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介護予防的視点から生活を支える

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Academic year: 2021

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介護予防的視点から生活を支える 499 はじめに  介護予防とは「高齢者が要介護状態に陥ることなく,健康 でいきいきとした生活を送ることができるように支援するこ と。・・・中略・・・すでに要介護状態であっても重度化を予 防することも介護予防である」と介護保険制度の開始と同時に 厚生労働省によって定義づけられた新しい健康課題である。理 学療法士は,脳卒中や大 骨頸部骨折などで障害を残す患者の 機能を回復するとともに廃用とも呼ばれる二次的な機能低下を 防ぐことをその役割としてきた。すなわち上記の定義にしたが えば,理学療法はもともと介護予防の一部であるということが できる。一方,理学療法士は医師の指示の下,障害をもつもの に対する理学療法の提供が業であり,障害をもつ以前の予防的 な関わりはその範疇に含まれてこなかった。元気なときからの 心がけ(以下,一次予防),ややリスクが見えはじめてからの 予防(以下,二次予防),そして疾病や障害をもつ状態となっ てからの重度化の予防(以下,三次予防)のうち,理学療法士 は三次予防について主要な役割を担ってきたが,二次予防,一 次予防についてはその範囲外であったといえる。ここでは,二 次予防,一次予防に焦点を絞って,なぜ,理学療法士が新たな 役割を求めなければならないのか,そして一次予防,二次予防 といったある意味,健康増進,ヘルスプロモーションとして行 われてきた分野に,理学療法士のもつ生活を支える視点をいか に入れるかについて記述したい。 理学療法と介護予防  時は遡り,介護保険前夜の社会保障の見直しの議論を引用す る(21 世紀福祉ビジョン 高齢社会福祉ビジョン懇談会 平 成 6 年 3 月)では,社会保障費の配分をこれまでの年金が 5 割, 医療が 4 割,福祉が 1 割から,年金を 5 割,医療を 3 割,福祉 を 2 割の社会保障費の分配に変える答申がなされた。今後の急 速な高齢化の進行に伴い医療における社会的入院などが,社会 保障費の圧迫につながる恐れが背景にある。これに基づき病床 再編など,医療・福祉の社会保障制度改革がなされている。こ れは医療にとって大きな転換点となった。理学療法士が属す る医療の立場で考えると,4 割の医療費が 3 割に削減されるの であるから,枠組みの限定が求められたと解釈できるだろう。 翻って,これを日常の臨床にあてはめる。たとえば,現在診療 している患者が 40 名いるとする。このうち 10 名を医療の対象 ではないと判断する合理的な理由が求められたともいえる。こ れを受けて医療資源を優先的に利用できる順位づけが行われる ことになる。当然,生命の危機に迫っている(重症度),医療 の効果が期待しやすい(有効性)が医療の優先が高くなり,こ の逆は医療から除外される候補となる。障害を治療対象とする 理学療法やリハビリテーションはまさに除外候補の筆頭となっ てしまう。このような時代の要請を実は一人ひとりの医療者 も積極的に受け入れてきたと考えられる。それは,Evidence Based Medicine(以下,EBM)への熱狂である。医療者がこ うした社会保障の流れに自覚的であったかどうかはともかくと して EBM の流行によって中央だけでなく現場においても医療 の順位づけをしやすいものにした。

 ところで EBM とは Mechanism Based Medicine と対をなす 概念であり,従来の病理学的なメカニズムを重視して治療を組 み立てるのではなく,疫学的な人の観察から治療を組み立てよ うという提案である。背景には認知症など Mechanism Based Medicine では説明することの難しい慢性疾患が増加してきた ことやメカニズムに則った治療が必ずしも疫学的には効果を発 揮しないことがわかってきたことにある。すなわち,医療の優 先度を決める目的のものではない。ともかくこの医療者に流行 した EBM と前述の社会保障費の資源配分変更の流れとが同期 したことにより,ある意味合理的な根拠を与え,理学療法を含 むリハビリテーションは,EBM 的な証明が難しいことから, 真っ先にその洗礼にさらされることになった。日本版マネージ ドケアのリハ分野への導入である。今では一般的になったが診 断群分類包括評価,リハサービスの日数制限など,実験的な手 法がリハビリテーション分野に次々と導入されることになっ た。これにより医療の必要度が低いと判断された患者は介護保 険サービスへの移行が促されることになった。  これはリハビリ難民問題として社会問題化し,著明な免疫学 者の多田富雄らが医療での維持期リハビリテーションの継続を 求め,国会でもこれを支持する声が上げられたことから,国は 例外規定を設ける形で一旦は決着した。しかし,前述の社会保 障費の配分変更の提言は見直されておらず,介護保険事業所と 医療保険事業所との報酬の共通化や医療機関の見做し介護保険 理学療法学 第 41 巻第 8 号 499 ∼ 504 頁(2014 年)

介護予防的視点から生活を支える

大 渕 修 一

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大会特別企画

As a Person for Good: Promoting Participation with Assist of Kaigo Yobou

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東京都老人総合研究所在宅療養支援研究 副部長 (〒 173‒0015 東京都板橋区栄町 35‒2)

Shuichi P Obuchi, PT, MS, PhD: Assistance for Home Care, Tokyo Metropolitan Institute of Gerontology

キーワード:介護予防,生活支援,リハビリテーション

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事業所指定など,穴に継ぎをあてる形で変更し,この日数制限 は今後さらに厳格に適用されることになっている。一方,筆者 も関連したがリハビリテーション 3 団体が調査した,標準的算 定日数を超えてリハサービスを提供した障害像を見ると,合併 症などにより標準的なリハビリテーションの遂行ができない例 や,就労・復職・復学などを目的としてやや算定日数を超えて リハビリテーションが必要なものなど,介護保険サービスでは 引き受けることが難しい理由で標準的な算定期間を超えて医学 的なリハビリテーションを必要とするものが相当数存在するこ とがあきらかになり,リハを必要とする患者の危機的な状況が 浮き彫りとなっている。  そもそもリハビリテーションは障害が対象であり,障害とは 機能的な回復が望みにくいものと定義される。しかし機能的な 障害の軽重と QOL が独立したことに活路を見だし,障害をも ちつつも QOL を高く保つ患者の工夫がリハビリテーションの 本質なのである。たとえば回復期リハでの 365 日の訓練が加算 の対象となっているが,これは機能的な改善を図ることが,リ ハビリテーションの真価ではない。リハビリテーションは社会 医学ともいわれるように,機能的な回復が望めず“参加”が制 限されるのであれば,社会を変えることすらリハビリテーショ ンに含まれるのである。社会保障費の見直しを背景に,このよ うなリハビリテーションの本当の価値が評価されにくくなるこ とを,患者に直接関わる理学療法士として見過ごすことはでき ない。 社会的な現実  とはいえ現在日本が置かれる高齢化の状況は,理想を許さな いほど逼迫している。高齢化率は 2050 年には 40%にも達しよ うとしており,数・速度ともに世界に類を見ない。これは年齢 三区分人口の推移を見てもあきらかで,2050 年には老年人口 と生産年齢人口はほぼ同数になると推計されている。このよう な高齢化社会への対応として,柴田博博士は 1)社会保障費の 効率的な利用,2)健康寿命の延伸,3)高齢者のプロダクティ ビティの向上を挙げている。図は,OECD 加盟国の高齢化率と 国民一人あたりの医療費の推移を示したものであるが(図 1), この図を見ると日本は高齢化率が高いにもかかわらずもっとも 安い医療費であることがわかる。重複受診などミクロに捉える と効率化の余地が大きいように感じられるが,マクロに捉える と医療の効率化の余地はそう大きくないことがわかる。効率化 の手法として日本も参考にしている米国のマネージドケアであ るが,高齢化率は日本の半分であるにもかかわらず,一人あた りの医療費は 2 倍を超えている。医療の効率化,すなわち経済 的なマネジメント強化は,むしろ医療費を高騰させる危険すら あることを示している。また,介護費用についても同様で,介 護費用の多くは人件費に充てられるが,低い賃金が社会問題に なっていることを見れば効率化の余地は少ない。きわめて少な い人件費でサービスを提供している現場に,これ以上の費用削 減は不可能といっていいだろう。また,年金は社会保障費の多 くを占めるが,高度に産業化した社会で年金収入に頼る高齢者 から年金を顕著に削減することは,生活が成り立たなくなる危 険性が高い。  このように考えると我が国が残された手立ては,社会保障費 の効率的利用に求めることはできず,健康寿命を延伸するこ と,高齢者の社会貢献を含むプロダクティビティの増加に求め るしかない。理学療法士は,社会保障費の効率化の前に矮小化 されがちなリハビリテーションの真価を訴えるとともに,健康 寿命を延伸させ,要医療・要介護者の発生を抑える社会的役割 を果たす必要があるのではないか。高齢者が 2 倍に増えても要 介護率を半分に抑えることができれば,必要な介護費は一定で ある。プロダクティビティは狭義では経済的な資産性を指す が,定年の延長は所得の世代間移転を遅らせ若年者の就業を阻 害する危険がある。これを避けるために近代社会では定年を制 度化している。ブルデュは資本を経済資本,文化資本,社会関 係資本に分けたが,高齢者のプロダクティビティの増加は経済 資本にこだわらない,文化資本や社会関連資本で発揮されるこ とが望ましいと考えられる。理学療法士は機能的な回復を図り つつ,機能的な回復が望めなくとも“参加”を促進することが 業であるが,その知識を地域に応用することによって,高齢者 図 1 OECD 加盟国の高齢化率と医療費の推移

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介護予防的視点から生活を支える 501 が社会関連資本を高める新たな役割を見つけることにつながる 可能性がある。 理学療法士の責務  理学療法士は,こうした日本の社会保障制度の変更の最前線 におり,障害をもつ患者の制度改定に伴う不利益をよく理解す る専門職である。と同時に 10 万人を超える会員を抱える専門 職集団であり,こうした新たな社会的課題に対しても責任をも つべきである。この基本にたって,理学療法士は忘れられがち な,リハビリテーションの真の価値を啓発し,同時に社会保障 費を抑制する対案を示さなければいけない。この対案のひとつ が介護予防への参画である。介護予防によって要介護率を少な くすることができれば,社会保障費の抑制につながる。こうし た理学療法士の予防的活動への責務の拡大について社会的にも 期待されている。たとえば,厚生労働省医政局は「理学療法士 が,介護予防事業等において,身体に障害のないものに対し て,転倒防止の指導等の診療の補助に該当しない範囲の業務を 行うことがあるが,このように理学療法以外の業務を行うとき であっても,「理学療法士」という名称を使用することはなん ら問題がないこと。また,このような診療の補助に該当しない 範囲の業務を行うときは,医師の指示は不要である」と踏みこ んでいる。 超高齢社会の健康寿命延伸のために  長命を手にした社会が次に求めているのは健康寿命の延伸 (長寿)である。単に寿命が長いか短いかに関心があるのでは なくて,元気に長生きができるのかどうかに関心がある。この ような健康寿命を延伸するには,新たな健康課題の設定が必要 となる。すなわちこれまで社会は“死”をエンドポイントとし てこれを防ぐ健康課題の設定がなされてきたが,健康寿命を延 伸するには“要介護状態”をエンドポイントとした健康課題が 必要なのである(図 2)。  このような考えから,65 歳以上の死亡の原因と要介護の原 因を比較すると,死亡の原因はいわゆる生活習慣病であるのに 対して,要介護の原因では転倒骨折,関節疾患,高齢による衰 弱など,加齢に伴う生活機能の低下,すなわち老年症候群が特 徴的である。これに認知症(認知機能低下)を加えると老年症 候群による要介護が 5 割以上になる。すなわち老年症候群を予 防していくことが健康寿命を延伸するための新たな健康課題と 考えることができる。ところで,健康寿命を延伸させるとして 食事制限などのメタボ対策も進められているが,メタボ対策は 生活習慣病を健康課題としていること,戦後我が国の総カロ リー摂取量は漸減していること(図 3),動物性タンパク質を よく摂取する食の欧米化が生活習慣病の発症を減じてきたこと (図 4‒1,4‒2)から,健康寿命の延伸への寄与は期待しにくい と考えられる。 図 2 健康寿命の延伸と寿命の延伸との関係 図 3 摂取カロリーの推移 図 4–1,4–2 動物性タンパク質の摂取と生活習慣病の関係

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 また,女性は男性に比べて不健康寿命が 2 倍長い(図 5)。 これは長命であることに起因すると考えられるが,要介護の原 因を男性と女性で比較すると,老年症候群の中でも関節疾患, 骨折・転倒などの運動器の機能低下が不健康寿命を長くしてい る原因であると考えられる(図 6)。  このようなことから介護予防とは老年症候群の予防のなかで も運動器の機能低下を防ぐことであり,理学療法士の業務範疇 をやや外挿することで解決できる社会課題であると考えること ができる。 理学療法士が伝えるべきこと  このような介護予防について理学療法士が伝えるべきこと は,コーピングスキルを教授することにある。学校体育によっ て成長期の心身の変化に対応するスキルは学ぶが,退行期の心 身の変化へ対応するスキルは学ばない。長命化に合わせて退行 期の心身を理解する機会が増加することが必要であるが現在こ れに対応するものがない。これでは加齢に伴う心身機能の変化 にうまく適応できずに“参加”を制限してしまっても仕方がな い。すなわち健康寿命の延伸には,成長期の学校教育に対応す るような,退行期すなわち老いの学びが必要である。高齢期の 心身機能は個人差の拡大が特徴であり,マスコミュニケーショ ンによる画一的な知識の教授では意味をなさない。それぞれが 心身への刺激を試み,これへの反応を一つひとつ意識化するこ とによって,自分自身の心身の理解が深まる。理学療法士は, このスキルを身につけ支援することが役割となる。すなわち, 膝痛予防健康体操など手法の教授より,様々な運動(活動)を 行ったときの膝痛の変化を理解させ,膝痛を悪化させないある いは改善させる運動(活動)はどのようなものなのか,また膝 痛が悪化したときにはどのような対応をするのか,個別のコー ピングスキルを伝える。  筆者は,適度な運動が関節可動域や痛みをやわらげる体験を 通して,慢性痛では安静より運動が有効であることの理解を 促すことによってきっかけをつくり,Visual analogue scale に よって,運動前後で痛みのレベルを可視化することによって, 運動してもよい痛みなのか,運動してはいけない痛みなのかを それぞれが見きわめることができるように支援する。さらに Visual analogue scale の長期的な記録によって,痛みと活動と の関係を紐づけることによって,避けなければならない活動と 促進すべき活動を明確化する(図 7)。このような自分の痛み に対する理解を深めることによって,たとえ理学療法士の介入 によって痛みを感じなくさせることができなかったとしても, それぞれの痛みと上手につきあう方法が身についていれば不必 要な活動制限を招くことはない。  ウイルヘルム・ルーの 3 原則は(図 8),現在にもまた人間 そのものに通用する原則で,高齢期では退化・破壊が強調され がちであるが,一人ひとりが自分の適度を知ることができれば 発達できる実感させることが理学療法士が伝えるべきことと考 えている。  一般には高齢期にトレーニングなど体に刺激を加えることに 対する懐疑も根強い。このとき心身の代償機能を発揮するため の要件を考慮すべきである。すなわち,代償機能を発揮するた めのなんらかの刺激が必要なのである。体細胞では分裂回数が 遺伝的に決められているために,加齢により細胞数の減少とい 図 6 女性に多い要介護の原因(男性を 1 とした場合) 図 8 ウイルヘルム・ルーによる生物の 3 原則 図 5 不健康寿命の性差 図 7 痛みと活動の関連づけ

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介護予防的視点から生活を支える 503 う組織学的な変化は逃れることができない。これによって内分 泌などの生理機能も影響をうける。しかし,多細胞生物では, 前述のように細胞システムの改変によって代償機能を発現させ ることができる。神経細胞は終細胞で成長期以降は新たな細胞 分裂は起こらないが,一旦脳卒中などで神経細胞が破壊されれ ば,シナプス結合を複雑化させることによって元の機能を維持 しようとすることは理学療法士であれば日常的に目にしてい る。筋肉も同様で,筋肉細胞数が減ったとしても,ひとつの細 胞が発揮できる力を増やせば筋力低下は起こらないことも常に 体験している。高齢期の心身機能の維持のためには代償機能の 発現が必要で,そのためにはこれを誘導する刺激が必須なので ある。理学療法士が関わることによって,こうした代償を引き 起こす刺激を積極的に楽しめるようになったらすばらしいこと ではないか。  このように二次予防,一次予防的な関わりは,理学療法士の 日常行っている治療とはやや違うが理学療法の知識を外挿する ことにより十分提供可能である。さらに現在の介護予防のおも な実施主体である市町村に対して,客観的な評価と分析に理学 療法士が助言をすることができれば介護予防の成果は確実なも のとなる。前述の如く,今後の我が国は要介護者の発生率の確 実な逓減が必要であるが,従来の市町村が行ってきた高齢者施 策には客観的な評価とそれに基づく計画の見直しといったプロ セスに欠けていた。特に予防活動一般にそうであるが,予防と 効果の関係が時間的に離れているだけに介入によって短期的な 課題が解決されたかどうかの冷静な判断が必要になる。一足飛 びに,要介護者の削減効果の判断は難しいが,機能的に改善し たか(効果),それによって虚弱状態を脱却できたのかどうか (効用),さらに地域での参加が促されたかどうか(便益)を測 定,分析し判断することが重要である。  これらについても理学療法治療の知識が活用できる。ただ し,大標本の分析技術については学習が必要と思われる。もし 理学療法士が病院を離れて社会を対象としていくのであれば, ここの患者に対する評価技術よりやや大きな症例数や単位を分 析技術が求められることが理解できると思う。たとえば,t 検 定を用いると症例数の平方根にしたがって分散が小さくなるの で,平均値のわずかな差でも有意差ありと判断されやすくな る。これは症例数によって検出力が高まることに起因している ので,統計学的な信頼性が脅かされることを示すものではない が,統計学的な判断と臨床的な感覚とが乖離してくることをし ばしば経験する。このような場合は,メタアナリシスなどに用 いられる効果量(eff ect size, r)を活用すると統計量と臨床的 な感覚が一致してくる。統計量 r を用いることで,図のように t 検定では判断しにくかった効果の大きさが可視化できる(図 9)。ところで,この効果量は各測定指標が標準化された値なの で,指標毎の比較も可能になる。たとえば歩行速度と片足立ち 時間のどちらにより有効であったのかといった比較もできる。 これによって介入と効果の特異性が観察されればその後のプロ グラム作成に役に立つなど適応の幅が広い。  介護予防の目的は手段的な自立を支援することによる“参 加”の促進については,参加者がその後どのような活動を開始 あるいは再開したのかを調査することによって判断できる(図 10)。 理学療法士の活動を支える制度  このように理学療法士への社会的責務が高くなっているが, 制度の後押しがなくては理学療法士の参加も増えず継続的に役 割を担うことはできない。制度の流れと活動の度合いを見きわ めていかなければならない。とはいえ時間的に見ると活動が先 で制度が後であることには注意が必要である。新たな制度が制 定される過程には,必ず社会課題を解決する活動が先行する。 社会保障制度の枠で守られている医療者としては理解しにくい ところかもしれない。  昨年度の社会保障国民会議の答申を受けて,これからしばら くの間は,社会保障は国が責任をもち,国民は権利をもつと いった一方的な社会保障から,国民の権利意識を基盤とした社 会保障への国民参加,すなわち参加型社会保障への転換が図ら れる。この方針をうけて,まず着手されたのが要支援者の介護 給付からの切り離しと要支援者を地域で支える体制整備のセッ 図 9 効果量の応用例

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トである。行政の責任の範囲を示すことなくこうした制度への 変更はやや乱暴であるが,住民参加によってサロンなど集まれ る場を増やし要支援者の受け皿とすることが進められる。活動 の場が増えることによって,利用者にとっては歩いて行けるこ とになり利便性が高まり,地域住民にとっては運営の役割が増 えるので高齢者の参加が促進されるのではないかとしている。 しかし,支援の内容と担い手の範囲はよく知られることであ り,地域住民には情緒的な支援は期待できるが手段的な支援は 期待しにくい。たとえばサロンを運営したいと思っている地域 住民でも転倒の危険の高い利用者をたくさん受け入れるイメー ジはもっていないだろう。転ぶ危険がなければサロン参加は歓 迎されるが,転倒の危険が高まるにつれ排除されることも考え られる。あるいは,必要以上に介入を加えて利用者の自立を妨 げることも考えられる。国ではリハビリテーション専門職など の広域調整を行い,地域で運営されるサロンに派遣することな どを制度化しており,このような場面に理学療法士が派遣され ることによって安全性を増し,不必要な活動制限を防ぐことが できる。また,国では生活支援・介護予防コーディネータを制 度化することを計画している。おおむね中学校圏域に 1 名の地 域コーディネータをおいて,地域の生活支援・介護予防ニーズ と市内のサービスや期間との調整を行うこととなっている。こ うしたコーディネータとして理学療法士が活動する場面も考え られる。また健康寿命延伸産業の支援も制度化される。医療・ 介護とも国民から集める保険料+公費によって運営される性質 上,人口が減少する社会では大幅な増加は望めない。一方,高 齢化に伴い利用者が増加するのでパイの配分の議論となり,国 民のニーズからかけ離れていくことが予想される。こうした中 で国民のニーズを捉えて産業化することが必須と考えられる。 加齢とともに増加するリハサービスへの期待に社会が応えられ ないことは近未来に予測されることである。医療・介護と健康 寿命延伸産業とのグレーゾーン解消制度など,理学療法士が国 民に直接サービスを提供する制度が整備される可能性が高い。 おわりに  理学療法士法・作業療法士法が制定された 1965(昭和 40) 年には Re-habilitation が社会的課題であった。2014(平成 26) 年の現在は Re-participation が社会的課題となっている。高齢 者が置かれている状況は 1965 年の障害者が置かれている状況 に似ている。高齢者は庇護の対象としてのみ捉えられ能力が過 小評価されている。人間であるからできることできないことが あるが,できないことが焦点化されてしまいがちである。高齢 者を障害者とにわかに一緒にすることはできないが,本人も社 会ももてる能力を信じ,できない能力は受容しつつも社会的な 自信を取り戻すことが必要である。理学療法士が介護予防的視 点から生活を支えるとは,こうしたリハビリテーションの本質 に立って介護予防サービスを提供することである。 図 10 参加促進の可視化

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