文学館活用の可能性
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(2) 文学館活用の可能性. な事業として位置づけているのが B の、文学の普及事. とおりである。DVD 「文学館の魅力」鑑賞。常設展「神. 業である。その企画案のなかには、次のような例が示さ. 奈川の風光と文学」、安野光雅展見学。バックヤード見. れている。. 学。レクチャー(野見山陽子氏「森鴎外展について」、 北村陽子氏「中島敦DVD目録について」、藤野正氏「当. ・文学を原作とする映画の上映と講演や対談の集い. 館の学校連携事業について」)、質疑応答&討議「文学. ・流行歌やコミックを対象に、文学とのかかわりや文学. 館の存在を現場の授業にどうつなげるか」。. 性を発見する催し. 以上のプロセスを経由し、参加者全員による総括・反. ・文学とかかわる写真や絵画、版画の展示と講演. 省会をおこない、参加者がまとめたレポートを神奈川近. ・語り物や落語の上演と、その背後にある文学について. 代文学館へ提出して、一連の教育インターンを終了した。. の講演 ・町田に伝わる伝承(小町伝説など)や古典芸能(謡曲. 付け加えておけば、後日神奈川近代文学館では文学 館活用研修会がおこなわれ、複数の院生が参加すると. 「横山」など)をテーマにした催し. ともに、私も発表の場を提供していただいた。あるいは. ・小中学校の「総合学習の時間」や高校の国語の授業. これをもって、教育インターンの終了と言うべきかもしれ. とタイアップした連続講座. ない。. ・文学散歩や施設見学会 2 「文学」の変容 先の文書では「文芸」の名の下に、映画・演劇・音楽・ 美術など、いわゆるハイカルチャーのなかで文学を相対. 今回の教育インターンを通じて浮かび上がった問題の. 化する戦略が取られていた。だが具体的な企画案では. ひとつに、 「来館者の関心、素養をめぐる問題がある。. さらにフレームを拡大し、従来の文学の枠組みにとらわ. 文学館と教育現場とつなげるさいの、最も大きなハード. れず、流行歌やコミックといった、同時代のポップカル. ルのひとつである。. チャーとの接続を意識した案も示されていることを、ま. 先に挙げた中村の「作家、作品についての予備知識. ずは指摘しておこう。. がない限り」 「感興を覚えることは難しい」という指摘、. さて、今回の教育インターンでは、ついで神奈川近. または町田文学館ことばらんどの企画案は、このハード. 代文学館に関する院生の発表を二回おこない、前回の. ルをクリアすることの困難さを暗示している。この点に. 発表とあわせて、文学館に対する共有理解を構築した。. ついて紀田順一郎は「文学について話題程度にせよ、語. そのうえで、院生には文学館のありように関して改めて. ることのできる学生や社会人が急激に少数派になってき. 発表していただいた。彼らは複数回にわたって神奈川近. た」と述べ、文学館への来館者が高齢者中心となり、. 代文学館を訪問し、その成果を個々の発表に反映させ. 学生がきわめて少ないという現状の背景に、文学に対す. ていた。これらの発表では、いくつかの注目すべき指摘. る意識の変化があると指摘している (2)。. があった。. 文学館における資料収集は、主に 「作家」が単位となっ. 例えば、展示もまたひとつの解釈であり、展示資料. ている。作家の著作のみならず、作家が使用していた机、. は展示企画者の意図に沿って作成されたものであるた. 万年筆、肉筆原稿なども収集対象となる。こうした収集. め、それを相対化して享受することが必要であること。. の背景には、これらの総体によって 「作家」が立ち上がる、. 文学館の資料を利用して高校生が研究した内容を、文. という前提が存在する。しかし今、この前提自体が揺ら. 学館の企画展に生かすことはできないかという提案。教. いでいると言わざるを得ない。. 育現場との相互交通性を構築し、フィードバック機能を. 作家にオーラを感じてこそ、その遺品もまた特別な意. 強化する試みと言えよう。また「文学+α」をテーマに. 味をもつ訳であり、このオーラが共有されなければ、当. 据え、 「目で見る展示」 「現在性を付与した展示」の具. 然遺品もその価値を失う。教養主義が崩壊した現在、. 体的な提案もあった。このような検討を重ねた上で、神. 若者の大多数は、過去の作家たちに特別の思い入れが. 奈川近代文学館でのレクチャーを迎えた。. ない。ならば、作家の遺品からオーラを感じる訳もなく、. 当日、文学館が用意してくださったプログラムは次の. 文学者に魅力を感じることもない。. 32.
(3) 一方、作家の側にも意識の変化が見られる。その一. 一九九七年に私は文学専攻の大学院に入学したが、当. 例として、漫画家・ラノベ作家・イラストレーターらのペ. 時は日本近代文学の研究手法の主流が、それまでの作. ンネームが無人称化している傾向を指摘することができ. 品論・テキスト分析からより学際的な文化研究の方向へ. よう。 『狂乱家族日記』 (05・06 ~ 11・07、ファミ通文庫). と向かう転換期にあった。歴史学や社会学など隣接諸. の作者「日日日(あきら)」、川原礫『ソードアート・オン. 領域との接点を拡大し、文学テキストとそれ以外の言語. ライン』 (09・04 ~、電撃文庫)のイラストレーター 「abec. テキストの間に本質的な差異を認めず、時代や社会、文. (あべし)」、耳目口司『丘ルトロジック』 (10・11 ~、角. 化を批判的に論じるための一資料として小説を扱う傾向. 川スニーカー文庫)のイラストレーター「まごまご」など、. が次第に強まっていったのである。文学・小説の特権的. 現実の個人名を印象づけないペンネームが増えている。. 地位がそこではすでに疑われており、文学・小説という. 作家もまた、自ら望んで、作中のキャラクターの一部. 近代的ジャンルの歴史的起源もまた、実証的に問いな. に身をやつしているように見える。強い個人のオーラは. おされることになった」。. 好まれていないという判断があるのだろうか。. 続けて笹沼は言う。 「さらに、漫画、アニメ、ゲーム. 例えばライトノベルでは特定のイラストイメージが大. などいわゆるサブカルチャーの存在が、次第に大きな. きく、その分作家の個性は相対的に比重が小さくなる。. ものとなり、小説の位置を相対的に押し下げていくとい. それを補うかのように、ライトノベルでは「あとがき」で. う状況が生まれる。インターネットの普及はさらにそれ. 作家が個性的な言説を連ねているものの、概してライト. に拍車をかけ、文学=小説が、社会全体の知を代表す. ノベルの作家紹介では、作家の写真、プロフィールが. るメディアとしての位置にあり続けることは益々困難な状. 具体的に示されることはない。. 況になっていく」(3)。. 一方で表紙カバーのイラストのインパクトは、今や作. 私小説作家、西村賢太への注目は、このような文化. 品の商業戦略に深く食い入っている。例えば週刊少年. 状況の逆説的な現れかもしれない。古典的な文学観へ. ジャンプの人気作家を、太宰治『人間失格』、川端康成『伊. の回帰現象、もしくは回顧現象である。西村は、現代. 豆の踊子』など、カノンとして知られる近代文学作品の. にあって絶滅危惧種とされる「私」小説作家として認知. 文庫表紙イラストに起用した集英社文庫のケース、ま. された。だが、そもそも「私」とは何か。素朴に「私」. たは二〇一一年のベストセラー、東川篤哉『謎解きは. を信じることができた時代から遠く離れた今日、すでに. ディナーのあとで』 (10・09、小学館)、二巻で二百万. 我々はアイデンティティそれ自体に信を置けない。さら. 部を突破した三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』 (11・. に、そもそも言語化した段階で、あらゆる 「私」語りはフィ. 03、10、メディアワークス文庫)などの表紙イラストを. クションに転化するのではないか、という問いかけも生. 想起すればよいだろう。. まれる。この場合、私小説は「私」を素材にした虚構. 「文学」の変容は、日本近現代文学研究の領域にお. の産物であり、その意味では作家の生涯もまた、事実. いても顕著である。二〇〇〇年前後に大学院に所属し. を素材にして組み立てられた物語に過ぎないということ. ていた笹沼俊暁は、当時の研究状況を次のように回顧し. になる。にもかかわらず、たしかに強力な「作家の生涯」. ている。 「一九八〇年代から九〇年代始めにかけて、確. が、人々を強く魅了するオーラを放っていることも確か. かに理論先行の側面を強く持ってはいたものの、それで. である。. もまだ、時代の「知」の中心を担うものとしての文学(= 小説)や小説家の地位はさほど疑われてはいなかったよ. 3 文学館活用の可能性. うに思う」。 「小説は、近代社会において人文知の中心と しての位置を獲得し発達したものだが」 「アカデミズム. こうした現状を考慮すると、文学館を活用する場合の. の文学研究においても、小説の地位を前提とした上で、. 前提となるのは、何よりもまず「作家」の復権(作家・. 記号論や語り論等の方法によってそれを分析する研究. 作品を<個人の伝記>に強く結びつける作業。かつて. 手法が隆盛した」。. 文学者という、強い個性をもったカリスマが存在したこ. しかし、事態は急速に変化する。 「だが、一九九〇. と)ということになる。この部分を少し緩くして、他の. 年代 後半 頃には次 第に違った状 況 が 現われてきた。. 要素の比重を重くしたモデルケースが、例えば「~とそ. 教育デザイン研究 第3号 33.
(4) 文学館活用の可能性. の時代」や文学散歩と考えられよう。 「作家」を保持し. 作品は、単なる活字の集積として存在している訳ではな. つつ、時代性や地域性と結びつける試みである。では. い。例えばある作品は、新聞というメディアに連載小説. さらに進めて「作家」というフレームの相対化を促した. という形で挿絵をともなって掲載され、単行本にまとめ. 場合、いかなる問題提示が可能か。. られ、文庫になる。この間、多様なパラテクストと接続. まず、作家をゴールとせず、ある文化的なコンテクス. することで作品は自律したモノとなる。. トの出発点、帰着点、もしくは結節点として意味づけて. この点についてジェラール・ジュネットは、次のような. みる試みが考えられる。作家主体に収斂させるのではな. 議論を展開している。いわく、テクストはいくつかの生. く、より広い文化の流れのなかに位置づけることで、新. 産物をともない、これらに補強された姿で我々の前に現. たな作家の魅力が浮かび上がる可能性がある。それは. れる。この生産物をパラテクストと呼ぶ。パラテクストは、. 同時代性を強調し、 「いま・ここ」を生きる人々と問題を. ペリテクストとエピテクストから成る。ペリテクストとは、. 共有する試みとなる。. タイトルや作者名、序文、あとがき、章題、注など、同. このようなケースとして、例えば「明治以降徐々に衰. じ書物内にあってテクストとは異なるものである。エピ. 退していった漢文的素養の、最後の光芒を放った作家. テクストとは、インタビュー・対談(メディアに支えられ. としての中島敦」という問題設定はどうだろうか。日本. たもの)、書簡・日記・メモ(私的コミュニケーションの. 近代文学における漢文の流れを整理する。または学校. 形をとっているもの)など、テクストの周囲にあるが、もっ. 教育、一般教養における「漢文」の位置づけの変化に. と適当な距離を置いたところにあるメッセージである (6)。. 注目する。その流れのなかに中島敦を位置づけるという. こうした発想を踏まえたうえで、メディアリテラシーの. 発想である。この場合、英文学者への道を選んだ夏目. 試みを提唱してみたい。 「文庫はいかにして読者戦略を. 漱石と、漢文学者の家系に生まれた敦という対比である. 展開しているのか」という問題設定である。文庫本体に. とか、歴史的な対中国意識の変化という視点が考えら. 記された情報は、どのような読者層を設定し、どのよう. れよう。魯迅「故郷」と接続することで、近代日本に生. な読みの方向性を提供することで、その文庫の魅力をア. じた中国に対する侮蔑意識の問題を浮上させることも可. ピールしているのか。カバー、帯には、どれぐらいの情. 能である。. 報が付されているのか。その情報は、正しいのか。こ. または「文学者が映画スターになるとき」という問題. の情報に沿って読み進めてかまわないのか。. 設定はどうだろうか。この場合、メディアを強烈に意識. ここでは、藤澤清造『根津権現裏』 (11・07、新潮文. してその利用を図った最初の(そして最後の?)作家と. 庫)を例に考えてみたい。 『根津権現裏』に付されてい. して知られる、三島由紀夫の存在が気になってくる。. る文庫カバー、帯の情報は、次のとおりである。. 三島の場合、メディアもまた積極的に三島を取り上げ た。日本で最初にメディアがスーパースターと呼んだの. a カバー表 根津権現の裏手を思わせるスケッチ画。. は、三島だという指摘がある。 「平凡パンチ」 (1968・. 全体のトーンは灰色。その中央に白地でタイトル名。 「裏」. 05・08)の読者投票「オール日本ミスター・ダンディは. の字だけが緑色。タイトルを長方形に囲んだ部分は、黒。. だれか?」で、三船敏郎、加山雄三、長嶋茂雄らを抑. 左上隅に白地で作家名。右下隅に「新潮文庫」。. (4). えて堂々の一位を獲得したのは三島だった 。では、メ ディアはいかにして文学者をカリスマとして表象していっ. b カバー裏 右上に横書きで作品紹介。 「根津権現近. たのか。. くの下宿に住まう雑誌記者の私は、恋人も出来ず、長患. 同じく、逗子や鎌倉、湘南海岸を、文学者と映画と. いの骨髄炎を治す金もない自らの不遇に、恨みを募ら. の関わりからクローズアップすることもできるだろう。例. す毎日だ。そんな私に届いた同郷の友人岡田徳次郎急. えば谷崎潤一郎は、鎌倉由比ヶ浜を舞台にした映画「ア. 死の報。互いの困窮を知る岡田は、念願かない女中との. マチュア倶 楽 部」 (1920・11・19 公開、脚 本・監 督、. 交際を始めたばかりだったのだが―。貧困に自由を奪わ. 栗原トーマス)の原作を担当した。主役は「痴人の愛」. れる、大正期の上京青年の夢と失墜を描く、短くも凄絶. (5). のモデルとみなされた、葉山三千子である 。 もうひとつ、 「モノとしてのテクスト」に注目してみたい。. 34. な人生を送った私小説家の代表作。解説・西村賢太。 」.
(5) c カバー表折り込み側 右下に縦書きで「カバー装画. さらに 「短くも凄絶な生涯を送った私小説家の代表作」. 信濃八太郎」 (ちなみに信濃は 1974 年生まれのイラ. という文面は、この小説の「私小説」性を強く訴える。. ストレーター)。上部分に横書きで名前、生没年、顔写. それはcによる確認を読者に促し、読者はそこに「芝公. 真、プロフィール。 「1889 (明治 22)年石川県鹿島郡 (現・. 園内のベンチで凍死体で発見される」という一文を見い. 七尾市)生まれ。尋常高等小学校卒。骨髄炎の手術を. だす。その結果、この小説が実話性のきわめて高い小. 経て、1906 年上京。各種職業を変遷したのち、22(大. 説であり、藤澤の事実談として読めることを発見する。. 正 11)年に書き下ろし長篇小説『根津権現裏』を刊行。. 一方dの文面からは、欲望の全的公開、自己暴露の. 32(昭和 7)年芝公園内のベンチで凍死体で発見され. 部分が強調される。あたかも現代の鬱屈を抱えた若者. る。」. の叫びを代弁しているようだ。それは読者に、スキャン ダラス性への期待を促す。またここでは「幻」 「私小説」. 他にもカバーでは「カバー背表紙」 (タイトル名、作. 「90 年」 「甦」を強調しているが、併せてこの小説の複. 者名、文庫名、値段)、 「カバー裏折り込み側」 (下段に. 数のペリテクストに西村が関わっていることを強く訴え. 横書きで「カバー印刷 鏡明印刷 デザイン 新潮社. ている。ここから読者の眼差しは、本文内の注・解説. 装幀室」)に若干の情報が付与されている。. へと向かうだろう。 西村が「苦役列車」 (10・12、 「新潮」)で第 144 回. d 帯表 横書き。バックは黄色。 「恋人が欲しい、手. 芥川賞を受賞したのは、二〇一一年一月である。それ. 術もしたい。 私は、ただ一途に金が欲しい。 幻の私小説が、. から半年後に、この文庫は刊行された。西村は「どうで. 90 年の時を経て甦る。」というキャッチコピー。 下段、黒. 死ぬ身のひと踊り」 (05・09、 「群像」)、 「暗渠の宿」 (06・. 地に白色で「【解説・年譜作成・語注】西村賢太」。. 08、 「新潮」)など、その作品のなかで藤澤への思いを くりかえし語ってきた。そこからは自ずから、藤澤と西. e 帯裏 横書き。バックは黄色。 「従来の他者の評価. 村との類縁性が浮かび上がる。. はどうあれ、少なくともこの作は、一人の読者の人生を. 以上の点がeで明確化される。自分の人生を変えた小. 変えた。そうした力を持っている小説であることは間違. 説が『根津権現裏』であると語る西村。そして e の右隅. いない。人生を変えられた本人が言うのだから、間違い. には、西村の芥川賞受賞第一作の宣伝がある。こうして. ようがないのである。 (西村賢太「解説」より) 」 右隅. 『根津権現裏』は、芥川賞作家西村の原点ともいえる作. に縦書きで「新潮社のハードカバー 芥川賞受賞後第. 品としてパッケージングされるのである。. 一作品集 寒灯 西村賢太 最新刊好評発売中」. このように見てくると、この文庫で想定されている読 者は、新たに芥川賞を受賞した西村に強い関心を持つ. さて、カバー(a~c)は本体部分の情報と言える。. 読者、ついで伝統的な私小説の愛読者ということになる。. それに対して帯(d~e)は新刊時、新装再版時などに. また、文庫にパッケージングされた情報を内面化した読. 付けられ、時間の経過とともに廃棄されるという意味. 者と、そうでない読者とでは、作品の読み方が変わって. で、同時代性の強い部分である。よって両者の情報には、. くる。例えば、岡田が自殺に至る過程を追想していくな. 濃淡がある。. かで、そこに自分の不幸を重ね合わせていく「私」の心. まずaが指示する内容としては、タイトル名の「裏」. 理分析を中心とする小説、というイメージは、この文庫. が強調されていることと併せて、表紙カバーの暗いトー. の「外部」からはうかがいしれない。. ンから、 『根津権現裏』が軽い小説ではないことを暗示. 同様のケースとして、村上春樹『世界の終わりとハー. しているように思える。. ドボイルド・ワンダーランド』 (85・06、新潮社)をあ. またbでは「大正期の上京青年の夢と失墜を描く」と. げてもいいかもしれない。同書は新潮社の「純文学書下. いう説明文から、漱石「三四郎」、鴎外「青年」など、. ろし特別作品」シリーズの一冊として刊行された。この. 明治期から続く上京小説の系譜を想起させる。しかし. シリーズは、安部公房『砂の女』 (62・06)、大江健三. 明治末期のこれらの小説とは異なり、 『根津権現裏』で. 郎『個人的な体験』 (64・08)、遠藤周作『沈黙』 (66・. は挫折のイメージが色濃い。. 03)など、堂々たる純文学の系譜を編んできたことで知. 教育デザイン研究 第3号 35.
(6) 文学館活用の可能性. られる。 この文脈に従えば、村上はこの作品で、初めて純文学 の系譜に位置づけられたことになる。その一方で同書の 装丁の色は、このシリーズでは異例のピンクである。ま た帯には、次のように記されていた。 「笑い・冒険・思 想の三重奏 小説の面白さが横溢した哀しくて楽しい恐 怖小説」。. 注 (1) 『文学館を考える 文学館学序説のためのエスキ ス』、11・02、青土社。 (2) 「新しい文学館像に向けて」、10・03、 「昭和文学研究」 60。 (3) 『リービ英雄 ― <鄙>の言葉としての日本語』、 11・12、論創社。. このコピーの言説を「もの悲しい終末観と日常的な倦. (4)椎根和『平凡パンチの三島由紀夫』、07・03、新潮社。. 怠感を描いた高い質のSF小説」 「日本的連帯とは違う. (5)千葉伸夫『映画と谷崎』、89・12、青蛙房。. 孤立としての連帯を模索した小説」などといった現在の. (6) 『スイユ テクストから書物へ』、01・02、水声社。. 作品評価と比較すると、いかに浮いて見えることだろう. (7) 『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』. (7). か 。. の評価については、村上春樹研究会編『村上春樹. このような読みの眼差しからは、出版社の商業戦略. 作品研究事典』 (01・06、鼎書房)、宇佐美毅・千. という要素、時代性、読者への眼差し、作家イメージ. 田洋幸編『村上春樹と一九八〇年代』 (08・11、お. との接続といった問題が浮上してくる。多様な文化的文. うふう)など参照。. 脈の集積として「作家」 「作品」を捉え直すことで、 「文 学」は新たな魅力を放ちはじめる。学校現場と文学館は、. 【付記】 先にも少し触れたとおり、二〇一二年一月一八. こうした新たな視点によって結び直されるのではないだ. 日に神奈川近代文学館でおこなわれた文学館活用研修. ろうか。. 会において、論者は教育インターンでの試みを踏まえた 「文学館活用の可能性」という発表の場を提供していた. おわりに. だいた。本稿は、この発表のさいに用意したレジメにも とづく。当日ご意見いただいた皆様、また貴重な場を与. 今回、教育インターンという新たな制度の立ち上げに. えて下さった神奈川近代文学館に、改めて感謝申し上げ. よって、文学館のありようについて、様々な角度から検. ます。. 討する機会を得た。そこから見えてきたのは、 「文学」 をめぐる状況の大きな変化と、それにともなって展開さ れている文学館の実践的な取り組みの数々だった。 文学館は多彩な機能を備え、それらを生かすノウハウ を着実に積み重ねている。学校現場にあって、文学館 が所有する文学資料と企画展示に関わるノウハウは、き わめて魅力的である。国語の教材研究や総合学習の素 材、図書館運営事業といった設定にとどまらず、現代に おける「文学」の意味、また「文学」に隣接する様々な サブカルチャーの意味を考える契機としても、文学館を 活用する具体的な方法について、引き続き考えていきた い。. 36.
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