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⑩高木研 303~319○/高木先生

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研究ノート

ヴェールト「遍歴職人の歌」考

% 木 文 夫

友人ピュットマン Herman Püttmann(1811−1894)が編集した詩文 集『ア ル バ ム Album !

』(1846年)に「ランカシアの歌 Lieder aus Lancashire"」とともに掲載されたヴェ

ールト Georg Weerth (1822−1856)の「遍歴職人の歌 Handwerksburschen-Lieder」は 彼の選集や作品集には必ずと言って良いほど掲載されるが,作品の詳細について言及

されたり,検討されたりすることはあまり多くない#。加えて編者ピュットマンさえ

「『遍歴職人の歌』についてはたいしたことではない$」とヴェールト本人に述べている。

これはわずか5編しか含んでいないうえに,内容に統一性や広がりが感じられないと とられたためだろうか。あるいは「ランカシアの歌」詩群ほどの社会性がないために

(1) 以降「遍歴職人の歌」については Album. Originalpoesien von Georg Weerth ... Ferdinand Freiligrath ... Heinrich Heine ... und dem Herausgeber H. Püttmann. Borna.1847. S.5−14を参 照し,併せて下記注3の各文献に掲載されているもの及びカイザー版5巻本全集(Georg Weerth. Sämtliche Werke. Hrsg. v. Bruno Kaiser. Aufbau Verlag. Berlin.1956/57)を参照し た。他のヴェールトの作品についても同様である。

(2)「ランカシアの歌」については拙稿「ヴェールト『ランカシアの歌』考」(日本独文学 会西日本支部編『西日本ドイツ文学』第4号87∼98ページ,1992年)および拙稿 Zu den Liedern aus Lancashire. in : Vogt, Michael(Hrsg.): Georg Weerth(1822−1856). Referate des I. Internationalen Georg-Weerth-Colloquiums.1992. Aisthesis Verlag. Bielefeld1993. S. 73−84を参照。そこで詳述したように「ランカシアの歌」詩群と関連の詩編は『アルバ ム』よりも先にヘス Moses Heß(1812−1875)編集の雑誌『ゲゼルシャフツシュピーゲル Gesellschaftsspiegel』第2冊 Heft2(1846)にも掲載されている。また,『アルバム』刊 行後にヴェールト自身が出版のために整理した詩集草稿(1846年)にも同じ詩編や関連 する詩編が記載されている。Vgl. Georg Weerth. Gedichte. Hrsg. v. Winfried Hartkopf unter Mitarbeit von Bernd Füllner, Ulrich Bossier. Reclam. Stuttgart.1976.(RUB 9807)S.37−40. なお上記拙稿では Handwerksburschen-Lieder を「職人の歌」としているが,現在の見 解に従い,今後は標題のように「遍歴職人の歌」と改訳する。

香 川 大 学 経 済 論 叢 第82巻 第4号 2010年3月 303−319

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問題として感じられなかったのであろうか。本稿では,注目されることがない,この 詩群について紹介し,敢えて検討を加え,作品としての意義について考えてみる。何 故なら各詩編は,伝統的な職人の一面を詩人特有の視点から捉えていて,それなりの 興味深さもあるからだ。 まず表題の Handwerksbursche という言葉であるが,これは Handwerksgeselle と同義 で,「見習い期間を終え,試験に合格した職人」のことを言っている"。即ち,中世以 来ヨーロッパで特にドイツにおいて顕著に見られた「遍歴職人」のことである。彼ら は大学生と同じように遍歴の旅に出て,自分自身の技術の向上を目指して,修業し た。遍歴職人は,民衆にとっては馴染み深い存在で,民話や民謡などで多く主題に なっている。例えば,民話の場合は,グリム兄弟 Jakob Grimm(1785−1863), Wilhelm

(3) Vgl. Georg Weerth. Ausgwählte Werke. Hrsg. v. Bruno Kaiser. S.30−35. Verlag Volk und Welt. Berlin.1948., Weerths Werke in zwei Bänden. Ausgewählt u. eingelteitet v. Bruno Kaiser. Bd.1. S.64−69. Aufbau Verlag. Berlin u. Weimar.4. Aufl.1976., Georg Weerth. Ausgwählte Werke. Hrsg. v. Bruno Kaiser. S.53−57. Insel Velrag. Frankfurt am Main.1966. 以上の,現在まで唯一完結している5巻本ヴェールト全集を編集したカイザーが全集刊 行前後に関わったヴェールトの作品集はいずれもこの「遍歴職人の歌」の全5編が収録 されている。これに対し,2巻本選集 Georg Weerth. Vergessene Texte. Hrsg. v. Jügen-W. Goette, Jost Hermand u. Rolf Schloesser. Bd.1. S.175−178. C. W. Leske. Köln.1975. には5 編のうち 4.「三人のすてきな遍歴職人」は収められていない。

研究論文に取り上げられたものとしては Vaßen, Florian : Georg Weerth. Ein politischer Dichter des Vormärz und der Revolution von1848/49. J. B. Metzlersche Verlagsbuchhandlung Stuttgart.1971. S.57−61の記載が目につく程度である。しかし,この他,この中の一編「桜 桃の花咲くころ」がヴェールトの友人エンゲルス Friedrich Engels(1820−1895)の回想 文(注9参照)で別の標題で取り上げられていることは後述のように注目に値する。 (4) Georg Weerth. Sämtliche Briefe. Hrsg. u. eingel. v. Jürgen-Wolfgang Goette unter Mitwirkung

von Jan Gielkens. Frankfurt a. M. / New York.1989. S.357. さらに『アルバム』刊行直後の ハンブルクで刊行されていた新聞『季節 Jahreszeiten. Hamburger Neue Mode-Zeitung』1847 年第2巻でも「ゲオルク・ヴェールトの詩編(=「遍歴職人の歌」筆者注)はほとんど 意味はない…」と酷評されている。Vgl. Füllner, Bernd : Georg-Weerth-Chronik(1822−1856). Aisthesis Verlag. Bielefeld.2006. S.65.

(5) Deutsches Wörterbuch von Jacob Grimm und Wilhelm Grimm. Nachdruck. München. Deut-scher Taschenbuchverlag.1999. Bd.10. S.427

また遍歴職人の旅については主に関哲行『ヨーロッパの中世! 旅する人々』(岩波 書店,2009年)105∼114ページ及び N.オーラー『中世の旅』(法政大学出版局,藤代 幸一訳,1989年,原著 Norbert Ohler : Reisen im Mittelalter. 1986. München. Winkler.)お よび藤田幸一郎『手工業の名誉と遍歴職人 −近代ドイツの職人世界−』(未来社,1999 年第2刷,初刷は1994年)「五 遍歴と職人組合」145∼192ページ,及び高木健次郎『ド イツの職人』(中公新書467,中央公論社,1977年)を参照した。

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Grimm(1786−1859)による『子供と家庭のためのメルヘン集 Kinder- und Hausmärchen』 (1812/1850)にも放浪する職人が多く登場する。同様に民謡でも「放浪は粉屋の愉し

み Das Wandern ist des Müllers Lust」などで頻繁に目にすることができ,さらに,民 話や民謡と関わって,特に後期ロマン派の詩人たちの抒情詩や散文にも遍歴職人は頻

繁に取り上げられている"。さらに振り返るならば,「遍歴の旅」はロマン派に限らず,

ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe(1749−1832)の『ヴィルヘルム・マイスター Wilhelm Meister』の両作品に代表される「教養小説 Bildungsroman」でも,旅に出ることは重 要なモチーフであり,主題であった。従って,旅をすること,諸国を遍歴すること, 各地を放浪することは様々に芸術の主題として扱われたので,その作品を列挙するだ けでも,多くの紙幅を費やしてしまうだろう。特にロマン派との関わりで言えば, ヴェールト自身も,特にエルバーフェルトやケルン,ボンでの商人修業時代に文学愛 好家のサークルに所属し,その文学世界に浸って,強い影響を受けている。その中で 彼が明らかに影響を受けたと思われる詩人はアイヒェンドルフ Joseph Freiherr von

Eichendorff(1788−1857)とウーラント Ludwig Uhland(1787−1862)が挙げられる#。

このような事情からヴェールトが「遍歴職人」を自らの詩の題材にすることは何ら不 思議なことではない。まして,彼は旅に憧れ,旅を好み,人生の大半を商用旅行とい う旅に費やした詩人である。ヨーロッパ各地を,さらにはヨーロッパの外へ飛び出し てアメリカ大陸を縦横に歩き回ったのが後年であるにせよ,彼は少年時から旅に出る ことを夢見ていたのだから。

さて,「遍歴職人の歌」は,1.「別れ Der Abschied 」,2.「高い山の上で Auf hohem Berge」,3.「緑の森の中で Im grünen Walde」,4.「三人のすてきな遍歴職人 Drei

schöne Handwerkburschen」および 5.「桜桃の花咲くころ Um die Kirschenblüte$」の5

編からなる%。

(6) 民謡については武田昭『歴史的に見た−ドイツ民謡』(東洋出版社)1979年,79∼100 ページ参照。民話についてはここで列挙はしないが,夥しいグリム民話関係の文献に取 り扱われている。また,ドイツ文学の中で遍歴職人を主人公とした物語として最初に思 い浮かべるのは恐らくケラー Gottfried Keller(1819−1890)の短編集『ゼルトヴィラの人々 Die Leute von Seldwyla』(1856/1874)中の一編「三人の律儀な!職人 Die drei gerechten Kammacher」であるだろう。この短編小説では遍歴職人の日常生活を垣間見ることがで きる。

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ではこれらの詩編をそれぞれに見ることから始めよう。第1編の「別れ」は,旅立 つ光景を描いている。語り手は自分に対して家族の一人一人について描写するが,最 初は母親である。 僕の老いた,優しい母さん/母さんは夜なべして繕い物/僕のために細い麻で/ すばらしい肌着を縫ってくれる と語るが,母親の情愛がしっかりと伝わって来る。続いては妹"である。 僕の素晴らしい妹/自由な心映えを持ち/誇り高い絹で/僕の誇り高い名前を 縫い込んでくれる (7) ヴェールトの初期詩編がロマン派の中でも特にライン・ロマン派の影響を受けたこと はよく指摘されることである。Vgl. 前掲 Georg Weerth. Gedichte. Nachwort. S.174. など。 併せて拙稿「ヴェールト『この世で敵に!みつくことほど愉快なことはない』考」(「香 川大学経済論叢」第80巻第3号2007年211∼229ページ)に挙げた関連参考文献を参 照されたい。さらに当時の遍歴する職人の旅を主題とした連作詩として多くの人の脳裏 に浮かぶのは,シューベルト Franz Schubert(1797−1828)の歌曲集でよく知られている, ミュラー Wilhelm Müller(1794−1827)の「美しき水車小屋の娘 Die schöne Müllerin」と 「冬の旅 Winterreise」(ともに1821/24年)であろう。ミュラーの詩はハイネ Heinrich Heine (1797−1856)を初めとして当時の多くの人に受け入れられた。ただし,ヴェールトとの 関係で言えば,資料不足のために,その影響関係は定かではない。また,ヴェールトと アイヒェンドルフの関わりが書簡に僅かに言及されているのみである。Vgl. マルクス Karl Marx(1818−1883)宛書簡(Köln, 2. Juni1850)。Georg Weerth. Sämtliche Briefe. Hrsg. u. eingel. v. Jürgen-Wolfgang Goette unter Mitwirkung von Jan Gielkens. Campus Verlag. Frankfurt am Main/New York.1989. S.534. これに対しウーラントとの影響関係としては その一つとしてヴェールトが1848年革命時に『新ライン新聞 Neue Rheinische Zeitung』 (1848年10月12日∼14日付け)に発表した抒情詩「この世で敵に!みつくことほど愉

快なことはない Kein schöner Ding ist auf der Welt, als seine Feinde zu beißen」が指摘され ている。Vgl. 上掲拙稿「ヴェールト『この世で敵に!みつくことほど愉快なことはない』 考」および Ulrike Kaiser : Die zeitkritische Parodie in der Lyrik Georg Weerths. In : Grabbe-Jahrbuch 1982.1. Jg. S.86f. 他にヴェールトとロマン派との関わりについては重要な文 献として Turajew, Sergei : Georg Weerth und die Romantiktradition. in : Georg Weerth -Werk und Wirkung. Akademie-Verlag. Berlin.1974. S.125−143. がある。

(8) 前掲詩集草稿では標題の冒頭に wohl と言う語が付け加えられている。Vgl. Georg Weerth. Gedichte. a. a. O.

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(9) ヴェールトの評価について後世に決定的な影響を与えたエンゲルスのエッセイ「ドイ ツ・プロレタリアートの最初にして最も重要な詩人ゲオルク・ヴェールト Georg Weerth, der erste und bedeutendste Dichter des deutschen Proletariats」(但し,初出の1883年6月 7日付け『ゾツィアールデモクラート Sozialdemokrat』紙では Handwerksburschenlied. Von Georg Weerth(1846)と題されて発表されている)はヴェールトの「桜桃の花咲く ころ」から始まるが,この詩は「遍歴職人の歌 Handwerkburschenlied 」と題されている。 Marx, K./ Engels, F. : Über Literatur und Kunst in zwei Bänden. Bd.2. S.296−299.1968. Dietz Verlag. Berlin.及び F. Engels :[Georg Weerth, der erste und bedeutendste Dichter des deutschen Proletariats]in : K. Marx F. Engels Werke(MEW).Band21. S.5−8. Dietz Verlag. Berlin.1975. 邦訳(北条元一訳)『マルクス・エンゲルス全集』第21巻,4∼8ページ, 大月書店,1971年,この文章でエンゲルスは「遍歴職人の歌 Handwerksburschenlied」と 題された「桜桃の花咲くころ」を「マルクスの遺品(Nachlaß)」に見つけたと述べてい る。「遍歴職人の歌」5編のうちの3編(「別れ」,「緑の森で」及び「桜桃の花咲くころ」) は詩集草稿(注2参照)に収録されているが,このときはなぜか標題は付けられていな い。この詩集草稿はいくつかの部分に章分けされているが,この3編は「! 追憶 Erinnerungen」と題された箇所のさらに小分けされた「浮浪者 Bruder Straubinger」に配 置されている。Vgl. Georg Weerth. Gedichte. a. a. O.

ちなみに,「遍歴職人の歌」の日本語訳については,並木武「ゲオルク・ヴェールト 詩抄(!)」(「愛媛大学教養部紀要」第24号−",1991年,133∼151ページ)に連作 の表題を「若い職人の歌」として全5編が翻訳されている。また,この中の1編「桜桃 の花咲くころ」には山崎八郎訳(井上正蔵編『ドイツ解放詩集』河出文庫,1954年,56 ・・・・ ∼58ページ)があるが,なぜかこの山崎訳の表題は「職人の歌」であり,「(遺稿から, 1846年)」(傍点は筆者による)という添え書きがある。言うまでもなく,この詩は上述 ・・ のように『アルバム』に収められて詩人の生前に発表されたものであるので,「遺稿」と いう表現はあたらない。なお,山崎八郎は同時期に,上のエンゲルスのエッセイを翻訳 している(山崎八郎訳『マルクス・エンゲルス文学論』岩波文庫,1954年,41∼48ペ ージ「プロレタリア詩論 エンゲルス「職人の歌」」)が,そこでは,エンゲルスの言に ・・・・・・・・・・・・・・ 従えば,「われわれの友ヴェールトのこの詩を,ぼくはマルクスの遺稿の中に再び発見 ・・ した」(上記山崎八郎訳『マルクス・エンゲルス文学論』44ページ,傍点は筆者による) と書かれているだけであり,この詩はヴェールトの遺稿に発見されたわけではない。さ らにこの時の翻訳の底本としてヴェールトの作品集ではなく,エンゲルスの文章を使用 したことも考えられる。何故なら,注3に見られるように,山崎八郎による翻訳時には ヴェールトの作品集も少なく,全集もまだ刊行されていないので,底本の可能性がある のは Volk und Welt 社刊行の選集ぐらいだが,同書にはそのようなことは一切書かれて いない。Vgl. 上掲選集 S.35. また山崎八郎はこの翻訳の少し前に執筆した論文(「一八四 八年革命の詩人ゲオルク・ヴェールト」(早稲田大学「綜合世界文芸」1,1950年108 ∼132ページ,後に山崎八郎『芸術は永遠か−マルクス主義文学論芸術論−』労働大学, 1984年67∼101ページに再録)でもこの詩に言及しているが,そこでも扱いは同様であ る。 (10)「妹」の原語は Schwester なので,もちろん「姉」の可能性もある。どちらの日本語を あてるかによってイメージも若干異なるが,日本語訳としてはどちらかを選択すること が不可避であるので,ここではあえて「妹」を当てた。 751 ヴェールト「遍歴職人の歌」考 −307−

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詩の語り手(=遍歴職人)の旅立ちはまだ暗い早朝である。 そして朝3時半に/雄鶏が鳴いた/旅に出る者は/さあ背"の紐を結べと// そして朝4時半に/僕は父親を起こした/父は!びたクローネ貨幣3枚を/僕の 背"に入れた 一番鶏が鳴くと出かける準備を始める。母と妹は夜なべして旅装の用意を手伝ってく れるが,父親は遅れて起きる。しかし,父親は餞別に「!びたクローネ貨幣3枚」を 与える#。準備が整うといよいよ出立である。これから長く厳しい修業の旅が始まる。 ましてや旅行が容易かつ安全とは言えなかった時代であり,旅立つ者と見送る者の胸 には万感の思いがこみ上げてくる。 僕たちは菩提樹の下に立った/僕の胸は重くなった/優しい母は言った/もう お前を見ることはないのだろうね//父は押し黙った/妹はしゃくり上げた−/ すると小麦畑を/黄金色の太陽が昇った だが,旅の途上ではどれだけ苦難が待ちかまえているか分からなくても,一方でこれ までの様々なしがらみを解き放ってくれるものでもある。別れはつらいが,一方で旅 に出る若者は解放された気分にも満たされる。 そして市門で鐘が鳴り響いた/「さらば,黴臭い町よ/さあ,自由で愉快な/ 生活をする者よ喜べ」 何と言っても,自分が生まれ育った町は「黴臭 dumpfig」くてやり切れなかったのだ から。最初の詩はこのように遍歴修業の出立風景を悲しみや希望を交えて描いてい る。ただ,谷あり山ありの旅の行く手ははまだ視野に入っていない。出発した「語り ・・・ (11) ファーセンはこの「!びたクローネ貨幣3枚」(傍点筆者)にこの家庭の貧しさを読 み取っているが,大いにうなずける解釈である。Vgl. Vaßen.a. a. O . S.60 −308− 香川大学経済論叢 752

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手」は故郷の町を見下ろす山に登り,それまでの生い立ちを振り返り,その様子を次 の「2.高い山の上で」で語りかける。 僕は高い山に登って/谷を見下ろした/そこにはちっぽけな人たちが住んでい る/僕は長いことあの人たちを愛していた 家族を離れ,自分が生まれ育った町を振り返って語る内容には,「ちっぽけな人たち」 という言葉に見られるように,愛情とともにいくぶん冷ややかな口調がこもる。「ちっ ぽけなklein」という表現からは単に遠く離れて小さく見えるということだけでなく, そこに住む愛すべき人々の人間としての器の小ささ,「卑小さ」も読み取ることがで きる。 あそこに灰色の教会が建っている/もう充分に古い/あそこでかつて教会堂の 番人が/僕を大きな教会簿に書き込んだのだ ヨーロッパの町や村の例に漏れず,故郷の町の中心は聳え立つ教会であり,それは住 民の暮らしの中心であった。しかし,語り手は「灰色の」とか「充分に古い」という 言葉で皮肉を込めて振り返る。 あの向こうに礼拝堂がある/あそこで僕は初めて合唱した/カントルはバイオ リンを弾き/僕を何度も叩いたのだ 教会の向こうにある礼拝堂を見て,語り手は幼いころの思い出に耽る。カントルに何 故叩かれたのか理由が明示されていないが,誰でも生意気盛りの子供時代を振り返れ ば,自ずと想像できるだろう。修業の旅に出るにあたり,思い出は尽きない。 だが,菩提樹がカサコソと音を立てるところ/雪のように白い家が輝いている/ そこではコウシンバラが/高く伸びて窓から外を見下ろしている 753 ヴェールト「遍歴職人の歌」考 −309−

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「雪のように白く」輝く家は分かれてきたばかりの我が家だろうか。菩提樹のそよぎ や白薔薇は語り手の恋やその相手を仄めかしている。ドイツでは菩提樹が恋愛を象徴 する定番の樹木であることは中世文学以来よく知られたことである!。確かにこの詩の 恋愛相手は,下に見るような詩の最後の行で,最後の言葉で明らかにされる。 ああ,ずっと咲き続けよ,バラよ/窮乏も不自由もなく/又会うまでに/何日 も何年もかかるだろうが 最後の2行にこの別れが長きにわたるかも知れぬことが述べられている。実際に遍歴 職人の旅はかなりの長期にわたったことも稀ではない。この詩句で「窮乏も不自由も なく」という一節はこの詩が発表されたとき,すでに作者ヴェールトはイングランド 時代を経ているので,この言葉で念頭にあったことがどのようなことかも自明のこと と思われる。即ち庶民の暮らし向きの実態である。 僕が再びひそかな/路地を行くまで/僕が再び陽気な/隣の婦人に口づけする まで 続く詩「青々とした森で」では旅の途上が舞台となる。語り手は後景に退き,森で 他の職人三人が登場する"。詩はいきなり代名詞 sie で始まる。彼らも旅の途中で森で 一息入れているようで,歌を歌っている。職人たちの職業は仕立職人,靴職人,指物 (12) 菩提樹を象徴として,恋人を残し,修業の旅に出る姿はヴィルヘルム・ミュラーの 「菩提樹 Der Lindenbaum」(『冬の旅』,注7を参照)を即座に連想させる。また,愛の象 徴としての菩提樹については谷口幸男・福嶋正純・福居和彦『ヨーロッパの森から ド イツ民俗誌』(NHK ブックス397,日本放送出版協会,1981年)41∼52ページ等を参照。 (13) この職人の数「三」はヨーロッパの民話の人物や品物,日数などの登場の仕方を規定 する基本的な数である。「三」というのは単体,一対の次に位置し,複数の始まりであ る。従って,ここで登場する職人たちは意味するのは固定された「三人」としてではな く,遍歴職人の「代表」あるいは「典型」と見なすこともできる。Vgl. マックス・リュ ティ/小澤俊夫訳『民話 その美学と人間像』(Max Lüthi : Das Volksmärchen als Dichtung. Ästhetik und Anthropologie. Düsseldorf/Köln.1975)岩波書店,1985年93∼96ペ ージ。

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職人である。いずれも典型的な手工業の職種であり,どちらかと言えば,卑賤な仕事 として見なされていた。 彼らは青々とした森に横たわっていた/青々とした草の中に横たわっていた/ 彼らはすぐさま歌った/ディスカント,テノール,バスで//仕立職人はディス カントで歌い/靴職人はテノールで声高らかに/指物職人は粋な奴だが/バスで 唸った 三人はそれぞれに自らの音程で歌を歌い,それぞれの境遇について語る。口火を切る のは仕立屋である。 まず始めたのは仕立職人で/軽やかな足取りで踊った/「俺はすばらしい服を こしらえる/ウィーンやハンブルクの型紙で 仕立職人 Schneider を取り上げた詩編と言えば,ヴェールトの詩群「ランカシアの歌」 に収められた「貧しい仕立屋がいた Es war ein armer Schneider」を思い起こさせられ る。「遍歴職人の歌」が掲載された『アルバム』にも「ランカシアの歌」詩群が掲載 されているが,この「貧しい仕立屋がいた」は『アルバム』版には入っていない!。し かし,同時期に成立したこの二つの詩編に登場する仕立職人は共鳴し合っているよう に思われる。「貧しい仕立屋がいた」に登場する仕立職人は,30年もの間黙々と服を 縫ってきたが,ある日いつものように土曜日が訪れると,わけも分からぬままに泣き 始め,仕事道具の針と鋏を折り,丈夫な糸を自らの首に巻き付け梁にぶら下がってわ けも分からずに縊死してしまう。この死の要点は自死しなければならない理由が本人 にも分からず,詩を読む者にも直接分からないことである。しかし,詩の成立した時 代背景に思いを巡らすと自然に理解できるようになる"。仕立職人という伝統的な職業 (14) 注2参照。また,「ランカシアの歌」詩群の異同については,拙稿「ヴェールト『ラ ンカシアの歌』考」を参照されたい。 (15) 拙稿「ヴェールト『ランカシアの歌』考」88ページ 755 ヴェールト「遍歴職人の歌」考 −311−

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は詩人ヴェールトが体験した産業革命の生み出した典型的なプロレタリアートではな いが,産業革命による伝統的な徒弟制度が崩壊していくことでやがてはプロレタリア ート化することが避けられない階層である。そのことが暗に示されている,あるいは 詩人は示そうとしたと考えることができる。それに対し,この「遍歴職人の歌」に登 場する仕立屋にはまだそのようなことは感じられない。むしろこの詩に登場する他の 職人たちと同様に,異口同音に,自分たちの職業がどれほど社会にとって無くてはな らないものであるかを主張する。 そして指物職人と靴職人と仕立職人,彼らは拍子を合わせて一緒に歌った/ 「すばらしい仕立職人がいなけりゃ,残念だが/誰もがすっ裸で歩かねばならん」 このように暗さを微塵も感じさせず,三人の職人たちは遍歴の旅を続けてゆく。自ら の仕事が人々が一生を送るのに欠かせない職業であることを誇りとして,元気よく歌 を歌いながら。 次の詩「三人のすてきな遍歴職人」でも職人が三人登場するが,前編の三人とは直 接の関わりは無さそうだが,むろん全くの無関係と切り捨てることもできない。 三人の男前の職人たちが/元気にライン川を泳いで渡った/三人は親方の元/ 小さなドアを入っていった この詩で特に強調されるのは,職人たちと雇ってくれる親方Meister の家族との関 わりである。舞台はライン河畔,詩人ヴェールトが愛した一帯である。その河畔の町 ケルンで三人の遍歴職人が「元気にライン河を泳いで渡り」,親方の元へと急ぐ。 最初の職人が親方と話した/二人目は女将さんと/三人目は愛らしい/青い目 の娘さんと話した 彼らは親方の家族と面談するが,一人目は親方自身,二人目は女将さん,そして三 −312− 香川大学経済論叢 756

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人目は娘と話を交わす。遍歴職人は仕事を求め,自分の腕を磨くためにヨーロッパ各 地を遍歴したが,場合によってはその途中で定住することもあった。その契機はまれ ではあるが,例えば,働きぶりや腕を親方に気に入られ,その娘と結婚することや, 親方が亡くなって,その未亡人と結婚したりするようなことである。この詩での,愛 らしく青い目をした娘との関わりは特にこのようなことを仄めかしているようにも受 け取れる。しかし,この詩ではそれもかなわず,三人の職人たちはライン河を渡って 戻ってしまう。この詩の,その他の点で興味深いのは,注12で指摘したように,三 人の行いが,民話の語り口を思わせるように順を追って語られることである。それぞ れに窮屈な思いをしながら,食事をした後,三人は仕立て職人ででもあるのだろう か,夕暮れまで針仕事に精を出す。そうして仕事を終えると再び河を泳いで帰ってい くが,そのとき大聖堂から鐘の音が響いてきて,一日が終わる。愉快な口調で職人の 様子が語られている。 「遍歴職人の歌」の末尾を飾るのは「桜桃の花咲くころ」である。注8で指摘した ようにエンゲルスが若い時代に行動をともにしたヴェールトを追憶して文章を書き, しかもその文章で「ドイツ・プロレタリアートの最初の,そして最も重要な詩人」と 呼んだことでヴェールトについて一定の評価を与えてしまったのだが,その文章で引 用されている詩でもある。エンゲルスがどのような評価を与えたかは後に見ることに して,まずはどのような内容か見ることにしよう。この詩は, そして桜桃の花咲く頃/僕らは泊まった/桜桃の花咲く頃だったか/かつてフ ランクフルトに泊まった という一節で始まる。他の詩と同じように4行で一連を形成する。この書き出しで印 象的なのは,まるで何かを,そしてこれまでの詩4編を引き継ぐかのように「そして Und」で始まり,「僕ら wir」が語ることである。桜桃の花咲く春,「僕ら」はフラン クフルトの宿屋に泊まる。するとそこは遍歴職人にふさわしい,とんでもない安宿 だった。一方職人たちのほうも旅の途中でみすぼらしい格好をしている。職人たちと 宿屋の亭主は相互に相手を貶しあう。まず亭主が, 757 ヴェールト「遍歴職人の歌」考 −313−

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「お粗末な上着を着ているな」 と言えば,語り手も負けずに 「いやしい親父だな/お前にゃ何の関係もねえ」 と言い返し,早速ビールやワイン,そして焼き肉を注文する。だが,出されたものは 何だっただろうか。 蛇口!が鳴いた−/良い飛び方だ/口の中で良い味がする/オシッコのようにな この飲み物はおそらくはビールであるだろうが,味をUrinus(尿)と比べることで飲 み物の不味さを決定的に表現する。また飲み物の飛び方も下賤な連想を引き起こす。 このようなヴェールトの詩はハイネ譲りの辛辣さを持っている。飲み物に続いて食べ 物が提供される。宿屋の親父が持ってきたのはウサギ肉である。 そこへ親父がウサギ肉を持ってきた/パセリにくるんで/この死んだウサギには/ ゾッとした 夕食が終わると飲み続ける金が無ければ,後は寝るだけである。職人たちは寝床へ行 くが,寝床がまたとんでもなかった。清潔とは言えない代物で,一晩中安眠をさせて くれない。 寝床について/夜の祈りをしていると/寝床でチクチクするヤツがいた/朝も 晩も南京虫がいた (16)「蛇口Hahn」と言う言葉は本来「雄鶏」を表すが,形状の連想から,「(水道管などの) 栓,蛇口」も意義としている。ちょうど日本語の蛇口が言葉の上で蛇と関わりがあるの と同じである。 −314− 香川大学経済論叢 758

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このような経験は旅をする庶民には日常茶飯事だった。だから詩人は次のようにこの 詩と「遍歴職人の歌」全体を締めくくる。 これがフランクフルトであったこと/確かにあのきれいな町で/そこで暮らし たヤツなら/そこで悩まされたヤツなら分かることさ 確かに経験者ならここで言われたことは本当のことだと実感するだろう。様々な困 難,劣悪な環境,これらが遍歴職人の旅の真の姿だった。職が見つかり,安宿でも雨 露が凌げるのであれば良しとしなければならない。いざ遍歴に出ても,仕事を見つけ ることは容易なことではなく,時によっては野宿を繰り返さなければならないという のが現実であったからである。そして近世とは異なって,産業化していく社会で伝統 的な職人が零落せざるを得ないことをすでに暗示している。 このようにして1編ずつ「遍歴職人の歌」全編を読むと,ここで語られているのは, 遍歴への旅立ち(1.「別れ」,2.「高い山の上で」)から始まって,遍歴の途上の様々 なできごと(3.「緑の森の中で」,4.「三人のすてきな遍歴職人」,5.「桜桃の花 咲くころ」であり,遍歴職人の旅は連作の中では完結していない。この後のことはど のように考えることができるだろうか。 「遍歴職人の歌」はすでに見たように本来『アルバム』の冒頭に掲載されたもので ある。ではこの詩集『アルバム』はどのような意図を持って編纂されたのであろうか。 編者であるピュットマンは序文で新しい時代の「真の詩人」は前世代とは異なり,民 衆とともに歩む者であり,そのような詩人による「新しい生命の息吹を生き生きと与 えてくれる一連の詩を集めて,民衆に提供すること!」の必要性を認めて,詩集『アル バム』を編纂したと述べている。従って「社会性の強い詩」がここに収録されたこと になる。ただ,情勢によって,当初目指し,書名にも記された「オリジナル」な作品 だけを集めるというわけにはいかなかった。全体の構成も一貫したものが必ずしも感 じられない。ヴェールトの「遍歴職人の歌」はこのような詩集の冒頭に置かれている。 (17) Vgl. 前掲Album. a. a. O. 及び宮野悦義「詩集『アルバム』をめぐって−真正社会主義 者の歌−」(井上正蔵編『ハイネとその時代』朝日出版社,1977年,54∼71ページ)。 759 ヴェールト「遍歴職人の歌」考 −315−

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彼の作品はこれだけでなく,上述のように「遍歴職人の歌」とは別の場所,詩集の中 程に「ランカシアの歌」が収められている。このことについては後述することにしよ う。とにかく「遍歴職人の歌」は詩集『アルバム』の編者自身の序文のすぐ後に配置 されている。注4で述べたような,ヴェールトの詩に対する評価は主としてこの「遍 歴職人の歌」に対して向けられたものであろうか。そうであれば,うなずけなくもな い。しかし,詩集の導入として,伝統的な職人の世界に関わる詩を配置することは詩 集のその後の展開,その他の詩の配置が「社会的な詩」の中心へと向かうのであれば, 詩集の最初にあっても大きく間違っているとは思われない。何故なら,『アルバム』で は「遍歴職人の歌」に直接続いて,ヴェールトの詩2編が掲載されているが,その二 編「大砲鋳造工 Kanonengießer」と「あるアイルランド人の祈り Gebet eines Irländers」 に意味を感じない訳にはいかないからである。前者は「ランカシアの歌」に関わる一 編であるし!,後者も主題としてはヴェールトのイングランド体験に深く関わってい る"。どちらも労働者階級や社会の底辺に位置する人々を描いている。内容や構成に難 があることを否定できない『アルバム』にあって,ヴェールトの作品は冒頭の「遍歴 職人の歌」,直接続く2編の抒情詩,そしてそれらとは離されて,「ランカシアの歌」 が詩集の中程に配置されているが,そこを元に考えると「遍歴職人の歌」に登場する 遍歴職人たちは,産業革命後の社会および経済構造の変化によってやがて労働者階級 へと変化して社会の底辺へと沈んでいく可能性を秘めているように思われてくる。そ (18)「大砲鋳造工」は『アルバム』では上述のように「遍歴職人の歌」に直接続けて載せ てあるが,『ゲゼルシャフツシュピーゲル』では「ランカシアの歌」の一つとして掲載 されている。この詩で述べられていることで注目すべきはイングランドの労働者が製造 した大砲が遠くインドの人々を破滅させることであり,労働者階級が自らは意識せずに 他国の貧しい人々が破滅する手助けをしてしまうことを鋭く指摘している。Vgl. 上掲拙 稿「ヴェールト『ランカシアの歌』考」 (19)「あるアイルランド人の祈り」もやはり『アルバム』の他に『ゲゼルシャフツシュピ ーゲル』にも最終連を除いて掲載されている。ただし,「ランカシアの歌」には入って いない。この詩はアイルランド人を主題としているが,この詩が書かれた時代,アイル ランド人はイングランドによる抑圧が続き,さらに1840年代にはジャガイモ飢饉のた めに飢餓に苦しみ,最底辺の生活を送っていた。この辺りのヴェールトとアイルランド との関わりについては拙稿「ヴェールトとアイルランド」(「香川大学経済論叢」第77 巻第2号,2004年,169∼185ページ)を参照されたい。なお,この詩は同時期に『ブ リュッセル・ドイツ人新聞 Deutsche Brüsseler Zeitung』(Nr.14, 1847年2月18日付)に も載せられている。

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の限りやや強引に解釈するとすれば,これらの詩は近代的な産業が支配する社会でや がて消えていく間際の,あるいはすでに近代的な労働者に成り代わろうとしている職 人たちを描いていると,理解できる!。 さて,最後にエンゲルスの評価に戻ることにしよう。すでに述べたようにエンゲル スは1883年に早死にした友人ヴェールトを回想した一文を週刊新聞『ゾツィアール デモクラート』に寄稿する。それが上記のヴェールト論"である。この文章でエンゲル スは冒頭に「遍歴職人の歌」(=「桜桃の花咲くころ」)を掲げた後,この詩をマルク スの「遺品」に見つけたと述べて,ヴェールトの略歴や『新ライン新聞』文芸欄のこ となど書きつづる。しかもここでエンゲルスはヴェールトを「ドイツ・プロレタリア ートの最初の最も重要な詩人 den ersten und bedeutendsten Dichter des deutschen Proletariats」と名付けるのである。ここでエンゲルスと詩集『アルバム』や真正社会 主義者との関わりを考えてみると,興味深いことが見えてくる。エンゲルスはこの ヴェールトを追憶する文章を書くかなり以前,すでに青年時代に『アルバム』に触れ ている#。従って,「桜桃の花咲くころ」がもともと彼が旧友への追憶の文章にあるよ うな「遍歴職人の歌」という題ではないことは知らないはずはない$。彼がこのような 題で文中に記しているのは,「マルクスの遺品」でこういう標題が付けられていたの か,エンゲルスが敢えて付けたのか,またこのマルクスの遺したものが具体的に何で あるかは不明である%。だが,ここでは「遍歴職人の歌」の5編の中で,末尾に置かれ た「桜桃の花咲くころ」のみがエンゲルスのこの文章に取り上げられ,彼のヴェール ト評価の素材になっていることだけを見ておこう。エンゲルスはこの短い文章でヴェ (20) Vgl. Vaßen. a. a. O. (21) 注8参照。

(22) Engels, F. : Über “Das Album”. herausgegeben von Hermann Püttmann. 上掲 Marx, K./ Engels, F. : Über Literatur und Kunst in zwei Bänden. Bd.2. S.195−202. この文章は1847年 1月から4月に書かれたものと推定されている。ここでエンゲルスは「これらと仲間に なってヴェールトの印刷された物件は居心地の悪さを感じているに違いない」と述べて いる。 (23) ただし,『アルバム』が公刊されてからすでに40年近くも経っているので,同書が手 元になければ,忘却したことも考えられる。 (24) マルクスおよびエンゲルスの著作集に収録されているこの文章への注釈にはこのこと への言及はない。Vgl. 注8。 761 ヴェールト「遍歴職人の歌」考 −317−

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ールトをまず「ドイツ・プロレタリアートの最初にして最も重要な詩人」!と呼び,彼 の短い生涯や作品について紹介した後,再び「ドイツ・プロレタリアートの最初にし て最も重要な詩人」と呼び,その理由として,ヴェールトが他の詩人に比べ,どの点 が優れているかについて 彼(=ヴェールト,筆者)の社会主義的な政治詩は,独創性,機知及び特に感 性的情熱において,フライリグラートをはるかに凌駕している。彼はしばしばハ イネの形式を用いたが,まったく独創的で自立した内容で埋めている"。 と述べている。このようにエンゲルスはヴェールトがハイネの継承者であることを明 確に認めるが,ハイネとヴェールトを分けへだつものが,ヴェールトの詩が持つ「自 然で,逞しい官能性と肉欲の表現」#であるとする。その理由はエンゲルスの言葉によ れば,ヴェールトのほうが「もっと健康的で,もっと純粋である」からである。ただ, エンゲルスは一つの点でヴェールトがハイネに勝っていると言っているだけであり, ヴェールトとハイネを秤にかけ,二人の間で詩人としての優劣を判断しようとしてい るのではない。他の,いわゆる「社会主義的な政治詩」との比較で言えば,ヴェール トが「凌駕している」のはフライリグラート Ferdinand Freiligrath(1810−1876)の詩 であることがここでは重要である$。エンゲルスによれば,他の政治詩人は「ドイツ俗 物の最低の偏見,素町人根性の猫っかぶりの道徳家きどり」をしているに過ぎない。 フライリグラートの詩を読めば,「人間にはまるで生殖器なんてものがない」と思い こまされている。それに対し,この文章を書いた時点では,「少なくともドイツの労 働者は「毎日毎晩自分たちが行っている事柄,当たり前な,なくてはすまされぬよう

(25) 上掲 Marx, K./ Engels, F. : Über Literatur und Kunst in zwei Bänden. Bd.2. S.296f. u. S. 298. この言葉が二度目に現れるとき,エンゲルスは「最も重要な bedeutendste」を斜字

体にしている。

(26) 上掲 Marx, K./ Engels, F. : Über Literatur und Kunst in zwei Bänden. Bd.2. S.298. (27) 上掲 Marx, K./ Engels, F. : Über Literatur und Kunst in zwei Bänden. Bd.2. S.298f. (28) 日本では従来「フライリヒラート」と呼び慣らされてきたが,本来は「フライリグラ

ート」のほうが多少なりとも原音に近い。フライリグラートは1840年代にはヘルヴェ ーク Georg Herwegh(1817−1875)らと「政治詩人」として世間に広く受け入れられたが, ハイネにはその作品中などで酷評されている。

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な事柄,しかも極めて楽しい事柄について」「あけっぴろげにしゃべることに慣れる こと」が必要であり,まさにこのようなことにふさわしい詩を書いたのがヴェールト であるとの主張にエンゲルスの主眼がある。すなわちエンゲルスにとっては労働者階 級はフライリグラートではなくヴェールトの詩を読むべきだったのである。そしてそ の例としてまず「桜桃の花咲くころ」が「遍歴職人の歌」の標題で紹介されたと考え ることができる!。さらにこの「桜桃の花咲くころ」に登場する職人たちはすでに零落 し,プロレタリア化しつつある職人層を表現していると言うことができる。そして, この詩は「遍歴職人の歌」の末尾に配置され,『アルバム』に掲載された,「ランカシ アの歌」を含む,他の前後の詩の結節点となっていると考えると,「桜桃の花咲くこ ろ」へと続いていく四編の詩も,近代的な資本主義へと向かう社会の中でプロレタリ ア化を目前にした遍歴職人の世界の一面を提示しているという点で意味があるのでは なかろうか。 (29) エンゲルスのこの文章の後,実際に『ゾツィアールデモクラート』の続号にヴェール トの詩が二編(「ライン河のブドウ作り Die rheinischen Weinbauern」および「祭りの歌 Ein Festlied 」,後者はカイザー版5巻本全集では「自然 Die Natur」と言う表題で収録)が掲 載された。同紙1883年7月12日付け第29号および1885年4月9日付け第15号。こ の二編が同紙に掲載された経緯は明らかではないが,このことは「マルクスの遺品」に 複数のヴェールトの詩編が含まれていた可能性も考えさせる。Vgl. 上掲 Marx, K./ Engels, F. : Über Literatur und Kunst in zwei Bänden. Bd.2. S.549f.

参照

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