エムペドクレスの没落
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(2) エムペドクレスの没落. 『ヒユペ-リオン』との主題的連続性が意識されて、エムべドクレス の死が素材として選ばれることになったのだろう。地・水・火・風の 四大、ならびに愛と憎しみの力を原理として世界の成り立ちを説明し た哲学者エムペドクレスに対するヘルダ-リンの関心ほ、主にディオ. 「生(Leben)」. いのち. の追求老としてのエムペドク. 登場してそれぞれの立場を述べるわけであるから、この一組の女性達. が刻むエムペドクレス像ほ、必ずしも民衆のエムペドクレス像と1致. り一巻-状況に応じて態度を豹変させる市民達の無定見さとは無縁であ. することにほならないだろう。しかし彼女達が、エムペドクレスを取. り、エムペドクレスに対する態度を一貫させる老であればこそ、その. えたポジティヴな像をも兼ねることになるだろう。. ところで、パンチアとデ-アとはエムペドクレスに対して、心理的. に等距離の関係に立つのではない。前者については、エムペドクレス. が命の恩人であるという経緯も手伝って、エムペドクレスに非常に近. い所に居る。従って、心酔と崇拝とがその心的態度を特徴づけている0. 窺えるように、エムペドクレスを中心とする状況そのものに対して一. 後者については'シシ-アへ到着したばかりであるという設定からも. うな音調も、純粋で偉大な音色に和して、譜和しっつ転調して進行す. いのち. いのち. 「あの方そのものであるということ/それが生なのです、. わたしたち他の者は、生の夢にすぎないのですわ(--)_.帆. S.6f.)(9). ナイ-7. -ジにょって捉え、エムペドクレスを、惰眠を貴る着たちに顕現した. クレスと民衆との関係を「生(Leben)」とその「夢(Traum)」のイメ. いのち. ここでパンテアは、いささか高いト-ソでしかも素朴に、エムペド. ら?」((-T). いったいこの島では、みんながあなたみたいなのかし. デリア「あなたのおっしゃることを答めることは出来ないわ/?・. パンチア. 生まれて-るというわけである。. かもそのことにょって補強され'そこから二人のエムペドクレス像が. ある(W).つまり、パンテアのことばはデリアにょって相対化され、し. 定の距離をもって臨むことの出来る存在、いわば客観的な限の持主で. ほ概ね次のようなことを述べている(7)。この形式においては、どのよ. ることがなかったが、選び取られた悲劇形式について、ヘルダ-リン. 作品の生命が生まれるといぅ信念ほ、ヘルダ--ンの念頭を片時も去. 「素材(Stoff)」と「形式(Form)」とが緊密に関係し合うところに. レスに焦点を結ぶことになった。. られるとおり(CD)'専ら. 作品化するにあたって、その関心ほ、オ-デ≡ムペドクレス』にみ 対話から浮かび上がるエムペドクレス像ほ、少な-とも、市民達の捉. ゲネスエフエルティウスを播くことにょって養われたようであるが(5)、. 六八. るようにいっさいが組み立てられており、偶有性ほ断固として拒否さ れる。そして、生に満ちたひとつの全体(理想)が、簡潔に'しかも. 尊厳に提示される、と。これは、いわば表現の作法に関する覚え書き であって、私たちは、フランクフルト時代の構想・草稿に至る過程でI この作法が徹底化されてい-様子を観察することになるであろう。. 考察の順序としては、各稿態を比較しながら、まず民衆の問に板を. 幕・第五場、および、第二幕・第四場には、アグリゲソトの市民達が. べく登場するのが、パンテアとデ-アの女性観である.確かに、第1. -). 下ろしたエムペドクレス像、続いて為政者が捉えるエムペドクレス像、. ×. そして、エムペドクレスの自身像につ.いてみてい-ことにする。 ×. 民衆にとつてエムペドクレスとは何者であったか.この間に答える. ×.
(3) ひとりの神として意味づけている.その限り七いえば、パンテアのエ ムペドクレス像には、諸国の民を眠りから醒すべ-、遠-ガンジスの 辺にまで赴いたと歌われるバッカスの面影が重なっているといえよう. 更にパンテアは、多くのことばを費して、自然界の理法に悉-通暁 したエムペドクレスの、医師としての、詩人としての、また哲学者と しての横顔を浮かび上がらせているが、それらを総体として捉える際. ヽ. ヽ. に彼女が用いる光の比喰にほ注意を向けておかなければならない。. 「ああ、明け方の雲のように私の心は'/あの高貴で甘美な光に向 ヽ. S・. S.43. 傍点筆者). 、、、、. する強烈な光は'旧い秩序を直射することになるであろう。. -ic九)」という規定語が用いられた所以である。エムペドクレスから発. 表わすのでなければならない。「かすかな(fart)」「やさしく(freund・. つのであって、教育のモチ-フと結び合う以上、それは柔和な作用を. ただ光は、成長を促進する反面、枯死をもたらす強烈さをも併せ持. ことが出来る。. して『エムペドクレスの死』は『ヒユペ-リオン』に連続するという. 教育のモチ-フと結び付いているのである。そして、そこを結節点と. schein)」、「黄金の綱(goldeneSeile)」ということばが示すように、. が、ヘルダ-リンにおいても事情は変わらず、それは「反映(Wider. 啓蒙主義にとって、光はその本質に関わる重要なイメージであった. た」(i-(-9. 私たちの生を/黄金の綱にょって/やさし-育てて下さったのでし. いのち. 「新しい太陽のようにあの方はやって来られ、/まだ熟していない. いのち.. 既にみたとおり、エムペドクレスそのものであるということがパン. テアにょる生の定義であったが、エムぺドクレスの生の充溢の状態を. 規定するなら、それほ端的に、自然と親和し、一体となった状態だと. ichein. Knabewar…)』や『ヒユべ-リオン』. いうことが出来る。但しこの場合、自然との1体性は、例えば『私が 少年だった頃--(Da. の幼児讃美にみられたような、自然に庇護された状態でほなく、客体. 化を自己実現の原理とする意識と自然との対立関係が止揚された状態. を指している。自然が彼自身の意識を介して姿を現わす、そういう関 いの七. 係の仕方において、エムペドクレスほ自然と親和しているのであり、. 「案内人(Pilot)」(TTI. いのち. S.6)たり得るのである.. 「予感」()-)-)S14)の域. を出るものではない。真実相についての説明ほ'神官ヘルモクラテス、. アは重要なことを語ってほいるが、それは. 神的なものの没落は余儀ないことだとしている点など、確かにパンテ. ()-T)S14)だと観じている点、また彼の悩みは神々のものであり、. エムペドクレスの憂いに沈んだ様子を「生が逃げてしまったよう」. であるように思われる。. ムペドクレスに対する心理的距離が近すぎるパンテアにとっては困難. 然の領域に回帰する精神の円環運動の必然性を根拠づけることは、エ. 由づけを行っていない。自然の領域から歴史の領域を経て、再度、自. テアは、エムペドクレスの精神に訪れる運命的転回について十分な理. えるように、ふたたび自然の慎に帰って行-ことになるのだが、パン. トの市民と関わりをもった後に、丁度、太陽が自らを傾けて夕べを迎. 自然との1体的な関係において自然を告知する精神ほ、アグリゲソ. リゲソトの市民の. そのような幸福な状態にある老としてのみ、エムペドクレスはアグ. それぶ生の充溢の謂に他ならない。 って流れ、私はその光のかすかな反映となったのでした」(=⊥. ヽ. エムペドクレスの没落. 六九. (10)○. ∽).
(4) エムべドクレスの没落. この事情は、第一稿、第二稿を通じて基本的に選ぶところがないが㌔. そしてエムペドクレス自身に侯たなければならない。. 第二稿・第二幕終場のパンテアのことばにほ、第三稿を先取りする形. 在として、エムペドクレスの運命の冷静な観察者であること、同時に、. てお-必要がある。従って、彼が語ることばは、エムペドクレスにつ. 秩序の頂点に位する者として、政治的言語の操り手であることを押え. への有力な敵対者を見出す限りにおいて、政治的ベクトルの形成に直. いての認識であり、しかもその認識は、エムペドクレスに自己の権威. 加えてお-。「(・・・・-)そうならなければいけないゐです/霊が/そし. ナイ-7. 結するという性質を具えている。. に変わっているが。ヘルモクラテスはメカデスを「子供のような男だ. 二稿でほこの傾向がより強-なる。そこでは、執政官の名がメカデス. 一方、執政官クリティアスのことばの質ほ、総じて素朴である。第. 分とはいえないにしても、その死の意味が、時代との関連において捉. な(Unmdndiger)」(2-丁)S.97)と呼んでいる。このような設定は、. 書いたが、その場合、.'(ッカスとは、ヘルダ-リン固有の用旗になる 覚醒をもたらす神であった。今、別の角度からエムペドクレス像を刻 むために、エムペドクレスの対抗者たちのやりとりを検討してみると、. そこには本来の属性-陶酔と狂乱-を具えた'J'tツカスが姿を現わして いることに気づ-のである。既成の秩序に挑みかかり、それを撹乱し、 民衆を熱狂状態に陥れた老として、エムペドクレスは「魔術師(der. バッカスは外来の神であった. と決めつけられ. zauberer)」()・lT2S.)0)と呼ばれ、また「異邦の老(derFrem)ing) ()・)・)s.27). 神官ヘルモクラテスについては、彼がエムペドクレスに匹敵する存. が、それは為政者の政治力学の勝利であるようにみえる。. このようなバッカスは、アグリゲソトの町を追われることになるのだ. とって、その権威の失墜と直結しかねない重大事件であったわけだ。. ている。強力な対抗者の出現ほ、アグリゲソトの祭政を掌る着たちに. -. りとりである。 ヘルモクラテス. S.96). 「あの男はどこに居るのですか?」. と言って、事態. 「ここからそう遠-はない暗がりに/魂が抜けてし. 名乗ったあの日以来のことだ」. しまったからだ。/あの酔い痴れた男が、/民衆の前で自らを神だと. まったように坐っている。/それというのも、神々が彼の力を奪って. ヘルモクラテス. クリティアス. まい/手に負えぬ妄想から抜け出るために」. 「全員が、これからあの男の有様を見なければなる. レスが、酔い痴れた民衆の前から姿を隠したという噂をめぐってのや. ともあれ、このような二人のやりとりを聴いてみょう。エムペドク. のだ。. の鎮静化のために静観を勧めるメカデスは、やはり冷静な限の持主な. ひとりでに消えるにまかせるがよい」(2-)A. 老としてのメカデスの無能さを意味するものではない。例えば「焔は. 逆にヘルモクラテスの老槍さを際立たせるであろうが、政治に携わる. えられているわけであり、その限りにおいて、パンテアの成長を語る. 私たちほ/ひとたび、奇跡を必要とするからです」(S・))8)即ち、十. て熟してい-時代が、そうなることを欲するのです/なぜなら盲いた. で、エムペドクレスの死を動機づける視点が現われていることを付け. 七〇. ことが出来るだろう。 ×. パンテアのエムペドクレス像にはバッカスの面影が重なっていると. ×. -.
(5) クリティアス「民衆は、適の男同様に酔っています./綻にも、さ. し迫った必要にも、裁判官にも耳をかそうとはしません。/(--) あの魔術師ほいっさいを真っ暗にして/天も地も自分で呼び起こした 嵐と化してしま.っています(--)」. ヘルモクラテス「お前たちの間でほ、/あの男の魂は強力なものだ ったのだ」(Tl-2S.(0) ヘルモクラテスの批判の要諦ほ、エムペドクレスが神々の寵愛を1 身に集めるという幸福のあまり、神と人との区別を忘れ、「自分のみ を感ずる(sichalleinn?rfdhlte)」(1-1-2S・11)に至った挙句に、 民衆の前で神を借称した点にある。そのような騎慢さに対して神々の 罰が下り、エムペドクレスは「魂の抜けたような(seelenlos)」虚脱状. ヽ. ここにほ、エムぺドグレスの没落を罪過に対する購いとして捉える. 何よりも重んずる古代人にとって、神を名乗ることは、悟性的には許 ヒユブ-ス されることであっても、宗教的には許容し得ない騎慢なのだという。 このように注記したヘルダトリソの念頭にほ、「神にかかわる発語に. うが、第二稿で、それを「ことばだけの罪」(2・)A. S・96)とみるメ. (i-)-2S.12). と断を下すとき、そこにほ認識老の声と同時に、神を. 後楯として、秩序の撹乱老の追い落としを図ろうとする為政者の声も. 「生成を敵視する老」(13)ということが出来よ. また響いているのだ。秩序を維持することに至上の責務を見出す老と して、ヘルモクラテスは. う。このような二つの側面を押えてお-ことは、追放のモチ-フの必. 然性を理解するために、また、後で観察することになるが、エムペド. クレスの聖職者批判の楓拠づけをするためにも大切なことである。. さて、第二稿について、以上のやりとりとの対応関係を調べてみる. と、内容にはほとんど選ぶところほないといえる。即ち、執政官メカ. デスほ、民衆の間に「新たな神、新たな壬」(2-)-)S.92)が出現した. ことを秩序崩壊の徴とみて狼狽へ、エムペドクレスを中心にした軌道. を描いているような民衆の熱狂状態を「迷い星((rrstern)」(2IT)S.. に見立てている.強力な磁力作用の前に、民衆は、既存の秩序の. が排除されて、対. (ヘルモクラテスは. る。また、「あの男か、われわれか」(㌣丁)S.96)と、二者択1を問. 「エムペドクレスほお前より私に近いのだ」(2-)-)S196)といってい. より明確になっていることなどが目立つ点である. と、ヘルモクラテスの、エムペドクレスの対抗者としての位置づけが. 話そのものがはるかに簡潔になり、きびきびしたものになっているこ. ただ第二稿の叙述面についてみると、「偶有性」. 中に定められていたはずの軌道から脱れてしまったと捉えるのである0. 93). ヽ. 態に陥っているというのである。. 立場が読み取れるが、罪過とは、「自らを神と名乗る」ことに他ならな l. かった。このことについて、手稿の欄外注(ll)にょれば、自由の感覚を. l. 鈍感になりきっている」(S)同時代人のことが想い浮かんだことであろ. 題にするヘルモグラテスほ、まさに為政者の顔をしているだろう。). また'第二稿の、二人のやりとりにあらわれたエムペドクレスの新た. な捉え方についても触れておく必要があろう。「死すべき老たちを余. 七一. ヽ. カデスには、あるいほそのようなヘルダ-・リンの同時代人の面影が重 なっているかも知れない。いずれにしてもヘルモクラテスは、注釈に. の(Verborgenherrschendes)」(2-i-)S.97)の秘密を明かし、適度. りにも愛した」(2I)I)S.93)こと、神的なもの、「密かに支配するも. l. I. 記された後者の立場に立って、認識老として、エムペドクレスの運命 を見据えているのである。しかし、既に述べたことだが、(ルモクラ テスがそのような騎慢に対して、「神々の判決があの男に下るのだ」 エムぺドクレスの没落. ヽ. l.
(6) ヽ. ヽ -. ヽ. ヽ. ヽ. エムペドクレスの没落. JI_. l. わけではないが、過剰性に根拠を置-没落観には注目しておかなけれ. l. ことが知られる。この点が独立したモチ-フとして展開されるという. れることにょって、エムペドクレスにプロメテウス的側面が加わった. を知ることなく人間の手に委ねたことが、没落の必然性と結び付けら. l. ×. × I. を与えたのである。また'自然との交感のなかから歌が生まれた。彼. ウサニアスにょれば、彼は「野蛮な国家に形と意味」()・T4S・)9). 人々ほ、彼の回りに寄り集い、その生の泉に汲んで飲んだ。弟子のパ. いのち. 自然に仕えた。自然ほ、愛を媒として、エムペドクレスに生を恵んだ。. いのち. クレスは嘆くのである。エムペドクレスほ、神々の寵児、神官として. 現在の状態として、水と光とエ-テルと大地とに向かって、エムペド. 揚態を指している)が破れてしまった故に'内的な潤渇、精神の夜を. ところであるが、精神と自然との未分化性ではな-、両者の対立の止. 場合、自然と神々とほ同義であり、しかも、この1体性は、既にみた. 自然との過剰なまでの親密性(Innigkeit)、神々との1体性(この. を確認しておかければならないo考察の直接の対象ほ、1-一-三お よび二-1-二、自然を相手とするエムペドクレスのモノロ-グであ. l. わけだが、ここで再度、彼自身のことばに拠ってその身に起ったこと. 私たちほ既に、虚脱状態にあるエムペドクレスの悩める姿を観察した. を明らかにしてしまうドラマの構造そのものに由来することである。. しないが、それは、主人公の登場までに主人公に関する大方のところ. ようやく主人公の登場を願う段になった.遅きに失するの観なしと. ×. ほ詩人でもあった。. 生まれるが、それぞれの音ほ互いに無縁の孤立した存在であるように、. 例えば、!定の法則に基いた音と音の連関のなかからハーモニ-那. 14および2I)-2S.)02). 「あなた(-自然)は、もう私がわからないのですか?」(TT〕S・. 七二. 忘れ、「私」のことばに生の源があると錯覚したとき、「神々」ほ「私」. いのち. に生を与えてくれるものが、「神々」でありまた「霊」であることを. いのち. れば「神々」でも「霊」でもあり得なかった。だが、「私」のことば. が聞こえる。確かに、「神々」も「霊」も「私」のことばを介さなけ. てに、皮肉にも、自己自身の存立の場を失ってしまった「私」の嘆き. イッヒ. ここにほ、エムペドクレスの自己の享えとしての「私」の肥大の果. (㌣丁3S.)09). ければ何ぼどの土とがあろう? さあ言って-れ、私は何者なのか?」. る自然は私の端女となった(--)神々も、その霊も、私が告知しな. なり、いっさいの力が私の僕となって私に仕えた(欠)、主を必要とす. ぬぼれて、それをロにしたのだ」()J・4S・20f・)「世界は私のものとあるじ. 私に仕えるものとなり、私ひとりが神となった、そして、不遜にもう. 座に据えたのだ、この思い上った野蛮人は-(-⊥その時、神々は. ち切ったのだ」(:13S.15)rdほあなたを蔑み、自分だけを主人の. 「聖域をお前は目頭したのだ、不遜な自負心にょって美しい鮮を断. 次のとおりである。少し長いが引用しておく。. ぼ明らかであると思われるが、エムペドクレス自身のことばにょればI. のにあった。ヘルモグラテスのことばにょって、既にその事情は、ほ. 15)が断ち切られてしまったわけほ、エムペドクレスの「私」そのも. 自然との間に結ばれていた「美しい秤(derSch6neBand)」() 説明ほ、論文『エムペドクレスの基墜が示して-れるであろう。. ばならない。過剰性と没落とがどのように関係し合うのカ、についての. る。.
(7) の視界から姿を隠してしまったのである。 弟子のパゥサニアスほ、永劫の飢喝を運命づけられたタンタロスに 我が身を喰えて自己告発するエムぺドクレスに対して、「何ですって? たったひとことのことばのせいだとおっしゃるのですか」()・l・4S・ 2))と問う。この間は'エムペドクレスの発語そのものに罪過の在処 を見出そうとした執政官メカデスの問に重なるものであるが、しかし、 罪過の在処は、単にことばそのもdのなかに、従って、それを口に出 して言うことのなかに求められるべきではな-、むしろ、発語の仕方. をもたないからである。事実また、厳密な意味においては、このよう. なものが存在したためしはないのだ」(-7)ここに用いられている政治的. ともあれ、エムペドクレスの騎慢を罪過として捉えることから、そ. 概念ほまた、認識論的概念でもある。ヒユプリス. の死を頗罪の行為として意味づける立場(-8)が出て-るが、私たちは、. 劇の進行の過程において、その死は噴罪に直結するものではな-、む. しろ罪過のモチ-フほ、外面的にほ、ヘルモクラテスにょるエムペド. クレス追放のモチ-7の展開のなかで解消されるのだと考える。即ち、. ヒエブリス. 購罪ほ、エムペドクレスのオイディプス的流離において果たされるの. である。これほ、自らを神と名のり、それを口に出した騎慢(‖罪過). に求められなければならない。第一稿のヴアリアントの傍注には、エ ムペドクレスの罪過は原罪(Ursdnde). を、為政者の側から捉えた場合の帰結であり、その帰結に接続するも. である旨が記されているが、. この場合も、原罪は神と等しい存在たろうとする志向、彼の意識の自. のが和解のモチ-フなのだといえよう(例えばヘルモクラテスほ、「お. お前をまた善良な市民たちが故郷へ迎え. 己刻印の仕方そのものに潜むと考えられるのである。それゆえ、いわ. (-). 前ほ犯した罪を償った. といっている)0. (2-丁3S.. さて再びエムペドクレスのモノロ-グに限を転じてみょう。第一稿. いう大いなる逆説であった(劫)。. サニアスに与えた定義を自ら否定すること、即ち、生きるための死と. )08)というものであった。つまり、エムペドクレスの没落は、パゥ. 定義は、「ひとりぼっちであり、神々を失っていること」. て発現するのである(19)。エムぺドクレスがパウサニアスに与えた死の. れた調和状態を回復しょうとして、この意志は、没落という形をとっ. 源的な意志であるといえよう。意識の騎慢にょって分裂を余儀なくさ. ヒユイ-ス. 再び自然との紐帯を回復し、無限の生との合一に到達しょうとする本. いのち. うなら、それは、エムペドクレスという個を消し去ることにょって、. それでは、エムペドクレスの死を内的に促すものは何か。一言でい. ようというのだ」. ゆる「ことばの罪過(Wortschu-d)」を問題にするとしても、この点 は押えておかなければならない。パゥサニアスの問は、エムペドクレ ヒユプ-ス. スの意識に不可避的に潜む騎慢を見落しているという意味でズレてい るのだ。. ヘルダ-リンが第一稿、第二稿段階で、エムペドクレスという普遍 的な個の形象化を通して、自然と精神との関わり方の問題、あるいは ヒユプ-ス. 人間の意識1般に潜む悲劇性の問題に、エムペドクレスの騎慢を批判 するという形で解決の方向を与えようとしたとき、彼の念頭にほ再び フィヒテの面影が浮んだことであろう(5).『ヒユペ-リオン』の幾つ. かの稿態(16)は'既に、フィヒテの自我説との対決の跡を記していたが、 ここに友人宛の手紙の一節を引き、当時のヘルダ-リソの問題意識の 所在を確認しておきたい。「絶対的な独裁君主制ほいかなる場合でも、 自分で自分を破棄するものなのだ、なぜなら、このようなものは対象 エムペドクレスの没落. 七≡.
(8) エムペドクレスの没落. レスであったが、第二稿では、自噺を響かせながら、「弱々しく、し. でほ自らを「哀れなタンタロス」()-T3S・15)と呼んだエムペドグ. -グの基調ほ大き-異なることはないといえるが、第二稿に. かも厚かましいユピテル」と自己規定している点が注目される。両稿 のモノロ.. より由確な輪郭を与えているという意味で、成立(一八〇一年)は悲. 劇以後のことに属するが、オ-デ『自然と人為=叫iに一瞥を-れておき. たい。エムペドクレスの罪過の由題ほ、そこから逆照射を受けること. になるだろうから。この作品は、ユピテルにょるサトゥルヌスの追放. サトゥルヌスは、分裂を知らない姶原の世界、平和な黄金時代を宰. 劇に取材し、両者の関係づけを主題とする不思議な行情詩である。. I. おいては'r孤独だ、孤独だ、孤独だ」(2-T2S・)03)というようなパ. 七四. 為(技)を象徴する。 降りるがよい-. さもな-ば、感謝を恥とするな-. もしお前が、そのまま留まりたいというのなら 年上のものに仕えるがよい。 BI==」=四. なぜなら、雲間からお前の稲妻が下るように、. -‥-. お前のものであるものほ、彼の許より来るのだから、. 謝」ほ「騎慢」. の対立概念である。自然は「主を必要としている」. あるじ. テルの世界の「生が促進」されると考えるのである。この場合、「感. いのち. (∽.Str・). 配の関係を止揚しょうと試みるのである。そうすることにょってユピ. (Dank)」の概念を導入することにょって、ヘルダ--ンほ支配・被支. が動きを止めない以上、不可能であるに違いないことだが、「感謝. である。もちろん、ユピテルを否定するのではな-、またそれは歴史. の幸いの条件を、ユピテルのサトゥルヌスへの奉仕に見出しているの. さきわ. (41St)I.). 領する神として、「罪もなく(sChuldlos)」地下の世界で嘆きを発して I. いる。綻を与え、運命を頒ち、物に形を与える神として、エビテルは I. 今、時の領域を支配している。サトゥルヌスは自然を、ユピテルほ人. l. テエアイシュな表現からも窺えるとおりヽ孤立したエムペドクレスの. あるじ. ユプリス. ヽ. 姿がより徹底化されて描出されているっ.この段において、自然(直接 にほ自然の霊)をサトゥルヌスとし、エムペドクレスにはユピテルの 呼称を与えたとき、ヘルダ--ンは、後年オ-デ形式にょって表明さ れることになる思想を整理しっつあったといえよう。同じ段には「主 を必要とする自然(dieherrnbedtirftigeNatur)」(2・)・3S・109). ことの間接証明となるだろう。「芸術衝動と文化衝動ほ、そのどんな. の文化の問題が横たわっていたのである。弟宛の手紙の一節が、その. モチ-フの背後には、自然との関わりのなかで自己形成してい-広義. るところからも察することが出来る。だが、ユムペドクレスの騎慢の. とあ. l. ヘルダ-リンは、エビテルの世界、即ち、秩序の世界、文化・歴史. ). 変形、どんな変種においても、人間が自然に対して示す本来の奉仕だ イッヒ. という逆説を、ぼくはおまえに立てたのだ」(S) いのち. 「私」の神化にょって精神の虚の状態を招いたエムペドクレスの姿 は、「生を促進すること」(Suという要請にはほど遠いヘルダ-リソの 同時代の精神状況もし-は文化状況を映し出す戯画であったかも知れ ない。逆にいえば、そのような自己の姿を自覚するユムペドクレスに は、アグリゲソトの洞渇した精神状況がみえたということであり\そ こから、彼の鋭い批判の矛先が秩序の代表者としてのヘルモクラテス に向けられることになるのである。 いずれにせよ、サトゥルヌス-ユピテルの命名に挙まれる問題に、. の. (. ヒ.
(9) あるじ. だが、その主は「厚かましいユピテル」であってほならなかったのだ。 それが自覚されたとき、エムペドクレスの個人としての嘆きは止み、. ×. 彼の限は、同時代に向って開かれることになるのである。 ×. 生の形式を代表するヘルモクラテスの反批判ほ、権力の座にある老の. 常套手段、すなわち、情動的言語の操作にょって形成されるのである。 「神々の敵」「一. 在来の神々の権威を後楯として、エムペドクレスに. 切を侮る老」「誘惑老」などのレッテルを貼りつけることが民衆操作. の完了を意味していた。社会全体が固定化し、活力を失っているとき、. 権力の座からの失墜を怖れる老が用いる空疎な言辞は、民衆の眠れる. 意識に訴えて、その最大の効果を表わすことが出来たのである。. この対決の場面で措かれる市民ほ、既に述べたとおり、非主体性・. ることばをほとんど解さぬ者として描かれていることである(例えば、. 雷同性を性格の基本とするが、特徴的なことは、エムペドクレスの語. 「この男ほ何とい.ったのか」(1・)・5S・22)「何故この男は、こんな奇. 妙なことばをしゃべるのか」(TT5S.24)等のセリフを参照のこと)0. ばを理解できるまでにほ成長していないことを端的に示すものであり、. これは、市民の意識、つまりはアグリゲン-の社会全体が、彼のこと. った有様である。このような市民が支える社会秩序の頂点に立つ老と. ているのである。. この場面でエムペドクレスは、自分を. に喰えているが、この比噴は'そこに彼の死の意味が. 二人の対決の帰結は、エムペドクレスの追放ということであった。. ある。. 死(Opfertod)としての意味づけが行われるのはもう少し先のことで. ない。彼の死が、時代との関わりのなかで根拠づけられ、其の犠牲. 陪示されているが故に注目に値するが、未だ暗示の域を出るものでほ. ()-T5S.24). 「生費の動物(Opfertier)」. れていないわけでほない。状況そのものがエムペドクレスを孤立させ. るわけである。もちろんエムペドクレスのことばが社会に対して開か. 逆にその分だけ、エムペドクレスの土とばがモノロ-グ性を帯びて-. いのち. ルト時代の構想案においてエムペドクレスは一切の一面的な生活を憎 悪する者として性格づけられていたわけであるが、今、生に満ちてあ ることの何たるかを知った老として、「継起の法則」(a)の支配下にあ. る状況、生の形式を千篇一律に反復するアグリゲソトの市民たちの状 況を批判するのである。そのような、いわば散文的な状況を集約的に. 体現するヘルモクラテスほ「聖なるものを商売道具にする男」(TT∽ s.23)として断罪されるqこの批判は'同時代に対する、また、正統派 教会に対するヘルダ-リソ自身の批判を裏づけとするもの.でもあろう。 一方,制度的なもの、あるいは'固定され、未来に対して閉された エムペドクレスの没落. 七五. 核心は、既存の秩序の形骸性を撃つことにあった。既に、フランクフ. してヘルモクラテスをエムペドクレスは批判するのだが、その批判の. い痴れ、いったん威力が失われると、ヘルモクラテスの側に就-とい. レスが自然との親密な関係のなかで「奇跡」を行なう限りは、彼に酔. れるような精神の非自立性・非主体性ということである。エムペドク. の基本的性格は、二人の間を状況の変化に応じて移り動-ことにみら. に、アグリゲソト市民の果たすべき役割は決して小さくはないが、そ. いなどの劇作上の不備(a;)については触れないことにする).この場合. 以上、直接には第一稿に拠る他ほない(モチ-フの展開が有機的でな. 稿においても書かれたと推定されるが(g3y手稿の大半が散供している. エムペドクレスとヘルモクラテスの対決についてほ、おそらく第二. ×.
(10) エムペドクレスの没落 × ist. しまった--」(干2-3S.5)) 「様子が変る(Schon. ン』を受け継ぎ、後期讃歌. anders)」という表現ほ、1種の.エクス. 「私. 『平和の祝い』) を先取りするも. 借りるなら、自ずから落下する果実の如-(4-2ムS.65)アグリゲン. のである。いわゆるエムペドクレスの遺言である。本文中のことばを. (例えば. ルダ-リンがエムペドクレスに語らせている思想ほ、『ヒユペ-リオ. 至ったエムペドクレスの変容(那)と関係することなのだが、ここでヘ. 取りも直さず、人類の教師的な'あるいほ予言者的な相貌を顕わすに. 三幕ほ、ある種の優しさを基音として響かせているようだ。それは、. しかし、このような点を度外視して、全体的な印象をいうなら、第. 突な感じを与えるのである。. あるいはまた、アグ-ゲソト市民とエムペドクレスとの和解のモチ -フも、市民の内的覚醒に関わる部分の叙述がないために'同じ-磨. て唐突な感じがするのである。. (観客)の想像に委ねられるという形になっているために、全体とし. られるのだが、エムペドクレスの内的変化のプロセスが、いわば読者. て、失われていた自然との一体性の回復の前段階に到達したことが知. ターゼ体験を示す、ヘルダ-リン愛用のトポスであって、これにょっ. es. はあなたたちのためにこの水を飲もう-/懐しい親しい神々よ-/そ して私の再帰を祝して飲もう、自然よ/早-もあたりの様子が変って. い展開のなかで解決のきっかけを与えられていることである(S)0. に陥ったエムペドクレスの悩みが、その深甚さにも拘らず、意外に早. ら、騎慢ゆえに自然(神々)との帝離を余儀な-され、魂の虚脱状態. 第一稿・第二幕はい-つかの作劇上の不備を含む。一例を挙げるな. ×. 卜市民へのメッセ-ジが語られるのであるO. 「真実を語る.」. (干2ムS.68). ソは、訪れるべき新たな共同体実現のためのプログラムを語っている. (†2-4S.65f.)引用が長-なったが、無論のこと、ここでヘルダ-リ. な生が安らぎ/君たちの連盟を綻が強固なものとするがよいのだ。」. いのち. のように手を差し伸べ合い/言葉を交し、富を分ち合うがよい/(-)/各人がそれぞれに等し-なれ(--)正しい秩序のもとに、新た. /自らの美しい世界を求めて高鳴る/そのときこそ二アイオスクロイ. あらわれるとき/君たちの胸は、武器を携える者のように行動を求め. に君たちの魂を鎮め/(--)/高貴な諸々の力が/君たちの眼の前に. いのち. /そして、新たに生まれた老のように/神々しい自然を仰ぐがよい/ (--)/君たちを世界の生、平和の霊がつかみ/聖なる子守歌のよう. 語り、教えて-れたもの/綻と慣習、古き神々の名を忘れ去るがよい. きって君たちが受け継いだもの、獲得したもの/父祖の口が君たちに. それでは、告知される新しい秩序とほ如何なるものか。「さあ、思い. 滅び行-老としてエムペドクレスほ. 更新という観点と結びついて-る。. 規定するものとしての側面が強かったのだが、ここに至って、社会的. 思想ほ、『ヒユペ-リオン』においては、主人公個人の生のリズムを. 一である。また、ヘルダ-リンがヘルダ-から学んだとされる廷りの. ペ-リオン』第二巻末部のドイツ人弾劾にみられるものと本質的に同. を経て、全体として再生すべきことが説かれる。この批判は、『ヒユ. 生の拠り所を求めようとする精神の非自立性が批判され、象徴時な死. ような精神が築いてきた日常の世界の散文性、更に、王を戴-ことに. ざけ、新たなものを寄せつけようとしない偏狭な精神、そして、その. 自己の殻に閉じ寵り、旧態の墨守に汲々となって、未知のものを遠. 七六.
(11) わけではないが,その方向をヴィジョンとして示しているのである。 って生き生きとした生の連関を形成すべきことが心をこめて語られて. 既成の秩序から錆ついた権威を剥ぎ取り、自由な、自立した精神にょ. いる。それは、ヘルダ-リンが自らの時代に寄せた思いをそのままに 映すものである。ここには、明らかにフランス革命の理念が影を落と しているのがわかる。更に、エムペドクレスが、王たることを願う市 民の申し出を拒み、「もほや王の時代でほない」(T2-4S.62)といっ ていること、パゥサニアスが「この方は王冠を受けないというのだ」 (ibid.)といっていることなどを併せ読むとき、新たな秩序を統べる原 理が共和主義の精神であることも確かめられる。. 引用文中の「武器を携える老(Waffentrager)」あるいほ「行動(Tat)」 などのことば、更にほ、これまでの秩序を支えてきたものの一切を捨 て去れという要請にほ'かなり激しい要素が含まれているが、そのこ とを強調し、また当時のヴュルテンペルクの政治的状況と重ね合せて 読めば(gu'ヘルダ-リンの革命的精神の激しさについて問題にするこ とも出来るだろうが、その場合でも、それが決して無政府主義的なも のではなかったことだけは押えてお-必要があるだろう。引用文中の Ordnungen)」および「綻. うな場でなければならないのである。. いのち. めに、バラ色の額と至福のほほえみと'i6咲き出るのだ」. 「捉」ほ、感謝を知. の許で. とした美しいものを求め/純粋なものの現前するところで自らを展開. こないだろう。人々の精神は、「根源に思いをいたし、生を/生き生き. いのち. f.)「ほほえみ(Lacheln)」ほ、生の澗渇のなかからほ決して生まれて. ()・2ムS・66. 地よ、人々ほふたたびあなたの名を呼び/あなたの暗闇から花が咲き 出るように/感謝を知る老たちの、生ゆたかな陶からほ/あなたのた. ほ、人々もまた感謝することを知っているだろう。「そのときには'大. るユピテルにょって授けられるものなのだ。そのような「綻」. 既にみたオ-デを念頭に置いていうなら、この. ヽ. しょうとする/そのときこそ、新たな1日が輝き昇るのだ」(T2-4S・. 68)。新たな共同体の営みは、この「新たな一日(einneuerTag)」を. 始発点とする。そして、エビテルの綻の許、人々は「サーウルヌスの. 祭(dieSaturnustage)」()・2-4S.69)を祝うことが出来るであろう。. ヘルダ--ンにおいてほ、「祝祭(Fest)」のもつ意味ほ重い。その内. 包を概念的に把んでいうとすれば、それは、諸々の矛盾・対立を止揚. して和解へともたらす場だといえよう。そこでは分裂が止み、再び統. 1が与えられる。そこでは自然あるいほ神々との選遍が可能となり'. 更に祝祭の現在には歴史が流れ込んでその喧騒を鎮めるのである。. ヽ. 最後のことば「正しい秩序(ricbtige. ヽ. エムペドクレスの遺言における祝祭のあらわれは以下のとおりであ. ヽ. (Gesetz)]がその証明である。ここにいわれる「綻」ほ、来るべき秩. I. る。「変転する自然の守護霊たちよ/そのときこそ、あなたたちを招. ヽ. -、敬度に。」(1-2ムS.66傍点筆者)「おお日の神よ-. 人間の守護. 霊は/あなたとの神々しい繋がりを新たに感じ/彼が形づ-るものは、. 彼のものであるとともに、あなたのものだ。」()・2・4S167傍点筆者). ヽ. l. くのだ/(--)あなたたちを自由な民がその祝祭に招-のだ/手厚. ヽ. 序を律するものとして旧来の綻とは異質のものだが、その特質を規定 する新たな契機は、「神々しい自然(g6ttlicheNatur)」である。「高貴. な/諸々の力(dieede)nKrafte)」も、この文脈においてほ、「自然」 をその作用面において捉えたことばである。. つまり新しい世界は、自然を必須の要請とするのだが、単なる悟性. ヽ. 七七. や理性にょっては捉えきれない高次の生の連関(g3)があらわれ得るよ エムべドクレスの没落. l.
(12) I. エムペドクレスの没落. と語り、自らを「晴れやか. Tag)」を経験することな-去る先がけとして規定 な日(der. Agrigent)」()-2ムS.65). l. は「古い軌道(dasalte. ヘルダ-. 「喜びの合唱. ヽ. るプロセスのなかに時代の完成の姿が提示されることになるのである0 さて、こうしてエムペドクレスは遺言を語り終えたが、その過程に. 「私がひっそりと花. おいて、その死を動機づける新たなモメソトが表われてきたことを指 摘しておかなければならない。エムペドクレスは. ヽ. 『エムペドクレスの基底』、そして第三稿の主題に育ってい-のである。. たようだ。時代が死を欲するという発想は、犠牲のモチ-フと結んで、. るからです」(2-21終場S.)18)。第二稿はこの台詞をもって中断され. るのです。/なぜなら、肯いた私たちほ/ひとたび、奇跡を必要とす. がれている。「霊が/そして熟してい-時代が、そうなることを欲す. この観点は、既に引用したが、第二稿のパンテアのことばに受け継. より高い存在にょる外側からの動機づけを物語るものであろう。. 罪との結合にみられる、いわば個の内側からの動棟づけとは異なり、. の予言者の没後は必然の定めだというのである。これは自発の死と購. 媒介する老、いわば予言者として捉えられており′. 73)と応えている。即ち、エムペドクレスは、神的な自然と人間とを 、啓示を告知した後. て語った老ほ/時宜を失することな-去らねばならない」(丁2-4S.. グリゲソートの市民の留まって欲しいとの懇請に対し、「霊の口となっ. なかに祝祭空間を拓き、主宰することが出来るためには、人間ほ何よ. 天上のものたちを客人として招-のである。自由であること、招くこ と、そして、人と人、人と自然、人と神々の間の疎縁さの止揚、これ らが祝祭の構造を規定する諸契機だといえよう。 7.仰の世界が広がるという. このようにしてエムペドクレスの遺言にあらわれた祝祭の席にイエ スが招かれれば、そこには讃歌『平和の祝いn ことも許されるだろう。 エムペドクレスが、去り行-老として語ったことばほ、またひとつ. von. でなければならなかった。なぜなら、「アグリゲソトの霊. の歌でもあったが、それは未だ「孤独な歌(eineinsamesLied)」(T. Geist. 2ムS.64) (der. G)eis)()・2-4S.65)から抜け出ようと憧れつつも、なおそこに終ら. I. の死の動機づけほ、必ずしも犠牲死の観点のみから行なわれているわ. ただ、三つの場面だけが伝えられている第三稿の、エムペドクレス. である。. ヘルダ--ン特有の弁証法的思考が、第三場の、エムペドクレスとマ -ネスとの犠牲死をめぐる対話を背後から支えていると思われるから. を視野のうちに入れておかなければならない。この論文で展開される. 第三稿について述べるにあたっては、論文『エムペドクレスの基底追. ×. れていたからである.エムペドクレスは、その歌が. l. ×. (Freudenchor)」(7・2ムS.64)に変ることを待望しているO リンにとってほ、エムペドクレスの孤立性を解消させることが、その まま時代への要請であったが、このような歴史の展開の把握の仕方ほ、 ヽ. 『平和の祝い』にみられる歴史哲学的認識を先取りするものである。『平 l. ×. w'ちうど. し(3)、その教育者としての使命を弟子のパウサニアスに託した後、ア. 吐lare. のために生れているのだ」(T2ムS.71). を咲かせている間/世界はまだ眠っていた/だが君は、晴れやかな日. 七八. りも自由な存在でなけれはなならい。そのようなものとして人間ほ、. (T2ムS.69傍点筆者)。来るべき共同体の. 「幸福なサ-ウルヌスの祭/新たな雄々しい祭が訪れたなら/退き去 I. った時代を思うがよい」. I. 和の祝い』においては、ひとつのことばが、対話から歌を経て合唱に至. l. l.
(13) けではなく、第一稿および第二稿を受け継いでいる側面もみられるの で、便宜のために、第一場、第二場を先に観察してお-ことにする。. 第一場でモノロ-グを行なうエムペドクレスは、アグリゲソト王た. (3-)-2S.)23)時代の相を「廃塩(Triim・. る。「光は、絶望した老たちの廃娃を切々と照らし、彼らの夜のなか. 代との直接的な関わりの意義を示すものとして注目に値するものであ. を秋々と照らしたのです」 mer)」. 「夜の息子であり、エ-テルの息子である先生-」. 「夜(Nacbt)」と捉えたパウサニ7スは更に、エムペドクレス. る兄のストラトから追放を受け、既にエトナ山上に居る。追放に至る. に向って. と呼びかけている。後者の場合、夜ほ、エムペドクレスが下. りていこうとしている深淵、幽暗な、生命の根源に関わる世界、「暗. S.)29). までの経緯の叙述を省-ことにょって、私たちをいきなり悲劇の核心 部へ導き入れるという設定になっている。「私ほここで鷲と共に自然 S.)2))とあることからも窺えるとおり、エムペ. えにし. (3-T2. の棲む世界を意味する. い母(die. 「夜」との線を持つ者として時代の. (3-T2S.129). ドクレスは自然との親和状態に置かれ、そのことにょって、自然とエ. が、エムペドクレスはそのような. dunk)e. ムペドクレスとの内的対立の契横、従って、自然に対する罪過のモチ. 「聖なる夜(die. ということばのLl. hei-ige. Nacht)」. l重の意味が了解さ. した老を(--)聖なる夜に捧げる犠牲の飲物として携えて行きたい のだ」(3-丁2S.)3)傍点筆者) れるのである。 その死は、生命の根源としての. 「聖なる」時代の夜への捧げの行為なのだ。. へ自らを投げ返す行為に留まらず、潤渇状態にあるにも拘らず廻りの 可能性を学むが故に. では、ヘルダ--ンは犠牲(Opfer)ということについてどのように 考えていたのだろうか。. エムペドクレスの没落を論理的に裏づけるためには、自然(Natur). との関係を定式化しておかなければならない。そこ と人為(Kunst). 頒歌の一般的構造の説明を聞いてお-ことにする。. オーデ. それにょれば'オ-デは、「純粋なもの(das. Reine)」を表現するた. ものを告知した点に見出したことと照応するものである。その限りに. 第二場における弟子パウサニアスのことばは、エムペドクレスと時 エムぺドクレスの没落. 七九. 来る。. でまず、論文『エムペドクレスの基底』の冒頭部に拠って、悲劇的な. というよ. l. -フは姿を消しているのである。しかし一方で、このモノロ-グには、. の歌を歌う」(31II. Mutter)」. l. 夜を照す存在であったというのである。このように読むとき、エムペ ドクレスがパゥサニアスに与えた 「出来ることなら、私がこの世で愛. 彼の死への意志の堅固さとは相容れないような、丁度、『ヒユペ-オン』の冒頭部を想わせるような嘆き、あるいは皮肉な調子が響いて いることも事実である。兄弟の確執に由来するのであろうか、例えば、 「消えて行け、さまぎまな嘆きの思いよ-」(3-)・)S.)23) うなことばから、自らの過去を顕るうちに昂ぶり、揺れ始めるエムペ ドクレスの内面を観察することが出来る。このような心的傾向は、マ -ネスとの対話においても現われて-るものである。 この段での死の動機づけは'「私は人間を人間にふさわし-愛さな かった'人間にふさわし-仕えなかった」(3-I-)S・)22)ということ ばに示されている。これはヘルモクラテスがエムペドクレスの罪過を、. ヽ. おいて、罪過のモチ-フは第二稿にも継承されているとみることが出. 人間に対する愛の過剰、およびその結果として'節度を越えて神的な. l. ×.
(14) denere heit. エムペドクレスの没落. lnnigkeit)」あるいは「冷静な思慮と感覚」(sti11eBesonnen・. Emphdung)」を獲得するのだという.そして、この「謙. 虚な親密性」の状態においては、対立するものどうしを結んでいた ldealische)」が純粋に出現することにな. は単なる対立関係にたつに過ぎず、それぞれに欠陥を有するものであ. 自然と人間(人為の同義語と考えられる)とは、単独の存在として. に関わる範囲で、また、理解できた範囲で再現しておこう。. いる」という有名な定式に続いて述べられる思想を、「犠牲」の問題. 「自然と人為とは純粋な生においてほ'ひたすら調和的に対立して. であるという考え方を述べていた。. して人間活動のいっさいは、人間が自然に対して示す「奉仕(Dienst)」. いほ形式衝動と名づけ、そこに広義の文化の動因を見出していた。そ. 丁ゲ-ソス. しようとする衝動を人間固有の特性であるとし、それを芸術衝動ある. はないだろう。そのなかでヘルダ-リンは、自然を完全化し、理想化. にあてた手紙(3)の一節をふたたび想い起すことは意味のないことで. 関係づけるのである。この論理を理解するために、ヘルダ-リソが弟. ヘルダ-リンほ、このような弁証法的論理にょって自然と人為とを. 千(Grundton)」が再び見出されることになるという。. り、また、異質なものを経験し、認識したことにょって「基本的な調. 「イデア-ル的なもの(das. und. unterscheidens)」へと移って行き、そこに「謙虚な親密性(beschei・. もの、超感性的なものの段階、即ち「無分裂の極(ExtremdesNicht・. Not)」の段階へと進み、更に、分裂が全-認められないような純粋な. する。この「葛藤」ほ、次に、「分裂と行き詰り(Unterscheid2nund. :nnigkeit)」の状態に陥ることから生ずる「葛藤(Nwist)」をまず設定. そして、このようにして両者が相互に作用を及ぼし合い、それぞれ. 間精神の働きかけを受けて個性化する。. 遍化し、非組織体的なものは特殊化するということである。自然は人. のとなるのである。ご-大雑把にいうなら、「組織体的なもの」ほ普. 自己集中を行い、中'心点を獲得することにょって、最も特殊なも. コンツエントワーレン. 山方の極を成す「組織体的なものL]に対して働きかけ、普遍老として ミツテルプンクJ-. 己を普遍化するのである。他方、「非組織体的なもの」については、. なもの(dasAorgische)」に対して働きかけ、特殊なものとしての自. organische)」についてほ'それがもう一方の極を成す「非組織体的. り、自己本来の規定を失うにいたる。つまり、「組織体的なもの(das. 過程において、両者はそれぞれに他者の特性の刻印を受けることにょ. 者の「中心には闘争が生まれる」のである。この「闘争(Kampf)」の. そこに人間の側から形式衝動が発動する結果、対立の関係に入る。両. 自然と人間とは、それぞれの特性を具えたものとして対略し合うが、. づける「非組織体的(aorganiscb)」という概念である。. ある'J. 即ち、人間を特質づける「組織体的(organisch)」、および自然を特質. それを更に数行して説明するために、新たに二つの概念が導入される0. つまり、自然と人間(人為)とは弁証法的に関係を結ぶのであるが、. 毒仕」の精神の欠如が騎慢に直結したのであった。. いうエム。ヘドクレスのことばを想い返しておこう。そこでほ、まさに ヒユプヮス. を必要とする自然(dieherrnbediirftigeNatur)」(2-T3S・109)と. れ、自然と人間との「中間(Mitte)」に位置づけられる。ここで、「主. れることになる。この完成は、「神的なもの(dasG6ttliche)」と呼ば. 補完的な関係を結ぶにいたり、そこに「完成(Vollendung)」が生ま. るが、人間の側から形成衝動が発動することにょって、両者は相互に めに、精神が自己の限界を踏み越え、義密性の過剰(tJb2rmaBder. 八〇.
(15) ヽ. に他者への自己刻印を果たし、いもば特性の交替が行なわれる「この. える」(傍点筆者). 瞬間,最高の敵対性の誕生の瞬間に、最高の和解が成立するようにみ 「和解(Vers6hn。ng)」. ヽ. もの」が、この「瞬間(Momen-)」に対して、いわ、ほ自己本来の規定. 次なる段階にあってほ、「組織体的なもの」そして「非組織体的な. が,根本的対立の真の解消にはいたっていないということだろう。. (scheinbar)」のものに留っている。両者の特性の交替は行なわれる. は、両者の「闘争(Kampfod・S-rei-)」の産物として、未だ「外見上. のである。しかしこの. l. ヽ. l. (eine. には自己解体を行なわなければならないのだ。. あるいは、こんなふうに言い換えることも出来ようか。親密性の過. 剰にょって生じた対立のなかで、普遍性を特性とする「非組織体的な. が'エムべドクレスという個人の解体・. もの」が特殊化・個性化するわけだが、その個性化のなかにあらわれ てくる「過剰(UbermaB)」. 没落とともに解消し、普遍的な統一、和解が可能になる、と。そのよ. であるエムペドクレスが自己犠牲を行なわなけ. うな状態をもたらすものが「犠牲(Opfer)」という行為に他ならない のである。. 性(einereifere. Leben. einer. We-t)」、つまり普. 一般のために残されることはな-なるであろう。結局'エムべドクレ. に対して'自然と人為との普遍的な統一・親密性の姿. スの犠牲の意味ほ、時代(争いと打算に明け暮れるアグ-ゲソトの社 会および市民). を指し示すという点に求めることが出来よう。従って、アグリゲソト. のように、自然と人為とが激し-対立し、「純粋なもの(das. から遠ざかっている社会でほ、まさに純粋なものを歌うことを使命と. 「行動(Tat)」も求められてはいなかったのである。. する「歌(Gesang)」も、直接的でほあるが一面的な効果しかもたら さない. 第三場は、死を目前にしたエムペドクレスと、円熟したエジプト文. 八一. その頂点は、いうまでもな-犠牲論にょって形成されている。その内. 化を象徴する老として登場する老賢者マ-ネスとの.対話から成るが、. Reine)」. 遍的なもの・が死滅してしまい′、「円熟した、真に純粋な、普遍的な親密 reineal)gemeine lnnigkeit)」が、社会 wahrhafte. 個性化する結果、「世界の生命(das. れば、時代そのものが、エムペドクレスという個人のなかでますます. もし、「時代の子」 を取り戻すべく、それぞれの庄方で働きかけを行ない、その結果外見 上の「和解」をもたらしたこの「瞬間」が「まばろし(Trugbild)」 の如く解消し、両者の争いの産物としての和解(「瞬間的統1 augenblicklicheVereinigung)」とも呼ばれている)が解消し、没落 していく。それに代って生まれるものほ、そのような外見上の和解の 止揚態としての、より美しい和解または統1である。 さて、エムペドクレスについての規定は如何なるものであろうか。 「自然と人為との激しい対立の子である」「諸対立ほ親密に統1され、 彼のなかでlつになっている」更に、彼のなかで、両者がそれぞれの 最高の極において最も深-浸透し、接触した結果、それぞれが外的形 式としては「対立者の仮象(ScheindesEntgegengeset2ten)」を取 らざるを得ない、といわれているところから、エムペドクレスは、外. 見上の和解・瞬間的統1の状態にあると思われる(g"。 ということは、ここに既にエムペドクレスの運命、没落の必然性が 示されていることになるだろう。「時代の結果(Resu-tatseinerPeri・ ode)」といわれるエムペドクレスほ、「よりき大-なるた*(ummehr. ×. ヽ. l. 2Werden)」には、つまり、より美しい普遍的な和解に到達するため. ×. ヽ. l. エムペドクレスの没落. ×. ■_.
(16) エムペドクレスの没落. 容についてほ後に観察するが、この犠牲論ほ、二人の言い分の噛み合 いにょって展開されているというよりほ、むしろ、実質的な内容をほ. -神的なものを人間の手ほ直に捉えることが出来ないのだ-と出会う. Retter)」と呼ばれる。「彼のなかで. ことにょって、新たな世界が開けることになる。彼はそのような老と して、「新たな救い主(derneue. は、世界の争いは和む/彼は人間と神々とを和解させる/こうして、. とんど等しくする双方の言い分が、それぞれに自己主張しているとい った体のものである。態度決定を迫るマ-ネスの問に対して、エムペ. において把握されたヘルダ--ソ独自のイエス像へと。(この和解も. 私たちの連想は、自ずからイエスへと向う、しかもギ-シア的発想. 人間と神々とは、昔ながらに、再び間近に暮すのだ」(3-)-3S.)36). 二本の線が、最後は交わることな-開かれたままになっているような. しくは宥和の・モチ-フほ、ヘルダ-リンが全霊を傾けて取り組むこと. ヽ. ヽ. l. l. I. 間に対してエムペドクレスは正面からほ応えていないのである。. に向い、「お前はその男か」と問う。しかし、既にみたとおり、この. マ-ネスほ「一老」についてこのように説いた後、エムペドクレス. 放されやいなければならないのである。. 替り得るためには、「聖なる生の霊(derheiligeLebensgeist)」が解. いのち. た。「一老」の没落にょって、普遍的な新たな秩序が生まれ、時代が. 者)。論文は、「過剰(UbermaB)」と没落との必然的関係堅1日及してい. l. ルダ-リンの意図はどのようなものであっただろうか。. 感じがするのだが、もしそうであるなら、そのような設定を行ったヘ. のと人間との中間に立つ老としての詩人の使命への自覚が深められて. になるものであるが、このモチ-フとの取り組みにょって、神的なも. い-であろう)しかし、この和解ほ. ヒントは、マ-ネスのことばに含まれる批判的な調子に、というこ とは、そのきっかけを与えたエムペドクレスの皮肉で、やや激したと. 「世界の生命」が死波することがないように、その. iFm)」、つまり. ころのある態度に示されているようだ。この問題を考えることは、第. 個において実現されたものである。普遍的なものが個のなかへ解消し、. 「彼のなかで(in. 三稿が未完に終った理由を考えることにもつながると思われるが、便. ような統lを実現した個は解体せざるを得ないというのが、論文の説. そのことにょって. ヽ. l. マ-ネスの犠牲についての考え方は、混沌とした様相を呈する時代. ヽ. 宜のために、まず犠牲論についてみてお-ことにしょう。. ヽ. くところであった㌻「この息子が両親より偉大にならぬよう/また'. ヽ. の運命の規定の仕方. ヽ. で観察. -. に宥和をもたらすべ-現われる「一着(Einer)」. ヽ. 福すぎる自らの幸福を/彼みずから壊すのだ」(3-丁3S・)36傍点筆. ヽ. ヽ. 八二. ドクレスは正面からは応えていないのである。いわば、漸進してい-. ヽ. 彼、唯一の老のために/聖なる生の霊が忘れられ/縛められたままに ならぬよう/時代の偶像たる彼ほ、方向を転じ(--)あまりにも宰 の出自についての説明. ヽ. にみられるのだが、この犠牲論は、『エムペドクレスの基底』 した弁証法を踏まえて構成されている。 「光と夜とから生まれた者」、これが「l老」. である。即ち、「一着」は、最も極端な対立を自己の内に含み'両者. が、自らの支配に不安を覚える. このことばは二重の意味を含み、時代の支配者と秩序. を「愛にょって」媒介する存在である。彼のなかで、「時の主(Herr derNeit)」. を司る神ユピテルとを指している. wi-deNwietracht」)が、「静かに(ruhig)」 受けとめられ、直戟性を否定された「天の光(desHimmelsStrahlen)」. ての「荒々しい不和(die. 程に混乱し、喧騒を極める時代の相(-夜)、その具体的な現われとし. -. -.
(17) ムべドクレスに求めていたものほ、歌でもな-、行動でもな-、犠牲. (Bild)」. を見出す死は犠牲に対応するのではあ. Gldck)」は行動、あるいはその結果に、. であった'という論文のl節を想い返しておこう。「形象. いのち. Lebendige)」. 歌に、「束の間の幸福(kurzes いのち. 「生ある老(der. を見出そうとする行為は、新たな、生き生. と同一であり、「時の主」がユピテル的なものを吸収した表現. るまいか。更に、「生ある老」は、続いていわれる「時の主(Herrder Zeit)」. いのち. である以上、「生ある老」. きとした秩序の誕生を予想させるのである。. それ故、「今日、彼、時の主ほ、祝祭として/しるしとして、私ど. みずからのために雷雨を用意しているのだ。あなたにほ、あたりの沈. あした. らのために事を成就するのだ」(㌣T〕S」〕∞傍点筆者)ということば. が続いている。ここにほ明らかに、新たに明け初める朝の予告がある0. このようにみるとき、エムペドクレスがその死を時代の更新のため. のものとして意義づけていることは疑いを容れないのである。老賢者. マ-ネスがエムペドクレスに突きつけた問、ユムペドクレスがマ-ネ. スの定義した「1老」であるのかという問ほ、いわば命題のようなも. 「一老」と同一であることを実質的に読. 八≡. は. 自然との親和の中で恵まれた幸福な日々、歌の中に世界を認識して いった若き日々を回顕しっつ、ユムペドクレスほ自らに定められてい. た運命を説き明かすのである。「混乱の中から/あわれな民の声が私 の耳に届いた/私が堂の中で沈黙を守っていると/夜のさ中に、騒擾 の坤き声が聞えてきた」(㌣T∽S.-∽○。激し-揺れ動き、鳴り響す 時代の相を捉えるエムペドクレスのことばは、マ-ネスのそれに較べ て、いっそう具体的であり、いっそう生き生きしている。愛の欠如に 由来する混沌の状況はエムべドクレスを歌の世界には留めておかなか. のが純粋さを失ってしまっていたのだった。その理由を神の不在に求. 黙の意味がわかるか?」(㌣T〕S」〕∞)とエムペドクレスは言うのだ。. った。純粋なものを捉えることが歌の使命ではあったが、時代そのも. めたユムペドクレスは業の世界に踏み入り'社会に革新をもたらすべ. 「雷雨(Gewitter)」は、この場合、時代の動乱の状況を意味するもの,. ヽ. の結婚からディオニュソスが誕生したように。「真夜中に、彼ほわれ. ヽ. ではなく、むしろ、生を証するものである。丁度、ゼウスとセメレ-. いのち. く活動を行ったのである。民の不満は去り、ユムべドクレスにほ信望 の花冠が贈られるようになった。しかし、「ある国が死滅する定め止. ある時は/霊がなお最後に1老を選び/その口を通して白鳥の歌、最 後の生 を鳴り響かせるのだ」(㌣T∽S」〕∞)。ここにあらわれたモチ -フほ、既に第1稿にみられたものであるが(gH'霊のロとなって白鳥 の歌を響かせるとはどういうことだろうか。エムペドクレスの死と共 に国の霊が滅びるというのだろうか(糾)0もしそうであるとすれば、そ の死ほ、マ-ネスの捉えた死の意義と相容れないことになるのだろう。. ヽ. のであり、それに対してエムべドクレスは、自らの生の内実を披渡す ることにょって、自らがその 明したわけである。. ヽ. いのち. エムペドクレスの没落. ヽ. なぜなら、「聖なる生の霊」を解放することこそが「一着」の死に求 められていたことであるからだ。 しかし、次に引く1節は、両者が捉えた死の意義が根本において異 なるものではないことを示している。「もはや形象の中にではなく、か いのち. つてのように/死すべき身の老たちの束の間の幸福の中にでもなく/. ■_. ち. 死の中にこそ生ある老を私は見出すのだ」(㌣丁∽S」〕∞)。時代がエマ-ネスのことばには、エムペドクレスを批判するような調子も感. ×. いの.
(18) エムペドクレスの没落. じられると書いておいた。例えば、「消えよ-. 消えよ-. らかに、明るくなるように、まぼろしょ-」(㌣T3S・)35)、「無分別 な老(Unverstandiger)」(3・・丁3S.135)「酔い痴れた老(Trunkner)」. ほや-安. 思想を語らせ、それに対するエムペドクレスのいわば斜めから.の返答. が、既にみたような思想的充実と詩的表現の完成度の高さにおいて与. えられたとき、つまり、エムペドクレスが他ならぬ「一老」の域にあ. ヘルダ-リソは劇という形式をそれ以上に維持することに困難を感じ. ることを書いてしまったとき、あるいほ書かざるを得なかったとき、. てもらってほ困るのだ」(㌣T∽S」〕∽)等である。これに対して、エ. 自然な展開でもあろうが、既に述べたとおり、エムペドクレスが、自. 過程だったのでほないか。またそれが、劇という形式から期待される. 場面に至るまでが、エムべドクレスの意識の未熟さが克服されていく. な調子で再び二人の対話が行なわれることぶ予定されていた(-6)。その. 第三稿継続のためのプランにょれば、第四幕・第三場には、拝情的. たのでほないか。. と育ってい-過程を劇の形式にょって展開させようとしていたのでほ なかろうか。そのために、犠牲論とほ調子を異にする台詞をその周辺 部に配し、そのやりとりの中にうまれる対立を劇の推進力にしょうと 考えたのでほなかろうか。それが、マ-ネスについてみれば、「無分. 行は不可能になったのであろう。即ち、劇が未完に終った理由は、劇. そのものに内在していたということではないか。論文において、ひた. すら死の根拠づけを行なったヘルダ-リンであったが、マ.-ネスおよ. びエムペドクレスの双方に犠牲の思想を語らせたとき、彼はこのモチ ーフを別の方途にょって深化し、表現していかなければならないこと. このように考えることで、およそ90行にのぼる、エムペドクレスの. を識ったのであろう。. I. 別な老」あるいは「だがお前にほ、今のままの無思慮な状態で云々」. I. あるいは、エムペドクレスの意識が、マ-ネスの定義する「1老」. らの犠牲の定めをその十全な意義において語り終えた時点で、劇の続 せるという方向で#l二稿を苧」うと意図していたのではなかろうか0. ヘルダ-リンは'マ-ネスにエムペドクレスの意識の到達段階を試さ. この問題についてひとつの推測を述べて(g;)、結びに代えたいと思う。. されたやりとりをどのように読むべきなのか。. な人だ」(3・)・3S.)39)。これらのことば、いわば犠牲論の周辺部に配. る。例えば、「それなら何故、あなたほ私の霊を癒せないのだ、無力. ムペドクレスのことばにも皮肉な調子を読みとることが出来るのであ. (ibid.)「だがお前には、今のままの無思慮な状態で冥府へ下っていっ. 八四. いわばモノロ-グに続-やりとり、特にマ-ネスの「苦痛がお前の霊 I. を燃え立たせてしまったのだ」あるいは「気持を静めよう、息子よI. で、第三稿継続のためのプラン、最終場の覚え書きとして残されてい. ものであることが了解されるのである。また、このように考えること. ていなかったのか」などの台詞が、劇を継続させるべ-紡ぎ出された. そして常に学ぶことだ」(傍点筆者)、更に「お前はまだすべてを語っ. l. というようなエムペドクレスの未熟さを衝-ことばとなって表われ、. またそれが逆に、エムペドクレスの皮肉な切り適しにつながったとい うことでほないか。1「まぼろし(Trugbild)」ということばが、論文. ヘルダ-リ. のなかで、瞬間的な統一が解消する際の形容として用いられていたこ とを想起するのは無意味なことではあるまい。瞬間的統一は、自己解. 体した後に、普遍的統1に達するわけであった-しかしr ソが、自己の課題とすべ-、マ-ネスの口をして「一着」についての. へ.
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