化合物半導体電子デバイス及び関連材料研究の歴史的発展と将来展望
長谷川英機
†a)Historical Evolution and Future Prospects of Research on Compound
Semiconductor Electron Devices and Related Materials
Hideki HASEGAWA
†a)あらまし 化合物半導体電子デバイス研究と関連する材料研究について,その歴史的発展の概要と将来展望を 述べている.化合物半導体電子デバイス技術は,長い研究の後,通信デバイス分野で産業技術として,確固たる 地位を確立した.そして将来,21 世紀のユビキタスネットワーク社会の情報技術や持続可能な社会構築のための エネルギー・環境技術に多彩な応用を切り開く. キーワード 化合物半導体,電子デバイス,高速デバイス,半導体材料,集積回路
1.
ま え が き
今回の特集で筆者に課された役割は,「電子デバイ ス研究会」関連の分野のこの40年の変遷と将来展望 を述べることである.しかし,電子デバイス一般では 広く浅学非才の筆者の能力を超える.そこで研究会の 主要なテーマであり,かつ,筆者が携わってきた化合 物半導体電子デバイスに話題を限らせて頂く. 最初の化合物半導体マイクロ波デバイスであるガン (Gunn)ダイオードの原理となるGaAsの発振現象を J.B. Gunnが発見したのは,1963年である[1].また, ショットキーゲート電界効果トランジスタ,MESFET(metal-semiconductor field effect transistor)が提案 され,GaAsを用い実証されたのが,1966年であり[2], 翌年には,そのマイクロ波での利得が報告されてい る[3].このように化合物半導体電子デバイスは,今回 のテーマに沿いほぼ40年の歴史をもっている.更に, Gunn効果が発見されるきっかけは,当時新材料であっ たGaAsにおけるホットエレクトロン伝導の基礎研究 であり,また,GaAs MESFETのマイクロ波帯での 利得は,半絶縁性基板上にエピタキシアル成長された †北海道大学量子集積エレクトロニクス研究センター,札幌市
Research Center for Integrated Quantum Electronics, Hokkaido University, N-13, W-8, Kita-ku, Sapporo-shi, 060– 8628 Japan a) E-mail: [email protected] 高移動度活性層が利用できたからである.ここに材料 科学・技術研究とデバイス研究の深いかかわりをみる ことができる.Siと比較し多様な物性をもつ化合物半 導体では,ことにこのかかわり合いが顕著である. 本論文では,この関連性に留意し,40年にわたる化 合物半導体の電子デバイス研究とそれに関連する材料 研究とを概観し,それをベースにして筆者なりの将来 展望を試みたい.紙面の関係上,デバイスの構造や原 理を含め,発展の歴史の詳細に触れることはできない. これらについては,文献[4]∼[12]を参照されたい. 昨今,ナノテクノロジーの隆盛でナノ電子材料の多 様化が進行し,若い研究者諸氏は,化合物半導体を含 む半導体材料は,「研究・開発しつくされた材料」と いう印象をもたれるかもしれない.これは正しくな い.ここでは,深い基礎科学に支えられ,通信分野で 産業技術として確立した化合物半導体には,将来,更 に多様な展開のチャンスが待ち受けていることを強調 したい.すなわち,21世紀のユビキタスネットワーク 社会の情報技術や持続可能な社会構築のためのエネル ギー・環境技術にブレークスルーを切り開く基幹技術 となる可能性が高いのである.
2.
化合物半導体電子デバイス研究の歴史
的発展
2. 1 黎明期と個別デバイスの出現 GaAsが半導体であることは,1952年にWelkerによって発見された[13].しかし,材料基礎物性の解明 研究やデバイス応用研究が活発になるのは,水平ブ リッジマン法(HB法)[14]や液体封止チョクラルス キー法(LEC法)[15]によって,正しい化学量論的組 成(ストイキオメトリ)をもち,高純度で低欠陥のバ ルク単結晶が得られるようになった1960年代からで ある.更に,GaAsのバルク単結晶は不純物ドープに よるn形,p形の伝導形制御のほか,Crなど不純物 ドーピングで,抵抗率を10 MΩcm以上にできること も見出された.これを利用した「半絶縁性」基板は, マイクロ・ミリ波帯で高周波電磁界の伝導損が少ない というSi基板にはない重要な特色を備えている. これと同時に,1960年代には,バルク結晶より高 品質の薄膜結晶を成長する「エピタキシアル成長」技 術として,液相エピタキシアル(LPE)法[16],ハロ ゲン輸送気相エピタキシアル法[17],有機金属気相エ ピタキシアル(MOVPE)法[18],分子線エピタキシ アル(MBE)法[19]が出現した.いずれも,板状の バルク結晶基板上に,適切な形で原料を供給し,表面 反応により,基板と結晶軸をそろえた形で薄膜単結晶 を成長するもので,低温で成長するため,混入する不 純物が格段に少なくでき,高品質な材料が得られる. エピタキシアル成長技術は,同一の半導体の接合構造 であるホモ接合のほか,AlGaAs/GaAs系など異なる 半導体の薄膜多層構造である「ヘテロ接合」構造形成 の基本技術であり,後者は,化合物半導体電子デバイ ス・光デバイスのその後の発展の原動力となった. さて,このような材料技術の進歩により,前述のよ うに,ガン・ダイオードやGaAs MESFETが登場し た.当初発振機構が謎であったガン発振現象も,それ 以前に理論的に予測されていた電子のバンド遷移[20] に基づく負性抵抗現象に基づくダイポール・ドメイン の発生と走行によることが明らかにされ,電子遷移 効果と呼ばれるようになった.ガン効果は,マイクロ 波・ミリ波の簡易な発信器として,現在も実用されて いる.一方,これを3端子の機能論理デバイスに利用 する研究も1960年代の後半からしばらく試みられた が,ドメイン走行制御の困難や消費電力の問題から, よい展望は得られなかった.その他GaAsミクサ・ダ イオードやGaAs IMPATTダイオード,更に光関係 では,GaAs pn接合からのレーザ発振も1960年代に 実現した. 振り返ってみると,今日の基礎となる重要な材料・ デバイス技術の原形の大半が,この黎明期に登場して いるのは感慨深い.材料技術の面では,バルク成長技 術において,LEC法がその後発展し,1990年代には, そのころ新たに登場したVB(vertical boat)法とと もに,円形の6インチ基板を供給できるようになり, 現在4インチ,6インチが量産工程で使用され,2010 年ごろには8インチ基板に移行すると予測されている. また,エピタキシアル法では,MBE法とMOVPE法 が更に高度に発展し,原子レベルの制御性を備えたま れにみる精緻な結晶成長技術として完成し,主として, MBE法は先端研究の場で,MOVPE法は量産現場で 用いられている. 2. 2 集積化と高速化の展開 特徴あるデバイスであっても,個別デバイスでは, 市場規模は小さい.次の発展段階は当然集積化と高周 波化・高速化であった.ことに,1970年にHayashi ら[21]が,AlGaAs/GaAsダブルヘテロ接合を用い て,レーザの室温連続発振に成功し,光通信に途を切 り開き,実用化が進展したことは,化合物半導体の電 子デバイス応用への期待をも高めることとなった. 2. 2. 1 アナログ集積回路 まず現れたのは,優れたマイクロ波性能をもつ能動 素子であるGaAs MESFETとショットキーダイオー ド,伝送線路,抵抗,容量,インダクタンスなどの受 動素子を一体化したマイクロ波アナログ集積回路で ある.当初は,アルミナなどの誘電体基板を用いる混 成集積回路であったが,1968年には,GaAs半絶縁 性基板を用いた最初のモノリシックマイクロ波集積回 路(MMIC)が試作され,その後次第にMMICが優 勢となっていった.MMICは軍用の通信応用の需要 が大きいアメリカやヨーロッパでは重要視されたが, 民生応用主体の我が国では,当初は市場が小さく,次 に述べるディジタル集積回路開発と比較して地味で はあったが,着実に研究開発と実用化が拡大・発展し た.能動素子としては,図1 (a)に示すようなプレー ナ形GaAs MESFETから出発し,後に図1 (b)に示 すようにリセス構造によりアクセス部分の直列抵抗を 下げた構造のリセス形GaAs MESFETを用いるのが 主流となった.更に1970年代後半には,図1 (c)に示 すAlGaAs/GaAsヘテロ接合バイポーラトランジス タ(HBT = heterojunction bipolar transistor)が, また,1980年代には図1 (d)に示すAlGaAs/GaAs
高電子移動度トランジスタ(HEMT = high electron mobility transistor)が,能動素子に加わった.HBTは
図 1 MMICに用いられる GaAs デバイス (a) プレーナ MESFET,(b) リセス型 MESFET,(c) HBT(セルフアライン型)(d) HEMT
Fig. 1 GaAs devices used in MMICs (a) planar MESFET, (b) recessed MESFET, (c) HBT (self-aligned) (d) HEMT.
年に理論的にその優位性を示した[23]にもかかわらず,
実現には材料・プロセス技術の進展を必要とし,理論
から期待されるような電流利得の大きいHBTが報告
されたのは,1975年になってからである[24].また,
HEMTは,GaAs MOSFET開発で困難に遭遇してい
た中から富士通研のMimuraらが発明したもので[25], AlGaAs層をゲート絶縁膜としたMISFETとみなす こともできるが,重要なことは,チャネルの電子を AlGaAs層にドープしたドナから供給し,GaAsには ドープしないことである.この結果,AlGaAs/GaAs 界面に形成された二次元電子ガス(2DEG)が不純物 散乱を受けないため,これまでは得られなかった高い 移動度を示す.この原理は,Dingleら[26]によって見 出され,「変調ドーピング(選択ドーピング)」と呼ば れ,二次元電子ガスの基礎物性研究に応用されていた. この原理をデバイスに応用したHEMTは,優れた高 周波性能と低雑音性を実現するに至った. また,材料としては,最初は,AlGaAs/GaAs系が 中心であったが,絶え間ないヘテロエピタキシアル技 術の進歩は,基板材料やチャネル材料に新しい選択を 可能とし,1980年代後半からはGaAsより移動度の 高いInGaAsに注目し,FeドープInP半絶縁性基板 上に成長したAlInAs/InGaAs系を用いるInP系の HEMTやHBTの研究開発[10]が進展し,より高い 遮断周波数を実現した.更に,AlInAs/InGaAs系を より低価格のGaAs基板上に成長しHEMTを実現す る技術が開発された.この場合,In組成が小さく擬似 格子整合がとれている場合PHEMT(pseudomorphic HEMT),また,In組成が大きく格子緩和しているが 成長条件によりチャネル層に転位欠陥が入らないよう 工夫したMHEMT(metamorphic HEMT)がある. これらデバイスは,優れた高周波特性を示す.しかし, 決して化合物半導体が高周波デバイスの独壇場となっ たわけではない.Si MOSFETやSiバイポーラトラ ンジスタは,微細化や自己整合構造の採用や,更には 化合物で開発されたヘテロ接合やひずみによるバンド 構造制御技術をSi/SiGeヘテロ接合により採用するな どして,高周波性能を向上させ,III-V系とSi系の競 争は現在にも至っている.更に,1990年の後半から は,GaN系のワイドギャップ材料が,よく知られた青
図 2 化合物半導体 HEMT のゲート長と遮断周波数 fTの 関係(文献 [28] をもとに,最新データ [29] を追加) Fig. 2 Relationship between gate length and cut-off frequency fTin compound semiconductor HEMTs (data collected in [28] plus recent data in [29]). 色発光デバイスのみならず,高周波電子デバイスの分 野にも入ってきた.ことに,AlGaN/GaN HEMTデ バイス[27]は,エネルギーギャップの大きさに由来す る耐電界強度のほか,二次元電子密度が大きいことや 電子の飽和速度が大きいことから,かってない電力性 能を発揮することが判明し,現在,高周波電力用のデ バイスとして,実用化の時期を迎えつつある.Si系デ バイスでは,SiCデバイスがこれに対抗している. 図2に,文献[28]で筆者らが整理した高周波FET の遮断周波数とゲート長の関係の大略を,最近のGaN のデータ[29]も加えて示した.現在は化合物半導体も ナノ寸法を用いるナノエレクトロニクスの時代を迎え ている.そして,これらの材料やデバイスを用いて, 現在までに,100 GHz程度までのマイクロ波・ミリ 波MMICが実現されている.製品としては,60 GHz 程度までの増幅器,発振器,周波数変換回路,受信モ ジュール,送信モジュール,局部発振モジュールなど が製品化され,衛星通信,マイクロ波通信,放送受信 機,無線LAN,携帯電話などの移動通信などで広く 用いられている. 2. 2. 2 ディジタル集積回路 化合物半導体デバイスによるディジタル論理LSI やメモリLSIが,対応するSi集積回路より,優れた 性能を発揮できれば,その市場はMMICよりはる
かに大きい.1974年にVan TyleとLiechtiがGaAs MESFETを用いた最初のディジタル集積回路を発表 して以来[30],まず,GaAs MESFETをスイッチ素
子としたディジタル集積回路の開発が始まった.Si
MOSFETとの類似性からは,GaAs MOSFETない しMISFETの開発が自然であり,このため良好なゲー ト絶縁膜が1970年代から10年以上にわたって探索さ れたが,絶縁膜–半導体界面に発生する高密度の界面 準位が界面のフェルミ準位をピンニングするため,良 好なデバイス動作を実現できなかった[31].後述する ように,最近,III-V MOSFETの研究開発が再燃し ているのは,大変興味深い. 1980年代には,HEMTやHBTもディジタル集積 化の基本素子となり,米国では軍の研究所から,日本 では通産省の「科学技術用高速計算システム」いわゆ るスーパコンピュータの大型プロジェクトなど支援を 受け,主として日米で開発競争が展開し,研究開発の ピークを迎え,それは1990年代前半まで続いた.こ の研究開発の目標は,高移動度材料を用いることで, 同じゲート長でより高速かつ低消費電力のLSIを実現 し,Si MOS技術を近い将来凌駕することにあり,「ポ ストシリコン」が開発の合言葉であった.この背景に は,当時Si技術の微細化限界がまもなくやってくる という予想があった.例えば,1980年代に刊行され たSi LSIの著名な教科書[32]は,実際には1998年 に到達した0.25ミクロンがシリコンの微細化限界で あろうと示唆している.2007年には30∼40 nmのSi MOSFETが実用されていることからすると,技術予 測の困難さがよく分かる. ところで,GaAs MESFETディジタル集積回路は, 半絶縁性基板にイオン注入する方式が主流となったが, その研究開発は困難を極めた.これは,化合物半導体 には,Siにはないストイキオメトリの問題があり,そ れに関連する種々の深い準位が発生すること,また表 面には高密度の表面準位が発生し,それを除去する表 面パッシベーション技術が確立していないことがあっ たからである.このためMESFETのしきい値電圧 やオン電流のばらつきや,メモリの「ビット歩留り」, HEMTの電流コラプスなどに悩み,光通信応用で発 展する化合物半導体光デバイスと対比し,「GaAsデバ イスは光なしに自立できるか」などが,国内のワーク ショップ等のテーマになったりした.この苦しい時機 に,産官学の電子デバイス研究者と材料科学研究者が 協力し,(1) DLTS法や各種の分析手法を用いたEL2
図 3 ディジタル集積回路に用いられるセルフアライン型 GaAs MESFET:(a) 高融点ゲートを用いた方式, (b)ダミーゲートを用いた SAINT 方式
Fig. 3 Self-aligned GaAs MESFETs used in digital integrated circuits: (a) self-aligned device us-ing a refractory gate and (b) SAINT device using a dummy gate.
やDXセンタなどの深い準位の起因や性質が基礎科学 的に解明されたこと,(2)均一度の高いアンドープ半 絶縁性基板が開発されたこと,(3)図3 (a)のTi/W やWSiなどの高融点金属を用いる方式[33]や図3 (b) に示すダミーゲートを用いるSAINT方式[34]などの 自己整合ゲート構造が発明されたこと,また(4)ヘテ ロ接合の物性の理解とエピタキシアル成長技術の改 良が行われたことは,特筆に値すると思う.これらを ベースに,次第に技術が向上し,1980年代の後半ま
でに,MESFETやHEMT,HBTによるSSI,MSI,
LSIレベルの加算器,乗算器,ゲートアレー,高速メ モリを試作し,動作速度や消費電力でSiデバイスを凌 駕する結果が出されるに至った[8].こうした状況を背 景に,高速性に着目した特殊な応用として,当時スー パコンピュータ製造で著名であったCray Research社 は,そのモデルCray-3にGaAsを搭載することを決 定したが,チップの納入に大幅な遅れが生じ,1993 年,開発は失敗に終わった.これに対し,我が国でも, 富士通研と航空宇宙技術研究所が特殊目的スーパコン ピュータ「数値風洞」を1993年共同開発したが,これ にはSi素子のほかGaAs素子も搭載しており,開発 当時世界最高速となるとともに,その後9年間実用に 供された[35].しかし,一方,Si集積回路の微細化限 界は一向に到来せず,また,回路動作の信頼性,量産 のための歩留りとコストの点では,III-V技術は,成 熟したシリコン技術に比べ劣っていた.そのため,更 に大規模の高速集積回路を研究開発することは断念さ れ,これまでに集積されたアナログ・ディジタル集積 回路技術を応用して特色ある製品を開発する方向に転 じた.衛星テレビ受信用のパラボラアンテナの小型化 や携帯電話の低消費電力化等である. 2. 2. 3 最近の新展開 1990年代から爆発的に成長したインターネットと 携帯電話の普及は,衛星通信,光通信,ワイヤレスマ イクロ波通信に革命を引き起こした.これに対応し て,その基地局のインフラ機器や携帯電話,パソコン 等の端末機器に,それまでに技術的に成熟していた化 合物半導体電子デバイスを応用するという新展開が, 市場の急成長をもたらし,現在に至っている.また, これに対応し,2003年には,半導体産業の国際ロー
ドマップ委員会(ITRS = international Technology Roadmap For Semiconductors)は,高周波及びアナ ログ/ミックストシグナル(RF&AMS)部門[36]に化 合物半導体デバイスをも取り入れることを決定した. 市場調査の報告例[37]によれば,世界の化合物半導体 市場は2007年に160億米ドルとなり,これは全半導 体市場の6%であるが,他の分野より早い速度で成長 しており,2012年には,337億米ドルに到達すると予 想されている.無論,この予測は,昨今の経済危機以 前のものであり,経済危機による減速はまぬがれ得な いが,成長の動向は変わらないと思われる.応用分野 には,ワイヤレス電子機器,光データストレージ,光 ファイバ通信,照明,太陽電池,その他で,現在では, そのうちワイヤレス電子機器が最大のシェアをしめて いるという.ここに,通信分野で産業として確固たる 地位を確立し「化合物が光なしに自立した姿」をみる ことができるといえよう. 2. 3 量子デバイス・スピンデバイス研究の展開 これまで話題としたデバイスは,基本的には有効質 量近似に基づく半古典力学的原理に基づいており,新 規性には乏しい.これに対し,より直接的に電子の量 子力学的挙動を利用する量子デバイスの研究も,化合 物半導体を中心として行われてきている.ヘテロ接合 界面を利用して,電子のドブロイ波長程度の寸法をも つ量子井戸,量子細線,量子ドットなどのナノメート ルスケールの閉じ込め構造を実現し,そこに発現する
図 4 III-V化合物半導体ナノ構造の例(筆者の所属する RCIQE で製作されたもの) (a)ナノ細線–ナノドット結合構造,(b) ナノドットアレー,(c) ヘキサゴナルナノ 細線ネットワーク,(d) 垂直ナノ細線アレー
Fig. 4 Examples of compound semiconductor nanostructures (fabricated in author’s institution, RCIQE) (a) nanowire-nanodot coupled structure, (b) nanodot array, (c) hexagonal nanowire network, and (d) vertical nanowire array. 量子力学的現象を利用するものである.その端緒は, 1969年のEsakiとTsuの超格子による負性抵抗実現 の研究[38]やそれに続くChangらの共鳴トンネル現 象の観測[39]にさかのぼる.しかし,電子の波動の位 相を制御し,新しい原理のデバイスを実現する研究が 活発化したのは,化合物半導体高速電子デバイスが成 熟機を迎えた1980年代後半からである.この新しい 分野は「電子波エレクトロニクス」や「メゾスコピッ クエレクトロニクス」とも呼ばれる[9].代表的な例と して,エミッタからトンネル障壁を通してホットエレ クトロンを注入するHET [40]やそれに共鳴トンネル 障壁を用いたRHET [41],量子細線の一次元伝導を ゲート制御する量子細線トランジスタ[42],面にそっ て周期構造をつくり電子波のブラッグ反射を利用する 表面超格子トランジスタ,マッハツェンダ型の電子波 干渉トランジスタ,量子ドットのクーロン・ブロッケー ド現象を利用する単電子トランジスタ[43], [44]などで ある.更に,電子波のコヒーレンスを最大限に利用す る量子コンピュータ実現の基礎研究も行われてきてい る.また,これらの研究を通して,量子ナノ構造を実 現するためのナノテクノロジーが格段に進歩した.筆 者の所属する研究センターで実現したナノ構造の例を 図4に示す. しかし,残念なことに,これらのデバイス研究は, 半導体の量子物性を解明するのには,非常に有用で あったが,これまでのところ現在実用されているデバ イスを凌駕するデバイス性能を実現するには至ってい ない.これは,多くの場合室温動作が困難であること や,電流駆動力が小さい,電圧利得が小さい,特性が 構造に過度に敏感で制御しにくく,また,ばらつきが 大きいなどの多くの未解決の問題があるからである. 更に,最近では,強磁性体化合物半導体の実現[45] を皮切りに,スピン電界効果トランジスタ[46]など, 究極的量子現象である電子スピンをデバイスに応用す る「スピントロニクス」の研究が盛んになり,半導体 中のスピンの挙動が解明されつつある.ここでもこれ
までのところ,既存デバイスを凌駕し実用に耐える機 能・性能をもつ半導体デバイスは実現されてはいない が,将来の発展が期待される分野である.ことに,電 荷では実現できない機能・性能を期待したい.
3.
将来への展望
前節で見たように,化合物半導体電子デバイスは, 長い研究の歴史を踏まえて,通信分野で産業としての 確固たる地位を確立した.将来は,これまでに培った 深い知識・技術をベースに,より広い分野で活躍・発展 するであろうと,筆者は考えている.その背景は次の 三つである.第1に,インターネット技術やワイヤレ ス技術の驚異的進歩やバイオテクノロジー・ナノテク ノロジーの発展により,これらを有機的かつより総合 的に繰りこむユビキタスネットワーク社会の構築が進 行している.これにより,材料・デバイスの機能・性能・ システム構成が多様化し,デバイス研究も従来のロー ドマップを至上とする価値観にとらわれない広い展開 が可能となった.更に,第2に,Si VLSIが,チップの 膨大な消費電力によりまもなく微細化の究極的限界に 到達し,その後の見通しが立たない状況がある.図5 にSiチップの消費電力の推移[47], [48]を示す.最近 までは,チップの電力密度はスケーリング則に従って ほぼ一定であったが,SiO2膜の極薄化の結果トンネル 現象によるゲート漏れの増大で電力の急増が予想され 図 5 Siチップの消費電力の推移と量子極限(文献 [47] をもとに,他のデータ [48] を追 加)Fig. 5 Trends of power consumption of Si chips and the quantum limit (Other data [48] are added on to the trends in Ref. [47]).
ている.このため現在,高誘電率(high-k)材料など
の新材料を導入して,Moore則にそった微細化を更に
追求する「More Moore」,チップにセンサやMEMS
などで新機能を導入する「More than Moore」,新原
理や新材料によりSiトランジスタを凌駕する機能・性 能を実現する「Beyond CMOS」などのアプローチが 議論されている.第3に,持続可能な社会の構築のた めに,エネルギー・環境技術にブレークスルーが求め られており,従来とは異なる価値観から,化合物半導 体の多様な物性を研究し,応用する機会が生じている. 具体的な挑戦分野は次のとおりである:(1)通信デ バイス,(2)高速ディジタルデバイス,(3) Beyond CMOSデバイス,(4)センサチップ,スマートチップ, (5)太陽光発電,パワーエレクトロニクス,(6)量子 情報処理・量子コンピュータ.以下にこれらについて, 簡単に概要を述べる. 3. 1 通信デバイス この分野の応用が更に拡大することが予想されてい ることは既に述べた.事実ITRSのRF&AMS部門の 最新版[36]には,数GHzから100 GHzの周波数範囲 で,上限周波数の低い順に,SiLDMOS,SiC,Si-RF,
SiGe HBTとBiCMOS,GaN HEMT,GaAs-HBT
とPHEMT,InP-HBT,HEMTとGaAs MHEMT
が列挙され,多彩な応用スペクトルが示されている.
図 6 電子デバイスと光デバイスの間のテラヘルツギャッ プ [49]
Fig. 6 THz gap between electron devices and optoelectronics devices [49]. 期待するところは大きい.ITRSでは,デバイスの周 波数上限は常に高周波側に移りつつあること,デバイ スの採否には,周波数のみならず,雑音指数,出力電 力,電力付加効率,線形性の性能や市場規模とコスト が重要であることが強調されている.携帯電話を例と しても,世代が進むにつれ,機能が向上し,通話より インターネット端末としての利用が増し,さながら数 百の部品からなる超小型コンピュータの観がある.そ の傾向は今後更に続くものと思われる.現在,化合物 半導体は,電力増幅器や送受信スイッチといった機能 的には簡単な部分に取り入れられているが,今後更に 高周波化や小形化が求められたとき,機能的にどのよ うに展開するか興味深い.RFMEMS技術やメタマテ リアル技術で新しい展開が得られる可能性もある. 更に,その上の周波数帯には,図6に示すように, いわゆる「THzギャップ」[49]があり,ここに化合物 半導体電子デバイスに期待するところが大きい.従来 型デバイスでは,InP系デバイスで遮断周波数THz 台が実現される可能性があるという[50].新しい試み には,共鳴トンネルダイオード,超格子,HEMT構造 におけるプラズマ波の利用などがあり[49],発展が期 待される. 3. 2 高速ディジタルデバイス 高速ディジタルデバイスへの展開の新しい方向は,シ リコンプラットホーム上のCMOSトランジスタのチャ ネル材料として,III-V半導体を用いることである.こ 図 7 最 近 の 化 合 物 半 導 体 MISFET の 界 面 制 御 の 例 (a) (GdxGa1−x)2O3/Ga2O3 を用いた GaAs MOSFET (b) ALD Al2O3 を 用 い た InGaAs MOSFET
Fig. 7 Example of recent interface control meth-ods in compound semiconductor MISFETs (a) GaAs MOSFET using (GdxGa1−x)2O3/ Ga2O3, and (b) InGaAs MOSFET using ALD Al2O3. れにより同じ駆動電流をより小さい消費電力で実現で きる.有力なアプローチの一つは,n-チャネルにIII-V を,p-チャネルにGeを用いCMOSトランジスタを構 成することである.電荷制御性を維持しつつゲート漏 れ電流を減らすため,high-kゲート絶縁膜の利用は必 須である.こうした研究は米国のインテル社[51], [52],
IBM,Freescale Semi.社などの企業や米国著名大学を
中心に世界的に広がりつつある.良質のIII-V半導体 膜のSi上での成長,良好なhigh-k絶縁膜/半導体界面 の形成,大きなON電流と良好なOFF特性の実現な どが課題である.ことに,high-k絶縁膜/半導体界面の 形成は,未解決の重要課題である.最近検討されてい る界面制御法に,Si超薄膜の利用[53],図7 (a)に示す (GdxGa1−x)2O3/Ga2O3 の利用[54],図7 (b)に示す 原子層堆積(ALD = atomic layer deposition)Al2O3
膜の利用[55]などがあり,後者二つではSi MOSをは
るかにしのぐ電流駆動力が報告されている.
3. 3 Beyond CMOSデバイス
「Beyond CMOS」とは新原理や新材料によりSi
あるが,定義も不明確であり,また,新原理や新材料 といっても現時点では確定的なものはない.いずれに
してもCMOSを上回る大規模集積を達成し,システ
ム全体としての性能が,CMOS VLSIを超えることを
可能にするデバイスであろう.参考のために,ITRS
の次世代研究デバイス(ERD = emerging research device)部門では,これまで提案されている論理デバ イスについて,CMOSを基準として順位付けしてい る[56].これによれば,CMOSを上回る可能性のあ るのは,ナノ細線やナノチューブを用いた一次元トラ ンジスタのみで,ほかは単電子トランジスタ,分子デ バイス,強磁性論理デバイス,スピン・トランジスタ の順に評価がよくない結果となっている.このため, 化合物半導体ナノ細線の成長[57], [58]やトランジス タ応用[59], [60]が注目を浴びており,その発展が期待 される.課題としては,細線トランジスタ構造や特性 の最適化,高密度集積化,高信頼化が挙げられる.ま た,スピンデバイスはBeyond CMOSにふさわしい が,提案されたスピン・トランジスタ[46]は,結局の ところソースからドレーンに電子を電界で移動するた め,CMOSに勝る性能は得にくい.スピン操作のみ で新機能や新形態の情報処理が実現できれば,ブレー クスルーが開かれる可能性がある.また,キュリー温 度が室温を十分に上回る化合物磁性半導体の開発が重 要なことはいうまでもない. また,Beyond CMOSデバイス全般について,回 路・システムアーキテクチャの再検討が重要である. CMOS VLSIの限界は,論理ゲートをカスケード接 続し,強大な電流駆動力で配線容量を充放電する方式 に関連している.一方,図5のように,現在のチップ 電力密度と単電子・量子極限でのそれには数けたの差 があり,新しいアーキテクチャを用いれば,より高密 度・高速・低消費電力の回路・システムが構築できる 可能性がある.筆者らは,この例として,化合物半導 体量子デバイスにヘキサゴナル2分決定グラフ方式を 提案・実証したが[61],今後こうした方向の研究も重 要である. 3. 4 センサチップ,スマートチップ 化合物半導体を用いたセンサとしては,光センサ, ホールセンサ,ガスセンサ,等々古くから検討され,一 部実用化されている.また,最近では,バイオテクノ ロジーの発展とともに種々のバイオセンサの開発も盛 んである.ことにGaN,AlGaN材料は高温動作が可 能なこと,表面が安定なことから,センサ材料として も有望である[62]. ユビキタスネットワーク時代を迎えて,空間的に分 布させたセンサ群をネットワークに組み込む「ユビキ タス・センサネットワーク」の概念が生まれた.これ は例えば世界規模での環境監視や老人のケアなど様々 な用途に威力を発揮すると思われる.また,最近,
RFID(radio frequency identification)チップが重 要視されつつあるが,これは単なる識別以上の機能 をもつスマートチップに発展するものと思われる.こ のようなチップには,センサなどローカル情報を取得 する部分,信号処理プロセッサ部,ワイヤレス送受信 部のon-chip集積が必要で,化合物半導体はその有力 な候補となる.一例として,北海道大学の電子・情報 系のCOEプロジェクトでは,低消費電力の化合物半 導体量子集積デバイスで,IQ(intelligent quantum) chipを実現する基礎研究を行った[63].今後,このよ うな試みはますます発展するものと思われる. 3. 5 太陽光発電,パワーエレクトロニクス 環境に優しいエネルギー源の開発は持続可能な社会 構築の基本条件であり,このため最近,半導体太陽電 池の実用化と効率向上コスト低下の研究が再び活発化 している.AlGaAs/GaAs化合物半導体太陽電池は早 期に開発され高効率で知られるが,コストの面から主 な用途は宇宙用に限られ,地上用はSiやより小規模で
はあるがCIS(CIGS)系(Cu-In-Se,Cu-In-Ga-Se) が主流である.しかし,化合物半導体は,エピタキシ アル成長で混晶多層薄膜が成長できるため,多接合 形により太陽光スペクトルを無駄なく利用でき,数 百倍の集光でも動作可能でしかも効率は上昇すると いった利点があり,最近40%を超える効率が実現さ れた例もあり,地上での利用を目指した研究開発が進 みつつある[64].代表的な構造は,Ge基板を用いた InGaP/GaAs/Ge構造で,将来はSi基板を用いる可 能性もある.また,最近の新しいトピックスは,「量子 ドット太陽電池」である.これは,ワイドギャップ材 料内に,量子ドットを周期的に配列し,ドットのつく るミニバンドにおける光起電力を利用するもので,理 論的には60%以上の効率が期待できるという[65].化 合物半導体では,GaN内にInNのドットを配列する などが検討されている.また,関連する新しい試みと して本田–藤嶋効果によるGaN電極での光照射水素発 生も報告されており[66],今後の発展が期待される. 次にGaNで代表される窒化物III-V半導体はパワー エレクトロニクス用デバイスへの応用が期待できる.
電力デバイスはON抵抗,耐圧,スイッチング周波数, 動作温度で評価されるが,窒化物半導体はこれらいず れにおいてもシリコンを大きく凌駕し,高周波特性以 外ではGaAsをも凌駕しているからである.この応用 では基板の低価格化が重要であるが,6インチSi基 板上へのAlGaN/GaNの結晶成長技術が最近大きな 進歩を示している.また,素子のノーマリオフ化が重 要であり,GaN HEMTのノーマリオフ化の研究が進 むとともに,最近,ゲート注入トランジスタ(GIT) と呼ばれる良好なノーマリオフ特性の電力トランジス タが報告されている[67].半導体パワーエレクトロニ クスは,自動車,電車,各種電源,家電製品に大きな マーケットをもつ.ことにハイブリッドカーでの需要 は大きい.更に,電力インフラストラクチャでも,優 れたデバイスで電力変換や輸送に伴う効率を,1%でも 減らすことに成功すれば,それによるCO2 削減量は 膨大なものとなり,大きく環境問題に寄与するという. 3. 6 量子情報処理 量子情報処理[68]は量子ビットを用いた情報処理で あり,量子暗号,量子中継など,量子認証など他のア プローチでは達成不可能な情報セキュリテイをもたら すものや,量子コンピュータのように,大きなけた数 の素因数分解など従来の計算機では解答困難な問題を 瞬時に解こうとするものが含まれている.量子ビット の特色は,状態0,1のほかに,無限にあり得るその 量子力学的線形重ね合わせが許されることにあり,こ の性質が膨大な並列処理の可能性につながる.一方, このため量子情報処理は,本来極めて繊細な量子力学 的量についての超精密アナログ処理を,量子力学的コ ヒーレンスが保たれる時間内に行うこととなり,技術 的困難は極めて大きい.現在,精密なエピタキシアル 技術により形成される化合物半導体量子構造の電子状 態やスピン状態制御が,金属超伝導系の技術と並んで, 量子情報処理実現のハードウェアの有力な候補となっ ており,今後の発展が期待される. 3. 7 共通の課題 最後に,これら化合物半導体デバイスの更なる挑 戦の成否を決める共通の課題は,表面・界面のナノス ケール制御であることを指摘したい.これまでの化合 物半導体電子デバイスは,リセス構造やセルフアライ ン構造で,できるだけ表面を避けることにより,性能 を発揮してきたが,ナノ構造ではそれは難しい.最も 単純な元素半導体Siにおいてすら,SiO2 の利用を離 れた途端に,high-k絶縁体とpoly-Si界面フェルミ準 位ピンニングが発生することからして,表面・界面の 問題は,化合物半導体を含む今後のナノ電子材料すべ てにかかわる問題であることが予想される[69].表面・ 界面のバンド配置やフェルミ準位ピンニングについて の界面のモデルの歴史的変遷と現状,問題点について は,拙著の解説[69], [70]を参照されたい.表面・界面 の制御について,最近の表面科学,界面科学の成果や 技法を取り入れた新展開が期待される.
4.
む す び
化合物半導体電子デバイス研究と関連する材料研究 について,その歴史的発展の概要と将来展望を述べた. 化合物半導体電子デバイス技術は長い研究の後に,通 信デバイス応用の分野で産業技術として,確固たる地 位を確立した.今後は,21世紀のユビキタスネット ワーク社会の情報技術や持続可能な社会構築のための エネルギー・環境技術に多彩な応用を切り開くと期待 できる. これについて,筆者が懸念していることは,現在,実 デバイス研究と将来デバイス研究の間に,広いギャップ が生じていることである.将来産業応用を目指すので あるから,両者の間の協力は不可欠である.また,研 究資金の配分についても,既に実績のある科学技術を 未踏のレベルまで高度化するタイプの研究と,新しく 夢は大きいがまだ海のものとも山のものとも分からな いテーマを追求する研究とについてバランスのとれた しっかりした戦略性が,国家レベルで求められている ともいえる.上述のギャップを埋めることで,この分 野が更に発展することを期待する. 文 献[1] J.B. Gunn, “Microwave oscillation of current in III-V semiconductors,” Solid State Commun., vol.1, no.4, pp.88–91, Sept. 1963.
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