アダム・スミスの租税利益説について
著者 榎並 洋介
雑誌名 星薬科大学一般教育論集
号 8
ページ 153‑188
発行年 1990
URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000174/
アダム・ス ミスの租税利益説について
榎並 洋介
一 はじめに
二
政 府への服従
三 租
税 と資本蓄積
四 租
税 第一原則と利益説 一 はじめに
ア ダム・スミスは政治経済学の目的について次のようにのべている︒﹁政治家または立法者の科学の一部門と考えられる
政 治経済学は︑二つの別個の目的をたてているのであって︑その第一は︑人民に豊富な収入または生活資料を供給するこ
と︑もっと適切にいえぽ︑人民が自分たちのためにこのような収入または生活資料を自分で調達しうるようにすることで
あり︑第二は︑国家すなわち共同社会に︑公務を遂行するのに十分な収入を供給することである︒政治経済学は︑人民と
3 り り− 主権者との双方を富ますことを意図しているのである﹂︒立法者の科学としての政治経済学は︑まつ国民を裕福にすること︑
4 その国民のゆたかな収入を国家を維持するために供給することによって︑主権者を富ますことであると開示する︒15 国民を豊かにすることは国民の収入を増やすことであるが︑具体的には人々の生活必需品や便益品を増加させることで
ある︒ス︑ミスは収入を賃金と利潤および地代の三つの形態から成ると考えているから︑これらを増加させるには資本の自
由な活動を保証し︑生産力を高め︑資本の蓄積を促進することによって拡大再生産を実現することに求めていた︒
このような国民経済の拡大的循環が国民収入を増加させ︑それが国家を豊かにする源であるという構想である︒あくま
でも自由な経済活動が主体であり︑その基盤となる個人の自由や安全を保護するのが国家の役割であるという認識であ
る︒ス︑ミスは後に論ずるように︑国家の役割を必要最小に制限する︒防衛と司法制度とある種の公共土木事業の三つがそ
れで ある︒国家がこの義務を果たすには︑必然的に経費を必要とするわけで︑国家の保護の下にある国民がこの必要経費
を調達す ることになる︒国家の保護によって利益を享受する国民が︑同時にその経費を国家に貢納するという関係が発生
することになるのである︒
これは︑明らかに国家と国民との関係を考察する問題である︒国家はどのような根拠に基づいて国民に租税を課すので
あろうか︒また︑国民はどのような理由で租税を貢納するのであろうか︒この問題についてアダム・ス︑・・スがどのような
思想 と理論と政策を展開したのかを考察するのが︑本稿の目的である︒とくに︑彼は自由経済制度の下で家産国家から租
税 国家の転換を主張することによって︑経済の拡大再生産を促進する視点を保持しつづけているからである︒
ところで︑スミスの時代におけるイギリスの財政状況の主要な特徴は次のとおりであった︒財政支出においては︑軍事
費と公債費が八割以上をしめ︑それらを賄うための国家収入は︑消費税と関税さらに地租を含むアセスド・タックスに依
存していることである︒すなわち︑スミスが﹃国富論﹄を執筆中の一七七〇年の連合王国の財政構造は︑軍事的色彩の色 ②
濃い政府予算であった︒
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くo宣↑§△o戸お切⇔︹.︺∨ωΦo°これを壽巴書o暢Z良︒諺と表記する︒邦訳は大内兵衛・松川七郎﹃諸国民の富﹄岩波書店︑
全二巻本を用い︑﹃国富論﹄と略記する︒六四三頁︒
② 困゜︾°呂ρω哨目<o°﹄へ⇔§句§︵■§︑§是O烈So§㌻osへb㈱Sミ●ミへ§ヨ↓庁o家胃汗o・自ロロひ︐oω99woα゜ひ町弓゜司=切oロ
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③ 斎藤忠雄﹁アダム・スミスの公債思想︵上︶﹂﹃修道商学﹄︹広島商科大学︺第二三巻第二号︑一九八二年︑八一頁および八八頁︒
π 二 政府への服従引謝
継
﹃グラスゴウ大学講義﹄におけるアダム・スミスは︑国家の起源について次のように考察する︒私有制が財産の不平等税租
をもたらしたが︑このことが最初に正規の政府を発生させたのであった︒﹁財産が存在するまでは政府というものはあり
の ー 諏 得な い︒まさに政府の目的は︑富を確保し︑富者を貧者から保護することにある﹂と論じね︒財産の保護を国家の起源と
ス
・ す る認識である︒スミスは講義において︑正義︑治政︑国家収入および軍備の四つを統治の一般諸原理として論ずるのだ
ムが が︑とくに治政の目的のなかで国家の富裕を考察している︒彼は︑統治の形態を君主政治と共和政治に区分し︑﹁君主政
治は最高の権力と権威とが一人の人間に与えられる場合であって︑かれは和戦を決し︑租税を課する等︑自己の欲するま
571 まにこれをおこなうことができ﹂︑一方︑共和政治としての﹁民主政治は国務の処理が国民全体に属する場合である﹂︑と
定義す る︒統治の本源的原理は︑君主政治では権威の原理が主としておこなわれ︑民主政治では功利の原理が主としてお8 リ カユ く
こなわれると分析するのである︒
租 税の根拠やその負担配分を考察するぽあいには︑国家と国民の関係を規定する支配・服従がいかなる統治原理にょっ
て遂行されるのかが大きな課題となる︒スミスはこの統治原理に権威と功利の原理を求める︒すなわち︑﹁人々をみちび
いて市民社会に加わらしめる原理は︑二つあるが︑我々はこれを権威および功利の原理とよぶ﹂として︑この二つの概念 ㈲ を市民社会における統治の説明原理とするのである︒
権 威というものは︑ある人の年齢や心身の能力の優越さという性質よりも︑すぐれた富を所有している者の方が一層多
く権威を賦与されるとして︑次のようにいう︒﹁えらい人々のなかで︑体力や精神力のすぐれた者が他の人々から認めら
れ るのは必ずしも容易ではないから︑まつ富者を重んずる方が便宜であり︑また普通である︒古い家柄︑すなわち長い間 ω その富をもって世に秀でてきた家柄が︑他の何人よりもすぐれた権威をもつことは明白である﹂︒しかし︑このことは貧
者が富者に対して従属的であることではなく︑貧者は自分の労働によって自立するわけであるから︑べつに富者から利益
を期待しないにしても︑富者に対して尊敬の念をもつ傾向が強い︒
このことについてス︑ミスは︑すでに﹃道徳感情論﹄において次のように論じていた︒﹁富者や権力者の抱くあらゆる情
感と同じ情感に常にひたりたいというこの人類の性情を基礎として︑身分の差別や社会の秩序が確立せられるのである︒
われわれが自分達よりも優れた人々に対して阿訣追従するのは︑かれらの好意に訴えて何らかの恩恵にひそかに預かろう
と期待するためではなくて︑むしろかれらの有利な地位に対しておれわれが心から讃嘆を惜しまないからである︒かれら
はほんの少数のものにしか恩恵を施すことができない︒しかるにかれらの運命に関しては︑ほとんどすべての人間がこれ
に興 味をもつ︒われわれはほとんど完べきに近い状態にある幸福の体系をかれらが更に完成しようとするのを熱心に援助
す る︒しかもわれわれがかれらに奉仕したがるのは奉仕自体を目的とするもので︑高貴の人に恩義を感じさせたという虚
栄 と名誉以外には何らの報酬も期待しない︒われわれがかような性向を尊重をするのは主として︑あるいは全くそうした
服 従のもつ効用を顧慮するためでもなく︑また社会の秩序にもとつくためでもない︒むしろ社会秩序こそはかような性向
にょって︑最も強く支持せられている︒われわれが当然ある社会秩序に反抗しなけれぽならない必要が起こっているよう ㈲ に見える場合ですら︑われわれはどうしてもそうした反抗を敢行するだけの勇気をもち合せていないL︒
貧者が富者や権力者についていこうとする情感は︑同感といってよい︒この同感は︑利益などの恩恵に対する期待感で
はなく︑かれらの境遇や有利さに対する感嘆であるという︒このような富老や権力者への同感が人と人との間に貫通する
ことを通して︑身分の区別や社会の秩序が維持される︒﹁自然は賢明に︑諸身分の区別︑すなわち社会の平和と秩序が︑
目にみえず︑しばしば不確実な知恵と徳性のちがいに依存するよりも︑出生と財産の明白で融知できるちがいに依存する
⑥κ ほうが︑安全であろうと判断した﹂︒
し⇔ 階級社会 としての市民社会においては人間関係を結合させる同感を通じて︑富の優越性が権威を生み︑これが政府の基
説溢 礎となる︒財産の不平等の発生とその存続を目的に市民政府が権威と服従とを統治原理として導入する︒まさに︑﹁市民ま
醗
政府 は︑それが財産の安全のために確立されるものであるかぎり︑実は貧老に対して富者を防衛するために︑すなわち無の W淑 財産の人々に
対 して若干の財産をもつ人々を防衛するために確立されるものなのである﹂︒権威の原理とは︑人類が自然に
ス
・ 有する確立された権威と他人の中にある優越性を尊重するという傾向にあるから︑それを基礎とした統治は尊重されるベ
ム
や きであるというものである︒
591 註
ω ﹀合日ω日詳戸↑恥ミミo切§さ切§㌻さぎ♪知ミ§§§へ﹄︑ミ匂弓Φω︑6合9国△宅日Ogロ①口○×木自鼻﹂◎︒㊤9︵﹀°苦゜
民oピ子品忠︶⇔窃゜以下や09ξoω︵国︶と略す︒高島善哉・水田洋訳﹃グラスゴウ大学講義﹄日本評論社︑昭和二二年︑一〇七
16 頁︒以下︑訳文は若干変更︒
② ﹈O一ら.戸戸ふ゜訳︑ 一〇六頁︒
③ スミスの統治原理を考察するとき︑治政論の主題が社会の一般的利益11公共的効用であったとする見解と︑歓喜への同感を原理
とする人間の自然の感情であるという見解とについては︑田中正司﹁治政論の出自と分業論の成立−経済学の生誕と﹃法学講義﹄
その一1﹂﹃社会学研究﹄︹一橋大学︺第二三号︑一九八五年︑一一七ー八頁︑および︑新村聡﹁スミス経済学の成立過程﹂田中
正司編著﹃スコットランド啓蒙思想研究ースミス経済学の視界﹄北樹出版︑昭和六三年︑所収︑二〇三頁︑参照︒
④ 一庄烏二u° O訳︑九九ー一〇〇頁︒﹃国富論﹄では︑より詳細に服従の原因に関する四つの要因を挙げている︒それは人としての素
質の優越性︑年齢の優越性︑財産の優越性︑生まれの優越性である︵司o巴夢o⌒Z陣註o昌︒・も∨8今89訳︑一〇三六ー一〇三八頁︶︒
⑤ ﹀合諺ω日⁝⇔亡§㌻↓意ミ∨ミ﹂§§︑浄ミ軌§§量声謡P9°●鴫PO困自嘗陣9き△﹀°P家旬6喘一pO江oa∨巳ぷ㊥戸日゜
米林富男訳﹃道徳情操論﹄︵上︶未来社︑一九六九年︑一三四ー五頁︒
⑥ ︼O一ら二℃ト︒b︒O°水田洋訳﹃道徳感情論﹄筑摩書房︑一九七三年︑四六〇頁︒﹁スミスが主権者への服従ないし忠誠の義務の原理な
いし根拠をなすとした権威の原理は﹃感情論﹄の歓喜への同感理論を基底としたものであった﹂田中正司﹁アダム・スミス法学講
義研究序説﹂﹃横浜市立大学紀要﹄︵社会科学編︶︑新シリーズ︑第一号︑昭和五八年︑一四三頁︒
⑦ 司o巴夢o吟Z陣江oロΦ﹄︼°U°NOS訳︑一〇四〇頁︒
⑧ ︾巳自日ω日詳戸卜︑ミミa§㌔弐匂ミミo喜魯一昌夢60訂緒o暑国ユま自oぺ⇔げo笥o爵ωo己0◎﹁o°り︹るえ自80S>合日切日#亘
くoド︿°o△°げ鴇戸e呂8苫O巨図e庁①巴恥昆恒ρω9芦○ぽoaH零◎︒°戸巴Q︒以下やoo言苫ω︵﹀︶と略す︒なお︑角田猛
之﹁A・スミスの統治論﹂﹃法哲学年報﹄一九八〇年︑一七五頁︑参照︒
スミスは﹃国富論﹄第五編において主権者または国家の収入を議論して︑布民政府には一定の服従を前提とするという︒
高価で大きな財産所有社会では︑不平等の存在は当然であり︑少数者の裕福は︑他方における多数者の赤貧を前提にして
い るから︑後者が前者の所有物を侵害することがおこる︒だから︑﹁多年の労働︑またおそらくいく世代もひきつがれた
労働によって獲得された高価な財産の所有者がたった一晩でも安心して眠れるのは︑民政の長官の庇護があればこそのこ ⑨ とである﹂と言うのである︒彼は主権老または国家の義務の一つとして社会のあらゆる成員を他のあらゆる成員の不正ま
たは
圧 制からできるかぎり保護する義務︑すなわち厳正な司法行政を確立する義務を論ずるところでこの問題を議論し︑
財産所
有 老の財産を保護することが主権者または国家の目的の主要な義務であるとしているのである︒
注 目すべきは︑このような所有権を基軸にし︑個人の財産の保護を目的にして︑主権者または国家の統治権力の正当性
が人々に合意され︑財産所有の優越性という点に権威を賦与し︑この権威に基づいて人々が服従することである︒スミス
は国家制度に先行する人間の個人的属性を分析して︑他人と比較して優越している諸原因が自然に権威または服従をもた
らすという︒就中︑人としての素質の優越性︑年令の優越性よりも︑生まれの優越性と財産の優越性とが自然にある種の
司法権をその人に賦与するという︒生まれの優越性はその家族が昔からの財産家を想像させるものであるから︑結局︑財
忙 産の優越性が服従または権威を人々の間に自然に確立する原因になる︒﹁富という権威は社会のどのような時代にも大き
し﹄ い﹂︒未開社会においては︑貧者は富者である権威を具備した権力者に生活資料を完全に依存せざるを得ない︒﹁財産とい
説雌 う権威は︑富裕な文明社会においてさえきわめて大きい︒この権威が年齢または人としての素質のいずれの権威よりもはま
醗
るかに大きいということは・財産の多少とも重大な不平等をみとめている社会のあらゆる時期におけるたえざる不平のたの 0 な誤 ねであった﹂ことからも理解できるという︒
ス. 財産の不平等自体を存続させるために市民政府が導入され︑財産所有者による政府に賦与された権威にょって統治がお
ム宮 こなわれ︑これに人々が服従していく︒権威と服従とが維持され確保されることによって市民政府が存続する︒﹁とりわ
け︑富者は事物の秩序の維持に必然的に利害関係をもつのであって︑かれらが有利な地位を保持するのをかれらに保証す皿
るのは︑この秩序以外にない︒富のすくない人々が︑富の多い人々の財産の所有を団結し防衛するのは︑富の多い人々に
自分たちの財産の所有を団結して防衛してもらうためである﹂︒社会制度に先行する個人的な権威や服従は︑それが社会
621 秩序として維持され︑利害関係を必然的に発生させることによって︑社会的に制度化されていく︒所有権の侵害や不正行
為や処 罰や賠償などの概念の発生はこのことの発現である︒主権老の司法上の権威の行使によるものである︒われわれは
ここに財産の優越性という個人的な権威と服従が︑利害関係を発生させつつ︑社会秩序の維持を確保することによって︑
それが社会的権威と服従に論理展開していくことを見るのである︒まさに﹁法と政府は⁝⁝自分の財産を増殖した個人が
その果実を安んじて享受し得るように︑彼を保護する︒法と政府によって︑すべての生業はさかんになり︑それがひぎ起
こす財産の不平等は十分保護される︒法と政府によって︑我々は国内の平和を享受し︑外敵の侵入を免れる﹂のである︒
註 ⑨ ≦o巴誓o冷Zo江o房゜︼ピO°NOω゜訳︑一〇三五頁︒
⑩ スミスが文明社会において財産の不平等を容認するのは︑野蛮社会におけるよりも分業の発展による生産力の向上が人々を豊かに
するからだという認識である︒この点は︑﹃国富論草稿﹄においてスミスが強調したところである︒︵︾合①日ω目#ぞ﹄8㎏ミせ
b∨ざミ︒きo司恥ミ■ミ︒﹀ざぱ§臼﹄⇔o§切§軌■︾切言へ㌻ミ亀sへ︑∨ミ㌻毯ミ∨o臼げ町司匡=o日男oげo詳ψ力8詳 O訂q駐ぬo妻
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内一男編﹃国富論研究﹄皿︑筑摩書房︑一九七二年︑所収︑参照︒なお︑スミスの体系を分業体系として把握する理解の仕方につ
いては︑同氏の一連の論文を参照︒
ω 一庄ら゜も゜卜︒OS訳︑一〇四〇頁︒
⑫ い09ξo︒︒︵ロソ弓己Oρ訳︑三一二頁︒このようなスミスの政治的保守主義については︑O°司日n亘﹄へ負§切§S§︑㊤さ㍉§2℃
O⇔日耳置ぬρq巳く.㊦﹃9ω﹂鵠゜︒︑参照︒
功利の 原理についてアダム・スミスは﹃グラスゴウ大学講義﹄において次のように説明する︒﹁人をみちびいて為政者
に服従せ しめる第二の原理は功利である︒誰でも︑社会における正義と平和を維持するためには︑この原理が必要である
ことを知っている︒国家制度によって︑もっとも貧しい者ももっとも富める者およびもっとも有力な者による侵害を免れ
ることができる︒そして特殊な場合においていくらか不都合はあるかもしれないがー疑いもなく実際に不都合は存する
ので あるがーしかしわれわれはより大きな弊害を避けるためにこの国家制度に服従するのである︒人々を動かして服従
にみちびくものは︑個人的な功利感であるよりも︑むしろ公共的な功利感である︒政府に服従しないでそれの転覆を願う
方が︑私の利益であることがしばしばあろう︒しかし私は︑他の人々が私とはことなった意見をもち︑この企てにおいて
私を
援 助しないであろうということを知っている︒それ故に︑私は全体の利益のために政府の決定に服従するのである﹂︒
論理の
視 点は功利の原理を展開することによって全体の利益に移っている︒
権 威の原理が個別的利益を尊重する意味の統治であったが︑ここでは︑人々は個別的な利益よりも全体的な利益のため
古 に政 府の決定に服従するというものである︒しかも︑スミスは市民社会における正義と平和を維持するために︑社会全体
し﹄ の利益を目的として︑この国家制度を富者にも貧者にも適用し︑社会の成員すべてに服従させると述べているのである︒
説幡 財 産の優越性という権威を保持するには︑所有の安全をはかる国家制度が必要になる︒社会の秩序や平和を維持するにはま
醗
一定の国家収入が確保されなけれぽならない︒そうしなけれぽ︑他国民による侵略からの防衛や財産所有の保護は到底不の誤 可能である︒だから︑国家が国民の意思に反して租税を徴収するとき︑反抗するのが適法なのではなく︑それが中庸を得
ス ⑭・ た額であるならば︑人々は不平をいわずに納税するものである︒
ム 一七六三年三月二二日の講義では権威の原理と功利の原理について次のように記されている︒﹁臣従のこの原理または
義務は︑つぎのふたつの原理にもとつくようにおもわれる︒われわれは︑第一を権威の原理︑第二を共通利益または一
631 般利益の原理とよぶことができる︒権威の原理については︑われわれ︑各人がうまれつき︑だれであれ他人のなかにある
4 既成の権威と優越性を︑尊敬する性向をもっていることを︑しっている︒⁝⁝もうひとつの原理については︑各人は︑為16 政者たちが政 府一般を維持するだけでなく︑各個人の安全と独立を維持するものであること︑この安全が正規の政府なし
には達成 されないものであることを︑しっている︒⁝⁝権威の原理は主として王政において支配的な原理である︒⁝⁝共
和的な政府︑とくに民主的な政府においては︑︹功利性︺が︑主として︑いなほとんどまったく︑臣従の服従をひきおこ
す ものである︒⁝⁝功利の原理によれば︑それ︹抵抗?︺が合法的であることについては︹権威の原理によるよりも︺さ
らにうたがいがすくない︒もし︑公共の利益が服従の基礎であるならば︑この服従は︑服従が有用であるかぎりしかつづ
かないのであり︑そして︑既存の政府のてんぶくから生じるにちがいない混乱が︑それの継続を容認することの弊害より ⑮
もちいさいばあいには︑抵抗はいつも適切であり容認できるものであるL︒したがって︑権威の原理と功利の原理との関係
は分 離・対立するものではなく︑両者は密接に連結しあっているものである︒むしろ︑社会全体の利益という功利に支え ⑯ られて権威の原理は確保できるというべきである︒権威の原理によって形成された社会秩序を維持する政府に効用をみい
だすか ら︑人々は政府に服従する︒これが功利の原理である︒政府を維持することが個人の安全につながるがゆえに︑人
々は政府に服従する︒政府の保護の下で︑人々は安全性を確保したいがためである︒
しかしながら︑かかる国家を維持するためには経費を必要とするわけで︑これをどのようにして調達するのかが重要な
課題 となる︒租税問題の登場である︒政府への服従は国家の必要経費を租税収入に依存する形態をとらざるを得ない︒ス
ミスは資本蓄積が文明社会における富裕を実現するものであると考えているわけであるが︑国家の必要経費を租税に求め
るばあい︑それは資本の蓄積を妨害しないであろうか︒
註⑬ 90宮苫φ︵切︶︑℃亨﹂O山ピ訳︑一〇〇ー一〇一頁︒
⑭ スミスの原理は︑政府と臣民との間の権利ー義務関係の根本原理の根拠に同意や契約を求め︑これを権力に対する服従の正当性
とするロックなどの社会契約説に対する批判の意味をもっている︒この点については︑民臣巨匡富民8ωψ︒o見吋ぎ印︵鳴§oミ﹄
↑㌻恩江ミミ6①日宮庄⑦qo⇔巳<°勺﹁oのω一冶゜︒ピ∨烏㊤゜田中正司﹃アダム・スミスの自然法学﹄御茶の水書房︑一九八八年︑二六六
頁︑参照︒なお︑権威の原理と功利の原理の関係については︑山崎怜﹁安価な政府をめぐる諸解釈について﹂﹃香川大学経済論叢﹄
第三八巻第六号︑一九六六年︑五六頁︑参照︒また弓O°O旬目u冨口﹄Ao§切さ■︑切⑦息§へ㌻ミさ︑ミ鉾↑op匹o見 Oご゜叉NOρ
参 照︒
また︑﹁中庸を得た﹂適度な租税が徐々に課されていくと国民のインダストリーが増加することについては︑O・国c目ρミ註☆ミ¶
§き§o§苦㌍oユ゜O町国゜肉o⇔≦o一見綱一ω8ロ忠Pおべ9u°c︒ω゜参照︒
㈲ い89冨ω︵﹀ソOPω﹂°︒−ω﹂ρ水田洋﹃社会思想の旅﹄新評論︑一九七五年︑二一=頁︒
⑯ スミスは二つの原理の両面批判をしたという解釈がある︒すなわち﹁トーリーのよってたつ権威の原理とウイッグのよってたつ
効用の原理と︑その背後にそれぞれ正義を無視する旧地主の特権iそれが農業の資本主義の発展を妨げ国内市場を狭隆化した
ーと︑政治的偏見1それは︑この国内市場狭陰の前提のうえに︑国外市場むきの製造業をきづきあげ︑国家の富と力の名の
て もとに独占的利潤を承認‖製造業老に与えたーこの両面批判︑これが﹃国富論﹄におけるライト・モティーフとなっている﹂と
へ戊 いう見解︵内田義彦﹃増補.経済学の生誕﹄未来社︑一九六二年︑一一六頁︶である︒これに対して︑両者を功利の優位において訓 統一したという解釈がある︒すなわち﹁護の原理は功利の原理の基礎であ・て︑両者は対立するものではない︒それだから・そ
磁 両者を一括して批判することになったのだ︑とも考えられるであろう︒しかし︑権威の原理が功利の原理の基礎だというのは︑けホ
繊
︒きょく︑護の原塁三て秩序が維持されるという効用をさすのだから︑権威の原理が︑功利の原謬ささえられている︑﹂との を意味
す る︒スミスは両面批判というよりも︑両老を功利の優位において統一したのではないだろうか︵水田洋︑前掲書︑二二三頁︶︒
スミ ⑰ ﹁スミスにおいては資本蓄積は文明社会における全般的富裕を実現するものである︒そしてこの資本蓄積を可能とする前提条件こ
パ そが所有の安全であり︑そしてその所有の安全は︑個人の自由と安全とを確固としたものとする政府とその政府への各人の服従に
ぬ よってはじめてもたらされるものなのである﹂︵村松茂美﹁アダム・スミスにおける服従の原理﹂﹃エコノミア﹄︹横浜国立大学︺第
ア 六
〇 号︑一九八〇年︑八三頁︶︒
651
661 三 租税と資本蓄積
国家は︑剰余価値を生産しない︒しかし︑国家の経費を支弁するのが租税の目的である︒しからば︑租税は資本の蓄積
に
対 していかなる関係を有するのであろうか︒
この課題に対してスミスは次のようにいう︒﹁政府の経費をまかなうための収入が︑その年度内に︑自由な︑つまり抵
当にいれられていない租税のあがり高から調達されるぽあいには︑私人たちの収入の一定部分がある種の不生産的労働の
扶 養から他の種のそれの扶養へ転用されるだけのことである︒かれらが租税として支払うものの若干部分は︑疑いもなく
資本 として蓄積され︑したがってまた生産的労働を扶養するのに使用されることもありえないわけではなかったであろう
が︑その大部分は︑おそらく費消され︑したがってまた不生産的労働を扶養するのに使用されたであろう︒とはいえ︑公
的経 費は︑それがこのようにしてまかなわれるぽあい︑疑いもなく新しい資本のさらにいっそうの蓄積を多かれすくなか ω
れ阻止 巨目ユo吟︵邪魔︶するけれども︑必ずしもそれは現存する資本を破壊似oω訂¢o註8するわけではない﹂︒租税は新
たな資本蓄積の邪魔をするけれども︑現有資本を破壊はしないという︒
ここでの論理は︑本来︑私人が収入の一部を追加資本として蓄積し︑再生産に供する部分が︑租税として政府の経費を
賄うために支弁されるということではない︒もしそうであれば︑租税は資本蓄積を破壊してしまうことになる︒ス︑ミスが
言っているのは︑私人の収入の中で︑従来︑不生産的労働の扶養に使用していた部分が︑国家経費を賄うために租税とし
て支 出される︒このことは︑国家が剰余価値を生産しない不生産部門であることを考慮すると︑この収入の流れは︑同一
額が単に個人的な不生産的部門から公共釣部門へ移転したにすぎないだけだといっているのである︒
ここで租税が資本蓄積を邪魔する露昌αo﹁という主張は︑資本の単純再生産を含意しているのかという疑問が生じてく
る︒租税の支払は︑同額の収入が私的部門から公的部門へ移転することだから︑その間︑租税は資本の蓄積と拡大再生産
を邪魔するという意味を有するのであろうかという問題である︒ ② ス︑ミスの資本蓄積と再生産の枢軸は︑節約と生産的労働の維持増大であった︒一国の富は︑生産力を一定とすれば︑資
本的資財が生産的労働 老の雇用のために用いられるか︑それとも不生産的労働者の雇用のために使用されるか︑その割合
如何によって決まるというものであった︒それは︑Vプラスmのドグマを前提にした上で︑生産的労働の維持にのみ使用
す る賃銀だけが資本を回収し︑地代や利潤の如き収入は不生産的に費消されるだけであるという論理であった︒したがっ
て︑この収入を浪費せず節約することが再生産にとって重大な契機になる︒スミスが人々の貯蓄性向を人間の自然的性向
として重視するのは資本蓄積の観点から見て重要である︒
註 ω 綱O自#庁O吟ZP註Oロω 自∵ 廿゜︽﹂O° 訳︑ 一一二一二六頁︒
② 拙稿﹁A・スミスの生産力体系序説ω﹂︑﹁アダム・スミスの資本蓄積論﹂﹃星薬科大学紀要﹄第一三号︑第一六号︑一九七一年︑
一九七四年︑参照︒
ところで︑不生産的労働者はすべて収入によって扶養されると述べた後でスミスは次のようにいう︒﹁大地主または富
商ぼかりではなく︑ふつうの職人でさえ︑もしかれの賃銀がかなりの額であるなら︑召使の一人ぐらいはおいておけるし︑
ぽあいによっては演劇や人形芝居を見に行くこともでき︑またこのようにして一群の不生産的労働者の扶養に対する自分
671 の負担部分の一助にしうるであろうし︑あるいはかれもなにがしかの租税を支払い︑それによって︑別の一群の人々︑つ
8 まりなるほども⇔と名誉もあれぽ有用でもあるが同等に不生産的な人々を扶養するのに助力しうるであろうL︒ここで注 − 目すべきことは︑高額賃銀の取得者である職人︑つまり労働者がここに登場していることである︒これは高賃銀が労働者
の生活維持費を超えるならば︑不生産的労働者の扶養もあり得ることを推察しているのである︒しかし︑スミスはこれを
す ぐに否定して次のようにいう︒﹁しかしながら︑年々の生産物のうちで︑はじめから資本を回収することになっていた
部分 は︑それがその生産的労働の全量をあますところなく活動させるまでは︑いいかえれば︑それが雇用されたその方法
に よって活動させうるいっさいの生産的労働を活動させるまでは︑けっして不生産的な人手の扶養にふりむけられはしな
い﹂︒こうして︑労働者は自分の生活維持費を確保するのが精一杯であり︑それが現実である︒とはいっても︑労働者に
も少々の不生産的消費を行ない得る余裕があるともいう︒この点を租税との関連でいえぽ︑かかる低賃銀者が多ければ一
人 当たりの租税分担額は少なくてすむことをスミスが述べていることである︒しかしながら結局のところ︑スミスは地代
収入の取得者で ある大地主と利潤の取得者である大商人が不生産的労働者を雇用する主要な源泉であるとするのである︒
﹁土地の地代と資財の利潤とは︑どのようなところでも︑不生産的な人手がその生活資料をひきだす主要な源泉である﹂︒
これら二種類の﹁収入は︑生産的な人手と不生産的なそれとの双方を無差別に扶養しうるであろう︒とはいえ︑これらの
収入 は︑多少とも後者のほうを偏愛しているように思われる﹂︒地主が耕作地の改良のために資本投下をしたり︑大商人
が自ら所有する製造業の生産力向上のための改善を行なったりもするから︑両者が生産的労働者を全く雇用しないとは︑
スミスはいっていないのである︒しかし︑﹁大領主の支出は︑一般に勤勉な人々よりも怠惰な人々をより多く食べさせて
いる︒富んだ商人は自分の資本によって勤勉な人々だけしか扶養しないが︑自分の支出によっては︑いいかえれば︑自分 ㈲
の収入の使用によっては︑ふつう大領主とまさに同じ部類の人々を食べさせているのである﹂︒二つの種類の収入が生産
的に使用されているのか︑不生産的に使用されているのか︑その割合がここでのポイントになる︒同時にそれは︑年生産
物が資本として使用されるか︑費消されるかのバランスの問題でもある︒もちろんこの場合には︑生産された剰余の消費 ④が国産品であろうと外国品であろうと差異はない︒
註③ 以上の引用は≦︒巴夢o︵2旬江o霧゜□やω声Φ゜訳︑五二六〜五二七頁︒
④ スミスの資本蓄積論は︑﹁再生産を貿易のバランスとしてでなく︑生産された剰余と費消のバランスとしてー剰余価値の生産的
消費と不生産的消費への分割として 把握するという構想によって築かれています﹂内田義彦﹃経済学史講義﹄未来社︑一九六一
年︑一九五頁︒
スミスが租税は資本蓄積を邪魔するが現有資本を破壊しないという場合︑考えなければならないことは︑大地主や大商
人がかか る浪費を節約し︑収入を貯蓄に回せぽ︑諸資本は増加すると強調している点である︒﹁諸資本は︑節検によって ロκ 増 加され︑浪費や不始末によって減少される﹂﹁勤労ではなく︑節倹が資本増加の直接の原因である︒なるほど︑勤労は︑訊に 節倹が蓄積する対象物を調達する︒けれども︑勤労がたとえどのようなものを獲得しようとも︑節倹がそれを貯蓄し貯蔵説 ー
溢
しないなら︑資本はけっして増大しないであろ畑﹂︒このように︑節倹による貯蓄は不生産的消費を防ぎ︑資本の蓄積を税魂 促進 す るわけである︒これは大領主や大地主および大商人の私的部門における分析である︒
ジ この場合︑節倹‖貯蓄‖蓄積の原動力は何であろうか︒スミスは個人の地位向上の本能が享楽的浪費本能に勝ると考え
ス
. る︒﹁財産を増加させるということは︑たいていの人が自分たちの生活状態をよりよくするために企てたり希望したりす
ムガ る手段である︒これがもっとも通俗的で︑もっとも自明な手段なのであって︑かれらの財産を増加させるもっともあつら
えむきの方法は︑自分たちが獲得するもののある部分を︑規則正しく年々であれ︑あるいはなにか別の機会にであれ貯蓄691 し蓄積することである︒それゆえ︑たとえ金を使うという本能は︑あるぽあいにはほとんどすべての人を支配し︑また人
o によ⇔てはほとんどすべてのばあいにこの本能に支配されているにしても︑たいていの人々についてその全生涯をつうじ17
ての平均をとれば︑倹約という本能のほうが優位を占めているばかりではなく︑はなはだしく優位を占めているようにさ
m え思われるのである﹂︒こうして︑個人のレベルにおいては浪費よりも節約が優位をしめるのであるから︑各人のこのよ
うな蓄積が総和として社会の全資本を形成するのである︒各人の経済的社会的地位向上という明確な目的を達成するため
の
動 機が原因となり︑それが結果として自然に国民資本を増大させる︒
かくして︑スミスは次のようにいう︒﹁こういう節約や善行が︑たいていのばあい︑個々人の私的な浪費や不始末ぽか
りではなく︑政府の乱費をもつぐなうにたりるものだということは︑経験上明らかである︒あらゆる人が自分の生活状態
を よりよくしようとしておこなう恒常不変で︑中断することのない努力は︑私人の富裕はもとより︑公的で国民的な富裕
が本源的にひきだされる原理であって︑この努力は政府の乱費があろうと行政上の最大の過誤があろうと︑なお改善にむ
かってすすもうとする事物の自然的進歩を維持するにたりるほど有力なことがしばしばある︒それは︑動物の生命におけ
る未知の原理のように︑病気はもちろん︑医師の処方がまちがっていても︑なお身体に健康と活力とを回復させることが ⑧ しぼしばあるのである﹂︒この原理が作用するには︑一定の法的条件︑すなわち所有の安全が必要なのだが︑見られるよ
うに︑ここには︑各人の地位向上の恒常不変の努力である善行や節約が私的および国民的富裕を引き出す本源的原理であ
ることを明らかにしている︒しかも重要なことは︑資本蓄積を阻害する政府の乱費があっても︑かかる改善向上に対する
欲 求である善行や節約は事物の自然的進歩を維持する力であるという︒
註 ㈲︑⑥ ≦o巴●o咋Z旬江oロp一゜やωNO.訳︑五三二︑五三三頁︒
ω Hぴ置゜もPωNω山Nふ゜訳︑五三七〜五三八頁︒