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近 代 イ ギ リ ス ・ ス ポ ー ツ の 発 展 に 関 す る
ピコーーリタニズムの意義について
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Puritanismusとイギリス文化との関連は,イギリス文化論としてはむしろ常識的なものに属するであ ろう.しかしそれはまた常識的であるがゆえに,イギリス文化史研究上さけて通ることのできない問題,つ まり文化様式 dieKulturweiseの検討でなければならないように恩われる. まして Puritanismusの社 会的成長乙そはイギリス文化風土を創り出していく上で,いわば社会の生活様式 dielebensweiseを規定 するものとしての思想を定着させていく土台でもあったという ζとを考えれば, ].Struttが指摘している ように1),文化史的,社会史的 Kulturgeschichtlich幽sozialgeschichtlichK近代イギリス・スポーツを研 究していζうとする場合, Puritanismusをその社会的発展過程において把握することが思想的研究の手が かりにもなるように思われるからである.本論において,近代イギリス・スポーツの発生史的研究において 看過しえない社会的,歴史的条件 diegesellchaftlich-historischen Bedingungとしての Puritanismus の意義について,ある意味においては常識的見解を従来の研究成果に若干の誤解を加えながら思想史的研究 を試みた. 序 論 「人文主義者逮が精神的な側面も身体的な側面も考慮し つつ全面的な教育の必要性をきわめてはっきり力説して いる聞も,事実としては身体文化の衰退がたえず進行し ていた.そして遂に1
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世紀に入ってあらゆる身体訓練を ほぼ完全に消滅させるに至る.J
2). Andrzei Whol が指摘するように,1
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世紀になってそれまでイギリス人 の生活に密着していた民衆的スポーツ Volkstumlich-spielが消滅の一途をたどっていた時,農業革命,産業 革命を契期に成長してくる新興フ)レジュワジーによって 近代スポーツが形成されつつあった.それは社会的には, 農業革命の進行においてヨーマン Yeomanが消滅し, 農村から都市へ産業革命に必要な工業労働力が供給され るという時代的背景があった.おこのように,それは古 代ギリシャ人の身体文化 Korperkulturが高度な精神 文化 geistigekulturによってポリス市民のアレテー <Ar巴t邑〉 として身体訓練が不可欠の要素であったの に対して4),イギリスにおいて統一的体系 einheitlic -hsystemをもたなかった民衆的スポーツ Volkstumli-chspielや,形式化してしまっていた貴族的スポーツ5) Aristokratischspielにかわって,ブJレジュヲ的スポー ツとして特定の階級にだけ通用する,つまり近代的スポ {ツが形成されてくるのである.6)この原因乙そは Tawneyが指摘した「興隆してはいたものの,なお勝 利与を収めるにはいたっていなかった1
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世紀初期のブルジ ュワジーにとっては,この魔法の鏡となった」町, Puritanismusであり, その発展過程において中心的 な担い手であり次第にジエントリー Gentryと時ばれる 地位を獲得していった中産的生産者層の社会的成長であ った.8)この Puritanismusの社会的発展にともなっ て成長してくる中産的生産者層乙そ,まさしく近代的ス ポーツそのものに対して重要な思想的規定性をもつもの であったろうと恩われる.本論においては,1
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世紀のイ ギリスにおける Puritanismusの社会的発展が,近代イ ギリス・スポーツの思想的形成にどのような影響をもつ ものであったのかを,若干の資料をもとに考察を誠みる のであるが,従来,各時代における体育思想史的研究方法 をみてみると,それがその時代のすぐれた体育思想家(あ るいは教育思想家,哲学者の体育論)を強く打ち出すこと によって,その時代の体育的状況を分析してきたように5
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山 田 思われる.しかしながら,このようとr
研究方法がややもす れば落ち入りやすい全体的な体育的条件や,それをとり まく社会的条件の追求不足P つまりB 当時の歴史的現実 と思思家との交渉の欠落という思想史的研究にとって は致命的な問題点が残っていたように思われるのであ る.9)本論においては,このようむ;思想史的研究方法に 努めながら近代社会の発展過程において現われ,そして その社会構造 diesozialestrukturの変イじに対応してい った「ノレネサンス的人間像J,r
宗教的人間像J
10), との係り合いのなかでp 封建的社会feudalistishsoziale のスポーツ与を近代的社会のスポーツに発展させていく過 程において,一種の選択的透過作用11) ともいうべき性 格をもっていたと思われる Puritanismus に焦点をあ てながら本論へのアプローチを思想史的 geistesgesch ichte に誌みるものである.I
中世的eルネサンス的スポーツ 古代ギリシャや近代的身体訓練が体系的性格 Syst巴 matischcharakt巴r をもって展開されたのに対して, Andrzei Wholが指摘しているように,中世的, )レネ サンス的身体訓練は教会や学校においては学問としての 地位すら認められていZ
よかった.そしてそれは単に伝統 と習俗に支えられていただけであり学校への影響とい うものももっていなかった.12) しかしながら,このよ うなことが中世やルネサンス期においてスポーティな活 動が存在してなかったことを意味するものではなかっ た.中世より身体文化 Korperkultur として認められ ていたものに騎士文化 Ritt巴rkulturの支柱ともと王った 騎士訓練があった。しかもここにおいて行なわれた身体 訓練はそれ自体階級的性格をもつものであったし,騎 士文化特有の特権的文化 diePI甘 ilegiumkultur とし ての必要性から生じたものであり,庶民的身体活動VoJk stumlichspiel とは区別されるものであった.13) 乙う したことはキリスト教会の理念がp 身体的活動korper・liche Betatigungをして貴族教育 Adels巴rzi色hungIこ
奉仕するものでないかぎり価値の低いものとみなしてい たことからも当然であった.14)しかしながらsこのよう な中世的封建社会からみられた騎士道の精神 dieRit tergeistもルネサンスのヒューマニズムの影響をうける ようになってくるのであるーそれは社会的条件,つまり イギリスにおいて激しい社会的新陳代謝 sozialserneu -erungの時代を意味するものであった.そこで, Tho-mas Elyot, Ascham Rogerはそれまでの武芸一筋の カックストン的意味における騎士道の精神にもう一つの ルネサンス的『教養
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Bildungをも身につけるよう主張 しP そのようなルネサンス的文化を備えた人間像こそは 時代的環境に妥当性をもつものであるとしたのである. 岳 二b J山、 このように,ルネサンス的身体訓練においても Thomas Elyot, Ascham Rogerは階級的偏見と徳育的把握, そして知的教養とともに貴族的スポーツによろこびを見 いだすよう主張するのである. つまり新しいジエント リー gentryの出現を論じるなかで,それがルネサンス 的感覚でなされなければ伝らないとしたのである.しか もこのようとEことは依然として階級的位格 klassench arakterを堅回するものであって, Thomas Elyotをし てスポーツに関するイギリス的思想の端緒をもたらした が15)他方イギリスのルネサンス的性格が中位的な性格 の範囲を越えるものではなかったことも歴史的事実であ ったろう@そして,このようなジエントリー gentryの 出現は Puritanismusによって展開される社会的生産者 層と対比してイギリスに二面的な教育構造をもたらすよ うな結果になってくるのである.16) さて,中世・ルネ サンス期において史的考察によって明示主れてくる民衆 的スポーツ Velkstumlichespielこそはイギリス的なも のを反映しており,それはまた社会的機能体としての発 展でもあったろう.17) それは,やがて近代的スポーツ に発展してくるようなスポーティな活動が都市や農村を とわず多数の人々によって実施されていたのであり,わ れわれはその史的事実を確認する必要があようにと思う のであるJ
中世全期を通じてムアフィールズは従弟やも っと若い仲間たちの練習場となり,彼らは大人になって もなおp 休日にはここでレスリングや競争や拳闘や弓術 をして過した.若い市民7こちに3若い延匡や騎士見習い つまり「まだ騎士の礼帯を授けられていなしリ少年たち も加わり,みんと工槍と楯の練習や運動競技での優勝 lこ短 命であった.J
18),このように1
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世紀,1
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世紀におけ るテョーサー (G.Chaucer1
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が活躍した時 代におけるロンドンにおいて若者達は活気にみちたスポ ーティな遊びを楽しんで、いたのである.夏季においては 若者たちは, leaping,d旦ncing,shooting, wrestling, casting th己stone,そして practisingtheir shields と,又夏の夕方や公休日には,暇さえあれば弓をひいた り用具の手入れなどにも余念がなかった.また冬季には 骨製のスケートをしっかりと足にしばりつけ9 先i乙は金 具のついた棒で武装し大胆おと不敵さを養うために荒っ ぽい遊びを楽しんでいた.又,キリスト教的祝祭日にも 諸々のスポーティな活動があらゆる階級の人々によって 楽しまれたのであるー 「レントの金曜日には,若者たち のl
団が馬にのってやってきて,最高の馬術者ーが残りの 者を指導する.都市の子弟や他の若者達は刃のない槍と 橘与をもって行進し,それから戦いの技を練習する.J19) <Friday in Lent旦 fresh company ofyoung mencomes into field on horse back, 呂nd th巴 b巴st
イギリス近代スポーツの発展に関するピューリタニズムの意義について
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forth the citizen's son,
and other young m巴n,
with disarmed lances and shields, andthere they practlc己fea"tsof war>,又「イースターの祝日には9 若者達は流れの真司ニq乙固定させたポ~)レ l乙 l 本の楯をか け9 ボートにのって的槍突きの戦争を行なう.ボートは 水の激しい流れによって流れるようにオールのないもの が用意される.そしてその前部には若者が立ち,自分の槍 で楯を突けるように身構えている. もし自分の槍がその 楯をくだき9 しかも自分も
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くに落らなかったならばりゥ ぱな行い佐なしたとみなされるが,もし槍でくだくこと ができないで楯に対して突進すると,ホートが流れのた めにはげしいはずみをつけられるために水に落ちてしま う.しかし楯の両側には若者達を大勢のせた2
隻のボー トが用意されていて落ちるとすぐに救われる白橋の上や 両岸の船着き場や家からはたくさんの人がそれをみてい て笑い楽しむのである.J20), <In Easter holidays they fight battles on th water; a shield is hung upon a pole,
fixed inthe midst of the stream,
a boat is prepared without oars
,
to be carried by violence of the water,
and in the fore part there of邑tandetha young man,
ready to give charge upon the shield with his lance, if so be h巴 bre乱kethhis lance against the shield,
anddoth not fall
,
he is tho-ught to have performed a worthy deed,
if so b巴 without breaking hislance
,
he runneth stronglyagainst the shield down he falleth into the water for the boat is viol己ntly forc巴d with the tide;but on each side of the shield side two boats,
furnished with young men,
which recover himthat falleth as soon so they may, Upon the bridge, wharfs, and house,
by the river's side,
stand great numbers to see, and laught thereat>又IShrove Tuesdayは子供のスポーツで始まり,子供たちゃ生徒 たちは彼らの先生のところにゲーム用の雄鶏を持って来 て,午前中彼らは闘鶏を楽しみ,昼食後はボールゲーム をするために野原にいく.あらゆる学校の生徒達はボー jレやバトンを手にしている.そして9都市の古老達や富 裕者達は若者のスポ{ツを見l乙馬に乗って野原 i乙行き, 彼らの軽快さをみて楽しむのである.J
21) <AtShrove Tu田day
,
that we may begin with chil -dren's sports, seeing we all have been children,th巴school司boys do bring cocks of th巴 gameto
their 1τlaster, and all the afternoon they delight themselves in cock-fighting; after dinner
,
all the YOiJths go into the fields to play at the ball唱“The schol品rsof every school have their ball,
or baston, in their hand: th巴 ancientand w巴athly
men of the city come forth on horse back to see the sport of the young men
,
and totake port of the pleasur巴in beholding their agility>, このようにキリスト教の祝祭日と結びついたスポーティな活動 は中世的共同体社会生活の中で行なわれ,また組織的な ギルド訓練の下での組合員の闘でも行なわれた.22) ま た,このようなスポーティ伝活動がしばしば危険なもの を伴なうことがゐりB 教会と政治力によってそのような スポーティな活動に対しては「禁止令』がだされるほど であった 23)さて,ジョン@ストー(John Stow,
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やジョン。イヴェリン (JohnEvelyn,1
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の時代においても市長や教区の司教達によって民 衆的スポーツ Volkstumlichspielに対する『禁止令」 が出されたが,それは単にスポーティな活動そのものの 性格によるだけのものでなく,社会的階級的色彩をおび たものとして公布されてくるのである。エドワード一位 は,r
武装条令』によって,イギリスにおける土地所有 者のすべてに長弓の使用を強制するとともに,テニスや 球転しゃ九柱戯等のスポーティな活動を不法とする一 方,土地からの収入が4
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シリング以上ゐる者はすべて自 分の弓と矢とをもたなければならなないとしたのであっ た.24) このようなことは D.Brailsford25)やR. Malcalrnson26) も指摘しているように。そこには社会 的共同体 Sozialgerneinschaft としてのL民衆自身の文化 (The cornrnon people's own cultur of social inter d巴pendence) としてのスポーティな活動の秩序 というものが崩壊し始めると同時に,階級的色彩 die klassenfarbe の強いフソレジュアジー依存のスポーティ な活動が出現してくるのである.それはまさにhunting, hawking, houndingとし、った野外で実施されていたス ポーティな活動が農業革命 (Enclosur巴, Inclosur巴) としづ社会的変動の下で崩壊,消滅していったp つまり 民衆的スポーツ VOlksturnlichspiel の成立基盤の喪失 と成立条件の喪失に諸々の「禁止令」は拍車をかけるも のであったろうと思われる.中世における村落一一ーそれ は相互扶助の結合体であり,
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奉仕と保護とに結ばれた 団体であり「小さな共和国JJ
であった2マ), そのよう なものがエンクロイジャー等の社会的条件の下でフルジ ュワ化してくる中産的生産者層によって犠牲になってい ったのであろうことは容易に祭せられよう.さて,イギ リスにおいては狩猟法なるものも中1
止の領主たらと農民 7こちとの聞に最も尖鋭なスポーティな活動に対する階級 的対立 klasseng巴gensatzとなった。 I農業フ。ロレタリ アートlと対するとく lこいちじるしい残虐行為は狩猟法で あった.この法律は,イギリスでは,他国にその例をみ ないほど厳格で、ある.ところがそれと同時に,猟獣の方は6
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111 回 u'らやくらやにたくさんいるのである.古い風習と慣例 にしたがって,係州とは,勇気と度胸のまったく自然で, 高尚なあらわれだとしか考えほいイギリスの農民は, I~:I 分自身の貧凶と,何千もの兎や猟貼を自分の倒人的娯楽 のために保護している貴族の『それが余のきばらしであ るから (car tel己批 notreplaisir)J
といった週i
由と を比較することによって,ますます密猟に駆りたてられ るのである。J
28υ このような状測にあって農民は狩 猟のためには領主を宿泊させる義務を負(, " 耕地F 家溢 等を荒されることを黙認しなければならなかったのであ る.さらに,狩猟の対象物となる野獣を殺した時は厳罰j をもって回11いられたのであるa さて, )レネサンス却にお いて,そこにはまだ近代的スポーツの形成をみるにはい たらなかったが, 社会的変動の中で民衆的スポ{ツ Volkstu-mlichspielは,貴族的フJレジュヲジーによっ て自分遠の生活や教育の一部として9 役立てるものにし ていったのでゐる.このような時代的背景として16世組 イギリスは, )レネサンス文化を受容しp これと融合し原 理的にはカトリック lこ接近し,生成しつつある絶対主義 と抱き合う型で,この絶対主主誌の理論的構築を助長する かたちをとったのでゐる,そしてルネサンス文化はカト リックと結合し,反宗教的文イじとしてイギリス社会を文 えていくのでゐる.こうしてスポーティな活動において も,封建的・貴族的スポーツと民衆的スポーツ Volk-stumlich-spielとに分離状態が芽ばえ始めるのである. このようなスポーティな活動の性格的分離状態こそは9 やがて産業革命期において形成されてくる近代スポーツ における思想的二重構造ともいうべきイギリス特有の性 格の思想的準備段階でこそあったろうと忠われるのであ る. II P"utanisrnusの性格とスポーツ 中世的な社会体制が崩壊するにともなって中世の代表 的階級であった騎士階級に代って中産的生産者階級が次 第にf
台頭してくる.イギリスにおいて,スポ{ティな活動 が近代的スポーツと呼ばれるようにその形をあらわして くるまでには,それが封建的特色feudaleig巴nheitをお びながらも各層に広く実施されていたのであるが,しか しながら,中世後期からの社会的変動は29) それまで実 施されていたスポーティな活動をも変化させるものであ った.このように,イギリスにおいて封建的スポーツを 近代的スポーツへと転化発展させていった社会的条件 sozialb巴dingung というものがようやく拾頭してくる のである.しかもその最大の原因乙そは中世後期より社 会的成長をとげてきた中産的生産者層であった.このよ うな中産的生産者層の社会的発展は,イギリスにおいて 封建的スポーツを近代的スポーツへと発展させていった 岳 志 社会的条件 sozialbedingl1ng としての思想的役割を意 味するものであったと思われる園では封建的社会から近 代的社会への転化発展というp その思想的社会的条件と は何であったろうか.i
この中世から近代への転換の聞 において,歴史の歯車を決定的に回転させたのはピュー リタニズムである,J
30) というように,それは中産的 生産者層にとっては社会学的指導者ともいうべき Pllri -tanismllsであって,その規律ともいうべき『禁欲的プ ロテスタンテイズム」の精神的支柱こそは,近代イむを推 進していくための源動力でこそあったろうと思われる, イギリスにおいて, Puritanisml1sの社会的発展転化こ そは,中世後期より社会的成長をとげてきた中産的生産 者層そのものの社会的成長を意味するものであったろう と忠われるaそれはまたgスポーティ伝活動に関して言え ば,近代的スポーツの思想的発展過程をも意味するもの であろうと忠われる.しからば,このような近代的スポツ ーの思想的形成の源動力となり,又中産的生産者層の社 会的成長の原理であったろうと言われる Puritanismus の性格とはどのようtJ:ものであゥたろうか.このことに ついて,われわれはイギリスの Pl1ritanismlls がきわ めてブルジュワ的性格を強くしていたものでゐったとい うことを数々の Puritan 革命研究史から学び知ること ができる固 31.)そしてそこから教えられることはPllritan 革命がフルジュワ的革命であったがゆえに,チャーJレズ 二世の王政復古を許し,名誉革命を必要としたことであ り,文七史的には近代七ぞ思想史的側面から準備ならし めた啓蒙時代を押し進めたということであろう.さて, このようにイギリスの Puritan 革命をブルジュワ的革 命であったと規定していく時,革命の担い手となった社 会的階級というものが,封建体制の解体のなかで社会的 に成長しつつあった市民的中産者層であり,後には産業 資本家に発展する社会層であったことを知るのである. このことは Pllritan 革命がブルジュワ的革命であった ことを物語るものであり,この革命の担い手となった社 会届のスポーツに関する思想的な態度は,近代的スポー ツの思想形成に規定性をもつようになるのである. 又 Pllritanismusの『禁欲J
Askeseというものが「日常生 活からの逃避ではなしむしろ日常の職業労働のただな かにおいて,人間的弱さのあらわれであるもろもろの衝 動,欲求,雑念~断ら切っておのれの仕事 iζ専念し, ζ れを通じておのれの境遇を変えるとともに,ひいては世 界を革新するためにする自己抑制と自己没却J
32), と いうものこそ,近代資本主義の精神的支柱である合理的 禁欲的な職業専念のエトス33)であり, ζのようなもの こそ中産的生産者層の生活態度そのものであったし, ζ のような Pllritanismusの「禁欲J
Askeseであれば こそ「大衆のあらゆる経済的,市民的要求J
3'!) に結合イギリス近代スポーツの発展に関するピューリタニス、ムの意義について
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していったのであり,し、いかえれば,当時の社会的,歴 史 的 条 件 訴selschaftiich-histlorischenBedingung のなかで中産的生産者層が次第に形成しつつあった人間 像に『プロテスタンテイズム」が宗教的にその人間像の 形成過程に方向を与え,かっその過程を助長したと思わ れるのである.35)さて3 このように Puritanismusの 社会的成長は新興フソレジュワジーの社会的成長を意味す るものであったろうと思われる@このことは近代的スポ ーツの形成にあたってもその思想的風土に重要な規定性 をもってあらわれてくるのである.それはJレネサンスの ユマニストが主張していたノ¥間像というものが,このとと 成しつつあった新興フルジュワジーが目指す,貴族的生 活の模倣という生活態度の目標となり,それが絶対主義 の下で発展していくのである. もはやそこにおいてはイ ギリスの近代的スポー、ノの形成においてsきわめてフソレ ジュワ的思想の京地を用意していたものと思われるので ある.このように, Puritanismusの性格というものが ブルジュワ的要素を持ち合わせtctがらもそれが宗教的要 素と結合しながらp つまりきわめて経済的実践と宗教的 革命とによって,フノレジュワジー的性格をその社会的好 条件のもとで発展展開していくのであるー III P阻ritanismusの規定とスポーツ IPuritan ;;::,人間生活からあらゆるスポーツやゲー ムを忘れさせるために,彼らの布教を考えた。J
36) , 「疑いなく身体的娯楽に対する Puritanの態度は通常 敵意のあるものだった.J
町),I
一!投大衆はこれらの 血なまぐさい娯楽に賛成し続けたとしても清教徒たちは 決して是認し伝かった.J
38), このように Puritani smusの『禁欲J
Askeseという社会的規定によるスポ ーティな活動への厳格な態度については数々の史料が明 示してくれるのである.それはイギリスにおいて,民衆 がもっていた伝統的スポーツ traditionellspielのほん のわずか伝機会をも奪ってしまったのでありp このよう なPuritanismusの態度はイギリスの風習に決定的な痕 跡を残したのであるーでは,Puritanismusの規定はスポ ーティな活動に対して,どのようぽ規定であったのだろ うか.I
文化と信仰における感覚的。感情的危要素への ピューリタニズムの絶対否定的な立場一ーさらに彼らの あらゆる感覚的文化への原則的な嫌悪J
39), このよう なPuritanismusの感覚的文七sinnlichkulturに対す る否定的,嫌悪的な態度こそは,かれらにとって伝統的 な中世の堕落した被造物であるとされ,それらのものを 合理イむし倫理化していく過程であっさりと消滅させてい ったのである,このようにして Puritani呂musの「禁 欲J
Askeseの規律は Iたとえ,乙の時代の特別なお 祭りに対してその初まって以来ずっと愛着をもらつづけ ていた人気のあるゲームJ
'10)どとも消i
戒させ3 宗教的祝 祭日や,又安怠日 iこ民衆の間で実施されていたスポーテ ィ伝活動iこ対しでも倫理的規定を加えていったのであ る.41)このように, Puritanismusの規定というもの が生産的労働というものごとく社会的徳>と同様にく神 望〉なものとみなした時,感覚的,感情的なものに訴える スポーティな活動は浪貨とみなされたのである.しかし ながら, Puritanismusの生活的態度が「学間以外の文 学,さらに感覚芸術の領域にふくまれるものに対しての 愉しい!日いイギリスの生活,五月i
まやキリスト教的クリ スマス奈さえも迫害J
42)するようになった時,Tawney が指摘するように,社会主主活と宗教的生活を関連させた Puritanのイテオロギーは主権と衝突するようになっ てくるのである.43)乙の Puritanismusと主権との衝 突を物語る代表的なものこそくBookof Sports)>をめ ぐる斗a争ムであったろう。 44) そこにはフルジュワジーの 精神的エネルキーそ理想家したPuritanismusの職業観 と禁欲的生活態度に対して「王制的図封建的社会におい て拾頭してくる市民的道徳と反権威的,禁欲的な私的集 合に対抗して『享楽意欲のある者」ごと保護するJ
45)い うなれば,国民的娯楽が法律上守られるべきであるとす る国王が合法的なスポーティな活動という,合法性iこ対 する攻撃に対して厳罰をもって主張したのに対して,安 息日導守主義(sabbatarianism)とか,r
位俗内的禁欲」 としサ規律の生活が乱されると主張する Puritanismus との斗争であったが,なによりもそれは国王にとって反 権威主義と,カJレヴィン的生活規律46) に反対するブル ジュワジーの拾頭に危慎を抱いてのきわめて政策的なも のであったろうと思わたる園 Weber によって, I道 徳 的にきわめて厳格な禁欲主義的色彩を有する人々J
47) ラ ポ ラ ー レ ー エ ス ! と規定された Puritant
こちにとっては,r
働くことは オ 「 ラ レ 祈ることJ
48)であり, 娯楽をさげすみ,労働において は時間正しく,祈りを怠らない,このような Puritani-smus乙そはまさしく中産的生産者層の指導者であった このような purit旦nismusの倫理的規定はスポーテ ィな活動を社会的生活行動の枠外に押しやり,とくに伝 統的,民衆的スポーツ traditionell -VoI-kstumliches-ielpによる時間の浪費は罪悪なものとされたのであるa スポーーツ 「遊戯はただ合理的な目的,つまり肉体の活動力に必要 な休養のために役立つものでなければならなかった.J
49) し,又認められたものといえば「衛生上の理由から 許されるものと〈そのはんい内でのスポーツやその他の レクリェーション)>Jであった .50) このように Puritanismus によるスポーティな活動に対する有用性 とは,経済的有用性にのみその利用価値を認めたのであ り,I
健康は9 まじめに労働し,そして公私的なできご とのためのまじめな娯楽としてしか存在」しなかったの6
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111 133 である. それ以外のことは Puritanにとって,I
衝動 のままにこだわりなく生活を楽しひための手段として ス ポ ー ツ の遊戯や単なる享楽の手段とされたり,いやしくも競技 上の名誉心とか,競争に対する粗野な本能や非合理的な 欲望をおこさせる場合には3 もちろん端的に排斥会せる スボー y べきであり,それは貨族的な遊戯であれ,職業労働や信 仰を忘れさせるような衝動的な快楽は9 そのまま合理な 禁欲」の敵であったのである.51)このように, Purita-nismus にとっては疑いぼくスポーティな活動 lζ対する 態度がp その本能的字楽の問題としてとらえられたので あり, ,怠識的p 明徹な生活態度を課題とする Puritani -smusの合理的人格形成とは対立するものであった.こ のように (Puritanismusによる世俗内的禁欲〉とい う規定によって伝統的スポーツ traditionellspiel は非 合法なものとみなされ,民衆閣の娯楽としては「友人の 訪問,歴史書の継読,数学的および物理学的実験J
5む などであり, Puritanismusの規定による民衆的スポー ツ Volkstumlichspielの攻撃は,イギリスの民衆から 「楽しい日曜日」を奪ってしまったのである. lV Puritanillmusの変化とスポーツ あらゆるスポーティな活動に対する Puritanismusの 干渉が長い間有効かっ厳格なものであったことはp かれ らの社会的行為に関する独自な規律からくるものであっ た.53)このように, Puritanismus のスポーティ仕活 動への攻撃の理由には宗教的条件からくるものもあった が,もう一つは社会的成長をしてくるブルジュヲジーの 利害関係から生まれたものでもあった.このようにPuri-tanismusの宗教的条件と社会的条件のもとにスポーテ ィ伝活動が攻撃されたのであるがp さらにもう一つには 階級的意識からくるものがあった同それは職業的倫理規 律で生活態度を遵守していく Puritanの 人 々 に と っ て 余限を楽しむ貴族的上層階級に対する不満の形となって あらわれたのである.54) さて。I
清教主義の理論は, 以前は規律であった.ところがその実際的な結果は自由 となったのである.J
55), このように1
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世紀から1
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世 紀にかけてのイギリスにおいて, Puritan革命は宗教的 革命というより,中世末期より進出してきた中産的生産 者層と貴族階級との勢力争いであり,そこで展開された のは,階級聞における社会的,経済的斗争であった.革 命史の教えるところによれば, このようなl-'uritan革 命の性格は宗教的斗争というより,ひしろ社会的階級斗 争の要素が強かったのである。そして結果的には,進歩 的中産者層と下層階層にかわって守保的中産者層と貴族 層との妥協・融合が王政復古を実現するのである.56) 乙ζにおいて,イギリスの Puritanismusの 展 開 は フ ルジュワ的革命としての色彩を強くしたのである。しか 岳 亡と f山、 も,イギリスにおいてカjレヴ、ィニスlムの担い手でもあっ た中底的生産者層にあって,そのPuritanismusの社会 的成長はp その人間像をも次第に変化させてくるのであ るが,それは, Weberが指摘する「禁欲的合理的」な 人間像とは異なゥた新しい人間像ともいうべきものを生 みだしてくるのである園 「強力な宗教運動の経済的発展 に対する意義は,何よりもまず,その禁欲的な教育作用 にあったが,一一一それが経済上の影響力を全面的にあら わす lこいたったのは,普通には純粋に宗教的な熱狂がす でに頂上をとおりすぎp神の国を求める激情がしだいに 冷静な職業道徳 Iこまで解体しはじめ,宗教的根基が除 々に生命を失って功利主義がこれに代わるようになっ た.J
57)このように, Puritanismus の展開において みられた中産的生産者層の人間像は,その初期において 敬度なる信仰という規律によってささえられていたので あるが,しかしながら中産的生産者層の社会的成長は, その人間像をも現世的,合理的,功利的な側面をあらわ してくるのである。そしてそこにおいては, Tawneyが 指摘するように「英国のような社会的,政治的な条件の ドにあっては,清教主義が形をかえていくのも止むをえ ないことであった.J
58) し, もはやイギリスにおいて 「貴族的で,ますます商業的になっていこうとしていた 英国民の地主やブルジュワジーが,カJレヴィン主義的な 規律のなかに含まれるネ士会理論J
59) を維持していこう とするような社会的条件 sozialbedingugn は消滅して いこうとしていたのである@さて,このような Purita-nismus の社会的成長のもとでスポ{ティな活動はどの ような状況におかれていたのであろうか.I
安息日厳守 も時にはぽかぽかしいほどの長さに達し3 クロムウエル の厳格な支配のもとで,大勢のロンドンっ児たちは言う ことをきかなくなっていた.J
60) というように庶民の 閣にも王政復古吾望むようとE社会的動きがただよいはじ めた時,あの中産的生産者層はきわめて貴族的フソレジュ ワ的傾向を強めていき貴族社会との交流の中でジェント ルマン的スポーツをもつようにJよっていったのである. しかしながら, Puritanismusの社会的成長はそこに近 代的市民像を求めるようになっていくのであるが,この ようなことは中産的生産者層の内部にあって資本の形成 と近代労働力の教育とが問題になってくるのである.そ して,このような中産的生産者屑の内部における二つの 結果こそは,近代イギリススポーツの形成において思想 的にもイギリスの近代スポーツに思想的二重構造という ものを投影していくのである. 暫 定 的 結 語 イギリスの近代スポーツの思想史的研究の方法とし て,その創出期K視点をしぼりつつ, Puritanismusのイギリス近代スポーツの発震に関するピューリタニズムの意義について 63 の思想的展開との係り合いで,近代イギリスースポJーツの j忍先日的二重構造というものが, Puritan革命の挽進的役 割を果した中産的生産者によって準備されてきたもので あることをみてきた.このように近代において,かれら の思想が展開されるとき,イギリスにヨーロッパ的身体 訓練の学校教育への導入という思組が生みだされてくる のである圃さて, Puritanismusが市民的思想としてと らえられるならば,乙のPuitan革命の成果からみはな された民衆グソレーブのことも合わせて考えてし、かなけれ ばならないように思われる.これらのクソレープの諸思想 こそは,後になって反資本主義的近代思想の原裂を示す ものであり,これらの運動はチャーチズム運動へと継承 され,ジョンベラーズをえてp ロパート・オーエンへと 連続するのである. このように Puritanismusの社会的成長は必然的に 内部に二つの課題を生じてくるのである.近代イギリス ・スポーツにおいて, この二つの課題こそは,一つには ルネサンスのユマニスト的身体観を発展成長させながら フwルジュワ的スポーツを形成させ,他方においては労働 者の資質の問題としてヨーロッパ的体操を適用していく のであり,く階級があって安定がある〉といったイギリ ス人の公理は近代化がかかえた二つの課題をスポーツの 商においても近代スポーツの二重構造をっくり出すこと によって思想史的に解決していったと思われるる. 参考・引用文献
1),JStrutt : Sports and Pastimes of People of England
,
London,
1833.Introduction
,
b<
S
:
In order to from a past estimation of the Character of any partic -ular p巴ople,
it is absolutoly,
neccessary toinvestigate the Sport弔 and Pastimes most
generally pre¥叫lentamong them)
2) Andrz巴iWhol : Die gesellschaftlich-historisc
hen Grundlagen des burgerlich巴n
Sports
,
pohl Rugenstein Verlag,
K凸ln1973. P24 上野卓郎「ヴオールの近代スポーツ史 論」大修館,体育の科学, 1978.l
月号 P64 3) Beresford,
M: Th巴lostvillage of England,
London, 1954. P270, 林 達 「 イ ギリス革命の構造」学文社, P87 4)太田秀通「スパルタとアテネ」岩波書庖, P22~235
)たとえば中世において王侯・貴族によって行なわれ ていたものに tournaments,justがあったが騎 士制度の衰退とともに形式化してしま「た圃6
)こ乙においてフルジュワ的スポーツというのは,産 業革命期を終えて現らわれてくるフルジュワジーの 自由・平等思想から生まれたスポーツの荏在をい う.例えば18世紀 i乙入ると貴族とフツレジュワジーは それまで以上にスポーツができる社会的条件をつく り出した.そこにおいて狩と騎馬はかれらを代表す るスポーツとなる.7
)トー二一著,出口,越智訳「宗教と資本主義の興 経」下巻, 岩波書広,P
1
1
3
8
)大塚久雄「社会科学における人間」岩波書応, P 131,域塚登「近代社会思想史」 東京大学出版会, P63,宗教改革運動をにない推進 していったのは,当時封建制の解体のなかで次第に 成長しつつあった中産的生産者層(中小商品生産者 としての農民層と職入居〉であったが,後 l乙産業資 本家にまで発展するこの社会層の要求に応えるもの があったがゆえにs宗教改革は生産的な現世肯定の 構造をもら,また広汎な勤労民衆の心情と生活を深 かくとらえ,結果的には社会学的に驚異的な生産性 を発揮したのである.9)例えば, Elyot, T IThe Book N amed The Governorj 153,1 John Milton I Areopagitica and of Educationj
,
John Locke ISome Tho ughts concerning Educationj, これらの教育 思想にみられる体育論は9 イ ギ リ ス の ル ネ サ ン ス 期,宗教改革期,啓蒙期における体育思想の代表 的なものと考えられるが,しかし,これら三者の体 育思想の並列的研究方法によってではなく,これら 三者の思想を社会的条件を背景としながら立体的構 造的な研究方法がとられなければ,近代イギリスの 体育思想を解明することは困難なように思われる@Elyot, Milton, Lock巴の体育思想の比較研究につ いては,その草稿は大部分手許に整えであるが, 別稿で記すつもりである. 10)城塚登「近代社会思想史」東京大学出版会 P8 11)ここにおいての「選択的透過作用」というのは, Puritanismus における『禁欲』の解釈の仕方につ いての表現方法であり,いうなれば「禁欲の変化」 がどのような歴史的経過をたどって近代体育問スポ ーツというものを創出するに至ったのか,一一例え ば〈域丸章夫,
I
現代教育学14,身体と教育」岩波 書活, P2)'が指摘しているように, Puritanismus の「禁欲』とは何を禁じ,何を承認するのかという 内容のテーゼであり,ルネサンス期の快楽主義も, Puritanismusの「禁欲」主義も貴族的スポーッ, 又は民族的スポーツに対する批判でこそあったろう と思われる.64 山 田
12) Andrzei Whol : Die gesellschaft1ich-historisc -hen Grundlagen des burgerlichen Sports
,
Pohl Rugenstein Verlag,
K凸ln1973. P9 上野卓朗「ヴオールの近代スポーツ史 論」大修館,体育科教育 1978.1月号 P24 13)浅田隆夫「身体運動文化としてのスポーッJ
(1) 日本体育社,学校体育, 1977. 4月号 P137 14) ヨハン・ホイジンガ,高橋訳「ホモ・Jレーデンス」 中央公論社, P 326 15) Dennis Brailsford : Sports and Society Eliza -beth to Anne Routledge &Kegan Paul
,
London,
1969. P17 16)越智武臣「ジェントルマン・イデアールの形成」立 命館文学.1962. 7月号 P37. 本論によれば,ヒューマニズムと Puritanismus乙 そは,イギリスにおいて教育のニつの型の差異であ り,同時に社会的階級の差異であり,総じて二つの 文化のパターンの差異として定着した思想となっ たといわれる. 17)加藤元和「近代体育の歴史とその思想」タイムス ネ土.P58 18) ミッチェJレ,松村訳「ロンドン庶民生活史」みすず 書房, 1971
.
P 27~2819) John Stow : The survey of London
,
Everym-20) ibid P8521)ibid P84
an's Libery
,
London,
1970. P8522) Van Dalen : A worJd history of physical Education
,
prentice-Hall 1971
.
P 117 23) R. Malcolmson Popular Recreation inEnglish Society
,
1700-1850. Cambr-idge University Press. 1973. P 5 24) アンドレ・モロア,水野・4
、林訳「英国史」上巻,新潮文庫, 1965. P 218 25) R. Malcolmson : Popular Recreation in
English Society 1700ー1850
,
Cambridge University Press1973. P57
26) D. Brailsford : Sport and Society
,
Elizabeth to Anne,
Routledge & Kegan Paul1969. P31 27) トーニ「出口・越智訳「宗教と資本主義の興隆
J
下巻岩波書広, P26 28)1
マルクス=エンゲルス全集J(2)大月書庖, P499 岳 志 29) クリストファ・ヒル,浜林訳「宗教改革から産業革 命へ」未来社, P20 30)大木英夫「ピューリタンJ,中公新書, P21-223D
白杉庄一郎「ピューリタン革命と産業ブルジュワジ 一」彦根論叢14号, 1953 飯沼二郎:イギリス近代史におけるフソレジュワ革命 の位置P258, 桑原武夫編「フルジ ユワ革命の比較的研究」筑摩書房 32)世界の名著,1
ウエーパー」中央公論社, P84 33) ibid P85 34) トレルチ,内田訳1
)
レネサンスと宗教改革」岩波書 庖, P39 35)城塚登「近代社会思想史」東京大学出版会, P64 36) Dennis Brailsford : Sport and Society,
37) ibid P 127 Elizabeth to Anne
,
Routledge & Kegan Poul,
1969. P 141 38) ミッチェJレ,松村訳「ロンドン庶民生活史」みすず 書房, P91 39)世界の名著,1
ウエーパー」中央公論社, P 176 40) Dennis Brailsford : Sport and Society,
Elizabeth to Anne
,
Routledge & Kegan Paul,
1969. P 50 41)Puritanismus において倫理的規定を加えられた Sportは民衆的なものだけでなく,ブルジュヲ的ス ポーツに対しでも適用されたが,しかしそれは民衆 的スポーツほど徹底したものではなかった. 42)世界の名著「ウエーパー」中央公論社, P268 43) トーニー,出口・越智訳「宗教と資本主義の興隆」 岩波書庖,下巻.P 15044) Gardiner : The Constitutional Documents of the Puritan R巴volution1625-1660
,
Oxford,
P99-103 45)世界の名著「ウエーパー J,中央公論社, P266 46) ibid P 267 47)水田洋「イギリス革命ー思想史研究一J
,御茶の水 書房, P29 48) トーニー出口,越智訳「宗教と資本主義の興隆J
, 下巻,岩波書庖, P 158 49)世界の名著「ウエーパー J,中央公論社, P267 50) ibid P 203 51)ibid P 267 52) ibid P 273 53) トーニー,出口,越智訳「宗教と資本主義の興隆」 岩波書庖,下巻,p144 54) ibid P 150イギリス近代スポーツの発展に関するピューリタニス、ムの意義について
6
5
5
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)
ibid P1
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)
小林政吉「宗教改革の教育史的意義」創文社,P
1
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7
)
世界の名著「ウエーパーJ
,中央公論社,P283
5
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)
トーニー,出口,越智訳「宗教と資本主義の興隆」 岩波書居3 下巻, P1
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)
ibid P1
4
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ミッチェ)1/,松村訳「ロンドン庶民生活史」みすず 書房,1
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