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アダム・スミスの貨幣認識について

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(1)

アダム・スミスの貨幣認識について

著者 榎並 洋介

雑誌名 星薬科大学一般教育論集

5

ページ 57‑87

発行年 1987

URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000164/

(2)

・スミスの貨幣認識について

 洋介

一 国富論﹄以前の貨幣観O交換と分業

⇔ 貨幣の発生と機能

 ﹃国富論﹄における貨幣認識

O

分 業と交換

⇔ 貨幣出現の必然性

三  おわりに

   ーターは︑ス︑・・スの貨幣論について次のように分析したことがある︒﹁長編たる第二章は﹃国富論﹄の

  なかでも最も重要な一章であって︑ス︑・・スの貨幣理論の大部分を含んでいる︒それは第一編第四章の水準を遥かに抜くも

  あり︑確かにス︑ミスの努力における後期の段階の産物である﹂︒しかし︑金銀間の価値関係を論じた第一編第十一章

      ハ      5 を含めで︑第︸編第四章には信用理論は展開していないけれども︑スミスの貨幣観の誕生および貨幣認識の形成を理解す

(3)

8 るうえで重要な箇所である︒なぜならば︑第一編第四章に展開してある論理を把握しないことには︑ス・・スの貨幣論の本5   質を見抜くことはできないからである︒その場合︑﹃国富論﹄における貨幣論が︑この執筆以前の二種類のノートと︑一つ

草稿とどのように関連しあっているのか比較することは不可欠の作業である︒本稿ではこの順序にそってスミスの貨幣

論 じ︑最後に貨幣の機能に関するスミスの見解を考察する︒

ω  S︾°0力09日o雲o♪慰江oミミ沖§oさ詩﹄§せ竃鉾○江oaq巳くこ勺﹃︒ωρ﹂㊤Oふ゜℃□Φω︑東畑精一訳﹃経済分析の歴史1﹄

  岩波書店︑一九五五年︑四〇一ページ︒

②  拙稿︑﹁アダム・スミスの地代と銀価値変動論﹂︵﹃星薬科大学一般教育論集﹄第四輯︑一九八六年︶参照︒

 ﹃国富論﹄以前の貨幣観

 一七五〇年代初期におけるス︑・・スの経済学的な物の考え方を知る責重な資料として﹁アンダーソン・ノート﹂がある︒

そこには次のような記述が見出される︒﹁どんな商品でも︑その価値は︑その商品を欲しているすべての人々のうちの大

多数がその商品と引き換えに喜んで行なったり与えたりするものの総額に等しい︒もしヨーロッパ人が今年輸入されたす

肉桂︶と引き換えに喜んで与える総額が五︑○○○ポンドであって︑翌年にはその量の二倍が輸入され

るとすれば︑今年一〇シリングでうられている一ポソドのシナモン︵肉桂︶は︑翌年五シリングで売られるであろう︒だ

ら︑オランダ人は︑出費を余計にかけても彼らの香辛料を焼くのである︒

 一〇〇人が同じ商品を欲し︑そのうちの九九人は一︵重量︶ポンドと引き換えに一〇シリングを喜んで支払うが︑しか

し︑そのうちの一人は二〇シリングを喜んで支払うと想定しよう︒しかしながら︑売り手は︑その一人の人から一〇シリ

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 ングよりも多くを要求することをけっして考えないであろう︒したがって︑商品の価値は買い手の大多数によって規制さ

るにちがいない︒一クラウソ貨幣が今年銀一ナンスを含有し︑翌年にはただ半ナンスしか含有しないと想定すれぽ︑そ

 のときには︑それは︑それが当然にそうであるべき半分として通用するのではなく︑いくらか多くのもの︵おそらく三ま

リング︶として通用するであろう︒

して︑それは︑それを受け取る人々との無知および彼らの借金にょるのである︒第一に︑彼らの無知によるもの︒兵

等々︶は三シリング六ペンスを受け取るのが習慣になっていて︑相変わらず同数の貨幣片を受け取る︵というの

  は︑ただ硬貨の品位はひき下げられることが想定されているだけだから︶ので︑彼らは同じ程度に十分楽しむであろう︒

というのは︑彼らは︑その硬貨で以前と同じだけの飲物等々を得るのだからである︒第二に︑彼らの借金によるもの︒彼

らが今年一〇シリング借りている人について言えば︑翌年彼らは︑ただ︑より悪質の硬貨一〇シリングを支払うだけであ

ろう﹂︒

︽  ここでは︑重商主義政策における輸入制限に対するスミスの批判的見解を読み取ることが出来る︒とりわけ注目してよ

は︑商品の価値を規制する要因が買い手の量︑すなわち有効需要の大きさによるとしている点である︒価値と価格を

同一視することによって︑商品の価値を市場価格として認識する︒市場においては需要量がまず先行し︑それとの関係で

制約されて︑その商品の市場価格は決定する︑と説明しているようである︒この説明の中で貨幣の変造︵○?

ミへ  ひ①ω①日①巳︶に対する見解が見られる︒鋳貨価値の変動という実践的関心が︑初期のスミスには見られるのである︒

9  註ω 呂︒︒穴問F二9ミ■﹂§ミ⇔冶亀﹄さミ︹oao戸おペベもO°︒︒ω︑°︒ト時永淑訳﹃ス︑︑︑ス︑マルクスおよび現代﹄︵法政大学出版5   局︑一九八〇年︶︸五六−一五七ページ︒このノートは︑ミークによれぽ︑一九七〇年六月・A・H・ブラウン氏によって発見さ

(5)

    ものであり︑スミスのグラスゴウ時代における﹃法学講義﹄を聴講した一人の学生ジョン・アンダーソンの筆記ノートである︒6    このノートの元になったスミスの講義は︑一七五一ー二年︑一七五二ー三年ないしは一七五三ー四年の三つの学期のうちの一つで

あると推測している︒もしそうだとすると︑新たに発見された法学講義囚ノートは一七六二ー六三年と推定されているので︑この

     ㈹ノートの約一〇年前の講義内容ということになろう︒その意味でこのアンダーソン・ノートは︑スミスの貨幣観の形成を理解

   する上で貴重な手掛かりになりうるものといえよう︒

      分業と交換

は︑﹁アンダーソソ・ノート﹂から一〇年以上経過した後︑スミスはいかなる貨幣観をもつに至るのであろうか︒       り月五日︑火曜日の法学講義口ωノーいには︑次のような記述が残されている︒﹁富裕の性質と一国の富みは

ると考えられる事物とを説明したあと︑私はさらに進んで︑この富裕を大いに促進させるのは︑取引︵言已o犀︶

等々をしようとする性向︵合ωOoω︷江8︶に起因する分業︵合ユω合目o⌒訂Ooξ労働の分割︶であることを示し︑さらに

また分業がそうした効果を生み出す諸方法をも示した︒

は︑この点については次のことを認めることができよう︒すなわち︑分業を直接にひき起こすのは︑ある人が

自分の商品のためにもつ市場だから︑つまり彼がある一つの物をあらゆる物と交換することができる市場だから︑この分

も多かれ少なかれ市場いかんによる︑というのがそれである︒市場がないとしたら︑どんな人も自分が必要とするのに

じて︑どんな職業︵耳巳Φ︶でもおこなわざるをえないことになろう︒市場が小さければ︑彼は︑どんな商品もたくさ

ん生産することはできない︒その商品を買おうとしている人は一〇人しかいないとすれぽ︑彼は一〇〇を供給することに

なるほどの量は生産しないにちがいない︒そうでなければ彼は︑その商品によって利益を得ることはないであろうし︑ま

してや︑この分業のいっそうの改善をひき続いて起こすような大きな利益増加の達成をもたらすどころではないであろう︒

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引き起こしたのであって︑市場の広大さこそが︑労働を大いに分割させることをその力の及ぶ      ② ぎり可能にするものである﹂︒

 一国の富は生活必需品や便益品であり︑この富裕を促進するものは︑人々の交換性向に基づいた諸商品の取引である︒

しかも︑その大きさは物々交換をする市場にょって制約され︑このことが分業の発達の程度をも規定することを明言して

るのである︒これは﹁アンダーソン・ノート﹂にみられたように︑商品の供給量はその商品を買おうとする量︑すなわ

要の量にとって規定されるという考え方を基本的な枠組にしていると解釈できる︒右効需要の大きさが商品の供

す るわけであるから︑ス︑ミスは物々交換市場が広大であれぽ︑労働の分割11分業は発達すると主張しているの で ある︒

ω P△餌日切日詳方↑災量R切osさミ吻﹀∨ミ心o§♪ぎ汁庁①○一印超o司国庄江oロo木吟庁①綱自村ω●ロ臼O隅oωOoロムoロ80︵﹀巨ρ日o力日⁝仲庁゜

  く︒庁︿°ω庄け亀宮問゜↑°呂⑦︒犀O°O°問巷冨︒r§江甲Ω゜ω9ぎ﹀○×合見Gべ゜︒°所収の戸80答ミO甲P戸ぱ⇔以下の引用の   さいはU㈲ノートと略記し︑上掲の全集版第五巻のページ数を付記する︒時永訳︑前掲書︑八九−九〇ページ︒

  ② 庄置w口㈲ノート︑PぱO°これは︑ミークの前掲書四九ページに︾署8合×Aとして掲載されている︒この部分の翻訳は時永訳︑

幣   前掲書に従った︒ ミスは︑﹁分業を引き起こすのは交換しようとする力であるから︑この分業の大きさはつねにその力の大きさに比例 ・であろ㎞﹂と言い︑・の交換・ξとす・力を蕩の広・・同蓼・.そして︑同詠ー乏装の考な記載

られる︒すなわち﹁完全なる分業は︑まさに農業の新工夫よりもあとのことである︒農業によって︑同じ大きさの土

6 地は穀物を生産するだけではなく︑以前よりもはるかに多くの家畜を飼育することが可能になる︒そのために︑はるかに

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62 多数の人々が同じ場所で容易に生活してゆけるようになる︒その結果︑国内市場は︑ずっとより広くなる︒鍛治屋︑石工︑

工︑織布工および仕立屋は︑まもなく︑自らわざわざ土地を耕作するのではなく︑彼らが必要とする穀物や家畜と引き

えに彼らのそれぞれの仕事の生産物を農業者と交換するほうが︑彼らの利益になることを見出す︒農業者もまた︑まっ

くすぐに︑彼自身の仕事を︑彼の家族のための衣服づくりや︑彼自身の家屋の建築または修理または製作のために中断

ることなく︑これらの目的のそれぞれについて他の職人の援助を求め︑その人たちに穀物や家畜で報酬を与えるほうが︑       ガ同じょうに彼の利益になることを見いだすようになる﹂︒口㈲ノートにおける抽象的な説明が︑ここでは具体的に展開して

ある︒市場における物と物との交換はこの取引の場所である市場の大きさに依存するし︑取引をする市場が大きけれぽ手

る利益も大きいものになる︒このことを貼ノートでは︑穀物や家畜を説明の道具にして使用している︒穀物や家畜

る農業者は︑自家消費の超過部分を市場へ運び︑自分の欲する衣服などを入手する︒他方︑穀物や家畜を入手し

と欲している人々は︑それぞれ自己の生産物を市場へ運び︑取引し交換するというわけである︒

 跨合日o力目吉ぎ一窪吾所収のS障留h冨険日o暮8夢o合く邑8亀訂げoξ戸m◎︒N 以下肌ノートと略記する︒これは全集版第

   五巻に補録として収載されているもので︑この断片の作成期日はミークによれば︑コ七六二ー三年の講義課程のあとに書かれた    可能性がおおきく﹂︑﹃国富論の初期の草稿﹄はコ七六三年四月よりもほんの少し前のある時期﹂としている︒いずれにしても︑

   この二つはなんらかの仕方でつながっていると推測されている︒呂o①貫﹂窪△°も゜置゜時永訳︑九三ページ︒

 ㈲ ﹀合日⑩日吉戸≡⁝●二且ノート戸O︒︒ト時永訳︑九五ー九六ページ︒

⇔ 貨幣の発生と機能

ところで交換が発生する原因について︑﹃国富論の初期の草稿﹄では︑ある物を他の物と取引し交換し交易する性向は︑

(8)

他の動物にはまったくみられない人間だけに共通して見られる本性であるとする︒﹁私が必要とする物を私に与えよ︑そ

うすればあなたにあなたの欲するこの物を与えよう﹂このような交換性向が成立するのは︑﹁自分が彼らにもとめている

ことを彼らがすれぽ︑彼ら自身の利益にもなることを︑相手にしめしうるならぽ︑彼は首尾よくその目的を達することが

きるであろう︒誰でもある種の取引を他人に申しでる者はそうすることを意図しているのである︒⁝⁝われわれは︑肉

屋 やパン屋の恩恵︵ぴOβO<O一〇POO︶によって︑食事をえようとするのではなく︑彼らの自分の利益への関心によっ

うしょうとするのである︒われわれは彼らの人類愛に訴えるのではなく︑自愛心︵ωΦ一⌒1一〇<O︶に訴えるのであり︑わ

自身の必要を彼らにかたるのではなく︑彼らの利益をかたるのである﹂︒﹁われわれは︑こうした分業︵ぴ騨詳Φ﹃ロp臼

 Φ×oゴ①ロぬΦ︶にょって︑自分たちに必要なこれらの相互の世話の大部分を︑たがいに人から受けるのであるが︑それと同

様に︑文明社会の全富裕の基礎となる分業を︑はじめて発生させるのもまた︑このおなじ交換性向︵茸⊆o丙巨険合ωboωr          江8︶であ剃﹂︒この点について︑珂⑧ノートでは︑次のように記載されている︒二人の者が他人と交易︵ぴ①詳o﹃︶する

という人間天性の直接的な性癖︵買obo目ω一蔓︶から︑それ︵分業︶は発生する︒この性癖はすべての人間に共通であって︑

他の動物の知らぬものである︒・.:−人間は︑自分の欲するものを得るに足る誘惑物を彼の仲間達の前において︑彼らの自

愛心︵ωO一︹一〇<O︶に働き掛ける︒この性向︵合ωOo獣江oo︶を表わす言葉はこうである︒私の欲しいものをくれ︑そうす

も望むものを上げよう⁝⁝酒屋やパソ屋は仁愛︵ひO口O<O一〇︼﹈OO︶によって我々の用を弁ずるのではなく︑自愛

らそうするのであ郁﹂︒当然のことながら︑﹃草稿﹄と口⑧ノートには同一の考え方が貫徹している︒それは︑自愛心

源 とする交換性向の発動が交換行為をひきおこすということである︒ス︑︑︑スの考え方の形成過程をみるぽあい︑先ず    ﹃道徳感情論﹄における﹁金銭的交換﹂という表現をふまえた上で︑﹃草稿﹄における記載箇所に注目しなけれぽならない

6 であろう︒貨幣発生の原理的な根拠は︑この分業の発生に求めることができるからである︒何故に︑人間は自分の余剰生

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64 と交換しょうとするのであろうか︒スミスはこの素朴な疑問に対して︑自愛心という概念を用いて説

明していた︒人間の本性である自愛心の発動が交換を発生させる︒交換し取引し交易したほうが自分の欲望をみたせると

人々が観念したとき︑自分と相手との間に利害の一致が生まれると判断すれば︑実際の生活上では諸商品相互の交換がお

こなわれる︒スミスはこれを人間にしかない交換性向によって説明したのである︒

ω  ﹀合日ω日詳貫﹄s㎏ミせO∨ミペミ導雨マ恥ミ§ミ之⇔﹃︵§9ざ≦°畑゜ω8﹇村﹄合§切ミSo廷艮§S§⇔︑∨ミ∀鵠ミ

  お巽゜︵P呂゜民①=oざおΦ切゜︶戸ぱO°水田洋訳﹃国富論草稿﹄日本評論社︑昭和二三年︑八五ー八六ページ︒以下引用のさいは    ﹃草稿﹄と略記する︒この草稿はグラスゴー版﹃スミス全集﹄第五巻の﹁補録﹂としても収録されている︒

  なお︑この点についてスミスは︑既に︑一七五九年の﹃道徳感情論﹄において︑抽象的ではあるが次のように言っていた︒﹁社

  会はさまざまな人びとのあいだで︑さまざまな商人のあいだでのように︑それの効用についての感覚から︑相互の愛情または愛着

なくても存立しうる︒そして︑そのなかのだれひとりとして︑たがいになにも責務感を感じないか︑たがいに感謝でむすばれな

としても︑それは︑ある一致した評価にもとついた︑善行の金銭的な交換によって︑いぜんとして維持されうるものである﹂

   ︵︾創③日切日客亡 ﹃e㌻吋sこミ︒さ︑ミ切oミヘミ恥ミ切16庄・60σ町O°O男①Oプ①巴①白全﹄°↑◆呂碧注♪日↓ひoO汀ωσqo笥国色︷江oロ

 ゜Sgo乞o済ωp昌臼Oo旨︒−−uoづCg8︒咋﹀合日o力日客戸く巳゜一︑○×柏自P戸ΦべO°o°°︒Φ水田洋訳﹃道徳感情論﹄筑摩書房︑一九

年︑一三四ページ︒

②  ﹃草稿﹄三四〇ー三四一・水田訳︑八八ぺージ︒

巨合日︒︒旦け亡卜§ミ霧§さ賄富ぎ誉軸︑肉ミ§§§へ﹄∨§㌘江゜臣Sロ9白8豆O江︒﹁△°﹂G︒8︵︾◆呂民︒巳︒冒

  お忠y勺゜﹂ΦS高島善哉・水田洋訳﹃アダム・ス︑・・スグラスゴウ大学講義﹄日本評論社︑昭和二二年︒三三三ー三三四ページ︒な

お︑前掲のグラスゴー版﹃ス.︑・ス全集﹄第五巻にも図目o暮αρ汀α嵩ΦOとして収録されている︒以下引用さのいはU⑧ノートと

し︑キャナン版を使用する︒

(10)

達し︑交換が複雑な経路をたどらなければその目的を達成できないとすれば︑どのような交換術が展開するの

あろうか︒この課題について︑一七六三年四月七日火曜日のU旬ノートには次のように記載されている︒﹁パン屋また

肉屋の︑パンまたは肉を欲している織布工は︑いつも布と引き換えにそれらを手にいれることはできない︒⁝⁝私は君

財貨を欲しているが︑君は私のものを欲していない︒我々は双方とも財貨をもとめてはいるが︑しかしお互いの財貨を       ④ い︒こうして︑もし我々がある共通の売買用具をもたないとすれぽ︑我々の間にはいかなる交換もありえない﹂︒

関係から少し複雑な三者間の交換過程へ移行することによって︑直接交換の消滅と間接交換を成立さ

るための共通の売買用具の導入をみてとることができる︒

なわち︑商品生産が増加し社会的分業が発達すると︑労働の生産性がたかまり︑種々の直接交換が頻繁におこなわれ

るようになる︒そうなると交換が複雑化してくる︒例えば︑織布工がいつもパンや肉を欲していても︑パソ屋や肉屋が織

布を欲していないことがおきるのである︒このような場合には︑交換を迂回させることによって直接交換を成立させるわ

伽  ある︒しかし︑社会的分業が発達し種々の商品が生産されるようになると︑迂回による直接的な交換は時間的にも不

便 あることが明らかになり︑このような方法にょる交換は自然消滅していくのである︒こうして︑交換を迅速に成立さ

るための方法としてその社会で共通の交換用具が経験的に工夫され︑発達してくる︒

スのこの点についての︑スミスの見解は珂⑧ノートにおいて次のように記録されている︒﹁人々が多くの種類の財貨を取引

る場合に︑そのうちの一つが価値尺度とかんがえられるに相違ない︒もしそこに三種類の商品︑すなわち羊と穀物と牡

しかないとすれぽ︑我々は容易にそれらのものの比較関係を記憶することができる︒しかるに百種のことなる商品があ

  るときは︑その各々について︑残りの各々との比較から生ずる九十九の価値がある︒これらの価値は容易に記憶され得る

6 ものではないから︑人々は自然に︑それらの商品の中の一っをもって共通標準となし︑これによって残りのすべてのもの

(11)

66        ⑤

るようになる︒これは当然︑最初は人々がもっともよく知っている商品であろう﹂︒

ここで注目すべきことは︑スミスが共通の交換用具を取引の﹁共通標準﹂として表現していることである︒分業が発達

してくると︑多くの人々が多くの種類の商品を多量に取引するようになるから︑これらの商品の数量と価値を表現するた

要になってくるというわけである︒共通標準は﹁等しい量が等しい価値を有するような﹂精確な尺度

なり得るものでなければならない︒この共通標準が他の諸商品の価値を精確に表現する機能をもつものとすれぽ︑これ

上︑あらゆる諸商品にたいする一般的な等価物として位置づけることができるであろう︒ただしかし︑スミスには

る商品の価値形態に関する考え方やその展開は見当たらないし︑したがってまた︑その発展についての論

な分析もない︒人間の経験の積み重ねから生まれた知恵によって︑自然尺度としての一般的な等価物が発生した︑と

う認識である︒この一般的な等価物こそが貨幣となるものである︒だから︑スミスが︑U⑧ノートにおいて﹁我々は貨      ⑥幣を最初価値の尺度として︑つぎに交換の媒介物として考察する﹂と述べているように︑先ず︑価値尺度として貨幣の機

能をとりあげるわけである︒

しい量が等しい価値を有するような共通標準として最適な商品は︑金属のなかでもとくに金銀である︒それは﹁金銀

あっては︑どの程度の混入物が含まれているかは精確に見出される﹂からである︒このような認識は金銀の重量や純分

を確定するのが可能であるという認識を示すものである︒金銀のもつ性質が保存しやすいこと︑摩滅しにくいこと︑細分

して運搬しやすいことなどの物理的性質や︑光沢の美しさあるいは金銀製品としての素材としての使用価値をあわせも

ることが︑この物質の特長である︒このような金銀のもつ物理的性質を含む使用価値が他のすべての商品の交換価

ることになったのは︑以上のような理由からである︒いわぽ︑価値表現としての金銀の確立である︒すなわち︑

U

⑧ノートには次のように叙述してある︒﹁金銀は︑諸財貨を比較すべきもっとも精確な標準として選定され︑したがっ

(12)

値のもっとも適当な尺度と見なされた︒金銀は︑価値の尺度となった結果︑また商業要具ともなったひ財貨を市場に

出すことがやがて必要となったが︑価値尺度が同時に︵旬一ωo︶商業要具であるのでなければ︑それを決して正しく       の 巳Φ<o巳ぺ︶交換することができなかっね﹂︒このことはU㈲ノートにおいても同じように記載されている︒すなわち︑

ま考察したように︑貨幣は二つの別々の目的を持っている︒先づ第一に︑貨幣は価値を測定するものである︒⁝       ⑧⁝同時に︵巴切o︶貨幣は商業要具あるいは取引や交換の媒介物でもある﹂︒

中から金銀が貨幣になっていく過程における価値測定機能と︑その結果から派生した商業要具としての流通機能

とには︑一応︑原因・結果の関係をみることができる︒このことと︑市場においては一般的に貨幣は価値尺度であると同

時に商業要具である︑という認識とは矛盾するものではない︒日常の生活においては︑価値尺度としての貨幣の機能は︑

我々の観念として認識されておれば十分だからである︒

こうして︑スミスはしだいに貨幣の商業要具としての機能について言及していくのである︒貨幣の商業要具としての重

と関連づけて次のようにいっている︒﹁貨幣は商業要具としてたいへん重要である︒:⁝・それはその手段にょ

        って商品交換を促進する︒この交換はまた︑人々の勤労と能力を促進し︑分業を助長する﹂︒分業と商品交換の活発な循

環がその国を豊かにする基本であるという認識である︒貨幣である金銀を蓄積することが富裕の方法ではないことを︑ス

ミスは貨幣の有用性と関連させて︑﹃草稿﹄のなかで次のように言っていた︒﹁貨幣の唯一の効用は︑諸商品︑すなわち︑

こヘ

食物︑衣服居住の便宜品もしくは家庭設備用具を流通させることであり⁝⁝貨幣は︑商品を流通させることだけに役立つ

      ゆ

      ロ ら︑いわば何物も生産しない死蔵資本﹂であると︒われわれはここにもス︑︑︑スの重商主義政策にたいする批判をみ

 てとることができるのである︒

67

(13)

④  ピ﹈εノー♪戸OΦO︒

6  ⑤巳●︶ノー♪層℃°﹂°︒N⊥°︒ω︒訳︑三五三ページ︒

⑥⁝ ⁝●箆゜U°Hooω︒ 訳︑一一一五一一一ページ︒

⑦  一ぴ剛亀二 〇〇°﹂oo杏ー﹂ooO︒ 訳︑ 一一一五五ページo

い﹈εノー♪戸ωΦ◎︒︒

   ⑨ ⁝ひ一口゜も゜ω謹︒

 ﹃草稿﹄O°ωふべ゜訳︑ 一一〇ページ︒全集版亨ロベO︒

 ﹃国富論﹄における貨幣認識 O 分業と交換

 ﹃国民の富の性質と諸原因に関する一研究﹄いわゆる﹃国富論﹄は︑冒頭において諸国民の富裕を労働の生産物と規定

して︑次のように述べている︒﹁あらゆる国民の年々の労働は︑その国民が年々に消費するいっさいの生活必需品や便益

品を本源的に供給する元本であって︑これらの必需品や便益品はつねにこの労働の直接の生産物か︑またはこの生産物で       ω他の諸国民から購買されるものかのいずれかである﹂︒富とは︑諸国民が毎年消費する生活必需品や便益品であり︑それ

らは年々の労働生産物である︑という基本的な考え方が明確に述べられている︒

したがって︑その国の富裕の程度は労働生産物の量と︑それを消費する者との割合に依存することになる︒この割合を

る要因は何であろうか︒スミスは国土の地味や気候および面積を一定と考えて︑次の二つの事情を摘出する︒すな

ち︑﹁第一に︑その労働が一般に充用されるぽあいの熟練︑技巧および判断︑また第二に︑有用な労働に従事する者の

(14)

       ②とそういう労働に従事しない者の数の割合﹂が︑これである︒生活必需品および便益品の供給は︑後者よりも前老の方

大 きく依存するのである︒

なぜならば︑野蛮民族は有用な労働に従事しているにもかかわらず︑みじめなほど貧乏である︒これに対して︑﹁文明

な諸国民のあいだでは︑たとえ人民の多数はまったく労働せず︑その多くは働く人々の大部分にくらべて十倍︑否       ③しぼしぼ百倍もの労働生産物を消費するにもかかわらず︑社会の全労働の生産物はなおきわめて多いから﹂である︒労働

熟練︑技巧および判断が文明社会における富を潤沢にすることは︑換言すれば︑労働の生産力の発達が社会を富裕にす

るということである︒したがって︑スミスは﹁分業論﹂冒頭で次のようにいうのであった︒﹁労働の生産諸力における最

大の改善と︑またそれをあらゆる方面にふりむけたり︑充用したりするぽあいの熟練︑技巧および判断の大部分とは︑分      ㈲業の結果であったように思われる﹂︒

ω  ︾合日Q力日詳戸﹄§ミ心ミミ眺ミ︒s意之ミミ㌻§⇔○§網切ミ忘・マ§周S︒︑之ミご蕊・︒臼・ぺ国住笥ぎP目①ロ・Φ書︒合江op

  胃o亘↑oa︒豆HΦoo°︹声︺戸Pこれを写︒巴書o袖Z①江8︒・と表記する︒邦訳は大内兵衛.松川七郎訳﹃諸国民の富﹄岩波書店.

全二巻本を用い︑﹃国富論﹄Oまたは⇔と略記する︒〇六一ページ︒

 ②妻︒①巨︒^2①江︒巨・り・︵﹈︶睾7N訳︑〇六三膓︒

㈲  ≠<6P一.げOS Z①註O昌ω゜ ︵︼︶ O°N〃 訳︹﹇山ハ一一−山ハ一一ページ︒

  ω  ≦o①一けゴo︹2①け一〇昌ψ︒ ︵︼︶ O°切゜ 訳〇六八ページ︒

    内分業に共通している技術的分業は︑技巧の改善や時間の節約および職人が発明した機械類を使用す

6 ることにょって労働時間が短縮し︑労働の生産諸力を向上させるのである︒この結果︑技術の導入にともなう労働生産物

(15)

o は飛躍的に増大する︒生産物の潤沢な供給は︑あらゆる階級の人民にまでゆきわたる︒すなわち︑﹁あらゆる職人は︑自7 自身が必要とする以上に︑処分しうる自分の所産を多量にもっており︑またあらゆる他の職人もまさしくこれと同じ立      ⑤  あるから⁝⁝他人の多量の財貨の価格と交換することができるのである﹂︒

これほどまでに富裕が社会全体にゆきわたる分業は︑どのような原理でおこるのであろうか︒スミスは︑それを人間の

中にある交換性向に求める︒あるものを他のものと取引し︑交易し︑交換するという本性である︒これは︑人間の

刺激されてひきおこされるものである︒自愛心は人間の欲望を充足することによって満たされる︒情報を交換し︑       ⑥交易し︑そして購買する性向が分業を引き起こす原理である︒人間の欲望を充足し︑それを極大化しようとすると

ころに分業をひきおこす交換力︵日o弓o乞Φ﹃oho×nゲ呂∞qo︶が生れる︒この交換力は商品を交換する世界において無制

力を発揮するものであろうか︒このことについて︑スミスは︑明白に︑分業を引き起こす交換力の大きさは︑市場の       ⑦ 広さに制約される︑という︒かくして︑ス︑・・スの文明社会発展の見取り図は︑社会的人間の本性に基づく自愛心に導かれ

達し︑市場の大きさの範囲内で商品交換が発展し︑労働の生産諸力が著しく改善して︑社会の一般的富裕がも

らされる︑というものである︒こうして︑われわれは分業と交換と社会の発展という三つの要素連関を摘出することが

きたのである︒

司o巴書o袖2四江oロρ︵﹈︶b﹂N°訳OO七八ページ︒

≦︒巴夢oh2暮一〇目・︒w︵一︶b°﹂Φ゜訳〇八二ー八三ページ︒

m  ぞくoω一仲庁o袖2四汁一〇ロω ︵H︶O°﹂⑩゜ 訳□︶ 八七ベージ︒

(16)

幣 出現の必然性

    し︑発展させるためには︑商品の交換が円滑におこなわれなければならないのは自明の理である︒﹁い

して確立されると︑ある一人の人間が自分自身の労働生産物にょって充足しうるところは︑そのもろも

   ろの欲望のなかのごく小さな部分にすぎない︒かれは︑自分自身の労働生産物の余剰部分のなかで︑自分自身の消費をこ

  えてあまりあるものを︑他の人々の労働生産物のなかで︑自分が必要とする部分と交換することにより︑そのもろもろの

部分を充足する︒こうして︑あらゆる人は交換によって生活し︑つまりある程度商人になり︑また社会その

ものも︑適切にいえば一つの商業社会に成長するのである﹂︒分業が確立した社会における人間の欲望は︑交換によって

されていく︒一人一人の労働生産物の自家消費分を超える余剰部分と︑他の人々の労働生産物のなかで自分が必要と

る部分とを想定することにょって︑﹁交換﹂を引き出す考え方は︑分業社会が人類の歴史的必然性をもった社会過程で

あるという認識を示すものである︒スミスは︑こういう分業社会を﹁商業社会﹂として把握する︒この商業社会という一

κ

していくために︑交換という社会的な物質代謝の過程が展開するのは必然であり︑そこにおける一人

謝  一人の人間は︑諸々の欲望を充足し︑それを極大化していくための行動をとる商人的性格をもつことになる︒この欲求が

自家消費分を超える余剰部分を取得しようとする動機を与え︑社会的な拡がりをもった分業や生産力の発達につながるわ

けである︒社会発展の基軸を分業と交換の関係に求める基本的な視座である︒

しかしながら︑分業の発達が初期の段階においては︑生産物の交換は円滑におこなわれず︑交換力はしばしば妨害され

 た︒スミスは次のように言う︒﹁ある人はある一定の商品を自分自身が必要とする以上に所有しているのに︑別の人はそ

しか所有していない︑と仮定しよう︒その結果︑前者がこの余剰物の一部分をよろこんで処分するであろうし︑

7 また後者もそれを購買するであろう︒けれども︑もしこの後者がたまたま前者の必要とするものを一物も所有していない

(17)

72 ら︑かれらのあいだにはどのような交換もおこなえぬであろう︒肉屋は︑その店に自分が消費しうるより多くの肉をも

り︑しかも肉屋とパン屋のおのおのは︑その肉の一部分を購買したいと思っている︒ところが︑かれらはそれぞれ

業の異なる生産物以外には︑交換に供すべき一物ももたず︑しかも肉屋は︑自分がいますぐ必要とするくらいのパン       ②ールはすでにその全部をととのえているのである﹂︒

産物交換が成立するための条件は︑交換する者同志が︑相互に必要な生産物を所有している場合だけに限られる︒み

られるように︑スミスは労働生産物を﹁商品﹂と把握しているわけであるから︑商品の持つ使用価値を交換者が相互に認

あうことによって︑交換が成立することになる︒このように︑直接的な形で生産物を交換するということは︑交換者の

自愛心に導かれた単なる生産物の持ち手変換を意味するものである︒

  しかし︑生産物の持ち手変換は︑相互の余剰生産物に使用価値を認めない限り成立しない︒商業社会を維持するために

は︑交換の不便を取り除き︑人々の交換性向つまり交換力が自由に発揮できるのでなければならない︒この交換の不便を

け︑交換を円滑におこなうためにはどうすれぽいいのであろうか︒スミスは次のように言う︒すなわち︑﹁このような

態の不便を避けるために︑分業が最初に確立されてから︑社会のあらゆる時代のあらゆる慎慮の人は自分自身の勤労に

特有の生産物のほかに︑なにかある商品の一定量︑すなわち︑たいていの人はそれとかれらの勤労の生産物とを交換する

まいとかれが考えるような︑なにかある商品の一定量を︑いつでも自分の手もとにもっているというしかたで︑       ③自分が当面する問題を処理しようと当然努力したにちがいないのである﹂︒スミスは︑たいていの人が交換を拒まないよ

うな特定の商品を交換の共通の用具として考えているのである︒交換過程にあるほとんどの人が受取りを拒否しないよう

なある特定の商品を自分が所有していれば︑自分の欲する商品が手にはいる︒その意味において︑この特定の商品が貨幣

となり︑それが交換の不便を解消し︑交換を確実にする共通の用具となるのである︒

(18)

ス.ミスは伝聞であると断わったうえで︑スコットランドのある村では︑貨幣の代りに釘が商業や交換の共通の用具とし

用いられている︑といっている︒その社会においては︑釘が一般的な交換手段として通用していたことになる︒物々交

円滑にするための交換用具としてスミスが挙げている商品は︑家畜・塩・貝殻・たら・タバコ・砂糖・なめし皮など       ④ある︒これらは︑歴史的事実や経験による交換の確実さから選択されたものであろう︒だが︑交換の不便を解消するた

あらゆる他の商品に優先して︑最終的には金属類が商業や交換の共通の用具として選ばれた︑とス︑・・スは解釈するの

ある︒

ω

  ≦o但#ゴoパZ①註05ω︵﹈︶PN合訳日九三ページ︒

②  ≦o①一仲庁oS2①吟一〇口ω︵﹈︶O°N︽︒へージ︒ 訳口U九三ページ︒

  妻o巴書o㌣20±opω︵︼︶OO°Nふページ︒訳〇九三ー九四ページ︒

  ④ この点について﹃国富論﹄の編者である国江笥日○①目9はその脚注でハリスの﹃貨幣・鋳幣論﹄によく似ていると述べている︒

 ハリスは次のように言っている︒﹁人々のあいだの最初の商業が物々交換によって︑すなわち一財と他財との交換によっていとな

 まれたことはたしかであり︑そうしてこういう交換こそ︑国際間のものであると国内のものであるとを問わずあらゆる商業の真のま  た究極の目的である・しかし合がふえ技術が発達す乏つれて・財貨の藁な交警・多くの場く足不便になり・ふ三うとな

 った﹂﹁単純な物々交換の持つ多きい不便を避けるためにあらゆる他物との交換にあたって普遍的に受容されるべき素材ないし財

貨がやがて承認されたのであってこれがわれわれの貨幣と呼ぶところのものである﹂︵ト出胃﹁黄﹄ボ霧句8§os§§◎§へ以   8ざ酔冨詳古 吋冒゜弓庁8叶一霧o︵Oo日目零6p窓自①ざ鱒昆国肖冨轟︒ωい︒且op﹂べoSpω古℃ωP小林昇訳﹃貨幣・鋳貨

  論﹄東京大学出版会︑一九七五年︑三三ページ︑三五ページ︒

7  それでは︑何故︑商業や交換の共通の用具が上記の諸商品から金属類に変換したのであろうか︒スミスは次のように説

(19)

4 明する︒﹁たとえぽ︑塩を買いたいのに︑家畜のほか塩と交換にあたえるものをまったくもたなかった人は︑いちどきに︑7まる一頭の雄牛︑またはまる一頭の羊の価値だけの塩をかわざるをえなかったにちがいない︒かれが塩とひきかえにあた

えるべきものは︑損失なしに分割することはまずできないから︑かれがこれよりも少量を買うということはまずできなか

   ったであろうし︑またもしかれがもっと多く買おうという気があったら︑同じ理由から︑かれは二倍三倍の量︑すなわち︑

      ⑤ ないし三頭の雄牛︑または二頭ないし三頭の羊の価値だけを買わざるをえなかったにちがいないのである﹂︒家畜な

  どの特定商品は一般的な交換手段として不適当である︒例えぽ︑少量の塩を入手したい人は︑一頭の羊の価値の塩と交換

ざるをえなくなり︑必要以上の塩を買うことになる︒これは︑交換手段としての家畜を損失なしに分割することができ

  ないことから発生する現象であるといえる︒

こで︑家畜に相当するものが腐敗しにくく︑損失をともなわず任意の個数に分割でき︑さらに分割したものが再結合

きるような性質を備えておれば︑交換の不便は大いに解消できる︒スミスは︑このような耐久性をもち可分的な性質を

えたものは金属類であり︑それは︑人類が長い歴史の過程で交換の確実性を求めて選択したものだと考えるのである︒

そして次のように言う︒﹁もしかれが羊または雄牛のかわりに︑塩と交換にあたえるべき金属類をもっていたなら︑かれ      ⑥

量 を︑いますぐ必要とする商品の性格な量にたやすく比例させることができたであろう﹂と︒

ところで︑商業や交換の用具である金属類が︑鋳貨として流通するようになったのは何故であろうか︒スミスにょれぽ︑

あまり進んでいない時代においては︑鉄・銅・金および銀が貨幣の機能をはたしていたという︒ただ︑ここにいう

貨幣の機能は後で述べることであるが︑使用価値の視点からみたものであることは言うまでもない︒上記の金属類を所有

  していれば︑ほとんどの欲望は満たすことができるのである︒しかしながら︑粗製のままの延べ棒では︑交換が頻繁にお    こなわれるようになると重大な不便に見舞われることになる︒

(20)

来︑貴金属類と財貨の交換が成立するためには︑貴金属の衡量が精確であり︑その純度が保持されていなけれぽなら

  ない︒この衡量や純分の操作は︑きわめて煩雑であるために︑交換が盛んになってくると︑事実上︑困難になり確実にお

 こなわれなくなる︒衡量や試金の操作が困難になると詐欺などの不正が横行し︑貴金属類と財貨との交換はおこなわれが

 たくなる︒そこで︑スミスはいう︒﹁改善がかなりの進歩をとげたすべての国では︑このような弊害を防止し︑交換を促

させ︑さらにはすべての部類の産業や商業を奨励するために︑そういう国で財貨を購買するのにふつう使用されていた

ような特定の金属類の一定重量に︑公的な刻印を押すことが必要だということがわかってきた︒これが鋳貨の起源﹂であ  m  る︒改善の進んだ国では︑詐欺や不正を防ぎ︑交換を促進し︑産業や商業を奨励するために︑その国で使用されていた特

定の金属類の一定量に公的な刻印を押すことによって金属の重量や純分を確認するようになった︒これが︑粗製の延べ棒

 が鋳貨に転換した理由である︒その場合︑時代や国によって異なる鋳貨の名称は︑それに含まれている金属の分量を表現

したものにすぎないのである︒

笥︒均9︒;旬﹇.︒昌・︵H︶︒ζ・1鐸訳Q九五ぺ←︒

⑥  ぐくoρ一けげo喘Z①江oコω︵門︶b°N◎ 訳〇九五ー九六ぺ!ジ︒

m

  乏8耳庁o︷Z国江oOω∨︵H︶O︒NS訳⇔九七ページ︒

    ⇔貨幣の機能

貨の売買を媒介する商業の普遍的な用具になった事情は︑以上の如くである︒スミスは︑いわぽ貨幣の流通手

7 段としての機能を﹃国富論﹄第一編第四章において展開していた︒その末尾には︑財貨と貨幣とを交換するときの法則︑

(21)

76 なわち諸商品の交換価値を規制する実質的尺度の究明を第五章でおこなうこととしている︒第五章の冒頭において︑ス

ミスは︑労働こそが交換価値の実質的な尺度である︑という命題を措定するのである︒すなわち︑次のように言う︒﹁あ

らゆる人は︑その人が人間生活の必需品︑便益品および娯楽品をどの程度に享受できるかに応じて︑富んでいたり︑まず

しかったりするのである︒ところで︑いったん分業が徹底しておこなわれると︑一人の人間が自分自身の労働で充足しう

るのは︑これらのうちのごく小さな部分にすぎない︒かれはその圧倒的大部分を他の人々の労働からひきださなけれぽな

らないのであって︑かれは︑自分が支配しうる労働の量︑つまり自分は購買できる労働の量に応じて︑富んでいたり︑ま

しかったりせざるをえない︒したがって︑ある商品の価値は︑それを所有してはいても自分自身で使用または消費しよ

うとは思わず︑それを他の諸商品と交換しようと思っている人にとっては︑その商品はその人に購買または支配させうる

働の量に等しい︒それゆえ︑労働はいっさいの商品の交換価値の実質的尺度なのである﹂︒分業が徹底的にゆきわたっ

て︑人間労働の生産物である生活必需品や便益品および娯楽品などの富が多いか少ないかは︑自分が労

働して生産した財貨の量で測るのではなくて︑この生産物が他人の労働の量をどの程度支配するかどうかによって決まる︑

という訳である︒

ミスは︑ここで︑富を規定したうえで︑分業社会では︑富の大部分は他人労働から得なけれぽならないから︑結局︑

度はその人が支配しうる労働の量11自分が購買できる労働の量に依存すると述べているにすぎないのである︒だ

なことは︑自分の労働の生産物が同等量の他人の労働の生産物と交換されるということである︒交換過程における

このような考え方は︑その基底に商品の価値はその生産に要した社会的労働時間が同等量であるということを含むもので

ある︒スミスは私の労働と他人の労働を同等量のものとして等置する時︑商品の交換価値の実態を社会的労働に求めてい

るわけである︒したがって︑商品の交換価値を決定する要因︑換言すれぽ︑その尺度は︑投下労働を潜在させたところの

(22)

       公 働であり︑その商品を生産するのに要した社会的に必要な労働時間である︑と解せるのである︒このことは投下労

  働と支配労働とを同等量のものとして︑暗黙裡に表象していることを示唆するものであろう︒スミスの次の叙述は︑この

ことをより明確にしている︒すなわち﹁あらゆるものの実質価格︑つまりあらゆるものがそれを獲得しようと欲する人に

   実についやさせるものは︑それを獲得するための労苦や煩労である︒それを獲得して売りさばいたり︑他のものと交換

したりしようと欲する人にとって︑あらゆるものが現実にどれほどの値があるかといえば︑それはこのものがそのひと自

身に節約させうる労苦や煩労であり︑またこのものが他の人々に課しうる労苦や煩労である︒貨幣または財貨で買われる

ものは︑われわれが自分自身の肉体を労苦させることによって獲得しうるものとまったく同様に︑労働によって購買され

  るのである︒貨幣または財貨は︑事実上︑この労苦をわれわれからはぶいてくれる︒これらの貨幣または財貨は︑労働の

 一定量の価値をふくんでおり︑われわれはそのとき︑それらをこれと等しい労働量の価値をふくむと考えられるものと交       ③ るのである︒労働こそは︑最初の価格︑つまりいっさいのものにしはらわれた本源的な購買貨幣であった﹂︒

ω 綱oロ犀げo︹2③己oロω゜︵︼︶O°ωN∨訳〇一〇五ページ︒  ②マル・スは次のように言う︒﹁藁上A三・スが三三い・ているのは︑諸商品の価値はそれら誓まれている霞時間によ

 ・て規定されており︑商品所薯の富とはかれが畠にする社会的労働の量の・とだとい三﹂とにほかならない﹂民旦竃ぷ

     ﹃曾ミへ§§ミ⇔§さミSミ﹄︑法゜甲≦こ切合NΦ゜弓品H°O︒吉蝉ロ巽一一円お099・°ふS邦訳︑大月書店全集版︑五七ページ︒

綱③①︸●廿o木20註oo切.︵﹈︶層℃°ω吋ーωω゜訳〇一〇五ー一〇六ぺージ︒ 彼は︑労働こそが本源的な購買貨幣なのであり︑労働こそがいっさいの商品の交換価値なのであると明言する︒しかし︑

7 そうであるとしても︑異種労働間の量的割合を確定するのはきわめて困難であるという︒なぜならぽ︑﹁二つの異なる部

参照