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仏教文化研究所紀要50 009吉川, 悟「寺院活動における新たな「心理的援助」 : 相談窓口機能の可能性」

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寺院活動における新たな「心理的援助

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個人研究

寺院活動における新たな「心理的援助」

一一相談窓口機能の可能性一一

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.目的

本研究は,過去において仏教文化のコンテクストで実践されてきた対人援助の多様な側面か ら「心理的援助

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の側面を取り上げ,今後の寺社活動における「心理的援助jの有効な実践可 能性について検討するものである。 本論では,現在における臨床心理学の統合的発展を検討することからはじめる。次に,人間 のなにげない困難感に寺社が果たしてきた多様な役割を初期の著名な活動に絞って検討する。 そして,寺院活動で僧侶が行える「心理的援助

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を検討し,寺院における今後の「心理的援 助」の実践可能性について検討することとするロ 1,目的の背景(臨床心理) 臨床心理学は,応用心理学の一つであり,人格心理学,発達心理学,社会心理学などの基礎 心理学領域を持つものである。これらの基礎心理学の実践的な活用指針として成立したのが臨 床心理学である。しかし,現在の臨床心理学という名称は, 1950年代まで異常心理学という名 称が使われていた経緯がある (Davison,e

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al, 1998)。これは,現在の臨床心理学が,不適応 や逸脱行動がみられる人を対象としていることからも想像できるように,日常的とは異なる心 理状態にある存在の人を対象とした心理学であることを顕著に示していたからである。 臨床心理学は,多様な人間の行動異常について,それを科学的に解明し改善することを目的 とした実践的な学問であり,実践のためのガイドラインには要点がある。一つは,

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行動観察j という視点、であるロこれは,行動主義の立場からの認識論で,実践場面における「参与観察」 が基礎となっており,実験心理学的な場面でみられるような客観的な観察ではなし研究対象 である人にかかわりながらその特徴を観察することを基本としている。二つは,臨床心理学の 基本的立場としての「正常性の回復」が目的となる科学的実践であることである。歴史的に逸 脱行動や異常体験の起因を心理学的な特徴から生じたものであると見なすことで,適応的な日 ( 50 )

(2)

寺院活動における新たな「心理的援助」 常の回復が目的とされる。そして最も重要なのは,臨床心理学が近接学問領域との違いを明確 にし,その独自性を確立するために多様な心理的変化のための理論が成立していることであるo 現在の臨床心理学は,心理的援助という社会的な注目に従い,そのコンテクストを大きく変 化させはじめている。これまで多様な理論・方法論が登場し,それぞれの盛衰が見られたが, これらの多様な方法論の共通項目として残るものとして「変化j に対する注目がなされるよう になっている。これは, 1980年のエリクソン会議以来,それぞれの専門分野の統合が叫ばれる ようになった (Zeig,et al.1987)。そこに共通して議論されるのは,理論的一致という側面で はなく,実践的効果の共通性である。これは,実際の臨床実践の記録に見られる治療者ークラ イエントが相互に影響し合う場面を再検討することであり,そこに共通する有効な対応をそれ ぞれの理論的背景をできる限り持ち込まないで模索しようとすることである。

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,目的の背景(寺院活動) 寺院の社会活動のコンテクストは,教学・布教活動が人とのつながりを生み出すものであり, そこには必然的な心理学的援助が近年までみられたと考えられる。寺院の社会的活動は,仏教 の伝来以来,密接な地域社会の拠点、としての位置づけられてきたという経緯がある。したがっ て,そこに集まる人は,多様な人間学的な困難感を持っていることがあり,その対応が必然的 に求められてきたため,その対応も必然的に行われていたと考えられるべきであるo いわば, 日常的な寺院活動の一部として心理的援助が行われていたと考えられる。ただ,その多くは住 職の社会的なつながりや,自らの修練のために出向く修行・研修などの場面に集まる他の地域 の住職との情報交換,それぞれの経験則によってもたらされた対応など,多くは住職を中心と した寺院関係者の経験的な情報を活用しており,それが教学的意味を持つものとして位置づけ られるものでない限り,寺院活動の必然ではありながらも,周辺的なものとして位置づけられ ていたと考えられる。そうした情報のなかでも,結果的にその時代ごとに存在した「心理的援 助の専門職に繋ぐ

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という情報提供が重要なものとして位置づけられていたと考えられる。そ れは,当時は社会的な情報の共有が困難であり,情報を所持していること自体が重要な価値と して位置づけられていたからである。 しかし,近代になってこうした情報の所持は,人の移動が簡便になったことで,情報の入手 が容易になり,寺院の住職の持つ情報の価値以上に,自らが情報収集するという手段が行える ようになることで,寺院における心理的援助への期待は薄れたと考えられる。加えて,欧米か らの専門性が分化した学問体系が流入することによって,心理的援助というコンテクストが細 分化されたという影響も大きい(遠藤2003)。それぞれの心理的支援であっても,専門分野ご とに分化・特化される傾向が強化された結果,寺院活動に含まれていた法学・医学・福祉学な どの専門性は,もはやほとんど存在していないかのような状況にある。特に,法律的・社会的 に専門化されてしまった法学・医学などの専門性と寺院との新たな繋がりがほとんど見出され

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寺院活動における新たな「心理的援助」 ていない。 ただ,それでも現代の寺院活動には,多様な人間学的な困難感への対応について教学的な側 面から支援を行うことも少なくない。最も顕著な例は,傷病労苦に関することが宗教的支援を 第一義的選択としていることであり,この考え方は,多くの人に現在も位置づけられている。

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,目的のために必要な検討要因 臨床心理学と寺院活動のそれぞれについて並列で検討することによって,それぞれの共通性 をどのように位置づけられるかを考察することとする。 まず,臨床心理学では,

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心理的援助j を再定義できるかというテーマを検討する。これは, 現在の社会実践における「心理的援助」の多様性を検討し,臨床心理学だけが唯一の支援の方 法ではないと考える。近接専門領域での「援助行為

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と,臨床心理学的「援助jの接点を統合 した視点、を検討することで,本論における「心理的援助」を再定義できるかを検討するロ 一方,寺院活動においては,過去の寺社活動での「心理的援助j をできる限り文献的に検討 し,寺院活動においてみられた社会貢献という活動が,社会的に分化した専門職として切り離 され,特化されることによる弊害を検討する。その上で,現在の寺院活動での「相談」につい て質的な検討を行い,過去の寺院活動で見られた社会貢献を再現できる可能性について検討す る。

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方法

1,方法(臨床心理) 臨床心理学の領域においては,まず臨床心理学の統合を促進した社会的根拠の検討を文献学 的検討から行う。ここでは,社会的コンテクストとしての「治療効果

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の研究を概観し,臨床 実践における方法論の特化より折衷的対応を優先すべきとの議論が提示されている。これによ って統合的視点から「心理的援助」を再検討する立場が強まったという臨床心理学の発展の経 緯を概観する。 そこで着目したのは,①心理的現実の解釈へのポジティプ心理学の台頭,②

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年代のプリ ーフセラピーの定義とその理念,③臨床心理学でみられる「相談

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の質的検討の限界,④ユー ザーという視点、からの実践への影響(調査),⑤臨床心理学の社会存在意義を社会構成主義か ら検討,⑥治療評価に相対的評価を導入することによる影響,などについて検討を行う。

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,方法(寺院活動) 寺院活動の領域においては,過去の寺社活動の実践と心理的援助の繋がりを文献から見出し, そこに見られた寺院活動における人に対する対応のあり方を検討することで,寺院活動で行わ

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)

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寺院活動における新たな「心理的援助j れていた心理的援助の内容を再検討することに重きを置いた。 寺院活動に含まれていた多様な専門性の検討することによって,過去においてはどのような 意図で,どのような内容の支援や援助が行われていたかを明らかにすることで,寺院活動とし て困窮した人に教学的立場でかかわるという目的で行われていた行為に,いわば意図に隠れて いたような当たり前の「心理的援助

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が多様に見られるかについて検討することとした。また, 同時に寺院活動の対象として,どのような「人への援助

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が存在したのかを検討した。 これらの前提に立ち,現在の寺院活動の社会的活動として行われている「保育園経営

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を取 り上げ,その現場で見られた「心理的援助jの実際についての聞き取り調査を行った。これは, 寺院活動に含まれていた社会活動の専門'性への傾倒と,そこに存在している対人援助の実践例 を検討することで,今後の寺院活動における現代的実践の可能性を,発展した統合的な臨床心 理学的援助との繋がりという視点から検討することとした。

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結果

1,臨床心理学からの検討結果 1-1,心理療法の調査研究の議論 心理療法の効果研究に関する調査は,その目的性が時代的に変遷しているo それを概観した 金沢 (2001)は,

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心理療法の効果を明らかにすることは,臨床心理学全体にとっても最大の 関心事jであるとしつつも,

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心理療法の調査研究の歴史は,そこにある理論的繋がりを示唆

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するものであり,心理療法の盛表についての社会的評価による影響があるとしている。その中 で取り上げているのは,心理療法の調査研究の目的に関する歴史的経緯である。心理療法の効 果研究の始まりは, Eysenc1王 H.]. (1952)の投げかけた心理療法は「有効か,無効かJとい う問題提起であるとしている。その後の調査研究の動向は,調査結果の変遷として「効果あ りj という部分に絞られていた視点を,治療的効果を生み出している「効果要因」の検討への 発展し,多様な要因が見出されるにしたがって,その「マッチング

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が検討されるようになっ たとしている。 国際的な立場での心理療法の効果研究に目を向ければ,心理療法全体の研究をレビューした 最も著名な書籍である“Handbookof psychotherapy and behavior change."の変遷が注目さ れる。この書籍は, 1971年に初版が発刊され, 1978年に2nd editionに変更され, 1986年に 3rd editionに引き継がれ, 1994年に 4theditionとなり,そして2003年の編纂主体が変わって Lambert M. ].の編纂として5theditionが刊行されている (Bergin.et.al.1994 [1st 1971, 2nd 1978, 3rd 1986J)ロ 1994年の4theditionの前書きでは,当時の調査研究について以下の ように述べている。「行動科学を前提とした認識論から治療プロセスごとの違いを調査研究に どのように反映すべきかの過渡期」であり,

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心理療法の多様性について,表面的な方法論の ( 53 )

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寺院活動における新たな「心理的援助j 違い,治療の目標設定の違い,認識論的背景の違い」などが挙げられるが,

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調査研究は,違 いを包括する方法・分析でなければ,実践に反映できる調査研究にはならないとする批判に対 応しようとする研究を取り上げること」を意図して編纂したことが述べられている。 こうした心理療法の調査研究の議論として特筆すべきことは,

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年に著し た書籍“

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白日本では,

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酒井汀訳:心理療法の比較研究,説得と治療,岩崎学 術出版社,

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として翻訳されていながら,多くの心理療法の実践研究者から着目されずに 絶版となり,

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杉原保史訳:説得と治療,心理療法の共 通要因,金剛出版,

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jとして再度着目されるようになった。これは,

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年当時の著書の 中に「量的研究データが臨床実践に貢献しないj という調査研究と臨床実践の希離を明確に示 していたこととともに,

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は「ある現象が存在すると証明することができないとい うことは,それが存在しないと証明することとは,まったく別である。治療は効果があるとか, ある種のものが他よりすぐれているということが,統計あるいは実験的に証明するのが困難で あるのは,そこに関与する変数を, 1つとして的確に定義しえていないことにあるであろう

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と述べ,心理療法の調査研究における多彩な要因に研究者が困惑することについて言及し,そ れを科学的視点による要因の欠落として位置づけていることである。 このように心理療法の効果研究は,未だに明確な「要因聞の関連性

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を見出せていないD し かし,この調査研究の変遷で明確になったことは,心理療法のそれぞれの立場の方法論の中に は,少なくとも何らかの人を変化に導くための共通する「要素,および要素問の関連性」があ るとされたことである。いわば,心理療法のそれぞれの方法が異なっていたとしても,その心 理療法が効果を示すということは,その方法の中に人の心理的困難を解消する変化を生み出す 要因,または要因聞の関連性が存在するということであり,理論的な差異ではなく,臨床実践 における共通性が存在することが証明される結果となっていると考えられる。

1-2

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心理的援助」の再検討 本項目の「心理的援助」については,これまでの臨床心理学における視点とは異なり,その 再検討が必要であると考える。それは,従来の臨床心理学において用いられている多くの方法 論は,臨床心理学の専門性からの有益性を主とする「閉じた臨床心理学」であった。しかし, 臨床心理学の社会的有効性が流布するとともに,社会的な立場から臨床心理学に対する批判が 相次ぐこととなった。その最も象徴的な事態が,国際プリーフセラピー学会の発足

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で ある(宮田

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このプリーフセラピーというものの登場前の社会的状況は,①心理療法の効果に対する疑問 の声が社会的に上がり,

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が効果研究についての疑義を投げかける データを発表するとともに,心理療法の顧客であるクライエントのニーズのリサーチを

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-寺院活動における新たな「心理的援助

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manとGurman(1963)が行うことで,心理療法の長短には効果的差異がないことが示され た。これを受けて,米国の多くの保険会社が顧客への保険料の支払限度額を減少させる戦略と して,これらの治療効果に対するデータを活用することで,心理療法の保険費用の減少を果た すことに成功し,プリーフセラピーを看板に掲げた心理療法施設が多くなった。 同時期に1980年に開催された「エリクソン会議j において,多くの心理療法のマスターセラ ピストが集い,心理療法の統合の可能性についての議論が投げかけられた (Zeig1987)。そし て,欧米での医療におけるインフォームドコンセントの影響により,全米の精神疾患の患者を 抱える家族会などから,心理療法に対するインフォームド・コンセントが求められるようにな った口加えて,人権意識の高揚に伴う危機介入の必要性が児童虐待等の事例に対して声高に叫 ばれることで,治療意欲のない被虐待親に対する短期的で効果的な心理療法の必要性が提言さ れるようになった。 そして,最も決定的であったのは,心理療法のトレーニングの問題である。心理療法家の社 会的必要性が声高に叫ばれるようになるにつれ,社会は有能な治療者の早期養成を求めるよう になった。しかし,これまでの心理療法では, 10数年のトレーニング期間が必要であるため, 社会的ニーズに対応することができない状況であった。こうして従来の心理療法のあり方その ものに対しての批判が強くなる結果となった。 こうした社会的な背景において, 1995年に国際プリーフセラピー学会が設立され,その時に

Brief Therapyの定義である Unmuddyingthe Watersが作られた(宮田1997)。それは, ①問題は人の内にあるのではなく,人と人の間にある。 ②言語は重要な地図であるが,領土ではない。 ③一般的よりも,むしろ具体的で特別なクライエントの行動に焦点、を当てる。 ④変化が治療の本質であるo この定義は,従来の心理療法とは大きく異なる視点を提供するものであり,

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相互作用的見 解に基づき変化を志向すること」が前提とされていた。 このように,臨床心理学における新たな展開として,プリーフセラピーの立場による援助の あり方を検討し,その方法論の基本となっている立場を検討することによって,新たな寺院活 動における心理的援助の実践のガイドラインが提供できると考えられる。

1-3

,ポジティヴ心理学の台頭 心理療法に対する一連の変革は,心理療法のユーザーが心理療法の実践家に影響を与えると いう形式が基本であった。それは,臨床心理学の社会的な存在意義を再検討することとなり, 社会構成主義による臨床実践と事例報告のあり方を再検討することを余儀なくしたことにより, 心理療法の効果とは何かについて,治療評価をする立場が専門家からクライエントに移行する という逆転の発想による展開であったと考えられる。それは, 1980年代の「ユーザーの学会参

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寺院活動における新たな「心理的援助j 加による影響」を受け,

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年代に「治療効果研究の閉塞感」から,

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年代になって「クラ イエントとの治療効果の検討が治療的かという議論」へと展開することとなった。 この頃に生まれた心理学の視点、が「ポジティヴ心理学

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である。これは,基本的な概念として,ポジティプな側面に焦点、を当てて人聞を見る ことで,人間の持つ強さや優れた機能を成長・促進させることができることを証明しようとす る立場であり,

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の「ポジティプ感情の役割:

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の「発達におけるレジリエンス:

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など,これまでの臨床心理学や精神 医学のような人のネガティプな側面のみに焦点を当てるのではなく,人聞が持つ強さや優れた 機能などのポジティヴな側面に焦点をあてるという研究が生まれた。 最も顕著に初期研究で提示されたのは,多くの虐待的対応を受けてきた子どもたちがいる部 族であるにもかかわらず,通常の臨床心理学的視点から考えれば

PTSD

などの情緒的混乱が あっても当然の子どもたちが通常発達を遂げているという結果が見られたことである

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ロそこでの子どもたちが行っていた自らに対する対応が,リジリエンスという概念 を提供することにつながり,ポジティヴ心理学の基盤となっている。これは,臨床心理学が異 常心理学と呼ばれた歴史的経緯とはまったく逆の展開である。 臨床心理学では,問題のある状況に置かれている人は,その葛藤故に逸脱行為が見られるこ とが通常の考え方である。にもかかわらず,前述の事例のような人たちが現実的に存在すると いうことは,問題のある状況に置かれている人が必然的に逸脱行為に至るわけではないことを 示しており,そこに何らかのこれまでにない心理的発達を促す対処・対応があると考えられた のである。 このように,ポジティヴ心理学は,これまでの臨床心理学の前提とは異なる「人の肯定的側 面に着目する」という新たな心理学である口そして,そこで見られた対処・対応の詳細な記載 から,新たな対人援助の大きな枠組みが提示され始めている。現在でもこれらの理論は発展を 続けており,今後は臨床心理学に大きな転換を迫る可能性さえあると考えられる。

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,寺院活動からの検討結果

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ーし仏教思想初期の他者支援の基盤的存在 寺社活動における社会的支援については,直接的な臨床心理学的援助そのものは,存在確認 ができないと考えられた。それは,臨床心理学が一つの専門性として独立したのが

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世紀から であるためであるo したがって,臨床心理学の近接領域での対人援助の社会的実践という側面 に視野を拡大し,仏教文化における社会事業活動を見直すことで,そこに含まれていた心理的 援助の実践を検討することとした。現在においても対人援助の場面には,心理的ケアが必然的 に伴っており,英語表記においても

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などの語源

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寺院活動における新たな「心理的援助」 に含まれる意味を検索したところ,やはりそれらのいずれにも心理的援助の側面が付随してい たからである(寺沢 1997.Onions. et. al.1966)。これは,欧米の文化的背景としてのキリス ト教思想の中において,社会的支援として初期のキリスト教文化の中に心理的援助が存在して いることからも明らかである。 この考えにしたがった場合,寺院活動における社会的支援のあり方は,大乗仏教の実践体系 として六波羅蜜行に集約されていると考えられる。勝文 (1970) は,

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大乗仏教徒の社会的活 動

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において,

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布施」と「持戒」が最もその基礎となるものであることを示しており,現在 の仏教文化における社会的支援の多くの研究は,この二つから発展した「福祉思想

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がその源 流にあるとしているo加えて,早島 (1964) は,

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初期仏教と社会生活

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において「福田思想j を取り上げ,平川(1975) は「原始仏教の倫理

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仏教の倫理思想とその展開』において,

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四 摂事」として「布施・愛語・利行・同事

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四無量心」として「慈・悲・喜・捨」を取り上げ, 六和敬等原始仏教以来の仏教倫理思想であるとしている。 また,中国撰述の偽経である『焚網経』は,最澄や空海,叡尊らが影響を受け,社会活動の 根拠となった教典とされているが,そこには,菩薩が衆生にかわって「毅辱

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を受けることが 示されている。これは,菩薩の代理受苦の実践であり,そこに「忘己利他jの立場があり,慈 悲を具体的に指し示すものであったと考えられる。厳しく自己を律し,否定的転回を迫ってい くことで,福祉主体としてのあり方を思想化してしぺ意味が見出だされるとされている。 このような背景を元に,本研究における仏教初期の寺院活動として取り上げたのは,仏教文 化伝来当時の社会的に著名な活動をしたとされる①聖徳太子 [574-622] による実践,②行基 [668-749] による社会的実践,③最澄 [766or767-822] による社会実践,そして④空海 [774 -835] による社会実践である。

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- 2

,聖徳太子による実践 日本における社会事業の始まりは,聖徳太子ではないかと考えられる。論拠として,

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勝室 経義疏.]

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法華経義疏j

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維摩経義疏

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三経義疏』において,福祉と関係の深い仏典の 「疏

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についての記載が見られるからである。この「疏

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に関することを福祉的視点、でみれば, 日本仏教福祉の基礎は,菩薩利他思想にあると考えられる。また,吉田 (2004) によると, 『三経義疏j に含まれる近接領域の思想に含まれている具体的な行為論拠としては,布施・六 度・四摂法・四無量心・福田などがあるとしている。 日本における社会事業の始まりは, 587年の物部守屋の討伐の末に,聖徳太子の命の元,四 天王寺の四箇院が建立されたことである。 その建立の理由として日本書紀 (2003) に「今若 し我をして敵に勝たしめば,必ず当に護世四天王の奉為に寺塔を起立せむ」との成功の誓言が ある。浅野(1934) は,これによって「四天王寺の四箇院『敬田院

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施薬院

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療病院

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飛 田院』が建立され,これが仏教におげる福祉活動の祖であるとしている。 四天王寺の四箇院の役割は,それぞれに特徴的な社会事業を展開するものであった(西田

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寺院活動における新たな「心理的援助

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1980)

四天王寺御手印縁起 (2007)によると,まず「敬回院」は,

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一切衆生は蹄依,渇仰し,悪 を断ち善を修める,無上大菩提を速やかに謹するところなり

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とあるように,仏教思想の中心 的存在として,本尊安置の霊域である。「施薬院」は,

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是れ一切芝草薬物の類を殖生せしめ, 方に順ふて薬を合せ,各楽ふ所に随ふて,普く以て施興す

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とあるように,薬物の精製と処方 を行う機関であり,現在の薬剤生成を含む薬局のような存在である。「療病院j は,

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是れ一切 男女,無縁の病者を寄宿せしめ,日日に養育すること,師長父母の知く,病比丘に於ては相順 ふて療治し,蒜肉を禁物し,願楽する所に任せて,服差して愈えしむ。但し日期を限り,三賓 に祈乞して,無病に至らしめ,戒律に違すること莫し」とあるように,病者に対しての日常性 の確保を前提としており,療養を基本とした病院,療養所のような機関である。そして「飛田 院jは,

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是れ貧窮孤濁,車己無頼の者を寄住せしめ,日日替顧して,飢渇に致らしむること 莫し。若し勇壮強力を得る時は,四箇院の雑事に役使せしむべしj とあるように,貧者に対し ての簡易宿泊を前提とており,現在の生活保護を基本とした簡易宿泊施設であった。 これらの内「療病院j と「飛田院」のそれぞれは,現在の医療施設・社会福祉施設と同様の 趣があり,そこでは現代においても存在するような必然的な心理的援助が存在していたものと 考えられる。ただ,それらの心理的援助の活動については,具体的な記載の中に直接的に記さ れているものではないが,現実的な対人援助場面を想定するならば,必然的に心理的な側面に 対する支援が行われていたと考えることは,妥当であると考える。 2-3,行基による社会的実践 日本における行基の存在は,前述の聖徳太子と鎌倉時代の忍性と並び,日本社会事業史にお いて最も著名な人物であるとされている(宮城 1999a)。 行基の業績は, 724年から729年に 当時の和泉国に集中的に院を建立しており,加えて, 730年から734年には, 22の院を建立した とされている。また,院を建立するだけではなく,交通関係の道路・橋・船息・堀川・布施屋, 農工関係の池・溝・樋などである。これについての記載は,績日本紀(辻 1932)において 「親ら弟子等を率ゐて,諸の要害慮に於て,橋を造り,肢を築く,聞見の及ぶところ,威来っ て功を加ふ,日ならずして成る,百姓今に至ってその利を蒙る」とされている。 こうした行基の社会実践において最も取り挙げるべき部分は,布施屋の社会的機能であると 考える。浅野(1934)は,布施屋に注目し,

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陸上交通に於て旅行者の便宜のために設置された ものに,云はゆる布施屋なるものがあった。この布施屋とは,路傍に設けられた接待茶屋であ り,また無料宿泊所であった(中略)。上代の寺院と布施屋との密接な関係を見出すと共に, ホテルのー起源としての寺院を暗示されるものである (p.76)

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としている。行基が建てた布 施屋は,当時の旅の者のためのホテル機能があり,身体的休養を提供することを旨としていた とすれば,そこには現代のホテルなどにも見られるような心理的な側面への配慮、があったと考 えることもできる。また行基は,

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留止の慮皆道場を建つ,其畿内凡て四十九慮(辻1932)Jと ( 58 )

(10)

寺院活動における新たな「心理的援助」 あるように,土地開墾を目的とし,同時に交通の便宜を計るために,広範聞に類似する多くの 温泉施設を建設することで,病人の療養目的の施設を建設したとされている。 行基の社会実践活動の多くは,開墾を目的とした院建立というものではあるが,それに付随 して活動する多くの人たちの療養的側面に着目している点が重要である。それは,現代におい ても日常的に見られるような仕事と娯楽が併存することによって,当時の労役に対するストレ スマネージメントの意味が大きく取り挙げられるべきであると考える。単純な労役の義務に留 まっているならば,そこには不要な不平不満という八つ当たり的なストレスの発散行為が見ら れるが,その解消を併存させることは,現代社会におけるメンタルヘルスケアの原則を早期か ら行っていたと考えれば,画期的な社会実践であると位置づけることができると考えられる。

2

ー し 最 澄 に よ る 社 会 実 践 最澄の福祉観は,平等観・慈悲観・社会的実践とされている。この平等観は,

r

一切衆生悉 有仏性』と記されるものであり,

i

すべてのものに仏性があり,さとりが得られる」と説かれ ており,それは,すべての人への利他の精神につながるとされている。また,慈悲観について は,天台法華宗年分学生式の六条式に『道心あるの仏子,西には菩薩と称し,東には君子と号 す。悪事を己に向へ,好事を他に与へ,己を忘れて他を利するは,慈悲の極みなり (p.623).] と記されている(高橋 1931)。これは,悪事を己に向け,良いことは他に与えるという利他の 精神を推奨し,慈悲の実践を「志己利他」に求めたことを示している。 最澄の社会的実践の視点は,

r

国師・国用,官符の旨に依って,伝法及び国の講師に差任せ よ。その国の講師は,一任の内,毎年安居の法服の施料は,即使ち当国の官舎に収納し,国 司・群司の相対して検校し,まさに国裏の池を修し溝を修し,荒れたるを耕し崩れたるを埋め, 橋を造り船を造り,樹を殖ゑ,麻を蒔き草を蒔き,井を穿ち水を引きて,国を利し人を利する に用ひんとす。経を講じ心を修めて,農商を用ひざれ。然るときは則ち,道心の人,天下に相 続し,君子の道,永代に絶えざらんj と記されている。これらの行為基準は,労役とされがち なすべて社会的行為を,その精神的基礎とすべきは利他行為であるとしている点が最も取り挙 げるべき部分であると考える。また,社会実践のあり方として,僧侶の社会的実践は,各国の 講師として活躍すべきであること,法要などの布施は,国に納め,役人のもとで社会的実践に 励むべきとされている点であろう。これは,役人のもとで僧侶が人々のつながりを作るための 「つなぎ」役となるべきであると,社会的実践あり方を示唆している点も重要な点であると考 えられる。 2-5,空海による社会実践 空海は,万農池工事の成功などの社会事業の実践者として位置づけられることが多いが,対 人援助の側面から見るならば,綜芸種智院の設立を考慮すべきであろう。 宮城 (1999b)は,空海が828'"'-'845年に建立した綜芸種智院について,綜芸種智院式に,三 教指帰において『貧道物を済ふに意有って,績かに三教の院を置かんことを庶幾ふ(岩野 ( 59 )

(11)

寺院活動における新たな「心理的援助」

1

9

6

4

p.4

4

7

)

J

と記されてており,

r

物を済ふ

J

という衆生のために三教の院を創設したと考え られるロ 綜芸種智院式には,

r

建物の立地条件・総合教育・庶民への教育・給費制

J

等の

4

点が記載さ れている。このうち総合的教育については,空海が三教を教えることとしたことから,仏教だ けではなく様々な考え方を教えることを方針としていたことがわかる。具体的には,九流六芸 と十蔵五明であったとされている。それは,法・農などの九流と,楽・書などの六芸であった。 十蔵五明は,仏の教えを十に分類し,さらに声明・因明など菩薩僧の学ぶべき五の学問をあげ, 仏教の立場からの学問を指している。加えて,庶民への教育では,

r

貧賎の子弟

J

r

遠方の好 事」のために綜芸種智院を建て,

i

瞳醸を済はん」とすることが,綜芸種智院式に述べられて いるとされており,当時においては一部の有力貴族に集中される官職という状況が,空海によ って,その門戸が広げられたと思われる(宮城

1

9

9

9

b

)

2

-6

,社会実践と対人援助 仏教の歴史的経緯の初期において,多くの社会福祉的実践が行われていたことは周知であっ たが,そこに現代的なメンタルヘルスケアにつながる思想的背景が含まれていたことはあまり 示されていないと考える。しかし,仏教における社会活動には,人の生きているが故の病苦で ある「老病死苦jに対する必然的な人間的対応を説くものが必ず含まれていると考えられる。 その意味においては,宗教的な場における宗教者の信者や門徒だけでなく,多くの社会的存在 に対する援助的発想の基本には,必然的に心理的援助が伴うものであると考えられる。 本稿における文献的調査としての結果から,軽々に「初期段階から心理的援助が行われてい た

J

と断定することは困難である。しかし,重要なことは,逆に「心理的援助が存在していな かった」とすることは,まったくできないと考えることが妥当であると考えられる。その意味 では,今後においてもこうした初期の仏教における社会実践の記録の中から具体的記載を検討 し,そこにどのような心理的援助が存在していたか,その効果を含めて検討する意味があるこ とを示したものと考えられる。 3,聞き取り調査 本調査は,現在の寺院関係者が行っている社会活動の中から,対人援助的対応が生じている 場面として幼稚園経営に関与している寺院関係者を取り挙げたロそして,本研究において検討 すべき寺院活動における対人援助的側面を,現代においても行っている個々の活動ではなく, ①過去からの経緯で現在でも見られる寺院活動であること,②そこにおいてむしろ当然視され ているような対人援助的側面の相互作用が確実に存在していること,③その対人援助的側面で 行われている活動の実態を明らかにすること,とした。これは,現実的な心理的援助の内容に 対して,寺院関係者がどのような立場で対応しており,その限界をどのように感じているのか を検討するためである。 ( 60 )

(12)

寺院活動における新たな「心理的援助j 本調査では,以下のような対象・方法・手続きによって,調査データを獲得し,それについ ての小考察を行った。 3ー し 対 象 本調査の対象としたのは,私立幼稚園を主宰している僧籍者

2

名である。インフォーマント のプロフィール概要は,以下の通りであるo インフォーマント

A (

以下,

A

とする)は,

5

6

歳で,浄土真宗本願寺派の僧籍を持ち,自坊 での活動と並行して,私立幼稚園の経営を行っている。この幼稚園は,

A

の祖父が戦後(明確 に時期は未確定)に始め,父親を経てAが三代目である。 インフォーマントB (以下, Bとする)は, 52歳で,浄土真宗本願寺派の僧籍を持ち,自房 での活動と並行して,私立幼稚園と保育園の経営をなどを行っている。この幼稚園は, Bの父 親が昭和30年代から始め,保育園については,平成年度になってから始めている。

3-2

,調査の時期と場所 聞き取り調査の時期は, Aが2010年5月であり, Bが2011年2月であるo 聞き取り調査の場所は, Aについては, Aの希望により, Aの自坊で行った。また, Bにつ いては,調査者の関与する臨床心理面接を行っている面接室にて実施した。 3 - 3,リサーチ・クェスチョン 本調査にあたり設定したリサーチ・クェスチョンは,寺院活動と幼稚園を主宰している立場 との関連について概要説明を求めた後,①幼稚園を主宰することが寺院活動の一部であること の社会的実践の意義,②幼稚園を主宰する中での実践において寄せられる相談事の特徴的エピ ソードの聴取,である。 リサーチ・クェスチョン①の「幼稚園を主宰することが寺院活動の一部であることの社会的 実践の意義j は,寺院活動の一部である「社会奉仕

J

という視点を基礎としていると考えた。 寺院活動は,宗門の発信という各宗教の勢力拡大の活動とともに,信徒・門徒に対する宗門そ れぞれの寺院活動が基礎にあるが,その発展として「地域社会に対する貢献」という意味が多 く見られる。したがって,幼稚園を主宰することによる社会的貢献の意図が寺院活動における 心理的支援と深くつながるものであると考えられるからである。 リサーチ・クェスチョン②の「幼稚園を主宰する中での実践において寄せられる相談事の特 徴的エピソードの聴取」は,幼稚園を主宰する立場である以上,そこには保護者などから多く の支援を求める相談が持ち込まれる。この持ち込まれる相談事は,心理的側面の相談だけでは ないが,今回はあえて心理的支援につながる相談内容に限定的に絞ったロそれは,相談者が望 んでいるのは,僧籍を持つ立場からのアドバイスなどであろうが,そうした側面以上に,僧籍 者が心理的問題の相談の前提にある信頼に値する存在と見なされることによって,相談事をも ちかけられることが実質的には多く見られると考えたからである。したがって,心理相談の専 門性を持たない僧籍者としてある種の限界設定があると考えられ,そこに今後の寺院活動にお

(13)

寺院活動における新たな「心理的援助」 げる心理的援助の可能性があると考えたからである。

3-4

, リサーチ・クェスチョン①の結果

2

名のインフォーマントは,それぞれが自らが幼稚園などを主宰する立場にあるものの,そ れがあくまでも先代住職から引き継いで行っているものであることが強調された。寺院の子弟 としての立場から,僧籍者となることは暗黙の了解であったとのことであるが,同時にその寺 院活動の一部としての幼稚園の主宰者となることは,寺院活動に付随することとして位置づけ ていたとのことである。 インフォーマントに共通することは,青年期に僧籍を取得し,僧侶としての社会的活動以上 に,幼稚園の主宰者としての期待が投げかけられていることに着目したとのことである。 Aは

i

(

自分の)寺は,継ぐのが当たり前ということは思っていましたが,園の活動には幼いことか ら行事があるごとに関わっていたので,寺を継ぐというより,園を継ぐんだという意識の方が 強かった」と述べている。 Bも同様に,幼いことからあれこれの園の活動を手伝っていたが,

f

一時期(高校生)は,園のことからは離れていました。でも,自分の進路(大学進学)を決 めるにあたって,何がしたいのかを考えたときに,経営的なことより児童福祉関係のことに自 分が進みたいということを意識するようになった

J

と述べている。 このように,今回のインフォーマントが

2

名とも「親からの代替わりとして幼稚園を主宰す る立場

J

にあったという共通点があった。したがって,リサーチ・クェスチョン①への回答に ついては,ある種の偏りが見られたと考えられる。したがって,この結果については,参照結 果として扱うに留めることが必要であると考えた。

3

-5

,リサーチ・クェスチョン②の結果 両インフォーマントが受けている相談主体と内容については,幼稚園主宰という点からの共 通性が多く見られた。最も顕著な相談主体は「母親」であり,子どものこと,家族のこと,病 苦に関する相談,そして親戚縁者のことなどを「心理的困惑」として訴えることが多く見られ た。これは,相談を受ける園長が仏教従事者であることの特性であるロなぜならば,多く見ら れた「子どもへの対応にかかわる困惑」が,幼稚園としての状況では普通であるが,園長が住 職であることが周知されていることにより,相談内容がある種の「人生相談

J

の様相を呈して いたからである。それを最も顕著に示しているのは,次に多く見られた「自身のことについて の相談」という項目であることからもわかる。 Aの語りには,

r

変わった話ですが(中略)とにかく,自分の判断が適切かどうか,それば かり相談にこられる。周りにいる存在に相談し尽くしてしまったのか,毎日というより,朝晩 誰彼なく,とにかく「心配だから

J

と(①)j という内容がみられた。これは, Aとの対話に よって得られる安心を繰り返し求めている母親の例についての諮りである。 また,これらの 相談について『母親の多くは,なかなか心配ごとを話してくれないのが基本ですが,何か子ど ものことの話や園の行事にかかわる話をきっかけに,話をされることが多い。で,一旦話をさ

(

6

2

)

(14)

れると,以後夫婦の話が出てきたり,び、っくりするほどプライベートな,

r

私に話してもいい んかいなあj と思うようにことも聞かされます(②)jと語っている。これについても,一旦 信頼関係が構築された場合,相談の主要な事項が次々と展開し,日常生活全体に関わる話題が 提示されることが多く見られるなど,

A

の述べている「私に話してもいいんかいなあ」という ほど相談内容が展開することを示している。そして,

r

子どもに何かの心配ごとがあって,自 分のかかわり方に問題があるのかと,本気で深刻になっていく人も少なくありません(③)j と述べているように,話題を共有する場が幼稚園ということ,日本の文化的特性である「子ど もの問題は母親の対応の問題

J

という社会通念に影響され,母親自身が子育ての不安を訴える ことも少なくないことが語られている。こうした相談の場面では,

r

特に深刻なことは,病気 や暴力の話です。私の立場でどうこう言えることではないですが,とにかく聞いて欲しいとい う人がいます(④)jのように,相談の内容の深刻さよりも,相談をしたいという思いの強さ に対する印象が強く語られていることが見られた。 Bの語りにも,

r

必要以上に子どもの状態を心配する親御さんは,増えてきていて, (中略) 子どものことがわからないからと,母親が心配になり,とにかくあれこれその日の様子を聞か ないと気が済まない人もいます(①)j,

r

子どものことで話し始めても,自分のことや旦那さ んのこと,あげくは,ご両親へのあげつらいなど,思いの丈をぶつけ始めて,泣き崩れてしま う人もたまにはあります(②

)

j

という語りが見られた。これらは,母親が日頃から相談を聞 いてもらえる場がなく,その上自らが自責的になっていても叱責されないという安心を求めて いることが想像できる。それを顕著に示す例としては,

r

虐待を疑われたお母さんが,相談員 さんからいろいろ指導された後に帰ってこられて,自分がやり過ぎなのはわかったけど,子ど ものためを思っていることを全くわかってもらえなかったと地団駄踏んで話されたこともあり ます(③

)

J

との語りにあるように,受容的対応をしてもらえないことについて母親自らの苦 悩を訴えていることなど,相談によって生じた二次的問題の解決にも関与していることが想像 できる。そして

f

自分がどんな思いでこの子を産んだのか,とうとうと話した人もいました。 家族に恵まれずに,自分なりに頑張ってきたんだと,泣きながら話をしておられました。深刻 な状況だから,返す言葉もなかったですが,話すだけ話して落ち着かれたのか,その時だけで した(④)jなどのように,相談することによって受容的に対応してもらって安心することで, さらに深刻な母親の思いが展開されることも少なくないと考えられる。 これらの語りに共通する部分として4つの視点があると考えられた。前述の両インフォーマ ントの語りの①の部分は,やはり幼稚園の園長という立場や住職であるという意味もあるかも しれないが,相談者の前提には[安心を求めて]という側面が強く見られた。そして,②の部 分の共通性として考えられるのは,相談内容についての初期対応が適切に行われることによっ て,訴えの内容が広がり, [際限なく広がる訴え]に展開していると考えられた。普段はこの ような私的事項について話をすることがない分,一旦聞いてもらえることが明らかになると,

(15)

寺院活動における新たな「心理的援助

J

連関する事項のすべてを語るかのように話が広がる傾向があることが見られた。そして,そう した話の内容に対する母親の期待として,③に見られたような, [思いを受け止めて欲しい] というある種の切実な思いがあることも明らかになった。両インフォーマントは,特別な心理 療法的対応に習熟しているわけではないが,母親の切実な思いがあることに従った対応をして いるだけにもかかわらず,話される内容の深刻さが増していることからも,母親が不安な思い を吐き出したいと考えていると想像できる。そして,こうした対応から見えてきたのは,④に あるような[とにかく聞いて欲しい]という相談者が聞き手に対して求めている強い期待であ ると考えられる口具体的なアドバイスを求めるという形式の相談ではなく,母親たちが自らの 状況を誰かに知ってもらいたいという切実な期待が向けられていると考えられた。

I

V

.

考察

1

,本研究における

3

つの調査結果の考察の前提 ここまでの調査結果について考察するにあたり,その前提となる視点、について述べることか ら始める。 まず,寺院活動で行われている「対話j と臨床心理学的技術の接点については,基本的に 「臨床心理学的対話のどの部分が活用されているかj という視点について,一定の定義の上で 論を進める。それは,心理的援助という側面がすべて臨床心理学的視点として位置づけられる ものではないからである。しかし,臨床心理学の専門性が発展し,対人援助のための技能その ものについての構成が変化していることを鑑みれば,最も基礎的な対人援助が行われていたと 考えられるのは,他者への支援活動の場であるロ寺院活動の初期から現在まで,他者への支援 は必然的な寺院活動の根幹をなすものであり,そこには報告に表れていない臨床心理学的視点 と共通する心理的援助が存在すると考えられる。 こうした臨床心理学的支援の領域においても,新たな視点からの考察を展開したい。それは, 臨床心理学の根幹であったアセスメントという「問題指向」から離れることである。臨床心理 学における対人援助の現状は,問題指向を基本としている。臨床心理学的対人援助の初期教育 には,逸脱行為の定義を理解することから教育がはじまる。そして,クライエントへの見立て は「どこが普通と異なるかを見出すこと

J

からはじまっている口しかし,現実的なクライエン トの多くは解決のための対話を望んでおり,問題としていることは,

r

生きづらさ・困難感・ 悲哀感・奇異な感覚

J

などを言語で表しているだけであって,自らの存在のあり方を問題とし て捉えているのではないと考えられる。 また,対人援助の現場では,必然的に相談主体に対する心理的配慮が存在する。これは, 「相談主体者に対する配慮」であるが,そこには,相談にどのような期待が含まれているのか という側面を把握しようとする姿勢が見られる。とれは,臨床心理学における相談主体者の相

(16)

寺院活動における新たな「心理的援助

J

談内容に含まれている期待を適切に把握することとつながる。それを把握した上で,相談主体 者から「求められていることに対応すること」は,相談の最も基本的な姿勢であり,ここに臨 床心理学的専門性が存在していると考える。 今後の寺院活動での対人援助の実践可能性について検討するためには,現在まで行われて来 た寺院活動という実践的な対人援助場面そのものを再検討し,今後の可能性を模索することが 必要であるという前提から,以後の考察を展開することとする。

2

,臨床心理学における新たな視点についての考察 心理療法の効果研究は,明確な「要因聞の関連性

J

を見出せていないのが実状であった。心 理療法の方法論には,人の変化について共通する「要素,および要素聞の関連性」があるとい う前提は確認されている。心理療法の方法論が異なっていても,人の心理的困難を解消する変 化を生み出す要因,または要因間の関連性が存在するという結果は,明らかであった。 これを示す心理療法の

2

つの動向は,プリーフセラピーとポジティヴ心理学である。プリー フセラピーは,

E

r

i

c

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o

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M. H

.

がその創始者とされているが,その技術の多くは,日常的な 生活の知恵であり,心理療法の場における治療者の発想の転換であり,ポジティヴ心理学との 共通性も多く見られる

(

O

'

H

a

n

l

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n

.1

9

8

7

)

。例えば,多くのクライエントが訴える「上手くい かない

J

という訴えは,いずれかのタイミングでクライエントがターニングポイントを見出し, 切り替えることを意図した発言として捉えることができる。そこには,クライエントの主体性 が含まれているのだということは,これまでの心理療法ではあまり重視されてことなかった。 また,同様にクライエントの「こうなればいいけれど」という自らの期待について語るという 内容には,何か期待していることができない前提があるのだが,それこそが意識化されていな い変化のポイントであることを示している。そこには,クライエントの創造的な指向性が示さ れていると考えることができる。加えて,クライエントの「どうしていいかわからない」とい う困惑の訴えは,クライエントが何かをしたいと考えており,自らの可能性を表明していると 考えられる。つまり,クライエントにやる気があっても,具体的な方法がわからないために困 惑していることを示している。そして,クライエントが「気になる」というこだわりを示すこ とは,クライエントの意識の向けどころを示している。クライエントがこだわっている出来事 に時,その周辺にクライエントの何かの期待があると考えることもできる。 これらの発想の原点には,ポジティヴ心理学における,否定的側面よりも肯定的側面に着目 することの効用が積極的に用いられていることが明らかである。人は否定的な状況を改善する ために,あえてその否定的な側面に注目し,改善を図ろうと画策する。しかし,その否定的な 側面への着目は,人が困窮しているという感覚を強化するという心理的効果に結びついている。 これは問題や困難に立ち向かう場面でのパラドキシキカルでアンビパレンツな思考・行動特性 である。ポジティヴ心理学では,問題や困難な状況そのものに対して不必要に抗うのではなく,

(17)

寺院活動における新たな「心理的援助j その中に肯定的側面を見出し,可能性を広げようとする姿勢こそが重要であるとされている。 また,プリーフセラピーでは,治療者がクライエントの発言のそれぞれを字義通りに捉える のではなく,その発言の背景にあるクライエントの意図や思いなどを把握するというとらえ方 を重視する。それは,最も日常性を重視する「ナチュラリスティック」という視点の影響であ る(宮田 1987)。ナチュラリスティックとは,人の持つ特徴を別の社会的・日常的な文脈に置 き換えることによって,その問題とされている行為を生かせる別の場面がないかを検討するも のである。行動を単純評価するのではなく,状況因子との関連の中で人を理解し,クライエン トの行動の社会的文脈を変えることがより大事なことであるという視点に基づいている。そし て,人の信念や行動の評価を,その人の置かれている状況における適応行動として理解するこ とで,その人なりの意図がある乙とを重視することの必要性が重要な視点となっている。これ らのプリーフセラピーの基礎となるナチュラリスティックの考え方は,

i

何気ない日常の知恵j が基本となっていると考えられる。 さらにこれまでの心理療法には,未来を扱うという視点が欠けていた。プリーフセラピーで は,未来志向アプローチを積極的に取り入れている(宮田 1989)。そして,この未来志向性は, ポジティヴ心理学においても重要な視点の転換であるとされている。未来に対して様々な期待 を持つことは,変化を受け入れやすく,未来における期待を高めるための働きかけとして積極 的に行われている。未来における可能性を作り出すことで,否定的予測を廃して,可能性を示 唆し,仮定的な前提で可能性を探る対話を行うことで,未来における仮定から解決を生み出す という姿勢が多く見られる。これは,クライエントを様々な現在や過去の縛られている状況か ら解放するための働きかけである。 このように,ブリーフセラピーとポジティヴ心理学は,人の逸脱を問題発生の前提としてき たこれまでの臨床心理学の前提を大きく転換する必要を示唆し,対人援助のあり方の根底を揺 るがす視点、を提供している。加えて,こうした視点の転換による効果は,治療者としての成熟 にも大きく影響するもので,心理療法の習熟に数十年が必要とされていたこれまでの前提をも 覆し,数年で困難な事例に対応できる治療者となることができるという報告も散見し始めてい る。したがって,このような視点を寺院活動における社会的活動と繋げることができるならば, 寺院活動における対人援助の可能性を広げるものとなると考えられる。

3

,仏教の初期活動に見られる社会実践と対人援助 仏教の歴史的経緯の初期においても,多くの社会福祉的実践が行われていたことは周知であ ったが,そこに現代的なメンタルヘルスにつながる思想的背景が含まれているたことはあまり 示されていなかったと考える。仏教における社会活動には,人が生きているが故の病苦に対す る必然的な人間的対応を説くものが必ず含まれているo その意味においては,宗教的な場にお ける宗教者や信者・門徒だけでなく,多くの対人援助を前提とした存在の援助の発想の基本に ( 66 )

(18)

寺院活動における新たな「心理的援助」 は,必然的に心理的援助が伴うものであると考えられる。 今回の文献調査においても,寺社には,療病院などの現在でいうところの「医療的処遇の実 施」がなされていた。また,布施屋などは,現在の「リラクゼーションの拠点」として捉える こともでき,メンタルヘルス活動の基礎として捉えることができる。そして,綜芸種智院など は,

r

人の生存権を保証する生活保護」がその本質である。 このように,仏教伝来初期の寺社活動においても,それぞれの宗門に準じた宗教的行為が基 本となってはいるが,その活動内容を詳細に検討すれば,社会事業における病院,薬局,保養 所,生活保護などが行われており,そこには必然的に「心理的援助j の側面が含まれていたと 考えることが妥当である。また,寺院はその後,市役所,公民館,近隣の会議室として機能・ 活用される場であったことも歴史的に明らかである。これらの施設的機能は,対人援助ネット ワークを構築するための基礎であり,現在のソーシャルワーク機能の拠点、としての活動が存在 していたと考えられる。 これらのことから,本稿における文献的調査の結果から,軽々に「初期段階から心理的援助 が行われていたと断定すること j は困難であるo しかし,重要なことは,仏教伝来以来,人に 対しての支援・援助を積極的に行うことを旨とする姿勢・活動が実質的史実として見られる以 上,逆に「心理的援助が存在していなかった」とすることは,まったくできないと考えること が妥当であると考えられる。 その意味では,今後においてもこうした初期の仏教において行われていた社会実践の記録の 中から臨床心理的側面の「対話」についての具体的記載を検討し,そこにどのような心理的援 助が存在していたか,その効果を含めて検討することに意味があることを示したものと考えら れる。

4

,寺社の社会事業サービスについての考察 今回の調査では,寺社での社会活動における対話を検討するため,幼稚園経営に関与してい る寺院関係者を取り挙げた。これは,寺院活動における対人援助的側面を現代においても行っ ている共通性を考慮し,現在でも見られる寺院活動でありつつも,対人援助的側面の相互作用 が確実に存在していることが重要な調査の条件であった口そして,そこで行われている現実的 な心理的援助に対する寺院関係者の対応を検討することで,現在でも求められている心理的援 助を検討した。 まず,子育ての時期であることそのものが負担となっている中では,関係構築が重要な相談 のための前提である。しかし,やはり寺院関係者であるという社会的前提である「立場jや 「人柄jが,臨床心理学でいうところのムンテラ効果となっており,治療関係構築に大きく寄 与していたと考えられる。「空間的安心

J

を活用することで,プライパシーの保護を保証し, 何の根拠もなくとも「自分の話を受け止めてくれるはず

J

との寺族への期待が大きく反映して

(19)

寺院活動における新たな「心理的援助」 いたと考えられる。 また,日常における幼稚園の活動という目的に従い,子どものことについての相談を契機と して,話題が拡大していくことなどは,まさにナラティヴ・セラピーにおける「対話

J

的効果 と考えることがふさわしい現象である。そこでは,宗教派閥などを超えた「安心できる人との 接点jを求めていることが明らかであり,自らの困窮や心配について話すことそのものがカタ レプシー的な効果となっている。 そして,心理的援助の効果を発揮するためには,治療関係の成立が最も重要な要因として位 置づけられている口宗教者としてのムンテラ効果は,実質的な対話において「気遣ってくれる 人」という側面を強調しており,寺院という場の醸し出すカタレプシー効果も少なくないと考 えられた。 一方,実質的な心理的援助を実施している側の寺院関係者には,多くの戸惑いが見られた。 それは,相談内容が複雑化するに従い,

r

自分が対応していていいのか」という戸惑いである。 本研究において最も重視したいと考えているのは,この「困惑」への対応である。寺院関係者 の存在は,相談についての「窓口機能の可能性」があると位置づけることができる。 それは,吉川

(

2

0

0

9

)

の調査においても一部見られたように, 寺社や住職が持っている社 会的ネットワーク機能を活用し,心身・生活の因窮に対して適切な支援が得られるところを紹 介する機能が,本研究の文献研究に中にも存在していた。 そして,こうした支援が行われる 場の「対話」には,必然的に心理的援助につながる「対話」が存在しているはずで、ある。専門 家間の「専門性を提供する紹介ネットワーク」の重要性は言うまでもないが,歴史的な経緯か ら考えても,寺院や住職がある種の専門性を持つソーシャルワーカーの役割・機能があったと 類推する。これは,当時の寺院関係者が相互に社会的な繋がりを持っており,当時ではそのつ ながりを持っていることそのものが珍しい職能として機能していたと考えられるからであ る口 したがって,現在の専門性が分化している実状に照らし合わせるならば,寺院関係者が相談 に応じていることの前提には,必然的にこうした窓口機能としての位置づけを意識し,過去に は自然に存在していたソーシャルワーク的知見についての情報を獲得しておくことが不可欠で はないかと考えられた。

5

,総合考察 本研究の結果から明らかになった結論は,寺院活動における対人援助の発想を切り替えるこ とである。プリーフセラピーやポジティヴ心理学にあるように,これまでの臨床心理学の訓練 段階から自然に身についている援助者の「問題指向jからいかに離れるかが重要であると考え る。対人援助の実践者は,臨床心理学の知識を基礎として問題指向を基本とした専門家となっ ている。しかし,通常の多くの被援助者は,自らが期待した形式の対話を望んでいる口そこで

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