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WASOG雑感

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Academic year: 2021

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WASOG雑感 〔グラニュローマ:サルコイドーシス研究を支えた人々〕

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日サ会誌 2020, 40(1)

はじめに

 2019年10月にWASOGが横浜で開催されました.約10 年ぶりに出席して,講演内容の充実に加え,信州の望月一 郎先生に会えたことが深く心に残りました.94歳になられ たという先生の,熱心に講演を聞きメモされる姿は以前と 変わりなく,ご自分の最近の研究成果を熱っぽく説明され る姿勢に驚きと感銘を受けました.  また京都の長井苑子先生ともお会いすることができ,流 暢な英語で質問される様子は相変わらず素晴らしいと思 いました.その際,京都の泉孝英先生に連絡を取ってくだ さり,思いがけずその近況を聞くことができました.体力 的に学会に出席できにくくなってきたと言われましたが まだまだお元気な声でした.  そこで,今回は本学会誌への執筆の依頼を受けたのをよ い機会と考え,主にこれまでWASOGに出席したときの思 い出を述べてみたいと思います.

サルコイドーシスとの関わり

 私は1970(昭和45)年医学部卒業ですが,学生時代にサ ルコイドーシス(以下,サ症)の講義は受けたことがなく 知識はまったくありませんでした.1971年に熊本大学第一 内科に入局し,米国留学から帰国された直後の志摩清先生 の実験グループに入り,初めてサ症という疾患のことを知 りました.そしてT-ologyからM-ologyへ(註)の研究をす ることになりました.当時の熊本大学第一内科でのサ症グ ループの主なメンバーは,志摩清,安藤正幸,津田富康, 樋口定信,菅守隆先生などでしたが,その先生方以外で私 に影響を与えてくれたのが奈良の三上理一郎先生と米国 のOm P. Sharma先生です.

三上理一郎先生との思い出

 1979年,奈良で国際シンポジウムが開催された際初め て,三上先生と直接話をさせていただきました.東京から 奈良に移られた三上先生は奈良を気に入られた様子で,近 くにある奈良公園に行くことを勧められたので,志摩先生 と行き鹿と戯れたことを思い出します.集合写真には当時 世界的に有名な方々が写っていますが,残念なことに講演 については何も覚えていません.それ以来三上先生と何度 もWASOGや国内学会でお会いしていますが,一番私の頭 に残っている言葉は「サ症は1人ひとりの患者を診て学ぶ ことが多いから,すべての患者を1人ずつファイルしてお くことが大切」でした.その後実行し非常に役立ちまし た.いわゆる三上節は何度も聞いていましたが,原点はこ の考え方からきていると私はいつも感じていました.  三上先生とのさらなる思い出は,1999年熊本で第6回 WASOGが開催されたときのことです.阿蘇の大観峰とい うビューポイントで,三上先生が歩行中に誤って側溝につ まずいて倒れられ,地元で世話係をしていた私は慌てまし た.大過なくホットしながら手を添えて付き添っていた私 に,「君は臨床家としてふさわしい」と言われたのです.そ のときは単にお礼としての言葉ととらえていましたが,今 になって思い返せば,実験よりも臨床が向いていると見抜 かれていたのかも知れません.三上先生には学問以上のこ とを教わりました.

国際サルコイドーシス学会の思い出

 私は1984年の第10回(米国,Baltimore)と第11回(イ タリア,Milan)に参加しました.本会は第11回で終了し 1989年からWASOGと改名して再スタートしています.ボ ルチモアは私にとってサ症での初めての国際学会でした. ボルチモアは危険で夜の外出はできない状態でしたが,ボ ルチモアストリートと海岸,それにジョンズ・ホプキンズ 大学の古い門柱は今でもはっきり脳裏に焼きついていま す.ミラノの学会ではACEに関する講演が興味深かった 覚えはありますが,それよりポンペイの遺跡を見学して古 代の発達していた街並みのほうをより鮮明に覚えていま す.

WASOG会議のこと

 第1回から第9回まで毎回出席した中から,今も私が記 憶していることを述べてみます.  第1回は1989年にポルトガルのLisbonで開催.このとき にはスペインの各地も旅しましたが,やはりフラメンコの 迫力は素晴らしかった.  第2回は1991年に京都で開催.京都大学の大島駿作先生 が会長でしたが,京都の花街界隈に連れて行ってもらいま した.いわゆる一見さんでは行けないところでしたので感 動したことを今も京都に行く度に思い出します.  第3回は1993年に米国のLos Angelesでした.私はこの ときWASOGで初めて演題を発表しました.拙い語学力で したので伝わったのか不安でしたが,わかってもらえたの か質問が相次ぎ,最後は座長や日本からの出席者に助けて

WASOG雑感

名誉会員 岳中耐夫 *掲載画像の原図がカラーの場合,HP上ではカラーで閲覧できます. WASOG:World Association of Sarcoid and Other Granulomatous Disorders(世界サルコイドーシス/肉芽腫性疾患学会)

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WASOG雑感 〔グラニュローマ:サルコイドーシス研究を支えた人々〕

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日サ会誌 2020, 40(1) もらいました.Sharma先生にはいまいちだなと言われた ような気がします.  第4回は1995年に英国のLondonでありました.当時狂 牛病の話題が全盛の頃でイギリスでは肉を食べないよう に言われていましたが,肉好きの志摩先生が問題ないと言 われ,何人か一緒にステーキを食べました.恐る恐る食べ たので美味しさなど覚えていませんが,その後誰も発症し たとは聞いていませんので安心しています.約25年経ち ましたのでもう大丈夫でしょうか?  第5回は1997年にドイツのEssenで開催.一番の思い出 はスイスの旅でした.旅行ではいつも1つくらいはミスが ありますが,このときは鉄道でドイツからスイスに入る際 に,バーゼル駅が両国側にあることを誰も気づかずドイツ 側の駅で降りてしまい大ごとになりました.  第6回は1999年に熊本で開催.三上先生とのエピソード は前述しましたが,もう1つ特筆すべきは米国のSharma 先生の奥様が病気になられ,熊本市民病院に1日入院とな りました.傍に付いているように言われた私は学会どころ ではなかった覚えがあります.幸い問題なく早めに帰国さ れました.  第7回は2002年にスウェ ーデンのStockholmで開催さ れ,ノーベル賞の授賞式のある会場など見学しました. パーティーも同じ敷地内であり特別な計らいだったよう に記憶しています.   第8回 は2005年 に 米 国 のDenverで し た.こ の 際 に Sharma先生に6年前の熊本でのお礼を言われさらに親し みを感じた次第でした(Figure 1:このときのパーティー でのスナップ).会後にロッキー山脈の4,000 m級の山にバ ス登山しました.年甲斐もなく積雪に走り廻り酸欠で苦し みました.  第9回は2008年にギリシャのアテネで開催.たくさんの 遺跡の素晴らしさに加え,海岸近くの神殿の遺跡から見た 夕日に感激し,なかなか去りがたかったことを覚えていま す(Figure 2).その後も各地の夕日を見ていますがいま だに人生一番の夕日です.

Sharma先生との思い出

 米国のSharma先生に最初にお会いしたのは1984年熊本 でのサ症研究会のときでした.会終了翌日Sharma先生の 要望で,私の自宅茶室で奥様のマギー(Maggie)さん,細 田裕・志摩清先生ご夫妻共々茶を楽しまれました.次にお 会いしたのは翌年の京都での勉強会でした.3月頃だった と思いますが南禅寺を私の妻と3人で散策しました.雪が 降り,山門の美しかったことを覚えています.サ症の勉強 に自分の教室に来たらと誘ってくださったのもその折で した.  1991年に京都での国際学会で再度お会いしました.そし て翌年の夏に約1 ヵ月間ロサンゼルスの南カリフォルニア 大学呼吸器科にお世話になりました.客員教授という肩書 までくださり,外来診療,回診,カンファランスなどほぼ 毎日先生に指導を受けました.また同行した私の家族3人 を自宅に招待してくれたり,ホテルや食事のことなど,マ ギー夫人共々何くれとなく面倒をみてくださいました.今 思えば大それたお世話を掛けたものだと恥じらうばかり です.その年の年末年始に長女がお宅にホームステイさせ ていただき,多くを学びました.  1999年の熊本でのエピソードは前述しました.  2005年のDenverでの国際会議で演題を発表した際に, 今回の講演はよかったと褒めてもらったことが大変嬉し かったことを覚えています.  最後にご夫妻とお会いしたのは2008年のギリシャの国 際会議になりました.

最後に

 2011年3月末に私は熊本市民病院を定年退職し第一線を 退き研究からも遠ざかり,第10回WASOG以降は昨年の 横浜での開催まで出席していませんでした.  しかし,この原稿の執筆が私の中でよい起爆剤,刺激に なったようで,望月一郎先生を目標に,先輩後輩諸先生方 に教えを乞いに今後もWASOGや国内学会に出席したい と思い始めた昨今です.

Figure 1. Sharma先生と家内(第8回WASOGにて) Figure 2. ギリシャの夕日(第9回WASOGにて)

参照

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