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表現課題 に よる日本文学作 品 の 読 みの指導 に関す る研究

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うⅠ

表現課題 に よる日本文学作 品 の 読 みの指導 に関す る研究

裳 噂

Teachi ngJ apanes eLi t er ar yWor ks byWa yofExpr es s i onTas ks

PEIZheng

序 課題 と方法

日本文学は ,中国人学習者に とっては ,理解 の しかたが 日本人 とは大 き く隔た っている。『 伊豆 の踊 り子』について ,日本人は少年少女の互いに惹 き合 う可憐 で純真な心 の動 きを描 いた小説 と 読むが ,中国人は反封建小説や恋愛小説 として受け止めている。

日本文学に対す る中国人の批評に よると,森鴎外は 「 反動的立場 と い い加減 な歴史観」 の持ち 主であ り,夏 目軟石は 「 結局 はブル ジ ョワ社会に順応 しなければな らない との諦観 の境地に達 し た」 のであ り,志賀 直哉の考 え方は 「 階級 協調主義であ り,エ ゴイズ ム」 であ り,芥川龍之介は

「 存在が意識を規定す るとの定律 な ど全然信ず ることがで きなか った観念論者」 である。 この よ うに ,中国では ,文学 を政治的イデオ ロギーに還元 し,一 面的な結論にな ることがある。

大学 日本語学科 3 年次 の 「日本文学作品読解」 の教材は ,『キ ャラメル工場か ら』,『蟹 工船』,

『 舞姫』,『 坊 ち ゃん』,『 鼻』 な どの ような作 品が よく採用 されている。従来の指導方法で も,日 本語 の精読授業 の継続 ,または道徳 ・思想教育の素材 として扱われているよ うだ。た とえば 『 坊 ちゃん』を , 「 一貫 して」,「日本 の近代的教育 と教育制度を批判す る」小説 として読んでいるOこ の よ うな作品‑ の外在的な分析 は ,日本文学作品の独特 な世界を学習者に理解 させ ることを妨げ ると思 うO

「 読解」 の有効的な指導方法を開発す るには ,まず 日本文学 の特質が中国文学 の特質 とど う違 うかを明 らかにす る必要がある。 中国文学 のス トー リー性に比べて 日本文学 の特質は表現にある。

日本文学 の この よ うな特質に注 目して ,表現の技巧を正確に読み取 ることに よって ,作品世界を 理解す るように指導すべ きだ。 この論文では, 日本文学 の特質 を典型的にそな えた作 品 と して ,

『 蜜柑』 ( 芥川龍之介),『山版魚』 と 『 鯉』 ( 井伏鱒 二) を取 り上げ る。

豊かな表現を持つ この 3 作 品を指導 してい く上で有効 なのが ,北海道大学教育方法学研究室で

芽生え,取 り組 まれ て きた 「 表現 ・構造課題方式 ( 仮称) 」 と思われ る。私は この方 式 を再吟 味

し,表現課題方式 と呼ぶ ことにす る。表現課題方式 とは , 「 場 面」や作 品構造を集中的に担 う表現

に注 目し,その表現の必然性 ,多義性 を読み取 ることがで きるような課題 を設定 し,授業で討論

し,読みを深めてい く方式だO この表現課題方式に もとづいて,『蜜柑』 ,『 l L J 板魚』,『 鯉』を分析

し,指導案を作成 してい く。

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第 1 章 日本文学 ( 小説) の特 質 と読 み の本質 1. 1 中国文学 ( 小説)の特質

中国の小説は,史書の影響を強 く受けている。スケールが大 きく,筋が面 白い。登場人物の内 面的意藤 より,彼 らの劇的な運命を歴史の激動 ,社会様相 と絡めて構成 している特徴がある。中 国人は小説を読む時 も,筋の面 白さと場面の雄大 さを好んでいる。

中国の史書は,政治上の参考資料 として,支配階級に奉仕する働 きがある。 この点は,小説に も影響 している。吉田精一は,日本では 「 中国古代の民謡 と思われる」 ような 「 詩経」は , 中国

では単に文学 として見ず ,やは り道徳的,或は政治的な教訓書 として見ていた」 と述べている。

文学は,国家観念そのものとして,登場人物は英雄的であった。近代に入ってか ら,西洋文化 の影響を受けて,初めて強い自我意識 ,自己主張に 目覚め,個性の解放を唱え,非英雄的な人物 を数多 く小説に登場 させた。 しか し,文学は依然 として政治 と結び付いている。やがて毛沢東文 芸論に基づ く典型理論が中国に登場 した。毛沢東は文学 ・芸術作品については , なに よ りもま

ず ,人民にたいする態度が どうであるか,歴史的に進歩的意義があるか どうかを点検」するよう に,と文学を政治に従属するものとして一層強調 した。

最近文学の独立を唱える新 しい動 きも現れてきた。 しか し,日本 とは違 って,政治は中国国民 の日常生活を直接に左右する面が強 く,作品の思想性 ,社会的効果の如何に よって,その作品を 評価することは依然 として根強 く残 っている。 日本のいわゆる大衆文学 ,特に社会派の推理小説 が,中国では比較的人気がある。それは,中国の小説のこれ らの特徴に似た ところがあ り,読者 か ら比較的受け入れ られやすいためか もしれない。

このような文芸理論は作品の内容 ,作品に対する理解を左右 してい るだけではな く , 語文 」 ( 国語)教育を行 う目標や教材の選定にも影響を及ぼ している。

国語教育は決 して単なる国語知識を教え,学生の国語能力を養成す るだけの手段 と場所で はな く,また思想宣伝の重要な場所でもある。( 馬馳 「 国語教育を論ずる 」 )

とい うのである。そ こに選ばれてきた文章は , 「 大部分の文章はいずれ も強い思想性 と芸術性を 持 っている」,と評価 し,芸術性 より思想性を先に重視する。国語授業の役割 として , 学生の社

会主義道徳情操 ,健康的,高尚な美意識 と愛国主義精神を育てる」,とい うことが 《全 日制中学国 語教育大綱≫の中に明確に書かれている。なお,

思想政治教育は国語の道徳教育の基本的内容であ り,思想政治教育の核心は国語教育の過 程を通 して,学生に愛国主義思想の感化薫陶を行 うのである。 ‑‑愛 国主義 は共産党を愛

し,社会主義を愛す ることと一致す るものである。

1. 2 日本文学 ( 小説)の特質

歴史性や思想性な どを重んずる中国小説の特徴に引き比べて,日本の小説は 日記や随筆 ,しか も女性の手に よるもの,つま り女流 日記文学 とも呼ばれるものに大 きな特徴が出ている。そのた め,時代の社会的な制約を受けて,社会の激 しい動乱を把握す るようなスケールの大きい作品よ りも,男女の心の細やかな動 きを扱 う繊細な作品に優れていた ようだ。加藤周一が 『 源氏物語』

では , 洗練 された感情生活の叙述が中心になっていて,人間の激 しい行動や,強い意志や,明瞭 な性格は,ほとん どまった くあらわれない。 」 と述べている。そのような しみ じみとした情趣は,

「もののあわれ」 とい う美的理念 として , 平安時代以後 ,日本文学の基調 となった」,といわれ

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表現課題に よる日本文学作品の読みの指導に関す る研究

233 ている。

明治時代 ,西洋の文学思潮 の息吹 きが伝 え られ るとともに ,日本 の近代文学が芽生え,旧い封 建的な風習や感情か ら離脱 し,個性 の尊厳 ,自我の至上を求め る新 しい登場人物を描いている文 学が生 まれた。 しか し,西洋の文学理念 と方法 の影響を受けていなが らも,当時の 日本文学 は , 現実世界を映す鏡 としての文学 ではな く,自己内部の感情を表す文学 として以前 と変わ りはない。

吉 田精一 のい うように , 「日本 の風土 ,生活 ,環境が ,日本人の感情や感覚を独 自な ものに して来 た ように ,日本 の ことばの特色や ,ことばを通 じての感 じ方 ,物 の見方 な ど」を , 「 無意識 の うち に上 近代文学 も 「 受けている」。大正以降 ,プ ロレタ リア文学 とい う新 しい質を持つ文学運動を 生み出 したが ,根 はおろせないまま終わ った。 「もののあわれ」 を中心にす る 日本 の文学理念 は, 現代に も通 じている。

吉 田精一 は 日本文学 の流れ と特質を次 の よ うにまとめている。

日本 の文学 は中国を除 く今 日の文 明国の どれ よ りも長 い歴史を もち,顕著な特色を備 えて いる。 日本 の国民性は鋭 い直観 と,織細 な感覚 と,器用な才能 に恵 まれ ,細部の充実 した小 味でデ リケー トな作 品をつ くることに長所があるO

氏は 日本文学 の長所 を認めなが ら,一方その短所 も続 いて次の よ うに指摘 してい る。

日本文学は ,小型 で ,精巧 で,情緒的である。一滴 の水に も宇宙を とらえるとい う含蓄を 尊ぶので,和歌 ・俳句 とい った短詩型をみが き上げ ることに成功 したが ,その反面 ,論理的

・構成的でな く,壮大 さ,激 しさ,きび しさに欠け る。

1. 3 読みの本質‑ テーマ主義の克服のために

上述 の ように ,日本 の小説は ,往 々に して 日常生活 の小 さな出来事を取 り上げて ,論理的な繋 が りを持たない もろ もろの場面 ,断片的な描写 ,会話な どか らな り,登場人物 の内面 ・精神 の機 微を描 き出す。 ス トー リーの展開 ,主題 ・思想を中心に追 いなが ら,文学作 品を理解 しよ うとす る中国の学習者に とっては ,その ような 日本 の小説を正 しく把握 し,行間に流れている情緒 を読 み と り,感動を覚えるには大 きな壁がある。両国の文学上の伝統 ,理論 の差異か ら生 じた壁 をい かに乗 り越 えて , 「 読解」の授業 を効果的に行 うかが ,私 の課題 である。そのために ,互いの相違 を明 らかにす るとともに ,日本 の文学作品を実例 として分析す る際には ,無理に主題を押 しつけ ることな どは避けなければな らない。作 品その ものを凝視 し,言葉 の構成を丹念 に読み返 し,作 品の 「 含蓄」を ,分析的な手法 で正確 に読み取 る努力が必要だ。

第 2 章 表 現 の 分 析 (3つ の カ テ ゴ リー)

今世紀 に入 って ,文学 の研究では原文を重視す る分析 的方 法 を重 ん じる よ うに な った。作 品 を ,その作者 の生活史や時代背景か ら切 り離 し,作 品その ものを媒体に して,読み手の主体性を 重視 し,積極的に読む行為 を主張す ることは大 きな意味を持つ。

イギ リスの ウィ リアム ・エ ソプソンは ,この分析的立場 を も っ とも よ く実践 して いたO彼 は

「 すべてのす ぐれた詩は暖味だJ,と初めて 「 唆 昧 」表現の文学的効果を取 り上げたCさらにイギ l )ス文学 の 「 牧歌」 とい うジャンルに 目を付け , 「 牧歌」の描写手法を取 り上げ ,作品の構造か ら

「 暖 昧 」 の理論を展開 した。

学習者 に,作 品その ものを読む行為を通 して ,作品の豊かな世界に じかに接 しさせ ,楽 しくか

つ面 白い体験 を させ るためには ,私は分析 の方法 ,主 としてエ ソプソンの 「 酸味」 と 「 牧歌」 を

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学び,作品の分析を試みたい。日本文学を理解す る上では , 「 唆昧」を読み取 ることは極めて基本 的な ことだO井伏の作品を理解す るため , 「 牧歌」の表現手法 と効果を析 出す る必要 があ るか ら だ。 さらに,井伏の作品を分析す るに当た っては,ペーソスを交 えたユーモアとい う有効的なカ テ ゴ1 )‑を独 自に設定す る必要がある0

2. 1 エンプ ソンの 「 唆味」 と 「 牧歌」

エソプソソは , 「 酸味」 とは , 「 一つの表現に対 してい くつかの可能な反応の余地が」 ある,と 指摘 している ( 氏は主に詩を対象に しているが,ここでは小説を も対象に含めることにす る) 。そ れを分析すれば作品世界の核心に迫 ることができる。 日本文学 は鉄柵 で ,含 蓄 に富 んでい るか

ら,語句を表面的に理解す るだけでは,作品の豊か さを味わい,楽 しむ ことはで きないのだ。

なぜ一義的な表現を使わないで , 「 酸 味 」な表現を使 ってい るか を明 らか にす る必要が ある。

「 酸味」な表現を読み取 るような指導ができれば,一つの読みだけではな く,もしかす るとこの ように も読めるのではないか とい う探究の精神 ,作品世界を豊かな創造力に よって再構築す る学 習者の姿勢を,確立 させ ることができる。

『 蜜柑』の授業実践では , 「 暖昧」を追究す ることで,学習者に思考 と想像を十分に発展 させ , 作品世界を豊かに理解 させ ることに成功 した。「 酸味」を追究す る際 ,同 じ回答が得 られない こと が多いため,討論に よって作品の理解をみんなで深めあ うような授業にす ることに も大 きな意義 がある。

牧歌は,宮廷人 ,インテ リな どが牧童 ,羊飼いを描 くものだ。エ ソプソソに よれば,本来宮廷 人 ,イ ンテ リな どと牧童 ,羊飼い とはまった く 「 異な った感情様式」を持 っている。宮廷人やイ ンテ リな どの書 き手は,この違 う次元に属す る別 々の感情様式を作品の中で衝突 させなが ら,節 しい世界を見せて くれ るのだ。川崎寿彦は,井伏の作品は 「 庶民について語 りつつ じつはきわめ て貴族的 ,田舎について語 りつつ じつ は きわめて都会 的」 であ り , 「 だか ら (牧 歌) なのであ る」,と述べている。

『 鯉』では,鯉の泳 ぎまわ る 「 すぼ らしい光景に感動のあま り涙を流 しなが ら,音の しない よ うに注意 して跳込台か ら降 りて来た 」 「 私」は,寒い冬の朝 ,冷たい氷の上に竹竿で大 きな鯉の絵 を描いて , 「 す っか り満足 した」。『山板魚』では , 「 何たる失策であることか ! 上 「 寒いほ ど独 り ぼっちだ !」 とい うかな り知的な言い回 しをす るのは,頭が大 き く,四つ足 の不気味な山板魚な のだ。いずれ も複雑な ものと単純なものとの間に , 「 唆昧」で面 白い対照が描 かれ てい る。古風 で,貴族的な表現 と通俗的な登場人物 との対照が妙である。

2. 2 ぺ‑ソスを交えたユーモ7 2. 2. 1 ユーモアとは

2. 2 . 1 . 1 笑いの 「 社会的意味」

ベル クソソは , 「 笑いは必ずや共同生活 の或 る要 求 に応 じてい る もの 上 「 或 る社会 的意味 を

もっているものに違いな い 上 と述べて,笑いの人間性 と社会性を指摘 している。また 「 笑いを催

させるものは 上 「 流動の中」にある 「 固定 した」 もの,性格上の 「 不本意」 , 「 不器用」,及び表現

上の 「 不条理」 と述べている。私は氏の笑いの論述を,ユーモアを考える場合の手掛か りとして

考えていきたい。

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表現課題 に よる日本文学作品の読みの指導に関す る研究

2 3 5 2 . 2. 1 . 2 笑 いの 「 論理的な構造」

戸坂潤は , 「 笑 いの論理的構造 と考えていた ものが実は弁証法的本質 であ った上 と指摘 して , その論理的構造か ら,具体的に笑いの三つの規定を提 出 しているO

規定 1: 「 否定 の側 に立つ ように見せかけねばな らず」,いわば 「クサす のは褒めるため」のユー モアである。 ( ユーモア‑ 「 な ごやかな雰囲気」)

規定 2: 「 肯定 の側 に立つ ような外見を もたわばな らず」,いわば 「 褒め るのは クサすため」のア イ ロニーである。 ( 反語‑ 「 攻撃」)

規定 3: 「 肯定 と否定 とが同一 とな り上 いわばパ ラ ドックスである。 ( 逆説‑ 「 批判性 」 ) ユーモアは 「 否定の側に立つ ように見せかけ」 なが ら,む しろ肯定 して い る とい う氏 の定 義 を ,全面的に受け入れたい。同時に 「 否定の側 に立つ ように見せかけ」 て,肯定す るまでにはい かないが , 「クサす」 とい うほ どで もない場合 ,また 「 肯定 の側 に立 つ よ うな外 見 を も」 って ,

「 褒め る」 までにほいかないが , 「クサす」とい うほ どで もない場合の笑い も,ユーモアであると 考 えることにす る。

ユーモアは,現実 に余裕 を もって対応 し,相手を傷つけない よ うな奥ゆか しさ,思いや りのあ る社会性 ,論理性を備 えている。人 々の笑 いを誘 うと同時に ,人 々に有益な啓発 と美の楽 しみを 自然に与えることがで きるのだ0

2 . 2. 1 . 3 ユーモアの表現方法

ユーモアの表現方法は ,人の意表を突 き,人に意外 な ことを暴露す るが ,静かに語 る上で ,理 にあ って ,情 にふ さわ しい対応 と言え ようOわ ざ と人物や物事の不器用 ,不本意 ,不調和 ,不条 理 ,無邪気な面 ,生真面 目な面を明示 ,あるいは誇張 して ,いわばズ レの表現方法 に よって ,快 い笑 い と含蓄のある効果を もた らす。

2 . 2 . 2 ペー ソスを交えたユーモアとは

ユーモ7は悲 しみ ,ほろ苦 さを道連れに しているものが多い。泣 き叫ぶ ような悲 しみではないo 笑 っている内に涙が惨んで くる悲 しさである。噛み締め ると歯に しみいるほろ苦 さである。ほん の少 しの悲 しさ,ほろ苦 さで も力は強 い。心を揺 り動かす。私は この よ うな 「 涙 と笑 い 」( 織 田正 吉) を合わせ持つ複雑 で,高級 な表現を 「 ペ ー ソスを交 えたユーモア」 と呼ぶ ことにす る。

井伏文学の大 きな特色は , 「 微笑 と共に忍 び込 んで くる切 々た る哀傷 ,即 ち,人生詩的なペー ソ ス」 ( 浅見淵) であ り , 「 笑 い と泣 きが表裏 にな っている」 ( 松本鶴雄) といわれているO尊大で , 強が りな 「 山敬魚」の姿には ,おか しさと淋 しさが共存 している。『 鯉』で ,寒 い冬 の朝 ,氷の上 に大 きな鯉 の絵を描いて 「 す っか り満足 した 」 「 私」の行為には ,笑 い とともに人生の哀愁が同居 している。

第 3 章 文 学 作 品 の 読 み の 指 導 の 方 法

3. 1 指導の意義

文学 は人生の赤裸 々な真実を抽象概念 を用 いてではな く,新鮮 な感覚で とらえる具体的な出来

事 として表現す る。文学 は意思表 白の手段 として ,ある種 の道徳や文 明批評 も包含 しているが ,

文学 の 目的はある道徳基準を説 明す るものではないO片上伸 は , 「 真の善 き文 芸 を活 用す る こ と

に依 って ,人間生活を全体 として感 じ,味わは しめ ることを意味」す る,と述べている。文学に

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よって,人間についての理解 ,認識を深めることができる。 これ こそ人々が文学作品を読む 目的 で,私たちの指導の 目的でもあろ う。

3. 2 指導の方針

私は学習者が積極的に , 楽 しんで読 む」 とい うことを 「 読解」授業の 目標の一つに したい。こ のことは,作品か ら教訓を得 よう ( 得 させ よう) とす る読みを否定す る上で重要 と思 うからであ る。主題は何なのか とい う突 っ込み方をせず ,その作品な りの独特の表現や構造を楽 しんで読む ことに よって,喜びを味わい,それぞれ感 じたものを深めてい く。

3. 3 表現課題方式

3 . 3 . 1 表現 ・構造課題方式 ( 仮称)

北大教育方法学研究室で取 り阻 まれてきた表現 ・構造課題方式 ( 仮称) とい う指導過程論は, 1 9 8 1 年里見摂子の卒論 「 川 とノ リオ』の指導過程」で芽生え ,8 2 年染谷恭子の卒論 「 安岡章太郎

『 愛玩』の指導過程について」で,表現 ・構造課題方式 ( 仮称) と命名 された。続いて8 3 年に林 多賀子は,卒論 「 文学作品の指導についての実証的研究‑ 『オツベル と象』を素材に」で,教 科研国語部会の指導過程論に対す る批判を通 して,この方式の構想を詳 しく展開 した。

林は,教科研の客観的な読みの立場に同意す るが,その知覚段階の一次読み ( 形象を単語や文 を手掛か りに読む),二次読み ( 一次読みで読み取れなか った表現形象を読む)の段階設定は必要 ではない,理解段階の主題 ・思想読みの三行主題抽象化の手続 きなどは無意味だ と指摘 し,次の ように主張する。 「 第 1 の段階の読み」では,作品の重要な表現を取 り出して読み取 らせ , 2 の段階の読み」では,第 1 の段階で読んできた表現を,語 り手 ・す じ ・場面の構成 ・視点な どの 面か ら構造的にとらえる,とす る。第 1 ,第 2 の段階では,表現 ・構造を解明する課題を設定す る。表現の必然性に注 目して,作品国有の世界を より深 く理解す るとい う林の試みは,指導過程 の画期的な方法を生み出したと思 う。

以後 9 2 年三田村治は卒論 「 『 羅生門』の指導過程」で , 2 の段階の読み」での作品の構造を つかむ方法を示 した。三田村は作品の構造を 「 問題」 , 「きっかけ 上 「 解決」 とい う三つの要素か ら構成すると規定 し,プロットを意味する 「 場面」の概念を加えて,問題‑ きっかけ一解決 と い

う構造図式にまとめ,さらに全体構造を担 う表現を 「 解決」の場面か ら摘出すると提示 し,表現

・構造課題方式 ( 仮称)の理論を大 きく前進 させた。

3. 3. 2 表現課題方式

私は上述 した方法に基本的に依拠 し,指導過程 としては, 2つの段階に分ける。 しか し,三田 村 もいった ように,作品の構造 も表現の必然性に よってつかむので,私は 「 構造」を 「 表現」 と 別にするのではな く,いずれ も 「 表現」の概念に含め うるとい う立場を取 り,表現課題方式 と呼 ぶ ことにす る。段階の読みの内容をそれぞれ次のように考える。

「 第 1の段階の読み」での重要な表現を取 り上げる段階か ら,筋を辿 り,視点を確かめ,構造

的な問題の究明に着手 し始める。そのために表現に注 目し追究す るのだ。「 第 2 の段階の読み」で

紘 , 1 の段階の読み」を踏まえて,作品の核 となる部分だけに焦点を当てて,作品固有の世界

に対する理解を深める。課題の対象 となるのは,構造上の策略であ った り,語 り手の働 きであっ

た り,作品全体を担 う中心的な表現であった りする。作品の特徴や個性に よって,それぞれ違 う。

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表現課題に よる日本文学作品の読みの指導に関す る研究 237

三 田村 は この段階の読みでは ,作品の構造図式を把捉す る よ うに した が ,設定 した課題 が多 い 上 ,前の段階 の課題 に戻 るよ うな重複があったため ,焦点はぼやけて しまっている。それに 「 老 婆 の話について 上 「 下人のに きびについて」 な どに関す る 「 全体 の読み」 を加 えている。私 はい つで も同 じように構造 ,人物 ,象徴 ‑‑ とい う一律的な問いをす る必要はない と思 う。文学作 品 とその授業‑の興味を失わせ ,作品の持つ特徴 ,個性 を十分理解 で きない授業にな りがちだか ら。

なお , 「 第 1の段階の読み」では ,前 に述べた 3 つのカテ ゴ リーに もとづいて ,表現の意味を読 み取 る部分課題 ( 場面の理解 には重要な関わ りを持たない見事な表現の取上げ) ・場面課題 ( 場 面全体 の理解 と関わ る表現 の取上げ)を設け る。三 田村 は場面 の概念を使 っているが ,その概念 についての説明を しなか った。私は この場面 とは ,作品を構造す る単位 としての 「 場」 と , 「 場」

を担 うのに適切な表現 としての 「 面」 とを合わせてい う意味だ ,と考 える。

た とえば 『山敵魚』 では , 「 山板魚は悲 しんだ。」か ら 「しか し,彼 には何一つ として うまい考 へがある道理 はなか ったのである。 」 までは一つの場だo この場は , 「 入 口を塞 ぐコロップの栓上

「 狼狽 させ且つ悲 しませ るには十分であ ったのだ 上 「 何た る失策 であるか !」 , 「 人 々は思ひぞ屈 せ し場合‑ ‑‑ 上 「 深 い歎息 ‑‑・ あたか も一つの決心 ‑‑ ‑ 」 , 「 俺 に も相 当な考‑があるんだ」 な ど

とい う面 の連な りに よって,構成 され ている。面の特徴 のある描写に よって,山板魚の間抜けか つ尊大ぶ った性格 を浮 き彫 りにす る一方 ,山板魚の強が りの独 り言 と語 り手に よる地 の茶化す文 の意味 とのズ レか ら,ユーモアの味わいを醸 し出すO

作品の展開に伴 って ,状況 と登場人物 の視点が移 り,表現手法が変わ る。状況な どの移 り変わ りは,作 品の展開に質的で ,必然 な役割を担 っている。その質的な転換を現 し,また必然性 のあ るひ とまとま りを ,場面 と考 えるo ス トー リーの区切 りではな く,作品を作 り上げている本質的 な要素 として考えている。

「 第 2 の段階の読み」 では ,個 々の作品で独 自な形 で されているので,作 品に即 して作品の核 となる表現を理解す る構造課題 を設け る。

課題設定の諸方式については ,林 の設定 している 「 想像的破壊」 と 「 省略部分の構成」 は,学 習者の理解を深め ,省略す ることに よって ,省略 しない場合に よ りもさらに豊かなイ メージを学 習者 に与える方式 と して,大 きな意味を持つ と思 う。林 は 「 暖

」 とい う概念 を使 って ,課題 を 設けてはいないが ,すでに表現の 「 唆

」 に気づかせ る課題 を試みているo私は ,林 の成果を十 分に生か し,以下の よ うな諸方式 を設定 したい。

・想像的破壊 作 品中の表現を他 の表現 と入れ替えた もの ,または抜 き取 った も のを原文 と比較 して ,もとの表現が意味す るものを理解す る課題。

「 酸味」 の読み取 り ‑ 作 品中の 「 暖昧」表現を一義的な表現 ,または同義に思えそ うな

・描写 の叛型

・較 べ 読 み

他の形 に置 き替 えた ものを原文 と比較 して,もとの表現の持つ膨 らみ と広が りを読み取 る課題。

多 くの描写か ら,同質 の描写を対照的に整理 し,異質の描写を発 見 し,表現の意味 と効果を明 らかにす る課題。

同一作 品の二つの形式 ( 改作前 ,改作後),同 じよ うな題 材 ,ス ト‑ リ‑の作品 ( 同一作家の もの,ほかの作家 の もの)を較べて 読む課題 ( 作品に対す る広 い読みをね ら うが ,主 として構造課題

として使 う)。

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第 4 章 芥 川 龍 之 介 の 『蜜柑 』

中国では芥川の作品は教材 として,『 羅生門』 の外に,『 鼻』 ,『 杜子春』 ,『 蜘妹の糸』が よく採 用 されている。 これは思想やテーマ‑の直結性が強い結果 とも思われ る。テーマ性を追 うのでは な く,芥川文学そのものの魅力を味わ うには,私は 『 蜜柑』を取 り上げた方 が よい と思 う。『蜜 柑』の主人公 「 私」の性格は,暗 くて,怠惰で,倣慢なのだ。なに も教育的な役割 ,意義を持た ない と言える。しか し作品の綿密な構造 ,巧みな描写に よって , 「 非常に微妙な,鮮やかな効果を 持 っている 」 ( 堀辰雄)。作品のこうした魅力を,読み手は表現に よって理解 し,楽 しんでい くこ

とができる。

『 蜜柑』は 日本の高校 の教材 として使用 されている。対比 と象徴の表現に注 目して,また全作 品を二つの場面に分けて読む,或いは主題を考えさせ るな どの方法で指導 されている。私はそれ だけでは , 『 蜜柑』の表現の豊か さと巧みな描写 ,厳密な構成を十分に理解す ることができない と 思 う。主題を考えさせ るような扱い方にも賛成で きない。

『 蜜柑』の構造を考える際 ,三 田村の構造図式に学びなが ら , 「 枠」の概念を取 り入れ る必要が ある。 \ Yu.M. ロ トマンは 「 文学作品の枠細. みは,始め と終 りとい う二つの要素か らなっている。 」 と述べている。作品は 「 始め」か ら 「 終 り」へ と展開す る際 , 始め」に設定 され る状況はある過 程を辿 って,結末を迎 えるCその過程は作品の膨 らみ といえ,ロ トマンは 「 始め と終 り」の中に 含めている。私はこの膨 らみを 「 始め」 と 「 終 り」を繋げ る 「 出来事」 と考えたい。

『 蜜柑』の 「 始め」は , 私」が 「 疲労 と倦怠」に悩 まされていると設定 される。 ところが,め る 「 出来事」に よって , 私」に この 「 不快」 と違 う感情はもた らされる。小娘 と弟たちの別れの 場面に出会 うことに よって,それまでの 「 憂 密 」を 「 わずかに忘れ ることができた」結末 となる。

まさに 「 枠」 のある作品だ。

『 蜜柑』は 「 私」の気持ち , 私」を取 り巻 く状況の変化に よって 8 つの形式段落に分かれてい る。作品の展開に質的で,必然な役割を持 っていて,ち ょうど場面の転換を意味 している。その 8 つの形式段落を 8 つの場面 として分ける。『 蜜柑』の構造を次の ように,設定一 出来事一結末の 連続す る 3 段階に切 り分け ることができる。

「 設定 」 ( 抽象) 場面 1 「 私」の精神状況 ‑ 憂欝 と倦怠 ( 冒頭か ら 「 ‑‑元気 さえ起 こら なか った

」 まで。 )

「 設定 」 ( 具体) 場面 2 小娘に出会 う ( 「 が ,やがて発車の笛が鳴 った 。 」か ら 「 小娘の顔を一 瞥 した 。 」 まで。)

場面 3 小娘 の様 子 ‑ 不快感 ,怒 りが加わ る (「そ れ は油 気 の な い髪 を・ ‑ ・ ・ 」か ら ト

‑・ それ‑はいったのである。 」 まで。 )

場面 4 新聞の平凡 さ ‑ 不可解な,下等な,退屈な人生の象徴 ( 「しか しそ の電燈の光に・ ・ ・ ・ ‑ 」か ら 「 ‑‑ うつ らうつ らし始めた 。 」 まで。 )

「 出来事」 場面 5 小娘が窓を開けた ‑ 「 私」は咳 ごみ ,小娘を叱 りつける寸前にまで なる (「 それか ら幾分か過 ぎた後 であった。 」か ら 「

‑窓の戸を しめ

させたのに相違なか ったのである。 」 まで。 )

場面 6 小娘が蜜柑を投げる ‑ 「 私」は思わず息を呑んだ ( 「しか し汽車は その時分には,・ ‑・ ・ 」か ら 「 弟たちの労に報いたのである。 」 まで。 )

「 結末 」 ( 具体) 場面 7 「 私」 の感動 ‑ 「 私」に朗 らかな気持ちが湧 き上がる ( 「 暮色を帯

(9)

表現課題 に よる日本文学作品の読みの指掛 こ関す る研究

2 3 9 びた町はずれ の踏切 りと,‑ ‑ ・ 」か ら 「しっか りと三等切符 を握 って いる。‑・ ‑ ‑‑・ 」 まで。)

「 結末」 ( 抽象) 場面 8 「 私」 は退屈 な人生をわずかに忘れた ( 私は この時始めて , 」か ら最

終行 まで。)

『 蜜柑』 の構造を踏 まえて ,作 品分析 を した上 ,表現に注 目して課題 を設定 した。構造課題 と しては,蜜柑 の色 と空の どん よ りとした色の コン トラス トに注 目して ,蜜柑 の鮮やかな登場 ,た ちまちか ら りと裏返 された 「 私」 の心持 ち とのダイナ ミックな変化の対照 として読み取 り,作 品 全体 の意味を理解す るように設定 した。

第 5 章 井 伏 鱒 二 の 『山根 魚 』 と 『鯉 』

5. 1 井伏鱒二 をなぜ読 むのか

井伏文学 には 日本文学 の 「 持つ微妙な面 白さ 上 「 〔 井伏 の〕作 品で しか表現で きない文学 の面 白 さ,醍醐味」 ( 紅野敏郎)があると言われてい る。中国人学習者に 日本の文学 作 品 を読 む ことに よって ,語学力をつけ ると同時に ,日本文学 の特色及び 日本 文化 に触 れ るい い機 会 を与 え るた め ,新鮮 で ,日本的な味わいに富んだ井伏 の作品を取 り上げたい。

5,1.2

井伏文学の難解 さ

現在井伏の作品で 日本 の国語教材 とな っているのは ,『山版魚』,『 屋根 の上のサ ワン』 な どだ。

『 鯉』 は ,以前 も使 ったが ,その うちに使わな くな ったCその理 由は ,早稲 田大学 のプール とい う公共施設に鯉を放つのは , 「 教育上 ,よくないか らだそ うだ」 ( 長谷川泉)

0

『山板魚』について は , 「どこかひ ょうきんな感 じがす る」 とい う生徒 もいれば , 「 い じめ」 とい う生徒 もいるC全体 として井伏 の作品は 「まった く分か らない とい う生徒 と,なん とな くほのかに感 じるとい う生徒 と,かな り受け とめ方が違 っているJ,といわれている。 「 明確なテーマ設定」 が され てい な く,

「 露骨やセ ンチ メンタルな ところを排除 してい く」( 紅野敏郎)井伏文学 の特徴 は ,同時に生徒 の 難解に繋が っている。

山版魚は蛙を苛めて,絶望に陥れた ように書かれているOそれは作 品の中でただ一つの場面設 定 であるに過 ぎないが , 「 い じめ」として読んで も可笑 しくはない と思 うD井伏文学 にはその よう な大 きさも持 っている。 しか しテーマに こだわ ることな く,そ こに流れている情緒的 ,雰囲気的 な ものをほのぼのであ りなが ら,可笑 しくてお もしろい とい うよ うな新鮮 なイ メージとして学習 者に感 じさせ ,理解 させ る授業がで きれば ,学習者の読みが楽 しくな って くるだろ う。

5. 2 『 山根魚』

5.2.1

高等学校国語教科書の扱 いの検討

『 L L J 板魚』 の教師用 「 指導 と研究」 に書いている次の 3 点に疑 問を持 ってい るO ( 1 ) 「 作者」 を通 じて作 品を理解 しようとす る

「 山板魚は片上伸 の象徴 であ り,蛙が井伏 自身の象徴」であ り,『山版魚』は 「 師片 上伸‑の井

伏 の一つの鎮魂」とい う。『山淑魚』は当時の社会状況におけ る井伏 自身の投影 ともいえ よう。だ

が作 品をそのまま作者を推 し量 る材料 の よ うに読んで しまっては ,作 品本来の よ り豊かで ,深 い

意味が損なわれ ると思 うO

(10)

240 教育学部紀要 第69号

( 2 ) テーマを中心に して読む

当教科書では,作品の終結部が削除 され る前の本文をテキス トに している。 「山坂 魚 と蛙 の対 立か ら和解に至 る部分には,テーマや表現の上か らみても重要な意味が含 まれてお り,教材 とし ても有意義である」 と判断 された結果である。修身的な役割を意識 しているのだ。 テーマとす る

「 和解」 として読 まれ るか どうか も一つの疑問である。

( 3) ユ‑モアを見逃す

山板魚の苦境について,語 り手は時々顔を出 している。それについて , 「この部分は,語 り手 と しての作 者が顔 を 出 してい る ところで ,‑‑作者 が山板 魚 に対 して深 い同情 を示す 内容 で ,

‑ ‑‑ 」 と説明されている。

まず作者を持ち出す ことは作品その ものを読む ことには必要がない と思 う。 またそれ らの部分 を語 り手の同情 として読む と,ユーモアは感 じられな くなる。語 り手は一見山板魚を庇 うように 呼び掛けているが , 「 痘痕病者」 , 「 最 も人間嫌いな囚人」な どとい う一連の極端な比境か ら,読み 手には 「 馬鹿なやつだな」 と聞 こえる。「この山板魚を噸笑 してはいけない」といいなが ら,語 り 手 こそ山板魚を 「 噸笑」 しているのだ。それを感 じとると,読み手は思わず吹き出す。吹 き出す

とともに 「しようのないやつだな あ 」 と読み手の方か ら山板魚‑の同情を生む。戸坂の述べてい る 「 笑いの論理的構造」を現 している。

語 り手は山板魚を庇 うように描写 しているが,実のところは山板魚を皮肉 ってい る。 「 肯定 の 側に立つ ような外見」,いわば 「 褒めるのはクサすため」のアイ ロニーである。文章構成上の効果 になると,山板魚を 「クサす」ことが読み手の同情を買 うことになる。「 否定の側に立つ ように見 せかけ」て,肯定す るまでにほいかないが , 「 なごやかな雰囲気」を もた らしている。ユーモアの 手法ではないか。

5. 2. 2 『山根魚』の構造

作品全体は 1 行あきに よって ,7 つの形式段落か ら構成 されている。最初の形式段落ではすで に山淑魚の悲 しみに至 る状態を指 し示 し,山淑魚 と語 り手 とい う2 つの視点を同時に提供 してい る。山板魚の悲惨な状況 とそれに対す る内面的な変化の進行に即 して,7 つの形式段落を独立 さ せなが ら,それを重ね ることに よって,山坂魚の状況を突 き詰めて,彼の悲 しみを深めてい くと い う構造だ。 この 7つの形式段落を 7つの場面 として考える。

場面 1 山板魚の悲 しむ状況 ‑ その状況に対す る山板魚の 自信 ( 冒頭か ら 「 ・ ‑‑うまい考

‑がある道理はなか ったのである 。 」 まで。 )

場面 2 岩屋の内外の状況 ‑ 山板魚の思い上が り (「 岩屋の天上には , 」か ら 「 山板魚は今 に も目が くらみ さ うだ と咳いた 。 」 まで。 )

場面 3 小蝦に出会 う ‑ 自分 自身の苦境が思い知 らされ る ( 或 る夜 , 」か ら 「 全 く蝦 くら

ゐ濁 った水のなかで よく笑ふ生物はゐないのである 。 」 まで。 )

場面 4 神様にすがる ‑ 「 寒いほ ど独 りぼ っち」 とすす り泣 く ( 山板 魚 は再 び こころみ た。 」か ら 「 ・ ‑‑聞きのが Lは しなか ったであらう。 」 まで。 )

場面 5 蛙を閉 じ込める ‑ 悪党にな りさがる ( 「 悲款に くれてゐるものを , 」か ら 「 ・

.

・ ・ ・ ・ 主 張 し通 してゐたわけである。 」 まで。 )

場面 6 両者がいがみ合 う ‑ 弱みが相手に見抜かれて しま う (「 一年の月 日が過 ぎた。 」か

ら 「 お前 こそ,そ こか ら降 りて来い」 まで。)

(11)

表現課題 に よる日本文学作 品の読み の指導に関す る研究 24Ⅰ

場面 7 蛙 と対立す るまま最期 を待つ主人公 の絶 望 (「 更 に一年 の月 日が過 ぎた

」 か ら最終行 まで。)

5. 2. 3 『山根魚』 の作品分析

『井伏鱒二 自選全集』 におけ る 『山版 魚』 は ,元 の終結 部が削除 され てい るo その削除 され た 部分が あ った場合 となか った場合 とに よって ,作 品のイ メー ジが違 うだけ ではな く,あ った場合 で も,読み手 の予想 の仕方 に よって ,意味が変 わ り,解釈が分かれ て くる。改作前 では ,山板 魚 の 「 友情 を瞳 に込 めて」 とい う描写 に注 目すれ ば ,2 年 も と もに狭 い岩 屋 を過 ご して きた相 手 に ,仲 間同士 の感情 が芽生 えた と言 え よ うO 「 お前 は今 ど うい うことを考 えて い る よ うな のだ ろ うか ?」 と言 ったのほ ,蛙 は 自分を責めてい るのか ど うかを さ ぐる と同時 に ,許 して くれ ,と期 待す る。 「 今 で もべつ にお前 の ことをお こってほいないんだ。」 とい う蛙 の 「きわめて遠慮 がち」

な答 え方 は ,山板 魚に対す る気づか いに見 られ る。 こ うして両者 の間に ,山板 魚 の 自責 と蛙 の思 いや りに よって ,両者 の痛 ま しいいたわ りを示す和解 の結末 と して読 み取 る ことが で きる。

一方 , 「 お前は ,さっき大 きな息 を した ろ う?」 と待 ちに待 った相手 の不覚に対 して ,山板 魚は 一種 の勝利感 を もって尋ねた とも考 え られ よ うo 「 それが ど うした ?」 とい う反 問 も蛙 の精 一 杯 の抵抗 を示す. 「 そんな返 事をす るな。 も う,そ こか ら降 りて来 て もよろ しい.」 まるで敗者 に対 す る勝者 の恩 恵 の よ うな ものだ。 山版 魚 は 自分 の行動が結 局蛙 を死 に陥れ るに過 ぎない とい うこ とに ,なん とな く気付 き始 めていた。 「 お前は今 ど うい うことを考 えてい る よ うなのだ ろ うか ? 」

とい う山板魚 の問い掛け には ,も し蛙 は責 めて くれた ら , 「 す まなか った」とい うつ も りが あるか も しれ ない ニ ュア ンスを漂わせ てい る。

「 今 で もべつ にお前 の ことをお こってはいないんだ O 」と言 った よ うに ,蛙 は 自分 を閉 じ込 め る とい うことで しか ,悲 しみを紛 らわす ことがで きなか った山板 魚がそ の無意味 さに気付 いていな か った愚か さを見抜 いていたOだが , 自分 の本 当の気持 ちを山淑 魚 に言お うと しないO言 った ら 山板魚 を軽蔑す る ことにな る。 山版魚 を軽蔑 して も自分を解放す る ことがで きず ,今 さら謝 って もらって も,自分 の事態 は よ くな るわけはない。

山板 魚に とってほ ,謝れ ば ,それ に よって ,心 の一つ の救 いを味わ うことがで きるo Lか し, 蛙 は山板 魚を許 さないで死 んでい く。残 ってい るのは山板 魚 だ 。 蛙 に対 す る 自責 の念 は段 々深 まってい くしかない。限 られた空間の中で , 自分 の した ことの恐 ろ しさ,辛 さをひ と りで味わ っ てい く。 山淑 魚 の完全 な絶 望‑ と落 ちてい くことを匂わす結末 である (この よ うな読 みは ,1 9 9 0

年 山川和長 の卒論 「 文学作 品指導 『山敵魚 』 」 に よった)0

ところが ,この十数行 を削除す る と,イ メージは違 って くる。 短 い 2 行 半 に 2 回 も出 て い る

「 お互 に」 とい う言葉 が 目立 って くる。 自分 の歎息 が相手 に聞 こえない よ うに ,依然 と虚勢を張 り通す両者だが ,それ までの 「 俺」 と 「 お前」の断固 とした対立か ら , 「 お互に」 とい う相互的な 新 しい認識 に変わ る ことを意味す る。蛙 に とっては ,否応 な しに狭 い空 間を共有 してい くしか な い諦 め ,山版魚 に とってほ ,まさに望 んでいた道連れがで きたのだ。山敵魚 は , 「 独 りぼ っち」で はな くな る。 に もかかわ らず ,自分 自身 を不幸か ら根本的に救 い出す ことはで きない。蛙 も閉 じ こめ られて しまった現実 を受け とめ ざるを得 な くな るが ,両者 は許 し合 うことがで きず ,対重 の ままであ った.死んだ よ うな静 ま り返 った中に置かれ る両者 の シー ンが , くっき りと読み手の 目 の前に浮か び上が って くる。そ して冒頭 か ら悲 しいほ どにはかげた 山椴 魚は , こ うして最期 まで

も , 「 不 自由千万 な」 辛 さを味わ う姿勢 であ り続 け る。

(12)

242 教育学部紀要 第69号

『山板魚』の構造課題 としては,次の ように作 った。

構造課題 このラス トシーンは,改作 まではさらに十数行があ りま した。二つの作品を読 衣,比較 して見 ましょう。

ところが山淑魚 よ りも先に,岩の くぼみの相手は,不注意に も深い歎息を も らして しまった。それは 「 ああああ」 とい う最 も小 さな風の音であった。去年 と同 じく,しき りに杉苔の花粉の散 る光景が彼b欺息をそ そ のか した の で あ る。山板魚が これを聞 きのがす道理はなか った。彼は上のほ うを見上げ ,かつ 友情を瞳に込めてたずねた。

「 お前は,さっき大 きな息を したろ う ?」

相手は 自分を鞭撞 して答えた。

「 それが どうした ?」

「 そんな返事をす るな。 もう,そ こか ら降 りて来て もよろ しい。 」

「 空腹で動けない。 」

「 それでは,もうだめな ようか ?」

相手は答えた。

「もうだめな ようだ。 」

よほ どしば らくしてか ら山坂魚はたずねた。

「 お前は今 どうい うことを考えているようなのだろ うか ? 」 相手は きわめて遠慮がちに答えた。

「 今でもべつにお前の ことをお こってはいないんだ 。 」

答 改作前 :山板魚は死に瀕す る蛙の気持ちが気にかかる。 「 お前は今‑‑ よ うなのだ ろ う か ? 」 と尋ね るのは,蛙が 自分を責めているのか どうかを探 ると同時に,自分 の ことを許 してほ しい と期待す る。

「 友情を瞳に込めてたずねた」山淑魚に ,蛙は 「 今でもべつに‑ ‑ 。 」と 「きわ めて遠慮がち」に答えた。 これ らの描写か ら,恨んだ り,抗争 した りす ること を経てか ら,どうに もな らない現状を ともに受け入れ るため,結ばれた両者の 痛 ましいいたわ りを示す和解の結末 としても読み取 られている。

しか し,山板魚はやがて 「もうだめな ようだ 。 」とい う蛙の言葉に よって,自分 の行いが結局蛙を死に陥れ るに過 ぎない ものであった ことに気付 き始めた。 こ れに対 し , 「 今でも‑ ‑ 」と書かれているように,山板魚に対す る蛙の態度は変 わっているわけではない。 したがって,和解の結声 として読むには無理がある。

蛙は 自分を閉 じ込めるとい うことで しか,悲 しみを紛 らわす ことができなか っ た山板魚が,その無意味 さに気付いていなか った愚か さを見抜いていた。蛙の 遠慮がちな言葉を聞いて も,山板魚は故意に閉 じ込めてや った相手に許 しを乞 うつ も りはない。それは屈辱的なことであるがゆえに , 「 お前 は今 ど うい うこ とを考えているようなのだろ うか ? 」 とい う,あの名せ りふで しか山板魚の気 持ちを汲み取 ることができない。山淑魚が完全な絶望‑ と落ちてい くことを匂 わす結末 として読み取 った方が よ り適切ではないか と思 う。

改作後 : 「 和解」説を誘発す るような描写が削 り取 られた。 さらに,静寂の世界に導 く

特徴があ り,救い出 しようのない極限状況の厳 しさを よ り浮 き彫 りにす ること

ができる。

(13)

表現課題 に よる日本文学作品の読みの指導に関す る研究

2 4 3 この ラス トシーンの改作前 と改作後 の比較 に よって,表現に即 して ,学習者が 自ら作 品世界の 違 う効果を味わ い,文学を読む楽 しい体験がで きることを狙 ったO この課題 を 7 人の 日本人大学 生に与えた ところ,それについて ,彼 らは次の よ うな回答を書いて くれた。

「 改作す ることで ,二匹がそ っと死をむかえることの効果をね らった。 また ,読者 の想像 に ま かせ ( 下線は原文 のまま),作品その ものの中で ,生 とい う,まだ外界‑出 られ るか もしれない と い う可能性 を残 したのか。想像 の幅を広げた」 , 「 山板魚 と蛙 の和解 シーンがな くな り,お互 いに 黙 って歎息 を もらさない ように注意 している場面 で終わ ることに よ り,一層 の深 い闇が作品をお おい,読む人に よっては,さらに暗闇が深 くなると考 えるか もしれない し,また最 も深 い ところ までいったのだか ら,次は上が る一方で ,希望 とい う和解があるとい うよ うに考 えるか もしれな い し,読み手に結論を まかせたO読み手のJ bのあ りかたに よって結論は さまざまになる」。

この よ うに,学習者が作品を作者 と切 り離 して ,表現に即 して ,二つの ラス トシー ンの違 う効 果を味わ う,この 「 なかなかぜ いた くな楽 しみ」 ( 鈴木貞美)を 自ら体験す ることがで きた。

課題 を作 るのは,学習者に謎 ときの緊張感 と混 じり合わせなが ら,作 品の仕観 みを考 える契機 を与えるためだ。『山板魚』では ,皮 肉で噸笑的な語 り手の言葉 と,皮 肉 どころではない山淑魚の 途方 もない嘆 きが同時に交錯 しているoた とえば部分課題 6 としては,次 の ように設定 した。

部分課題 6 「 た った二年間ほ ど私が うっか りして ゐ た の に,. . ‑‑ 」(p6,3‑ 4 行) と あ りますo

「 た った二年間ほ ど」 と場面 1 の 「まる二年 の間に」 を比較 して,その効果を

答 「 まる二年 の間に」はた っぷ りした二年間の長 さを強調す る効果があ り , 「 た った二年 間ほ ど」 は二年 間ばか りのわずか さを意味す る効果がある。客観的に見て長 いが ,山 敵魚の主観的に見て短 い とい う可笑 しさを感 じさせ る。

ね らい 山板魚 と語 り手 の捉 え方 のギ ャップに注 目し,山板魚の愚か さを笑い ,また真剣に神 様 に泣 きすが る彼 の無 自覚 さ,可愛 らしさを読み取 る。

両者の表現の微妙な違 いに注 目す ることに よって ,山板魚の悲 しみをぼやか し,読み手の笑 い さえ誘 う効果を読み取 ることがで きよ う。

語 り手は山板魚を噸笑 して も,読み手はそ こか ら押 しつけが ま しい教訓性や寓意を感 じない。

読み手は山板魚の失敗 ,間抜けを噸笑 しなが ら,山板魚をむ しろ優 しく受け止めて しま う。人生 の馬鹿げた ことを寛容な 目で眺め ,不幸 とか不遇 とい うもの も寛容 な 目で眺めてみ ると,む しろ に っこ りと笑 って しま う。 ペー ソスを交 えたユーモアの世界は ,山淑魚の悲劇を和 らげ るようで あ りなが ら,その働 きとしては一層悲 しさを引 き立たせ る. この味わいが ,読み手の心を 自然に とらえ,読み手の共感を引 き出す。作品の魅力を増す。

5. 3 『 鯉』

9 3 年 出版 の高校 国語 ( 『 新編現代文』,東京書籍) の中に, 『 鯉』が また採用 され る よ うに な っ た。教師用指導資料には作者の こと,語句の読み取 り,鑑 賞 な どにつ いて書 い てい る。 そ の中 で,問題 とすべ き点は次の 4 点である。

( 1 ) 「 昨今 ともすれば見失われがちな 『 友情』 とい うものの美 しさ・ ‑‑」 な どの よ うな狙 い

(14)

2 4 4

教育学部紀要 69

で,主題読みを強調 している。作品か ら慈意的に教訓を汲み取 らせ るのではな く,作品その ものを読 ませたい 」

( 2 ) 教材の分析は素晴 らしいが ,それをいかに教え,学習者に納得 させ るか とい う指導過程の 問題では具体性を欠いている。きわめて具体的に書かれている,「 語句や漢字の学習」,「 漢字 テス トを行 う」ことな どは, 『 鯉』を理解す る上で意味はない。漢字の書 き取 りな どは表現効 果の味わいとは別に扱 うべ きだ。

( 3) 授業展開上の指導過程はつかみ どころのない内容になっている。 「 なぜ悩 まされ て きた の か」,「 なぜ満足 したのか」の聞き方な どではな く,表現 の微妙 な ニ ュア ンスや魅 力 に注 目

し,考えを深めてい くような設問が望 ま しい。

( 4) 「 指導上の配慮に より」,教材が結末の部分で 「 彼等は鰭がなか った り,目や 口のないもの さへあった。 」 とい うくだ りが省略 された。 しか し,この ように鮒や 目高た ちの 「 愚かで惨 め」な具体的な描写がな くなると,「 長 さ三間以上 もあろ うとい う」 「 私の白色の鯉」 との対 照がぼやけ ,「 私」の切ない 「 満足」は弱 くな って しま う。差別表現であるため,トラブルを 起 こす ことを心配す るぐらいな らば,『 鯉乱を採用 しない方がいいO省略 されたかたちでは, 作品 として読み取 ることがで きない。

私は修論で 『 鯉』を取 り上げた時 ,表現の読み取 りな どは不十分だ った。場面の概念がなか っ たため,場面における表現の効果を追究す ることができず ,設問 もあ くまで も表現に注 目しての ものではなかった。今回は上述のカテ ゴ リーに もとづいて,作品をあらためて分析 した上 ,表現 の必然性 ,多義性を読み取 ることができるような課題を設定 し,指導案を作 った。

た とえば場面 3 では,「 私」がプールで蓮 しく泳 ぐ鯉を見てか ら,「 私の鯉」,「 私の所有にかか る鯉」を繰 り返す。そ こに友人‑の思いが もちろん寄せ られている。 しか し,それだけには限 ら ない。「 私」は鯉を通 じて様 々に悩んで,苦 しんで,心配 もしてきた。そ こ‑ 自分の様 々な気持ち を離 らせて生 きている鯉の元気な姿を確認す ることができた。鯉が久 し振 りに見つか った 「 私 」 の嬉 しさ,新鮮 さを 「 私の上 「 私の・ ‑ ‑ 」 とい う表現で強 く示 し出 している。場面課題 3 として は,この ような重要な表現に気づかせ ることに よって,鯉を通 して 「 私」 と友人の友情を述べて きた これ までの場面か ら,鯉は 「 私」の心情を託す精神的な象徴 として,「 私」と関わ ってい く場 面‑の転換を読み取 るよう次の ように設定 した。

, 場面課題 3 「 私の所有にかかる鯉を どんなに偉 く見せたか もしれなか つたのだo 」 (p7,6 行‑ 7 行) とい う表現を,次の ように書 き換 えた とします.

答 鯉の 「 所有権」を力んで主張 した場面をあらためて想起 させ られ る。友人‑の思い, 鯉を通 じて様 々に悩んで,苦 しんで,心配 もしてきた 「 私」 の気持ちを浮 き彫 りにす る。

ね らい 鯉を通 して 「 私」 と友人の友情を述べてきた これ までの場面か ら,鯉は 「 私」の心情 を託す精神的な象徴 として 「 私」 と関わ ってい く場面‑の転換に注意す る。

友を失い,失職 した悲 しみを,王者の ように自由自在に泳 ぐ鯉 を見 てか ら,慰 め られた こと

(15)

表現課題による日本文学作品の読みの指卦こ関する研究 2 4

で ,ここで 『 鯉』 の幕 を閉 じて もおか しくはないO美 しい結末 さえ見 え るo Lか し,場面 は感動 した夏 の早朝か ら,寒 い冬 に移 ってい く。

「 私」は氷 の上に大 きな鯉 の絵 を描 く.「 私」の鯉 と して もっと能動的に表現 したか った。立派 な大 きい鯉 の絵 を描 きあげた ことに よって ,鯉 に抱 いて きた 「 私 」 の友 人 ‑ の深 い思 い が も う しっか りと した形 と して 「 私」 の心 の中で きちん と収 まった。世 の中の詰 まらない ことは小魚 の よ うだ。立派 な大 きい鯉 の絵 に ,プールで成就 され た感動 を氷 の上で も う一度味わ うことがで き た。淋 しい思 いを埋 め る ことは不可能 だ と分か っていて も ,描 か ざ るを得 な か ったo そ れ だ け

「 私」の思 いが深 くて切 なか った。 「 私」の孤独感 ,淋 しい空 自は ,踊 り上が る大 きな鯉 のイ メー ジで ,この時 , 「 す っか り」満た されたのだo悲 しくて ,美 しい結末 にな るO

修論 の時 ,この場面が ある場合 とない場合 とを考 え る ことに よって ,作 品の構成 か ら主人公 の 気持 ち ,物語 の感情 の流れ までに分けて ,その異 な る効果 を味 わ うよ うな課 題 を作 った。 今 回 は ,この場面が あ るか らこそ , 「 ペ ー ソスを交 えた ユーモ ア」の深 い余韻 を持つ結末 とな ってい く

ことに集 中 して理解 で きる よ うに構造課題 を設定 した。

結 到達点 と残 され た課題

これ らの課題設定 に よって ,形式的に作 品を理解 させ る ことな く,表現 を分析 して ,作 品 の面 白さに迫 り,理解 させ てい く,そ うした授業 の出発点 を見 出 し得 た と思 う。 この方式 を用 いて , 日本人 の大学 生に 『 蜜柑』 の授業 を実施 し,そ の有効性 を見 出 した とともに ,改善 の方 向を示す ことがで きた。 中国人学 生へ の指導過程 と して も,基本的には有効だ と考 え られ る。

作 品の表現 の膨 らみや味わ いを正確 に指導 してい くと,中国人学 習者 も,その作 品の世界 を よ り深 く理解す る と同時に , 日本文学 の面 白さと魅 力 の一端 を感 じとることが で きる。 この よ うな 体験 を重ね ることで ,学 習者 自身 の 日本語 に対す る豊 かな理解力 と細やかな感受性 を養 い ,ひい ては 日本文化 ,異文化へ の開眼 ,積極 的な理解 に導 くことに も役立つ。 これ が外 国語教育 の真 の

目的だ ,と私 は考 えてい る。

私 としては , 日本 の文学作 品につ いて ,指導案 の作成や授業 の実践 を通 じて ,さらに 「 表現課 題方式」を深 めてい きた い と考 えてい る。「 表現課題方式」の指導過程論 の よ り豊かな展 開のため には ,まだ様 々な問題点 を抱 えてい る。今後 引 き続 き優 れた作 品を分析 し,具体的な指導案づ く

りと授業 の実践 を重ね てい きたい と思 う。

参 考 文 献 赤祖父哲二 『 現代批評文学論‑ 方法と実践』,中教出版 ,1 9 7 9 年O

浅見淵 「 井伏鱒 二 」,小沼丹 ・他 『 群像 日本の作家 1 6 井伏鱒二』,小学館 ,1 9 9 0 年。

ベルクソン 『 笑い』,林達夫訳,岩波文庫 ,1 9 91 年。

陳学超 「 典型的迷憎与重建」( 「 典型の惑いと再建」 ) ,『 文学評論』,中国社会科学出版社 ,1 9 8 7 年 6 月Q E.M. フォースター 『 小説とは何か』,米田一彦訳,ダべイッド社 ,1 9 6 9 年。

漏夢竜揮 『 笑府‑ 中国笑話集‑ 』( 上),松枝茂夫訳,岩波文庫 ,1 9 8 3 年。

藤岡信勝 「 詩の 『 多義性』を読む (1)‑ 『 蟻 』( 工藤直子)を例にして ‑‑ 」

,

『 授業づ くりネ ッ トワー ク』第 3 巻第 1 5 号,通巻 3 2 号,学事出版社 ,1 9 9 0 年 1 2 月C

福田清人編 『 ひとりで学べる現代国語』,清水書院 ,1 9 7 5 年。

浜田正秀 『 文芸学概論』,玉川大学出版部 ,1 9 7 7 年。

(16)

2 4 6

教育学部紀要

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参照

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