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渋沢の『論語講義』訂正箇所からみた思想傾向 利用統計を見る

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渋沢の『論語講義』訂正箇所からみた思想傾向

著者

坂本 頼之

雑誌名

国際哲学研究

9

ページ

205-206

発行年

2020-03

URL

http://doi.org/10.34428/00011571

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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国際哲学研究 9 号 2020 205

渋沢の『論語講義』訂正箇所からみた思想傾向

坂本 頼之

明治期の実業家 ・渋沢栄一 (1840-1931)が 『論語』を愛読し、『論語と算盤』『論語講義』『実験論語処世 談』といった 『論語』に関する言説を数多く残したことはよく知られている。なかでも 『論語と算盤』に代 表される、道徳と経済の両立、所謂 「義利合一論」を説いたことは、明治期日本の新興の経済社会にとって 重要であったことは先行研究の指摘するところである。そのため、もしその渋沢の中に思想哲学というもの を見ようとするならば、やはりその 『論語』解釈、『論語』説から考察するということが本筋になるだろう。 坂本慎一 「渋沢栄一 『論語講義』の儒学的分析 -晩年渋沢の儒学思想と朱子学 ・陽明学 ・徂徠学 ・水戸学 との比較-」(『経済学雑誌』100 号(2) 大阪市立大 1999 年 9 月)、太田哲男「渋沢栄一の倫理思想」 (『桜美林論考』人文研究(7) 桜美林大学 2016 年 3 月)など、渋沢の思想内容について明らかにしよ うと試みている先行研究では、やはり渋沢の『論語』に関する資料が用いられている。 『論語』に言及することの多かった渋沢の 『論語』論のうち、まとまった形のものとしては先に挙げた 『論 語講義』『実験論語処世談』 『論語と算盤』があるが、このうち 『論語と算盤』は 『龍門雑誌』に収録された 一般向け講話を編集したものであり、『実験論語処世談』は顔淵編の中途までの範囲にとどまる。 『論語』全 体を範囲として 『論語』解釈の形をとっているものは 『論語講義』だけである。よって、より学術的思想哲 学的に渋沢の思想哲学を抽出しようと試みるならば、『論語講義』を資料として用いるのが妥当であると考 えられ、実際に前述の先行研究のうち、坂本氏の 「渋沢栄一 『論語講義』の儒学的分析」が 『論語講義』を 主な資料として扱っているのもそのためである。 その 『論語講義』は渋沢が口話したものを尾立維孝が筆述したものが元とされる。しかし 『論語講義』は その成立過程から、厳密には渋沢の作とはいえないことが笹倉一広 「渋沢栄一 『論語講義』の書誌学的考察」 (『言語文化』48 号 2011 年 12 月)で明らかにされた。笹倉氏の研究を要約すると以下のようになる。 ① 『論語講義』は二松学舎理事長の尾立維孝が 『実験論語処世談』に基づいて起稿したものであり、渋沢 の校正が入らないまま渋沢の名前で公刊された。 ②現在、都立中央図書館に 『論語講義』に渋沢が途中まで (第十五巻までで全体の三分の一程度)自筆訂 正を入れた原稿が 「青淵論語文庫」内に残されているが、それらの自筆訂正は公刊版の 『論語講義』に反 映されてはいない。 ③特に 『論語講義』の字解 ・訓詁の部分は渋沢は手を出さず、殆ど尾立維孝の手によるものと考えられる ため、渋沢を経学方面から研究する場合には注意を要する。 ④ 『論語講義』は尾立が 『実験論語処世談』を元に起稿しているので、渋沢の道徳経済思想から大きく逸 脱することはないだろうが、渋沢を論ずる場合『論語講義』の取扱いには十分注意が必要である。 このように笹倉氏の研究によって 『論語講義』の成立事情と、それに対する渋沢の訂正稿の存在が明らか にされた。これにより従来の研究で渋沢の思想哲学の表れとされていた 『論語講義』の箇所が、実は尾立維 孝によるものであって、渋沢と結びつけて論じることが困難となるなど、渋沢の思想哲学を解明する上で大 きな影響を与えることとなった。一例を挙げれば、坂本慎一氏が前述の 「渋沢栄一 『論語講義』の儒学的分 析」において、「『論語講義』の最後の方では、渋沢は明治天皇や昭憲皇太后の和歌を多く引用している。こ

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206 渋沢の『論語講義』訂正箇所からみた思想傾向 れ自体は、渋沢の尊皇思想の現れであると解釈してよい」(p.86)と指摘しているが、『論語講義』後半部分 は尾立が種本にしていた渋沢の 『実験論語処世談』に記載が無い 『論語』部分であり、殆ど全てが尾立の筆 によるものと考えられるため、『論語講義』の最後の方に明治天皇や昭憲皇太后の和歌の引用が多いことを もって、渋沢の尊皇思想の現れとすることは難しくなったと言えるだろう。 逆にいえば、この渋沢の訂正には渋沢自身の信条や思想と尾立維孝のそれとの相違が反映されていると考 えられる。例えば笹倉氏が先述 「渋沢栄一 『論語講義』の書誌学的考察」内 「注文をつける渋沢」において 指摘するように、渋沢が理由をあげて長文の削除を指示している箇所などは、渋沢自身のこだわりと尾立と の相違がはっきりと現れた箇所と言えるであろう。 このように渋沢の 『論語講義』への訂正の存在が明らかになったことは、彼自身の思想哲学の解明に対し て、様々な点で大きな意味を持つと考えられる。しかしその書き入れ訂正の内容全体を精査し思想内容と絡 めた研究は、笹倉氏がその後 「渋沢栄一 『論語講義』原稿剳記 (1)論語総説」(『言語文化』49 号 2012 年 12月)「渋沢栄一 『論語講義』原稿剳記 (2)学而第一 1~10 章」 (『言語文化』50 号 2013 年 12 月)とご く一部の書き入れの解読と考察を発表して以降、現状では行われてはいない。 しかしながら渋沢の思想哲学を解明する上で、『論語講義』への自筆訂正箇所からその思想や信条を読み 取っていくという手法を取ることは有意義であると思われるため、研究を進めていこうと考える次第である。 そのためには以下のような研究の手順が必要であると考えられる。まず都立中央図書館「青淵論語文庫」 内の渋沢自筆訂正稿から自筆訂正部分を解読する必要がある。実際に閲覧したところ、渋沢の訂正は欄外に くずした書体で書かれ、縦横が交雑している箇所すらあり解読が困難であるが、これを解読しないことには はじまらない。 次に尾立が種本にした 『実験論語処世談』と 『論語講義』との相違と、渋沢の訂正との関係である。既に 笹倉氏が読解した箇所において 『実験論語処世談』そのままの部分を渋沢が訂正している箇所があるが、そ れに関して笹倉氏は「『実験論語』は記者が来訪しての口述であったが、つい語りすぎた部分を修正し、俗 な表現を行儀良く改めているように見受けられる」(前述 「渋沢栄一 『論語講義』原稿剳記 (2)学而第一 1 ~10 章」p.104)としている。このように渋沢が訂正しているからといって、それが尾立の起稿部分とは限 らないのであるが、その一方で自らの論語説である『実験論語処世談』を訂正しなければならない理由が、 語調以外に渋沢にあるとするならば、その解明も必要となるだろう。 最後に尾立維孝の人物と思想哲学の解明の必要がある。渋沢が尾立の起稿に訂正を入れる場合、考えられ るのは、尾立が作り上げた論語説を含む渋沢像と、渋沢自身が持っている思想信条とが相違した場合である。 つまり尾立が渋沢であったらこのように述べるであろうと想像して記述したが、渋沢本人はそのようには記 述しないと判断した場合であるが、一方で、尾立本人の思想信条と渋沢の思想信条とが相違したための訂正 の場合も考えられる。その場合、尾立の思想を明らかにすることが、それと相違した渋沢の思想をより明ら かにすることになると考えられる。 以上の研究手順に従い、『論語講義』の訂正部分を通して、渋沢栄一の思想哲学を明らかにしていきたい と考える。

参照

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