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近隣紛争をめぐる法意識について
−鈴鹿市隣人裁判事件を契機として鱒
宮 崎 幹 朗 は じ め に 1事件の経過 (1)事件の起きた場所 (2)事故当日の状況 (3)訴訟提起をめぐる状況 (4)判決の内容 (5)訴えの取り下げ (6)法務省見解の発表 2 事件に対する世間の反応 (1)原告が訴訟を起こしたことについて (2)お金で解決す−ることへの抵抗 (3)判決への批判 (4)判決のもたらす影響について (5)非難・いやがらせについて 3 「日本人の裁判嫌い」考 (1)日本人は裁判嫌いか (2)日本人の裁判回避の原因 (3)法意識研究への反省 4 事件に見る法意識と問題点 (1)人々の法意識 (2)紛争解決過程と裁判利用行動 (3)近隣関係における紛争解決 (4)裁判受容と裁判所への距離 (5)社会通念と「大岡裁き」 (6)マスコミの対応 (7)当事者の法意識 お わ り には じめに 「日本人は裁判嫌い」だと言われてい る。 この仮説命題をめぐってはそれぞ れに意見があるのは周知のとおりである。しかし,日本人の意識としてもめど とは私的な話し合いで解決して裁判をできる限り回避しようとす ̄る感覚ほ否定 できないのかもしれないと思う。 このような思いを一層強くさせる事件が起った。幼児のため池水死事故訴 訟,それに対する他聞の人々の過熱した反応,そして原告の訴え取り下げとい う異常な事態で結着がついた,三重県鈴鹿市のいわゆる「■隣人裁判事件」がそ れである。 昭和58年2月25日,津地方裁判所の上野精裁判官は,母親が買い物に出か け た留守中に近くのため池で幼児が水死した事故を・めぐって,幼児の両親が国, 三重県,鈴鹿市,土砂を掘削してため池を深くした建設業者,および子供を預 けた近所の夫婦を相手どって起こした損害賠償請求の訴えに対して,近所の夫 婦についてのみ3割の過失を認めて慰謝料など526万6千円の支払いを命じる 判決を言い渡した。各新聞はこの判決を「無償の善意に賠償責任」(夕刊四国 新聞58年2月25日),「親が留守中の幼児水死預かった側にも茸任」(朝日新聞 〔9版〕58年2月26日朝刊),「子供預かれば『三分の責任』」(毎日新聞〔11版〕 58年2月26日朝刊),「幼児のため池水死事故 好意で預かっても茸任」(読売 新聞〔12版〕58年2月26日朝刊),「無償の善意にも監督賞任」(サンケイ新聞 〔13版〕58年2月26日朝刊)というような見出しとともに,かなりのスペ−ス をさいて報道した。これをきっかけとして,この判決は異常なほどの反応を引 き起こすことになったのである。 津地裁のこの判決は民法上損害賠償法の問題自体としてもきわめて興味深い 問題を含んでいる。しかし,それだけでほなく,日本法社会学会で昨年,今年 とつづけて「法意識の研究」のシンポジウムがおこなわれたことにも見られる ように,紛争や法意識に関する研究がさかんとなっている状況の中で,この判 決をめぐる一・連の事件が日本人の法意識研究に鋭い問題をつきつけたことは疑 1) いがない。
21 近隣紛争をめぐる法意識について
1)利谷信義「随想・隣人訴訟の教訓」ジーコ・リスト793号(1983。6・15)11頁参乳
なお,この事件を特集したものとして−,ジ・コ・リスト793号掲載の「特集・隣人訴訟
と法の役割」がある。これには,座談会および意見集がのせられている0またNHK
教育テレビは昭和58年7月2日の番組(夜8時∼9時半)で「隣人訴訟・日本人と 法」と題したテレビシンポジウムを放送した。 1) 1 事件の経過 (1)事件の起きた場所 水死事故が起こったのは三重県鈴鹿市の新興住宅団地である0この地域には10万平方メ」−トルはどの大きさの農業用の濯級ため池(馴l池)があり,この
ため池のまわりに池を囲むように民間の開発会社が住宅を作っている0これを他の下団地といい,16,7戸の家からできており,昭和49年に完成し七いる
(図1)。原告となったⅩさん夫婦は49年7月にこの団地へ償って釆た。被告のYさん
夫婦はその3週間後に・引っ越して来た0当時はまだ4,5軒しか家がない頃で
両家のつき合いはそこから始まった050年には町内会の役員の関係から交際が始まり,その後Ⅹさんの長男AちゃんとYさんの三男Bちゃんが遊び友達にな
り,さらに同じ幼稚園に通うことになったことから交際が深まった。Aちゃん
(注)ジュリスト793号(1983年)13ペ・−ジによる。 図1事故現場賂図とBちゃんも一−・緒に遊ぶことが多くなった,と裁判所は認定している。また, 奥さん同士も2日に一度は連れ立って買い物に行くなどしており,Aちゃんと Bちゃんの誕生日が同じだったこともあって,いっそう親しさを増すことにな った,と指摘するものもある。 しかし,この両家のつき合いの程度については,公判廷においてⅩさんとY さんの間で争いがあった。「親密な関係であれば,子供を預かるだろう」と裁 判官が判断するという読みで,Ⅹさんの方は交互に贈り物をするほどの仲で 「ブレスレットをプレゼントした。ポインター犬もあげた。Yさんの子どもの Bちゃんが発熱した時,3日間,車で病院の送り迎えもしてあげた」し,家族 −・緒に.ぶどう狩りに行ったり,クリスマス・ノヾ一子ィ・−を−・緒にしたこともあ る,と列挙した。これに対して,Yさんはそれほど親しかったわけでなく, 「他の隣人と同じように普通のつき合い。物はもらったが,断っては悪いと思 ったからで,お返しもしている」と反論して−いた。 (2)事故当日の状況 Ⅹさんの長男Aちゃん(当時3才4カ月)が水死した事故の起きたのは52年 5月8日で,この日はYさんの家では大掃除をしていた。そこへ午後2時頃か らAちゃんが遊びに来て,Bちゃん(当時4才)と一・緒に自転車に乗って団地 内の道路や団地の中の池に画した空地(池との間に柵がある部分とない部分と がある)で遊んだりしていた。2人は2時半すぎに一度Yさんの家に戻って来 て,おやつを食べ,Yさんの家の玄関口や門前で遊んでいた。 そこへ.3時頃Ⅹさんの妻が買い物に行くからといってやって来て,Aちゃん を連れていこうとした。ところが,Aちゃんは行きたくないと言った。それで Yさんの夫が「いいではないですか」というような口添えをし,そこでⅩさん の妻もAちゃんをそのまま遊ばせておくことにして,Yさんの妻に「■使いに行 くからよろしく頼む」というふうに顆んだ。Yさんの妻も「子供達が2人で遊 んでいるから大丈夫でしょう」と言って,これを受けた。このあたりの経過に ついては両者の間で−・致していないが,判決は以上のように認定している。 それから,10分ないし15分ぐらいは,子供たちは前と同じように団地内の道
近隣紛争をめぐる法曹識について 23 路とか池に画した空地で自転車に乗って遊んでいた。これをYさんの妻は仕事 の合い間に見ていたが,たまたま大掃除で忙しかったので7,8分室内に入っ た。その間に2人は.柵のない空地から他の方へはいって行き,Aちゃんが泳ぐ と言って他に入っていった。Bちゃんの方は普段からそういうことをしてはい けないと言われていたものだから池に入らなかった。ところが,Aちゃんが他 にもぐったまま上がってこないので,BちゃんはAちゃんが泳ぐといって池に もぐり帰ってこないと家に知らせに行った。そこで,Yさん夫婦は子供を連れ て池にかけつけ,Aちゃんを探し,かけつけた近所の人も他の中に入り,水際 から5,6メ・−トル,水深3,4メーートルのところでAちゃんが沈んでいるの を見つけ,救急車で病院に運んだが助からなかった。これが事放のいきさつだ とされている。 事故現場の状況は,柵のない空地から他の間には平堵な部分があり,次には 斜めに階段程度の段差がついて,水際に至っている。事放当日は,水際から 5,6メートルがほぼ平坦な遠現状態で,それから大人のひざぐらいの水深部 分があり,ついで3,4メ・−・トルの深さになっていた。この深い部分は,その 前年の10月頃に,建設業者がため池の水利組合からの依頼で,農業用水確保の ためユ0トン革100台分の土砂を掘削したことによって生じたものであった。 2) (3)訴訟提起をめぐる状況 昭和52年12月2日,事故から7カ月後,Ⅹさん夫婦はYさん夫婦とため池の 所有者,管理者として鈴鹿市を相手取って損害賠償請求訴訟を提起した。 訴訟に至るまでの経過については,新聞報道によると次のようになる。Aち ゃんの通夜,告別式でYさん夫婦ほ連日Ⅹさん宅を弔問し,泣きながら頭を下 げ,謝まった。近所の人もこの姿を見ており,Ⅹさん夫婦もこの事実を認めて いる。その後のいきさつについては,ⅩさんとYさんの主張はくい違ってい る。 Ⅹさんの訴訟代理人となった中村亀雄弁護士によれば次のようになる。Ⅹさ んの妻は葬儀の後ショックで寝込んでいた。49日も過ぎて回復したあと,Aち ゃんが死んだ時の模様をYさんにもう一度確認に行ったが,Yさんほドアにか
ぎをかけて出て来なかった。そういうことが三回もつづけてあった。直後には 「申し訳ない」と謝っていたのに,逃げ始めた。さらに,Yさんは他人に「Ⅹ さんにしつこく覚められる。Ⅹさんはまだ若いのだから,また子供を作ればい いのに」と話すなど,責任のかけらもうかがえなか・つた。「それで,怒り心頭 にきたんです」ということになる。結局,Yさんに誠意がなく,開き直った感 じだった。それで,茸任の所在をはっきりさせるためにYさんを相手取って訴 訟を起こしたので,事前の交渉なしに訴訟に踏みきったのは「Yさんの態度が 硬く,話しにならないと判断したから」と説明している。 これに対して,Yさんの訴訟代理人であった浜口雄弁護士はこう反論する。 実際にⅩさんが訴えを提起するまで,ⅩさんからYさんに相談や交渉は一切な かった。事故の後には,Ⅹさんの夫は遇で会ったYさんの妻にあいさつするな どしてお互いにうまくやろうと配慮しているように見えたのに,Yさんは新聞 記者から知らされるまでⅩさんが訴訟を準備しているのを知らなかった,と言 う。 訴訟提起後,Ⅹさん夫婦は子供を事故で失った親で作っている「子どもを危 険な環境から守る会」に加わって活動しているうちに,次第に行政の責任を追 及しようという比重が重くなった。そこで,54年になって他の管理者として, 国,三重県を訴えた。また,同時に池の土砂を掘削して池を深くした建設業者 も訴えた。 訴え提起後,一度だけ裁判官による和解の打診があったと言われる。57年 秋,上野裁判官は浜口弁護士を呼んで和解に応じる意思がないかどうか尋ね た。これに対して,浜口弁護士は「こちらとしては抜き打ちに訴えられ,勝つ 見込みもあったので即座におことわりした」と述べている。原告のⅩさん夫婦 の方には和解についての打診はなかった。中村弁謹士は「あれば当然受けてい た。和解となれば請求額がゼロになることはないし,裁判を紘続することの労 力も節約できたのだから」と述べている。 なお,訴訟提起から1年4カ月後,Ⅹさん夫婦は鈴鹿市内で引っ越しをして いる。
近隣紛争をめぐる法意識について− 25 3) (4)判決の内容 裁判所ほ,国,三重県,鈴鹿市および建設発着に対する請求を棄却し,Yさ ん夫婦に対する請求については,Aちゃんの逸失利益の10分の3にあたる286 万余円とAちゃん自身の慰謝料100万円の相続分,Ⅹさん夫婦の固有の慰謝料 100万円,弁護士費用40万円,合計526万余円の支払い(Yさん夫婦がそれぞ れ263万余円の支払い)を命じた。 国と三重具については,ため池の設置管理者ではないとして,したがって公 の営造物の設置管理上の責任は問題にならない,と判断した。 本件のため池の所有権ほ鈴鹿市にあるとし,その管理権は同市野村町に農地 をもつ50余戸の農家で構成する訴外の水利組合と被告の鈴鹿市に重畳的に帰属 するとした。しかし,市には設置管理上の塀痴はないと判断して,請求を棄却 している。つまり,昭和49年に至って,:民間業者によって団地が造成されるな どして週辺に人家が並ぶようになったが,本件当時,水泳場や釣魚場として・−・ 般に開放されていたわけではなく,特に本件事故現場付近の状況は,造成民有 地から池へ直接転落するといった危険性はなく,水際付近も遠洩で,5,6メ ートル以上も進まないかぎり事故発生の危険性は.なかったとする。このような 場合に,親その他の監護者の保護をはなれた幼児らが本件のような行為で事故 発生に至ることを予見し,防護柵等の設備をすべき法的義務が当然にあるとは 認められない,としたのである。 また,掘削工事をした建設業者についても,掘削の目的・状況,事放現場付 近の状況からすれば,掘削に際して,満水後掘削現場跡付近まで進入して深み に入る幼児等のあることまで予見し,これを防止するためゆるやかなスロ−プ をつけるまでの注意義務があったとほ認められない,として請求を棄却した。 Yさん夫婦については,まず,準委任契約上の責任は否定された。Ⅹさんの 妻に対するYさん夫婦の応待は,時間的にも短時間であることが予測され,現 に子供らが−・緒に遊んでいることを配慮して,近隣者としてのよしみ,好意に よるものとしている。したがって,Ⅹさんの妻がAちゃんについての監護一切 を委ね,Yさん夫婦がこれをすべて引き受ける趣旨の契約関係を結ぶという効 果意思に基づくものであったとは認められない,と判断したわけである。
しかし,判決はYさん夫婦に対して不法行為責任による賠償義務を認めた。 Aちゃんが深みに入るおそれにつき予見可能性があった,と言うのである。Y さん夫婦は,AちゃんとBちゃんが空地で自転車遊びをしていること,その空 地と池との間に柵がなく,子供らが自由に往来できる状況にあったこと,掘削 で深い部分が生じていること,Aちゃんが活発な子で渇水期には他の中央部の 水辺まで親とともに行っていたこと,を知っていたと認められるとする。か つ,当日は汗ばむような気候であり,Aちゃんが空地から水際に至り水遊びに 興ずることがあるかもしれないこと,したがって深みに入りこむおそれがある こと,は予見可能であったと判断している。このことを前提として,幼児を監 督する親−・般の立場からしても,かかる事態の発生せぬよう両児が空地で遊ん でいることを認めた時点で水際付近↑子供らだけで立ち至らぬよう適宜の措置 をとるべき注意義務があったいう。そして,そのような措置をとらなかった以 上Aちゃんの水死につき,′民法709条(−・般的不法行為責任)と民法719条(共 同不法行為責任)との責任がある,とした。 ただし,Ⅹさんの側にも落ち度があったとする。Ⅹさんの妻は,Yさん夫婦 が大掃除をしていて多忙であり,同人らの応答は近隣者としての好意によるも ので,Aちゃんに対する監護は,Bちゃんと2人で遊んでいるのを仕事の合い 問に監守すること以上には期待できない事情にあることを知りながら,Yさん 夫婦の好意に期待してAちゃんを残していったとする。したがって,有償で監 護保育を委託する場合に比し,Yさん夫婦の義務違反の適法性は著しく低いと 言う。また,Ⅹさん夫婦のAちゃんに対する池への接し方についての平素から のしつけも至らぬところがあったとしている。しかし,こうした事情もYさん 夫婦の不法行為責任を否定するものとはならず,過失相殺の事由として考慮さ れるにとどまった。このようにして,Aちゃんの逸失利益については,Yさん 夫婦は3割の賠償責任を負うべきだとされたのである。 この判決に対して,特に隣人であるYさん夫婦に不法行為責任を認め,市や 建設巣者に対しては消極的な態度をとった点で,考慮すべきことが多いように 思われる。原告自身の目的が最終的に国や県,市という行政責任の追及であっ
4) たとするならば,本判決をめぐる問題点はこの点に集約されることになる。
近隣紛争をめぐる法意識について 27 (5)訴えの取り下げ この裁判はこのままでは終わらなかった。判決が新聞等によって報道される と,たちまちいやがらせの電話・手紙が原告であるⅩさん夫婦のもとへ殺到し たのである。電話は約500本,手紙も50通をこえたという。しかもほとんどが 匿名だった。 それに対して,被告のYさん夫婦へは,「判決は納得できない。頑張ってほ しい」などという激励の電話が約100本,手紙が40通届いた。これに意を強く して,Yさん夫婦は3月1日に名古屋高裁に控訴した。 その後,事態は思いもかけぬ展開を見せた。3月7日,原告であったⅩさん 夫婦は弁護士を通じて津地裁に訴え自体を取り下げる手続を取ったのである。 5) 訴えを取り下げた理由は次のとおりである。①判決は危険なため池を管理・所 有していた行政側(国,県,市)の責任を認めず,近所の夫婦に3割の過失を 認めただけなので,控訴するつもりだった。しかし,判決が報道されると,翌 日,電気工事の孫請けをしているⅩさんの夫が元請けから仕事を打ち切られ, 生活ができにくくなった。⑧判決直後から6日までに,全国から「バカヤロ ー」「鬼」などといやがらせ電話が5,600本,いやがらせのはがき・手紙が52 通もあり,これ以上耐えられない。⑨Ⅹさん夫婦の親類がやっている商売にま で悪影響が出ている。④Ⅹさん夫婦の長女(小学校5年生)が近所や学校で 「500万円はもらったのか,何に使ったのか」と言われる。この4つの点を特に あげている。Ⅹさんの夫はそれまでの仕事を失い,転業をやむなくされ,家族 全員が精神的に参ってしまい,これ以上裁判を続ける気をなくしてしまったわ けである。結局,Ⅹさん夫婦は世間の人々の非難の圧力に屈した形になった。 このことについて,原告側の中村弁護士は「心ない中傷や非難によってこん な結果となり非常に残念だ。私としては行政の責任を追及するために控訴する 6) よう再三,説得したのだが……‥」と感想を述べた。これに対して,被告Yさん 夫婦の訴訟代理人浜口弁護士は「取り下げに同意したら,原判決は判決例とし て残ってしまうので,私としては控訴審で争いたいと思っている。だが,被告 をこれ以上裁判に駆り出して迷惑をかけたくない気もある。よく話し合って同 7) 志するかどうか決めたい」と語っている。
ところが,原告Ⅹさん夫婦が訴えを取り下げたことが報道されると,今度は −・転して,被告であったYさん夫婦に非難・いやがらせの電話が入るようにな った。同意取り下げをすすめるいやがらせ同然の電話が何本かあり,また, 「人殺し」「Ⅹさん夫婦は子供を失っているし,これ以上,深追いするな.」など の電話がかかったという。 そのため,3月10日,ついにYさん夫婦も控訴審で争う考えを捨て,Ⅹさん 夫婦がおこなった訴え取り下げに同意する手続を取った。また,−・審で勝訴し た国,三重県,鈴鹿市に建設業者も同日訴え.取り下げに同意した。これで,原 告,被告の全部が訴えを取り下げた。一一・審判決は「記録」としては残るが,訴 訟はなかったことになった。社会的反響が原因で訴訟が「無」になるという裁 8) 判史上でもきわめて異例な結果を迎えることになってし■まったのである。 (6)法務省見解の発表 原告,被告双方がいやがらせ電話などのため訴訟を取り下げたという異常な 事態に対して,法務省は訴え取り下げの過程で憲法が基本的人権として保障し ている「裁判を受ける権利」(憲法32条)が侵害された疑いが強いとして,名 9) 古屋法務局および津地方法務局に調査を指示した。法務省は,電話や手紙の主 がそれぞれ個別には「裁判を受ける権利」を侵す意思はなかったとしても,結 果的に脅迫に近いものまで含まれるいやがらせや非難,中傷が当事者に訴訟を 断念させたとすれば,基本的人権侵害の疑いがあると判断して,事実関係の調 査を命じたという。 4月8日,調査の結果,法務省は異例の見解を発表する。すなわち,多数の 侮辱的ないし脅迫的な内容の投書や電話によって,当事者双方の裁判を受ける 権利が侵害されたと認め,「人権擁護の観点から極めて遺憾」で,「法務省とし ては,かねてより自らの権利を主張する場合にあっても,相手の立場を配慮 し,互いに相手の人権を尊重することが必要である旨強調してきたところであ るが,本件を契機として,国民ひとりひとりが,法治国家体制のもとでの裁判 を受ける権利の重要性を再確認し,このような遺憾な事態を招くことがないよ う慎重に行動されることを強く訴える」と国民全体に呼びかける内容のもので
近隣紛争をめぐる法意織について 29 10) ある。調査の結果,投書などのはとんどが匿名か仮名で,侵犯者を特定できな いし,当事者が事態の鎮静化を強く希望しているなどの理由から,人権侵犯事 件としては取り扱わず,「国民への呼びかけ」の形で見解を発表することにし たということであった。 このようにして,鈴鹿市の隣人裁判は大きな反響を呼び,訴え取り下げとい う異常な事態を招きながら,法務省の異例の見解をもって終結したわけであ る。 1)事件の経過についての説明・記述は主として次のものによっている。好美清光「隣人 訴訟判決の問題点」ジュリスト793号40貫以下,「座談会・隣人訴訟と法の役割(上)」 ジュリスト793号13∼14頁の森島昭夫氏の説明,サンケイ新聞〔13版:〕58年3月15日 ∼3月17日付「追跡隣人訴訟q上D∼q下D」(以下,引用の場合版は略す)。 2)この部分の記述は,前掲サンケイ新開による。 3)判決の要旨については,好美・前掲41∼42頁に全面的によっている。なお,判例タイ ムズ495号64頁以下参照。 4)好美・前掲42貢参照。その他,毎日新聞58年2月27日付「社説」は「訴えの趣旨とく い違った判決の当否が問題となろう」と述べている。 5)58年3月8日付の朝日新開〔9版〕,毎日新聞〔11版〕,読売新聞〔12版〕の各紙記事 をまとめるとこのようになる。以下,各新聞の引用の場合版は略す。 6)日本経済新聞〔7版〕58年3月8日(以下,引用の場合版は略す),および四国新開 58年3月8日付の記事参照。 7)前掲日本経済新聞58年3月8日付記事。 8)朝日新聞58年3月11日付記事から引用。 9)58年3月15日付各紙新聞記事。ただし,朝日新開および毎日新聞によれば14日までに 調査を指示したことになっているが,読売新聞によれば13日までに指示したことにな っている。 10)毎日新聞58年4月9日付記事参照。 2 事件に対する世間の反応 (1)原告が訴訟を起こしたことについて 特に,近隣関係をめぐるできどとであっただり=こ,多くの人々の関心を呼ん だといえそうである。原告の家庭へ相次いだ電話や手紙は「なぜ裁判を起こし たのか」「裁判をおこすなんて何だ」という種類のものがほとんどだといわれ
ており,明らかに裁判を起こしたこと自体に対する強い反発となってあらわれ たわけである。 同様の反応は新聞読者の投書の中にも見られる。毎日新聞には,「何よりも 問題なのはこうした判断を裁判所に持ち込む風潮」という同紙記者の言葉に賛 1) 回する37才の主婦の投書が見られるし,「やたらと裁判に持ち込むことが唯叫
2) の解決方法なのであろうか.」と疑問を投げかける69才の男性の投書もある。ま
た,「訴訟にまで持ち込んだ人の非常識さにただただ驚かざるを得ない」とい 3) う,86才男性の意見がサンケイ新聞にも見られる。これらの意見はいずれも近 隣関係においては裁判という紛争解決処理が適していないという指摘であると 考えられる。 毎日新聞は判決の翌々日の「’社説」において,「隣人関係に信顔関係がしっ かり存在している限り,訴訟に代わる話し合いで問題は解決するはずで,争訟 より話し合いを尊重する日本型社会。われわれには理解しやすい社会が過去の 4) ものになりかかっているとの感慨は深い」と嘆く。伝統的な日本社会では思い やりが優先し,法廷でことを争う「裁判ざた.」など受け入れなかったという認 識の下に,一・方でそのような社会が崩壊していくことを嘆き,他方で裁判提起 に疑問を投げかけるのである。同様の理解は,読売新聞の「社説」にも見られ る。「わが国の社会では,‥・…約束どともハラとハラで決まったり,義理人情 が先行したりする。それが,法廷での争いを嫌うことにもつながって来る。そ うした伝統的な風土の中に,近代の権利意識が導入された。そして,近年はと りわけその意識の高まりとともに,・−・部では,乱訴の傾向が出て来たともされ5) ている」と指摘する。前掲の毎日新聞の「社説」も,「欧米流の契約社会が在
来型の日本社会に混入してきて,権利主張が強くなってきたこともたしかであ る。しかも,なにかと裁判にもちこむ『乱訴の時代』で,近隣関係もぎくしゃ 6) くしがちである」と述べている。これらの記述では,単に近隣関係での裁判提 起に疑問を投げかけているだけでほなく,一・般的に裁判提起そのものへの疑問 も示唆しているものと思われる。 サンケイ新聞は「主張」において,「明らかな不法行為や契約違反があれば ともかく,日常の社会生活で起こりうる善意に基づく行為に対し,果たして法近隣紛争をめぐる法意識について 31 7) 廷で争わなければならない事情があったのだろうか」と述べている。同様の意 見は「重大なる故意過失があればともかく,法律でことを争うには疑問の余地 8) がある.」という,74才男性の投書にもあらわれている。ここでは,裁判そのも のを否定するわけではなく,通常の社会生活の範囲で起こりうることについて はよほどのことがない限りは裁判に頼らなくてもいい,という考えが読みとれ る。 以上のような考えに対して,「被害者である原告が,法律で認められた救済 策として隣人を被告とする損害賠償請求の訴えをおこすということのどこに非 9) 難される点があろうか」という,21才の学生の投書がある。同様に「被害者の 立場で考えれば,受けた損害を償ってほしいと求めるのは当然だし,また正当 10) な権利である」と主張する20才の学生の投書も見られる。これらでは,原告が 裁判を提起してもそれは「正当な訴え」であり,「隣人だから訴えるべきでは ない」ということでは原告への非難の合理的な説明にはならないというのであ る。また,41才男性の「今回のような人身事故の場合,公的な第三者の判断を 11) 求めるのは妥当なことだ」という投書もある。 その他に,「なぜ裁判をおこしたのか」ということから考えて,裁判になっ たのは「子供を預かった側にも預けた側にも言い分があり,何らかの話し合い がおこなわれたものと思われますが,和解できない点があったからではないで 12) しょうか」との40才男性,「賓任追及の最後の手段として,裁判が用いられた」 13) のだと指摘する23才の学生の投書が見られる。木村治美氏も裁判を提起した原 告の気持ちを考えて,「お金を取りたいと言うのではなく,責任の所在をはっ きりさせてもらいたい,済まないと思ってもらいたい,そんな心情があったの 14) ではないかと思うのです」と述べている。これらの意見では,原告の側の気持 ちも考えて,裁判をおこしたこと自体を非難・批判すべきではないというので ある。 以上のように,原告の訴え.の提起に対しては,反応が分かれている。しかし いやがらせの電話や手紙が多かったことからも分かるように,近隣関係におい ての裁判自体に相当の人々が違和感を持ったのだろうと思われる。原告の訴訟 提起そのものを否定しない人にあっても,まず話し合いを,という気持ちを持
つ人は多いと思う。したがって,その点では,「まず裁判よりも話し合いを」 ということが言える。その後,あくまでも話し合いで解決するはずだと考える 立場と,話し合いがダメなら裁判でも仕方がない(?)と考える立場とに分か れているのだと思う。 各新聞も強調するように,多くの人ほ原告と被告が「他人と助け合って生活 する」日本的な美風にそった交際をしていれば,話し合いで解決する方法があ 15) ったというのである。したがって,原告側の弁護士が「相手方の態度が硬く, 話にならないと判断したから」裁判を起こしたと説明し,被告側の弁護士が 「相談はいっさいなかった」と言い,最終的に「和解」を拒否したという場合 16) でも,サンケイ新聞によれば「どこかでボタンを掛け違う事態があった」ので あって,その「掛け違えたボタンを正そうとする‘大人の努力ガがどれほどあ 17) ったか」が問題だという。つまり,話し合いをすべきであった。少なくとも, その努力をすべきだった,と考えているわけである。 しかし,「話し合い」がどうしてもまとまらない場合ほどうするのか。裁判 .以外の紛争解決方法があると指摘するにしても,それはどういうものなのか。 これらの点について,残念ながら答えているものはない。「近隣紛争に端を発 する訴訟が増加しつつあり」,その訴訟の増加の傾向が「地域社会内部の紛争 18) 処理能力が失われつつある」ことを示しているのだと認識するものもいない。 まして,「近隣紛争を裁判にもちこむことになぜこうも抵抗が強いのか」を問 19) 題にしたり,それが日本人の「法ぎらい」や「裁判ぎらい」に結びつくとして 20) も,それらに対する考えを再検討してみようという指摘は.はとんど見られな い。 結局,原告が訴訟を提起したことについては,新聞の報道も含めて,感情的 な批判が圧倒的であり,かつそれが表面に出すぎてしまったという気がする。 (2)お金で解決することへの抵抗 裁判を提起したことへの非難は,裁判をおこしたことを「隣人に対して金を 要求した」ことととらえ.たため,一層強くなったといえそうである。原告のも とへ届いた手紙の文面によると,「金を出す方の身になってみろ」「賠償を要求
近隣紛争をめぐる法意識について 33 するとは」「■よくもまあお金など要求しますね」「隣人,友人の心を失ってでも お金が欲しいのですか」などだという。木村治美氏はその点を指摘して,「こ ういったことで訴えると,結果として出てくるのはお金で出てぐるわけです ね。それが日本人的な感受性にはいろいろカチンと.くるところがあるのではな いかと思うのです。 …・非難の手紙を……l読んでみましたら,三分のこはお金 21) を手に入れたということに対しての怒りなのですね」と述べている。 日本の民法■では,不法行為による損害賠償は金銭賠償が原則となって−いる (民法722条1項)ため,救済は裁判をおこしてお金を要求するという方法に よる以外ない。したがって,実際には,お金を取りたいのでほなく,「責任の 所在をはっきりさせて−もらいたい」「済まないと思ってもらいたい」という気 持ちで裁判をおこしたとしても,それは「金銭でいくら払え」という形の請求 22) であらわすしかないわけである。一腰の人々には,そのことに対する違和感が 強いといえる。 毎日新聞の長倉記者は,原告の裁判をおこした動機が国など行政の責任追及 であったのなら,隣人に対しては「一言謝ってほしい」とか「慰霊碑を建てて 23) ほしい」とかいう訴えの方がよかったのではないか,と強調する。この提言自 体は損害賠償法制度そのものがかかえる問題として重要な意味を持っている。 しかし,それは立法論ではありえても,現実の解決には全く意味を持たないと 言わざるをえない。 (3)判決への批判 被告に3割の過失を認めた判決に対して,多くの人は「嘗意から出た奉仕の 行為なのにきびしすぎる」という感想を持っている。それは,「隣人愛にみる 24) 法律の非情さ」というような意見となってあらわれている。また,「この判決 でただ正直だけでほ生きていけない気がしてきた。…‖恩をあだで返すような 25) 法律解釈や判決が出る限り,青少年は善悪の区別がわからなくなり‥…1・」とい うような投書に代表されるような嘆きとなってあらわれている。 これらの意見の根底には,社会通念を考えた判決が望ましかった,という強 い思いがあるといえる。毎日新聞の記者も「ただ単に法律論から判断を下すの
26) ではなく,やや社会常識を加味するべきだった」と述べている。サンケイ新聞 の「主張」も,裁判官の苦心を読みとったうえでなお「後味悪い善意の過失裁 27) 判」として,判決に疑問を投げかける。判決が−・般の人々の持つ常識とかけ離 れてしまっていると感じているからにほかならない。法が規律する世界と近隣 関係を規律する社会通念の世・界とが大きくくい違っているという意識を持つ人 々が多いわけである。この違和感が,判決そのもの,あるいは判決を出した裁 判官へ向かうのではなく,訴えを提起した原告の方へ−・挙 に向り■られたため, 今回の「不幸な」事件となってしまったといえよう。判決と社会通念とのくい 適いという意識がいかに強かったか,をはっきりと感じさせた。 28) これらの意見が,「大岡裁きはできなかったのか」という主張となってあら われるのもある程度うなづける。ただ,ここで「それでほ大岡裁きが具体的に どのようなものか」となると,むつかしい問題となる。この点に関して,森島 昭夫氏ほ「大岡裁きをするのでしたら,他の管理者から賠償金を取った方がよ 29) かったのではないかと思い■ます」と述べている。原告の責任,隣人の責任,そ して行政の責任,という工合に責任を分散するべきであったのではないかとい う指摘に思われる。また,大本佳平氏は「素人から見てどういう判決を求める かという観点からし1ますと,……大間裁きを求めるとすれば普通は和解でいこ 30) うということになると思います」と述べる。それに対して,大野正男氏は,7 対3の割合で原告にも隣人にも過失を認めたのだから,この判決がまさに大岡 31) 裁きではないか,と言う。 −・方,「裁判では, ‥・だれに損害を負担させるのが公平かを検討し,その 上で裁判官は過失を相殺して隣人の責任を認めたので」あって,「判決は公平 32) な検討をされたもの」という投書がある。また,尊意で預かった子が死亡しキ 33) という事故で,預かった人が賠償責任を負わされたという判決はほかにもある ことにふれ,判決が少なくとも「法の世界では非常識なものではない」と指摘 34) するものもある。これらでは,法的な判断が社会一・般の常識的判断とは別個の ものである可能性を認めているといえる。 ただ,いずれにしても,判決そのものに対して,違和感を持つ人が多かった であろうことば否定できない。
近隣紛争をめぐる法意識について 35 (4)判決のもたらす影響について 多くの人々はこの判決が地域社会に悪い影響を与えるのではないかと心配し ている。前田達明氏は「他人の子供にはいっさい手を出さないという現状が, ますますひどくなるだろう。……・自分のこと以外は逃げ腰になって,コミ.ユニ ティー(地域社会)の崩壊に拍車をかけ,悪影響を及ぼすことになるのではな 35) いか」と指摘している。「軽い行為も責任を問われるというのでは,法的には 裁判所の判断は当然だとはいえ,ますます社会をギクシャクさせるものではな 36) いか」という危惧も生まれる。隣近所のつき合いにもいざとなれば厳しい法的 責任が課せられるということになるとすると,誰も他人にはかかわらなくなる のでほないかという心配があらわれている。69才の男性は「近所の助け合い善 意による行為などは,極めてやりにくくなるばかりでなく,相互不信がつのる −・方で,ただでさえ自己本位の風潮が強い現代社会の中で,これを助長する方 37) 向へ行きはしないか」と述べて,判決のもたらす悪影響を危惧している。 また,特に,ボランティア活動や助け合い運動などへの藩影轡を心配する人 が多い。地域社会が崩壊し,核家族化が進行する中で,子育てに悩む母親たち の間で「預け合い運動」などがはじまっている時でもあり,「今回の判決はそ うした流れに逆行し,社会の活力を失わせ,潤いのない社会を助長すると,戌 38) 問ボランティア活動の関係者は心配する」わけである。実際に子供を預けた 預けられたりしている37才の主婦は「大変なショックです」と驚きを述べ 小さな親切運動に参加しているという67才の男性も「小さな親切運動など ’ ︶ O hソ39る 40) を根底から覆えすことにならないか」と判決を批判し,同様に,68才の男性は 41) 「小さな親切連動も不可能になる」と強調している。これらの意見は,現代の 社会における善意の活動・行為の必要を強調しながら,それに水をさすような 形で出された判決の影響を心配しているわけである。 これらの心配ほ,この判決の後,やはり同じ津地裁の「津市子供会ハイキン 42) グ裁判」の判決が出され,ボランティア活動に対して2割の過失責任を認めた ことによって一層強くなったといえる。その点で,ボランティア活動の萎縮が 心配されている。しかし,反面,この事件をきっか桝こ,保険制皮の充実や指 導者育成への取り組みなど前向きに事故対策が進められていることが指摘さ
れ,■また,全国の子供会の責任者などが「悪影響はない」「安全対策に目ざめ る契機になった」と前向きに受けとめていることに触れ,心強いという新聞も 43) ある。その点に関連して,矢郷恵子氏は,隣人裁判にしても,ボランティア裁 判にしても,「子供を預かるということ,小さい子供に対する大人の責任をも う・一度問いなおすことができてそれ自体はよかったと思います」と述べてい 44) る。また,ボランティアがきちんと活動して,きちんと子供を見てきた人たち にとっては,いずれの判決もそんなに困ったものという感じはない,とも付け 加えている。 ともかく,この判決が,子供を預けることの意味を考えさせるきっかけとな り,隣人関係のつき合い方に教訓を与えたことは否定できない。その結果,隣 家とのつき合い方は,あたたかいつき合い方で,決して何もかも無責任という のではなくて,「愛情に裏打ちされ,しかも節度のあるつき合い方をみんなで 45) さがさなければならない一」し,「ぶりっ子」的つき合いになっている現状を変 え,日常生活のあり方を変えて,人間性に裏付けされた協力的な近所づき合い 46) で「新しい地縁関係」を築くべきなのだということになる。米山俊直氏も地域 社会でのつき合い方が変動しつつあることを指摘したうえで,「新しい隣人同 47) 士のつき合いかたを作りだしてゆかねばならないのでは」と提言している。判 決を踏み台にして,逆に新しい隣人関係を築きあげていこうというのである。 (5)非難・いやがらせについて 原告の訴え提起や判決には劇り切れぬ思いは持ちながらも,非難や中傷は慎 まねばならない,とする投書は多い。51才の主婦は「日本人のお節介さには反 省すべきものがある。自分の意見は持ちたいものであるが,反対の考えもある ことも認め中傷にはしるなどという午とは慎まねばならない。心ない中傷は大 48) 変な圧力になり,世論も暴力とさえなることを考えたい」と述べる。また,「も し言いたいことがあれば,堂々と氏名を名乗って行うべきで,名前や身分を隠
49) しての野次馬根性はつつしむべき.」という40才男性の主張,「日本の民主主義
50) 51) の未熟さを見せつけられた」,「狂った風潮」という嘆きが投書にあらわれてい る。近隣紛争をめぐる法意識について 37 また,原告の訴え提起そのものも正当な権利として認めねばならないとした うえで,それぞれに不満があれば,堂々と支持する側の応援をすればよいので あって,原告や被告へ.のいやがらせは.「民主主義を脅かす行為」と怒る声もあ 52) る。 以上のような読者の意見に対して,読売新聞は「社説」で,「意見の相違は, どうあろうとも,見ず知らずの他人に,こうしたかたちで,くちばしを入れる のは,冷静な対応とは,およそかけ離れた行動だ。・1・…全国に広がった電話や 手紙による非難中傷の攻勢をふくめて,これは,現代の村八分ともいうべき仕 打ちではないか。一人一人は,−・種の正義感から出た行動というかも知れな い。しかし,自分と意見が違うからといって,このように,直接,攻撃的な行 53) 動に出てしまうことは慎みたいものだ」と述べている。朝日新聞も「訴訟に訴 えたことに疑問をもつ人びとも,原告夫婦に加えられた匿名のいやがらせを是 認はしまい。−‥・、・い自分を安全な位置におき,そこから相手の人格を攻撃する匿 54) 名のいやがらせは卑劣で,民主主義と柏いれない」と強調する。 −・方,毎日新聞は「電話で非難した人のなかにほ善意の人たちが多いにちが 55) いない」と指摘し,同様に,サンケイ新聞も「不串な事故を,法で解決しよう とした原告の社会感覚や法万能の最近の風潮に対する批判が噴出したとみるこ ともできる.」し,結局は「叫言言わねば気がすまない」という人たちが多かっ 56) たのだと指摘する。しかし,非難やいやがらせを認めるわけではなく,「批判 には常識的な節度が要求される。・い‥‥1てれを逸脱したら批判とはいえず,悪質 57)
ないやがらせである」ことまでは否定しない。
以上のような指摘に対して,毎日新聞の長倉記者は,原告のもとに寄せられ た投書を読んだ結果,その内容はそれはどひどいものではないと思えてきたと強調している。歯純に非難・中傷・いやがらせとして処理するのではなく,こ
れらの人々もみな「仲よく助け合う隣人関係を望む」善意の人たちばかりだと 58) 説明するのである。 なお,こうした手紙や電話による攻撃については,「極めて日本的な現象」 59) という指摘がある。また,「直接会いに行かなくても,−・方的に押しつけろこ とを可能にする電話社会の発達」が悲しい結末を導いたとして,電話をかける側を批判する者もいる。 1)毎日新聞58年3月1日付「読者の目」欄。 2)同上。 3)サンケイ新聞58年3月7日付「私の意見」欄。 4)毎日新聞58年2月27日付「社説」参照。 5)読売新聞58年3月9日付「社説」参照。 6)前掲毎日新開「社説」参照。 7)サンケイ新聞58年2月27日付「主張」参照。 8)朝日新聞58年3月2日付「声」の欄。 9)毎日新聞58年3月11日付「読者の目」欄。 10)朝日新開58年3月20日付「週間の声から」欄。 11)読売新聞58年3月11日付「気流」欄。 12)同上。 13)同上。 14)「座談会・隣人訴訟と法の役割(上)」ジ、コ.リスト793骨20頁参照。 15)たとえば,サンケイ新開58年3月9日付「主張」欄。 16)サンケイ新聞58年3月15日付「追跡隣人訴訟<上>」参照。なお,同様の表現は,サ ンケイ新聞・前掲3月9日付「主張」欄にも見られる。 17)前掲サンケイ新開「追跡隣人訴訟<上>」。 18)朝日新聞58年4月10日付「社説」参照。 19)たとえば,毎日新聞・前掲3月11日付「読者の目」欄に,51才の主婦は「やはり日本 では裁判に持ちこむ合理的な考え方に,抵抗があるのだろうか,考えさせられた問題 であった」という投書を寄せている。朝日新聞・前掲4月10日付「社説」参照。 20)朝日新開。前掲「社説」参照。 21)前掲座談会・ジニLリスト793号20頁参照。 22)たとえば,前掲座談会・ジコ.リスト793号21貢における森島氏の発言参照。 23)毎日新聞58年3月23日付「記者の目」欄参照。 24)サンケイ新関・前掲3月7日付「私の意見」欄の86才男性の意見。 25)朝日新聞・前掲3月20日付「週間の声から」の欄の67才男性の意見。同旨,朝日新聞 58年3月12日付「声」欄の62才男性の意見。 26)毎日新聞58年2月26日付解説記事参照。 27)サンケイ新聞・前掲2月27日付「主張」。 28)たとえば,米山俊直・朝日新聞58年3月12日付「文化」欄,毎日新開58年3月9日付 「社説」参照。 29)前掲座談会・ジュ リスト793号27貫参照。 30)同上。
近隣紛争をめぐる法意織について 39 31)大野正男「情緒社会の中の法律家」判例タイムズ490号(1983・5・.1)2頁参照。 32)朝日新聞・前掲3月20日付「週間の声から」の欄の20才学生の意見。 33)これらの判決は,神戸地裁昭和51年2月24日判決(判時831号75貢)および大阪地裁 昭和50年11月18日判決(判時823号81頁)である。これについては,好美清光「隣人 訴訟判決の問題点」ジュ.リスト793号42貫に詳しい。なお,同様に前掲座談会・ジュ リスト793号16貫における森島氏の説明参照。 34)朝日新開58年3月9日付「社説」参照。 35)朝日新聞58年2月26日付記事参照。 36)毎日新聞・前掲2月26日伺解説記事。 37)毎日新聞・前掲3月1日付「読者の目」欄。 38)毎日新聞・前掲2月27日付「社説」参照。 39)毎日新聞・前掲3月1日伺「読者の冒」欄。 40)朝日新聞・前掲3月20日付「週間の声から」欄。 41)毎日新聞・前掲3月1日付「読者の目」欄。 42)津地裁昭和58年4月21日判決。58年4月22日付各紙朝刊参照。なお,判例タイムズ 494骨156頁参照。 43)朝日新聞58年4月22日付「社説」,読売新開58年4月23日付「社説」参照。 44)前掲座談会・ジュ.リスト793号27巽参照。 45)毎日新聞・前掲3月9日何「社説」参照。 46)武田京子・四国新聞58年3月20日付「家庭」欄参照。 47)朝日新聞・前掲3月12日付「文化」欄参照。 48)毎日新聞・前掲3月11日付「■読者の目」欄。 49)読売新聞・前掲3月11日付「気流」欄。 50)同上。 51)朝日新聞・前掲3月12日付「声」欄。 52)朝日新聞・前掲3月20日付「週間の声から」欄の21才学生の意見。 53)読売新聞・前掲3月9日付「社説」参照。 54)朝日新開・前掲4月10日付「社説」参照。 55)毎日新開・前掲3月9日付「社説」参照。 56)サンケイ新聞・前掲3月9日付「主張」参照。 57)同上。 58)毎日新開・前掲3月23日付「記者の目」欄参照。 59)サンケイ新開58年3月8日付記事の′ト木美代子氏の感想。 60)同上3月8日付記事における′ト関三平氏の感想。
3 「日本人の裁判嫌い」考 (1)日本人は裁判嫌いか 川島武宜民はかつて「わが国では・一・般に,私人問の紛争を訴訟によって解決 1) することを,ためらい或いはきらうという傾向がある」ことを指摘した。この 2) ことを示す資料として次の諸点をあげる。①第一・次大戦後,裁判所における調 停手続が導入され,小作・借地・借家・労働等の争いについてこの調停制度が おおいに利用された。「争いを水に流す」ことをねらいとする調停が日本人に 愛好され,それに対して訴訟は忌避されたことを示している。⑧1927年(昭和 2年)におけるわが国の民事訴訟の件数の増加はわずかである。ところが,同 じく経済不況に悩んだアメリカ合衆国の統計(コネティカット州上級裁判所民 事事件数)では訴訟件数はいちじるしく増加している。このことも,日本の訴 訟回避の傾向を示す。⑨日本では,交通事放による損害賠償の請求の圧倒的な / 大部分が訴訟にならないで解決され,または解決されずに終わり,どく少数だ けが訴訟として裁判所にもちだされているにすぎない。④弁護士の数もわが国 では非常に少ない。 確かに,外国との比較でも,日本における戌事訴訟の数は低いことが指摘さ れている。日]中英夫氏は,日本(1970年)とイギリス(1969年),およびキャ リフォーエア,マサチューセッツ,ニュ」−ジャ−ジ−のアメ リカ合衆国各州 (1969∼70年)の第一・審民事事件数の比較をおこない,それぞれにおける数は 日本の14.02倍,14.54倍,20小48倍,11.12倍となっており,日本の調停まで 含めた件数の倍率でも,10.66倍,11.04倍,15.57倍,845倍という割合を 3) 示していることを明らかにした。これらのことから,日本においては裁判所の 利用率が低く,民衆にとって裁判所は遠い存在になっているという考えが支持 されることになった。 それに対して,J.0へイリ」−氏は「日本人が特別に訴訟嫌いなのではな 4) い」ことをいくつかのデー・タ・一によって実証しようとする。たとえば,サラッ 5) トとグロスマンの研究から,訴訟の数のみを問題にすれば,日本人は「いくつ かの社会に比べて全く訴訟好きであるし,かつ別の社会に比してほ,明らかに
近隣紛争をめぐる法意識について 表1 人口10万人あたりの民事事件 41 国
名 件 数(年度)
オ− スト ラリ ア 5,277 (1969)デ ンマ−
ク 4,844 (1969) ニ、ユ−ジ−・ランド 4,423 (1969) イ ギ リ ス 3,605 (1969) 西 ド イ ツ 2,085 (1969) 日 本 1,257 (1970) ス ウ ェ− デ ン 683 (1970) フ ィ ン ラ ン ド 493 (1970) ノ ル ウ ェ ー 307 (1970) 韓 国 172 (1963) (注)判例時報902骨(1979年)16ぺ−ジによる。 6) 訴訟嫌いである」ことになると言う(表1)。また,裁判を回避するという傾 向は日本特有のものではなく,ほとんどの社会では紛争の圧倒的多数は当事者 の話し合いなどで非公式に解決されると指摘するのである。 それでは,−・般の人々は,自分達が裁判嫌いだと思っているのだろうか。日 本文化会議は1971年,1976年の二度にわたって,日本人の法意識に関する調査 7) をおこなっている。これらのうち,裁判に関する意識について見てみる。「あ なたは自分の権利が侵害されたと感じたとき,裁判所に訴えることを考えます か」という質問に対して,「すぐ考える」は1971年調査では22.8%,1976年調 査では11,1%,「たまには考えることもある」240%,23.7%であり,それに 対して「−よほどのことがないかぎり考えない」499%,606%であり(表2), 圧倒的に訴訟をできるかぎり敬遠しようという人が多い。また,訴訟や調停に ついての意見で,「訴訟をする方がよいと思えばどんどん訴訟をすべきである」 という意見が1971年で86%,1976年で8.1%,「訴詭をするというのはあまり 好ましくないが,調停や裁判所での公的な話し合いぐらいならどんどんやって よい」という意見が397%,427%,「できるだけそういうことをしないで,表2 訴訟に対サーるイメ−・ジ 日本文化会議第2回調査 ()内は第1回調査 Q42 (D−4)あなたは,自分の権利が侵害されたと感じたとき,裁判所に訴える ことを考えますか。 1 す−ぐ考える11.1(228) 2 たまには考えることもある 237(240) 3 よほどのことがないかぎり考えない 606(499) 4 DK・NA 45(3.3) Q43 (D−15)訴訟について−,いろいろな意見がありますが,あなたは次のような 意見に賛成ですか,反対ですか。 「訴訟は,お金もかかるし,暇もかかり,たとえ訴訟に勝っても損をす−ること の方が多い」 1 そう思う 596(588) 2 そう思わない 216(271) 3 DK・NA187(142) Q44 (D−ユ7)訴訟や調停などについて,あなたは次のどの意見に近いですか。 1「訴訟」をするカがよいと思えば,どんどん訴訟をすべきである 8.1(86) 2 「訴訟」をするというのはあまり好ましくないが,「調停」や裁判所での 「公的な話し合い」ぐらいならどんどんやってよい 427(3白7) 3 できるだけそういうことをしないで,「私的な話し合い」で解決するよう 努力すべきである 413(466) 4 DK・NA 7,8(50) (注)日本文化会議編「現代日本人の法意識」(1982年)104ぺ′−ジによる。 私的な話し合いで解決するよう努力すべきである」とするのが46い6%,41‖3% となっており(表2),ここでも訴訟を回避しようという意識がかなり強いこ とが示されている。 8) また,大阪弁護士会が大阪府で1973年におこなった調査では,「争いどとが 生じた場合,あなたは裁判で解決しようと思いますか」という質問に対して, 「思う」386%,「思わない」26い5%,「わからない」31小6%という結果が出て いる(図2)。ここでは,訴訟による解決を肯定する人の割合の方が上回って おり,前述の日本文化会議の調査の結果とは異なっているようにも思われる。 しかし,「わからない」と答えた層がかなりあるため,判断がむつかしい。た
近隣紛争をめぐる法意識について 43 図2 争いごとを裁判で解決し ようと思うか 図3 争いごとを調停で解釈し ようと思うか (注)大阪弁諸士会編「法。裁判・弁護士」(ユ977年)95ページによる。 だし日本文化会議の調査では,「裁判に訴えることをすぐ考える」層と「たま には考えることもある」層を加えると,1971年で46。8%,1976年で34.8%にな り,大阪弁謹士会の調査での「思う」と答えた層とそれはど変わらないことに なる。 −・方,調停を利用するかどうかということについては,前述のように,「利 用する」というものが日本文化会議の調査では,1971年で39“7%,1976年で 42.7一%とかなりの割合になり,「私的な話し合いで解決する」という解答の割 合とほぼ同じになっている(表2)。大阪弁護士会の調査でも「調停を利用し ようと思う」者は椚9%に及んでおり(図3),裁判を選択しようとする者よ りも多いことが分かる。 結局,日本人の裁判利用率は想像するほど低いものではないとしても,紛争 解決にいきなり裁判を利用する国民ではないということばいえそうである。 (2)日本人の裁判回避の原因 それでは,日本人の裁判回避の原因は−・体何なのか。川島氏は日本で訴訟が 少ない理由を費用や時間がかかるということでは.なく,現代の裁判制度と日本 人の伝統的法意識とのずれに求めた。伝統的な日本人の法意識では,権利義務 が明確化され確定的なものとされることば好まれず,権利義務を明確にする裁
判制度による紛争解決は日本人の「人間関係やそれについての意識には通しな 9) い異質のものである」とする「法意識論」を展開した。 この考えによれば,法意識が裁判の増減に深い関連をもつことになる。つま り,日本の社会が近代化されればされるほど,人々はより強く権利を意識し, これを主張するようになり,「その手段として,より頻繁に,訴訟=裁判とい う制度を利用するようになる」はずである。しかし,それでは説明できない事 実があらわれた。たとえば,田宮裕氏は司法統計年報から民事訴訟事件の新受 件数を調べ,1920年から30年にかけて訴訟件数が増加し,以後減少していると 10) いう事実と,戦後の訴訟件数もそれほど多くないことを指摘する(表3)。 これに対して,佐々木吉男氏が大阪府と島根県でおこ.なった調査によると, 「紛争解決のために裁判所を利用しない理由」(複数回答)として,「費用倒れ になる」,「弁護士に頼むとお金が大変」,「かえってひまどる」という費用や時 間を原因とするものの割合が多くなっている(表4)。このことから,佐々木 氏は「−・般的に裁判所の利用が回避される主因は,国民自身が訴訟の黒白を決 する法的解決よりも互譲による円満なる解決を欲していることにあるのではな 11) く,現実の訴訟手続の欠陥にあるとみるべきである」と主張している。 また,六本佳平氏は住宅紛争や自動車事故紛争の現実の解決を通して,「公
12) 式法機構からの距艶」という因子を持ち出してくる。「今日の日本の都市社会
では全ての当事者は相互に等しい密度で法機構と関係しているのではな」く, 表31923∼35,1970∼79の民事事件新受件数年 新受件数 年‡新受件数 年 新受件数
1923 188,164 1931 261,760 1972 168,753 1924 208,774 i932 255,187 1973 150,662 1925 225,429 1933 228,224 1974 149,688 1926 237,244 1934 2 1927 248,999 1976 162,093 1928 248,406 1977 177,043 1929 242,7571978 181,555 1930 249,030 1971 179,256 1979 186,261
(注)田宮裕「現代の裁判」(1981)130ペーージによる。近隣紛争をめぐる法意識について 表4 裁判所を利用しない理由(1) 45 島根県蔑称蔀 地 域 大阪府都市部 (932名) (569名) 74名(79%) 33名(58%) い分に理由があるか 197(212) 191(336) るべきではない 161(173) 194(341) られる 47(50) 95(167) ら大変 100(107) 58(102) レヽ 38(41) 24(42) 倒 152(163) 44(77) 266(286) 108(190) 294(316) 159(280) 418(449) 230(405) が大変 397(426) 140(246) 52(56) 107(188) 計
2,196(2358) 1,383(2432)
理 由 ①裁判所は何かいや ④もめごとは双方のい ら法律で黒白をつけ ⑨あとで気まずい ④世間から白い目で見 ⑤勝てばよいが負けた ⑥裁判所は信用できな ⑦裁判所へ行くのは面 ⑧手続きがむずかしい ⑨かえってひまどる ⑲費用倒れになる ⑪弁護士に頼むとお金 ⑩その他 (注)佐々木書男「民事調停の研究」(1967年)121ぺ−ジによる。 表5 争いごとを裁判で解決しようと「思わない」理由。 19名(96%) 128(646) 107(540) 21(10。6) 52(263) 12(61) 14(71) 正しい結論をだしてくれない 費用がかかりすぜる 時間がかかりすぎる 勝てばよいが敗けると大変 裁判で黒白をつけることを好まない 世間体が悪い そ の 他 (注)大阪弁護士会編・前掲蕃81ぺ−ジによる。 「法機構の潜在的使用者たる人々の間に,法機構を用いる機会ないし能力に或 13) るいくつかの系統的な差異が存在する」と言うのである。さらに,裁判所手続 の利用が回避される場合には,大部分が裁判所外で法律上の権利が実現されて いる場合であり,そのすべてが権利意識の弱さを示しているものではない,と 川島説を批判している。 前述の大阪弁謹士会の調査では,裁判を回避する理由としては(複数回答) 「費用がかかりすぎる」弘6%,「時間がかかりすぎる」54.0%であり,費用や時間がかかるからという理由がもっとも目立っている(表5)。これに「勝 てばよいが負けると大変」10.6%を加え/た「現代的・打算的裁判回避グル1− プ」が多いことになる。その他に,「正しい緒論をだしてくれない」という「裁 判不信表明グルーープ」が9.6%あり,「裁判で黒白をつけることを好まない」 26…3%,「世間体が悪い」6け1%と「日本特有の伝統的意識のグル−・プ」もかな 14) りの割合を示している。しかし,費用や時間というコストを計算するグル」−プ の割合が圧倒的に多い。そのことば,日本文化会議の調査でも明らかである。 「訴訟はお金もかかるし,暇もかかり,たとえ訴訟に勝っても損をすることが 多い」と考える者が,1971年で588%,1976年で596%と多数を占めている (表2)。「裁判は金も時間もかかるからいやだ」という観念が人々の間にかな り強く根づいているといえる。 平井宜雄氏も,交通事放訴訟を例にとり,費用と時間が裁判回避の重要な要 15) 因になっていると指摘す−る。交通事故訴訟の積み重ねにより,損害賠償額の定 額化が進み,さらに保険の整備などもあり,賠償金を簡単に手に入れる方法が 整えられてきたため,被害者側の当事者の行動が予測できるという。当事者を 経済的合理人としてとらえ,費用便益分析により,選択行動を説明できるとい うのである。これによると,訴訟が選択されるのは,訴訟にかかるコスト(費 用と時間)を投下してもなお大きな便益を得られる場合ということになる。 (3)法意識研究へ.の反省 大木雅夫氏は,民事訴訟率の国際比較などをもってしても,諸民族の法意識 を測定することばできないであろうと疑問を出し,そのような「容易に把握し 難い『法意識』よりは権利保護の装置,すなわち裁判組織の整備状況の方がは 16) るかに重要な意味をもつことば,もはや疑う余地がないと思う」と述べる。同 様に,田中英夫氏と竹内昭夫氏も「日本人の法意識・権利感覚の低さというよ うな指摘を安易に繰り返す前に,果たして日本の法律制度が,近代的な経済感 覚を備えた人間にとって,利用してみたいと思うような魅力をもっているかど うか,利用して引き合うものになっているかどうかが,反省されなければなら 17) ないであろう」と述べている。わが国において,私的紛争が「裁判所からの逃
近隣紛争をめぐる法意俄について 47 避」という形で,「法外的・妥協的に処理される傾向が顕著だとすれば,日本 人の法律家の最も実践的な課題は,どのようにしてこれを法的な処理のルー・ト 1$) にのせてゆくかを再検討すること」であるというわけである。 棚瀬孝雄氏は,権利の自覚と裁判という手段の選択が常に表裏−・体・不可分 にあらわれるとは限らないため,権利追求と裁判利用との不可避的なずれがあ その点を問題にしなかったことが従来までの法意識論の欠点であると述べ 「近代法意識=裁判利用」という図式が過大視されていたのではないかと , ︶ ○ り19る 考えたわけである。そこで,裁判という制度の利用過程それ自体を分析する必 要があると指摘する。その場合に,主観的な要臥 裁判制度への評価的態度が 裁判利用の決定にあたってどう影響しているかを問題とするべきだと言う。 これらの指摘はすべて従来の「法意識論.」では,裁判利用の動態の分析・解 明に対して有効でありうるためには限界がある,と認識するところに求められ て−いるといえる。人々の裁判利用については,平井氏をはじめとする各氏の主 張するように「コスト」計算と,棚瀬氏の指摘する「裁判制度に対する各人の 評価」とを抜きにして語ることはできないように思われる。権利意識の低さが 日本人の裁判利用回避の要因であるという川島氏の「法意識論」は,へイリ・− 氏が言うように「神話」となってしまったのだろうか。 1)川島武宜町日本人の法意識』(岩波新富,1967年)127頁。 2)川島・前掲番127∼136真参照。 3)田中英夫『実定法学入門第三版』(東京大学出版会,1974年)260頁参照。なお,同 『英米の司法』(東京大学出版会,1973年)168貢参照。 4).T Oへイリ−。加藤新太郎訳「裁判嫌いの神話(上)(下)」判時902号(1978年)14 頁,同907号(1979年)13頁参照。
5)A.Sarat&J.Grossmon,CouTtS and Conflict Resolution:Problemsin the Modernization of Adjudication,American PoliticalScience Review,VOl.69
(1975),pp1200−17へイリ小・・・・・前掲判時902号16貢参照。なお,HW。Ehrmann, Comparative LegalCultures,1976,p.84 6)へイリ−・前掲判時902号16頁。 7)1971年の法意蔵調査についてをも その結果は,日本文化会議編『日本人の法意識』 (至誠堂,1973年)として刊行されている。また,この調査結果をもとにしておこな われた「共同討議」は,日本文化会議編『共同討議日本人にとって法とは何か』(研