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広岡の問題解決学習批判の再検討 : 「学習形態」を中心にして

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Academic year: 2021

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(1)はじめに. 学位論文題目.  筆者が、大学を卒業して北海導の一漁村の中学校へ赴任したのは、昭和39 年4月のことである。ちょうど、」.S.ブルーナーのr教育の過程』 (The Pro cess of Education)が、全国の教師に愛:読され、バイブル的存在になりつつ. あった時である。学校現場においては、爆発的に増加し続ける知識量への対 処法として、構造化された教材を、発見的手法で子どもに習得させる行き方. 広岡の問題解決学習批判の再検討. が尊ばれた。このような時代状況の中で、北海道の学校現場に大きな影響を 与えた学習論の一つに、広岡亮蔵の提唱する「発見学習」があった。以来、. ∼r学習形態』を中心にして∼. 筆者は、今日まで、彼の影響を陰に陽に受けてきた。しかし、20年にわたる f発見学習」との付き合いの中で、絶えず疑問として持ち続けてきteことが あった。それは、彼の言うところの「発見学習jは、系統学習と問題解決学 習のそれぞれの持つ長所を受け継ぎ、子どもをして、真の学習の主体者とす る学習論である、ということに対してであった。果してそうなのであろうか。. 絶えざる疑問の追究を通して、筆者は、彼の学習論は、デューイ教育学批判 に論拠をおいた問題解決学習批判の上に成り立pていることを知った。従っ Sx. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科. て、彼の問題解決学習批判の検討は、筆者の疑問を解決するうえで、どうし. 学校教育専攻  教育方法コース. ても通らなければならない関門となった。. 学籍番号  M85048J.  筆者は、このような問題意識の基に広岡の著作を検討していくうちに、彼. ノ」、  笠  原  雅. 独自の学習論として結実した「発見学習」の源は、「実践的な系統学習」に あり、彼は、それをr学習形態』において世に問うたことを知った。ここに 至って、問題解決学習の批判的所産とも言える「実践的な系統学習」を世に.

(2) 問うこととなったr学習形態』についての検討は、筆者にとっての疑問解決. 目  次. に当たっての焦眉の問題となったのである。.  以上が、本論文のテーマ設定に当たっての動機である。以下、本論文にお. はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・….  広岡は、問題解決学習を、「個人主体偏向」、 「客観的実在性の剥奪」の. 序論r学習形態』のもつ意義・・。・… 。・. O. ■. ■. ●. ■. 学習形態であるとし.その論拠をデューイ教育学に求めた。つまり、彼は、.  第一節  「問題解決学習」への疑問の萌芽 ・…. ●. ■. ■. ■. ◆. 戦後の問題解決学習のつまずきは、デューイ教育学にあったとするわけであ.  第二節  「実践的な系統学習」の提示 ・・・…. ■. ■. ◆. ◆. ●. に立つ。言葉を換えて言うならば、デューイ教育学の正しい理解に基づいて. 第一章 広岡の問題解決学習批判の再検討 ・・…. ●. ■. ●. ◆. ●. 実践が行われていたならば、決してつまずきはしなかったであろうと考える.  第一節 広岡の捉える問題解決学習の変化の軌跡、・. ■. ■. ■. O. ■. わけである。.   1.第一期(成立期:昭和22・3年)の特質 …. ●. ■. ●. ■. ●.  そこで、本論文においては、序論において、 『学習形態2が、広岡にとっ.   2。第二期(発展期:昭和24・5年)の特質 …. ■. ◆. ■. ●. て、いかなる意味を持つ著作であるのかの検討を通して、筆者が、本論文に.   3.第三期(成熟期:昭和26年以降)の特質 ・・. ○. φ. ●. φ. る。が、筆者は、デュ…一・イ教育学の不消化故のつまずきであったという立場. ● ●. おいて、何故、中心に取り上げたのかを明らかにする。ついで、第一章にお いて、広岡の問題解決学習批判を整理し、要点を探り出すことにより次章デ. 第二節 学力低下の問題 ・・・・・・・・・・・・・・…. ューイ教育学批判の再検討の為の橋渡しとする。最後に、第二章で、広岡に.  1.広岡の学力観・基礎学力観 ・・・・・・・・・・…. よるデューイ教育学批判そのものを取り上げる。つまり、広岡が、デューイ.  2.問題解決学習における知識体系のかべ ・◆・・・…. 教育学のどの部分を主として批判することにより問題解決学習批判の論拠づ. 第三節 広岡の指摘する問題解決学習の弱点とそれへの再検討・. けとしようとしたのかを明らかにし、筆者なりの検討を加える。従って、第.  1.f問題」(「単元主題」)設定と「学習展開」の甘さ・・. 二章が、本論文における中心部分となろう。.  2.系統的な知識習得の弱さ ・・…  ’’’’’’’”.  以上が、テーマ設定の理由と論究の手順である。.  3.教師の指導性の弱さ ・…  ◆・・・・・・・・…. 119. いては、次の立場に立ち論究することとする。.

(3)     一  “  “   “ 第二章広岡のデューイ教育学批判の再検討 ・・…. 第四節 目的観の問題 ・・・・・・・・・・・・・・・….  99.     一  “  一   一  第一節 相対的世界観に立つ問題解決学習 ・・….  1.デューイの目的観に対する広岡の解親とその再検討 ・・.     一   一   “   “   1.広岡による相対的確実性の行為的探究の批判 ・.   (1) 歴史社会的目的の拒否 。・・・・・・・・….   2.広岡による相対論に代わる弁証法の提示 ・ ・.   (2) 目的に関するカテゴリーミスによる広岡の批判・・.   3.広岡の上記見解に対する私見 ・・・・…  一 一 一 “ “ “.  2.「経験の成長」に関する広岡の解釈とその再検討 ….  第二節 操作的な経験と客観的実在の問題 ・….   (1) 内容方向的な自室規定の欠如 ・・・・・・…. 100 100 103 106 106.   1.デューイの経験論に対する広岡の解釈とそO’    再検討・.   (2) 「成長」とは、 「知性的成長」であり、「社会的.   “   一   一   一   一   一.   一   一   一   “   一   一. (1) 広岡の解釈 ・・…  。…. 一   “   一   一   一   一   一   “.      成長」であることの理解不足故の広岡の誤解。…. (2) 浅い広岡の解釈 ・・・・…. 一  一  “   一   一  “  一   一. 第五節  「教育の間接性」の問題 ・・・・・・・・・・…. (3) デューイにおける経験の意味 ・. 〇   ■   令   ■   o   ■   ■   ■.  1.教師の指導性の弱さ ・・・・・・・・・・・・・….   A.相互作用としての経験 …. 一  “  一   一   一  一  一   一.  2.1間接的な方向づけとしての教育 ・・・・・・・・….   B.意味の増加 ・・。・◆・ ・. 一   “   一   “   一   “   一   一. (4) 教育における社会の観点 …. 一   一   一   “   “   一   “   “. あとがき ・。・・. 一  一  一  一  一   一  一  “  “. 109 114 114 115. .・....・...・. 120.  2.デューイの客観的実在の考え方に対する広岡の解釈と   その再検討 ・・◆◆・・・・・・・・・・・・・・…. 引用文献 ・・・・・・・・・・・・・・・…  ◆・・・…   121.   (1) 客観的実在の否定 ・・・・・・・・・・・…. 参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…   123.   (2) 誤解に基づく広岡の批判 ・・・…  。・… 第三節 実践と理論体系の問題 ・・・・・・・・・・・…  1. 「理論軽視」のデューイ説 ・・・…  。・・・….  2.「理論軽視」という広岡の批判の再検討 ・・・・….

(4) 序論   r学習形態』のもつ意義. 広岡の意見、 「問題解決学習か系統学習か」(1955)の諸論文、主張には、広. 岡の問題意識が明確に示されていると筆者は判断した。.  本論文において、広岡亮蔵の問題解決学習批判の再検討を試みようとして.  以下、上記の論文によりながら、広岡の問題解決学習批判の足跡を辿り、. いる筆者が、なぜ、 r学習形態』を中心に論究しようとしたのかについて、. 彼の問題意識が那辺にあったのかを明らかにしていくこととする。. 本論に入る前に明らかにしなければならないであろう。.  前述したように、広岡は、コア・カリキュラム連盟への加入を通して、戦 後の新教育へ関わっていくわけであるが、彼の立場は、当時連盟に参加して.  そこで、本序論においては、問題解決学習への疑問の萌芽と「実践的な系. いた諸学者、実践家とかなり違っていたようである。. 統学習」の提示という二つの視点から、広岡の問題意識が那辺にあったのか.  彼は、連盟加入一年にして早くも「牧歌的なカリキュラムの自己批判」を. を浮きぼりにさせ、併せて、『学習形態』のもつ意義を明確にする努力をし. 提示する。. たい。.  つまり、彼は、この論文において、自分自らを牧歌的な古都人にたとえ自 己批判するとともに、コア・カリキュラム全般に共通する甘さを牧歌的とと. 第一節 問題解決学習への疑問の萌芽. らえて批判するわけであるが、この事実をもってしても、広岡が、他のメン バーと当初より異なった意見を持っていたことをうかがい知ることができる.  広岡亮蔵は、1949年、コア・カリキュラム連盟に、結成後3ヶ月で加入す. わけである。. る。(1)しかし、彼は、加入一年後にして内部批判という形で問題解決学習批.  彼は、この論文を著した動機を、まえがきにおいて次のように述べている。. 判を展開しはじめる。 rカリキュラム』誌1950年3月号での「牧歌的なカリキ. 「この小論をものにするにいたったのにはちょっと奇妙な因縁がある。. ュラムの自己批判」である。.  九州で研究集会が開かれて、梅根、海後先生らにまじって私も参加した。.  彼は、以後、rカリキュラム』誌上を中心にして、精力的に批判的論述を. この九州の旅は楽しく想いおこされ、また私には意外な点で意味深いものが. 展開する。それぞれが彼の問題意識を探るうえで貴重な論文であるように思. あった。京都や奈良の古めかしい情緒のなかで、のんびりした息を吸ってい. われる。が、その中でも、先にあげた「牧歌的なカリキュラムの自己批判」、. る私のような人間の思想や態度は、東京人にはどうもま伸びした、あまい牧. それに「教育方法の問題の点描」(1952)、「問題解決学習と客観的知識」(1. 歌的なもののようにうつったらしい。・・…  それで、途中の車中といわ. 954)、日生連五周年記念本部討論の「問題解決学習の基本問題」(1954)での. ず、旅館での酒杯の際といわず、さらに散歩のひとときといわず、あらゆる. 一1一. 一2一.

(5) 場所機会を利用して、私の“古都的イデオロギー“のrつるしあげ』が行わ.  つまり、かれは、「歴史的現実の切実なしかも理性的な目標」C4)をかかげ、. れた。・・…  この私は、あわれにももみくちゃにされたかっこうだった。. その目標を実現化していくうえで必要な「客観的知識」に目を向けることに. ・・・… @ 別れぎわに梅根先生が、r君にはこんなに手の込んだ教育をし. より「コア・カリキュラムは空漠たる甘さからの脱却が可能である」(5)と考. てやったのだから、なにか新しいものを出してくれるだろう』との註文をう. えたわけである。. けた。この註文に答えるのが実はこの小論である。.  彼は、このような基本的な考え方に基づいて、「生産復興・輪出振興・前.  こうしたいきさつからできたこの小論は、直接には私自身の思想の甘さに. 近代性の払拭」という目標にむけてのスコープとシーケンスの新たな提示を. 対する自己批判である。だが考えてみると、このあまさは、私だけにとどま. 試みるのである。(6). るものではなく、現行のコア・カリキュラム全般が担っている共通の性格で.  彼は、その後も、種々の側面から、一貫して、「客観的知識」の問題に開. もある。これは私のひが目であろうか。」(2). わっての問題提起を続けるわけであるが、「客観的知識」を重視しようとす.  つまり、この言葉の中に、問題解決学習とは相いれない思想が、彼の体内. る彼の立場が際だって鮮明になるのは、1953年11月に行われた日本生活教育. に内在していることをうかがい知ることができるわけである。と同時に、こ. 連盟発足五周年本部討論においてであった。(7). のことは、近い将来における連盟との決別を暗示し、それ故に、彼の立場を.  「問題解決学習の基本問題」と題するその討論会において、広岡は、問題. 知るうえで重要な論文であると考えるわけである。. 解決学習が、単元の数、範囲、内容及び時数との関連において、どうしても.  彼は、この論文において、終戦後の日本の「食料・品物不足」 「産業力の. 狭い範囲の学習しか成立しえないとの押えに立ち、「問題解決学習という学. 崩壊」を取り上げ、日本の目指すものは、①生産復興、②輪出振興、◎前近. 習形態は、・。…  要するに必要な基本的知識のすべてを尽し得ない。そ. 代性払拭の三点であるとし、(3)これは、直接的には経済、政治の課題である. ういうことを問題解決学習が基本的にもっていると思うのです。」(8)との所. とともに、間接的には教育の課題、目標でもあると述べる。彼には、当時の. 信の表明を行うのである。. 問題解決学習が、社会の厳しい現実から遊離した「牧歌的」なものに見えた.  彼は、この討論会の前年(1952年)にrカリキュラム』に「教育方法の問題. のである。特に、彼にとって「牧歌的」と見えたものは何であったのか。そ. の点描」という小論をよせ、その中で、問題解決学習の欠点として、次の二. れは、問題解決学習では、上に示しta三つの目標を達成する為に国民に必要. 点を指摘している。. となる「客観的な基本的知識」を獲得することが困難であるということであ.  ①主体的組織の経験学習によれば、直接経験およびこれにつらなる間接経. った。. 験や技術はよく把握されるけれど、必須であってしかも連続しない間接経験. 一3一. 一4一.

(6) や思考知については、かなり大量のものが残る。. な壁として「客観的な知識体系」の問題があるとしている。社会科を例にす.  ②主体的に組織された経験が、かなり偏曲的なものになりやすくて、歴史. ると(この論文では社会科と社会科学とが基本的な検討に当てられている。). 社会の運動方向という大宇宙を、ただしくうつす小宇宙となりにくいことで. 客観的・基本的な社会認識は、主体的認識の積み上げとはギャップがあり、. ある。(9). 自動的に合致することはない。 (広岡の苦悩がそこにある)連盟はこのこと.  彼のこの指摘が討論会の前年に既に行われていることから考えて、討論会. に対して前向きに検討せず、主体的組織の知識にばかり固執し、知識の主体. での広岡の発言は、当然、長年の問題意識に裏打ちされたものであると言え. 的相対性ばかり主張している。社会的な客観的知識の体系、つまり社会科学. る。そして、まte、討論会における座長ともいえる梅根悟への執拗なまでの. があらわになりつつある今日、これでは保守的な立場へと転落することにな. 食い下がりや彼の発言内容から考えて、他の仲間との単なる意見の相違や立. る。もっと社会科学と問題解決学習との関係を鋭くつきつめる必要がある。. 場の違いやずれにとどまらず、この時点に至って、彼が、 「問題解決学習を. それが今日の社会情勢に対する危機意識でもある。. 批判的に創造する道へ歩み出したことを示している」(11)と言えるのである。.  ②では、客観的知識体系である社会科学は、個入の主体性と相克し、圧殺.  更に、彼は、本部討論会において言い尽くせなかたことを、翌年(1954年). するものではなく、個入を助けて社会の真実をみせてくれる力である。主体. のrカリキュラム』1月号で、「問題解決学習と客観的知識一一一つの内部. 的恣意や臆見、誤れる主体を規制する力が社会科学である。これを個人主体. 批判一一」として論じている。. を冒濱、弾圧するというのは、いう側にまちがいがある。戦後の教育が経験.  武藤文夫は、『授業のめざすもの』において、上記論文を取り上げ、「19. を重んじたことはよいことであったが、反面、知識嫌悪、知識恐怖のゆえに. 54年のそれは、問題意識が手ぎわよく集約され的確に提示されている。批判. 理論なき実践に堕落し、根本的弱さを露出した。いまや、r経験から科学へ. 的創造への一里塚となっている論文であるから、その要約を述べ問題意識の. !」が課題であり、実践と理論の弁証法的統一を追究すべきである。. 集中点をあきらかにしておくこととする。」(11)と述べ、広岡の論文内容を.  ◎では、問題解決学習と客観的知識体系との関係を論じている。この問題. 大変簡潔かつ的確に要約している。そこで、筆者は、武藤の要約を借りて、. は、主体的組織の知識だけに割り切った関わり方をしている場合には問題と. 広岡の問題意識の把握を行うこととする。. ならない。教育理論界にはこの傾向が有力である。しかし、現実は壁にぶつ.  広岡は、問題を三つの節に分けて論じている。①つきあたっている壁、②. かっているのであり、理論家は主体的組織の知識理論の限界と弱さを自省す. 客観的知識、◎科学の基本による武装、がそれである。. べきであり、実践との関わりにおいて理論を再構成すべきである。現実の壁.  ①では一応問題解決学習の教育的=社会的役割は高いとしながらも、重大. は、主体的組織の知識のへだたりの問題である。地名、人物名などの要素的. 一5一. 一6一.

(7) 知識といった低次のものと、歴史の時代構造やその進行、地理的事象、政治. つた状況の中で、広岡の意見は無視しえぬ問題として映ったのであろうと思. ・経済のしくみ等々の基本的理解といった高次のものとの両者が共に問題で. われる。q6). ある。問題解決学習では、前者については単元の数とその偏向により要素知.  このような状況の中で、広岡の「客観的知識」への執着はますます強くな. の包括は不能である。また後者については、主体的組織の知識は系統的な体 系を組織できない。問題解決学習は、もっと社会科学的になるように志向せ. っていくのである。.  以上の論述を通して、広岡の問題意識の所在が「客観的知識」にあったこ. ねばならない。非生産的な清潔な論理に固執せず、社会科学による武装をす. とが明らかになったと思われる。又、このことは、問題解決学習批判の中核. べきである。. ともいうべき事柄でもあるわけである。.  以上が論文の要約である。(12).  それでは、広岡は、全面的に問題解決学習を否定しtaのであろうか。答え.  先にも引用したのであるが、 「問題解決学習という学習形態は…  要す. は否である。広岡は、問題解決学習は、「戦前のゆがんだ強権的な知識や行. るに必要な基本的知識のすべてを尽し得ない。そういうことを問題解決学習. 動の系列を取り払い、子どもにその清新な眼でその現実をながめさせ、こと. が基本的にもっていると思うのです。」という広岡の本部討論会での発言や. に、問題を実践的に切りひらかせる身ごなしをつけた点では、高く評価され. その理論的整理ともいうべきこの論文は、(これに先だって出された他の論. ねばならない。」(17)と言う。特に、「生きた問題場面のなかに子どもを投. 文いじょうに)大きな反響をよんだことは確かなようである。. 入(projec七)して、いやが応でも主体的に立ちはたらかざるをえない」(t8.  三根悟は、先の本部討論の中で、一連の広岡の意見から、広岡をこの連盟. )メカニズムを問題解決学習がもつ故に、 「問題の発見」 「問題の選択」 「探. の「エッセンシャリスト」だから、という発言をしている。(t3). 究の計画」 「計画の修正・工夫」「知的洞察」という人間的能力を引き出す.  しかし、広岡の主張は、彼をしてただ単なる「エッセンシャリスト」とし. 精妙なメカニズムをもつと評価する。従って、広岡の課題は、問題解決学習. て無視させてはおかないほどの影響力をもつに至ったということである。連. の長所を正しく受け継ぎ欠点を克服することにあると言えるのであろう。つ. 盟が、更に、同年(1954年)5月4日に広岡と海後勝雄と対談させ、本部討論に. まり、f客観的知識に裏打ちされた人間能力の育成jq9)をどのように達成. 対する何らかの結論を引き出そうと試みたことや(14)gより一層の討論の広が. するかということにあった。言葉を換えて言えば、実践性、主体性を重んじ. りを連盟の会員たると否とにかかわらず呼びかけたことからしても、q5)反. たい、と同時に科学性も重んじたい。この両者を調和的に統一する学習論の. 響の大きさをうかがい知ることができるのである。. 構築こそ、広岡の目指したものである。.  特に、広岡の内部批判とは別に外からの批判もますます厳しくなりつつあ.  問題解決学習への疑問から生まれ出た内部批判が、この時に至って大きく. 一7一. 一8一.

(8) ふくれあがり、批判的創造への一歩を踏み出すのである。そして、その具体. ると、内部批判という立場から新たな論理の提示をする立場へと視点を移し. 的解答が「実践的な系統学習」なのである。・. たことを知ることができるのである。.  武藤は、次のように述べる。即ち、広岡にとって、 「客観的知識」に裏打 第二節 「実践的な系統学習」の提示. ちされた人間形成の問題をどう解決するかは、自己にとって、また社会的現. 実としてさし迫った問題であった。問題解決学習は知識を実践的にとり入れ  「牧歌的なカリキュラムの自己批判」に端を発した広岡の問題解決学習批. ていくよさをもっと同時に、現実的には知識の正しい範囲と系統をそこなう. 判は、1953年の本部討論を境に一段と強さをまし、「問題解決学習と客観的. 危険が多い。実践だけを片面的に強調する学習となりやすい。教授定型に固. 知識」において、はっきりとした違いとなって表明されるに至るわけである。. 定した、やみくもに知識を注入する教育を否定し排除したのはよいが、これ. コア連内の内部批判として始まった広岡の批判は、ここに至って、連盟との. ではやはり十分ではない。正しい意味の「客観的知識」に裏打ちされた人間. 決別を余儀なくされるまでに大きくふくれあがるのである。そして、1955年. 形成が可能となる学習を構築しなければならない。これまでの立場や行きが. rカリキュラム』1月号に「問題解決学習か系統学習か」を発表する。この論. かりにとらわれてしまわず、生きて働き発展していく事実の真実性を切り拓. 文には、“一つの討議資料として“というただし書きが副題の体裁で記され. いていく理論こそが大切なのだという自覚がみられる。 r学習形態』のも. ているが、これは、連盟と決別し独自の道を歩みだすという宣言にも等しい. つ史的現実性はこのよううな問題の一つの解決、止揚という試行にある。今. ものである。つまり、彼は、ここにおいて、問題解決学習の批判的創造とし. までの内部批判の立場ではなく、はっきりと自己のオリジナリティを打ちだ. ての「実践的な系統学習」の提案を行うのである。更に、この提案は、r学. そうという構えで論理展開していく。この著書は広岡自身にとって重要な位. 習形態一系統学習・問題解決学習』において理論的整備がほどこされ、世に. 置をしめると同時に、わが国の教育方法学界においても先駆性と一つの提言. 問われることになる。従って、これまであ軌跡からして連盟との距離が決定. として重要な業績である。系統学習と問題解決学習との対立を、現実がもつ. 的となるのは明かであり、彼は、これ以後、『カリキュラム』には二・三の. 運動過程を反映する動の論理によって解決の途を見通したと位置づける点に. 論文しか発表しないのである。(2e)つまり、そのはしがきにおいて「私自. おいて、それを「実践的な系統学習」として提示した点において、問題解決. 身の個人的な経歴は、問題解決学習から出発している。…  (しかし、問. 学習の批判が広岡自身として解決をみたことは重要である。「実践的な系統. 題解決は必ずしも問題解決学習となることを要しないことも理解することが. 学習」が「課題解決学習」や「発見学習」への端緒となり、1950年代末から. できた)」と表明していることからも理解できるように、r学習形態』にな. 60年代の「教材の精選・構造化」「発見的方法」という内容と方法とに関す. 一9一. 一10一.

(9) る学界規模における先駆性は否定しがたいものがある。いわば、わが国の方. など(25)」の欠点をもつと言う。. 法学界の本流を形成していく先駆性がみられるのである。(22).  彼は、これらの問題解決学習の欠点のよってきたる要因を、デューイ教育.  この武藤の指摘に筆者も同感である。特に、「経験カリキュラムの誤りは、. 学に求める。つまり、問題解決学習の行きづまりは、デューイ教育学の不備. 実践課題にむかって客観的な知識の体系を組織しようとしなかったという点. にあるとするわけである。従って、広岡にとっての問題解決学習批判は、同. にある。(23)」との批判を「知識と実践の統一をすぐれて打ちだすことが、. 時にデューイ教育学批判でもあるわけである。言葉を換えて言えば、彼の問. 新しい実践的な系統学習の生命であり、成否のわかれ途である(24)」との自. 題解決学習批判の学問的根拠がデューイ教育学批判なのである。. 覚に基づき、知識の範囲と系統、知識と実践の統一へむけて鋭意歩み出した.  広岡は、問題解決学習を批判し、更に、デューイ教育学を批判して、問題. ことにたいしては高く評価しなければならないと考える。. 解決学習をして「個人主体偏向」「客観的実在性の剥奪」の学習形態と断じ.  武藤の指摘にもあるように『学習形態』が新しい学習論の提示という意味. て、系統学習へ自らの解答を求めた。しかし、日本における問題解決学習の. あいにおいて、重要な位置をもつことは筆者も認めるところである。しかし、. 失敗が、デューイ教育学の解釈の不消化故のものであり、従って、本来ある. ここにおいて、筆者が問題としなければならないと考えるのは、広岡が「実. べき姿としての真の問題解決学習を模索することによって、広岡の言うとこ. 践的な系統学習」を提示するに至った学問的根拠についてである。新しい学. ろの欠点を克服しえたのではないかと考える筆者には、広岡の問題解決学習. 習論たる「実践的な系統学習」は、系統学習の否定としての問題解決学習、. 批判とデューイ教育学批判は避けて通ることのできない問題となるのである。. その否定としての実践的な系統学習という設定である。つまり、否定の否定.  以下、第一章、第二章において、r学習形態』における論述内容を中心に. としての産物としの位置づけである。しかしながら、彼の力点のおきどころ. 取り上げ、筆者の見解を述べたいと思う。. は、すでにみてきたように、問題解決学習批判にある。そして、彼の批判の 中心点は、「個人主体偏向」 「客観的実在性の剥奪」ということにある。彼                              マ マ は、このことの故に、問題解決学習が、「現実的経験を背後から規正する客. 註. 観的過程の力を正しくとり入れないで、主観的な学習になりがちである。行 為的実践に走りすぎて、実践と理論の正しい統一的把握につまずき、学力低. (1) コア・カリキュラム連盟は、1948年(昭和23年)10月et結成され、. 下があらわれてきている。さらには、具体的な現実目的に目をうばわれて、.   翌年1月にrカリキュラム』が創刊された。 広岡は、1949年『カリ. 歴史社会的目的との結びつきがうまく行かず、解決方向に狂いができやすい.   キュラム』二月号で加入が記載されている。. tll一. 一12一.

(10)  (2) 広岡亮蔵「牧歌的なカリキュラムの自己批判」、コア・カリキュ. (11) 武藤文夫著『授業のめざすもの』、黎明書房、1982年、p.30..      ラム連盟編集rカリキュラムS誠文堂新光社、1950年3月号、p.. (12) 上掲書、pp.30∼32..      12.. 〈13) 前掲書「問題解決学習の基本問題」一生活教育の前進V一、.  (3) 上掲書 p.13..     p.64上段..  (4・) 武藤文夫著『授業のめざすもの』、黎明書房、1982年、p.26.. (14) 対談内容については、rカリキュラム』1954年7月号に「問題解決.  (5) 上掲書 p.26..    学習と客観的知識《対談》広岡亮蔵・海後勝雄」として掲載された。.  (6) 広岡の「牧歌的なカリキュラムの自己批判」に対しては、それな.     pp. 27’一一31..     りの反響があった。同じコア・カリキュラム連盟の仲間である小島. (15> 上記《対談》のあとがきに、次の一文が掲載されている。.    忠治(当時和光学園主事)、樋口澄雄(当時東京都港区の小学校長).     昨年H月末に行った連盟発足五周年本部研究会で、広岡氏の内部.    の現場人としての批判「地上三寸の広岡先生」が広岡提案の次号r.    批判をめぐって大いに議論が湧いた。…  この討議で言いつくせ.    カリキュラム』(4月号)に掲載された。.    なかったことを広岡氏は、はげしく本誌の今年(1954年、筆者註).  (7) 1948年(昭和23年)10月に結成ざれたコア・カリキュラム連盟は、.    1月号に「問題解決学習と客観的知識一一つの内部批判一」として論.    1953年(昭和28年)6月、日本生活教育連盟(日生連)に名称を改め.    じた。…  5月4日日本教育学界に広岡氏が上京されたのを好機に、.    ている。.    これらの議論の一つの結論を得たいと海後氏との対談を行った。そ.     この五周年記念討論は、『カリキュラム誌』別冊としてまとめら.    の記録が本稿である。この討論をさらに発展させたいと考えるので、.    れている。 「問題解決学習の基本問題」一生活教育の前進V一 日.    以上の諸資料を御検討の上、連盟の会員たると否とを問わず、どし.    本生活教育連盟rカリキュラム別冊』、誠文堂新光社、1954年6月.    どし実践にうらづけられた論文を編集局におよせ願いたい。.  (8) 上掲書 pp.61上段∼62下段.     このことからも、反響の大きさをうかがい知ることができると考.  (9) 広岡亮蔵「教育方法の点描」コア・カリキュラム連盟編集rカリ.    える。.    キュラム』誠文堂新光社、1952年、p.32.. (16) 広岡の批判は、矢川徳光に一つの代表をみる外部からの批判とも. (10) 武藤文夫「教育方法学における科学論研究」’r教育方法学研究』.    あいまって、一段と無視しえないものとなったと筆者は考える。.    第五巻、1979年、p.62.. (17) 広岡亮蔵「問題解決学習か系統学習か一一一.一つの討議資料として一」. 一13一. 一14一.

(11) 『コア・カリキュラム』、1954年11月号、p.14. (1 8). 広岡亮蔵著r学習過程論』、明治図書、1968年、p.43.. (1 9). 上掲書 p.44.. (2 O). 書評 矢川徳光著『国民教育学』1957年5月号、 「人間形成と教育. 第一章 広岡の問題解決学習批判.  既に、はしがき、序論において触れたように、広岡は、問題解決学習のつ. 過程」一教育課程の自主編成の一考察一 1958年8月号、「国語・. まずきの要因をデューイ教育学に求めた。従って、広岡の問題解決学習につ. 算数の発展系統」一基礎学力の発展的な考察一・・1958年11月号、. いての本格的な検討は、デューイ教育学批判のそれにまたなければならない.  「現代生活教育の意味するもの」1959年9月号が見られるくらいで. わけである。しかし、論考の手順として、先ず、本章において、広岡の問題. ある。. 解決学習批判そのものを取り上げることとする。本章におけるねらいは、広. (2 1). 広岡亮蔵著r学習形態』、明治図書、1955年、pp.2∼3.. 岡の問題解決学習に対する具体的な批判点を浮きぼりにさせ、次章における、. (2 .9. ). 武藤文夫著r授業のめざすものS黎明書房、1982年、pp.34∼34.. 広岡のデューイ教育学批判の再検討の為の橋渡しとすることである。. (.9. 3). 広岡亮蔵著『学習形態』明治図書、1955年、p.314..  広岡は、9学習形態』において、問題解決学習のつまずきの事実として、. (24). 上掲書 p.288.. コア・カリキュラム(1)の問題と学力低下の問題を取り上げる。そして、つま. (2 ,r)〉. 上掲書 p。285。. ずきの事実としてあげるこれら二つの事項について、問題解決学習の歩んだ 10年間の軌跡を三つの期に分けて辿りながら論究している。そこで、本章に おいて、筆者は、広岡の捉える問題解決学習の変化の軌跡と学力低下につい ての見解を忠実に整理することにより、広岡が、つまずきの事実としてあげ る上記の二つの事項を通して、問題解決学習の何について批判しようとした のかを明らかにする努力をしたいと考える。.  広岡は、「問題解決学習は、学習主体と学習問題とが溶けあい、解決実践 と知識技術とがからまりあい、解決の過程と方向とが連続しあい、子どもの 活動とが結びあう。固定と孤立とバラバラの学習はすてられて、たがいに連. 一15一. 一16一.

(12) 関させ』、結びつけ、溶けあわせる力動的なやわらかい学習、まさに相対主義. きない。コア・カリキュラムが破れた原因は、教科問の統一性を主張したこ. の考え方にたつ学習形態である。(2)と捉える。そして、「絶対主義の旧系統. とにあったのではない。統一性の契機はたいせつであり、教科問が無統一な. 学習にくらべたら、相対主義にたつ問題解決学習は大きな進歩である。(3)」. バラバラであってよいとはいえない。コア・カリキュラムが破れた原因は、. と言う。特に、「かっての『おぼえる子ども』は、『考える子ども』へと高. 統一性だけを一面的に主張したところにある。教科問の統一面と同時に区別.                       ママ まった。この教育的成果は、大切にうけつがれるに価するすぐれた面である。. 面に注目して、その正しいありかたをつきつめるべきであった。(7)」. (A)」と高く評価する。しかし、その一方で、 「その反面、問題解決学習が、.  広岡は、コア・カリキュラムについて以上のように解説した後で、コア・. 相対主義に固執し、物ごとのあいだの壁をとって、ただ結びつけ融けあわせ. カリキュラムは、こういつた弱点をもつが故に、年月の経過とともに、みず. ることに熱中して矛盾と対立の同時側面を捨て去るならば、混乱と混迷の泥. からを改めざるをえない状況に追いやられることになった、と言う。. 沼に陥ることが多い㈲」とし、問題解決学習のつまずきの事実として、先に.  即ち、彼は、「教育計画にあたって、教師の事前計画にもっと重みをもた. 示したように、コア・カリキュラムの問題と学力低下の問題を提起してくる. せること、それぞれの教科がもつ特質をよく見て、その特質に深くはいりこ. わけである。. むこと問題解決と基礎学力のむすびつきを、直接的なものから間接的なもの.  以下、順を追って考察していくこととする。. にまで拡大すること、こうした自己改善の運動が事態のやむをえない必要か ら生じてきた(8)」との見解を示すわけである。. 第一節広岡の捉える問題解決学習の変化の軌跡.  それでは、広岡は、この自己改善の運動の経緯をどのように捉えているの であろうか。.  広岡は、 「問題解決学習がたつ相対主義を、このうえもなく純粋化したも.  広岡は、「問題解決学習は年数からすれば戦後教育のわずか10年間である. のは、コア・カリキュラムである(6)」と捉え、次のように解説する。「まず、. が、内容的には、ずいぶんと大きく質的な発展と変化をとげてきた(9)」と捉. カリキュラムをつくるには、子どもと教師の相談によってきめる。次に、子. え、その質的な変化を三つの期に分けて考察している。. どもの生活は隔壁のない統一的な経験だから、これをうつして教科問の壁は、.  そこで、広岡の言うところの各々の期の特質を整理しコア・カリキュラム. 取り去るか低めるべきである。さらには、問題解決課程と基礎課程とはたが. の自己改善運動の軌跡を明らかにすることとする。. いに直接的に結びつくべきである、と考える。こうした徹底的に相対主義の コア・カリキュラムが、現場の教育を混乱にみちびいte事実はやはり否定で. 一17一. 一18一.

(13) 多かった。例えば、社会科でも「買いもの」、算数でも同様に「買いもの」 1.第一期(成立期:昭和22・3年)の特質(19}. の単元を学習する。そこでいきおい、中心課程をもうけて、これを大黒柱と する結合のしかたへの傾向が自然に生まれてきた。これは、コア・カリキュ.  この期の特質として、広岡は、次の五点をあげている。. ラム連盟が推進したもので、中心課程に社会科をもってしょうとする行きか.  第一一一elは、子どものきわめて身近な現実問題を取り上げたこと。例えば、. た、社会科と理科を融合したものをもってしょうとする行きかた、すべての. 「かぜをひかないようにするには」「家のお手伝い」「小遣いのつかいかた」. 教科領域にまたがる超教科的なものをもってする行きかた、などである。い. 「教室を花でかざろう」「村の生活」など。ひOように児童生活にアクセン. わゆる、中心課程と周辺課程の統合カリキュラムである。. トをおいた問題が多く、児童中心の色彩が濃厚であった。子どもの問題とい.  この統合カリキュラムは、旧い知識・技術をくずすことに役割はえんじた. ってもおとなの社会生活、ことに敗戦時の日本の厳しい社会生活に連なるも. が、反面、知識や技術のすべてを崩壊せしめようとした欠陥をはらんでいた。. のもあったが、子どもの地域的な現実生活の面を強くした。つまり、敗戦直.  第三には、子どもの学習に先だって、子どもに習得さるべくあらかじめ定. 後の問題解決学習は、たぶんに児童中心であり、子どもの生活のきりひらき. 立されている知識や技術を捨てたこと。「知識って? 知識は、生活を通じ、. にアクセントがおかれていた。. 生活とのつらなりにおいてだけ、習びとられるものなのだ」「子どもの生活.  第二には、教科問のたがい壁を低め、或は、取り払って、多かれ少なかれ. につらならないような知識は、ドンドン切り捨ててしまうべきだ。」このよ. 統合のカリキュラムをとったこと。そのわけは、子どもの現実生活の解決を. うに割りきって考えられた。だから、子どもは、いわば、知識や技術の存在. まなぶ学習においては、現実の生活問題は、それじしん不可分の一体をなし. しない原野のまえにたたされたようなものであった。子どもは、問題解決の. ていることが多く、これをはっきりと教科別に分けて学習することが困難で. ために立ちはたらきながら、自分の手で知識を生み出したり組み立てたりす. あるということにある。とられた統合には、程度上いろいろの差はあったが、. る。知識の生産または構成の主体の地位にたたされることになった。. いちばん多かった統合のしかたは、ほぼ教科に分かれながら教科問の壁を低.  第四には、知識や技術の系統という考え方を捨て去ろうとしたこと。「知. めて、たがいに交錯しあう、という行きかたである。それぞれの教科のなか. 識の系統」に代えるに、「生活の順序」という考え方をもってした。. で、単元学習=問題解決学習を行うのである。例えば、社会科の学習と算数.  第五には、教師の外からの指導をミニマムに切り下げて、学習の主導を子. の学習とは、たがいに交錯しあう教科別の単元学習ともいうべきもので昭和. どの手にゆだねたこと。教え込み、インドクトリネーションにたいする警戒. 22年の文部省指導要領がとった行きかたであった。これは、教科問の重複が. は、厳しく行われた。学習の展開にあたっては、「為しつつ学ぶ」という原. 一19一. 一20一.

(14) 理が貴ばれた。低学年ではこ・?ζ、中学年では制作活動、高学年では調査が. 題間の内容的バランス、:地域社会のもんだいいとより広汎な民族・国家のも. でてきた。問題解決は、一人ずつ孤立してするのではなく、仲間が手をつな. んだいとの比重づけ、こうした客体的な内蓉の点になると、ほんのすこし考. いで集団的に考え行うべきだと考えられた。だから、ごっこ・制作活動・調. えられたにすぎないq2)」(傍点、広岡)つまり、広岡は、戦後の新教育に. 査なども、それぞれグループをつくって話合い、計画を立てて、実際に活動. おいては、子どもの主体活動の点には十二分の配慮がなされたが、その反面、. し、成果を反省し合う、などの学習段階がとられた。. 客体的な内容の点がなおざりにされた、と批判するわけである。そして、そ.  教師のしごとは、子どもの意識や活動を刺激し、停滞すれば促し、横道へ. のよってきkる要因は、「客観的存在を解消しようとする操作的な経験主義. それれば防ぎ、こうして子どもの動きを組織していくことにあるとされた。. にある(13)」と結論づける。. 「教師は方向を与えるべきではない。そもそも、すべての子どもを規正する.  また、「学習展開」においても、問題解決にあたって、現実の社会状況を. ような、一般的な方向というものは存しないのだ。世界は、さまざまの変化. 無視した(客観的諸条件のくぐりぬけなしの)解決策が考えられたにすぎな. のもつれあいによって進行し、不確定なものの束にすぎない。解決の方向は、. かった、と言う。先にも触れたように「問題解決学習のこうした小甘さは、. 具体的な事態のなかから、しぜんと姿を現してくるのだ」という考え方が、. やはり、客観的存在をつきくずして、これを操作的経験の現象機能面に吸収. 多くの教師たちに受け入れられた。(傍点、広岡). しようとする経験主義のなかに、最大の原因をもっている。(14)」と批判す る。.  広岡は、昭和22・3年頃の問題解決学習の特質を以上のように論述した後.  広岡は、以上の考察に基づき、このような「問題」〈「単元主題」)の設. で、次のように批判する。即ち、彼は、 「敗戦後4、5年の新教育の当初には、. 定や「学習展開」の甘さに代表される問題解決学習の内部矛盾と、教育の背. 生活や解決の考え方に小甘いものが多かったqDとし、問題解決学習の「問. 景をなす日本内外の政治情勢の深刻化とが両々相まって、問題解決学習に変. 題」(「単元主題」)の設定と「学習展開」の甘さについての指摘を行うの. 化をもたらした、とし、第二期とも言うべ:き昭和24・5年の問題解決学習の特. である。. 質を、次のように解説する。.  「(戦後の新教育においては)子どもにととって切実な問題、子どもの意 欲と活動がかきたてられ持続する問題、問題から問題への発展が水の流れる. 2.第二期(発展期:昭和24・5年頃)の特質(15). ように連続する問題など、こうした子どもの主体濡難(操作的経験)の点に. は、十二分に考えがこらされた。しかし、問題がもつ社会的な意味内容、問. 一21一. 第一は、歴史的社会の課題への配慮が行われるようになったことである。即. 一22一.

(15) ち、歴史社会的な現実と客体的な文化を重視しようとする方向へと、内部転. ゆるやかな統合をしか主張できないようになってきた。三つの課程のうちで、. 化が行われる傾向が生じてきだことである。社会科関係では日本の歴史社会. しいて中心課程を求めれば、社会課程がそれになったであろう。しかし、そ. 的な現実を、ほかの教科では客観的な文化を重視しようとする内部転化が生. れは多分に名目的で、他の二課程はそれぞれ、相対的独立の地位をもつよう. じてきた。. になってきた。ことに基礎課程の系統的とりあつかいと、したがって独立的.  第二には、単元の分化である。即ち、単元の種類が、子どもの手近な生活. 地位が増大してきk。. の解決をめざす日常的な単元(日常生活的な単元)と、歴史社会の矛盾の解.  第三は、ミニマム・エッセンシャルズへの考慮である。敗戦当初の問題解決. 決を目指す社会的な単元と、教材の習得そのものを目指す教材単元の三種へ. 学習では、子どもの主体的な切り込む力の深さとねばりに大きなアクセント. 分化したことである。. をおいた。例えば、「鋳物工場」という単元で、六年生の半年間を費やして.  既に、敗戦当初の単元学習=問題解決学習においても、単元の種類の違い. も、それが深く粘りづよく切り込む力を子どもにつけさえずればよい、とい. にはうすうす気づかれてはいたが、一様の未分化の状態にとどまっていた。. った実践が見られ痘。これでは、習得される学習内容が備つたものとなり、. つまり、日常的な単元の一色で塗りつぶされ、主体的な問題解決力をつける. ある方面は学習が深いが、ほかの方面にはほとんど無知になる、という困っ. ことを目指す単元学習であった。ところが、歴史社会的な現実と客観的な文. た結果が生じてきた。「いかに学習するか」ということも大切であるが、「. 化、つまり、客観のかたわらを重視するようになってくると、主体的な問題. なにを学習するか」も同様に大切である。両者がマッチしなければ、よい学. 解決力は、客観のもつ構造に食い入らなければ、空転する水車のように空し. 習とは言えないだろう、と考えられるようになってきた。(傍点、広岡). いものになることが、しだいに明らかになってきた。こうした雰囲気が反映.  そこで、当然の結果として、それぞれの学年とそれぞれの教科、さらには. して、一方では歴史社会的な教育目標が強調され、これに呼応して、他方で. 単元のなかで最低のところどれだけの学習内容(ミニマム・エッセンシャルズ). は客観的文化が重んじられてくるにつれて、もはや、日常的な単元の未分化. を規定したらよいか、或はまた能力的に表現すれば、最低のところどれだけ. な一色ではすまされなくなってきた。. の子どもの能力を形成したらよいか、こうした事柄への考慮と努力が、25年.  こうなると、これまでの強い統合カリキュラム、中心課程と周辺課程とい. ごろを頂点として盛り上がってきた。. う強い統合のコア・カリキュラムも、くずれはじめざるをえなくなってきた。.  第四は、単元の展開が方向性をもちはじめ教師の指導性が問題になってき. そこで、日常課程と社会課程と基礎課程の三つの課程が設けられ、それらは. たことである。つまり、これまでは、単元展開や問題解決は、もっぱら子ど. 原則として、たがいに関係し合い、相よって一つの構造的統一をもつという、. もの手で、という立場がとられ、教師は、子どものいろいろな活動を、なか. 一23一. 一24 一..

(16) から組織する役割を担当した。しかし、現実に、学習の展開がモタモタして、. 3.第三期(成就期:昭和26年以降)の特質(18:‘. 横ばいをすることになりかねない状況が生まれてきた。そこで、問題解決の 展開に「傾斜をかける」という考え方が出てきた。つまり、子どもの問題と.  第一は、問題解決の目標が政治経済的な独立、平和の確保、生活水準の向. 活動に即しながらも、ここには埋没しないで、問題の核心にいどむように焦. 上などの日本の危機的な課題につらなろうとしてきたことである。. 点づけをなし、そして、問題が子どもにたいしてもっている真実の方向へと、.  さきの期でもすでに、日本の歴史的現実と客観的文化をふまえた問題解決. 解決を進めようとする展開指導のしかたである。ここでは教師は、子どもに. 学習がうちだされた。とZうが、これはなお抽象的であることが、26年以後. 即しながらこれを導く、という姿勢を取るようになってきた。. になると、あきらかに感じられるようになってきた。特に、26年の指導要領 の改訂による「日本の現実を取り入れることへの着手“g,」と、コア・カリ.  広岡は、昭和24、5年の問題解決学習の特質を以上のように説明し、更に、. キュラム連盟の新潟研究集会における「目標の設fi1・ ’2 Z)」は、この間の事情. 次のような見解を示す。. をよく物語っている。.  「これらの特徴は、戦後当初とくらべると、一段ことなる性格を持ってい.  第二には、統合がいちじるしく後退したことである。社会科の統合さえも、. る。それは、戦後当初の児童解放にもとつく『子どもの主体的な解決力の形. 分化のきざしがでてくるようになった。. 成』という主体主義のかたよりから脱却しはじめて、歴史的現実や客観的文.  すでにさきの期で、歴史的現実や客観的文化が重視されるようになると、. 化などの客観的契機を、じぶんのなかに含み込もうとする動きをもっている。. 主体的統合が後退をはじめ、客観的文化がもつ分化傾向が目だってきたこと. ・◆・. 竭濶. フ主体的な実践は、客観的な事実と法則にそくして、その可. については前述した。ところがこの期になって、歴史や数学を先頭とする系. 能性をいかすことによって、はじめて解決の実践となることができるのであ. 統学習の動きが急に勢いをましてきた。このわけは、客観的現実がますます. る。行為的実践は、すべての期の問題解決学習を通じての根本生命である。. 厳しい姿でもって立ち現れてきたので、子どもは、客観のそれぞれの特殊領. しかし、行為的実践は、客観にそくし、これをくぐりぬけなけれは、正しい. 域を客観にそくしてとらえることを強く要求されてきたからである。客観的. 行為実践となることはできない。:1 16)」. な特殊領域は、それに対応する教科がもつ知識や技術によってとらえられる。.  広岡は、上記の見解に基づき、「昭和24、5年の問題解決学習は、こうして. そこで、いままで低められていた教科問の壁は、急に高められてきた。統合. 客観的なものを含み込んで、一段と変化したq7)」と結論づける。. をいちばん強く固持してきたコア連盟も、26年には、三層四領域という後退 した統合カリキュラム構造にまで引きさがってきた。三層とは、実践課程・. .7“5一. 一26一.

(17) 問題解決課程・基礎課程のタテ軸の層別である。これは、それぞれまえの期. 実践的な系統学習」(23)である、と。. の日常課程・社会課程・基礎課程に対応し、名がかわったが中味はほとんど. 第二節 学力低下の問題. 同じである。ところが、横軸に、社会・経済く自然)・表現・健康の四領=域. をもってきk。これは、従来、超教科として統一的に取り扱われてきたので.  広岡は、問題解決学習の学力観を「相対主義の学力観(24)」であるとする。. あるが、これを分化して、ほぼそれぞれの領域におさまる細かい単元をえら. そして、この学力の考え方が、 「学力低下の現実を事実的に結果した《25)」. び、それで問題解決学習をするように変更を加えたのである。これは、超教. と断じる。. 科の統合はほぼ捨てられて、四領域に分かたれた、いわば、広域カリキュラ.  それでは、彼は、どのような学力観・基礎学力観にたち、かつ、相対主義. ム(2Dにちかい線まで引き退ったことを意味する。. の学力観のどこに不備があったと捉えて、問題解決学習が学力低下を招いた.  第三には、基礎学力の充実をふくむ問題解決学習になってきたことである。. と言うのであろうか。. このことについての広岡の見解は、次節において整理する。.  先ず、広岡の学力観・基礎学力観を明確にし、そのうえで、彼が、学力低 下という事実をつきつけることにより問題解決学習の何を批判しようとした.  広岡は、問題解決学習の変化の軌跡を以上のように論述し、問題解決学習. のかを浮きぼりにさせたいと思う。. は、「子どもの生活現実の問題を取り上げて、それを解決する子どもの主体 的な態度・能力を形成しようというのが、当初の出発点であった。この学習. 1.広岡の学力観・基礎学力観の輪郭. は、外からの目的設定の否定、地域的経験への固執、内容的な知識や技術の 軽視、子どもの能動活動の一方的偏重など、要するに主体主義のかたよりの.  広岡の「学力観」を一口で言うならば、「態度」を中核にすえた「三層説」. ゆえに、客観的なものをみずからのなかに矛盾として反定立させ、芽生えざ. に立つ学力観である。即ち、思考態度を中核(内層・上層)に位置づけ、そ. せた。歴史社会的な教育目的、民族的な広い視野、客観的な基本知識および. の外層(下層)に個別的能力(要素的能力)、中層に概括的能力をすえた学. 技術のもんだいが矛盾物として、内部に含まれるようになってきた。(22)」. 力の層的構造の把握である。 「この思考態度(操作態度・感情表現態度を含.  そして、これらの諸矛盾が、時の経過とともに量的なたかまりをもち、遂. めて)を学力の中核に位置づける学力の層的構造の把握はr基礎学力』 (昭. にはその高まりがはちきれんばかりにふくらんで、問題解決学習に質の転化. 和28年)以来、一貫している。(26)」しかし、彼の基礎学力観は、年月の経. をもちきたそうとしている。その質的変化の結果、誕生する学習形態は、「. 過とともに微妙な変化をたどっている。彼は、最初、外層(下層)の個別的. 一27一. 一28一.

(18) よぶのが妥当だと思われる。(28)」 つまり、下層の要素的知識と中層の概.              たいする基礎学力であるとの考え方をしていた。. 括的能力をもって上層の行為的態度の基礎学力とするとの考え方である。因.             それが、1958年(昭和33年)前後から「基礎的な. みに、広岡の言う個別的能力(要素的知識)とは、「個別的な経験の場にお.             態度」の能力をも、 「基礎学力」として内包して 学問  行為的. ける知識技能(29)」のことであり、概括的能力とは、「これらの個別的な諸. 上 層騨中 層璽下 層. 能力(要素的能力)と中層の概括的能力とを内層(上層)に位置する態度に. @態 度. @題.             「態度」重視への傾斜を深めていった。(27).  従って、ここで言う彼の問題解決力とは、戦後の経験主義に立つ人々の目.              以上の論述で、広岡の学力・基礎学力に対する. 指した内容と同義であると考えられ、この時点では、基本的には、まだ経験.   姻(「2i…礎学加1953}   基本的な態度が明らかになったと考える。. 主義の教育の影響を色濃く受けていたと言える。.              さて、本項の論述の意図は、広岡の学力観・基.  しかし、彼が問題にしたがったのは、個別的能力と概括的能力をして基礎.             礎学力観の史的変遷の考察にあるのではなく、問. 学力としたことにみられるように、戦後の新教育が態度重視のあまり、「態.             題解決学習を批判し、 「実践的な系統学習」を提. 度主義ともいうべき欠陥におちいり(31)」客観的知識を軽視する傾向を露わ. 示した時期の広岡の学力観・基礎学力観を明確にすることにある。. に示したことに対してであったと思われる。.  そこで、前述内容と若干重なるが、r学習形態』を世に出した時期の広岡.  この彼の問題意識は、r学習形態』のはしがきに明確に示されている。即. の学力観・基礎学力観について触れることとする。. ち、 「私にとっては、この書は、前著r基礎学力』の発展として、当然に書.  この時期の彼の学力観・基礎学力観を探るうえでの著書にr基礎学力』 (. かなければならない事態にあった。主体的な問題解決学習は、その破れ目か. 金子書房)がある。彼は、この中で「態度」を上層にすえた三層説に立つ学. ら、基礎学力という、客観的知識のもんだいの一端を登場させてきた。基礎. 力論を展開している。この時の三層構造は、A図に見られるように縦列的な. 学力のもんだいは、いわば鉱脈の露出面にすぎない。その鉱脈は、錯綜した. 層的構造となっている。. 深い問題体系から成り立っている。客観的な知識・技術の系統学習という錯.  彼は、この学力の三層構造による捉え方に立ち、基礎学力について次のよ. 綜した問題体系の鉱脈。その露出表面が、基礎学力のもんだいである。私は、. うな見解を示す。即ち、 「問題解決力を広く解するならば、上層一一rp層一下. さきに基礎学力のもんだいを追究しているあいだに、これを据り下げねばな. 層の能力を全部ふくませてもよい。しかし、問題解決力を狭く解するならば. らなくなってきた。(32)」. 上層の行為的態度にこれを限定し、中層一下層の学力は、これを基礎学力と.  この彼の言葉から、彼にとって基礎学力の問題が何を意味するのかを明確. E︳獄L,i■﹂. 経験を概括してなり立つより一般的な理解および技能(3e)」のことである。. 孖⊥ッ心一一一†⋮’    i学 個別的  1力能 力. @解’             捉えるようになり、1964年(昭和39年)頃からは 鼈齒 ¥一一一. 一29一. 一30一.

(19) にっかみ得るわけである。. 的実用の見地からこれに貢献する度合に応じて知識や技術を比重づけた(38)」.  それでは、彼は、何故に、問題解決学習が客観的知識の習得の点において. それ故に、 「知識や技術がもつ体系や系統はあまり考えないことにしよう、. 問題を持つと言うのであろうか。次に、この点についての彼の見解を見てみ. 文化遺産がもつ構造もあまり考えないことにしよう、という考え方が行われ. ることにする。. だ(39) 」という批判である。.  広岡は、以上の基本的な考え方に立ち、「主体的に学びとり、事態を切り 2.問題解決学習における知識体系のかべ. 拓いていく実践力をつけていく問題解決学習は、かなりすぐれたがくしゅう である(4Z)」にもかかわらず、「問題解決の実践的学習は、その裏打ちとな.  広岡は、戦前と戦後の学力観の相違を次のように捉える。つまり、 「戦前. る知識体系の習得の点において、容易ならぬ難関にぶつかり、苦悩の色を露. の学力の考え方は、原則的には、知識と実践とを分裂させて、その体系にし. 呈した(4D」と言う。そして、問題解決学習の10年間の歩みは、正に、実践. たがって習得された知識を学力と考えた。しかし、戦後の教育は、これに挑. と知識のアンバランス、体系的な知識習得の困難さに対する苦悩にもがきつ. 戦して、物ごとにぶつかって創造的に知性をはたらかしながら、これを切り. づけてきた歴史であったと言う。「前半は、半意識的なゆるやかな問題とし. ひらいていく能力を新たな学力である(33)」と。. て、しかし後半は、意識的な厳しい問題として(42)」である。.  広岡は、このような戦後の学力を、「知識と実践がひとつに溶けこんだ、.  このよってきたる要因が、問題解決学習の論理自体のうちにあると考える. 謂ゆる問題解決の学力、相対主義の学力である(34)」と言う。そして、彼は、. 広岡は、その具体的な姿としてコア・カリキュラムの超教科の統合組織をあ. 「内容的にどんなにすぐれた知識であっても、もしそれが実践から切りはな. げ、次のように言う。. れkものであるならば、美しい観物にすぎない(35》」との見解に立ち、知識.  「問題解決の学習は、コア・カリキュラムの超教科の統合組織が、いちば. と実践の統一という契機は大切にしなければならないと言う。. んよくその精神をあらわしていた。ここでは、中心課程の問題解決学習をお.  しかし、その一方で、「相対主義の学力観は、結びつきの一面だけを強調. しすすめていく過程において、それに関係する範囲の読み・書き・計算・描. するのあまり、両者の区別立てを捨て去って、実践と知識をかんたんに混同. く・歌うなどの知識・技能を、それが展開される順序にしたがって学びとっ. してしまった。これは誤りであり、相対主義の学力観がもつ限界である(36)」. ていく学習がおこなわれた。この学習の長所としては、主体的なプロジェク. と批判する。この彼の批判を言葉を換えて言うならば、 「知識や技術を、生. ト能力がついた点と、知識・技術が学習主体との生きk緊張関係で学びとら. 活実践のなかへ解消してしまった(37}」という批判である。つまり、「生活. れて点をあげることができる。しかし、ここで現実に生じた知識・技術にか. 一31一. 一32一.

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