1922年 4 月,北京郊外の清華大学において「世界基督教学生同盟」(World Student Christian Federation: WSCF)大会が開かれ,その大会を契機と して全国的規模の反キリスト教運動が起った。反キリスト教運動の期間中, 中国の文化人や知識人はキリスト教に対して猛烈な批判を展開した。そのよ うな厳しい社会情勢の下に,中国キリスト教知識人が立ち上り,反キリスト 教運動からの批判に対抗して,キリスト教本色化運動を提起したのである。 中国におけるキリスト教本色化運動に積極的に参加した教会の指導者や知識 人たちは,キリスト教が国家再建のために具体的に貢献できる可能性を模索 していた。つまり,「洋教」と呼ばれるキリスト教が,どのようにして中国 文化との関連を見出すことができるのかということである。結局本色化運動 の指導者たちは,福音と文化,中国伝統文化とキリスト教信仰を深く関連づ けることによって,キリスト教を本色化しようと試みたのである。さらに中 国教会を西洋教会から独立させ,中国キリスト者の利益は全民族の利益に服 従することが,中国キリスト教会にとって唯一の進む道であることを認識し た。 西洋から伝来したキリスト教は,西洋の伝統・文化・思想などを固守する ゆえ,中国の社会環境の中にあった中国の文化と思想という栄養を吸収せ ず,結果として,中国の文化と思想とに対立し,中国に根を下し,実を結ぶ ことができなかった。そのような状況を脱するために,1920年代のキリス ト教本色化運動を通して,中国のキリスト教知識人は様々なキリスト教本色 化の問題について議論を行い,解決方法を探った。この中国における本色化 の議論については,現代の中国の思想界においても大きく注目され,かなり
中国におけるキリスト教の
本色化(土着化)運動
―教会の自立・連合を中心に
徐 亦 猛
の研究成果が出されている 1。しかし,これまでの本色化についての研究で は,一部の中国教会や教会の指導者たちが,本色化の必要性や具体的な構想 についての理論的な考察や議論を,積極的な実践活動として展開したこと は,十分に解明されていない。中国におけるキリスト教の本色化の問題を考 察する際,単に歴史的背景や思想を検討するだけでは不十分であり,中国の 教会の本色化における実践的な動向(自立・連合)も注目すべきであり,そ のことにより,本色化の問題の全体像を見ることができる。 こうした研究状況に対して,本論文は,中国のキリスト教会による本色化 運動の実践的な方向,すなわち教会組織の自立の歴史や連合の試みを考察 し,本色化運動の実践的動向を新たに評価することを意図している。これに よって,中国におけるキリスト教本色化運動は単なる学問や理論的な運動の みならず,キリスト教会における実践的な運動でもあることが,明らかにな ると思われる。更に,このような実践論的な考察は,今までの先行研究で行 われていない新たな試みである。 一,19世紀末における自立教会の萌芽 19世紀末から20世紀の初頭までに,義和団の乱,新文化運動,反キリス ト教運動など一連の反キリスト教の衝撃には,中国のキリスト者に大きな衝 撃を与えた。その中の,一部の民族的な正義感があり,敬虔な信仰を持つキ リスト教指導者が,中国におけるキリスト教宣教のあり方を熟慮し,中国の 教会が帝国主義の影響から脱却する道を模索し,自立教会の実践を始めた。 自立教会とは,主として組織の面において西洋の宣教協会の支配と保護か ら離れ,経済面で宣教協会の財政援助を受けず,中国人聖職者が自主・自力 で教会を運営し,独立の教会を形成することを目指すことである。 西洋の色彩の濃いキリスト教が如何にして中国の民衆に認めさせ,それと 通じ合うものを感じさせて受容させるかが,一部の宣教師たちが宣教の過程 で解決したいと願っていた最大の問題であった。初期の宣教師と中国の信徒 1 張西平・卓新平編『本色之探―20世紀中国基督教文化学術論集』,中国広播電視出版社, 1999年。王成勉著『文社的盛衰』,宇宙光出版社,1993年など参照。
とがそのために少なからぬ試みを行っているが,例えば,モリソン(馬礼遜 R. Morrison)は梁発を選び出して養成し,ブーン(文恵廉 W. J. Boone) は黄光彩を援助し同行させ,中国人聖職者を育成してキリスト教を宣教させ た。後には梁発や黄光彩などの第二世代,更には第三世代に及んでまでも, 西洋の宣教協会の特別な訓練を受けることができた。しかし,このように訓 練を受けた人々はほんの少数で,しかも彼らは中国民衆の中では異端者とし て蔑視され,結果として反って矛盾が増加した。また,思想的開明な宣教師 は,教会の自立について深く考えていたのである。19世紀の中頃,福州で宣 教活動を行っていた宣教師ボールドウィン(保靈 S.L.Baldwin)は,「中国 の教会は自立すべき」というスローガンを主張し始めた。彼の主張が宣教師 たちの支持を得て,福州地区の宣教会議において,現地の中国教会が経済的 自立の方針を決議した 2。1862年には,廈門で宣教していたアメリカ長老会 の宣教師タルマージ(塔瑪吉 Talmadge)が同地域において同じ教派の各宣 教協会が連合し,自立の教会を設立するよう提案している。しかし,中国教 会の経済自立は幾重にもの困難に直面していて,教会に属している多くの信 徒は貧困且つ社会の下層階級であった為,教会の経済を維持する力は全く なったのである。このような経済的基盤の弱い中国の教会が西洋の宣教協会 から経済的に自立することは,まさに机上の空論であった。更に現実には, 宣教師たちは各自が属する宣教協会から献金を調達し,中国の教会に経済的 な支援をすることによって,実質的に教会の行政を支配していたのである 3。 真の民族主義と愛国主義の思想で自主・自立の教会を建てるのは,やはり 中国のキリスト者の自力に頼らなければならない。19世紀の半ばから,既に, 中国のキリスト者が懸命に経済的に自立する教会を運営していた事例が窺える。 例えば,広州に陳夢南という知識人がおり,キリスト教に接触してから自 分独りで聖書を研究し,キリスト教の教えを敬慕していたが,宣教師に洗礼 を授けてもうら決心ができなかった。陳夢南は,中国の堂々たる儒生の身で ある自分が,西洋の宣教師に洗礼を受けることについて決断できなかった。 2 S.L.Baldwin, Self-support of the Native Church, Records of the General Conference of the
Protestant Missionaries of China, Shanghai; Presbyterian Mission Press, 1877, pp.283-284
その後,彼は肇慶である中国人伝道者と出会って,その方に洗礼を受けた。 受洗後,陳夢南は,キリスト教が天道であるから,中国の信徒は当然自分の 教会を建設し,自力で宣教活動を行うはずのものだと認識し,1872年に, 何人かの広州のキリスト者と海外の広東籍居留民の助けにより場所を借り て,教会を設立した。翌年には彼は「粤東広肇華人宣道会」を創立し,それ までの教会を華人宣道教会と名づけた。この「粤東広肇華人宣道会」は,中 国人自身が自立して運営したもので,後には40余りの教会設立へと発展し ている 4。 ほぼこれと同時に,上海のバプテスト教会の信徒黄益山が,米屋を開業 し,日曜日には店を閉めて従業員を隣の教会に説教を聞きに行かせるという ことがあった。後に米屋の経営は成功し,暮らしも豊かになり,老西門の土 地を買い入れ,福音堂を設立し,伝道者を招聘し,宣教の経費は全て彼が提 供していた。これが恐らく上海における最初の外国の宣教協会の経済的支援 を受けなかった教会であろう 5。 そのような経済的自立を実現した教会は19世紀末まで100軒くらいあった が,厳密に言えば,その中の大多数の教会は完全な自立教会ではなく,単な る経済上の自立であった。その原因は中国人信徒の神学的基礎が弱く,自力 の伝道を実現することの難しさ故に,教会はかなりの部分において宣教師や 外国の宣教協会に頼らざるを得なかった。現実の問題として外国の宣教協会 の支配・保護から離れ,中国人の自立教会を作ることができるようになった のは20世紀初頭以後であり,20世紀に入ってからは,中華民族による反帝国 主義運動が日増しに高まっていく情勢が自立教会の発展を促進したのである。 二,20世紀初期における中国人教会 6 の自立の動き 20世紀の初めに,義和団の乱の失敗や西洋列強との数々の不平等条約の 4 段琦「従中国基督教歴史看教会的本色化」『世界宗教研究』,第 1 号,中国社会科学院, 1998年,139。 5 姚明權,羅偉虹著『中国基督教簡史』,宗教文化出版社,2000年,171頁。 6 中国人教会とは,西洋教会や宣教師からの経済援助を頼らず,中国人聖職者の自力によっ て建てられた教会と指す。
締結でもって,中国は尽大な屈辱を蒙った。帝国主義列強の侵略行為は,中 国人を激怒させ,このような状況に直面して,一部の愛国的なキリスト教指 導者は,西洋列強に対して強い不満を覚えている。このことは,20世紀初頭 における同一教派の教会自立運動のために思想的な基礎の形成を促すもので あった。日本の学者山本澄子の分析によると,この教会の自立運動の動きに は二つの種類があり,一つは,個々の教会が独立し,従来の欧米宣教協会と は無関係に各々独自の構想をもって宣教するタイプであり,もう一つは, 個々の中国人教会を大きな一つの合同教会と考えて,その自立をはかるタイ プである。前者を個別型,後者を合同型と呼ぶ 7。 個別型をあげると,先ず上海の兪国楨の指導によって成立した「耶穌教自 立会」は模範的な存在であった。中国人の伝道者として兪国楨は,1894年 に上海虹口区長老教会の牧師として務めたが,その後,閘北区長老教会(閘 北長老会堂)へ転任した。その際,宣教師が閘北長老会堂の経済と指導権を 全て握り,赴任したばかりの兪国楨が提示した色々な建設的な意見は全く無 視され,このことは兪国楨の民族自尊心に大きな傷を与えた。更に彼は,不 平等条約によって保護された教会が直面した社会的な危機を痛感し,中国の 教会における将来の発展のため,教会が西洋の宣教協会や宣教師の支配・保 護から離れて経済的に自立し,自主的に教会の活動を展開するという考えが 芽生えたのである。兪国楨の考えは,閘北長老会堂の中の社会的地位高い中 国人信徒たちの支持を直ちに得た。彼の説得によって,教会の信徒は熱心に 教会の財政を支持したので,1906年に兪国楨は以前にその教会を支配した 宣教協会と宣教師に向けて,経済的自立と宣教協会から離れることを宣言 し,教会名を閘北自立長老会堂と改名し,「上海耶穌教自立会」が正式に発 足した。「上海耶穌教自立会」が発足後,清朝政府からの正式な承認も得た ので,当時の社会的な情勢のもと,清朝地方政府の一部の官員がこのような 自立教会を支持することによって,自らの愛国心を表明したと考えられる。 更に,閘北長老会堂の長老執事の中,挙人,医者など多数の所属や,中国最 初の民営の商務印書館の職員である一部の信徒が,ある程度の経済力があっ たので,当該教会の経済的自立への強力な基礎を据えたのである。その後, 7 山本澄子『中国キリスト教史研究』,山川出版社,2006年,36頁。
兪国楨は,江蘇省,浙江省の沿岸部に彼の影響によるいくつかの小さい自立 教会を連合し,1910年には闸北堂で「中国耶穌教自立総会」(China Jesus Independent Church)を設立するに至った。翌年には『聖報』という雑誌 も発行されている。辛亥革命以後,自立会は更に発展し,海外の華僑信徒た ちも自立会へ入会し,かなり経済的にも貢献した。1915年 7 月には上海で 第一次代表大会を開催し,130名の信徒が大会に出席した。大会中,自立会 の規定を定め,「中国耶穌教自立会全国総会」と新たに改名し,兪国楨は初 代の総会長に選出されている。更に1919年には,上海江湾で自立会全国総 本部―永志堂が設立され,全国総会に属する自立教会は350軒,信徒も 2 万 人以上にのぼり,西洋の宣教協会と同じ規模にまで発展した 8。兪国楨が自 立会を設立した趣旨は,「以期消弭教案,保全教会名誉」(キリスト教の教会 と中国人との衝突によって引き起こされた事件をなくし,教会の名誉を保 つ)である。当時中国の民衆から見れば,宣教師が支配した教会が西洋列強 の侵略の手先であると見なされ,民衆と宣教師の間にしばしば衝突が起こっ た。しかし,このような教会の経済的自立によって,教会が西洋の宣教協会 と宣教師のコントロールから解放され,民衆の猜疑も解消し,キリスト教の 宣教が半分の労力で倍の成果を挙げている。自立会に属した各教会は,内外 の中国人信徒から資金を集め,教会堂を建設し,教会の経済を軌道に乗せ, 完全な自立を宣言したのである。 次に,中国人教会の合同型の動向については,先ず山東基督教自立会があ げられる。辛亥革命以後,登州文会館の卒業生である山東青島長老教会の長 老劉寿山が中心となり,山東済南に自立教会を設立することを計画した。彼 の計画は,当時の山東省政府官員と信徒の支持を得て,1911年に政府の土 地使用許可のもと,彼と支持者の出資によって,1500人収容できる自立教 会と周囲に400軒の宿舎を建てることであった。宿舎の賃貸料が教会の経常 経費,教会附属学校,老人ホーム及び伝道者の生活費として使われた。この ような済南自立教会の努力によって,教会における経済の自立の願望が達成 し 9,山東全省の各地方の教会に大きな励ましを与えた。その後,1916年に 8 韓鏡湖「中国耶穌教自立会全国聨合大会記実」『中華基督教年鑑』,第 6 号,1921年, 57頁。 9 二忘「中国教会早期的自立運動」『天風』,第13号,1957年,18頁。
劉寿山所属の山東青島長老会の信徒たちも教会の自立を考え,慎重に討論し た結果,外国の宣教協会から離れ,中国人牧師を招聘し,自立的な「山東中 華基督教会」という名称の組織変更を行った。更に 2 年後,同じ劉寿山の指 導のもと,山東煙台に「煙台中華基督教会」を組織し,済南,青島,煙台は 山東省の自立教会の中心となった。その後,山東各地において,相次ぎ自立 教会が組織され,1924年には山東省と山西省に及んで「華北中華基督教会」 という完全に中国人が運営する諸教派合同の教会が成立したのである10。 中国人教会における経済的自立の実践は,二つの影響を受けている。一つ は,国際的状況の影響であり,第一次世界大戦となって,宣教事業のための 西洋の教会による送金が不安定となり,減少する傾向もあった。もう一つ は,国内的状況の影響であり,西洋の教会によるコントロールから離れたい ため,西洋の教会と区別する必要があった。この二つの影響によって,中国 のキリスト者の間に教会の経済的自立を要望する声が強くなっている。 三,20世紀における中国の教会11の大連合 20世紀初期において,完全に経済自立した教会はわずか一部しかなかっ た。多くの教会の経済は西洋の母教会や宣教師の援助に頼り,教会の主導権 を持っていなかった。その意味で,中国の教会における組織・経済の本色化 の実践において,最も重要なのは中国の教会各教派の連合である。本色化し た中国の教会は自身の弱い立場を克服するために,西洋の宣教協会が中国に 伝えた教派的な背景の相違を破棄し,教派間の連合・合同と協力を目指し た。そして医療・宗教教育などキリスト教宣教事業を通して,各教派は外国 教派を背景とした相互の壁を壊し,教会の「洋教」という色彩を取り除いた のである。歴史的な原因から,1858年に中国と西洋列強との間で不平等宣 教協議が結ばれて以降,中国へ伝来した西洋の宣教協会は130以上あり,各 宣教協会は中国国内で独自の宣教機構や教会を設立し,教会の内部における 10 王治心『中国基督教史綱』,上海古籍出版社,2004年,214頁。 11 中国の教会とは,西洋宣教師によって建てられた教会であるが,その後教会の主導権を宣 教師から中国人キリスト者に移行した教会と指す。
教派間の対立や攻撃が非常に大きな問題となった。中華基督教協進会の指導 者たちは,「中国へ伝来した各宣教協会の名称は異なるだけではなく,考え 方も様々であったため,信仰の浅い信徒たちはそれを区別することができ ず,自分は英国の教会に属している,アメリカの教会に属していると口々に 自称する傾向があった」12,「同じ場所で様々な教派が宣教事業を行ったの で,教派間の対立や摩擦がしばしば起った」13と述べた。更に,西洋から伝 来した各教派の神学間での争いによって,「中国の教会は絶えず新旧の争い に困惑され,双方の衝突や対立は深刻化し,政治,国際,種族などの問題に ついての意見の相違が明らかになったことから,教会は大きな危機に直面す ることになった」14と認識した。中国における各教派の連合・合同は本色教 会の建設にとって,窮地に陥った。中華基督教協進会総幹事誠静怡は「現在 の基督教会は有限の勢力で目の前の無限の時機に対応するためには,最も緊 密な協力関係を持つが必要である」15とコメントした。 中華民国を成立以後,中国の教会の連合・合同は下準備と実施の段階に 入った。米国長老教会の宣教師ローベンシュティン (羅炳生 Edwin C. Lobenstine)はこのことについて,「教会連合・合同運動の展開において, 第一に必要なのは,教会自身の発展である。第二には,各教派の教義の内容 に共通する点があることを宣教師たちが自覚することである。各教派間は互 いに対立し,独自宣教するのではなく,連合・合同し,協力し合うべきであ る。そうすれば,大きな宣教結果が得られる」16と述べた。 宣教師たちと中国人教会の指導者は各教派の合同団結によって,緊迫した 社会情勢に対応できると考えたのである。教派の連合・合同について,教会 内部において繰り返し,熱心に討論した後,実行可能な四つの方式がまとめ られた。先ず同じ教派のもとにある各教会を統一することである。例えば, バプテスト系の各教会を「中華浸礼会」,ルーテル系の各教会を「中華信義 12 誠静怡「本色教会之商権」『文社月刊』,第 1 巻第 1 号,1925年, 5 頁。 13 余日章「将来西教会対于中国の教会合作之性質与分量」『文社月刊』,第 2 巻第 7 号,1927年, 88頁。 14 同上,88頁。 15 誠静怡「中国基督教的性質和状態」『文社月刊』,第 2 巻第 7 号,1927年,60頁。 16 羅炳生「中国教会聯合事業之進步」『中華基督教會年鑒』,第 4 号,1917年,199頁。
会」と統一する。このような合同・連合は内部的な整合であり,教義,組 織,人員の配置,経済の調達など最小限度の調整によって可能となる。教会 内部の人々は比較的このような調整を受け入れ易く,これは最も障害の少な い近道であり,将来の広い範囲における各教派連合・合同の最初の一歩とし て認識された。第二に,同じ地域の各教会の連合・合同によって教派を超え る大きな連合体を設立することである。これらの地域の教会指導者は,教派 を越え,相互に協力し合うことで,現地の重大な社会問題を解決したり,社 会福祉事業の展開や臨時の突発的な事件に対応する上で大きな助けになるな どの価値を認めた。後に述べる廣東基督教会は長老派や公理会など八つの教 派が連合した教会組織の例である。第三に,教会の一部の指導者は,教会の 統一を強制的に求めずに,一定程度の超教派の連合体を設立し,公の問題に おける行動一致を図った。例えば,中華基督教協進会及び各省の基督教協進 会の存在である。このような形式的な連合・合同により,諸教会はあらゆる 重大問題を解決するために比較的まとまった組織として対応でき,未来にお いて各教会が連合するための現実的に実行可能な土台を提供した。第四に, 教会の一部の組織(例えば中華基督教教育会,衛生会,日曜学校会など) は,教育,医療などの社会公共事業を通してよりよくキリスト教社会事業を 展開し,それにより場所や地域を越えて協力することを強調した。このよう な協力によって,様々な社会問題に直面しても,スムーズに問題が解決でき るようになり,教会における社会事業の発展や社会的な影響を拡大すること も可能になった17。 以上の方式に基づいた,この時期のキリスト教各教派の連合の模範的な事 例として挙げられるのが,廣東基督教会である。1924年11月24日,廣東地 区の教会連合を促進する組織である「跨差会委員会」(Inter-missions Committee)は,国内事務委員会(Board of Home Missions)を設立し, 各宣教協会からの宣教とミッション・スクールへの献金を統括的に管理し, 西洋の宣教師と中国人教会指導者が同じ組織の下に協力し合い,宣教活動を 行うことを提案した。その提案を受け,1925年末に長老会,公理会など八つ 17 誠静怡,「本色教会之商権」,6 頁。霍德进「中国教会的聨合問題」『文社月刊』,第 2 巻 第 9 号,1927年,17-21頁。
の教派が連合して,中華基督教会廣東支部の設立を計画した18。それまで各 宣教協会が管理していた宣教師の活動資金は,全部連合の中国の教会の管理 のもとに置かれ,宣教師の働き場所は全て廣東支部が直接決めた。廣東地区 にいる全ての宣教師は中国の教会のメンバーとなり,新しく派遣された宣教師 については,廣東支部が直接に国内事務委員会と協議したうえで任命した。 宣教活動を展開するために西洋の宣教協会に属する財産は全て中国の教会へ 引き渡し,廣東支部が全て海外の教会からの献金を管理し,直接海外の教会 へ連絡を取り,定期的に教会の年度活動報告及び財務報告を海外の教会へ提 供すると同時に,宣教,教育,医療の分野について,独自の理事会を設立 し,全ての高等教育,医療活動を管理した。以上の計画における細かい部分 の制定について,各教派の教会による改訂と承認が必要であったが,この計 画は全体的な原則として各教会と宣教協会に受け入れられた。こうして各教 派の宣教協会は独立性を失い,全て中国の教会に吸収されることとなった19。 1926年 6 月に開かれた第八回年会において,大多数の宣教協会が教会の管 理運営を中国人に手渡すことに同意した20。 そのほか,1925年 8 月,汕頭地区の一つ5000名の浸信会団体は宣教師の 助けによって,独立中国の教会(汕頭浸信会協会 Baptist Convention of the Swatow District)を成立した。汕頭浸信会協会の任命委員会が全ての 宣教,医療,教会などの働きを管理し,宣教協会に属する財産を汕頭浸信会 協会に移行することを宣教師たちと交渉し,宣教師たちの賛同を受けた。そ して近い将来特別機構を作り,宣教協会に属する財産を処理し,合法的な方 法で中国の教会へ移行することを決めた21。 地方の本色化実践の影響を受けながら,全国的な組織の実践的な動向も現 18 Eugene E. Barnett, Cooperative Christian Activities in China in 1925, in Rev. Frank
Rowlinson(ed), China Christian Year Book, 1926, pp.95-96.
19 George H. Mcneur, Chinese Christian Autonomy, in Rev. Frank Rowlinson(ed), The
Chinese Recorder, 1926, pp.17-18.
20 Annual Meeting of the Kwang Tung divisional Council of the Church of Christ in China,
in Rev. Frank Rowlinson(ed), The Chinese Recorder, 1926, p.461.
21 T.C.Bau, Changes in the Chinese Church, in Rev. Frank Rowlinson(ed), China Christian
れた。最も代表的な実践は中華基督教会の成立である。中華基督教会は20 世紀前半において,中国国内の最大超教派の連合・合同教会である。中華基 督教会の成立の流れは以下の通りである。義和団の乱以後,長老教会は八つ の教会を合同して「中華基督教長老会」を設立した。中華基督教長老会は単 に諸教会の合同を目的としたのみならず,宣教協会から独立した「中国の教 会」を作ることも意図されていた,と考えられる22。1901年から数回の会議 を経て教会の連合・合同について討論した。1918年 4 月17日に南京で開か れた中国基督教長老会の総会にロンドン会と公理会とが参加し,「中華基督 教合同教会」を作る計画が立てられ,1922年 4 月に上海でこの三つ教派の 代表を中心として「中華基督教会臨時総会」を設立した。そしてついに, 1927年10月,上海で最初の総会が開かれて,全国組織の「中華基督教会」 が正式に発足した。全国総会に参加した88名の代表のうち66名が中国人の 指導者で,彼らは12の教区と51の分区とを代表していた。中国全土で14の 教派が中華基督教会に加盟し,数百の教会堂が含まれ,会員の数は12万を 超え,全国キリスト者人口の約三分の一を占めた。会議では全会一致して誠 静怡を初代会長に選び,参加したあらゆるメンバーが明確に旧教派の思想を 放棄し,「教派を超え,一つにする」という原則に基づいて,本色教会運動 を推進し,中国の教会の総体的な合一を目指した。中華基督教会は,中国人 信徒が正統な信仰に根ざして,自分から主体的に動いて結成した中国国内の 最大の超教派の連合・合同教会であった。教派的伝統を奨励せず,国の境界 によって分かたれず,ただ中国の社会情勢に適合することと,中国社会の需 要に対応することが求められた23。このような教派間の連合・合同によっ て,教会の組織が強くなり,中国の教会の統一と団結を促進し,反キリスト 教運動からの衝撃への対応や教会における本色化の建設へ組織的な準備を提 供した。 22 山本,前掲書,60頁。 23 姚明權,羅偉虹,前掲書,187-188頁。
結論 1920年代に中国の教会は,国内の情勢不安と国外からの侵略という不穏 な時代の下に,キリスト教が中国の文化社会系統の中に根を下ろして,開花 し,実を結び,それによって緊迫した情勢から脱出するために,キリスト教 の本色化に迫られた。キリスト教本色化の枠組みのもと,西洋から伝来した 各キリスト教派が中国で独自の活動を展開し,しばしば教派間に対立の事件 が発生し,全体の宣教活動に悪い影響を及ぼした。こうした状況を打開する ため,各教派の連合・合同によって教会を組織的に強くし,中国教会の一致 と連帯を促進することが求められた。この取り組みは,反キリスト教運動か らの衝撃に対応し,本色教会の建設へと組織的に準備するものとなった。し かし,中国の教会の経済と組織が変革されなければ,民衆は永遠にキリスト 教を「洋教」と呼び,キリスト教は中国社会の中に浸透できないだろう。中 国社会と緊密な関係を持ち,中国文化の神髄とキリスト教とを融合すること によってはじめて,キリスト教は中国と西洋の精華になることができる。教 会組織の自立や連合などを通して,中国キリスト教は,中国人にとって身近 なものとなり,入信しやすくなる。これは,中国キリスト教の特色となり, 世界のキリスト教会にとっても模範的なものになる24。このように,教会の 経済的自立,組織的自治と自力的宣教という三つの実践的な方向が互いに緊 密に関係づけられることによって,教会という具体的な場における実践を推 進し,キリスト教が中国の社会の中に根を下ろし,中国文化の精華を吸収す ることを可能とする。勿論,これは相当困難な作業であり,絶えず模索し, 実践し続けることが必要であり,中国におけるキリスト教の本色化は長い道 を辿らねればならないであろう。 24 洪煨蓮「西方基督教徒対於中国的貢献」『文社月刊』,第 2 巻第 7 号,1927年,78頁。