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中 世 小 説 『 七 夕 』 と 先 行 文 献 の 関 係 に つ い て

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(1)

中世小説﹃七夕﹄と先行文献の関係について

勝 俣

 中世小説﹃七夕﹄は︑天稚系と七夕系に分かれる︒本稿では︑

そのうち︑七夕系とその先行文献と言われている作品との関係を

改めて検討してみたいと思う︒

一︑七夕系の先行文献について

 七夕系の先行文献については︑既に幾つかの指摘がある︒その

中で注目されるのが︑七夕系が︑エロスとサイキー︵愛と心︶の

ギリシア神話に由来するという説と︑藤原為家﹃古今集注﹄承引

の乾陸魏長者諏と一致するという説である︒前者は︑野々口精一

氏により︑明治時代より説かれ︑後者は︑三谷栄一氏により︑昭       和十四年に発表された︒エロスとサイキーについては︑土居光知

氏も﹁弱卒ースとアメワカミコ﹂の論文の中で︑詳しく論じられ    ている︒そこで︑先行論を踏まえて︑エロスとサイキーの神話が︑

本当に天稚御子の物語と関連を持つのか否かを︑愛甲魏長者謹と

の関わりを含め︑検討してみたいと思う︒

二︑野々ロ精一氏・土居光知氏の説について

 野々口精一氏の論を︑さらに詳しく論じられたのが︑土居光知

氏なので︑最初に︑土居光知氏の論に基づき︑検討してみたい︒

 氏は︑ギリシアの東北隅に位置するテッサリア州︑及びエーゲ 海の東岸のアイオリス・イオニア地方で語り伝えられた古物語を基にパトライのルキウスが物語った﹃騙馬﹄を粉本として︑ルキウス・アプユレウスが紀元二世紀に創作した﹃黄金の騨馬﹄に所収される﹁クピードとプシュケ﹂︵所謂︑エロスとサイキー︶を︑我が国の中世小説﹃七夕︵あめわかみこ物語︶﹄と比較し︑その影響関係を論じられた︒ 氏が両者の類似点として挙げられているのは︑次の諸点である︒①王と妃に三人の娘がおり︑いずれも美人だが︑中でも末娘が最 も高貴で美しいという設定と︑長者の三人の娘の中で︑末娘が︑ 心ばえも美しさも一番優れているとしている点︒②末娘に化け物の嫁になる神託が下り︑山の岩の上に一人残され た点と︑大蛇の手紙に従い︑末娘が池の前に一人残された点︒③化け物は︑実は美の青年神馬ロースであった点と︑大蛇から美 しい青年の姿の学習御子が出現した点︒④立派な宮殿に住み︑姿の見えぬ大勢の召使にかしずかれる王女 と立派な御殿に住み︑多くの召使にかしずかれる姫君となる点︒⑤二人の姉が宮殿を訪れ︑妹の栄華を嫉妬する点と︑二人の姉が 御殿を訪れ︑妹の栄華を嫉妬する点︒⑥二人の姉の勧めで︑男との約束を破ってしまう点︒前者は︑姉

 二人から短剣で化け物の男を殺すように勧められ︑見てはなら

勝 俣 中世小説﹃七夕﹄と先行文献の関係について十七

(2)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第五十四号十八

 ないと言われていた男の姿を見てしまい︑後者は開けるなと言

 われた唐櫃を姉二か年鍵を探して無理に開けてしまう点︒

⑦約束を破られた男性が女性の許を去ってしまう点︒前者は︑男

 が怒って天上に飛び去り︑後者は︑男が天から戻れなくなった

 点︒⑧プシュケが苦労して︑エロースに逢うための放浪と巡礼の旅に

 出ることと︑姫君が一夜ひさごに乗って天上に赴き︑遥々に尋

 ねながら︑天稚御子を探す点︒

⑨プシュケがエロースの母のアプロディーテから様々な難題を受

 けることと︑姫君が天稚御子の父から様々な難題を受ける点︒

⑩最初の難題が穀物の選別で︑多くの蟻の援助があることと︑最

 初の難題が米を倉から倉に運ぶことで︑多数の蟻の援助がある

 点︒⑪難題の二番目が金色の羊の毛の一束を取ってくることで︑一方︑

 難題の二番目が千頭の牛の放牧をすることである点︒⑫第三の難題がコーキトス川から水を汲む危険な水汲みである

 点︑第四の難題が黄泉国から化粧箱を持ってくることで︑一方︑

 第三が蛇の室屋・第四がムカデの室屋という地下の暗い危険な

 部屋に閉じ込められる点︒⑬プシュケが化粧箱を開くと黒い煙が出て︑昏睡状態になった点

 と姫君の姉が唐櫃を開くと煙が空に昇って︑御殿や召使が消え

 てしまった点︒

⑭最後にゼウスの許しを得て︑プシュケとエロースは無事に結婚

 することが出来たことと︑最後に父の許しを得て︑姫君と天稚

 御子は結婚できた点︒

 以上のような諸点や全体の流れから︑土居光知氏は︑﹁クピi ドとプシュケ﹂は︑中世小説﹃あめわかみこ物語﹄と関連があるとされ︑﹁エロースと天稚御子は兄弟のような間柄であると考えてよいだろう︒﹂とされた︒ 確かに︑両者を比べてみると︑かなり細かい点まで類似しているようである︒特に︑蟻が穀物の選別や米の運搬を援助してくれる点などは︑影響関係があると見なした方が分かりやすいようにも思える︒しかし︑本当に﹁クピードとプシュケ﹂は﹃あめわかみこ物語﹄と関連があるのだろうか︒ 先ず問題とすべきは︑それぞれの本文が適切なものが選ばれているかどうかという点である︒﹁クピードとプシュケ﹂の方は本来は原文で比較すべきと思うが︑外国語の作品ということで︑取り冷えず︑翻訳で済ますのは致し方ないであろう︒一方︑日本の中世小説の場合︑土居氏が利用されたのは︑所謂﹁絵巻系﹂の本文である︒これについては︑先に論じたことがあるが︑古形としての﹃あめわかみこ物語﹄を省略して成立した本文であることは間違いないと思われる︒つまり︑抄出されて成立した本文の内容が﹁クピードとプシュケ﹂に似ているのであって︑本来はもっと種々の要素が加わった︑複雑な内容の本文であったことが推測さ

 ヨ れる︒

 その点から言えば︑﹁クピードとプシュケ﹂から絵巻系﹃あめわかみこ物語﹄が作られたとするのには︑やや問題がある︒古形

としての﹃あめわかみこ物語﹄が︑﹁クピードとプシュケ﹂の影

響を受けているということなら納得できるが︑古形とは大分形が

異なる後生的な内容と本文が似ているということであると︑話は

それほど簡単ではないからである︒

 次に︑実際に詳しく内容の検討していくと︑種々の問題点が出

(3)

てくる︒例えば︑①の三人の美女の姉妹がいて︑末娘が心・容姿

とも優れているという設定は︑何も︑﹁クピードとプシュケ﹂と

﹃あめわかみこ物語﹄のみに見られるものではなく︑土居氏自身

も述べられているように︑シンデレラの三人姉妹︑リア王の三王

女などにも見られ︑特に珍しい設定ではない︒御伽草子でも︑例

えば︑﹃鉢かづき﹄に出てくる三人の嫁では︑﹁三男の嫁御前もつ

とも﹂優れと描かれる︒ということは︑この設定の共通性を両者

の関係の直接的証明として使うのは難しいことになろう︒

 ②③は︑所謂﹁蛇婿入り﹂型の説話としては︑普通に見られる

形式であり︑人間の女性が蛇と結婚したり︑蛇の生賛として捧げ

られると言った形は枚挙に暇がない程存在する︒古くは︑八俣大

蛇と櫛名田比売︑大蛇と弟日姫子︑三輪山の神︵蛇︶と活玉依毘

売など︑皆そうした例で︑昔話にも多数存在する︒

 ⑥⑦の異類︵神︶である男性との約束を︑人間である女性が破ってしまい︑男女の離別が起こるという設定も︑所謂﹁三輪山型

説話﹂の形式としては一般的なものであり︑この﹁あめわかみこ﹂

のみに見られる形式ではないことが次に挙げられよう︒現に︑丁稚系の﹁天々御子﹂に於いても︑天皇の歌に返歌をしてはならな

いという異類の男性との約束を親の無理な勧めで破ってしまった人間の女性の許から︑天盛御子が姿を消すことになっており︑設

定面で共通したものが見られる︒さらに︑自分の真実の姿を見ら

れたために別離が生じるという点に限って言えば︑古事記の伊予

那岐命と伊邪那美命︑同じく豊玉塁壁と火遠絶命の例などが挙げられる︒前者は︑妻からの︑自分の姿を見ないで欲しいという願

いを夫が破って見てしまったために︑後者は︑妻が子供を産む場

面を見ないように願ったにも係わらず︑不審に思った夫が覗いて しまうために︑それぞれ夫婦の恒久的な別離が発生している︒逆に︑倭  日百襲姫命と大物主神の場合は︑妻が見て驚かぬように言われた約束に反し︑夫の姿が蛇であることを見て驚き︑夫婦の別離となる︒これらは︑まさに︑男女の一方が約束を守らなかったために男女の離別が生じてしまうパターンである︒この︿禁止−違反﹀というモチーフは︑島内景二氏も指摘されているように︑﹃鶴の恩返し﹄︵鶴女房・夕鶴︶や﹃浦島太郎﹄などの有名な説話でもよく知られているように︑極めて普遍的に物語の中に見いだされるモチーフである︒つまり︑この設定も︑両者を関係      る づける決定的なものとは言えないのである︒ ⑧の人間の女性が失踪した異類の男性を追って遍歴する物語は︑所謂﹁プシュケー型﹂の物語として︑普遍的に見られるものであり︑両者を結び付ける証拠とはすぐにはならない︒ノルウェーの民話である﹁太陽の東︑月よりも西にあるお城﹂にも︑白熊に求婚され︑立派なお城に住むが︑白熊︵実は王子︶との約束を破りその真の姿を見てしまったために︑世界の涯へ消えた美しい王子を追って遍歴する美しい末娘が描かれており︑﹁クピードとプシュケ﹂と﹃あめわかみこ物語﹄のどちらにも近い内容が見ら

   れる︒

 また︑天上界の上々に行く先を尋ねるという趣向は︑﹁クピードとプシュケ﹂には見られない︒これは︑御伽草子の﹃毘沙門の

本地﹄や﹃おもかげ物語﹄で︑天上界の翌々に尋ねながら︑恋の

相手を探す趣向とむしろ関係を見出せよう︒

 ⑨の難題も︑結婚に当たって親が難題を出し︑それを解決した

時点で結婚を許すという形式は広く見いだせるものである︒例え

ば︑古事記においても︑大穴牟遅神は︑結婚相手の須勢理毘売の

勝 俣 中世小説﹃七夕﹄と先行文献の関係について十九

(4)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第五十四号二十

親である速須佐之男命から︑様々な難題を出されて︑その度に須

勢理毘売の援助で危難を切り抜けている︒特に︑蛇の室屋とムカ

デの室屋は古事記と﹃あめわかみこ物語﹄で全く共通しており︑

﹃あめわかみこ物語﹄が古事記の影響を受けたことを如実に示し

    ている︒さらに︑姫君が天稚御子の袖を振って危難を逃れる場面

は︑古事記でも﹁ヒレ﹂を振って危難を逃れているのと殆ど等し

い︒ということは︑﹃あめわかみこ物語﹄の難題の場面は︑﹁クピードとプシュケ﹂からというよりも︑古事記から来ていると考えた

方が無難であろう︒ ⑪⑫⑬は︑似ていると言えば言えなくもないし︑異なると言え

ば異なるとも言いうる位の類似点であって︑積極的な根拠として

は十分なものとは思えない︒

 このように見てくると︑土井光知氏が両者の類似点として挙げられた根拠の中で︑影響関係があっても奇怪しくないと思われる

のは︑⑩の穀物の運搬や選別に蟻が登場することぐらいではなか

ろうか︒その蟻の記述でさえ︑片方は︑混じり合った穀物の選別︑

もう片方は︑米の運搬であるから︑厳密に言えば︑内容は異なる︒

 つまり︑﹁クピードとプシュケ﹂と﹃あめわかみこ物語﹄は︑

その影響関係の存在の証明は実に難しい状況にあるのである︒基

本的には︑両者は偶然の一致で︑良く似た内容を有するに至った

と見なした方が無難でなかろうか︒

三︑古今集注﹁乾陸魏長者諄﹂との関係

 三谷栄一氏は︑﹃物語文学史論﹄の中で︑この説話の紹介をし

た後︑﹁近古以来︑絵巻に奈良絵本に写本に版本にと栄えたこの

第二説話は︑実は鎌倉時代の初に殆ど同一内容で既に伝へられて るたのであった︒﹂と述べられ︑古今集注﹁乾長座長者謳﹂を︑       ア 七夕系﹃あめわかみこ物語﹄の出典とされたのである︒ 確かに本文・内容を比較してみると︑両者の関係は疑い得ないほど︑よく似ている︒主な類似点は︑次の通りである︒①下女が洗濯をしていると︑大蛇が出てきて︑長者に手紙を見せ うと言って︑口から吐き出す描写︒②その手紙の内容は︑長者の娘三人のうち一人の大蛇への嫁入り を迫るもので︑嫌なら春属を皆殺しにするというものであるこ と︒③三人娘の上二人は︑蛇への嫁入りを拒否し︑末娘が承諾するこ と︒④末娘が蛇に出逢うと︑蛇が刀で︑背を切るように言い︑娘が切 ると︑中から美男が出現すること︒⑤末娘と美男は楽しく暮らすこと︒⑥姉二人がやって来て︑妹の栄華に嫉妬すること︒⑦美男は天上に帰らなければならないと言って︑帰ってしまうこ と︒③美男が開けてはならぬと行った唐櫃を︑姉二人が中を見たがり︑ 無理やりこじ開け︑中の煙を失ってしまうこと︒⑨妹は︑天上に昇って行き︑男に再会すること︒⑩男の父から出された難題を解決し︑男との結婚を許されること︒⑪月に一度を年に一度と聞き違えたために︑一年に一度︑七月七 日だけ逢えるようになったこと︒ 以上は︑固有名詞等は無視し︑内容的類似点のみを列挙したものであるが︑内容的に共通点が多いのは否定しようがない︒ 一方︑厳密に比較すると︑両者の違いも見出される︒

(5)

 まず︑長者は︑﹃七夕︵あめわかみこ物語︶﹄では︑日本が舞台

であると考えられるが︑古今集注では︑中国が舞台である︒また︑

男主人公も﹁彦星﹂と名乗っており︑﹁天稚御子﹂という名は出

てこない︒さらに︑古今集注では妹君が蛇に嫁入りする時に観音

経を持参するが︑これは︑中世小説﹃七夕﹄には見いだされず︑

観音信仰との関わりの有無が一つの相違点となる︒

 また︑姫君が鵡を飼っていて︑鵠に乗って天上に赴くのも︑中

世小説﹃七夕﹄には全く見出されない設定である︒この点につい

ては市岡真理氏も疑問を提出され︑鵠に乗って天上に赴く設定は︑中世の物語・謡曲・芸能に広く見られた﹁遊子伯陽﹂説話に由来       するのではないかと指摘されている︒﹁鴉鷺合戦物語﹂等の﹁遊

子伯陽﹂説話を見ると︑鵠に乗って天上に赴く描写︑七夕説話と

の関係︑天の河の鵡の橋の由来等との関わりが明らかに看取されるから︑首肯できる見方であろう︒さらに︑天上界での難題は姫

君が天の羽衣を織ること︑彦星は牛を千頭飼うことで︑織姫・彦

星の仕事として相応しい仕事が難題として出されている︒これに

ついて︑三谷氏は︑﹁為家注は七夕で一貫してみて構想に無理なく

古雅であった﹂とされている︒これが︑﹃七夕﹄になるまでの過程

で︑彦星の仕事までが姫君苛めの難題に転化されたことになる︒ 以上のことから指摘できることは︑乾陸魏長者潭に由来すると

ころが大きいとしても︑絵巻系の﹃七夕﹄が形成されるまでには︑

他の説話の影響で︑大きな変化が存在したということである︒そ

れ漁期髭面長者謹のみが中世小説﹃七夕﹄の出典であるということは勿論できない︒しかし︑乾陸物長者課が︑﹃七夕﹄の骨格と

なったことまでも否定する必要はあるまい︒

 そこで︑先の︑野々口氏や土井氏の論の是非を検討するために︑ 乾陸魏長者謳と比較してみたいと思う︒すると︑次の事実に気づく︒ 中世小説﹃七夕﹄と﹁クピードとプシュケ﹂では共通していた幾つかの重要な点が︑中世小説﹃七夕﹄の古形と見なされる乾陸魏長者諌には︑存在しない点が見られることである︒ 例えば︑姫君とプシュケが受ける難題は︑中世小説﹃七夕﹄と

﹁クピードとプシュケ﹂では︑天稚御子とエロースの親から︑嫁

となるべき女性側のみに四回も出されるが︑乾陸魏長者潭では︑

男女両方に一度ずつ出されるのみである︒その中で︑第一の類似

点とされた姫君の牛飼いとプシュケの羊の毛取り作業の類似は︑

乾陸魏長者課では︑牛飼いが姫君ではなく彦星の仕事であるから︑

類似点ではなくなる︒また︑重要な共通点とされた穀物の選別に

蟻が登場する話と︑米の運搬に蟻が登場する話は︑乾陸魏長者謳

には全く見出せないのである︒かつて︑野々口精一氏は︑天稚彦

物語が﹁エロスとサイキー﹂の影響で生まれたとする根拠として︑        こう述べられた︒

   而して彼のエロスが母ヴヰーナスはやがて此の天稚彦が父

  鬼なり︒ともにか弱き嫁を苦めて種々の難事を科す︒しかも

  その難事が共に四回にして他の力を借りて成し遂げたるのみ

  ならず︑その中一回は穀倉に閉重められて穀物を所理せしめ

  られ︑数千の蟻虫の助けをえて縷に難を脱れたるが如き二者

  全く同一轍に出つるを見る︒

 野々口氏は︑穀物の処理に関する蟻の援助を両者の共通性の大

きな根拠とされた訳であるが︑その根拠は︑天稚彦物語︑すなわ

ち︑中世小説﹃七夕﹄の骨格を作ったと思われる乾陸士長者謳を

考慮した場合︑成り立たなくなるのである︒

勝 俣 中世小説﹃七夕﹄と先行文献の関係について二十一

(6)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第五十四号二十二

 天稚彦物語︑すなわち︑中世小説﹃七夕﹄の発生は難しい問題

を含んでいるが︑絵巻系の最古の一本と推測されるドイツ国立東

洋美術館蔵本では︑奥書きに︑﹁詞 當今平筆︑給 土佐揮正藤原

廣周筆﹂とある︒﹁詞 當今導燈﹂とは詞書が後花園天皇︵在位

一四二八〜一四六四年︶の筆になることが︑また︑絵を描いた藤

原廣周は︑一四三九から一四八七年の生存が確認される御用絵師

たることが︑秋山光夫氏・光知氏の父子によって︑考証されて

あ いる︒また︑両氏は奥書を筆跡判定から︑御花園天皇の父君御崇

光院貞成親王の筆と推定された︒さらに︑本絵巻の成立を︑廣周

が弾正を称した永享十一年︵一四三九︶から︑貞成親王の没年で

ある康正二年︵一四五六︶までの期間とされたのは納得できる︒

 野々口氏は︑

   ﹁百合三大臣﹂といひ﹁天稚彦物語﹂といひ︑その傳説の

  流れ来れる途は知らずといへども︑既に五百年前の昔︑ギリ

  シャの神話が我が小説の上に移され居ることは単に国文学史  上のみならず︑他の一般文明史研究の上に於いても多大の注

  意をはらうべき問題にあらずや︒

と述べて︑五百年前の室町前期にギリシア神話が日本に伝わった       可能性を述べられている︒しかしながら︑記録上︑西洋人が中世

の日本を訪れたのは︑室町末期の十六世紀に入ってからであるから︑室町前・中期に西洋から文学という極めて精神性の濃い文化

が伝来して︑日本の小説にすぐに影響を与えた可能性は低い︒勿

論︑﹃インポ物語﹄︵一五九三年刊︶のように︑西洋の文学が翻訳

されたキリシタン物の例もあるが︑これらは︑一五九〇年代以降

の出版であって︑室町中期まで逆上ることはない︒  中世小説﹃七夕﹄の古形と絵巻系の関係から判断しても︑西洋文学の伝来時期から考えても︑また︑﹁その傳説の流れ来れる途は知らず﹂と言われるように︑その伝来の方法や道筋も何ら証明するものがないことからも︑さらには︑中世小説﹃七夕﹄を構成する説話の殆どが︑日本固有の説話との関係で説明できる以上︑中世小説﹃七夕﹄の内容とギリシャ神話の﹁クピードとプシュケ﹂の内容は類似していても︑直接的な影響関係は存在しない可能性が高いと見なすべきでなかろうか︒ 注ω野々口精一氏﹁天稚彦物語の本源ーギリシャの﹁愛と心﹂﹃帝国文学﹄十 六巻・十五号︵通算一九一号︶・明治四三年十月︑並びに︑三谷栄一氏﹁物 語と民間文芸﹂﹃物語文学史論﹄有精堂・昭和四十年十月所載︒②﹁エロースとアメワカミコ﹂﹃土井光知著作集﹄第三巻︑岩波書店︑昭和五 二年五月︒他に秋山光和氏︵注10︶等の指摘がある︒③拙稿﹁中世小説﹃あめわかみこ﹄の七夕系本文二系統の新旧に関する一考 察−絵と本文の齪酷を通して一﹂﹃三文﹄二十号︑昭和六十二年九月④島内景二氏﹃御伽草子の精神史﹄ペリカン社︑昭和六三年五月⑤P.C.アスピョーセソ&J.モー︑木村博子・イエルセット訳﹃ノルウ ェーの民話・童話﹄タノ社︑オスロ︑ノルウェー︑一九八六年⑥既に古川躬行﹃訂正考古画譜﹄や平出退二郎氏﹃室町時代小説集﹄でも指 摘がある︒⑦三谷栄一氏前掲書︵注1︶⑧市岡真理氏﹁天稚彦物語の生成﹂﹃国文目白﹄二六号︑昭和六二年二月⑨野々口精一氏前掲書︵注1︶㈲秋山光夫氏﹁天稚彦草紙と住吉広周﹂﹃日本美術協会報告﹄第四十二輯・昭 和十一年十月︑及び︑秋山光和氏﹁天稚彦草紙をめぐる諸問題﹂﹃国華﹄第 九八五号・昭和五十年十二月

参照

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