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一語の解釈の相違から--伊勢物語第85・86・90・91段の解釈---香川大学学術情報リポジトリ

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一語の解釈の相違から

−一伊勢物語第85・86・90。91段の解釈w 竹 岡 正 夫 いかに高尚な文学論も,その根底である作品の文章の解釈が誤っていたので は,まさに.砂上の楼閣に過ぎず,たった一個の砂粒の揺るぎだけで忽ちあえな く崩壊し去ってしまうこともあり得る。 ここには,−−・段中の僅か一語の意味の解釈の誤のために.そ・の・一段全体が誤解 されている例を伊勢物語より4例示すことにする。 0伊勢物語紅ついて,今まで下記のような拙論でそれぞれ新しい解釈を試みている。 1「伊勢物語難語考四題」(川瀬剛馬博士古稀記念論文集,未刊) 2「伊勢物語票三晶誌●私解」(『馴大学数商学部研究報告・別報』第44号) 3 「摘むか濁るか−伊勢物紺1】1.114段の解酌めぐって−」(投稿中) 0以下,伊勢物語の底本は天福本系統の三条西家旧蔵本(学習院大学蔵)の影印本 を用いた。ただし,読み易いように句読点・濁点・符号を施し,淡字をその⊥の ()内紅当てた。 02回以」二月lく長い書名は,初出の書名に.付けた傍線部のように略称する。 1 めかれせぬゆき 昔,おとこ有けり。わらはよりつかうまつりけるきみ,御ぐしおろした まうてけり。む月にはかならずまうでけり。おはやけのみやづかへしけれ ば,つねにほえまうでず。されど,もとの心うしなはでまうでけるになん (俗) (抑 師) 竃ける。むかしつかうまつりし人,ぞくなる,ぜんじなる,あまたまいり あつまりて,む月なれば,聾だつとて,おはみきたまひけり。ゆき,こぼ (酔〉 すがごとふりて,ひねもすにやまず。みな人,ゑひて,l▼雪虹ふりこめら \祖\ れたり_き といふをだいにて,うたありけり。 おもへども 身をしわけねば めかれせぬゆきの つもるぞ わが心 なる

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16 竹 岡 正 夫

(衣) とよめりければ,みこ,いといたうあはれがりたまうて,御ぞぬぎてたま

へりけり。 (発85段) このうちの傍線部の解釈が問題である。『勢語臆断』(契沖)ほ次のAのよ うに解釈するが,『伊勢物碍塑墾』(藤井高尚)によりBのごとく改められて いる。 OA 心ほ此御子に.したがひつねはまうでもし,又こ」につかへてもあらばや とおもへどもといふ心なり。されどその心ざしはうちにありて,身より外に 取わけてみせ奉るぺきよしのなきに,折ふしやむまもなくめがれせずふる.雪 のつもれるを見たまへ。此つもれるごとく,わがおもひもつもれば,此雪の つもるはすなはちわが心なりとよめるなり。 (勢語臆断) OB こ・」にと1やまりてあらんとおもへどもおもへども,おはやけの官づかへ する身ほ恩ふま」ならず。身をふたつにわくる事もならねば,かへらんとす るに.,ものうければつくづくと見てをる,此の雪のつもりてかへりがたくな るぞ,もとよりわが本意なるといへる也。……・臆断のほじめの説は,いふに もたらぬひがこと也。 (新釈) ところで「めかれせぬゆき_】を,Aほやむ間もなく降り続ける雪と解し,Bは つくづくと見続けている雪と解しているのである。 以後,近代の注釈もおおむねこの る。 AO絶え間なく降る雪。 (岸田武夫『伊勢物語墾墜』) ○目から離れないの意で,雪の小止みなく降ることをいう。 (日本古典文学全塞。福井貞助『伊勢物語』) ○今絶え間もなく降りつづく雪が,こんなに.積ってここ紅閉じこめられるの は,むしろ私の望みにかなったことなのです。 (新潮日本古典基底・渡辺実『伊勢物語』) BOこの歌の意はわかり紅くい。「思へども身をし分けねば(宮仕への身で, 身を宮中とこちらとに分けることができないので)自離れせしかども,目 離れせぬ雪の(見てV、る目から少しも離れず小止みもなく降る雪がどんど

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ーー・語の解釈の相速から 17 んつもる。こ.の雪のように)積るぞ吾が心なる(親王をお思いする思いが つもるのが私の本心です)」の急か。(一部がB,▲−〈一〉部がA) (松尾聴『数量伊勢物語』) ○今,目から離れないこの積雪のように,思いの積っているのが私の心だと 知って下さい。…‥イわけねば」ほ」 ̄分ち得ぬから_lの意らしいが落着かな い。〔補注〕i▼めかれせぬ_!はl ̄雪_王の修飾語だが,「絶え間なく降る雪」 と解き,1 ̄今雪が間断なく降り積って帰ることのできないようになったの は私の本望である_lと解する説もある。 (日本古典文学生丞・大津有・・】・】一h・築島裕『伊勢物語』) ○めかれせぬは,目を離さずにじっと眺める。絶え間なく雪が降ることと, 親王をめかれさせぬようにの両意をかける。 (中田武司。狩野尾義衛『伊勢物箪艶鄭) ○ここは比叡山のふもとであるから雪が目か ら離れず,絶えず眼前にある が, (墜塗古典叢書・片桐洋一『伊勢物語』) ○今こうしてかたときも目から離れない雪が降り積もっている,その雪のあ りさまこ.そが,まさに.あなたさまをお思いする思いの積もっている私の心 なのでございます。】 ̄ぉもへども…わけねば_‖はそのままではあとへ論理 的紅続かない。身を二つに分けられない結果,結局は宮仕えの方にしばら れてしまっているが・……という気持ちを脈絡上おぎなって解せばよい。積 雪を我が心とするについては,こんなに.ひどい硫雪ではとても帰れそうも ないが,それこそ・本望だとみる説もある。しかし,特にイ露飾語として冠せ られているl ̄めかれせぬ」に注意したい。雪は,この庵室を目離れせずお とずれ積もっている,からだは公務にしばられているからともかく,心は まさに.こ.の雪のように.,目離れせずいつもおとずれたいと思っているの だ,の恵と解すぺきだろう。 (講談社基盤・森野宗明『伊勢物語』) 以上いずれも『新注』の言うように,この解釈(A・Bとも)ではわかりにく

かめか いので種々説明を加えているが,なお釈然とせず,そもそも「離る」! ̄目離

か る」の意味のとり方が誤っているようである。l ̄離る」とほ,

○時間的紅相会する械会が遠のくの意にも,空間的紅距離が大きくなる意に.

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竹 岡 正 夫 18 も用いる。 (『壁岱塑国語大辞典・上代編』) ○<宅空間的・心理的に,密接な関係に.ある相手が疎遠になり,関係が絶える 意。・…≫①間遠になる。途絶える。(用例,略。以下も同じ)④(心が)は なれる。間柄が切れる。⑧立ち去る。.立.ち退く。 (岩波古語辞典) のように用いられる語で,したがってl一目離る._」は, ノ ○見ることが遠ざかる。逢わぬ日数が重なる。・…「佐保過ぎて寧癖の手向けに ぉく幣は妹をあひ見しめとぞ_!(万300) (時代別) ○親しいものを見ずに疎遠に.なる。! ̄さしならびめかれず見奉り給へる年頃よ りも_】く源氏若菜上>((名))関係の深い人や物から離れて■,それを見ずに小 ること。 (岩波古語辞典) ○見馴れ七いた人や物を次第に見なくなる。だんだん会わなくなる。 (日本国語大辞典) と説明のある通りで,「雪がやむ間もなく降り続ける_】とか】 ̄目から離れずつ くづく見続ける_1とか解するのはむしろ誤解とすべきであろうと思われる。そ れにそう解しては『文庫』などの言うように上のl−ゎけねば_lを承ける表現が ないこと軋なってしまうのである。 l ̄ゆき_=は以下の例のように.l ̄行き_;と】 ̄雪」との掛詞と解すべきである。 さよう紅解してほじめて1 ̄めかれせぬ一」との続きが了解でき,かつ「わけね ば▼lの続きも明確となるのである。 ◇君がゆく越の白山知らねども旦皇のまにまに・あとはたづねむ (竜今・離別・391) ◇君のゆく越の白山知らずとも空旦のまにまに・あとはたづねん (大和・75) ◇山里にわれをとゞめて別れ路のゆきのまにまに深くなるらむ (同・87) ◇白山に.ふりに.しゆきのあとたえ.て今はこしぢの人もかよはず (同・95)

めか ここもl ̄行き−雪_】と扱けて用いているのである。親王の庵室に目離ることな

く始終参上したいとは思うのだが,何しろ】−ぉはやけのみやづかへしければ, つねにはえまうでず_lといった状態にある。この身を二つに・分けて,−・方は親 王の庵室へ,もう一・方の身は宮仕え紅というふうにいけばよいのだが,それも とても望めない。今しきりに雪が降り殻もっているが,そのように親王のもと

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−−・語の解釈の相速から 19 へ目離れせずにl ̄行き(行くこと」)の硫もることが,私の気持ちです,という のである。そしてその袈に・ほ一般の解のように,雪が硫もれば帰れなく。なるか ら,それを口実にして親王のお傍に屑れる,即ちl ̄雪の積もるぞわが心なる_i という気持ちも寄せているのである。伊勢物語の常例であるが,ここも和歌の 気持ちを他の文でl ̄公の宮仕へしければ常にはえ詣でず_】「■’もとの心失はで詣 でける.一1と解釈しているわけである。和歌の口訳をしておく。 宮様のことを思うのですが,公の勤務があり,この身を二つに・分けられぬも のですから,御無沙汰せず始終宮棟のお傍に行くこと(行き)が,この雪の 降り積もるようにしきりに度重なること,そ・れが私の気持ちでございます …雪がこう棍もることも(帰れなくなっていつまでもお傍紅お仕えできる ので)私の望みでして−−− 2 心ざしはたさむ 昔,いとわかきおとこ,わかき女をあひいへりけり。をのをのおやあり けれほ,つ・」みて,いひさしてやみにけり。 年ごろへて,女のもとに・,猶心ざしはたさむとや思けむ,おとこ,うた をよみてやれりけり。 今までにわすれぬ人は 世にもあらじ をのがさまざま年のへぬれば とてやみにけり。 おとこも,女も,あひはなれぬ宮づかへに・なんいでにける。(寛86段) この一・段では傍線部の解釈が問題である。 ○! ̄心ざしほたさん」は,昔のおもひをとはし遂んといふなり。 (細川幽斎『伊勢物語担塵塑』) Oi ̄心ざしはたさむとやおもひけん」とは,思ひながらいひさしたる心ざし の,猶のこ.りたるを,いひはたしてやまんとやおもひつらんなり。戎注に, 昔の思ひをとはしとげんといふなりとあるほ.,しからず。歌の後の】 ̄とてや みに.けり_;といふを思ふぺし。 (勢語臆断) このような解釈ほ近代に.なっても同じで,

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竹 岡 正 夫 20 ○かねてからの恩ひをとげよう。‥・…男の方でふと恩ひをかへして−,心をひい で見る気になって歌をやって見るが返事がない。もつとも,男の歌も積極性 を待ったものではなかったのである。 (評解) ○やはり昔の,女に対する恩を遂げようと思ったのであろうか。 (新註) ○何年か過ぎて男ほ,改めて女に交渉をして見る気に.なったので,まず女の気 を引いて見たのである。これは有り得ることである。とこ・ろが男ほ,以前既 に.約束ほしてあるので,熱意をもって−強く言う気にほなれず,以前の継続と して生ぬるい交渉をしたのである。これまた有り得ることである。男の夢見 勝ちな心からいえば,これほ自然なことであるが,女ほ男よりも実際的であ るから,こうした生ぬるい交渉に対して.ほ答える気になれず,返歌をしなか ったものと見える。これも又,有り得ることである。 (窪田空穂『伊勢物語壁墾』) ○男はやはり年来の思いを遂げようと思ったのだろうか。 (大系) ○やほりかつての恋の実を結ばうと思ったのだろうか, (土壁信男『伊勢物語避塾胡) ○! ̄なは…・…息ひけむ_1は,挿入部。「心ざし_lは,女に・対してもとからいだ き続けていた恋心,気持ち。〔訳〕やはり長年思いつめていた恋をつらぬき とげようと思ったのだろうか, (文庫) ○やはり最初からの恋をとげようと思ったのだろうか。 (森本茂『伊勢物語金型l) ○男の気持も歌も,あいまいな段である。】 ̄なは心ざし果さむ」は,とだえて いた間柄を後席してやはり夫婦軋なろう,という気持であろう。それなら歌 はもっと積極的な復縁の意思を示すものであるべきなのに,互いに別の生活 になりましたね,と疎遠を認めるような内容であり,まして【 ̄とでやみにけ り」では詣Ⅶならない。 (集成) と解すのである。すると当然『集成』も言っているよう紅,次の歌と「とてや みに.けり」とが続かない。そこで, ○以下とのつながりがわるくて解し難い。或は次に男の,女紅対するト已、ざし ほたさむ_lとする意志表示の歌があったのが落ちたのかも知れない。(新註)

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一層の解釈の相違から 21 ○この歌,前からの続きエ合が悪くて意味が明瞭でない。伝為氏筆本・谷森本 ・神宮文庫本などでは前の一節が「一女のかたよりなをこ.の尊とげんといへり ければおとこうたをよみてやれりけりいかゞおもひけん..⊆ とある。男からの 求愛の歌と見てl ̄しかし万一■一忘れないでいるのだったらもう−・度逢って下さ い_墓の意とも取れるし,また,この前に男からの求愛の歌が脱落したとして (前記の本文に.よるならばそのままで),女が男を拒否した意と見て‡ ̄だから 私もお受けできません_!の意とも取れる。 (大系) Oi ̄とて,やみにけり」山一i■で_」ほ.さまざまな論理的脈絡内で接続語を構成 する。】 ̄ど_璽「ども一」類と興って特定の論理的接続関係の設定に従う語では ない。ここほ.場面的意味として,逆接的ニュアンスがあるとみておく。女の 気を引こうとして歌をおくったが,結局だめだったのだ。〔訳〕とよんでお くったのだが,結局ほそのままおわってしまった。 (文庫) ○この歌は底本の前文からいえば,王 ̄しかし,もしあなたが私を忘れないでい らっしやるのなら,今でもあなたを慕っている私の心をくんで,昔のように. 語り合ってください_;という含みをもつとみられるが,次の董 ̄とてやみに.け り−lへの続きが憩い。…岬\文脈の通り紅くい個所もあり,車がらの展開が十 分に読みとれない。 (全釈) ○このままだと,男が1H’もう私をお忘れでしようね_墓 と,女の出方を見たと解 するはかはない。自分をあいまいに.しておいて−,相手の出方によって事を運 ぶ,傷つきたくない男なのであろうか。 (集成) と,それぞれ種々説明をつけて−いるのであるが,いずれも無理といわざるを得 ない。 「心ざし_】とほ,l−ぁる対象にさし向けられた愛情とか其心とかをいう。」 (拙著『古今和歌集全評釈宝種集注』上巻,246ぺ一−ジ),ここでは言うまでもな く,女紅対する男の愛情をいう。 問題は「はたす」の語で,諸注いずれも!−(思いを)遂げる」と解し,「遂 ぐ_】と同じに.とっている。しかし,】 ̄はたす._lの語義は, ○結末をつける。 (時代別) ○≪事の成行きを終極まで行かせる志。転じて成行き紅決着をつける意。類義

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竹 岡 正 夫 22 語トゲ(遂)ほ目標を貫徹する意≫①事にきまりをつける。(岩波古語辞典) とあることからも知られるように,一・般の注釈はいささかずれて解しているよ うである。 ◇万ざいは埋立立てこそ。なかばに・てほあしからん。 (宇津保・蔵開上) ◇よろづの神たちに.,返申のみてぐらたて:まつらん_‡とて,かほらに・いで絶と て,「いのりのことゞも,もろともに,この返中延皇室こと,神仏世申にい ますからぬものに.やはありける_!とて, (同・藤原の君) ◇ほいをこそとげめ。(同・蔵閑下) ◇ただこの人の宮仕へのはい必ずとげさせ奉れ。 (源氏・桐壷) 同様に,ここも,女への恋の情を遂げるというのではなく,女への愛情に潜末 をつける,決着をつけるの意である。数年も経過しているのに・,なおやっぱり 未練が残っているので,この際きっぱりとこの恋の清界をしてしまおうと思っ たのであろうか,というのである。このように解すれほ,次の歌も紫檀常続 き,諸注難儀している! ̄とてやみにけり_蔓も何でもなくすんなり解せる。 いま,歌の前後を訳しておく。 数年たっ て,女のもとに,それでもやはり,女へ・の愛情は(この辺で)決 着をつけでおこうと 思ったのであろうか,男ほ歌を詠んでやったのであっ た。 (長年たったこの)今までに ,(恋人を)忘れず思っている人なんて,ど こに.もあるまいと思います。あなたも私もそ・れぞれ自分自分別々の生き方 で年が経過してきたもんですから…‥‥ と詠んで(二人の仲は)晴好してしまったのであった。 3 さくらにつけて むかし,つれなき人を,いかでと思わたりければ,あはれとや恩けん, l ̄さらば,あす,ものごしにてもー1といへりけるを,かぎりなくうれし おもしろかりけるさくらにつけて, く,又うたがほ.しかりければ, さくら花 けふこそ かくもに.はふとも(イらめ) あなたのみがた あすのよのこ.と といふ心ばへもあるべし。 (舞90段)

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一一・語の解釈の相違から 23 この段ほ,いずれの注釈も,傍線部に誤解があるものだから,歌の次の! ̄と いふ心ばへもあるぺし。」の正解が得られず,無理な解釈に.終始している。 まずl ̄さくら紅つけて_lほ,どの注釈も, ○桜の枝に.結び附けて, (評釈) ○桜の枝につけて,(次の歌をやった) (全釈) ○… ̄桜花一卜の歌ほ男がl■桜紅つけて_l女に贈ったもの,と.解するほかはない。 (集成) と解す。そ・こでl ̄といふ心ばへもあるべし_lのと.ころほ, ○塗篭本t−といふ心ばへあるらし」,定家本】−−といふ心ばへもあるぺし_l……と あり。いづれも落付かず。これにつきて清水浜臣「『といふ』以下得ガタ シ。『といへるは心ばへありて成るべし』ナドナ・クテハキコ1エズ_iといへれ

(で7) ど,然らず。これは,この物語の初段紅「『陸奥のしのぶもじずり誰ゆゑにみ

だれそめにしわれならなくに』といふ歌の心ばへなり_iとあると全く同じ筆 法にして,‖…‥ こ」も1 ̄桜花云々_‡の歌の註に.,某歌ととも紅この句ほか 」げつらむを,其歌いつしか失せて,この句のみは残れるなり。されば,こ の条もこの体は, 桜につけて 桜花けふこそかくも匂ふらめあな頼みがたあすの夜のこと

といひやりける。 .

幸 ̄∴J▲’ ̄ ̄▼▲、’ ̄  ̄− 】其 といふ心ばへもあるべし。 などにやとおもはる。 (鎌田正恋『考証伊勢物語詳鰍の ○その意は明かではない。∃ ̄と詠んだが,さういふ気持も事実あったのであら う。」といふほどの意か。 (評解) 01 ̄といひやりける,さる心ばへもあるべし_iの恵か。なお考えたい。 (新註) ○歌に.いふやうな気持もきつと女にほあるのだらう。作者の女性観。 (日本古典全苔。南波浩『伊勢物語』。なお『評釈』も同解)

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竹 岡 正 夫 24 ○】 ̄といふ_仁以下は質入文であろう。 (中田武司『泉州本伊勢物語の研究』) ○作者の推測のことばであるが,誰の心ばへかほっきりしない。男の心持か, 女の心か。〔訳〕という男の心持が,女の方にもあるにちがいない。 (新解) O「といふ。」−−諸注,連体形として1 ̄心ばへ_トに続けるが如何。 (本文l ̄といふ。心ばへも……」と切っている。校注) ○男が疑ったとおり女には,明日云々といっても,それ層仮初の慰めの気持だ けであって,本当に.男を慰め受け入れるというのでは.なかったろう,という 作者の感想である。〔訳〕(と詠んでやった。)この歌でいうように,女にほ 疑われてしかたない気持も半面に.あるだろう。 (上坂評解) O「といふ心ぼへもあるペし_lと続けて読む説,「といふ。心ばへもあるべ し_】と切る説があるが,後者に従う。もっとも,‡ ̄といふ。」という現在形終 止ほ例外的で,多くの例から推せば,ここは,「とよみけり」等の表現が期 待されるところ。ただ,切らずに続けると,かなり圧縮ないし飛躍した叙述 で,文脈上少々無理と思われるはどの補足をしないと,文意が通じない。 1 ̄と言っておくったが,事実このような気持ちが男(あるいは女)にあった のだろうといったぐあいに.だ。 (文庫) ○! ̄という歌のような男の気持も,もっともだろう_璽 と解されるが,イ也に・, 「という歌に詠んだように,あてに.ならぬという気持があるのだろう」とも 解ける。 (全集) ○というような気持ちも,女に・はきっとあるのだろう。物語作者の推測である。 「あるべし」の主語ほ,男。女の両説がある。男に.とると,前の】 ̄また疑は しかりければ−】と重複してよくない。女とみるぺきであろう。この句は, 王 ̄っれなき人_lが逢おうと言ったのを男が疑ったが,物語作者はその男の疑 いを当然のこ.とという気持ちでのべた句である。 (仝釈) ○最後の評がわかりにくい。男の歌が別にあって,それは「桜花」の歌の気持 をこめたものだろう,というのなら,初段と同じ解説の筆法だが,l ̄桜花」 の歌は男が「桜につけて」女に贈ったもの,と解するはかはない。事柄とし て男が「桜花_】の歌を贈ったと語ることと,そんな歌を贈った男の気持に立

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・一・語の解釈の相違から 25 ち入ることとを,文章の上で切り離す工夫が,いつものようにうまくいか ず,「疑はしかりければ_‡が,歌を贈った行為の描写につづく・一一方で,‡ ̄疑 はしかりけれほ…‥‥といふ心ばへもあるペし_】ともつづくような,文章とな ったのであろう。1 ̄といふ_巨で切って,以下「心ばへもあるぺし▲lを,男の 歌に対する批評と読む読み方もある。 (集成) わずかの・−・語の誤解が 原因で,こんなに・伊勢物語専門の学者が難儀して,しか もついに正解に達し得ず,足らぬところを種々糊塗するさまは実に恐るぺしと いわざるを得ない。以上はすべて,男が「桜花」の歌を桜の枝に付けて女に.贈 ったとする先入観がわざわいしているのであって−,もっと素直に.読めばよいの である。 「桜につけて_】の「つく」は, ◇心に恩ふことを,見る物。聞く物に2吐て言ひ出だせるなり。 (古今。仮名序) ◇春の花のあした,秋の月の夜ごとに,さぷらふ人々を召して,事に2姓つ つ,歌を奉らしめ給ふ。 ◇いさ」かなることに三堕て,世の中をうしと恩ひて (伊勢。第別段) と同じ意の語で,託す,こと寄せるの意。即ち,あんまり調子のよい,うまく いきすぎる女の返事に,いささか疑わしさを感じて,その気持ちを折柄美しく 咲いている桜の花に託し,寄せて詠んだ歌というのであって,表現のどこにも その歌を詠んで桜の枝に付けて女に贈っ たなどと古かれていない。以上のよう に・解すれば1−といふ心ばへもあるぺし。」に.は何の問題もなく,このように.歌に 詠んだ趣意も男の心中には当然ありそうだ,全くの手放しで喜んでいるばかり でもないはずだと,物語作者が説明の文を付け加えているだけのことなのであ る。関係部の口訳をしておく。 美しく咲いていた桜に寄せて, 桜花は,とりわけ今日に限ってこんな紅美しく咲き匂っても,ああ,あ てに.ならないこと,明日の夜のことは! という気づかいも当然ありそうだ。

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竹 岡 正 夫 26 4 月日のゆくをさへなげく むかし,月日のゆくをさへなげくおとこ,三月つごもりかたに・, (倍) おしめども 春のかぎりのけふの日の ゆふぐれに・さへなりにける哉 (第91段) 諸注,傍線部のl ̄さへ_!のところを・一般に次のように解しているが,納得し がたい。 ○月日の行をば欺くぺき事なるを,人生ほ勿々としですごせり,此男は物思ひ 有て,いつか異人に.逢と思ふによりて,月日の行をさへ欺く也。 (三条西実隆『伊勢物語宙解』) ○此董−さへ_】と云ふにふかき心有り。人生は刻々にして月日の過るをおぼえざ るに,もの恩ふゆゑに.,たしか把二.おぼゆるなり。けふもその人にあはず,此 月もまたあほぬなど,月日の過るを云ふなり。その人にいつあはんいつあは んと月日のゆくさへなげきに.なると也。 (開疑抄) ○詞も歌も「さへ_iといふに心をつくぺし。さらぬだに.物おもふ易なれば,月 日の行くをさへなげくといひ,歌にもゆふぐれに.さへとよめり。(勢語臆断) ○大かたの人の過る月日を怨むとは異にて,おもふ人に.えあはでいたづらにこ としの呑もくる1事よとなげく也。故に」 ̄さへ_巨てふ語をおけり。只一言に. て意をふくめたるは−・つの文の休出。 (賀茂寅渕『伊勢物語古志』) O「さへ」に.注意。思う女に逢えぬ嘆き,女のつれなさを嘆く嘆き,その上 紅,むなしくまた月日が流れ,呑も暮れようとしている,そのいたずらに流 れ去り行く月日までも嘆かわしく思われるのだ。 (文庫)

●● ○】 ̄月日のゆくをさへ.敷く_き というのを,他に.深い嘆きがあってそれゆえに・時

間の経つことさえも嘆きの種となる,ということだと解し,そ・の嘆きとは 女のことだとするのが通説のようだが,八十八段の内容の線に沿って作られ た段で,異性のことは背景にないと見るのがすなおであろう。普通の一・日が

経過することさえ嘆きとなる男にとって,今日は.春が去って行く特別の日な

のである。 (集成)

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・⊥語の解釈の相違から 27

助詞「さへ._lをこれらの諸注釈は トつの物の上に,更に他の物の添い加わ

る藩を表わす助詞_!(評釈)と解するものだから,「恋の上で,逢い難い欺き

をしているので,その逢い難くして月日の過ぎてゆくのまでも嘆いて:いる_l

(同)】 ̄思う女に.逢えぬ嘆き,女のつれなさな嘆く嘆き,そ・の上に・_l(文庫)

とか,あるいほ.「普通の一・日が経過することさえ嘆きとなる男紅とって,今日 は春が去って行く特別の日なのである_1(集成)というふうにトーつの物_】を 何とか見出ださなくてこほならぬのである。

しかし=㌢へ_=紅ほ.,拙著『古今和歌集全評釈宕種巣窟』上巻(583ぺ−・汐)

に.明らかにしたように,例えば,

◇ほととぎす鳴く声聞けば別れにし古里旦二ぞ恋しかりける(古今・夏。146)

さへ ◇玉かつま逢ほむと言ふは誰なるか逢へる時左倍面隠しする (万・2916) さへわきも ◇をち方の埴生の小屋にノ」\雨降り嘩基ぬれぬ身に添へ我妹 (同。2688) などのl ̄さへ_璽 と同じく,

○⑤サへ・を含む句が修飾句に.なるときほ,強V、程度をあらわす。l−あしひきの

さへきへ 山左倍ひかり咲く花の_l(万477)l ̄自たへの袖左倍ぬれて朝菜摘みてむ_l

(万9即)「の首裂けて照る日紅も」(万1995)…・㊤指す対象が動作

・状態の及ぶ対象のすぺでであるような場合,副詞的な全鼠あるいは最高程

さへ 虔の恵になる。l ̄人目多みあはなくのみぞ心左倍妹を忘れて吾が恩は.なく

に.」(万770) (時代別) と説かれる意味用法のl ̄さへ」である。拙著で明らかにしたように・,古来解釈 上問題になっている次の古今集の歌も同様の用例である。 ◇かくばかり惜しと恩ふ夜をいたづらに榎て明かすらむ人旦ユぞ菱き (秋上。190) 今ごろ何もせずに寝て明かしているような人は,いつもなら,夜のことで あるから当然のことで何とも思わないのだけれど,こんなすばらしい良夜 は,惜しくて,そんな人までが,どうも気にくわない。 かり ◇白雲に羽うちかほし飛ぶ雁の数さへ見ゆる秋の夜の月 (同。191) 白雲に,翼をこもごもうち振りあいながら飛ぷ雁の,普通の夜ならとても 見えないその数までも見える秋の夜の月。

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竹 岡 正 夫 28 同様に,ここも,月日の毎日過ぎて行くことなど当然の日常茶飯事として十般 紅は誰もそう嘆いたりなんかしていないのに.,そ・んな月日の過ぎて一行・く事まで もひどく嘆く男,という意味なのである。だから,さらに.その年の惜しい春 が過ぎて行くとなれば,いよいよ心を痛めて悲嘆するわけで,それが次の歌に なっているのである。換言すれば,この歌が「春の限りの今日の日_I「夕着艦 さへなりにけるかな_】と,あまりな痛惜のさま紅,物語作者がこのような解説 を加えたもので,歌に対する例の物語作者の解釈を示すものであるといえよ う。『新註』が, ○普通なら月日のすぎることなどは意識しないものだが,思いを寄せる女に逢 え.ないので,空しく過ぎる月日をつよく意識して「さへ(までも)」といった のだと解かれている。 と解するが,「思いを寄せる女に_t云々以下は表現にないことで,解しすぎで ある。なお歌の中の】■夕暮にさへ_lのl ̄さへ・.」は普通に・説かれてし、るl ̄さへ_l で,物語地の文の‡−月日のゆくをさへ_iと照応していて,・そこに・この−一段の面 白昧がある。・一段の訳, 昔,何でもない,月日の過ぎて行く,そんなことまでも嘆く男が,三月の月 末のこ.ろ軋, いくら惜しんでも春の最後の今日の日,その上その最後の日の今日の夕碁 にまでなってしまったことよ。 (1978.1.26)

参照

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