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若者の実態を直視し,社会の進路も同時に拓くキャリア教育・経済教育(シンポジウム1 経済教育への社会の期待とは何か,これにどう応えるか)

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Academic year: 2021

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6 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告

Ⅰ.「学校から仕事への移行」「大人への移

行」プロセスの構造的変容

 周知のように,1990 年代以降,日本の若者の「学 校から仕事の世界」への移行プロセスは,劇的に変容 した。  高校・大学卒業時に「新規学卒一括採用」のルート に乗り,就職後は「日本的雇用」慣行のもとで正規雇 用されるという,かつての日本社会の「標準」的キャ リアを歩む者は,下図にあるように今や同世代の半数 程度でしかない(児美川,2013a)。  残りの者は,学卒後の最初のキャリアを非正規雇用 からはじめ,いくつもの職場を渡り歩きつつ,ぎりぎ り生活をつないでいくような「第二標準」(中西ほか 編,2009)のキャリアを辿っている。  もちろん,〈正規-非正規〉という就労世界の棲み 分けは,初職の影響が大きいとはいえ,完全に分極化 しているわけではない。中には,正規雇用と非正規雇 用の間を行き来するようなキャリアを歩む者も登場し ている。そのあいだに,再度の就学や失業,ニート状 態の時期を挟む者もいる。まさに「ヨーヨーのような 移行」(IRIS,2003)をする若者の層が登場してきてい るのであるが,小杉ほか編(2011)の調査を見ても (下表),「新卒→正規雇用→就業継続」という従来の 「標準」的な「移行」ルートは,確かに現在では, けっして社会的標準にはなりえていないのである。  そして,非正規雇用の拡大は,正規雇用の世界の労 働環境をも大きく変化させた点について,留意が必要 である。正規雇用といえども,雇用の安定性は,従来 と比較すれば,間違いなく揺らぎつつあり,また, 「成果主義」の導入をはじめとする職場環境の激化の 中で,正社員の労働密度は明らかに過重になっている。 結果として,新卒者の離職率も,三年以内に三割超と 相変わらず高止まりの状態が続いている。  さらに,こうした「学校から仕事への移行」プロセ スの構造的変容は,離家,結婚,出産,消費スタイル といった若者のライフキャリアの変容を促した(児美 川,2013b)点も看過すべきではない。乾(2002)が 指摘したように,「戦後型青年期」においては,若者 は,就職を通じて「仕事への移行」を果たすとともに, フォーマルおよびインフォーマルな上司や先輩とのか かわり等を通じて,「大人への移行」という通過儀礼 をくぐり抜けていたからである。  こうした意味で,かつての社会的「標準」が総崩れ

若者の実態を直視し,社会の進

路も同時に拓くキャリア教育・

経済教育

Th e Journal of Economic Education No.34, September, 2015

Career and Economic Education for the Youth in Today's Japan Komikawa, Koichiro 児美川 孝一郎(法政大学) (出典:文部科学省「学校基本調査」各年度版,厚生労働省 「新規学卒者の離職状況」を元に,筆者が作成) (出典:小杉ほか編(2011),132 頁) 表 1  就業者(25~44歳)のこれまでの就業形態に 注目した経歴

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経済教育34号  7 し,現在では総じて,若者が「大人になる」プロセス が,長期化し,複雑化し,不安定化し,個人化してい る(乾,2010)。長期化,不安定化,複雑化について は,説明を要しないと思われるが,「個人化」(バウマ ン,2008)とは,単純化すれば,個人責任化の謂いで ある。日本社会では,学校や企業といった組織に属す 個人に対しては,日常的にも,そして緊急時において も,相応のサポートが行き届くが,組織に所属しない 個人に対しては,そうではない。リスクは,個人が丸 ごと背負い,自己責任で対応すべきものとなっている。

Ⅱ.日本的雇用への回帰でよいか?

 以上に見たような事態は,若者たちの学卒後の世界 の変貌であるが,そのことは,日本の学校教育にどん な課題を突きつけているのだろうか。  フリーターを含む非正規雇用が,これだけ拡大した 現状から見れば,かつての「新卒採用→日本的雇用」 という盤石な「移行」ルートの安定性は,ある意味で 「憧憬」の対象になるのかもしれない。事実,日本経 済が活況を呈し,国際的な競争力を誇示していた時期 には,こうした「移行」形態は,海外からも高い評価 がなされていた(OECD,2000)。  しかし,かつての日本的雇用は,次のような「幸 運」と「抑圧」の社会的条件によって,辛うじて成立 しえたものでもあった点を看過するわけにはいかない。 児美川(2011)でも指摘したが,「幸運」とは,言う までもなく,高度経済成長期から続いた日本企業の右 肩上がりの成長・拡大である。反面,「抑圧」とは, 日本的雇用は,差別的なジェンダー・トラックを埋め 込んだものであり,結婚・出産後の女性社員の「退 出」を前提としていたということである。  こうした構造なくしては,日本企業が,終身雇用と 年功型賃金を維持するのは不可能であった。のみなら ず,差別的なジェンダー・トラックに基づく雇用構造 は,家族内における性別役割分業を促進するものであ り,そのことが,男性社員の長時間労働や企業への過 剰な包摂を可能ともしていた。  つまり,日本的雇用とは,女性社員に対する差別を 内包するだけではなく,男性社員に対しても,雇用の 継続,企業内教育,福利厚生等と引き換えに,会社都 合による配置転換や転勤,長時間残業等を強制する 「企業専制」秩序(渡辺,1990)そのものでもあった のである。  こう考えれば,私たちは,日本的雇用への郷愁にひ たる必要はまったくないし,その復活を望むことも必 ずしも得策とは言えない。しかし,同時に,その日本 的雇用が崩れてきた現状の〈正規-非正規〉の二極構 造にも問題点が多すぎることは確かである。  伍賀(2014)が描くように,非正規雇用での働き方 が,雇用継続の不安定性を余儀なくされ,劣悪な処遇 を強いられること,場合によっては,正社員なみの長 時間過密労働を強いられて,「基幹」社員化している にもかかわらず,処遇の面では正社員と大きな格差が あるといった実態にあることは,よく知られていよう。 他方で,正規雇用での働き方も,正規雇用職の非正規 雇用職への置き換えが進んできた状況の中で,より煮 詰められた長時間過密労働やノルマの達成を求められ るようになっている。  そうした意味で,日本的雇用への回帰でも,現状の 格差的かつ労働者に過剰な負担を強いる二極化した雇 用構造でもない,多様な働き方の実現を展望していく 必要があろう。

Ⅲ.学校教育の「前提」の崩壊

 注意しておきたいのは,以上のような雇用をめぐる 状況変化は,これまでの学校教育が依って立ってきた 「前提」そのものを大きく突き崩しているという点に ある。  家庭,学校,企業を巻き込んだ「戦後日本型循環モ デル」(本田,2014)は,企業における日本的雇用を 重要な一翼としている。家庭,学校,企業は,密接な 相互(依存)関係にあったと言ってもよい。とすれば, 当然,日本的雇用の構造的変容(企業システムの変 容)は,家族や学校のあり方にも影響を及ばさないわ けにはいかない。  これまで,日本企業が行ってきた企業内教育は, OJT 等を通じて,若者を職業人として自立させる教 育機能を有していただけでなく,実は,フォーマルお よびインフォーマルな先輩や上司との人間関係等を通 じて,彼らを一人前の社会人(大人)にする「社会 化」機能をも担っていた(乾,2002;児美川,2011)。  従来の学校教育は,そこに,(半ばは無意識ではあ れ)依拠し,依存してきた。子どもと若者に自立を促 す「社会化」機能はともかくとして,職業的自立を支 える「職業教育」については,学校教育のメインスト リームは,それを企業内教育に預けてきたと言っても よい。  もちろん,その背景には,日本的雇用の入り口にあ

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8 シンポジウム 論 考 投稿原稿 会務報告 大会報告 る新規学卒一括採用の仕組みが,「ジョブ型」の雇用 ではなく,「メンバーシップ型」の雇用(濱口,2013) を取ってきたという事情がある。つまり,新卒の採用 にあたっては,特定の職業的知識やスキルを身につけ ていることではなく,入社後のジョブ・ローテーショ ンや OJT を前提として,「基礎的・汎用的能力」や 「訓練可能性」を持っていることが評価されたのであ る。だからこそ,学校教育の側は,高校の普通科や大 学の文系学部のように,職業的レリバンスの低い学 科・学部であっても,若者たちを「新卒採用から日本 的雇用へ」という「移行」ルートに送りだすことがで きていたわけである。  これが,「戦後日本型循環モデル」における学校と 企業との相互依存関係である。相互依存である以上, 企業側にも相応のメリットがあったことは見逃しては ならない。端的に言えば,若年労働力を安定的に確保 できたこと,社員を会社都合の「色に染める」ような 企業内教育が可能だったこと,同期入社の者の間での 競争を煽ることで,企業への「忠誠心」を調達しやす かったこと,等であろう。  ただ,こうした「企業専制」秩序をつくることが, 終身雇用や年功型賃金というコストと比較しても,企 業にとってもメリットであり続けるという経営環境は, 未来永劫続くわけではない。事実,企業側が,徐々に ではあるが,こうした「循環モデル」からの離脱をは じめたのが,1990 年代半ば以降の現実であったわけ である。

Ⅳ.いま求められるキャリア教育

 見てきたような状況変化に対して,学校教育の側は, 何らかの「対応」をする必要に迫られた。何より,従 来のような「新卒採用から日本的雇用へ」という「移 行」ルートには乗れない若者が,大量に出現しはじめ たからである。  こうした前提に立って考えると,2000 年代以降の 教育界において,小・中・高・大を通じたキャリア教 育への取り組みが推奨されたことは,その内容の是非 についての吟味は必要だとしても,ある意味で状況の 必然であったと言える。  確かに,就職難やフリーターの急増といった若年雇 用問題に,キャリア「教育」で始末をつけようとする のは,そもそも発想そのものにおいて「本末転倒」し ている(児美川,2007)。若者の雇用機会をどう創出 するかに関する政策や支援,それぞれの現場での地道 な取り組みが,絶対に必要である。  また,当初のキャリア教育は,子どもと若者の意識 改革にばかり重点を置き,実践的には,職業調べや職 業人講話等を通じた「やりたいこと」探しと職場体験 (インターンシップ)に終始してきたきらいもある。 その意味で,政策として展開されたキャリア教育には, 問題点や改善点が満ち溢れていたと言わざるをえない (児美川,2015)。  しかし,2000 年代に開始されたキャリア教育の政 策と実践には問題点や改善すべき点があったというこ とは,キャリア教育など必要ないということと同義で はない。「戦後日本型循環モデル」が綻びを見せはじ め,これまでの「新卒採用から日本的雇用へ」という 「移行」ルートが解体しはじめているという現実を踏 まえた真のキャリア教育の実施が求められる。  筆者は,そうした本来のキャリア教育が引き受ける べき役割には,以下のような柱があると考えている (児美川,2007)。 ◇ 学校教育の出口の段階では,職業的自立を見通す ことができる専門・職業教育を提供すること ◇ 現代社会の成り立ち,産業構造の転換,グローバ リゼーション,職業世界の現状,会社組織,職場, 雇用形態等について,まっとうに認識・理解でき るように導くこと ◇ ライフステージやライフキャリア上の諸課題につ いて認識させること ◇ 労働者の権利と働く場のルールについて実践的に 認識し,市民としての政治的教養を獲得させるこ と。言い換えれば,既存の社会秩序や労働市場に 「適応」するだけでなく,「抵抗」(本田,2009) する術を教えること ◇ 社会的な課題意識を持たせ,それと自己の生き方 を切り結ぶかたちでの将来設計ができるように促 すこと

Ⅴ.キャリア教育の観点を組み入れた経済

教育を

 キャリア教育の本来の役割・課題が以上のように把 握できるとすれば,経済教育は,その課題の実現のた めの有力な舞台となりうるのではないか。  上に挙げた課題のうち,「専門・職業教育の提供」 の部分を除けば,経済教育が取り組むこととキャリア 教育が追求すべき課題には,大きく重なるところがあ る。「産業・職業・労働の理解」や「労働者の権利,

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経済教育34号  9 働く場のルール」はもとより,「ライフキャリア」の 問題にしても,消費者として主体形成の課題は欠かせ ない。また,「社会的な課題意識の醸成」という課題 に対しても,経済教育が貢献できるところは大きいだ ろう。こうした意味で,キャリア教育への経済教育の 寄与は絶大である。  しかし,同時に,こうした関係は,単に一方通行の ものではあるまい。経済教育の側も,キャリア教育の 観点を意識することで,あるいはキャリア教育との連 携をはかることで,経済教育そのものを豊かにするこ とができるのではないか。つまり,学習者が,自らの 将来や生き方の探究,生きる場としての社会理解とい うことを意識しながら,経済学習にのぞめば,そこで の学習は,単なる知識の獲得ではなく,知を内在化し, 主体化することにつながるはずだからである。  キャリア教育と経済教育との,こうした意味での相 乗的な関係性の構築をのぞみたい。 参考文献 [1] InstituteforRegionalInnovationandSocialResearch, 2003:Misleading Trajectories?

[2] OECD,2000:From Initial Education to Working Life - Making Transitions Work

[3] 乾彰夫,2002,「『戦後日本型青年期』とその解体・再編」 『ポリティーク』3 号,旬報社  ─,2010,『〈学校から仕事へ〉の変容と若者たち』青 木書店 [4] 伍賀一道,2014,『「非正規大国」日本の雇用と労働』新 日本出版社 [5] 小杉礼子ほか編,2011,『非正規雇用のキャリア形成』勁 草書房 [6] 児美川孝一郎,2007,『権利としてのキャリア教育』 明 石書店  ─,2011,『若者はなぜ「就職」できなくなっ たのか』日本図書センター  ─,2013a,『キャリア教育のウソ』ちくまプ リマー新書  ─,2013b,「若者の消費行動に見る日本の未 来形」『ADSTUDIES』Vol.43,公益財団法人吉田秀雄記 念事業財団  ─,2014,「若者はいつ,どこで,「職業」を 学ぶのか」教育科学研究会編『戦後日本の教育と教育学』 「講座・教育実践と教育学の再生」別巻,かもがわ出版  ─,2015,「『俗流キャリア教育』を乗り越え て,『権利としてのキャリア教育』のほうへ」『クレスコ』 No.170,大月書店 [7] 中西新太郎ほか編,2009,『ノンエリート青年の社会空 間』大月書店 [8] バウマン,2008,『個人化社会』澤井敦ほか訳,青弓社 [9] 濱口桂一郎,2013,『若者と労働』中公新書ラクレ [10]本田由紀,2009,『教育の職業的意義』ちくま新書  ─,2014,『もじれる社会』ちくま新書 [11]渡辺治,1990,『「豊かな社会」日本の構造』労働旬報社

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