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直接請求権のない賠償責任保険の示談代行と弁護士法72条

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<論 文>

直接請求権のない賠償責任保険の示談代行と

弁護士法 72 条

吉 澤 卓 哉

●アブストラクト  本稿は,直接請求権のない示談代行商品の意義を確認したうえで,直 接請求権のない示談代行商品が弁護士法 72 条に抵触しないかどうかを 検討するものである。検討の結果,たとえ直接請求権が存在しなくて も,保険者が実施する示談代行は同条に抵触しないことが明らかになっ た。なぜなら,賠償責任保険における責任関係と保険関係との強い牽連 性があり,たとえ責任関係の拘束力が認められないとしても,保険法で 賠償保険金に対する先取特権が被害者に付与されたことからすると,同 条における他人性を排除する程度に強い本人性が保険者に認められると 考えられる。また,仮に本人性が認められないとしても,正当業務行為 として違法性が阻却されると考えられるからである。  わが国において,保険者による示談代行は,自動車保険から個人向け 賠償責任保険全般へと拡がり始めたが,未だ企業向け賠償責任保険では 導入されていない。示談代行制度が保険契約者にとっても被害者にとっ ても有用だとすると,直接請求権の存否にかかわらず,必要に応じて事 業者向け賠償責任保険にも導入していくべきであるが,直接請求権を設 けないで示談代行制度を導入することは,法的にも実務的にも可能だと 考えられる。 ●キーワード   賠償責任保険,直接請求権,示談代行

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目  次 1 .はじめに 2 .賠償責任保険における示談代行商品  ⑴ 自動車保険における示談代行  ⑵ 自動車保険以外の賠償責任保険における示談代行 3 .賠償責任保険における示談代行の意義と問題点  ⑴ 保険契約者にとっての示談代行の意義と問題点  ⑵ 被害者にとっての示談代行の意義と問題点  ⑶ 小 括 4 .弁護士法 72 条の抵触有無  ⑴ 自動車保険における対人示談代行導入時の論議  ⑵ 直接請求権を設けない示談代行の意義  ⑶ 本人性の具備  ⑷ 正当業務行為 5 .総 括 1 .はじめに  自動車保険の対人賠償保険や対物賠償保険に,保険者1)による示談代行 制度が導入されたのは,それぞれ 1974 年と 1982 年のことである。今日で は,保険者が引き受けている自動車保険のほとんど全てが示談代行付きの 商品となっており,すっかり日本社会に定着している。他方,自動車保険 以外の賠償責任保険に関しては,近時,個人向け賠償責任保険について示 談代行商品が増えつつあるものの,事業者向け賠償責任保険に関しては示 談代行商品が導入されていない。  自動車保険における示談代行制度は,保険契約者にとっては,コスト対 1) 「保険会社」と記載した方が適当な文脈もあるが,本稿では基本的には「保 険者」と表記することとした。

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比で有益であるからこそ広く受け入れられており,また,被害者にとって は,適切かつ迅速な賠償の確保に役立っており,さらに,社会全体として は,ほとんどの紛争解決を裁判外において安価なコストで実現できている。 このような自動車保険における示談代行制度の有用性に鑑みると,自動車 保険以外の賠償責任保険に関しても示談代行商品を増やしていくことを検 討する価値があることになる2)  ところで,自動車保険の示談代行制度は,制度導入時に弁護士法 72 条 違反の有無が問題となり,損害保険業界が一定の対応をとることによって 発足できた経緯にある。もし,弁護士法 72 条が障碍となって,事業者向 け賠償責任保険における示談代行商品の商品開発が未だ進展しないのだと すると,日本社会全体にとって大きな損失である。  本稿は,このような問題意識の下,賠償責任保険に関する保険者の示談 代行が弁護士法 72 条に抵触しないかどうかを検討するものである。以下 では,まず,各種賠償責任保険における示談代行制度の導入有無について, 歴史的経緯を含めて概観し(次述 2),賠償責任保険における示談代行の 意義と問題点を整理する(後述 3)。そのうえで,保険者による示談代行 が弁護士法に抵触しないかどうかを検討し(後述 4),最後に結論を述べ る(後述 5)。 2 .賠償責任保険における示談代行商品 ⑴ 自動車保険における示談代行  もともと,示談代行付きの自動車保険は日本には存在しなかった。示談 代行商品が導入される直前において販売されていたのは,一般自動車保険 (BAP: Basic Automobile Policy)であり,保険者に示談代行義務はない。 なお,担保内容は,対人賠償保険,対物賠償保険,搭乗者傷害保険が存在 したが,保険契約者は,これらの中から選択的に付保することができた(そ

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の後,対人賠償に関する基礎的な強制保険として自賠責保険制度が 1956

年 2 月に発足し,自動車保険の対人賠償保険はその上乗せ保険となった)3)

 1974 年 3 月に至り,対人賠償保険に関して保険者に示談代行義務があ る家庭用自動車保険(FAP: Family Automobile Policy)が発売された4)

付保対象となるのは,個人所有の自家用 3 車種(普通乗用車,小型乗用車, 軽四輪乗用車)であって,使用目的が家庭用であるもの(業務用・営業 用を除く)に限定されていた。そして,担保内容としては,対人賠償保険, 対物賠償保険,家族搭乗者傷害保険が基本契約として自動的にセットされ ていた(車両保険や搭乗者傷害保険は任意付帯)5)。すなわち,付保対象車 両に関しては,対人賠償保険,対物賠償保険,搭乗者傷害保険の全てに加 入しようとする保険契約者にとっては,BAP(示談代行なし)と FAP(対 人賠償のみ示談代行あり)との選択肢が生まれたことになる。  1 年後の 1975 年 3 月には,業務用の一定車種(普通乗用車,小型乗用車, 軽四輪乗用車,自家用小型貨物車,自家用三輪自動車,軽四輪貨物車,軽 三輪自動車)を対象として,FAP と同様の担保内容6)の業務用自動車保険 (CAP)が発売された。  そして翌年の 1976 年 1 月には,FAP と CAP を統合して,自家用自動 車保険(PAP: Private Automobile Policy)が新たに発売された(FAP と CAP は廃止)。付保対象となるのは,自家用(家庭用か業務用かを問わな 3) なお,自動車保険の対人賠償保険を引き受けている保険者が,自賠責保 険部分も含めて賠償保険金を支払い,後日,立て替えた自賠責保険金部分 について自賠責保険者に求償する制度(「自賠責保険・自動車保険(任意保 険)の一括払制度」という)が 1973 年に発足している。 4) それ以前から,外国系の損害保険会社は示談代行商品を販売していたよ うである(土屋(1974)123 頁注 1 参照)。また,一部の日本社も,限定的 ながら示談交渉サービスを実施していた(塙(1978)68 頁参照)。 5) なお,FAP においては,対人賠償と対物賠償のてん補限度額は共通であっ た(シングル・リミット方式)。 6) 搭乗者傷害保険に関して若干の相違がある。すなわち,FAP は家族搭乗 者傷害保険であるが,CAP は従業員搭乗者傷害保険である。損害保険料率 算出機構(2014a)17 頁注 11 参照。

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い)の一定車種(普通乗用車,小型乗用車,軽四輪乗用車,小型貨物車, 軽四輪貨物車,三輪自動車,軽三輪自動車)である。そして,担保内容と しては,対人賠償保険と自損事故保険と無保険車傷害保険,対物賠償保険, 搭乗者傷害保険が基本契約として自動的にセットされていた(車両保険は 任意付帯)。すなわち,付保対象車両に関して7),セット種目の全てに加入 しようとする保険契約者にとっては,BAP(対人賠償・対物賠償ともに 示談代行なし)と PAP(対人賠償のみ示談代行あり,対物賠償は示談代 行なし)との選択肢があることになる。  さらに,1982 年 10 月に至り,対人賠償保険のみならず,対物賠償保険 に関しても保険者に示談代行義務がある(自家用)自動車総合保険(SAP: Special Automobile Policy)が発売された8)。付保対象となるのは,自家用

(家庭用か業務用かを問わない)の 5 車種(普通乗用車,小型乗用車,軽 四輪乗用車,小型貨物車,軽四輪貨物車)である。そして,担保内容とし ては,対人賠償保険と自損事故保険と無保険車傷害保険,対物賠償保険, 搭乗者傷害保険,さらに車両保険が基本契約として自動的にセットされて いた。すなわち,付保対象車両に関して,セット種目の全てに加入しよう とする保険契約者にとっては,BAP(示談代行なし)と PAP(対人賠償 のみ示談代行あり)と SAP(対人賠償,対物賠償ともに示談代行あり) の選択肢があることになった9)  その後,PAP の付保対象車種が拡大していき,遂に 1991 年には,全用 途車種について PAP の付保が可能となった10)。そして,示談代行商品であ 7) PAP の付保対象車種は,1981 年 8 月改定で,自家用普通貨物車,自家用 バス,原動機付自転車にも拡大された。損害保険料率算出機構(2014a)22 頁参照。 8) 1981 年 6 月の保険審議会答申において,自動車保険の対物賠償保険への 示談代行制度導入が提言されていた。 9) なお,1984 年 7 月改定により,PAP や SAP における示談代行が保険者 の権利ではなくて義務である旨が明確な約款文言に変更された。 10) 1983 年 7 月改定で PAP の対象車種が拡大され,自家用の全車種が付保 対象となった。『SAP 手引き(追補版)』(1983)15-17 頁,損害保険料率算

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る PAP や SAP は広く日本市場で受け入れられていった(図 1 参照)。 【図 1 】自動車保険 商品別収入保険料推移 (自動車保険料率算定会(1996)第 13 表を基に筆者が作成した)  やがて,保険自由化を迎えて(1998 年)11),各社独自商品が販売される ようになったが,対人賠償・対物賠償ともに示談代行付きの保険商品がや はり主流であった。今日においては,示談代行付き保険商品しか販売して 出機構(2014a)23 頁参照。  さらに,1991 年 7 月改定に至り,全用途車種が PAP の付保対象となった(こ れに合わせて,PAP の正式名称が,「自家用自動車保険」から「自動車総合 保険」に変更された。なお,PAP という略称の変更はなし。ただし,PAP の冒頭の “P” は,“Package” を意味するものに変更された)。損害保険料率 算出機構(2014a)27-28 頁参照。  なお,SAP に関しては,自由化(1998 年)の前は対象車種の拡大は行わ れていない。自由化後は,各保険会社の判断により,自家用普通貨物車(0.5 トン以下)と特種用途自動車(キャンピング車)が対象車種に追加された ようである。 11) 「損害保険料率算出団体に関する法律」の改正法が 1998 年 7 月に施行され, 保険業法の改正法が同年 12 月に施行された。

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いない大手損害保険者も現れるに至っている12) ⑵ 自動車保険以外の賠償責任保険における示談代行 ① 個人向け賠償責任保険  個人向け賠償責任保険に関しては,従来,示談代行商品は発売されてい なかった。  ところが,近時,個人向け賠償責任保険のうちの一般的な商品である個 人賠償責任保険に関して,示談代行商品が販売されるようになった。まず は,自動車保険の特約として個人賠償責任保険特約が付帯できるようにな り13),その後,当該特約の保険事故について示談代行が導入された。やがて, 自動車保険以外でも(たとえば,火災保険14)や傷害保険15)),個人賠償責 任保険特約での示談代行が広がっていった16)  また,示談代行付きの個人向け賠償責任保険を発売する際には,示談代 行なしの商品も併売することがあるが,ほとんどの保険契約者は示談代行 付き商品を選択するので,示談代行なしの商品は廃止されていっているよ うである。 ② 事業者向け賠償責任保険  現在のところ,事業者向け賠償責任保険に関しては,示談代行商品は発 売されていないようである(なお,医師賠償責任保険や税理士職業賠償責 12) 東京海上日動火災保険がそのようである。また,AIU 保険は,早くから PAP,BAP においても,対人賠償保険,対物賠償保険ともに示談代行を行っ ている(藤村=山野(1999)207 頁参照)。 13) たとえば,東京海上火災保険は 1998 年に東京海上・自動車総合保険(TAP: Tokio Automobile Policy)を発売したが,同保険には日常生活賠償責任 担保特約という個人賠償責任保険特約を付帯することができた。石田他 (1999)175 頁参照。 14) 東京海上日動(2016)72 頁参照。 15) 東京海上日動火災保険では,傷害保険に付帯する個人賠償責任保険に関 して示談代行が開始したのは 2013 年 10 月からである。 16) なお,保険会社が個人向け賠償責任保険に示談代行を導入する場合には, 免責金額をゼロとすることが一般的である(他方,示談代行なしの個人賠 償責任保険では,免責金額 1,000 円が設定されていた)。

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任保険などの専門職業人向け賠償責任保険においても,示談代行商品は発 売されていないようである)。  このことは,示談代行商品の需要が小さい,または,存在しないことを 意味するものではない。大企業であれば,たとえば自社製品を原因とする 賠償事故について自社に専門部署を設けて対応していることも多いであろ う。しかしながら,中小企業ではそのような専門部署を設けることが事実 上できないので,保険者による示談代行を求める需要は存在するようであ る。また,大企業であっても,自社の中核となる事業には関係しないよう な賠償事故に関しては(たとえば,本社ビルのエントランスが濡れていた がために来訪客が転倒して負傷する事故)17),専門部署が存在しないことも 多いであろうし,そのような場合には保険者の示談代行を求める需要が存 在する可能性がある。 3 .賠償責任保険における示談代行の意義と問題点  既に自動車保険の対人賠償保険および対物賠償保険において,もはや示 談代行は不可欠なものとなっているが,ここで改めて示談代行制度の意義 を整理しておくことにする。以下では,保険契約者と被害者に分けて述べ る(なお,本来は保険契約者と被保険者を峻別して記述すべきであるが, 本稿では両者が同一人であることを前提とし,全て保険契約者と表記する こととした)。 ⑴ 保険契約者にとっての示談代行の意義と問題点  保険契約者は保険商品の需要者であるから,示談代行制度の意義を考え るにあたっては,示談代行商品の需要要因を考えることにする。たとえ保 険者が示談代行商品を発売しても,需要者たる保険契約者が当該商品を購 入しようとしなければ普及しないからである。 17) 他方,企業経営の根幹に関わる賠償事故については,企業自身が賠償交 渉を行うことが多いので,示談代行の需要は強くないであろう。志田(1999) 482 頁,山下友信(2005)426 頁参照。

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① 示談代行の意義―需要要因―  賠償責任保険において,示談代行付きの保険商品と示談代行なしの保険 商品とが存在する場合,保険契約者が前者を求める要因としては,次のよ うな事情が考えられる。なお,文化的制約は考慮していない18) ア 示談交渉コストの発生頻度が高い  賠償事故を起こした場合,賠償責任保険で塡補される損害賠償額とは 別に,保険契約者には示談交渉コストが発生する。たとえば,示談交渉 のために仕事を休まなければならないとすると,逸失利益というコスト が保険契約者に発生する。また,精神的な負担というコストも発生する。 賠償事故の発生頻度(=示談交渉コストの発生頻度)が高いほど(より 正確には,賠償事故の発生頻度が高いと感じれば感じるほど),示談代 行付き保険商品の需要は高まる。 イ 示談交渉コストが示談代行コストよりも高額である  示談交渉コスト(保険契約者自身が示談交渉を行うコスト)よりも, 示談代行コスト(示談交渉を保険会社に委任するコスト。具体的には, 示談代行商品の保険料のうちの示談代行部分)が低いほど(より正確 には,示談代行コストが示談交渉コストよりも低いと感じれば感じるほ ど),示談代行付き保険商品の需要は高まる。 ウ 示談交渉コストの多寡が区々である  賠償事故を起こした場合,常に同程度の示談交渉コストが発生する訳 ではなく,事故毎に示談交渉コスト(精神的負担を含む)は大きく異な 18) 自身が発生させた加害事故について,その賠償問題の解決を他人に委ね ることに,文化的な制約が存在する可能性がある。そのことは,たとえば, 『FAP 解説』(1974)iii 頁において,「事故処理にあたって保険会社が示談 代行を行うことは,必ずしもわが国の風土になじまないと考えられていた」 と記されている。しかしながら,そのような文化的制約があるにもかかわ らず,自動車事故に関する示談代行の強い需要が存在し,それが自動車保 険への示談代行導入につながり,しかも,今日においては示談代行商品が 自動車保険のほとんどを占めるに至っているため,本研究では文化的制約 を基本的には勘案しないこととした。

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る。一般に,こうした負担額が不確実なコスト負担を嫌って,示談交渉 コストの多寡の分散が大きいほど(より正確には,示談代行コストの分 散が大きいと感じれば感じるほど),示談代行付き保険商品の需要は高 まる。 ② 自動車保険における示談代行需要要因  自動車保険の対人賠償保険や対物賠償保険において,示談代行付き商品 が発売され(対人示談代行商品発売は 1974 年,対物示談代行商品発売は 1982 年),そして,急速に普及していったのは,以上の需要要因から説明 することができる。 ア 自動車事故における示談交渉コストの発生頻度  戦後,1970 年までは交通事故による死者数や負傷者数が増加の一途 を辿っていた(図 2 参照)。ただし,死者数や負傷者数の絶対数は増加 していたものの,それは自動車登録台数の増加に伴うものであって,人 身事故の発生頻度自体は減少傾向にあった。すなわち,自動車等 1 万台 当たりの死者数は,ほぼ一貫して逓減傾向にあり,同・負傷者数は,増 減を繰り返しながらも長期的には逓減傾向にあった(図 3 参照)。  けれども,一般人が惹起する加害事故としては,自動車事故は,他 の事故形態よりも発生頻度がはるかに高いものであったと考えられる19) そして,当時は「交通戦争」という言葉が用いられた時期であり20),国 民の間には交通事故に対する危機意識が高揚していたと言えよう。  また,賠償事故の発生が,ただちに損害賠償請求に繋がる訳ではな い。当時は交通戦争が大きな社会問題となり,そして,人々の賠償意識 が高まり始めた時期であるので21),たとえ交通事故の発生率が逓減して 19) 土屋(1974)117 頁参照。 20) たとえば,電通株式会社が公表している「広告景気年表」においては, 1960 年の流行語の一つに「交通戦争」という言葉が現れている。

http://www.dentsu.co.jp/knowledge/ad_nenpyo.html, last visited on Jan 25, 2017.

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いても,被害者からの損害賠償請求は増加していた可能性がある。実際 にも,1962 年から 1984 年にかけて,自賠責保険の請求率(交通事故死 傷者数に対する自賠責保険請求受付件数の比率)は一貫して上昇してい る(図 4 参照)。したがって,交通事故発生率自体は逓減傾向にあった ものの,それを大幅に上回る賠償請求率の増加があったものと推測され る22)。このような情勢の中,1974 年,自動車保険の対人賠償保険に示談 代行が導入された。  その後,交通事故件数自体(物損事故を含まず)は一旦減少へと向か い始めたものの,1978 年から再び増加へと転じることとなった23)。また, 物損事故は,人身事故とは比較にならないほど多数の件数が発生してい た24)。このような情勢の中,1982 年,自動車保険の対物賠償保険にも示 談代行が導入された。つまり,当時においては,対物示談交渉コストの 発生頻度は高いと認識されていたと考えられる。 22) 1962 年から 1968 年にかけて自賠責保険への請求率が大幅に上昇したの は事実であるが,被害者の加害者に対する賠償請求率が上昇したことのみ ならず,次のことが影響した可能性も否定できない。すなわち,自賠責保 険制度が広く知られるようになり,また,賠償額の上昇に伴って,被害者 が加害者に賠償請求せずに自賠責保険へ被害者請求する比率が上昇したり, 損害賠償した加害者が自己負担せずに自賠責保険に加害者請求する比率が 上昇したりした可能性である。  また,1966 年 4 月より自賠責保険で内払制度が開始したが,それがため に自賠責保険への請求件数が増加した影響もある(請求率が 100%を超えて いるのは,そのためである)。 23) 交通事故総合分析センター(2014)11 頁。 24) SAP 発売後の統計であるが,1993 年 6 月単月の保険金支払データから算 出した推計値では,1 ヶ月間で 67.8 万件(年間ベースでは,814 万件となる) の物損事故が発生している(正確には,事故件数ではなくて,被害物数で ある)。日本損害保険協会(1994)2 頁,4 頁参照。

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【図 2 】交通事故 死者数・負傷者数(絶対数)推移 死者数(実線) 負傷者数(点線) (交通事故総合分析センター(2014)11 頁の表を基に筆者が作成した) 【図 3 】交通事故 死者数・負傷者数(自動車 1 万台当たり)推移 死者数(実線) 負傷者数(点線) (交通事故総合分析センター(2014)25 頁の表を基に筆者が作成した)

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【図 4 】自賠責保険の請求率(死者・負傷者数対比)推移 (塙(1978)46 頁の表,自動車保険料率算定会『自動車保険の概況』(昭和 48 年度以降の各年度版)自動車保険料率算定会および損害保険料率算出機構『自 動車保険の概況』(平成 14 年度(平成 13 年度データ)以降の各年度版)損害保 険料率算出機構における「調査事務所受付件数の推移」や「損害調査受付件数 の推移」,交通事故総合分析センター(2014)11 頁を基に筆者が作成した) イ 自動車事故における示談交渉コストと示談代行コスト  自動車事故における示談交渉コストは,保険契約者にとって大きなコ ストとなる可能性があった。なぜなら,一般に,賠償事故を起こした保 険契約者は,加害者であるばかりか,損害賠償法の知識に乏しく,また, 交通事故の示談交渉に慣れていないため,被害者との示談交渉を精神的 負担と感じることが多い。特に自動車事故は,当時における他の一般的 な賠償事故とは異なり,一般人が全く見ず知らずの他人に危害を与える ものであった(当時における一般的な賠償事故は,個人が加害者となる 場合は,日常生活で接している者が被害者となり得る者であった。また, 事業者が加害者となる場合は,完成品製造者を除けば,取引先や近隣住 民が被害者となり得る者であった)。そのため,交通事故加害者は,被 害者となった見ず知らずの他人を相手として,示談交渉をしなければな

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らず,精神的負担は大きいものであった。25)  そして,保険契約者は,示談交渉で相当な精神的負担を負うのみなら ず,財産的にも相当な負担を負う可能性がある。すなわち,被害の内容, 過失相殺の有無,被害者の属性,交渉地(通常は,病院や被害者宅)と の距離等々次第で,治療途中段階での被害者の治療費,休業損害,通院 交通費等の取扱いや,治療終了後の示談交渉に関して,保険者との打ち 合わせや被害者との連絡・交渉等に多大な時間を要することがあり,保 険契約者の逸失利益が多大となる可能性があった26)。また,交通事故や 損害賠償の専門的知識が十分でない保険契約者は,被害者の損害賠償請 求に対して十分な防御ができず,過失割合で大きな譲歩をしたり,保険 金以外の金銭負担を強いられたりする惧れがあった27) 25) ちなみに,自動車保険の対人賠償保険に示談代行が導入された際に刊行 された解説書には,「自動車の賠償問題,とりわけ対人事故の処理には専 門的知識が要求され,また,適正かつ迅速な解決をはかるためにも多くの 時間と労力をさかなければならない実情にあります。それにもかかわらず, 自ら事故処理にあたる加害者も被害者も,一般的には,示談交渉の進め方 や内容,訴訟となった場合の手続など,自動車事故による賠償問題の解決 方法について不案内であることが多く,そのため当事者の経済的,心理的 な負担はきわめて大なるものがあります。」と記されている(『FAP 解説』 (1974)iii 頁)。なお,「保険士」の介入や示談屋などの民事(介入)暴力 の問題を含め,加害者側に様々な負担が発生することについて寺部(1983), 藤井勲(1986)参照。  他方,加害者が苦しみを経て示談解決することが交通事故の防止にも繋 がるとの指摘もなされていた。山本(1975)52-53 頁参照。 26) 菅原(1975)33 頁参照。  なお,保険者が示談代行を行わないと,保険契約者は保険者と事前打ち 合わせのうえ,被害者との示談交渉に臨むことになるが,そのような保険 契約者には「事実上,実質的な交渉当事者能力がない」。一方,示談代行に よる迅速・適正な損害賠償の履行は被害者のためにもなる。宮原(1973) 59 頁参照。 27) 示談代行の利点および欠点については,西島(1975)8 頁,児玉(1991) 559-561 頁,藤村=山野(2014)426-427 頁参照。なお,山下友信(2004) 803 頁は,保険者が自動車保険で示談代行サービスを引き受けている事情と して,加害者の交渉能力の低さと保険者のノウハウ蓄積の容易さを挙げている。

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 以上の保険契約者の物心両面での交渉コストが多大になることは,保 険契約者が個人である場合のみならず28),保険契約者が事業者である場 合も,自動車運送業者のように自動車事故の事故処理に長けている者で ない限り,基本的には同様である。  他方,保険会社に示談代行を委ねるコスト(すなわち,示談代行商品 か否かによる自動車保険料の相違29))は,大きなものではなかった30)(た

だし,BAP と異なり,示談代行商品である PAP や SAP は複数の保険 のセット商品となっているので,多くの担保種目を必要としない保険契 約者にとっては割高となる)。 28) 初めての示談代行商品である FAP が家庭用乗用車を対象としたのは,事 業者と比較して示談交渉コストが高いと考えられたからである(菅原 (1975)36 頁参照)。換言すると,家庭用自動車のユーザーが特に示談代行 を強く望んでいたからである(塙(1978)72 頁参照)。 29) 示談代行のための保険会社の人件費コストは,付加保険料のうちの事業 費のうちの損害調査費として計上されている。他方,対物示談代行を保険 会社の関連会社(損害調査会社)が行う場合のコストは,査定付帯費用と して保険金勘定で計上されていた(鈴木(1998)101 頁[伊藤克己]参照。 ただし,近時は対物の示談代行は,保険会社の関連会社ではなく,保険会 社自身が実施することが多いようであり,その場合は対人示談代行と同様 に,その人件費コストは損害調査費に計上されることになる)。  なお,自動車保険料率は,対人賠償保険の損害調査費に関しては 6.4%(1985 年 9 月 1 日改定),7.0%(1991 年 7 月 1 日改定),7.6%(1993 年 4 月 1 日改定) と 80 年代から 90 年代にかけて上昇しており,対物賠償保険の損害調査費 に関しては 4.4%,3.4%,3.2%(それぞれ同時点)と同時期に減少している。 鈴木(1988)110 頁[伊藤克己] 同(1991)116 頁[伊藤克己],同(1998) 102 頁[伊藤克己=谷忠和]参照)。 , 30) 初の対人示談代行商品である PAP の発売時には,保険料は BAP よりも 安価であったとのことである(宮原(1973)72 頁注 4,同(1975)45 頁)。 また,示談代行サービスは「無料で提供する前提に立っています」と,対 人示談代行導入時の保険業界関係者は述べている(塙(1978)97-98 頁)。  他方,初の対物示談代行商品である SAP の発売時には,保険料は,PAP 対比で 1%程度高価であった。また,1990 年 7 月改定の料率においても, PAP 対比で,SAP は 1%程度高い(自動車保険料率算定会(1990)8-9 頁 より算出)。

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 つまり,当時においては,保険契約者の物心両面にわたる示談交渉コ ストは非常に多大である一方,保険会社に示談を委ねる示談代行コスト はさほど高くなかったと考えられる(なお,現在もこの状況はさほど変 わらない)。 ウ 自動車事故における示談交渉コストの多寡の不確実性  自動車事故における示談交渉コスト,すなわち,自動車事故で加害者 となった保険契約者の精神的負担や財産的負担(上述イ参照)は,自動 車事故の態様や被害者の被害内容や属性等によって,負担の程度が大き く異なる。  たとえば,同程度の被害であっても,比較的平穏な示談交渉に応じる 被害者もいれば,感情的になったり,不当な要求を続けたりする被害者 もいる。また,被害の程度が軽度であれば比較的円滑に示談交渉が進む であろうが,被害が大きい場合や(特に,重度の後遺障害が残存した場 合)被害者側にも過失相殺が認められる場合には,示談交渉が難航する ことが往々にしてあろう。  つまり,当時においては,自動車事故における保険契約者の物心両面 にわたる示談交渉コストは,具体的な事故や被害者次第で大きく異なる ものであったと考えられる(なお,現在もこの状況はさほど変わらな い)31) 31) リスク回避者は不確実性を嫌うから,自動車事故における示談交渉コス トの不確実性を嫌うことになる。そして,一般に,個人はリスク回避度が 高いと考えられている。PAP が,まずは家庭用の自動車保険について導入 されたのは,個人のリスク回避度の高さに着目してのことだったのかもしれ ない。おりしも,自動車保険の対人賠償保険に示談代行が導入された 1974 年は,日本の高度経済成長が終わり安定期に入った時期である。国民のリ スク回避度が高くなり始めた時期であると言えるかもしれない。  なお,その後,PAP の付保対象用途が自家用全般に拡大され,また, SAP では,当初より,業務用も含めて自家用自動車全体を付保対象とした。 業務用自動車に関しても,示談代行に関する強い需要があったからである。 一般に,事業者は,個人と比較するとリスク回避度は低いと考えられる。け れども,そもそも事業者が積極的にリスクを取ろうとするのは当該事業の

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 以上のような背景事情の下,自動車保険に関しては示談代行の強い需要 が存在したと考えられる。具体的には,自動車保険においては,示談交渉 コストの発生頻度が高く(あるいは,高いと考えられており),示談交渉 コストが高い一方で示談代行コストは高くなく,しかも,示談交渉コスト の多寡に大きなばらつきがあった。そして,この強い需要を原動力として, 示談代行付き自動車保険が急速に普及していったと考えられる32) ③ 示談代行の問題点  保険契約者にとって,保険者による示談代行には次のような問題点が想 定できる。  第 1 に,示談代行商品は,保険者の示談代行コストの分だけ保険料が高 くなる(なお,保険契約者が示談代行付き保険商品と示談代行なし保険商 品とを選択できる場合には,この問題の影響は緩和される)。ただ,この 点は既に前述①イの示談代行コストとして織り込み済みである。  第 2 に,賠償責任保険では,保険関係(保険契約者と保険者との保険責 任関係のこと)の成否の前提条件として責任関係(保険契約者と被害者と の賠償責任関係のこと)が問題となるが,この責任関係においては,保険 契約者の利害と保険者の利害は,基本的には一致する。すなわち,保険契 約者が損害賠償責任を全く負担しなかったり,負担する場合であっても負 担する損害賠償責任が少なかったりすると,保険契約者としては損害賠償 額が少なくなるので望ましいし,保険者としても保険金支払額が少なくな るので望ましい。 コア・リスクであって,周辺リスクに関しては(たとえば,業務として自 家用車を使用するものの,当該事業者が自動車運送業等でない限り,自動 車運行リスクは周辺リスクである)リスク回避的な行動をとる可能性がある。 32) なお,近時は,地方自治体が公用車について自動車保険を締結し始めて いる。蟹澤(2002)によると,福島県,埼玉県,神奈川県,三重県,和歌 山県,徳島県,高知県などが自動車保険に加入したとのことである。また, 鳥取県は 2001 年 12 月に自動車保険に加入している。なお,地方自治体に よる自動車保険加入の背景には,行政監察での指摘もあるようである。た とえば,徳島県(2012)23 頁参照。

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 けれども,保険契約者の利害と保険者の利害が一致しない場合もある。 たとえば,保険契約者の賠償責任負担額が全て保険塡補される場合には33) 保険契約者は賠償責任負担額の多寡について無頓着となるに留まらず,む しろ,示談解決による精神的な安寧を早期に求めるがため,あるいは,早 期示談解決によって自身の刑事処分を軽くせんがため,被害者の過大な要 求に応じようとすることがある。こうした場合,保険者としては必要以上 の賠償保険金の支払を余儀なくされる可能性があるので利害が対立する状 況となる。  逆に,保険契約者の賠償責任負担額が保険塡補されるにもかかわらず, 保険契約者としての名声・信用等を擁護すべく,損害賠償責任を認めよう としないことがある。保険者としては,無駄な争訟費用保険金や賠償保険 金(損害賠償金の遅延損害金部分)の支払を余儀なくされる可能性がある ので,やはり利害が対立する状況となる34)  またたとえば,損害賠償額が賠償責任保険の塡補限度額近辺の場合には, 保険契約者と保険者の利害が相反する可能性がある。具体的には,被害者 が塡補限度額に近い金額の賠償を求めているが,適正な損害賠償額はさら に低いと保険者が考える場合には,保険者は適正な損害賠償額での示談を しようと努めるであろう。けれども,示談交渉が決裂して訴訟に至ると, 低い確率ではあるものの,塡補限度額を超える損害賠償が命じられる可能 33) 自賠責保険が登場する以前においては,戦前より,自動車保険における 賠償保険は 3 / 4 担保方式であった(すなわち,賠償額の 1 / 4 は被保険 者の自己負担となる。これは,船舶保険約款に倣ったものである。東京海 上(1958)50 頁 [ 中村一郎 ] 参照)。なお,1947 年 3 月改定により,特約を 付帯すれば 4 / 4 担保とすることができるようになったものの,示談金額 が高くなりがちであったため,翌年の 1948 年 7 月には 4 / 4 担保特約の引 受が中止された。そして,自賠責保険制度が発足した当時においても(1956 年 2 月),この 3 / 4 担保方式の保険約款が使用されていた。  その後,1965 年 10 月に至り,ようやく自動車保険が全面改定され,全額 てん補方式(4 / 4 方式)となった。東京海上(1990)16-26 頁参照。 34) こうした利害対立状況は,特に専門職業人向け賠償責任保険で生じやすい。

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性がある場合には,保険契約者と利害が相反することになる35)。保険契約 者としては,過大な要求であっても塡補限度額内での示談を望み,万が 一にも訴訟で塡補限度額を超える判決が下されるのを回避したいからであ る。ただ,この点に関しては,日本では実際には大きな問題となっていな い。このような場合には,示談代行を行う保険者が保険契約者と十分な打 ち合わせを行っているため問題が顕在化していないものと推測される。な お,こと自動車保険に関しては,対人賠償保険も対物賠償保険も塡補限度 額が無制限である保険契約が多いが36),そうした自動車保険契約ではこの 種の利害対立は発生しない37)  このように,保険契約者の利害と保険者の利害が対立する状況が生じる 可能性がある38)。けれども,このような利害対立状況を保険契約者が嫌う 場合には,保険契約者は保険者への示談代行を委任しないことができるの で(SAP 約款賠償責任条項 5 条 3 項 2 号,7 条 3 項 2 号参照),保険契約 者のイニシアティブで利害対立状況を回避することができる39)。また,保 険者の示談代行(防御義務)を認めるドイツ40)や米国41)では,むしろ示談 代行時の保険者の利害対立状況を容認したうえで,いかに保険契約者との 35) 原(1997)147 頁,149-153 頁参照。 36) 2012 年度における自動車保険の統計データによると,保険金額が無制限 の比率は,対人賠償保険では 99.3%,対物賠償保険では 90.4%となっている。 損害保険料率算出機構(2014b)94-97 頁参照。 37) 広瀬(2000)226 頁参照。 38) 米国で議論されている代表的な利害対立類型について広瀬(2000)191-193 頁参照。 39) 広瀬(2000)226 頁参照。 40) ドイツでは,保険契約者の被害者に対する損害賠償責任は責任関係にお いてのみ判断され,保険関係では原則として取り扱われない,という責任 関係と保険関係の分離原則(Trennungsprinzip)が採用されている(新井 (1999)61-64 頁参照)。けれども,責任関係の判決が既判力を持つと,損 害賠償義務の有無と範囲に関しては保険関係を拘束するので,分離原則は 貫徹されていない(Weyers / Wandt (2003) Rn. 909-910)。

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利害を調整するかを工夫している。  以上からすると,示談代行によって保険者に保険契約者との利害対立状 況が生じ得るものの,保険契約者にとっての示談代行の利点(前述①②参 照)を勘案すると,示談代行自体を否定するほどの問題点ではない,ある いは,利害対立状況による弊害を小さくしたうえで示談代行を認めるべき であると言えよう42) ⑵ 被害者にとっての示談代行の意義と問題点 ① 示談代行の意義  保険者による示談代行制度が存在しない場合は(あるいは,保険者によ る示談代行制度が存在するものの,保険契約者が示談代行付き賠償責任保 険を手配していない場合は),加害者・被害者間での直接の示談交渉が行 われることになる。なぜなら,日本においては,保険者が示談代行を行う 場合を除けば,加害者・被害者間での直接交渉を全く経ないまま,加害者 または被害者が弁護士に交渉等を委ねることは極めて異例である(ただし, 近時は弁護士費用特約(後述⑵②エ参照)の普及により,被害者が当初よ り弁護士に委任することもあるようである)。したがって,最終的には加 害者または被害者が弁護士に交渉等を委任することになる可能性があると しても,まずは加害者・被害者間での直接の示談交渉が行われるのが通例 だからである。  そこで,加害者・被害者間での直接の示談交渉を前提にすることとする と,被害者にとっての保険者による示談代行制度の意義としては,次の点 が挙げられる。  第 1 に,時間コストの節約である。加害者・被害者間で,損害賠償の知 識に乏しい者どうしが示談交渉するよりも,加害者の代理人である保険 者と示談交渉した方が,被害者にとっても時間コストの大幅な節約となる。 42) 広瀬(2009)196 頁参照。

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その結果,被害者が損害賠償金を受領できる時期が早まることになる43)  第 2 に,加害者が有職者であったり,遠方に居住したりしている場合, 示談交渉を行う日程や場所を調整し,そして実際に示談交渉することが 難しいことがある44)。その点,保険者の担当者は示談交渉を職務としてお り,また,(大手)損害保険会社は保険金支払部署を全国展開しているため, 被害者の都合に合わせた日程・場所での示談交渉が可能かつ容易となる。  第 3 に,損害賠償の知識に乏しい加害者と示談交渉するよりも,保険者 と示談交渉した方が,適正な賠償額を提示される可能性が高い(ただし, 損害賠償の知識に乏しい加害者と交渉すると,適正な賠償額を上回る賠償 を得られる可能性がある。けれども,そのような期待や利益は法的保護に 値しないので本稿では考慮しない)。  第 4 に,保険者と示談交渉する場合,事故後から最終示談に至るまでの 間に何度も保険者と連絡や交渉を行うことになるが,その間に被害者にとっ て有利な助言を得られる可能性がある。たとえば,過失相殺事案では,治 療を自由診療ではなく健康保険診療や労災保険診療に切り替えた方が被害 者自身にとっても有利となるが,そのような助言を得られることになろう。  第 5 に,示談代行導入前は,加害者と示談が成立しても,賠償履行に不 安が残ることが指摘されていた45)。すなわち,たとえ加害者が賠償責任保 険を付保していても,保険者から受領した賠償保険金を被害者に渡さない 可能性があった。他方,保険者が示談代行を行う場合には,保険者は示談 金に相当する賠償保険金を被害者に直接支払うことが一般的である。した がって,保険契約者が法的倒産に至らない限り,保険者によって示談代行 がなされた場合には,被害者に対する保険金による賠償履行が事実上確保 43) 土屋(1974)118 頁,菅原(1975)33-34 頁,東京海上(1990)259-260 頁 参照。なお,対人示談代行商品発売前後のものであるが,加害者との示談 交渉および裁判における交通事故被害者の法行動を丁寧に分析したものと して六本(1972)および森島(1978)がある。 44) 土屋(1974)118 頁参照。 45) 菅原(1975)34 頁参照。

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されていると言えよう。  ただ,この点は保険法 22 条 2 項が新設されたことにより,被害者自身 が承諾しない限り,被害者が加害者たる保険契約者から賠償金を受領する 前に,保険者に保険給付を請求することができなくなっており,問題は解 消している。賠償責任保険全般について(すなわち,示談代行付きでない 賠償責任保険を含めて),被害者に対する保険金による賠償履行が,法制 度として確保されたのである。また,保険法 22 条 1 項が新設されたこと により,保険契約者が法的倒産に至った場合についても,被害者に対する 保険金による賠償履行が確保されることになった。 ② 示談代行の問題点  他方,自動車保険に示談代行制度を導入する際に,導入反対論はいくつ かの問題点を指摘していた(ただし,たとえ加害者が示談代行付きの賠償 責任保険に加入していたとしても,被害者として保険者による示談代行を 好まないのであれば,保険者による示談代行を拒絶することができるので, 深刻な問題は生じないと言えるかもしれない)。具体的には以下⒜~⒟の とおりであるが,併せて述べるとおり,その後に種々の情勢変化が生じて いる。 ⒜ 加害者・被害者間の「地位」の不均衡  保険者による示談代行が行われると,加害者・被害者間の「地位」に不 均衡が生じ,そのため示談の正当性が失われる,あるいは,不当な示談に 繋がるとの指摘がなされた46)。現在においても,被害者個人と示談代行を 行う保険者とでは,交通事故の損害賠償に関する知識や経験に大きな差違 が存在することが多いのは事実である47) 46) 山本(1975)52 頁参照。なお,今日でも交渉力の不均衡は示談代行の問 題点として指摘されている。藤村=山野(2014)426 頁参照。 47) 保険者と被害者の知識や経験の不均衡が問題視される一方で,保険者が 示談代行をせずに,加害者と被害者が直接に示談交渉を行う場合には,両 者の知識や経験の不均衡が示談内容に反映してしまう可能性がある。この 点を指摘するものとして土屋(1974)118 頁参照。

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 けれども,第 1 に,加害者,被害者を問わず,そもそも自らの利益のた めに,知識や経験が豊富な者に法律行為や事務等を委任等したりすること は自由であり,それによって当事者間の「地位」に不均衡が生じることを 問題視すること自体が問題であるように思われる(もし,他人への委任等 による「地位」の不均衡を問題視するのであれば,弁護士への委任自体も 問題視しなければならない筈である)。  第 2 に,被害者と保険者における知識や経験の差違が,保険者の被害者 に対する欺罔や著しく低い賠償水準での示談に必ずしも直結する訳ではな い。その理由は以下のとおりである。 ア 示談代行の拒絶または弁護士委嘱  被害者が,保険者の知識や経験との大きな差違を感じ,交渉において 不利になると考えるのであれば,被害者は示談代行を拒絶することがで きる48)。つまり,被害者は示談代行を強制されるものではなく,保険者 との交渉を拒んだうえで,加害者自身と交渉することができる(もちろ ん,加害者は弁護士に交渉を委任することができるので,加害者が弁護 士に交渉を委任すれば,被害者(あるいは,被害者が委任した弁護士) は,加害者側の弁護士と交渉することになる)。  他方,保険者による示談代行を拒絶せずに,被害者自身が示談交渉等 を弁護士に委任して,「地位」の均衡を図る(または,「地位」の逆転を 図る)ことも可能である。ただし,弁護士委嘱によって被害者自身に弁 護士費用の負担が発生する(なお,被害者に発生するこうした弁護士費 用を塡補する保険商品について後述エ参照)。 イ 保険者の行動制約  被害者が保険者との交渉を行う場合には,両者間に知識や経験の差違 48) 被害者側が保険者との折衝を拒む場合には保険者は示談代行義務を免れ る,と保険約款で規定されている(SAP 約款(損害保険料率算出機構の標 準約款(平成 21 年 6 月改定)。以下,同じ)賠償責任条項 10 条 3 項 2 号)。 平田=水野(1976)249 頁参照。

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が存在することが多い49)  けれども,保険者がそのような差違を利用して,不当な示談を強要す ると,当該事案が訴訟に至る可能性が高まる。保険者の担当者は訴訟行 為を行うことができないので,訴訟に至ると弁護士に訴訟行為を委嘱せ ざるを得ず,保険者としては必然的に争訟費用保険金(弁護士費用等を 保険塡補する費用保険金)の支払増加に繋がることになる。また,裁判 では認定損害額が示談代行基準よりも高くなる傾向があるうえ,判決に 至れば遅延損害金の負担も発生するので,保険者としては賠償保険金の 支払増加にも繋がることになる。  また,仮に当座は保険者の言いなりで示談が成立したとしても,後日 になって,それが不当な示談内容であったことが判明する可能性がある。 その場合には,錯誤無効が成立すると認めざるを得ないかもしれないし, 保険者の評判・信用等を低下させるかもしれないし50),あるいは,保険 者や監督当局等への苦情申し立てに繋がるかもしれない。さらには,保 険会社は監督当局の監督下にあるので,そのような行為を繰り返してい ると行政処分を受ける可能性もある。  したがって,示談代行を行う保険者が不当な示談を行うことについて は,自ずと一定の自制がなされよう(もちろん,保険会社のスタッフに よっては,その担当事案の一部において不当な示談内容での示談代行を 行う可能性があることを否定しない)。 ウ 苦情処理・紛争解決制度  自動車保険の対人賠償保険に示談代行が導入された際に,加害者・被 害者間の「地位」の不均衡を是正するため51),第三者による裁定機関で ある交通事故裁定委員会が 1974 年に設置された(現在の公益財団法人 49) 当然のことながら,被害者によっては,保険者担当者の知識や経験に遜 色がないこともある。 50) 塙(1978)85 頁参照。 51) 寺部(1983)140 頁参照。

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交通事故紛争処理センターである。以下,紛セという)。そして,今日 に至るまで,紛セは着実な活動を続けており,加害者・被害者間の「地 位」の不均衡の是正・解消に貢献している52)  ただし,紛セが取り扱う紛争は自動車事故に限定されている。自動車 保険以外の賠償責任保険の保険事故は基本的には自動車事故には該当し ないので,自動車保険以外の賠償責任保険の保険事故に関しては,一般 に被害者は紛セを利用することができない。けれども,自動車保険を含 む損害保険契約全般に関して,業界団体(日本損害保険協会,外国損害 保険協会,日本少額短期保険協会)が苦情処理や紛争解決を行ってきた。  さらに,平成 21 年の保険業法改正により,法律上の金融 ADR(裁 判外紛争処理)制度として,「指定紛争解決機関」が設けられることに なった(保険業法 308 条の 2 以下)53)。保険契約者が指定紛争解決機関を 利用するのは任意であるが,保険会社は,手続に応じる義務,報告や物 件提出の義務,特別調停案の受諾義務が課されている。2016 年 2 月時 点において,損害保険契約関係で指定紛争解決機関として認定を受けて いるのは,一般社団法人日本損害保険協会54),一般社団法人保険オンブ ズマン55),一般社団法人少額短期保険協会56)の 3 団体である。  このように,自動車保険への示談代行制度導入時とは異なり,自動車 保険以外の賠償責任保険に関しても,法律上の ADR 機関が設置・利用 52)  紛 セ の 活 動 状 況 は そ の 事 業 報 告 書 を 参 照。http://www.jcstad.or.jp/ disclosure/index.htm, last visited on Jan 24, 2017.

53) 法律上の ADR 制度導入に至る経緯および同制度について,中沢=中島 (2009)参照。 54) 日本損害保険協会が運営する指定紛争解決機関は,「そんぽ ADR セン タ ー」 と 称 さ れ て い る(http://www.sonpo.or.jp/useful/soudan/adr, last visited on Jan 24, 2017)。なお,坂本(2008),竹井(2012),森(2013)を参照。 55) 瀧下(2015)参照。 56) 日本少額短期保険協会が運営する指定紛争解決機関は,「少額短期ほけん 相談室」と称されている。http://www.shougakutanki.jp/general/consumer/ consult.html, last visited on Jan 24, 2017.

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されるに至っており,加害者・被害者間の「地位」の不均衡を是正する 仕組みが制度的に用意されている57) エ 新しい保険商品  保険自由化(1998 年 7 月)を受けて,新しく開発された人身傷害補 償保険(人身傷害保険ともいう)を組み込んだ新型の自動車保険が発売 された(1998 年 10 月)58)。今日において,人身傷害補償保険は相当の普 及を見るに至っている59)(ただし,被害者が車両搭乗中ではなく,歩行 中など自動車車外にいる場合にも保険塡補される人身傷害補償保険60) 付保率は低いと思われる)。  被害者が人身傷害補償保険の被保険者であった場合において,加害者 との示談が成立する前に,被害者が人身傷害補償保険の保険金を請求し て受領すると,人身傷害補償保険の保険者は,自動的に被害者の損害賠 償請求権を保険代位する。したがって,その後は,人身傷害補償保険の 保険者と,加害者の示談代行を行う対人賠償保険の保険者との交渉とな 57) 金融 ADR 法の立案担当者は,同法の考え方として,「金融機関と利用者 の情報・知識およびトラブル解決能力などの格差を踏まえると,金融機関 と利用者の実質的な平等を図り,苦情処理・紛争解決に実効性を図ること が中立・公正な紛争解決として重要と考えられる。」と述べている。中沢= 中島(2009)28 頁参照。  また,指定紛争解決機関が行う苦情処理においては,指定紛争解決機関 が顧客と保険業関係業者との「間に入り,顧客に対する助言や事情の調査 をしたり,加入保険業関係業者への迅速な処理の働きかけをしたりするこ とにより,より公平な処理の実現を図るものである」とされている。安居 (2010)1090-1091 頁参照。 58) 東京海上火災保険が総合自動車保険(TAP)を発売し,間もなく各社も 人身傷害補償保険を組み込んだ自動車保険を発売した。TAP について星野 (1999),石田他(1999)173 頁以下参照。 59) 保険毎日新聞社の調査によると,2016 年 3 月末における人身傷害補償保 険の付帯率(「対象契約に占める構成比」)は 90.7%である。保険毎日新聞 2016 年 5 月 31 日号 6 頁参照。 60) たとえば,あいおいニッセイ同和損害保険の自動車保険に付帯すること ができる「交通事故特約」がこれにあたる。

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るが,両者共に保険者であるので,両者の知識や経験は均衡している。 なお,被害者が,人身傷害補償保険の保険金を請求せずに加害者に損害 賠償を請求することを被害者が選択する場合には,被害者と示談代行を 行う対人賠償保険の保険者との交渉となるので,やはり知識や経験の相 違は解消されない(なお,被害者が,まず人身傷害補償保険金を受領し たうえで,受領額を上回る部分について加害者に損害賠償を請求する 場合も同様である)。けれども,被害者が交渉力格差を嫌うのであれば, 前者,すなわち,加害者側との示談成立前に人身傷害補償保険金を請求 する方法を選択すればよい。  また,近時は,弁護士費用特約(弁護士特約ともいう)が付帯された 保険商品が販売されており,この弁護士費用特約が相当に普及している (一部,単体保険も存在するようである)61)。これは,当該保険契約の保 険契約者が被害者となった場合に,加害者に対する損害賠償請求を弁護 士に委任する費用を塡補する費用保険である。被害者が弁護士特約の保 険契約者である場合には,被害者は損害賠償請求を弁護士に委任し(弁 61) 弁護士費用保険は,権利保護保険,訴訟費用保険とも称される。日本に おいては,1999 年に自動車保険の特約として発売された。  また,翌 2000 年には,日弁連が弁護士紹介を行う弁護士費用特約が大成 火災海上保険と同和火災海上保険から発売された(両社の保険商品開発に ついて秋田(2001)参照。その後,日弁連と協定を締結している保険会社 や共済協同組合は増加している)。なお,弁護士紹介を行うのは,各地の弁 護士会に設置されたリーガル・アクセス・センター(LAC)である)。以 上,秋山(2000),同(2009),小島(2001),堤(2005),大東(2014)参照。 そして,LAC と協定している保険会社等だけでも,弁護士費用特約の付帯 件数は 2,200 万件弱に上っている(2014 年度。ただし,保険請求率は 0.1% と極めて低いようである)。日弁連(2015)245 頁参照。  なお,旧弁護士法 33 条 2 項 8 号が 2003 年に削除され,2004 年 4 月より 日弁連策定の「報酬等基準規程」が廃止されて以来,弁護士費用保険にお ける保険金支払額の妥当性,すなわち,保険契約者が要した弁護士費用の 妥当性が大きな問題となっている。加納=佐瀬(2013)33-37 頁参照。また, 大井(2015)参照。なお,弁護士費用保険で生じるであろう問題全般につ いて山下典孝(2011)参照。

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護士費用は弁護士費用特約の保険金で賄われる),当該弁護士が,加害 者の示談代行を行う対人賠償保険の保険者と交渉を行うことになるから, 知識や経験は均衡するか,あるいは,知識や経験はむしろ被害者側の方 が多い状況となる。  このように,第 1 に,そもそも被害者は保険者の示談代行を拒むことが できること,第 2 に,保険者に一定の自制が働くこと,第 3 に,今日にお いては苦情処理・紛争解決の法的制度が自動車保険以外の賠償責任保険に 関しても整備されていること,第 4 に,被害者の「地位」を向上させる人 身傷害補償保険や弁護士費用特約といった新しい保険商品が提供されてい ること(ただし,人身傷害補償保険や弁護士費用特約の対象事故の自動車 事故以外への拡大は必ずしも十分ではない)からすると,加害者・被害者 間の「地位」の不均衡は,もはや保険者の示談代行を否定すべきほどの問 題ではないと考えられる。 ⒝ 保険会社スタッフの知識・経験不足  保険者のスタッフが知識不足や経験不足のまま賠償事件に介入すること によって弊害が生じるとの指摘がなされた62)  この指摘に関しては,自動車保険への示談代行導入当時に各保険者にお いて研修態勢の充実等が図られ,その後も継続的に態勢の維持・向上を続 けている。少なくとも今日において,保険者スタッフが知識不足や経験不 足であることを原因として,大きな問題が一定程度生じているとは思われ ない(もちろん,保険者スタッフの習熟度は区々であり,また,事故形態 や被害内容は千差万別であるから,個別の示談代行において,そのような 弊害が一定確率で発生していることは否定しない)。 62) 山本(1975)55 頁参照。

(29)

⒞ 保険者による不当な示談  保険者が示談代行をするにあたっては営業利益を一義とし,不当に示談 額を抑えることによって,被害者の利益を害するとの指摘がなされた63)  この指摘は,上記⒜の指摘と関連する論点である。保険者の行動が,こ こで指摘されるような行動に必ずしも直結しないことは,上記⒜の論点イ で保険者の行動制約として述べたとおりである64)  また,1998 年に人身傷害補償保険が発売されたが,被害者が人身傷害 補償保険の保険契約者であれば,たとえ賠償責任保険の保険者が不当な賠 償額を提示しても,被害者としては自身の人身傷害補償保険で保険塡補さ れる内容は,少なくとも自身の人身傷害補償保険で確保されることになる。 すなわち,たとえ賠償責任保険の保険者が不当な賠償額を提示しても,被 害者は自身の人身傷害補償保険で保険給付を受けることができる。そして, その後に人身傷害補償保険の保険者は加害者(実質的には,賠償責任保険 の保険者)に求償を行うことになるが,両保険者間で損害額や過失相殺等 について交渉が行われるので,結局,賠償責任保険の保険者はほぼ適切な 賠償保険金の支払を余儀なくされることになる。  さらに,その後に弁護士費用特約が発売されたが,被害者が弁護士費用 特約の保険契約者であれば,不当に示談額が抑えられる事態には至らない。 なぜなら,被害者は,弁護士費用特約の保険給付をもって,自身の損害賠 償請求を弁護士に委任し,受任弁護士に賠償責任保険の保険者と示談交渉 等を行わせることができるからである。 ⒟ 加害者の道義的問題  示談代行制度導入後においてなされた指摘であるが,保険契約者たる加 63) 山本(1975)53 頁参照。また,藤村=山野(2014)426-427 頁参照。 64) さらには,加害者側の自動車保険の特約として,被害者のための実損塡 補型の傷害保険となる特約も発売されている(あいおいニッセイ同和損害 保険の「対歩行者等傷害特約」)。なお,対象となる被害者は歩行者や自転 車搭乗者等に限定されるが(藤村=山野(2014)482 頁参照),保険者利益 の追求による弊害が相当に緩和されることになる。

(30)

害者の道義的問題を生み出す可能性もある。すなわち,加害者は損害賠償 に関する示談交渉を保険者に任せたうえで,見舞い等の道義的責任を果た さないこともある65)。けれども,1974 年の示談代行制度導入以来,既に 40 年以上を経過しており,自動車事故に関して非常に多数の示談代行が保険 者によって行われてきたが,保険者による示談代行は当該制度を否定すべ きほどに道義的問題を生じさせている,と社会一般で認識されていること はないと思われる。 ⑶ 小 括  以上のとおり,示談代行制度は,保険契約者にとっても,被害者にとっ ても,有意義で有用な制度である。  保険契約者にとって有意義な制度であることは,自動車保険において, 示談代行付きの保険商品が大宗を占めるまで普及したことに端的に表れて いる。他方,被害者にとっても有意義であることは,自動車保険における 示談代行制度が定着した今日において,示談代行制度を縮小・廃止すべき であるとする,広く支持されている見解や運動が見当たらないことからも 明らかである。もちろん,一定の問題点が存在し得る,あるいは,存在し ていることは否定できないが,それを大幅に上回る意義や有用性が社会的 に認められていると考えられる。  したがって,このように示談代行付き保険商品が社会的に有意義で有用 であるとすると66),実質論としては,自動車保険以外の賠償責任保険にも 示談代行付き商品を拡大していくべきであることになる67)。そこで,いよ いよ,自動車保険以外の賠償責任保険に示談代行を導入するにあたっての 理論的な検討に移ることにする。 65) 東京海上(1990)552 頁,藤村=山野(2014)426 頁参照。 66) たとえば,自転車事故についても当事者間での示談交渉の難しさが指摘 されている。高木=岸(2014)219-220 頁[岸郁子]参照。 67) 広瀬(2009)195 頁参照。

(31)

4 .弁護士法 72 条の抵触有無 ⑴ 自動車保険における対人示談代行導入時の論議  自動車保険の対人賠償保険に示談代行制度を導入するにあたり,弁護士 法に抵触するか否かが損害保険業界と日本弁護士連合会(以下,日弁連と いう)との間で議論された68) ① 日弁連の指摘内容  損害保険業界が自動車保険の対人賠償保険に示談代行を導入するにあた り示した FAP 約款案に対して,日弁連は弁護士法 72 条に抵触する疑い があることを指摘した(1973 年意見書)69)。その指摘の骨子は次のとおり である。  すなわち,弁護士法 72 条は,弁護士以外の者が,報酬取得目的で,業 として,他人性のある法律事務を取り扱うことを禁止している。ここで問 題となるのは,報酬取得目的と他人性である。前者に関しては,保険料以 外には支払を一切受けないこととされているものの,示談代行によって利 得を得る目的を否定し得ない。後者に関しては,確かに保険者は示談内容 について利害関係を有するものの(ただし,それほど密接とは言えないと する),それは経済的な利害関係に過ぎず,被害者と保険者との法律関係 ではない。したがって,損害保険業界が示した約款案では弁護士法に抵触 する疑いが強い。しかしながら,被害者の直接請求権を導入すれば,被害 者と保険契約者との法律関係と,被害者と保険者の法律関係との実質的同 68) 自動車保険の対人賠償保険への示談代行制度導入時における損害保険業 界と日弁連との論議に関しては,『FAP 解説』(1974)13 頁以下,塙(1978) 76-86 頁参照。また,自動車保険の対物賠償保険も含めた示談代行制度導入 について,寺部(1983)135 頁以下,東京海上(1990)259-264 頁,301-302 頁, 鴻(1995)112 頁以下参照。 69) 意見書は塙(1978)76-81 頁に掲載されている。なお,弁護士業界は,保 険者の示談代行に関して利害関係があることに留意する必要がある。示談 代行付き保険商品の発売によって弁護士の収入が減少したことに関して秋 山(2001)79 頁参照。

参照

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