[翻訳]サイモン・ガナール 「メディア考古学か
らメディア系譜学へ: エルキ・フータモへのイン
タヴュー」
著者
ガナール サイモン, 太田 純貴
雑誌名
鹿児島大学法文学部紀要人文学科論集
巻
85
ページ
15-23
発行年
2018-02-28
URL
http://hdl.handle.net/10232/00029985
一五
原文を引用する際のソース
Simon Ganahl: "From Media Archaeology to Media Genealogy . An Interviewwith Erkki Huhtamo", in:
Le foucaldien, 2/1 ︵ 2016 ︶, DOI: 10.16995/lefou.17 (1)
目次
1.
メディア考古学の出現
2.
キットラーは決して歴史家ではなかった
3.
メディア系譜学としてのトポス研究
4.
現在主義
vs.
遠近法主義
1.
メディア考古学の出現
(2) サイモン・ガナール: 一九九九年以来、カリフォルニア大学ロサンゼル ス校 ︵UCLA︶ でメディア史とメディアアートについてあなたは講義 ・ 研究を行っていますが、まずはカリフォルニアに来る前の話から始めた いと思います。あなたはヘルシンキで生まれ、トュルク大学で学んでい ます。キャリア形成の初期にあたる時期ですが、そこであなたが受けた 影響について詳しく述べていただけますか? エルキ・フータモ: 国際的に認知されている何人かのメディア文化研究 者と同様に、私もフィランドのトュルク大学を卒業したのですが、最初 に研究していたのは世界文学でした。ですが、すぐに文化史と文化人類 学、美術史と芸術理論に転じました。最初から私の興味関心は、視覚おサイモン・ガナール
﹁メディア考古学からメディア系譜学へ
エルキ・フータモへのインタヴュー﹂
太
田
純
貴
訳要旨
サイモン ・ ガナールによる本インタヴューでは、エルキ ・ フータモがフィ ンランドにおいて自身が受けた教育と初期の仕事、一九九〇年代におけ る﹁メディア考古学﹂の出現、そしてメディア史におけるトポスへの注 目 を 語 る。 ト ポ ス の 文 化 的 パ タ ー ン を 追 跡 す る こ と で、 フ ー タ モ は 考 古 学 的 ア プ ロ ー チ か ら 系 譜 学 的 ア プ ロ ー チ へ と ま さ に 舵 を 切 り 替 え た。 フータモが強調するところによれば、しかしながら、彼が行っているの は細心の注意を払った歴史研究であり、この点がフーコーやフリードリ ヒ ・ キットラー、そしてジョナサン ・ クレーリーとは異なっている。フー タモによればこの三者は﹁現在のモデルを過去のそれに重ねており、そ れゆえに歴史的現実を踏みにじってしまっている﹂のである。キーワード
考 古 学、 装 ディスポジティフ 置 、 フ ー コ ー、 系 譜 学、 フ ー タ モ、 物 質 性、 メ デ ィ ア、 見 ヴ ィ ジ ョ ン ること太 田 純 貴 一六 くのあいだは、同時代のメディアアートに関して経験を積んでいくこと になります。例えば、ヘルシンキのムー・メディア・フェスティヴァル のキュレーターとしての活動などがそうです。ジェフリー ・ ショウ、 ポー ル・デマリニス、ケン・ファインゴールドといったアーティストたちと のコラボレーションは、私の思考の発展にとって一大事でした。 一九九〇年代頃に押し寄せたヴァーチャル・リアリティに関する第一 波 が、 最 新 の メ デ ィ ア へ の 熱 中 と ロ ー マ で 研 究 し て い た 一 六 世 紀 の 旅 行 談 と の あ い だ に 繋 が り を つ け る き っ か け と な り ま し た。 ヴ ァ ー チ ャ ル・リアリティへの熱狂が、クルティウスの述べるところのトポスなの で は と 思 い だ し た の で す。 こ う し た 発 見 が、 私 が 在 野 の 研 究 者 と し て 一九九〇年代にフィンランドで行った一連の研究プロジェクトへとつな がりました。基本的に試みたのは、トポス論的見地に立ってヴァーチャ ル・リアリティの系譜をたどるということでした。こうした歴史研究と ダイナミックに関与したのが、 テレビと展覧会でデジタル ・ メディアアー トのキュレーターとして従事していた仕事です。 一九九〇年代中頃、 フィ ンランドのテレビ局であるYLEのために、 私は﹁ムーヴィング ・ イメー ジの考古学﹂というテレビシリーズの脚本の執筆・監督、加えて同名の 書籍の執筆を担当していました。 ガナール: その頃すでに自身のアプローチを﹁メディア考古学﹂と呼ん でいたのでしょうか?そして、 ドイツにおけるフリードリヒ ・ キットラー とジークフリート・ツィーリンスキーによるメディア史研究については 耳にしていましたか? よ び テ ク ス ト を ベ ー ス と し た 文 化 史 に あ っ た と い う わ け で す。 と は い え、こうしたことと同じく重要なのは、一〇代のころから私はある種の メディア・アクティヴィストだったということです。高校では友人とと もに映画クラブをつくり、 16mmフィルムの映画をレンタルする許可を 得て、高校の視聴覚室で上映を行いました。エイゼンシュテインの﹃戦 艦ポチョムキン﹄なんて大入りでした。アレン・ギンズバーグとフラン ク・ザッパに影響を受けていましたから、アングラな詩や雑誌をつくっ たり路上で販売したりもしました。フィンランドで最初のパンクロック バンドのひとつで演奏したこともあります。 トゥルク大学では歴史研究をしており、特に初期近代を専門としてい ました。奨学金をもらえたのでローマへと引っ越して、修士論文に取り 組みました。一六世紀後半にイタリアへと旅したフランス人たちに関す る内容です。これらのフランス人旅行者たちが書いたものを読んでいく うちに最もはっとさせられたのは、彼らは自分の目で見たものごとを信 じていたのではなく、文化的な定型文句やクリシェ、言わば、周囲の世 界を見て理解するための鋳型を提供するものを繰り返しているというこ とでした。一九八二年、ローマのアメリカン・ブック・ショップでエル ン ス ト・ ロ ー ベ ル ト・ ク ル テ ィ ウ ス の﹃ ヨ ー ロ ッ パ 文 学 と ラ テ ン 中 世 ﹄ を 購 入 し ま し た 1 。 こ の 偉 大 な 本 が、 い わ ゆ る ト ポ ス 研 究 に 私 を 誘 い 込んだのです。この本が示した研究の道筋は、私自身のメディア考古学 的な仕事にとって後々重要であることが判明します。とはいえ、しばら 1
Ernst Robert Curtius:
Eur
opean Literatur
e and the Latin Middle
Ages,
trans. W
illard
R.
サイモン・ガナール「メディア考古学からメディア系譜学へ:エルキ・フータモへのインタヴュー」 一七 響 を 及 ぼ し て い ま す 3 。 フ ー コ ー の こ れ ら の 著 作 に イ ン ス ピ レ ー シ ョ ンを受けたのは私だけではありません。キットラーやクレーリーもそう です。そのクレーリーが一九九〇年に﹃観察者の技法﹄を出版し、論争 を 巻 き 起 こ し ま す 4 。 私 は 出 版 さ れ て す ぐ に ク レ ー リ ー の 著 作 を 読 み ましたが、わくわくさせられると同時にいらいらすることにもなりまし た。自身の理論を正当化するために歴史を短絡させること甚だしい、と 私の眼には映ったのです。クレーリーの著作が出版されたすぐ後に出た ﹃ ア フ タ ー イ メ ー ジ ﹄ 誌 で、 ジ ェ フ リ ー・ バ ッ チ ェ ン は こ の 点 を 明 確 に し て 痛 烈 な レ ヴ ュ ー を 行 っ て い ま す 5 。 写 真 を 論 じ る こ と と 写 真 を 巡 る膨大な議論により、一九世紀の視覚文化に切断をみるクレーリーの主 張は破綻を来すだろう、とバッチェンは指摘しました。 ﹃観察者の系譜﹄ で写真が論じられていないのは、 おそらくそういうわけだからでしょう。
2.
キットラーは決して歴史家ではなかった
ガ ナ ー ル: 視 覚 文 化 の 歴 史 に つ い て お 話 を 伺 い ま し ょ う。 私 た ち は 今 UCLAのブロード・アート・センターにあるあなたのオフィスで座っ 3 Michel Foucault: The Or der of Things. An Archaeology of the Human Sciences,
trans. A.M. She ridan Smi th, London: Tavist oc k 1970 [French 1966]); The Ar
chaeology of Knowledge and the Discourse on Language,
trans.
A.M. Sheridan
Smith, New
York: Pantheon Books 1972 [French 1969]).
4
Jonathan Crary:
Techniques of the Observer
. On V
ision and Modernity in the
Nineteenth Century
, Cambridge, MA: MIT
Press 1990. 5 Geof frey Batchen: "Seeing Things: V ision and Modernity ," in: Afterimage, 19/2 (1991), pp. 5–7. フータモ: ええ。 キットラーに関しては彼の小論﹁ コミュニケーション ・ メディア ﹂をフィンランド語に翻訳しさえしていたのですよ。ツィーリ ンスキーとは一九八〇年代以来の知り合いです。フィンランドのある新 聞のために、彼にインタヴューをしました。彼がトゥルクでレクチャー をした時のことですね。確か一九八九年だったと思います。当時ツィー リ ン ス キ ー は﹁ メ デ ィ ア 考 古 学 ﹂ に つ い て 語 っ て は い な か っ た の で す が、自分がこの概念を発明したと後に主張することになります。私が自 身の歴史研究を ﹁メディア考古学﹂ と大舞台ではっきりと言及したのは、 一九九四年にヘルシンキで開催された国際電子芸術シンポジウムでの基 調講演のときが最初です。この講演は若干の修正を経て、 ﹃レオナルド﹄ 誌や﹃エレクトロニック・カルチャー﹄という論集に後日収録・刊行さ れました。後者にはフリードリヒ ・ キットラー、 レフ ・ マノヴィッチ、 キャ サリン・ヘイルズ、シェリー・タークルや、デジタルメディアの理論家 たちの論文も収録されています 2 。 人 文 科 学 で は 当 然 の こ と で す が、 ﹁ メ デ ィ ア 考 古 学 ﹂ と い う 概 念 も さ まざまな知的興味関心の結合体として出現しました。私のような研究者 の多くに、フーコーの﹃言葉と物﹄と﹃知の考古学﹄は極めて大きな影 2
Erkki Huhtamo: "From Kaleidoscomaniac to Cybernerd.
Towards an
Archeology of
the Media," in:
Timothy Druckrey (ed.):
Electr onic Cultur e. T echnology and V isual Re pre se nta tio n, Ne w Yo rk : Ap ert ure 1 99 6, pp . 2 96 –3 03 , a nd in : Le on ard o, 3 0/3 (1997), pp. 221–224.
太 田 純 貴 一八 鑽を積んだ歴史家たちの口から生じ来るこういった研究者たちへの批判 は、 私にとっては全くもって納得いくところのものです。 フーコーとキッ トラーの著作は興味をかき立ててはくれますが、歴史的正確さというこ とになると信頼はできません。キットラーの研究は間違いや奇妙な誤解 に加え、わざと戯れに現代のアイディアを過去に重ねるということにま みれています。明晰ではあるが向こう見ずな哲学的精神を備えたキット ラーが、私が求めて止まないある種の歴史的精密さに関心があったとは 思いません。 彼は自身の省察を歴史的状況に投げ入れ、それが引き起こす衝突から 生み出されるものごとを理解することのほうに興味があったのです。そ れ は 問 答 的 な ア プ ロ ー チ で あ り、 戯 れ の 陣 取 り 合 戦 の よ う な も の で す。 キットラーが歴史を使用するのは、歴史とは異なる極めて個人的な目的 のためなのです。そうした目的とは哲学的もしくは論争的なものである に違いありません。とはいえ、 キットラーの知的世界はヴォルフガング ・ エルンストのそれよりも遥かに広大です。エルンストの知的世界はもっ と絞られており、彼が焦点を合わせているのは技術システムとそれらに 関してエージェンシーとされているところのものごとです。私の胸の内 を占めているのはディスクールに関わる興味関心といったものなのです が、 そ れ を 締 め 出 す 彼 の﹁ 冷 た い ま な ざ し ﹂ を 私 は 共 有 し て い ま せ ん。 これは奇妙でもあります。ヴォルフガングのアカデミックなキャリア形 成は、私のそれとさほど違わないのです。彼はそれを捨て、がらりと異 なる方向へと進む必要があったのです。 て話をしているのですが、一九世紀の光学装置がぐるりと取り囲んでい ま す。 あ な た の 書 い た も の を 読 む と、 キ ッ ト ラ ー か ら ヴ ォ ル フ ガ ン グ・ エルンストへとつながるドイツのメディア考古学の系列に馴染むとは言 えません。ドイツのメディア考古学の主たる関心事は﹁マシーンという エ ー ジ ェ ン シ ー﹂ 、 す な わ ち メ デ ィ ア 史 の 物 質 的 要 素 で す 6 。 こ う し た ドイツのメディア論にたいして、あなたはどのような位置づけにあるの でしょう? フータモ: 彼らの著作はずっと読んできてはいますが、私はそのような ドイツ的伝統にはさほど繋がりはありません。それよりも影響を受けた のが、アングロ=アメリカン的なカルチュラル・スタディーズです。そ れだけでなく、フランスのアナール学派に、ヨハン・ホイジンガらによ る文化史の古典、そしてウンベルト・エーコとロラン・バルトの系列に 連なる文化記号論からも影響を受けています。隠されたイデオロギー編 成の徴候を読み取ることが、私にとっては依然として重要なのです。結 局 の と こ ろ、 私 は 文 化 史 家 と し て キ ャ リ ア を 形 成 し、 物 質 と し て の 装 置や文化技法に興味は持ってはいます。ですが、それらはディスクール 的実践の結果であり、コミュニケーションのプロセスを決定するファク ターではないと考える人文科学者でもあるのです。 一 方、 キ ッ ト ラ ー は 決 し て プ ロ の 歴 史 家 で は あ り ま せ ん で し た。 そ れは明白です。フーコーもそうです。歴史家ではありませんでした。研 6 W
olfgang Ernst: "Let
There Be Irony: Cultural History and Media
Archaeology in
Parallel Lines," in:
Art History
サイモン・ガナール「メディア考古学からメディア系譜学へ:エルキ・フータモへのインタヴュー」 一九
3.
メディア系譜学としてのトポス研究
ガナール: あなたのメディア考古学︹の議論︺では経験に関わる多様な も マテリアル の が豊富に登場します。それを考えると、理論に関わる概念を生み出 し使用することについても同程度の知的峻厳さを要求したいのです。歴 史 の 細 部 で 迷 子 に な り た く な け れ ば、 私 た ち に は パ ー ス ペ ク テ ィ ヴ が、 すなわち現代の問題によって突き動かされる好奇心が必要です。概念は 私たちがデータを理解し意味を与えるのを助けてくれますが、概念を応 用することと、とりわけ概念を組み合わせることについては、正確かつ 慎重でなければなりません。というわけで私が議論したいのは、あなた やほかの学者たちによって一九九〇年代以降に打ち立てられてきたこの ようなアプローチの二つの部分についてです。すなわち、メディアと考 古学についてです。メディア考古学においてメディアとは何なのでしょ うか? フータモ: 私にとってひとつのハードウェアのようなテクノロジー装置 は、メディウムではありません。メディウムではあり得ないのです。そ れ は、 実 際 に 使 用 さ れ た と き に は じ め て メ デ ィ ア 文 化 の 一 部 に な り ま す。実際の使用とはもちろん物質的な側面に関わりますが、それよりも はるかに抽象的なレヴェルで展開をみせもします。それは、あるメディ ウムが使用する人々によって変形させられる時のことです。これが﹃動 くイリュージョン﹄で私が探求した問いなのです。決して完全には重な り合わない様々な文化的レヴェルにおいて、ムーヴィング・パノラマが ガ ナ ー ル: な ら ば あ な た は﹁ 新 ニ ュ ー ・ マ テ リ ア リ ズ ム し い 唯 物 論 ﹂ に 従 事 し て い る 学 者 た ち、 すなわち、非人間的なアクターや 仲 メディエイター 介物 といったパースペクティヴから メディア作用のプロセスを記述しようとする学者たちにも同意はしない と 7 ? フータモ: 肝心なのは、私が理解するメディア考古学とは極めて強い経 験的根拠を備えているということです。事実に関する土台がしっかりし ていない学問を、私はあまり評価しません。メディア論者はたくさんい るでしょうし、メディア考古学者を名乗って、本棚三台分の本たちをと て も 深 く 研 究 し て そ れ で 新 し い 本 を 執 筆 す る 人 々 す ら い る よ う で す ね。 でもそれは、私にとってはイージーなやり方なのです。自分はハードな やり方をとってきた、と信じたいところです。何年にも渡ってアーカイ ヴにつぐアーカイヴを巡りに巡り、そうした調査に必要なスキルを身に つけるため複数の言語を修得しました。換言すれば、私はメディア考古 学に歴史家として接しているのであって、哲学者としてではないという ことです。ですが、歴史を深く掘り下げながら極めて複雑なアイディア のシステムを発展させている、たいへん勤勉で労を惜しまない研究者た ちもいます。ベルンハルト ・ ジーケルトは、 そうした研究者の中でも真っ 先 に 挙 げ ら れ る 一 人 で す 8 。 私 の 研 究 と は ま っ た く 異 な っ て い ま す が、 私は彼の仕事に刺激を受けています。 7See, for example, Ian Bogost:
Alien Phenomenology
, or What It's Like to Be a
Thing,
Minneapolis/London: University of Minnesota Press 2012.
8 See the special issue on "Cultural Techniques" in Theory , Cultur e & Society , 30/6 (2013).
太 田 純 貴 二〇 す 10 。 ガナール: フーコーがこの話題を無視していたという指摘に、皆が頷く わけではありません。例えば﹃知の考古学﹄ではタイプライターが、 ﹃監 獄 の 誕 生 ﹄ で は 筆 記 具 と し て の ペ ン が 挙 げ ら れ る で し ょ う 11 。 で す が、 フーコーがこういった問いにさほど興味を持ってはいなかったというこ とは確かです。それはおそらく彼の方法論においては、メディア装置が ディスクールの根底にないからだと思われます。メディアは知の形式の 単なる可視的要素にすぎないのです。 すでに触れてはいるのですが、ここからはメディア考古学の第二の側 面をより掘り下げていきたいと思います。フーコーのディスクール分析 には強い影響があったと、あなたは言及しました。ですが、あなたが現 に 実 践 し て い る 研 究 を 鑑 み れ ば、 ﹁ メ デ ィ ア 系 譜 学 ﹂ と い う タ ー ム の ほ う が も っ と し っ く り く る の で は な い で し ょ う か 12 。 フ ー コ ー の 考 古 学 は 物 質 よ り は デ ィ ス ク ー ル に 関 わ り、 通 時 的 と い う よ り は 共 時 的 で す。 対照的に、あなたのメディア考古学はトポスを同定し現在にまで至るそ 10 Friedrich A. Kittler: Gramophone, Film, T ypewriter , trans. Geof frey W
inthrop-Young and Michael
W
utz, Stanford: University Press 1999 [German 1986], p. 5.
11 Se e Mi che l Fouc aul t: The A rchae ol ogy of K nowl edge , pp . 79– 87; Di sc ipl ine and Puni sh. The B irt h of the P ri son, tra ns. Al an She rida n (Ne w York: V int age 1977 [French 1975]), fig. 2. 12
On this question, see also
Alexander Monea and Jeremy Packer: "Media Genealogy
an d t he Po liti cs of Arc ha eol og y," i n: Int ern at iona l J ou rn al of C ommu ni ca tio n, 1 0 (2016), pp. 3141–3159, URL: http://ijoc.or g/index.php/ijoc/article/view/5224/1698 どのように存在していたのかということを、私はこの著作で吟味しまし た 9 。︹ムーヴィング ・ パノラマは︺ 物質的には、 カンヴァスに色彩が載っ ているだけです。しかし、講釈つきのパフォーマンスもあったことを考 えれば、このときムーヴィング・パノラマのカンヴァスは他のあらゆる 種類の装置と実践がつながるメディウムとなります。それはさまざまな ディスクール・広告・口コミによっても取り囲まれています。より高次 のレヴェルに眼を向ければ、宗教書の書き手・哲学者・科学者たちがパ ノラマという考えをメタファーとして使い始めました。彼らがこのメタ ファーを繰り返し使用し、変奏することで、ムーヴィング・パノラマは ひとつのトポスとなりました。それは、物質としてのもしくはパフォー マンスとしてのムーヴィング・パノラマとは、ごく漠然としか対応して いなかったのかもしれないのです。 ガナール: ですが、物質に関わるテクノロジーや文化的実践についての そうした一連の設定を、 なぜメディアと呼ぶ必要があるのでしょう。 フー コー的な見地からすれば、それは知の形式です。 フータモ: なぜなら、知には伝達するための鋳型が必要だからです。知 は独立して存在しておらず、つねに何かの一部です。まさにこれはフー コーが避けた問題です。キットラーはメディア文化とそのインパクトに ついて﹃グラモフォン・フィルム・タイプライター﹄で指摘をしました が、フーコーはキットラーほどそれらについて多くを語っていないので 9 Erkki Huhtamo:
Illusions in Motion. Media
Ar
chaeology of the Moving Panorama
and Related Spectacles,
Cambridge, MA: MIT
サイモン・ガナール「メディア考古学からメディア系譜学へ:エルキ・フータモへのインタヴュー」 二一 ガナール: ですが、トポスとはパターンであるというのがあなたの論点 ではないのでしょうか?さまざまなメディアにおいてある種のクリシェ が、歴史の中で繰り返し現れるということなのでは? フータモ: ええと、トポスは文化的なパターンではあるかもしれません が、時計のように機能するわけではありません。これらの定型文句は規 則正しいメカニズムに従っているわけではないのです。それらはふっと 現れるのであって、だからこそなぜ特定の時代に現れてそれ以外の時代 には現れないのかを問うことに価値があるのです。ですが、そうした問 いへの解答はマクロレヴェルでの説明からは生まれないのです。文化と いうのは多層的な現象で、そこでは変化があらゆる層で一度に生じるこ とはありません。そうした諸々の変化は複雑すぎて、そのような全体的 な仮定では捉えられないのです。
4.
現在主義
vs.
遠近法主義
ガナール: お話を聞いて、あなたのアプローチは考古学的ではなく系譜 学的であるという私の印象は裏打ちされました。しかし、まだ残ってい る問いがあります。なぜ古いメディアやデッドメディアが最初に発掘さ れるべきなのでしょう?メディア考古学は、ユッシ・パリッカが述べる と こ ろ の﹁ ︿ 驚 異 の 部 屋 ﹀ 的 発 想 で メ デ ィ ア 史 を 紡 ぐ 手 法 ﹂ に な っ て し まうのでは 14 。? 14Jussi Parikka and Garnet Hertz: "Archaeologies of Media
Art," in: CTheory (April 1, 2010), URL: http://www .ctheory .net/articles.aspx?id=631 の 軌 跡 を 追 う こ と を 目 指 し て い ま す 13 。 こ れ は、 フ ー コ ー に 連 な る 系 譜学の手法ではないのでしょうか? フータモ: 私の研究は共時的なプロセスと通時的なプロセスの両方に等 し く 関 わ っ て い ま す。 ト ポ ス が 時 間 を 旅 す る と い う の は そ の と お り で す。ですが、その起源という好古趣味的な問いに強く惹かれているわけ ではありません。むしろ私はトポスが出現する文脈においてトポスを探 求します。なおかつ、わたしはフーコーの﹁エピステーメー﹂概念には つねに疑いを抱いています。徴候的痕跡から表象的全体へとどのように 至れるのでしょうか?ある時点で起こる圧倒的な文化的移行に関する主 張を、どうして一般化することができるのでしょうか?こういったこと が可能なのは、当の歴史的現実の多くの面を意図的に締め出す場合にお いてのみです。歴史家として、私はそうした全体主義的文化観を批判す るように研鑽を積みました。この点において、フーコーの考古学は、彼 が 理 論 的 に は 拒 絶 し て い た﹁ 精 神 史 ﹂︵ Geistesgeschichte ︶ を、 実 の と こ ろ召喚してしまっているのです。だから、あなたの問いにたいする答え はイエスです。系譜学というタームは、おそらく私のアプローチにとっ て適切な用語なのでしょう。ですが、私はトポスをパターンとして、す なわち観念や実践の規則的な反復としてみなしてはいません。 13 E rkki Huht am o: "Di sm ant ling t he Fa iry E ngi ne : Me di a Arc ha eol ogy a s Topos St udy ," i n: E rkki Hu ht am o a nd Jussi Pa ri kka (e ds.): Me di a A rc hae ol ogy : Appr oaches,
Applications and Implications,
Berkeley
, CA: University of California
Press 201
太 田 純 貴 二二 のです。この点において、私はカルロ・ギンズブルクのようなミクロ歴 史 家 と 立 場 を 共 に し て い ま す。 ミ ク ロ 歴 史 家 は 時 間 を 遡 っ て あ る 状 態、 すなわち、残された無数の痕跡のなかにだけ存在するある瞬間を見破る こ と を 試 み る の で す 15 。 こ の 失 わ れ 無 縁 と な っ た 世 界 を 把 握 す る た め には、その痕跡全てを繋ぎ合わせる必要があるのです。私は開かれてい たいし、何が存在しているのかを示したい。自分のモデルに合わないか らといって、数々の証拠を隠したり無視したりしたくはないのです。 ガナール: わたしたちは現在主義と遠近法主義を区別する必要があると 思います。現代の見地から過去を解釈することは、お粗末な 歴 ヒストリオグラフィ 史記述 で す。 ですが、 いつわたしたちが歴史的瞬間に貞節であったというのでしょ うか。私たちが完全な説明、すなわち﹁全体史﹂を提示しないかぎり不 可能ではありませんか?もしくは、繰り返し登場して現在の状態にまで つながる要素を選択的に示すことができるのでしょうか?二番目のアプ ロ ー チ は、 内 在 的 予 型 論 と 呼 ん で も い い か も し れ ま せ ん。 そ れ は ニ ー チェ、マックス・ヴェーバー、フーコーの著作にみられますし、あなた 自身が書いたものにも見出されるでしょう。あなたが言ったようにトポ スがパターンならば、それをある種の型、すなわちステレオタイプと考 えることはできないのでしょうか? フータモ: ええ。トポスとはステレオタイプ、クリシェや図式で、私た 15
See, for example, Carlo Ginzbur
g:
The Cheese and the W
orms. The Cosmos of a Six tee nth C en tury M ille r, B alti m ore , MD: Jo hn s Ho pk ins Un ive rsi ty Pr ess 1 98 0 [Italian 1976]). フ ー タ モ: 単 な る 自 分 自 身 の 趣 味 の た め に 奇 品 珍 品 を 集 め る 好 古 家 と、 私を誤解してほしくはありませんね。高校時代以来ずっと、私は同時代 の文化活動と歴史研究の両方に等しく携わってきました。おおまかに言 えば、私はこうしたことをニュー・ヒストリシズムと同調する重要な問 題だと理解しています。 私たちの現在と過去は絶えず互いに関係しあい、 説 明 し あ い、 問 い を 投 げ あ っ て い る の で す。 例 え ば、 私 は ム ー ヴ ィ ン グ・パノラマを調査しましたが、それは単にムーヴィング・パノラマが 忘れられているので、生き生きとした記憶を取り戻さなければならない といった動機からではないのです。ムーヴィング・パノラマについて書 いたのは、それが今日の私たちのメディア経験を含む後代の現象と対話 状態にあるからなのです。 これはフーコーにも深く感じ取られる姿勢で、 私も彼と共有しています。そして、 私は今 ﹁スクリーン学﹂ ︵ screenology ︶ と呼ぶことがらについて新しい本を書いているのですが、このような姿 勢は導き手となるアイディアでもあるのです。 しかしながら、こうした対話的アプローチにはリスクがあります。そ の主たるリスクのひとつとして、現在のモデルを過去に重ね合わせてし まい、歴史的現実を踏みにじってしまうということが挙げられます。そ し て す で に 述 べ た よ う に、 フ ー コ ー、 キ ッ ト ラ ー、 そ し て ジ ョ ナ サ ン・ クレーリーに対する非難が似通っているのは偶然ではありません。彼ら の歴史とは選択的です。なぜなら、彼らはある歴史的瞬間の複雑性に敬 意を払っているのではなく、特定のアジェンダを追い求めているからな
サイモン・ガナール「メディア考古学からメディア系譜学へ:エルキ・フータモへのインタヴュー」 二三 性 を 組 織 す る た め の モ デ ル な の で す。 こ の よ う な モ デ ル は、 新 し い ガ ジ ェ ッ ト な ど を 生 み 出 そ う と す る メ デ ィ ア 文 化 の エ ー ジ ェ ン ト た ち に よって活性化します。こういったことは、メディア・アパラトゥスもし く は メ デ ィ ア 装 ディスポジティフ 置 を 歴 史 化 し、 こ の 概 念 を 自 ら の 思 考 方 法 へ と 統 合 す るという私の目下の試みの、いくつかの側面なのです。 訳註 ︵ 1︶ 二 〇 一 八 年 一 月 一 七 日 ア ク セ ス。 な お、 原 文 中 の 図 版 は 省 略 し た。 注 に お け る u r l に つ い て は、 二 〇 一 八 年 一 月 一 七 日 に ア ク セ ス 可 能 で あ る ことを確認済みである。 ︵ 2︶ ︹︺ 内 は 訳 者 に よ る 補 足。 フ ー タ モ の 経 歴 に 関 し て は、 フ ー タ モ の ウ ェ ブサイト︵ http://www .erkkihuhtamo.com/ ︶や、エルキ ・ フータモ﹃メディ ア 考 古 学 ﹄︵ 太 田 純 貴 編 訳、 N T T 出 版、 二 〇 一 五 年 ︶ の 編 訳 者 解 説 な ど を 参 照。 サ イ モ ン・ ガ ナ ー ル は オ ー ス ト リ ア 科 学 ア カ デ ミ ー の ポ ス ト ド ク ト ラ ル・ フ ェ ロ ー。 専 門 は 近 代 オ ー ス ト リ ア 文 学︵ カ ー ル・ ク ラ ウ スとペーター ・ アルテンベルク︶ 、ポスト構造主義哲学︵ミシェル ・ フー コ ー と ブ ル ー ノ・ ラ ト ゥ ー ル ︶、 デ ジ タ ル・ ヒ ュ ー マ ニ テ ィ ー ズ︵ カ ル チュラル ・ マッピングとオープン ・ アクセス ・ パブリッシング︶ 、メディ ア論とコミュニケーション史︵二〇世紀︶ 。 ※本研究は M E X T科研費 1 7 K 1 8 4 8 5の助成を受けた。 ちの経験をかたどるものです。ですが、トポスはさまざまなかたちで姿 を現します。それは、ディスクールの文彩においても物質としての装置 においてもその姿を現すのです。トポスは変化する文脈のなかで再解釈 され再定式化されるのです。 ガ ナ ー ル: あ な た の 述 べ る ト ポ ス の 多 様 性 は、 装 置︵ dispositif ︶ を 彷 彿 とさせます。 ご存知のように、 この影響力のある概念は二つのヴァージョ ン に 大 別 さ れ ま す。 ひ と つ が ジ ャ ン = ル イ・ ボ ー ド リ ー の﹁ 映 画 装 置 ﹂ ︵ dispositif cinématographique ︶ に 由 来 す る 無 ア ヒ ス ト リ カ ル 歴 史 的 な 装 アパラトゥス 置 理 論 で す 16 。 もうひとつが、異質な要素を繋ぐ関係のパターンを分析するというフー コ ー 的 な 歴 史 分 析 で す 17 。 装 ディスポジティフ 置 概 念 は こ の よ う に さ ま ざ ま に 応 用 さ れ ていますが、今日のメディア研究の主たる難問の一つは、これらの応用 の組み合わせであるように思います。 フ ー タ モ: 執 筆 中 の﹁ ス ク リ ー ン 学 ﹂ に つ い て の 著 作 で は、 私 は 装 ディスポジティフ 置 をトポスとして、すなわち、繰り返し活性化し再解釈されるある種のメ デ ィ ア 実 践 の た め の モ デ ル と し て、 装 ディスポジティフ 置 を 基 本 的 に 扱 っ て い ま す。 こ の 意 味 に お い て、 装 ディスポジティフ 置 と は さ ま ざ ま な メ デ ィ ア 使 用 の 要 素 同 士 の 関 係 16 See Jean-Louis
Baudry: "Le dispositif: approches métapsychologiques de
l'impres
sion de réalité," in:
Comm unications , 23(1975), pp. 56–72; and, for exam ple , T he re sa Ha k Kyung Cha (ed.): Ci ne mat ographic Apparat us: Se lect ed W ritings, New York: Tanam Press 1980. 17
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