Title
宗教の教育は可能なのか?
Author(s)
深井, 智朗
Citation
キリスト教と諸学 : 論集, Volume16, 2001.3 : 113-155
URL
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/de tail.php?item_id=3204
Rights
聖学院学術情報発信システム : SERVE
宗教の教育は可能なのか?
、 相 官
伺 ミ
井 智 朗
はじめに
圃宗教の教育は可能なのか?
本日はお招きいただきありがとうございます︒はじめから弁解じみて恐縮ですが︑私は宗教教育の専門家ではあ
りませんし︑具体的にキリスト教学校で宗教教育の責任を持っている者でもありません︒ですからお集まりの諸先
生方や研究者の方々に何かご参考になるようなお話しができるかどうかあまり自信がありません︒またプロテスタ
ント神学の立場から宗教教育についてお話しして欲しいということでしたが︑私は神学者というよりは︑町の牧師
ですから︑そのような立場からお話しすることは看板に偽りありという気がいたします︒
それならどうしてこの講演をお引き受けしたのかと申しますと︑本日の﹁宗教の教育は必要なのか﹂︑あるいは
﹁できるのか﹂という問題設定には以前から関心があったからです︒と言いますのは︑この主題の意味を﹁宗教の
教育は可能なのか﹂というふうに理解するならば︑それは一九世紀以来のドイツ・プロテスタンテイズムの宗教教
育の核心的な問題のひとつであったからです︒要するに信仰とか︑宗教心ということについて︑音楽や芸術︑ある
いは数学や物理を教えるのと同じように教育できるのかという問題です︒それでご依頼の電話をいた︑だいてから︑
一方でお断りすべきだと思いつつ︑他方ではやってみたいと思っておりました︒そして最後にはやってみたいとい
う思いが強くなりまして︑今日このようにしてやってまいりました︒
しかし私がいくらか知っておりますドイツのプロテスタンテイズムの宗教教育の諸問題に引き寄せて︑与えられ
ました問題についてお話ししますことにはためらいがあります︒と申しますのはドイツと日本とでは教会(あるい
は宗教)と国家との関係が異なっているからです︒つまり一見似たような問題設定でありますが︑その背後にあり
ます社会構造が全く違っているわけですから︑同じレヴェルで扱うことはできないと思うのです︒ですからドイツ
の宗教教育論を日本にそのまま移すことは意味のないことですし︑ドイツとの類比で日本の宗教教育を考えること
は︑危険なことです︒この点は宗教教育について考える場合に重要な視点であると思っております︒
しかし今日はドイツの問題を取り上げるのですが︑それはドイツの宗教教育の例をわが国の宗教教育に取り入れ
ようと言うことではありません︒日本は一九四五年以前はドイツ型の宗教教育とほぼ似た形態を持っており︑一九
四五年以後はそうではなくなったわけです︒日本はそのような変化を経験したわけです︒一九四五年以後はドイツ
型をいわば否定する形で︑別の形態になっているわけです︒日本における宗教教育を考える場合には︑この変化を
重視しなければならないわけです︒それでこの変化を考える場合に︑ドイツの宗教教育と言う対称軸を持っている
方が︑その変化の意味を明らかにし易いと考えたのです︒﹁宗教を教えることは可能か﹂ということについて考え
ますが︑聞いはドイツでも日本でも同じですが︑この間いが発せられ︑またそれについて考える社会的な構造や文
脈はまったく異なっているということが重要なのです︒
ドイツには公教育の中に宗教教育があります︒それはドイツがなお国民教会的な︑あるいは国教会的な要素を強
く残していると言うことと関係しておりますが︑それは教会の堅信礼教育と限りなく関係付けられたものであり︑
またドイツでは公立学校で行なうそのような宗教教育に法的な根拠を与えております︒
しかし他方でアメリカでは︑また日本でも一九四五年以後は︑公立学校で特定の宗教についての教化的な教育を
することは禁じられております︒その差異は決して無視することはできないものです︒そこには﹁コルプス・クリ
ス チ ア
l ヌム︑あるいはコンスタンティヌス体制の残像の中の教会と国家との関係﹂と﹁教会と国家の分離の原則﹂︑
﹁国教会や国民教会の伝統﹂と﹁自由教会の伝統﹂という違いが存在しているわけです︒この違いを無視した学校
教育における宗教教育についての議論は机上の空論ということになりかねません︒まずこの点を踏まえなければな
りません︒このような視点を今日のお話しの中では宗教教育の﹁形式原理﹂と呼びたいと思います︒
‑宗教の教育は可能なのか?
そこで私はまずこのような社会的︑教会的な文脈の違いを踏まえた上で︑すなわち﹁形式原理﹂について論じた
後に︑もう一度﹁宗教の教育は可能か﹂という問題について考えてみたいと思っております︒しかしその際︑もう
ひとつ︑前段階として考えねばならないと思っているのは﹁世俗化﹂という問題です︒﹁宗教の教育は可能か﹂と
いう問題設定自体が近代的なものであり︑世俗化とか︑無神論に規定された世界ということを想定することなしに
は意味を持たない問いだという認識を持つ必要があると思うのです︒宗教が自明なこととして社会の中に位置をもっ
ていた時代には︑このような問いは生じなかったはずです︒宗教教育についての社会的構造がドイツと日本とでは
違うにもかかわらず︑同じ聞いが生じるのは︑この世俗化の故です︒
ですから﹁教会と国家との分離の原則﹂と︑この﹁世俗化﹂という状況とを踏まえて︑その上で﹁宗教の教育は
可能か﹂という問題と取り組んでみたいと思います︒後者を宗教教育の﹁内容原理﹂と呼びたいと思います︒私と
してはこのような問題設定が︑﹁今日﹂の﹁日本﹂における宗教教育の問題を考える際に必要な手続きだと考えて
いるわけです︒つまり﹁宗教の教育は可能か﹂という問題設定に日本で取り組む場合の考え方だと思っております︒
それでは用意してきたことを申し上げたいと思います︒
宗教教育の基盤としての教会と国家との分離
①神道指令
さてまず第一の問題ですが︑それは宗教教育と﹁教会と国家の分離﹂との関係を考えるということです︒これは
いわば宗教教育の﹁形式原理﹂となります︒日本で宗教の教育を考える場合には︑このことを常に念頭に置かねば
なりません︒この﹁形式原理﹂なくして︑宗教教育の﹁内容原理﹂である︑人間の宗教性の教育ということをいく
ら言っても絵に描いた餅ということになってしまいます︒
私はこの問題を日本において考えます場合に︑重要なのは一九四五年二一月一五日に連合軍最高司令官総司令部
参謀副官から出されたいわゆる﹁神道指令﹂︑すなわち﹁国家神道︑神社神道ニ対スル政府ノ保証︑支援︑保全︑
監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件﹂ではないかと思っております︒
先生方は私立学校の宗教教育の根拠となる法令としては一九四五年一
O月一六日の文部省訓令第八号﹁私立学校
ニオイテ宗教上ノ教育ヲ施シ又ハ宗教上ノ儀式ヲ行フコトヲ得ル件﹂を思い起こされると思います︒それは重要な
ことなのですが︑この訓令だけを見ているのでは十分ではないと思います︒なぜこのような訓令が出て︑宗教教育
が可能になったのか︑ということを認識しなければならないわけです︒すなわち一九四五年に起こった社会構造の
変化に注目しなければならないわけですが︑この変化をもっともよく示しているのが﹁神道指令﹂だと言うことが
で き
る で
し ょ
う ︒
この指令によって︑戦争のイデオロギーとなった﹁国家カルト﹂としての神道︑つまり国営化されたのみならず
戦争イデオロギーとなった神道を国家から切り離すこと︑そして公金の神道への支出の廃止がなされたわけです︒
それは特定の国家カルトによって宗教が利用され︑国家の政策に利用されたような戦争中の宗教と国家のあり方を
一方で否定すると同時に︑宗教と国家との分離の原則に基づいた新しい宗教と国家のあり方を生み出すことになっ
た わ
け で
す ︒
‑宗教の教育は可能なのか?
園胞子院大学の阿部美哉氏はこの指令を指して﹁新しい国体の誕生﹂とさえ言っております︒すなわち﹁この時期
における日本の変化は︑仏教の流入による古代国家の形成︑および自主的に西欧の文物を取り入れて変革した明治
維新以来の近代国家の形成に匹敵する︒これは︑まさに日本史上︑第三の大変革であったといっても過言ではなバ﹂
0そして阿部氏はこの変化をアメリカ型のデモクラシーが今日の日本社会の基盤を形成していることの中に見ている
わけですが︑それは具体的には一九四五年以後の日本が︑﹁教会と国家との分離﹂の原則の上に成り立つ社会になっ
たということだというのです︒その意味でこの﹁神道指令﹂が重要な意味を持ったというわけです︒私もこの意見
には賛成です︒そしてこの指令は七年に及ぶ占領が終了した時点で効力を失ったわけですが︑その精神は日本国憲
法の信教の自由の条項(第二十条)と特定の宗教への公金支出の禁止の条項(第八十九条)に受け継がれることに
なったわけです︒また宗教法人法も当然この線で考えられるべき法律です︒
ここに教会と国家との分離の原則に基づいた国家が誕生したということであり︑それが意識されているか︑そう
でないかは別にして︑日本は一九四五年以後︑教会と国家との分離というアングロサクソン世界を経由してきたプ
ロテスタンテイズム(つまり大陸のプロテスタンテイズムの伝統はたとえばルタ l の宗教改革の帰結に見られるよ
うに領邦教会化したのでこれと区別される)の文化価値に規定された社会になったということです︒ここでは詳し
い議論はできませんが︑その意味で一九四五年以後の日本社会はその深層構造においてプロテスタント的だという
私の主張はこの点に基づいていまち
さてこの﹁神道指令﹂の中に神道と教育に関する指令があります︒具体的には(二)の(ヘ)で︑﹁アラユル公ノ教
育機関ニテ︑ソノ主要ナル機能ガ神道ノ調査研究及ピ弘布ニアルカ︑或ハ神官ノ養成ニアルモノハ之ヲ廃止シ:::﹂
とあります︒そしてさらに同じ(二)の(ト)には﹁神道ノ調査研究並ニ弘布ヲ目的トスル︑或ハ神官養成ヲ目的ト
スル私立ノ教育機関ハ之ヲ認メル:::﹂とあります︒それはもちろん具体的には﹁国家カルト﹂にとり込まれた神
道のことを指しているわけですが︑占領後も基本的には同じ考えを日本の法律で規定しているわけです︒すなわち
政府が特定の宗教教育機関を設立したり︑助成したりすることの禁止であり︑公立学校で特定の宗教を教えること
の禁止であり︑逆に教会と国家との分離の原則にかんがみて︑自発的自由結社としての私立学校における教育内容
としての宗教教育には国家は介入しないという考え方になるわけです︒
②皇皐館と園華院の運命と戦後の私立学校
私がここで注目したいことはこの指令によって﹁神道の調査研究︑あるいは神官の養成を目的とした官立の神宮
皇事館大学﹂は廃校となったという事実です︒廃校は具体的には勅令第二二五号によるものです︒自主撃館は占領が
終結した後再び﹁私立学校﹂として出発することになりました︒
ところで同じく東京には園撃院大学があったわけですが︑この大学は確かに
GHQ
のさまざまな調査を受け︑寄
附行為のさまざまな変更を迫られましたが︑基本的には存続が許されたのでした︒なぜならそれは園事院が皇典講
究所を母体とした私立学校の形態をとっていたからです︒戦後この皇典講究所が解散して神社本庁を設立して︑そ
の経営を継承したことによって︑園事院は生き残ったのです︒皇事館と園皐院の運命の違いは︑まさにこの指令及
びその背後になる教会と国家との分離の原則に基づくものです︒そこでは神道を教えることはできるわけです︒そ
してこれは戦後の私立学校︑とりわけ宗教学校のあり方とそこでの宗教教育のあり方を端的に示している歴史的事
実だと思います︒
そして宗教学校はこの教会と国家との分離の原則が歴史的に見れば教会の側から勝ち取られたものであることを
思い起こさねばなりません︒そして逆の見方をすれば︑このような教会と国家との分離の原則の故に︑キリスト教
も仏教も︑そして神道も私立学校の教育の中で宗教を教えることができるわけです︒宗教の教育はこのような原則
のもとで積極的な意味を持つわけです︒ですから逆に宗教の教育を国がするというようなことがあれば︑それはこ
の線に対する逆行だと私は考えます︒
‑宗教の教育は可能なのか?
私立学校であるということは︑自由教会やさまざまな自由結社と共に︑市民社会の担い手︑それ自体であるとい
うべきでありましょう︒この自覚の上で宗教教育も成り立っているわけです︒宗教を教えることは可能であります︒
しかしそれはこの原則の上でのことです︒そしてそれは宗教学校の使命と考えるべきであります︒そして宗教教育
の中で︑なぜ宗教教育がこの学校で可能になるのかということを教えることは重要なことではないでしょうか︒そ
の歴史的な意義を教えることは︑市民社会の在り方についてのもっとも根本的な教育となると考えるのです︒
いずれにしましでも宗教教育が可能になるのは︑このような社会的構造を前提としてのことです︒公立学校で
﹁宗教を教えることは可能か﹂という議論については︑この前提を崩すことはできないと考えるべきだと私は思っ
ています︒なぜならいかなる形式においても︑それが価値中立的な比較宗教学だと言っても(そんなものはあり得
ないと思っていますが)︑国家がその内容を検討し︑管理する宗教教育ということはあり得ないのが一九四五年以
後の日本の社会であるということではないかと思います︒そしてそれと表裏一体をなす議論ですが︑自発的自由結
社としての日本の宗教学校が宗教を教えることは︑逆に保証されているのだということを常に意識した上で宗教教
育について考えるべきだと思うのです︒
2
世俗化と宗教教育
①世俗化した社会
そのような仕方で宗教教育の場としての私立学校があるというのであれば︑そして現実にそれが自由に行なわれ
ているのなら︑改めて﹁宗教を教えることは可能か﹂などという必要はないではないか︑と思われるかもしれませ
ん︒またオウ広真理教の事件以来話題になっている︑﹁公立学校で宗教を教えて︑日本人の宗教音痴を直せ﹂とい
う議論も︑私は否定してしまったわけで︑﹁宗教を教えることは可能か﹂という聞いはもはや意味はないのではな
いかと思われるかも知れません︒
しかし先ほど私は﹁宗教を教えることは可能か﹂という問いを︑今日の日本の状況という文脈で考えるにはひと
つには﹁教会と国家との分離﹂という社会的な前提のもとで考えねばならないといいました︒それについては既に
見てきました︒しかしもうひとっこの間いを今日の日本の文脈で考える社会的な前提は﹁世俗化﹂ということです︒
﹁宗教を教えることは可能か﹂という聞いは︑実は中世にはありませんでした︒少なくとも一八世紀前半まではこ
の間いは社会的な基盤を持たない問いでした︒なぜなら宗教のリアリティーが社会に存在していたからです︒ひと
びとは改めてそう問うてみる必要がなかったのです︒しかし現在の世俗化した︑あるいは無神論に規定された社会
においては︑宗教はもはや自明の事柄のように︑あるいは人々の自明の前提として議論を進めることができなくなっ
たわけです︒その時はじめて﹁宗教を教育することは可能か﹂という問いが生じたのであり︑この問題を今日の社
会の中で考える場合にはこの世俗化ということについて考えてみなければならないと思います︒
‑宗教の教育は可能なのか?
②世俗化の両義性
世俗化というのはきわめて暖昧な概念ですが︑同時に現代のさまざまな現象がこの概念によって説明されてもい
まれ
oある場合には世界における聖なるものの喪失︑あるいは宗教的な行為への参与の衰退が世俗化と呼ばれてお
りますし︑また別の場合には脱呪術化を世俗化と呼んでいます︒しかし﹁世俗化﹂という概念の定義は歴史的には
はっきりしており︑一六四八年のウエストフアリア条約の際に︑教会領の世俗君主への移行を意味する用語として
用いられていました︒またその後は聖職者がその身分を失い︑世俗の職を得るような場合︑すなわち修道士の請願
の免除を意味するようになっておりました︒﹁世俗化﹂という言葉の語源は∞①の
F E ω
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H
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l ベックに
よれば︑元来それは﹁聖なるもの﹂と﹁俗なるもの﹂との関係を意味していたようですが︑それが次第に両者の
﹁区別﹂という価値判断をともなう概念になったと考えられていま朽
oそれ以来﹁世俗化﹂という概念はきわめて
論争的な概念になったわけです︒ですから﹁世俗化﹂という言葉を用いる時にこの変化が重要な意味を持っている
わけです︒つまり﹁聖なるもの﹂と﹁俗なるもの﹂との関係を意味していたような概念使用の段階を超えて︑﹁世
俗化﹂という事態は︑ある人にとっては聖なるものの﹁喪失﹂として理解されるようになり︑また別の人にとって
は教会や宗教の権威からの﹁解放﹂として理解されるようになったのでした︒それがこの概念が価値判断をともな
うものになったということの意味です︒
この概念が持っていますこのような両義性にフル l ドリッヒ・ゴ l ガルテンは既に一九五
0年代には気づいてお
りました︒また原理的にはゴ l ガルテンと似たような視点から世俗化論を展開したハ l ヴェイ・コックスは次のよ
うに述べております︒﹁世俗化とは社会と文化が宗教的支配や完結的な形而上学の支配から自由にされるという︑
もうほとんど逆戻りできないひとつの歴史的なプロセス﹂であり︑﹁世俗主義とは新しい宗教のような働きをする︑
ひとつの新しい完結した世界観であり︑イデオロギーであ斜﹂
o世俗化と世俗主義との区別は︑ゴ I ガルテンとコッ
クスに共通した視点ですが︑これもまた既に見た世俗化についての両義的な性格に基づく区別であると言ってよい
で し
ょ ︑
っ ︒
この世俗化の両義性は︑近代世界の理解においても︑また近代世界とキリスト教との関係を考える場合にも︑同
じような問題として登場します︒つまり近代世界とはキリスト教的なもの︑あるいは宗教的な権威から解放された
世界だという見方に基づきますと︑世俗化とは宗教批判︑あるいはキリスト教批判の手段ということになります︒
他方で︑近代世界とはその世俗化にもかかわらず︑なおキリスト教的なものをその深層において残している世界で
あるという場合には︑世俗化とは近代以前と近代との︑いわば非連続の連続を主張するための根拠となるわけです︒
同じ時代︑あるいは同じ社会変動の出来事を﹁世俗化﹂という概念でとらえているわけですが︑全く異なった価値
判断がなされるわけです︒前者によれば﹁世俗化﹂はキリスト教をはじめ宗教批判の手段であり︑後者は近代世界
における宗教の存在意義のアポロゲティ l クのための根拠となるわけです︒
③世俗化した世界におけるプロテスタンテイズムと宗教教育
私の立場はむしろ後者に(完全に一致するというわけではないのですが)近いものです︒確かに現代の世界は
﹁神的なものが喪失した世界﹂であると言ってよいと思います︒もはやあらゆる世界システムが神なしに説明でき
てしまう世界だと考えられているわけです︒
カール・レ l ヴィットはこのような世界を︑近代化による﹁ひとつの逆転現象﹂が起こった後の世界と見ている
わけです︒どのような逆転が起きているかといえば︑かつて﹁神﹂がいた場所に﹁人間﹂がいるということです︒
それは世俗化という事態の説明としては(レ l ヴィットがこの世俗化という事態をどのような評価したかという問
題は別として)正しいものなのではないでしょうか︒つまりかつては神の歴史支配とか摂理を神の意志と呼び︑神
を中心に世界システムを説明してきたわけですが︑現代においては人間の宇宙計画や自然保護が︑かつて神が置か
れていた位置にあるわけです︒
圃宗教の教育は可能なのか?
そうしますとレ l ヴィットによればこの近代世界というのは︑構造的にはかつてのキリスト教︑あるいは宗教的
な構造︑あるいはシステムが残っているが︑しかしそこでは超越の領域や神的なものが失われてしまった世界だと
言うことになるわけです︒そのことは逆に言いますと︑近代世界は︑確かにもはや神から出発することはないにし
ても︑その構造においてはなお宗教的であると言ってよいのではないかと思うのです︒
近代世界のさまざまなシステムの中に︑世俗化した︑つまり超越の次元を失い︑ちょうど転倒した形での宗教的
なものを見出すことは容易なことのように思えます︒カール・シュミットの﹁近代国家論のあらゆる枢要な概念は
世俗化した神学概念である﹂という命題はあまりにも有名ですし︑あるいは近年の科学史の研究成果が︑かつての
﹁科学と宗教との闘争の歴史﹂というような見方ではなく︑﹁近代自然科学の母としての自然神学﹂というような見
方を提示していることもよく知られていることです︒
そうしますと今日の世界を考えますときに︑まったく宗教を無視した︑あるいは前提としての無神論から出発す
るのは大変に乱暴な議論ということになるのではないでしょうか︒確かに近代人は宗教を意識していないかも知れ
ませんが︑近代世界はその深層構造においてはなお宗教的であると言ってよいのではないでしょうか︒
確かに深層構造において宗教的であると言っても︑それはもはや中心を失った︑意味のない枠組だけが残ってい
るという見方もできるわけです︒それも正しい指摘でしょう︒ですから︑宗教の側では︑この世俗化しているが︑
枠組は残っているという議論に︑単純にすがることは出来ません︒つまり枠組が残っているからといって︑かつて
のようにこの枠組を自明の前提とすることはできないわけです︒
私は︑この社会の深層構造としての宗教的枠組みが今日の宗教教育のもうひとつの出発点であるように思えるの
です︒この前提なしに︑﹁宗教を教育することは可能か﹂という聞いは意味を持たないように思えるのです︒﹁宗教
の教育は可能か﹂という問いは︑もはや宗教の教育や宗教的なものの意義を失ったように見える今日の社会におい
て︑それにもかかわらず近代世界とそこに生きる人間はその根本構造において宗教的であり︑宗教を必要とするの
だという﹁世俗化﹂論から引き出される帰結の弁証という課題を持つようになるわけです︒これが﹁宗教を教育す
ることは可能か﹂という問いを︑今日の日本という文脈においてとらえ直すということのいわば形式的な議論の第
二 の
点 で
す ︒
3
神学における教義学的方法と心理学的方法
①アプリオリとアポステオリ
さて次にようやく宗教教育の﹁内容原理﹂に入ることになります︒﹁宗教の教育は可能なのか﹂この間い自体に
ふれることになりますが︑私はまずこの項目に﹁宗教教育における教義学的方法と心理学的方法について﹂という
見出しをつけてみました︒これは一九世紀末から二
O世紀初頭にドイツで活躍しました神学者エルンスト・トレル
チの有名な﹁神学における歴史学的方法と教義学的方法につい旬﹂という論文からヒントを得て付けた見出しで朽
o心理学︑とりわけ発達心理学の分野に人間の学習能力について良く知られた議論があります︒私がそのことをこ
こでお話しする必要はないかと思いますが︑話しの展開上お許しいただければと思います︒誤解を恐れずに単純化
して申しますとこういうことではないかと思います︒人間の発達というのは︑人聞が元来持っている能力が開花す
るのか︑それとも経験から学ぶのかという議論です︒もう少し一般的に言えばアプリオリなのか︑アポステオリな
のかということです︒
‑宗教の教育は可能なのか?
よく知られた例を用いれば︑生まれて間もない子供は何の教育的な助けなしにも︑母乳を飲むことができます︒
生まれた直後の子供の口に指を近付けますと︑それに吸いついてくる︒ということは子供は先天的(アプリオリ)
に食物摂取という能力を持っているのではないか︒今までは胎盤を通して栄養を摂取していて︑生まれた途端に今
度は口から栄養を摂取するようになる︒しかしそのような転換は教育の効果というよりも︑先天的な能力であると
い う
見 方
で す
︒
しかし逆に人聞はやはり経験や環境によって教育されるのだという見解があるわけです︒有名な狼に育てられた
少女の記録はご存じのことと思います︒心理学者や動物学者がいろいろな論文に書いていますし︑その記録は日本
でも福村書庖が翻訳出版しています︒これは実験できることではありませんから︑たとえば何らかの事故でそうい
う状況が偶然に生じた際の記録です︒
もっとも典型的な例のひとつをあげますと︑ある飛行機事故で︑二人の兄弟だけがジャングルで生き残った︒し
かしこの二人はたまたま狼に拾われその群れの中で育てられ︑生き延びることができたばかりではなく︑成長もし
ていた︒ところがある時︑狼の群れの中に︑どうやら人間の子供が混じっているということをあるハンターが発見
するわけです︒そうして二人は保護されるのですが︑ひとりは人間の環境に適応できなくてすぐに亡くなります︒
しかしもうひとりの子供はそうではなかった︒いろいろ調べてみると確かにこの子供は人間の子供であることがわ
かりました︒しかし生活の仕方は完全に狼なわけです︒たとえば肉はなまでないと食べられないということがあっ
た︒そして夜になると遠吠えのまねをする︒つまり狼の習慣を身につけ︑人間の環境に適応できないわけです︒そ
うしますと人間というのは︑何か自分の持っている能力が開花するのではなくて︑環境や経験が人間を形成して行
くのだと考えられるわけです︒この狼に育てられた少女の例は︑経験説を主張する際の重要な根拠となったわけで
ある時期はこの二つの考えが対立的に捉えられていることがありました︒つまりアプリオリか︑つまり内的な能 す ︒
力の開花か︑経験によるのか︑つまり外部からの働きかけによるのか︑アポステオリなのかという対立です︒現在
でも結論のない議論のようですが︑ある心理学者たちはそれは相互補完的だと今日では考えているようです︒
②神学における心理学的方法
実はこの発達心理学での議論はそのまま今世紀初頭位まではドイツではプロテスタントの神学的な議論に反映さ
れていました︒すなわち人聞が神を認識できるのは︑なぜなのか︑あるいはまた可能なのかという問題設定です︒
心理学的方法というのは今世紀始めまでこの間いに対する有力な回答方法であったわけです︒ R ・オット!とか
G
・ ヴ
ォ ッ
パ
I ミンなどの名前を︑もちろん E ・トレルチの名前を思い浮かべることができますが︑要するにそれ
‑宗教の教育は可能なのか?
は︑人間であるならばアプリオリに神や︑宗教的なものを認識できるという考えです︒神を認識する能力を元来持っ
ているという考え方なのです︒
そういうことがあまり言われなくなりましたのは︑一九二
0年代︑三
0年代になりましていわゆる弁証法神学が
台頭してくるようになって以後のことで朽
oどういうことかと申しますと(事柄を単純化して申しあげますが)︑
先程申し上げましたように︑たとえばどうして人間は神ということについて︑あるいは啓示とか神の言葉というよ
うなことについて認識することができるのか︑という問題があるわけです︒神や啓示は目には見えないわけですけ
れども︑なぜ認識できるのか︒それに対するひとつの答えは先程言いました通り心理学的な説明を試みる道でした︒
人聞には元来宗教的な事柄を認識する能力があるのだ︒神について知る力が先天的にあるというものです︒先ほど
の例で行きますと︑生まれてすぐの子供が何も教えないのに母乳を飲むように︑人間には先天的に神を知る能力が
ある︒それを﹁宗教的なアプリオリ﹂と呼んだりしたわけです︒それはエルンスト・トレルチによって知られるよ
うになった言葉ですが︑ルドルフ・オット l も使っておりますし︑いわば流行の言葉でした︒同じことはパウル・
ティリッヒも﹁究極的関心﹂という言い方で言っておりますし︑﹁聖なるものへの畏敬﹂でも︑﹁絶対依存の感情﹂
でも何でもいいわけです︒
もしそうであるならば宗教教育というのは可能だということになります︒この潜在的な能力に働きかけ︑スポー
ツの能力を向上させるように︑音楽の技術を教えるように︑宗教を教えることができるということになります︒少
なくとも人間には宗教的なものや神について認識することのできる能力を持っているということになりますから︑
基本的には宗教教育は可能であるという前提のもとに議論を進めることができることになります︒
なぜこのようなことが改めて問題になったのかということを考えてみなければならないわけです︒こういう問題
は中世にはありませんでした︒神の存在や啓示が自明のことと見なされているうちは︑こういう議論をする必要は
なかったのです︒私は︑一番早くみて三十年戦争以後の教派分裂が決定的になった頃から︑実際には啓蒙主義以後︑
神の存在や啓示ということについて︑自明のこととして︑つまりそれを前提に議論することができなくなったこと
と︑このこととは関係していると考えています︒
つまりキリスト教の教派の分裂と教派に依存しないキリスト教の出現が︑﹁宗教﹂ということの定義を変化させ
たのです︒それまではキリスト教の見解は西方教会に限って言えば︑ひとつだったわけです︒神についての教えも︑
啓示についてもそうです︒しかし宗教改革とそれに続く宗教戦争以後︑カトリックとルタ l 派と改革派がそれぞれ
別のことを言い出すわけです︒ひとつの国家の中に違う宗教的な主張が混在するわけです︒キリスト教的なヨーロッ
パと言っても教派というものが出てくるわけです︒ですからたとえば法の権威を基礎付けようとしても︑道徳を基
礎付けようとしてももはや共通の基盤がないわけです︒地上の権威が相対化しますから︑絶対的なものの存在が現
世では相対化してしまう︒
そういう中で最初に国家がキリスト教に代わって道徳や法や価値を基礎付ける基盤になる可能性が模索されまし
たが︑うまく行かないことはすぐに明らかになりました︒そして W ・ディルタイなどが指摘していることですが︑
一七世紀になってその基礎付けは﹁人間の本性﹂とか︑精神というものによって試みられるようになるわけです︒
人間ならば共通に持っている本性があるはずだというわけです︒ですから近代になりますとこの﹁人間の本性﹂︑
あるいは﹁人間の共通本性﹂ということが重要な問題になるわけです︒その人間の本性のひとつの中に宗教的なア
プリオリがあるというわけです︒一九世紀に至るまで︑この人間本性についての議論は盛んです︒ J ・
Sコントもこの線で学問論を考えていると言ってよいと思います︒この人間の本性による宗教の基礎付けという構想
は︑もっとも遅く見ても今世紀の二つの大戦によって完全に破壊されてしまったと思っていま判︒
しかしここでこの人間の共通本性の上に︑宗教心な道徳を基礎付けるという試みはかなり長い間続いたと言って
よいと思います︒しかしここには大変な事態の逆転が生じているのです︒それを私たちは世俗化と呼ぶわけですが︑
それまでは﹁宗教が人間を基礎付けていた﹂のですが︑﹁人間の本性の中に宗教もある﹂という仕方に代わってい
る の
で す
︒
③神学における教義学的方法
それではこの﹁宗教的アプリオリ﹂に(あるいはルドルフ・オットーのように﹁聖なるものへの畏敬﹂と言って
もいいのですが)対立する考えは何かということになりますと︑それが﹁啓示による認識﹂となるわけです︒それ
を﹁教義学的方法﹂と呼んでみたわけです︒つまりそれは﹁啓示による﹂というわけですから︑外部からの働きか
けによって認識できるようになるという考え方です︒
‑宗教の教育は可能なのか?
このような立場を代表する今世紀最大の神学者のひとりであると言われるカ I ル・バルトの考えをごく単純な命
題で申し上げれば︑それは人間の側には何ら神を認識する能力はないという考え方です︒そうではなくて︑神が人
間に向かって啓示する︒簡単にいうと神が人間に分からせるということだというのです︒人間の神認識能力も︑そ
の時に神が一緒に作るというようになるわけです︒バルトはそういう仕方で﹁宗教的なアプリオリ﹂という考え方
を否定したわけです︒
それはドイツの近代神学の行き方に真っ向から対決したわけです︒確かに E
・ シ
ェ
l ダーのような試みがなかっ
たわけではないのですが︑バルトの批判はラディカルなものでした︒神学の開始点を一人
O度展開して︑﹁人間の
宗教心﹂から﹁神の言葉﹂に代えたわけです︒天地がひっくり返るようなものです︒
日本のバルト研究者はバルトはそのような仕方で聖書的な立場に戻ったのだとか︑教父や宗教改革の伝統に戻っ
たのだと言いました︒つまり近代ドイツ神学とは違う基盤に立って神学をはじめたのだ︑というわけです︒﹁純粋
神学﹂という言い方をするわけですが︑神学固有の方法によって︑今一度神学を開始したというわけです︒しかし
私はそうは思っておりません︒バルトは純粋神学というようなことを考えたのかも知れませんが︑彼が当時このよ
うな主張をする際念頭に置いていたのは︑聖書的な立場や︑宗教改革的な立場に立ち返るというようなことではあ
りませんでした︒実はそういう問題よりも︑ル 1 ドヴィヒ・フォイエルバッハなどの宗教幻想論のことを彼は考え
ていたのです︒そして近代ドイツ神学の行き方では︑フォイエルバッハなどの人間学的︑あるいは心理学的な無神
(川崎)
論からの批判に答えることはできないとバルトは考えたのでした︒
フォイエルバッハは神とは人間の自己投影だというわけです︒つまり神を絶対的な他者とか超越的な存在として
ではなく︑人間の心理学的な構造として描き出すのです︒つまり人聞が自己の中の良いものをただ神と言ってみた
だけなのだと言うわけです︒﹁絶対依存の自己感情﹂というのはそういうものです︒そうしますと﹁宗教的アプリ
オリ﹂という考え方の採用は︑フォイエルバッハの見解を否定できなくなるわけです︒それどころか結論はまった
く逆ですが︑言っていることは同じになってしまう︒神学は人間には神を‑認識する能力がもともとあると心理学的
にいうわけです︒しかしフォイエルバッハはまさにそれこそ︑人間がこれまで神と呼んできたもので︑神は人間の
感情の一部だというわけです︒宗教的アプリオリは人間の本性の中には宗教的な︑神的なものが既にあると言うわ
け で
す か
ら ︑
フォイエルバッハの命題と一致してしまうわけです︒
もう少し説明しますとフォイエルバッハは宗教というのは︑人間の中にある神というイメージがスクリーンに写
されたようなものだというわけです︒そうしますと両者は一致してしまう︒バルトはシュライエルマッハ l の﹁感
情﹂としての宗教理解も批判するわけですが︑それもフォイエルバッハの批判に対して無防備だというわけなので
す︒ですからバルトはそれをどうしても否定しなければならなかったわけです︒
そしてバルトはこれら一切を否定した上で︑啓示から︑神が語るというところから︑抽象的な言い方ですが﹁上
から﹂始めたわけです︒一切人間内部のものによらないというわけです︒初期のバルトの言葉で言いますと︑神や
啓示は絶対他者となるわけです︒神と人間の質的差異というわけです︒そうすれば︑フォイエルバッハがいうよう
(お )
な批判には何ら関係なく︑神について語り出すことができるわけです︒トレルチやオット l の線ではフォイエルバッ
ハに答えられないというわけです︒
‑宗教の教育は可能なのか?
このバルトの神学の影響は大変なものでした︒ご承知の通り日本のプロテスタント神学界は圧倒的にこのバルト
の影響を受けました︒この影響は決して悪いものばかりではなかったと私は考えています︒しかし誤解も多く︑た
とえば神学はキリスト教文化などということには無関心になったのです︒そして一番苦労したのが実はプロテスタ
ントのキリスト教教育の分野ではないかと思いま判︒このバルトの発想を単純化しますと(大抵は誤解であるわけ
ですが)教会やキリスト教の分野では教育というのは意味をもたないことになります︒神の啓示がすべてを行うわ
けですから︒神学においてもキリスト教教育をどのように位置付けるのか︑文化の問題をどうするのか︑これは相
当混乱したわけです︒
また︑たとえば神学がバルトの言うような意味での啓示を扱う学だとしますと︑大学の中でどのように研究され
るのか︑一般学問論との関係はどうなるのか︑単純にいいますと神学は神学の論理でやるということになるわけで
す︒そうしますと神学や教会の事柄はあらゆるところで︑あらゆる学問分野から分離されてしまう︒
この立場には利点もあります︒啓示などと言ってもそれは幻想である︑神などいない︑それは人間の意識の自己
投影である︑と他の学問や集団に言われでも何の問題もない︒それは啓示であり︑人間の意識や学問論とは切れて
いるわけです︒われわれの論理では違いますと言えるのですから︒しかしそれは他の集団や学聞からただの﹁独善﹂
だと言われればそれまでです︒教会や神学はセクト化するわけです︒パネンベルクに言わせれば教会の真理は何か
﹁秘密結社の秘めごと﹂のようになってしまうわけです︒
実は私は日本のキリスト教教育の現場にもこの状況が無意識のうちに反映しているのではないだろうかと思うの
です︒日本のキリスト教大学やキリスト教学校の中で︑確かにキリスト教的なものは重んじられているように思え
ます︒キリスト教概論もあるし︑聖書科もある︑礼拝もする︒しかしこれらは他のあらゆる分野から分離している︒
神学の側もディアスターゼの啓示の神学になるわけですし︑他の学問領域もそれは特別な領域として考えているわ
けです︒それが今日のキリスト教学校におけるキリスト教的なものが置かれている状況ではないかと思います︒つ
まりこれを今仮に﹁教義学的方法﹂と呼んでおきたいと思います︒
たしかにこの道は神学と他の学問が平和共存して行くにはよい道かもしれません︒しかしこの現象は神学の側か
ら言えば神学がもっていた普遍性や包括性を不当に狭めることになっていないだろうかと私は思います︒人間の感
情や特殊な啓示へと退却してしまった神学というのは形容矛盾ではないかと思っております︒神学は﹁神﹂につい
ての学と言った時から︑ある種の包括性と普遍性を主張してきたはずです︒神学がこのような分離主義を取るよう
になったのはせいぜい数十年︑長く見ても百年位です︒
このような中で逆に神学やキリスト教の意義ということを言って︑神学が諸学の冠のような位置にキリスト教学
校で祭り上げられることも︑実際には何の解決にもなっていないのではないかと思うのです︒だからと言って神学
が他の学問をコントロールするということは有り得ないことです︒それは学問論に反することです︒いずれにしま
しでも今日の現状は宗教教育における教義学的な方法の帰結というべきだと思います︒
さてこのような状況についてご説明した上で︑宗教教育における教義学的な方法の対局にあり︑今日忘れ去られ
てしまった心理学的な方法について今一度検討してみることは︑意味のないことだとは言えないと思うのです︒も
ちろんこれは過去の遺物の復興を目指しているのではありません︒その新しい意味付けを考えているわけです︒つ
まり啓示神学の︑ここで言う教義学的方法の洗礼を受けた後に︑なおこの心理学的な方法の線は意味を持つのかと
いうことです︒これまで日本のプロテスタント神学がそうしてきましたように︑検討する前にそれを否定してしま
うのではなくて︑少なくとも何が問題なのか︑そしてどのような意味を持っているのかをまず考えてみなければな
らないと思うのです︒
4
宗教を教育することは可能なのか
‑宗教の教育は可能なのか?
ここでわれわれの議論の基礎となる諸問題についての情報を得るために︑ドイツ・プロテスタンテイズムにおけ
る宗教教育の問題の歴史について概観しておきたいと思います︒それは既に述べました通り︑一方で﹁宗教の教育
は可能か﹂という視点から整理できると思います︒そして他方で
G・ レ
l マ l
マ 碍 や
H ・シュレア同が指摘してお
りますように︑その歴史はドイツ神学史そのものなのです︒つまりその時代の支配的な神学がそのまま宗教教育の
理論をも基礎付けているというのがドイツのプロテスタンテイズムの教育学の特徴だと言ってよいと思います︒で
すから神学史と宗教教育学史とは完全に重なると言ってよいでしょう︒
①シュライエルマッハ
lと パ
ル マ
i
それ故に近代プロテスタンテイズムの教育学はやはり近代プロテスタンテイズムの父であるフリードリッヒ・シユ
ライエルマッハ!と共に始まります︒
シュライエルマッハ 1 は同時代のヘ l ゲルとともにひとつの体系を完成した人物でありまして︑彼には神学的エ
ンチュクロペディーがあり︑神学のあらゆる問題についての言及を見出すことができます︒とりわけ教育について
の講義はいくつも残っておりまして︑玉川大学の出版部から出ております﹃教育学講義﹂の他にも︑
ことができま判︒ いくつも読む
シユライエルマッハ l の宗教教育論は基本的には初期の﹁宗教諭﹂に見られますよう同︑教育(回
E g m ( 2 9 5
︒)の区分という前提に立ったものです︒それは彼の基本的な考えが﹁宗教﹂︑あるいは﹁信仰﹂の独自な
領域を確立するという前提に立っているからです︒ですから彼によれば国家と教会︑政治と宗教︑そして倫理と信
仰とがそれぞれ混合されるのではなく︑独自の領域をそれぞれに持つように︑公立学校での教育と教会の信仰教育
とは区別されるということになります︒
他方でシユライエルマッハ l は﹁宗教﹂というのは︑公共的なもの(丘町
g E S )
ではなく︑きわめて個人的な
も の
( 2 5 E S E M )
江
gg
∞2 5 )
であると考えているわけで︑その場所も公共的な生活というよりは︑教会と
いうことになるわけで苧しかし現実には学校での宗教教育というものがあるわけです︒それで彼の宗教教育論は︑
公立学校の宗教科の授業の理論やカリキュラムの確立ということでも︑教会の個人的・神学的な教育論の担い手と
しての宗教教育論ということでもないわけです︒彼は教会と国家の領域の独自性ということから出発しますから︑
宗教教育の基礎付けの課題は︑もはや神学ではなくなるわけで︑彼はそれを哲学的倫理学に委ねることになるわけ
です︒彼においては宗教の教育は国家の世界観の教育の課題となりました︒ここで彼は大変微妙な議論をするわけ
ですが︑彼は宗教と道徳とを切り離しています︒それぞれの固有の領域を持っていると考えております︒これは繰
り返して述べてきた点です︒しかしシュライエルマッハーはそこでなされる﹁世界観の教育﹂は決して宗教的な要
素抜きにはなし得ないと考えているのです︒なぜなら(彼の時代を考えているわけですが)所与の社会秩序は歴史
的に﹁キリスト教的な宗教という根源﹂に規定されているからです︒ですから教育が﹁宗教的﹂となるべきだとい
うふうに考えるわけです︒国家は教会的な関心からではなく︑別の観点から︑つまりこの社会の宗教的な起源とい
う点から﹁宗教の教育﹂に関心を持つというわけです︒
これがいわば彼の宗教教育の﹁形式面﹂でありますが︑﹁内容面﹂について短く申し上げますと︑彼は教育とい
うことで具体的には P
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という三つの機能を
考えているようですが︑彼がもっとも重視したのは最初の P
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S ユ
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ということであり︑これは教育的
な段階︑あるいは教育機能によって何かを得るということよりは︑先ほどまでお話ししてきました立場によればア
プリオリな人間の宗教性ということを基礎付けるものと考えていた︑だいてよいと思います︒
‑宗教の教育は可能なのか?
シユライエルマッハ l の教育論について述べた後に︑誰をとり上げるのかということ自体がひとつの解釈という
ことになりますが︑私は
C・ D ・ F ・パルマーをあげるのが適当ではないかと思っております︒彼は一八一一年の
生まれですから︑彼の宗教教育論を考える場合には一八一五年のヴィ l ン会議と一八四八年の三月革命との聞のド
イツの特殊事情ということを考えなければならないと思います︒それはひとつには啓蒙主義︑そしてもうひとつは
当時の状況にかんがみたキリスト教の問題です︒前者についてはフランスの影響を考えねばなりませんし︑後者に
ついてはキリスト教の教派問題と教派から自由なキリスト教というもののことを考えねばなりません︒その中で宗
教教育と一般教育の分離が主張されるという傾向があり︑宗教教育は一般教育との関係を確立する必要に迫られて い た の で し た
︒
この当時のドイツ・プロテスタンテイズムの神学のひとつの傾向に﹁調停神学﹂(︿角目立己
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S o o ‑
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ばれるものがあります︒何を調停するのかということになりますが︑パルマーはその影響を受け︑彼自身は学問と
信仰との調停ということを考えたのでしお
oパ ル マ
1 の書物で有名なのは﹃福音主義教育学﹄(一八五二特)です
(私は持っていませんが︑ドイツにいる時に﹃福音主義信仰問答集﹄という著作も読んでみたことがあります)︒そ
の中でのパルマ l の問題の設定は︑基本的にはシュライエルマッハ l の考え方の影響内にいるわけですが︑知識と
信仰︑あるいは教会と国家︑一般教育学と宗教教育との関係をシユライエルマッハーよりも積極的に結びつける方
向にあります︒彼は﹁信仰こそが真の人倫に基礎を与えるものだ﹂と考えていますが)︑そのためにはキリスト教的
な基盤の確立が必要なのであり︑それを通して一般教育も正しく確立されるのだと考えました︒ですから宗教教育
は︑﹁道徳﹂という媒体を通して一般教育を基礎付けるものだというのが彼の基本的な考えです︒
先ほどパルマ l はシユライエルマッハ l の考え方の影響内になおあるのだということを言いましたが︑それはこ
のような一般教育と宗教教育の関係のみならず︑パルマ l が﹃福音主義教育学﹄の中で主張しているように彼が宗
教教育における﹁学校の限界﹂ということを繰り返し主張しているからなのです︒パルマ l は学校における宗教教
育は︑宗教の﹁社会化(∞
O N
ロ
3
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o ロ)﹂ということによって規定されているというのです︒パルマ l の言いたい
ことは︑要するにそれは宗教的なものを一般化して教える傾向になるということです︒つまり宗教を講義する場合
に︑それはどうしても一般化が生じるわけで︑個人の宗教的な経験について語り︑教えるわけには行かないわけで
す︒それでパルマ l は狭義の宗教教育の場を﹁家庭﹂に設定したのです︒
② ニ
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