戦時中・戦後の日本を生きた女性の語りにみる自己の統合過程 : 老年期女性のライフストーリーから
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(2) ば強制的に自分を納得させようとする態度. での戦争体験への関心の偏りに新しい視点を. であった。これについては,協力者の語り口. もたらしたといえるだろう。. からも,戦時・戦後の日本という決定的かつ. 3.3 協力者が筆者に人生を語る意味. 拭いようのない物不足の状態や,追従するこ. いずれの対象者も,生い立ちや私的な部分. とを求められた女性として生きていくため. まで話すのは初めてであり「嬉しい」「安心. に,割り切るという手段しか残されていなか. する」「スカッとする」などと語られた。対. ったことが影響していることが例えた。. 象者は,現在の充実感や人生への満足とは裏. また,逆に,あのような社会背景であった. 腹に,現代の日本社会における高齢者という. からこそ生まれた人との強い結びつきや,叩. 存在を悲観的に捉えている。これらのことか. きこまれた価値観がゆるがぬ信念として中. ら,本研究において,ある種のマイノリティ. 核となったこと,そして厳しい時代を生き抜. ーである対象者が“自分の戦争体験”ではな. いた自分への信頼などが,統合へ向かうため. く“自分自身”に関心を持たれ,受容的に語. の拠り所となりっていることも示唆された。. ることのできる場を提供されたことは,非常. さらに,協力者が語り部をはじめとする,. に意味のある体験であったと推察される。. なんらかの社会的な活動をしていることも. また,対象者と筆者は,50ほどの歳の差が. 大きな要因であろう。. ある。協力者は筆者に対して,ときに孫に聞. これらのことから,女性高齢者の生きてき. かせるように語り,ときに,自分の物語を外. た時代の社会背景を考慮すると,過去の体験. の世界に伝える仲介者に訴えるように語っ. を前向きな方向に再構成していくことだけ. た。あるいは,現代人に感じる憤りや情けな. でなく,消極的な向きあい方であっても,そ. さを代表となった筆者にぶつけるように語. れは統合に向かうための手段として昨日し. ることもあった。. ているのである。この視点は女性高齢者の心. また,対象者は歳の大きく離れた筆者に語. 理的支援においても重要であると言える。. ることに対して,聴いてほしい思いと,話し. 3.2 主観的な“戦争体験”の存在. ても理解されないだろうという両価的な想. 本研究の協力者のように,実際には空襲. いを抱えている葛藤を抱いているであろう. を受けるなどの直接的な身の危険をともなう. ことが例えた。「分からないだろうけど」「お. 体験をしていない人であっても,その人にと. かしいと思われるかもしれないけど」などと. っての主観的な“戦争体験”が存在すること. いう表現を,話し始める前に付加するところ. が明らかになった。戦争体験にかかわる研究. にも表れているといえるだろう。. において,凄惨な体験がクローズアップされ. 本研究の結果からは,臨床現場においても,. る傾向が強いなかで,本研究の協力者のよう. 彼女たちが世代の違う聴き手に語ることに. に比較的危険な目にはあっていない高齢者が. 対する両価的で複雑な感情の存在を意識し. 抱える戦争の爪痕による心理的苦痛は見落と. ておく必要性が示唆された。. されがちなのではないだろうか。. 主任指導教員 辻河昌登. このような点において,本研究は,これま. 指導教員 辻河昌登.
(3) 戦時中・戦後の日本を生きた女性の語りにみる 自己の統合過程. 一老年期女性のライフストーリーから一. 兵庫教育大学大学院 学校教育研究科 人間発達教育専攻 臨床心理学コース. M11056C 竹中紫織.
(4) はじめに 私は,生まれてから高校を卒業するまでの期間を広島で過 ごした。大学進学と同時に関西に移り住み,今年で6年目に なる。. 広島では,幼い頃から毎年多くの時間をかけて,なかば叩 きこまれるように平和教育を受けてきたため,当時は逆にな にも感じなくなっていた部分もあったように思う。しかし, 関西で生活するようになってから,周りの友人がもつ戦争に 対する意識と自分のそれとは少し異なっているのではないか と考えるようになった。たとえば,原爆が落ちた日時や終戦 日は私にとって特別な日であるが,友人にとっては日本史の 知識として映っていること。また,広島では原爆が落ちた時 間にサイレンが鳴り,みな黙祷するという話をすると,ひど く驚かれたこともそのきっかけのひとつであった。そもそも, 関西ではサイレンが鳴らないという事実に,初めは私の方が 驚いだものだった。それらはすべてかたち上のことではある。 しかし私の場合は,そのようなところから戦争は本当に過去 のことになりかけているのだと初めて危機感のようなものが わきあがったのだ。. また,本研究を行う動機づけに関わっている要因としても う」つあげられるのは,実家で同居している父方の祖母の存 在である。その存在が,戦争そのもののみならず,その時代 を経て現代を生きる女性のこころへの私の関心をもたげさせ たように思う。祖母は若くして夫を癌で亡くした。そして, 大変貧しく,今ほど女性の立場が確立されていなかった時代 に,女手ひとつで3人の子どもを育ててきた。それらの経験 が祖母の生き方にどのような影響を与えたのか,人生を歩ん できて今なにを感じながら生きているのか。本研究のテーマ 選択において,さまざまな葛藤や確執を抱えたままの状態で ある祖母のことを,本当は理解したいという気持ちが大きく 関わっているのかもしれない。 超高齢社会を迎え,特に寿命がのびた女性の生き方は時代 とともに多様化し続けている。戦争や病気によって夫が先立 ち一人暮らしをしている女性,同居家族と暮らしているにも.
(5) かかわらずそのなかで孤独な女性,仲間とともになんらかの 活動に参加しいきいきとした老後を送っている女性,夫と寄 り添い暮らしている女性,すべて挙げることはできないが, ほかにもさまざまな女性がいるだろう。 それと同じように,戦争体験や抑圧,権利獲得への闘い, さらに解放や生き方の多様化,という変化の歴史のなかを歩 んだ女性の人生は多様である。当時とはまったく違う現代の 日本社会に生きる彼女たちのこころの動きを理解し,彼女た ちの体験や想いを語り継いていくことは,臨床家としてのみ ならず,日本人としての大切な役割ではないだろうか。 以上のような交錯した想いによって,本研究を行うことに した。. なお,本論文は以下の5章から構成されている。 第一章では,先行研究から老年期の心理的発達や女性高齢 者の歴史的背景をまとめて問題と目的を示すとともに,ナラ ティヴ・アプローチを用いたライフストーリー研究と本研究 の結び付きを述べた。. 第二章では,研究方法や具体的な手続きを述べた。 第三章では,実際のナラティヴデータを示しながら対象者 ごとにライフストーリーを考察した。 第四章では,対象者ごとの考察をまとめ,総合考察を行っ た。. 第五章では,結果と考察を踏まえて,本研究の限界と今後 の課題を検討した。.
(6) 目次. はじめに. 第1章問題と目的 1.1なぜ女性高齢者か・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 1 (1) 老年期の心理・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 1 (2) Eriksonの個体発達分化の図式・・・・・・・・・・・・・・… 1 (3). 老年期の心理社会的課題:統合性対絶望・・・・・・・・… 2. (4). 老年期の心理社会的課題に関する先行研究・・・・・・・・… 3. (5). 現代日本における女性高齢者・・・・・・・・・・・・・・… 3. 1.2本研究におけるライフストーリー研究の位置づけ・・・・・・・・… 4 (1)ライフストーリー研究におけるナラティヴ・アプローチの視点… 4 (2)老年期の統合性とライフストーリー研究の結びつき・・・・・… 4 1.3戦時中・戦後を生きた女性とは・・・・・・・・・・・・・・・・… 5 (1)歴史的・社会的・文化的文脈からみた女性の立場・・・・・・… 5 (2) 女性高齢者に関する先行研究・・・・・・・・・・・・・・… 6. 1.4本研究の目的・・・・・・・・・・・・・… ’’’・’・.’’’’7. 第2章 方法 2.1研究協力者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… ’’… 9 2.2方法・期間・手続き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 9 (1)半構造インタビューによるライフストーリーインタビュー・・… 9 (2) フェイスシート・・・・・・・・・・・・・… .......10. (3)調査期間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 10 (4)手続き・・・・・・・・・・・・・・・・・… .......10. 2.3分析方法・・・・・・・・・… ’’・・’’’’’・・・・… 11. 第3章 結果と考察 3.1Aさんのナラティヴ・・・・・・・・・・… ’’・・・・・… 12 (1)1回目のインタビュー・・… ’’’’’’’’’’.’’’’’12 (2)2回目のインタビュー・・… ’’・・’’’’’’.’’’.’24.
(7) 3.2 Bさんのナラティヴ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 32. (1)1回目のインタビュー’.’’’’’’’’’’.’’’’’’’.32 (2)2回目のインタビュー..’’’..’...’’...’...’50 3.3 Cさんのナラティヴ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 63 (1) 1回目のインタビュー・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 63. (2)2回目のインタビュー・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 72. 第4章 総合考察 4.1 協力者の語りに現れた統合過程における共通性・・・・・・・… 77 4.2 主観的な“戦争体験”の存在・・・・・・・・・・・・・・・… 79 4.3 協力者が筆者に人生を語る意味・・・・・・・・・・・・・・… 80. 第5章本研究の限界と今後の課題・・・・・・・・・・・・・… 82. おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 84. 引用文献・・・・… .......................85. 謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 87. 資料・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・… 88.
(8) 第1章. 問題と目的. 1.1なぜ女性高齢者か (1) 老年期の心理. 老年期は,生理的喪失・社会的喪失・対人関係における喪 失など,ほかの世代に比べて喪失体験の多い危機的な時期で ある(竹中・星,2002)。また,喪失体験とも深くかかわる孤 独も大きなテーマとなる。高齢化社会によりひとり暮らしの 高齢者が増加したことに加え(竹中・星,2002),同居家族と の間の葛藤で悩み,豊かな生活の中で取り残された老人の存 在も指摘されている(不仲,1995)。さらに高齢者は,自分の 老いや身近の者の喪失によって,死を避けがたいものとして 直視せざるを得ず,死への恐れや不安を乗り越え,限られた 時間をいかに生きるかということが課題になってくるのであ る(竹中・星,2002)。. (2) Eriksonの個体発達分化の図式. しかし,老年期という時期に存在するのは,これまであげ てきた危機的な状態だけはない。現在では,老年期の長期化 によって,人間の発達について生物学的発達曲線のみの定義 を超えて捉えられている(不仲,1995)。 人は生まれてから死ぬまで生涯にわたって発達していくと いう,漸戒論的連続性の考えを述べたE,H.Erikson(1950 仁 科訳 1977.1981)は,人生の各段階における心理社会的課 題を表にして示した(figure1)。. 1.
(9) 統合 対. 者年期. 絶望. 生殖性. 英知. 対. 成年期. 自己投入 親密性. 戚年期 前期. 世話. 対. 孤独 麦. アイデンティティ. 対. 思春期. 混乱. 動勉性. 盟竈. 対. 学童期. 劣等感 自発性. 才能. 対. 遊戯期. 罪悪感. 自律. 決意. 対. 恥と疑惑 音 =一’凹 ,山. 基本的信頼 劾児期. 対. 基本的不信. 希}. (3) 老年期の心理社会的課題:統合性対絶望 E.H.Erikson(1980西平他訳2011)は,人間の8つの人生 段階のうちの8段階目にあたる老年期の課題を,統合(性) VS絶望と定義した。「統合」とはすなわち,永続的な包括の 感覚である。これは,死やこれまでの生涯すべてを自分のも のとして受け容れ(鐘,1990),そしてまた,連続する世代の なかでの自分の場所を受け入れていくことを意味する。それ に対し,恐怖と望みがないという感覚をr絶望」という。人 生に価値を見出せず死の訪れを受容できない場合,もはや人 生はやり直しがきかないという絶望感や苦しみに陥ってしま う(下伸,1995)のである。E.H.Erikson,J.M.Erikson,&. Kivnick(1986朝長他訳2007)は,これら両感覚の間にある 緊張のバランスをうまくとり,英知の感覚を得ることが老年 期の課題であるとした。この課題にとりくむ過程において, 彼らはこれまで経てきたライフサイクルの各段階における心 理社会的課題を再び統合しなおしていく。これは,人はその.
(10) 時に問題になっている緊張とだけ闘っているのではなく,心 理社会的課題は生涯にわたって続くということを意味する。 (4) 老年期の心理社会的課題に関する先行研究 深瀬・岡本(2010a)は,中年期の心理社会的発達課題で ある“generatiVity:次の世代を確立し,導くことへの関心 (E.H.Erikson,1980西平他訳2011)”のなかでも,世代継 承性の変容過程に関する研究を行った。その結果,老年期に は,中年期にみられた「直接的世代継承性」への取り組みに 「祖父母的世代継承性」への取り組みが加わり,世代継承性 の質的な幅の広がりが認められた。このことから,老年期に は中年期とは違う形で,再びgeneratiVityという中年期の発 達課題に取り組んでいることが分かる。また,深瀬・岡本 (2010b)は,E.H.Eriksoneta1.(1986朝長他訳2007)と 同様の手続きで日本人高齢者を対象とした研究を行った。語 りの分析から,8つの心理社会的課題を説明する肯定的要素 と否定的要素,およびそれらのバランスをとるための努力で ある中立的要素の様態を得ている。この結果は,日本人にお いても,老年期は絶えず変化と展開を繰り返していることを 意味している。しかし,上記の三要素にはアメリカ人を対象 とした結果とは異なる点があったこと,各課題に取り組む際 に,戦争体験,家制度,社会のなかでの高齢者の地位という 日本独自の文化が影響していることが示唆された。さらに, 深瀬・岡本(2010b)は,老年期の各心理社会的課題の関連 をより詳細に検討するためにも,協力者の語りからの考察が 必要であると述べている。 また,林(2000)は,多くの場合,高齢期のアイデンティ ティや自我の統合性の感覚,ライフサイクルの連続性,家族 との心理的絆といったテーマは,心理療法の対象となるクラ イエントの主訴と深く関連していることを認めている。 (5) 現代日本における女性高齢者. さて,現在の日本は超高齢社会と言われている。平成23年 版厚生労働省の統計によると,65歳以上の人が日本の全人口. を占める割合は1920年には5.3%だったのが2009年では 22.7%となっており,少子高齢化は深刻化の一一途をたどる一方. となっている。この事実は,同時に日本人のライフサイクル.
(11) の変化をも示している。不仲(1995)は,戦前1940年(昭和 15)と戦後1985年(昭和60)の女性のライフサイクルを比 較し,“戦前の女性のライフルサイクルでは,たくさんの子ど もを産み育てるだけが精」杯で」生を終え,中高年期はなか った”としている。それに対し,現在の女性は“夫婦が共に 暮らす老後の時期が約17∼18年出現している”こと,さら に“夫が死亡した後,女性が一人で暮らす時期が7∼8年出 現してきている”ことを指摘している。これらのことから, 黒川(2004)なども指摘するように,女性高齢者の心理的問 題は極めて重要な課題であると言える。 1.2本研究におけるライフストーリー研究の位置づけ (1) ライフストーリー研究におけるナラティヴ・アプロー チの視点 さて,ここで,本研究で用いる研究手法であるナラティヴ アプローチについて述べる。「ナラティヴ(語り・物語)」と は,r広義の言語によって語る行為と語られたもの」である(や まだ,2007)。また,やまだ(2000)は,「物語」は「2つ以 上の出来事を結び付けて筋だてる行為」という定義付けのも と“人生の物語とは,意味づける行為であり,人生経験の組 織化である”と述べている。出来事など個々の要素が同じで も,体験した本人が,それを物語のなかでどのように関連づ け,組織だて,筋立てるかによって,その人にとっての人生 全体の意味は大きく変化するのである(やまだ,2000)。 (2) 老年期の続合性とライフストーリー研究の結びつき 老年期という時期は,今まで経てきたライフサイクルとい う織物を今度はそっくり逆に織り戻していき,各段階の徳目 である希望,意志,決意,才能,忠誠,愛,世話の成熟した. 形を包括的な英知の感覚へと統合する最後の段階である (Erikson,1986)。老年期をむかえた高齢者が変化の中で生 きたこれまでの人生を語ることは,Eriksonの述べる“ライ フサイクルという織物を今度はそっくり逆に織り戻”す行為 につながると考えられる。 山口(2002)は“前の世代の死を語り直す事は,自らの死 と子どもの関係を予期することにも繋がり,家族との絆を確 4.
(12) 記する事になると考えられる”と述べている。また,やまだ (2007)は,語られた人生をナラティヴとして捉えることは, その語りが「事実」かどうかではなく,語り手自身がどのよ うに自分の人生経験を組織化し,意味づけているかに迫るこ とを可能にするという。山口(2002)は,“高齢者の人生の 客観的事実を追求するよりも,高齢者が人生をどのように意 味づけているのかを理解することの方が高齢者の内的真実に 迫る”と述べている。これらのことから,得られた語りには, 現在の彼女たちが,これまでの人生のあらゆる段階と再び向 きあうことを通して,それらを意味づけしなおす過程,そし て,自己を統合していく過程があらわれるのではないかと考 えられる。. さらに,やまだ(2000)は,“人生を物語とみるアプローチ は,多様で多次元の時間軸を扱う視点をひらき”,“「過去」は 「現在」と照合されて絶えず再編成され,読みかえられて変 容していく”と述べている。つまり,女性高齢者の語りを人 生の物語としてとらえることで,現在の彼女たちが過去の自 分へと戻り,過去の自分や周りの人やできごとなどと再びか かわりあう様子を読み取ることができると予想できる。 1.3戦時中・戦後を生きた女性とは (1) 歴史的・社会的・文化的文脈からみた女性の立場 以下に,日本人の高齢者が生きてきた時代の歴史と社会的 背景を簡単にまとめた。. 現在75歳以上の高齢者は,1931年の満州事変,37年の日 中戦争,そして41年に始まった太平洋戦争を総称した「15 年戦争」のさなかに生まれた人たちである。彼らは多感な思 春期を戦争のただなかで過ごし,その後も戦後の激動の日本 で生き抜いた。中年期を経て,老年期をむかえた今もなお変 わり続ける現代を生きている。やまだ(2000)は,“自己は「文. 化・社会・歴史的文脈」に媒介されるので,自己の構成に文 化や社会や歴史的文脈が本質的に関わる”と述べている。こ のことから,現在の高齢者が生きてきた時代の「文化・社会・ 歴史的文脈」にそった人生の語りには,高齢者が自己を構成 していく過程がみられるのではないかと考える。.
(13) またAnne.0.(1996黒川他訳1998)は,日本の西欧化は, 法的地位や家庭内での役割,そして生き方の多様化という側 面からみて,特に女性の社会的立場における非常に大きな変 化をもたらしたと述べている。戦時中の女性は,「女の務めは 銃後の守り」といわれたように,参政権など国の政治にかか わる権利を与えられないにもかかわらず,家庭を支えるとい う大きな役割を担っていた。また,子どもを一人でも多く産 むことが国への忠義とされ,多産の家庭には国からの表彰が あった。これは,国家総動員の戦争が,女性に「性の動員」 を強いていたことを意味する。現在75歳以上の女性高齢者は, このような考え方が蔓延した社会のなかで生まれ,幼少期を 過ごした。彼女たちが小学校にあがるころには戦況は悪化し, これまで家のなかを守る役割であった女性は,老人や子ども とともに第一線へ押しだされる立場になる。戦後になると, 参政権が認められるなど,女性の社会的な地位は向上した。 しかし,日本は厳しい飢えの時期をむかえ,「戦争未亡人」や 両親を失った子どもが多くいた。さらに,戦前の教育の方針 は,女性を家庭に閉じ込めようとするものであったため,急 に放り出された彼女たちの状況はむごたらしいものであった。 現在の女性高齢者は,このような状況のなかで思春期をむか えた。また一方で,制度としてのr家」がなくなったため, 女性にとって恋愛から結婚のハードルは低くなった。これは 女性の生き方の幅を広げることになった(鹿野・堀場,1986)。 そして現代においても,女性の社会的立場や家庭での女性の あり方,価値観などの女性を取り巻く状況はさらに大きく変 わり続けてきた。職業や結婚に関わる選択をはじめ,女性の ライフスタイルはさらに広がってきている。 つまり,女性高齢者にとっては,子,孫であった過去や母 親であった過去,そして祖母である現在において,文化や社 会状況が全て異なっていると推察できる。上述のように,高 齢化を迎えた現在,女性高齢者は彼女たちにとって経験した ことのない日本を生きているのである。 (2) 女性高齢者に関する先行研究 しかしながら,数ある高齢者研究のなかで,女性に対象を. 絞った研究はまだ少ない。アメリカのソーシャルワーカー.
(14) Anne.O.(1996黒川他訳1998)は,北日本の西欧化は,法 的地位や家庭内での役割,そして生き方の多様化という側面 からみて,特に女性の社会的立場における非常に大きな変化 をもたらしたと述べている。Anne.0.は,日本人の女性高齢者 を対象に回想法を用いた研究を行い,彼女たちがいかにして 激動の時代のなかで困難を乗り越えていったかについて,多 様な語りの聞き取りを行っている。しかし,その研究では, インタビュアーとインタビュイーの対話が通訳者を通して行 われている。つまり,母国語の異なるもの同士の対話が通訳 者という第三者的存在を介したものとなっているのである。 ナラティヴモデルの研究法では,人間と環境の関係性につい て,“人問は独立したものではなく,他の人間や環境との相互 関係を前提とする(やまだ,2007)”ため,その場の環境や 形式によって生成されるナラティヴ,つまり語り手自身の現 れ方も変化すると考えられる。このことから,前述の研究と 同じ母国語をもつ者同士のインタビューをもちいた研究では まったく性格のちがった研究となる可能性がある。 また,心理臨床学以外の専門分野において,女性高齢者が 対象に含まれた戦争体験に関する研究はいくつかみられる。 例えば,塚田(2009)は,社会学的視点から戦争体験の自分 史作品を分析し,“なぜ,そして,どのように「戦争体験」が 語り継がれているか”について論じている。當山(2007)は, 文字というかたちで残されている史料をデータとして,沖縄 戦時下で女子学徒隊が行った看護と,当時の彼女たちの精神 保健について分析を行った。また,吉川・田中(2004)は心理 学の視点で,沖縄戦を体験した高齢者の回想から,当時の感 情や戦争に対する現在の捉え方における性差などを検討して いる。しかし,現在もなお続く時代背景や社会の変化という 側面を含めて,心理臨床学的に女性高齢者」人ひとりの多様 な人生の物語から,統合過程を検討した研究はなかった。 1.4本研究の目的 やまだ(2000)は,“自己はr文化・社会・歴史的文脈」. に媒介されるので,自己の構成に文化や社会や歴史的文脈が 本質的に関わる”と述べている。このことからも,現在の高.
(15) 齢者が生きた「文化・社会・歴史的文脈」にそった人生の語 りを見ていくことが重要であると考える。また,山口(2007) が指摘するように,高齢者が歩んできた人生は健康面や対人 関係でも個人差が大きい。その多様性をとらえるためには, ひとりひとりの語りを詳細に検討し語り手の人物象全体を理 解する必要があるだろう。それは同時に,臨床的にも有意義 であると考えられる。 また,やまだ(2000)は,“「自己」は,個人の内側に閉じ. たものとして存在するのではなく,他者を媒介とし,他者に 向かって物語られる「物語」として存在する”こと,“文化の ちがいによって,同じ行為が全く違った意味をおびる”こと を述べている。戦争経験を持つ研究協力者が,戦争経験を持 たず,年齢も大きく違う筆者に対して語ることで,“同じ出来 事の筋書きを変え,新たな自己の意味を見出していく作業(や まだ,2000)”につながるのではないだろうか。 そこで本研究では,女性高齢者を対象としたライフストー リーインタビューを行い,生々しいことばで語られるそれぞ れの人生の物語を聴取する。研究目的は,次の二点である。 」点目は,日本社会の変遷を肌で感じてきた女性高齢者がこ れまでの人生をどのように生きてきたのか,そして今,女性 に求められる役割の変化や生き方の多様化のなかでどのよう に生きているのかを明らかにすることである。そしてもう一 点は,彼女たちがこれまでの人生と再び向きあい語り直すこ とを通して,さまざまな経験を意味しなおす過程や自己を統 合していく過程を明らかにすることである。.
(16) 第2章 方法 2.1研究協力者. 本研究の目的は,老年期をむかえた女性たちの語りから, それぞれの生き方を深く理解することと,彼女たちが自己を 統合しようとする過程を読みとっていくことである。この目 的に適った語りを得るためには,その時々の社会状況などを 含むこれまでの人生を生々しく語るなかで,研究協力者の女 性たちが自分自身と向き合うことが望まれる。このことから, 本研究の協力者としてより適切なのは,自分白身についての 関心があり,心的な活動に対して動機付けの高い高齢者であ ると考えられよう。また,比較的長時間におよぶ言語面接と いう手続きから,言語的コミュニケーションが可能であるこ とや,健康状態が良好であることも条件となる。さらに,本 研究では戦争体験という非常に重たいテーマを扱う可能性が 高い。よって,研究協力者の選定に際しては上記の条件に加 え,より慎重に,より倫理的な配慮をしなければならない。 以上の理由を考慮した上で,本研究では,戦争体験の証言を 集めて後世に伝えていく活動をしている方の協力により承諾. を得た,78歳から80歳の女性4名に対して調査協力を依頼 した。これらの協力者は,地域の平和教育プログラムにおけ る語り部活動の経験している。また,紹介者が本研究の目的 を伝えた際,研究協力に積極的な様子であったとのことであ った。. 2.2 方法・期間・手続き (1) ライフストーリーインタビュー. 本研究ではライフストーリーインタビューを用いた。ライ フストーリーインタビューでは,標準化された質問紙による 質問一応答関係とは異なり,語り手の発話を阻害しないよう に配慮しつつ,比較的自由な会話に基づくインタビューがお こなわれる(桜井・古林,2005)。また,保坂(2000)はイ ンタビュー法の利点について“協力者の反応に即座に対応し, さらにはそれをデータ収集の新たな契機として積極的に利用 することができる”,“質問紙法ではとらえられない深い人間 理解,観察法では知り得ない被調査者の心的過程を直接明ら.
(17) かにできる”と説明している。つまり,ライフストーリーイ ンタビューを用いることによって質問紙では捉えきれない情 報をすくうことが可能となり,多様な人生を生きる協力者ひ とりひとりを深く理解することができるのである。 さらに,桜井・小林(2005)は以下二つのことを述べてい る。第一に“過去に体験された出来事は,言葉によって語ら れることによって,その場でつくられる”ということ,第二 に“ライフストーリーはかならずしも語り手があらかじめ保 持していたものとしてインタビューの場に持ち出されたもの ではなく,語り手とインタビュアーとの相互行為をとおして 構築されるもの”であることである。これらのことから,協 力者と研究者のあいだで行われるインタビューをとおして協 力者のもつ過去の体験が再構築され,そのなかに協力者の統 合過程が現れると考えられる。 以上のような理由から,本研究では,データ収集の方法と してライフストーリーインタビューを用いた。 (2) フェイスシート. フェイスシートに列記されている,氏名,年齢,最近のス トレスイベント,ジェノグラム,研究に関する質問・要望な どを尋ねて,筆者が記録した。 (3)調査期間. 7月中旬から8月下旬であった。 (4) 手続き. 研究者はあらかじめ各協力者による戦争体験の証言を読ん だうえで録音等の許可を得て,フェイスシートの項目につい. て答えてもらい,1回60分から90分程度の半構造化面接を 2回ずつ行った。1回目は「∼さんのこれまでの人生について, 出来事やその時の気持ちなども含めてお話を聞かせてくださ い。」と教示して自由に語ってもらい,2回目は1回目の面接 内容をうけてこちらからも質問した。インタビューの日程は. 統一し,一日に4人(以下Aさん,Bさん,Cさん,Dさん) の語りを聴いた。場所は地域の公民館の一一室で,一人ずつイ ンタビューを行い,ほかの協力者は別室で歓談して待機して いた。. なお, 2回目のインタビュー時におけるDさんに関して, 10.
(18) 交流期問の長い紹介者や他の協力者とは異なり,初めて会っ た筆者や1回目のインタビューに関する記憶が曖昧であった。 そのため,本研究の目的を考慮し,分析の対象とするナラテ. ィヴ・テクストはAさん,BさんCさんの3人分とした。 2.3 分析方法. まず,得られたライフストーリーを逐語化したものをナラ ティヴ・テクストとして何度も精読した。分析には,“相互作 用的なやり取りによる語られ方,物語の構成の仕方や意味づ け方,語りの変化プロセスを問う(やまだ,2007)”研究に 適した,ナラティヴ・アプローチの枠組みを用いている。ナ ラティヴ・アプローチの枠組みのもと,女性高齢者の語る人 生の物語・語る行為のなかに彼女たちの内面をとらえ,これ までの経験や自分のあり方などを意味づけていく過程を考察 した。分析は枝川・辻河(2011)を参考に,ナラティヴの発 生順に沿った語り方の変化や物語の構成などに手掛かりとし て行った。. 11.
(19) 第3章. 結果と考察. 3.1 Aさんのナラティヴ. Aさんは昭和10年生まれで,現在は長男夫婦とその孫3 人の6人で暮らしている。身体の弱かった夫は17年前に亡く なった。戦争体験を紙芝居にして子どもたちに読み聞かせを したことをきっかけに、地域に伝わる伝説などを紙芝居にし たり、学校のバザーで編み物を教えるボランティアなどに積 極的に参加している。. 以下,ナラティヴ(□で囲んだ部分を指す。その他の表記 はそれぞれ次のことを示す。A:Aさんの発言,Iと<山カッ コ>:筆者の発言,囲み部分:同じ表現や同じ意味合いの語 りの繰り返しを考察に取り上げた部分,下線部分:印象に残 った語りや考察でとりあげた語り)を例示しながら,次の2 点を中心に考察を行う。1点目として,Aさんと筆者との対 話のなかでAさんのライフストーリーがどのように構成され ていき,経験の意味づけが行われていくのかを細かく考察す る。そして2点目として,語りのなかにAさんの生き方や統 合過程が現れていると考える部分を考察する。考察をおこな う際,桜井・小林(2005)がライフストーリーを読み解く際 の重要な点としてあげた,“「いかに語ったのか」と,語りの 形式”にも注意をはらった。 後述のB,Cさんの事例も同様に表記する (1) 1回目のインタビュー. Aさんのナラティヴは次のような流れで生成された。1総括 的な人生の語り】【戦時中・戦後すぐの語り】1学生時代の語 り】【結婚から夫の死を経て現在までの語り】【子や子孫に伝 えたいことに関わる語り】. しかし、それぞれの話題が時系列にそって説明的に語られ るわけではなく、当時のことを見つめる視点が昔と現在を行 き来すると考えられる語り方がみられた。また逆に、昔のこ とを語るなかで現在の出来事やAさんについての語りが引き 出されることがあった。. 12.
(20) 【総括的な人生の語り】 A:私もやけど今の歳になるまでせやけど,そうやなやっぱりお金とかには恵まれへんだな。うん,うん。働いた割 にお金(笑)金持ちになれん,いまだに貧乏してますね(笑)んふふふ∼。<うんうん>ほんて親子先祖代々私 は貧乏やなあと諦めてます,うふふふ(笑) (中略) モノ不足と,ほんでいろっんな経験をして,ほでから まあだんだん平和になってきて,それでも貧乏て言うのは<うん>ず一とあと引きずってたもんな,(中略) A:その健康に恵まれへん旦那さんにおうて,<う一ん>それから(笑)(中略) もう明日の命も分からんちゅう ような時代を,塵二雪世話してきたんですよ (中略) (子どもが)高校や,高校生と中学,もう一小学校, 食べざかり!<ん一ん一> (笑)ほいで,なあ,勉強も仕込んだりたいけどそんな余裕もなし,<ん一>ほい でも命あの一,なんやな,金の切れ目は,<うん>命の切れ目。いうた時代やからあ一んなもん,なにから一も う親戚から敬遠されて,<あ一…>せやけど,生活していかな,あかん!し、うて<ん一>とにかく最低限の生 活をず一と塵二至画続けて,でちょうど,屋王国だって,ほいで子どもも,もう結婚できる時分に<うん>ほん で結婚して。ほでそな時分になって初めて逆かはった。 (中略) ま一!一口には言われんほど,(力強く) う一ん,苦労しましたよ。. Aさんはこれまでを振り返ると,まず初めに「やっぱり」 ということばをつけて経済的な恵まれなさに言及した。戦争 が終わり平和な日本を迎えても「引きず」り続けているこの 問題を,Aさんは「親子先祖代々」のものと意味づけ「諦め て」いる。Aさん家の歴史のなかに貧しさを定位することで, 自分の力ではあらがえない定めのようなものとして,あるい は,これまで続いてきたAさん家の歴史のなかに確かにAさ んも含まれていることの証のようなものとして,恵まれなさ を意味づけようとしているのかもしれない。 また,Aさんは夫の病気によって経済的な面で非常に苦労 したことを,強く訴えるような調子で語った。語りには「23 年」という数字が何度も現れ,貧しいなかで看病と並行して 必死に育てた子どもが結婚するような歳になって「初めて」 夫が亡くなったと表現された。ここでは“長い間”や“20年 くらい”という表現ではなく,「23年」というきりのよいと はいえない具体的な数字の強調されている。単に苦しい日々 が長かったと感じるだけではなく,Aさんは,自分が若く活 動的だった時代の生き方に対して、今なお無念さや受け入れ 難きを抱えていると考えられる。 A:とにかく新聞配達やらなんやら,家をたす,助けてくれて。<あ一>ぼし1できたんですよ一。ほいでみな適齢 期になって結婚して,まあ今みな幸せに健康に暮らしてますわ。ぼて孫八人おりますわ。<孫八人!>八人もい ますんで,うふふふ(笑) (中略) やけ振り返れば。まあ日ここまで生きたらいろいろありますわ。. 子どもの結婚や孫が8人も生まれたことが語られるととも に語り方も柔らかくなった。Aさんは少し距離を置いたとこ ろから苦労の日々を振り返り,「いろいろありますわ」と語り 直した。それは,それまでの具体的で生々しい内容の語りに rいろいろ」という表現の布のようなものを被せたような語 13.
(21) り方であった。この語りは,Aさん自身の過去との向き合い 方を表している可能性がある。もちろん,Aさんのことば通 りに,あまりにもいろいろなことがありすぎて面接では伝え きる術がないという想いもあるだろう。しかし,Aさんが過 去の苦労は過去の苦労としておき,あえて積極的にみること はしないという向き合い方をしていると捉えることもできる。 A:心だけ豊かに。これ,老後し、ろんなことさしもろて,生かしてもらうの結構やなあ思いますね。<ん一ん一>自. 分のまあ考え一つで,<あ一,考え一つで>うん!もうっまらんつまらん思うとったらもう,ほんっまに頭上が らへんけど,<うん>いろんなことに挑戦してね,ほんでね,楽しい,老後やなど私思いますわ。まあ,まあ落 ちこぼれかけたけども,(笑いながら)落ちこぼれんとようここまで来たなあ,と思うてます。. 語りはさらに現在の内容に移行した。Aさんは現在の時期 を「楽しい,老後」と捉えており,いろいろな活動を精力的 に行っていることをいきいきと語る。その際Aさんは「∼さ してもろて」「∼もろて」という表現をもちいて,今の暮らし は自分以外の存在によって与えられたものであることを示唆 するような語り方をした。これらの前向きな内容の語りに引 き出されるように,Aさんは「落ちこぼれかけた」ことも含 めでこれまでの人生を総括し,結果的にrようここまできた」 と自分自身に対して肯定的な評価をしている。 【戦時中・戦後すぐの語り】 A:(略) うちの母も何でもできる人でしたわ。うん!も一う,百姓仕事やるが,家庭のな,家事の仕事やるが <ん一>もうほん一まにあの人は明治生まれやからな,<う一ん>学校もいってへんわ。<あ一>せやけど努 力して,父に手紙出す,やっぱり自分で努力して,手紙を出してましたよ<ん一>学校もいってへんけどな。 あの一,ほんまになんでもやれる人でしたわ。<う一ん>う一ん!ほいで,“為せば成る,為さねば成らぬ,何 事も”てよう教えてもろて,ちさい時からな。<そういう言葉があったんですね。ちちゃい頃から。>ん一, あります。(中略) しょっちゅう言ってはったからな。あの,耳にこびりついてますわ。. A:(略) 私はなあえ,欲しがりません勝つまではちゅう<うん,うん>その精神は,やっぱりまだ,<ああ一, そうですか>うん。まだ芽生えてますわ,ず一つと,来てますわ。で,なんっにも別にほしい,な,別にそん な贅沢なもん,食べるもんや着るもん,そんっな贅沢,やっぱりあの時に身に行いとんのかなあ。<ん一>思 いますわ。うちらの嫁やったらな,次から次い一っぱい買うて,<ん一>鞄でもい一つぱいありますねん。(中 略) ほいであれ子どもの時分に“欲しがりません勝つまでは”てやっぱり,叩き込まれてる思いますわ。(略)。 ほやけど最近は時代変わるわな,ころころころころと変わってきて。もう一贅沢三昧ですやな。 A:裕福な人から見たらなあ,おかしいかしらんけどええ(笑)ふふ。まあどんな人生もありますもんね。. Aさんは大変なことがあっても前を向いて生きてこられた のは,自分の「楽天的」な性格によるところが大きいと捉え ており,「切り替え」が大事であると語った。Aさんの考え方 や性格の形成にまつわる語りとして物語は子どもの頃にさか のぼった。. 学校に行けずとも努力し,なんでもできる母親を「明治生 14.
(22) まれやから」と表現したAさんは,“為せば成る,為さねば 成らぬ,何事も”の言葉を体現する母親の姿を見て育つとと もに,その言葉自体も「耳にこびりつ」くほど教えられてき た。同様に,当時の社会において“欲しがりません,勝つま では”の精神を母親からr叩きこまれ」た。これが現在なお Aさんの生き方や考え方の根底に流れているため,息子の嫁 の行動や現代の価値観を「贅沢三昧」という少し皮肉めいた 言葉で表現したと考えられる。その後,「裕福な人から見たら なあ」と,自分のなかに別の視点を置いて自分の生きた時代 とは異なる生き方があることを受け入れようとしていると考 えられる。 I:でもこのときは、別れは寂しくなかったってあるんですけど。. A1(略)召集令状来たから来年から一年生でっしゃろ、そやからその赤い鞄がうれしいてうれしいて、そんなん なんにもお父さん、何にも思えへんだ。うんうん。I:ぶんぶん、やっぱ小さいころは分からないっていう感じの 方が A:うんうん、そや。何か与えてもらったら嬉しいんちゃいますか。<ん一>うん。そんで鞄もね、戦時中やから、 そんな今の牛、牛革のええ鞄じゃないん。<うんうん>もう二年ほど使うたら、馬糞紙やもん馬糞紙いうたら 分からんのん違う<う一ん>底抜けんねん(笑)<笑>そんなんも、まあ来年から学校やっていうからな、も のすご、嬉しかった。(中略) ん一今やったらなあ、いまやったらやっぱりな、あの一、別れてうぬ一、やっ ぱりちょっとジンときまんなあ。<ん一〉今やったら。<うんうん>あの時分は あの一汽車やったやろ。< ぱりちょっとジンときまんなあ。<ん一〉今やったら。<うんうん>あの時分は、あの一汽車やったやろ。< ん一ん一はい>ほいで汽笛かなんか鳴りますやんか。(中略)聞こえますねん山越えに(山越に9)<うんうん 一ん一はい>ほいで汽笛かなんか鳴りますやんか。(中略)聞こえますねん山越えに(山越に?)<うんうん うん>かすかにっていうんかなあ あの天気一、雨の お一 近う時とか聞こえますねん。<ん一>あれ一聞 うん>かすかにっていうんかなあ、あの天気一、雨の、お一、近う時とか聞こえますねん。<ん一>あれ一間 こえたら もの一すごいやっぱりなあえ、あの一 物悲しかった。<ん一>でそりゃものが与えられたらやっ はりなんともよう嬉しかったけどな。せやけどああいう、汽車の汽笛と、やっぱり未だに思い出しますわ。<あ ぱりなんともよう嬉しかったけどな。せやけどああいう、汽車の汽笛とやっぱり未だに思い出しますわ。<あ 一>ん一。この出超えてこだましてね。聞こえますねん遠いとこからやけど。<ん一>今やったらなんっかも うこの歳になっても胸詰まりますね。<ん一>ん一。ん一、せやけどやっぱりものを、ものを与えられたら、 ものにはやっぱり釣られたんかなあ。そやかなあ。んふふ(笑) 烽フにはやっぱり釣られたんかなあ。そやかなあ。んふふ(笑) I1ん一、そのときのお父さんの気持ちってどんな気持ちでねえ、. A:うん、まあお父さんは、もうこれで、戦地行ったら最後かも分からへん、<あ一、うんうん>最後の贈り物や 思うて、くれたんかも分からんしね。んんまあ幼かったからね、まあそんなことぐらいやったかな(大笑い). 話が」,自、ついたため,インタビュイーから、Aさんの父親. に召集令状がきた時に父親から赤いランドセルと花柄の弁当 箱をもらって嬉しかったというエピソードを話題にする。 当時幼かったAさんがもらって喜んだ赤いランドセルは、 語り直していくうちに底の抜ける場糞紙と表現され、父親と の別れを思い出させる汽笛の音という聴覚的な刺激について の語りへとつながった。さらにインタビュイーの問いかけか ら、出征に際してAさんに贈り物をした父親の気持ちを推し 量るが、これ以上深めることはせず「まあ幼かったから」と、 Aさん白身がこの話題を切り上げた。 A:あの出征していくときはな、割と体格のええお父さんやったけど、<ああ、そうなんですね>■帰りにはもうは いだんへいてい(?)いうんか、栄養失調いうんか、見るも哀れな状態やったけどな。<あ一>で帰るなりなり. 15.
(23) 病気に、マラリアと栄養失調。<ん一…>やれやれと思うたん。 I:(略)そういうその、体格が良かったお父さんがやせこけて帰ってこられた(いやあ一そうや一)なんかそれを どういうふうに見られてたのかなって思って。 A:ん一まあ、その時別になにも、まあ嬉しい、お父さん帰ってきた一、まあ、あの時分はもう戦死した人も多いで すやろ<ん一>親戚でも。<ん一>近所でも。<ん一>ほんでその、帰ってきた!っていうのがな、(間)嬉し. かった。うん。<ああもう>うん、もうそれだけですわ。<なるほど>そやけど、まあ何日かたってそやって 栄養失調と、マラリアになって、また、離れていかんな、ほな今度死ぬか生きるかわからん<うん>まあ一せや けどこのくらいほんまに戦争も一すんだけど尾一ひくもんかなあ、て。. 体格の良かったAさんの父親は出征から帰ってくると「見 るも哀れな状態」になっていた。しかし,父親の変貌に言及 しているのは現在から昔を振り返るAさんである。当時のA さんは,父親の衰弱を悲しむよりも生きて帰ってきたことへ の喜びしかなかったことが語られた。当時,それほどまでに 多くの男性が戦死したことを改めて浮き彫りにした語りであ った。. また,終戦を迎えて生還したAさんの父親であったが,帰 宅した数日後に栄養失調とマラリアにかかり,生死をさまよ うような状態におちいった。Aさんは,父親が再び病床に伏 したことについて当時の気持ちを語ることはしなかった。し かし,終戦後も尾を引いた戦争の影響を象徴づける出来事と して,少し距離をおいたところから意味づけた。 A:うん。そうですわ。で、どうにか命はね、つないできて、やっぱり今日食べたものはちょっとでもやっぱり、残 しといて明日につなげようという<ん一>母の教育はあったな。ほいでお米でも、やっぱり当日はちょっとで も倹約して、<うん一>残ったもんは明日に、ほいでまた残りを順繰りにしてましたね。<ん一>うんいっぺ んにその、食べ尽くしたりせずにちょっとずつ、その残しとこう、それ、それは、母はようしてくれたけどな。 うんうん。. その後,父親は無事に治って帰ってきたが,そこからが. もの不足が本格化した時代であった。そのころの生活を,A さんはrどうにか」命をrつないできて」と表現した。ここ から,まさにその日一日をなんとか生き抜くこと,それが来 る日も来る日も繰り返されたことが読みとれる。母親の教育 は「今日食べたもの」を残して「明日に繋げよう」というも のであった。“命”と“食べ物”に同じ「つなぐ」という表現 を用いて語ったAさんは,食べ物を明日にっなげようとする 母親の教育が命をっないだと考えているのかもしれない I1ん一、なんかお母さん、どういう風に映りましたか、Aさんには。 A:う一ん、母はどうて思ってしとってんやろなあ。ん一。まあ、自分の宿命や思っとったん違う?<あ一>女に 生まれた。<あ一、なるほど>う一ん。もう誰でもしてたもんねえ。近所のおばさんも。なあ、自分の兄弟も、 親戚もやっぱり女でも一生懸命、まあいまでも女の人働いてるけど、<ん一>あの一、夫を助けて(少し笑い 混じる)働いて、家計助けとるけど今も、変われへんけど、昔も、もっと、この重労働で、<うん>やってき とると思いますわ。うん、ほんでまあ、子どもの成長を楽しみに、<うん、うん>女の生き甲斐ですわねえ、. 16.
(24) うん。. 父親が倒れてから再び一人になり,母親が中心となって百姓 仕事をしていた。当時の母親について振り返ったAさんは, 母親が自分の生き方を「女に生まれた」「自分の宿命」だと思 っていたのではないかと推察した。筆者はその答えから“割 り切った考え方”というような印象をうけた。しかし,当時 に生きたAさんにとっては,女性は誰でも一生懸命働くのは 当然なのである。Aさんは「まあいまでも女の人働いている けど」「変わらへんけど」などのことばを挟みながらも,昔の 女性は「もっと」夫が欠けた家を守るための重労働も担って いたことを語った。 【学生時代の語り】 A:(略)そうやなあそんとき中学やる、中学、中学校でもあの時分はほとんどの人が高校、高校へ行けしませんで. したわ。<ん一>私らの時代はな、もう中学卒業で、みなあの一手に職付けるてから裁縫とか洋裁<はい、は い>ああいうとこみないかはりましたやろ。そやけど、あの一、今もね、古典。私ら習ってますねん。古典の 先生が、あのその時分、受け持ちの先生でしてん中学三年生の時。<ふん!>受け持ちの先生合もいてはります んで、<息のむ〉あのその先生ものすごい教育に熱心な先生で、<ふ一一ん>そう、その先生に惹かれて。< ん一!>まあ中学三年生の時勉強して、でこのままな、このまま裁縫洋裁みたいな習いにいかんと高校行がし てくれたのんで、<うん>してもらって、ほんて、どうにか高校行かせてもらてんけどな(笑いだす)あはは っは。<う一ん>そやけど親はそんな一もう<あ一>そんな余裕ない一いうて、<ん一>うん、あのう、行っ たらあかん言うてましたけどね。でもやってもろたおかげで、ちょっとした基礎くらいできとるのかなあ、て思 うてますけどね。<ん一>まあよかったなあと思うてますね。それも自分が、上から行け一!いうてやな(笑) あの一、言われたのやなく、自分が、やっぱし道を選んで<うん!>することやと思いますわ、うん。. Aさんは中学卒業後に高校へ進学した少数派のうちの一人 であった。Aさんは教育熱心であった先生に惹かれて進学を 目指したことや,今でもその先生のもとで古典を習っている ことが語られている。おそらく,学生時代における二人の関 係性や,その関わり合いのなかで,Aさんが学ぶことへの喜 びや達成感を得る体験があったのではないかと推察される。 最終的に親からの後押しを得て高校進学できたことが「ちょ っとした基盤くらいできとるのかな」という現在のAさん自 身の評価につながっているようだ。さらにAさんは,外から の圧力によってやらされるのではなく,自分自身の学びたい という欲求によって勉強にとりくむことが重要であると語っ た。現在もさらなる学びを得るために,Aさんは先生のもと で一古典を勉強し続けている。はじめは中学生時代のことにつ いて語り出したにもかかわらず,途中で「今もね、古典。私 ら習ってますねん。」という語りが割り込んできたことからも,. 勉強に対する現在のAさんの意欲を読みとることができるだ 17.
(25) ろう。. 【結婚から夫の死を経て現在までの語り】 I:ん一…。旦那さんとはいつ出会われたんですか?(たん、)旦那さんは、 A:旦那さんは日え一、あの一高校行って高校卒業して<うんうん>そしたら一友達ぼちぼち結婚していきますや ろあの時分早かったもん。<あ一そっか一>ほなぼちぼち連れがおれへんようになってしまって。<ん一>ほ んで(笑)も一、あの一ぼちぼち焦りだして。ほして一時分は“なかどはん(仲人はん)”いうて世話しに来る. 人がおりまして<なかどはん>ながと、“なかどにん”って書きまして。あんな人がおりまして、<あ一えっと “仲”“人”ですか?>うん、<ああ一あ一>こうやって釣書とか持ってね。<うん>あの一娘さんとか、あ. の一<うんうん!>ん一男の人の適齢期の人の行く人がおおじょうおって<ん山ん一>ほいであの人に世話し てもらって、今の旦那さんに、今の旦那さんいうてももうし、おらへんけど(笑)巡りおうて、も、まあ、弱い 人やって。ほんまに弱い人やって(少し自分のなかに入る感じ)。ほんまに、あんな人と結婚して何になったん や…(笑)んっふっふ(低め)。今思うたりしますけどな。<ん一…> 苦労、苦労しに一緒、積んでたんちゃ うかな会も。金も財産もなんっっにも残れへん、子孫だけ残った(笑)<ん一ん一>それだけです(笑)ん一、 もうず一つと弱いずみやったから。…うん、やっぱり健康な人と結婚せないきまへん(最後声ちっちゃく)。< あ一…>うん。うん。(手と手を合わせたりし始める)弱い人はも一ほんまにあかん、んふふ、貧乏くじ引いた 一また弓1いてしゃあないな一思うて(笑)んふふふふ。<ん一…そっかあ…>そうですね、なんにもこれっちゅ う思い山もなんにもあらへん。<もうほんとに動、外にはあそ、遊びにというか出かけたりしにくいような身体 だったんですか?>ん一いやあ、透析いうたら週3でしますやろ、<私透析にっいてあまり詳しくなくて、ん. 一>あのなあ月水金で週3回行きますねん<ん一ん一>初めは、音やったらなあ一、6時間かかるの!<あ一 ・そんなにかかるんですね>うん、入れるのにね。<う一ん>今はもう、3時間か4時間ですやろけどね<う んうん、なんか、はい。>まあかかりますねん。ほないったらしんどいね、<う一ん>ほなもうしんどてちょ っと楽になった思たらまた膜にひかんな(?)さかい、どこへもどっこもない、行けへん。うんうん。<そうで. すよね、週3で6時間ずつだったらそうですよね>うんうん。ん一、もうこれ生かしといてええやら悪いやら (少し笑う)、まあとにかく長男が、<う一ん>就職したり結婚したりするときは、<ん一>やっぱり、父親っ ていうものは大事やから、とにかくいかさなあかんいうて。<ん一ん一ん一>ほいで、一生懸命私も、その一触 強しましたよ、透析療法について<うんうんうんうん>ほいでその一、栄養士の資格でも取れるほど、透析の食. 事作る、栄養、あれ、勉強しましたわ。<はあ一>ん一だいぶ勉強しましたよ。<ん一…>ほいでちょうど23 年。逝ってしまいましたけどな、当時やったら長生きやって言われましたよ。いまやったらもうちょっと医療が 進んでるから、今やったらもうちょっと長生きしはったやろけど。<ん一>も一、その時はそれがな、も一長生 き、感心するほど長生き(笑)んっふっふっふ。そやけど長生きでもなんにもならへん、んふふ。<(何も言え ない)>. Aさんの自発的な語りが途切れ,筆者から夫との出会いに ついて切り出した。Aさんと夫は,「仲人」という第三者の仲 介によって出会い,結婚に至った。Aさんの語りから,Aさ んが強く望んでの結婚ではなかったことが読みとれる。当時 すでに,「家制度」は制度上では崩壊していた。しかし,女性 は結婚して相手の家に入るものであるという考え方がすぐに 払われることはなく,事実上でのr家制度」は依然残ったま まであった。Aさんの結婚も,こうした女性の生き方の前提 として進められたものだったのだろう。 この内容が語られたのは2回目であった。1回目に語られ た時は,夫を「健康に恵まれへん」という表現を用いて説明 したが,今回の語りでは「弱い人」いう表現に変化している。 また,語り方をとっても,体験した苦労を強く訴えるように. 語られた1回目とは異なり,2回目のAさんは苦労を訴える 18.
(26) ことだけに終始しなかった。筆者に向かった語りは徐々にA さんの内側に向いていき,自分の人生において弱い夫との結 婚生活を送ったことがr何になったんや…」と,その意味が 静かに問い直されていた。そして「金も財産もなんっっにも 残れへん、子孫だけ残った(笑)」と結論づけた。Aさんは 23年間という長い間,自分の時間の大半を夫に費やし,その 夫との間に愛情の通ったエピソードは一つとして語られなか った。Aさんは,苦楽をともににしながら生涯を歩んでいく パートナーであるはずの夫との関係において,E.H,Erikson (1950仁科訳1977.1980)の述べる“親密性”を見いだし “愛の相互性の感覚(E.H.Eriksoneta1.,1986朝長他訳 2007)”を得ることができなかったのだろう。 Aさんは「やっぱり」という表現を頭につけて,「健康な人 との結婚せないけません」と語った。それは筆者に対して伝 えているようでもあり,弱い人と結婚した自分の人生を後悔. する気持ちの表れでもあるのだろう。最終的にAさんは,苦 しかった結婚生活のすべてを「貧乏くじ」を引いた結果とし て大胆に意味づけた。受け容れられない過去を無理やりにで も受け容れようとするならば,その過去の全ては自分の力が 及ばないほど大きな力によって与えられたものとして意味づ けるほかないのかもしれない。. また,自分の時間の大半を夫の透析治療についやしたAさ んは,当時夫のことを「もうこれ生かしといてええやら悪い やら」と考えていたと語る。この語りだけに注目すると,非 常に過激で夫を人間としてみなした表現ではないという印象 を受ける。しかし,逆にいうならば,“女性は夫を立てるのが 当然である”という考えをもっているAさんにここまで言わ しめるほど,当時のAさんは追いつめられた状態であったと. 考えられる。このような状況下でAさんは,夫の存在を“長 男の父親”として位置付けることで「生かさなあかん」とい う看病の必要性を見出したことが語られた。 A:ん一、そうやなあ、ま一、せやけど、なんでもせやけど、耐えることも大事やなあ。どんな困難でも、耐えてい く。そしてやっぱり気分、気分いうんかこの考えのあの切り替えも大事やと思うわ。<う一ん>そやけど、まあ そんな病人さんをかかえて、そのくらい、な、この人と離婚して次いって一って、そんな、な。<ん一>ことも できひん、やっぱり、責任感あるわ。やっぱり添うた以上はちゃんと、せんと。<ん一…>あの、その人のため にな、ってっと、そういうのもあるし。そのままなんか、ずるずると引っ張ってきて、くうんうん>あの一、私 の一生ですわ。<ん一>. 19.
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