香 川 大 学 経 済 論 叢 第66巻 第 4号 1994年3月 101-135
マルサスと民衆教育
柳 沢 哲 哉
I は じ め に マノレサスは下層階級の境遇を改善させるために,政治的および市民的自由, それに教育が必要であると主張している。1
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年の選挙法改正や1
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年の救 貧法改正はマJレサスの理念を現実に近づけたと評価することができょう。そし て,本稿で取り上げるマルサスの民衆教育論も,基本的な方向としては現実化 していった政策提言のうちに含めることが許されるであろう。 本稿の第1
の目的は人口論』における民衆教育論の位置づけを明らかにす ることである。言うまでもなく人口論』第2
版(
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年)で登場したマルサ スの民衆教育論は,単独の教育論として提起されたわけではない。それは人口 原理や他の政策提言と密接に関連したものであった。マlレサスは下層階級自身 による人口抑制に期待をかけていたが,それも民衆教育を前提にしてはじめて 成立する議論であったと言うことさえできる。そこで,マルサスにとって民衆 教育がどのような意味を持っていたのかを検討したい。 第2
の目的は,当時の民衆教育の歴史に照らして,マルサス民衆教育論の特 徴を明らかにすることである。1
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世紀イギリスの民衆教育は,制度面でみれば 公教育化への移行の時期であり,内容面でみれば世俗的教育への移行の時期でト あったと言える。このような歴史的文脈の中で見た場合に,マルサス民衆教育 論がいかなる特徴あるいは先駆性を持っていたのか,そしてどのような歴史的 役割を果たしたのかを検討したい。 そのためにまず,当時の民衆教育の概要とマルサスが多くを負っているスミ スの教育論をIIで確認しておく。マルサスの民衆教育論の内容と制度的特徴は,-102ー 香川大学経済論叢 916 『人口論』第
2
版を中心にして凹で検討する。マlレサスが影響を与えたホイツ トブレッド教区学校法案とそれに対する反応である『ホイットブレッド宛公開 書簡』についてI
V
で検討する。それはマルサスの民衆教育論の内容と当時の教 育を巡る状況にも関連するものであり, IIとIIIを補足するものでもある。 II 民衆教育の状況 II -1 ヴォランタリズム原則 公権力が民衆教育に一切,関与・介入していないことが, 19世紀以前のイン グランドの特徴であった。 19世紀になってはじめて,国家が予算措置あるいは 立法措置によって民衆教育に関与していき,最終的には1870年初等教育法に よって公教育が一応成立したと見ることができる。ここで r教育の管理および 運営を公権力とは無関係な個人あるいは集団によって行おうとする態度J(松 井 [1962J, 56頁)を「ヴォランタリズム(Voluntaryism)Jと呼び,公的権力が関 与・介入する教育を「公教育」と呼ぶとするならば, 19世紀はヴォランタリズ ムにもとづく教育から公教育の成立していく過程と整理することができる。 ヴォランタリズムの特質の一つは, 17世紀後半の社会不安やフランス革命に 直面して,民衆を社会的に統制しようとする中産階級的な意識にあると言われ ている。それは結果的に,社会秩序を維持するのに必要な服従の意識を植え付 ける,宗教教育あるいは道徳教育といった徳育中心の教育内容を生み出すこと (1) 本節はCurtis[1953], Sanderson[1991],三好 [1968], 河 合 口974],佐伯 [1974], 白石 [1988]を参照している。 (2 ) 公権力の関与・介入といっても様々な段階を考えることができる。例えば,学校建設の 費用負担の段階,教育内容を規制する段階などである。それゆえ,ヴォランタリズムをい かに規定するかについては論者により相違があり,それと対応して公教育の規定につい ても相違が生まれることになる。この相違はヴ、オランタリズムと公教育が対立するもの と捉えるか,両立するものと捉えるかという視点の違いによる。とりわけ, 1833年の国庫 補助開始以降のイギリス教育史を整理する上では重要な問題を生iみ出すが,本稿では詳 しく取り上げない。ただし,いずれの論者も 1870年初等教育法によってヴォランタリズ ム原則が消滅したとは見ていないことを付け加えておきたい。ヴォランクリズムの規定 については斎藤口974]を r公教育(PubIicEducation)Jの規定については三好[1968], 3 -18頁を参照されたい。 (3 ) 以下の特質の整理は主に松井 [1962]による。917 マノレサスと民衆教育 -103 となった。もう一つの特質として,教育の宗派的性格が挙げられる。教育の私 事性という意識の下に,教育の管理運営権が国家ではなく宗派集団に帰属する ものとされていた。その結果,学校の設立・運営は宗派的性格を有する民間有 志団体によることが多く,その財源は慈善あるいは喜捨の精神といった宗教的 価値観にもとづく寄付や基本財産の寄贈でまかなわれていた。この宗派的性格 は国教会系団体と非国教会系団体の対立を生み出し,一方では両者の競争から ヴ、ォランタリズムにもとづく学校の普及を促し,他方では宗教教育のあり方を 巡る両者の牽制から,公教育の成立を遅らせることにつながっていく。
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世紀から1
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世紀にかけては,おばさん学校(Dame S
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なども民衆教育の付随的な担い手に挙げることができる し,またロンドン通信協会に代表される労働者主体の教育的活動も存在するが, ここではその規模からみて主要な担い手であった,1
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世 紀 前 半 の 慈 善 学 校(
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の概 要を整理しておく。 慈善学校の普及に大きく貢献したのは,1
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である。この団体は 学校建設と維持に必要な,基金および寄付金を富者から募る活動を行った。S
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Kの教育史上の意義は,第1に教育が民間有志団体の担当すべきものであ るという観念を確立したことである。したがって,S
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の設立をもって ヴォランタリズムによる教育制度の起源とされることもある。第2
に慈善学校 の監督権を行使することによって,国教会の教育支配権が再確認されたことで ある。 国教会系以外にも非国教徒の慈善学校設立運動も加わり,1
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世紀半ばまでは 慈善学校は着実に増加していった。この増加はマンデヴイルの慈善学校批判を 生み出すほどのものであった。慈善学校での教科は,カテキズムを主体とした 宗教教育が中心であり,それに加えて読み書き,一部では裁縫,園芸なども教 えられていた。1
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世紀前半の識字率の上昇に対して,慈善学校が一定の役割を-104- 香川大学経済論叢 918 果たしたと言われている。しかし, 1760年頃には人口増加率が上昇し始めたに もかかわらず,新設学校数は停滞し,慈善学校の教育効果は低下する。また, 有料化することで,下層階級の教育機関としての役割からはずれる慈善学校も 発生するようになった。慈善学校が衰退していく理由として,供給面では宗教 的緊張感の緩和が挙げられ,需要面では児童労働の雇用機会が増大したことで, 学校に通わない児童が増加したことが挙げられている。衰退する慈善学校に代 わって,日曜学校が民衆教育を担うことになる。 組織的な日曜学校の普及は, 1780年にロパート・レークスによって設置され た学校に起源を持つとされている。民間団体としては,日曜学校の奨励,設立 の資金的援助や教材としての聖書の配布などを目的とする,日曜学校相互の機 関として日曜学校協会
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が1785年に設立された。 この協会は発足時には宗派横断的な性格であったが,次第に国教会の影響を強 く受けるようになった。そのため, 1803年に非国教徒を多く有する日曜学校連 盟(
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が結成される。当初,日曜学校の財源は,慈善学校 と同様に主に寄付金によるものであったが, 19世紀になると次第に労働者階級 自身の拠金によるようになった。 日曜学校は, 1801年で学校数2,290校,生徒数206,100人, 1811年で4,687 校, 415,000人, 1821年で8,236校, 730,000人へと急激に増大しており, 1851 年には児童のうちの半分以上が日曜学校に在籍していたと言われている。この ような爆発的な普及の理由として,第lには日曜日を利用することで児童労働 を妨げないこと,第2
にはフランス革命の衝撃に対して,中産階級が下層階級 を社会的に統制する必要に迫られたこと,などが指摘されている。さらに,国 ( 4 )L
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[1976J, p..85,奥田[1981J,41頁。日曜学校に関する従来の通説をL
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は批判している。日曜学校は「労働者階級のコミュニティー」であるとし,社会統制とい う目的のもとに上から与えられたものではないとする(p61)。また,日曜学校連盟や日曜 学校協会といった団体も,たいした役割を果たしていなかったと見ている (p42)。なお, 日曜学校が1815年以降,急進的な方向へ変質したとする見解もある (Simon[1960J, p. 183, 213貰)0L
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の見解に対してはDick[1980Jによる従来の見地からの反論があ る。919 マルサスと民衆教育 105 教会,メソジスト派,パプテイスト派などの宗派的対抗意識も,普及を促した 一因に加えることができょう。 日曜学校の教育内容は宗教教育が中心であった。ヴォランタリズムの学校の 中でも日曜学校は,とりわけ知育が軽視されていたといえよう。それには,週 に1日だけの,しかも 3から5時間程度という時間的制約や,在籍している生 徒の出席状況の悪さという要因から,読み書き計算といった知育を行うことが 事実上困難であったという事情があった。それにもまして重要な要因は,読み 書きを教えることによって社会的秩序が破壊されるという教育有害論の存在で あった。初期の日曜学校の推進に重要な役割を果たしたハンナ・モアは自分の 計画を次のように述べている。「私の計画は非常に限定され,制限されている。 ……私は書くことを認めない。私の目的はドグマやオピニオンを教えることで はなく,貧民に勤勉と徳の習慣を形成することにあるJ(Sylvester [1970J, p.. 263)。徳育により社会統制を図ろうとした日曜学校の中では,宗教教育における カテキズム等を読むうえで必要なものという位置づけから,読み方の教育は許 容されていたものの,書き方は有害なものと見なされていたのである。また, 日曜学校の中には,安息日厳守という信仰上の理由から書き方や計算の教育を 禁じているところさえあった。 19世紀になると民衆教育の中心は,日曜学校から週日学校である助教制学校 へと次第に移っていく。もっとも,日曜学校は19世紀半ばでも順調に学校数, 児童数を増加させているわけで,決して衰退過程にあったわげではない。この 時期に日曜学校と助教制学校とに重複して在学する児童が増加しており,二つ の学校は教育機能の分化を伴いながら,共存していたのである。日曜学校は宗 教教育を専門にする機関としての役割をより一層強め,助教制学校は宗教教育 と同時に世俗教科である知育をも教育する機関としての役割を担っていくこと になる。 助教制学校はかつての慈善学校の復活という側面を持っているが,教育方式 に特徴を持っている。助教生(monitor)と呼ばれる一部の優秀な生徒に教師の 役割を担わせ,それに巧みな賞罰のシステムを組み入れることで,一人の教師
-106- 香川大学経済論叢 920 が
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以上の児童を効率的に教育することが可能な方式であった。教員経費の 削減を図れる安価な教育方式というのが助教制学校のうたい文句であり,それ が普及を促した一つの要因でもあった。 助教制学校の起源はベノレがマドラスで行った学校教育に求められるが,普及 のきっかけとなったのは1
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年頃に助教生を用いたランカスターの学校であ る。ランカスターを中心とする非国教徒系の団体として1
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年にランカスター 協会(
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年に設立された。こちらの陣営 にはマノレサス批判者でもあったサウジーなどが加わっている。このこつの19世 紀の教育界を二分する団体を巡って,後に「ベノレニランカスター論争」と呼ば れる,助教制学校のアプリオリティー,あるいは教育方式の優位性を巡る論争 がヲ│き起こされていくことになる。 スミスやマルサスはこれらヴォランタリズムにもとづく教育制度の批判を通 じて,自らの教育論を展開することになる。慈善学校が衰退しつつある時期に スミスの『国富論』が現れ,一方では日曜学校が急激に増加しつつあり,他方 では助教制学校が広まりはじめる直前にマノレサスの『人口論』第2
版が現れた ことになる。 II -2 スミスの民衆教育論 スミスは人間の相違が主に後天的な影響によるものと見ている。「最も似か よっていない人物聞の違いは,たとえば学者と街のありふれた荷かつぎ人足と の聞のように,生まれっきというよりもむしろ,習癖,習慣および教育による (5 ) ここでは非国教徒系のランカスターのシステムで代表しておく。ランカスターとベル のシステムの相違については安川口980,1983Jを参照されたい。なお,教育有害論が次 第に後退していくという状況も助教制学校を普及させた要因に挙げられよう。921 マルサスと民衆教育 -107-ように思われるJ (Smith [1976J, pp“28-29, 1, 28頁)。このように後天的な影 響を与える要素のーっとして,教育の役割を重視しているのである。『国富論』 以外でも教育についての言及があるし,大学教育についても多くを語っている が,ここではマルサスが依拠している範囲に限定して国富論』第
5
篇で提案 されている民衆教育論の要点のみを確認しておきたい。 スミスは,整備が不十分であること,およびラテン語などの実用的でない教 科が教えられていることを理由にして,当時のイングランドで民衆教育を担っ ていた慈善学校を批判している。代わりに採用すべき制度として提案している(
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のは,スコットランド式の教区学校の制度である。「スコットランドではこうし た教区学校の制度が,庶民のほとんど全部に読むことを教え,また,その大部 分に書くことと計算を教えてきたJ (Smith [1976J, p..785, III, 148頁)と教区 学校制度を高く評価している。 この評価には,学校の整備状況や識字率の点から見て,誇張がないわけでは ないが,確かにスコットランドの教育水準を高めるのに教区学校の貢献が大き かったと言われている。 1696年にスコットランド議会が制定した学校設置法に よって,全ての教区に学校が設置されることが決定された。この法律によって 制度面では完全な教区学校制度が確立したと言われており,その後,主に長老 派教会の指導のもとで学校が整備されていった。もっとも, 19世紀になっても 学校のない教区が存在したことも知られており,学校設置法の効果については 評価が分かれているようである。学校の設立・運営の費用は地主と小作人が負 担し,教師は長老の審査を受けるものとされていた。教区学校の特質としては, 貧富の差に関係なく一緒に教育を受けていたこと,すなわち一元的な教育制度 であったということ,優秀な生徒には初等教育だけではなく古典や数学も教え, 中等教育の役割をも果たしていたことが指摘されている。スコットランドの民 衆教育が優越しているということは,古くからイングランドにおける一般的な (6 ) スミスは日曜学校の計画にも肯定的であった。 (7) スコットランドの教育についてはCurtis[1953J pp..497-540, Knox [1953J pp. 3-20, 角替[1974Jを参照されたい。高地地方や西部諸島ではスコットランド知識普及協会によ る慈善学校の設置も行われていた。108 香川大学経済論叢 922 認識であったし,それゆえマルサスたちは公教育の範をスコットランドの教区 学校に求めたのである。 スミスは「地位,財産のある人」の教育と i庶民」の教育とを二分し,前者 については政府の配慮、を不要なもの,あるいはむしろ有害なものと見ていた。 これに対して,後者については,両親が教育に割ける時聞がなしまた金銭的 にも子供に労働をさせざるをえない状況にあることを理由にして iパブリック が配慮すべき教育の諸部門J
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頁)と見ていた。ただし,労働者でも支払いが可能な ようにパブリックが費用を負担することを認めてはいるものの,学校側に一種 の競争原理を働かせるために無料化には反対していた。「教師がパブリックから 俸給の全部をもらうことになると,いや,主としてパブリックからもらう場合 でさえ,彼はまもなく,自分の職務を怠けることを覚えるだろうからである」(
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頁)。 スミスが提案しているカリキュラムは,読み書き計算のいわゆる3R'sに加え て,幾何学と機械学の初歩であった。幾何学,機械学の初歩を含めていること から分かるように,生産力の上昇効果も意図していた。最も重要な民衆教育の 目的は,分業による単純労働がもたらす弊害の是正であった。単純労働によっ て,理解力や努力する習慣あるいは肉体的活力が奪われ,日常の義務について の判断さえ下せなくなり,ひいては国防の義務さえ果たせなくなると見ていた。 これが「進歩した文明社会ではどごでも,政府がなにか防止の労をとらぬかぎ り,労働貧民,つまりは国民大衆の必然的に陥らざるをえない状態なのである」(
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頁)。このような分業が生み出す知的,道徳的, (8 ) このような視点が r有用な能力」という形で教育の成果を固定資本に組み入れたり, 教育費用と賃金格差を結び付けるスミスの見解を生み出した一因になっていると思われ る。ところが,マルサスの場合には,勤勉や独立心の育成を通じて間接的に民衆教育が生 産力に影響を与えると言えなくもないが,直接的な生産カ上昇効果を教育目的には入れ ていなし〉。マルサスは賃金格差を教育費用と結び付けることも否定している (Pr,1, pp2
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頁)。また,工場労働を不健康な労働と見ており,児童労働の規制も肯 定しているが,分業の弊害を教育で解決するという発想はない。923 マノレサスと民衆教育 -109-肉体的な弊害を防ぐことを第
1
の目的として,公的な民衆教育を提唱したので ある。 また,第2
の教育目的として,教育が社会秩序を維持する効果に言及してい る。「彼らが教育tを受ければ受けるほど,無知な国民の間で,最も恐るべき無秩 序をしばしば引き起こす狂信や迷信の惑わしに号│っかかることが,それだけ少 なくなる。そのうえ,教育のある知的な国民は,無知で愚昧な国民よりも,常 に慎み深く秩序を重んじる。……政府の施策に対して無茶な,あるいは不必要 な反対をするように引き回されがちな傾向も少ないJ (Smith [1976J, p..788, III, 153-154頁)。 スミスの教育内容の特徴として,知育を重視していることが挙げられる。宗 教教育については別項で論じているので,徳育を軽視していたと即断すること はできないが,提唱されている教区学校のカリキュラムを見る限り道徳や宗教 への言及はない。基本的には,知的な人聞は道徳的にも優れている,という考 え方に立脚しており,徳育をさほど重要なものと見ていなかったようである。 スコットランドはもともとは民衆教育に与える教会の影響が強かったにもかか わらず,教師不足などの理由から教師の宗教的性格が弱まっていたとも言われ ている。実用的な教科のみをカリキュラムに入れていたのは,スミスが国教会 を好意的に見ていなかったことに加えて,このような状況も反映していたので あろう。 III W人口論』における民衆教育 III-1 教育目的と内容 「ヨーロッパの下層諸階級は,将来のある時期に現在よりも良い教育?を受ける かもしれないJ (FE, pp..277-278, 163頁),と『人口論』初版(1798)でもマル サスは教育制度の改善の可能性を認めてはいる。しかし,民衆教育についての 積極的な提言は存在しない。そもそも W.人口論』初版では社会制度を変革し, 平等社会の実現を意図するゴドウィンを反駁することが前面に押し出されてお り,制度が社会問題の解決に無力であることが強調されている。社会制度は,110- 香川大学経済論叢 924 「人類にとって多くの害悪の明白かっ顕著な原因だと思われるげれども,だが 実際には,人間の生命の源泉を腐敗させ,その全部の流れを混濁させる不純な もっと根深い諸原因にくらべると,表面に浮かぶ羽毛にすぎない
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(FE, p..117,1
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頁)と位置づけられているのである。それゆえ,下層階級の欠乏を除去する 提案をマルサスが行う時にも r事柄の性質上,ありうるのは一時的対策(pallia -tive)だ、けJ (FE, p..95, 68頁)という限定を強調しているのである。 ところが,よく知られているように,第2版以降,道徳的抑制の導入をはじ めとして r別の書」とも言われるほどの改訂が行われており,民衆教育の提言 や政府の改良にも言及している。民衆教育の提言が導入された大きな理由は, 論争書としての初版の性格と第2
版との相違に求めなければならないし,その ためには全体的な改訂の理由を検討しなければならないが,ここでは『人口論』 初版以後にマルサスの民衆教育論に影響を与えたと思われる外的な事情に限っ てこ点ほど指摘しておきたい。 一つは,1
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年に制定された教区徒弟条例である。この中には作業環境の整 備に加えて,教育条項が盛り込まれていた。実際のところ,教育条項の実効力 は弱く,ほとんど死文に帰したというのが一般的な評価ではあるにせよ,工場 主が読み書き,計算およびキリスト教の原理についての教育を与える義務が明 記されていた。マノレサスは教区徒弟条例について人口論』第2
版では「最近 この主題に関する議会の条例が通過した。そこから良い結果が生まれることを 希望するJ(
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頁)と期待をかけている。これは条例全体に対 する期待の表明であって,教育条項についての見解は分からない。しかし,少 なくとも,木綿・羊毛工場で働く教区徒弟という対象の制約はあるにせよ,立 法措置によって教育制度を整備できる可能性があることを認識していたことに なる。 もう一つは, 1799年の北欧旅行で見聞したノルウェーの教育である。ノル ウェー海沿いの都市トロンへイムに滞在中に聞かされた話として, トロンヘイ ムには庶民の子供のための無料学校が存在すること,それがない田舎にはわ3
ヶ月間巡回教師が出かけること,そしてこれらの手段によってほぽ全ての庶925 マルサスと民衆教育 -111 民が読むことができ,その大半が書くこともできることを日記に記している の, p..167)。この点については別の箇所でも「庶民の教育について聞いたことを 確信した」と再度ふれており r教区ごとに,その大きさに応じて教養のある農 夫の中から牧師によって選び出され,ビショップによって承認された 2ない し3人の教師がいる。農夫は新聞を読み,政治問題を論じている。彼らは満足 しており,フランス革命が勃発した時とは全く違う状態であるJ(D,p.175),と マルサスは記している。このように,読み書きが社会秩序を乱すとする教育有 (9) 害論の反駁となる実例を,ノルウェーで見聞したことになる。 まとまった形で民衆教育論が登場するのは r人口論』第2版の第4篇第8章 「人口に関する通説を修正する方法について」である。この章はそれ以後の版 でも論旨に影響するような改訂はほどこされていない。以下,第8章を中心に, 民衆教育の目的と内容,それに政府と民衆教育との関係について検討する。 マルサスも民衆教育にいくつかの効果を期待しているが,その第
1
の目的は 下層階級に自発的な人口抑制を促すことにある。そもそも,上流階級にはかな り行き渡っている結婚に対する予防的(後の版では慎慮的(prudential)一妨げ の習慣を,下層階級に浸透させるための方法として第8章で民衆教育が提起さ れているのである。 「情念の衝動がいかに強力であろうとも,それは一般に理性によってある程度 緩和される。そして,もし貧困の永久的な原因が明瞭に説明され,各人の胸中 に強く自覚されるならば,それは彼の行動に多少の,おそらくは少なからぬ影 響を与えるであろうと考えるのは,全く空想的とは思われなしり (E,1,1p.. 106,I
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貰)。しかし,現状のままでは慎慮的抑制の普及を期待するわけにはいか ない,それゆえ教育によって下層階級を慎慮的抑制の方向に導く必要が生じる。 その方法として人口原理を認識させることがカリキュラムの主要内容となる。 「人口の原理によって影響を受けている社会の下層階級の実情,およびその結 ( 9) O'Donnell [1985J , p 95, 122頁。 (10) 当時,人口増加を是とし,結果的に救貧法擁護につながる考え方が流通していたとマノレ サスは見ている。「国王と国家のために臣民を育て上げることがきわめて賞賛に値する行 為であると常に教えられてきたJ(E, 1,1p.106, 1V, 35頁)。-112 香川大学経済論叢 926 果として彼らの幸福あるいは窮乏の主要原因が彼ら自身にかかっていることを 反復して説明すべきことを強調したいj(E, II, p..151, IV, 103頁)。これがマル サスの民衆教育論の核心部分であると言ってもよい。そして,教育の結果,下 層階級の習慣が変化し,家族扶養能力を持つまで結婚しないこと,さらに,そ れ以下では結婚して子孫を増やそうとしない困窮水準を上昇させること一これ らに加えて,後の版では浪費をせずに合理的な目的のために貯蓄することーを 期待したのである。 この目的のために,読み書き計算に加えて,将来的には政治経済学をカリキュ ラムに取り入れるべきことも提案している。「時が経過して,政治経済学の最も 単純な原理のいくつかがこれらの学校における教科に付加されるならば,社会 にとっての利益はほとんど計り知れないj (E, II, p..152, IV, 104頁)。もっと も,ここには「市場を規制する一般原理を十分に明らかにできれば,かなり有 益であろうと考えざるをえなし)j,という注記があるものの,教えられるべきい くつかの「最も単純な原理」に,どの範囲まで含まれるのかについては説明さ れていない。しかし,人口原理が商品経済の中でどのように経済法則として現 れてくるのかが中心となっていたことは間違いない。具体的に言えば,本来的 には給付の請求権を持たないものとしての労働人口と実質賃金との関係,さら に『食糧高価論』で論じられた,院外給付という形で請求権を行使した場合で も実質賃金には影響を与ええないこと,これらが「最も単純な原理」の中心に 位置していたはずである。というのは,第 4篇第 3章と第 4章では次のように 述べられているからである。「貧民の状態を本質的かつ永久的に改善する方法に 取り組むならば,その境遇の真の性質を彼らに説明し,そして労働供給を抑え ることがその価格を真に高める唯一可能な方法であること,また彼ら自身がこ の商品の所有者なのであるから,彼らだけがこれをなしうる力を持っているこ とを彼らに示さなければならなしり (E,IL p“109, IV, 39頁), i労働供給の過 剰な市場と各労働者に対する十分な報酬とは,相互に完全に矛盾した目的であ る。。…想像の上でさえ両者を結び付けることは政治経済学の最も単純な原理 についてのはなはだしい無知を示すものであるj(E, II, p“110, IV, 41-42頁)。
927 マルサスと民衆教育 -113 いずれにせよ,教えるべき政治経済学の範囲については,はっきりしたこと は言えない。「下層階級の人々と密接に関係があるので,確かに彼らの関心を引 きそうな問題である」と見ているものの,現実的な問題としては, とりあえず 「大学の一学科」に政治経済学を取り入れるべきだと述べるのにとどまってい る
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頁)。したがって,民衆教育への導入をどの程度現実 的なものと考えていたのかは疑問が残る。確かに,日曜学校に代表される当時 の教育状況を考慮すれば,政治経済学の導入を将来の課題としたマルサスの判 断は当然のことといえよう。しかし,その後の教育の流れを見るならば,決し て非現実的な提起ではなかった。1
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年代以降,いくつかの民衆教育機関で経 済学教育が試みられており,一部の国教会系の学校にまで浸透するようになっ た。ここで経済学教育に期待された役割は,マノレサスが期待していたものと必 ずしも同ーのものではないが,民衆教育における経済学教育のおそらくは最初 期の提唱者であるマルサスの提起は,先見性のあるものといわねばならない。 このように人口原理ひいては政治経済学を教える第1
の目的は,下層階級に 境遇改善の唯一の方法が人口抑制であることを自覚させることにあったが,そ れは同時に体制の維持を図るという第2
の教育目的と表裏一体の関係にあっ た。すなわち,下層階級の境遇改善にとって政府が行いうる政策の限界を認識 させることを通じて,体制変革の無効性を理解させる役割をも担っていたので ある。「彼ら自身の勤勉と慎重を増進しなければ,政治のいかなる変革も彼らの 状態を本質的には改善しえないこと,それはいくつかの個別的な苦痛を克服す ることはできても,家族を扶養するという重要な点においてはほんのわずかし か,あるいはまったく利益を与えないであろうこと,革命は労働需給の比率す なわち食物の量と消費者数との比率を彼らに有利なように変更しないことJ(
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頁),これらを教えることによって反体制的な運動を防げる (11) 19世紀の経済学教育の経緯については,岡田[1979J,114-140貰, Goldstrom [1972J を参照されたい。「貧民の福利が道徳的抑制を通じて家族の大きさを制限することにか かっていることをマルサスが論証し,そして彼の仲間が労働組合の無効性を証明する賃 金基金説を発展させて以来ずっと,政治経済学の法則の擁護者はこれらの発見を下層階 級に熟知させるのにやっきになってきたJ(Goldstrom, p..99)。-114- 香川大学経済論叢 928 と考えているのである。教育による社会的統制の主張は,同時に教育有害論に 対する反駁をも意図したものであった。 教育内容から見たマルサスの民衆教育論の特徴は,徳育ではなく,人口原理 や政治経済学に代表される知育を中心に置いていたことである。もちろん,人 口原理を教えない既存の一般的な教育の効果を否定していたわけではない。困 窮水準を引き上げる要因のーっとして「知識の程度J
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買)と述べている。つまり,たとえ「示唆 された方法」でなくとも,すなわち人口原理を教えない教育であろうとも,そ れが有用であることを認めているのである。 知育一般の効果だけではなく,宗教教育や道徳教育といった徳育の効果も肯 定している。下層階級に窮乏の原因を説明することに加えて i教区学校は…… 時代を担う若者に謹厳,勤勉,独立および慎重の習慣と,宗教的義務の適切な 履行を教え込むもっともよい機会を持つであろう。そして,これは彼らを現在 の堕落した状態から引き上げ,一般的にいえば確かに優れた習慣を持つ社会の 中流階級に彼らをある程度近づけさせるであろうJ(
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頁), と徳育の一般的な効果を認めている。また,第3版の付録では,下層階級の実 態を彼らに説明することに加えて iそれとともに道徳的および宗教的教化が伴 うならば,これによって何の危険も生じない。私は常に真理の一般的普及が有 害だとは考えたくないJ (E,I
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頁),と徳育が知育による社会 的統制の機能を補完することも認めている。したがって,徳育をはじめとした 教育一般の効果を軽視していたわけではないのである。 (12) シーニアとの往復書簡では彼らの境遇を本質的にそして永続的に改善する唯一の源929 マノレサスと民衆教育 p h U 7 i 7 i しかしながら,やはり徳育は補完的な位置づけであったと評価すべきである。 というのは,第3版付録で,人口原理の普及を拒む見解を否定しているからで ある。その見解は,マノレサスの原理は肯定するがその適用に反対し,-貧民の偏 見を目覚めさせたり,確実に予見しえない結果を持っている新説を広める危険 をおかす必要はないJ
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頁)とするもので,マルサスによ れば「かなりの力を持つと思われる唯一の有力な反対論」であった。これに対 して,人口原理を何としても普及させる必要があり,それによって社会秩序が 乱されることはないと説いている。したがって,人口原理の教育は,マルサス が構想した民衆教育にとって絶対に欠かすことのできない要件と見なければな らない。 それでは,知育と社会統制の関連,および知育と中産階級の徳目との関連の 二点から,マノレサス民衆教育論の特徴を検討しよう。 当時のイングランドにおける民衆教育を代表していた日曜学校の場合,徳育 を中心にして社会統制をはかることが主要な目的であった。そして,知育はむ しろ有害なものとさえ見られていた。したがって,マルサスの提案する民衆教 育は当時の民衆教育のあり方とは一線を画すものである。すでに見たように, 知育をもって社会統制の手段とする見方はスミスが示しており,マルサスにオ リジナノレな考え方というわけではない。スミスは,教育のある知的な国民は慎 み深く秩序を重んじ,政府の政策に対して無茶な要求をする傾向が少ない,と 述べていた。この認識をマノレサスも共有している。「教育を受けた見聞の広い人 は無知な人よりも,扇動的な著作によって感化されることがはるかに少なし また私心のある野心的な扇動家の虚偽の演説を看破することにも優れていると 考えるアダム・スミスに心から同意するJ(
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頁)とし て,知育に向けられた教育有害論を批判するのにスミスの議論を持ち出してい る。しかし,知育がいかにして社会統制と結び付くのかについてスミスは明解 とは言えない。この点では,マJレサスの方がはっきりしている。というのは, 泉は,彼らの道徳的,宗教的改善と正しい指導(direction)であるJ(Senior [1966J , p 86) とも述べている。116 香川大学経済論叢 930 人口抑制のみが下層階級の境遇改善につながることを教えれば r疑いなくアダ ム・スミスの所見の重要性は倍加するであろうJ
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頁)と 付げ加えているからである。つまり,人口原理に立脚して政府の限界および体 制変革の無効性を教えるという媒介によって,知育と社会統制との関係を結び 付けているのである。 次に知育と徳目との関係を見ておこう。独立心,勤勉等の多くの徳目を下層 階級に持たせることが民衆教育の課題であった。これは,中産階級に普及して いる徳目あるいは倫理観を下層階級にも共有させることといってもよいだろ う。とりわけ重要なのは,家族を扶養する義務を下層階級に内面化させること である。慎慮的抑制について r子供を扶養する見込みが得られるまで結婚しな いことは,明らかに各人の義務であるJ(
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頁),あるいは「子 供を扶養する手段なしに結婚することほど,一般的な幸福を直接減殺するのに 役立つ行為はほとんどないであろう。それゆえ,この行為を犯す者は,明らか に神の意志に背くことになるJ (E,1
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頁)と述べている。 また,道徳的抑制との関連ではあるが rそれ〔道徳的抑制〕を実行する我々の 義務は明らかに,他のいずれの徳目を実行する我々の義務ともまさしく同一の 基礎,すなわち功利という基礎の上に立っているJ (E,1
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頁)と している。したがって,慎慮的抑制は道徳的さらには宗教的領域の問題である。 しかし,マルサスはこれらを主に,政治経済学に代表される知育で扱うべき 問題にしている。つまり,道徳的課題を徳育ではなく,知育に担わせているの である。家族扶養義務に違反した場合に,いかなる帰結がもたらされるかを人 口原理の認識を通じて理解させ,その結果,義務に合致した行動を自発的にと ることを期待している。教育の主要な役割は行為の帰結を教えることに他なら ない。そして,その帰結に照らして功利主義的な判断の下に下層階級が行動す ることを前提にしているといえよう。『経済学原理』で、は下層階級を圧迫してい る事情として r過去から未来へと推論する能力と意志とをこれらの人々から 奪っている」事情を挙げている(
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頁)。この「能力と意志」と を与えること,すなわち下層階級の利害に真に合致する行動とは何であるのか931 マルサスと民衆教育 -117-を教えることが教育の役割なのである。さらに言えば,知育と徳目との関連は 単に家族扶養義務だけではなく,下層階級自身でしか解決できない問題を理解 させることを通じて,勤勉や独立といった徳目にまで及ぶものと言えよう。 徳目を知育と結び付けることが可能であったのは,そもそもマルサスが功利 の基準から道徳律を導いているからである。「直接的な満足の欲望に促され,し かも結局は苦痛の方が大きくなる恐れのあるあらゆる行為は,義務の不履行と 考えられるであろうJ
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, 20頁)。したがって,極端な言い方を すれば,知育と徳育との聞に明確な境界を設定できない構造を持っていたこと になる。それゆえ,I
日来の徳育中心の民衆教育から知育中心へという移行は, マルサスの倫理思想から必然的に由来していたと言えよう。もちろん,マルサ スは宗教教育の意義も認めており, .Jミルなどのような世俗的教育論者ではな い。しかし,大まかに見れば,世俗的教育論の系譜に連なる要素を持っていた (l~ ことになる。 III-2 政府と教育 マルサスは「人民の教化に備えないどのような政府も完全の域には近づけな いといってよいだろう。教育から得られる利益は人数の制限なしに享受できる 利益の一つであり,そしてこれらの利益を与える能力を政府は持っているのだ から,そうすることは疑いなく政府の義務であるJ(
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頁, 3rd ed)として,教育が政府の責任であることを強調している。政府の責任を 強調しているのは,一つには民間の手に委ねられていた民衆教育の量的な不十 (13) f20年前のアダム・スミスのように,彼〔マルサス〕は労働者階級に対して,彼らの『見 かけの』利主主と『真実の』利益の違いを教えることに,深い関心を抱いていたj (Simon [1960J, p 143, 162頁)。同様の観点に立つスミスの民衆教育論については,野沢[1976J, 44-48頁を参照されたい。 (14) Goldstrom [1972Jは19世紀初頭に,教育が「宗教的局面」から「世俗的局面」へ移 行したと整理している。もちろん,他の論者の見解を検討することなし世俗的教育論に おけるマルサスの位置づけを論じることは慎まなければならないし,神学の領域では必 ずしも行為の帰結だけを問題にしているとは言い切れない(FE,p..387, 218頁)といった 問題もある。ただし,世俗的領域に限定するならば,19世紀半ばの経済学教育の実践に対 して「 …〔社会経済学の課目は〕経済諸法則を倫理化することを意図したものであり, 宗教に代えて経済学を徳育の中心に据えることを意味したj (岡田[1979J,76頁)とする 見解は,マルサスにもかなり妥当すると言ってよいだろう。118 香川大学経済論叢 932 分性という理由が考えられる。この時期は日曜学校が急激に増大していく時期 であった。しかし,教育効果の点では週に 1 日でしかも 3~5 時間程度という 時間的な限界を持っていた。 また,そこで行われていた教育内容も,政府の責任を強調したもう一つの理 由であったように思われる。日曜学校では徳育中心という限界を持っていた。 それだけではなく,人口原理を教えることが困難であるという事情もあった。 すでに見たように第3版付録では,マノレサスの原理には同意しながらも,いた ずらに貧民の不安を煽るという理由で人口原理の普及を非難する見解が取り上 げられていた。さらに,人口原理自体がキリスト教の教義と抵触するという観 点から,当時の教育を主に担っていた宗派団体に受け入れにくかったという可 能性がある。「私の原理に対してなされた最初の重要な反対論はそれが『産めよ, 増えよ,地に満てよ』という創造主の本来的命令に反するということである」
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。もちろん,マJレサスにとって『人口論』 はキリスト教の教義と矛盾するものではない。しかしながら人口論』で繰り 返されている人口原理とキリスト教との整合性の説明は,いかにマルサスの意 図に反して解釈されていたかを物語っているといえよう。いずれにせよ,旧来 のヴォランタリズムの教育では,マノレサスの意図する教育が行われない可能性 が高かったといえよう。 公教育の主張は,漸次的救貧法廃止や民主制の実現という政策提言とも関連 している。このこつの政策を実行する上での前提条件,あるいは条件整備とい 自 由 う観点から,公教育が要請されていたという側面が強いのである。 「より広範な国民教育制度の確立を勧告することは,一部の人には目新しさも なく,他の人々には不利益もないJ(
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頁)とマlレサスは見 ており,救貧法廃止と比較して教育制度の確立の方が容易なものと考えていた。 「救貧法を撤廃することは得策ではないと考えられでも,その慈悲深い意図を 無効にする一般的原理の知識は,救貧法を修正し,その実施を規制するために 適用され,その結果それに随半する弊害の多くを除去し,それを反対の余地が (15) 他の政策提言との関連については, HolIander [1986J, Digby [1986Jも参照されたい。933 マルサスと民衆教育 ~119 少ないものにしうることは疑いえないJ (E, IL pp“228-229, IV, 250-251頁, 3rd ed)。教育制度の確立は可能性から見て救貧法廃止に先行しうるというだ けでなしそうでなければならないとも考えていた。少なくとも,無条件で漸 次的救貧法廃止の計画を実施すべきとは考えていないのである。教育制度の不 十分さを指摘した次のような言い方は,公教育の確立を先行すべきとする見解 を示唆している。「人口問題に関して,誤謬と偏見の言葉の代わりに自然と理性 の言葉が一般に聞かれるようになるまでは,民衆の理解力について何らかの公 正な実験が行われたとはいえない」とし,政府の限界や貧閤の原因が自分自身 にかかっていることなどを「十分自覚した後で,彼らがなお現在のまま行動す る時にはじめて,われわれは彼らの不用意な行為や勤勉の欠如を正当に非難し
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うるJ(E, IL ppゎ106-107,IV, 35-36頁)。このように,救貧法廃止の条件を整 備するという意味で,教育の充実,すなわち人口原理の普及と救貧法廃止は一 体のものと考えられており,それが公教育を求める議論につながっていたと思 われる。 教育制度の確立は民主制度の実現の前提条件でもあった。 1833年ローパック 教育法案の提案理由の一つには,より広範な普通選挙制を実施するためには, 民衆の啓蒙が必要であることが挙げられている。マノレサスは普通選挙と教育と の関連について明示的には言及していない。しかしながら,間接的には教育の 社会的統制の機能と民主制との関連を考えていたことになる。『人口論』第5
版 では,戦後不況の打開策を非難して,次のように述べている。「労働者階級に彼 らの境遇の真の性質に関する知識を与え,辛抱して不可避的な窮迫に耐えるよ うに彼らを鼓舞するのに役立ちうるすべての事柄は,一部は無知から,そして 一部は故意に,彼らの視野から周到に消されたか,声高に非難された」。このよ うな状況において r普通選挙と毎年の議会開催という制度の下では,民衆の全 般的な失望はおそらく政府にあらゆる種類の実験を促し,ついにその激しい変 化は軍事独裁によって終止符を打つであろうJ (E, II, p.136, IV, 80-81頁)。 「現代こそ,貧困の主原因についての無知が市民的自由の大義にとってとくに (16) Winch [1987J , p..41, 65-66頁。-120 香川大学経済論叢 934 不利であり,それを理解することがこの大義にとって特に有利であるにちがい ないJ(E, 11, p引136,IV, 82頁)。このような民主制を実現するための前提条件 としての人口原理の普及という捉え方も,公教育を求める一因であったと言え よう。 しかし,公教育制度の確立を強調しているにもかかわらず,財源をはじめと して教育制度の具体的な計画は説明されていなしユ。したがって,公権力の関与 の仕方についてどのようにマルサスが考えていたのかは推測するしかない。当 時勢力を増しつつあった日曜学校をマルサスは批判的に見ている。「イングラン ドにおける下層民の教育が少数の日曜学校だけに任されているのは,確かに大 変な国辱である」。ここで言われている「大変な国辱」が,スコットランドと比 較したイングランドの教育の後進性を念頭に置いたものか,あるいはフランス で成立した公教育法を念頭に置いたものかは分からないが,それに続けて iそ れは個人の寄付金で支えられているが,彼らはどのような偏見も意のままにそ の教科課程に入れることができるJ (E, 11, p.. 153, IV, 106頁),という日曜学 校の問題点を指摘している。日曜学校が社会秩序を脅かす可能性があることを 危慎する見解は以前から存在しており,例えば1800年にロチェスターの主教 が,日曜学校を「ジャコパン的異端の学校」とする非難をしたことが知られて いる。 日曜学校における窓意的な「偏見」が課程に入り込む可能性を批判している ことから見て,教育内容を規制する必要性を認めていたといえる。マノレサスも スコットランドの民衆教育を肯定的に評価しており,また iアダム・スミスが 提案したものと類似の計画にもとづく教区教育制度J(E, II, p.. 151, IV,
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03 頁)という言い方をしている。したがって,基本的にはスコットランド式の教 区学校に範を求めていたと判断してよい。スコットランドの教区学校でも,長 (17) Laqueur[1976J, p 66 もっとも,マルサスが何を念頭に霞いて「偏見」と言ってい るのかは不明である。仮に,当時の日曜学校が後のチャーチストなどと区別できないほど 急進的なものであった (Laqueur[1976J, pp..179-186)とすれば,ロチェスターの主教 が非難したような状況を念頭に置いていたことになる。逆に,旧来の慈善の観念を広める ことで,日曜学校が救貧法の存続に貢献していることを「偏見」と見なしていた可能性も ある。935 マJレサスと民衆教育 -121-老や地域の地主を中心とした土地評価委員に教師の任命権や監督権を与えるこ とを通じて,間接的に教育内容の規制が行われていた。ただしマlレサスの場合 には,全面的に教区に依存する学校ではなく,教育内容に関して法則規制など の措置を構想していたようにも思われる。というのは,当時の教区行政に対し て,期待と同時にある種の不信感をマルサスは抱いていたからである。
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年ナッチブル法によって院内給付が明記されていたにもかかわらず,救 貧行政の担い手であった教区行政担当者は,給付制限を緩和させてしまい,1
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年代以降の院外給付の拡延という事態を生み出し,さらには『食糧高価論』で 批判の対象となったスピーナムランド制を生じさせた。このような状況に対し て 人 口 論 』 初 版 で は r適切な目的を識別し,必要な制度の業務を管理する 権力が,どこかに与えられなければならない。……治安判事,教区役員,およ び監督官の専制は,貧民の聞における一般的不満であるが,おそらく権力につ く以前は他の人々よりも悪い人間ではなかったこれらの人々には,過ちはあま りないのであって,過ちはこのような制度のすべての性質のうちにあるJ(FE,p
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頁),と教区行政批判を述べている。したがって,これに続く「第一に すべての現在の教区法を廃止すべきであるJ (FE, p..95, 68頁)という発言も, 単に救貧法廃止の提言にとどまらず,教区行政への不信を表明したものと解せ るであろう。 教区行政の中心的な担い手であったカントリー・ジェントノレマンに対する批 判 は 人 口 論 』 第2
版でも繰り返されている。「イギ、リスの政体が究極的に専 制政治に堕落するとすれば,思うにイングランドのカントリー・ジェントルマ ンたちは大臣よりもず、っと大きな責任を負うであろうJ (E,1
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頁)。また,民衆教育を論じている第8章の注でも,最近の凶作時に農業者や穀 物取引業者に対する庶民の反感を煽った「わが国の紳士と牧師の半数は暴動教 唆で訴追されるだけの罪を十分に犯したJ(
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頁)と批判し ている。このような教区行政に対する不信感ならびに r広範な国民教育制度の (18) 大沢 [1986J,52頁。 (19) 言うまでもなく,現行の教区行政に対する批判と,カントリー・ジェントJレマンたちに122 香川大学経済論叢 936 確立」といった主張を考慮すると,完全に教区行政の手に委ねられるのではな く,何らかの形で法的規制を受ける教区学校をマノレサスは考えていたように思 われる。 見てきたように,民衆教育の必要性をマルサスは繰り返し強調し,それが下 層階級の境遇改善につながることを期待していた。このような見解はf人口論』 第2版以後も一貫していた。 1827年のアイルランド問題に関する移民委員会に おいて,人口増加を阻止するのに適切な教育が与える影響が大きいと証言して いるし(上野[1980J,265頁), 1829年のシーニアとの往復書簡の中でも r我々 はさらに,社会の進歩において,教育や知識が広がるにつれて,これらの悪徳 が実際に減少する可能性,そして労働者階級の境遇が改善される可能性にも同 意しているJ (Senior [1966J, pp.. 82-83)と述べている。 しかしながら,マルサスは教育の限界についても言及している。当時,教育 を推進しようとした論者の聞には,環境が性格を形成することを重視し,ひい 目 的 ては「教育は万能」であるという認識さえ存在していた。タブラ・ラサ説や観 念連合論がそれを支える理論となっていた。しかし,教育には「必然的に時間 のかかる仕事J
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, p引148,I
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, 99頁)という時間的な問題があることを別 にしても,マノレサスは教育万能論には立っていない。 1820年『経済学原理』では安楽水準を上昇させる一要因として教育を挙げて いるが r教育そのものだけでは財産の不安定に対してほとんど何事もなしえな い。しかし教育というものは,それなしには完全であるとはどうしても考えら れない市民的および政治的自由から期待されるべき一切の好都合な結果をもた らすのに,有力な助けとなるものであるJ(
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, 1, p.. 252,下 22頁)と見ており, 教育万能論には立っていない。そして r社会の下層階級の聞に慎重の習慣を発 生させる傾向のあるすべての原因のなかで,最も本質的なものは,疑いもなく 市民的自由であるJ(
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, 1, p..251,下21頁)として,市民的自由を最上位に位 対する期待とは区別しなければならない。「マルサスは r新』ホイッグ的姿勢を旧『農 村型』ホイッグの伝統的姿勢にみごとに加え合わせたJ(Winch [1987J, p. 50, 79頁; CoIlini[1983J, pp..75-77.)。 (20) Curtis[1953J, p.. 209;Sanderson[1991J, pp.. 56-57, 91頁。937 マルサスと民衆教育 123-置づけている。教育は市民的自由と政治的自由とを補完する役割に置かれてい るのである。言い換えれば,マルサスにとっての教育は,理想とした社会体制 を実現するうえでの必要条件でこそあれ,それだけでは十分条件になりえない ものであった。 教育のもう一つの限界は,人口原理の根幹に位置する,いわゆる情念不変論 と関係している。理性によって情念の働きが緩和されることを認めてはいる
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頁)。そしてそれが道徳的抑制を認める重要な要因ともなっ ていた。しかしながら,緩和することはできても,理性が情念を乗り越えるこ とはできない,という立場は一貫して維持されていたと言わなければならない。 『人口論』の最終章で慎慮的抑制への期待を語っている。「この点で何らかの有 利な変化の希望を抱くことは決して幻想的ではない」。しかし,道徳的抑制につ いては楽観を抱いてはいない。独身期間中に道徳律を実践する義務については, 「この義務がこれまでいかに不完全に遂行されてきたかを知れば,将来それが 本質的に変化することを期待するのは,確かに幻想であろうJ(
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頁)と悲観的に見ているのである。もちろん,慎慮的な動機 を持つことは道徳的抑制の前提であるから,間接的には道徳的抑制と関連して いると言えなくもない。しかしマルサスが民衆教育に期待していたのは,直接 的にはあくまで慎慮的抑制の普及までだ、ったのである。 さらに言えば,教育による慎慮的抑制の普及についても疑問を抱いていたと 言った方がよい。仮に教育によって慎慮、的抑制が完全に行われるとすれば,あ えて救貧法廃止を唱える必要がなくなる,といった議論が成立するからである。ω
この議論はマノレサスの提起した民衆教育論を引き継ぐホイットブレッドが,教 (21) 比喰的な言い方をすれば,主体は人口法則であり,下層階級は客体の位置に霞かれてい る。この下層階級に「主体」の意識を植え付けることが,教育の役割jということになる。 ここで,慎慮的抑制と人口法則との関連が関われねばならないが,本稿ではマlレサスが慎 慮的抑制に期待を抱いていたことを指摘するにとどめておく。 (22) 醸造所の息子として生まれたホイットブレッド(1758-1815)は1790年にベッドフォー ドから議員に選出され,フォツクスと行動を共にしている。宗教的・市民的権利や議会改 革を主張し,対仏和平策を肯定した。1795年と1800年にも最低賃金制を盛り込んだ救貧 法改正案を提案している。-124- 香川大学経済論叢 938 育万能論の色彩を強めながら展開していくことになる。