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教材「大蛇・小蛇」考(2)

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(1)Title. 教材「大蛇・小蛇」考(2). Author(s). 佐野, 比呂己. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 59(2): A1-A16. Issue Date. 2009-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/956. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 要. ︵教育科学編︶. 第五十九巻. 第二号. 平成二十一年二月. 佐. 野. 比呂己. 北海道教育大学釧路校国語科教育研究室. 教材﹁大蛇・小蛇﹂考︵2︶. 北海道教育大学紀 要. 概. 北海道教. に続くものである。本箱は. ︵﹃釧路論集﹄第四十号. 平成二十年十一月一−一〇頁︶. 本箱は、﹁教材 ﹁ 大 蛇 ・ 小 蛇 ﹂ 考 ︵ 1 ︶ ﹂. 育大学釧路校. 九. 教材としての. 前偏においては、﹁五. 語句・表現. ﹁大蛇・小蛇﹂. 大意・文章構成﹂まで述べた。本稿は﹁六 語句・. 表現﹂より論じるものである。. 六. 教科書には頭注が施されている。教科書を読む上で、頭注以外にも解説を. 加える必要のある語句もあれば、頭注だけでは説明が不十分なものも見られ. には、字音として ﹁ケフ﹂ ﹁コフ﹂と示されており、慣. ﹁こう﹂とルビが打たれているが、原典では ﹁ごう﹂となって. る。ここにそれらの語句を掲げるとともに、特徴的な表現をあげ、さらに解 説を加える。 ●劫︻九②︼. 教科書では. いる。﹃大湊和辞典﹄. 用音として ﹁ゴフ﹂と示されている。 こうは ﹁劫﹂とは、梵語のka−paの音訳﹁劫波﹂の略の仏語である。きわめて長. い時間。一般に、雑阿含経の説くところに従って、天人が万一由旬︵四十里︶. また、方四十里の城にケシを満たして、百年に一皮、一粒ずつとり去りケシ. 教材 ﹁ 大 蛇 ・ 小 蛇 ﹂. 原典. はなくなっても終わらない長い時間という。なお、劫には小中大の大きさの. の大石を薄衣で百年に一度払い、石は摩滅しても終わらない長い時間といい、. 原典 と 教 科 書 の 異 同. 段階があり、また劫の性質としてそれぞれ二十小劫からなる成・住・壊・空. ﹃燈火節﹄. 大意 ・ 文 章 構 成. で ﹁長い年月を経る。年功を積む。甲羅を経る。劫入る。.■ といった意味がある。. ﹁劫を経る﹂. の四劫があって、循環すると説かれる。. タイ ト ル. 問題. 語句 ・ 表 現. 筆者 ・ 片 山 広 子. 前満と合わせた形 で 、 以 下 の 九 章 構 成 か ら な る 。. 八 七 六 五 四 三 二.

(3) 佐 野 比呂己. ●セント・パトリ ッ ク ︻ 九 ⑨ ︼. 三人九ころ−四六一ころ。アイルランド人の使徒、聖人。ラテン名パトリ キウスPatricius。十六歳のとき奴隷としてアイルランドに連れて来られた. といった表記がなされている。. ﹁大蛇﹂と表記されている箇所は全て、アイルランドの伝説を引いた部分. に見られる。シャノン川を作った大きな蛇を﹁大蛇﹂と表記している。. 蛇について中黒を用い、並列的に記されている。﹁大きい蛇﹂と. と. イルランドに渡り、翌年司教に叙階された。各地でドルイド教徒の妨害を排. を全く別のものとしてとらえている。原典においても同様に﹁大きい蛇小さ. ﹁大きい蛇・小さい蛇・中蛇・おろちの類まで﹂ ︻一〇①︼. 除し、教会堂を建立し、四四四年にはアルマ一に司教座聖堂を設け、教会行. い蛇、中蛇、おろちの類まで﹂と読点が用いられており、並列的に記されて. 教科書では. 政と教育の中心とした。ラテン語の学習をはじめとして学問一般を奨励し、. いる。﹁大きい蛇﹂というのは、単にその大きさを示している。﹁大きい悪い. が、六年後ガリアに逃れ、レランの修道院で修行したのち、四三一年再びア. アイルランド教会を西欧カトリック教会の一員として再編するために努力し. ﹁おろち﹂. た。生前からすでに多くの伝説や奇跡物語に彩られたその生涯を正確に知る. 蛇﹂︻一一⑯︼という記述も見られることからもそのことは明らかである。﹁お やまた の他に、教科書には ﹁八岐のおろち﹂ ︻一 ろち﹂については、﹁おろちの類﹂. ﹃告白﹄と書簡だけであるが、死後﹃アイルランドの守護聖人﹄とし. 資料は. きい蛇﹂. へび﹂﹁だいじゃ﹂. ︻一一①︼と表現するように、単なる﹁大. ﹁おろち﹂といった訓じ方が考えられる。. ていることに注目したい。﹁大蛇﹂をどう訓じるかという問題である。﹁おお. いて相違は確認できるが、アイルランドの伝説と同様に﹁大蛇﹂と表記され. この箇所は、原典では. ではなく巨大な蛇のことを﹁おろち﹂と称している。 やまたおろち ﹁八岐の大蛇﹂と表記されている。ルビの有無にお. ろう。一方で、﹁そうとうの長さ﹂. の用例が見られる。読み手はそこから﹁霊威﹂ある蛇を推測するであ. 〇⑮︼. ﹁聖パトリックの祝日﹂となって. て特別の尊崇を集めるようになった。一九〇三年からアイルランドにおいて 彼の命日である三月十七日は偉業を称える いる。 ●聖者︻九⑩︼. 修行を積んだ信仰者。聖人。特に、キリスト教で、偉大な殉教者や信徒の 尊称。聖徒。 広子は、セント・パトリックを﹁聖者﹂と尊称し、敬っている。. かりで住む人は少なく、いたるところに蛇がのさばって、大きい蛇・小さ. へび﹂と訓じて間違いないだろう。本文においては、教科書のみならず原典. び小へび﹂となっている。このことから、タイトルについては﹁おおへびこ. 教科書ではタイトルを﹁大蛇・小蛇﹂と表記しているが、原典では﹁大へ. い蛇・中蛇・おろちの類までこの国をすみかにしていた。︻九⑪−一〇②︼. においても﹁大蛇﹂と表記している。原典においてタイトルと本文の表記と. ●キリスト紀元五世紀ごろのこと、波に囲まれた島国は森と山と野原と沼ば. 森と山と野原と沼に囲まれた島国であるというアイルランドと日本の類似. の訓じ方であるが、特定するのは難しい。原典において. の相違について、どのように解釈するかについては、﹁タイトル﹂ の項にお. ﹁大蛇﹂. ﹁おろち﹂といった訓じ方が適当であると思われる。﹁だ. いじゃ﹂という訓じ方が適当であるならば、それと対となる﹁小蛇﹂︻一三⑨︼. いから﹁だいじゃ﹂. は霊威、霊 タイトルを﹁大へび小へび﹂としていることから推測するならば、表記の違. 本文中の. 点が確認できよう。アイルランドではセントパトリックは全ての蛇を駆逐し、. ﹁ち﹂. いて詳細に論じることとする。. ︹大蛇︺. の. 日本では素箋鳴尊が八岐のおろちを退治するのである。 ●おろち〓○①︼. 非常に大きなへび。だいじゃ。うわばみ。﹁おろち﹂ 威あるものの意である。. 大きい蛇について、教科書では﹁大蛇﹂﹁大きい蛇﹂﹁おろち﹂﹁大きな蛇﹂.

(4) 教材「大蛇・小蛇」考(2). ︻一四⑪︼. ︻一四⑫︼も﹁しょうじゃ﹂という訓じ方になるであろう。一方、. 西洋の竜は四肢を持つトカゲ型と、一対の翼および一対の肢を持つ鳥型に. のものもある。大きさは一定せず、空を飛ぶと大竜巻が起きるほど巨大なも. 分けられるが、両者を混同した四肢二翼型や東洋の竜から影響を受けた形態. はシャノン川を作るほどの巨大な蛇であり、﹁八岐の大蛇﹂も前述の通り巨. のから、イヌ程度のものまでさまざまである。その力は強く、ワシのような. ﹁おろち﹂という訓じ方も考えられる。アイルランドの伝説に残る﹁大蛇﹂. 大な蛇である。ただし、﹁八岐の大蛇﹂はルビが附されているのに対し、﹁八. 鈎爪と鋭い毒牙を備える。. ●セント・ジョージ〓○⑩︼. 口をあけて罪人の魂を飲みこむ竜の姿になっている例が多い。. の王冠を持つ巨大な竜が出てくる。中世の宗教画に頻出する地獄の口も、大. サタンとも同一視された。﹃ヨハネの黙示録﹄ には七つの頭、十の角、七つ. 退治をはじめ、聖人に殺される竜はみな︵悪︶ の象徴である。このため竜は. なように、荒ぶる者、邪悪なる者のシンボルとなった。大夫便ミカエルの竜. キリスト教伝説に取り入れられた竜は、セント・ジョージの物語にも明白. 岐の大蛇﹂登場以前にこの文章に登場するアイルランドの伝説に残る﹁大蛇﹂. ︹筆︺. にはルビが附されていない。﹁おろち﹂という訓じ方は自然ではない。 ●ともがら〓○⑥ ︼. 〓○⑨︼. 同じような人々。ある一定の種類に属する人々を、その集団として表現す る語。なかま。同類。 ●キリスト教と蛇 は 仲 が よ く な い. インドでは蛇のことを﹁ナーガ﹂と呼び、釈迦は﹁ナーガの末裔﹂と呼ば れる。仏陀が悟りを開いたときにそばにいて傘になったのはナーガである。. 三∼四世紀ごろのカッパドキアの伝説的聖人。ローマ帝国の軍人で、偶像. 崇拝を拒否したため、さまざまな拷問の末、殉教。馬で東方を旅行中、その. スでは十三世紀に国の守護聖人とされ、多くの教会ができた。またガーター. 聖人とされ、ドイツでは十一世紀にバンベルクで教会が捧げられた。イギリ. た騎士団が多数生まれた。イタリアではジェノバ、ベネチアなどで町の守護. くとどまったが、十二世紀までに西欧にも入った。十字軍以後、彼の名をとっ. 徴と考えられた。その崇敬は東方で生まれ、パレスティナ、コプトなどに長. て、竜は異教を、王女はキリスト教会を意味し、彼は悪に打ち勝つ正義の象. より槍と剣で竜を倒し王女を救ったという伝説がある。キリスト教徒にとっ. であり、蛇は呪われた動物 地の王女が悪竜への犠牲に選ばれ、水辺につながれているのを発見し、馬上. エジプトでも蛇やコブラは神であって悪魔ではない。中国でも蛇や竜は縁起. で最初に出てくる動物は、﹁蛇﹂. の良い生物で、竜は神として扱われている。 ﹁旧約聖書﹂. のヘビが描かれているほど. であり﹁狭滑さのシンボル﹂として聖書の中で一貫している。西洋美術では サタンとして、初期キリスト教時代、﹁創世記﹂. 〓○ ⑩ ︼. 徹底的に憎むのである。 ●ドラゴン. ヨーロッパでの空想上の怪獣。ふつう、翼・たてがみ・つめを持った巨大 な爬虫類で、火を吐くとされる。飛龍。龍。 西洋では竜をドラゴンdra習nと呼ぶが、これはヘビを意味するギリシア. TFeOrderOfSaintGeOr鷲とも呼ばれる。騎士、射手、農民、武具製造人、. 勲章. の意︶. 馬などの守護聖人としても広く愛された。美術作品では一般に、長めの髪を. ︵ゲオルギウス︶. の伝承において、竜は地中、洞窟、水中などに潜み、そこに隠された宝物を. もつ若く美しい騎士として表され、しばしば甲胃に身をかため、白馬に乗り、. 語drak告・に由来する。しかもこのギリシア語はderkestFai︵﹁にらみつけ勲 る﹂ 章は、イギリスの守護聖人の名を付してジョージ. 護る。口から火を吐き、体に流れる血も炎でできているため、つねに体を冷. 足元に竜が表される。持物は、折れた槍、抜いた剣、十字の文様のついた楯、. と近縁の語とされ、ヘビ一般の凝視行動との関連が予想される。多く. やさなければならず、大量の水を飲む。.

(5) 佐 野 比呂己. 員洗礼を受けなさい。そうすれば、私はこの竜を打ち殺してあげよう。﹂す. ると、王が洗礼を受け、王とともに全ての国民が洗礼を受けた。セント・. 天使がもたらしたと伝説で語られる白地に赤十字の旗︵イングランドの旗は これに由来︶. ジョージは剣を抜き、竜を打ち殺した。. などである。イタリア・ルネサンスの美術家たちが画題として. 好み、当時の美術 に 多 く の 作 例 が あ る 。 祝 日 は 四 月 二 十 三 日 。. この日、二万人が洗礼を受けた。王は、聖母マリアとセント・ジョージを. 称えて、美しい教会を建てさせた。祭壇の上から命の水が湧き出て、この泉. ものを汚染し、多くの人を殺した。竜の怒りを和らげるために、人々は、毎. リエビアの町シレナの近くの湖に、毒竜が棲んでいた。その毒気で全ての. るように勧めた。﹁教会を保護し、司祭を敬い、熱心にミサを聞き、貧しい人々. 分け与えてもらった。その後で、彼は主に良き教えを施し、四つのことを守. 宝の申し出を受けるが、彼はそれを受け取ろうとせず、それを貧しい人々に. にセント・ジョージの前述の東方での竜退治の物. ヤコブス・デ・ウォラネギによって一二四五年から一二七三年に編まれた 聖人伝の選集﹃黄 金 伝 説 ﹄. 日二頭の羊を与えていた。羊の数が少なくなると、羊一頭と人間一人を与え. のことを忘れないように。﹂と。それから彼は主に接吻して、馬で去っていっ. は、それを飲んだ全ての病人を癒した。セント・ジョージは王から莫大な財. た。やがてほとんど全ての息子や娘が生贅にされてしまい、畿は王の娘にあ. た。. 語が記されている 。. たった。王は娘を守るために、彼の宝と王国の半分を与えると言った。しか. ●門違い. 〓○⑪︼. し、子どもを全て失った国民は、彼女のために国を潰すことを許さなかった。. めざす方向や相手、また、物事の判断をまちがえること。見当違い。おか どちがい。. 八日間、王は娘の不幸を嘆いた。国民の要求で彼女を犠牲にする。とうとう 彼女は竜の棲む湖に出かけていった。そのとき、セント・ジョージが馬に乗っ. ●フェアリー〓○⑱︼. 西洋で信じられている超自然的存在、精霊。英語のフェアリーという語は. てやってきて、なぜ彼女が泣いているのかを尋ねた。彼女は彼に毒竜の話を 聞かせる。. 彼は力の限り長槍を投げて、神に委ねた。槍は竜に命中し、竜は大地に崩れ. 彼は馬に飛び乗り、十字を切って、彼に襲ってくる竜に向かって馬を進める。. 叫んだ。﹁あなたは逃げて下さい。できる限り早く逃げて下さい。﹂しかし、. 用い、そこに住み、不思議な力を有するものの意ともなった。一説にはペル. 王﹄. に入り、さまざまな形を経てfairyに定着した。E・スペンサーが﹃神仙女. 魅惑する︶. ︵魔法にかける、. 去った。すると、彼は彼女に向かって言った。﹁あなたの帯を取って、それ. シア語のperiから由来したともいわれる。現在では超自然の生き物を代表. ラテン語fatum ︵運命︶ より派生。ラテン語動詞fatare. をこの竜の首につけなさい。何も恐れることはない。﹂彼女がそうすると、. 的に総括する語となり、アングロ・サクソンやスカンジナビアのエルフ、ハ. そこに竜は頭を高く湖からもたげて姿を現した。彼女は恐ろしさで震えて. 竜は飼い慣らされた子犬のように、彼女の後についてきた。彼女が竜を町に. イランド地方のデーネ・シー、アイルランドのトウアハ・デ・ダナーン、. より中世フランス語faerが生成し、さらにf紆rieとなって英語. 連れていくと、人々は驚いて、山の上や洞穴に逃げて、こう言った。﹁ああ、. ウェールズのテイルウィス:アグなどもこの範時に入る。. で、当時の人々の妖精に対する考えを次のように記録している。妖精は知的. 十七世紀のパースシャーの牧師R・カークは著書﹃見えざる国﹄︵一六九一︶. ︵一五九〇−九六、未完︶ で初めてfairyを想像の国を指すものとして. これで我々はみんな終わりだ。﹂その時、セント・ジョージは彼らに合図し て言った。﹁恐れてはいけない。神様があなたたちをこの竜から救うために、. 私をあなたたちのもとへ遣わしたのです。ですから、キリスト教を信じ、全.

(6) 教材「大蛇・小蛇」考(2). 服装、すなわちスコットランドではタータンチェック、アイルランドではリ. を自由に変えられる。外見は概して人間に類似しており、各国各地方特有の. 三歳児ほどの背丈のもの、ケシ粒やアリぐらいのもの等さまざまで、大きさ. スムギ、ミルク、肉などの実質を盗むといわれる。身体の大きさは成人から. 希薄で乾燥した体のため、食物のエッセンスをとるだけで十分であり、カラ. ある。体を動かす精神の作用を受けやすく、出没自在で液体を吸収しやすい. に優れ、軽く形の変えられる体からできており、凝縮した雲のような存在で. 見えると信じられている。. か妖精は見えないが、アイルランドでは四つ葉のクローバーを頭に乗せれば. 打ち付けて置けば妖精の復讐を防げると信じられている。まばたきの間にし. 聖水、聖書、塩水、魚や抽の腐った水、人間の汚水といわれ、戸口に馬蹄を. みに抜けば災害があると信じられている。妖精の忌み嫌うものは、鉄、鶏、. ク、トネリコ、イバラは不思議な力を持つ木で妖精と深い関係があり、むや. コ、ハンノキ、ニレノキ、サンザシ等においの良い花を付ける木、またオー. や黒い網のガウンを着、ジギタリスの帽子をかぶるともいわれ、これらの服. るときや水中にもぐるときには赤や青、自の帽子をかぶるとか、光る白い服. ロウの羽根を付けている﹂. れるほど善くもないが、救われぬほど悪くもない堕天使﹂ であり、あるいは. ツはさらに古代アイルランドの. なり、妖精の男は紆r・SidFe、女はbeaロ・SidFeで、妖精族はsidFe&。イェー. 丘や塚を意味する語と同じで、妖精の出没する場所の意から妖精そのものと. W・B・イェーツによればアイルランド語で妖精はsidFeといい、小高い. 装は総じて木の葉やクモの巣、鳥の羽、木の実等自然の保護色を帯びたもの. 古代の巨人神族トウアハ・デ・ダナーンがもはや崇拝もされず供物も捧げら. ンネルのチョッキを着ているが、﹁緑の上着をきて赤い三角帽子に白いフク. が多い。性質はいたずら好きで怒りつぼく気まぐれで楽天的で、人間に対し. れなくなり、しだいに小さくなって妖精となり、ミレシア族に追われて海の. のが一般的な服装になっている。ある者は飛行す. 善には善、悪には悪をもって報いる。月夜の草原で真夜中、食べたり歌った. かなたに逃れ﹁常若の国﹂. や地下の国にも隠れ住むようになったという言い. ﹃アーマハの書﹄を引いて、妖精とは﹁救わ. り踊ったりの祭りが好きで、踊った後の草の上にできる輪の跡を﹁妖精の輪﹂. 杯のミルクを窓辺に置かぬと青あざになるほどつねるし、妖精にとって神聖. 皿洗い、醸造、麦刈り、脱穀等の台所や畑仕事の手伝いをするが、御礼に一. 織り仕事といわれる。馬に化け背中に乗せた旅人を沼に落としてだましたり、. し、個性が強い妖精たち。例えばバンシー、レプラコーン、プーカ、ガンコ. はmerrOW。㈲一人で暮らす妖精たちで、たった一人で群れから離れて生活. 群れをなして暮らす妖精たちで、陸にいるものはsidFeOg、水中にいるもの. 伽群れをなす妖精。人間の男や女と同じように家族、社会、国家を形成し、. 伝えを記している。イェーツはこの妖精種族を次のように二大別している。 fairyringといい、夜明けの草の葉末の光る薄いクモの糸は妖精の夜なべの. なイバラを抜いたりすると怒って失を射かける。お産の手伝いに人間の産婆. ナー、ファー・デアルグ、ラナンシー等。 せんにょ. フエヤリィ. を連れて行くが、すみかを見られぬように産婆の目に塗り薬をつけるといわ. しわくちゃの小人の赤ん坊の取替子を置いてゆく。ときおり自分たちの血統. のであると考える。もしくは、教科書頭注にも﹁妖精﹂ の語を解説に入れた. れている。原典の表記の方が学習者にとって本文を読む上で理解しやすいも. 教科書頭注には﹁fairy=小仙女﹂とあるが、原典では﹁妖精﹂と表記さ. を良いものにするために、人間の娘をさらって花嫁にすることがある。丘の. 方が適切ではなかろうか。. れる。産んだ子どもが醜ければ美しい人間の子の代りに丸太や三百年たった. 緑の斜面で妖精たちが売り買いしているのが見え、近づくと押されたり突き. に素箋鳴尊の八岐のおろち退治の記述がこ. ●素量鳴尊が奇稲田姫を八岐のおろちから救った話〓○⑮︼ ﹃日本書紀﹄神代上 ︹第八段︺. のけられたりするのを感じるが、何も見えず、これは妖精の市であるといわ れる。妖精の好む木はリンゴ、ハシバミ等実のなる木、ナナカマド、ニワト.

(7) ㉜ ᐵ ᐵ.

(8) 教材「大蛇・小蛇」考(2). は人作り、夜は神作る。故、大坂山の石を運びて造る。則ち山より墓. 継ぎ登れる. 石群を. 手逓伝に越さば. 越しかてむかも. に至るまで人民相踵ぎて手逓伝にして運ぶ。時人、歌して日く、. 大坂に といふ。 ●仁徳天皇の御代、北方の蝦夷らがそむいた時、上野の勇将田道を大将とし て征伐させたが ⋮ ⋮ 〓 一 ⑦ ︼ の記述がこ. ﹃燈火節﹄ 述がある。. には、﹁仙台にいた娘﹂を訪ねることについて、次のような記. 東京に生れて東京にそだち東京で緑づいたFが、はじめて仙台に住. むことになつたのは昭和十六年の夏であつた。Fの夫が商工省から仙. 台の鉱山局に転じて行ったのである。そとに出ることをひどく面倒が. る私も、私としては気がるによばれて仙台の家にいく度か泊りに行っ. た。十六年と十七年の二度の秋、それから十人年の春と、そのたびに. 十日位づつは泊つてゐたから、つまり三十日間なじみの仙台である。. ︵五十五年−五十八年五月︶. の事項に該当する。五十五年、蝦夷が反逆する田道が征討に当たり、戦死す. わかい時からまるで旅行の味を知らずに、︵中略︶. ﹃日本書紀﹄ 巻 第 十 一 仁 徳 天 皇. る。従者が未亡人に田道の手纏を渡すと、それを抱いて自殺する。後にまた. の私がはるばる仙台まで出かけて行ったのは、先きが自分の娘の家で. 0. 広子が田道の墓を見たのは、昭和十七年 ︵一九四二︶ 十月のことである。. みなれた﹁みちのく﹂といふ名にあこがれてゐたからであろ、も. あるだけでなく、若い時分から歌の方で万葉でも古今でもむやみと読. 珍しい引込み思案. 蝦夷が叛いて、田 道 の 墓 を あ ば く と 、 大 蛇 が 出 て き て 敵 討 ち を す る 。. 五十五年に、蝦夷、叛く。田道を遺して撃たしむ。則ち蝦夷の為に 放られて、伊寺水門に死る。時に従者有り。田道の手纏を取得て、其 の妻に与ふ。乃ち手纏を抱きて綻死ぬ。時人、聞きて流沸ぶ。是の後. た。電車の窓から桧島の海つづきの青い波をながめて昨年の事を思ひ. それから二三目して、こんどは少し遠く、石の巻まで行くことにし. 有りて、目を発瞑して墓より出でて咋ふ。蝦夷、悉に蛇毒を被りて、. 出した。﹁手樽﹂といふ小さい駅を過ぎて、駅の人が ﹁テダル﹂と呼. に、蝦夷亦襲ひて、人民を略む。因りて、田道が墓を掘る。則ち大蛇. 多に死亡に、唯一二人免るること得しのみ。故、時人の云はく、﹁田道、. んでるのを私は手垂といふやうに考へちがへて面白い名だと思つた. 下野の勇将田道が朝廷の命を受けて閲つたが、敵は強く田道は戦死し. る。蛇田といふところはむかし戎夷が叛いてこの土地に攻め入つた時、. が、手を垂れるのでなく手の樽であつた。どちらにしても好い名であ. 既に亡せたりと錐も、遂に髄を報ゆ。何ぞ死人の無からむや﹂といふ。. 五十八年夏五月に、荒陵の松林の南の道に当りて、忽に両の歴木生 ひ、路を挟みて末合へ‰ ●手纏〓一⑧︼. てしまつた、それをこの土地に葬つた。あとでもう一度戎夷の兵が石. の巻に攻め入つて田道の墓を掘りかへした時に、墓の中から大蛇がい. 手に巻くものの意。上代の装身具。玉・貝・鈴などを紐で貫き、皆のあた りに巻いて装飾と し た も の 。 釧 。. て、この辺が蛇田と呼ばれるやうになつた。ただの田囲とすこしも変. くつもいくつも出て来て敵兵を無敵に暁み殺したといふ伝説があつ. ﹁仙ムUにいた娘﹂とは長女繚子のことを指す。繚子は結婚前には﹁宗瑛﹂. りはない、その蛇田の向うの松原に田道の石碑が立つてゐる。電車の. ●仙台にいた娘を尋ねて、松島から石巻に遊びに行った時〓一⑮︼. というペンネームで、﹁狐﹂﹁空に遊ぶ獣の子ら﹂﹁無為﹂﹁プロテウスの倒影﹂. 中から礼をした。. をはり悲しく田道将軍が眠りいます蛇田よけふは秋の日のなか. などの短編を残している。結婚相手は山田秀三。当時、仙台鉱山監督局長で あった。.

(9) 佐 野 比呂己. ●人間がだんだんふえて世の中がにぎやかになると、歴史の表には蛇が出な. くなったようだ〓二②︼ ﹁後世になってアイルランドの伝説には蛇でなくフェアリーが出てくるよ. ︻一〇⑬︼. のアイルランドの伝説についての記述と呼応している。. うになり、お話はだんだん殺伐でなくなった。人間もふえて強くなったので あろう。﹂ 日本から遠く離れたアイルランドにおいても、蛇の話については同じ傾向を 持つことは興味深い。. はひ出て、則死にけり。いとふしきにそ侍る。. 上古もかゝることをきかす、末代にもあるへしとも覚侍らぬ事に侍り。. 雅忠、晴明、行尊、時の面目ゆゝしくそ侍りける。今世の下りて、かゝ. 二九五. る目出人︿もをはせぬこそ、世を背ける事なれとも、かなしくおほ えて侍れ。. ㈲﹃古今著聞集﹄巻第七術道第九. ﹁陰陽師晴明、早瓜に毒気あるを占ふ事﹂. 武士義家朝臣︵時代不審成︶ 参籠して侍りけるに、五月一日、南都よ. 御堂関白殿御物忌に、解脱寺の僧正観修・陰陽師晴明・医師忠明・. てみごとなうりをささげてきた⋮⋮〓二②︼. り早瓜を奉りたりけるに、﹁御物忌の中に取り入れられん辛いかがあ. ●藤原道長が栄華の絶頂にいた時分のこと、大和の国からごきげん伺いとし. 次の二つの話がこの事項に該当する。. とてかゝみ給にかと間給に、是はおさなくてゑんより落てうち折て侍. 会給けるに、空也聖人の左の御手のかゝめりけるを、僧正、それは何. さても、平等院僧正の目驚きて人中侍りけるは、空也上人と内にて参. すべきよし仰せられければ、瓜をとりまはしとりまはし見て、二とこ. しばし念謂の間に、その瓜はたらき動きけり。その時、忠明に毒気治. 毒気あらはれ侍るべし﹂と申しければ、僧正に仰せて加持せらるるに、. の瓜に毒気候ふよしを申して、一つをとり出したり。﹁加持せられば、. るべき﹂とて、晴明にうらなはせられければ、晴明うらなひて、一つ. りと宣給ふ。さらは祈直してまいらせはや、いかにと宣給に、さも侍. ろに針をたててけり。その後、瓜はたらかずなりにけり。義家に仰せ. 〓〇四︶. らは、然へきことにこそと侍れは、さらはとて、不空屈索の神呪をみ. て瓜をわらせられければ、腰刀をぬきてわりたれば、中に小蛇わだか. その二︺. て給ふ事、三反いまたおはらさるに、手の亀みなをり給にけり。法験. まりてありけり。針は蛇の左右の限に立ちたりけり。義家なにとなく. 歌. も貴く、僧正も貴くそ覚給ふ。. 中をわると見えつれども、蛇の頸を切りたりけり。名を得たる人々の. ︹行尊. しかのみならす、一条院の御位のとき、大和より瓜をまいらせて侍け. 振舞かくのごとし。ゆゆしかりける事なり。この事いづれの日記に見. 川﹃撰集抄﹄巻八第二九. るに、雅忠と云医師のおりふし御前にさふらひけるか、此瓜の中に、. えたりと云ふ事知らねども、あまねく申し伝えて侍り。. ●北条時政が江の島の岩屋に参籠した満願の夜︻〓一⑫︼. 進上する物品。おくりもの。おつかいもの。. ●進物〓二④︼. その一には大なる毒を含めり。くいなんものは、やかてうすへしと申。 此よし御門に奏し奉るに、不恩義のことなり。晴明申旨やある。彼を めせとて、清明と云陰陽師をめされて、此瓜の中にいかなる辛かある。 うらない申せと仰下さるゝに、晴明程なく、大なる霊気ありと奏すれ. 時己に浜季に及で、武家天下の権を執る事、源平両家の間に落て度々. ﹃太平記﹄巻第五﹁時政参二籠榎島一事﹂に次のような記述が見られる。. かへす、おほくの瓜の中に大なる瓜一、板敷より二三尺計をとりあか. に及べり。然ども天道は必盈を願故に、或は一代にして滅び、或は一. は、さらは行尊に祈らせよとてめされて、神呪にて祈給に、やゝ時も. ること度々にて、はては中より二にわれて、一尺あまりなる蛇一すち.

(10) 教材「大蛇・小蛇」考(2). 世をも不レ待して失ぬ。今相撲入道の一家天下を保事己に九代に及ぶ。. 此専有レ故。昔鎌倉草創の始、北条四郎時政榎島に参寵して、子孫の. ●古い昔の蛇たちは同じ蛇族の中の英雄であったと思われる〓三②︼. ﹁英雄﹂ であるとはいい難いが、蛇の側か. ここまで取り上げてきた﹁歴史に出た表向きの蛇たちのさっそうとした行 は、人間にとって. 動﹂. ︻一三①︼. 繁昌を祈けり。三七日に当りける夜、赤き袴に柳真の衣着たる女房の、. らみると. であるといえる。. 端厳美麗なるが、忽然として時政が前に来て告て日、汝が前生は箱根. ●イヴが見た蛇〓三③︼. ﹁英雄﹂. 法師也。六十六部の法華経を書写して、六十六箇国の霊地に、奉納し. を過て、一天下を保けるも、榎島の弁才天の御利生、又は過去の善因. の上へ、大法師時政と書たるこそ不思議なれ。されば今相撲入道七代. 法華経奉納の所を見せけるに、俗名の時政を法師の名に替て、奉納筒. 形の紋是也。其後弁才天の御示現に任て、国々の霊地へ人を遺して、. 願成就しぬと喜て、則彼鱗を取て、旗の紋にぞ押たりける。今の三鱗. 成て、海中に入にけり。其跡を見に、大なる鱗を三つ落せり。時政所. 其姿をみれば、さしも厳しかりつる女房、忽に伏長二十丈計の大蛇と. 吾所レ言不審あらば、国々に納し所の霊地を見よと、云捨て帰給ふ。. 主と成て、栄花に可レ誇。但其挙動違所あらば、七代を不レ可レ過。. こで女はその樹を見ると、成程それは食べるのによさそうで、見る限. 善でも悪でも一切が分るようになるのを御存知なだけのことさ﹂。そ. 神様は君達がそれを食べると、君たちの限が開け、神のようになり、. ました﹂。すると蛇が女に言うには、﹁君達が死ぬことは絶対にないよ。. それに触れてもいけない、お前達が死に至らない為だ、とおっしゃい. 央にある樹の実について神様は、それをお前たち食べてはいけない、. は蛇に答えた、﹁園の樹の実は食べてもよろしいのです。ただ園の中. 樹からも食べてはいけないと言われたというが本当かね﹂。そこで女. 滑であった。蛇が女に向かって言った、﹁神様が君たちは園のどんな. 第三章 さてヤハウェ神がお造りになった野の獣の中で蛇が一番狭. ﹃旧約聖書﹄創世記の堕罪の記述がこの事項に該当する。. に感じてげる故也。今の高時禅門、己に七代を過九代に及べり。され. を誘い、智慧を増す為に如何にも好ましいので、とうとうその実を取っ. たりし善根に依て、再び此土に生る事を得たり。去ば子孫永く日本の. ば可レ亡時刻到来して、斯る不思議の振舞をもせられける欺とぞ覚け. て食べた。そして一緒にいた夫にも与えたので彼も食べてしまった。. 無花果樹の葉を綴り合わせて、前垂を作ったのである。. するとたちまち二人の眠が開かれて、自分たちが裸であることが分り、. る。. 北条氏家紋・三鱗の由来としても有名な話である。江の島の岩屋に参寵し た時政の前に現れた端厳美麗なる女房が、時政の善行により北条氏が繁栄す. 夕方の風が吹く頃、彼らは園の中を散歩して居られるヤハウェ神の. 足音を聞いた。そこで人とその妻とはヤハウェ神の顔を避けて園の樹. ることを予言する。二十丈くらいの大蛇となった女房は鱗を三枚落とす。そ れが北条氏の家紋 ・ 三 鱗 に な っ た と い う 。. の間に隠れたのであった。ヤハウェ神はその人に呼びかけて言われた、. 〓二⑱ ︼. に知らせたのだ。わたしがそれを食べてはいけないと命じて置いた樹. す﹂。ヤハウェ神が言われるのに、﹁誰が一体君が裸だということを君. 恐ろしくなりました。わたしは裸だからです。それで身を隠したので. ﹁君は何処にいるのだ﹂。彼は答えた、﹁貴神の足音を園の中で聞いて. ●参籠〓二⑫︼. ●女性. 神社や仏閣などに参り、一定の期間昼夜こもって祈願すること。おこもり。 にょしょう. ﹁にょ﹂﹁しょう﹂はそれぞれ﹁女﹂﹁性﹂の呉音。女として生まれたもの。 おんな。じよせい 。 に ょ せ い 。.

(11) 佐 野 比呂己. さてその人は彼の妻の名をエバと名づけた。というのは彼女は総て. 君は塵だから塵に帰るのだ﹂。. なったあの女が樹から取ってくれたのでわたしは食べたのです﹂。そ. の生けるものの母となったからである。ヤハウェ神は人とその妻のた. から君は食べたのか﹂。人は答えた、﹁あなたがわたしの側にお与えに. こでヤハウェ神は女に言われる。﹁君は一体何ということをしたのだ﹂。. めに皮の着物を造って彼らに着せて下さった。. 取って食べて永久に生きるようになるかもしれない﹂。. うに善も悪も知るようになった。今度は手を伸ばして生命の樹から. さてヤハウェ神が言われるのに、﹁御覧、人は我々の一人と同じよ. 女は、﹁蛇がわたしをだましたのです。それでわたしは食べたのです﹂。 と答える 。 ヤ ハ ウ ェ 神 は 蛇 に 向 か っ て 言 わ れ た 、 ﹁お 前 は こ ん な こ と を し た か ら に は 、 他の 総 て の 家 畜 や 野 の 獣 よ り も 呪 わ れ る 。. 取られたその土を耕すようになったのである。神は人を追い払い、エ. ヤハウェ神は彼をエデンの園から追い出した。こうして人は自分が. 地の 塵 を 食 わ ね ば な ら な い 。. デンの園の東にケルビムと自転する剣の炎とを置き、生命の樹への道. お前 は 一 生 の 間 腹 ば い に な っ て 歩 き 、. わた し は お 前 と 女 の 間 、. を看守らせることになった。 ︹賢︺. ︵盛︶﹂と同語源か。知徳が衆にぬきんでて優れている。なまい きな才知、分別があって、すきがない。. ﹁さかし. ●さかし〓三⑦︼. お前 の 子 孫 と 女 の 子 孫 の 間 に 敵 対 関 係 を 置 く 。 彼は お 前 の 頭 を 踏 み 砕 き 、 お前 は 彼 の 踵 に 食 い 下 る ■ 。 更に女 に 言 わ れ た 。. ●かなりすばらしい、生意気な女であったようで、それがわれわれ女性みん なの先祖であった。〓三⑱︼. ﹁わ た し は 君 の 妊 娠 の 苦 痛 を 大 い に 増 し 加 え る 。 君は 子 を 産 む と き 苦 し ま ね ば な ら な い 。. イヴが、実際の蛇ではなく頭の中の蛇と問答したと仮定しての話である。. し、神の禁じた木の実を食べるという不謹慎なこともしなかったことであろ. 常識的に行動することを考えれば、頭に蛇を描くようなこともなかったろう. しか も 君 は 夫 を 慕 い 、 彼は 君 の 支 配 者 だ ﹂ 。. 更にその人に言われた、﹁君が妻の言う声に聞き従い、わたしが食. そこ か ら 君 は 一 生 の 間 労 し っ つ 食 を 獲 ね ば な ら な い 。. 君の 為 に 土 地 は 呪 わ れ る 、. 意志により自分で決心し行動に移したイヴは全ての女性の先祖にあたり、本. れがちであるし、戦前においてはその傾向が強かったことであろう。自分の. している。女性は、現実世界に生き、強いものに対し従順であるように思わ. う。しかし、このような﹁生意気な女﹂を広子は﹁かなりすばらしい﹂と評. 土地 は 君 の 為 に 荊 と 潅 木 を 生 じ 、. 来はそうではないことを主張しているのではないだろうか。. べてはい け な い と 命 じ て 置 い た 樹 か ら 取 っ て 食 べ た か ら 、. 君は 野 の 草 を 食 せ ね ば な ら な い 。. ●遠い国の蛇や、古い古い蛇はさておき、私の家の蛇を思い出すと〓三⑮︼. の話. であったり、日本の古典にあらわれたものであったり、旧約聖書の話であっ. ここまで取り上げてきた蛇の話題は、アイルランドという﹁遠い国﹂. 君は 顔 に 汗 し て パ ン を 食 い 、 遂に 土 に 帰 る で あ ろ う 、 君は そ こ か ら 取 ら れ た の だ か ら 。. 10.

(12) 教材「大蛇・小蛇」考(2). たりする ︻一三⑮︼. ﹁古い古い﹂ものであった。ここからは、﹁今はもうかなりの過去 の. たので、まだ式が済み切らないうちに単に乗つて飛び出して最う一遍. 彼の妻の墓へ来た。垣の外からそうつと見ると、やつぱり其処にゐた。. 前の通りの姿で、そして首を上げて彼を見た。どうしてもさうだと彼. かもしないが﹁古い古い﹂話ではなく、﹁私の家の蛇﹂. になる﹂ 身近な話を取り上げようと話題を転換している。. は信じてしまつた。薮へ帰るかと思つたが、中々動かない、彼は暫時. 三月十四日、広子の夫・片山貞次郎が亡くなる。葬. ね。]. て何だつていゝ、其処へ来てくれたと感じさへすればいゝんです. ﹁いゝことね、あたしの処へは蛇も来やしない。蛇だつて、鵜だつ. 心で私は彼の顔を見た。. いません。﹂と彼ははつきり答へた。痛ましさと羨ましさとに充ちた. ゐでございましたから、その長いあひだ只の蛇が其処にをる筈はござ. ﹁いえ、しかし、朝見ました時が十時五十分で、夕方が四時半くら. 筈はないでせう、それはやつばし只の蛇よ。﹂と私は云つたが、. ﹁そんな一生懸命に亡くなつた人の事を考へてゐるのに、蛇になる. きをして此話をきかせた。. 彼は極くゆつくりとそして熱心にちやうど蛇を見てゐるやうな限つ. 立つてゐて、待ちながらも自分の愛と信を墓に誓つた。︵中略︶. ●あれはうちの主 な の ね と 、 私 は 奇 妙 な 気 持 に な っ た 。 〓 五 ④ ︼. ﹁主﹂とは、山、川、池、家屋などにすみつき、劫を経た、なみはずれて. を信じ. 大きい動物をいう。その動物は霊力をもち、その場所を支配していると考え られている。. ︻一五⑤︼. ちなみに、青森県五戸では、蛇のことを﹁ぬし﹂というのだとい、㌔ ﹁家に変ったことが起る時主が現れるという言い伝え﹂. ︵一 九 二 〇 ︶. ていたというのだが、ここに出てくる蛇には特別の意味があるのではないか と考える。 大正九年. 儀から数日がたった午後、貞次郎の運転手をしていた青年が別れのあいさつ に来る。運転手の妻もこの一月に子どもを残して亡くなっている。 叔母の葬式に行く前にちやうど通り路なので先づ妻の墓に参ったさ うだ。すると彼は大きな蛇を見た。彼はその蛇の顔を見てはつと思つ. がへいぎわのけやきからけやきに伝わって歩くのを往来の人たちがよく見る. ﹁十年くらいたって主人がなくなり、︵中略︶ その時分のこと、大きな蛇. 浮いて、この蛇がたゞの蛇ではなく正しく自分の妻であると思はれた。. ようになった﹂. た。子供の時分から読んだり聞いたりした色々な蛇の伝説が彼の頭に. さう思ふと、蛇は首を上げてまだじいつと彼を見てゐた。自分の来る. れ変わりと広子が思っていたのではないだろうか。﹁大きな蛇がへいぎわの. ﹁大小はともあれ、どんな大昔でも、蛇は今日と同じくにょろにょろして. た夫・貞次郎のことと重なると考えるのは深読みか。. また、﹁幸﹂とはもともと﹁主人﹂の意がある。大森新井宿の家の主人であっ. を守ろうとする故人の気持ちが表れているように思えるのである。. けやきからけやきに伝わって歩く﹂大蛇は、正に残された広子親子とその家. ︻一四②∼④︼とあることから、この蛇は夫・貞次郎の生ま. ことを知つて会ひに来たのだなと彼は思つた。 彼は真直ぐに立つてこの日向の蛇を見下してゐた。さうすると蛇は すうつと首を返して墓の横から草を分けて後の薮へ入つて行った。 さゝ薮の草を尾で打ち鳴らす音が何時までも麦笛よりもほそくビュウ ビュウと聞えてゐた。 彼は考へなが. いたにちがいない。女が気持ちよくそんなものと話したというのが不思議で. あの薮にゐる蛇かしら、それとも、それとも⋮⋮?. ら叔母の葬式に行った。葬式の中に在っても彼はやつばし薮の前の墓. とあるように、女性に限らず人間は総じて蛇に対して. ある。﹂. ︻一三⑨∼⑪︼. と蛇のことばかし考へてゐた。もう一度行って見てから帰らうと思つ. 11.

(13) 佐 野 比呂己. 気味の悪いものというイメージを持っているものである。しかし、広子はこ. から、むろん貯水池なんぞ掘れない。町会の人たちは大いに考へて、. 一ばん住む人のすくない一ばん庭の広い一軒の住宅に目ぼしをつけた. ばかりか、﹁恋しいくらいに. の蛇に対し、﹁気味悪さも感じない﹂. のが、不幸なことにそこは私の家であつた。. ︻一五⑭︼. その細い銀の形を思いうかべる﹂存在であるというのである。﹁恋しいくらい﹂ という広子の思い、そして女性にとって気味の悪い存在であるはず蛇を﹁銀. ︵一九四四︶ 六月、広子は ﹁浜田山に疎開﹂する。そのいきさ. さらに、新井宿の家が取り壊される時と長男・片山達吉が亡くなった時は、 0 偶然にも﹁殆ど同時であつた﹂という。. 昭和十九年. の形﹂と美しい表現がなされている。﹁主﹂が貞次郎の生まれ変わりと考え. ﹁ヌシ﹂と表記されている。北条時政の. ●井の頭線の浜田山に疎開してきた 〓五⑨︼. ﹁主﹂は、原典では. ると納得がいくところである。 尚、ここでの. つを次のように記している。. ﹁むすこ﹂とは、長男・片山達吉を指す。一中、一高、東京帝国大学法文. 思はれる浜田山で、青々した畑がひろがつてる中に山のやうに樹々の. 私は娘につれられてお訪ねした。大森からはたいへんな田舎のやうに. でも違った意味を持たせていると考える。. 話題の際の岩屋の主については、原典では﹁ぬし﹂と表記されていることか ら、同じ﹁主﹂. 学部に進んだ秀才である。川崎第百銀行に勤める傍ら、吉村鉄太郎のペンネー. かたまり繁つたところもあり、竹薮もあり、農家が樹のかげにすこし. 和染の大家である木村和一氏が大森新井宿の家を引払って井の頭線 ∴∴∵ 浜田山に移られた後、その改築された殆ど新築のやうな意気なお家を. ムで小説も発表している。元来、病弱であり、心臓病を患い、昭和二十年︵一. 見えたりしてまことに閑静な⊥地と思つた。空気の新鮮さは信濃の追. 〓五⑥ ︼. 三月二十四日、終戦を待たずして広子より先に病死する。達吉、四. ●むすこ. 九四五︶. 分あたりを歩いてゐる時のやうで、しみじみ胸に浸み入る感じだつた。. の結果その家を見に行った。. ぢき近いところに小さな売家があると伺って来たので、私たちは相談. れなくなつた。ちやうどその時分に娘がまた木村さんをお訪ねして、. が朝から夜まで幾たびも鳴りひびいて、のんきな私も落ちついてゐら. 一年ばかりのうちに時勢がひどく悪化して空模様は不安になり、警報. この村に自分が越して来ようとはその時少しも考へなかつたが、さて. 十四歳の時であった。 達吉は、広子に対しあたたかい心遣いをもって接している。随筆を書くきっ かけをつくつたのも達吉であり、広子の達吉に対する思いが原典﹃燈火節﹄ 8 に込められていると考えられも 〓五⑥︼. ︵一九四四︶、新井宿の家の庭に貯水池を掘ることになる。. ●新井宿の家に何 か 変 わ っ た こ と が あ る か も し れ な い 昭和十九年. その頃、防空壕は各戸に一つか二つ位づつ掘られてゐたが、防火貯. 掘る支度をしたのだが、さて新井宿三丁目は郵便局や銀行もあり一ば. とに一つの貯水池はぜひ必要で、神社の境内か町内の空地にそれぞれ. の命令が出た。山王一丁目二丁目新井宿一丁目から七丁目まで一町ご. 蔵野のまん中で野宿して濡れしほたれてゐるやうな感じもしたが、私. エ風の小家で、雨戸も畳もなく壁はテックスだから、雨かぜの夜は武. なれた大森を出て来たのである。殆ど硝子張りといつたやうなアトリ. しては不思議な事であつたが、さうした廻り合せで私は二十余年住み. ﹁この家を買ひませう﹂と私が即座に言つたのは、気のながい私に. ん賑やかな通りで空地は一つもなかつた。神社は能⋮野神社を祭つてあ. はわりに気らくで、一二年もすればまた大森の家に帰れる、これは疎. 水池もだんだん必要となつて来たので、至急に用意をするやうその筋. るが、これは高い石段をのぼつて桧や杉の茂つた上の方まで行くのだ. 12.

(14) 教材「大蛇・小蛇」考(2). この文章の組立はどのようになっているか。. 文章の組み立てをダイナミックにとらえさせたい。﹁遠い国の蛇や、古い. 二. 広子は、染色家・木村和一の世話で﹁アトリエ風の小家﹂を﹁疎開の家﹂. 古い蛇はさておき、私の家の蛇を思い出すと﹂と前段を受ける箇所さえ確認. 開の家だといふ風に考へてゐたが. として購入する。広子の住んでいた大森の家の周辺は、広子が疎開した翌年 春には、強制疎開の措置がとられている。大森の銭. できれば、大きく二つに分かれることに学習者は気づくはずである。東西の. ︵一 九 四 五 ︶. 昭和二十年. 伝説・説話における蛇の話と筆者の家にいた蛇の話の大きく二つに分けるこ. の消長を知らせる主であると考える点で、前段同様、霊力ある蛇としてとら. 始まったものであると考えることができるであろう。広子の家の蛇も我が家. のかを考えさせたい。この文章は、後段の広子の家の蛇についての追懐から. そして、筆者は、前段、後段どちらの蛇の話を中心に述べようとしている. 湯において空襲警報が聞こえて落ち着いて入浴できなかったこともあったと. 題. とができるはずである。. 問. い、㌔時勢の悪化が、広子に大森新井宿の家を離れる決心をさせるのである。. 七 教科書の最後に﹁問題﹂として、次の三つの学習のてびきが示されている。. えていることがうかがえる。. さらに、遠い国の話から身近な話へ、昔の話から最近の話へ、文献等から. 各自の知っている動物説話をあげてみよ。. 説話の多くはもともと口承文芸であり、創作によらず人々の間で伝承され. 三. す際の一つの型を示すものである。. る。学習者自身も日常生活の中に生起する身辺的なものを自らの手で書き表. この設問に取り組むことによって、文章構成を学ぶことができるはずであ. すぐ れ た 表 現 と 思 わ れ る 箇 所 は ど こ か 。. 各自 の 知 っ て い る 動 物 説 話 を あ げ て み よ 。. の伝聞から実体験へと、文章が流れていることも理解できるところである。. ﹁大蛇・小蛇﹂. 一この文 章 の 組 立 は ど の よ う に な っ て い る か 。 三. ﹁問題﹂を考 察 す る こ と を 通 し て 、 教 科 書 編 集 者 の 考 え る の学習のねらい、 ポ イ ン ト な ど を 考 察 し て み よ う 。. 一すぐれた表現と思われる箇所はどこか。. ﹁わが国のいなかには蛇のたたりのものすごい話がたくさんあって﹂. てきた作者不詳の物語である。. 典を引用する広子の博覧強記に学習者は圧倒されることだろう。﹁すぐれた. 二⑯︼という箇所と関連付けて、学習者の地域にある蛇の説話をあげさせ、. 当時の学習者にとって遠い異国の国であるアイルランドの伝説、日本の古. 表現と思われる箇所﹂は決して限定されるものではない。学習者の多様な解. この記述についての妥当性を検討することも可能であろう。. る活動も考えられるであろう。. 発表させるのもいいが、文献を調べさせたり、地域の老人に取材させたりす. リなどその他いろいろな動物説話が存在する。学習者にとって既知の説話を. 我が国には、蛇に限らず、キツネ、タヌキ、サル、ウサギ、カl﹁ニワト. ︻一. 答が期待できる。十分に時間をとり、該当箇所を学習者に自由に碇示させ、 その箇所がどのようにすぐれているのか、どうしてすぐれた表現になってい るかを考えさせたい。 この設問に取り組むことを通して、学習者自身の表現を見つめ直す契機と することが期待できる。. 13.

(15) 佐 野 比呂己. 外国の説話と日本の説話を比較させたり、種々の説話を多様な視点から分 類させたりすることも学習者にとって、興味深いものとなることであろう。 いずれにしても、身近な動物説話について取り上げさせようとする取り組 みは、学習者にとって地域を見つめなおす契機となるものである。柳田監修. タイトル. 国語科教科書の特徴が表れている部分である。. 八. ﹁大蛇・小蛇﹂というタイトルの意味をここでは考察する。 この随筆は、アイルランドにおけるセント・パトリックに纏わる蛇の伝説. ﹁大蛇・小蛇﹂というタイトルになっているが、原典は. ことはできないだろうか。 教科書では. び小へび﹂となっている。. ﹁大へ. 本文中には、タイトル以外には蛇をひらがな表記にしている箇所が見当た. らない。原典においてはひらがなで﹁へび﹂とわざわざ表記したことになる。. ひらがな表記をすることによって、単なる蛇の話であるという意味ではなく、. 夫への思い、子どもたちとの懐かしい思い出を恋しく思う広子の思いがタイ トルに込められていると解釈したい。. 話、そして聖書に登場する蛇、最後に、最近の蛇の話題として広子にとって. いて、後段には広子の家の蛇の話に話題は転換する。蛇は一般的には気味が. 異国の蛇の話、我が国の古典に登場する蛇の話、聖書における蛇の話に続. 教材としての﹁大蛇・小蛇﹂. 身近な話でしめくくられている。一貫して、古今東西、蛇に纏わる多種多様. 悪い存在であるはずである。しかし、広子は自分の家に住む蛇に対し主とし. 九. な話題で文章が綴られている。そういった意味で、大きいものから小さいも. て恋しく思うわけである。このギャップに疑問を持つ学習者も多くいること. に始まり、﹃日本書紀﹄、藤原道長、北条時政のわが国の古典に登場する蛇の. のまで、いろいろな蛇の話という意味が込められていると考えることができ. であろう。これは広子の境遇と深くかかわってくる部分である。当時、広子. れるに相違ない。. れば、学習者は、ヨーロッパの未知の国に思いを馳せ、ロマンと憧憬にから. 喚起する上でかなり有効であると考える。昭和三十年代という文脈から考え. しかし、アイルランドの伝説から始まる書き出しは学習者に興味・関心を. 者にとっても理解するに難いものと思われる。. の境遇を知り得る者がいかほどであったかと考えると学習者のみならず指導. るであろ、つ。 一方で、この随筆の主題を筆者の家の主である蛇を恋しく感じることとす れば、このタイトルの意味が変わってくる。前述の通り、広子の家に現れた 大蛇を夫・片山貞次郎の生まれ変わりと考えれば、大森新井宿の家の主であ る夫へのいとおしさを表しているとも考えることもできよう。 大蛇が死んだと思っていると今度は小蛇が現れる。﹁その後一二年して門 のそばの小さいもちの木に一匹の小蛇ぶらさがっていた。これは多分主の子. ら、セント・パトリックにしろ、素量鳴尊にしろ、蛇を退治したという共通. 続いて、遠く離れた我が国の伝説が紹介される。全く別の話題でありなが. れている。小蛇について、主の子であると. 性が確認できる。﹁大昔はどこの国でも蛇が人間の大敵であった。﹂︻一〇⑪︼. ︻一四⑲∼⑫︼と記さ. でいう﹁みんな﹂とは、おそらく広子、長男・達吉、長女・絶子の三人を指. とする広子の記述にも納得するところであろう。また、人間がふえることに. よと、みんなで決 め て 、 そ う っ と さ わ ら ず に お い た 。 ﹂. すのであろう。小蛇について親子で温かな会話をしているように稿者は想像. よって蛇が歴史の表舞台に登場しなくなるとも指摘する。これらの記述につ. ﹁みんなで決め﹂たとある。ここ. する。小蛇にはそんなほほえましい親子の思い出が象徴されていると考える. 14.

(16) 教材「大蛇・小蛇」考(2). いて、その理由を学習者に考えさせることも知的好奇心を刺激するものとな るであろ、つ。. いずれの話題についても簡潔にまとめられており、結論までは示していな いこともあり、詳しい内容については学習者が自ら調べたいという意欲を喚. ︻. 平成二十年十一月︶. の稿末に附した。 昭和六十三年. 平成八年︵一九九六︶十二月︶ ︵﹃世界大百科事典﹄︶、注3. 三. 尚、. ︵一九八八︶︶、今. 五月︶、. ﹃ドラ. ウーヴエ・ンユテッフエン. ︵村山雅人訳︶. 平成八年︵一. 平成七年︵一九九五︶. 昭和五十六年︵一九八一︶. 平凡社. ︵﹃釧路論集﹄第四. ︼内の漢数字は教科書本文の頁、丸数字は行を示すものである。以下同様。尚、. 注. 起させるものであ る 。. 1. 北海道教 育 大 学 釧 路 校. 教科書本文につ い て は 、 佐 野 比 呂 己 ﹁ 教 材 ﹁ 大 蛇 ・ 小 蛇 ﹂ 考 ︵ 1 ︶ ﹂ 十号 ︵﹃世界大百科事典﹄ ︵岩波書店. 八代崇﹁パト リ ッ ク ﹂. 野国雄﹃修道院 祈 り ・ 禁 欲 ・ 労 働 の 源 流 ﹄ ︵講談社. 2. 月︶、朝倉文市 ﹃ 修 道 院 禁 欲 と 観 想 の 中 世 ﹄. 十月︶. ︵青土社. ︵﹃世界大百科事典﹄︶、ウーヴエ・シュテッフエン. H・Ⅰ・マルー ︵ 上 智 大 学 中 世 思 想 研 究 所 編 訳 監 修 ︶ ﹃ 教 父 時 代 ﹄ ︵ 平 凡 社 九九六︶. 荒俣宏﹁竜﹂. ゴン反社会の怪 獣 ﹄ 井手木実﹁ゲ オ ル ギ ウ ス ﹂. 前掲書. 四月. 九一九四頁︶. 十月. 六五六七頁︶. 1. 1. ﹃撰集抄 松平文庫本﹄ ︵古典文庫 昭和五十二年 ︵一九七七︶. 片山広子﹁東北の家﹂ ︵注1〇 五人五九頁︶. 西尾光一編. 七月 三. ︵新潮日本古典集成 新潮社 昭和五十. 五月一. 明治四十二年︵一九〇八︶ 八月一〇一一〇二. 六月 三五九三六〇頁︶. 国民文庫編﹃太平記﹄ ︵国民文庫. 八年︵一九八三︶. 西尾光一・小林保治校注﹃古今著聞集 上﹄. 五一三五三頁︶. 1 2 1. 3 1. 4. 創世記﹄ ︵岩波書店 昭和三十一年︵一九五六︶. 尚、本文にはルビが附されていたが、引用に際し割愛した。. 注9. きむらわいち. ﹃燈火節﹄ 二〇〇四年. 九二頁︶. 八七八八頁︶. 二三二四頁︶. ︵平成十六︶ 月曜社 二五四二五. 明治二十一年︵一人八八︶昭和三十人年︵一九人三︶ 山形県東置. 片山広子﹁浜田山の話﹂ ︵注10. 片山広子﹁池を掘る﹂ ︵注10. 片山広子﹁池を掘る﹂ ︵注10. 一一六頁. ︵片山広子/松村みね子. 片山広子﹁かなしみの後に﹂ ﹃三田文学﹄第十一巻第八号 大正九年︵一九二〇︶ 八. 龍田多代子﹃青森県五戸語彙﹄ 昭和三十八年︵一九六三︶ 二月一四〇頁. 一四頁︶. 関根止雄訳﹃旧約聖書. 頁︶ 5 1. 6 1 7 1. 1. 六頁︶. 月. 8. 9 1. 2. 0 2 1. 2. 賜郡高畠町に生まれる。はじめ洋画家を志すが、染色家に転向。大正十一年︵一九二二︶. 2. には﹁実在. 十三年︵一九二四︶ 山本鼎、福原信三の助力により銀座・資生堂において初めての個. 東京府主催平和記念東京博覧会で銅賞、同年十月には第十回農展において入選。大正. より﹁元型﹂に、昭和十年 ︵一九三五︶. ︵注1〇 二三六頁︶. ︵二〇〇二︶ 十二月 五人六. 六月 九二頁︶. 偶然の事ながら、三月末に倖が急に亡くなつたのと、新井宿の家の毀されるの. と考えることもできる。. 小蛇は大蛇の子であり、大蛇を夫・貞次郎であるとすれば小蛇を長男・達吉である. 片山広子﹁入浴﹂. 片山広子﹁池を掘る﹂ ︵注10 昭和二十八年︵一九五三︶. 三頁︶. ﹃月刊染織α﹄ 二六一号 染織と生活社 平成十四年. ︵幅大﹁自由な表現を求めて近代を駆け抜けた染色家・木村和一の足跡と近代工芸﹂. 県鴨川町に疎開。そのまま居を移し地域に密着した活動を続けた。. 学校工芸図案科実習講師に就任。昭和十九年︵一九四四︶ には東京都杉並区から千葉. の結成に参加し精力的な活動を続ける。昭和八年︵一九三三︶帝国美術. 工芸美術会﹂. ︵一九九四︶. 展を開く。昭和四年︵一九二九︶. ︵﹃世界大百科事典﹄︶. 平成六年. 井村君江﹁妖精 ﹂. 小学館. ︵一九九六︶. 六月. 尚、. 小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守︵校注・訳︶﹃日本書紀①﹄︵新. 編日本古典文学 全 集 2. 二八三二八五頁 平成八年. 小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守︵校注・訳︶﹃日本書紀②﹄︵新. 注6. 引用については 、 訓 下 し 本 文 を 用 い た 。 以 下 同 様 。. 7 8. 小学館. 四頁一一一二頁︶ 昭和二十八年. ︵一九五三︶. 佐野比呂己﹁片山廣子﹃燈火節﹄をめぐつて﹂︵﹃北海道教育大学紀要︵教育科学編︶﹄. 引用については 、 訓 下 し 本 文 を 用 い た 。. 編日本古典文学 全 集 3 9. 二月. 暮しの手帖社. ︵二〇〇八︶ ︵﹃燈火節﹄. 平成二十年. 片山広子﹁ 東 北 の 家 ﹂. 第五十八巻第二 号 10. 四六四七頁︶. 15. 25 24 23. 3. 4. 6 5.

(17) 佐 野 比呂己. とほとんど 同 時 で あ つ た 。 ︵ 片 山 広 子 ﹁ 池 を 掘 る ﹂. ﹃燈火節﹄. ︵注1〇. 九二頁︶. ︵注9一五頁︶. ︻一五⑫︼は、少年から成長した達吉の元気であった時代を想像させるもの. の﹁強. であると述べた。小蛇. について、﹁﹁たつた一冊の本の讃者﹂とは達吉を指すのであり、. 広子が大森新井宿の家と達吉を重ね合わせて見ていることが確認できる。稿者は、 原典である ﹃燈火節﹄は達 吉 の 優 し い 心 遣 い に 捧 げ る 書 ﹂. い長い姿﹂. から中蛇へと成長し、﹁きらきら光って﹂︻一五①︼﹁すばらしい早さ﹂︻一五②︼. 個. でもある。﹁大蛇・小蛇﹂というタイトルには、夫・貞次郎と長男・達吉への思いが込 められていると も 解 釈 で き る 。 但し、小蛇が大森新井宿の家に現れた際には、達吉もその場におり、主である大蛇 の子であると広子らと会話している。中蛇が現われた際も達吉は存命であったわけで ある。したがって、小蛇を達吉とすることについては無理があることは否めない。一 つの解釈の可能 性 と し て 提 示 す る こ と に と ど め た い と 考 え る 。. ︵学長裁量経費︶. ※本稿は、引用に際し、遺骨旧字を新字に改めた。また、ルビについても省略した部分 がある。. 人研究支援経費 に よ る 成 果 の 一 部 で あ る 。. ※本稿は、平成二 十 年 度 北 海 道 教 育 大 学 学 術 研 究 推 進 プ ロ ジ ェ ク ト. ︵釧路校准教授︶. 16.

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参照

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