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「国際社会保障論」の構築をめざして

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(1)

はじめに

一研究の必要性と課題一

伸 一

「大学冬の時代」が叫ばれて久しいにもかかわらず、福祉系の学部・学科は例外的に増え続け ている。高齢化社会の到来とともに、人々の福祉への関心も高まり、また、福祉関連職の急増 が背景にあるだろう。関係する大学では、新しいカリキュラムに従って講義も花盛りである。

ところが、福祉系の学科において国際的な講義を展開しているものは数少ない。もちろん、各 講義科目の中で当該領域に関する国際的な動向を紹介することは行なわれているだろう。だが、

他の学部等に比べて福祉系の学部・学科では、講義科目として「国際」と銘打っているものは 非常に少ないのが実態であろう。学問の性格上、現場を重視し、理論より実践を重んじること が多いので、どうしても国内的な色彩が強くならざるを得ない。

そんな中で、「国際社会福祉論」なる講義科目は、ほとんどの大学で開設されている。まだ、

研究の実績の少ない領域であり、蓄積は乏しいようであるが、その内容はほぽ確立されている ように思われる。それは、先進国や各種国際機関から様々な方法で発展途上国への社会的・経 済的な援助を施すものを中心としているように思われる(2)

さて、筆者は東洋英和女学院大学において、「国際社会保障論」なる講義を始めた。人間福祉 学科の創設に伴って、伝統あるミッション・スクールとして国際的な特徴を出して欲しいとの 要請があった。もともと、国際的な研究を進めていた筆者にとって、この要請は非常に幸運な ことであり、大きな機会を提供していただいたことになった。国際社会福祉論とは異なる、他 にはない「国際社会保障論」を提案した次第である。さっそく、自ら大掛かりな構想に着手し 始めた。

これまで、一般的な研究論文のテーマとしては「国際社会保障」と題するものを少ないなが らみかけることはあった。だが、「国際社会保障論」という名の講義名を聞き及んだことがな い。仮にあっても、極めて稀であるに相違ない。その定義、対象、目的、方法等すべての点に おいて、まだ確立されておらず、研究者の間ではその存在自体すら合意が形成されているとは 言えない。本稿では、筆者の想定する「国際社会保障論」の基本的な考え方を紹介したい。そ

して、その具体的な中味については、今後の研究課題とせざるを得ない。

(2)

I.社 会 保 障 論 研 究 の 特 徴

社会保障は現代社会が20世紀に入って生み出した非常に新しい社会制度であり、学問として も極めて新しい領域である。他の専門分野と比べて際立った特徴がいくつか指摘される。本稿で は、その中の一つとして、社会保障の持つドメスチックな特徴を取り上げて検討を加えたい。国 際的な社会保障研究にとっては、避けることのできない大きな前提条件となるからである。

1.ドメスチックな研究

社会保障論に限らず社会科学の領域では、一般に特定国の国民を想定して議論が成り立って いる。例えば、経済学にしても国民経済学を意味し、「資本は国境を越える」と古典派経済学で も述べてきたが、労働者までもが自由に国境を越えることは想定してこなかった。つまり、労 働力商品とは当該国民であることを前提としていた。国内の労働市場に外国人が侵入してきて、

賃金や雇用・失業情勢に影響を及ぼす状況は前提としてこなかった。例えば、労働力不足の時 期に国内で調達できない労働者を外国から呼んで来るなどとは想像もつかなかったのである。

だが、歴史を紐といてみると、人の移動は古代の歴史から証明されている。民族をあげて地 域を移動する試みは、むしろ歴史の必然であった。経済学という学問が産業革命によって発展 した経緯があったが、当時はまた資本主義発展の各国間の競争を展開してきた時代でもある。

労働者は一国内で完結するものを前提とすることで、議論が成り立っていたとも考えられよう。

社会保障も長年にわたり、暗黙のうちに国民を想定して設計され、運用されてきた。社会保 障とは、本来非常に国内的な性格を持って発展してきた。つまり、貧困や階級構造、所得格差、

社会問題等の状況は国によって異なり、その対応策の一つである社会保障も自ずと国によって 異なるのである。そのため、 10の国があれば、 10の社会保障モデルがあると言われてきた。逆 に言えば、国際化の最も遅れた領域が社会保障であるとも言えよう。例えば、 EUでは、統合 の進捗状況が最も遅れているのが教育と社会保障の領域だと言われている。

研究においては、社会保障はもともとイギリスやドイツの社会保障の紹介という形で日本で も始められたため、もともと国際的であるとも言えよう。だが、その後の多くの外国研究も実 は特定国の社会保障という形で紹介されてきた。つまり、外国の研究ではあるが、当該国の国 内的な社会保障の研究という段階であることに変わりはない。

最近、日本でも社会保障の国際比較が活発になってきた。ところが、よく見てみると、多く のその種の研究も各国研究の寄せ集めである場合が多い。各国の専門家の共同執筆という形で 一つの著作となる場合が多い。国別に紹介された各国の社会保障について、どこが違うのか、

何故違うのか、どう評価したら良いのか、誰が相互に比較検討するのであろうか。著者は各章 の当該国のみを論じており、執筆者は誰も比較をしていないように思われる。あるいは、比較 することは読者に任されているのだろうか。

(3)

社会保障の研究者側を見ても、国別、あるいは、制度別、方法論別、時代別等に守備範囲が きれいに分割されている。専門化の進展に応じて、こうした研究者間の分業も当然のことかも 知れないが、広く全体を見渡す視点も忘れてはならないはずだ。しかも、敢えて言えば、その 研究者間の分業も非常に偏っているように思われてならない。例えば、イギリスやアメリカの 研究者が多いのは如何に説明されるのであろうか。

社会保障論の多くのテキストの中には、「世界の社会保障」と題する章が、延々とイギリス社 会保障を論じているものもある。ドイツやアメリカの状況がわずかに付け加えられているもの が最も一般的であろう。これらの国だけで「世界」を代表されては困ると考える。これらの国々 のみが取り上げられる積極的な意味があるのであろうか。あれば、その意味付けを論じなけれ ばならないはずである。ところが、そんな説明は見たこともない。

日本の政策立案においては、今でも諸外国の事例が非常に重要視されている。そこで検討さ れるのも、主にアメリカやイギリス、ドイツあたりであろう。ところが、日本の外国研究が国 別に分断されていることから、各国の制度の客観的な評価が困難になっている。一つのものを 評価するためには、他のものと比べる必要がある。一つのものしか見なければ客観的な評価は できないはずである。国を横断するようなクロス・ナショナルな分析をしなければ、一国の正 当な評価は下せないように思われる。これがドメスチックな学問である社会保障論の大きな問 題の一つと言えよう。

研究者側にも問題があるように思われる。イギリスの専門家はイギリスを賛美し、ドイツの 専門家はドイツを賛美するのが普通である。専門家は通常、良いものを研究しているつもりで あり、悪いものは軽視しがちである。つまり、優れたもの、重要なものを研究することで、そ の研究自体が正当化されるのである。さらに、近年の研究は非常に専門化され、細分化されて いる。例えば、イギリスの医療の専門家、アメリカの年金の専門家といった具合である。高度 化する現代社会にあって、社会保障も複雑化するため、研究も当然の趨勢とも言えよう。だが、

全体で評価する視点を見逃してはならない。

例えば、アメリカは医療保障が遅れているとういうことは事実であるが、社会保障の枠外に 充実した民間保険の存在がある。日本の政策立案に際しても、特定制度の良いところだけ世界 の国々から導入しようすることは、非常に危険である。社会保障制度は各制度間で相互に関連 しあっている。そして、その周辺の社会制度とも大きな関連がある。部分と全体が常にバラン ス良く評価されるべきである。

2.  ドメスチックな理由

社会保障がドメスチックであるのには理由がある。第1に、社会保障の適用対象が国民、あ るいは、同国居住者を対象としていることが大きな理由の一つであろう。日本でも、憲法25条

(4)

が「健康で文化的な最低限度の生活」を保障されているのは、日本「国民」であることを明記 している。生活保護法をはじめ社会福祉関係法においても、しばしばこの憲法の規定に基づい て構成されている。従って、日本在住の外国人に対して生活保護等が適用できないという問題 があった。いわゆる「国籍条項」の問題である。

近年、次第に国際化への配慮が進んできてはいるが、まだ整備が必要な部分が多く残されて いる。社会保険制度においては、外国人であろうと、合法的な滞在をしている外国人であれば、

社会保険は差別なく適用されるようになった。年金制度の帰国時の一時清算払いも可能になっ た。社会福社制度も外国人への適用が進んできている。

社会保障がドメスチックな理由の第 2は、社会保障制度が各国ごとにかなり異なることであ る。前述したように、各国は、地形、言語、自然条件、人口から産業構造、経済水準、富の分 配、貧富の差、階級構造、そして、国民の価値観等多くの要因に基づいて各国独自の社会保障 を構築してきた。そして、各国国民はその独自の社会保障を基本的には支持し、多くの場合そ れを名誉に思っている。従って、社会保障は国際的な趨勢はあっても、大事なところは独自路 線を堅持する場合が多い。社会保障のニーズが国によって異なる上、社会保障はあくまで一つ の選択肢に過ぎない。等しく「社会保障」と言っても、各国においてその意味するものが異な るのである。これでは、国際化に馴染まないのも当然であろう。

これと関連して第3に、社会保障は一国経済としても大きな位置を占めるものとなっており、

社会保障の負担が国際競争の一つの大きな要因となっていることである。欧州のように福祉の 進んでいる国々においては、企業も人も社会保障に莫大な富を注ぎ込んでいる。各国間の社会 保障の負担の相違が各国の競争力によって中和され、均衡を保っていると言えよう。

I

I. 旧 来 の 「 国 際 社 会 保 障 」 研 究 1. 国際機関の社会保障政策

さて、「国際社会保障」という研究は、少ないながらもかなり前から進められてきた。だが、

そうした研究論文を見てみると、そのほとんどは国際機関による社会保障政策を意味していた。

実際には、その中心はILO研究であった(3) ILOは世界中の国々を対象にして、社会保障 の普及、進展に努力しており、その活動は正に「国際社会保障」と呼ぶのに相応しいであろう。

だが、「国際社会保障」と称するからには、 ILOやその他の国際機関の政策だけでなく、他に も多くの側面が含まれると考えられる。そうした新しい側面を追求していくことが、筆者の目 指す「国際社会保障論」である。

また、国際機関による社会保障政策自体に関しても、いろいろな評価が繰り返されており、

最近では多くの疑問も寄せられている。長年、世界中の国々への社会保障の普及を目的として きたのはILOであるが,それでは、 ILOの政策がどれくらい成果があったと言えるのか。社会

(5)

保障は世界中にどれだけ普及したのか。改めて問い直すと、はっきりした答えが出てこない。

ビスマルクが19世紀終わりに、はじめて社会保険制度を確立して以来、先進諸国において社 会保障体系が整備されてきた。さて、 1世紀以上経った今、世界中の国々にどれだけ社会保障 制度が行き渡ったのであろうか。

後述する社会保障の最低基準に関するIL0102号条約にしても、批准しているのは僅かに 40 カ国ほどであり、その多くは先進国である。先進国はILOの政策如何にかかわらず社会保障が もともと整備されている国々である。また、批准国は最近ではあまり増えていない。アジアで は僅かに日本だけが批准国である。批准できない多数の国々、社会保障が普及されない多くの 国々に対してILOはどのような貢献ができるか。

ILOの政策自体が欧州の価値観に基づいており、発展途上国に適当かどうか疑問もある。

ILOはもともと労働者保護のための組織であり、社会保障も労働者保護政策の一環として構築 されてきた。具体的に言えば、職域主義に根ざしたビスマルク・モデルをILOは信奉している と言われる。工業化が遅れた国々、農業国家、賃金労働者よりも零細家内労働者や独立自営業 者が圧倒的多数を占める発展途上国にビスマルク・モデルは有効ではないとの主張もある(4)

また、社会保障の対象は労働者に限らない。特に、社会福祉の対象は病人、障害者、老人、

児童等の労働者以外の人々が中心である。こうした特定福祉対象者から見れば、労働者は既に 恵まれている人たちと言える。社会保障の目的の一つは最低生活保障であるが、労働者は既に 最低生活水準より高い最低賃金が保障されているし、その賃金も労使交渉によって引き上げる ことができる。他方、福祉対象者は彼らの利益を交渉する場も提供されていないし、運動もほ とんど組織的に展開されることもない。労働組合もILOも直接は福祉対象者の利益を代弁する ものではない。

ILO以外の国際機関による社会保障政策としては、欧州評議会 (Councilof Europe)や欧 州連合 (EU)等が挙げられる。ただし、両者はあくまで欧州の加盟国に適用対象を限定して おり、その域内での各国社会保障制度の調整を進めてきた(5)。それ自体、非常に画期的で興味 深いものであるが、やはり欧州の組織であり、他の地域からすれば非常に排他的な政策となる。

また、世界中の国を対象とする国際組織としても、世界保健機構 (WHO)や国際児童基金 (UNICEF)等がそれぞれの分野であるが福祉に関係する政策を展開している。より広い視野 では、国連開発計画 (UNDP)、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)も挙げられよう。さ らに、世界銀行や経済協力開発機構 (OECD),世界貿易機構 (WTO)等の経済的な機関まで が発展途上国の貧困問題の解決のために行動している(6椅公的な機関に限らず、各種私的な任 意団体も国際協力事業に熱心になってきた。ILOにとっては、各種他機関との連携をはかりつ つ独自の行動を展開しなければならない。

社会保険を中心として狭義の社会保障を想定すれば、国際社会保障政策を展開している国際

(6)

機関は少ない。もちろん、調査・研究等の領域まで範囲を広げれば、他にも多くの国際機関が 指摘されよう。また、社会保険から社会福祉を中心にした領域を見てみると、多くの国際機関 が存在し、それぞれの領域で活動している。

以上は、すべて何らかの公的な機関を想定していたが、周知のとおり、近年は社会福祉の担 い手は国や自治体だけではなく、民間非営利組織が大きな役割を果たしている。民間団体でも、

国際的なレベルで貢献しているものがたくさんある。国際赤十字などはその良い事例であろう。

ノーベル賞を受賞した、国境なき医師団もフランスの民間団体として出発した。

さらに、世界的な趨勢として、社会保障の民営化が進行している(7)。これは主として、各国 の社会保障制度が財政危機を背景にして、これ以上の福祉の財政負担に耐え切れないため、ま た、租税負担も限界に達しているとの理由で、必要に迫られての改革の一手段となっている。

小さな政府に向けての政策は、結局は民間福祉の発展をもたらす。さらに、これとは別に、木 目の細かい福祉を展開することは行政には不可能であり、受益者本人負担による民間ビジネス によるしかないことも事実であろう。

(7)

1. ILO102号条約の批准状況

オーストリァ(注)2)

, 

10 

゜ ゜゜ ゜゜

バルバドス(注)2)

゜ ゜ ゜゜

ベ ル ギ ー ( 注 )1)

゜゜゜゜゜゜゜゜゜

ボ リ ビ ア ( 注 )1).2)3) 

゜゜ ゜゜゜゜゜゜

叔ニアヘ)レッ辺ttI)

゜゜゜゜゜ ゜ ゜

コ ス タ リ カ

゜ ゜゜゜゜゜゜

クロアチア(注)I)

゜゜゜゜゜ ゜゜゜

キ プ ロ ス ( 注 )1)2) 

゜゜゜゜ ゜゜

コ(注)2).3)

゜゜ ゜ ゜゜゜゜

デ ン マ ー ク

゜ ゜゜゜ ゜

エクアドル(注)1).2).3)

゜ ゜゜ ゜゜

フ ラ ン ス

゜ ゜゜゜゜゜゜

ッ(注)1).2).3) ギ リ シ ャ

゜゜゜゜゜ ゜゜゜

アイスランド

゜ ゜ ゜゜

アイルランド

゜゜ ゜

イ ス ラ エ ル

゜゜ ゜

イ タ リ ア

゜ ゜゜ ゜

本(注)1)

゜゜゜゜

ァ(注)1).2).3) ルクセンプルグ(注)I)

゜゜゜゜゜゜゜゜゜

モーリタニア

゜゜゜ ゜゜

メ キ シ コ

゜゜ ゜゜ ゜゜゜

オ ラ ン ダ ( 注 )1).2).3)

゜゜゜゜゜゜゜゜゜

ニ ジ ュ ー ル

゜゜゜゜

ノルウェー(注)2).3)

゜゜゜゜゜゜

゜゜ ゜ ゜゜

ポ ル ト ガ ル

゜゜゜゜゜゜゜゜゜

セ ネ ガ ル ( 注 )1)

゜゜゜

スロバキア(注)2).3)

゜゜ ゜ ゜゜゜゜

スロベニア 1)

゜゜゜゜゜ ゜ ゜

ス ペ イ ン スウェーデン(注)!)

゜゜゜ ゜゜゜

ス(注)2).3)

゜゜゜ ゜゜

゜゜ ゜゜ ゜゜゜

゜゜゜゜ ゜ ゜

ベネズエラ(注)1)

゜゜ ゜゜ ゜゜゜

ユーゴスラビァ(注)1)

゜゜゜゜゜ ゜ ゜

ザ イ ー ル

゜ ゜ ゜゜

1) 業務災害給付条例(第121号)の批准により、本条例の第6号及び関係規定は適用されない。

2)  障害、老齢及び遺族給付条約(第128条)の批准、各部の業務受諾により、本条約の対応する部及び 関係規定は適用されない。

3)  医療及び疾病給付に関する条約(第130号)の批准により、本条約の第3部及び関係規定は適用され ない。

4)  199612月末現在

〔資料〕 社会保障制度審議会事務局

(8)

2.見逃されていた側面

表1は、社会保障の最低基準に関するIL0102号条約の批准国を示している。これを見ると、

制度別でももっとも多い国に批准されている老齢年金制度であっても、35カ国しか批准されて いないことがわかる。最低では、失業給付は僅かに20カ国しか批准されていない。世界の国の 数を想定すれば、社会保障制度が普及しているのが、現在でもまだまだ少ない国だけであるこ とが理解される。もっとも、この条約を批准していなくても、当該制度を施行している国もあ りえることも忘れてはならない。

世界中には、長年のILOの活動にもかかわらず社会保障がまだ導入されていない国々がた<

さんある。正確には、社会保障が充分に機能している国の方が少ないと言うべきかもしれない。

こうした多数の主として発展途上国については、分析対象とされないで良いのであろうか。最 近、アジア諸国をはじめ、徐々に社会保障の紹介が出てきているが、まだ、不十分である。

発展途上国だけではない。研究がほとんどない地域も他にある。ロシアや東欧諸国をはじめ 旧社会主義国の社会保障についても、日本ではほとんど研究がない。最近になってようやく、

現在の社会保障改革の状況が次第に明らかにされつつある。社会主義政権の下で、これらの 国々は長年にわたり国家が丸抱えで国民の生活を保障してきた。資本主義化とともに、初めて 社会保障制度を導入しているが問題も多い。経済不況下で失業者が溢れ、政府も財政的な余裕 がない。例えば、年金制度でも成熟化するまでには最低30年間を要すると言われている。こう

した国々には、発展途上国とはまた違った問題を抱えている。

中国や北朝鮮の現在の共産主義諸国についても同様である。資料の制約もあり、日本でもな かなか本格的な紹介が行なわれていない。資本主義諸国にあっても、小国についてはほとんど まとまった研究がない。逆に言えば、日本で研究されているのは、ごく一部の先進諸国の事例 だけである(8)

言語の問題も大きいと思われる。世界的に通用する言語以外の少数派言語を母国語とする国 の研究は、日本に限らず展開できないのが一般的である。その国の研究者が国際語に紹介する 努力をしていない国に関しては、研究の糸口もない。小さな糸口から新たな国の状況を研究し ようとすると、たちどころに厳しい評価が下されるときもある。例えば、ギリシャの社会保障 について、僅かな英語や仏語文献から紹介論文を書けば(9)、「オリジナルの(ギリシャ語)文 献にあたっていない」とすぐにも批判される。アルファベットを使わないこの国の言語をマス ターしないと、ギリシャの紹介をする資格がないのだとすれば、一生かかっても国際比較研究 には到達できそうもない。

もう一つ、見逃されていた大きな側面がある。それは、各国間の相互関係である。各国は自 治の下に独自の社会保障を持っているが、各国自体が諸外国の影響を大きく受けて発展してき ている。この事実を軽視すべきではない。社会保障の国際比較が各国別の研究として行なわれ

(9)

がちであることを指摘した。スポーツで例えれば、国別比較は選手の個人的な分析に相当する。

だが、全体のチームカは個人の力の足し算ではない。別の分析が必要となる。一人と一人の組 み合わせが、長所を活かせば3人分となったり、短所が重なれば一人分となったりするのであ る。まさに、個々のアクターの相互作用が非常に重要なものとなるのである。

日本が社会保障を導入した時にも、常に外国の影響があったと言える。第二次世界大戦後は、

アメリカ占領軍に社会保障の導入を求められた経緯があった。それ以外の時でも、常に外国の 社会保障が参考とされてきた。また、日本の社会保障はアジア諸国にあっては先駆的でもあり、

近隣諸国に大きな影響を及ぽしていることも事実であろう。世界的なレベルでの交流が活発化 するにつれて、各国の社会保障制度も大きく影響しあっている。

世界中の多くの国々が、特に近年には、ほぼ同様の社会現象に遭遇している。経済不況も世 界同時不況などと言われているし、高齢化も程度の差こそあれ各国はほぽ同様の課題を持って いる。社会保障制度に関しても、細部は違っても大きく見れば同じ路線に沿って改革されてい るとも言えよう。ある国の社会保障は近隣諸国の影響を受けると同時に、逆に近隣諸国に影響 も及ぽしている。こうした相互関係を軽視すべきではない。

3.発展途上国への貢献

これまで国際社会保障の中心であった国際機関の社会保障政策は、誰に貢献するものなか。

ILOにしても、世界の国々に社会保障を普及させようというその使命にもかかわらず、実際に は発展途上国に対しては、必ずしも有効な影響力を及ぼしていないと批判されることもある。

一つの事例をとりあげたい。

1997年にアジアにおける金融危機が勃発した。それまでの長期に渡る奇跡的な経済成長が一転 して信じられないような経済情勢に陥った。失業者が溢れ、実質賃金水準が急落し、物不足が深 刻化し、貧困が増し、政治不安にまで達した。この時、金融危機の影響が何故かくのごときドラ スチックになったのか、いろいろな要因が議論された。その際、共通して指摘されたことは、金 融危機に直面した国々は等しく社会保障が不備であったという事実であった。例えば、失業保険 については、インドネシア、マレイシア、タイ、フィリピン等の国々で導入されていなかった。

僅かに韓国のみが失業保険を有していたが、まだ導入間もないこともあって失業者の14%しか失 業給付を受給できなかったと言われる。失業者は即座に明日のパンがなくなった (10)

ILOの社会保障政策は、これまでアジアの発展途上国に対しては、あまり大きな貢献は行 なってこなかったことを痛感させられた。これまでのILOの政策決定の基本は政労使の三者構 成における交渉であった。ところが、発展途上国の中には未だに結社の自由すら認められてい ない国々もあるし、労働組合もほとんど機能していない国々がほとんどである。零細・中小企 業の多い国にあっては、使用者団体すら組織化されていない場合も少なくない。このような環

︐ 

(10)

境においては、 ILOの本来の行動がとりにくいと言えよう。

こういった批判が近年に繰り返されていた。ILOもこれを察知して、新たなプログラムを開 始したところであり (11)、今後が大いに期待される。特に、インフォーマル・セクターヘの社 会保障の適用拡大が大きな課題とされている。多くの発展途上国においては、たとえ社会保障 制度があっても、ごく一部の階層しか適用されていない実態がある。こうした適用上の問題は、

先進諸国においても別の形で存在している。就業形態の多様化や社会保障の強制適用の拒否に よって、社会保障が適用されない層が先進国でも拡大してきている。

発展途上国において、決定的に重要なことはやはり貧困問題である。ILOや先進諸国が発展 途上国の貧困問題解決のために何ができるか、それ自体が「国際社会保障論」の重要なテーマ と言えよう。社会保障がまだほとんど導入されていない国々、あるいは、非常に限定的にしか 導入されていない国々については、研究する必要性が少ないのであろうか。何故、社会保障が 導入されないのか。その阻害要因は何か。どのような社会が社会保障を必要とするのか。どの ような条件が整えば、社会保障が確立されるのか。これらの問いは、社会保障とは何か、その 基本的な理解につながって来る。先進の事例ばかり見ていても、こうした問いには答えられな いであろう。こうした杜会保障の未発達な事例も含めた上で、社会保障の理論を再構築する必 要があるし、それによって一般理論として厚みを増すものと考えられる。

社会保障が存在しなくても済む社会とは、いかなる社会なのであろうか。この点も興味深い。

恐らく、社会保障が果たすべき機能を他のメカニズムが果たしているのではないだろうか。例 えば、日本もそうであったが、昔ながらの「家」制度あるいは「村落共同体」が社会保障の機 能を部分的に代替していたと考えられよう。国によっては、企業の果たす福祉的な役割も大き いと考えられる。

これまで、先進国側から発展途上国に対して様々な援助が提供されてきた。政府レベルでは 経済的な援助が中心になる。国際機関への拠出金もその多くが、最終的には発展途上国に流れ て行くものである。各国独自にもたくさんの援助が直接政府レベルで提供されている。ところ で、最近、こうした政府レベルでの経済援助の有効性に疑問を投げかける議論が寄せられてい る。例えば、国民が飢餓に苦しむような国の政府に経済援助をして、それが当地の貧困者にど れだけ有効に与えられているのかという疑問である。支配階級に多くが吸い取られていたり、

別の目的に使用されたり、末端の貧しい国民にまで届いていないという主張である。

借款によって資金を提供し、それによってインフラ整備や国内開発プロジェクトを興し、雇 用機会を開発するという開発援助がよく行なわれるが、一過性の効果であり、根本的な貧困救 済につながらず、借金苦だけが残される場合もある。それならば、発展途上国の救貧のために 直接援助するような方法が求められよう。

発展途上国への援助のあるべき姿が、改めて問われているのである。開発を援助するのには

(11)

別の理由もあろう。開発のための資金援助をしておきながら、事業の発注には当該先進国の企 業が採用されるような紐付き援助もある。これでは途上国の真の発展に貢献できるのか大いに 疑問が残る。

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新たな「国際社会保障」研究 1.労慟者の国際的移動の活発化

周知のとおり、世界経済のグローバル化が進み、労働者の移動も国境を越えて活発になって きている。たとえ、先進国が経済不況に直面しても、発展途上国には移民送り出しの圧力が常 に存在する。労働者の国際的な移動の活発化は、今度は社会保障にも影響を及ぽす。各国は、

移動する労働者への社会保障の適用の問題に迫られることになる。そして、 EUは最高の事例 を提供している。

前述のとおり、 EUは一つの地域的な組織に過ぎない。だが、その社会保障政策が示した意 義は計り知れないほど大きい。 EUが示したのは、労働者が国境を自由に移動した際に生じる 各国の社会保障制度の調整を行なうことである。これによって、国境を越えて移住して行った 労働者が社会保障の権利において不利益を被らないように配慮したものである(12)

もちろん、適用対象は加盟国域内の国民である。だが、その行為は加盟国以外の国々にとっ ても非常に優れたモデルとなっている。世界的に労働者の移動が活発になってきている。この 傾向は、もはや誰にも止めることはできない。人が移動する限り、その人にまつわる社会保障 の権利が問題となる。関係する各国政府間での取り決めが必要となる。そんな時に、 EUモデ ルは一つの模範となる。

さて、社会保障制度の国際的な調整が整備されてくると、今度は労働者の国際的な移動がさ らに拍車をかけられるであろう。資本はより高い利潤や配当を求めて国境を越えるが、人間は 雇用機会や高い賃金、そして、より高い社会保障給付を求めて国境を越えることになる。つま り、社会保障制度自体が人の移動の誘引になるのである。まず、高い生活の保障を求めて人が 移動していくであろう。

さらに、とりわけ高い保障を求めるわけではなくても、国を移動しても社会保障の権利が喪 失することのない権利であれば、やはり、移動しやすくなる。既に、高度な福祉国家の出身者 であれば、母国の充実した社会保障の受給権を生涯保持できるのならば、出先が福祉の遅れた 国であっても問題は少なくなる。もともと、移住すると社会保障の権利が阻害されるという事 実が移民の抑制の作用を果たしていた。阻害されないように、各国間の社会保障制度の「整合 化」がはかられるだけで、移住へのインセンティブとなる。

11 

(12)

2.世界単位での所得再分配

以上のような問題意識に立って、ここで主張したいのは、世界を一つの舞台として社会保障 を論じることである。特定国、特定地域だけが強調されることなく、世界単位で社会保障を扱 うことである。つまり、これまであまり関心を向けてこられなかった国々の研究をもっと活発 にすることを強調したい。特に、発展途上国の社会保障について、どの程度、どのように、社 会保障が制度化されているのか、まず明らかにされなければならない。

また、世界レベルに照らして、社会保障の普及状況はどのように把握できるのか。地域ごと の特性があるのか、あるいは、経済水準とか文化水準、階級構造、産業構造等によって分類さ れうるのか。既に先進諸国間においては展開されてきている研究をより広い範囲で考察してみ ることも意義があると思われる。

社会保障が所得再分配のメカニズムであり、富む者から貧しい者への所得の移転であるとす れば、そのメカニズムを一国内で完結してしまうのではなく、世界を一つの舞台として展開で きないであろうか。つまり、豊かな国の富んだ者から貧しい国の貧民への所得の移転を恒常的 に実現する方法はないのであろうか。国際社会福祉論が探求しているものが、先進国から発展 途上国への様々な援助であり、このメカニズムの一つであることは言うまでもない。

これまでのように先進福社国家だけを対象に研究を続けるのではなく、社会保障の遅れてい る国々と先進福祉国家との社会保障を介した関係を分析することは、社会保障の一般理論の研 究にとっても有益なことであり、裾野を広げることができよう。例えば、社会保障を必要とす る社会的条件を明らかにすることができよう。社会保障のニーズの分析、そして、社会保障を 実現させていく手段の分析が展開されよう。多くの国々の事例を積み重ねることで、多様な局 面に応じた社会保障の機能を抽出することが可能となるように思える。

世界人口は1995年現在で、約57億人となっている。 1960年の約30億人からおよそ二倍に 膨れ上がっている。この人口規模からすれば、欧州や日本、アメリカ、カナダ、オーストラリ

アを含めた先進諸国の人口は少数勢力と言えよう。同じ1995年現在で、欧州の人口は7.2 人、北アメリカは2.9億人で両者をあわせて約10億人に過ぎない。しかも、両地域とも人口の 推移は横ばいか僅かな伸びにとどまっている。人口増加傾向が突出しているのは、アジアであ 1960年に17億人であったアジアの人口は1995年には34.6億人と二倍以上となった(13)

「国際社会保障」の研究が、欧米の先進国だけを扱うのであれば、それは非常に限られた研究と 言わざるを得ない。世界人口の多数を占める発展途上国を含めた地球規模での社会保障の分析 が必要であることは明白である。

3.国際社会福祉論のテーマ

「国際社会福祉論」、あるいは、「国際福祉論」は、こうした世界レベルにおける貧困や医療、

(13)

その他の社会問題に対して主に先進諸国から多様な手段によって援助することをその主な内容 としている。その基本的な概念として、次のように述べられている。

「国際社会福祉の概念は、学問的、理論的研究よりも行政的、実践的な提起と活動が先行して いる。国際社会福祉の範囲は、世界的あるいは国際間にまたがる医療・衛生・食料・教育・住 宅・雇用および労働などの社会保障、社会政策と社会事業が入る。今日の国際社会福祉として は、戦争や内乱および自然災害などの社会変動によって発生する社会福祉問題対策として必要 な救護や救済を提供するという治療的側面に重きがおかれている(14)

そして、具体的な実践活動の事例としては、1863年に創設された赤十字国際委員会の事業を はじめ、ユネスコ、 ILOFAO、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)、ユニセフ、 WHO 前述したような国際機関のそれぞれの分野における活動がまず重要である。さらに、各国レベ ルでの国際援助ODAも多様な形で展開されている。日本も今では世界最大のODA供与国と なっている (15)

この他、国際社会福祉において無視できないのは様々な民間団体の福祉事業である。NGO 福祉に限定されず、人権、環境、軍縮、教育等の多様な領域に及ぶものである。事業の内容も、

単なる金銭的な援助だけでなく、人材の派遣やサービスや技術、情報の提供等、多様な手段を 通じて展開されている。

これらの活動は、世界的な規模で世界中に存在する貧困や社会問題の救済に貢献している。

充分とは言えないまでも、それぞれの活動は確実に人類の福祉に貢献している。経済的には、

主として豊かな先進諸国の富が貧しい国の貧しい人々に再分配されていることになる。直接の 金銭的な援助でないとしても、サービスや物資の援助も金銭的に表現することができるので、

大きな意味では経済的な援助と総括しても良いかもしれない。

ただ、ここで一つ指摘しておきたいことは、こうした国際社会福祉の実践活動は、多くの場 合、国内の通常の社会福祉活動とは別の次元で展開されているという事実である。国内の特定 事業がそのまま海外に展開していくような活動も、主として民間活動には見られるが小数であ ろう。とりわけ、政府が行なっている当該国民を対象とした公的扶助や各種社会福祉事業と国 際社会福祉事業とは明らかに異なる。地理的な相違だけではなく、行政上の扱い、担当部局、

援助の仕方、財政方法等々、まったく異なる性質のものと思われる。

4.社会保険による国際的所得再分配

社会保険制度は当該国におけるリスクに陥った人とリスクに陥らない人との間の所得再分 配を意味するものであり、その機能も国内に限定されるものと理解されるのが一般的である。

ところが、多くの場合、社会保険は国籍に関係なく外国人に対しても雇用を前提に適用される ため、外国人労働者の増加に伴って、その意味も変わってくるであろう。

13 

(14)

国際的な富の移転に関しては、先進国から発展途上国への直接的な援助だけが関わっている ものではない。各国の国内法に従って運用されている社会保険制度も、国際的な所得再分配に 貢献できると思われる。多くの場合、社会保険は当該国内に居住する、あるいは、労働する者 に対して国籍に関係なく適用される。外国人に対しても当該国の社会保険制度が適用されれば、

それは最終的には外国人の出身国にも所得が流れることにもつながる。いくつかの事例を考え よう。

1に、例えば、先進国で労働する外国人労働者に当該先進国の児童手当制度が適用される。

もし、その外国人労働者が出身国に母子を残してきた場合、その児童を対象に先進国の家族給 付が適用されれば、間違いなく先進国から発展途上国への富の移転に至る。もちろん、児童に 対して居住条件を設定するか否かは、当該国の国内法に従うことになる。

2に、非常に一般的な事例であるが、先進国で長年就労してきた外国人が退職とともに本 国に帰国する場合、老後に先進国での就労に基づいた年金が本国で受給できるはずである。通 常、先進国と発展途上国の間には著しい物価水準の差があるため、母国においては非常に高額 の所得に相当するであろう。

3に、不幸に先進国居住中に障害者になった者が母国に帰って療養に専念し、障害年金を 先進国の社会保険から受給できれば、比較的豊かな生活ができるであろう。職場の災害によっ て障害となった場合には、さらに充実した保障が将来も提供されよう。

第 4に、先進国で就労期間中に病気に陥り、長期療養が必要となった時、本国での療養に対 して当該先進国の医療保障が適用されれば、多くの外国人労働者は本国の療養を希望するだろ う。現物給付のほか、現金給付も本国で受給できるだろう。

最後に、公的扶助制度も外国人を適用除外にすることはできなくなる方向に動いている。日 本でも、社会保険とは違って公的扶助は国民の税金によって賄われており、国民に適用が限定

されても仕方ないという理解があったようである。だが、他方で納税義務を外国人にも強制的 に課しておきながら、公的扶助は適用しないのでは不合理である。外国人労働者は一般的には 労働ビザを取得して入国するわけであり、生活困窮者が移民してくるのではないはずである。

だが、実際には滞在が長期化して職を失ったりすると、本国にも帰れなくなり、移住した国で 困窮生活に喘ぐ人も多い。

この他にも、社会保障の各種給付制度を通じて、外国人労働者に対して当該国民と差別なく 適用が行なわれれば、外国人労働者の所得が保障され、最終的には、直接的・間接的に本国に 富が移転していくことになろう。もちろん、国籍条項が厳格に課されたり、外国人に差別的な 国内法を有する国においては、このような効果は期待できない。だが、国際的な趨勢としては、

内外人の平等待遇の原則に基づいて、外国人を差別しないことが流れとなっている。

ここで注目すべきことは、「国際社会福祉論」が本来より世界における貧困問題への対策や人

(15)

道的な救済を目的として運営されてきたのに対して、社会保険においては意図せざる結果とし て国際的な所得再分配に貢献するという点である。社会保険においては、世界的な南北問題等 との直接的な関係はなく、あくまでも国籍にかかわらず労働者の権利保護をすることだけを保 険原則に基づいて追求しているのである。

5.「国際社会保障論」の提唱

社会保障の目的は、国民あるいは居住者の最低所得の保障と喪失所得の保障である。ならば、

「国際社会保障」の目的は、世界中の人々の最低生活保障と喪失所得の保証にあると言えよう。

国レベルの社会保障が、国民、あるいは、当該国居住者を適用対象としているのに対して、国 際社会保障では世界中のすべての人を対象にする。各国の社会保障論では社会保険が大きな ウェイトを占めるが、「国際社会保障」では最低所得保障がより重要になる。世界のレベルで は、貧困問題が決定的に重要な問題だからである。

通常、各国の社会保障を管理・運営するのは行政であり、政府が意志決定する。「国際社会保 障」を管理・運営するのは、国際機関だけではない。民間団体を含めて多様な団体が独自に当 該制度を管理・運営する。意志決定もそれぞれの制度ごとに行なわれる。通常の社会保障は国 の法律によって規定されるが、「国際社会保障」は法的根拠も多様である。任意団体の場合は、

いかなる法にも直接的には拘束されない。

「国際社会保障論」として提起したいのは、二つの側面である。第ーは、世界中を一つの対象 と捉え、偏りなく世界中の国々における社会保障を全体として理解し、評価する側面である。

第二は、各国社会保障間の相互関係の側面である。両者はまったく異なる次元であり、これま での「国際社会保障」の研究では、あまり検討されてこなかった側面である。

社会保障を実際に施行しているのは、紛れもなく各国政府である。社会保障の導入とその運 営は100%各国政府の自治下にある。制度を持たなくとも、また、制度をどのように運営して も、これらは基本的には当該国の国内問題であって、国際的に非難される筋合いのものではな い。国際条約に調印することで、初めて何らかの拘束力がかかるのであるが、調印するか、し ないかは自由である。 ILOEUも他の国際機関も、それ自体が独自の社会保障制度を有して いるわけではない。国家以外のいかなる組織も独自の社会保障を所持していないことを忘れて はならない。

国際社会の影響を受けて、各国の社会保障制度の運用を一定程度規制することで、そこに「国 際社会保障」の空間が成立するのである。国内制度の弾力的な運用を通じて、国際的なニーズ に応じることができるのである。各国が何らかの協定を結び、社会保障における相互の配慮を 約束することで、はじめて各国は国際的に拘束されるのである。

最後に、誤解のないよう断っておきたい。各国の事例研究は「国際社会保障論」の研究の前

15 

(16)

提条件ともなり、必要不可欠のものである。だが、これまでの各国研究は当該国の完結編とし て、それだけで終わっていた場合が多く、その後の比較分析等に発展して行かなかったように 感じられる。「国際社会保障論」は、各国研究が出揃った段階で本格的に始められるものであろ う。各国の社会保障に関する研究と国際社会保障の研究が、お互いに成果を分かち合い、フィー

ドバックさせていくことで双方の研究にも違った貢献が期待できるものと思われる。

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. 日 本 へ の 示 唆

日本の社会保障は欧州に比べれば不十分なところも多いが、世界的に見れば先進の国に属す ることは間違いない。アジアでは唯一、 IL0102号条約を批准している国である。また、経済 的なパーフォーマンスでは国際的に強力な成果を発揮している。従って、社会保障に関しても 国際的な展開をむしろリードしていくべき立場にあると言えよう。だが、実際には、この分野 での日本の国際的なリーダーシップは極めて控えめと言えよう。

日本でも、ようやく、日独年金協定が締結されたのに続いて、日英年金協が締結された。現 在では、アメリカとの間で同様の協定が始められている。これ自体、日本も遅れ馳せながら社 会保障の国際化に迫られていることを表していると言えよう。社会保障の領域に限らず、日本 はこれまで国際化がなかなか進展してこなかったように思われる。歴史と経験のない日本に

とって、国際化への対応ば慎重にしなければならない。ここで若干の懸念を示したい。

まず、国別、しかも、制度別に二国間協定という形で社会保障の国際化を展開していくこと は、世界の多数の国々を想定すれば途方もなく時間のかかる大仕事となってしまう。昨今の急 速な国際経済の流れにはとてもついて行けないように思われる。今後も各国との社会保障協定 が締結されていくことであろうが、先進国間だけではない。日本で一番問題になっているのは、

アジア各国からやってきた外国人労働者である。従って、アジア各国と日本との間の社会保障 協定も成立が望まれる。社会保障が本来極めて遅れている国々とドイツやイギリスのように 容易に協定が成立するとは思われない。

もう一つの懸念は、各国間の協定の整合性である。異なる国の異なる制度との調整をはかる のであるから、異なる協定の内容となるのは当然のことである。ところが、等しく日本で働く 外国人の間で出身国籍によって社会保障の内容が異なるということは、企業や行政の管理・運 営上でも煩雑となり管理不能となる可能性もある。また、当の外国人にとっては、国籍による 差別と受け止められよう。

具体的には、EUの社会保障政策の歴史が日本にとっても非常に示唆に富んでいる。EUの加 盟国の間でも、北欧諸国と南欧諸国の間には社会保障に大きな相違がある。 EUの成果は、制 度統一という「調和化」よりも各国制度の「整合化」を重視したこと、そして、「整合化」の過 程としては基本原則を打ち立てたことであろう。このやり方は、日本と近隣アジア諸国との間

(17)

でも有効であると思われる。そして、当然のことであるが、相手国に応じてあまり違う規定を 盛り込まないことが重要である。

一度、国別・制度別の二国間協定の形での国際化が始まってしまうと、この動きは止まらな くなるかもしれない。それぞれ既得権と化し、気がついてみたら、国際協定によって雁字据め となってしまい、問題に直面しても全体の修正などできなくなってしまうかもしれない。そう ならないうちに、最初の段階で共通する基本的な論理を構築し、これを堅持しながら国際化を すすめていくべきであろう。つまり、日本も今、国際社会保障の研究を深める時である。

[注記]

(1)  本稿は、「週間社会保障」、 No.209720007月31日号に掲載された拙稿「国際社会 保障論の構築」をもとにしている。同稿は雑誌の性格上、僅か4頁の小稿で、制約のあ るものであった。自由に補筆し、発展させて、論文としてとりまとめたのが本稿である。

(2)  例えば、最近出版された次の文献を見よ。

ジェームズ・ミッジリー著、京極高宣・萩原康生監訳「国際社会福祉論」中央法規、 1999 (3)  例えば、その先駆的著作である高橋武「国際社会保障法の研究J至誠堂、 1968年、も

ILO研究の一環である。

(4)  ヴァン・ランゲンドンク J.著、拙訳「社会保障の発展における国際機関の役割」「海 外社会保障情報JNo.112,  1995 19‑29

(5)  詳しくは、次を見よ。拙著「欧州統合と社会保障Jミネルヴァ書房、 1999 (6)  WTOの社会政策の紹介として、次を見よ。

引馬知子「WTO(世界貿易機構)と中核的労働基準(上)(下)」「週間社会保障JNo.2047 No.  2048号連載、 1999

(7)  社会保障の民営化については、さしあたり次を参照されたい。

Shalev, M. (ed.), The Privatization of Social Policy?, St.Martin's Press,1996.  (8)  多くの発展途上国を含めた世界の社会福祉について、岡も執筆に参画している次の文献

がある。

田中浩編「現代世界と福祉国家」御茶ノ水書房、 1997

仲村優一・一番ヶ瀬康子編「世界の社会福祉」全8巻、旬報社、 1999

(9)  拙稿「ギリシャの社会保障制度の構造と特徴」大分大学「経済論集」第48巻、第5‑

6 1996 63‑83

(10)詳しくは、次を見よ。拙稿「アジア金融危機と ILO」、(財)日本ILO協会「世界の労 2000年7月号、 218

17 

表 1 . ILO 第 102号条約の批准状況 二 オーストリァ(注) 2 ) 療 医 2  傷病 3  失業 4  齢 老 5  業 災 6  族 家 7  性 母 8  廃疾 ,  10 遺族 ゜ ゜゜ ゜゜バルバドス(注)2) ゜ ゜ ゜゜ベ ル ギ ー ( 注 )1) ゜゜゜゜゜゜゜゜゜ボ リ ビ ア ( 注 )1).2)3)  ゜゜ ゜゜゜゜゜゜叔ニアヘ)レッ辺tt(注)I) ゜゜゜゜゜ ゜ ゜コ ス タ リ カ ゜ ゜゜゜゜゜゜クロアチア(注)I) ゜゜゜゜゜ ゜゜゜キ プ ロ ス ( 注 )1

参照

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