• 検索結果がありません。

視覚化される「古事記」 : 近代における享受の観点から

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "視覚化される「古事記」 : 近代における享受の観点から"

Copied!
10
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)(1). 古事 記﹄ 視 覚 化 され る ﹃ ︱︱ 近 代 にお け る享 受 の観 点 から︱ ︱. 中. 日田. 古 事 記 ﹄ や ﹃日本 書 のよ う に受 け 止 め た のだ ろう か 。 本 稿 で は 、近 代 に お い て ﹃. や ﹃日本 書 紀 ﹄ を 実 際 に読 み、視 覚 化 し た のだ ろう か 。 ま た 、作 品 を 見 る者 は 、 ど. 古 事 記﹄ た のは 、 近 代 に 入 って か ら であ る。 こ れ ら の作 品 を 描 いた 画 家 た ち は 、 ﹃. ﹃ 古 事 記 ﹄ や ﹃日本 書 紀 ﹄ の 一場 面 を 題 材 にし た 絵 画 が多 く 描 か れ る よ う にな っ. 対 象 か らは漏 れ てき た 。 し か し絵 画 を 調査 o分 析 対 象 に加え る こと により 、 先 に述. と いう 媒体 は重 要 な資 料 の 一つと いえ る が、 これら は 上代 文 学 研 究 者 によ る研 究 の. 古事 記 ﹄ の享受 に ついて探 るとき 、視 覚 化 さ れ た絵 画 は いえ な い。 近 代 にお け る ﹃. 書 を 対象 と し てお り 、 これら の書 籍 類 は 一般 読 者 にま で広 く受 け 入 れ ら れ た媒 体 と. 古事 記 ﹄ の研 究 書 や注 釈 く ま でも 上代 文 学 研 究 者 や神 話 学 研 究 者 向 け の専 門的 な ﹃. 古事 記 ﹄ 関 連 絵 画 を 分 析 受 の具体的 な 諸 相 が 浮 き 彫 り と な る だ ろう 。 そ れ では 、 ﹃. 古 事 記 ﹄ 享 受 の観 め た 広 範 囲 の層 の人 々 にも 受 け 入 れ ら れ る と いう 点 に お いて、 ﹃. う 点 、 た とえ 文 字 が読 め な く と も 主 題 や内 容 が伝 わ る が ゆえ に、女 性 や子 ど も を含. 忘 れ ては な ら な い。 視 覚 表 現 は 、 明 確 な イ メージを 人 々 の心 に強 く印 象 づ け ると い.   一方 で絵 画︱ 見 る物︱ の存 在 を た 書 籍 類︱ 読 み物︱ を 中心 と し た 調 査 が必 須 だ が、. 収 集 や分析 、伝 統 様 式 、 図像 体系 の調査 など の研究 を 重 ね ても 解 釈 が 困 難 と いう 作. 代 に有 効 な 方法 論 が 、 そ の他 の時 代 には有 効 ではな いことも多 く 、文 献 学 的 資 料 の. し 、 そ の方法 論 は 必 ず しも 確 立 さ れ ては いな いと いえ る。 たとえ ば 、 あ る特 定 の時. 図 像 解 釈学 と呼 ば れ る研 究 があ り 、 こ の研究 方 法 を 用 いる こと が有 効 であ る。 し か. 絵 画 の分 析 や 解 釈 に 関 し て は 、美 術 及 び 美 術 史 の研 究 者 に よ る 図 像 学 お よ び. す る際 には 、ど のよう な手 法 、 研 究 方 法 が必 要 な のだ ろう か。. 点 か ら 重 要 な意 味 を も つと 考え ら れ る 。 さ ら には新 聞 への掲 載 や、 雑 誌 、 絵 葉 書 と. も 含 め た、あ ら ゆ る局 面 に ついて の多 面 的 な アプ ロー チと 洞察 力 が必 要 と さ れ る。. 品 も 認 めら れ る。 特 に近 代 、 現代 では 画 家自 身 が独 自 に非伝 統 的 な 図 像 を 創 造 す る. 絵 画 の解釈 は、 そ の研 究 対象 によ って方 法 論 が さまざ ま に変化 す る の であ る。 こ の. 古事 いう 媒 体 に よ って、各 地 への伝 達 が 可 能 であ った こ と を 鑑 み れ ば 、絵 画 は ﹃ し か しな が ら 、 ﹃ 古 事 記 ﹄ 関 連 の書 籍 に つ いて以 上 に、絵 画 と いう 媒 体 に 関 し て. こと が増え 一般 的 と も な って いるた め 、 作 品 の理解 には心 理学 や精神 分 析 学 ま でを. 古 事 記 ﹄ の享 受 は そ の受 容 研 究 が 進 め ら れ て いな い。 上 代 文 学 研 究 の分 野 では 、 ﹃. 記 ﹄ の享 受 研究 にと って欠 か せ な い資 料 と いえ る。. 古事 記 ﹄ の研 究 書 、 訓読 本 、 国語 訳 、 そ し て児 童 書 と い っ 和 戦 前 期 に発行 さ れ た ﹃. 古 事 記 ﹄ の享 受 研 究 のた め には、 近 世 末 期 を含 め 明 治 ・大 正 ・昭 近 代 におけ る ﹃. 紀 ﹄ を 題 材 にし て描 か れ た絵 画 に つ い て考 察 す る。 絵 画 を 分 析 す ると いう 手 法 を 用. ﹃ 古 事 記﹄ の受 容 史 と いう 視 点 か ら 、 近 代 を 含 め て論 じ ら れ る場 合 であ っても 、 あ. 残 さ れ 、そ れ が受 け 継 が れ て来 た か を 辿 る受 容 史 と し て の研 究 を 軸 と し て いる。. 古 事 記 ﹄ が成 立 以 後 ど のよう に各 時 代 にお いて記 録 さ れ 、 文 献 に 研 究 の多 く は 、 ﹃. 田. 古事 記 ﹄ のイ メージ の伝 播 な ど 、 享 べた よう な 広範 囲 の層 お ょび 地域 の人 々 への ﹃. じ め に. 古 事 記 ﹄ 享 受 の具体 的 な 様 相 を 探 る こと が 出 来 るた め であ る。 いる こと で、 ﹃. は.

(2) (2) ). 言語 。文学研 究編 (2008年 3月 甲南女子 大学大学 院論 集 第 6号. †。 ャ ン ル にお いて、 す で に数 点 の作 品 に つ いて考 察 がな さ れ て いる た だ し 、 これ ら. 場 す る神 、 人物 、 場 面 を 描 いた 絵 画 の場 合 は 、美 術史 にお け る ﹁ 歴 史 画﹂ と いう ジ. よう に、 絵 画 の解 釈 に は 常 に困 難 が つき ま と う 状 況 では あ る が 、 ﹃ 古 事 記 ﹄ 等 に登. な る。 そ の理由 と し て歌 舞 伎 の影 響 が 大 き く 、 ﹃ 義 経 千本 桜 ﹄ や ﹃ 菅 原伝 授 手 習 鑑 ﹄. ら ぬも のであ った 。 し か し近 世 に入 ると 、 逆 に神 々 の姿 が積 極 的 に描 か れ る よう に. こと 、見 ら れ る こと を 意 識 し た絵 画 では な か った。 神 の姿 はあ か ら さま に見 ては な. な い神 社 本 殿 の障 壁 画 であ り 、社 殿 を 荘 厳 す る目的 で描 か れ ており 、 人 々 に見 せ る. を 題 材 にし た ﹁ 神 代 物 ﹂ と いう 演 目も あ った こと か ら ″神 ″を 演 じ る役 者 の姿 も 描. は 、 時 代 的 に広 範 囲 にわ た る ﹁ 歴 史 画 ﹂ と いう 絵 画群 を 構 成 す る 一部 と し て取 り あ. 近 代 にお いて、 画 家 た ち は、 原 典 であ る ﹃ 古 事 記﹄ や ﹃日本 書 紀 ﹄ の記 述 を 忠 実. か れ た 。 特 に スサ ノ ヲや ヤ マト タケ ルと い った英 雄 の姿 は 、役 者 絵 と し て庶 民 に広. と い った ﹁ 時 代 物 ﹂ は 人 気 の演 日 であ り 、 歌舞 伎 を 演 じ る役 者 が浮 世 絵 ︵ 役 者絵 ︶. に描 いて いた のか 、 原 典 を ど こま で読 ん で いた のか 、 あ る いはど の場 面 を 描 く 必 要. く 親 しま れ る こと にな った。 す な わ ち 役 者 絵 の存 在 を と お し 、神 々 の姿 を 描 く こと. げ ら れ 解 説 さ れ る と いう 側 面 が 強 く 、 ﹃ 古 事 記 ﹄ 関連 絵 画 と し て纏 め ら れ た も の で. があ った のか。 絵 画 が ど のよう な影 響 を 与 え た のか。 そ し て絵 画 を と お し てど のよ. に抵 抗 が無 く な った の であ る。 明治 、 大 正 期 にな ると 、 神 話 の 一場 面 は 画 題 と し て. と し て描 か れ た の であ る。 こ の ﹁ 時 代 物 ﹂ のな か には ﹃日本 振 袖 始 ﹄ な ど 日本 神 話. う な メ ッセ ー ジ を 伝 え よう と し た のか 。 こ れ ら に つ いて探 る こと は 、 ﹃ 古 事 記﹄ の. は な い。. 喜 受に つ いて研 究 す ると き 欠 か せ な い視 点 のひと つと な る。 作 品 を 描 いた 画 家 と 、. 取 り あ げ ら れ ″歴 史 ″ の名 場 面 と し て描 か れ るよう にな った。 そ し て戦 時 下 にお い ては 、 ″岩 戸神 話 ″ に お け る ア マテ ラ ス出 現 の場 面 や ″神 武 東 征 ″ に関 連 し た 場 面. そ の作 品 を 見 た 鑑 賞 者 がも つ ﹃ 古 事 記 ﹄ への意 識 お よ び 知 識 を 探 る こと が でき るた いる のか 、 と いう 問 題 も 同様 、 ﹃ 古 事 記 ﹄ 享 受 研 究 に お い て重 要 な 課 題 の ひ と つで. 関 係 の雑 誌 に掲 載 さ れ た ﹃ 古事 記﹄ 関 連 の絵 画 に つ いて考 察 す る。 近 代 の美 術 関係. 次 に、 本稿 で取 り あ げ る ﹃ 古事 記 ﹄ 関 連 絵 画 の調査 方 法 を 示 す 。本 稿 では 、美 術. など の ﹁ 国史 絵 画﹂ が ま と ま って制 作 さ れ た のであ る。. あ る こと か ら 、 画 家 が ど の文 献 を 参 照 し た のかも 意 識 す べき であ る。 本 稿 で は 、 こ. を 専 門と す る雑 誌 の細 目を 紹 介 し たも のには ﹃ 美 術 関 係 雑 誌 目次 総覧   明 治 ・大 正. め であ る。 ま た絵 画 の典 拠 と し て ﹃ 古 事 記 ﹄ ﹃日本 書 紀 ﹄ 等 の いず れ が 用 いら れ て. のよう な 観 点 か ら各 々 の絵 画を 取 り 扱 う 。 も ち ろん、 そ れ ら の絵 画 の数 は 枚 挙 に い. ・昭和 戦 前 篇 ﹄ 上 ・中 o下巻 があ る。 これ を手 がかり にし て関連 記事 を 網 羅 的 に調. 美 術﹄ ﹃ 塔 影 ﹄ ﹃日本 美 術 ﹄ ﹃ 美 術 写 真 画報 ﹄ ﹃ 美 術 新 報﹄ ﹃ 美 術 新 論﹄ ﹃ 美 之 国﹄ ﹃ 風. と ま が な いこと か ら 、 絵 画 のな か でも 時 代 の様 相 を 反 映 し た も のや注 目す べき 作 品 本 稿 の手 順 と し ては 、ま ず 近 代 に至 るま で の ﹃ 古事 記 ﹄ 関 連 絵 画 に つ いて概 観 す. 俗 画報﹄ ﹃ みづ ゑ﹄ に ﹃ 古 事 記﹄ 関 連 の絵 画 が、合 計 四十 九 作 品 掲 載 さ れ て いる こ. 査 し た 結 果 、雑 誌 ﹃ア ト リ エ﹄ ﹃ 絵 画叢 誌﹄ ﹃ 研精 画 誌﹄ ﹃ 研 精 美 術﹄ ﹃ 国 画﹄ ﹃ 中央. る。 次 いで該 当 す る絵 画 の調査 方 法 を 示 し 、着 目す べき 数 点 の絵 画 に つ いて考 察 す. と が 明 ら かと な った ︵ 巻 末 の資 料 1を 参 照 ︶。. を 選 択 し 見 てゆく 。. Z υ。. 美 術 誌 掲載 の絵 画 に対 象 を 絞 って調 査 し た 理由 は 、ま ず 、美 術 関係 の雑 誌 に掲 載. さ れ る場 合 、紹 介 記 事 お よ び専 門家 な ど によ る批 評 が 同 時 に掲 載 さ れ る こと が多 い. か に ついて概観 し ておく。近世よりも前 、神 々の姿 や神を象徴す るも のは畏 れ多 い. まず 、近代 に至 るま で ﹃ 古事記﹄等 に記された神 々はど のよう に描かれ てきた の. た か の情 報 や絵 画 作 品 に ついて の同 時 代 評 を 知 る こと が でき 、絵 画 の享 一 受状 況 を 知. いう 状 況 を考 え ると き 、美 術 雑 誌 の紹 介 記事 から は 、 ど のよう な展 覧 会 に出 品 さ れ. 報 を 掲 載 した 雑 誌 が無 く 、絵 画 展 の情 報 は 限 られ た媒 体 に頼 らざ るを 得 な か ったと. 一  近 代 以 前 概 観 お よ び 美 術 誌 掲 載 の ﹃ 古事 記﹄ 関連 絵 画. も のと され、神 の姿 が直接描かれる ことは稀 であ った。たとえば平安末期 の作とさ. る こと が でき る。 ま た 、 描 いた 画家 自 身 のみな らず 評 者 の ﹃ 古 事 記 ﹄等 に関 す る意. た め であ る。 当 時 は 現 在 の ﹃ 月 刊 美 術 ﹄ コム術新 潮 ﹄ と い った 美 術 鑑 賞 に便 利 な 情. れる スサ ノ ヲと クシナダ ヒメを描 いた 八重 垣神社 の板絵 などは、容易 に人が入り得.

(3) 田中 千晶 :視 覚化 される 『古事記』. (3).   一般 には 性 を 考え た 場 合 、 神 社 な ど に奉 納 さ れ た ケ ー スも 少 な く な いた め であ る。. 古事 記 ﹄ ﹃日本 書 紀 ﹄ と いう 画 題 の特 殊 る こと が でき る。 二 つめ の理由 と し ては 、 ﹃. 古 事 記 ﹄ 享 受 の 一端 に つ いても 知 識 や知 識 も窺 う こと が 可能 な こと か ら 、当 時 の ﹃. 画 容 斎 筆 惜嫁 ︵ 松 本 楓 湖 縮 図 と と あ り 、 菊 池 容斎 が 土佐 光 信 、 雪舟 な ど と 並 ぶ ﹁. 菊地 こと か ら、 こ の作 品 に ついて見 て ゆき た い。雑誌 の紹介 記事 には画 題 の下 に ﹁. 菊 池 容 斎 は で削賢 故 実 ﹄ の作 者 と し て知 ら れ、 そ の絵 が多 く の画家 に影 響 を 与 え た. 。 図 1︶ 彦 火 々出 見 尊 ﹂ を 取 り あ げ る ︵ 一︶ 年 五月 ﹃ 絵 画 叢 誌 ﹄ 誌 上 の菊 池 容 斎 ﹁. 明 治 十 ︶年 の内 国勧 業 博 覧 会 に出 品   一八七 七 ︵ 皇 か ら ″日本 画 士 ″ の称 号 を受 け 、. 観 覧 禁 止 、あ る いは そ の所在 を 公 に し て いな い作 品 の存 在 が考 え ら れ るた め 、 こ こ. 雑 誌 の調査 か ら 、 最 も多 い画 題 は神 武 天皇 の ″東 征 ″を テー マと し たも のであ る. さ れた ﹃ 前 賢 故 実 ﹄ が龍 門賞 を 授 与 さ れ た功績 な ど が 、菊 池 容 斎 の価 値 を 高 め たも. 明治 八︶年 に明 治 天  一八七 五 ︵ 家 十 傑﹂ の 一人 と し て扱 わ れ て いる こと がわ か る。. 塔 影 ﹄ が皇 紀 二 六 〇 〇年 と こと が確 認 さ れ た 。 こ の テー マが多 い理 由 を 探 れ ば 、 ﹃. 彦 火 々出 見 尊 ﹂ は 松 本 楓 湖 に よ っ のと いえ よう 。 ﹁ 縮 図﹂ と あ る こと か ら 、 こ の ﹁. で は 、媒 体 を 限 定 し て分 析 す る方 法 を と る。. 昭 和 十 五︶年 に合 わ せ て特 集 を 組 んだ こと が大き な 影 響 を 与え て さ れ る 一九 四 〇 ︵.  一方 で、雑 誌 の 日本 書 紀 ﹄ に拠 る。 ﹁ 彦 火 々出 見 尊 ﹂ と いう 画 題 の漢 字 表 記 は ﹃. て模 写 された も のであ り 、 松 本 楓 湖 は菊 池 容斎 の門 下 であ る。 な お 、 現在 こ の原画. 古 事 記 ﹄ の表 記法 豊 玉 比 売 ﹂ ﹁天 津 日高 の御 子虚 空 津 日高 ﹂ と ﹃ 紹 介 記事 中 に は ﹁. 肇国 いる こと が窺 え る。 た とえ ば 第 十 五巻 六号 ︵一九 三九 年 六 月 ︶ の口絵 写 真 版 ﹁. が 神 武 東 征 に関連 し た絵 であ な。 雑 誌 の特 集 にお け る神 武 天皇 関連 を 除 いた 場合 の. が 用 いられ て いる。 これ は 、菊 池 容 斎 が ﹃ 日本 書 紀 ﹄ の表 記 を 重 視 し た にも 関 わら. の所 在 は詳 ら か では な い。. 画 題 では ″天 の岩 戸 ″ に関連 し た 場 面 が 最も多 く 、 次 いでヤ マト タ ケ ル、 ヒ コホ ホ. 創 業 絵 巻 ﹂ では横 山 大 観 ﹁日輪 ﹂ を は じ め十 二人 の絵 画 が掲 載 され 、 そ のう ち 七 人. デミ ︵ タ ケ ミ カヅ チ︶、 スサ ノ ヲな ど が 海 神 の宮 ︶、 天孫 降 臨 、 神 功 皇 后 、 国譲 り ︵. 古事 記﹄ を 参 照 し たと いう 証 左 と な ろう 。 記事 の内 容 は ヒ コ ず 、 記事 の執 筆 者 は ﹃. に主 流 であ った 爬 虫 類 説 で描 か れ 、 当 時 の学 説 が 反映 さ れ て いると 考 え ら れ る。. 類 ︵ ワ ニザ メ︶ と す る説 が ほ ぼ定 着 し て いよう 。 し か し こ の絵 は 、 近 世 、 明治 時代. 鰐﹂ は 四 つ足 の爬 虫 類 では なく 、 鮫 の 書 紀 ﹄第 一の 一書 に見え る。 現在 では こ の ﹁. 古事 記 ﹄ 及び ﹃日本 鰐 ﹂ に乗 ると いう 記 述 は ﹃ であ ろう 。 海 神 宮 か ら 戻 るとき に ﹁. 景 と いう描 写 は文 献 に記 さ れ て いるも のでは なく 、 菊 池 容 斎 が独 自 に表 現 し たも の. と 、 そ の波 が ヒ コホ ホ デ ミ の背 後 で雲 と 連 な り 、 海 と 空 の切 れ 目 が 判 然 と し な い光. 鰐 ﹂ の背 に立 つヒ コホ ホ デ ミ の姿 であ る。 や や荒 れ た波 づ き 描き出 さ れ た 絵 が 、 ﹁. 古事 記 ﹄ ﹃日本 書 紀 ﹄ の両 書 を 確 認 し た と考 え ら れ る。 こ の両 文 献 の記 述 に基 る ﹃. 前 賢 故 実 ﹄ に参 考 書 と し て挙 げ ら れ て い を 参 照 し て いる。 ﹁ 彦 火 々出 見 尊 ﹂ でも ﹃. 前 賢 故 実 ﹄ では 二百数 十 の書物 物 を 描 く際 、綿 密 な 考 証を 行 い、 た と え ば前 出 の ﹃. 神 の宮 より 還 り 玉 ふ状 を 画 き し な り ﹂ と 説明 さ れ る。 菊 池 容 斎 は歴 史 ・神 話 上 の人. 此 図 は則 ち 尊 の海 か らも やはり ﹃ 古 事 記 ﹄ に拠 った こと が わ か る。 記事 の最 後 に ﹁. 身 の尋 長﹂ の表 現等 鰐 ﹂ 達 が 体 の長 さを 比 べる際 の ﹁ た 釣 針 を得 た と いう 展 開 、 ﹁. ホ ホ デ ミ の海 神 宮 訪 問 調 を 簡 潔 に記 し たも ので、 海 神 宮 に到 着 し て三年 後 に無 く し. 挙 げ ら れ る。 以 下、 画 題 ご と に考 察 し てゆく 。. 彦 火 々出 見 尊 ﹂   菊 池 容斎 ﹁ 一一 明治 二十 まず最初 に、調査した雑誌 のなか で最も早く に掲載 された 一人八八 ︵. 図 1 菊池容斎 「彦火 々出見尊」.

(4) ヒ コホ ホ デ ミ の容 姿 に つ いて詳 し く 見 ると 、 ま ず 、 顔 は す っき り と し た 容 貌 で、 髪 を ま と めず 流 し た ま ま であ り 、 女 性 的 であ る。 菊 池 容 斎 の描 く 人物 に つ いて考え ると 、 ﹃ 前 賢 故 実 ﹄ の図 像 全 般 に見 ら れ る よう に、 た と え 髭 のあ る老 人 であ っても. と にあ ったと考 え ら れ る。. 女 性 的 な 姿 は や や特 殊 なも のと受 け 止 め ら れ る。 こ の容 姿 は ﹃ 古事 記 ﹄ の ﹁ 麗 しき. た 男 性 は 、女 装 を し た こと が明 ら か な ヤ マト タ ケ ル像 のみ であ り 、 ヒ コホ ホ デ ミ の. テ ラ スを 呼 び 出 す た め の準 備 、 ア メ ノ ウズ メによ る舞 な ど 、 ﹃ 古 事 記 ﹄ ﹃日本 書 紀﹄. て る素 材 であ った よう だ 。 天 の岩 戸 神 話 に記 され る 八百 万 の神 々によ る会 議 や ア マ. 戸﹂ を 取 り あ げ た い。 画 題と し て多 い ″天 の岩 戸 ″ は 、 画 家 達 の創 作 意 欲 を 駆 り立. 次 に、描 か れ た 時 代 の様 相 が 反映 さ れ て いると いう 点 にお いて、 町 田曲 江 ﹁天岩.   町 田 曲 江 ﹁天 岩 戸 ﹂ 〓一. 壮 夫 ﹂ コ麗しき 人 ﹂、 ﹃日本 書 紀 ﹄ 第 一の 一書 ﹁ 実 に是 妙 美 し﹂ コ麗し き 神 ﹂、 第 二 の ︲ 一書 ﹁ 顔 色 甚 だ 美 し く 、容 貌 且 閑 な り ﹂ 等 の記 述 か ら 想 起 さ れ た も のと 考 え ら れ. に は 細 か い描 写 が あ る。 たと え ば ﹃ 古 事 記 ﹄ は ア メ ノ ウズ メ の舞 の場 面 を 次 のよう. す っき り と し た 顔 貌 を も って いる。 し か し 、 ﹃ 前 賢 故 実 ﹄ に お いて髪 を 長 く お ろし. る。 あ る いは ヒ コホ ホ デ ミは人 で は な く 神 であ る こと 、 戦 いに関す る話 が な いこと. 天宇 受 売 命 、 手 次 に天 の香 山 の天 の日影を繋 け て、 天 の真 折 を 綬 と 為 て、手 草. に記 し て いる。. とで ﹁ 常 の人 に非 ﹂ ざ る姿 を表 現 し た の では な いか 。 次 に、 体 の方 は 、 ゆ った り と. に天 の香 山 の小 竹 の葉 を 結 ひ て、 天 の石屋 の戸 にう け を 伏 せ て、 踏 みと ど ろ こ. か ら 、 髭 や結 髪 、 武 具 を 持 つと い った 成 人 男 性 の姿 よ り も む し ろ、女 性 的 に描 く こ し た 衣 装 を 身 に纏 い、 身 分 の高 さ を 示 す 物 な のか 、 曲 玉 を 多 く 使 った 首 飾 り を つけ. し 、神 懸 り 為 て、胸 乳 を 掛き 出 だ し 、裳 の緒 を ほと に忍 し垂 れき 。. 装 飾 品 、持 ち 物 、舞 台 、衣 装 や舞 の様 子 など が 具体 的 に示 さ れ 、 イ メ ージ し やす. て いる。手 は長 い袖 に隠 れ て見え な いが 、 足 は 裸 足 であ る。 海 神 宮 で取 り 戻 した釣 針 と 、 海 神 か ら受 け 取 った ﹁ 満潮 干 潮 の 二 の珠 ﹂ は描 か れ て いな い。 つま り 、手 に. に放 置 さ れ る﹂ と 指 摘 さ れ て いる が 、 こ の ﹁ 彦 火 々出 見 尊 ﹂ にお いても そ れ は当 て. 全 般 に共 通 し た 特 色 と し て ﹁ひと つひと つの人 物 像 にま と い つく物 語 が 曖 味 なま ま. あ ま り 想 像 さ せ な い絵 と な って いる 。 菊 池 容 斎 の描 く 歴 史 人 物 画 は 、 ﹃ 前 賢 故 実﹄. か り やす い。 し か し 、 こ の場 面 の前 後 、 つま り 海 神 宮 訪 問 諄 と そ の後 に続 く 展 開を. た 構 成 要 素 か ら 、 日本 の神 話 を す ぐ さ ま 想 起 さ せ ると いう 点 にお いて、 こ の絵 はわ. り 、 兄 と は 断 絶 し て いる の であ る 。 ﹁ 彦 火 々出 見 尊 ﹂ と いう 画 題 と 、 海 ・鰐 と い っ. の二 の珠﹂ で懲 ら し め る。 し か し 、 こ の絵 には 兄 と の関 わ り を 示す 物 が省 か れ てお. ﹃ 古 事 記﹄ に よ れ ば 、 ヒ コホ ホ デ ミ は 帰 還後 に兄 に釣 針 を 返 し 、 兄 を ﹁ 満 潮 干潮. に 値 す る。 ま ず 雑 誌. し た 構 図 であ り 、 注 目. 時 代 状 況を 実在 的 に示. 十 三 ︶ 年 と いう 当 時 の. よう に 一九 三 八 ︵ 昭和. 事 記 ﹄ な ど の展 開 に沿 え ば 、 ﹁天安 河 原﹂ に続く 場 面 であ る。 これ は 以 下 で述 べる. る。 こ の作 品 の後 に描 いた のが、 こ こ にと りあげ る ﹁ 天 岩 戸﹂ であ る ︵ 図 2︶。 ﹃ 古. て いる。 これ は 六 曲 屏 風 一双 と いう 大 作 で、神 々が 鏡 や 玉 を 作 る 場 面 を 描 いて い. 話 を 描 いた作 品 が あ り 、   一九 一八 ︵ 大 正 七 ︶年 十 一月 発 行 の二誌 に同時 に掲 載 され. い場 面 であ った こと が わ か る。 町 田曲 江 にはさき に ﹁天安 河 原﹂ と いう 天 の岩 戸神. は ま る。 菊 池 容 斎 は ﹃ 古事 記 ﹄ や ﹃日本 書 紀 ﹄ と いう ″歴 史 ″ の 一場 面 を 描 く ので. ﹃ 塔 影 ﹄ の解 説 記 事 を. 何 も 持 たず に帰 還 す る のだ 。少 な く と も 、見 せ な いよう に描 か れ て いる。. は な く 、 歴 史 上 の人 物 、 こ こ では ヒ コホ ホ デ ミを 絵 画 と し て表 す こと を ま ず 念 頭 に. 町 田氏 の作 は 岩 戸. 引 用 し よう 。. る のか も わ か ら な いヒ コホ ホ デミ は 、 物 語性 を も 持 た な いの であ る。 菊 池 容 斎 の目. 開き に新 解 釈 を 加. 置 き 、 そ れ に ふさ わ し い場 面を 切 り 取 ったと いえ よう 。 何 も 持 たず 、 ど こを 見 て い 的 は 、 海 神 宮 訪 間 諄 を 描 く こと では な く 、 ヒ コホ ホ デ ミと わ か る図像 を 打 ち 出 す こ. 図 2 町田曲江 「天岩戸」. (4) ). 言語 。文学研 究編 (2008年 3月 甲南女子大学大学 院論 集 第 6号.

(5) 田中 千晶 :視 覚化 される 『古事記』. (5). ん で ゐ る。 町 田老 は事 変 下 の 日本 画家 と し て此 の作 を 示 し た の であ らう 。 そ れ. へたも の で、 空 中 に手 力 男 が 浮 ん でゐる。 天 岩 戸 か ら さす 旭 光 に 日本 地 図 が浮. 本 の下 関 や長 崎 と 異 様 に接 近 し て いる。 人物 が伸 ば した右 手 はち ょう ど 中 国 大 陸 の. し 、 中 国大 陸 の歪 み方 は異 な って いる。 海 岸 線 は 画 面 に対 し てほ ぼ垂 直 にな り 、 日. き 出 た 形 では な いこと か ら 、 町 田曲 江 は手 が か か るよう に意 図的 に地 形 を 歪 め た と. 海 岸 線 にか け ら れ た位 置 にあ る。 実 際 の地 図 では 、手 が重 な る部 分 は絵 のよう に突. 解 説者 の いう ﹁ 事 変﹂ と は 一九 三 一 ︵ 昭和 六 ︶ 年 に始 ま った 満 州 事 変 、 あ る いは. 考 え ら れ る。 これ は 、大 陸 に手 を か け るぞ 、 と いう 意 思 の表 れと 考 え ら れ 、 示唆 的. にし ても 少 し力 が 足 り な いやう だ 。 昭 和 十 三︶年 と いう 発 表 時 期 を 考 え ると 、 こ の前 年 の慮 溝 橋 事 件 や以 降 一九 三 八 ︵ であ る。. いる こと を 示 し て いる。 こ の絵 の鑑 賞 者 は 、 ア マテ ラ ス の存 在 を 何 も な い空 間 に想. 心 に描 か れ た 人 物 の視 線 の先 が ﹁天岩 戸﹂ であ り 、 光 源 であ る ア マテ ラ スが そ こ に. な る垂 直 線 及 び こ の線 か ら右 の何 も な い空 間 が ﹁天岩 戸﹂ と 考 え ら れ る。 つま り 中. る。 し た が って、 画 題 であ る ﹁ 天 岩 戸﹂ そ のも のは描 か れな いが 、 こ の絵 の右 端 と. 差 し 込 ん で いる。 こ の光 は 、 画 題 か ら も ア マ テ ラ スが 発 し て いるも のと 理 解 さ れ. ま ず 、解 説 者 が 述 べる ﹁ 旭 光 ﹂ を 見 てゆき た い。 光 が 画 面 の右 、 フレ ー ム外 か ら. 体 的 な イ メージ と し て立 ち 現 れ てく る。 町 田曲 江 は、 タ デ カ ラ ヲを 雲 の上 に立 た せ. た な雲 を押 し分 け て﹂ 降 臨 す ると いう 記 述 か らも 、高 天原 が雲 の上 にあ る こと が 具. る。 ﹃ 古 事 記 ﹄ の ″天 孫 降 臨 ″ の場 面 で天 孫 ・ニ ニギ ノ ミ コト 一行 が ﹁天 の人重 の. る こと から 、 タ デ カ ラ ヲ の いる場 所 =空 中 が高 天 原と し て捉 え ら れ て いる こと にな. て いる。″天 の岩 戸 ″ は、 ﹃ 古 事 記 ﹄ ﹃日本 書 紀 ﹄ と も に高 天 原 にあ るも のと し て い. 紀 ﹄ の記述 か らも タ デ カ ラ ヲと 見 てま ず 間違 いな いだ ろう 。 タ デ カ ラ ヲが雲 に乗 っ. ﹁ 空 中 に手 力 男 が 浮 ん で ゐ る﹂ と し て いる よう に、 こ の男 性 は 、 ﹃ 古 事 記 ﹄ ﹃日本 書. さ ら に、 こ の絵 に描 か れ た 人 物 と そ の位 置 に つ いて触 れ てお き た い。 解 説 者 が. の ″支 那事 変 ″を 指 す と 考 え ら れ る。 いず れ に せ よ 日本 が大 陸 へ進 出 し て いた 時 期. 像 し感 じ る こと にな る。 ま た 、背 景 を 地 図 と 見 立 てれば 、右 側 か ら 光 が差 し込 ん で. る こと で高 天 原を 表 現 した の であ る。. であ る。. いる こと は 東 か ら の太 陽 光 、 つま り 太 陽神 ア マテ ラ スが東 か ら 現 れ る夜 明 けを 示 し. ては 、 北海 道 の東 側 が寸 断 さ れ て いる こと か らも 、 画 家 の目 的 は 日本 列 島 のみを 描. さ ら に、地 形 ・距 離 を 無 視 し た 過 度 の歪 みが 明 確 に見 てと れ る か ら だ 。 配 置 に関 し. や や画 面右 に寄 っており 、 中 国 大 陸 と朝 鮮 半 島 を 含 む よう に配 置 さ れ て いる こと 、. 日本 地 図と は 異 な る こと に気 づ か さ れ る。 そ れ は 、 日本 が中 心 に据 え ら れ てお ら ず. 次 に、背 景 に ついて見 てゆく 。 確 か に ﹁日本 地 図﹂ だ が、 現在 一般 的 に見 か け る. 意 味 す る のか 不 明 であ る。 し か し な が ら 、 こ の作 品 に描 か れ た ″日本 ″ の範 囲 と 武. が 足り な いやう だ ﹂ と 判 断 し た のは筆 致 の問 題 を さす のか 、 タ デ カ ラ ヲ の立 ち姿 を. 光 =威 光を受 け つ つ中 国大 陸 に手 を か け て いる のだ 。雑 誌 記事 の解 説 者 が ﹁ 少 し力. であ り 、武 力 そ のも のであ る。 そ のタ デ カ ラ ヲが 、 天皇 の祖 先 であ る ア マテ ラ ス の. 事 変 下﹂ と いう 時 勢 が強 く表 れ て いよう 。 タ デ カ ラ ヲは 力 の強 い男神 る。 こ こに ﹁. 方 が多 く 、 タ デ カ ラ ヲが単 体 で描 か れ た も のは 、管 見 によ れ ば こ の絵 画 の み であ. ″天 の岩 戸 関連 の画 題 では 、 岩 戸 の前 で舞 を 舞 う ア メ ノ ウズ メを 描 いた 作 品 の ″. く こと では な く 、 日本 、 中 国 、朝 鮮 半 島 な ど を す べ て描 き 込 む こと だ った と わ か. 力 を 象 徴す る タ デ カ ラ ヲと いう 人 物 を 組 み合 わ せ たと き 、 ﹁ 事 変 下 の日 本 画 家 と し. て いよう 。 ゆえ に解 説者 は ﹁ 旭 光 ﹂ と 表 現 し て いる。. る。 雑 誌 への掲 載 当 時 、朝 鮮 半 島 は す でに ″大 日本 ″ であ り 、 満 州 国 が成 立 し て い. て﹂ 町 田曲 江 が描 いた神 話 は 、 見 事 に時 勢 に照応 したも のと な って いる。. こ こ では 、多 く の児 童 に与 え た影 響 と いう 理由 から 、 ヤ マト タ ケ ルを 描 いた作 品. 四   平 福 百 穂 ﹁武 尊 誅 臭 師 図 ﹂. た 。 そ し て中 国 大 陸 でも 南 京 、 徐 州 、広東 な ど 各 地 が攻 略 、 占 領 さ れ て いた。 こ の 絵 には 、 日本 が支 配 す べき 国 す べ てを 描 こう と いう 意 図 が見 てと れ よう 。ま た 、 日 本 列 島 の歪 み は 、 中 央 の人 物 の頭 部 付 近 に魚 眼 レ ンズ を 置 い て見 た よ う な 形 であ る。 これ は 球 形 す な わ ち 地 球 を イ メージ し て いると も 考 え ら れ る。 た だ し、実 際 の 地 球 儀 では こ れ ほ ど の歪 みを 生 じ る こ と は な い。 日 本 列 島 の球 形 的 な 歪 み方 に対.

(6) (6) 甲南女子大学大学 院論集第 6号. の表 記 に従 って いる こと を 示 し て いる。 以. 師﹂ と す る のは 、 平 福 百 穂 が ﹃日 本 書 紀 ﹄. 臭 武 尊 ﹂、敵 であ る タ ケ ルを ﹁ タ ケ ルを ﹁. 図 3︶。 ヤ マト 描 か れ て いな い絵 であ る ︵. 年 の平福 百 穂 ﹁ 武 尊 誅 臭 師 図﹂ は 、背 景 が. 明 治 二 十 七︶ を 見 て ゆき た い。  一八 九 四 ︵. ヤ マト タ ケ ル の忠 孝 、勇 敢 は少 年 達 の手 本 と. 戒 め て いる の であ る。 ﹃日本 書 紀 ﹄ に基 づ く. な 欧 米 列 強 に対 す る脅 威 か ら 、 ヤ マト タケ ルを見 習 い、 恐 れ ては な ら ぬと 少 年 達 を. 時 、 日本 は ア メリ カ 、 イ ギ リ スを は じ め各 国と 不平 等 条 約 を 結 ん で いた 。 こ のよう. 碧 眼 紅 毛﹂ を 見 る の であ る。 当 臭 師 ″に ﹁ 記 事 は こ の絵 を 明 治 時 代 に移 行 さ せ ″. 本 書 紀 ﹄ が 編纂 さ れ た 上代 には 、 熊 襲 は中央 に従 わ ぬ異 国 人も 同様 であ った 。 解 説. 武 尊 誅臭 師 こ の、少 年 達 の手 本 と し て の ﹁. な る べき 存 在 と し て受 容 さ れ て いた 一端 が窺. 日本 武 尊 と し称 へ奉 れ は 。 を ヽしく 勇. 図﹂ には重 要 な 側 面 があ る。 こ の絵 の構 図 が. 下 に引 用 す る 雑 誌 の解 説 でも ﹃日 本 書 紀 ﹄. し き 状 は。 説 か す と も 人 皆 之 を 知 ら. 明 治 、大 正時 代 の教 科 書 の挿 絵 に影 響 を 与 え. え る。. む 。 故 に此 図 に就 ては 。 別 に説 明考 証. た 可能 性 が 認 め ら れ るた め であ る。. を 重 視 し て いる こと が わ か る。. は要 せ さ る か如 く な れ と も 上 古 の事 に. 図 第 五 課 ﹁日 本 武 の尊 ﹂ が 早 い例 で あ る ︵. 国史 教 科 書 のう ち 、 ヤ マト タ ケ ルが臭 師 を. こ こ では 、 ヤ マト タケ ル の話 は 誰 も が 知 ると こ ろ で絵 に つ いても 説 明 不 要 だ が 、. 大 正 九 ︶年 発 4︶。参 考 のた め に 一九 二 〇 ︵. しあ れ は 。 或 は其 事 実 を 誤 り 居 るも の. 念 のた め に正 史 であ る ﹃日本 書 紀 ﹄ に拠 って解 説 を す ると 述 べら れ 、 ヤ マト タケ ル. 行 の第 三期 国定 国 語 教 科書 の同 じ 場 面 ﹁ 熊襲. 明治 押 し伏 せ て刺 そう と す る姿 は 一八九 八 ︵. の話 が 世 間 一般 の人 々 の共 通 認 識 と さ れ て いる の であ る。 当 時 の受 容 状 況 に ついて. 図 5︶。 いず れ も ヤ マト タ 征 伐﹂ も あ げ る ︵. な し と も いひ難 し 。 因 て馴 か 正史 に拠. 古 事 記 に熊 曽 建 二人 の 一端 が伺え よう 。 そ し て引 用 部 分 に続 く 文 章 には 、割 注 で ﹁. ケ ルは 左 手 で臭 師 の胸 元 を つか み 押 さ え つ. 新 撰帝 国史 談 ﹄ 前 編巻 一 三十 一︶年 発 行 の ﹃. と あ り 今 姑 く 紀 説 に従 て記 せり ﹂ と あ る。 し か し 、 割 注 のよう に ﹃日本 書 紀 ﹄ に従. け 、右 手 で剣 を 持 ち 今 にも 胸 を 突 こう と し て. り 之 を 説 く へし。. 古 事 記 ﹄ にしか 記 う と す る 一方 で ﹁やが て熟 京 の如 く 振 り 折き て殺 し給 ひき ﹂ と ﹃. いる。臭 師 は右 手 でヤ マト タ ケ ル の左 腕 を つ. 片 方 の足 が ヤ マト タ ケ ル の後 ろ に見 え て いる. か み抵抗 し 、左 手 を 上 に上げ て いる。臭 師 の. 其 御 武 勇 実 に比 ふ べき 者 な し 。 今 の少 年 諸 子 。 此 図 に鑑 み て奮 ふ所 あ れ。碧 眼. のも 共 通 し て いる。 衣 装 の裾 が大 き く はた め. 古 事 記 ﹄ ﹃日 は 似 ても 似 つか ず 、 異 国 人 を 想 起 さ せ るも のと な って いる。 確 か に ﹃. 碧 眼 紅 毛 ﹂ では ヤ マト タケ ル に組 み伏 せ ら れ て いる ″臭 師 ″は 、 熊 襲 であ って ﹁ な い。 し か し 彫 り の深 い顔 、 黒 い腕 、 濃 い髭 は ″日本 ″を 代 表 す る ″日本 武 尊 ″と. ト タケ ルが臭 師 を 討 つ場 面 の参 考 図 と し て利. 自 体 が酷 似 し て いる。 平福 百 穂 の絵 は 、 ヤ マ. く か否 か 、背 景 の有 無 の違 いは あ る が 、構 図. 紅 毛 の徒 何 の畏 る ヽ所 かあ ら ん. の部 分 であ る。. さ れ て いな い表 現 も 追 加 さ れ て いる。 注 目す べき は 、 次 に引 用 す る 、解 説 文 の最後. 図 3 平福百穂 「武尊誅臭師図」. 図 4『 新撰帝国史談』「 日本武 の尊」.

(7) 田中 千晶 :視 覚化 される 『古事記』. (7). 家 庭 歴 史 文 庫   日本 武 尊 ﹄ 貧 九 〇 八 年 八 武 尊 ﹄ 貧 九 〇 二年 八 月 ︶、 杉 谷 代 水 ﹃. 金 港 堂 豪 傑 ば な し  日本 の挿 絵 に目を 向 け れば 、 同 じ 場 面 で同様 の構 図 が 折 山 子 ﹃. 用 さ れ た 可能 性 があ ろう 。参 照 事 項 と し て、 明 治 期 のヤ マト タ ケ ル に関 す る児 童 書. 人 々に植え つけ ら れ た と いえ るだ ろう 。. の挿 絵 の記 憶 と 共 に ﹃日本 書 紀 ﹄ 版 の英 雄 ・ヤ マト タ ケ ル のイ メ ー ジ が、多 く の. た ﹁ り り し い勇 ま し い皇 子 のヤ マト タケ ル﹂ 像 を 強 く 心 に留 め て いる のだ 。 教 科 書. 歴 史 お伽   日本 武 尊 ﹄ 貧 九 一 一年 一月 ︶ な ど にあ り 、 いず れも 平 月 ︶、 巌 谷 小 波 ﹃ 福 百 穂 の絵 画 が 発 表 さ れた後 に描 か れ て いる。 た だ し 、絵 画 制 作 当 時 に十 代 であ っ. ど のよう に学 ん だ か 、と いう こと な ど 一切 お ぼえ て いな い。 教 科 書 も 家 が 焼 け た ﹁. 図 3 の挿 絵 ︶ で ヤ マト タ ケ ル に つ い て学 ん だ は ず だ が 、 第 三期 国 定 国 語 教 科 書 ︵. ケ ル像 は強 く 印 象 づ け ら れた よう だ 。 国文 学 者 の吉 井 巌 は 、 小 学 校 三年 生 のとき に. よ り 、異 形 ・異 国 の者 、 ″日本 ″ に従 わ ぬ者 を 組 み 伏 し 倒 す 英 雄 と し て のヤ マト タ. ージ が定 着 し て ゆき 、多 く の少 年 達 に受 容 さ れ た と 考 え ら れ る。 こ の図 像 の流布 に. る。 教 科 書 と いう 媒 体 及び巌 谷 小 波 のお伽 噺 の人 気 な ど を 鑑 み れば 、 こ の絵 のイ メ. こ の絵 画 が 発 表 さ れ た後 に、 教 科 書 や お 伽 噺 に描 か れ た こと は 事 実 と し て存 在 す. と に描 いた と す れば 、 こ の構 図 が す で に存 在 し て いた こと にな る。 し か し な が ら 、. タケ ル像と し て定 着 し てゆく た め であ る。 こ の天皇 に忠 実 な姿 は 、 戦 時 下 にお いて. 布 を 鑑 みた と き 、 重 要 な位 置 を 占 め ると いえ る。 正 史 であ る ﹃日本 書 紀 ﹄ のヤ マト. の姿 は、後 の教 科 書 や児 童 書 の挿 絵 な ど への影 響 、 こ れ ら の書 籍 の児 童 たち への流. う こと に対 す る意 識 の差 異 が 見 てと れ よう 。ま た 、 平 福 百 穂 の描 いた ヤ マト タ ケ ル. 代 で単 純 に比 較 す る こと には留 保 を 付 さねば な ら な いが 、 歴史 的 な 主 題を 描 く と い. 事 変 下″と いう 時 代 が描 か れ て いた。 制 作年 歴 史 上 の英 雄 や名 場 面 と いう よ り は ″. いう 画 家 の意 図 が見 てと れ るも のと な って いるが 、 昭和 期 の町 田曲 江 の絵 画 には 、. 治 期 の菊池 容 斎 と 平 福 百 穂 の絵 画 には 、 そ の人物 あ る いは そ の場 面 を 描き 表 わ す と. 古 事 記 ﹄ 関連絵 画 のう ち 数 点 に ついて考 察 し てき た 。 明 以 上 、近 代 に描 か れ た ﹃. た 平福 百 穂 がま った く の独 創 に よ り こ の構 図を 描 いた と は断 言 でき ま い。手 本 を も. た め にな い﹂ が 、 復 刻 版 の教 科 書 で こ の挿 絵 を 見 た 瞬 間 、古 い記憶 が呼 び 覚 ま さ れ. 忠 君愛 国、皇 国 精 神 の源 と し て利 用 さ れ てゆく のだ 。. 古 事 記 ﹄ で ヤ マト タ ケ ル に つ い て学 び な が ら 、武 勇 こ の述 懐 で着 目 す べき は 、 ﹃. を 討 つ場面 か 、剣 で火 の付 いた 草 を 薙ぎ 払う 場 面 、 神 功 皇 后 であ れば 、 三韓 の使 者. 光 を 放 つ場 面 や山 中 で祭 祀 を 執 り 行 う 場 面 、 ヤ マト タ ケ ル であ れば 、熊 襲 のタケ ル. ほか に、実 見 により 確 認 す る こと のでき た 日本 画 に つ いて言 及す れば 、 画 題 と し. 古事 記﹄と に優 れ た ヤ マト タ ケ ル のイ メ ー ジ を 保 ち 続 け て いる と いう 点 であ る。 ﹃. が平 伏 し て いる場 面 な ど であ る。 あ ま り にも 定 型 化 し た絵 画 か ら は 、 画家 た ち の想. 私 同様 、 これ ら のさ し絵 か ら 、少 年 時 代 の学 習 の 一こま を 思 いお こさ れ る人 が. ﹃日本 書 紀 ﹄ のヤ マト タ ケ ルは 、 同 一人 物 と は 思 え な いほど に異 な る顔 を 持 つ。 具. 像 力 の限界 と 同 時 に時 代 の制 約 と いう 側面も考 え ら れ る。 天皇 家 の先 祖 、皇 室 に関. 美 術 関 係 雑 誌 目次 総 覧   明 治 ・大 正 ・昭和 戦 前 篇 ﹄ の調査 結 果と 同様 、 天 の ては ﹃. 体 的 には 、 ﹃ 古 事 記 ﹄ で のヤ マト タ ケ ルは そ の暴 力 性 か ら 父 であ る 天皇 に疏 ま れ 、. わ る英 雄達 は 、 さまざ ま な エピ ソー ドを 持 つにも か か わ ら ず ″英 雄 と し てあ る べき. 古 事 記 ﹄ を 購 読 し た 私も 、 あ る にち が いな い。︿中 略 ﹀大 学 で国文 学 を 学 び 、 ﹃. 追 放 同 然 に熊 襲 の征 伐 に向 か う 。 ﹃日本 書 紀 ﹄ のヤ マト タ ケ ルは 、 父 の命 令 に従 い. 日本 書 紀 ﹄ 古 事 記﹄ や ﹃ 姿 ″が 歴 史 の 一場 面 ・名 場 面 と し て描 か れ た の であ る。 ﹃. 岩 戸、 天孫 降 臨 、 神 武 天皇 、 ヤ マト タケ ル、神 功 皇 后 、 スサ ノ ヲが多 く 、 画 題 によ. 勇 ま しく 征 伐 に行 く と いう 、 あ く ま で天皇 に忠 誠 を 誓 う 良 き 皇 子と し て の姿 が描 か. に記 された神 々 o英 雄 は 、絵 画 によ って既 にそ れと わ か る イ メ ージ と し て人 々に定. 長 い間 、 こ の教 科 書 にみえ る よう な 、 り り し い勇 ま し い皇 子 のヤ マト タ ケ ルを. れ る の であ る。 教 科 書 は 、熊 襲 の名 を ﹁川 上 のた け る﹂ と し て いる点 な ど か ら ﹃日. 着 し て い った と 考 え ら れ る。. っては構 図 の定 型 化 が 認 め ら れ た 。 たとえ ば神 武 天皇 の場 合 は金 鶏 が弓先 にと ま り. 古 事 記 ﹄ を 学 び な が らも 教 科 書 で見 本 書 紀 ﹄ を 典 拠 と し て いる。 吉 井 は 、大 学 で ﹃. 核 と し た ヤ マト タ ケ ルを 心 のな か にも ち つづ け てき た。. た と いう 。. お わ り に.

(8) (8). 近代 の ﹃ 古 事 記 ﹄ 関 連 絵 画を 網 羅 的 に調査 す れば 、 さ ら にさまざ ま な 特 徴 や特 質 が 浮 か び 上 が る だ ろう 。 ﹁ 歴 史 画 ﹂ と 呼 ば れ る数 多 く の絵 画 に接 し た 上 で、あ ら た め て分 析 を 進 め る 必 要 があ る。 ま た 、 絵 画 の解 釈 と いう 手 法 を 用 いて雑 誌 や児 童 書. は東 洋 絵 画 会 。. 0  菊 池 容 斎 は 江 戸 出 身 の画 家 。   一七 八 八 ︵ 天 明 八︶∼ 一八 七 八 ︵ 明 治 十 一︶ 年 。 ﹃ 前賢故 実 ﹄ は 、 神 武 天皇 の時 代 か ら 後 亀 山 朝 に至 る先 聖 賢 臣 五 百 七 十 一名 の絵 と 略 伝 を 収 録 し. た 書 籍 。 版 本 、全 十 巻 。  一八 三 六 年 完 成 、   一八六 八年 刊 行 。 刊 行 後 、 画 家 o美 術 家 の間 で流行 し 、 歴 史 人 物 画 の手 本 と し て利 用 さ れ た。有 職 故 実 の研 究 家 関 保 之 助 は 、 ﹁ 当時 の. 歴史 画 家 で前 賢 古 実 を 学 ば ぬ者 は 、 恐 らく 一人も な いと 云 つても 差 支 へな い程 であ つた﹂. な ど 挿 絵 入り の ﹃ 古 事 記 ﹄ 関連 書 籍 を 分 析 す る こと に より 、   一般 読 者 の人 々 にも た ら し た影 響 も 探 る こと が でき よう 。 近 代 にお け る ﹃ 古 事 記 ﹄ 享 受 の研 究 には 、今 後. 亀塔影 ﹄ 第 一二巻 第 五号   一九 二 六 年 五月 ︶ と回想 し て いる。. m  前 掲 ﹃ 描 か れ た 歴 史   日本 近 代 と ﹁ 歴 史 画﹂ の磁 場 ﹄。. D  前 掲 ﹃ 描 か れ た 歴 史   日本 近 代 と ﹁ 歴史 画﹂ の磁 場 ﹄ でも 同様 の指 摘 があ る。 田  以 下、 ﹃ 古 事 記 ﹄ ﹃日本 書 紀 ﹄ の引 用 は 、新 編 日本 古 典 文 学 全 集 本 によ る。. ホ ホ デ ミを 乗 せ ると いう 記 述 は な い。. 回  ﹃日本 書 紀 ﹄ 第 二 の 一書 にも ﹁ 鰐 ﹂ が ヒ コホホ デ ミを 送 る役 日と し て登 場 す る が 、 ヒ コ. ⑩  松 本 楓 湖 は 第 十 二回 文 展 ︵一九 一八年 ︶ に ﹁ 彦 火 々出 見 命 ﹂ と いう 作 品 を 出 品 し て い る。 画 題 、構 図 な ど 菊 池 容 斎 の絵 画 に酷 似 し ており 模 倣 し た こと は明 ら か であ る。. こ のよう な絵 画 の解 釈 、 分 析 と いう 手 法 が要 請 さ れ る。. 江 ヽ 0   若 桑 みど り ﹃ 絵 画 を 読 む︱ ︱ イ コノ ロジ ー 入 門︱ ︱ ﹄ ︵ N H Kブ ック ス   一九 九 二年 三 月 ︶ を参 照 。 ブ リ ュ ッケ   一一 0  山 梨 俊 夫 ﹃ 描 か れ た 歴史   日本 近 代 と ﹁ 歴 史 画﹂ の磁 場 ﹄ ︵ 〇 〇 五年 七 歴 史 画 あ れ こ れ﹂ ︵ 山種 美 術館 ﹃ 月 ︶、 河 北 倫 明 ﹁ 描 か れ た 歴 史︱ ︱ 近 代 日 本 画 に み る. 八年 ︶ の こと であ る。 町 田曲 江 は 長 野 出身 の日本 画 家 。  一八七 九 ︵ 明 治 十 二︶∼ 一九 六七 い。. 回文 展 ﹁ 天岩 戸L と あ るが 、第 二 回文 展 ︵一九 〇八年 ︶ では な く 第 二回新 文 展 ︵一九 二. 。 絵 の説 明 に ﹁ ﹃ 塔 影 ﹄ 第 十 四巻 十 一号 ︵一九 二 八年 十 一月︶ 展 覧 会 出 品 写 真 版  第 二. ︱ ︱ ﹄ 図録   一九 七 二年 二月 ︶ な ど 。 0  神 々 の姿 に関 し ては 神 事 や神 楽 の舞 を 通 し て ″再 現 ″ さ れ ても いた 。 た と え ば 備 中 神 楽の ﹁ 天 の岩 戸 開 き ﹂ ﹁ 大 国 主 命 の国 ゆず り ﹂ ﹁ 素 菱 鳴 命 の大 蛇 退 治﹂ の 三 編 は 、 国 学 者. ︵ 昭和 四十 二︶年 。 黒 田清 輝 に洋 画 を 学 ん でも いる。 神 話 を 題 材 と し た 歴 史 画 作 品 が多. 本 美 術﹄ 第 三 十 八 号 ︵一九 〇 二年 四 月 ︶掲 載 。小 杉 未 醒 ︵ 放 庵 ・放 奄 ︶ の ﹁ 古事 記 天 の. m  田代古 崖 ﹁天岩 屋 戸﹂ は 、 ア メ ノ ウズ メが 上半 身 を さ ら け 出 し て踊 る場 面 を 描 く 。 ﹃ 日. 国 、 北朝 鮮 、 樺 太 の南 半 分 、 台 湾 は 同 じ赤 色 、﹁ 満 州 ﹂ は薄 い赤 色 で塗 ら れ て いる。. 田  韓 国 併 合 条 約 は 一九 一〇 ︵ 明 治 四 十 三 ︶年 に調 印 さ れ 、満 州 国 は 一九 三 二 ︵ 昭和 七︶ 年 建 国。  一九 三 三 ︵ 昭和 八 ︶年 発 行 の ﹁アジ ア州 政 治 区 画 図﹂ によ れば 、 ﹁ 大 日本 ﹂ と韓. m  慮溝 橋 事 件 は 一九 二 七 ︵ 昭 和 十 二 ︶年 七 月 七 日 に起 こ った こと か ら 、 中 国 で は ″七七 事 変 ″と 呼 ぶ。 日 中 戦 争 は 当 初 ″支 那 事 変 ″と 称 し て お り 、新 聞 な ど で は ″日華 事 変 ″ と表 現 さ れ る こと も あ った 。. 、 中央 美 術 ﹄ 第 四巻 第 十 一号 ︵一九 一 m  ﹃ 絵 画叢 誌 ﹄ 第 2 1回文 展 号 ︵一九 一八年 十 一月 ︶ ﹃ 八年 十 一月 ︶ に掲 載 さ れ た。. 的. の画林 国橋 によ って 一八 〇九 ︵ 文 化 六 ︶年 に芸 能 性 を 重 視 し て創 案 さ れ た 演 日 であ る。 ほ か に江 戸 の里神 楽 は 江 戸 の庶 民 た ち に好 ま れ た よう であ り 、神 話 を 題 材 にと った演 目 の多 い神 楽 であ る。 四  歌 舞 伎 か ら 浮 世 絵 、 英 雄 図 への経 緯 に つ いては 二 〇 〇 六 年 十 一月 二 日 ∼ 三 〇 〇七年 一 英 雄 豪 傑 図﹂ 展 パ ン フレ ットを参 照 。 月 三十 日 に大 阪 府 立 国 際児 童 文 学 館 で開催 さ れ た ﹁ 国史 絵 画﹂ 制 作 の契 機 は、 固  ﹁   一九 三 三 ︵ 昭和 八 ︶年 、 昭和 天皇 の長 男 誕 生 と いう 慶 事 を 機 に、健 全 な 少 国 民 の育 成 を 目 的 と し た 修 養 道 場 ﹁ 養 正 館 ﹂ の建 設 が 東 京 府 で 企 画 さ れ 、 そ こ に 一連 の国史 を 表 す 絵 画 を 展 示 す る計 画 が 立 て ら れ た こと にあ る。 当 代 一流 の 画 家 た ち 五十 五人 が 七 十 八点 の歴 史 主 題 を 扱 った 絵 画 を 制 作 し た。 し か し 養 正 館 の展 示 施 設 が完 成 し な いま ま 終 戦 を 迎 え 、 ﹁ 国 史 絵 画﹂ は 展 示 さ れ な か った 。 ﹁ 国 史 絵 画 ﹂ のう ち 、 最 初 の十 点 が ﹃ 古 事 記﹄ 関 連 絵 画 であ る。. 岩 戸﹂ も 上半 身 裸 で領 中 を 持 って舞 う 姿 であ る。 ﹃アト リ エ﹄ 第 六巻 六号 ︵一九 二九 年 六. 問  小林 忠 編 ﹃ 美 術 関 係 雑 誌 目次 総 覧   明 治 ・大 正 o昭和 戦 前 篇 ﹄ ︵ 国書 刊 行 会   一一 〇〇〇 年 五 月 ︶ は 、 美 術 関 係 雑 誌 に つ い て、 巻 号 別 目 次 を 収 録 し た も の。   一八 六 八 ︵ 明治 元︶. 天 のう づ め の命 ﹂ と し て 同 じ テ ー マを 描 い て い る ︵一九 五 一 月 ︶掲 載 。 小 杉 は 戦 後 ﹁. 的. ﹃ 絵 画 叢 誌 ﹄ 第 八 十 八 巻 ︵一八 九 四年 六 月 ︶掲 載 。 絵 画 の題 名 は ﹁ 武 尊 誅 臭 師 図﹂だ. 描 き 出 し たも のであ り 、 原 典 を ふま え て いる。. 。 いず れも ﹃ 年︶ 古事 記 ﹄ の ﹁ 神 懸 か り為 て、胸 乳 を 掛 き 出 だ し﹂ と いう 部 分 を 具 体 的 に. 年 か ら 一九 四 五 ︵ 昭和 二十 ︶ 年 八 月 ま で に発 行 さ れ た 主 要 五十 三誌 を 取 り あ げ て いる。. 八 八 七年 二 月 創 刊 。. 発 イ 予. 0  ﹃ 塔 影 ﹄ 第 十 六 巻 第 十 二号 ︵ 昭 和 十 五年 十 二月 ︶ でも 神 武 天皇 関連 の絵 画 が 七枚 掲 載 さ れ て いる。 。﹃ Q  ﹃ 絵 画 叢 誌 ﹄ 第 十 四巻 ︵一八 八 八年 五月 ︶ 絵画叢誌﹄. は. 死.

(9) 田中 千晶 :視 覚化 される『古事記』. (9). が、解説 の題 は ﹁日本武尊刺 川上臭 師 図解﹂ と な って いる。平福 百穂 は秋 田出身 の日本. 雑誌名. 巻 占万. ア ト リ エ 第 6巻 第 6号. 絵画叢誌 第 4 1巻. 発行年 月 昭 和 四年 六月 一九 二九年 年 五月. ﹁日本武尊﹂ ︵ 作品︶ 9号 研精 画誌 第 4. 研 精 画 誌 第 H号. 明 治 四十 五年 四 月 一九 一二年. 明 治 四十 四年 五 月 一九 三 年. 明 治 三十 六年 七 月 一九 〇三年. 大 智勝観. 中央 美 術 第 4巻 第 H号. 2号 研精美 術 第 2 1. 大 正 七年 十 一月 一九 一八年. 大 正 六年 十 二月 一九 一七年. 革 丙 会 第6 1回 展 ﹁日 本 武 小 堀安 雄 尊﹂. 塔影. 塔影. 4巻 H号 第1. 第3 1巻 4号. 昭和十三年十 一月 一九 三八年. 昭 和 十 二年 四 月 一九 三 七 年. 文芸春秋   一一 三浦佑之 ﹃ 古事 記講義﹄ ︵ 〇〇三年七月︶など。. 、平林治徳 ﹃ 古事 記﹄ ︵ 丁未出版社   一九 三 一年 三月︶ 至文 中 田千畝 ﹃ 日本建国物 語﹄ ︵. ﹁ 五瀬命 の御奮戦﹂. ﹁ 日向御進発﹂. ﹁ 天孫 降 臨 ﹂. ﹁ 国土奉献﹂. ﹁ 豊 饒 の国 土﹂. 前 田青 郁. 長野草風. 岩 田正 巳. 安 田収 彦. 菊池契 月. 中 村岳 陵. 口絵 写真 版   肇 国創 業 絵 巻 横 山大 観 ﹁日輪 ﹂. 塔影. 塔影. 塔影. 塔影. 塔影. 塔影. 塔影. 塔影. 5巻 6号 第1. 昭和 十 五年 十 二月 一九 四 〇年. 昭和 十 四年 六 月 一九 三九 年. 巻 占万. 6巻 2号 第1 1. 発行年月. 古事 記﹄ に依 拠す る児童 書だ が、 ヤ マト タケ ルに関 し て 一九 四三年 二月︶など は ﹃. ﹁ 熊 野御 難航﹂. 吉村忠夫. 塔影. 雑誌名. ﹁ 布 都 御 魂 の剣 ﹂. 服 部有 恒. 画家名. ﹁ 金鶏 の瑞﹂. 塔影. 塔影. 中 村岳 陵. 展覧 会 出 品 写 真 版   紀 元 二 池 田邊 郁 千六 百年 奉 祝 美 術 展 ﹁ 肇 国 の宮 居﹂. 塔影. ﹁ 饒 速 日命 の帰 順 ﹂. 町 田曲 江. 塔影. 塔影. 同 ﹁ 伊 那佐 の浜﹂. 伊藤龍圧. 吉 村忠 夫. 日本美術協会第 Ⅲ回展 ﹁ 東征絵伝﹂. ﹁ 橿原宮御即位﹂. タイ ト ル. ﹃ 日本書紀﹄ の描く天皇 に忠義を尽くす姿 が強調され て いる。. は 堂.  一八七 七 ︵ 昭和 八︶年。 ﹁ 明治 十︶∼ 一九 三三 ︵ 武尊 誅臭 師 図﹂を 発表 したと き は 画家。 十七歳、 ヤ マトタケ ルと ほぼ同じ年 であ った。 学 生社   一九七七年九月︶ 四 吉井巌 ﹃ ヤ マトタケ ル﹄ ︵. 画家名. 菊 池 容斎. ﹁ 古事 記 天 の岩 戸﹂ ︵ 別刷写 小杉未醒 真版 ︶ 彦 火 々 出 見 尊﹂ 8巻 絵 画叢誌 第 8. ﹁ 天孫降臨﹂ ︵ 作品 ︰第十 八 小林永 興 図 のう ち 1︶. 0号 研精 画誌 第 6. 一九 一八年. 明 治 二十 七年 六 月 一八九 四年. ﹁ 第 八 図 武 尊 誅 臭 師 図﹂ 平 福 百穂 ︵ 挿画︶. 大 正 七年 十 一月 絵 画叢誌 第 2 1回文 展 号. ﹁ 作品 ⋮第 二十 神功皇 后﹂ ︵ 山中神風 図 のうち 1︶. ﹁ わ た つみ の宮 ﹂ 院. 尾竹竹岐. 大 正 五年 十 一月 一九 一六年. 研精美 術. ﹁ 健雷神﹂ ︵ 刷込写真版︶. 中央 美 術. 展覧会出品写真版 第 2回 町 田曲 江 文展 ﹁ 天岩 戸﹂. 24 25 26 27. ﹁ 天 宇 受 売 命﹂ ︵ 刷込 写真 香 田右 一郎 中央 美 術 版︶. ﹁ 天安 河原﹂ ︵ 刷込写真版︶ 町 田曲 江. 第2 1号 1 ︵ 特別号︶. ﹁ わ た つ み の宮﹂ ︵ 画苑其 飛 田周 山 こ. 031 221. 22. 20 23. 庄 田耕 峯. ﹁天安 河 原﹂ 六曲屏風 一双 町 田曲江. 一 明 八 治 八 二 ヽ十 ノ 年 一. タイ ト ル. 古事 記﹄ 関連絵画 一覧表 ︵ 雑誌名 五十音 順︶ 美 術関係雑誌 目次総覧﹄掲載雑誌 の ﹃ 資料 1 ﹃. ︵4 ︶. 挿第 画四 図.

(10) 8︶ ︵3. タイ ト ル. 中村大 三郎 画塾献納画 ﹁ 八紘 一宇﹂ 同 ﹁ 忍坂 邑大室﹂. 画家名. 雑誌名. 塔影. 中 村 大 三郎 塔 影 小 野踏 青. 塔影. 同 ﹁日向 襲 之 高 千 穂 峯 ﹂ 加 藤 美 代 三 塔 影 松井大浩 塔影. 巻 ・号 発 行年 月. 日本 美 術 第 2 1号. 日本 美 術 第 7号. 明 治 三 十 二年 十 一月 一人 九 九 年. 明 治 三 十 二年 十 月 一八九 九 年. 明 治 三十 二年 四月 一八九 九 年. ︵3 4︶. 美 術新 論. 雑 誌名. ﹁ わだ つみ の いろこのみ や﹂ 青 木繁 ︵ 写真版︶. 美之国. 画 家名. 熟 潜 平 坂 と ︵一 ﹁ 古事記 ︵ 小杉未醒 色 版 口絵 ︶. 美 之国. タイト ル. ﹁ 神功皇后﹂ 宝 色版 口絵 ︶ 岩 田 正 巳. 美之国. みづ ゑ. 巻 占万. 71 H. 5 第2 4号. 松本楓湖画 風俗画報 第 1号 野 口勝 一題. 文展 ﹁ 天 安 川 原 の 一部﹂ 内藤伸 ︵一色版 口絵 ︶ ﹁ 八腿鳥 図及画題﹂. ﹁日本武尊 ﹂油絵 ︵ 原色版 ︶ 青木繁 口絵. ︶付 数 字 の絵 画 は 、 そ の数 字 の絵 画と 同作 品 であ る こと を 示す 。. 発行年 月. 昭和 四年 六 月 一九 二九 年. 昭和 六年 十 一月 一九 三 年. 昭和 十 一年 十 二月 一九 三 六年. 昭和 十 五年 四月 一九 四 〇年. 月. 紀 国 男 之 水 門﹂ 同 ﹁ 会津勝 巳. 日本 美 術 第 3 1号. 明 治 三 十 三 年 四月 一九 〇 〇年. 明 治 四十 五年 六月 一九 一二年 昭 和 八年 九 月 一九 三 三年. 一明 ノ ヽ 八二 '台 九十 年二 年. 45 46 47 48 49. 同 ﹁ 血沼 海 ﹂. 日本 美 術 第 8 1号. 明 治 三 十 四年 六月 一九 2 年. 昭和 十 六年 五月 一九 四 一年. 写真 銅 版 日 録 ﹁ 素蓋 雄 尊 ﹂ 松 本 楓 湖. 写真 銅 版 丹 二頁 ﹁ 素蓋 雄 尊 ﹂. 深見洗鱗. 8号 日本 美 術 第 2. 第7 1巻 5号. 写真 銅 版 ﹁日本 武尊 ﹂ 高橋広湖. 4号 日本 美 術 第 3. 明 治 三 十 五年 四月 一九 〇 二年. 塔影. 写真 銅 版 ﹁天 孫 降 臨 ﹂ 高橋広湖. 8号 日本 美 術 第 3. 明 治 三 十 五年 十 一月 一九 〇 二年. 展覧 会 出 品 写 真 版   尚 細 会 安 田収 彦 第 1回 展 ﹁ 伊 奈 佐 の山 ﹂. ﹁天孫 降 臨 ﹂ 田代 古 崖. 日本 美 術 第 6 4号. ﹁天 の 岩 戸 ﹂. 第2 1回 絵 画 共 進 会 出 品 ﹁ 天岩 屋 戸﹂. 菱 田春 草. 明 治 三十 五年 十 二月 一九 〇 二年. 写真 銅 版 三 十 二頁. 第3 1回絵画共進会出品 ﹁ 菫 一 尊﹂ 冊一. 7号 日本 美 術 第 4. 横 山大観. 日絵 ア ー ト タ イ プ ︶ 画苑 ︵ 尾竹竹披 ﹁ 天窟 ﹂. 大 正 九 年 四月 美 術 写真 第 1巻 第 4号 画報 一九 二 〇年 故  土 目木 繁 美 術 新 報. 第 H巻 8号 3 第2 ︵ ︲号 ︶. 写真 版 ﹁ 神功皇后武内 宿 勝 川春 草 禰﹂ ﹁ わ だ つみ の いろ こ の宮 ﹂. 中村不折. 美 術 新 論 第 8巻 第 9号. ﹁ 建国級業﹂ ︵ 写真版︶. 一明 九治 〇三 一十 年四 年 十. │. 28 29 30 32 34. 33. 35 36 37 38 40 42 43 44. (10) ). 言語 0文 学研究編 (2008年 3月 甲南女子大学大学院論集第 6号. 月.

(11)

参照

関連したドキュメント

する愛情である。父に対しても九首目の一首だけ思いのたけを(詠っているものの、母に対しては三十一首中十三首を占めるほ

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,

て当期の損金の額に算入することができるか否かなどが争われた事件におい

昭和三十三年に和島誠一による調査が行われ、厚さ二メートル以上に及ぶハマグリとマガキからな

継続企業の前提に関する注記に記載されているとおり、会社は、×年4月1日から×年3月 31

私たちは、私たちの先人たちにより幾世代 にわたって、受け継ぎ、伝え残されてきた伝

一︑意見の自由は︑公務員に保障される︒ ントを受けたことまたはそれを拒絶したこと