年 152 48 +104 512 441 ‑ 129 ‑ 25 44年 111 49 + 62 588 652 ‑244 ‑ 182 45 年 119 54 + 65 551 555 ‑ 22 + 45 46年 106 60 + 46 595 558 ‑ 145 ‑ 99 47年 105 55 + 5] 561 500 ‑159 一 一 89

3) 部 落 別 人 口 の 推 移

世帯数 口 世 帯数 口 世帯数 口 世帯数 口 世 帯数 94 565 108 540 117 556 129 587 152 584 485二2,457 560 2,477 595 2,425 625 2,522 609 2,252 大川平 225 1,275 255 1,224 251 1,172 261 1,151, 257 1,158 ( 424 75 595 2 588 77 579 79 565 58 574 56 514 58 514 59 幻9 62 294 72 452 94 4 99 481 106 498 107 482 65 549 69 569 74 296 85 565 9ロ 570 109 642 115 581 119 547 118 541 120 550 婁 月 88 480 88 598 80 551 84 548 85 551 砂 ケ森 61 591 65 550 64 514 65 52〕 65 517 奥 平部 118 661 111 550 115 556 114 529 5 251 合 計 1,412 8,068 1,568 7,657 1,652 7,558 1,719 7,547 1,715 7,572

‑9‑

(11)

< 部 落 別 人 口 の 推 移 二>

町全体の人 口は年 々威少 してい るが,そ の傾向は各部落において必 らず L も見 られないC まず,各部落別 の人 口をみ ると,主 に増加 してい るのは, 山崎,村元, (浜名) な どであ る。

(荏)浜名 は必 らず Lも増加 とは言い きれないが, ここでは一応 これに含める

また,減少 してい る部 静 ま,大川原,二 股,鍋乳 大泊, 某月 ,砂 ケ森 , (今乳 臭平部) であ り,今別町の大部分 を 占めてい る

(注)今別 ,奥乎部は,は っき りした減少 とは言い釘れず 不明確 であるo

ところで,各部 落の世 帯 数vcつい てみ ると,町全 体が増加 してい るよ うに大部分 の部 落 も増加 し てい る。

増加 してい る部落は,浜 名,鍋 田,村 元, 山崎,大 泊,今 別 であ り,逆 に減少 してい る部落は蜜 月 であ る。 また停滞 してい る部落は砂ケ森 ,奥平部 であ るが.奥平部 の人 口,世帯数は 昭和4 9 におい て,極端 に数字が半戚 してい るが この原 因は不 明であ る.

4) 年 齢 別 人 口 構 成

(昭和40年) (晦和45年)

l ‑JI:i:: I. il .i,F I';̲:I

二 幸

= =

1000 ‑dj0 2000 0203 600 10001000 dコ0 2000 0200 600 1000 8]0 400 400 8]0

< 年 齢 別 人 口 構 成 >

日本 の標準人 口構成 ピラミッ ドと比戟 して わか ることは,今別 町の場合 は暮牢層 がかな り少 ない とい うこ とであ る。希に 20代を中心に 10代‑50代 にかけ ての若年労働 層が少TLい. これは ,

I 10

(12)

中卒 ,高卒 者が今別町か ら流出 してい ることを示 してい る。

また, 出稼ぎに よる流 出 もか7:=り大 きい とい える. 出稼 ぎ者は最近では.年に 6 0 0人 ぐらいい る. そのためにも, 出壕 ぎ閉篭は 町全 体の問題 として供重に考慮すべ きであ るO

5) 産 業 別 就 業 者 の 推 移

産 業 (大 分 類 ) 昭 和 55 昭 和 40 昭 和 45

1.501 1,077 910

.産 殖 672455 607554 .55払7

17

0

15

塞 莱

217124 516544 604179

金融 .保 険 .不 道 産 菓 185ll 25114 58615

. 112 95 1

電 気 .ガ ス .水 道 業 6 6 4

225 255 5

57 51 79

分 類 不 能 の 産 業 0

0

5

5.580 5.197 5.577

< 産 業 別 就 業 者 の 推 移 >

表か ら もわかる よ うに,第一次産 業 人 口の威少 が著 しい。特 に鼻業 と林 ・狩猟業 でははなはだ し い とい える。そ れは譲葉 と林業の生産性の低 さ,零細性が影響 してい るとみて よい。一方漁業人 口 紘, それほ ど成少 してい7:Lい. 掠奪的性格を もつ漁業か ら次第 に重婚 (コンプ, ア ワビ, ウニ) が 定着 して, 生活に活路が兄い出された もの と考え られる

また第 二次,第三次塵業人 口は増 加 し,第二次は昭和55年 から10に二倍.に増加 して いる.そQ)中でも建謝 ま,三倍府中び屯 、る。こ州 工近の建設ブームを反映Ln 、ると考えられる。

< 出 ぎ >

1. 出頭 ぎの推移

出稼ぎは古 くか ら特定 地域 で帝 色を もって行なわれてきたが,近年 ,生活 水準が向上 してきたの で,或いは より向上 させ るには,相対 的 に労働生産性の低い農業,漁業の専業か らの収入だけでは

J iliJr

(13)

余裕がない為, そ の打 開 策 と して,効 率 の よい 収 入が得 られ る出稼 ぎが各 地 でみ られ るよ うvcなっ た。 碁閑期 の余剰 労働 力 や随時欲 す る労働 力 とい う形 で労 働 力を提供 して い るO 出稼 ぎで得 た収 入 紘, 生活 費 は もち ろ ん,教 育費や暮耕機具 な どの生産 財 の購入 費7:Lどに当 て られ てい るo また交通 機関 の発達 に よ り, 各都道 府県間が 時間的 に短縮 された ことも出稼 ぎに影響 を及 ぼ して いる。 今別 町 も また例 外 では ない。

今別町 の出稼 ぎ労働 者数の 推移をみ る と. 昭和40年 には5 60^., 同45年 には514人 , 同 45年 には592人, 同47年 には654人, 同48年 には648人,同49vcは (6 19)人 とな ってい る〔全体 的 には増加 して きたとみる ことができ る

(第 1図参 月

第 1図 今別町 の出稼 ぎ労働 者数 の推移

昭和40 41 42 45 44 45 46 47 48 49 数 昭和46年 の資料 が手元 にない.

も 昭和49年 の (6 19)は通年 の資料 では 7:=い.

2.出稼 ぎの現 状

昭和48年 と49年 の資料 (昭和49年 の資料 は通年 の資料 では7:Lい の で,若 干 問題は あ るが参 考 にす る) を もとに して ,今別 町の 出稼 ぎの現状 を明らか に したい

1)昭和48

出稼 ぎ労働者数は64 8人 で, その うち 男子が94多 (606人) を 占め,女 子は6卓 (42人) であ るO その年 齢構成 は, 40〜 49歳 が27.4好と最 も多 く,次い で50‑ 59歳の1515多,

50代 の19.0飾, 2 0代 の18.1多、60歳以上 の11.4歩,10代の4.8多 と7:=ってい る.

ー12

(14)

出稼 ぎ先の主 な都道府県 をみ る と,東京が17.5帝 (112人 ) で最 も多 く,次い で埼 玉75帝 (47人 ),福井 6.8歩 (44人) .富山6.2歩 (40人) ,神奈川5.4車 (55人) ,北海道 5.2(54人),石川4.6帝 (50人) ‥ 千葉 ,愛知が それ ぞれ4.0 (26人) ,県内,滋 賀がそれ ぞれ2.8 (18人) ,茨城2.5多 (16人)・になってい る. (ただ し不 明5 人)

また職種BrJでは,土工 が圧 倒的vc多 く79.2帝vcものぼ り,大工 が5.5帝.工 員2・5啓,伐木1・7 多,漁夫1.5帝,運転 者1.1多,育林夫 D.6の順であ る. (不明者5人)

部落 別 の出稼 ぎ者数 は第 1表 のとお りである。二股部落 では東京‑ の出稼 ぎが多 く,大原平, 村 元部落 では北陸‑, また紡績工場へ の出稼 ぎ者 の占める割合 が比故的多い q)は ,砂ケ森 ,奥平 部, 綱不知部落 である. この よ うvc,部 落 vcよる若干 の特性が み られ る.

1 部落別 の出稼 ぎ労働者数 (昭和 48年)

59 2 41

119 12 151

88 88

52 6 58

54 2 56

51 6 57

65 7 70

71 4 75

28 28

ケ 森 ll ll

58 5 41

12 12

2) 昭 和 49

出凌 ぎ世帯数ま 474世帯 で,出凌 ぎ 労働 者数は6 19人 であ るO その内訳 は 男子が88多 (542人),女子 が12 (77^) であ り,世帯主 が578 で全体 の62多を 占め る. (昭和47 には5 7.4多が世 帯主)年 齢構成 は40

‑ 49歳 が25.8多,50代 が21.5蕗, 50代が18.1蕗, 20代が17.4帝, 60歳以上 が12.8帝.10代 が4.5多 とな ってい る。

主TL出稼ぎ先 をみ ると,東京 が16.2 帝 (10 0人) と最 も多 く,次い で滋 賀 9.2帝 (57^) ,埼 玉 の8.1宙 (50 人) ,千葉 の7.9帝 (49人) ,神 奈川 C)7.8蕗 (48人) ,愛 知 の6.5帝 (40人) ,北海道 の6.5多 (59人)‑.福井 の5.7 (55 人) ,茨城Q)5.口車 (51人) ,石川 の4.5飾 (28人),富山の5.7蕗 (25人) , 新宿の2.6

(16人) ・・ ・のJIEにな っている。

また職種別 では,土工 が85.4帝と圧倒的 に多 く,次いで大工 の4.4多, 伐木の5.2丸 工員 の 2.6多, 漁夫1.6妬,運転者q)0.6妬・・と7まってい る. (不 明者1人)

出稼 ぎ期 間は,6ケ月‑ 1年以 内の長期間 が最 も多く, 5ケ月‑ 6ケ月以 内 と合 わせ ると全体 の

‑ 15 ‑

(15)

90帝以上を占めるO就労経 路は 縁故 が 70.8多に も及び,職業安定所 に よるもO)が 15.5多で, 募集, その他 とTLってい るが,不 明の もの も比薮的多い。 (7.1帝)

昭和4 8年 と4 9年 の資料 を総合 してみる と, 出稼 ぎ労働者数はお よそ600薮十 人 で,その う ち女子 の割合 が若干ふえて きてい るO それ と同時にまた世帯主の割合が多い ことがわか る。 出稼 ぎ 者 の年齢構成は,40上 の高年 齢層がdD帝近 くを占め高齢化 の傾向vcある とみ ることができ る. 出稼 ぎ先は関東 が圧倒 的 に多 く,次い で北 陸 とな ってい て,収入 の よい土工 が8割 を 占め てい . さらに部落に よっては,若干 の特 性がみ られ る。以上 の よ うに,今別町の出凌 ぎの現状を とら えることが できる

5. 出稼 ぎの問題 と対策

出稼 ぎ労働者 は,一般 的 に高収入 の得 られ る仕事 を選ぶために.肉体的労働が 多 く, しか も此敏 的 きび し く,災害 (負 傷) の危険 性がある。 また就労経路 は職業安定所 よ りも知人 TLどの蕨故 や世 話人 q)紹介 が圧倒的に多い こ とか ら,危険な職場 であ った り,賃金不払いな どの トラブル の発生 も あ り得 る. 出稼 ぎを終わ って現在家 にい る人 を対 象 vcした昭和 49年 の資料 に よれは,災害 にあっ た人は189人 中61人で,実vc52.5忙も及んでいる。 さらVC留守家族 の問題 もあ る。送金 が ない場合 もある し,子供 の教育 に関 して も見す ごされ得TLい問題 も含んで い る。 この よ うに出稼ぎ に よるマイナス面が存在する忙 もかかわ らず,現実 問題 と して, 出壕 ぎvcよる収入 の占める割合が 大 きいため に, 出凌ぎを停止 し得 ない のが現状であ る.そ こで町 の行 政当局 では事故 のない 堅実 TL 出稼 ぎをめ ざ し, 出壕 ぎのマイナス面を澄 渡す るため に出腐 ぎ者福祉会を結成 して 指導 助言 にあた ってい るO 先 にみた よ うに,濠故 や世話人 の紹介な どの就労経路 を敬安経路 vc変 えてい く就労経路 の正 常七を よ り徹底 していか なければな らTLい. しか しこのよ うTL対 策は 出稼 ぎに対す る根本的な 解決 策 とはTi:らず,当面の対策 で しかTrい. 本来は 出稼ぎがTLいのが理想的TL状態 であ るから.安 全な 出稼ぎの確立 に踏み とど まらず.積極的 に出稼 ぎ解消の方向へ働 きかけTLけれはTlらTLいO そ れ には 自然条 件や社会条件 を充分 に整備 し,その上 に立 って第二 次,三 次産業 の構造 を近代化 し, 余剰労働 力を地元 に吸収 させる だけ の産 業 を確立 しなけれ ば TLらない。企業誘致 を講 じた り,地場 産菜を 育成す る必要がある。 しかし今別町 とい う1つ の町 単位では企業誘致 も,或いは地 元企業の 基般 が弱い ために地場産 業 の育成 も困難であ り,む しろ不可能 に近い と言え る. より大 きTL行政単 位 である県,国か らの働 きか けが必要 とTLって くるのであ る. この よ うな意味におい て, 青函 トン ネル q)開通 ,東北新幹線 に大 きTL期待 がかけ られ る。

‑1 4‑

(16)

アンケ ー ト調査結果

今BrJ中学 校.御賂 力いた だ き,ア ンケー と調査 を したが,そ の結果を報告 す る.

配布枚 数 5DD枚 回収枚 数 192

i過去10年間 の動向 について答 えて もらったL,

Ⅰ 移動者 の集 団性 につい て

TL L

1(5 172 4

元 の 居 住 地 (県列) 神 奈 川 1 弘 前 市 1

1 1

1 青 森 市 4

1 2

1 六 枚 橋 1

転 入理 由 世帯 主 の仕事 上の転勤 に よる。

上から,今別町におい て,家 族 的移動 は, あ ま りTLい ことがわか る。他の調査 か ら も判明す る が,地元 に深 く根 づいてい る産業 が鼻林 ,漁業 の町 であ るゆえ に,工場に勤務す ることによってお こる転 勤7:=どは みられ7:=い. このアンケ ー トによ って み られる16名 の転入家族如転入理由は,世帯 主 の転勤 に よるO

移 動者 の単 身性 につい て (1)職業移動

ィ .転

TL L

出稼ぎ理由 ・生盾の為 (地 元 に仕事 がTLい)

‑15‑

(17)

日本全体 にみられ る出稼 ぎ者 の多い ことは , この ア ンケ ー トか らもわかる. この場合 の 出虜 ぎは . 塞林漁業 の閑期 一夏 期, 冬期 一にみ られ ,世 帯 主や長 男が 大部分 であ るO

地場 産 業 のTLい ことO

貞金 J=の問題か ら, 関東方面 が多 く,つい で,北 海道 ,北 陸, 中京方面示み られ るO青森県 内 の青 森市 Trど忙行 く人 々が少い のが注 目され るが, これ も① ② の理 由か らと推 察 され る.

季節労働以外 の移 動 (就職な どの転 出)

解 答 な

15

2

1

神 奈 川 2

5

1

1

1'

1

北 海 道 2

1

青森 県 内 6

ロ.義

県 外就職 は, 高校卒業 後転 出が多い. そ の就職先は,関東 方面 が多い. この点 では全 国的傾 向が 今別 におい て もみ られ てい る。

転入 は ,就職 していた所 か ら退 社す る こ とに よって今別 町に もどった ことに よるO

婚 圏 (歳事動)

15 177 0

‑ 16

(18)

5

北 海 道 1

1

711

1

転入の元の居住地 弘前市,青森 市 (2) 三厩 村

通 婚圏 は,転入の場 合, 青森 県 内の 比東 的近接地城 内での移動 であ り,今別町‑ o)転入 縁事移 動 紘, 今別町 の通 産 とみ られ る。

縁事移 動 の転 出先が ,東 京方面,北 海道 がみ られ,県外就 職 した者 が,その就職先 に落着 くとい う形 態ではTLい か と推察 され る. (しか し, こO)ア ンケー トは 少 しO )部 分 であ る為, 推察の或 は出 T=い.)

Ⅳ 就 学移動

出・ 4 青森 県 内

・ 北 海 道 1 弘 前 市 1

1 青 森 市 6

1

下 宿, 間借人 を置 い て る例 2名 (仕事 に よる)

就学移 軌 ま,高校 の場合 は県 内c)他 の市 町村 へ ,大 学の場合 には, 娼東 Tp Zどもみ られ るC 今別町 には,今 別高校 が唯一の もの であ り,今別 高虎 へ は近虜 の町村 か ら通学 してい る者 もみ られ る.下 宿,間借 してい る人 は,2名 で,い ずれ も教員 とTrってい るo

‑ 17‑

(19)

< アンケ ー ト結果 vcよる考察 >

今 別 中 学 校 の御協力 を得 て, ア ンケー トは以 上 の如 く集計 されたが,ア ンケー ト回収率 が66 啓と低 く, まr=対象 が中学生 に限定 されてい る為 vc, こq)ア ンケー ト結果のみか らは,今別町人 口 動感 についての全般 的傾向 を断定 す ることは できTLい. しか しこの紙面では , アンケー トか らの考 察を試 み, 他は,町勢要覧 TLとvcよって知 られ る とい う点 を,御了泉 頒 う.

今別町 の人 口は7,5 72人 ,世帯数1715世 帯 (8 49年度調べ) で′J、さTLものであ る。 特 に著 しい特 徴はみ られ T3:い. 移動の規模 も小規模,少人数 である. また 竜飛岬の トンネル工事

よる人 口流動は,地元業者 の介入がTLい とい う事 で,全 く影響はみ られTLい。

出濠 ぎ者の 多い事は, ア ンケ‑ トから も判 明す るO対 象の うち42糾 工必 ず1人以上 の出稼 ぎ者 がみ られ る. 42頚とい う高い比率は注 目vc虐す る。 出顔 ぎ者 の問題 ま,全 国的 TLもの である。 他 の市町村 に先がけての画期的対策が望 まれ る. しか し,今 別町 のみは 解決 できTLい大 きTL壁 があ る為, 中央 政亀 地方公共 団体Ti:どが,一体 にTi:って考 えねは7:=らTLい問題 であ るO

通婚圏については,移動数 が, ごくわずか花為 に推測 にす ぎTLい が,移動 の流 出は遠方 へ.転入 は近接市 町村 か らとい うのが本流で この現象は, 最 も一般的TLもの で,他 に特 徴はみ られ TLい.

県外鹿 職 も,高校卒業 後,地元 に就威 ロが7ILい為 出てい くもの で,全国的頑 向 で もある. 轟密半 島一 帯の町村 ,県政 ,東 叱地方全体 におけ る政策Ti:ど,すべ ての行政組 級 が一 体化 して,地方 の発 展を 目指す心 構えが大切 である●

(阿部 しづ子 ・葛西 泰伸 ・古川 光膚 )

〔 参 考 資 料 〕

昭和4 7年版 町勢貴覧い まべつ 宮崎礼 次郎; 出稼 ぎと過疎対策 (地理ノ砿51975 ) 会別町役場 の資料 (1975,1974年) 地理調査法 (朝倉 書店)

今別 の概要 (1974年) 舘稔, 日本 の人 口移動 (古今書 院) ア ンケ ー ト (今別 中学校) 舘 稔,人 口分 析 の方法 (古今書 院)

‑ 18‑

(20)

3

1)

本 町 の総面積は 124.80K,n2であ る. この土地利用 を示す と次 の よ うにな る.

(1† 74年)

23 解 宅地 05多

今別 町6)鼻業 は半 農半漁的 で, 畑作 におい ては 自給作物 が作 られ, ヤマ七 の影響 {・ 根 菜類 Lか作 れTLい所 もある.畜産 につい てみ ると未 活用 0)原野, 山林 を活用 し肉用牛 o' )飽膏 を促進 しているが,' そ Q)規模 は まだ零細 であ る. 7よお, この町 に上 敷倉島今別 支店 があるo

‑ 19

参照

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