109 森川: 大阪大学の基礎心理学
基礎心理学と太陽の塔
森 川 和 則
大阪大学人間科学部・人間科学研究科
Psychonomic science and the Tower of the Sun
Kazunori Morikawa
School of Human Sciences, Osaka University
大阪大学 人間科学部・人間科学研究科 大阪大学の人間科学部・人間科学研究科は,1972年に 大阪大学文学部から心理学・社会学・教育学が独立する 形で日本最初の「人間科学部」としてスタートしました。 日本万国博覧会(大阪万博,1970年)後にその会場近辺 に造成された吹田キャンパスに1975年に移転しました。 人間科学部・人間科学研究科の敷地は大阪万博の団体バ ス駐車場だったそうです。キャンパス内の高い建物から は,キャンパスの隣にある万博記念公園の太陽の塔(大 阪万博の巨大シンボル,Figure 1)が見えます。小学生 のころ親に連れられて大阪万博を見に来たことのある私 としては感無量です。ちなみに太陽の塔は正直言って変 な建造物ですが(しかも夜は意味もなく眼が光る),大 阪観光では外せない必見のスポットです(と阪大の人間 は思っています)。 今では日本の大学で「人間科学部」は珍しくありませ んが,当時は時代の先端を行く斬新な構想の学部でし た。英語名のHuman Sciencesが複数形になっていること が示すように数々の学問分野の複合体です。現在では行 動学,社会学,教育学,グローバル人間学の4学系(正 式名は学系ではなく「学科目」)で構成され,そのうち 実験心理学は行動学系に,臨床心理学は教育学系に含ま れています。全体の学生定員は,学部が130名,博士前 期課程 89名,博士後期課程42名です。学部生は1年次 にすべての学系の概論などを幅広く履修して,2年次の 半ば以降に自分の所属したい学系・研究分野を絞り込ん でいき,3年次から各研究室に所属します。 人間科学部・人間科学研究科の良いところは,非常に 学際的なので,様々な科目を履修できること,心理学以 外の分野の学生・教員との交流が盛んで知的刺激に満ち ていることです。例えば,実験心理学の研究で必要な神 経生理学の知識を教えてもらったり,人間ではこうなの だがサルではどうなのかという疑問に答えてもらった り,社会学や文化人類学の知見を拝借したりなどで,視 野が広くなります。 行動学系の諸分野 行動学系は人間や動物の行動の法則性を解き明かすこ とを目指しており,その大部分を占める実験心理学の諸 分野と研究テーマ例を列挙すると下記のようになります。
The Japanese Journal of Psychonomic Science
2014, Vol. 33, No. 1, 109–111
紹 介
Copyright 2014. The Japanese Psychonomic Society. All rights reserved. Corresponding address: School of Human Sciences, Osaka
University, 1–2 Yamadaoka, Suita, Osaka 565–0871, Japan.
E-mail: [email protected] Figure 1. The Tower of the Sun in the Expo 70 Com-memorative Park.
110 基礎心理学研究 第33巻 第1号 ・基礎心理学「人間の視覚情報処理や動機づけ」 ・ 応用認知心理学「自動車運転や情報機器操作での知 覚・認知過程に関する応用的研究」 ・ 社会心理学「対人相互作用や社会的場面における人間 行動の研究」 ・ 臨床死生学・老年行動学「老いと死に関する精神,高 齢者の心と行動に関する研究」 ・ 認知脳心理学「ワーキングメモリなどの認知過程の脳 内機構に関する研究」 ・ 環境心理学「環境と人間行動の関係に関する基礎的・ 応用的研究」 ・ 安全行動学「事故防止やヒューマンエラーに関する研 究」 ・ ボランティア行動学「災害ボランティアの心理と社会 に関する実践的研究」 ・ 発達心理学「人間の乳幼児期から思春期・青年期まで の種々の発達」 なお,上記の実験心理学の諸分野に加え,行動統計科 学(行動データの統計解析法の開発),比較行動学(サ ルの行動観察,動物心理学),行動生理学(味覚の神経 生理学),生物人類学(ヒト・霊長類の機能形態学)の 研究室もあります。行動学系の教員は合計28名であり, いわば文系・理系の枠を超えた「心理行動学部」のよう な感じです。 基礎心理学研究室 大阪大学の実験心理学は上記のように現実問題を解決 するための応用研究分野が比較的多いのですが,筆者の 所属する基礎心理学研究室は基礎研究を中心としていま す。日本のすべての大学の中でおそらく唯一「基礎心理 学」の名を冠した研究室であり,日本基礎心理学会とは 非常に馴染みが良いと思います(笑)。教員は私と赤井 誠生教授と松下戦具助教の3名です。 基礎研究の「基礎」とは応用の反対語です。即座の実 用性を目指すのではなく,応用研究の礎(いしずえ)と なる根本的真理を探求することを目標とします。主に知 覚心理学・認知心理学の方法論により,人間の心と脳に よる情報処理と行動を実験で分析し,その機構と一般法 則を解明・実証することを目標としています(と書くと カッコよすぎるかも)。ただ,心理学をまだほとんど知 らない学部 1・2年生には基礎心理学を「初歩・入門心 理学」と勘違いする人がかなりいるので,毎年その誤解 を正すところから授業を始めねばなりません(汗)。 具体的な研究テーマとしては,顔の知覚と記憶,錯 視,運動知覚,物体認識,光景の知覚,心的イメージ, 記憶,思考,言語,判断などです。また,心理学の諸領 域を横断する基礎的テーマである動機づけ,特に,自発 的に楽しく行う行動(遊び,読書,趣味など)を支える 内発的動機づけを研究テーマとしています。 基礎心理学のおもしろさ・楽しさは,厳密な実験で正 確な測定を行い精緻な理論を構築できることです。間口 の極めて広い学問である心理学の中で,最も厳密・精密・ 精緻な分野は知覚心理学・認知心理学であると思います。 複雑な現実を単純化した実験により明快な結論を出す醍 醐味は非常に魅力的です。 基礎研究は役に立たない? 同僚の研究について私が書くのもおこがましいので, 私の研究について述べさせていただきます。私は学生時 代から知覚心理学を中心に研究していました。実は卒業 論文も修士論文も幾何学的錯視がテーマでした。その後, 錯視,運動知覚,心的イメージ,テクスチャ知覚,顔知 覚,視覚記憶,単純接触効果,ギャンブルにおける制御 幻想などいろいろな分野の研究を行ってきました。正直 言って,私の研究が何かの役に立つとは思っていません でした。私の研究で人助けをしたいとか社会問題の解決 に貢献したいとかの崇高な大志は持っていませんでした。 特に日本が経済不況に喘いでいる時期は大学も実学や資 格取得分野に重点をシフトし,「役に立たない」とされ る分野は冷遇されがちです。ひたすら自分の興味の赴く ままオタク的な研究をやってきた私は日陰者であり,納 税者に合わす顔がありませんでした。ただ,「本当の学 問とは知的探究心の充足と知識の地平の拡大である!」 と,どうにか自己正当化しておりました。役に立たない 研究に肩身の狭い思いをしながらも,そういう研究に 嬉々として取り組む,矛盾した日々を送っておりました。 基礎研究だからこそ役に立つ? そんな調子で相変わらず実用性とは無縁の錯視や顔知 覚の研究を続けていた5, 6年前のある日,学生と卒業研 究の相談をしている時に,ふと思いつきました。化粧や 服装で顔や体型が変わって見えるのは錯視なのではない か。例えば,眼がアイメイクで大きく見えるのはデル ブーフ錯視の原理ではないのか。もし錯視であるなら, 心理物理学の測定方法が使えるのではないか。そう考え て,化粧顔や服装の刺激を作成し,パソコンで実験プロ グラムを作り,実験を行ってみたら,錯視量の測定に成 功したのです。思いもかけず錯視研究と化粧研究の融合 という意外に役立ちそうな新研究テーマに遭遇した私 は,その予定調和に顕現した神の摂理に感動しました。
111 森川: 大阪大学の基礎心理学 窓の外に見える,夕日で茜色に染まる太陽の塔を仰ぎ見 る私の目には大粒の涙が浮かんでいました。 そして,アイメイク錯視の成果などを学会で発表した ところ,予想外に反響が大きかったのです。意外なこと に,これまで化粧業界ではそのような錯視の観点からの 定量的研究は皆無だったそうです。化粧品業界大手のS 生堂さんが特に興味を持ってくれて,共同研究のオ ファーをいただきました。それ以来,次第に測定方法を 改良し,よりリアルな顔刺激と化粧方法を用いて研究を 進めてきました(Figure 2)(森川,2013, 2014)。また, 服装による体型錯視も調べてみるとたくさんあることが わかりました(森川,2012)。これらの研究を蓄積する につれ,社会からも強い関心を寄せられるようになり, ファッション雑誌の企画監修などの依頼がいろいろ来る ようになりました。S生堂さんとの共同研究は現在も続 いています。化粧錯視や服装錯視の知見に対する社会 ニーズは非常に大きく,私の研究でも少しは社会の役に 立てることがわかりました。日陰者でも太陽の塔をまと もに見られる日がやってきたのでした。 基礎研究は根本的な原理や法則に関するものだけに, うまく使えば非常に応用範囲が広く,極めて役に立つの です。基礎心理学研究を志す皆さんは,自分の研究に実 用性があるかどうかを気にかける必要は全くありませ ん。社会貢献の可能性を気にしなくてよいのです。基礎 研究は,いつの日かどこかで誰かが思いがけない形で役 立ててくれるものなのです。例えば,本人は経済学の授 業を全く履修したことのなかった認知心理学者 Daniel Kahnemanの判断と意思決定に関する研究が後に行動経 済学を生み出し,ノーベル経済学賞の受賞に至ったよう に,根本的な研究であればあるほど役立つ範囲も広くな るものです。ですから皆さんは何でもいいから自分がや りたい研究をやれば良いのです。 一日の勤務を終え,夜帰宅する際に電車の窓から見上 げる太陽の塔の眼は「森川よ,そなたの研究も何かの役 に立つのだ。その調子じゃ。」と語りかけるように輝い ています。やっぱり光る眼にも意味はあるのですね(な んでやねん!)。 引用文献 森川和則(2012).顔と身体に関連する形状と大きさの 錯視研究の新展開: 化粧錯視と服装錯視 心理学評 論,55, 348–361.
Morikawa, K. (2012). New directions in research on visual il-lusions of shape and size related to the human face and body: Illusions caused by makeup and clothing. Japanese
Psychological Review, 55, 348–361.
森川和則(2013).錯視としての化粧効果の測定と考察 フレグランスジャーナル,41(3), 55–61.
(Morikawa, K. (2013). Measurement and consideration of makeup effects as visual illusions. Fragrance Journal, 41(3), 55–61.)
森川和則(2014).化粧錯視および顔錯視の測定と考察 日本色彩学会誌,38, 120–125.
(Morikawa, K.)