は じ め に
契約準備段階における信義則上の責任は,信義則を根拠として説明義務等の違反や信 頼による拘束の破棄の問題として扱われ,誠実な交渉当事者であれば通常ある行動をと るであろうとの一般的誠実性期待を保護し,私的自治的形成を可能とする補完物となっ ている。特に契約締結に至らなかった場合には信頼による拘束の正当事由なき破棄や説 明義務違反の問題となる。説明義務違反の場合には,契約締結に確実に至るとの誤信を 相手方に生じさせてはならない説明義務,または,損失分担確約等の言動によって相手 方の具体的措置・処分を誘発し,契約締結に至るとの誤信を生じさせてはならない説明 義務が問題となる⑴。 次に,信頼による拘束にも,確実に契約締結に至るとの信頼を相手方に生ぜしめる場 合だけでなく,損失分担確約等の言動によって相手方の具体的措置・処分を誘引する場 合もある。最判平成 年 月 日判時 号 頁は,最高裁として初めて後者の場 合に信義則上の責任を認めた⑵。確実に契約締結に至るとの信頼を相手方に生ぜしめる場最判平成
年 月
日判時
号
頁
交渉破棄責任の新類型
藤
田
寿
夫
! 拙著『表示責任と契約法理』日本評論社 年 頁− 頁。 " 拙稿「契約締結上の過失責任」北川善太郎先生還暦記念『契約責任の現代的諸相(上巻)』東京布井出 版 年 頁,同『表示責任論研究序説』第 章第 節,池田清治・本件判批・民商 巻 号 年 頁参照。長久保尚善・本件判批・判タ平成 年度主要判例解説 頁は「原審が契約締結に至ら なかった責任を問題としたのに対し,本判決は,交渉中にYがした行為を重視しており,観点の相違に より判断が分かれた」とする。合には,原則として契約締結拒否によって無駄となった処分の賠償となる⑶。これに対 し,損失分担確約等の言動によって相手方の具体的処分を誘引する場合には,契約の締 結に至らなかったときに無駄となる出費の損失分担確約はあるが,契約締結の確約はな いので,制限された信頼保護が問題となっている。したがって,契約の締結を信頼して なした処分の全部の賠償は認められず,交渉権限者の損失分担確約等の言動によって具 体的に誘引された処分・出費の賠償が認められるにすぎない⑷。
一 最判平成
年 月
日判時
号
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〔事案〕 ゲーム機等を販売する米国のA社は,平成 年ころから,米国等のカジノで普及して いる「パイゴウ(牌九)」と呼ばれるゲームに使用する牌を自動的に整列させる装置(以 下「本件装置」という。)及びその専用牌(以下,本件装置と併せて「本件商品」とい う。)を開発することができる業者を探していた。A社は平成 年 月 日,Bを通じ てYに対し,本件商品を開発する業者を手配し,本件商品のAへの供給を委託した。こ れを受け,Yは,同年 月,Xに対し,本件商品の開発を打診した。 Xは,その開発は可能であると判断し,本件商品の開発,製造等の発注があればこれ を受けることとした。そして,Xは,同年 月,Aの代表者C,Yの担当者D,Bの代 表者らの訪問を受けて,開発費を最終的にA側が負担すること,少なくとも本件装置 , 台の取引を目標とすること,本件装置は,カジノで使用されるため,長時間の連 続稼働が可能な耐久性が必要であることなどを確認した上で,本件商品の開発に着手 した。 Xは,平成 年 月 日,本件装置の試作 号機を完成させ,これをC,Dらに示し, 動作確認を経て,これらの者の間で開発の続行が合意された。Xは,C及びDから,そ れぞれ本件商品の開発費等に係る見積書の提出を要請され,同月 日,Yに対し,本 件商品の開発費(うちY負担分として 万円等が計上)等を記載した見積書(以下 「本件見積書」という。)を提出した。これに対し,Dは,Xに対し,Yが開発費を同年 月末日までに支払う旨を口頭で約したが,Yとの間で本件商品の開発に係る契約書を 交わしたいとするXの要望には応じなかった。このYの対応に不安を感じたX代表者 は, 月 日,開発作業を一時的に中止させたところ,Dは, 月 日,Xに対し, ! 最判平成 年 月 日金商判 号 頁参照。 " 拙稿・前掲注⑵論文 頁。「牌九開発費支払い確認書」と題する書面(以下「本件支払確認書」という。)を交付し た。本件支払確認書には,Yが平成 年 月 日に開発費として 万円(消費税込 みで , 万円)を支払う旨が記載されていた。 平成 年 月 日,Aの会長でCのスポンサーと名乗るEが,本件装置の試作機の 視察のためXを訪問したが,開発を一時的に中止していた影響もあって試作 号機はう まく作動せず,専用牌の自動整列に要する処理速度にも問題があったため,Eは,Xに 対する不信感を抱き,Xに対し,用意してきた開発費の支払をしなかった。その後,C, E,X代表者,D等による協議が行われ,A側から,上記処理速度の短縮等についての 改良の要望が出され,同年 月までに改良が完成すれば,平成 年 月に米国で開催 が予定されている展示会に出展すること,上記改良が完成しなければ取引を白紙に戻す こと等の意向が示され,X側もこれを了承した。その後,Xは,試作 号機の処理速度 の短縮等を行い,Dもこれを承認したことから,本件装置の開発の続行が決まった。C も,試作 号機の動作確認をし,処理速度について了承して,Xに対し,更に安定性と 耐久性についての改良を要請した。 平成 年 月,XはYに対し,Xが開発費を負担すること,専用牌の金型代金は, 牌の販売利益によって償却すること及び本件装置 , 台以上を受注することを前提と して,本件装置の代金を 台 万円とすることなどを内容とする見積書を提出した。 Dは,Xに対し,同年 月初めに契約の取りまとめを行う意向を示しただけで,Xと の契約締結について明確な態度を取らなかった。このため,X代表者は,B代表者の仲 介により,Yの専務取締役Fと会談したところ,Fから,ここまできたらYとしても本 件商品の取引を実現させるしかないとの意向を示され,XはYとの間で契約が締結され ることを信頼して開発を継続させることとした。 しかし,その後も,Dは,Xに対し,本件装置 , 台の購入を確約することはでき ず,具体的な発注書を出すこともできないとの意向を示したため,Xは,本件商品の開 発,製造を継続するには銀行から融資を受けるために必要であるとして,Yに対して正 式な発注書の発行を要求した。これを受け,Dは, 月 日ころ,Xに対し,YがX に本件装置 台を発注することを提案し,本件装置を正式に発注することを口頭で約 した。Xは, 月 日,本件装置に関する つの発明について特許出願を行うととも に,特許権の帰属に関し,Cとの交渉を続けた。 Yは,平成 年 月 日,「発注書」と題する書面(以下「本件発注書」という。) を作成し,これをXに交付した。本件発注書には,XとYとの間の合意内容として,X において,本件装置 , 台以上及びその専用牌を継続して販売することを目標とし, 専用牌の金型代金は,牌の販売利益で償却すること,本件装置 台を 台 万円,
専用牌 万組を 組 , 円で発注すること,正式な売買契約書は後日作成すること等 の記載がある。また,Cも,Dとの交渉において本件発注書記載の取引条件を了承し, YとAとの間においても,同日付けで同内容の覚書が交わされた。もっとも,XとYと の間で,本件商品についての具体的な納期は定められなかった。 平成 年 月,Xは本件装置の試作 号機 台をラスベガスで行われた展示会に出 展して好評を博した。その後,Xは,Cから要請された作動音の低減化と軽量化の改良 を終え,Dの承認を得て,本件装置は,量産機として基本的に完成した。そして,Xは, 本件装置の部品のうち,納入に か月を要するモーターを始め,本件装置 台分の部 品等を外部発注し,本件商品の量産に備えた。 しかし,その後も,Yは,Cからの具体的な発注がないことを理由に,Xに対して納 入スケジュール等を示さなかったため,X代表者は,Yの上記対応に憤慨し,同年 月 日,Yに対し,本件商品の契約締結の見込みが立たないのであれば,本件商品の開発 にこれ以上時間と費用を費やすことはできない旨を伝え,しかるべき返答を求めたとこ ろ,Yは, 月 日,Xに対し,「全自動牌九の取引について」と題する書面(以下 「本件条件提示書」という。)を送付し,平成 年 月から平成 年 月までの か 月間本件装置を毎月 台発注すること,その単価を 万円とすることなどを内容とす る提案をした。X代表者は,Yの上記提案を本件商品の増加発注及び納入スケジュール の提示であると考え,平成 年 月 日,単価を 万円としたい旨を回答するなど し,以降,XとYとの間で,条件交渉が続けられた。 Xは,平成 年 月末までに本件装置の量産機の開発を終えた。Cは,同年 月 日,量産機の動作確認を行い,作動音の低減化や軽量化についても承認した。また,X は, 月上旬ころまでには,専用牌を製造するために必要な金型 台を完成させた。 Xは, 月までに,本件装置の量産機 台及び専用牌 , 組(以下「 月分商品」 という。)を製造して,Yの指示した場所に搬入し,Yの意向に従い,Bあての納品書 及び請求書を発行した。さらに,Xは,同年 月,量産機 台を製造した。 本件商品の販売に関しては,X,Y,A及びBの間で,XがBを経由してYに本件商 品を販売し,YがこれをAに販売するという取引の流れが合意された。その上で,上記 社は,同年 月 日,「牌九の条件合意書」と題する書面を作成し,本件装置の単価 を 万円又は 万円とすること,専用牌の単価を , 円とすること,代金は,当該 月に納入した分について当該月内に支払うこととすることなどを最終的に合意した。さ らに,XとYは, 月中に,上記合意を踏まえ,上記 社間での契約(以下「 社契約」 という。)を締結することを合意した。 その後,上記 社は, 社契約の具体的な条項を検討し,同年 月 日までに,そ
の案文が完成した。同案文には,上記 社について,Xは,Aの発案の下で本件商品を 開発,製造する位置を,Bは,XからYに取次供給する位置を,Yは,Aに本件商品を 販売する位置を,Aは,本件商品の発案委託者として総販売代理権者の地位をそれぞれ 取得すること, 社契約締結の月から か月間,毎月 台の取引を行うこと,本件商 品の仕様,販売価格等が記載されていた。 そして,平成 年 月 日, 社契約締結のため,X担当者,D,CがBの事務所 に集まったが,Cが,突然,既に製造済みの 台を含めて本件装置のテーブルへの取 付位置を約 cm 低くすること,牌の投入口を広くすることなどの仕様変更を要求した ことから,結局 社契約の締結に至らなかった。 その後,Xは,同年 月 日を支払期限とする手形の決済に 月分商品の代金 , 万 , 円を充てることを予定していたことから,Yに対し,納入済みの本件商品の現 金化を懇請したところ,Dは,Cに対して 月分商品の購入代金の支払を了承させると ともに,Yがこれを取り次ぐのではなく,取引関係のあるGに,CとXとの間の取次を 依頼し,その承諾を得て,Xに対してGあての納品書及び請求書を発行するよう指示し た。そして,Gは,同年 月 日,Xに対し,上記の手形決済に必要であった , 万円を支払った。 Xは,主位的請求として,Yとの間で商品の継続的な製造,販売に係る契約が成立し たにもかかわらず,Yが,商品の受領を拒み,代金の一部の支払をしなかったため,X において上記契約を解除したところ,これによって商品の開発費,製作費等相当額 億 , 万 , 円の損害を被ったと主張し,予備的請求として,Yには,上記契約の準 備段階における信義則上の注意義務違反があり,これによって上記同額の損害を被った と主張して,Yに対し,損害賠償を求めた。 第 審は主位的請求を棄却したが,予備的請求を一部認容した。Yが控訴し,Xも付 帯控訴し,原審は, 社契約が締結されるに至らなかったのは,A代表者のCが時機に 後れて新たに本件装置の改良を要求したためであり,Yは,Cが本件商品の買受けを承 諾しないのに,Xとの間で本件商品の売買契約を成立させるわけにはいかない立場に あったから,YがXと契約を締結しなかったことが信義則に違反するとまでは認められ ないし, 社契約が締結に至らなかったことについて,Cの行為をYの行為と同視する こともできないから,XはYが契約の締結を拒否したことを理由として損害賠償を請求 することはできないとして第 審判決のX勝訴部分を取消し,これを棄却した。最高裁 はXの予備的請求につき原判決を取消し,原審に差戻した。
〔判旨〕 「前記事実関係によれば,Xは,Yとの間で本件商品の開発,製造に係る契約が締結 されずに開発等を継続することに難色を示していたところ,Yは,Xに本件商品の開発 等を継続させるため,Aから本件商品の具体的な発注を受けていないにもかかわらず, YがXとの間の契約の当事者になることを前提として,平成 年 月 日ころ,Xに 対し,本件装置 台を発注することを提案し,これを正式に発注する旨を口頭で約し, 平成 年 月 日に,本件装置 台を発注する旨等を記載した本件発注書を交付 し,同年 月 日に,本件装置を か月間,毎月 台を発注する旨等の提案をした 本件条件提示書を送付するなどし,このため,Xは,本件装置 台及び専用牌の製造 に要する部品を発注し,専用牌を製造するために必要な金型 台を完成させるなど,相 応の費用を投じて本件商品の開発,改良等の作業を進め, 月分商品を製造し,これを Yに対して納入したというのである。 これらの事実関係に照らすと,Yの上記各行為によって,Xが,Yとの間で,本件基 本契約又はこれと同様の本件商品の継続的な製造,販売に係る契約が締結されることに ついて強い期待を抱いたことには相当の理由があるというべきであり,Xは,Yの上記 各行為を信頼して,相応の費用を投じて上記のような開発,製造をしたというべきであ る。 そうすると,Yは,一面で原審が指摘するような立場にあったとしても,Aから本件 商品の具体的な発注を受けていない以上,最終的にYとAとの間の契約が締結に至らな い可能性が相当程度あるにもかかわらず,上記各行為により,Xに対し,本件基本契約 又は 社契約が締結されることについて過大な期待を抱かせ,本件商品の開発,製造を させたことは否定できない。上記事実関係の下においては,Xも,Yも,最終的に契約 の締結に至らない可能性があることは,当然に予測しておくべきことであったというこ とはできるが,Yの上記各行為の内容によれば,これによってXが本件商品の開発,製 造にまで至ったのは無理からぬことであったというべきであり,Yとしては,それに よってXが本件商品の開発,製造にまで至ることを十分認識しながら上記各行為に及ん だというべきである。したがって,Yには,Xに対する関係で,契約準備段階における 信義則上の注意義務違反があり,Yは,これによりXに生じた損害を賠償すべき責任を 負うというべきである。本件 社交渉は,Cが新たな改良を要求したことに端を発して 決裂し,その後のXとYとのやりとりの中で 社契約の締結に向けた交渉が最終的に決 裂したものであるが,上記交渉決裂の主たる原因は,Yに本件商品の開発業者の手配を 委託し,終始Yに本件商品の開発に関する指示をしていたAの代表者であるCが時機に 後れた改良要求をしたことにあるというべきであり,Xにも上記交渉決裂の責任の一端
があるとしても,上記交渉決裂の経緯は,Yの上記責任を免れさせることにはならな い。」と判示した。
二 交渉補助者の信義則上の責任
本件では,交渉補助者Yの信義則上の損害賠償責任が問題となっている。平成 年 月 日ごろ,ようやくXBYA間における 社契約の締結が合意され,YもXとの間 の契約当事者となっている。しかし,それまではXA以外の当事者がどのように契約に 関わるかはっきりせず,YはアメリカのA社より本件商品を開発する業者を手配しAに 対して本件商品を供給する旨を委託された者であり,XYAB間では本件商品の開発費 を最終的にAが負担することが約されていた。そうすると, 社契約の締結が合意され るまでは,YはA社の交渉補助者であったこととなり,最高裁は,契約締結に至らな かった場合における交渉補助者の信義則上の責任を初めて認めたことになる⑸。三 具体的措置・処分の誘引
最高裁は特にYは,「Aから本件商品の具体的な発注を受けていない以上,最終的に YとAとの間の契約が締結に至らない可能性が相当程度あるにもかかわらず,上記各行 為により,Xに対し,本件基本契約又は 社契約が締結されることについて過大な期待 を抱かせ,本件商品の開発,製造をさせたことは否定できない。上記事実関係の下にお いては,Xも,Yも,最終的に契約の締結に至らない可能性があることは,当然に予測 しておくべきことであったということはできるが,Yの上記各行為の内容によれば,こ れによってXが本件商品の開発,製造にまで至ったのは無理からぬことであったという べきであり,Yとしては,それによってXが本件商品の開発,製造にまで至ることを十 分認識しながら上記各行為に及んだというべきである。」として,Yには,Xに対する 関係で,契約準備段階における信義則上の注意義務違反があると述べており,確実に契 約締結に至るとのXの信頼を問題としていない⑹。意図された契約の締結や履行に必要な ! 野澤正充・本件判批・NBL 号 年 頁 頁,池田清治・本件判批・民商 巻 号 年 頁,大島梨沙・本件判批・北大法学論集 巻 号 年 頁,大滝哲祐・本件判批・北海学園大 法学研究 巻 号 年 頁,福本忍・本件判批・法時 巻 号 頁参照。長久保尚善・本件判 批・判タ平成 年度主要判例解説 頁も「本判決は,交渉中にYがした行為を重視して」いるという。 " 高田淳・本件判批・法学セミナー 号 年 頁も,「『Aからの発注は確実』と述べて契約締結 の確実性を誤信させるような積極的行為までは,Dはしていない。」という。具体的措置・処分の誘引によって黙示的に契約締結が確実であるとの信頼を相手方に生 じさせることがある⑺が,本件では契約締結が確実であるとの信頼を相手方に生じさせて はいない。①開発費支払い確認書の交付,②正式発注する旨の口頭での約束と本件発注 書の交付,③本件装置を か月間にわたって毎月 台発注する旨を提案した本件条件 提示書といったYの「上記行為によって…本件商品の開発,製造をさせた」ことからは, 本件ではYは損失分担確約等の言動によって相手方の具体的処分・措置を誘引し,具体 的処分・措置を賠償なしに無意味としない義務を引き受けたというべきである。そし て,Yは信頼構成要件の作出によって相手方に信頼を生ぜしめ,この信頼に応じた財産 的処分をなすであろうことを意識していたか,知り得たので,Yに帰責される⑻。そして, Yは,Aから本件商品の具体的な発注を受けていない以上,最終的にYとAとの間の契 約が締結に至らない可能性が相当程度あることも一応Xに対して明示してはいたが, 本件では,YがXに開発・製造させる「上記各行為」をしただけでなく,その都度Yの 「上記各行為」に対するAまたはA社の代表取締役Cの了承があったことからXの信頼 が強められたというべきである。
四 損害賠償の範囲
「Xは,Yとの間で本件商品の開発,製造に係る契約が締結されずに開発等を継続す ることに難色を示していたところ,Yは,Xに本件商品の開発等を継続させるため,A から本件商品の具体的な発注を受けていないにもかかわらず,YがXとの間の契約の当 事者になることを前提として,平成 年 月 日ころ,Xに対し,本件装置 台を 発注することを提案し,これを正式に発注する旨を口頭で約し,平成 年 月 日に, 本件装置 台を発注する旨等を記載した本件発注書を交付し,同年 月 日に,本 ! 最判平成 年 月 日金商判 号 頁参照。 " 大島梨沙・本件判批・北大法学論集 巻 号 年 頁は,積極的に契約前段階での開発・製造 を促したことがYへの帰責根拠となるとする。鳥海修・高野雄市・本件判批・NBL 号も,本判決は 「X社が一定の先行投資を伴う開発を進めるにあたり,契約締結の先行きに不安を覚えるたびに,Y社に 対し確認を求めていた点に着目し,Y社がそのつどX社の信頼を誘発する行為を行っていた点を重視し て,その責任を認めている点に注目すべき」と述べ,また,「Y社はA社より本件商品の開発業者の手配 の委託を受けていたこと,商品開発・仕様修正の過程においてY社が仕様の承認を行っていること,X 社が取引成立への不安を訴えるつどY社自身が発注にかかわる提案書その他の書面をX社に提示してい ること」から「相手方から見れば,Y社が単にA社のメッセンジャーとして機能していたのではなく, 主体的に物事を判断し得る取引の当事者として理解し,その言動に対し,より高い信頼を置いたとして も無理からぬ状況にあった」と指摘している。最高裁判決はYの「上記行為」に①を含めていないが, Xの本件商品開発を誘引した①の開発費支払い確認書の交付もYの「上記行為」に含めるべきである。件装置を か月間,毎月 台を発注する旨等の提案をした本件条件提示書を送付する などし,このため,Xは,本件装置 台及び専用牌の製造に要する部品を発注し,専 用牌を製造するために必要な金型 台を完成させるなど,相応の費用を投じて本件商品 の開発,改良等の作業を進め, 月分商品を製造し,これをYに対して納入した」との 最高裁の判断に従い,差戻し後の控訴審では,「Yの上記各行為によりXが本件商品の 開発,製造をしたことにより生じた損害と解するのが相当」であるとして,本件商品の 開発費用,専用牌の制作費用,本件装置の在庫分(平成 年 月に納品予定の本件装 置と製品化されていない部品の原価)等の賠償を認めた⑼。これらは交渉補助者の損失分 担確約等の言動によって具体的に誘引された処分・出費の賠償である。これに対し,確 実に契約締結に至るとの信頼を相手方に生ぜしめる場合には,原則として締結拒否に よって無駄となった処分の賠償となる⑽。さらに,本件事案とは異なり,もしもA・Yが 継続的にずっと確実に契約締結に至ると故意にXを誤信させながら 社契約締結時に突 如無理な仕様変更を要求して締結に至らせなかったような場合には,A・Yの誠実義務 違反がなければ契約締結に至っていたのであり,履行利益の賠償も認められることがあ ろう⑾。
五 最判平成
年 月 日金商判
号
頁との関係
最判平成 年 月 日金商判 号 頁⑿は,Y大学の新建物の建築にあたり,Y より建物の設計監理を受託したA建築研究所を介して,建築資材の輸入・販売業者Xに よる建具の納入等の準備作業が行われた事件において,Xが交渉補助者であるAではな くY大学に対し信義則上の損害賠償請求をした事件である。不法行為構成ではあるが, 交渉補助者Aの言動をY大学に帰責している。また,Xが交渉補助者Aを介して随時Y 大学の了承を得ていたことを重視している。 ! 野澤正充・本件差戻審判批・NBL 号 年 頁。 " 最判平成 年 月 日金商判 号 頁参照。# 履行利益の賠償を認めるアメリカの判例として Chrysler v. Quimby, A. d , (Supr. Ct. of Delaware )などがある。また,履行利益賠償が認められる場合につき,ハイン・ケッツ/潮見佳男・ 中田邦博・松岡久和訳『ヨーロッパ契約法Ⅰ』法律文化社 年 頁以下参照。 $ 本件判批として,野口恵三・NBL 号 年 頁,上田貴彦・同志社法学 巻 号 年 頁, 丸山絵美子・法学セミナー 号 年 頁,円谷峻・金融商事判例 号 年 頁,同・民商 法雑誌 巻 号 年 頁,坂本武憲・私法判例リマークス 号 年 頁,武川幸嗣・受験 新報 号 頁がある。
〔事案〕 Y大学は,Yの大学構内に研究教育施設用建物(以下「本件建物」という。)の建築 を計画して,文部科学省に補助金の交付を申請し,平成 年初春,Aを代表者とする A建築研究所(以下「A研究所」という。)に,本件建物の企画設計を依頼し,また補 助金交付の決定があったときは本件建物の設計監理を委託したいと申入れて,上記決定 があり次第直ちに本件建物の建築を始められるように準備を進めていた。 建築資材の輸入・販売業者Xは,平成 年 月中旬ころ,A研究所から,本件建物 の壁面にドイツのB社のガラス製品を用いたガラスカーテンウォール(以下「本件建具」 という。)を使用する計画であるので設計に協力してほしいとの依頼があったため,技 術的な検討と見積作業を開始した。Yは,前記申請に係る補助金交付の内定があったこ とから,平成 年 月 日ころ,A研究所に本件建物の設計監理を委託し,A研究所 は,本件建物の基本設計を開始した。 本件建物の竣工は平成 年 月と予定されており,これに間に合うように本件建具 の納入等をするには,遅くとも平成 年 月初めころには,本件建具の形状,寸法等 の打合せや製作図の作成等の準備作業を開始し,同年 月初めころには,ドイツ工場で 本件建具の製作を開始する必要があった。Aは,平成 年 月下旬ころ,Xの担当者 から,この事情の説明を受け,直ちに本件建具の納入等の準備作業を開始することにつ いて了承を求められたため,Yにおける本件建物の建築に関する担当者である助教授 に,この事情を説明した上で,サッシ業者に上記準備作業の開始を依頼すること及び依 頼後は別の業者を選ぶことができなくなることについて了承を求めたところ,同助教授 はこれらを了承した。なお,建物建築工事における建具の納入等は,建具の納入業者が 建物の施工業者との間で下請契約を締結して行うのが通常の形態であるが,文部科学省 への届出においてはY傘下のY建設を施工業者としており,本件建物の実際の施工業者 は,この当時,いまだ決定しておらず,同年 月末に決定する予定であった。 Xは,AからYの了承があった旨の説明を受け,直ちに上記準備作業を開始するよう 依頼もなされたことから,本件建具の製作図の本格的な作成,打合せ,製造ラインの確 保等の準備作業を開始した。A研究所は,平成 年 月中旬ころまでに基本設計を, 同年 月 日ころまでに実施設計を行い,これらについてYの了承を得た。Yは, 月初旬ころに本件建物の建築確認申請をなし,大学施設増築及び高度制限解除等の許可 を受けた。ところが,平成 年 月 日にYは将来の収支に不安定な要因があること を理由に本件建物の建築計画の中止を決定し,補助金の交付の申請を取り下げた。 XはYに対し不法行為に基づき損害賠償を求めた。 審は「Xは,A建築研究所の監 理の下に,Yと施工業者との間で本件建物建築請負契約が締結された場合に,Xと施工
業者との間で本件建具の納入契約が締結されることが予定されていたというに過ぎな い。しかしながら,建築工事において使用することが予定されていた建具について,注 文者と請負業者との間の請負契約の締結を待って製作していたのでは竣工に間に合わな くなるという特別の事情がある場合において,建具の納入業者となることが予定されて いた者が,注文者の了承を得た上で建具の製作のための準備作業に着手した後に,注文 者が注文者側の事情により請負契約の締結を取りやめたというときには,注文者は,当 該建具の納入業者が,請負契約及び建具の納入契約が締結されるものと信頼して行動し たことにより被った損害を賠償する責任を負うものというべきである。」としてXの損 害賠償請求を一部認容した。Y大学の控訴を受けた原審は,Xによる本件建具の納入等 の準備作業は,本件建物の施工業者が選定されるまでは,XとA研究所との間の契約関 係に基づいて行われたものと推認されるから,本件におけるXの損害は,同研究所との 間で解決が図られるべきものであるとしてXのYに対する請求をすべて棄却した。Yが 建築の計画をしていた建物の建具の納入等に関して,XがYの了承に基づいて準備作業 を開始した後にYが上記計画を中止することは不法行為を構成するとのXの上告受理申 立を受理した最高裁は,以下のように述べて原判決を破棄し,原審に差戻した。 〔判旨〕 「前記事実関係によれば,建物建築工事における建具の納入等は,建具の納入業者が 建物の施工業者との間で下請契約を締結して行うのが通常の形態であるが,本件建物の 竣工予定時期に間に合うよう本件建具の納入等をするためには,Yが本件建物の施工業 者を決定する前に,本件建具の納入等の準備作業を開始する必要があったことから,Y は,本件建物の設計監理を委託していたA研究所の代表者であるAの説明を受け,同人 の求めに応じて,平成 年 月下旬ころ,サッシ業者に上記準備作業の開始を依頼す ること及び依頼後は別の業者を選ぶことができなくなることを了承し,また,Xは,A から,上記のとおりYの了承があった旨の説明を受けるとともに,直ちに上記準備作業 を開始するよう依頼を受けたことから,本件建具の製作図の本格的な作成,打合せ,製 造ラインの確保等の準備作業を開始したというのである。このような事情の下において は,XがAから上記準備作業に要した費用等についてはA研究所で負担するとの説明を 受けていたなどの特段の事情のない限り,Xは,Yの上記了承があったことから,Yが 誰を本件建物の施工業者に選定したとしても,その施工業者との間で本件建具の納入等 の下請契約を確実に締結できるものと信頼して,上記準備作業を開始したものというべ きであり,また,Yは,Xが上記準備作業のために費用等を費やすことになることを予 見し得たものというべきである。…
そして,上記特段の事情が認められず,Xが本件建物の施工業者との間で本件建具の 納入等の下請契約を確実に締結できるものと信頼して上記準備作業を開始したものであ り,Yが上記のとおりの予見をし得たものとすれば,信義衡平の原則に照らし,Xの上 記信頼には法的保護が与えられなければならず,YにXとの関係で本件建物の施工業者 を選定して請負契約の締結を図るべき法的義務があったとまでは認め難いとしても,上 記信頼に基づく行為によってXが支出した費用を補てんするなどの代償的措置を講ずる ことなくYが将来の収支に不安定な要因があることを理由として本件建物の建築計画を 中止することは,Xの上記信頼を不当に損なうものというべきであり,Yは,これによ り生じたXの損害について不法行為による賠償責任を免れない。」 〔検討〕 Xは,交渉権限ある交渉補助者Aから,注文者Yの了承があった旨の説明を受けると ともに,直ちに準備作業を開始するよう依頼を受けたことから,本件建具の製作図の本 格的な作成,打合せ,製造ラインの確保等の準備作業を開始している。したがって,X は,注文者Yの了承があったことから,Yが誰を本件建物の施工業者に選定したとして も,その施工業者との間で本件建具の納入等の下請契約を確実に締結できるものと信頼 して準備作業を開始しており,また,Yは,Xが準備作業のために費用等を費やすこと になることを予見し得た。すなわち,交渉権限ある交渉補助者Aから,注文者Yの了承 を得て直ちに準備作業を開始するよう依頼されたという,意図された契約の締結や履行 に必要な具体的措置・処分の誘引によって黙示的に契約締結が確実であるとの信頼を相 手方Xに生じさせた。そして,交渉補助者Aが履行に必要な準備作業の開始をXに依頼 することにつき注文者Yは了承したことから,YまたはYの交渉補助者Aによって作出 された信頼構成要件を注文者Yは知っているか知っていなければならないというべきで ある。 最判平成 年 月 日判時 号 頁においても,Xは交渉補助者Yだけでなく, 随時了承してXの信頼を惹起した注文者Aに対しても信義則上の損害賠償請求をするこ とができたであろう。 〔付記〕本研究は,科学研究費基盤研究(C) K による研究成果の一部である。 (ふじた・ひさお 法学部教授)