[書評] 高柳龍芳著 『監査報告書論』 : ドイツ法 定監査を主題として
その他のタイトル [Book Review] Tatsuyoshi Takayanagi,
Prufurgsbericht und Bestatigungsvermerk, 1967.
著者 久保田 音二郎
雑誌名 關西大學商學論集
巻 13
号 3
ページ 290‑297
発行年 1968‑08‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00021254
高柳龍芳著『監査報告書論』
―ドイツ法定監査を主題として一一
久 保 田 音 二 郎
1
高柳龍芳助教授が,標記のような副題のついた「監査報告書論」という書名で, ド イツ監査制度を土台にした研究を,わが国ではじめて公刊した。わたくしほ,その公 刊の当時に一読し,いま再読する機会があったので,これを機会に本害を紹介し,併 せていくつかの卑見を記述してみたいと思う。
本書は次の
12の章と補論からなっている。
第
1章株式法監査の性格 第
2章決算監査士の義務と権利 第
3章監査責任と監査権限の関係 第
4章機密監査報告書の作成原則 第
5章機密監査報告書の課題 第
6章機密監査報告書の構造 第
7章経営状況記載についての必要性 第
8章経営状況記載についての理論 第
9章公示監査報告書の展開 第
10章公示監査報告書の課題
第
11章公示監査報告書における確認の限定と拒絶 第
12章株式法監査の指導性と批判性
補 論
1965年改正株式法と監査
いま,第
1章においては,総括的に問題の所在を明らかにしているが.とくにドイ ツ監査制度では株式法による決算監査士の決算書類監査が代表的なものであるから,
この株式法監査についての目的から述べている。著者によれぼ.この種の監査への関
高柳龍芳著「監査報告書論」(久保田)
(291) 87心が起ったのほ,今世紀の世界的恐慌の余波によって多くの大企業の倒産に直接の原 因はあったが,これがために大企業の会計制度ほ急速に整備され,またそれへの強制 監査制度への確立になったことにある。しかし,この種の監査を通親すると,
1931年 の株式法の
1部改正,
37年の株式法の改正つまりナチス監査制度から,第
2次世界大 戦後,また6
5年の新株式法に至るまでには,時代の経過によって現象的には変わって いるようにみえるが,そこには,
1.決算監査士の助言を通じて行なう会社自身の利 益のための役割,
2.株主債権者を含めたところの国民経済すなわち一般公共の利益 のため役割という,
2つの面が底流するといい,この二元的性格を終始一貫して堅持 しながら究明しているのが本書の構想である。この終始一貫した研究態度には注目に 値するものがある。
2
第
2章では,株式法監査の担い手である決算監査士の義務と権利を主題にしている。
その義務には,誠実義務,監査を行なうための誠実と公平との義務,秘密保持の義務 などがあり,また決算監査士の監査に関する権利としては,取締役への監査資料の提 示,取締役へ情報提供と情報報告書の提出についての情報請求権があるといい,この 義務と権利に関して詳述する。わが国においては,著者がこれを詳論するのは,いか なる意義があるのかと,往々にして疑念をもつかも知れないが,実は西ドイツ法定監 査制度が支障なく運用できる裏にほ,この決算監査士の義務とこれを保証するに足る だけの権限とが合致した形で存在しているからである。これがために,引継いで第
3章においても,この問題を究め,わが国の証券取引法による公認会計士の監査権限と 比較して,西ドイツにおける特色を浮彫りにしている。
その特色とは,
1.決算監査士ほ会社機関としての地位を株式法上に占めること,
したがって,
2.決算監査士の選任は株主総会の決議によって決定されること,また
3.決算監査士の責任と権限が株式法で規定され,その義務違反には厳格な罰則規定
があり,またその権限が侵犯されると,依頼人への法的制裁の規定も確立しているこ
と ,
4.この前提のもとで,会社の決算書類は決算監査士の監査を経なければ確定し
ないことが,これであって,これらの特色がドイツ決算監査士の独立性を与える要件
にもなっている
(32頁)。この点からみると,わが国の証券取引法の公認会計士監査で
ほ監査義務を強調しすぎて,同法が絶対的に保護せねばならぬ監査権限についてほ至
極不明確な現状であり,したがって,監査人の固有の義務と固有の権限とが並行的で
高柳龍芳著「監査報告書論」(久保田)
ないと,著者はいう。著者の論評は,わが国の監査人の独立性の不完全に対する批判 であると同時に,人的監査基準を形成している背後の諸問題への批判であると読みと れば,その論旨には一層首肯できるところがあると,わたくしは考えている。
3
さて, ドイツ監査報告書は,内部用の機密監査報告書
{Priifungsbericht)および外部用の公示監査報告書
(Bestゑ
tigungsvermerk)の2つを作成するところに特異な点がある。
第
4章では,前者の機密監査報告書について記述しているが,まず,その作成原則 は正規の株式法監査原則に支配されるという。かくて,その作成原則とは,具体的に は完全性の原則(精細性の原則),真実性の原則,公平無私の原則,明瞭性の原則から なることを指摘し,これらを詳論する。つづく第
5章では,かかる機密監査報告書が いかなる発展の経緯をたどってきたかを述べ
(63‑6頁),現段階における機密監査報告 書の機能には,監査役への報知,企業および取締役に対する決算監査士の専門意見の 表明,監査実施に関する決算監査士の弁明報告としての
3つ機能が潜んでいるという。
しかし,こうなると,決算監査士の助言に関する義務が問題であるが,著者によれば,
連邦裁判所の判決
(1954年)では,機密監査報告書の完全性の原則から助言義務を課す るという見解をとり,またこの判決文によって監査実践と監査理論に大きな影響を及 ぽしていると考えているが,助言に関する義務については,別の見解 (たとえば
Sch直ze説
l'luch説)のあることも指摘している。
以上の一般的な課題に対して,具体的な問題として,第
6章では機密監査報告書の 記載内容を述ぺるが,この記載内容として,監査契約の内容,会社の概況,記帳処理 の原則準拠性の確認,年度決算書の原則準拠性および合法性の確認,営業報告書の合 法性の確認,総合評定と公示監査報告書に相当する部分のあること,そしてそれぞれ がいかなる意味があるかを明らかにしている。とくに,機密監査報告書の中に経営状 況の記載の要不要の論議ならびにもしこれを記載するとせぱ,いかなる程度までを記 載するかについては,長年にわたって論議されてきた問題である。そこで,この問題 を格別に究明するために,本書では第
7章および第
8章をこれにあてている。
著者は,機密監査報告書に経営状況の記載の必要性とその理由ほ,監査役の職務内 容とその実施状態の検討することによって明確になるという立場をとっている。とい うのは,監査役は一般に会計の素養がなかったから,自己の職務の遂行のためには,
機密監査報告書を有力な手懸りにする必要があったからである。さらにいえば,旧株
高柳龍芳著「監査報告書論」(久保田)
(293) 89式法
(1931年および
37年)施行後は,機密監査報告書ほ監査役監査のために専門家の補 佐的機能をつくすためであるということになったからでもある。のみならず,取締役 に対しても,会計記帳の担当取締役以外の取締役にとっては,機密監査報告書が会計 上の監督義務をつくす手段にもなり,さらには,同監査報告書は会社自身のための利 益にもなる。このため経営状況の記載は当然に必要になると論じている。しからば,
機密監査報告書に記載する経営状況とほ,いかなる性格をもつのか。著者は,協同組 合法による経済事情の記載と比較して,その異同を明確にし,併せて機密監査報告書 の記載に関する法的義務と裁判所の見解などを詳細に述べている。わたくしは,これ らの著者の論述から西ドイツの特有の監査思想が奈辺にあるのかを察知できるものが あると考えている。
4
いま
1つの公示監査報告書に関しては,まず第
9章でほ,その展開の過程を究めて いるが,著者によると, ドイツ監査濫鱚期から前世紀と今世紀初頭までの確立期まで に種々の形の公示監査報告書の存した事実を指摘し,監査成立前期
(1931年頃)には,
公示監査報告書の文言などには統一的なものがなかったが,その後この種の統一化に ついては種々なる形で問題になり,ついに会計士協会で統一化を図るようになった経 緯を史的に論証できるとしている。この場合に, ドイツでは,米国流の
inour (my) opinion,'日本流の「私の意見によれば」の言句を積極的に使用しないのほ,ドイツ公 示監査報告書は単なる主観的な決算監査士の監査結果に対する意見表明の手段と考え るよりは,むしろ会計報告に関する原則準拠性および合法性の遵守についての証明手 段であるためだといい
(137頁),ここに著者はドイツ公示監査報告書の思想的基礎がで きたと考えている。かくて,新旧株式法
(1937年および
65年)における公示監査報告書 の統一的な文言規定の内容についての変遷の跡を明らかしてにする。
以上の公示監査報告書の形成問題に対して,その機能問題を第
10章の主題にしてい
る。著者によると,もともと公示監査報告書は外部からの信用受与のために用いてい
たが,会社機関にとって効用があった。この効用は現今においても同じであるが,旧
株式法の公示監査報告書この方は,信用授与者投資家従業員など会社をとりまく外部
の利益集団にとっても,その効用が認められるようになったという。ところが, ド イ
ツでは,それだけではなく,決算監査士の立場としてほ,この監査報告書の公示によ
って,企業の信頼性を高めるほかに社会に対して自己の職務をつくしたという総合経
高柳龍芳著「監査報告書論」(久保田)
済的・社会的意味があることは無視できない。この点から,公示監査報告書ほ社会に 対して決算監査士の道徳的責任を果した証明であるとともに,法規の義務を履行した 結果としての責任表明の手段もいいうると論じている
(144頁 ) 。
かくて,会社の機関,一般公共,監査士自身という
3つの効用を狙う公示監査報告 書にほ,無限定,限定付監査報告書および確認拒絶証明書
(B邸cheinigung iiber die Verweigerung des Bestlitigungsvermerk)のあることは,わが国の場合と種類の点で は大同小異である。ところが,本書では,公示監査報告書の効力発生に関する一問題 として,たとえば年次決算書および営業報告書が,監査役の指示または株主総会で変 更された場合には,先に提出した公示監査報告書に代って新公示監査報告書の提示の 請求義務が被監査側にあり,また決算監査士が自己の不注意以外の事由で知らざる事 実を発見した場合には,公示監査報告書の撤回権のあることを取り上げ,これを明ら かにしている。この種の問題は,わが国の監査報告書制度の運用のためにほ示唆に富 む記述であるといいたい。
さて,公示監査報告書における砲認の限定および拒絶の問題を一段と究める意図か ら第
11章を設けている。まず,限定または拒絶があっても,年次決算書が確定できる 法的効果を述べ,さらに限定または拒絶の理由が至当であれば,監査役はその旨を報 告する義務があるが,もしこれに異議がある場合の処理とそのいくつかの事例を述べ,
また限定または拒絶についての決算監査士の判定基準として,株式法の規定内容を検 討し,併せてこれに関連するいくつかの例示をしている。
なお,これらに関連して公示監査報告書の記載問題としての補足的説明事項にふれ,
この記載にほ賛否両論のあること,また補足的説明事項と除外事項との限界が明ら かでないことを指摘し,これについての諸見解を検討し,著者は,両者の区別は会計 報告の原則準拠性および合法性の遵守のいかんにかかっていると結論できるという。
その理由は,年次決算書と直接関係をもつ会計の事実または処理の方法について問題 が生ずる場合には,すべて除外事項につながってくるものといえるからである
(171頁 ) 。しかし,ここに論じている補足的説明事項ほ,わが国の監査報告基準・報告準
則などで定めている決算日以後の出来事つまり後発事項の記載とは同ーでないことを 注意せねば,著者の論旨の理解できぬところがある。
5
最後に,本書の結論に相当する論述が第
12章にまとめている。著者によると, ド イ
高柳龍芳著「監査報告書論」(久保田)
(295) 91ツ株式法監査制度ほ,英国の会計士監査制度の影響によって誕生し,第
2次大戦後は 米国の会計士監査制度の余波を受けているが,そのなかで, ドイツ固有の土壊に根を 張った特異な監査制度であるという前提に立って,機密監査報告書と公示監査報告書 の並存する理由について,
1.監査における利害関係者集団の性格の観点,
2.決算 監査士の任務の二元性の観点,
3.監査報告書の目的的分岐の観点から究明し,そし てこれらをドイツ株式法監査制度の背景という論拠をもって,著者の見解にダメ押し しようとしているのである。この
3つの観点には,相互依存の関係にある問題も含ん でいるが,著者の主張をみると,次のようにいえると思う。
1.
ドイツにおいても,その初期の監査は企業自身のためであったから,監査に対 する利害関係についての問題がなかった。しかるに,今世紀の初頭から,企業の出資 と経営の分離によって,企業の対内的利害関係者—取締役および監査役,企業の対 外的利害関係者,—株主,債権者集団,一般公共,さらに拡大された利害関係集団 に分かれ,この傾向がますます大きくなってきた。ここに会計組織と会計処理の複雑 化が相侯って,対内的にほ,取締役および監査役に会計の素養がないときには職業的 監査士をして「内部的な監査」をして,彼らを補助せねばならぬ必要が起ってきた。
この監査への要請が機密監査報告書の形とならざるをえない。また対外的には,その 利害関係集団が社会問題になり,その利益保護と相互の調整を図るために「外部的な 監査」の必要が起り,この監査への要請が公示監査報告書の形になったという。かか る監査報告書の二元的な社会的意義をもったのほ,
1937年の株式法監査この方である が,その基礎たるや,すでにそれ以前にでき上っていたという。
2.
他の諸国では「外部的な監査」が表面化するために,職業的監査士の批判的役 割の方を強調するのが通常であるが, ドイツにおいても決算監査士へのかかる批判的 役割・社会的責任の存することはいうまでもない。また,このために公示監査報告書 の存在理由もある。しかし, ドイツでは他の諸国と違って,決算監査士の「内部的な 監査」は会社の一機関として指導的役割をもっており,しかも(イ)この役割は法定監査 の導入当初においてほ批判的役割よりも,むしろ上位にあらたと理解できる面があり,
また(口)最近の連邦裁判所の判決文でも,決算監査士の取締役への協力,助言の義務を
明らかにし,監査役へは取締役監督のための有力な協力効果をもつことを指摘してい
るように,さらにり新株式法では決算監査士の助言義務についての法的義務として立
法化されていることなどからみて,この指導的役割を遂行する監査のために,機密監
査報告書の存在理由があるという。つまり,決算監査士の批判性と指導性との二元的
高柳龍芳著「監査報告書論」(久保田)
性格が,
2つの監査報告書の形になっていると論ずる。
ふ
以上の諸点から,監査報告書の目的的分岐の論拠はおのずから理解できるが,
これが監査報告書の史的発展からみても裏づけうるし,またドイツ株式法監査では,
株主債権者の要請を第一義的にするのではなく,公共全般の利益のためにも要請され ている。したがって,この要請はなにもナチス国家時代に植え込まれたのではなく,
ドイツの国民経済的背景において根深く潜在しているのである。ここ
Vこ2本建の監査 報告書ほ,どうしても必要になり,またこれがドイツの土壌における特長でもあると 結論するのが,本書の大要である。
6
わたくしは,本書は,この方面の研究に著者の
10余年の間専念した労作であると考 えている。というのは,わが国の監査論的研究は,他の会計学領域の研究にくらべる と立ちおくれ,しかもその研究は米国の監査論を主流にしているのが実状である環境 のなかで,著者がドイツ監査論を研究するには,並々ならぬ苦心があったからである。
もっとわが国においても,最近になってドイツ的な研究論稿のいくつかが出はじめて いるが,著者の研究はそれよりも早く,したがって先学者による途さえ拓かれていな かった問題の領域に鍬を入れていたのが本書である。その上,著者が研究に決意した 時期とは,旧株式法の監査制度を前提にした時期であったが,
65年の新株式法になっ て,再び多くの別問題が出ていたので,いくつかのテーマについてはその研究も転換 せねばならなかったわけである。このことは,本書の全体を通じても,また補論「
1965年改正株式法と監査」からも察知できよう。このような研究環境のもとで,その研究 成果を本書の形にしたことは,まことに労作と信じている次第である。本書について は,すでに他の書評もあるが一一たとえば, 高田正淳稿,新進監査研究の動向,高柳龍芳著
「監査報告書論」国民経済雑誌第
117巻第
2号,昭
43年
2月,その他一ー_ わたくしなりにみ ると,本書は,書名のように監査報告書に関する研究ではあるが,その論旨は決算監 査士の権利義務などを詳論した上での,監査報告書論である。だから,本書に日本流 の表現をすれば,「監査一般基準(人的基準)」および「監査報告基準・報告準則」を めぐる研究であり,またこれらの問題についてのドイツ監査史の研究であるといって もよい。
本書が取上げている個々の問題について注目すべきいくつかのことがらは,紹介の
項でふれたから,ここでは積極的に疑問点を付記することを許されない。著者は,機
高柳龍芳著「監査報告書論」(久保田)
(297) 93密監査報告書と公示監査報告書の
2つが存することを,対内的・対外的利益関係集団 から要請される内部的な監査,外部的な監査,さらには決算監査士の指導性,批判性 という二元的な系譜で論じていることは,たしかに
1つの卓見である。しかし,ここ で問題になるのほ機密監査報告書である。わたくしは,著書が強調しているように機 密監査報告書が取締役監査役への補佐的協力という意味をもつだけでは,果して十分 であるかどうかを疑問にする。その理由は,著者がいうように,会計記帳担当取締役 以外の取締役に会計上の経緯を補佐的に知らすという素直な場合もあるが,逆に決算 操作などの経理不正を,会計担当でない代表取締役の方が指令している場合もある。
決算監査士は,かかる経理不正を摘発し,もって記帳処理の原則準拠性,年次決算書 の原則準拠性と合法性,営業報告書の合法性などを検査し,これを明らかにした報告 が機密監査報告書ではないかと考える。だから,決算監査士が「監査実施の途上」で,
経理不正などがなければよいが,もしもあればこれを発見すると,これを是正するよ うに取締役に助言している役割が決算監査士の指導性であり,またこの指導性が助言 の義務という形で効果を発揮しているからこそ, ドイツ公示監査報告書に確認の限定 も確認の拒絶も割合にみられない所以である。さらに,監査実施の途上でかかる指導 性を発揮するから,決算監査士が監査役に補佐的協力をする所以ともなると考える。
かように考えてくると,決算監査士の指導性と批判性とは同一のレベルに置いて考 えるべきではなく,機密監査報告書においても最後的には批判性に落ち着くのではな いか。また,それなればこそ,機密監査報告書において総合的評定と公示監査報告書 の文言が慣行的に記載される所以でもある。もし,文字どおり会計担当取締役以外の 取締役への補佐的協力であるとすれば,会社にはすでに内部監査人監査が実施されて いる。だから,内部監査人監査と決算監査士の「内部的な監査」との提携は,モット 早くから実現しているしまずである。しかし,過去においては決算監査士の方がその提 携を割合に毛嫌いしていたのは,なに故であったのか。この問題が理解できなくなる
と考える。
機密監査報告書は機密書類であるから,局外者の研究には難事である上に,わた<
ししま著者のように十分な研究をしているのではない。だから,的はづれの暴言的な疑 問を提示していると思うが,この種の問題の決め手は, ドイツ監査制度における監査 調書の研究から割り出せるのではないかと,つねづね考えているのである。この意味 において,本書において監査調書の観点からの監査報告書への裏づけの理論があれば
と切望する。本書が労作であればこそ,あえてこの切望を付記する次第である。
(A 5