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人間の弱さへの共感を重視した道徳の授業 : 価値の主体的自覚を目指す指導の困難さを克服する一つの方略

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Academic year: 2021

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(1)Title. 人間の弱さへの共感を重視した道徳の授業 : 価値の主体的自覚を目指す 指導の困難さを克服する一つの方略. Author(s). 笠井, 稔雄. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 62(2): 211-225. Issue Date. 2012-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2840. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第62巻 第2号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.62,No.2. 平成凶年2月 February,2012. 人間の“弱ぎ’への共感を重視した道徳の授業 一価値の主体的自覚を目指す指導の困難さを克服する一つの方略−. 笠 井 稔 雄 北海道教育大学大学院教育学研究科高度教職実践講座学校経営研究室. MoralEducationforFosteringtheAbilitytoEmpathizewithPeople’sWeaknesses −RaisingAwarenessofHumanitarianMoralCriteria−. KASAI Toshio. AdvancedTeacherProfessionalDevelopmentPrograms,GraduateSchoolofEducation,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 現在,多くの学校で実践されている道徳の授業において,子どもたちが主体的に道徳的価値を自覚するよ うに指導するのは大変難しいと言われている。. そこで,本研究では,この授業がうまくいかないのは,資料から離れて「価値の主体的自覚」を目指す展 開の後段の指導に原因があるのではなく,展開の前段,つまり資料をもとにした「価値の追求・把握」の段 階の指導が十分でないからだと押さえ,授業改善の視点として,人間の“弱ぎ’に着目し,人間の“弱ぎ’ への共感を重視することで人間理解が深まり,子どもたちが“他人ごと’’ではなく“自分ごと’’として考え. ることができるようになると判断した。つまり,人間の“弱ぎ’に着目するこの指導過程は,子どもたちが 資料に入り込みやすく,自ら心を開いて資料に登場する人間の理解を深めながら,同時にこれまでの自分の 人生を振り返り,これからの生き方を考えさせる力をもっていると考えた。 あわせて,子どもの発言内容の根底にある価値の判断基準をいくつかのタイプに分けて押さえておき,子 どもの価値観を生かした授業を工夫することが大切であると考えた。. Ⅰ 問題の所在 今日,道徳の授業に熱心に取り組む教師が増えてきたのは,大変喜ばしいことである。指導方法について も,実に多くの理論と実践が提案され,今後,学校現場にとって大きな財産になっていくのではないかと期 待しているところである。 中でも,「価値の主体的自覚を目指す指導」は,多くの教師に支持され,学校現場に定着しつつあるが,「子. 211.

(3) 笠 井 稔 雄. どもたちが自ら道徳的価値を自覚するように指導することは大変難しい」とか「子どもたちの心を揺さぶる 授業がなかなかできない」という深刻な悩みを耳にする。具体的には次のようにである。 「子どもたちは本音を語らず建前の発言ばかりして,授業がきれいごとに終わっている」 「この時間にどんな道徳的価値について考えたのか,あいまいに終わっている」 「国語科の浅い読解の授業に終始し,結局は教師が価値を押しつけている」 「子どもたちの行動の指導をしようとして,道徳的価値の指導がおろそかになっている」 「理性に働きかける知的な授業だが,子どもたちは自分の内面を見つめようとしていない」 「頭(理屈)ではわかっているが,心情面や行動面ではほとんど変わっていない」 「心情に流されて知的判断がおろそかになり,かつ,他人ごとに終わっている」. これらの原因はいろいろ考えられるが,最も大きな要因は道徳の時間の指導過程にあると思われる。 「価値の主体的自覚を目指す指導」の指導過程は,導入で「ねらいとする道徳的価値への方向付け」を行 い,展開の前段では資料をもとに「価値の追求・把握」をし,展開の後段では資料から離れて「価値の主体 的自覚」を促し,終末で「価値の整理・まとめ」をして終わるのが一般的であるが,この指導過程のどこに どのような問題点があるのかを明らかにしていきたい。そして,「価値の主体的自覚を目指す指導」の一層 の充実を目指し,「人間の“弱ぎ’への共感を重視した道徳の授業」を提案したい。. Ⅰ 価値の主体的自覚を目指す指導の困難さを克服する視点 本題に入る前に,学校教育において「道徳」とは 何をする場なのか,子どもにどんな力をはぐくむ場 なのか,基本的な押さえをしておきたい。 私は,学校教育における「道徳」とは,「子どもが,. 進んで自己の道徳的価値観を形成し,自らの生き方 を深めていく場」ととらえたい。つまり,「道徳」は, 子どもの行動(実践)を直接指導するのではなく,. それを支える心(価値観)を指導する場であり,そ の後自ら適切な行動(実践)ができるようにするも のである。一方,生徒指導は,子どもの行動(実践). を直接指導し,それらを通して心(価値観)を育て るものであり,最終的には両者はとともに「主体性 の育成」を目指すものである。. * この図は,日本道徳教育学会第74回大会(2009)の 課題研究Ⅱにおける横山利弘同学会会長の講話を参考 にして作成したものである。. 1 人間の“弱さ”をいとおしむ 「価値の主体的自覚を目指す指導」の困難さを克服する視点の第1は,子どもたちに人間の“弱ぎ’をい. とおしむ気持ちを育てることである。(1) 今日の学校教育は,子どもたちに確かな学力や豊かな人間性,健康・体力などの「生きる力」をはぐくむ ことを目指している。 今後予想される変化の激しい社会をたくましく生き抜くためには,生きてはたらく学力と強靭な心身が必 要である。したがって,学校教育においては,自ずと子どもに く“強ぎ’を求める教育〉 が主流となり,“強. 212.

(4) 人間の“弱ぎ’への共感を重視した道徳の授業. ぎ’は大いに褒められるが,“弱ぎ’はほとんど認められない。それどころか,どんな時にも弱音をはかず,. 強く前に進むことが期待され,過剰なまでに“弱ぎ’を拒否し“強ぎ’を志向することが,人生にとって最 も大切だというような雰囲気になってきているような気がする。. このように,変化の激しい社会をたくましく生きる子どもを育てようという教育的善意が,逆に子どもた ちを生きづらい状況に陥れている。子どもたちは弱い自分と向き合うことを恐れ,弱い自分とじっくり語り 合う機会をもてないでいる。また,周囲に心を開いて弱い自分をさらけ出すことなどとてもできないという 心理状態にあるように思われる。. このような状況の中で,教師と子どもが一緒になって人間の生き方を考える道徳の時間がうまくいくはず がない。常に強さを求める教師の前で,また,“弱ぎ’を見せると周囲からどんな目にあわされるかわから ない状況の中で,子どもたちは心を開くことなく,他人ごとのように建前を語り合い,道徳の時間がきれい ごとに終わってしまうのである。. 「生きる力」をはぐくむためには,人間の“弱ぎ’を否定するのではなく,互いに認め合い,いとおしむ ことが大切である。人間はだれでも自分の“弱ぎ’に悩み,それを何とか克服しようと苦しんでおり,結果 的に,“弱ぎ’を乗り越えられなくても,その“弱ぎ’を何とか克服しようと努力することが美しく尊いの であり,そこに人間のすばらしさがあるのではないか。また,昔も今も互いに弱音をはけることが仲間づく りの基本であり,大人も子どもも孤立化が進む現代社会において,人間の“弱ぎ’をいとおしむ観点は大変 重要であると思われる。. 教師自身が自分の“弱ぎ’をいとおしみ,子どもの“弱ぎ’をいとおしむことができるようになると,子 どもの道徳性の発達がよく見えるようになる。. 教師は,道徳の時間に扱う資料の中の主人公の“弱ぎ’をしっかりとらえ,子どもとともにその“弱ぎ’ を否定するのではなく,心からいとおしむように配慮したい。資料の中に人間の“弱ぎ’がはっきり描かれ ているかどうかは別として,主人公は自分の“弱ぎ’に悩み,それと格闘しながら何とか乗り越えようとも がき苦しんでいるはずであり,そこを丁寧に読み取らせたい。 既に完成した立派な主人公が描かれている資料は,道徳の時間の教材としてはよいものではない。非の打 ち所のない主人公や強さの象徴のような主人公では,今日の道徳教育には適さない。“弱ぎ’をたくさん抱え,. それに悩み,悪戦苦闘している主人公に学ぶことは実に多いものである。 また,現代の多くの子どもはそれなりの群れをなしているが,自分の“弱ぎ’をおし隠し,常に周囲の空 気を読みながら,表面的な付き合いをしていると言われている。人間関係形成能力が未熟で,集団を作るの に臆病になっているとも言われている。. このような現代社会において,人間の“弱ぎ’に共感し,それをいとおしむ道徳教育を推進していくこと は大変意義のあることだと考える。. 2 共感する力をはぐくむ. 視点の第2は,子どもたちに共感(empathy)する力をはぐくむことである。(2) 道徳教育においては,「道徳的な判断力を含んだ感情や感性」をはぐくむことが大変重要である。 しかし,道徳の授業を熱心にかつ丁寧に行っても,「子どもたちは理屈では十分理解しているが,心情面 や行動面では今までとほとんど変わっていない」とか「だめなことは頭ではわかっているが,ついつい同じ ことを繰り返してしまう」など,指導者の悩みは深い。特に中学校では,子どもの理性に働きかける知的な 授業が展開されているが,「授業への食いつきが悪い」「心に響いていない」「実践に結び付かない」という 声が聞こえてくる。これはつまり道徳的な判断力の指導はある程度できても,道徳的な感情や感性をはぐく. 213.

(5) 笠 井 稔 雄. むことは大変難しいということである。 そこで,道徳的な判断力と道徳的な感情や感性の関係について考えてみたい。 ヒュームは,人間を行動へと促すのは理性ではなく感情であるとした上で,「道徳性は,判断されるとい. うよりも,より適切には,感じられるのである。」(3)「共感という原理こそ,われわれを自己自身の外へ遠 く連れ出して,あたかも他人の性格がわれわれ自身の利益もしくは損失をもたらす傾向を持つとしたときと. 同じ快もしくは不快を,それら他人の性格の内に感じせしめるのである。」(4)と指摘している。 また,アイゼンバーグとマッセンは,「共感とは相手の情動の状態あるいは条件から生じ,その状態や条. 件に伴ってこちら側に起きる代理的な感情の在り方」(5)とし,ホフマンは,共感を「自分自身よりも他人の 置かれた状況に適した感情的反応」(6)としている。 このように,今日の学校教育において,道徳的な感情や感性をはぐくむことは大変重要なことであり,道 徳的な判断力だけでは子どもたちを道徳的な行動へと促すことはできないだろう。しかし,もし道徳的判断 力を含まない感情や感性があるとしたら,これは人を誤った方向へ走らせてしまう大変危険なものである。 これまで共感については様々な定義がなされ,情動的側面を強調するものと認知的側面を強調するものと があったが,(7)本来,共感にはその両面があり,これからはその両者を包括したとらえ方が必要である。 そこで,私は,共感を情動的側面と認知的側面の両方を含んだものとしてとらえ,「他者のおかれた状況 や考え・感情などを理解し,納得し,丸ごと受容すること」と定義し,「人間の“弱ぎ’への共感」という 視点の重要さについて考えていきたい。 子どもの道徳性の発達について,コールバーグはその大きな要因として,「論理的認知能力」と「役割取 得能力」をあげている。(8) 実際,子どもの成長を見ていると,情報を処理したり経験したことを関係付ける能力である「論理的認知 能力」が発達してくると,いろいろな観点から物事を深く考えられるようになるが,「論理的認知能力」の 発達が即道徳性の発達にはつながらず,成長と同時に,他者の立場に立って,他者の考えや感情を推測する 能力である「役割取得能力」の発達が不可欠である。つまり,子どもの道徳性は,「論理的認知能力」を先 行要因とし,適切な教育や豊かな社会生活の中で「役割取得能力」が発達することにより育成されると考え られる。これは,大人の世界を見ても,高い認知能力をもつ者が必ずしも高い道徳性をもっているとは限ら ないという現実からよくわかることである。 コールバーグは,道徳的価値葛藤にもとづく討論(モラルジレンマ授業)の中で,「役割取得能力」を育 てようとしたが,私は,「人間の“弱ぎ’への共感」を通して「役割取得能力」を育成することが重要では ないかと考える。このことにより,子どもたちは,まずは相手の視点で物事を見ることができるようになり, その後,自分と他者の視点以外,つまり第三者の視点で物事を見ることができるようになる。そして更には 集団や社会の視点で物事を見ることができるようになると思われる。 このように,他者の立場や考えをしっかり認知し,その感情を共有しようとする共感する力は,子どもの 「役割取得能力」をはぐくむとともに,友好的であたたかい人間関係を形成する原動力となる。. 3 価値を焦点化する 視点の第3は,子どもたちにしっかり考えさせたい道徳的価値を焦点化することである。 この「価値の焦点化」については,2つの意味がある。. 1つ目は,資料の中にある多様な価値の中から,ねらいとする中心的な価値を焦点化することである。 一般的に,資料にはいくつかの価値が含まれているものだが,子どもたちにしっかり考えさせたい価値を 絞り込むとともに,主人公の“弱ぎ’をいとおしみ,主人公の“弱ぎ’に共感させながら,その価値のよさ. 214.

(6) 人間の“弱ぎ’への共感を重視した道徳の授業. を浮き彫りにしていくことが大切である。そして,「生きていく上で,これって大事だね」と子どもたちに 価値のよさを実感させることがポイントとなるわけで,ここを曖昧にしてはならない。道徳的価値を教え込 むのではなく,子ども自身が理解し,納得し,自らの“弱ぎ’との関連で受容するように促すのである。. なお,『小学校(中学校)学習指導要領解説 道徳編』には,指導すべき道徳的価値を「内容項目」とい う形で示し,子どもの発達段階に応じてその意味内容を解説しているが,これは大綱的なものとなっている. ため,(9)学校現場からはもう少し詳しく解説してほしいという声も聞かれる。例えば,「友情」とは何か。「誠 実」「思いやり」「寛容」「公徳心」「正義」とは何かということをもう少し詳しく書いてほしいということで あろうが,国がこれを示すべきなのか,それとも現場で教師と子どもが一緒に考えていくのでよいのかなど, 議論が分かれるところかもしれない。. ともあれ,その資料の中からどのような価値を浮き彫りにできるかがポイントになるだろう。 一例をあげれば,『学習指導要領』では,5,6年生に「信頼,友情,助け合い,男女の協力」を指導す ることになっているが,資料によっては「信頼」だけはどうしても出てこないという場合があり,「相手を 思いやり,積極的にかかわることが大切だね」というように焦点化するのでよいということである。. 2つ日は,ねらいとする中心的な価値にかかわる子どもの発言などから,子ども一人一人が現在もってい る様々な価値観(道徳性)を浮き彫りにすることである。. コールバーグが指摘する「道徳性の発達段階」(10)のように,「先生やお母さんに叱られるから」とか,「自 分が損をするから」「悪い子だと思われたらこまるから」「決まりだから」など,子どもの発言から様々な段 階の道徳性が見て取れる。それらをたくさん出させるだけでなく,それらの中からいくつかを取り上げ,子 ども同士の活発な討論などを仕組んで,互いに学び合うよう工夫することが大切である。 このように,ねらいとする中心的な価値のよさを明確にするとともに,子ども一人一人がもっている様々 な価値観を浮き彫りにし,相互に学び合うようにすることが大切である。. 4 自己認識を深める 視点の第4は,子ども一人一人が自ら自己認識を深めるよう指導を工夫することである。. 展開の後段で資料から離れ,子ども一人一人が展開の前段で焦点化された道徳的価値に照らし,自分との かかわりでその価値をとらえ,これまでの自分の行動やそれを支えている価値観を振り返り,改めて自己認 識を深めるよう工夫することが大切である。. 資料の世界の特定の場面での価値の把握にとどめず,自分自身の問題としてとらえられるよう,展開の前 段で焦点化されたより高い道徳的価値に照らし,これまでの自分の“弱ぎ’やそれを乗り越えようと苦悩し たことを振り返り,自己認識を深め,よりよい生き方につながる自己課題をもたせるのである。. 自分にも同じように“弱ぎ’があり,同時にそれを乗り越えようと苦悩していたことに気付き,生きる勇 気がわいてきて,これまでより少しでも満足のいく生き方ができるよう,小さな自己課題をもたせる指導が 必要である。. そのためには,発間により子どもたちに経験を振り返らせる方法,資料と比較させる方法,自己評価をさ せる方法,教師の説話を聞かせる方法などがあるが,あくまでも自己認識を深め,自己課題をもたせる視点 を忘れないようにしたい。自己のこれまでの生き方を振り返らず,これからの課題も明らかにならないまま, 曖昧に終わる授業も少なくない。. 自分の“弱ぎ’やそれを乗り越えようとする意志や力があることも確認しながら,今後のよりよい生き方 を目指し,自分の行動や価値観などに関する課題や目標を明確にさせることが大切である。. 215.

(7) 笠 井 稔 雄. Ⅱ 人間の“弱さ’’への共感を重視し,価値の主体的自覚を目指す指導過程 これまで多くの学校で実践されている「価値の主体的自覚を目指す指導」は,展開の後段に「価値の主体 的自覚」を位置付け,資料から離れて,子どもたちが自己のこれまでの生き方を振り返るよう工夫している が,子どもたちが主体的に道徳的価値を自覚するのは大変難しいという。 しかし,私は,この授業がうまくいかないのは,資料から離れて「価値の主体的自覚」を目指す展開の後 段の指導に原因があるのではなく,展開の前段,つまり資料をもとにした「価値の追求・把握」の段階の指 導が十分でないからだと考えている。 平成10年12月告示の『小学校(中学校)学習指導要領』において,「道徳的価値の自覚を深め」ることが 道徳の時間の目標に付加されたが,これは道徳の時間の役割や性格が変更されたのではなく,これまでも主 旨として押さえられていたことが目標部分に明確に表現されたものである。つまり「道徳的価値の自覚を深 め」という表現を加えることで,道徳の時間が人間としての在り方や生き方の礎となる道徳的価値について 学び,自覚を深め,道徳的実践力を育成するものであることを明確にしたのである。 しかし,10年以上たった今でも,学校現場においてはこのことが必ずしも徹底しておらず,価値の押しつ けを恐れるあまり,この時間にどんな道徳的価値について考えたのか曖昧な授業や,逆に教師の一方的な教 え込みの授業が少なからず見られるのは残念なことである。. そもそも「道徳的価値の自覚」については,当時の『小学校(中学校)学習指導要領解説 道徳編』(11)で, 次のように説明されている。. 「道徳的価値の自覚については,発達の段階に応じて多様に考えられるが,次の3つの事柄を押さえてお く必要がある。一つは,道徳的価値についての理解である。道徳的価値が人間らしさを表すものであるた め,同時に人間理解や他者理解を深めていくようにする。二つは,自分とのかかわりで道徳的価値がとら えられることである。そのことにあわせて自己理解を深めていくようにする。三つは,道徳的価値を自分 なりに発展させていくことへの思いや課題が培われることである。その中で自己や社会の未来に夢や希望. がもてるようにする。(このような道徳的価値に裏打ちされた人間としての生き方についての生き方につ いての自覚を深めることが肝要である。). 道徳の時間においては,これらのことが,子どもたち(生徒)の実態に応じて,主体的(意欲的)にな されるように様々に指導方法を工夫していく必要がある。」 ㊧()内は中学校の標記である。. すなわち,「道徳的価値の自覚」として,具体的に,①道徳的価値の理解,②道徳的価値の主体的把握, ③道徳的価値の実現意欲,の3点が,道徳の時間にきちんと指導されることが求められているのである。 そこで今一度,学校現場で展開されている道徳の授業を見てみると,まず第1に指摘できることは,展開 の前段において,資料を通した「道徳的価値の理解」が十分できていないということである。つまり,子ど もたちの心の中に,資料に内在する道徳的価値が十分に焦点化されておらず,また納得いくような形でスト ンと落ちていないということである。. 第2に指摘できることは,「道徳的価値の主体的把握」や「道徳的価値の実現意欲」は,展開の前段から すでに子どもたちの内面にわき起こるのが自然であり,そのように指導すべきだということである。したがっ. て,「展開の前段で道徳的価値の理解⇔展開の後段で道徳的価値の主体的把握⇔終末で道徳的価値の実現意 欲」というこれまでの指導過程に改善が必要だということである。 そして,もう一つ留意すべきことは,平成20年3月告示の『′ト学校学習指導要領』において,それまで「道. ?16.

(8) 人間の“弱ぎ’への共感を重視した道徳の授業. 徳的価値の自覚を深め」としていたところに,さらに「自己の生き方についての考え」を加え,「道徳的価 値の自覚及び自己の生き方についての考えを深め」としたことである。これは,道徳の時間の重要な特質で ある道徳的価値の自覚を一層促し,そのことを基盤としながら,子どもたちに自己の生き方をしっかり考え てほしいとの趣旨を明確にしたものである。これは同年の『中学校学習指導要領』において,それまで「道 徳的価値及び人間としての生き方についての自覚を深め」としていたものから「道徳的価値及びそれに基づ いた人間としての生き方についての自覚」に発展していく。. このように平成10年と平成20年の二度の改訂によって,道徳の時間が人間としての在り方や生き方の礎と なる道徳的価値についてしっかりと学び,それらを自己の生き方に結び付けながら自覚を深め,道徳的実践 力を育成することを明確にしたことから,第3に指摘できることは,子どもたちに「自己の生き方」や「人 間としての生き方」をしっかり考えさせることが重要な課題だということである。. これから提案する指導過程は,展開の前段から価値の主体的自覚や意欲の高揚を目指す指導過程である。 展開の前段において,資料の主人公に寄り添い,主人公の“弱ぎ’や“もろぎ’を共感的に理解しながら,. それを乗り越えようとする主人公の姿に着日し,中心的な道徳的価値が焦点化されるこの段階で,既に子ど もたちの内面において価値の主体的自覚や実践意欲の高揚が始まっていると考えるのである。 道徳の授業において最も重要なことは,ねらいとする道徳的価値に対しての理解と承認,さらにはその価 値を好ましいものと感じ実践しようとする態度を育てることである。しかもそれが教師の押しつけではなく, 子ども自身が主体的にとらえるよう指導を展開することが大切なのである。. このような考えに立ち,今後,道徳の時間の指導過程をどのように改善すればよいのかというと,「人間 の“弱ぎ’への共感を重視し,価値の主体的自覚を目指す指導過程」ということになる。 人間の“弱ぎ’に着目し,“弱ぎ’への共感を重視することで,子どもたちが“他人ごと’’ではなく“自 分ごと’’として考えることができるようになり,“建前’’ではなく“本音’’を語るようになる。つまり,人. 間の“弱ぎ’に着目するこの指導過程は,子どもたちが資料に入り込みやすく,自ら心を開いて資料に登場 する人間の理解を深めながら,同時にこれまでの自分の人生を振り返り,これからの生き方を考えさせる力 をもっているのである。. 人間の本来の姿である“弱ぎ’や“もろぎ’に共感的な理解を示すことなく,強く生きる理想的な人間の 姿だけを子どもたちに求めてはいけない。資料に登場する人間はもとより,教師も子どもたちも,人間とし ての“弱ぎ’や“もろぎ’をもちながら,人間としてのよりよい生き方を共に考えていくのが道徳の時間な のである。そして,人間の“弱ぎ’や“もろぎ’に着目していくと,資料に登場する人間をはじめ共に学ぶ 同級生や教師から「生きる勇気」をもらうことができるというのも事実であり,また嬉しいことである。 なお,ある研究(12). によると,子どもが楽しいと感じる道徳の授業は,第1に「感動する授業」,第2に「考. える授業」,第3に「友達と交流する授業」だという。そして,このような授業は,子どもたちに友達とと もに道徳を学ぶ楽しさを実感させ,生徒指導の充実だけでなく,学力の向上も期待できると指摘している。 これらを踏まえ,指導過程に討論や書く活動を位置付けることも碇案していきたい。. 1 導入段階における「価値への方向付け」. 道徳の授業に限らず,どの教科の授業においても導入段階の指導は大変重要である。子どもたちが,この 時間に何について勉強するのか分かり,早く勉強したくてわくわくする状態にしたいものである。 道徳の授業の場合,導入段階においては、ねらいとする「価値への方向付け」をしっかり行うことが必要 である。. 217.

(9) 笠 井 稔 雄. 一般的に,道徳の授業で扱う資料には,多様な道徳的価値が含まれている。例えば,ねらいとする価値が 「家族愛」である資料に,「思いやり」や「強い意志」「生命尊重」などの価値が含まれている場合があるが,. ねらいとする価値への方向付けを行わない場合,子どもたちの中には「家族愛」以外の価値に強い興味・関 心をもつ者がでてくる。限られた時間の中で,一つの道徳的価値についてじっくり考えさせることが大切で あることから,身近な話題などを紹介しながらねらいとする価値への方向付けをしっかり行いたい。 その際,あえて資料で扱う内容と異なる話題を取り上げ,道徳の授業が展開していく中で,子どもたち自. 身が「価値の一般化」(13)をしやすくするような工夫も大切である。 例えば,資料が買物をしてお釣を多くもらってしまう内容であれば,導入段階でそのような体験の有無を 聞き,資料に興味・関心を持たせようという展開(資料への方向付け)も考えられるが,この授業のねらい とする価値が「誠実・正直」であれば,先日行われた全校ドッジボール大会で負けたけれど,ルールを守り 正直にプレーしたことを想起させるなどして,価値への方向付けを行うほうが望ましい。 なお,導入段階の最後に,本時の学習課題として「00について考えよう」などと板書し,本時はどんな 道徳的価値について考えるのかを明確にしておくことが大切である。. 2 展開の前段における「人間の“弱さ”への共感」. 展開は,「道徳的価値の自覚(道徳的価値の理解,. 道徳的価値の主体的把握,道徳的価値の実現意欲)」や. 「自己(人間として)の生き方についての自覚」を深める重要な段階である。 そしてこの展開は,資料をもとに,ねらいとする道徳的価値の追求・把握を目指す前段と,資料から離れ, これまでの自分の生き方を振り返る後段に分けることが望ましい。. まずは,展開の前段について考えてみたい。 ここでは,資料をもとに,教師の発間を主に授業を展開していくのが一般的で,主人公の心が大きく揺れ 動いている場面を重点的に読み深めていくことになるが,主人公の内面が描かれていないことが多い。. まず大切なのは,人間の“弱ぎ’を共感的に理解させることである。資料の主人公に寄り添い,「よいと 分かっていてもできない」「悪いと思いながら,ついやってしまう」人間の“弱ぎ’を共感的に見つめさせ ることである。そして,「そうなんだよな」という共感を引き出し,きれいごとに流れないよう配慮しながら, 教師も子どもたちも心を開いて,自分の“弱ぎ’を見つめられるよう指導を工夫することが大切である。. そして次に,“弱ぎ’を乗り越えようとする意志や力が主人公にあることに気付かせることである。「人間っ ていいな」「ともに支え合って生きているんだ」という「温かさ」や「生きる喜び」を実感させ,人間の“弱 ぎ’から,人間のよさや可能性,生きる喜びなどに目を向けさせることであり,“弱ぎ’を乗り越える意志 や力を,自ら伸ばすことが大切であることにも気付かせたい。 このあたりを丁寧に読み深めさせることが重要である。. 道徳の授業は,国語科の授業と全く違う。 国語科の授業は,「場面の移り変わりに注意しながら,登場人物の性格や気持ちの変化,情景などについて, 叙述を基に想像して読む」(14)「文章を読んで人間,社会、自然などについて考え,自分の意見をもつ」(15). など.言語能力を育成することがねらいとなるが,道徳の授業は,あくまでも本時にとりあげる「道徳的価 値の自覚(道徳的価値の理解,道徳的価値の主体的把握,道徳的価値の実現意欲)」や「自己(人間として) の生き方についての自覚」を深めることがねらいである。. したがって,道徳の授業では,一つの事例を扱った資料をもとに,ねらいとする道徳的価値について,い ろいろな角度から深く考えさせることが必要であり,人間としてこうあるべきだという「建前の発言」では なく,人間の“弱ぎ’への共感にもとづく「本音の発言」を引き出すことが大変重要である。. 218.

(10) 人間の“弱ぎ’への共感を重視した道徳の授業. つまり,道徳の授業における「本音の発言」とは,「どんな悪いことでも隠さずに正直に言う」ことでは なく, 「子どもが意識するかしないかは別として(ほとんどの場合は、意識していない),それぞれの価値観. に基づく考えや感じたことを述べること」(16)と押さえ,これまで以上に,人間の“弱ぎ,への共感を重視 していくことが必要であると考える。. 3 展開の前段における「価値の焦点化」. 次に,展開の前段の「資料の山場」について考えてみたい。 先にも述べたが,展開の前段では,資料をもとに教師の発間を主に授業を展開していくことから,発間を どのように構成するかが重要な課題となる。. 道徳の授業の場合,指導過程の各段階において欠くことのできない発間を「基本発間」,資料の山場にお いて,ねらいとする道徳的価値を焦点化する発間を「中心発間」,それら以外で,基本発間や中心発間を補 助する発間を「補助発間」という。. 資料の理解を深めるための発間構成の手順としては,まず最も重要な「中心発間」を決めてから,そのた めに必要な「基本発間」を2∼3決めるという流れになる。 一つの資料を分析していくと,子どもたちに問いたい発間はたくさん出てくるが,限られた時間の中での 授業であり,また道徳的価値の自覚には発間が多すぎるとかえって混乱がおきやすいことから,発間を精選 する必要がある。. そのためには,まず,ねらいとする道徳的価値の焦点化が図られる「中心発間」をどのようにするかを検 討することが重要である。そして,そこに迫るために,主人公の“弱ぎ’に着目させ,共感的に理解させる ところで「基本発間」を2∼3設定するのである。 例えば,「誠実な生き方」について考えさせる授業において,最後の場面で「『正直』五十円分のたこ焼き を食べながら,二人は夕焼けの道を家へ帰った。」とあるが,「この時二人はどんな気持ちだったのか」を「中. 心発間」とした場合,子どもたちは「正直に言ってよかった」「心が清々しい」と考え,本時のねらいとす る道徳的価値は「正直に生きるのは気持ちがいいね」というように焦点化し一般化されるのである。 そして,そこに迫るために,「お釣が多いのを知っていて,なぜそのまま財布に入れてしまったのか」や,. 「たこ焼きを食べながら,二人は何を考えたのか」などの「基本発間」を2∼3設定し,主人公の“弱ぎ’ に共感させながら「中心発間」を経て,ねらいとする道徳的価値の十分な理解を目指すのである。 なお,「なぜ,(たこ焼き屋の)おっちゃんは,まじめな顔をして,頭を下げて,五十円玉を両手で受け取っ. たのか。また,なぜ,見ていたお客さんたちから,はく手が起こったのか。」という,主人公とは別の人物 の視点からみた「基本発間」を投げ掛けて,ねらいとする価値の理解を一層深めることも大切である。 また,ここでは,資料をもとに,話し合い活動(討論)を取り入れることが効果的であり,多様な価値観 の切磋琢磨を通して,「より高い価値」の大切さを実感させることが重要である。 つまり,資料から読み取れる価値について話し合わせ,出された多様な価値観の中から「より高い価値」 を焦点化し,「生きていく上で,これって大切だな」と実感させることがポイントであり,「より高い価値」. を理解し,納得し,受容するよう指導を工夫することである。また,「より高い価値」に対し,現在の自分 や同級生の多様な価値観(のレベル)の実態を理解させることも大切である。. なお,「価値への方向付け」で示した学習課題「00について考えよう」に対応する「まとめ」として, この資料から学んだことを「00って大切だね」「00って気持ちがいいね」などという形で,子どもたち が十分理解し,納得し,心から受容できる道徳的価値を焦点化して,板書することも大切である。. この「価値の焦点化」については,資料の世界は限られた特殊な状況にあるので,子どもたちに普遍的な. 219.

(11) 笠 井 稔 雄. 道徳的価値を理解させるには,その特殊な状況を一般的妥当性のあるものにしなければならないという考え 方から,これも「価値の一般化」の一つということが言える。この段階で「焦点化」し「一般化」しておく と,展開の後段で自分ごととして考えていくことが容易になるのである。. 4 展開の後段における「自己認識の深化」. 次に,展開の後段について考えてみたい。 ここでは,資料から学んだ道徳的価値を踏まえ,今度は資料から離れて,これまでの自分の行動や価値観 を振り返らせ,これからの生き方についてしっかり考えさせることになる。 道徳の授業においては,「道徳的価値の自覚(道徳的価値の理解,. 道徳的価値の主体的把握,道徳的価値. の実現意欲)」と「自己(人間として)の生き方についての自覚」を深めることが大切であるが,多くの道 徳的価値は既に素朴な形で子どもの内面に備わっており,一般的には,展開の前段から「道徳的価値の自覚 (道徳的価値の理解,道徳的価値の主体的把握,道徳的価値の実現意欲)」と「自己(人間として)の生き 方についての自覚」は少しずつ芽生えてきていると考えたほうが適切である。. つまり,「道徳的価値の理解り主体的把握り実現意欲」や「道徳的価値の自覚り自己の生き方」という順 序を追った形式的な指導は間違いであり,展開の前段から「道徳的価値の理解」「主体的把握」「実現意欲」 や「生き方」の意識は少しずつ芽生えてきていると考え,主人公の“弱ぎ’への共感的理解を重視しながら, それらをそれを少しずつ確かなものにしていくことが大切である。. しかし,道徳の資料によって展開される世界はいわば特殊な場面,特殊な状況にあるので,その道徳的価 値を一般的・普遍的なものに整理した後,子どもたちが資料から学んだ道徳的価値を自分ごととしてとらえ,. これからの生き方を深く考えるように,資料から一度離れることが必要である。つまり,資料の学習だけで は特定場面での価値の把握になりがちで,多くの子どもたちが資料から明らかになった道徳的価値を自分ご ととしてとらえるようにするために,資料から離れることが有効だということを確認しておきたい。 ただ,学校現場で実際に使用されている副読本の教師用指導書は,小学校ではほぼ全社が展開の後段を資 料から離れる指導案を掲載しているが,中学校ではこれはむしろ少数であり,ほぼ全社が最後まで資料から 離れない指導案を掲載している。これは,中学生の発達段階を踏まえてのことだと思うが,私は中学生にも 資料から離れることが必要だと考えている。今後,その有効性を検証しなければならないと思う。. ところで,学校現場からは,展開後段への移り方が難しいと言われるが,ポイントの一つは、展開前段の 最後の段階で,子どもたちが十分納得できる形で道徳的価値を焦点化・一般化し,板書するなどして明確に することであり,ポイントの二つは,「①日ごろの自分を振り返らせる発間」と「②現在の自分の価値観を. 自覚させる発間」を工夫し,自己課題をもたせることである。(17) 例えば,「誠実な生き方」について考えさせる授業において,展開の前段の最後に「正直に生きるのは気 持ちがいいね」と焦点化し一般化した場合,展開の後段における発間は,「①今まで,正直に行動できてよかっ. たことがあるか。また,正直に行動できなかったことはあるか。その時はどんなことを考えて行動し,その 結果どんな気持ちだったか。」「②これまで自分は正直という点でどうであったか。」などが考えられ,その. 結果,子どもたちはこれからの生き方につながる自己課題や目標をもつことができるのである。 このように,展開の前段で資料を読み深めていく中で焦点化され一般化された「より高い価値」に照らし て,自分のこれまでの行動やそれを支えている価値観を改めて認識し直し,これからの自分の生き方につい て深く考えさせることがポイントである。. その際,自分にも“弱ぎ’や“もろぎ’がたくさんあるが,同時にそれを乗り越えようとする意志や力が 内在していることに気付かせることが大切である。また,自分のこれまでの行動とそれを支えている価値観. 220.

(12) 人間の“弱ぎ’への共感を重視した道徳の授業. を深く理解させ,自分の“弱ぎ’や行動・価値観などを踏まえた自己課題や目標をもたせることが大切であ る。. なお、ここでは書く活動を取り入れるのが効果的であり,「心のノート」や「道徳ノート」「ワークシー. ト」. 等を工夫しながら,時間をかけて丁寧に指導したい。. 5 終末段階における「生きることへの意欲化」 終末段階は,1時間の学習のまとめを行う段階であるが,自分の“弱ぎ’や“もろぎ’を見つめ,その“弱 ぎ’を乗り越えた教師の体験談などを通して,生きることへの意欲化を図ることが大切である。 「価値の押しつけ」を恐れて,極めて曖昧な終わり方をしたり,逆に「価値の押しつけ」を恐れず,子ど もたちにこれからの決意を語らせたり,発達段階を無視したショッキングな話題を提示して人生のむなしさ を極度に感じさせるなどの展開は厳に慎まなければならない。. その他,関連図書の一部を読み聞かせたり,保護者や祖父母からの手紙を紹介したり,ことわざや格言で まとめるなどして,子ども一人一人の生きる意欲を高めるために感銘深いまとめを工夫することが大切であ る。. なお,子どもたちにこの授業のねらいとする道徳的価値を主体的に自覚させるためには,導入段階で紹介 した話題や,展開前段で扱った資料の内容とまったく異なる話題をこの段階で取り上げることがより望まし いと考える。(18). Ⅳ 子どもの価値観を生かした指導. 我々大人は勿論であるが,子どもたちもまた人間の行為の善悪をそれぞれがもつ価値観に照らして判断し ている。この価値の判断基準は,意識的なものから無意識的なものまで様々なレベルがあるが,実は道徳の 授業においても軽視できない重要なものである。. 例えば次のように,資料の登場人物の行為を評価したり,自分のこれまでの生活を振り返ったり,ねらい とする道徳的価値に関して討論をしたりする中で,子ども一人一人の価値の判断基準が見えてくる。. まずは,「その状況にふさわしい生き方を重視する子ども」である。 彼らは,道徳とは「状況にふさわしい生き方を自分なりに実現していく道である」と押さえ,原理や原則 を機械的に適用するのではなく,その時その場の状況に徹することで既成の善悪の観念を超えて,どうする ことが今一番ふさわしい生き方かを考えて行為することこそ大切であると考える。. 次に,「よりよい生き方を重視する子ども」である。 彼らは,道徳とは「より高い価値を実現する道である」と押さえ,人間の一切の行為は元来価値的なもの であるが,そこには高い価値と低い価値があることから,より低い価値を斥け,より高い価値を目指そうと 努力することが大切であると考える。. 次に,「人間としての理想的な生き方を重視する子ども」である。 彼らは,道徳とは「人間としての義務を果たす道である」と押さえ,人間としての義務や道徳的価値を守 ろうとする気持ちから行為することが重要であり,個人が社会の規範や道徳的価値に適合しようと努力する ことが大切であると考える。. 次に,「みんなが共に幸福になることを重視する子ども」である。 彼らは,「道徳とは,皆が共に幸せになる道である」と押さえ,実際の生活において幸福をもたらすもの. 221.

(13) 笠 井 稔 雄. が道徳的に善であるとし,目的はあくまでも幸福の追求であり,道徳や規範も皆が共に幸せになるための手 段にすぎないと考える。 また,違う観点で見ると,次のような子どもたちがいる。 まずは,「動機や純粋な′む情を重視する子ども」である。. 彼らは,行為の結果は問題とせず,その動機や純粋な心情が重要であるととらえ,自己が正しいと信ずる 絶対的な価値にひたすら従って行為することが大切であると考える。. 次に,「結果や影響を重視する子ども」である。 彼らは,行為の動機は問題とせず,行為の結果や他に及ぼす影響が重要であるととらえ,最終的にどんな 結果をもたらすかが大切であると考える。. 最後に,「責任をとることを重視する子ども」である。 彼らは,行為の動機や心情だけでなく,その行為がどのような結果をもたらすか,それを予見して決断し, 結果に対して責任をとることが大切であると考える。. このように,子どもの発言内容の根底にある価値の判断基準をいくつかのタイプに分けて押さえておき,. 討論を組織して相互の価値観を吟味し合うことにより,人間の行為の意味を幅広くかつ深く考えさせること ができるよう,子どもの価値観を生かした授業を工夫することが大切である。. Ⅴ 授業改善を見取る評価の観点. 以上のように,「人間の“弱ぎ’への共感を重視し,価値の主体的自覚を目指す指導過程」と「子どもの 価値観を生かした指導」を工夫することにより,子どもが自ら道徳的価値を自覚し,人間としての生き方に ついての自覚を深める授業が展開されたかどうかを見取る観点を次のように設定してみた。 観点1【人間理解】人間に対する理解が深まったか 人間はよりよい生き方を志向する一方で,だれしも聖人君子などではなく,易きに流されたり困難から逃 れようとしたりする“弱ぎ’や“もろぎ’をもっているが,それを乗り越えようとする意志や力もあわせもっ ているということが理解できたか。資料の内容理解に関する指導を通して,「子どもたちは,弱さを乗り越 えようとしている主人公に共感しているか」について適切に見取ることが必要である。 例えば,「たけしはずるい心からごまかしてしまったことを反省し,お金を返しに行ったんだね」「気まず. くなるのが不安だったけれど,親友のために言ったんだね」など,人間の“弱ぎ’に着目することが,人間 理解を深めるポイントである。. 観点2 【他者理解】同級生に対する理解が深まったか 同級生が自分の発言を真剣に聞いてくれたり,同級生の多様な意見や体験に接したりすることを通して, それまで気付かなかった考え方や感じ方を発見することも多い。資料の内容理解に関する指導や資料から離. れて自己を振り返らせる指導を通して,「子どもたちは,多様な考え方や感じ方があることに気付いたか」 について適切に見取ることが必要である。. 例えば,「この間題は人間としてどうすべきかと考えるべきなんだね」「おかあさんに叱られるから返しに 行ったと考えるんだね」など,同級生がどのような考え方から発言しているのかを考えさせることが,他者 理解を深めるポイントである。. 観点3 【価値理解】ねらいとする道徳的価値の理解が深まったか 子どもはそれまでの生活や体験を通して,道徳的価値についてある程度理解をしているが,その深い意味. 222.

(14) 人間の“弱ぎ’への共感を重視した道徳の授業. や自己とのかかわりなどについて考えが及んでいなかったり,浅いとらえをしていることがある。資料の内 容理解に関する指導を通して,「子どもたちは,ねらいとする道徳的価値が大切であることを実感しているか」 について適切に見取ることが必要である。 例えば,「みんなの役に立つように働くって楽しいね」「目標に向かって頑張ってやり遂げたときは,気持. ちがいいなあ」など,ねらいとする道徳的価値を的確な表現で押さえることが,価値理解を深めるポイント である。. 観点4 【自己理解】自分のよさや課題に対する理解が深まったか 資料を通して明らかになった道徳的価値に照らして,これまでの自分の行動や価値観を振り返り,自分の よさを確認して自尊感情を高めるとともに,これからの自己課題や目標を見付け,自己の生き方についての 考えを深めることが大切である。資料から離れ,「子どもたちは,自分のよさや課題をとらえ,自己の生き 方を考えているか」について適切に見取ることが必要である。 例えば,「自分にはこんなよさがあり,こうするともっとよくなりそうだね」「思いやりの心はあるが,そ. れを行動にうつせるようになりたい」など,自分のよさや課題を適切に押さえることが,自己理解を深める ポイントである。. 観点5 【教師の姿勢】授業に対する教師の姿勢は適切であったか 教師がねらいとする道徳的価値をしっかり教えなければならないと考えて,ゆとりのない授業を展開した 場合,子どもの側から見ると教師の意図が丸見えになるため,子どもたちは建前や教師受けしそうなことを 言ったり,逆に本音や多様な考えを言わず,シラけて無反応状態になったりする。. 教師は,常に人間の“弱ぎ’への共感的理解に努め,子どもとともに人間としての生き方を考えようとい う真撃な姿勢を示すことが必要である。. Ⅵ おわりに 道徳の授業の問題点の一つとして,授業形式への過度なこだわりから「硬直化した指導過程による指導」 があげられることがあるが,少なくとも北海道においてはこれは当たらない。そうではなくて,心情追求な どが国語科の授業と変わらない,「浅い読解に終始した指導」が多いことが大きな問題点である。 言い換えれば,北海道においては,価値の主体的自覚を目指す指導がうまくいかないのは,展開の前段, つまり資料をもとにした「価値の追求・把握」の段階の指導が十分でないからだということである。 資料のどこに着目して教材研究を深め,具体的にどんな道徳的価値について考えさせ,どのように自己を 振り返らせるのか。つまり,「道徳の授業で扱う資料の教材研究の在り方」と「ねらいとする道徳的価値を 子どもたちが主体的に自覚するための効果的な指導過程の在り方」についてしっかり議論し,学校現場にき ちんと定着させることが最大の課題であると考える。. 最後になるが,価値の主体的自覚を目指す指導の困難さを克服する方略について,改めてまとめてみるな らば,以下のようになる。 第一には,子どもたちに人間の“弱ぎ’をいとおしむ気持ちを育てることである。人間はだれしも“弱ぎ’ や“もろぎ’をもっているが,それを乗り越えようとする意志や力もあわせもっている。ともに生きていく ためには,自他の“弱ぎ’をいとおしむ気持ちが大切であり,それは子どもたちの生きる力をはぐくむこと につながるからである。. 第二には,子どもたちに共感する力をはぐくむことである。他者の立場や考えをしっかり認知し,その感 情を共有しようとする共感する力は,子どもたちの「役割取得能力」をはぐくみ,道徳性の発達を促すとと. 223.

(15) 笠 井 稔 雄. もに,友好的であたたかい人間関係を形成する原動力となるからである。 第三には,子どもたちにしっかり考えさせたい道徳的価値を焦点化することである。一般的に,資料には いくつかの価値が含まれているものだが,子どもたちに考えさせたい価値を絞り込み,そのよさを浮き彫り にしていき,「生きていく上で,これって大事だね」とそのよさを実感させることが重要だからである。. 第四には,子ども一人一人が自ら自己認識を深めるようにすることである。自分にも同じように“弱ぎ’ があり,同時にそれを乗り越えようと苦悩していたことに気付き,これまでより少しでも満足のいく生き方 ができるよう,小さな自己課題や目標をもたせることが重要だからである。 第五には,子どもがすでにもっている価値の判断基準を生かすことである。子どもたちは,どんな道徳的 価値について考える場合でも,人間の行為の善悪を判断する基準をもっている。ここを丁寧に指導すること により,子どもたちはそれまで気付かなかった考え方や感じ方があることに気付き,人間理解を深めること ができるからである。. なお,子どもの発達段階,ねらい,資料の特質に応じて,「フレンケル理論」や「コールバーグ理論」に もとづく指導過程を使い分けることも重要である。どの指導過程も,ある程度続けて実践し,子どもも教師 も慣れることが大切である。その上で,これらの指導過程を固定化,形式化しないで弾力的に扱い,それぞ れの学級の実態や指導者の特性,資料の内容などに応じて創意工夫し,効果を高めることも大切である。. また,年間指導計画では,感動資料,葛藤資料を偏りなく配当し,心情を豊かにすることと,判断力を高 めることの両面を大切にすることが重要である。. 日常の道徳の授業に不安をもつ教師にとっては,どれか一つ,興味のある指導過程をしっかり身に付ける とともに,マンネリ化を防ぐために,時々,他の指導過程に挑戦してみるのも現実的な活用法といえよう。. 註 (1)庄井良信(2004)『自分の弱さをいとおしむ』高文研 22頁。 ここで庄井は,「『強く』なることが幸せを勝ちとる方程式だった時代から,『弱く』ならないことが幸せを守るための方 程式になる時代へ,『強さ』を求める競争から,『弱く』ならないことを強いられる競争へ,いまの日本の経済システムや, それを助長する一部の政策路線の影響のもとで,私たちは『弱さ』を表現することへの不安がとても強い社会を生きてい ます。親も,援助者も,子どもたちもこの空気を吸って生きています。とくに教師や指導員という職業は,現代のような. 社会や経済状況のなかでは『弱みをみせたらおしまいだ』という強迫観念が身体にしみつきやすいのだと思います。しみ じみと自分の『弱さ』をいとおしむ。この臨床感覚こそが,愚かで賢く,弱くて強い民衆が,たいせつにし続けた,人間. らしい子育ての知恵の一つなのだと思います。」と指摘している。 (2)川崎惣一(2009)「道徳的行動の主たる要因としての共感について」,『北海道教育大学紀要人文科学・社会科学編』第60. 巻第1号15頁。 ここで川崎は,「共感がわれわれを道徳的な行動へと促す主たる要因である」「それが『他者が置かれている状況において その他者が感じている苦しみを自分のもののように感じる』ことであると規定したうえで,子どもの共感する力を伸ばし. ていくためには『相手の立場に立つ』ための想像力を身につけてもらうことが重要である」「そのための一つの手立てとし て,役割取得というアプローチを取り上げる。」と指摘している。 (3)ヒューム 大槻春彦訳(1952)『人性論』第四巻 岩波文庫 34頁。 (4)ヒューム 前掲書190頁。 (5)アイゼンバーグ//マッセン 菊池章夫・「宮克美訳(1991)『思いやり行動の発達心理』金子書房174頁。 (6)ホフマン 菊池章夫・二宮克美訳(2001)『共感と道徳件の発達心理学』川島書店 5頁。 (7)行安茂(2009)『道徳教育の理論と実践』教育開発研究所 209頁。 ここで行安は,「共感の指導によって一人ひとりの道徳的実践力が十分育成されるであろうか」とした上で,「共感は望ま しい行為の動機として,判断力はその結果を予測し,比較し,選択する力として,それぞれ道徳的実践力を構成する二つ. の力であるということができよう」と指摘している。. 224.

(16) 人間の“弱ぎ’への共感を重視した道徳の授業 (8)J・ラマー D・P・パオリット R・H・ハーシュ著 荒木紀幸監訳(2004)『ピアジェとコールバーグの到達点 道 徳性を発達させる授業のコツ』北大路書房 46−49頁。 (9)千葉胤久(2010)「道徳教育における倫理学の役割」,『北海道教育大学紀要人文科学・社会科学編』第60巻第2号 6,12頁。 ここで千葉は,「公教育における授業であるからには,指導される『道徳的価値』の中身は客観的・一般的なものでなけ ればならず,決して授業者の主観的・個人的な思いであってはならない。ましてや,誤った思いこみであってはならない。 授業者は各道徳的価値(各内容項目)の基本的内容をしっかりと把握しておく必要がある。」とした上で,小中学校の教員. が倫理学を学ぶことの意義を「学習指導要領に指定されている『内容項目』に関する基本的・本質的な理解を得ることがで きる」,「内容項目に指定されている事柄は,古来,倫理学が『徳』として,あるいは倫理学の主要概念として,その内容を 様々に考察し,検討してきたものであり,それらの豊かな議論の蓄積から学べるものはきわめて多い」と指摘している。. (1Q)L.Kohlberg,EssaysonMoralDevelopmentvol.II:ThePsychlogyofMoralDevelopment,Harper&Row,1984,pp. 174−176.訳文は,片瀬一男・高橋征仁訳『道徳性の発達段階−コールバーグ理論をめぐる論争への回答−』(新曜社,1992 年) 275−278頁。 この中で,コールバーグが提示している6段階とは次のようなものである。. コールバーグによる道徳判断の発達段階 A 前慣習的レベル. 第1段階:他律的道徳 第2段階:個人主義,道具的な意図と交換. B 慣習的レベル. 第3段階:対人的な相互期待・相互関係,対人関係における同調 第4段階:社会システムと良心. C 脱慣習的・原理的レベル 第5段階:社会契約,または効用と個人の権利 第6段階:普遍的な倫理的原理 (川 文部科学省(1999)『小学校学習指導要領解説 道徳編』国立印刷局 27頁。 文部科学省(1999)『中学校学習指導要領解説 道徳編』大蔵省印刷局 30頁。 (1勿 田端 豊(2009)「生徒指導上の諸問題に対する道徳授業の有効性に関する実証研究Ⅲ」、『日本道徳教育学会第74回大会 発表要旨集録』111頁。 ここで田端は,生徒指導困難校を対象にして道徳の授業がもたらす教育効果を検証し,「感動教材で心を響かせ,その道 徳的中心問題について人間を読み,考えを深め,その人間の価値を考え,仲間と交流し合う授業」,つまり「感動する授業」 「考える授業」「友達と交流する授業」が学校を落ち着かせ,考える楽しさを知った子どもたちは授業でも自分の言葉で語 り出し,学力も向上すると指摘している。 (1却 青木孝頼(1995)『道徳授業の基本構想』又渓堂 82−83頁。 (14)文部科学省(2008)『小学校学習指導要領解説 国語編』東洋館出版社 64頁。 (15)文部科学省(2008)『中学校学習指導要領解説 国語編』東洋館山版社 74頁。 (16)青木孝頼 前掲書 27頁。 (17)青木孝頼 前掲書 94−101頁。 (咽 青木孝頼 前掲書 93頁。. (本稿は,科学研究費補助金(基盤研究B)「道徳教育の効果的な教育方法の開発」(課題番号:19330194) と題する3カ年(2007年∼2009年)計画の研究の成果の一部である). (大学院教育学研究科教授). 225.

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参照

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