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では3人の協力者から得られたナラティヴ・データ から,協力者それぞれの生き方の理解と,語りから読みとれ

る経験の意味づけを通して行われている統合の過程を考察し た。そこでは,あえてそれぞれの個別性の高いナラティヴ全 体を,その発生順に沿って細かく考察することで,協力者一 人ひとりの人間理解を目指した。

 本章では,3名のナラティヴや統合性における共通点や,

新たに得られた知見をあげ,女性高齢者への心理臨床的支援 に必要であると考えられる視点について述べる。そして,女 性高齢者である協力者が現代人である筆者に語ることが;協

力者にとってどのような意味を持つのかを考察する。

4.1 協力者の語りに現れた統合過程における共通性

 E.H.Eriksoneta1.(1986朝長他訳2007)によると,老年 期における統合された状態とは 永続的な包括の感覚と、そ れに対して絶望、すなわち恐怖と望みがないという感覚との 間の緊張のバランス が取れている状態であると説明されて いる。鐘(1990)はこれをもう少し噛み砕いて,以下のよう に説明した。 死を受容し,これまでの生涯の全てを自分の者 として受け容れること。これを肯定的な部分も,否定的な部 分も統合して受け容れていくこと。そして次の世代への関心 と,家族や地域を超えた,もっと大きなものへの関心,人類 への関心をもち,生き続けること

 本研究で考察した3名の女性高齢者のナラティヴに現れた 統合過程についての共通性としては,最終的に,どの協力者

も自分の人生そのものに対して肯定的に受けいれており,死

に対する拒絶や恐怖は語られなかったことがあげられる。決 して問題のない人生ではないながらも,全体として総合する とどの協力者も絶望と統合のあいだのバランスがとれている 状態にあったといえるだろう。

 一方で,わずか3名のナラティヴのみを取り上げても,生 きるなかでの様々な体験や葛藤に対する態度の多様性があら ためて浮き彫りになった。積極的に態度としては,ある体験 を自らことばにして意味づけし直すことで積極的に統合して いったり,これまで得られなかった部分を現在や未来におい てでなにかを補い続けようとする態度などが読みとれた。

 逆に,積極的とは言えないような態度で葛藤や過去と対時 する様子も見受けられた。それはときに,それらをなかった

ことにするようにあえて向き合わないという態度であったり,

やまだ(2005)が用いた r過去は溶けて全てよし」 という 表現のように,ネガティヴな体験や葛藤の存在を強く自分の なかから排除するわけではないが,もうよいではないかと折 り合いをつけようとする態度であった。さらには,あらゆる 因果を自分には抗うことのできないようなもっと大きな力の 存在に帰属させることによって,なかば強制的に自分を納得 させようとする態度もあった。これは,戦時・戦後の日本と いう,決定的なしかし自分たちではどうしようもないもの不 足の状態や,追従することを求められた女性として生きてい くために,割り切ったり折り合いをつけるという手段が残さ れていなかったことが影響しているのだろう。これについて は,協力者の,そういう考え方をするしかないという語りや,

これが当たり前であるという語りに現れていると言える。

 それは逆に,あのような社会背景であったからこそ生まれ た,人との強い結びつきや,叩きこまれた価値観がゆるがぬ 信念として中核となったこと,そして厳しい時代を生き抜い た自分への信頼などが拠り所となっていることが示唆された。

E.H.Eriksoneta1.(1986朝長他訳2007)は,人が人生の最

初に出会う心理社会的課題において,不信を上回ることが理

想とされる基本的信頼が, 後に続くすべての心理社会的な力

が健康的に発達するための支えとなる。従って,老年期にお

いては,この力は,これまでのすべての心理社会的課題の再

統合と非常に密接な関係がある と述べた。3名の協力者は 特定の宗教についての信仰心を語ることはなかった。しかし,

3名全てが拠り所となるなんらかの信念を自分のなかに持っ ていたことが,これまでの生き万全体や,自分のいいところ も悪いところも統合した状態で受け容れることができていた

とも考えられる。

 さらに,Aさんのナラティヴ考察でも述べたように,協力 者が語り部をはじめとする,なんらかの社会的な活動をして

いることも大きな要因であろう。

 本研究では,得られたナラティヴから,女性高齢者の自己 の統合過程においてこれまでの葛藤に対する多様なかかわり 方が存在していることが明らかとなった。決して,それらを 前向きな方向に再構成していくことだけが統合に向かうため に必要な取り組みなのではない。そして,女性高齢者の生き てきた時代の社会背景を考慮すると,あえて対照的な表現を するならば,葛藤や問題に対する消極的な向きあい方であっ ても,それは統合に向かうための手段として昨日しているの である。この視点は女性高齢者の心理的支援においても重要 であると言えるだろう。またこの結果は,黒川(2004)が白 身の臨床経験から, 統合 と 絶望 の状態が完全に二分さ れているのではなく,葛藤・混乱などをも内包した統合性こ そ,日本の女性高齢者の したたかな強さ であると論考し たことを支持するものとなった。

4.2 主観的な 戦争体験 の存在

 本研究の協力者のように,実際には空襲を受けるなどの直 接的な身の危険をともなう体験をしていない人であっても,

その人にとっての主観的な 戦争体験 が存在することが明 らかになった。例えばBさんは,戦争体験を思い浮かべる時 に縁故疎開による家族との離別体験や,疎開先で感じた肩身 の狭さをBさんにとっての 戦争体験 として位置付ける可 能性もあるのだ。

 これまでに行われた,ほとんどすべての戦争体験を扱った

研究は,実際の空襲や砲弾などによって生命の危機を実際に

感じた人を対象にしていた。それらの凄惨な体験を聴取する

ことや,そういった高齢者に対する心理的支援の重要性は言

うまでもない。しかし,そういった凄惨な体験がクローズア ップされるなかで,本研究の協力者のように比較的危険な目 にはあっていない高齢者が抱える戦争の爪痕による心理的苦 痛は見落とされがちなのではないだろうか。

 このような点において,本研究は,これまでの戦争体験へ の関心の偏りに新しい視点をもたらしたといえるだろう。

4.3 協力者が筆者に人生を語る意味

 インタビューのなかで,協力者は自分の人生を筆者に語る ことを肯定的に捉えているような語り方をした。いずれの協 力者も,生い立ちや私的な部分まで話すのは初めてであり,

気持ちについてはr嬉しい」r安心する」rスカッとする」な どと表現された。協力者は,現代の日本において,高齢者で ある自分たちは出しゃばっては行けない存在であると考えて いた。現在の充実や人生への満足とは裏腹に,現代の日本社 会における高齢者という存在を悲観的に捉えている。これら のことから,本研究において,ある種のマイノリティーであ る協力者が 自分の戦争体験 ではなく 自分自身 に関心 を持たれ,受容的に語ることのできる場を提供されたことは,

非常に意味のある体験であったと推察される。

 また,協力者と筆者は,50ほどの歳の差がある。協力者は 筆者に対して,ときに孫に聞かせるように語り,ときに,自 分の物語を外の世界に伝える仲介者に訴えるように語った。

あるいは,協力者を意識していない様子で語ることもあり,

現代人に感じる憤りや情けなさを代表となった筆者にぶつけ るように語ることもあった。また,このようにさまざまな立 場に変容していく筆者に対してであるから引き出された語り も,語れない内容もあったようだった。特に協力者との対話 のなかで筆者が強く感じたのは以下のことである。つまり,

協力者は歳の大きく離れた筆者に語ることに対して,聴いて ほしい思いと,これまでの他世代との関わりから,話しても 理解されないだろうという葛藤を抱きながら語っているとい うことである。それはr分からないだろうけど」とかrおか しいと思われるかもしれないけど」などという表現を,話し 始める前に付加するところにも表れているといえるだろう。

臨床現場においても,莫大な経験や知恵をもった女性高齢者

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