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インド仏教から見た自然観の可能性 利用統計を見る

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(1)

インド仏教から見た自然観の可能性

著者名(日)

渡辺 章悟

雑誌名

「エコ・フィロソフィ」研究

1

ページ

37-42

発行年

2007-03

URL

http://doi.org/10.34428/00003372

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

イ ン ド 仏 教 か ら 見 た 自 然 観 の 可 能 性

東 洋 大 学 文 学 部

渡 辺 章 悟

「 エ コ ・ フ ィ ロ ソ フ ィ 」 研 究 第 1 号

Eco-Philosophy Vol.1

東 洋 大 学 「 エ コ ・ フ ィ ロ ソ フ ィ 」

学 際 研 究 イ ニ シ ア テ ィ ブ 2 0 0 7 年 3 月

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37

イ ン ド 仏 教 か ら 見 た 自 然 観 の 可 能 性

文 学 部 渡 辺 章 悟

本 稿 は 、 東 洋 思 想 の 特 色 と さ れ る 「 自 然 と 人 間 と が 一 体 と な っ た 自 然 観 」 が 、 ど の よ う な 可 能 性 を 持 っ て い る の か を 、 イ ン ド 仏 教 を 中 心 と し て 探 ろ う と す る も の で あ る 、 一 般 に 自 然 (Nature) は 森 羅 万 象 ( も の、 現 象 、 性 質 ) を 表 す が 、Oxford Dictionary に よ る と 、 Nature: the phenomena of the physical world collectively, including plants, animals, and the landscape, as opposed to humans or human creations. と な っ て い て 、自 然 と は 人 間 と 相 対 す

る も の で 、 征 服 す べ き 対 象 と し て と ら え ら れ て い る 。 こ の よ う な 自 然 観 は 、 い つ 、 ど の よ う に 生 じ た の で あ ろ う か 。

1. ヨ ー ロ ッ パ の 自 然 観 に つ い て

そ も そ も 自 然 と は 、 ギ リ シ ャ 語 で ピ ュ シ ス (physis) と い い 、 そ れ を ラ テ ン 語 訳 し た も の が ナ ー ト ゥ ー ラ (natura) で あ り 、 そ こ か ら 英 語 nature、 フ ラ ン ス 語 nature、 ド イ ツ 語 Natur が 作 ら れ る。 そ の 本 来 の 意 味 は 「 人 や 物の 固 有 の 性 質 、 本 性」 で あ る 。 ギ リ シ ャ 語 で は 諸 説 は あ る が 、一 般 的 に「 ピ ュ シ ス 」(physis)は「 ピュ オ マ イ 」(phyomai)、 ラ テ ン 語「 ナ ー ト ゥ ー ラ 」(natura)は「 ナ ス コ ル 」(nascor)と い う 動詞 を 語 根 と す る よ う に 、 自 然 の 原 語 は い ず れ も 「 生 む 、 生 ず る 」 と い う 動 詞 に 由 来 す る 。 そ こ か ら 、 生 ま れ た も の と し て の 感 覚 的 に 経 験 さ れ る 自 然 、 あ る い は そ れ ら を 貫 く 世 界 万 有 の 秩 序 性 、 と い う 意 味 も 生 ま れ る の で あ る 。 古 代 ギ リ シ ャ で は 、 自 然 は 自 己 を 形 成 す る 契 機 を 欠 い た 、 死 せ る 自 然 で は な く 、 内 部 に 生 成・発 展 の 可 能 性 を も っ た 有 機 的 自 然 と 考 え ら れ て い た1。ま た 、ロ ー マ 社 会 に お い て も 1 ピ ュ シ ス( 自 然 )の 第 一 の 意 味 は「 成 長 」で あ る 。た だ し 、こ の ピ ュ シ ス と い う 語 は 現 代 の い か な る 言 葉 に も 的 確 な 訳 語 が な い 。 し た が っ て 、 ピ ュ シ ス が 静 的 に 解 釈 さ れ た 場 合 に は 時 間 と 空 間 に お け る す べ て の 現 象 の 総 体 、 動 的 な 意 味 の 場 合 に は 、 湧 き 起 こ る エ ネ ル ギ ー を 含 意 す る と い う 。 こ の こ と は 、F. M. Cornford( From Religion to Philosophy A Study in the Origins of Western Speculation,

Cambridge, 1912.廣 川 洋 一 訳『 宗 教 か ら 哲 学 へ ― ヨ ー ロ ッ パ 的 思 惟 の 起 源 の 研 究 』東 海 大 学 出 版 会 、 1987、 pp.18-19、 p.99) も 指 摘 し て い る 。 ま た 、 ピ ュ シ ス に つ い て は 、 タ レ ス と 並 ん で 最 初 の 哲 学 者 と 称 さ れ る イ オ ニ ア 学 派 の ア ナ ク シ マ ン ド ロ ス (Anaximandrus)( BC7-6) が 『 自 然 に つ い て 』 で 明 確 に 述 べ ら れ て い る と い う 。 キ ケ ロ に よ れ ば 、 彼 は 「 自 然 本 性 の 無 限 性 と は 、 万 物 が そ れ か ら 生 ま れ 出 て く る と こ ろ の も の で あ る 、 と 語 っ た 」 と い う 。(『 ア カ デ ミ カ 第 一 』 Ⅱ37, 118) Cf.『 ソ ク ラ テ ス 以 前 哲 学 者 断 片 集 』 第 一 分 冊 、 岩 波 書 店 、1996、 p.169. ま た 、 5 世 紀 後 半 か ら 6 世 紀 前 半 の 新 プ ラ ト ン 派 の 哲 学 者 シ ム プ リ キ オ ス の 『 ア リ ス ト テ レ ス の 自 然 学 注 釈 』 に よ れ ば 、「 ア ナ ク シ メ ネ ス は ア ナ ク シ マ ン ド ロ ス の 仲 間 で あ っ た が 、 彼 自 身 も 、 こ の 人 と 同 じ よ う に 、 基 体 と し て 存 す る 原 質 (φύσις) を 一 つ に し て 無 限 で あ る 、 と 主 張 し て い る 」 と い う 。 こ の 基 体 の 原 語 も physis で あ る 。 山 本 光 雄 訳 編 『 初 期 ギ リ シ ャ 哲 学 者 断 片 集 』 岩 波 書 店 、1985、 p.12 参 照 . フ ィ シ カ ( 自 然 学 ) と い う タ イ ト ル の 哲 学 書 は 、 タ レ ス 、 ア リ ス ト テ レ ス を 初 め と し て 多 く の 哲 学 者 が 論 じ て い る よ う に 、 ギ リ シ ャ 哲 学 者 に と っ て 、 自 然 は そ の 主 要 な テ ー マ で あ っ た 。 キ ー ワ ー ド ; ピ ュ シ ス , ナ ー ト ゥ ー ラ , プ ラ ク リ テ ィ , 器 世 間 , 草 木 , 成 仏 , 一 根 の 生 命 , 輪 廻 , 精 霊 , ア ヒ ン サ ー , 有 情 , 植 物 の 命

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東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.1 ピ ュ シ ス が ナ ー ト ゥ ー ラ に 変 わ っ た だ け で 、 人 間 と 自 然 と の 対 立 は な く 、 人 間 も 他 の 生 物 と 同 様 に 、 自 然 の 一 部 と 見 倣 さ れ て い た 。 2. キ リ ス ト 教 以 降 の 自 然 観 し か し 、 キ リ ス ト 教 世 界 で は こ の 事 情 が 一 変 す る 。 特 に 中 世 キ リ ス ト 教 世 界 に な る と 、 世 界 の 創 造 者 と 被 造 物 は 明 確 に 区 分 ・ 分 離 さ れ 、 神 ⇒ 人 間 ⇒ 自 然 と い う 階 層 的 な 秩 序 が 現 れ る 。 人 間 も 自 然 (Natura) も 神 の 意 図 に よ り 現 れ る 被 造 物 と な る 。 こ れ に よ っ て 神 は 超 越 者 と し て 自 然 に 内 在 す る こ と な く 存 在 し 、 人 間 も 自 然 の 一 部 で は な く な る 。 人 間 と 自 然 は 神 に よ っ て 創 造 さ れ た も の で あ る が 、 人 間 は 自 然 を 超 え て 、 そ れ を 支 配 す る も の と さ れ る 。 こ う し て 人 間 と 自 然 は 対 立 的 な 存 在 と な っ た 。 こ れ を 自 然 哲 学 的 な 立 場 か ら 見 れ ば 、 神 は 自 然 の 能 動 的 な 面 ( 能 産 的 自 然 :natura naturans) と 捉 え ら れ 、 つ く り 出 さ れ た 自 然 ( 所 産 的 自 然 :natura naturata) に 対 す る 。 前 者 ( 神 ) は 創 り 出 す 自 然 、 す な わ ち 、 生 み 出 す 自 然 で あ り 、 後 者 は 生 み 出 さ れ た 自 然 で あ る 。 生 み 出 さ れ た 自 然 は 人 間 の 外 部 に あ り 、 人 間 が 支 配 す る た め の 生 命 を 欠 い た 対 象 世 界 と な る 。 そ こ に は も は や 自 律 性 は な く 、 あ る の は 機 械 論 的 な 自 然 に す ぎ な い 。 こ う し て 初 め て 科 学 文 明 が 対 象 と す る 客 観 世 界 と し て 、自 然 が 捉 え ら れ た の で あ る2。こ の 近 代 的 な 科 学 思 想 が 産 業 革 命 を も た ら し 、 人 類 に 生 産 革 命 、 生 活 革 命 を 生 み だ し た 。 一 方 で は 、 合 理 性 と 利 益 を 追 求 す る あ ま り 、 自 然 の 秩 序 を 無 視 し 、 自 然 か ら 一 方 的 に 搾 取 し て き た 結 果 、深 刻 な 森 林 破 壊 や 汚 染 と い っ た 環 境 破 壊 を も た ら し た3。こ れ は 超 克 す る 自 然 と い う キ リ ス ト 教 以 降 の 西 欧 社 会 で 形 成 さ れ て き た 、 人 間 と 対 立 す る 自 然 観 が も た ら し た 矛 盾 と い っ て よ い だ ろ う 。 3. イ ン ド の 自 然 と い う 概 念 自 然 と い う 漢 語 の 概 念 を 言 葉 と し て 考 察 す る 時 、 対 応 す る サ ン ス ク リ ッ ト 語 は 、 ス ヴ ァ バ ー ヴ ァ( svab hAva)、も し く は プ ラ ク リ テ ィ( prakRti)が あ げ ら れ よ う 。svab hAv a は「 自 ら 」と い う 意 味 の 接 頭 辞 ス ヴ ァ(sva-)に 、「 生 ず る 」と い う 意 味 の 動 詞 語 根 ブ ゥ ー( √ b h U) を 加 え た 動 詞 に 由 来 す る 男 性 名 詞 で あ り 、 プ ラ ク リ テ ィ ( prakRti) は 「 根 本 の 、 前 の 」 と い う 意 味 の 接 頭 辞 プ ラ (pra-) に 「 造 る 、 為 す 」 と い う 意 味 の 動 詞 語 根 ク リ ( √ kR) か ら 造 ら れ た 女 性 名 詞 で 、 prakRtyA( 本 質 的 に 、 本 来 的 に ) と し て 、 し ば し ば 副 詞 と し て も 用 2 彼 ら に 続 い て 登 場 し た 哲 学 者 に よ っ て 、こ の 自 然 哲 学 は さ ら に 深 化 す る 。ニ ュ ー ト ン( Isaac Newton

1642-1727)の『 プ リ ン キ ピ ア 』 の 原 題 も 、『 自 然 哲 学 の 数 学 的 原 理 』( Philosophiae Naturalis Principia Mathematica) で あ る よ う に 、 科 学 は 自 然 哲 学 の 中 の 一 方 法 と し て 継 承 発 展 し て き た 。 ラ イ プ ニ ッ ツ (Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716)の 提 唱 し た「 モ ナ ド ロ ジ ー( 単 子 論 )」「 予 定 調 和 説 」も 自 然 哲 学 と い え よ う 。

3 ま た 、自 然 の 脅 威 を 克 服 し つ つ 発 達 し た 科 学 文 明 は 、産 業 資 本 主 義 の 発 達 を も た ら し た が 、一 方 で

は 搾 取 す る 国 家 と 搾 取 さ れ る 国 家 の 対 立 を 生 み だ し 、 深 刻 な 国 家 間 、 社 会 間 の 階 級 間 の 対 立 を 引 き 起 こ し て い る 。 環 境 や 自 然 に 対 す る 立 場 も 、 こ の 文 明 観 の 相 違 に よ っ て 大 き く 異 な る こ と も 忘 れ て は な ら な い 。

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インド仏教から見た自然観の可能性 39 い ら れ る 。こ の 意 味 で は ギ リ シ ヤ 語 の ピ ュ シ ス(physis)や ラ テ ン 語 のナ ー ト ゥ ー ラ(natura) が 「 生 ず る 」 と い う 動 詞 を 語 源 と す る の と 対 応 す る 。 確 か に 、 ス ヴ ァ バ ー ヴ ァ は 、「 も の の 本 体 、 自 性 と い う 意 味 で 、 他 に 依 存 す る こ と な く 、 自 ら 生 ず る も の ・ 性 質 」 で あ る か ら 、 自 然 と い う 漢 語 に 対 応 す る 。 ま た 、 プ ラ ク リ テ ィ に し て も 、 本 性 、 自 性 と い う 意 味 で あ り 、 根 本 物 質 と 訳 さ れ 、 サ ー ン キ ヤ 学 派 な ど で は 、 そ れ か ら 万 物 が 展 開 す る と い う 思 想 ( 二 十 五 原 理 paJcav iM Cati-tattvAn i) が 生 ま れ た 。

し か し 、こ れ ら に は 人 間 を 除 外 す る 環 境 と い う 意 味 は な い 。イ ン ド 思 想 で は 、「 も と も と あ る 」 と い う 意 味 で の 自 然 と 、 環 境 世 界 と い う 意 味 の 自 然 を 、 明 確 に 区 別 す る こ と が な か っ た か ら で あ る 。

4. 仏 教 の 自 然 と 環 境

仏 教 で は 自 然 と は 環 境 を さ す 言 葉 で は な い 。 環 境 世 界 と い う 意 味 の 語 は 、 世 間 ( lo kad hAtu) や 器 世 間 ( b hAjana-lo k a) の 方 が 近 い 概 念 で あ る 。

器 世 間 は い わ ゆ る 三 千 大 千 世 界 と い う 宇 宙 的 世 界 で 、 そ れ ぞ れ の 世 界 は 須 弥 山 を 中 心 と す る 小 世 界 構 造 を な し て い る 。 そ れ が 仏 教 の 世 界 観 に お け る 具 体 的 世 界 で あ り 、 有 情 の 住 む 国 土 と そ の 上 に 生 じ て い る 草 木 類 な ど を 含 む 。

4 ∼ 5(世 紀 頃 )の イ ン ド の 大 仏 教 学 者 ・ 世 親 は 、 主 著 『 倶 舎 論 』 で 、 こ の 世 界 ( 器 世 間 b hAjana-lo ka) が 有 情 の 業 の 増 上 力 ( Ad h ip at ya) に よ っ て 生 ず る こ と を 、 次 の よ う に 説 明 す る4。

「 こ の 三 千 大 千 世 界 は 次 の よ う に 展 開 す る と 認 め る 。諸 の 有 情 の 共 業 の 増 上 力 に よ っ て 、 下 方 に お い て 虚 空 に 依 止 し て 風 輪 ( vAy u-maN Dala) が 生 ず る 。 広 さ は 無 数 ( asAMk h ya) で あ っ て 、 厚 さ は 16( lak Sa-y o jana) で あ る 。 こ の よ う に 風 輪 は 、偉 大 な る Nagna 神 が 金 剛 杵 で 撃 っ て も 、損 壊 し な い ほ ど で あ る 。〔 中 略 〕諸 の 有 情 の 業 に よ っ て 、そ の 風 輪 の 上 に 、雲 が 集 ま り 、雨 の 流 れ が 車 軸 の 量 の よ う に 注 ぎ 、そ れ が 水 輪( jala-maN Dala)と な る 。〔 中 略 〕 諸 の 有 情 の 業 の 働 き に よ っ て 生 ま れ た 風 に よ っ て 、 そ の 水 が 飛 ば さ れ た 時 、 煮 沸 さ れ た 乳 が 表 面 の 膜 を 造 る 理 に よ っ て 、 上 方 が 黄 金 の 大 地 と な る 。 こ れ が 金 輪 ( kAJcana-maN Dala) と い わ れ る 。〔 中 略 〕 金 輪 の 上 に 妙 高 山 ( sumeru) を 中 心 と し た 九 山 と 八 つ の 海 が あ る 。〔 中 略 〕ま た 、す べ て の 有 情 の 共 業 の 増 上 力 に よ っ て 、空 中 に 日 と 月 と 星 を 運 行 す る 風 を 生 ず る 。」(AbhK、 pp.158ff) 仏 教 に お い て は 、 生 き と し 生 け る も の は 自 分 の 行 為 の 結 果 を 自 分 が 受 け 、 そ れ ぞ れ の 行 為 に 適 し た 世 界 に 生 ず る 。 し か し 、 世 界 は そ れ 自 身 の 行 為 の 結 果 を 持 た な い か ら 、 世 界 自 身 が 世 界 を 生 ず る の で は な い 。 そ れ で は 世 界 は 何 に よ っ て 造 ら れ た の か と い う と 、 世 界 は 多 く の 人 々 の 行 為 の 結 果 ( 共 業 sAd hAraNa-karman) に よ っ て 生 ず る と す る 。 つ ま り 、 世 界 は 神 に よ っ て 造 ら れ た の で は な く 、 人 間 に よ っ て 造 ら れ た も の な の で あ る 。 そ の た め 、 人 間 こ そ が 世 界 の 状 況 に 責 任 を 負 う も の で あ る 。

4 P. L. Pradhan ed., AbhidharmakoCabhASyaM of Vasubandhu, Tibetan Sansk rit Wo rk s Series Vol.8, Patn a,

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東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.1 5. イ ン ド の 伝 統 的 宗 教 の 自 然 観 一 般 に イ ン ド 仏 教 で は 生 き 物 を 有 情(sattva)、そ う で な い も の を 非情( asattva)と す る 。 有 情 は 情(心 の 働 き . 感 情 )を 持 つ も の と い う 意 味 で 、 生 き て い る も の の 総 称 と し て 用 い ら れ 、 狭 義 に は 人 間 を 意 味 す る 。 一 方 、 心 の 働 き を 持 た な い も の が 非 情 (asattva) で あ り 、 山 川 ・ 土 石 な ど 精 神 作 用 の な い も の を さ し て い う 。 草 木 も 一 般 的 に は 非 情 と さ れ る 。 輪 廻 や 悟 り の 対 象 も 、 通 常 は 有 情 に 限 定 さ れ る 。 こ こ に は 後 代 の 東 ア ジ ア で 考 え ら れ た よ う な 、 草 木 や 山 川 と い っ た 自 然 を 有 情 (sattva) と す る 考 え 方 は な い し 、 草 木 が 成 仏 す る と い っ た よ う な 、「 非 情 成 仏 」( 心 の 働 き を 持 た な い も の で も 成 仏 で き る こ と ) の 思 想 は 見 ら れ な い 。 し か し 、 修 行 者 の 生 活 を 規 定 す る 律 蔵 文 献 (Vinaya) で は 、 草 木 に 対 す る 注目 す べ き 規 定 も 見 ら れ る 。 ( 1 ) 一 根 の 生 命 律 蔵 (Vinaya) の 規 定 に は 、 そ れ ぞ れ の 戒 条 の 前 に 制 定 さ れ る 因 縁 が 説 か れ て い る 。 そ の 中 で 、 安 居 の 規 定 に つ い て は 、 以 下 の よ う な 因 縁 が 述 べ ら れ る 。 釈 尊 当 時 の 比 丘 た ち は 、 夏 の 間 も 遊 行 し て い た 。 そ の た め に 生 き 物 が 生 育 す る 雨 期 に 、 植 物 を 踏 み つ け て 、 傷 つ け 、 多 く の 小 さ な 生 命 を 殺 し て い る と し て 、 在 家 者 か ら 非 難 さ れ た 。 そ こ で 雨 期 の 間 は 定 住 し て 、 三 ヶ 月 の 夏 安 居 を お こ な う こ と が 定 め ら れ た 。 こ こ で 踏 み つ け ら れ た 草 木 と は 、 パ ー リ 律 に よ れ ば 、「 一 根 ( 一 つ の 感 覚 器 官 ) の 生 命 」 ( ek in driy a jIv a)で あ り5『 四 分 律 』に よ れ ば 、「 命 根 想 を 持 つ 草 木 」で あ る 。こ の 条 項 に

あ る よ う に 、 草 木 は 「 一 根 の 生 命 」 で あ る か ら 、 そ れ を む や み に 傷 つ け る こ と が 禁 じ ら れ た の で あ る 。 同 様 に 草 を 編 ん で サ ン ダ ル を 作 っ た り (Vinaya 1.189.12-15)、 む や み に 木 を 伐 採 し た り (Vinaya 3.155.33-156.2)、 地 面 に 穴 を 掘 る こ と ( Vinaya 4.32.25-28) も 、「 一 根 の 生 命 」 を 害 す る 所 以 で あ る と 言 わ れ た6。ま た 、別 の 戒 律(『 摩 訶 僧 祇 律 』)で は 、草 木 を 焼 く こ と も 、 「 傍 ・ 一 根 ( 動 植 物 )」 を 傷 つ け る と し て 禁 じ て い る7。 な お 、 こ こ で 述 べ ら れ る 「 一 根 の 生 命 」 と い う 術 語 は 、 仏 典 に は 特 異 で 、 む し ろ ジ ャ イ ナ 教 に よ っ て 述 べ ら れ る も の と 推 定 さ れ る8。

5 Vinaya Mah Avagg a, PTS. vol.1 , p.137 . な お 、 こ の 一 根 は ジ ャ イ ナ 教 の 説 く と こ ろ の 触 覚 で あ る と い

う (P. S. Jaini, The Jaina Path of Purification, Berkeley, 1979, pp.108-111, Lambert Schmithausen, The

Problem of the Sentience of Plants in Earliest Buddhism, Studia Philologica Buddhica Monograph Series Ⅳ ,

Tokyo,: the International Institute for Buddhist Studies, 1991, p.81)。

6 原 実 「 植 物 の 知 覚 」(『 国 際 仏 教 学 大 学 院 大 学 研 究 紀 要 』 2、 1999、 p.9) を 参 照 。 7 そ の 因 縁 に よ れ ば 、比 丘 た ち が 寒 い 雪 の 降 っ た 時 に 、日 を 燃 や し て 暖 を 取 っ た こ と が 、世 人 に よ っ て 非 難 さ れ た 。 そ こ で は 、「 沙 門 ゴ ー タ マ が 不 殺 生 を 讃 嘆 し た の に 、 比 丘 た ち は 火 を 燃 や し て 地 を 焼 き 、「 傍 ・ 一 根 ( 動 植 物 ) を み だ し て い る 」 と 言 っ た こ と か ら 、 こ の 戒 条 が 制 定 さ れ た と す る 。(『 摩 訶 僧 祇 律 』 大 正22、 no.1425、 495a5) 8 D

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インド仏教から見た自然観の可能性

41 ( 2 ) ジ ャ イ ナ 教 の 独 特 の 生 命 観9

ジ ャ イ ナ の 存 在 論 は 生 命 原 理 で あ る ジ ー ヴ ァ( jIv a)と 物 質 原 理 で あ る プ ド ガ ラ( pudgala) か ら な る 二 元 論 で あ る 。 ジ ー ヴ ァ が 自 ら を 束 縛 す る 物 質 を す べ て 除 去 す る と 、 解 脱 に 至 る と す る 。そ の 生 命 原 理 で あ る ジ ー ヴ ァ に は 、「 輪 廻 す る も の 」と 、「 解 脱 し た も の 」( 輪 廻 し な く な っ た も の 、解 脱 者 )と の 二 種 が あ り 、さ ら に「 輪 廻 す る も の 」は 、「 動 く も の 」(trasa) と 「 動 か な い も の 」( sthAvara) に 二 分 さ れ る 。 植 物 ( vanaspati) は 地 ・ 水 と と も に 後 者 に 属 し 、 輪 廻 の 対 象 と 考 え ら れ て い る 。 な お 、 動 物 は 二 つ 以 上 の 根 ( 感 覚 器 官 ) を 持 ち 、 植 物 は 一 つ の 根 ( 感 覚 器 官 = 触 覚 ) を 持 つ も の と さ れ る 。 ( 3 ) バ ラ モ ン 教 の 草 木 の 輪 廻 バ ラ モ ン 教 の『 マ ヌ 法 典 』(MS)や『 ヤ ー ジ ュ ニ ャ ヴ ァ ル キ ヤ 法 典 』( YVS)で も 、人間 が 草 木 に 再 生 す る こ と を は っ き り と 述 べ て い る10 『 マ ヌ 法 典 』で は サ ー ン キ ヤ 哲 学 を 背 景 に し て 、一 切 の 存 在 を 、サ ッ ト ヴ ァ( 純 質 )・ラ ジ ャ ス ( 激 質 )・ タ マ ス ( 暗 質 ) と い う 三 つ の 性 質 ( グ ナ ) か ら な り 、 こ の 性 質 に よ っ て 、 神 ・ 人 間 ・ 動 物 の 三 種 に 生 ま れ る と す る 。 さ ら に 、 こ の 三 種 が 赴 く 生 存 に も 、 各 人 の 行 為 と 知 識 の 違 い に よ っ て 、 上 ・ 中 ・ 下 の 三 種 の 別 が あ る と い う 。 ① 「 タ マ ス の 性 質 に 基 づ く 最 低 の 帰 着 点 は 、 動 か な い も の ( 植 物 )、 虫 類 、 魚 類 、 蛇 、 亀 、 家 畜 、 野 獣 で あ り 、 中 位 の 帰 着 点 は 、 象 、 馬 、 シ ュ ー ド ラ 、 卑 し ま れ る 蛮 族 ( ム レ ッ チ ャ )、ラ イ オ ン 、虎 、野 猪 で あ り 、最 高 の 帰 着 点 は 、旅 芸 人( チ ャ ー ラ ナ )、ス パ ル ナ( 神 話 的 な 鳥 )、 詐 欺 師 、 ラ ク シ ャ ス ( 羅 刹 、 悪 魔 )、 ピ シ ャ ー チ ャ ( 食 血 肉 鬼 ) で あ る と す る 。」(MS 12. 41-44)。 ② 「 人 は 身 体 的 行 為 の 罪 に よ り 植 物 に 、 言 語 的 行 為 の 罪 に よ っ て 鳥 獣 に 、 心 に よ る 行 為 の 罪 に よ っ て 最 下 層 の 生 ま れ に な る 。」(MS 12.9) ③ 「 グ ル ( 師 ) の 臥 床 を 犯 す 者 ( 師 の 妻 と 淫 行 を な し た 者 ) は 、 何 百 回 も 、 草 ・ 灌 木 ・ 蔓 草 ・ 肉 食 動 物 ・ 牙 を 持 つ 獣 ・ 残 忍 な 行 為 を な す 猛 獣 の 〔 母 胎 に 入 る 〕」(MS 12.58)11 ④ 「 黄 金 を 盗 む 者 は 、 ウ ジ 虫 ・ 虫 ・ 蛾 に な る 。 ま た グ ル の 床 を 犯 す 者 は 、 次 々 と 、 草 ・ 灌 木 ・ 蔓 草 と な る 。」(YVS 3.209)12 以 上 の よ う に 、 ジ ャ イ ナ 教 や バ ラ モ ン 教 が 説 く 輪 廻 の 世 界 に は 、 動 か ざ る も の 、 す な わ ち 草 木 が そ の 領 域 に 含 ま れ て い た と 言 え る 。 ( 4 )「 草 木 を 傷 つ け る べ か ら ず 」( 伐 草 木 戒 ) 一 方 、パ ー リ 律 に は 、「 草 木 を 傷 つ け る べ か ら ず 」と い う 戒 条 も あ る 。こ の 戒 が 制 定 さ れ 9 藤 永 伸 「 ジ ャ イ ナ の 生 命 観 」『 日 本 仏 教 学 会 年 報 』 第 55 号 、 1990、 pp.57-68. 渡 辺 研 二 「 ジ ャ イ ナ 教 の 植 物 観 」『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』82、 1993、 pp.94-100. 10 以 下 の 用 例 は 、杉 本 卓 洲『 五 戒 の 周 辺 ― イ ン ド 的 生 の ダ イ ナ ミ ズ ム 』( 平 楽 寺 書 店 、1999、pp.116-120)、 原 実 、 前 掲 論 文p.4 に も と づ く 。 11 ManusmRti 12.58. 12 YAjJav alkya-smRti 3.209. 井 狩 弥 介 ・ 渡 瀬 信 之 共 訳 『 ヤ ー ジ ュ ニ ャ ヴ ァ ル キ ヤ 法 典 』 東 洋 文 庫 698, 平 凡 社 、2002、 p.172.

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東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.1 る 因 縁 は 、 次 の よ う に な っ て い る 。 仏 が ア ー ラ ー ヴ ィ ー に 住 し て お ら れ た 時 、 一 人 の 比 丘 が 木 を 切 っ た 。 と こ ろ が そ こ に は 樹 神 が 住 ん で い て 、 樹 神 は 怒 っ て そ の 比 丘 を 殺 そ う と し た が 、 な ん と か 思 い と ど ま っ て 仏 に 救 い を 求 め た 。 そ こ で 仏 は そ の 樹 神 に 別 の 木 を 与 え て 事 な き を 得 た 。 そ の 時 、 人 々 は こ の 比 丘 に 対 し て 、 一 根 の 生 命 を 傷 つ け る も の だ と 言 っ て 非 難 し た 。 そ こ で 仏 は 、 世 間 の 人 々 は 樹 木 に 生 命 が あ る と い う 想 い ( 有 命 想 jIv asaJ J in) を 持 っ て い る と い っ て 、「 草 木 ( b h U ta-gAma) を 傷 伐 す れ ば パ ー チ ッ テ ィ ヤ ( pAcittiya 波 逸 提 ) 罪 で あ る 」 と い う 学 処 ( 戒 律 の 項 目 ) を 制 定 し た 。 こ の 条 項 に は さ ら に 注 釈 が 加 え ら れ 、 草 木 と は 根 ・ 茎 ・ 節 ・ 枝 ・ 種 子 か ら 生 ず る 五 種 で あ る と い い 、 そ れ ぞ れ に 具 体 的 な 植 物 名 が 列 挙 さ れ る 。(Vin, Ⅳ , 33∼34) こ こ で い う パ ー リ 語 ブ ー タ ・ ガ ー マ ( b h U ta-gAma) と は 、 草 木 を 意 味 す る が 、 実 際 の 語 義 は 「 精 霊 な ど の 住 処 」 で あ る 。 樹 木 に は さ ま ざ ま な 生 き 物 が 共 生 し て い る 。 虻 や 蚊 や バ ッ タ な ど の 昆 虫 や 鳥 類 か ら 、 精 霊 や 神 々 ま で が そ こ を 住 処 と し て い る 。 そ の 樹 木 を 伐 採 す る こ と は 、 こ れ ら の 有 情 が 住 処 を 失 い 、 命 を 奪 わ れ る こ と で も あ る 。 だ か ら 樹 木 の 伐 採 が 非 難 さ れ る の で あ る13 ま と め イ ン ド の 思 想 や 仏 教 思 想 に は 、 慈 悲 に も と づ い た ア ヒ ン サ ー ( 不 殺 生 ) の 思 想 が あ り 、 さ ら に そ の 根 拠 に は 輪 廻 思 想 に 見 ら れ る よ う な 、 動 植 物 の 一 体 感 、 生 命 の 一 体 感 が 連 綿 と し て 見 ら れ る 。伝 統 的 な 仏 教 で は 植 物 は 非 情(asattva)で あ り 、輪 廻 の対 象 と は し な い が 、 ジ ャ イ ナ 教 や バ ラ モ ン 教 で は 輪 廻 の 対 象 と し 、「 一 根 の 生 命 」と し て 尊 重 し 、仏 教 も そ れ を 受 容 し た 。 ま た 、『 倶 舎 論 』に 見 ら れ る よ う な 仏 教 の 哲 学 に よ れ ば 、生 き と し 生 け る も の の 世 界( 有 情 世 間 sattva-loka) の 場 と し て の 器 世 間 ( b hAjana-lo k a) は 、 有 情 の 行 為 の 総 体 と し て 結 果 す る も の で あ り 、 ど こ ま で も 人 間 中 心 の 思 想 が 見 ら れ る 。 し か し 、 そ の 人 間 も 環 境 世 界 の 中 の 一 員 で あ る と い う 、相 即 的 な 自 然 観 、世 界 観 こ そ が 、東 洋 の 自 然 観 の 特 徴 で あ っ た 。 現 代 の 文 明 社 会 に 対 し 、 あ る 特 別 な シ ス テ ム が 、 根 本 的 な 解 決 を 導 く と は 思 え な い が 、 こ の よ う な 「 人 間 と 自 然 と の 一 体 感 、 人 間 と 環 境 と の 緊 密 な 関 係 」 を 強 調 す る 東 洋 の Eco-Philosophy こ そ が 、 一人 一 人 の 意 識 の 改 革 を 促 し 、 社 会 と 人 間 の 関 係 を 公 正 な 状 態 に す る こ と が で き る 思 想 で あ り 、 今 後 の 我 々 の 文 明 を 是 正 す る 可 能 性 を 持 っ て い る の で は な い だ ろ う か 。 13 『 根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 』( 大 正 蔵 23、 775c) に 説 か れ る 。

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Potentiality of the View of Nature from Indian Buddhism

WATANABE Shogo In this report, I investigate the potentiality that the distinctively Asian thought, "human beings are united with nature," holds in considering sustainability.

In Buddhism, there is distinction between sentient (sattva) and non-sentient beings (asattva). This is common to Indian thought, where sentient beings transmigrate in samsara while non-sentient beings do not become object of transmigration. However, the distinction between the animal and the plant is delicate and subtle. Animals are clearly the object of samsara, while plants can also become the object of samsara, depending on the documents. In this sense, the plants are very close to human beings and animals.

According to the cause and effect theory of Buddhism, all sentient beings receive the result of their action, and they dwell in the world that is suitable for their action. However, the world itself does not have a result of its own action. Instead, it is assumed that the world is created by the result of actions of all beings (sAd hAraNa-karman) that dwell in it. God did not create this world, and it was made by all beings.

I compare the view of nature and the worldview of Buddhism with those of other religions in order to consider a relationship of the humans and environment that is not in mutual opposition.

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