日{毎月 1回25日発行)ISSN田19-4843
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1999
こべる刊行会NO. 8
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部落のいまを考える⑩ 部落解放運動雑感あれこれ 一一入り込み「部落民J
の述懐として高本敏浩
ひろば⑩ 日本語に潜む差別性 梅 沢 利 彦 ヒロの楽書き帳 多田ヒロミ 『こぺる』(No.57-No. 77)論文目次部落のいまを考え る ⑩
部落解放運動雑感あれこれ
||入り込み﹁部落民﹂の述懐として高本敏浩
要求運動の結果は 私が今住む部落に入って七年になる。生まれ育った部 落を二五年程前に出て︵親がそれなりの事情で選択︶、 部落外を経由してから、今の部落にひとりで入ったので あ る 。 仕事の関係やそこで出会った人との関係で入ったのだ が、なぜ部落を、そしてこの部落を選択したのか、考え ていたようでありながら、今思えばあまりはっきりとし ない。今なおよく聞かれる。﹁なぜ、ここだったのか﹂ ﹁なぜ再び、部落だったのか﹂と。当初はそれなりに答 えていたように思うのだが、最近は的を射てない答えを ひねり出すことをやめた。かなんとなく d だったかも知 れ な い し 、 H 生きやすさ u を選んだのかも知れない。ぁ るいはグこだわり u 続けようとしたのかも知れない。お おむねそんなところに心の動きがあったのだろうと考え て い る 。 さ て 、 私 は こ こ 一O
年程、同和教育の成果や、現場の ようす、部落解放運動、部落解放同盟のすすむ方向に、 どうもスッキリしないで、悶々とした気持ちできた。何 ひとつ決着をつけられず、整理すらできないでいるのだ が、中途半端はそれなりに、未整理はいったんそれもよ こベる しとして、とりあえず文字にしてみようと思う。それに、 この機会に、昨年、奈良の吉田智弥さん︵自治研セン 1﹃こペる﹂誌上︵九八年六月︶と合評会で ﹁部落問題の新しい局面、又は位相﹂として提供された 話題への、私なりの感想にでもなればと思っている。 私 は 二
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年程前から、変化はしているものの部落解放 運動家像を勝手に描き、﹁ーでなければならない﹂とし て自分で自分を縛り、ケツをたたき、逼進していた時期 がある。しかし、二年半程前、﹃こぺる﹄で藤田敬一さ んのか自分の言葉で考え、自分以外の何者をも代表せず、 対話をうなぐ関係性のあり方 U な ど と い う 論 調 に 出 会 い 、 一0
年間の悶々が一挙にその具体像を表してきた。﹁い ってはならぬ﹂﹁考えてもならぬ﹂組織人のありょうは、 タ l ︶ が 、 人間をだめにするのではないかと思うようになった。私 は別に部落解放運動を仕事にしているわけでもなければ、 中心にいるわけでもない。そのうえ、すべてのことを熟 知しているとも思っていない。 万 部 外 者 に 何 が わ か る か d といわれるかも知れないが、 現 在 を 含 め 五 つ の 市 町 村 で 働 き 、 そ の う ち 一 一 一 年 間 は 、 同和教育推進教員をやり、校区や近隣の解放同盟と行動 を共にし、そして今住むムラのひとりの支部執行委員とL
て生きてきた。そのなかで見聞してきたこと、考えて きたこと、やってきたニとを、私個人の視点から発言し て み た い 。 さて、ある部落での話。行政交渉のなかでこんなこと があった。市営の改良住宅が、最後の施策として新しく 建った。そこの住民から H 陽があたらないヘその原因 は山の木にあるとして﹁山の木を切れ﹂という要求が出 された。歴史的に部落は立地条件の悪い所に住まわされ たという説もあるが、しかしこの場合、新しい住宅に陽 があたらないのは行政の責任といえるかどうか疑問がわ く。不満はわからないではないけれど、その場所に住宅 が建てば、当然陽あたりに問題があるのは予見できたこ とである。しかもその場所には、同和対策の一期工事で 建った住宅が約三0
年間建っていたのである。だから、 その場所の立地条件も認識済みのはずだ。その場所に代 わる土地を求める︵買収する︶ことのできない行政の事 情と、空地を売らないムラびとの事情を考え合わせれば、 法切れを間近にひかえグ新しい住宅を μ という要求に応 えるには、仕方のないベタ!な選択と決定だったはずだ。 それなのに﹁木を切れ﹂という要求が出る。住宅闘争と はなんだったのか考えさせられた。ところが、それで話は終わらなかった。市当局の対応 が滑稽だった。山の持ち主を調べたのだ。すると、どう も行政関係者の持っている山だときた。その持ち主に話 がすすみ、﹁枝なら切りましょう﹂ということになった。 市もほっと胸をなでおろしたという。さで、後日、この 話にか落ち u がついた。行政の窓口と山の持ち主とが現 場を確定する際、誤解があり﹁山ちがいだった﹂という のだ。よって、﹁個人の山の木を切ることはどうしても で き な い ﹂ ! と い う 回 答 に 変 更 。 さ あ 怒 っ た の は 要 求 側 。 ﹁切るといったゃないか﹂ときて、行政が謝罪するとい いったい私たちは、行政に何を要求してき う こ と で 幕 。 たのだろう。要求運動のあげく、私たちはどんな力をつ けてきたのだろ、っ。まさか、わがままな要求が実現する と い う 成 果 を え た わ け で は あ る ま い に : : : 。 しかし、現実は要求を実現させる過程を通
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て行政依 存という一種体質じみたものを残してしまったのではな いか。私は、この三O
年の行政闘争をまるごと批判する つもりはない。それに、三O
年という年月をひと口には いえないとも思っている。行政がハ l ド 面 だ け で な く 、 部落問題の解決に冷たかったことは事実だが、同対審答 申が具現化されだじ、大衆にとっては思った以上にムラ の様子が変わっていった。差別されながら差別だと感じ なかった人びとにとっては、まことに驚きだったにちが いない。そこがひとつの思想的解放論をどう広め、創り 上 げ る の か と い う 節 目 だ っ た の か も し れ な い 。 守 しかしーその後運動は、急速に成果︵?︶を上げ、組 織は肥大強化していったようだ︵同盟員そのものは減っ ていると思うが︶。そのメジャー化した分、解放同盟と いう組織は、結果論として運動を大衆から遠ざけるよう にもなった。今、部落解放運動が、一番届いていなくて はならない部落住民が遠いところにいるように思えてな ら な い 。 同対審答申の具現化を闘ったころ、行政とわたり合う にはそれだけの力ち必要だったのは事実で、目に見える モノの要求は、住民にもわかりやすく盛り上がった。一 方で、解放運動の方針立てをする人たちは、啓発や教育、 思想性の課題も決して忘れてはいなかった。しかし、啓 発や教育は見えにくい上、同和教育のひろがりで就学が 一定落ち着くと、質的な問題が色濃くなり、専門性をお びたのか、わかりにくさが影を落とし、差別事件以外は こぺる 3一 部 の 者 に
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か共感できなくなった。今や行政交渉をし ていると、教育問題の時間には、ふと振り向けば、もう 部落住民は執行委員ぐらいで、ほとんどいない。あとは、 教育関係者だけなのである。しかもその関係者たちは、 全くもってオブザーバー、涼しい顔して座っている。そ こにいるのが仕事のように、いやそれ以上に冷ややかか もしれない。勤務時間内の交渉への参/加は出張扱いで、 旅費すらつく状況のところが多く、参加する担当教員に とっては仕事のひとつであることに弁解の余地はないよ うだ。ムラの衆は遠ざかり、悪しき体質だけを定着させ、 教員︵公務員︶たちの、思いのない参戸加・協力を増幅さ せた。これは、明らかに行政闘争の結果である。 私は、行政と解放同盟との関係もかかけひき u や か パ ワ l ゲ l ム d を背景にした関係から、もうそろそろ共同 論議ゃいつわりのない対話が成立し、認められる関係に 組み替えなければならないと思う。一方解放同盟も、政 治的シェアを求め拡大する方向を転換し、組織・運動の 再編を本気でする時期が来ている。運動から政治的分野 を分離させて考えればどうかと思うのだが、これはやは り非現実的な意見なのだろうか。 同和教育の現場 私は、今住む部落に入るまでは、教員という立場で部 落解放運動、同和教育運動にかかわってきた。それらの 教育現場は、もう凋落の一途をたどっているところがあ る。これも行政が関与していることだが、四O
歳前後の 男性教員がごろごろ集まっている小学校がある。もちろ ん、その世代より若い人は採用数そのものが少なく、い つまでたっても若い層のままなのだが、それが問題では なく、なぜひとつの学校に集中するのかということなの だ。はっきりしている。ねらいは教頭試験だ。教頭試験 へのパスポートとして、同和校での勤務は経験年数を 一・五倍で計算されることになっているうえ、三年以上 の同和校勤務、﹁しようがい児﹂学級の担任などの条件 もある。この加計算と三年勤務というのが、教頭試験を 前にした教員たちにひと悩みさせるらしい。つまり、 かどこの学校に転勤するか u である。できれば同和校で もあまりしんどくないところ、入りやすい色ころ、しかも地元に教育行政に対する権威のあるところを選ぶので ある。さらにこまかくいうと、組合のあまり強くない、 色のないところのほうがいい。その結果、何人もの教頭 予備軍でかためられる。しかも、その姿は妙に謙虚か従 属・無言で、波風立たない日々を過ごすのである。 そんなところに刺激的な教育実践など生まれるはずも ないし、同和教育の今日的な状況をどう打破し、組み替 え、再生するのかといったエネルギーなど出てくるはず もない。同和教育をだめにする仕組みを、行政も地元も ともども支えてしまっているのである。 今や教員たちのあいだにはさまざまな層ができあがり、 定着している。いわゆるパイナップルの缶づめ状態で、 活動的な層、賛成はするが矢面には立たず追随する層、 なんでもいいノンポリタイプ層、同和教育にかかわる教 員たちになぜか嫌悪感をいだく層、かたくなに同和教育 反対を唱える共産党系の人びと、同和教育はいいが解放 教育はいただけないというわけのわからぬことをいう管 理職候補たち。どなたもこなたも密封された同じ缶の中、 みんながよってたかつて今の教育状況をつくっているの だ。しかも芯はなく空洞だから、これまた大変なのであ る。好みの問題ではないが、せめてミカンの缶づめぐら いにならないものかと思う。同和教育推進の自称活動家 たちの苦労は、今も昔も変わらない。広まらない、深ま らない、変わらない。そんな現場や人間に憂欝になりな がらも、相変わらず金太郎アメである。同和教育の研究 集会、同和教育研究協議会の事務局、組合の担当、現場 の同推教員、あまり代わり映えしない。目に見えないひ とつの軸をグルグルまわり、順番をこなしているといっ た と こ ろ か 。 なんとか変革を、新しい展開を、とがんばるのだが、 なかなかうまくいかない。みんながパイナップルの缶づ めの中で立場を絶対化させ、何か越えられない、変わる ことのできないものを感じているのだろう。それに今も って教育現場でか被差別の立場にない者に何がわかる か H という理屈が存在しているようだ。吉田智弥さんは、 昨年の合評会冒頭、﹁実践会﹂︵奈良県同和教育研究会の 部落出身教師の会︶のことを話されたが、この会の存在 も大きな垣根であり、今や垣根とともに、あやうい役割 を果たしてはいないか心配である。ここ数年の活動は知 二
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年近く前、私が参加しはじめたころの会 こベる ら な い が 、 5合では、自己紹介で﹁
OO
学校のOO
です﹂とはいわな か っ た 。 ﹁OO
︵ 部 落 ︶ のOO
です﹂といっていた。ム ラの人間の集まりだと強調されていたからだ。しかも部 落名は行政大字名ではなく、部落独特の別称で呼んでい た 。 郵 便 物 の 届 か な い 別 称 で 。 実践会の成り立ちなどのことはさておき、集まること がまず目的で、集まれば部落の言葉︵ムラ弁︶がボンボ ン飛び出し、初めて会った仲でも妙に接近するのである。 正直、使いほうだいのムラ弁には、私も心地よきを感じ たひとりである。しかし、﹁ここへ来たら心が許せる﹂ とか、﹁やっぱりムラはええなあ﹂という感情まではも てないでいた。人は、ムラは共同体意識が強いといって 評価し、その意識を既成観念として定着させて来たよう だ 。 た だ 内 実 は 葛 藤 も あ る 。 部落と部落外の結婚も増加し、流出入もあり、実践会 の会員であることを、﹁出身、生まれ﹂をもってみなす の か 、 ﹁ 在 住 ﹂ な の か 、 ﹁ 部 落 民 と 結 婚 し た 人 ﹂ も 含 め る のかと議論になったことがある。いったいだれが部落民 かという、つまらぬ振り分けだったかも知れない。今は 知らないが、﹁住んでいるだけ﹂というケ l ス 以 外 は 、 認められたのではなかったかと思う。微妙だったのは、 結婚だ。女性が部落外の場合と男性がそうである場合と では若干ちがうようだ。これは女性問題にも関係するよ うだが、とにかく実践会というのは、やっぱりグ身内が で、外から見れば少し近寄りがたいところかもしれない。 それに、今や元部落外の人たちのほうが熱心だったりす る か ら 、 パ ス カ l ド、切り札、免 や っ ぱ り パ ス ポ ー ト 、 罪 符 、 い ろ い ろ な ん で し ょ う ね 。 部落はブランドなのか、必要以上に部落であることを 強調する人たちがいる。枕詞に﹁私も部落で:::﹂﹁う ち の ム ラ で は : : : ﹂ と 必 ず っ く の で あ る 。 も っ と す ご のは、部落内の人と結婚した多くの教員がわが子を﹁部 落の子として育てたい﹂という。﹁部落の子﹂とはどう いうか子育ち d をいうのだろう。自分たちの子である以 上でもそれ以下でもないのに、﹁部落の子として﹂とい う特段の力みがあるのはなぜだろう。結婚に対する反対 への裏返しか、部落問題にかかわっていくという決意な のか。一歩踏み込んで話を聞いてみるのだが、今ひとつ 私の胸に入ってこない。その力みはやはりナンセンスに 思える。ひとつ一の苦労がどうして﹁被差別の共感﹂にな〆v るのか、私には理解できない。 職員の研修や会議などでよく感じてきたことだが、部 落であるということで、あるいは、直接部落問題とのか かわりをもっ、または経験したということで、同和教育 の認識者として容認されるのである。被差別加差別の 二項でしか考えられないところでは、とくに﹁この心の 痛みが差別ではないのか﹂と﹁痛みは被差別の者にしか わからない﹂をベ l スにものをいうものだから、今もな お論議にならないのは、情けないとしかいいようがない。 部落問題にかかわることを自慢に思う教員たちは、厳し い部分をなんとなくパスしてきたのである。パスを繰り 返すうちに悩まなくなり、仕事はしなくなり、自己葛藤 がなく、自称認識者になってしまう。こんなことを堕落 とはいわないのだろうか。 私は、﹁被差別の者にしかわからない﹂を連発してき た人たちが、今もって部落であることを跨踏しなければ ならない心のありょうを、精一杯でいねいに語ることか ら始めなければならないと思う。 今年の部落問題全国交流会で、私は今日的な感覚に接 することができた。分科会で若い人たちの話を聞いてい ると、部落出身者であるとカムアウト︵名乗り︶するこ とがブランド化している様子がわかった。なんだか、た めらいながらタイミングを見はからって行うカムアウト に、かっこよさを感じている人もいるようにも思えた。 他者、多数とはちがうル l ツをもつことを、まるで至宝 の秘密を打ちあけるかのごとく語られるカムアウト。そ のことによって関係が深まるとされるカムアウト。そし て、ヵムアウトという言葉の響きそのものに輝きを感じ ている人もいるらしい。どうもこの羨望視的な部分と畏 怖感とが根底ではつながっていて、同和教育をめぐると き、現場がいびつさを呈してきたのかもしれない。 私は、夜間中学で勤めた経験をもつが、そこで出会っ た在日一世のハルモニたちから感じたことがある。ハル モニたちは守強制的にあるいはグ金がもうかる H という うかれ話を真に、つけて﹁君が代丸﹂に乗り込んだのであ る。戦前、戦中、戦後を生きてきた話、それは凄まじい 限りだ。そのハルモニたちとつき合っていると、この人 たちは、在日朝鮮人であることを、その立場を、免罪符 的な見方や武器的に使うような仕方をしないし、その方 法を知らないのだ、と思った。例えば、部落出身である こぺる 7
とか、﹁しようがい者﹂であることをタテにして勝負す るようなことをしないのだ。﹁朝鮮でなぜ悪い﹂という 怒りはあるが、それでモノをとる、得をするということ はない。部落の同対審答申以前の世代もそうだつたかも 日 L E ミ 。 免 オ 右 し 話はそれたが、ともかく、教育という垣根の中にまた いくつもの垣根があり、部落解放運動を前線で支えてき た教員たちも今や疲労困僅し、かっこよさなど求める精 神的余裕もなく、両側から越えると叫ばれても、対岸に いる同業者とすら境界線に近づくこともできない現実に 惇然となるのではないだろうか。 内にも外にも根づいたグものさ
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を 私の住むムラのことを少し。 都市型の部落でもなく、田中︵平野部︶の部落でもな い。したがって流出はあっても流入はほとんどない。若 い層はムラに仕事を求めず、来るべき時期が来たら多く はムラを出ていく。残って定住しているのは、高齢者、 公務員、土建業者、ほんのわずかな部落産業にたずさわ る人たちである。高齢化は他部落に負けないくらい進ん でいる。入りびとといえば、結婚を機に入ることがほと んどである。不思議なことにこのムラの女性は吸引力が あるらしい。つい先日、私と同世代もしくは若干若い世 代 の 女 性 一O
名程と雑談していたのだが、半分近くは相 手の男性が部落外で、みんなそれなりに反対や抵抗があ り、その結果、女性側のこの部落に住んでいるという。 部落問題を語りましょうという集まりでもなかったので、 それぞれのプロセスが思い思いに語られておもしろかっ た。﹁みんな、わからんもんやなあ﹂と、今は何もなか ったように暮らしている自分たちに感心していた。 同じように結婚を機に入った友人がいる。彼は、とな り村の材木商の息子である。車で五分もかからないとこ ろに生家がある。同じ街道沿いに位置しながら、今も帰 ろうとしない。立ち寄ることもない。彼がムラに入って 二O
年、この間支部運動にずっとかかわっている。﹁ハ ク︵部落外︶のお前に何がわかるものか﹂といわれなが ら 二0
年間、仕事もムラをはなれたことがない。こ四時 間このムラにいるのだ。二0
年 間 も 。 J以前は悩みが深く、ずいぶん孤立したという。部落で ない自分を軸にしながら、部落民とはだれなのか、何な のか、自分は部落民か、やはりそうではないのか、と考 えた。軸が自分だから、考えるポイントがはっきりして いただろうが、支部の中でも公ではないが、﹁あいつは 郁落出身じゃないから﹂﹁うちのムラの者ではないから﹂ といわれ、一線を引かれてきた。とりわけ同世代からは 厳しい視線があった。きっと根底に﹁ハクには被差別の 気持ちはわからない﹂という意識が支配し、彼をまいら せるには、とっておきのまなざしだったにちがいない。 そして当初は彼もその意識にまいっていた。まいりきっ︸ てはいたが、自分で選んだ道だといい聞かせていたのだ。 おそらくゆがんでいたことだろう。 し か
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、ここ数年、少し変わってきた。﹁たとえ数人 でも、本気・本音で部落問題についてしゃべれる連れが できたから、かそれでええねん﹂と肩の力を抜き、たおや かになっている。それに、部落解放を高らかに叫ぶより、 支部運動もライフワークのひとつとして、市の職員とい う仕事をきっちり見すえているようだ。自分が部落出身 でないがゆえに云々とされてきたことなんぞ、もうかろ やかにいなしているのではないだろ ν っ か 。 それとも二O
年たって、部落民になったと思っているのだろうか。こ の文章を出す前に本人に聞いてみたいと思う。 私の場合は、地縁・血縁も全くないものだからもっと わ か り や す い り 私は、部落出身、だから入れてもらったのだ。しかし、 このムラの者ではないからはずされるのだ。部落の内外 共通して、日々の暮らしの中でこのかものさL
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は、集 団の暗黙の了解︵規律︶を守るため活躍しているようで ある。このグものさL
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をとっぱらう、壊す、乗り越え るというのは、組織的な理念などではとても現実味は感 じられない。無理だと思う。 部落内でも、あるいは部落内だからこそ、はっきりし たこの両側をめぐる意識は外に向けられると、もっとど うしょうもなくなる。それは、旧来から部落問題にかか わっては、本音と建前とよくいわれてきたが、建前がカ バーできない程、ホンネは露骨になっている。しかも建 前を許さず、本音のゆがみの部分を解決したいなどとい ってきたが、その本音とはけっしてゆがんだものではな い。説得力のない、市民に理解されない同和行政を見事 こベる 9に 指 摘 し て い る と い え る 。 つい先日、私たちの校区同和教育推進協議会︵同推協、 社会啓発の一環︶の会議があった。毎年、地区別研修会 として部落問題をはじめ、差別の問題をとり上げ、研 修・啓発を住民対象に行政が中心になって行うのである。 その事前会議の推進委員会は、会場責任者︷区長︶、助 言者︵行政・同盟・学校から各一名︶、進行協力者︵行 政・学校からそれぞれ一名︶、事務局員など総勢四
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名 程度で組織されている。問推協運動は、厳じく冷えた状 況が、もう長らく続いている。あれこれと手を代え品を 代え毎年行っているが、ある会場では推進委員以外の住 民参加は全くないところもある。内容的にも部落問題を 回 避 す る 傾 向 に あ る 。 この推進委員会なる組織で思うのは、校区の教育現場 ︵保育所、小学校、中学校︶の過剰なまでのかかわりと 解放同盟の教育対策担当者たちが助言者としてまつられ ているヒとだ。なぜ同盟支部が助言者なのか、その理由 は知らない。行政の担当課、部落内公共施設の長たちと 校長、所長が各大字に三名ずつ振り分けられ、会の問題 提起とまとめを担当する。私も支部から出るひとりだ。 この推進委員会で役割を相談するのだが、とりわけ今年 は支部からの参加が少なかった。八名のうち出席したの は私ひとりだった。私は三つの大字を担当する。ある大 字を保育所長と中学校長と担当するのだが、相談を前に 二人とも﹁担当はもう決めた﹂というのである。打ち合 わせの必要はと思ったのだが、校長の﹁解放同盟の人は 来ないものと思っていた﹂という言葉に驚き、戸惑った。 解放同盟は助言者にたてまつられているのだが、もはや あてになど全くされていない。建前上まつってはおくが、 本音はあてになどしていると会議すらできないというこ となのだ。しかも出席の悪い私どもの足元を見られてい る。二年目の校長ですら同盟に対する評価はそんなもの だ。だいたい助言者などという言葉も気にいらないが、 校区の同推協について解放同盟の協力など必要ないと思 う。共同でやるにはあまりにも温度差がありすぎ、垣根 も高く、対話すら成立しない現状では意味がない。 もちろん、それはそれとして支部内で論議しなければ ならないが、私には校長が最後にいった﹁うかつな発言 でした﹂というのがまた気にいらない。解放同盟が気分 を害し、災難が自分に降りかかると予想したのだろう。情けない。同推協運動のあり方について提言があったぐ やっぱりやっかいな らいの気持ちでいればいいものを、 の だ 。 さて、私の友人、このムラ二
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年選手の彼が、昨年、 あたり前だけれどおもしろいことをした。彼は支部の環 境対策を担当している。そこで、住民で駐車場組合をつ くったのだ。それまでの駐車の状況といえば、路上駐車 はあたり前、というのは超えていた。四ケ所一OO
台程 の駐車スペースに三、四O
台ものナンバーのない、ある いはポンコツル廃車などがどこからだれが運び込むのか、 スクラップ場状態だった。しかも各車の駐車スペースは 決まってないので、いつも止めている場所が既得権とい うことになり、トラブルが度々起こる。なんとかしよう と呼びかけ、駐車スペースの確定から、料金の徴集、整 備、改修を自己管理の責任としてやり始めたのだ。 小さいかも知れないが、ひとつの自治である。今さら という住民感情はあるが、ムラの自治能力は、身近なと ころから再生する一しかないのである。教育も啓発も自治 も、生活レベルから発想しないと人の心は動かない。 とりあえず新たな展開を構築するには、先ずもって自 己批判的に過去を整理、分析し、とりまく現実から目を そむけず、背を向けず、私欲からくる願望などを捨てて 出発しなければ仕方ない。 ﹁ひとりでできることは高がしれているかも知れない が、ひとりだからこそできることもある﹂。連帯を限り なく求めて孤立をおそれず、ということかな。 こベる 11ひろば⑩
日本語に潜む差別性
梅沢利彦︵大学非常勤講師︶ ﹁ 部 落 解 放 同 盟 な ど の 人 権 団 体 が : : : 本 当 に 差 別 の 解 消を願うのならば、何よりもまず、﹃世間﹄の中にいる 人聞に﹃世間﹄の存在とその特徴を知らしめることから はじめるべきではないでしょうか﹂と書いているのは、 阿 部 謹 也 さ ん で す ︵ ﹁ 日 本 人 は ﹁ 世 間 ﹄ を 超 え ら れ る か ﹂ ﹃ 諸 君 ﹄ 九 九 年 一 一 月 号 ︶ 。 ﹁ 従 来 か ら 取 り 組 ん で き た 糾 弾 型 の 活 動 は : : : む し ろ ﹃ 世 間 ﹄ に 新 た な る 恐 怖 心 を 植 え付けるだけの反作用しかもたらさない﹂という文章が 挟 ん で あ る だ け に 刺 激 的 で す 。 ぼくは糾弾も﹃世間﹄に異議を申し立てるひとつの形 と考えますから、そのやり方に工夫があるとしても、文 中の﹁しか﹂には留保をつけます。しかし﹁世間﹂とい うキーワードで日本社会の特性を浮かび土がらせた阿部 さ ん の 仕 事 に は 注 目 し て い ま す 。 八阿部さんの﹁世間﹂は﹃社会﹄と対立L
た 概 念 で 、 ﹃ 滅 私 ﹄ と ほ と ん ど 同 義 語 で す 。 そ こ で は ﹁ 個 性 、 人 権 民主主義、自由、平等﹂という近代的概念が、﹁絶対視 されながらも、完全に空洞化してしまった﹂と認識され ています。このことは最近の日の丸・君が代法制化論議 をみても明白です。そうなっている根拠として阿部さん は、日本では古代以来の呪術関係l
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天 皇 制 の 土 ムU
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を含むさまざまな俗信や迷信が人間関係の全体を強く規 定 し て い る か ら で あ る と し て い ま す 。 こ れ に 対 し て ヨ ー ロ ッ パ に お い て は 、 スト教が急速に普及すると、二二五年に第四回のラテ ラノ公会議が聞かれ、異端鎮圧や典礼、教会法などが論 議され、そのなかに告解の義務づけがありました。自分 の犯した罪を司祭に告白して神の許しを得るというもの ですが、自己を見つめることになります︵何が罪に当た し ょ く ざ い るかは﹁蹟罪規定書﹂に定められている︶。また同時期 にみられた都市の誕生と様々な職業の派生が、職業人と 一 三 世 紀 に キ しての倫理を生んだとされます。網野さんは﹁この二つ の要因が相まって、ヨーロッパ全域に﹃個人﹄が生まれたのです﹂と書いでいます 04 ぼくはこうした﹃世間﹄が差別の温床になっていると いう論議に納得した上で、世間の中にあるもう一つの温 床について考えてみたいのです。それは日本語のもつ差 別性です。ぼくは今年の一月から六か月かけて、ジョナ サ ン ・ ハ l ルというアメリカ人が書いたノンフイクシヨ ン﹃ある民事訴訟﹄の翻訳をしました。アメリカ・マサ チューセッツ州のボストンに近いウォウパ l ン市で幼児 の白血病が集団発生しました。市の水道源になっている 取水井戸のうち二つが、テトラクロルエチレンなどの有 害物質に汚染されていたことが判明します。母親たちは 取水井戸近くピ立地し同材を洗浄剤として使用していた 総合食品会社などを、汚染原因者として人身被害訴訟 ︵日本では公害訴訟︶をおこします。連邦地裁から始ま って最高裁の最終裁定に至るまでの法的な手続きが、訴 訟当事者の動向と相まって詳細につづられているもので す。原書で五百頁という大著であるだけでなく、法律、 医学、地質学などの専門用語が飛び交うので﹃ステッド マ ン 医 学 大 事 血 ︿ ﹄ な ど も 買 い 込 ん で 往 生 し ま し た 。 訳 稿 はある出版社に託してありますが、まだ日の目は見てい ま せ ん 。 ところで往生したのはそれだけでなく、日本語の奇怪 さです。まず﹁入れ子﹂状とよばれる構文です。英文は ﹁ 私 は : ・ と 考 え る 。 そ の 理 由 は : ・ ﹂ と な り ま す が 、 日 本 文 は ﹁ わ た し は : : ・ : : だ か ら 、 : ・ と 考 え る ﹂ と な り ま す 。 金田一春彦さんも﹁従属的な要素を先に、主要な要素を あとにおく語順は:::修飾語が先に来るために、それが 長いときには何を言い出すのか容易につかめぬ﹂︵岩波 あいまいもニ 新書﹃日本語﹂下︶と書いています。暖昧模糊として、 外国人から日本人は自分の主張をはっきり出さないと評 さ れ る 一 因 で し ょ う 。 つぎは男女による表現の違いです。英文では会話に男 女の違いはありません。ところが日本語に訳すとき、女 性 の こ と ば は ﹁ そ う だ わ ﹂ と か 、 ﹁ お か し い わ ね ﹂ と か 、 ﹃ お ん な こ と ば ﹂ に し な い と し ま り が つ か な く な り ま す 。 これは言語における女性差別ではないでしょうか。 最後は敬語の問題です。軍隊のように階級制がはっき りしているところや、﹁日一那﹂というニュアンスをだす こベる ときに、英語でも﹁サ l ﹂をつけるのはよく知られてい ます。また法廷で判事︵裁判長にあたる︶に話しかける 13
ときに寸閣下﹂といったニュアンスの﹁ユアオーナー﹂ r ということばをつけます。これらの単語は末尾にちょこ んと置かれるだけで、会話の本体は対等な言葉遣いにな っており全然変わりません。深刻な意味ではなく慣例の ようなもののようです。これに対して日本語では、長幼、 職業、職階等々相手の社会的ステータスによって、それ らしい敬語をつけることが常識とされ、それを怠ると非 常識となじられます。わが部落問題全国交流会の懇親会 でも、杯を交わす相手によって無意識のうちに敬語を使 ったり使わなかったりしているのではないでしょうか。 これもまさにステータス差別でしょう。 翻訳の中で女性の言葉は慣例通り訳すほかありません でした。しかしたとえば弁護士事務所にはシニア l ・ パートナーとアソシェイツ・パートナーがおり、前者が 上司になります。普通日本語では後者は敬語を使うもの とされます。しかしぼくはそうしないで、ちょっと敬意 を込めた友人言葉にしました。さらに﹁入れ子﹂構文で すが、できるだけ原語に近い構文にする冒険をしました。 あるいは直訳調だととられるかもしれません。 日本語は紛れもなく﹃世間﹄を律しており、その中に 差別性を潜めているとぼくは考えるのです。日本語を変 えていくことも、差別をなくす営為の重要な一環なので す 。 ところで梅梓忠夫さんが﹃実戦・世界言語紀行﹄︵岩 波新書︶でおもしろいことを書いています。日本語を学 ぶ外国人が増えている、いわゆる日本語の国際化という 現象をふまえた考察です。﹁柔道が国際化するとともに、 体重別の制度が導入されたように、日本語も国際化とと もに、なんらかのル l ル変更がおこる可能性がある。た とえば、敬語が現状のままでおこなわれるかどうかには 疑問がある。それはそれでよいのではないか﹂。それで よいのではないかではなく、ぼくは外圧にも期待してい るところです。メモ程度の文章になりましたが、いつか は本格的に展開したいと考えています。
ヒロの楽書き帳 月に一度行われるお寺の縁日に、お手伝いに行き ました。たまたま境内にあるお茶屋のおじさんと顔 見知りになり、ちょうど私もヒマだったということ もあって、縁日の前日から下準備などをさせてもら いました。毎月のことのせいか、お手伝いに来てい るおばさんたちは手慣れた様子で、てきぱきと作業 を し て い ま す 。 いままでいろんなアルバイトを経験してきました。 さまざまな店での店員の受け答えなどを反面教師に じたり、逆にいいなと思えたところを自分なりに取 り入れたりしてきたつもりでいました。けれど、こ ころのどこかで専業主婦を見下す、見下してもかま わないだろうという部分があったようです。家庭に おさまっていることが、男性︵主人︶に依存してい るように思えて、なんとなく不愉快だったのです。 それに家事労働は、仕事にくらべると大したことじ ゃないようにとらえて軽視していました。深いとこ ろで、﹁家事は女がやって当たり前﹂という親の言 葉が作用していたのかもしれません。 作業を終えたところで、五十代のおばさんがバケ ツで大量のお米を研いでいることに気がついて、﹁手 伝います!﹂と言ったものの、もう最後の分でした。 思わず﹁すごいですねえ﹂と感心すると、その人は にっこりと、すがすがしい、いい笑顔で﹁だって、 主婦、だもん﹂と言ったのです。言い訳ではなく、自 信と誇りを含んだ響きがそこにはあり、年齢をたて にまだ若いんだからと言い逃れができる自分の精神 を少し恥ずかしく感じました。そして、親の言って いた言葉﹁女がやって当たり前﹂を頭のなかでは古 くさい性役割分担のように批判的にとらえていたの は、私の思い込みだったようです。﹁あてなあー んだ。これもひとつのキャリアと言えるんじゃない﹂ と、あっさり考えなおすことができた感じでした。 お米なんて、誰にでも研げれるわと思っていたけ れど、おいしく炊くにはコツがいるし、コツ云々の まえに、丹精込めてということが肝心。私が、いい なと思い、見習いたかったのは、この丹精を込めて、 つまりまごころ込めてということだったんじゃない かなと思いました。この人の研いだお米は翌日、五 日ご飯になって完売となりました。︵多国ヒロミ︶ こべる 15
﹁ ζ ぺ る ﹂ ︵ Z0 ・ 勾 JZ0 ・ 司 ︶ 論 文 目 次 一 九 九 七 年 一 一 一 月 | 一 九 九 九 年 八 月 Z0 ・ 印 吋 ︵ HU 由 吋 e H N︶ 少数者の意味畑中敏之さんの文章﹁身分・身 元−アイデンティティ﹂に寄せて恩地理 綱 領 改 正 は 間 違 い か 柏 岡 正 禎 Z0 ・ 印 白 ︵ H 坦 坦 ∞ ・ H︶ 解放へと導く力を育むために︵上︶|奈良に お け る ア ン ケ ー ト 調 査 か ら 山 下 力 京都新聞文化賞を受賞じて
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﹁ 一 一 一 輪 車 疾 走 ﹂ 所 載 の 討 論 を 読 む 師 岡 佑 行 Z0 ・ 印 由 ︵ HU 也 ∞ N ︶ 解放へと導く力を育むために︵中︶|奈良に お け る ア ン ケ ー ト 調 査 か ら 山 下 力 人 種 概 念 の 破 綻 の 公 式 確 認 柴 谷 篤 弘 20 ・ 田 口 ︵ HU 双 山 ・ ω ︶ 解放へと導く力を育むために︵下︶|奈良に お け る ア ン ケ ー ト 調 査 か ら 山 下 力 永井荷風と部落問題|天皇直訴事件のひとつ の 波 紋 野 町 均 Z 0 2 ︵ HU 叩 ∞ − A F ︶ 山道の楽しみ方 ﹃ レ デ ィ ・ ジ ョ ー カ ー ﹄ と 部 落 問 題 ﹃ も の の け 姫 ﹄ 雑 想 Z0 ・ 白 M ︵ 同 由 也 ∞ ・ 印 ︶ 林屋辰三郎先生を悼む 立 己 川 川 工 士 川 目 5 1 P せ Z ﹁ 布 引 M p t , 匂 ι ρ 4 n q A J Z 世界と刺し違えた少年 浴口勝也 師岡佑行 熊 谷 亨 今 谷 明 住田一郎 武田秀夫 ZO 白 臼 ︵ H 甲 山 出 ∞ ・ 由 ︶ 部落問題の新しい局面、又は位相 ︿ 世 界 ﹀ と 刺 し 違 え た 少 年 ︵ E ︶ Z0 ・ 白 # ︵ ] ︷ 坦 坦 ∞ ・ 叶 ︶ ﹁ 少 数 者 の 意 味 ﹂ を 読 ん で Z0 ・ 田 町 ︵ H U U ∞ ・ ∞ ︶ 部落問題と︿共同幻想論﹀をめぐって 原因琢也 ル キ ノ ・ ヴ ィ ス コ ン テ ィ は 二 度 ベ ル を , 鳴 ら す 武田秀夫 土 口 田 智 弥 武田秀夫 萩原幸枝 Z0 ・ 白 白 ︵ H U U ∞ 由 ︶ 言葉を取り去って見えるもの︿部落・部落 民 ・ 部 落 差 別 ﹀ を め ぐ っ て 山 城 弘 敬 ルキノ・ヴィスコンティはアルファロメオの サイレンを鳴らしはしたが・:武田秀夫 Z0 ・ 白 吋 ︵ 日 由 也 ∞ H O ︶ ﹁私﹂から始める部落問題︵上︶高倉浩一 取り戻そう身近な触れ合いを地域から 中 村 尚 司 Z0 ・ 白 白 ︵ H U U ∞ ’ 己 ︶ ﹁ 私 ﹂ か ら 始 め る 部 落 問 題 ︵ 下 V 高 倉 浩 一 黒湾映画に関するありふれた感想、そして ﹁ ニ ル ・ パ イ ・ マ ウ ス ﹂ 武 田 秀 夫 ZO 回 国 ︵ 日 由 也 ∞ − H N V 解 放 運 動 へ の 提 案 と 聞 い 柴 谷 篤 弘 レイ・ウインストンはくりかえし殴る﹁レ デ ィ パ 1 ド ・ レ デ ィ パ l ド ﹂ と ﹁ ニ ル ・ バ イ ・ マ ウ ス ﹂ 武 田 秀 夫 Z O U 1 0 ︵ HU 由 也 − H ︶ ﹃ 部 落 史 を 読 む ﹄ を 読 む 野 町 均 Z0・ コ ︵
H U U 由 N ︶ 残る課題は教育︵低学力︶問題か?|第一五 回部落問題全国交流会への感想松岡勲 全 同 教 奈 良 大 会 に 参 加 し て 住 田 一 部落史は終わったか|歴史の方法をめぐって ︵1 ︶ 師 岡 佑 行 Z0 ・ 吋 旧 ︵ HUUUU ︶ ﹁現実﹂をつくる︿実体化﹀と︿実体化﹀を う む ︿ 共 同 幻 想 ﹀ 浴 口 勝 也 Z0 ・ 吋 臼 ︵ H U U U 品 ︶ ﹁創造的破壊﹂が未来を拓く︵上︶山旧安弘 Z0 ・ 吋 与 ︵ H 由 UU 印 ︶ ﹁ 創 造 的 破 壊 ﹂ が 未 来 を 拓 く ︵ 下 ︶ 山 回 目 安 Z0 ・ 吋 印 ︵ HU 由 U −m ︶ 部 落 史 は 終 わ っ た か | 畑 中 敏 之 著 ﹃ ﹁ 部 落 史 の 終 わ り ﹂ に よ せ て 師 岡 佑 行 私の体験から|この辺で、事故でも起こした ら 、 一 う る さ い 百 し い よ ー 火 口 亜 Z0 ・ U 可 申 ︵ H U U U − 吋 ︶ 歴史に何を学ぶか師岡佑行さんの批判に応 え て 畑 中 敏 之 ヒ ロ の 楽 書 き 帳 多 国 ヒ ロ ミ 住 田 一 郎 氏 の 質 問 に 答 え て 松 田 好 Z0 ・ 吋 吋 ︵ H U U U ∞ ︶ K さんへの手紙師岡・畑中論争を読んで考 え る 熊 谷 亨 韓 国 料 理 を 学 ぶ 中 島 智 枝 子 生 命 の ﹁ 立 場 ﹂ 野 町 均 ヒ ロ の 楽 番 き 帳 多 国 ヒ ロ ミ ﹃ ニ ぺ る ﹄ ︵ H A O H I Z 0.
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︶論文目次鴨水記 マ街の大きな書店にゆくと、たいて い書評コーナーというのがある。全 国紙で紹介された反響を見越しての ことでしょう。﹁同和はこわい考﹄ も﹃﹁部落民﹂とは何か﹂も、新聞 で知ったという人がけつこう多く、 その影響力は認めざるをえません。 しかし、なんとなく権威主義が感じ られ、かえって読む気がうせること もある。性格がゆがんでいるんでし ょ う か ね 。 ところが、朝日のコラムで紹介さ よ れた茨木のり子さんの詩集﹃僑りか か ら ず ﹄ ︵ 筑 摩 書 房 、