空性の教えを聞く条件
―チャンドラキールティの信解説―
小 坂 有 弘
1.はじめに
涅槃や如来といった仏教の重要概念さえも空であるとし,一切法無自性を示そ うとする中観派の主張は,伝統部派や唯識学派には一種の虚無論として受け取ら れ,仏教内部からも厳しい批判にさらされた.この状況において,彼らは教えを 説くべき人物をいかに見出し,自身の主張する空性理解へと導くのか?この問題 を考察するために,筆者はチャンドラキールティ(ca. 600–650)の信解 (adhimukti/ adhimokṣa)の用法に注目したい.例えばMadhyamakāvatārabhāṣya (以下MABh)おい て,彼は次のように述べている. 説法者は[聞法者に]卓越した信解があると見極めた上で(*adhimuktiviśeṣam avadhārya) 聞法者に空性説を説くべきである.(MABh 51, 16–17) 彼らは空性[の教え]を信解する(*adhimukti)種子を欠いているのであるから,空性を理 解できないと知るべきである.(MABh 144, 9–10) 以上の言明から,チャンドラキールティが,空性の教えを誤解なく学ぶ上で人 はこの教えに対する信解を有していなければならない,と考えていたことが知ら れる.信解を持つことを空性を正しく理解する上での必要条件とするこの主張は 彼 独 自 の 見 解 で あ りPrasannapadā(以 下PsP),Bodhisattvayogācāracatuḥśatakaṭīkā (以下CŚṬ)にも確認されるが,他者の著作には見出すことができない.本稿で は,チャンドラキールティがこの信解説の着想をどこから得たのか,またいかな る必要性からこれを主張するのかを明らかにする. 2.信解説の由来
大乗経典には信解の豊富な用法が存在する.これらのうちAṣṭasahasrikaprajñā-pāramitā(以下AP)とSaddharmapuṇḍarīka(以下SP)の語根adhi muc派生語の用 例に彼の信解説を構成する諸要素との共通点を確認できる.
2.1. APとの共通点 まず,AP第10章では般若波羅蜜を信解する者は般若波羅 蜜を求める者であり,十八不共法などの仏の特質を構想しないと述べられる1). 対してチャンドラキールティはPsP第22章「如来の考察」において,対論者と して「如来は無自性ではなく,十八不共法を始めとする諸徳を有する」と反論す る者を登場させ,彼らを「信解の劣った者である(svādhimuktidaridratā)」とみな す2). 次 に,AP中 に は 善 根 を 欠 い て い る 者 / 限 ら れ て い る 者(kuśalamūlavirahita/ parīttakuśalamūla)は般若波羅蜜を信解できず,一方,長きにわたって善根を植える (dīrgharātrāvaropitakuśalamūla)ならば信解することができる,という見解が広く確認 される3).対してチャンドラキールティはCŚṬ第8章において,愚か者が空性を 誤解する理由として「[彼の]心相続が空性を信解する原因である善を欠いてい るからである(śūnyatādhimuktihetukuśalavirahitacittasantānatvāt)」と述べており4),この 箇所に善根を積むことを信解の条件とするAP同様の見解を見出すことができ る5). 以上の二点から,チャンドラキールティはAPに説かれる信解の用例を踏ま え,その一部を自身の説に取り入れていることが分かる.しかし,彼の信解説を 特徴付ける要素である「教えを説く条件としての信解」という用法はAP中には 全く確認できない. 2.2. SPとの共通点 この用法を我々はSP第4章「信解品」中に確認すること ができる.それはいわゆる「長者窮子の譬え」が示された直後であり,この譬え の意味を解き明かしている箇所にあたる.
asmākaṃ cedānīṃ bhagavān adhimuktibalaṃ jñātvedam udāhṛtavān.
いまや世尊はわれわれには信解する力があると認めて,このこと(一乗の教え)をお説き になったのであります.(SP 110, 8) ここに「説法者は聞法者の信解を見た上で,彼に最高の法を説く」というチャ ンドラキールティに通底する用法を確認できる. 2.3. 信解説に及ぼす二経典の影響 以上APからは二つの共通点を,SPからは 彼の信解説の特質に対応する用法を確認した.チャンドラキールティはPsP中に APを5回,MABh中にSPを4回引用しており,両経典の内容に精通している. 引用頻度が高い経典としては他に『 葉品』『三昧王経』『十地経』が挙げられる が,これらの経典の用例にはチャンドラキールティ説との関連性を見出すことは
できなかった.したがって,彼は先の二経典から着想を得た可能性が高い.すな わち彼は中観思想の淵源であるAPの用法を基本として押さえながら,そこに SPに説かれる「教えを説く条件としての信解」という用法を加味して信解を空 性理解の必要条件とする独自の見解を構築したと考えられる. 3
.信解説の主眼
それでは,信解を持ち空性説を説かれるべき対象とはだれか.不思議なこと に,この点に関する言明は非常に限られている.「信解を持つ者」に関しては彼 らが過去に反復的修習(pūrvābhyāsa)を行なっているという説が6),獲得方法とし ては先に確認した善根(kuśala/kuśalamūla)を原因とするというAP由来の説が確認 されるのみである.実のところ,彼の著作中に現れる信解の用例は,その半数以 上が「信解を欠く者」に関するものである.つまり,先にチャンドラキールティ の信解説がSPに由来する可能性を確認したが,実は彼の説の本領とする形式 は,SPに説かれた用法を否定的に置き換えたものである. SPの用法: 信解を有するならば彼に教えを説く チャンドラキールティ説: 信解を有していないから彼は教えを聞いても理解できない では,空性説を聞く資格を持っていないにも関わらず,この教えを聞きこれを 誤解した「信解を欠く者」とはいかなる者を指すのか.それは二種に分けられ る.一つは空性説を仏の教えを崩壊させる虚無論であると主張する仏教内の保守 派であり,もう一つは空性説を受容するが三性/三無自性説および唯識説といっ た独自の理論に基づいてこれを解釈する唯識学派である. 3.1. 空性説を虚無論とみなす仏教徒 『中論』第7章「有為の考察」において ナーガールジュナは「生じつつあるものも,すでに生じたものも,未だ生じてい ないものもない(7.14ab)」と説く.チャンドラキールティはこの結論に対し「中 観派は仏説である縁起説の 謗者である」と反論する対論者を登場させ,彼らを 信解を欠く者と呼ぶ. 以上に対して[対論者は]述べる.「ああ恐ろしい,経験されることと経験されないことと に依拠することがない虚無論者(atyantanāstika)である,あなたに私は大いに恐怖する.あ なたは如来の言葉の解説を装って,ほかならぬ専ら論駁に関わる技量(dūṣaṇamātrakauśala) が自分にはあると見せつけて,最高の聖者が説いた此縁性という縁起を特質とする如来の 勝義諦を否定する.[...]したがって,あなたのような一切を非存在とする者(sarvanāstika)との議論はたくさんである. 答える.私は一切の十力者を産む縁起という母を否定しない.むしろ,あなたこそが, この上なく意味深い縁起[の教え]に対する信解を欠いているためにその意味を誤解して 理解し,我々を非難するのである.さらに,如来である世尊は「それに縁ってこれがあ る」と,このように説くことによって,一切法が無自性にほかならないということをはっ きりと明示しているのである.(PsP 159, 4–16) 3.2. 中観派の空性理解を認めない唯識学派 次に唯識学派は以下のように説か れる. もし「長老ヴァスバンドゥ,ディグナーガ,ダルマパーラといった諸論書の作者が現れた が,彼らもまた言葉だけを聞いて[その真意を知らずに]恐れ,縁起の意味を顚倒するこ となく示すこの[ナーガールジュナの中観論書]を捨て去ったのか?」と問うならば,「そ の通りである」と答える.さらに「この[事実]をどのように理解すべきか?」と問うな らば,答える.[...]彼ら(唯識学派の論師)もまた[外道と]同じように多くのことを学 んだ者たちではあるが,空性を信解する種子を欠いているから,空性を理解することはで きないのだと知らねばならない.(MABh 144, 3–10) 3.3. 信解説の効用 以上のように信解を欠く者はともに仏教徒であり,般若経 ないしナーガールジュナの論書を学ぶことができる立場にあるが,これを誤って 理解している.チャンドラキールティは,対論者が空性説を誤解する理由を説明 する概念として「信解」を用いており,自身の信解説を中観派の空性理解を承認 しない者たちへの批判の手段としているのである.これに対し,例外的ではある が信解を有する者に対する次のような言明も確認できる. したがって,たとえ自分の思考に合わせたこれら(唯識学派の)流儀を見たとしても,[そ のような]中観の教義以外の教義を喜ぶ心は,我[の存在を]公言する[外道の]教義を [喜ぶ心と]同じように,捨て去らねばならない.他の学者の思考に合わせた教えを素晴 らしいもの(*adbhuta)であると認識すべきではなく,自派の空性説に対する信解こそ素 晴らしいものであると認識すべきである.(MABh 144, 13–15) ここには批判の手段とは異なる,信解の用法を見出すことができる.チャンド ラキールティは,中観派の所説に従い空性説を学ぶ意欲を持つ者に対しては,誤 解者の主張に影響されずに学習を続けるよう,信解の概念を用いて彼らを鼓舞 し,中観派の考える正しい空性理解へと導こうとするのである. 1)AP 109, 16–25. 2)PsP 441, 4–444, 7. 3)例えばAP Ch. 8 93, 1–5. Ch. 10 104,
1–29. Ch. 13 140, 20–25参照. 4)CŚṬ 120, 9–12. 5)ここではAPに説かれる kuśalamūlaではなくkuśalaとあるが,当該のチベット語訳はdge ba i rtsa ba(*kuśalamūla) であり(CŚṬ 121, 19),本来はこの読みであった可能性は高い. 6)Pūrvābhyāsaに関し ては,例えばPsPn 125, 10–13参照.
〈一次文献〉
AP Aṣṭasahasrikaprajñāpāramitā. Aṣṭasahasrikā Prajñāpāramitā with Haribadra s Commentary Called Āloka. Ed. Vaidya, P. L. Darbhanga: The Mithila Institute of Post-Graduate studies
and Reserch in Sanskrit Learning, 1960.
CŚṬ Bodhisattvayogācāracatuḥśatakaṭīkā. Sanskrit fragments and Tibetan translation of
Candrakīrti s Bodhisattvayogācāracatuḥśatakaṭīkā. Ed. Koshin Suzuki. Tokyo: Sankibo Press,
1994.
MABh Madhyamakāvatārabhāṣya. Madhyamakāvatārabhāṣya (Original Critical Edition of its Tibet-an TrTibet-anslation). Ed. Uryuzu Ryushin and Nakazawa Mitsuru. http://kishin-syobo.com ( ac-cessed 19 September, 2019).
PsP Prasannapadā. Mūlamadhyamakakārikās (Mādhyamikasūtras) de Nāgārjuna, avec la Prasannapadā Commentaire de Candrakīrti. Ed. La Vallée Poussin. St. Pétersbourg:
Biblio-theca Buddhica IV, 1903–1913. Reprint, Tokyo: Meicho-Fukyū-kai, 1977.
PsPn Prasannapadā Chapter 18. 新作慶明「『プラサンナパダー』第18章 我(アートマ
ン)の考察 の研究」博士学位論文,東京大学,2016.
SP Saddharmapuṇḍarīka. Ed. H. Kern and Bunyiu Nanjio. St. Pétersburg: Commissionaires de
l Académie Impériale des Sciences, 1908–1912.
(JSPS特別研究員奨励費(課題番号19J10611)による研究成果の一部)
〈キーワード〉 信解,adhimukti,空性,中観派,チャンドラキールティ