日本語史の大きな転換期とされる室町時代後期 の、とりわけ語法についての研究を精力的に続け てこられている山田潔氏の、第二作目の著作論文 集がここに紹介する本書である。 山田氏は前著 『玉塵抄の語法』 (二〇〇一年 清 文堂出版) で、 室町期の第一級資料 『玉塵抄』 を 精緻に分析し、これまで誰も明らかにし得なかっ た中世語の言語事実を数多く提示して、高い評価 を受けられ、室町時代語研究者としての地歩を固 めるに至った。 こ のたびの新著 『中世文法史論考』 に所収の論文は、 中世語の助詞 助動詞など 「 辞」 に関わるものの究明が多いとはいえ、平安 鎌倉 時代の問題が含まれ、またテーマも多様で、書名 の名づけに苦労されたということが「あとがき」 冒頭に書かれている。しかし前代のことばを扱っ た論文も、中世語に軸足を置いてのもので、その あらわれは多様であっても、根は一つである。か つ、資料には多種の抄物を中核にキリシタン資料 や御伽草子を駆使し、吟味されたテキストを用い て手堅い論証を行う。山田氏の研究は素材がいつ の時代であれ、中世語研究一筋であり、堅実な用 例実証主義である。 資料に御伽草子を用いることになった契機は、 昭和女子大学名誉教授西本鶏介氏からの学恩によ るということであるが、その昭和女子大学での授 業や、山田忠雄氏主宰の研究会で抱いた疑問がき っかけとなっている論文も少なくないということ (いずれも「あとがき」による) も、古典本文の理解 に真摯に対峙してきた山田氏ゆえの結果であると 考えられる。 本著の内容を目次で示すと、次のとおりである。 第一章 動詞の活用と解釈 第一節 サ変動詞未然形「さ」の成立過程 第二節 「送り迎ひ」と「送り迎へ」 第三節 動詞の解釈三題 第二章 補助動詞の史的考察 第一節 鎌倉期における丁重語「給ふる」 第二節 『御伽草子』の受益表現 第三節 抄物における「候」の用法 第三章 形容詞 副詞の考察 第一節 『玉塵抄』の情意形容詞 第二節 形容詞の解釈二題 第三節 『玉塵抄』の副詞語彙 第四章 推量系助動詞の考察 第一節 助動詞「らむ」の詠嘆用法 第二節 抄物における 反 実 仮 想 表現 第三節 『玉塵抄』における助動詞「さうな」 の用法 第 五 章 接 続表現と助詞 第一節 確定条件 表現と解釈 第二節 抄物における「も」の 反 戻 用法 第三節 反 戻 の助詞「も」とその 派生 用法 ― 72― 2008年 1月 20日発行 清文堂出版 A5判 334頁 定価 9000円(本体) 学 苑 第 八 二一 号七 二 ~七 五 (二〇〇 九 三)
荒尾
秀
『中世文法史論考』
山田潔著
新
刊
紹介
第六章 『長崎版日葡辞書』の語法 第一節 『日葡辞書』の述定 装定表現 ― Se r と E sta r― 第二節 『日葡辞書』における「た」の用法 各章から、特に印象に残るものを取り上げて紹 介する。 第一章の「サ変動詞未然形『さ』の成立過程」 では、サ変動詞未然形「さ」のうち「さ する」 は「せ さする」自体が変化したものであるが、 「さ るる」は独自の変化ではなく、 右 の 「 さ する」が成立した後に、それへの類推によって生 じた語形であることを、 『玉塵抄』の用例に加え、 前段階の『御伽草子』の用例も援用して明らかに した。 「第二章 補助動詞の史的考察」では、 「給 ふる」についての考察が白眉である。従来「給ふ る」については「見る 聞く 思ふ 知る」の四 語に接続する謙譲語、または、丁寧語とされてき た。山田氏は『鎌倉時代物語集成』から丹念に用 例を蒐集し、 右の四動詞以外に、 「怠る おぼゆ 暮す ここちす 過ごす なげく」など九動詞に も接続すること、および、敬語の種類としては、 「丁重語」として捉えるのが妥当であることを実 証している。 「丁重語」であるとする論証の過程 がとりわけ優れている。第三章は語彙論に属する 論考である。そのうち「 『玉塵抄』の情意形容詞」 は、 「あさましい あぢきない うつくしい か なしい」など室町期において特異な意味を持つ形 容詞を十語取り上げ、概説している。 「かなしい」 は現代語の 「 つらい」の意味も有するが、 「夏ア ツウテカナシイ」など興味深い用例も紹介されて いる。第四章第二節では反実仮想の問題を扱って いる。平安 鎌倉期における「まし」が室町末期 の口語資料では「うず」に変わる。それがなぜで あるかを考察する過程で、 『御伽草子』 では 「べ し」が用いられていることに注目した。 「まし」 は本来 「べからむ」の意味であり、 それゆえに 「まし ↓べし ↓うず」のように変遷したと論述す る。山田氏ならではの広範な資料に基づく手堅い 論証である。第五章では、助詞「も」に述語性+ 反戻の意味が認められることを、ほぼ五〇頁に亘 り論述している。扱った抄物も数十種に及ぶ綿密 な考察である。構文論的に「いかなる~なりとも (なれども) 」と 「いかなる~も」とが対応するこ とから「も」には反戻の意味が認められるとし、 その観点から、従来、合説 詠嘆 強調などの用 語で説明されてきた用法をきわめて魅力的に説明 している。 「も」の前に述語性を認めることは、 評者にも異論なしとはしないが、これまで認識さ れてきた「も」の用法に新たな一 面 を加えたこと は 間 違 いない。第六章では『日葡辞書』 中 の用例 を資料として、 その葡語 訳 を手かがりに、 述 定 「~である」装定「~にある」 、ならびに、助動詞 「た」の用法を考察する。前者は述定「~である」 は Se r に、 装定 「~にある」は E sta r に対応し、 さらに、 日本語に 即 して 言 え ば 、 Se r は 判 断 文に、 E sta r は現象文に対応することを明らかにし、 後 者は葡語の「 不完全 過 去 (ていた) 」の用法を室町 期では「た」一語で表していたことを明らかにし たものである。山田氏には『 邦 訳 日葡辞書 逆引索 引 』(一九九 八年 笠 間 書 院 ) という 労作 もあり、 長 年 『日葡辞書』になじ ん でこられた山田氏なら ではの論述である。 本書には 他 に「 竹 取物語」 「 古今和歌 集」 「 蜻蛉 日 記 」などの 解釈 を対象とした 犀利 な論考も見ら れるが、ここでは紹介を 省 く。前 著 では ひ たすら 『玉塵抄』 に 沈潜 した山田氏が、 そ の後、 他 の 多 様 な抄物 御伽草子 日葡辞書にまで対象を広げ、 鋭 意 研究 を重 ね てきた 結果 が、本書に見 事 に 結 実 している。 坂詰 力 治 氏が本書の推 薦 文で述べてお られるとおり、 電 子 媒 体による現代語 中 心 の 研究 に 大勢 が 傾 いている 今 日、このようにす ぐ れて実 証的な日本語史 研究 がなされていることは、 斯界 にとってまことに 喜 ば しく力強いことである。 ( あらお よし ひ で 清 泉女 子 大 学 文 学部教授 日本語 学 ) ― 73―