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物語の 型 カタログ

形式と設定の黄金パターン

特集 1

小説はどんな書き方をしてもいいジャンルであり、こうでなければならないという

形式はありません。全く自由と言ってもいいです。

しかし、物語には型があります。その原型は、「どこかに行って(欠落したものが

あり)→帰ってくる(修復される)」というものですが、バリエーションはあります。

今回はそうした型の典型を、「設定と構造から見た型」「昔話に学ぶ型」「海外文学

に学ぶ型」に分けて紹介します。

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物語とは、誰かによって語られたもの、 または、そのような設定で書かれたもの と言えますが、近世以前の物語は文字通 り﹁物を語る﹂で、話の中心は﹁物﹂で す。人物は出てきますし、主人公もいる のですが、人物は人物であって人間では ありません。類型化されたキャラクター に近い匿名性のある存在です。 それゆえ 、﹁桃太郎も浦島太郎も人物 としては好きだけど、どんな顔?   どん な性格?   趣味は?   嗜好は?   そうし たプロフィールはないじゃないか、リア ルじゃないじゃないか﹂という批判が始 まります。これが﹁物語批判﹂ですね。 そして、明治 18年、坪内逍遥によって ﹃当世書生気 質﹄が書かれ 、ありのまま に書き写す写実主義が生まれます。これ が日本近代文学の始まり。この時点では 小説は反物語ですから 、﹁小説 ≠ 物語﹂ と言えます。 しかし、いくら人情世態を写し取った としても物語性のない小説はおもしろく ないですから、評価はされても売れなく なります。そこで小説は写実主義であり つつも、物語性を取り込んでいきます。 このようなストーリー性のある小説は ﹁小説=物語﹂と言っていいでしょう。 物語構造はみな起承転結 物語はジャンルは多種多様、設定も内 容も千差万別ですが、パターンは同じで す。一つに集約できます。それは﹁何が、 どうして、どうなった﹂です。 これは、起承転結や序破急とも言い換 えられます。 起承転結はご存じですね。漢詩の構成 法を応用したものです。序破急は能から きたもの。序は導入部、破は展開部、急 は終結部です。 もっともらしく説明しましたが、こう した構成法を知らなくても、思考をうま くまとめようとすると、必然的に三∼四 の柱ができます。柱が一つでは思考はま とまりませんし、十も二十もあればどれ かを統合したくなります。起承転結、序 破急、三幕構成、三段論法⋮⋮みな三∼ 四ですし、日常生活でも論考はだいたい そうですね。 たとえば 、﹁ サッカーが見たいな 。で も仕事が優先だ。仕方ない、残業だ﹂と か。これを﹁サッカーが見たいな。でも 仕事が優先だ。仕方ない、サッカーを見 ちゃおう﹂と言えばギャグにはなります が、論理的ではありませんから話はまと まりません。 始まらない話、終わらない話 物語というのは 、﹁何が 、どうして 、 どうなった﹂と展開しますが、これを起 承転結で書いてみるとします。 ・主人公がいて、 ・出来事が起きて、 ・どうにか解決して、 ・元に戻る。

物語とはなんだ?

物語構造はみな起承転結

始まらない話、終わらない話

図 1 小説と物語 反小説 身辺雑記 小説 物語 大衆小説 通俗小説 軍記 昔話

物語の特徴を知る

文学史には 、明治文学の研究者 、柳田 泉の命名と言われる ﹁上の文学 、下の文 学﹂という言葉があります。 ﹁上の文学﹂は朱子学を中心とする儒学 で 、実用を目的とする武士の文学 。経世 済民の志は述べても虚構性は乏しいとい うもので 、明治期には文学というより哲 学、思想、社会科学になっていきます。 ﹁下の文学﹂は戯作小説 、俳諧 、川柳 、 狂歌 、浄瑠璃 、歌舞伎 、講談 、落語など 快楽を追求する平民の俗文学で 、これら が大衆文学の源流となります。 では 、﹁下の文学﹂が大衆文学になる 過程をたどってみましょう。 明治初期 、庶民に人気だったのは講談 や落語といった舌耕文芸で 、その代表は 三遊亭円朝と二代目松 林伯円です 。彼ら は江戸期の落語や講談を集大成するとと もに新作も創作しましたが 、この頃 、日 本に速記術がもたらされ 、こうした口演 作品は次々と速記本として刊行されまし た 。これら読む講談 、読む落語は話し言 葉で書かれており 、これは言文一致運動 に大きな影響を与えます。 また 、明治初期は印刷技術が普及した 時代でもあり 、新聞創刊が相次ぎます 。 当時の新聞には政論を中心とした大 新聞 と庶民向けの小 新聞とがありますが 、小 新聞では市井のゴシップ記事などが人気 で 、ここでは仮 名垣魯文などの戯作作家 が健筆を振るいます 。こうした覗き趣味 的な記事は ﹁続き物﹂となり 、これはの

ミニ大

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﹁出来事﹂というのは﹁問題﹂と言い換 えてもいいですね。今お読みになってい る小説をこの法則にあてはめてみてくだ さい。このような大きな流れ ︵起承転結︶ があるはずです。 というより、 ・主人公がいて、 ・出来事が起きない。 これでは話が始まりませんね。事件な り事故なり、あるいは主人公の心を揺さ ぶる何かが起きているはずです。 また、こんな展開はどうでしょうか。 ・主人公がいて、 ・出来事が起きて、 ・どうにも解決できず、 ・でも問題を放置。 こんな構成も NG ですね。 主人公が問題を放棄するのはアリです が、作者自身が問題︵テーマ︶を放置し ては終われません。序盤で起きる出来事 は ﹁問い﹂でもありますから 、﹁答え﹂ がなければ尻切れになってしまいます。 だからなんなのかが問題 物語では冒頭、または序盤で出来事が 起きますが、その出来事がごくごく日常 的なことだと、書きやすい半面、おもし ろい話にはなりにくいです。やはり、あ る程度は﹁大きな出来事﹂が必要です。 しかし、 ﹁未来にタイムスリップする﹂ とか 、﹁未知の国を旅する﹂とか 、出来 事が大きければ大きいほど説得力ある話 に仕上げるのが難しくなります。今の筆 力と相談し、頑張ればどうにか書けると いう設定にするのがいいでしょう。 さて、起で設定した状態は事件や事故 によって破られますが、最終的に結で元 に戻ります。しかし、元の状態とまった く同じかというとそうではなく、主人公 の心はちょっと変化しています。 たとえば、 ・主人公のバイト先の、 ・新人の女性に一目惚れ、 ・なんどもアタックしたが、 ・結局、振られた。 この場合、主人公は最後にまた元の状 態に戻ってはいますが、しかし、主人公 は出来事を経験していますから、最初の 頃の主人公とはどこか違っているはずで す。体験を通じて、何かしら得たもの、 学んだものがあるはずです。それこそが その作品のテーマです。 起承転結を崩していく 物語構造は基本は起承転結でも、必ず しもそのままとは限りません。構造がシ ンプルなだけに 、﹁この先 、こうなる﹂ が見えやすく、そのため、先を予想させ ないようにフェイクを入れたり、なんだ かんだでようやく解決 ! と一息つかせ たあと、さらにもう一つ、どんでん返し を用意したり⋮⋮。 あるいは、 A と B 二つの起承転結があ り、それらが交互に出てきて最終的に一 つのストーリーになるというような構成 もあります。 また、本編の起承転結の前後に序章と 終章がついていたり、本編の前に発端の 事件が書かれていたり、起が長くその中 に転のような山場があるものや、起承転 転転のような構成もあります。 こうした変形をする場合、基本の型が ないと総崩れになります。逆に起承転結 がしっかりしていると、いくら崩しても 話は錯綜しないものです。 起承転結/序破急 ・人物がいる。 ・出来事(問題)が起きる。 ・出来事(問題)が解決される。 ・順序立てて語られる。

起承転結を崩していく

だからなんなのかが問題

物語の構造 物語の条件 ちに新聞の連載小説になります。 明治 20年代 、仮名垣魯文一派の滑稽本 が飽きられてくると 、西洋の小説を翻訳 、 翻案した小説が人気となります 。さらに 、 明治 30年代には 、恋愛 、金銭 、嫁姑 、男 の不実といったことを主題とする通俗小 説が出現します。 通俗小説とは世俗に通じた小説という 意味で 、当時は通俗小説と言えば現代も の 、大衆小説と言えば時代ものというよ うにジャンル分けされていました。 ただし 、大衆小説という言い方が定着 するのは大正以降で 、大正末期では 、大 衆小説 、読物文芸 、新講談といった言い 方が存在していました 。 同じ対象をジュ ニア小説と言ったりライトノベルと言っ たりするたぐいでしょう。 ちなみに ﹁大衆文学﹂の名付け親は時 代小説の白井喬二で 、氏によると 、当初 は ﹁大衆﹂に ﹁民衆﹂の意味はなく 、辞 書にない造語だったそうです。 この頃 、大衆小説は一般文芸よりも一 段低い通俗読物という扱いでしたが 、 大 正 15年に ﹃大衆文芸﹄が発刊され 、これ により通俗読物は大衆小説へ 、そして大 衆文学へと変わっていき 、戦後は高度の エンターテインメントに発展します。 ロシア ・フォルマリズムのシクロフス キーは 、﹁上位文化の誕生は下位文化の 絶えざる振幅を必要とする﹂と言いまし たが 、現代の物語 ︵エンターテインメン ト小説︶は 、戯作小説 、講談 、落語とい った下位文化をベースに 、その栄養を得 て発展してきたと言えます。

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物語には様々なパターンがありますが、 話の内容ではなく、設定や展開、構造で 分類したものが次ページです。 本誌 4 月号の特集﹁ストーリーメイク の鉄則﹂のインタビューで柏田道夫先生 が挙げてくれたように、ストーリーには、 ﹁サクセスストーリー﹂ ﹁巻き込まれ型﹂ ﹁空間限定型﹂ ﹁相棒もの﹂ ﹁旅もの﹂ があります。 また、次ページでは、物語がどんな構 造をしているかによって、 ﹁入れ子構造﹂ ﹁二つの視点﹂ ﹁群像劇﹂ の三つに分けてみました。 次ページの分類では挙げていませんが、 これ以前に、人物がいて、出来事が起き て、それが解決して終わりという普通の 起承転結、序破急の構成があるます。こ れは言うなれば﹁単純構造﹂ 。 すべての物語は﹁単純構造﹂の変形で、 推理小説では冒頭に﹁発端の事件﹂があ り、本編が起承転結になっていたりしま す 。また 、﹁起承転結+意外な結末﹂な ら﹁どんでん返し﹂になります。 ﹁入れ子構造﹂は、サンドイッチにたと えると、本編の部分が具で、序章と終章 というパンで本編を挟んだ構成。 ただし、この序章と終章の時制は、本 編とは違っています。たとえば、冒頭で 主人公が半生を語り出したところですぐ に本編になり、本編では過去に遡り、そ こを現在として半生が語られます。そし て、最後に冒頭の場面に戻ります。こう すると本編は普通の起承転結でも話が重 層的になる利点があります。 ﹁二つの視点﹂と﹁群像劇﹂は、誰を語 り手にしているかという分類 。﹁二つの 視点﹂の場合はそれぞれの人物のストー リーにそれぞれ起承転結がありますが、 ﹁群像劇﹂の場合は語り手がどんどん交 代していくだけで、ストーリーそのもの は単純構造だったりします。 すべては﹁行きて帰りし物語﹂ すべての型にあてはまってしまうので 今回は敢えて分類していませんが、すべ ての物語に共通する構造を言えば、それ は﹁行きて帰りし物語﹂です。 ﹁グランドホテル形式﹂にしろ﹁ロード ムービー﹂にしろ、主人公がどこかに行 き、最終的には帰ってきます。帰ってこ なければ話は終われません。 ﹁桃太郎﹂が鬼ヶ島に行ったきりだった らどうでしょう ?   ﹁浦島太郎﹂が竜宮 城に居座ったら?   文字通り、話になり ません。 ただし、この﹁行く・帰る﹂は物理的 な﹁行く・帰る﹂に限りませんから、別 の﹁行く・帰る﹂があれば O K です。 たとえば、 ﹁桃太郎は誰とでも友好的﹂ という前振りがあり、その後、鬼退治に 行きます︵好戦的になります︶が、しか し、鬼と仲良くなって鬼と暮らしました とさ 、というストーリーの場合 、﹁図ら ずも好戦的になってしまった桃太郎が、 最後に本当の自分を取り戻した︵本当の 自分に帰った︶ ﹂と考えれば 、ストーリ ーは﹁行きて帰りし物語﹂としてちゃん と話が成り立っています。

設定と構造から見た

物語の型

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このように考えると、 ﹁出来事が起きて、 本当の自分に気づいた﹂という展開の話 は、すべて﹁行きて帰りし物語﹂のバリ エーションと言えます。 また、 ﹁入れ子構造﹂の話、たとえば、 絵本を読んでいた子がいつのまにか絵本 の世界という異次元に迷い込んでしまい、 なんだかんだあって元の現実に戻ってく るというのも、ひとつの﹁行きて帰りし 物語﹂です。 つまり、話というのは﹁行ったきり﹂ ではだめということですね。だめと言う か、それでは落ちつかない︵オチつかな い︶ですね。 考えてみればあたりまえで、日常生活 でも﹁いいこと教えてあげよう。いや、 やっぱりやめた﹂と言われたらすっきり しませんね。 物語構造もキャッチボールのようなも ので 、﹁ 行ったら 、帰ってくる﹂ 、﹁ なぜ という問いがあったら、こうだという答 えがある﹂のように呼応しています。 逆に言うと、読後に﹁なんだか話が終 わっていない、すっきりしない﹂と思っ てしまう理由は、最初に打ち上げた問い に最後できちんと答えていないか、答え ていても問いと答えのバランスが悪いの が原因でしょう。 そうしたバランス︵話の配分︶を見る ためには絶対的に要約力が必要で、要約 力はある程度は読書量に比例します。

基本の型を押さえよう

すべては

﹁行きて帰りし物語﹂

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最初に ﹁○○になる﹂という夢や 希望があり 、困難に打ち勝って大願 を成就させるまでを描く。 夢や希望が簡単に叶うとおもしろ くならない 。ライバルが現れて夢の 実現が邪魔されたり 、なんらかの事 情があって夢にチャレンジすること すらできないような状態に陥ったり する 。最初から大きなハンディキャ ップを負わされている場合も。 ﹁起﹂で主人公はマイナスの状態に なり 、﹁転﹂でプラスに転じるが 、 いったん落ちかけて再逆転というの が定番のパターン 。﹁シンデレラ﹂ がその典型。立身出世物語。 主人公そのものは偉人でもスーパ ーマンでもなく 、どちらかといえば 普通の人で 、ごく普通の平和な暮ら しをしているが 、ある日 、なんらか の事件に巻き込まれ 、元の日常を回 復するために奮闘しなければならな くなるようなストーリー。 サクセスストーリーの主人公には 、 物語の出来事に参加する強い意志と 動機があるが 、巻き込まれ型にはな く 、突然の日常の変化から逃げよう とする 、抜け出ようとするところに おもしろさがある 。映画 ﹃逃亡者﹄ がその典型だが 、世の大半の物語が 巻き込まれ型とも言える。 場所を一つに限定し 、主人公がそ こに入って出てくるまでを描く 。映 画 ﹃グランドホテル﹄にちなみ 、グ ランドホテル形式とも言う。 ミステリーによく出てくるクロー ズド ・サークル ︵ 孤島や山奥の山荘 など︶もグランドホテル形式のひと つ 。映画 ﹃ダイハード﹄や安部公房 の小説 ﹃砂の女﹄も 、冒頭でそこに 行き 、結末でそこから出るという意 味ではグランドホテル形式。 ﹁脱出が目的の場合﹂ ﹁○○して脱 出するのが目的﹂ ﹁脱出自体は目的 ではない ︵ほかにある︶ ﹂などバリ エーションは様々。 バディ ︵相棒︶がいる物語 。テレ ビドラマ﹃相棒﹄がまさにそう。 主人公と副主人公がいて 、両人と も相応のウェイトをもって描かれ 、 時に副主人公がスピンオフすること もある ︵スピンオフ=脇役が主人公 になること 。﹃踊る大捜査線﹄から 生まれた ﹃交渉人 真下正義﹄など がこれにあたる︶ 。 主人公と相棒は正反対のタイプが 多い。 ﹁ノッポとチビ﹂ ﹁細めと太め﹂ ﹁几帳面と大雑把﹂など。 二人は協力し 、競い合い 、互いの 欠点を補いながら 、共通の目的やも くろみ、任務、死命を果たす。 ロードムービーとも言う 。主人公 の目的は旅路の果てにあると設定さ れているが 、物語のメインは旅の過 程 。﹁肉親を探す﹂ ﹁失った何かを探 す﹂ ﹁自分を探す﹂など 、なんらか の目的があって主人公は旅に出て 、 旅の終わりが物語の結末。 成功するポイントは 、旅の目的を はっきりさせ 、どうしても到達した いという強い意志を持たせること 。 また 、たどりつけそうでいてなかな か到達できないようにすること。 ホメロス ﹃オデュッセイア﹄ 、十 返舎一九 ﹃ 東海道中膝栗毛﹄ 。伝奇 小説﹃西遊記﹄などが典型。 入れ子というのは 、器の中に器が 入っているような構造 。サンドイッ チ形式とも言う 。たとえば 、今現在 にいる人物が昔話をし 、そこから話 は過去に戻り 、最後に今現在に戻っ て終わる。 ﹁現在 ・ 過去 ・ 現 在﹂ 、﹁ 現 在 ・タイムスリップ ・現在﹂のよう に 、 本編の前後に序章と終章がくっ ついて本編を挟んでいる形式。 映画で言うと ﹃スタンド ・バイ ・ ミー﹄や﹃ジュマンジ﹄がそう。 冒頭に現実の現在と思われる部分 があることで本当にあった話のよう な印象になる 。現在と過去のストー リーが連動しているとさらにマル。 多くの小説では 、一人称にしろ三 人称にしろ、 ある特定の人物︵の目︶ を通して語っていく 。これを一視点 ︵一元視点︶と言い 、特に心理小説 に向いた書き方だが 、相反する二人 の人物の目で出来事に迫る形式もあ る 。 村上春樹 ﹃ 1 Q 8 9 ﹄やフレデ リック ・フォーサイス ﹃ジャッカル の日﹄などがそう。 ただし 、なぜ二つの視点で交互に 書くのかという創作上の意図がない と失敗する 。刑事視点と並行し 、安 易に犯人視点を交えたりすると 、知 らなければ怖かったシーンがネタバ レとなって興ざめになる例も。 群像劇とは 、複数の人物によって 物語が進行していく形式 。多くの小 説では 、特定の人物 ︵主人公︶が出 来事に遭遇し 、そこで何をどう見た かを語るが 、群像劇では何人もの人 物が出てきて 、それら複数の人物の 目を通して出来事を追う。 横山秀夫 ﹃半落ち﹄や伊坂幸太郎 ﹃ラッシュライフ﹄ 、司馬遼太郎 ﹃関 ヶ原﹄ 、アガサ ・クリスティー ﹃オ リエント急行の殺人﹄ 、山崎豊子の 一連の作品などがそう。 人物より事件 ︵出来事︶にウェイ トがある話に向く 。ただし 、初心者 、 アマチュアには難度が高い。

サクセ

ーリー

巻き込まれ型

空間限

相棒も

旅も

入れ

子構造

二つ

群像劇

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民話や昔話は非常にシンプルな起承転 結で構成されていることが多く、原稿用 紙千枚もの長編小説のストーリーも、要 約すればたいていの作品が昔話のストー リーに集約されてしまいます。 まず定番なのは 、﹁一寸法師﹂や ﹁ 力 太郎﹂ ﹁わらしべ長者﹂などの立身出世 譚で、これは前項のサクセスストーリー にあたります。 ﹁桃太郎﹂ や﹁三年寝太郎﹂ も立身出世譚ですが、勧善懲悪譚の面も あります。 ﹁かちかち山﹂や﹁さるかに合戦﹂は、 老婆を殺したタヌキや、カニを騙したサ ルに仕返しをする話ですが、仕返しをす る側から見れば復讐譚であり、悪事を働 いた者に焦点を当てれば因果応報譚です。 ﹁こぶとりじいさん﹂ ﹁おむすびころりん﹂ も因果応報譚と言えます。 変身譚、異類婚姻譚の代表は﹁鶴の恩 返し﹂ ︵﹁鶴女房﹂ ︶で、ほかに﹁狐女房﹂ ﹁蛙女房﹂ ﹁蛇婿入り﹂といった話があり ます。 ﹁雪女﹂も同じです。 報恩譚は、 ﹁花咲か爺﹂ ﹁文福茶釜﹂ ﹁笠 地蔵﹂ ﹁舌切雀﹂などで 、大別すると 、 命を助けられた動物が恩返しをする動物 報恩譚と、善行のお礼に特別な場所に招 かれ、土産に宝物などをもらう致富譚に 展開するものがあります。 ﹁浦島太郎﹂は動物報恩譚であり致富譚 でもあり、結末を見ると何やら因果応報 譚のようでもあります。 逃走譚は、 ﹁ジャックと豆の木﹂や﹁ヘ ンゼルとグレーテル﹂ ︵お菓子の家に食 べられそうになって逃走する︶のような 話で、日本の古事記にもあります。 イザナギノミコトは黄泉の女神に追い つかれそうになり、鬘、櫛を投げてその 隙に逃れます。また、 ﹁三枚のお札﹂では、 山に入った小僧が山姥に追われ、和尚に もらったお札を使って逃げますが、この 部分は逃走譚︵呪的逃走譚︶です。 ほか、王様の血筋が追放されて放浪し ているという貴種流離譚や、 ﹁かぐや姫﹂ のような難題婚姻譚、動物の姿で生まれ てくる異常誕生譚 、﹁ シンデレラ﹂的な 継子いじめ譚、信仰や信念を貫き通した り試されたりする信仰譚、映画﹃シェー ン﹄のように誰かがやってきて去ってい く到来譚、落し物を拾ったり何かに気づ いてしまったりする発見譚、もっと積極 的に何かを探しに行く冒険譚や探索譚が あります。 ﹁ヤマタノオロチ﹂のような異類退治譚 や、冥界や地の果て、海の底などに行く 冥界訪問譚、魔術や妖術で戦う呪的勝負 譚は、冒険活劇的な物語のストーリーの ベースになってくれそうです。 昔話のリメイクという方法 太宰治に、その名も﹃お伽草子﹄とい う小説があります。室町時代から江戸時 代にかけて成立した﹃御伽草子﹄のパロ ディーというかリメイクしたもので、大 筋は同じでもテーマも中身も全く違いま す。こうした手法は芥川龍之介をはじめ、 多くの小説家がやっていますが、では、 どんなものなのか 、﹃ お伽草子﹄の中か ら﹁カチカチ山﹂を引用してみます。 カチカチ山の物語に於ける兎は少女、 そうしてあの慘めな敗北を喫する狸は、 その兎の少女を恋している醜男。これは もう疑いを容れぬ儼然たる事実のように 私には思われる。 ︵中略︶ 何をするんだ、痛いじゃないか、櫂で おれの頭を殴りやがって、よし、そうか、 わかった!   お前はおれを殺す気だな、

昔話に学ぶ物語の型

それでわかった 。﹂と狸もその死の直前 に到って、はじめて兎の悪計を見抜いた が、既におそかった。 ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上 に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に 浮きつ沈みつ、 ﹁あいたたた、あいたたた、ひどいじゃ ないか。おれは、お前にどんな悪い事を したのだ。惚れたが悪いか。 ﹂と言って、 ぐっと沈んでそれっきり。兎は顏を拭い て、 ﹁おお、ひどい汗。 ﹂と言った。 ︵太宰治﹁カチカチ山﹂ ︶ ストーリーメイクが苦手な人は、スト ーリーも人物もそのままに、文章につい ては小説らしく描写で書き替え、テーマ についても換骨奪胎するというトレーニ ング方法があります。ただし、元ネタが 割れていますから、実作品として使うな ら原作以上の何かが必要になりますね。 もう一つ、ストーリー展開は踏襲しつ つ、設定だけ変える方法もあります。あ るいは、元ネタのストーリーを一言で言 えるくらいまで凝縮し、それを膨らませ て新たなストーリーを生む方法も。しか し、これでは結末が同じですから、元ネ タがハッピーエンドなら、リメイク作品 はアンハッピーエンドにしたりします。 こうしたリメイクや換骨奪胎を繰り返 せば、物語構造が体で覚えられます。

昔話に物語の原型を探す

昔話のリメイクという方法

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主人公は何者かによって冒頭で欺 かれ 、騙され 、裏切られる 。結果 、 大きな損失 、ハンディキャップを負 うが 、仕返しをする 、復讐するなど の行為によって現状を回復する 。昔 話﹁かちかち山﹂が典型的。 冒頭で事件が起こり 、不遇の身に 転落する場合もあれば 、最初から大 きなハンディを負わされた状態で物 語が始まる場合もある。 復讐は単独で行う場合と 、周囲に 助けられながら行う場合とがあり 、 裕福になって 、貧しかった自分の人 生に復讐するとなれば 、それはひと つのサクセスストーリーになる。 正しい者は得をし 、正しくない者 は損をする ︵罰が当たる︶というス トーリー 。昔話 ﹁桃太郎﹂や ﹁こぶ とりじいさん ︵こぶ取り爺︶ ﹂など がこの型にあたる。 正しいものと正しくないものとは 、 ﹁正義と悪﹂ ﹁平和と戦争﹂ ﹁無欲と 強欲﹂など相反するものだが 、﹁ 弱 者と強者﹂のように善も悪もない場 合は 、善玉はより善玉らしく 、悪玉 は悪玉らしく描く必要がある。 ﹁正しい状態﹂ ﹁あるべき状態﹂を 回復する物語でもあるが 、悪に身を 落とした主人公に罰が当たれば 、そ れは因果応報譚となる。 狼男 、ヴァンパイアなど 、人間が 人間でないものに変身してしまう物 語 。変身譚は 、古くはオウィディウ スの ﹃変身物語﹄など神話にもあり 、 小説にもカフカ﹃変身﹄ 、 中 島敦﹃山 月記﹄などがある。 変身するものは動物に限らず 、妖 精や植物の場合もある 。また 、動物 が人間になるパターンもある。 男が女に ︵女が男に︶なる 、正常 な人間が一時狂人になる 、人格が変 わる 、異常な精神状態になる 、自分 が自分でなくなるような状態に陥る 恋愛小説なども変身譚 。最後に元の 状態に戻ることで結末を迎える。 人間が人間以外のものと結婚する 話。神婚と動物婚の二種類がある。 恩返しに来た動物と結婚するが 、 正体が発覚して去っていくパターン や 、危機に陥った主人公が ﹁結婚し てくれるなら助ける﹂と言われ 、一 度は承諾するが 、のちに約束を反故 にして罰が当たるパターンなど 、ス トーリー展開は様々 。異類との間に 子どもが生まれる異常誕生譚も異類 婚姻譚の変形と考えられる。 普通の男女や老若を一種の異類と 考え 、異類であるがゆえに様々なト ラブルが起きるというふうに恋愛小 説に応用することもできる。 報恩譚とは 、﹁ 笠地蔵﹂ ﹁ 鶴の恩返 し﹂のような恩返しのストーリー。 前半では 、主人公は何者かを助け 、 その後 、助けられた者がやってきて 主人公に恩返しをする。 後半のパターンは二種類あり 、一 つは ﹁舌切雀﹂や ﹁花咲か爺﹂のよ うに 、結果的に主人公に富がもたら されるもの。これを致富譚と言う。 一方、 ﹁鶴の恩返し﹂ や ﹁ 浦島太郎﹂ のように一度は恩返しされるものの 、 禁忌を破った結果 、罰が与えられる パターンもある 。このパターンの民 話は世界各地にあり 、人類の根源的 なテーマと言える。 神話によくある 、この世でないど こかに行って帰ってくるという異郷 訪問譚の帰還部分でもある 。主人公 は異郷を訪れ 、財宝や美女を盗んで 帰郷しようとするが 、途中で追いか けられる 。その際 、事前に与えられ ていた三つのアイテムを投げると 、 アイテムが変身して逃走を助けるの を呪的逃走と言う 。呪的逃走では異 郷の美女を連れて帰ることがあるが 、 それが発展すると課題婚となる。 逃走譚の典型は ﹁ジャックと豆の 木﹂で 、これに巻き込まれ型をあて はめると逃亡劇 、また貴人が追放さ れた話にすると貴種流離譚になる。 主人公はなんらかの信仰を持って いるが 、出来事が起きて 、その信仰 が揺らいだり 、一時的に信仰をやめ たりする 。しかし 、最終的には信仰 心を取り戻すというストーリー。 この信仰を 、自分を信じる心と考 えるとサクセスストーリーになり 、 自分を信じる心の再生と捉えると 、 アイデンティティー回復譚となる。 対象を自分以外の者にし 、﹁ 試さ れる友情﹂とすると太宰治の ﹃走れ メロス﹄になり 、対象が恋人や配偶 者であれば 、恋愛 、結婚小説に 。い ずれも信仰が大きく揺らぐ事件を起 こせるかどうかが鍵となる。 到来譚は 、外部から誰かやってき て去っていく話 。学園ものなら転校 生ものがこれにあたり 、難題求婚譚 でもある ﹁かぐや姫﹂もこのパター ン 。人ではなく物が落ちていて 、そ れを拾ったことで物語が始まり 、手 放すことで終わるパターンも。 発見譚は 、どこかに行って何かを 発見したり 、今いる環境の中に重大 な何かを発見してしまうパターン。 探索譚は 、今いる環境の中に重大 な何かがないことに気づき 、それを 探しにいく物語 。それはロードムー ビーでもあり 、探すものが本来の自 分であれば自分探しとなる。

復讐

勧善懲

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変身

11

異類婚姻

12

報恩譚

13

逃走

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信仰

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到来発見探索

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海外文学でまず参考にしたいのは、 12 世紀から 16世紀にかけてヨーロッパ各地 で流行した騎士道物語です。 その典型は 、﹁騎士がいて 、困ってい る貴婦人と出会う。聞けば怪物に襲われ るかもしれないと。そこで騎士は怪物を 退治し、貴婦人とも結ばれる﹂という単 純サクセスストーリーです。 騎士道物語は 16世紀が全盛です。その 後、 17世紀には、騎士道物語を読み過ぎ て頭がおかしくなったセルバンテスを主 人公とした﹃ドン・キホーテ﹄が書かれ ます︵これを近代小説の祖と見る向きも あります︶ 。 同じ頃、セルバンテスのスペインでは ピカレスク・ロマンが書かれます。こち らは騎士道物語とは真逆の小説で、騎士 道物語であれば懲らしめられてしまう立 場の悪漢が主人公となっています。しか も、本格小説なら三人称で書かれるとこ ろ、ピカレスク・ロマンは一人称で書か れていました。 それから一気に百年以上飛びますが、 ピカレスク・ロマンの影響もあり、第一 次大戦後の 1 9 2 0 年代、アメリカでハ ードボイルド小説が生まれます。それは 第二次大戦後、フランスでロマン・ノワ ールとなります。ロマン・ノワールは一 人称ではありませんが、人間の暗部を描 くというところは踏襲しています。 同じ題材でも、誰を主人公にするかに よって話は変わってきますし、騎士道物 語風にするか、それともノワール風にす るかでは全く印象が変わってきますね。 海外小説の様々な小説の形式 少し時間を巻き戻すと、 17世紀頃にフ ランスで心理小説が生まれます。特に恋 愛を扱ったものが多く、しかも、純愛も のなどではなく、ほとんどがどろどろと した貫通小説でした。 心理小説は人物の行動について分析的 に解説します。それゆえ、男女とも幼稚 というわけにはいきませんし、かといっ てともに〝大人〟では物語が進みにくい ため、たいていは分別のある貴婦人と未 熟な若者が恋に落ち、しかし、いつまで も不倫が許されるわけもなく最後には別 れるというストーリーになっています。 三角関係は神話の昔からあり、夏目漱 石の﹃三四郎﹄や﹃行人﹄などでも扱わ れています。志賀直哉の﹃暗夜行路﹄も そうでした。道義的にはともかく、人間 の感情がむきだしになる不倫というもの は、物語の定番のテーマでもあります。 フランスで心理小説が生まれた頃、お 隣のイギリスでは大陸から渡ってきたピ カレスク・ロマンが読まれ、やがて廃れ ます。その後、 18世紀にホレス・ウォル ポールによって﹃オトラント城奇譚﹄が 書かれます。これはゴシック・ロマンの 先駆的作品です。 また、ドイツでは 18世紀∼ 19世紀にか けて、ゲーテの﹃ヴィルヘルム・マイス ターの修行時代﹄ ︵ 1 7 9 6 年︶といっ た教養小説や、同じくゲーテの﹃若きウ ェルテルの悩み﹄ ︵ 1 77 4 年︶といっ た一人称のイッヒ・ロマンが生まれます。 その後、 19世紀初頭のイギリスでは、 ジェーン ・オースチン ﹃高慢と偏見﹄ 、 シャーロット・ブロンテ﹃ジェーン・エ ア﹄ 、エミリー ・ブロンテ ﹃嵐が丘﹄と いった写実主義が書かれ、 1 8 57 年、 フランスのフローベールは﹃ボヴァリー 夫人﹄を発表、写実主義文学を確立しま す。写実主義の誕生は近代小説とそれ以 前を分けるエポックでした。

海外文学に学ぶ

物語の型

インプットがあればこそ 非常に大雑把に海外文学をまとめてし まいましたが、西洋近代文学史と日本近 代文学史を比べてみると、物語批判から 写実主義が始まり、それに飽きると物語 に回帰してと流れがよく似ています。 というより、明治以降、日本の文学者 はせっせと海外文学を翻訳し、そのつど、 文学理念も形式も輸入︵模倣︶していっ たのです。 ﹁なんか今、フランスではこんな小説が ウケてるらしいけど、それならその向こ うを張って、こんなの書いてみよう﹂的 な作品もあったでしょう。 実際、西洋の文学史にある写実主義、 ロマン主義、自然主義、心理小説、教養 小説などはそっくりそのまま日本の文学 史にもあります。 そう言えば、 ガルシア ・ マルケスが﹃百 年の孤独﹄でノーベル文学賞を獲ったあ と、中上健次は﹃千年の愉楽﹄を書いた のでした。高橋源一郎のデビュー作﹃さ ようならギャングたち﹄にはカート・ヴ ォネガットの影響が見られますし、村上 春樹の文体もレイモンド・チャンドラー やレイモンド・カーヴァーなしでは成り 立たなかったでしょう。 というように、インプットがあって初 めてアウトプットがあるわけです。

騎士道物語からノワールまで

インプットがあればこそ

海外の様々な小説の形式

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12∼ 16世紀 、中世ヨーロッパで発 展した文学形式 。内容は 、騎士が見 知らぬ土地を旅し 、ドラゴンや巨人 など強敵と戦うことで美しい貴婦人 を助けるというものが多い。 騎士道小説は 、 文書と言えばラテ ン語が普通だった時代に口語である ロマンス語 ︵フランス語など︶で書 かれていたため 、そのままロマンと 呼ばれ 、冒険 、 恋愛を扱ったものが 多かったことから 、転じて冒険や恋 愛のこともロマンスと言うように。 騎士道物語は波乱万丈で荒唐無稽 な冒険譚 、恋愛譚が多い 。﹃ドン ・ キホーテ﹄はこのパロディー。 16世紀∼ 17世紀 、スペインで生ま れた小説の形式 。騎士道物語とは正 反対の悪漢譚 。のちのミステリー 、 犯罪スリラー 、ハードボイルドにも 影響を与えたジャンル。 下層出身者で社会寄生的存在の主 人公が 、日常を舞台に 、生きるため 食べるために罪を犯し 、いたずらを する 。一人称の自伝体で書かれ 、ユ ーモアがある 。社会批判的 、諷刺的 、 写実主義的傾向を持つ。 ピカレスクの語源となったピカロ は悪人という意味だが 、単なる犯罪 者ではなく 、愛すべき悪漢 。憎めな い悪漢。アンチヒーロー。 17世紀末 、ラファイエット夫人が 書いた ﹃クレーヴの奥方﹄が祖と言 われる 。貫通小説 。 騎士道物語の恋 愛譚とは違い、現実的、分析的。 プレヴォー ﹃マノン ・レスコー ﹄、 ラクロ ﹃危険な関係﹄などを経て 、 スタンダール ﹃赤と黒﹄によって確 立 。レイモン ・ラディゲが ﹃クレー ヴの奥方﹄を換骨奪胎した ﹃ドルジ ュル伯の舞踏会﹄もある。 純朴で情熱的 、世間知らずな若い 青年が 、高貴で知的で分別のある人 妻に恋して結実させるが 、やがては 飽きられるなどして破局を迎えるの が定番。人間の分析に主眼がある。 18世紀から 19世紀にかけてヨーロ ッパで流行した小説 。神秘小説 、幻 想小説 。現在のサスペンス 、ホラー の源流 。イギリスのホレス ・ウォル ポール ﹃オトラント城奇譚﹄が先駆 で 、ほか 、﹃フランケンシュタイン﹄ 、 ﹃ジキル博士とハイド氏﹄ 、﹃ドラキ ュラ﹄などが有名。 中世のゴシック建築の古城や大き な屋敷などを舞台に 、信仰 ・伝承 ・ 迷信を描いた幻想的な小説 、または 幽霊や怪物など超自然的なものを描 いた怪奇小説 。おどろおどろしい面 はあるが恋愛の要素もあり 、最後は ハッピーエンドで締めくくられる。 教養小説と訳されるが 、教養溢れ る小説ではなく 、若者である主人公 が様々な体験を積み重ねながら内面 的に成長し 、自己形成をし 、人格を 発展させていく過程を描いた小説 、 成長物語 。大河ドラマのように幼少 期から没するまでを描き 、精神的に 未熟だった主人公がだんだんと大人 になっていく過程を描く。 ドイツで成立したジャンルで 、伝 奇形式。代表作にトーマス ・ マ ン ﹃ 魔 の山﹄ 、ヘッセ ﹃デミアン﹄ 、下村湖 人 ﹃次郎物語﹄ 、山 本有三 ﹃真実一路﹄ など 。西洋では主流と言っていいが 、 日本では作例は少ない。 19世紀の初頭にドイツで流行した 文学形式 。イッヒ ︵ I c h ︶は英語 の ﹁ I ﹂ で 、﹁私﹂という意味 。三 人称で語ることが多かったヨーロッ パの文学にあって 、主人公が一人称 で自身の体験や生活を語った 。ゲー テ ﹃若きウェルテルの悩み﹄が有名 。 一人称小説とも言うが 、﹁主人公= 作者﹂ではなく 、日本独自の私小説 とは違う。 一人称で書くと 、本当にあった話 ︵実体験︶であるかのような印象が 出る 。告白調で書く小説に向いてい る 。ただし 、主人公の視点でしか書 けないので話は小さくなる。 20世紀の始めにアメリカのパル プ ・マガジン ﹁ブラック ・マスク﹂ 誌に掲載されたタフで非情な主人公 たちの物語が原型。一人称小説。 ハメットは 、簡潔で客観的な行動 描写で主人公の内面を表現し 、ハー ドボイルドスタイルを確立 。それは 円の外側を黒く塗るようなもの 。書 いているのは外側だが 、浮き彫りに なるのは円 ︵ 心︶の中 。従来の思考 的探偵に対して 、行動的でタフな探 偵を登場させ 、のちに私立探偵もの に発展するが 、文体だけを踏襲した 犯罪小説の流れもある 。たとえば 、 ﹃郵便配達は二度ベルを鳴らす﹄ 。 ロマンは ﹁小説﹂ 、﹁ ノワール﹂は ﹁黒﹂ 。﹁ 黒の小説﹂ ﹁暗黒小説﹂と呼 ばれる 。ハードボイルドの影響を受 け 、 第二次大戦後のフランスで発展 したジャンル。 ハードボイルドと違い 、犯罪者の ほうを主人公とすることが多い 。暗 黒街を舞台に暴力と欲望 ︵主にセッ クス︶を描いた作品が多いが 、普通 の人が殺人を犯してしまう 、転落し ていくという人間や社会の暗黒の部 分を描いたものもある 。たとえば 、 桐野夏生の ﹃ O U T ﹄がそう 。基本 的にはミステリーの一つだが 、推理 色は少ない場合が多い。

騎士

道物

17

ピカレ

18

恋愛心

19

ゴシ

ック・

20

ビルドゥン

21

イッ

ヒ・

22

ハー

23

ン・ノ

24

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前項では物語の型を紹介しました。型 は数学の公式のようなものですから、あ とは設定や登場人物という代入する数値 を変えれば、ごく簡単な起承転結︵スト ーリー︶はできるでしょう。 で、ここでは小さなシーンの〝順番〟 について考えてみます。 ︽直前に何を置くか︾ 語る順番によって、印象︵効果︶は変 わってきます。 ﹁熊さんとこに強盗が入ったそうだよ﹂ ﹁そりゃ、災難だね﹂ ﹁でも、犯人はすぐにあがったってさ﹂ ﹁熊さんとこは揚げ物屋だからね﹂ 有名な笑い話ですが、このオチを先に 言ってしまったら台なしになります。 怖い話の場合も同様です。 映画﹃十三日の金曜日﹄のジェイソン 的な殺人鬼がいても、出てくると分かっ ざっくりとしたストーリーが決まった ら、今度は実際に作品を書いていきます が、その前に決めておかなければならな いことがあります。 まずは枚数。 といっても、公募の場合は枚数は決ま っている場合が多いので、枚数と作品の 関係と言えばいいでしょうか。 たとえば、前ページでは教養小説が出 てきましたが、こうした作品は短編では 書ききれるものではありません。少なく とも主人公の人生をすべて均等に入れ込 むことは不可能です。 逆に、話らしい話のない身辺雑記の場 合、これを大長編にしたら間延びしてし まうのではないでしょうか。 話にはその話に合った枚数があります から、この枚数ならあまり複雑な話には できないなとか、逆にこの枚数ならある 程度の出来事がないともたないだろうな のように見当をつけてください。 物語には語り手がいます。語り手は作 中人物である場合もあれば、人格等が明 瞭でない幽霊のような存在である場合も ていると怖くありません。それより、脅 迫状が届いた夜に玄関のドアが叩かれ、 ﹁誰?﹂と聞くと、 ﹁ぼくだよ﹂と恋人の 声。ほっとしてドアを開けると、そこに ⋮⋮という展開のほうが、ほっとした分 だけドキッとします。 ︽あとがいいか、先がいいか︾ 先に書いたらネタ割れになることでな い限り、必要な情報は先に書きます。 一方、あとで書いたほうがいいという か、そのほうが先に書いたことの解釈が 塗り替えられるということもあります。 たとえば、以下のようなセリフ︵両方 とも同じ男性のセリフとします︶ 。 ﹁結婚したいと言って、できなかったら 格好悪いしね﹂ ﹁ぼくは結婚なんてしない﹂ これはごく普通の場合です。 ﹁ぼくは結婚なんてしない﹂ ﹁結婚したいと言って、できなかったら 格好悪いしね﹂ ありますが、特定の人物に張りついて語 ったり、物語全体を俯瞰してナレーショ ンを入れたりする語り手という存在がい ることは理解しておいてください。 で、語り手は通常は誰かに焦点を合わ せ、その人物を通して出来事を語ります。 その際、語り手が焦点化した人物のこと を視点人物と言いますが、書き出す前に、 それを誰にするか、さらに何人にするか ということを決めておきます。 まず、視点人物を誰にするかですが、 九割方は主人公で決まりです。 ただし、主人公が見たもの、聞いたも のを書いてしまうと支障がある場合は、 ホームズシリーズのワトスンのような形 式主人公を立てます。 また、物語世界を説明する役目も負う 視点人物という存在は、ある程度は理知 的でないと務まりませんが 、では 、﹁ 暮な主人公の野暮さ加減を表現した作 品﹂の場合はどうでしょうか。 野暮な人は自分の野暮さ加減が分から ないから野暮なのであって、自分を分析 的に語ったらおもしろくない。この場合 も脇にいる人物を視点人物にします。 次に、視点人物を何人にするかですが、 主人公は何をどう見たかということを問 うような心理的な小説や、舞台設定があ

語る順番を考える

物語を物語る術

物語と枚数の関係 視点人物を誰にするか

物語を

設計する

(11)

説明がない分、最初は積極的に独身で いたい強気な男という印象がありますが、 あとで印象ががらりと変わりますね。 語り順のトレーニング 何をどんな順番で語るかは、日頃から 小説を読みつつ 、﹁この順番なら効果的 だけど、 逆にすると艶消しだな﹂ とか、 ﹁順 番はいいけど、今より説明が多いと効果 が出なかっただろうな﹂というように考 えるといいですが、ここではコマ漫画を 使ってシーンの入れ替えトレーニングを まり大きくないような小説なら、主人公 一人を視点人物にします。 ものの見方、見え方は、一人の人物を 通して書くから分かるという部分があっ て、 たとえば、 川端康成の﹃伊豆の踊子﹄ を、学生の視点、踊り子の視点、踊り子 の親の視点、踊り子の兄の視点、他の踊 り子の視点などを織り込んで書いたら、 ストーリーは分かりますが、何が言いた いのかというテーマはぶっ飛びます。 物語性よりもテーマ性を重視するよう な作品の場合は特に視点人物は一人に限 定すべきでしょう。 一方、日米両国が舞台であったり、一 人の視点では書ききれないような大きな 事件の場合、あるいは、対立する二つの 視点を交互に書いたほうが効果的という 場合は多視点を考えます。 しかし、安易に視点人物を増やし、無 自覚に視点の切り替えをすると読者は混 乱しますし、どの人物に肩入れして読め ばいいか分からず、感情移入しにくくな ったりしますから注意してください。 人称には、一人称と三人称があります。 一人称は﹁私は﹂のように書いていく形 式で、視点は主人公の﹁私﹂の一元視点 ですね。一人称一元視点です。 三人称には、客観三人称︵全知視点︶ と、視点そのものは一元視点である三人 してみます。 A は、ごく普通のシーンです。 B も同じですが、こちらはビール瓶に ウェイトがあります。つまり、 A は ﹁達 人はいかに割ったか﹂であるのに対し、 B は﹁ビール瓶はいかに割られたか﹂に なっています。 C は、時間をおいてはらりと瓶が割れ た感じです。まさに達人の技! 皆さんもいろいろ入れ替えてみて、ど んな順番にするとどんな意味が生まれる か試してみてください。 称一元視点がありますが、現代小説では 全知視点だけで通すことはまずありませ んから、選択肢は一人称にするか、三人 称一元視点にするかのどちらかになりま す。では、どちらがいいでしょう。 うだるような暑さだと俺は思った。 うだるような暑さだと雅樹は思った。 三人称のほうは印象として客観的です。 物語と語り手に少しの距離があります。 その分、やや説明している感じ。 一方、一人称のほうは独白調で、内面 を吐露するような小説に向いています。 日記の延長のようで書きやすくもあるで しょう。この書き方で書ける人や作品の 場合は一人称でいいでしょう。 しかし、独白は 10枚も書けば煮詰まっ てきますし、やはり、物語を俯瞰してコ ントロールする目も欲しい。それに一人 称の場合は﹁主人公=語り手﹂だから、 語り手は自分を離れることができません。 鏡でもなければ自分の顔すら描写できま せんし、ちょっと窮屈です。 三人称のほうは物語と距離があって作 者自身、乗りきれない面はありますが、 物語性が強い作品ほど書きやすいという 利点があります。 どちらがいいとは一概には言えません が、冒頭だけ両方書いてみて、どちらか を選ぶというのも手です。

語り順のトレーニング

イラスト   フクイヒロシ 人称をどうするか

A

B

C

参照

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