南アジア研究 第29号 017書評・渡辺 和之「中川加奈子『ネパールでカーストを生き抜く―供犠と肉売りを担う人びとの民族誌―』」
6
0
0
全文
(2) 書評. 中川加奈子『ネパールでカーストを生き抜く. 供犠と肉売りを担う人びとの民族誌. 』. 序章「カーストとして生きる/個人を生きる」では、先行研究を検討し、 分析の枠組み、調査の方法を述べている。本書は、サール=チャタジーと シャルマによるカーストを人々の存在(they are )の体系と捉える視点 (存在論的カースト)と人々の行為(they do )と捉える視点(行為論的 カースト)の相互関係に注目する。ネパールやバングラデシュの民族誌 になじみがある読者には、シェルパが自己表象と他者表象の間で生き、 ポトワがヒンドゥーやムスリムとして生きるのに注目する、あの視点と いえば、わかりやすいだろうか。カーストを「所与の枠としての存在で はなく、その枠を打破し、自分たちの望ましいものに転換するための行 為との相互関係によって、日々生成されるもの」と、著者は捉えている。 調査は、2005年より2013年まで、足かけ8年までの通算約5年間のネ パール滞在中におこなった。この間ネパールは激動の時代を迎えた。 2006年に政府とマオイストが停戦し、2008年には王政から連邦民主制へ 移行した。 第1章「交わされる財とサービス」では、ネワール社会におけるカー スト間の交換関係が整理されている。カドギの伝統的職業は、①肉の提 供、②ミルクの提供、③輿担ぎ、④家畜の供犠、⑤葬式の先導、⑥祭りの 先導、⑦婚礼の輿担ぎ、⑧出産時のへその緒を切ったり、⑨出産や臨終 に伴う廃棄物の処理、⑩村のメッセンジャーなどがある。このうち、市 場の影響で廃れたり、存続したり、形が変わったものもある。 第2章「暮らしを支える共同性」では、ネワール社会の親族関係と生 活組織を概説する。カドギはプキと呼ばれる父系親族集団がいくつか集 まり、トゥワという居住区に住む。そこでは、葬式のための互助組織サ ナグティーを構成し、メンバーはリネージ神アガンデヨを祀る。カドギ の生業のなかでもっとも多いのが、水牛の仲買、屠畜、卸売り、小売りな どの食肉業である。また、輿担ぎからバスやタクシーなどの運転手に移 行した人もいる。もともと多様だった職業が、食肉需要の急増するなか、 肉売りに集約されたという。 第3章「カーストの役割と個人の信仰世界の交差」では、ネワールの 神々が示され、それぞれの神々に捧げる儀礼の記述がある。ネワールの 神々には、血の供儀を要求する神がおり、カドギは年中行事や人生儀礼 において家畜の供儀をおこなう。そのなかにはトゥワごとに祠があるガ ネーシャやバイラヴァ、サナグティーの神アガンデヨのような地域や親 239.
(3) 南アジア研究第29号(2017年). 族に関わるものから、タレジュ女神やマチェンドラナートのような都市 国家や王政期の国家祭祀に関わるものまである。 第4章「生活の場の重層性」では、カースト役割が市場経済の波のな かでどう変化しているのか、ライフヒストリーをもとに紹介している。 1990年代の民主化以降、都市化が進むなかで食肉市場やミルク売りなど に進出した人もいれば、カースト役割以外の職業に就くことで、カース ト役割から離脱した人もいる。一方、市場で成功した人が、稼いだ金で 神像を寄進するなど、カーストをめぐる役割が複雑化する状況も述べて いる。 第5章「食肉市場の形成とカースト間関係の変容」では、食肉業に進 出したカドギが、他のカーストやムスリムたちとどのような社会関係を 築いているのかを述べている。もともと不浄ゆえに交友関係が限られて いた人々が、食肉業に進出することで新しい社会関係を取り結んでいる。 また、市場での買取価格の交渉を有利にするためにネパール・カドギ・ セワサミティー(NKSS)を結成した。一方で、これまで不浄であるがゆ えに制限されていた食肉業に、ムスリムやヒンドゥー上位カーストが進 出していることを指摘する。 第6章「食肉のカースト社会からの離床」では、食肉市場で働くこと がカドギの主体形成にどのような変化をもたらしたのかを述べている。 屠場や小売店の衛生対策により、肉を売ることは出稼ぎと変わりない近 代的な職業に変化している。ただ、一方で、肉を売る商人の名刺にカー ストのわかる苗字を入れない人もおり、この問題の緊張感が伺える。 第7章「供物としての肉から商品としての肉へ」では、儀礼における 供犠と供物の分配を対象とする。特に、都市国家時代より国家祭祀とし ておこなわれるタレジュ女神への供犠に関わるカドギの役割を、詳細な 観察をもとに記述している。政府がグティー・サンスタンを通じて買い 付け業者から供儀に用いる家畜を調達する方法や、分配したお下がり (プラサダ)を転売するなど、カーストにもとずく分配の論理と市場の論 理が交錯する実態が明らかになる。また、王政から連邦制に移行する過 程で生じたカドギの儀礼的な役割の変化や、祭礼への政府補助金にも言 及している。 第8章「カースト・イメージの読み替え」では、ネパール・カドギ・ セワサミティー(NKSS)の活動が対象となる。なぜ彼らがダリットに認 240.
(4) 書評. 中川加奈子『ネパールでカーストを生き抜く. 供犠と肉売りを担う人びとの民族誌. 』. 定されることで受ける経済的恩恵よりも、ネワールの先住民運動の傘下 に活動することを選んだのかが明らかになる。また、NKSS の主張する 「ネワールの都市国家よりもさらに古い」 「カドギ5千年の歴史」の生ま れた過程や、ネワールの司祭から儀礼のやり方を学ぶカドギが現れた背 景、そして、盆地外の支部のカドギを NKSS がいかにサポートし、それ らの知識を伝道するかを分析している。 第9章「交錯する関係性とその操作」では、NKSS の活動の歴史を振 り返り、彼らの活動が社会状況に応じてどう変化してきたのか分析する。 彼らが組織を結成後最初にしたのは、公共飲料水タンクをバスターミナ ルに設置したことだという。また、 「民主化以前、小作人どうしで相談す るのに警察に邪魔された」ことや、 「金がなくて大学に行けなかった」な ど、活動家が運動に入った背景についても触れられている。 終章「下からのカーストの再創造」では、カドギがいかにカーストや スティグマの問題に対峙したのか、存在論的カーストと行為論的カース トの相互関係から考察する。カーストの枠を必要としつつも、その意味 をずらすことで、よりよき生を獲得しようとするカドギの営為が明らか になる。 まず、ネワール社会の民族誌として、本書が貴重な貢献をした点を強 調しておきたい。著者はネワール語を習い、これまであまり知られてな かったカドギについて、地区の社会組織や儀礼のあり方を明らかにした。 また、ネワールの儀礼には関係者以外立ち入り禁止の供犠が少なからず ある。著者は、王室儀礼に関わるプジャリやその財務・調達に関わるグ ティー・サンスタンの元に足繁く通うことで、旧王宮の奥深くにあるタ レジュ寺院での儀礼の特別許可を取り、観察してしまった。その背景に は、NKSS が著者の調査を積極的にサポートしたことが大きい。2008年 以降、王政から連邦制に移行し、NKSS は自分たちのカースト・イメー ジを積極的に発信してゆくようになった。 この点で、本書は、カドギが新しい時代や制度にどのように適応して ゆくのか、その歴史的な過程を記録した体制転換期の民族誌である。 2008年以降、ネパールはヒンドゥー教を国教とする国から世俗国家に生 まれ変わった。その過程で、これまで国家祭祀としておこなわれていた 儀礼や祭礼をどのように遂行してゆくのか問題になっている。本書を読 むと全体の骨格はさほど大きくは変ってないことがわかる。むしろ、国 241.
(5) 南アジア研究第29号(2017年). 家祭祀に代り、何のために儀礼や祭礼をおこなうのか、その意味をカド ギをはじめ、関係者たちが模索するようになったことが本書を読むとわ かる。 次に、食肉市場の研究への貢献について、述べておきたい。著者は、町 の肉屋はもとより、国境の家畜市場、屠場にも足を運んで、カトマンズ 盆地の食肉市場の実態を調査した。特にカドギの関わる水牛市場につい ての記述は充実している。カドギがムスリム向けにハラール・ミートを 売る方法や、水牛の骨を肥料するなど、興味深い事例もある。皮を塩漬 けして加工工場に売ったり、市場の要求する屠場や食肉市場の衛生基準 に対応するなど、この分野の研究に貴重な知見をもたらしている。 南アジアにおける家畜市場を考える時、供犠のもたらす文化的役割の 重要性は無視できない。今日では肉を食べるのは祭りの日だけではない だろうが、祭りがあることで肉を食べる機会は確実に生まれる。人々の 現金収入が増え、日常的な肉の消費が増えることで、食肉市場が成長し た。この点で、お下がりから切り身へと移行しながら、両者が共存する 南アジアの現在を、本書は描いている。一方で、現在、ネパールでもブロ イラーや食肉ファームのような大規模な食肉産業が増えつつある。今後、 カドギのように屠畜と小売を兼ねる小規模な肉屋が、変化する南アジア の食肉市場にどう向きあってゆくのか。これからが正念場をむかえるの だろう。また、近年、南アジアでは「動物を殺すのはかわいそう」という 考え方が若い人の間に広まってきている。屠畜や肉屋に対する風当たり はカーストとは違った形で強くなり、それらを職業とする人々は、一般 の消費者の目に見えない市場の奥深くに追いやられる可能性もある。 また、カーストと職業の関係でいうと、食肉業に他のカーストが参入 する現在でも、やはり数の上ではカドギがもっとも多く、カトマンズ市 内の肉屋の69%を占める(P. 126) 。カースト集団として団結することで、 肉については持てる権益を守ってきたことが伺える。一方で、カドギは 食肉業以外にもバスや車の運転手など、多様な職業に進出している。こ れは、カドギが生きてゆくためには食肉業につくのがもっとも手っ取り 早いからなのか、もともと上位カーストの下働きとして雑多な仕事をし ていたので、市場経済のもとでも生きるためには何でもしてきたからな のか。また、カドギの活動は団結と協同の時代からイメージ戦略の時代 に突入しているが、NKSS はどんな論理でカドギ社会の団結を達成して 242.
(6) 書評. 中川加奈子『ネパールでカーストを生き抜く. 供犠と肉売りを担う人びとの民族誌. 』. いるのだろうか。親族の論理? 王宮の儀礼? それとも ID カードのよ うな生活の便宜? あるいは政党? どうも NKSS には業界団体、地位向 上運動の団体、親族の集まりとしてのカースト集団など、いくつかの顔 がありそうである。 最後にスティグマからの生の肯定について、ネワールの在来の宗教に そのような機能がなかったのか考えた。日本やタイの民間信仰には、殺 生を戒める仏教においてすら、猟師たちに対する救済手段があった。た とえば、日本では諏訪明神の偈を唱えてから解体した動物は人間に食べ られることで成仏できたし、タイでは僧侶になれば地獄に落ちた両親を 救うこともできた[千葉 1975:231、石井 1991:107-110] 。ネワールの神仏 には、カドギの罪業を抹消する慈悲深い神仏はいないのか。地区のアガ ンデヨやバイラヴァには屠畜人を救済する伝承はないのか。調べてみた くなった。. 参照文献 千葉徳爾、1975、『狩猟伝承』、法政大学出版会。 石井米雄、1991、『タイ仏教入門』、めこん。. わたなべ かずゆき ●阪南大学国際観光学部. 243.
(7)
関連したドキュメント
ロボットは「心」を持つことができるのか 、 という問いに対する柴 しば 田 た 先生の考え方を
「教育とは,発達しつつある個人のなかに 主観的な文化を展開させようとする文化活動
が漢民族です。たぶん皆さんの周りにいる中国人は漢民族です。残りの6%の中には
最愛の隣人・中国と、相互理解を深める友愛のこころ
・蹴り糸の高さを 40cm 以上に設定する ことで、ウリ坊 ※ やタヌキ等の中型動物
県民のリサイクルに対する意識の高揚や活動の定着化を図ることを目的に、「環境を守り、資源を
• 競願により選定された新免 許人 は、プラチナバンドを有効 活用 することで、低廉な料 金の 実現等国 民へ の利益還元 を行 うことが
遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば