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日本の近代化と国民教育

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Academic year: 2021

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(1)Title. 日本の近代化と国民教育. Author(s). 大坪, 嘉昭. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 30(2): 29-39. Issue Date. 1980-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4806. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 日本の近代化と国民教育. 大. 坪. 嘉. 昭. は じ め に. 本小論は近代日本におけ る教員を対象とする共同研究の過程の中 で書かれた. それゆえ共同研究 がまとまり,刊行される段階 では,そこにおいて 筆者が分担する論稿の中に本小論の一部は生かされ るであろうけれど, 本小論なりにそなえているまとまりは, そこ では崩されてしまう であろう. そ のように考えて本紀要に投稿する次第である, 共同研究においては明治期の教員 をとりあげなけれ ばならず, 資料の上で様々 な制約に出会っ ているが, .直接教員をとりあげなくともすむような形 で, そのような制約から免れるものをまとめ たいというのが, 本小論の書かれた第二の理由である,. (一) 明治維新は,アジアやアフリカの諸国を自国の経済体系に植民地 として強制的に組み入れつつあっ ) た西洋の列強国からの外圧に対する防衛という側面を有する革命であっ た1 , 幕府にとっ てかわっ た明治政府の何よりもの課題は, 外圧に対抗しうるにたる国家の統一的統治 機構の形成であり, そしてその機構を通じての産業の急速な発展と, 軍事力の増強 であっ た. 不平 等条約の存在, 隣国の中国への西欧列強の進出にみられるように, 外圧はさしせま‘ っ た問題 であり, 政府は富国強兵政策を早急に実現することをせまられていた, ところ で, 近代産業を発展させるためには, 科学技術の発展と膨大な資本の投資が必要 である. 科学技術に関しては, 西洋への留学生の派遣,.多数の御雇外国人の雇用, 国内 での彼らの指導によ る科学技術者の養成, 学校の普及とその教育内容への西洋文化の組み込みなどを通じて, 急速な西 洋文化の導入がはかられた. 日本の近代化過程において, 国民教育は, 第一にそのような西洋文化 の導入を促進する過程の重要な一端をなすものとして組織化されていっ た. ところで科学技術は外国から導入するとしても,資本の調達を外国の導入に頼ることに対しては, 政府は極めて慎重であらざるを得なかっ た. なぜなら, 外国資本の導入が後進国の独 立を危くする ことは, 十分に自覚されていたからである. それゆえ, 外国資本の導入はやむをえない場合に限定 され, その場合にも外国資本を導入した産業の主導権を確保することに非常な努力がはらわれた. たとえば新政府は, 幕府が米国に賦与した鉄道建設の利権を王政復古直後に早く も回収 し, 独自に 鉄道建設事業を推進しようと している, このような新政府の計画も, 資金調達が困難なため, 百万 ポン ドのイ ギリス公債に頼ら ざるを得なかっ たけれど, 新政府は鉄道敷設事業の主導権を確保する ) 鉄道事業に ついで多額の資本を必要とした鉱山事 ことに非常な努力を払い, それに成功している2 . 29.

(3) . 大 坪 嘉 昭. 業に関しても, 外国に頼ることは技術指導に限定し, 新政府は明治5年の 「鉱山心得書」 6年の「日 } 本抗法」 を通 じて, 外国人による鉱山経営の利権の取得を禁止した3 . このように 外国資本の導入になるべく頼らないように努めるとしても, 産業化を急速に達成する ためには膨大な資本が必要 であるということには変り がなかっ た. しかしながら明 治の初年にあっ ては, それを民間資本に 頼るには, その資本の蓄積はあまりにも小さす ぎた. そのような状況にあっ ても, 産業化を急速に達成するためには, 新政府は資本が徐々に蓄積されていくのを待っ てはおれ なかっ た. 資本の蓄積を急速にはかるために, 政府自身が資本の調達と投資, そしていわゆる政商 } 政府による資本の調達は いうま でもなく租税の徴収に頼らざるを得な 資本の育成に乗り出した4 , . かっ た. このような事情の もとにおいて, 政府は産業の急速な発展のためには, 重い租税負担を農 } しかもその重い租税 負担が金納化され 作物の収穫高にかかわらず一 民に課さ ざるを得なかっ た5 , . 定 であっ たことは, 景気の変動とあいまっ て, 租税が払えず借金し, 借金がはらえないために土地 } この困窮化した農民の増加は 産業にとっ ては を手ぱなし, 困窮化していく農民を増加させた6 , , . 被雇用者の賃金を, 低い水準におさえておくのにきわめて有利な条件であり, 民間 での資本の蓄積 } しかしながら一方 ではそのような資本の蓄積過程は 生活に困っ た人々のみならず, を促進した7 , . 大土地を所有しているため 多額の税金を払わされる豪農層 たちの不満をひきおこさ ざるを得なかっ た, そして, 30万人をこえる農民が参加 した数々 の地 租 反対農民騒擾や豪農層をまきこんだ自 由民 } それらに直面した明治 政 いわゆる 激化事件が続発した8 権運動や, それと農民騒動とが結びついた・ . 府は, 治安のための法令の 強化や警察・軍隊の増強につとめ, それを行使 して厳しく取締っ た. そ のような治安力の行使と同 時に, 政府は, 国民自身に愛国心を形成し, 国家のために自己の消費欲 を抑制 し, 労働にうちこむことなどを説くイ デオロギー体系を, 国民の心の中に内面化するための 国民教育の組織化ないしは再組織化につとめた. 国家はこのような国民教育 を通じて, 単なる権力 の強制による国民の服従を達成するのみ でなく, そのよう な権力 を正当化するイ デオロギー体系を 教え, 自発的に国家や集団に 服従・貢献する国民を形成 しようとした. そしてそのような国民をふ やすことに相当程度成功 した際には, 服従しないメン バーを国家機関にかわっ て自発的に罰するメ ン バー を確保する可能性も高まっ た. このように産業の急速な発展を課題とした日本の近代化の過程において, 国民教育は, 第一に西 洋文化の導入を促進する過程の重要な一端をなすものとして, 第二に資本の急速な蓄積に必要な国 家や集団に対 する国民の服従や貢献を確保する過程の重要な一端をなすものとして, すなわち愛国 心や愛社心, 節約や勤勉などをとく臣民教化イ デオロギー体系を, 国民の心の中に形成しようとす るものとして, 位置づけることができる. これとほぼ同様なことは, 軍事力の急速な増強を課題と しての, 日本国家の近代化過程における, 国民教育の位置づけに関して もいえる. 軍隊の増強のた めに, 産業の発達や, 膨大な軍事予算の支出が必要 であることからして も, このことは当 然である が, さらには軍人自身に近代科学技術の学習 が必要 である. そして軍隊は国家の ために最高の犠牲, すなわち自己の 生命や愛する息子の生命を国家にさし出す国民を必要とする集団 である. さて, 日本の近代化過程における国民教育の ごく簡略な位置 づけを以上 で終えて, 以下明治期を 中心と して, 前述した国民教育の二つの側面のうちの後者, すなわち忠良なる臣民として国民を形 成するための国民教育に主たる焦点をあて, 述べていくことにする.. 30.

(4) . 日本の近代化と国民教育. (二) 明治新政府のリー ダーたちが西欧文明に対してよせていた並々 ならぬ熱意関心は,明治4年11月 12 日から明治6年9月 1 2日の2年近く をかけておこ なわれたいわゆる岩倉使節団 の米国・ヨー. ) この使節団には 岩倉・木戸・大久保 とい た当時 ロ ッ パ諸国の回覧にもみてとることができる9 っ , . の政府の実権を握っ ていた実力者たちが顔をならべ, 東久世通祷, 伊藤博文, 佐々 木高行といっ た 0 } そしてこの使節団には 中江篤介 金子堅太郎 団琢磨 津田梅ら 59 高官たちも参加 していた1 , , , , , 1 ) 名の男女留学生も途中まで同行していた1 . 明治初年の日本における西洋文化の学習意欲の高さは, 御雇外国人の書いた日記や1の , 様々 な翻 3 } そして政府もまた 学制頒布の翌月 訳書, 啓蒙的書物, 洋風風俗の普及など様々 な面にみられる1 , , , 明治5年9月の 「小学教則」 において, 数々 の翻訳教科書や啓蒙的教科書を例示していることにみ られるように, 学校教育を通じてそのような西洋文化 の学習の奨励につとめた. 政府の いわゆる開 明派官僚たちにとっ て, そのような文明開化と, 国家治安の維持とは, 矛盾するとは考えられては いなかっ た. 様々 な翻訳的・啓蒙的教科書を例示した 「 J ′ ・学教則」 が出されたのと同年 に, 文部省 4 ) は, 日本の神代の記述や歴代天皇 の事績の記述を含む教科書 「史略」 を刊行している1 . しかしながら, 政府が拠り所とした万世ー系の天皇に権威の源泉を求める国家論は, 西洋から移 入されたルソーやミルなどの政治的イ デオロギーと調和する性質のもの ではなかっ た 天皇の教育 . にあたっ ていた元田永年をはじめとするいわゆる儒教主義者たちの反対は, 開明派官僚たちとて政 府の権威を万世ー系の天皇に求める以上は, 無視できるもの でなかっ た 伊藤博文や井上毅たちに . とっ ても,国民の支持しな い政府は別 なものにとっ てかえられるべき だとする政治イ デオロ ギーは , やはり学校 で教えられてよいはずがなかっ た, 彼らの反対の根拠は, 政府が国教を樹立すべき では ないこと, 漢学を学ぶ生徒こそかえっ て治国平天下のことを論ずる傾向 があることに求められてい た, そしてそのような生徒こそが, 欧州の正統派に属 しない余流の政学に投じて いるのだと述べて 5 ) これは伊藤博文が元田の起草した 「教学大旨」 に対して行な た反対論 であるが (その起 いる1 っ . 草は井上毅にあたらせた) , 彼やその仲間たちにとっ て, ドイツ帝国における政治学, 国家学, 法学 6 } こそ, 欧州はさておいて日本の正統派の政学たるべきものと考えられていたの であろう1 . 彼らはやがて, 万世-系たる日本の国体を貫きつつ, しかも, 西欧諸国から侮られない憲法を作 7 ) 伊藤もまた天皇 を敬い万世ー系の国体の確立を願う 患いの熱さに 成するという大任を果たした1 . , 8 ) しかしながら その尊王愛国の学校教育は 古い かけては, 元田には劣らないつもりであっ た1 , . , 教えの復活 であっ てはならず, 近代日本国家の国民を形成するのにふさわしい教育 であるべきだと 考えていたの である. 伊藤は欧州各国における組織および運用の調査のため に滞欧中に パリ で会っ 9 } そして明治1 た森有礼にそのような教育への思いを託した1 8年12月に伊藤にとりたてられ文部 . 大臣に就任した森は, 4 ヶ月たらずの間になした一連 の学校令の公布をはじめとする各種の学校制 度, 教育行財政制度の改革を断行していっ た, そして自ら精力的に全国をまわり 学校教育にたず , 0 } それとともに森は 明治20年5月に至 て 従来の儒教的 さわる者たちの指導に努力を傾けた2 っ . , , 修身教科書の使用 を禁止し, さらには, 昔ながらの儒教主義で修身を教えていては時勢に適合しな いとして, 近代日本国家の国民の倫理にふさわしいと彼が考えるところの倫理を説く教科書の 「倫 1 ) しかし コモンセンスに於て道理と認めるところのものを倫理と 理書」 を能勢栄に執筆させた2 . , して提出しようとするこの教科書は, 元田ら のみならず, かつては啓蒙主義者の代表であり, 明六 31.

(5) . 大 坪 嘉 昭. 3 } ただし一度も使用 2 } 一度も使用されずに終っ た2 社 で森と仲間 であっ た福沢諭吉にま で反対され2 . , 明治初年以来森自身が表明 べきではないと思う 元田らの反対のみに帰する されなかっ たことを, . 4 } していたイ デオロギー, すなわち万世ー系の皇 胤の無窮にその神聖性を認める国体イ デオロギー2 を根底に据え, しかも近代国家の成員にふさわしい倫理を示すということは極めて困難だっ たの で ある. 近代国家の成員にふさわしい国民像の森による探究は, 痛ましくもそのような困難性ゆえに 挫折を余儀 なくされたの である. ここ では詳しく論述しないが, 森が暗殺されたことは, 森のその ような国民像の探究と無関係 ではなかっ た. 森の暗殺以後, 府県知事たちの要望をうけた内閣総理大臣山県有朋のもとで, 国民教育の基本と なっ た教育勅語が制 定されるが, その草按の起草者は, 伊藤博文のもとで元田に対する国教樹立反 対論を起草し,立憲君主国家の基礎をなす大日本帝国憲法の作成にも参加 したあの井上毅 であっ た. 元田の執念がそのような井上の手を借りて実っ たということは, 森およ び能勢による倫理教科書の 顛末とならん で, 明治期の国民教育を あ ざやかに象徴する できごとであっ た. 山県内閣のもとでは 井上ないしは, それを支持する閣僚が元田と どう しても妥協 できなかっ た点は,「国憲ヲ重シ国法ニ 6 ) 遵ヒ」 の事項と, 教育勅語の発布手 続に関してだけであっ た2 . 井上の草按の字句に対する元田の修正力竣めを奏した事項のうち注目すべき点は, 井上草按にあっ ては 「爾 (なんじ) 衆庶」 と呼びかけているのに対して, 元田の修正にあっ ては 「爾臣民」 となっ 6 ) この修 正は その後に 続く 「兄弟ニ友ニ」 などの私的個人間の倫理や, ているということである2 , . 勤勉や節約を説く倫 理さえもが, 君主から臣としての国民に説かれる倫理として, 規定されるとい う性格を更に強めた. いいかえれば, 兄が弟と仲良くするということが, 兄の弟 に対する倫理 であ るにとどまらず, 天皇陛下から要請される臣民としての義務 であるという性格が強まっ たというこ ロ バート N と である,1 .ベラーは江戸時代の様々 な倫理を分析した上 で, 勤勉や節約といっ た世俗内 禁欲主義倫理が, 神聖な, または半ば神聖な上 位者に対する義務と密接に結 びついていることを述 7 } そのことは教育勅語に も見出される そしてさらには 私的個人と私的個人との間 べているが2 , . , の倫理も, 天皇から要請される義務とされている, 天皇を神聖なる存在と信じた人 たちにとっ ては, まさに勤勉や節約に宗教的意味が与えられたといえよう. ベラーをしていわしめれば,「そのような 倫理が深く経済的合理化にかなっ ていたことは, かのウエー バーの プロテスタンティ ズム研究の主 7 ) 要 点 で」 あ っ た2 .. それはともかくとして, 井上が, 勅語にとりかかるにあたっ て留意していた 「君主は臣民の心の 良心に干渉せず」 という原則は, 教育勅語の内容においてはやくも崩れている. そして 「政治上の 8 ) 4年に 」 という井上の注意事項も明治2 命令とは区別された社会上の君主の著作公告の形をとる2 「小学校祝日大祭日儀式規定」 を文部省令として布告し, 教育に関する勅語を儀式において奉読す 9 } 全く無視されたといえよう かく して天皇は国家の政治上の命 べきことを命ずるにいたっ ては2 . , 令の権威の源泉であるのみならず, 政治的命令と一体化した道徳の権威の源泉たるべきも のとなら れたの・である. 天皇を権威の源泉とする国教の樹立に老いの情熱をかたむけていた元田は, 教育勅 語の漢発の後, 3 ヶ月足らずしてその生命を終えたが, もっ て冥す べしといえよう. 天皇を権威の源泉とする臣民教化イ デオロギー体系は, 学校教育の分野においては, このような 過程と, さらには教科書の検定化, 国定化や日清・日露戦争体験の学校教育への吸収などの過程を 通じて, 教典化され, 生徒に教えられていっ た. そして天皇を権威の源泉とする臣民教化イ デオロ ギー体系を国民の心の中に形成する上 で, 学校教育とならんで重要な役割を担っ ていたのが, 軍隊 における教育 であり, 社会教育 であっ た. 軍隊教育における教育勅語にあたる陸海軍軍人ニ下シ給ヘル勅諭すなわちいわゆる軍人勅諭は, 32.

(6) . 日本の近代化と国民教育. 0 ) 総理大臣として教育勅 5年1月に早くも制定されていた3 教育勅語に先立つこと8年前の明治1 , 語の湊発を推進した山県有朋の言を検討するならば, 軍人勅諭こそ山県が府県知事たちの徳育に関 1 } それはとも する要望を勅語として実現しようと, 考えるに至っ た源をなしていたことがわかる3 . かくとして, 人々は軍隊に入っ てこそ, 臣民であること, すなわち天皇陛下の 家来であることを実 感 できた であろう. それま で君主につかえる経験をもたなかっ た平民たちは, 軍隊に入ることを通 じて実質的に天皇陛下の家来となり, 武士の主君に対する倫理を源とする忠君愛国倫理を 教え込ま 2 ) れた3 .. 社会教育分野においては, 後で述べる国家神道を通 じての教化とならん で, 臣民の教化の上で重 要な役割を担っ ていたものに, 天皇の地方巡幸があっ た. 明治天皇は97回にもわたる地方巡幸を行 なわれている. そのうちでも六大巡幸とよばれる巡幸は, それぞれが実に1ヶ月半から二ヶ月余り 3 ) このような地方巡幸を通じて 明治政府は にわたる長い期間をかけてなされた巡幸であっ た3 , , , 天皇 が日本の君主であることを国民に教え, しかも天皇 が高齢者や災害にあっ た者たちに救いの手 をのべて下さること, 親に孝行をつくした者や, 主人に信義を立てた者, 婦女の道を正しく守っ た 節婦に, 御褒賞を下さること, 官軍に従い討死した忠臣に対しては, その遺族のことを心配して下 さることなどを示し, 聖徳をそなえた君主としての天皇イメージを人々に浸透させることにつとめ ) た34 .. (三) 学校教育や軍隊教育, 社会教育の各分野におけるこのような諸過程をへて形成されていっ た臣民 教化イ デオロギー体系 において, 最上位にお しあげられていっ た倫理はいわゆる忠君愛国倫理 で あっ た. かつては武士ないしは公家 であっ た明治政府の指導者たちや侍講たちにとっ て国を愛する ということは, すなわち主君に忠義あるいは忠誠をつくすことであっ た. そして, 今や天皇陛下に 権威づけられて, 思いもかけなかっ たような高位・ 高官の地位を占めている彼らにとっ て, 天皇や 5 ) ま 国家に対する忠誠倫理を重んずべき倫理だとすることは当然なことだと考えられたであろう3 , た, 彼らによる国家の統治 が天皇の名においてなされる以上, それに従うべき国民においても, 忠 君としての愛国心が存在することが必要であっ た, しかしながら, それが必要 であっ たとしても, 君主につかえた経験をもたない平民をはじめとする国民に忠君愛国倫理 を浸透させていく ために は, 次のような課題が達成さ れなければならなかっ た. その第一の課題は天皇や国家の至尊性, すなわち, 天皇や国家 がこの上もなく尊い存在であるこ とを国民に信じさせること, あるいは天皇や国家の至恩′性, すなわち国民 が天皇や国家から受ける 恩がこの上もなく深いものであることを国民に信じさせることであっ た, 第二の課題は恩 には報い 6 }を徹底させることであっ た 第三の課題は忠君愛国倫 よという徳川時代からひきついだ報恩倫理3 . 理の臣民による実践の模範例を示すことであっ た, 第四の課題は天皇や国家に, 忠をつく した臣民 を顕彰し, 天皇や国家に背く国民をきびしく処罰し, それを見せしめとしたり, あるいは国民の目 から隠すこと であっ た. 以下 これらの課題 のうち第一と第三の課題に限定し, それに対してどのような取り組 みがなされ たかを考察することにする. しかも特に第一 の課題に主たる重点をおき, 第三の課題に関しては, ごく簡略なものにとどめる. 天皇や国家の至尊性を信じさせる課題は, 時には天皇や国家の至,悪性を信じさせる課題と変らぬ 33.

(7) . 大. 坪. 嘉. 昭. ものとみなされて説かれた, というのは, 日本の宗教倫理思想の伝統の中にあっ ては, ある存在が この上もなく尊いとする根拠づけが, その存在から受ける恩がこの上もなく深いことにしばしば求 められていたからである. たとえば真宗において如来の至尊性は, 一切 の衆 生をお救い下さろうと 7 } これに対して カルヴィ ニズム する如来の本願の大いさ, その仏恩の深遠さから説かれてきた3 , . の予定説における神は, 救われない者を前もっ て予定しているにかかわらず, 信者にとっ ては至尊 の存在 であっ た. 神の愛の無条件性を説く上 では, キリスト教は浄土真宗と一 見似かよっ ているけ れど, キリスト教にあっ てはその無条件性はイエスキリストの十字架における自己犠牲を通じて啓 示されたものであっ た. そのようなキリスト教 の性格をつきつめて教義化すると, 人がこの世で良 い行いをするかいなかに依存せず, 神は前もっ て予定している者のみを救うというカル ヴィ ニ ズム 8 } のような教義がうまれてくる余地 があっ た3 . 仏教の源流にま でさかのぼれないけれど, 浄土真宗においては, 如来の尊さはカルヴィ ニ ズムと は対照的に, その恩の深遠さからとかれてきた. そして主君の尊さもまた, 家代々 が家ろくを主君 9 ) か ら い た だ いて い る 恩 の 深 さ か ら, し ば し ば と か れ て き た3 .. そのような事情 で, 忠君愛国倫理を国民の心の中に形成するために第一 と第三の課題がいかにと 1 生の課題は併合ないしは併行 りくまれたかに関する以下の考察にあっ ては, 至尊性の課題と, 至群′ して考えるのが適切 である. 天皇の至尊性は何よりもまず, 天皇は太陽の神の子孫 であることに求められた.この様な教義は, 欧米のキリスト教徒にとっ ては神を冒涜するものと受けとられようが, 先祖を聖なるものとして崇. 1 0 ) た だし 臣民もま ) そ れ ほ ど受 け 入 れ が た い も の では な か っ た ろ う4 拝 す る す る 人々 に と っ て4 , , .. た氏神や聖なる先祖を有するもの であるなら, 天皇 が神の子孫 であることだけから, 天皇のこの上 もない尊さを信じさせることは困難 である. この困難を解消するためには, 天皇の祖先にあたられ る天照大御神が, 臣民たちが崇拝する神々より上位にある神 であることを説く教義が必要 である. そのような必要のもとに, 天順大御神と伊勢神宮を頂点とし, 神々 と諸神社に序列を与える国家神 道体系が形成されていっ た. かく して全国の神社は, 官幣大社から無格社にいたる11の序列体系に 組み入れられ, それらに組み入れることのできない神社は, 廃止されたり合併されたりしていっ た. そして大正初年にいたるまで, 約8方もの村社や無格社クラスの神社が合併または廃止されていっ 2 ) しかしながら そのような過程は 全体としてみれば 国民の宗教心を弱め ざるをえなかっ た4 , , , , た であろう. 天皇の尊さやその恩の深さを増すための第二の方策は, 天皇の祖先がいかにす ぐれた方々 であっ たのかを説く教材を充実することに求められた. そのような教材を通じて, 歴代の天皇がいかに武 勇にす ぐれ, 英明なるお方であっ たか, そして民を憐み慈しみ給う心がいかに深いものであっ たか を, 国民の心に染みわたらせようとした. そしてそれと同時に, 明治の中期ま で教科書の内容にま ぎれ込ん でいた武烈天皇や後醍醐天皇などに関する都合の悪い記述や, 天皇の万世一系性を疑わせ 3 ) しめるような記述を教材から取り除いていっ た4 . 天皇の尊さやその恩の深さを増すための第三の方策は, 明治天皇自身の 聖徳を高め, それを国民 に知 らせることに求められた. そのためにまず天皇には 元田をはじめとする侍講がつけられ, 彼ら は天皇の人格形成に深い影響を与えた. そして天皇は聖徳高かれと願う彼らの期待に懸命になっ て こたえようとなされたよう である. 明治天皇は, 夏の暑い盛りにも, 明治6年8月に箱根に避暑に でかけられただけ で, その後まっ たく避暑, 避寒に でかけられなかっ たという. 宮内大臣が勧めて も, 「城外の路上を見よ, 烈日のもと粒々 背に汗して, 荷車を挽く老夫は如何」 といわれて, ききい れられなかっ たという逸話や,「雨中の統監」として教科書にも入れられた逸話など数々 の逸話が伝 34.

(8) . 日本の近代化と国民教育. 4 ) それらの多くは たとえ装飾 があるにせよ全くの作り話しではないであろう えられているが4 , , , 5 ) その むしろ明治天皇は聖徳ある天皇 であるうと, なみなみならぬ努力をなされたと推測される4 . 6 ) あるものはマスコミを通じて民間に流れて ような逸話のうちあるものは教科書に取り入 れられ4 , 7 } そしてまた天皇の詠まれた御製は教科書に取り入れられ 天皇の 「御聖徳の山より 高く いっ た4 , . , 8 } 御仁愛の海より深き」 を国民に教えようと した4 . しかしながら, そのように国家神道の布教につとめ, 明治天皇の聖徳や歴代の天皇の聖徳 を強調 するだけ では子どもたち自身が直接に天皇の恩を感じることのできる体験がないだけに, 天皇の恩 の深さを子どもたちに信じさせることは困難 であっ た, しばしば引用される記事 であるが, 徳富蘇 峰の熱海小学校修身科授業の報 告はそのことを雄弁に物語っ ている. 「 『何故に君に忠を尽さねばな りません乎』と教師は問ひ候.一 人の 生徒ニョ キリと立ち,『天皇陛下……』と申しつつその後はクッ と行き詰り, 唯だクスクス笑うのみにて有之候. 教師は 『笑ふてはいけません』 と制 し徐ろに口を 開きて, 『天皇陛下の御恩を被り居るから です』 と申候, 教師は再び『皆さんは如何なる御恩を被り 居りますか』と問ひ候. 衆生徒皆な口をモヤモヤ, 目をキョロキョロなしつつ無言にてありしか ば , 教師は,『皆さんが斯く して学校に来られるのも, また家に無事に居られるのも, 皆々 天皇陛下の御 蔭でござります』 と申候, 此れより教師は, 右の教訓を確かめん為に,『盗賊も入らず, また皆さん が学校に来る途中にても悪漢に出会わないの は誰の御蔭 です』 と申候. 一人の女生, 言下に 『それ 撫然として暫時考えておりたるが, 『それは勿論なれど, その巡査 は巡査さんの……』 と申候. 教師′ 9 ) も畢覚陛下の……』 と申候.」4 このような事情があっ たからこそ, いわゆる家族国家観の形成がめ ざされた. すなわち天皇や国 家の尊さやその恩の深さを増すため, 第四の方策として, 親や家, 先祖の尊さ, その恩の深さを教 材化し, さらに天皇や国家を親や家族 になぞらえる, いわゆる家族国家観を形成することを通じて , 0 ) 子どもたちにとっ て 子ど 人々の親や家, 先祖を敬愛する心を天皇や国家に拡充しようとした5 . , もを養うために現代よりはる かに苦労していた親の恩は, 無理に教えられなくとも, 日常体験を通 じて十分に感 じられていた, 親が子 どものためにどんなに苦労しているかを心にとめ, そしてその 親の恩にこたえ, 親に孝行しようとすることが, 日本人の職業活動や学問などにおける勤勉や節約 I ) 家族 の動機づけにおいていかに重い比重を占めていたかに関しては, 秀れた実証的研究があるS , 国家観を説く人たちは, そのような親に対する熱い心情を天皇や国家に向か わせようとした. この やり方は, 職場集団や戦闘集団な どの擬制家族的構成を媒介として, ある程度の成 功をおさめた が , 全く短所がなかっ たわけではない. 天皇や国家に忠を尽すことが栄誉, 栄達につ ながり, ひいては 親への孝にもつながる場合は, 忠と孝とは幸福なる調和を保てたかもしれない. けれど徴兵にとら れたり, 戦いで身体・生命を犠牲 にして天皇や国家に忠を尽すことが, 親をして苦しませ, 家の跡 2 } さらに つ ぎをなくすること, 不具になることにつながることもまたしばしばあっ たからである5 . は近代化の過程は根幹となるべき 家族自体の解体をしばしばもたらしていっ た. 天皇の尊さやその恩の深さを増すための第五の方策は, 様々 な祝日大祭日儀式を宗教的に制度化 していくことに求められた. 一般に宗教的儀式を構成する要素としては聖シンボル, タ ブー, 礼拝, 説教, 讃美歌ないしは読経, 聖シンボルに供えた供物の共食であるところの直会 饗宴などがあげ , られるが, 各地 で祝日大祭日儀式がどのようになさ れていたのかを調べると, この全部, ないしは ほとんどの要素を含ん でいたことが明白である,聖シンボルとして御真影や教育勅語謄本があっ た . 御真影に対する礼拝もあっ た, さらには読経的な教育勅語の奉読や様々 な天皇讃歌があっ た 説教 . に相当する校長の講話もあっ た, 直会に相当するものを示す規定として, 祝日大祭日においては生 徒に茶菓を与えてもよいといっ た規定も, 前述した 「小学校祝日大祭日儀式規定」 にあっ た 実際 . 35.

(9) . 大 坪 嘉 昭. においてもこの規定は各地の学校 で実行された. そしてそのような儀式の後 で, 饗宴にあたる運動 3 ) このような宗教的色 会や学芸会・展覧会・品評 会などの催 しが行 なわれた例も各地にみられる6 . 彩をおびた儀式を通じて天皇陛下は, 大日本帝国憲 法に規定されているような神聖にして侵すべか らざる君主に文字通り祭り上げられていっ た. そのような聖化の過程は, もちろん当時の日本社会にあっ た生き神信仰によ っ ても支えられてい 4 } 天皇の地方巡幸をみても 天皇の行列 が通り過 ぎた道路の砂利を我がち たことは看過 しえない5 , . に奪いあい, それを家内安 全五穀豊穣の御守りにしたり, 巡幸コースのいたるところに聖跡が生ま 5 } もちろんそれとは逆に 全く無関心の人々や 巡幸の行列の奉迎にかり出されたにすぎな れた5 , , . 6 } そして生き神信仰と結びつけて天皇を迎えた人々にしても い人々の 多かっ たのも事実である5 , . 生き神は天皇に限らなかっ たの である. その多く が貴いお方, たとえば, 本願寺の門主が入られた 7 } それだからこそ 政府はあれほ どま 風呂の水を感激して飲むような人々 であっ たと考えられる5 , , で天皇の至尊性をくりかえし, くりかえし, 浸透させようと努力 したの である. 国家の至尊性・至恩′性を国民に信じさせるためとられた方策としては先に述べた家族国家観の形 成の他にも, 日本は神が作っ た国 であることとか, 気候にめ ぐまれていて様々 な作物が稔る良い国 であることなどの強調があるけれど, それらは他の国家における愛国心の形成にもしばしばみられ る も の であ る.. 以上天皇や国家の至尊性, 至恩性を信じさせるという課題に対して どのような方策がとられたか を み た.. 次に天皇に対する忠義と愛国の倫理の臣民による実践の模範例 が, どのように示されたかに関し て, 国定教科書に限り簡単に考察することにする. その模範例としてとり あげられることが最も多 8 ) 何故彼らがあれほ どまでにとりあげ かっ たのは, もちろん楠木正成, 正行と正行の母 であっ た6 . られたの であろうか. その原因は, 何よりも彼らの 天皇に忠義をつくすという倫理の実践が同時に 忠義の次に重要視されていた親に孝行をつくす倫理の実践と一体化していたところに求められる. 家族国家観を通じて忠孝一体ということがよく強調されたけれ ど, 先に述べたように, 現実におい ては, 国家に忠義をつくすことと親に孝行をつく すことは, しばしば強い緊張関係におちいるもの であ っ た. む し ろ だ か ら こ そ, 忠 孝 一 体 が 強 調 さ れ た の だ と い っ て も よ く, 親 子 がワ ン セ ッ ト に な っ. て登場し, 親の願いをかなえようとして君に忠を尽 す楠木正行が描かれたの である. これと同様な 教材としてあげられるのが水兵の母 である. 日本人における親と子, ことに母と子の結びつきの強 9 } それだけにこの教材は多くの日本人 さは, 諸研究者の日本文化論に 説かれているとおり である5 . に強い感銘を与えたと思われる. 戦前の日本人の形成において国語読本が, 修身教科書よりもはる 0 } 水兵の母はその かに心に訴える力 が多かっ たのではないかというのは, 色川大吉の言 であるが6 , 国語読本に第1期から第5期までひき続いて登場しつ づけた (ただし, 第1期は 「感心な母」 と題 1 ) 日本人にとっ て そのような教材は それを使用 しての教育を受けた色川大吉が述 して登場)6 , , . 2 } おそらくその心の中に染み入るような力を有していたこと であろう この教材 べているように6 . , もまた母親の願いを通して, 忠君がとかれている. 忠君愛国倫理の臣民による実践の模 範例が, ど のように示されたかに関して, あと一言だけ付け加えると, 日清・日露戦争が, 忠君愛国の大義に 死んでいっ た軍人たちという格好の模範例をもたらしたということ である. 遠い過去の人物 ではな くて, まさに生徒たちが生きた時代, あるいは生徒の親が生きた時代にも忠君愛国倫理の模範とな る人物を得られたということは, 戦いに勝っ たことが, 天皇や我が国家の至尊性の証として教えら れたということとならん で, 忠君愛国倫理の浸透の上 で重要な役割をはたした であろう. 以上述べたような様々 な方策を通じて, 国民の心の中に忠君愛国愉理が如何ほど深く浸透 したか 36.

(10) . 日本の近代化と国民教育. を, 正確に知ることは出来ないけれど, 近代国 家形態をとっ た諸国家の中にあっ ては 日本はおそ , らく国家や君主 のため, 進ん で自らの生命をささげた国民を一番多く形成した国 家であっ たろうと 3 ) そのような忠 君愛国倫理は イン パーソナ ルな倫理として でなく 思われる6 . , , 親や, 親のような 慈愛にみちた天皇や上官の恩に報いるという パーソナルな倫理として教え られた そして戦いに , , おいて進んで死地に向かっ た者たちのなかには, 愛の鞭 をそそいで教え てく れた上官の恩 や父母の 恩に報いることを通 じて, 国家や, 天皇の恩にこたえようとして 死地に向かっ た者たち がいたの , 4 ) そのように思えなくて 兵営や戦闘からの離脱が郷里の家族に は事実 であろう6 . , , 周囲からの屈 辱をもたらすであろう と思うがゆえに兵営にと どまり, 戦闘に従事した者も いた であろう 忠君愛 . 国倫理はそれを内 面化しえなかっ た者にもそのような周囲からの圧力としてはたらくことによっ て 確かな規制力を有 していたの である . 経済活動に関してみ るならば勤勉や節約 の行為は, 富をふやすことだけを目的 とするならば 倫 , 理的であるとはみなされにくく, 祖先や親, 家や会社, 国家や天皇に 対する報恩を目的として は , じめて倫理的 であるとみなされていた. そして父母や天皇 家や会社 国家の限りない恩に報いる , , ための勤勉や節約として, 日本人はその苦 しさに耐え その苦しさに意義を見出 しえたとも言えよ , う. たとえそれが低賃金や重税に強いられた勤勉 や節約 であっ たとしても 多くの日本人はそれに , 耐え続け, その苦しみに意義さえも見出してきたの である 苦労して育ててく れた父母のため の節 . 約や勤勉として, あるいは会社や国家の危機を救うための節約や勤勉として .. 〈注〉 1) 市井三郎「明治維新-比較思想史の立場から --」(宇野重昭編著『日本の社会文化史5 近代化の展界』 講談 , 社, 19 7 4所収)78一91頁参照. 2) 栂西光速編 『日本経済史大系5, 近代上』 東京大学出版会, 19 6 5 7一4 8頁, ,4 3) 同上書, 48一50頁. 4) ただしこのことは, 日本の近代産業の発達が単に 「上からの」 資本主義の発達としてだけとらえられるという ことを意味していない. そのような政府やそれに直結した指導者たちの活動を看過して民間産業の自主的発達 をみるだけでは, 日本の近代産業の急速な発達は理解 できないということをいっているだけである 中村隆英 . 『戦前期日本経済成長の分析』 岩波書店, 1 971 ,89一90頁参照, 明治期の産業の発達については, 有沢広己監 『日本産業百年史上』 日本経済新聞社, 1 96 7 8一25 2頁, 樟西光速編, 前掲書所収の各論文参照, ,1 5) 福島正夫『地祖改正の研究』 有斐閣,1 96 2参照. なお政府の租税歳入のうち地租が占める割合は明治2年から 明治1 4年に至るまで7 0パーセントを下まわらなかった. 安藤良雄編『近代日本経済史要覧』東京大学出版会 , ・ 1975 , 51 頁.. 6) 森末義彰他編 『体系日本史叢書17 1 1 』 山川出版社, 19 6 9 , 生活史1 , 4-32頁参照. 7) 中村隆英, 前掲書, 1 0 0頁参照. 8) 土屋喬雄, 小野道雄編著 『明治初年農民騒擾録』 勤草書房, 19 5 3 . 青木虹二 『明治農民騒擾の年次的研究』 新 生社, 19 67 64 968 , 内藤正中 『自由民権運動の研究』 青木書店, 19 , 井上幸治 『秩父事件』 中央公論社, 1 ,色 川大吉 「困民党と自由党」(『歴史科研究』24 7号, 1 96 0所収) 参照. 9) 久米邦武編 『特命全権大使米欧回覧実記』(復刻版全5巻) 宗高書房 1 75~1 97 6 , 9 , 田中彰 『岩倉使節団』 講談 社, 1977参照,. 10 ) 田中彰, 同上書, 13一1 8頁, 1 1 ) 同上書, 22一24頁. 1 2 ) トク・ベルツ 『ベルツの日記 (上) 』 菅沼竜太郎訳, 岩波書店, 1 97 9 , 37.

(11) . 大 坪 嘉 昭 0 1 0頁, 色川大吉『明治の文化』 岩波書店,197 97 6 3一1 』 講談社,1 ) 色川大吉『明治精神史(上) 1 3 ,46-51頁, ,10 1 97 4 1 0 9 一 2 9頁参照 61一70頁, 芳賀登 『明治国家と民衆』 雄山閣, 1 . , 3万部も翻刻されており, 初期の小学校における歴史教科書として最も普及し 1 4 ) この教科書は明治10年頃まで1 2頁. 96 3 8巻, 講談社, 1 たものと認められている. 『日本教科書体系』 近代編第1 , 72 ~ 1頁 7 i 9 6 3 7 0 』 福村出版 原典近代教育史 1 5 ) 松本賢治, 鈴木博雄 『 , . , 4年以降のことである」と述べてい 1 ) 原口清は「政府首脳部のプロシア憲法の体系的認識が樹立されるのは明治1 6 るが, 体系的認識が樹立されるのはそう であっ たとしても, ドイツ帝国に模範を求めようとする契機は, 岩倉 使節団のドイツ帝国の回覧時に与えられていたと推察される, 伊藤はこの使節団の一員であった. 原口清 『日 4 2頁, 36~1 68 86頁. 田中彰, 前掲書, 1 本近代国家の形成』 岩波書店, 19 ,1 962参照. 96 0 1 7 ) 稲田正次 『明治憲法成立史』(上・下) 有斐閣、1 ,1 61 7頁に引用されている伊藤博文のその息子文吉 ) たとえば, 神島二郎『近代日本の精神構造』岩波書店,19 1 8 ,28 熱さが読みとれる うな思いの に対する訓戒にもそのよ . 97 2 4 4 1 9 ) 大久保利謙 『森有礼』 文教書院, 19 , , 86一99頁. 大久保利謙編 『森有礼全集』 宣文堂書店, 第1巻, 1 338 頁.. 2頁以下. 37頁. 『森有礼全集』 第一巻, 34 21一1 944 ) ) 大久保利謙, 前掲書 (1 2 0 ,1 1一1 3頁(本書は解説の部分に新たに1からペー 5 42頁, 解説15 56頁,解説1 42 0一4 7 0頁, 97 2 ) 9-3 21 ) 同上書(1 ,36 ジがふってある. 以下解説とことわってない場合は本文をさす,) 22) 同 上 書, 解 説152一153頁, 371一374 頁.. 97頁. 2 23 ) 『森有礼全集』 第2巻, 197 , 485頁, 6 ) 39頁. 44 1頁, 大久保利謙, 前掲書 (19 24 ) 『森有礼全集』 第1巻, 10-1 ,1 1 96 9 9- 956 2 5 ) 唐沢富太郎『教科書の歴史』創文社,1 ,71 ,165頁, 井上久雄 『近代日本教育法の成立』 風間書房, 721頁 参 照.. 3頁の中間に挿入されている第 2頁と16 26 ) 井上の草按に加えられた元田の修正については唐沢富太郎,同上書,16 25・26図 (原物の写真) に拠ってみた. 8頁. 966 27 )R , 27 .N.ベラー 『日本近代化と宗教倫理』 堀一郎・池田昭訳, 未来社, 1 0 2頁. 28 ) 松本・鈴木, 前掲書, 1 29) 同上 書, 106一107 頁.. 7頁参照. 40頁, 331一36 63一2 97 8 』 未来社, 1 3 0 ) 梅渓昇 『明治前期政治史の研究 (増補版) ,1 4頁 ) 井上久雄, 前掲書, 70 . 31 97& 88一108頁参照, 3 2 ) 大瀧徹也 『天皇の軍隊』 教育社, 1 4 1頁. 田中彰はこの資料をベースとし, さらに 『内務 2一6 ) 吉野作造他編 『明治文化全集』 第一巻, 皇室篇, 63 33 省史』 第3巻と対照し, i件を追加し,97件としている. 本文中の97件はそれに拠る. 田中彰『近代天皇制へ 9 4頁, 97 の道程』 吉川弘文堂, 1 , 22 00頁. 97一6 ) 『明治文化全集』 第1巻 (前掲)5 34 35 ) 神島二郎, 前掲書, 287頁参照. )R 36 .ベラー, 前掲書参照. .N 22頁参照, 95 7 37 ) 親錆 『教行信証』 金子大栄校訂, 岩波書店, 1 ,N .ベラー, 前掲書, 1 ,R 38 ) カルヴィ ニ ズムに対するこのような見方は, 北森嘉蔵から, その宗教学の講義を通じて教えられた. 3 9 ) たとえば, 山本常朝・田代陣基 『葉隠』 奈良本辰也訳 (現代語) 編, 角川書店, 74一75頁. 96 9参照. 4 ) 『定本柳田国男全集』 第10巻, 筑摩書房, 1 0 41 )「 天皇の祖先は神だと思うことは, 我々の祖先が仏になっ ているのと同様におかしなことではない」 と筆者に 語った老人たちは何人もいる. 9頁. 2-16 70 ) 村上重良 『国家神道』 岩波書店, 19 42 , 16 43 ) このことについては, 高山次嘉の指摘に拠る. その分析結果を刊行するとのことであったが筆者は不勉強でま だみ て い な い,. 00 3頁. 大演徹也, 前掲書, 1 3 44 ) 角田政治・橋本留嘉『学校教育・社会教育講座資料集成』 隆文館,191 ,638一65 一 2 6 9頁等 一 2 8 1 5 6 1 5 7頁 6 2 1 1 1頁 講談社 1 9 6 近代編第3巻 『 』 日本教科書体系 頁. 海後宗臣編 , . , , , , 1頁にある明治天皇に関するエピソー ド 0一2 966 』 中央公論社,1 45 ) 色川大吉『近代国家の出発, 日本の歴史21 ,2 は, それを記した佐々木高行が自分に関する不面目な事実を書いていることからしても, おそらく事実であろ うと推測される. 46 ) たとえば, 海後宗臣編, 前掲書, 111頁. 38.

(12) . 日本の近代化と国民教育 47 ) 中山泰昌編『新聞集成明治編年史』1-14巻, 財政経済学会,1 4の各巻に宮廷篇と分類されているページの 93 諸記事参照. ) 海後宗臣縞 『日本教科書体系』 近代編, 第7巻, 講談社, 1 48 963 8頁. , 22 4 ) 『国民新聞』1 9 893年4月7 日, 5 0 ) 石田雄 『明治思想史研究』 未来社, 19 5 4 5頁参照, , 3-21 51 ) 山村賢明 『日本人と母』 東洋館出版社, 1 97 1 . 5 2 ) 日露戦争における戦死者は約4万6千人, 入院を要した戦傷者の数は約1 4万人(そのうち死亡者約9千人)に 及ぶ. 戦地で死亡した兵員の数は, 病気や戦傷以外の外傷で死亡した兵員数2方2千人を加えると約7万7千 人に及ぶ, 廃兵およびその家族や死亡兵士の遺族の多くは悲惨な生活を余儀なくされた 大演徹也, 前掲書, . 1 39一1 47頁. 森末義彰他編, 前掲書, 14 9一1 55頁参照. 5 3 ) 以上, 祝日大祭日儀式がどのように行なわれたのかについて調べるのに使用した文献は, すべて注記するには 多すぎるので, 例示にとどめる. 千葉寿夫『小学校現場の百年』 津軽書房,1 975 7 2一1 6頁,『福井市豊小学 7 ,1 校百年史』同校発行,1 97 3 1 一 1 1頁 『 杉並区教育史 6 7 7 』 上巻 杉並区教育委員会 1 9 6 6 4一4 58頁,4 68- , , , , ,44 4 2頁,『弘前市教育史』 上巻, 同市教育委員会,19 7 6 一 75 7 0 6 4頁 『 7 兵庫県教育史 』 同県教育委員会 1 9 3 , . , 6 , 1 58-17 2頁(これには君ヶ代,御真影,教育勅語のない時期の儀式の記述がみられる) 『 宮城県教育百年史 第 』 , 1 巻, ぎょ う せ い, 1 976 , 278一288頁.. ) 宮田登「民間信仰と天皇信仰」(『伝統と現代』 第2 5 4 96 4所収)120頁参照. なお宮田には次の著書もある 9号,1 が未見, 宮田登 『生き神信仰』 塙書房, 1 9 6 7 . 55 ) 宮田登, 前掲書 (1 2 9 6 4 0一122頁. ) ,1 色川大吉, 前掲書 (1 9 6 6 ) , 24一25頁. ) 同上書, 23-24頁, 5 6 57 ) 筆者の郷里の古老(複数) から聞いた逸話. なお和歌森太郎 『天皇制の歴史心理』 弘文堂, 1 97 3は日本人に伝 統的にみられる貴種崇敬と天皇崇拝を関連させてとらえている. ただその関連は認めるとしても, 明治初年の 人々が最高の貴種性を有するものとして天皇を認識していたとは限らないのが現実 であったろう それゆえ . に, 以上に述べたような様々な努力 がなされたのである, 58 ) 唐沢富太郎, 前掲書の別冊 『国定教科書の内容分析表』 参照, 59 ) たとえば, 山村賢明, 前掲書の他にも, 土井健郎『 「甘え」 の構造』 弘文堂,19 71 , 増田光吉 『アメリカの家族, 日本の家族』 日本放送出版会, 1 96 9 97 5など, , 江藤淳 『成熟と喪失』 河出書房新社, 1 6 0 ) 色川大吉, 前掲書 (1 9 7 0 ) 2 6頁. ,3 1 ) 海後宗臣編 『日本教科書体系』 近代編第6巻, 講談社, 196 6 3および前掲の第7巻参照. 62 ) 色川大吉, 前掲書 (1 2 9 7 0 ) 3 8 一 3 3 0頁 , . 63 ) 小田切秀雄は, 日本戦没学生記念会編 『きけわだつみのこえ』 光文社, 1 95 9のあとがきの中 で, それに採録し なかった手記や手紙の中に 「戦争調歌ふうの」 文章が 「きわめて多く書かれていた」 と述べている . 64 ) 飯塚浩二 『飯塚浩二著作集5』 平凡社, 1 97 6 3頁, 1 97頁, 1 4頁等参照. 9 94頁, 26 ,1 (本学講師・函館分校). 39.

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