小谷汪之『インド社会・文化史論─「伝統」社
会から植民地近代へ─』
東京:明石書店、2010年、303頁、4200円+税、ISBN978-4-7503-3264-2小川道大
本書は植民地化によるインド西部の社会の変化を論じている。植民地期 における制度的変化を明らかにするだけではなく、その結果として新たな 「伝統」がインド社会に創造されたというところまで踏み込んで議論を行っ ている。著者は冒頭で、「ヒンドゥー主義」の政治勢力が政権を獲得した 1998年の政治状況から、この研究の着想を得たと説明しており、本書はイ ンドの現状を知る上でも極めて重要である。著者の研究の始まりもまた、当 時のインドの状況を反映したものであった。インド独立後の土地改革に よって土地の保有関係や領主権の問題に関する議論がインドで多くなされ ており、学問の分野でも土地制度史の研究が、著者が研究を始めた頃の主 流であった。しかし著者は土地制度史の研究を進める中で、土地自体より もワタンという世襲的権益に重要性を置くようになり、『インドの中世社 会』(1989年)の中で、前植民地期の社会がワタンに基づくものであった ことを提起した。 著者は、「前植民地期の社会がワタンに基づくものであった」という主張 を前提に、植民地期にこの社会がどのように変化していったかを本書で論 じている。本書は、『インドの中世社会』が出版された1989
年から2005
年 までに発表された10論文を基にしている。本書の議論が一貫性をもつよう に、諸論文は前植民地期から植民地期までのゆるやかな時系列に沿って並 べられ、「大幅な書き換えや組み換え」(11頁)により、全5章に再編され る。以下で、各章の内容を説明する。本書の内容について
第1章「王権の儀礼と在地社会の儀礼」は、前植民地期の社会を支える 書評論文ヒンドゥー文化の紹介が目的である。第1節「ヤジュニャ(供犠)」では動 物供犠を取り上げ、マラーター期の儀礼が、古典に見られるヴェーダ的儀 礼ではなく、「ヒンドゥー儀礼」の範疇に入るものであると性格づけている。 第2節「シャーンティ(鎮めの儀式)」、第3節「プラーヤシュチッタ(罪 の浄めの儀式)」、第4節「サナ(祭り)」で、王権と在地の儀式や祭りの方 法が比較されている。著者は、王権とバラモンのイデオロギーが不可分で あること、在地では非バラモン的なイデオロギーを含む複合的な文化がみ られたが、バラモンである村ジョーシー(占星師)によって、バラモン的 なイデオロギーが広まっていったと分析する。 第2章「インド的都市の類型論」では、「ヒンドゥー」都市のプネー市と ムスリム都市のスーラト市を比較している。著者は、前者には村役人や郷 役人など多数のワタンダールが存在し、村落共同体的性格が残っていたの に対し、後者は共同体としての構造をもたず、個々のバラバラなカースト 集団がゆるやかに束ねられた状態であったと結論する。しかし著者自身が 仮説的と述べるように、比較が不十分であると言わざるをえない。すなわ ちプネー市に関しては、役人の権益分析により、市政という都市生活の公 的な側面が、ある程度明らかにされたのに対し、スーラト市に関しては、市 政に関する言及がない。一方でムスリム都市の節では、判例集を用いてスー ラト市におけるカースト集団の在り方という、より私的な側面が考察され ている。プネー市におけるカーストの在り方も判例集やマラーター王国の 裁判史料を用いて分析することが必要となるだろう。第2章は公的側面か ら分析された「ヒンドゥー」都市と私的側面から分析されたムスリム都市 が比較される形となってしまっている。 第3章「植民地支配下における社会構造運動」は本書の中核をなす部分 である。第1節で著者は、ワタンを「世襲的な職(家職)とそれに付随す る取り分(家産)とがワンセットになった「株」のようなもの」(107頁) と定義する。植民地政府は、ワタン体制下の世襲役人の役割に強い関心を もち、有用な世襲役人のみを残し、彼らを利用して円滑な統治を行おうと した。政府は1874年にボンベイ世襲役職法を制定して、ワタンを保有する 世襲役人に対して、その役割を公的側面(国家とワタン保有者との関係) と私的側面(ワタン保有者と村民関係)に分け(113頁)、前者のみを植民 地の法の支配下に置くこととした。この原則に基づいて、ボンベイ政府は 世襲役人の公的側面に干渉し、世襲職を整理していく。この過程で、特に
重要な影響を社会に及ぼした事例として、第2節で西インドの不可触民で あるマハール・ワタンの廃止と、第3節で村落共同体の祭祀を執り行った 村ジョーシー(占星師)の権限の変化を取り上げる。ボンベイ管区の裁判 所では、村の儀式に関わる世襲的権利が村ジョーシーに認められていた。し かし1870年代のプネーで、儀式で自分のカーストから司祭を選び、バラモ ンの支配から自由になろうとする反バラモン運動が起こって以降、村 ジョーシーの世襲的権利は崩壊し始める。第3章の最後で、著者は19世紀 後半以降、ワタンの公的側面がボンベイ政府によって廃止され、同時期に 「契約の自由」や「個の自由」という考え方がインド人に広まったことなど により、村民が前植民地期の社会の授受および権利義務関係に反発し、ワ タンの私的側面も崩れ始めたと結論する。 第4章「植民地統治体制におけるカースト」も前植民地期の制度に対す るボンベイ政府の政策を扱っており、本書の中核をなしている。植民地期 初期のイギリス人行政官やボンベイの民事裁判所が、婚姻やカースト会食、 カースト追放といった「カースト問題」を特別視し、
1827
年の法律で「カー スト問題」は、在地の調停機関であるパンチャーヤトでも民事法廷でも扱 えず、当該カースト集団のみが裁定しうることになった経緯を著者は示し ている。 第5章「キリスト教とヒンドゥー文化」は、キリスト教という新たな要 素が、当時のインド社会にどのような影響を与えたかを描いており、前植 民地期の既存の制度が主体であった本書に、新たな視点を加えている。第 1節では、宣教師が布教活動の中で行ったヒンドゥー教批判の内容が紹介 されている。ヒンドゥー教批判に対し、「イギリス人は動物の殺生をする 『牛食い人種』だ」というのが宣教師への反発のスローガンとなる。当時の 社会において肉食や飲酒を忌み嫌うのは、人口の5%
を占めるバラモンの みであった。しかしこのスローガンが広まるにつれ、実際に19
世紀後半以 降に肉食を拒否する菜食がヒンドゥー教徒全体に広まっていったと著者は 主張する。第2
節でヒンドゥー教徒の、第3
節でパールシー青年のキリス ト教への改宗の事例を紹介している。実際の改宗者の出現によりインド社 会では個の論理と共同体の論理が対立するようになり、キリスト教の西欧 近代的思想から生まれた「ヒンドゥー社会改良主義」の対立物として、ヒ ンドゥー的価値を「再発見」・「創出」するヒンドゥー「正統主義」、「ヒン ドゥー主義」が生まれたと著者は指摘する。考察
本書の全5章の中で、第1章と第2章は前植民地期の社会を扱う、本書 の起部となる。第3章と第4章は、植民地支配下での前植民地期の社会制 度の在り方を扱っており、承部となる。第5章は、キリスト教という新た な要素が話題の中心となっており、転部にあたる。惜しむらくは、本書に 結部にあたる総括がない点である。ここではまず本書の内容全体をまとめ、 その上で本書の問題点と、本書が示す今後の研究課題について言及したい。 本書の特徴は、社会制度を公的側面と私的側面に分けて、植民地支配下 での変化を論じている点である。前植民地期の社会では、村ジョーシーな どの活躍で、公的側面と不可分のバラモン的なものが、私的側面の場に広 がっていた(第1章)。植民地期に入ると、ボンベイ世襲役職法、「カース ト自治」政策によって社会制度の公的側面と私的側面は明確に分けられた (第3章・第4章)。植民地支配下で社会制度には大きく3種の変化が起こ る。第一は、前植民地期の社会制度であったワタン体制の公的側面の崩壊 である。第二は、ワタン体制の私的側面の変化である。著者は植民地期に 広まった西欧近代思想が私的側面を崩壊へと向かわせたと指摘する。村 ジョーシー・ワタンの事例は、特に重要である。前植民地期の社会では、村 ジョーシーがバラモン的な制度を村に広めていたのであるから、反バラモ ン運動は、村民が前植民地期の社会制度に異を唱えたことを意味する。こ れは社会の根本的な変化といえる。第三の変化は、社会制度の私的側面の もう一つの変化である。キリスト教への改宗者の出現を機に、個と共同体 の論理の対立が起こり、西欧近代的な思想に対し、ヒンドゥー「正統主義」 や「ヒンドゥー主義」が生まれた。 第三の変化において重要なのは、ヒンドゥー「正統主義」が、本書の起 部で検討した前植民地期の社会への回帰を目指していないことである。本 書の事例を用いてこのことを詳しく検討してみよう。本書では、「イギリス 人が『牛食い人種』だ」という反撃のスローガンが広まったことから、19 世紀後半に菜食主義者が増えていったことが指摘される。しかし前植民地 期には、多くのバラモンが雇われ、動物供犠が大々的に行われていた。も ちろん著者が指摘するように単なる牛殺しと動物供犠とは、本質的な相違 があったであろう。しかし「牛食い人種」の批判から生まれたヒンドゥー 「正統主義」の信奉者が動物供犠を認めることは問題があったであろうと評者は考える。おそらくヒンドゥー「正統主義」者達は、動物供犠の過去を 否定し、「ヒンドゥー教徒は肉食や飲酒を忌み嫌う」という「伝統」を「創 出」したのであろう。そして第一と第二の変化によって、前植民地期の社 会制度が崩壊、または衰弱していたことは、ヒンドゥー「正統主義」者が、 前植民地期の過去と、彼らが「創出」した「伝統」を挿げ替える際に、有 利に働いたと評者は考える。本書の副題にある「『伝統』社会から植民地近 代へ」とインドの社会が変容していったという言説自体が植民地期の産物 であることを本書は伝えている。 本書には、構成上の問題点がある。すなわち第2章の位置づけが十分に なされていない点である。前節で評者が指摘したように、第2章の比較が 十分でないことが主たる原因であろう。「ヒンドゥー」的都市とムスリム都 市の特徴も、植民地期の変化に関しては一切触れられていない。また前植 民地期を扱った起部(第1章・第2章)と、植民地期を扱った承部・転部 (第3章~第5章)が対応していないことも構成上の問題といえる。しかし 本書は、著者の既論文を中心としており、構成上の非対応を即座に本書の 問題とすることはできない。そこでこれについては、本書が提示する今後 の研究への課題と読み替えて、議論してみたい。 今後の課題として解決すべき対応関係は、2点ある。第一点は、第1章 で扱われた前植民地期の儀礼や祭りが、植民地期にどのように変化したか という問題である。上述の結論部で述べたように、ヒンドゥー「正統主義」 者にとって動物供犠の問題は大きかったと考えられる。植民地期の動物供 犠は、ヒンドゥー「正統主義」者が存在を否定できるほど衰微していたの であろうか。この問題を明らかにすることにより、本書の結論までの過程 もより明確になる。 第二点は、ボンベイ世襲役職法と、「カースト自治」の問題である。植民 地期のように、社会制度の公的側面と私的側面はマラーター王国の下でも 区別されたのであろうか。両側面の区分は本書の特徴であり、この議論は 非常に重要である。ボンベイ世襲役職法は、世襲役人の立法面での区分で あり、司法面では裁判所の判決が私的側面に影響力をもちえた。18世紀後 半のマラーター王国では、国の最高権力者のペーシュワーが、司法機関の 助けで司法の権限を行使していた1。マラーター王国の立法と司法が未分化 であり、ボンベイ世襲役職法の枠組みを用いて、前植民地期と植民地期の 状況を比較するのは難しい。「カースト自治」政策に関して、第4章は植民
地期初期の報告書のみを用いており、同時代史料による前植民地期の考察 はない。マラーター王国の司法制度をまとめたグネは、カースト追放を解く 浄めの儀式の際に、一般的に政府に場所代が支払われたことを指摘する2。 すなわちカースト追放の解除は、少なくとも場所代の支払いにより政府に 報告されていたと予想される。一方で著者は、在地の浄めの儀式が国家の 権威によらずに行われたことを指摘する(第1章)。両者の議論を整理し、 前植民地期の「カースト自治」に関するさらなる研究が必要である。 さらに本書の史料の活用法もまた、今後の研究に課題を与えている。本 書の史料的な特徴は、マラーティー語および英語の様々な公刊史料を用い ていることである。前植民地期で扱われているマラーティー語史料集に真 新しいものはないが、その活用法は、史料集の性格を熟知し、長所が活か されている点で注目に値する。例えば、第1章4節で王権の年中行事を分 析する際に、著者はプネー駐在のニザーム国通信使の史料集(Pune Akhbars)の、通年の記録が得られる1781年の文書を用いている。ニザー ムというマラーター王国外の存在に同王国を報告するという史料の目的、 通年の記録が得られるという史料の採録状況、さらに著者は触れていない が1781年はプネーから通信が行われる最初の年であり3、詳細な記述が期 待できる史料の質という点で、著者の史料選択は非常に優れている。 本書が用いる英語史料は、ボンベイ政府の法令や植民地期初期の報告書 を網羅するのみならず、膨大な判例集にまで及んでいる。これに基づく植 民地期のワタン体制の公的側面の変化は、史料的にも十分に裏づけがなさ れた本書の成果といえる。さらに本書はワタン体制の私的側面の変化を、判 例集を基に描こうとする。著者は、私的側面の崩壊について、個の自由(契 約の自由)という西洋近代思想が大きな役割を果たしたことを指摘する。私 的側面はワタン保有者と村民との関係であるが、従来の関係に異を唱えた 村民は、どのようにして西欧近代思想に触れたのであろうか。この点に関 する説明が本書ではなされていない。これを知る最もよい手段は、著者が 採ったように判例をみることである。ただし著者自身の本書での指摘から 察するに、本書で用いられた判例集ではいくつかの重要な判例が、抜け落 ちているようで、史料に限界がある。ボンベイ高裁に原史料が全てそろっ ている保証はないが、多くの原史料を用いることでワタンの私的側面の変 化がより明確になる。本書は公刊史料を用いてワタンの公的側面の変化を 明らかにし、さらに私的側面の重要な争点を提示した。裁判所の原史料か
ら私的側面を明らかにすることが、本書の示す今後の課題といえるだろう。 著者は本書で『中世のインド社会』の執筆後に行ってきた研究の成果を 植民地化の時代の流れに沿ってまとめ、さらに今後のいくつかの重要課題 を提示している。本書は、植民地化によるインドの社会制度の変化を研究 する上で、極めて重要な文献といえる。 註
1 T. T. Mahajan, 1990, Maratha Administration in the 18th Century, New Delhi, p. 152.
2 V. T. Gune, 1953, The Judicial System of the Marathas, Poona, p. 113.
3 Central Record Office, Hyderabad Government ed., 1953, Pune Akhbars, Vol. I, p. viii.