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「 国語科 」 とはどういう教科か

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Academic year: 2021

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(1)

「 国語科 」 とはどういう教科か

松 本 修

清水義範 は 『は じめてわか る国語』1に、次の よ うに 「国語科」‑ の疑問を端的に述べ てい る。

‑・国語 とい うのは、 ど うも何 を学ぶんだか よくわか らない、輪郭のぼんや りした教科だ なあ、 とい うのが私 の実感 であ る。

( p. 1 3ト

清水 は、その本 の巻頭 に書 いてい る通 り、愛知教育大学の国語科 を出ていて、初等教員 免許 と中等の国語科 の教員免許 を持 ってい る。 そ して小学生 を対象 とした作文教室 をや っ ていて、『清水義範 の作文教室』 ●2 とい う本 を書 いてい る。作家 が教科 としての国語科 を 得意教科 としていた とい う話 はあま り聞かないが、清水 の経歴 か らすれ ば、いわば 「国語

のイ ンサイ ダー と見 られ て もおか しくはない。 その清水が こんな ことを言 ってい るわ けだ。

松本 ・市川

( 2008a, 2008b)

3の

国語科

の ライ フス トー リー

の研 究 において も、

イ ンタ ビュイー Bは次の よ うな ことを言 ってい る。「国語 はまあ勉強の仕方が分か らない、

で (点数 が)取れ ない。」イ ンタ ビュイーA も点数 は とれ るが、 「多分俺説 明できない よ。

正解 を。」 と述べてい る。 で きるにせ よで きないにせ よ、国語 とは勉強 の仕方 のわか らな い、問題 を解 いて合 っていて も説 明で きない よ うな ものなのだ。

B

は嫌 いな教科 とい う自 覚 をイ ンタビュー を通 じて 「も しかす る と好 きか も しれ ない」 とい うよ うに変化 させ る様 子 を見せ たが、Aは、 「本 を読む のは好 きだ」が、 「国語 ってい う教科 にな ると」好 き じや ない と言 う。好 き嫌 いにおいて も暖味 なのである。

おそ らく、国語科 を専門 と自任す る教師 も、国語科教育 を専門 とす る教育学研 究者 も、

国語科」 とは どの よ うな教科 か ? と問われ て即答 できる人は少 ないだ ろ う。

25

年以 上前に高等学校 の教壇 に立ったかつての私 も、 「ことばで こ とばを考 える教科

「ことばを 通 じて認識 (のあ り方) を更新す る教科

とい うよ うな定義 を用意 は しておいた ものの、

絶対的な確信 を持 ってい るわけではなか った。

国語科」 とは どの よ うな教科 か ? とい う点 について、清水 に従 いつつ、イ ンタ ビュ ーの結果 を交 えて振 り返 ってみ よ うとい うのが、 このエ ッセイの趣 旨である。

勉強の仕方がわか らない

清水 は次の よ うに述べてい る。

*l

清 水義範

( 2006)『は じめて わ か る国語 』 講 談社 文庫

(原 著

200 2

『週刊 現代』 掲載 は

2001 . 1I ‑ 200 2. 1 0)

* 2

清水義範

( 1 9 99)『清水義範の作文教室』早川書房

* 3

松本修 ・市川泰子

( 2008 a ) 「

国語科」の ライフス トー リー

『臨床教科教育学会誌』8

‑ 1 2008 . 2

臨床教科教育学会

(2)

た とえば、最近学校で習ったのは、和井内貞行が十和 田湖で ヒメマスの養殖 に成功 し た話 と、『走れ メロス』 とい う小説 だった とす る。それで、市販 のテス トをや ってみた ら、『レ ・ミゼ ラブル』の一部分 を読んで、その時のジャン ・パル ジャンの気持 を次の 五つか ら選べ、 とい うよ うな問題だった とす る。

それ をや ってみて、はた して明 日の試験のための勉強になっているのであろ うか。私 には、 とて もそ うは思えなかった。

メロス とジャン ・パルジャンでは、人間性 も置かれている立場 もまるで違 うのである。

ジャン ・パル ジャンの気持がわかって も、それ をメロスにあてはめるわけにはいかない。

だった らや って もむだである。 と、幼い私は思った。

( pp. 1 4‑ 1 6)

教科の学習の成果は基本的にはテス トではか られ る。国語、特にその文学教材な どにお いては、身 につ く技能が明確ではな く、テス トの問題で問われ るの も必ず しも技能中心で はない。そ こでは、材料 となる文章その ものの内容が問われ ることになる。 もちろん内容 を通 じて技能 も見 ることができるのだが、それは、この学習材 のここで身についた とい う よ うな 自覚 を持 て るよ うな形 にはな らない。 だか ら、 「や って もむだである

とい うこと になる。

Bは、同 じよ うな実感 を次のよ うに述べている。

昔は何 しろわかんね えなって、俺国語できないなってい う印象 しかなかった。

ただ成績 も

5

なんだけ ど (笑)、あの中学なんか も、高校 なんか もいい成績だったんだ け ど、点数は取れ るんだけ ど、で もわかんないな。数学 とか理科みたいにバ シ ッと自分 で納得できる、ふ うにはな らない。

これ を うけて、イ ンタビューアの Ⅰは次のよ うに述べている。

あー 、成績優秀 な人で国語が分か らないって人多いです よね私のまわ りの友達で も ー 、まあ理系だった子 なんです け ど、だいたい平均 も う

9

0何点 とか も うす ごい満点 近 い点数 をいつ もいつ もたたき出す子 が中学の ときいて、で、国語 だってそんな悪 く ないんです け ど一、 ビー して もなんか分か らないっていつ もいってて (笑)。そんなに 点数取れ てい るのに分か らないのかなあって思 ったんです け ど一。 まず何 を勉強 して いいのかがそ もそ も分か らないって。

B

は、小学生の頃は 「国語はまあ勉強の仕方が分か らない、で (点数が)取れ ない

。」

状態であった し、古文漢文はいわば正解の仕方 を覚えることで克服 し、次いで現代文で も 解法 を会得す ることで克服 していった。

A

は文学で も点は とれたが、 「主人公 にな りきれ

ばいい」 「俺の気持 ちを書 けばいい」 とい うよ うな方法をとっていて、「多分俺説明できな い よ。正解 を。」 とい うことになる。イ ンタビュアーの Ⅰは、国語が好 きな教科であ り、

その学習は楽 しかったが、 自分 自身では、文学の選択肢問題が どうしても克服できなかっ た話 を繰 り返 し語 っている。

や、なんか。テ レビとか見てて も、解 き方の こつ とかや ってる じゃん。そのセ ンター、

点の とり方、セ ンターだけの とり方 ってあるで しょう?あれ を見てやればいいんだろ う

(3)

けど、あれ をみた ら国語は絶対好 きにならないだろ うって私は思いなが ら、見ちゃ う、

けどお。で も自分で も、 どうい うとこが好 きだってい うのがあんま りいえない、かなあ とか思いなが ら。

現代文てわ りと物語だったよね。あれ ?違 ったけ ?その物語の感 じの中か ら選んでだっ、

私は納得できない とかがあったんだ と思 う。わかんないけ ど、取れ なくて、現代文の選 択肢が全然だめでね一。や ったんだよ ?たま一に奇跡的によかったのが 1回 くらい、あ とは もう半分 くらい しか取れなかった。

50

点満点だったよね ?あれねえ。

25

点 くら い しか取れなかった もん。

うー ん、なんか一回先生 に聞いて、国語 の先生 に一。 なんか こ う教 えて も らったん だ よ、確 か。 ここを こ う読 んでい くと‑ 、 こここれ違 うよね‑みたい にだか らこ れ にな るんだ よ‑ つて言 って。 で も納得 が全然 で きな くて、あーそ うです か‑で も 間違 い とは思 わなかったのね ?それ はそ うか も しれ ない な、それ はあって るな と思 う、なんかなんか、 「あーそ っか‑」、 とは思 わな くて。 あーそ うです か‑みたいな 感 じで、その ときはそ うか と思 った け ど、また違 う模試解 く じやん。またなんか (笑) 間違 いい っぱい じゃん。 結局分 か ってないんだなって事 に気づ き、だめだ った。

Ⅰは、 「国語は ?や っぱ り勉強、その仕方が分か らないっておっ しゃってたの と分かる よ うに私 は嫌 い じやなかったんです け ど、理 由は勉強 しな くて よかったか らなんです よ (笑)」と言 っているよ うに、得意科 目であった ことも国語が好 きな理 由の一つであるが、

二人のイ ンタビューイが選択肢問題 を克服 したのに対 し、 どうして も克服できなかった。

それは、 とりわけ文学の選択肢問題 を克服す る方法が、文学 を読む ことそのものか らは遠 いか らである。簡単に言えば、評価 と学習内容が異なっていることに我慢ができなかった のであろ う。 「セ ンターだけの とり方ってあるで しょう?あれ を見てやればいいんだろ う け ど、あれ をみた ら国語は絶対好 きにな らないだろ うって私は思いなが ら、見ちゃ う

言 っている通 りである。

評価 と学習内容が違 っていれば、勉強の仕方がわか らないのは当然である。逆に言 えば 出来る子で も、その理 由は説明できない。セ ンターのマー クの解法の よ うに説明できる解 き方は、単なる解 き方であって、文学が読めるとか、国語ができるとかい うこととはずれ ているのである。

教 える内容がわか らない

清水はまた、次のよ うに述べている。

‑三年生 ぐらいか ら、先生が国語の授業で、奇妙なことをきくよ うになったか らであ るOた とえば、喜一がカ ッとなって池に石 を投げた、 とい うよ うな話 を読んで、こ う問 うのだ。

喜一は どうして石 をなげたんで しょう

私は、そんなにむずか しい ことにどうして答 えられ るだろ う、 と思った。それは、 と て もではないが一言で言 えることじゃないぞ、 と。

(4)

国語 とい う科 目がいつの間にか人間学の科 目になっているのである。そ して、人間の 言動の理 由を、たった‑種類の答で説明できるんだ と先生は言 うのである。

( p p. 2 0 ‑ 2

1) そ して、国語の時間にはも うひ とついやな ことがあった。それは、感想 を強要 され る ことである。

ある文章を読んだ場合、大切なのはその内容 を正 しく理解す ることである。それ をめ ざしてやっているのが国語の教育なのだ。

中略

ところが授業の中で先生は、読んだ感想 をある方向に導 こ うとす るのである。 さりげ な くや っているが、 どうもそ うだ。

立派な人ですねえ、 と。

努力す るってことが大事なのよねえ、 と。

それはす ごく臭 くて、 うん ざ りす ることだった。

文章を読んだ感想は個々人の もので、 どれかひ とつが正解 とい うよ うなものではない はずである。感想はこ うでなければバ ツ、 とい うよ うな教育はや めてほ しい。

ところが、 どうも国語は、感想 を リー ドす るのである。つま り、思想 を リー ドす るの だ。

その こと‑の違和感 が、国語の授業にはつ きま とっていた。言葉の勉強か と思いきや、

陰に道徳教育が隠れているのだo

( p p. 2 2 ‑ 2 3 ) B

は、現代文について次のよ うに述べている。

ただ現代文は、 これだ と思った答 えが‑全然違 った りして‑なぜ こっちかがわか らない ので一。それ なので、それがち ょっ とつ らかったなあ と。

そ して、吉野弘の詩 「夕焼け」 をめ ぐる具体的な体験 を語 っている0

ん とね一、えっそれ 中中 2?中 2か中 3だな。 2中 3かな。 あの前にも言 ったか もしれ ないけ ど、 「夕焼け

ってい う詩の、 とき。

でそん ときもま点数は取れ るんだけ ど一、あの‑特にいやだったのが、あの‑作者 はな ぜ、 こ う、 どう思ってるんだろ うっ とかい う。 うん、やつで、あの‑その主人公の女の 子が、最後に席 を立たな立たなかった理 由を授業でこ うい うふ うにや った ときに、あの

‑俺が思ってた ことと先生が違 う答 えだったんで、あー納得できないな‑なんて思 って、

たね。

この体験については、研究の関係か らBに 「私の国語学習史」 とい う短い文章を書いて もらった ことがあって、その文章の中に も書かれている。

何年生であったか忘れたが。授業で 「女の子が席 を譲 らない理 由」について話 し合 った。

私は 「周 りの雰囲気で、 自分だけ席 を譲 るのが恥ずか しくなったか らだ

と思った。で も、先生は違 う考えを言 った。その考えは覚 えていない。ただ、 自分の考 えは否定 され たことは覚 えている。

(5)

はたか ら見れば、典型的な 「正答のない問い」である。ただ、教師は詩の本文 を引用 し なが ら文脈 に沿った正答 (らしきもの)の作 り方を教 えよ うとしたか、あるいは、指導書 にある正答 (かな り多 くの教師がそ う信 じている)に近づ けよ うとしたかであろ う。 「 一は どうして石 をなげたんで しょう」 とい う問い と同 じである。それぞれの答 えが どこに 着 目した ものか、今 日の国語科授業であればそれ こそ交流が行われ るのであろ うが、不幸 にもそ うはなっていない。大体、高校入試で も大学入試で も交流は行 うすべ もない。 どれ もピンとこない選択肢か ら選ぶ しかないのである。何 を教 えよ うとしているのかわか らな いの も当た り前である。

Bはその後小学校で も中学校で も国語科 を教 える機会を持つ ことになるが、それでも基 本は変わっていない。

中学校の先生を した ときに、 どうして も国語 を‑クラス教 えな くちゃなんないってこと があって、一年間国語教えたんだけ ど。や っぱ漢字 と文法 ?特にあの‑北の国か ら (と かな)んだけ ど、あの時はも う困ったね、教 えるのに。 どう教 えた らいいかわかんな く って。お もしろくできないってい う、 うん。お もしろくない とやだなってい うのがあっ て。国語の場合なんか、分かった とかできた とかそ うい うのがあんま りない気がす るん で。そ うす ると、 どうや って教 えていけばいいのかなあってい うのがそ こで もやっぱ り 悩んで。

Bは結局、 自分が入試問題の解 き方 を克服 したの と似た方法を探 し、法則化運動のグル ープの本 を参考に、分析批評を取 り入れてよ り技能に寄った学習指導を行 ったことを述べ ている。逆に言 えば、

B

は 自分が苦労を した内容的な問いを出 さない ことによって∴この 間題 を解決 した (回避 した ?) とも言 える。

いずれにせ よ、学習者の側か ら見れば、思想統制ない し複雑す ぎる問題の単純化 としか 思えないよ うな教育内容がまざれ こみやすいのであ り、そのことが理解できないわけであ る。 当然、国語科は何 を教える教科なのか、わか らない ことになる。

漢字の書 き取 り

V

S高度な知性

Bは、「国語 ってい うと、俺イメージ的には漢字書き取 りなんだけ ど (笑)

と述べてい る。清水 も、 「国語 については、漢字の書 き取 り練習以外 には家で勉強の しょ うがなかっ

。」

(p

. 1 4)

と述べている。暗記が嫌いで文法がダメなAも、塾で漢字の書 き取 りはク リ ア していた もの と考え られ る。

( A

は塾で学校 よ りはるかに進 んだ内容 を勉強 した ことが 学校 との齢齢の一因だったことを明か している)国語の最 も壊小なイメージは 「漢字の書 き取 り」なのである。今でも小学校の宿題 の最大の部分を占めるのではないだろ うか。指 導要領で も明確 な基準は学習漢字 くらい しかないのだか らある意味当然で、漢字が書ける か どうかは誰か ら見て も明確 に判断できるのだか ら、重要である。

しか し、それだけなのだろ うか と言 えば、そ うではない。もっ と本質的なことが 「国語」

の重要な内容であることに、A もBも言及 している。

A :国語好 き ?

I

:うん。 国語 は好 きだ よ、本読むの好 きだか ら昔か らって。

(6)

A :

あ、本読 む のは好 きだ よ。

Ⅰ:うん、 あ、で も国語 は好 き じやないのね、 じゃあ。

A :

国語 ってい う教科 にな る とね。

Ⅰ:のは好 き じやない。

Ⅰ:あ、分かったってな ります よね。確かに国語は、あ、//分かったってい うのがな いです よね。ん‑なんか じっくりほん とに考える世界 ってい うのは私 も思 うんですけ ど0

B://分かった、ない よね、

あんま りね一。

B :

国語は じわ じわ してる感 じがす る。// あま り、あっなるほ どってん じゃな くて。

じわ じわ じわ じわ と。

Ⅰ:

/

/

あー。

Ⅰ :で もそれ を教 える側になった ら、その じわ じわ もいいなって思いますか ? 清水 も次のよ うに述べている。

今思 えば、数多 くの国語のテス トをや ってみて、採点 して、 自分が間違 えた問題の正 解 を知 ってみ る、 とい うのは基礎力をつけるためには有効な学習なのだが、その頃の私 にはそれがわかってなか った。頭の中は和井内貞行 とメロスでいっぱいなのに、ジャン

・パル ジャンの話はよせ 、 とい う気が した。

そ うい うわけで、国語 については、漢字の書 き取 り練習以外 には家で勉強の しょ うが なかった。国語 については、同 じよ うな気特だった人が多いのではないだろ うか。

そ こが、国語 とい う教科のわか りに くさであ り、実は、す ごさなのだ。公式があって、

それが理解 できていれば正解が導 き出せ るとか、情報 をすべて暗記 していれば どんな問 いにも答 え られ るとい うことではない。試 され るのは、読解力 とか、人間理解力 とい う よ うな ものであって、す ごく高度な知性 を求め られているのである。

だか ら、いったい どうい う勉強をすればいいのか さえ、子供にはわか らないのである。

国語 とは、そ うい うす ごい教科なのだ。

( pp. 1 4‑ 1 6)

A

B

も Ⅰも清水 も、現実の国語科のわか りに くさと本 当の国語科の理念 と両方を理解 しつつ、その分裂に悩んでいると言 うと大げ さだろ うか。 しか し彼 らの言葉のは しは しか ら、その よ うな矛盾 と葛藤が感 じられ る。

国語科 とはどうい う教科であるべ きか

松本 ・市川の

国語科

の ライ フス トー リー

の研究は、学習者が具体的に国語科 を どのよ うに見ているのかを学習史を振 り返 る中で確かめよ うとす るものであ り、裏側か ら の 「国語科」の検証 ともい うべ き目的を持 っている。

そ こに現れたのは、国語科のわか りに くさであ り、ある場合には過剰ない し領分を越 え た教育内容であった。 しか し誰 もが国語科の本質 を何 とな くは見て取っていて、その矛盾 を抱 えて学習史を語 っている。それは、清水義範 とい う作家において も同 じ事情である。

ここに見 られ るよ うな矛盾 を解 消す るよ うな学習が国語科の授業 において補償 されれ

(7)

ば、彼 らの悩みはな くなるわけである。逆に言 えば、国語科はその よ うな内容 を備 えるよ う再検討 されねばな らない。 しか しそ こには困難 もある。

清水が 『国語入試 問題必勝法』̀)を書いているよ うに、受験や試験問題 とい うもの と期 待 され る 「国語」の との間に按 がある。 これはよく言われ ることであるが、国語科教師 や 国語教育学研究者 の立場か らはそれ ほ ど大 きな問題 としては意識 されて こなかった。試 験問題 その もののあ り方が改めて問われているのだ とも言 える。

そ してまた、何 よ りも国語教育学が、見てきた よ うな疑問に応 え られ るよ うなものにな らなけれ ばな らないのだろ う。清水 は こ う言 ってい る。

ただ し、そ うい うす ごい学問が、素晴 しい教育法で、す ごくうま く指導 されているか どうかは別 の問題 である。本来のね らいが とて も高度であるだけに、それ に見合 うだけ の教育法 も、指導者 も完備 され てお らず、理想 には届かない教育 しか されていない、 と い う可能性 はある。

( p. 1 7)

清水 は半ばイ ンサイダーなので、極 めて遠慮深 くこ う言 っているが、読点が示す よ うに、

、 とい う可能性 はある

はま さに蛇足である。

栃木県の高校入試 問題作成 に

2

年携 わ り、大学入試セ ンター試験の問題作成 にも

2

年携 わった身 としては、入試 問題 の批評 には首をす くめる しかないが、居直って言 えば、選択 肢で国語の問題 を作れ とい う方が無理である。所詮国語の問題 は 「出題者 の意図を本文 を 参考に して読み解 け

とい うものだ とい うことを世間の先生方が徹底 して くれ ないのを恨 みたい とい う気持 ちも少 しある。 ただ どちらの委員の時に も検閲側 ?には喧嘩ばか り売っ ていた。そ うせ ざるをえないのである。

そ して、国語の理想 が実現す るよ うな研究 も実践 も行われていない とす る清水の見識 に は恐れ入 る しかない。 マー ジナル な存在だか らこそ、清水 は鋭 い眼 を持 っている。 (もと

もと素質的にそ うい うヒ トだ とい う気 もす るが)

この天の眼を意識 しつつ、学習者 のつ らい思いを理解 しつつ、国語教育の研究 と実践が 進 め られ なけれ ばな らないのだろ う。 ただ、国語は 「試 され るのは、読解力 とか、人間理 解力 とい うよ うな ものであって、す ごく高度 な知性 を求め られている」 ものなのであるか ら、 どこまでいって もわか りやすいものにはな らないだろ うなあ、 とい う気 もしている。

*1

清水義範

( 1 9 90)『国語入試問題必勝法』講談社文庫

石原千秋の一連の著作な ど、 このジ

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