考古学からみた新羅の国家形成
早乙女雅博
1はじめに
朝鮮の新羅︑百済︑高句麗の歴史を記した﹃三国史記﹄には︑新羅が儒理王九年に十七等の官位を設けた記事がみられ
る︒十七等は上位から︑伊伐喰︑伊尺喰︑逓喰︑波珍喰︑大阿喰︑阿喰︑一吉喰︑沙喰︑級伐喰︑大奈麻︑奈麻︑大舎︑小舎︑
吉士︑大烏︑小鳥︑造位である︒儒理王九年は紀元三二年にあたるが︑新羅の官位の成立をこの年代に求めることには疑
問がもたれている︒
そもそも中国の文献によれば︑新羅の前身である辰韓︑斯盧国から新羅へと変わるのは四世紀になってからである︒﹃三国志﹄魏志東夷伝弁辰には斯盧国とあり︑﹃晋書﹄では辰韓の条が立てられ︑﹃太平御覧﹄引用の﹃秦書﹄で初めて新羅 が登場する(三八二年M︒この時の新羅は︑﹃三国史記﹄にも新羅王が秦に使いを遣ったという記事(三八一年)があり︑
文献上からは四世紀後半には確実に新羅の存在が浮かび上がる︒ω法興王七年(五二〇年)になると律令を分かち示し︑始めて百官の公服と朱紫の秩序を制定した︒その内容は︑太大
角干より大阿喰は紫衣︑阿喰より級喰は緋衣及び牙笏︑大奈麻と奈麻は青衣︑大舎より先沮知は黄衣と官位により服飾
の色を区別した︒また︑伊喰と蓮喰は錦冠︑波珍喰と大阿喰と衿荷は緋冠︑上堂と大奈麻と赤位と大舎は組櫻(組紐)と
考古学からみた新羅の国家形成(早乙女)五九
メトロポリタン史学八号二〇一二年一二月六〇
㈲いうように冠でも区別した︒儒理王九年条の十七等位と同じ官位が法興王七年に踏襲されている︒﹃梁書﹄東夷伝新羅条
に六等の官位がみられることや蔚山川前里書石︑永川脊堤(せつてい)碑に古い表記法の官位がみられることから︑法興
王七年(五二〇年)からさほど遡らない六世紀初頭には新羅の官位が成立したと考えられている︒
この頃の慶州における考古資料として古墳がある︒古墳は支配階層の墓制であることから︑文献に見られる衣と冠で
身分秩序を表すことが︑古墳の副葬品にも反映されている可能性が高い︒そこで︑古墳の副葬品に衣と冠に相当するも
のがあるのか︑あるとすれば身分秩序がどのように反映されているかを検討する︒
この頃の慶州の古墳は積石木榔墳が主体をなし︑高句麗の積石塚︑百済の横穴式石室墳︑加耶の石榔(竪穴式石室)︑
倭の前方後円墳とは異なる墓制をもち︑またその前段階には慶州では木榔墓を造営している︒木榔墓は慶州のみでなく
慶尚南道・北道の加耶の地域でも三〜四世紀まで営まれ共通の墓制であったが︑ある段階から慶州に固有の積石木榔墳
という墓制に変わった︒日本における前方後円墳の成立が古代国家形成期の大きな転換点とすれば︑慶州での積石木榔
墳の出現は新羅国家形成とも大きく関わってくる︒そこで︑積石木榔墳は木榔︑積石︑墳丘の三部から構成されるが︑そ
れぞれから検討して︑積石木榔墳の出現時期をどのように考えるかを述べる︒
以上をふまえて︑身分秩序を示す副葬品と積石木榔墳から新羅国家の形成過程を考える︒
2装身具の出土状況
慶州の積石木榔墳は︑被葬者を納めた木棺を木榔で囲い︑その周りと上に石を積んで積石部とし︑最後に盛土して墳
丘を完成させる︒一度埋葬すると木榔を開けることはないので︑木榔内出土遺物は︑遺骸と同時に副葬されたと考えら
れる︒また︑盗掘による撹乱がなければ︑土圧による変形や移動を考慮する必要があるものの︑埋葬時の位置を留めてい
る︒ここでは︑被葬者と最も関連が深いと考えられる被葬者が着装していた遺物を見ていこう︒
が位置し︑その大形硬玉勾玉の西側に金製帯金具が南北四二㎝の幅に並んで出土した︒合計三四点の鍔板のうち︑一九
点が表面を上にして︑一五点が裏面を上にしており︑表面の並びに対して裏面の並びは三㎝ほど東側にあった︒これは︑
鍔板を一列に並べたのでもなく︑折りたたんで置いたものでもなく︑被葬者の腰に着けた状態を示している︒帯金具の
西側には腰侃があり帯金具から一七㎝西に離れて︑大形腰偲の南側にあたる所から三累環頭大刀が出土した︒三累環は
東を向いていた︒
この出土状況から︑被葬者は頭に金銅冠を被り︑首に金やガラス玉を連結した首飾を付け︑腰には腰侃が付いた金製
帯金具を回し︑左腰に三累環頭大刀を置いた︒
副葬品収蔵部からは︑三段山字形金銅冠三点︑額飾式銀冠と額飾式金銅冠︑銀製帯金具︑金銅透彫飾履が出土した︒冠
の研究から見ると︑山字形の両側の枝が外傾するのが古く直立するのが新しいとされている︒南墳の被葬者が着装した
木棺内の金銅冠は五点の山字形冠のう兄
ち最も新しい形態なので︑被薯が最イ纂㌧しβく︑ト凶
後の時期に使用していたものである︒
天馬塚も被葬者が最後に使用した冠
を着して埋葬され︑その冠は副葬品収
蔵櫃出土の金銅冠より新しい型式であ
る︒
北墳の被葬者は︑副葬品収蔵部から
﹁夫人帯﹂と刻銘された銀製帯端金具が
出土し︑環頭大刀を身に着けていない
ので女性と考えられる︒木棺の内棺内
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図3皇 吾 里33号 墳 東 榔 遺 物 出土 状
考古学からみた新羅の国家形成(早乙女)六三
メトロポリタン史学八号二〇=一年一二月六四
では︑三段山字形金冠︑金製耳飾︑金製帯金具︑金製腰侃を着装した女性が埋葬され︑内棺の東側の外即ち頭部の先︑外
棺内の副葬品収蔵部からは︑銀製帯金具︑金銅製飾履が出土した︒女性でも金冠を含む装身具組合せをもっている︒
③皇吾里ご三号墳東榔の遺物出土状態(図3)
三三号墳は東榔と西榔の二つの埋葬主体部があり︑それぞれが主榔と副榔からなる︒東榔の主榔は東西に主軸をもち︑
東端に副葬品収蔵部があり︑その西に木棺が置かれる︒遺骸の頭部には白樺樹皮製の冠帽が︑耳の位置には金製細環式
耳飾︑胸には多数の青色ガラス玉に硬玉勾玉一点が付いた首飾︑腰には銀製帯金具と二条の銀製腰侃を身に着けて埋葬
された︒そして︑左腰には三葉文銀張鍍金環頭大刀が置かれた︒冠が伴わないが︑その他の装身具は右にあげた金冠を
もつ装身具の例と同じように︑被葬者が身につけていた︒西榔からは冠︑帯金具︑腰侃が出土しないが︑金製細環式耳飾
は被葬者の耳に付けられていた︒
このように見ていくと︑慶州の古墳の被葬者は装身具を身に着けて埋葬され︑その装身具には組み合わせに違いがあ
ることがわかる︒
3装身具の組合せ
慶州の邑南古墳群の被葬者は︑冠︑冠帽︑首飾︑耳飾︑腕輪︑指輪︑帯金具︑腰侃などの種類を身に着け︑左腰に環頭大刀︑
木棺外に飾履を置いて埋葬された︒その材質には︑金︑金銅︑銀などの違いがみられる︒これまでに報告された古墳の報
告をもとに︑冠︑冠帽︑耳飾︑帯金具︑飾履︑大刀の項目に分けて︑各古墳の被葬者がどの種類の装身具を身につけて埋
葬されたかを古墳ごとに整理したのが表1である︒古墳名のあとに*が付いたものは︑一つの古墳から木棺外を含めて
装身具組合せが複数ある場合に︑木棺内の被葬者が着装していた組合せを示す︒表1を見ると︑冠を着けた被葬者と着
けない被葬者があり︑着けたなかでも材質が金と金銅に分かれる︒着けない被葬者には帯金具を着けた被葬者と着けな
考古学からみた新羅の国家形成(早乙女)六五
表1 慶 州邑南古墳 群装 身具組合せ
古墳名 類 冠 冠材質 冠帽 帯金具 垂飾耳飾飾履 刀 刀位置 墳丘径m 年代
1校洞68 一 山式 '金 15.6(復)
2 皇南大塚南墳*(98号) A 三山鹿角式硬玉勾玉付金銅 金 金細環 〔金銅T字 透〕=累 環頭大刀 左腰 #110 3
皇南大塚南墳 C 三山式 金銅 銀冠飾 銀 金太環 =葉 文環頭大刀9口 #182.61 皇南大塚南墳 C 三山式 金銅 銀 銀龍文 金細環3
皇南大塚南墳 C 三山式 金銅 金銅玉虫金太環7
皇南大塚南墳 C 前立式 金銅 銀
皇南大塚南墳 前立式 銀
3 皇南大塚北墳* A 三山鹿角式硬玉勾玉付金 金 金太環 〔金銅T字 透〕 #「81.21 4、
皇南大塚北墳 E 一 銀冠飾 、白樺銀 金細環
4 金 冠塚*(128・ 号) A 三山鹿角式硬玉勾玉付金 金 金 金太環 金銅T字 透 三累環頭大刀
三葉文環頭大刀 副葬部#48.2(復)、 5
金冠塚 B 三山式2点 ガラス勾 玉付金銅 銀 金 〔金銅浅履〕
5 天馬 塚*(155号) A 四山鹿角式硬玉勾玉付金 金 金細環 〔金銅 透 〕 単鳳文環頭大刀 左腰 #57ユ 6
=累 環頭大刀 右石壇上
天馬塚 C 三山式 金銅 銀
6 金鈴 塚(127号) A 四山式 金 金 金太環 〔金銅 ユ 三累環小刀 左腰 #22.3(復 〉 6
7 瑞鳳 塚(129号) A 三山鹿角式硬玉勾玉付 金 金 金太環 金銅 な し #北 墳4&5(復)
8 壷拝 塚(140号) B 三山式 金銅 銀 金 金銅 単龍文環頭大刀 左胸脇 #20.7 7
9 銀鈴塚(140号) B 変鹿角式 金銅 銀 金 金銅 な し 18(推) 7
10 皇吾 里16号 ・1 B 山字形 金銅 白樺 銀 金細環 金銅
11 皇吾 里32号 ・1 金銅 金銅
12 皇吾 里16号 一2 C 三山式 〔副〕 金銅 銀 金細環
13 皇吾 里16号 一8 C 山字形 金銅 銀 金太環
14皇吾里34号 C 三山鹿角式 金銅 銀 金細環
15皇南里82号 西構 C 山字形 金銅 金銅 銀 金太環 6
16 味郷7・5号 D 山字形 金銅 金細環
ユ7 皇吾 里98.3番 北 D 山字形 金銅 金太環 三塁環頭大刀 右 18'9
18普門里夫墓 D 変鹿角式 金銅 金太環
19 仁旺 洞A‑1 D 形不明 金銅 金太環
20飾履塚(126号) E 一 白樺 銀 金細環 〔金銅底板〕 双鳳文環頭大刀 左腰 #21.1(復) 5
=累 環頭大刀 右腰
21皇吾里4号 E 一 銀 金細環 金銅透破片 三累環頭大刀
三葉文環頭大刀 右腰 1多
22 皇吾 里14号 一1 F 一 銀冠飾 銀 金細環 14.4(護 石) 3
23皇吾里16号4 F 白樺(副) 銀 金細環 鉄大刀2 左脚
24 皇南 里110 F 一 金銅冠飾 金箔 金細環 環頭親子大刀 15.9 3
25皇南里82号 東 F 銀 金細環 20.8
26皇吾里16ゼ F 一 銀 金太環
27皇吾里1南 榔 F 一 銀 金太環
28皇吾里33東 榔 F 一 白樺冠帽 銀 金細環 三葉文環頭大刀 左腰 4
29皇吾里5号 F 一 銀 金太環 19
30皇南里442番2榔 F 一 銀 金細環 三葉文環頭親子大刀
31路西里138号 F 一 銀 金細環
32皇吾里9&3番 南 F 一 銀 金細環 18'9
33皇吾里54号 甲 F 一 銀 金太環
34仁旺洞149号 F 一 銀 金細環
35仁旺洞20号 F 一 銀 金太環 18'ユ6
36路束里4号 F 白樺冠帽 銀 金細環 三累環頭大刀 左脚
37 仁旺 洞C‑1号 F 一 白樺 銀 金細環
38 皇吾 里14号 一2 G 一 金太環 175(護 石推 定) 3
39皇吾里37号 北廓 G 一 金太環
40 デビ ッド墓(129号 〉G 一 金 南墳38.0(復)
41皇吾里33号 西榔 G 一 金太環 7
42 皇南 里109号 一3 G 金細環 20(復) 2
43 皇南 里151号 石 室1 G 一 金太環
44 皇南 里151号 石 室2 一 銀
45 皇南 里151号 石 室3 G 一 「 金細環
46 皇南里151号積石 木 G 一 金太環 8
47 味郡 第4‑3号 ・1 G 一 金細環
48味郷第52号 G 一 金太環 7(護 石)
49 味郡 第5‑8号 G 一 金太環 7(護 石)
50鶏林路14号右被葬者G 金細環 親子 刀 、 刀身 の み左脚 7
51鶏林路14号左被葬者 銀逆心葉 金細環 宝剣 左腰
52 味郷C‑1号 G 金細環 環頭大刀 頭右側9.5'&4(護 石)
53 味郡C‑11号 G 一 金細環 12(護 石)
54 味郡D・1号・1 G 一 金銅細環 9.2(護 石)
55 味都D・1号 一2 G 一 金太環
56 味郡7・7号 G 一 金細環 10'8(護 石)
57 路西 里215番 地 G 一 金太環 6.3 7
58 月城路フ}13号北2号 人 冠垂飾 環頭大刀4点 、ガラス杯 1
月城路フト13号南3号 人G 金細環 大刀
月城路フト13北4号 人G 金細環 環頭大刀
59 鳳鳳 台(125号) 未 #75
60 西鳳 風 台〔130号)未 舞78.5
61皇南里90号 未 #80.1「5τ2115951
62皇南里93号 未 #45.8B591142ユ1
63皇南里97号 未 #63.7140.0114791
64皇南里99号 未 #52.5
65皇南里100号 未 #46.6
66皇南里105号 未 #52.6
67皇南里106号 未 #59.1
68路西里134号 未 #82.8[46,31156.91
#は 国立慶州文化財研究所 ・慶州市2008『新羅古墳環境調査分析報告書L研 究成果報告』か ら、他はそれぞれの発掘報告書から規模を出した。
各 古 墳 の文 献 は 、早 乙 女雅 博2010『新 羅考 古 学研 究 』 同 成社 、112‑117ppの 「表1慶 州 中心 部 古墳 ・一覧 」 の参 考文 献 を 参照 。 類 の 項 目で 「未 」 とあ るの は 、未 発 掘 で ある こ と を示 す。
古墳 名 の項 目で 「*」 と ある の は.複 数の 装 身 具組 合せ の うち 、被 葬 者が 装 着 して い た もの を示 す 。