結
縁
灌
頂
の
庶
民
化
(一)
上
田
霊
城
一 序 密 教 の 灌 頂 の 儀 式 は、 印 度 に お け る 帝 王 の 即 位 儀 式 を 採 用 し た も の で、 阿 闇 梨 が 弟 子 に 密 教 の 法 門 を 印 可 伝 授 す る 時 に 行 わ れ る 法 儀 で あ る こ と は 周 知 の 通 り で あ る。 経 軌 に は 多 種 の 灌 頂 を 説 い て い る が、 伝 法、 受 明、 結 縁 の 三 種 が 古 来 通 用 さ れ て い る。 こ の 中、 伝 法 灌 頂 の 受 者 は 密 法 相 承 の 阿 闇 梨 位 を 紹 ぐ に 堪 え た る 法 器 に 限 ら れ る 故 に、 出 家 専 用 の 灌 頂 で あ る。 受 明 灌 頂 も 又、 学 法 と か 持 明 と か 云 わ れ る 如 く、 こ の 灌 頂 に 入 坦 し て 投 花 得 仏 し、 得 仏 し た 一 尊 の 印 明 を 授 か つ て 以 後、 そ の 尊 の 供 養 法 を 修 学 す る の が 立 前 で あ る か ら、 受 者 は 出 家 に 限 ら れ る わ け で あ る。 結 縁 灌 頂 だ け は、 広 く 在 家 出 家 に 開 放 さ れ、 そ の 受 者 は ( 1) ( 2) ﹁ 不 応 簡 択 器 非 器 ﹂ と か ﹁ 是 器 非 器 不 応 簡 択 ﹂ と か ﹁ 若 結 縁 ( 3) 弟 子 則 挙 手 低 頭 之 善 無 所 不 摂 也 ﹂ と か 云 わ れ、 或 は 伝 法 の 弟 子 は 婆 羅 門 等 の 四 種 大 姓 家 の 出 生 に 限 ら れ る が、 ﹁ 若 但 結 ( 4) 縁 受 法 則 非 所 論 ﹂ と 云 わ れ、 栴 陀 羅 等 の 悪 姓 の 者 で も、 結 縁 灌 頂 な ら ば 受 法 を 許 さ れ る と 説 か れ て い る 如 く、 最 初 か ら 庶 民 に 開 放 さ れ た 密 教 の 儀 式 で あ つ た。 こ の 結 縁 灌 頂 に、 在 家 と 共 に 入 壇 す る 出 家 に と つ て は こ の 灌 頂 は 受 明 の 意 味 を 持 つ て い る と 思 わ れ る。 空 海 に よ つ て 行 わ れ た 高 雄 灌 頂 に は、 近 事 や 音 声 人 な ど の 在 家 が 受 者 に 歴 名 し て い る か ら、 こ れ は 結 縁 灌 頂 で あ つ た と 云 え る。 と こ ろ が 受 者 の 中 に は、 最 澄 以 下 二 十 二 人 の 大 僧 が 含 ま れ て お り、 以 後、 十 八 道 な ど の 密 教 修 行 を す る 為 の 初 門 と し て こ の 灌 頂 を 受 け た の で あ る か ら、 こ の 意 味 で は 受 明 灌 頂 で あ つ た。 こ の 点 に つ い て、 シ ン シ ャ 要 秘 砂 は 次 の 如 く 解 し て い る。 凡 ソ 受 明 持 明 学 法 結 縁 皆 是 レ 実 義 ニ ヨ ラ バ 一 種 同 体 資 位 ノ 灌 頂 ナ ル カ 故 二、 此 ノ 衆 名 ヲ 通 用 ス ル ト 錐 モ、 灌 頂 二 於 テ ハ 必 ズ 別 体 二 非 ス 勝 二 拠 テ 之 ヲ 名 ク レ バ 受 明 持 明 学 法 等 ハ 是 レ 真 言 当 機 初 入 授 法 之 灌 頂 ナ リ 結 縁 ハ 一 時 一 会 四 部 通 授 之 灌 頂 ナ リ ⋮ ⋮ 此 高 雄 両 度 ノ 灌 頂 ハ 大 師 最 初 ノ 授 与 ナ リ 先 徳 等 ハ 多 ク 結 縁 灌 頂 結 縁 灌 頂 の 庶 民 化 ( 上 田)結 縁 灌 頂 の 庶 民 化 ( 上 田) ノ 義 ヲ 存 ス 今 案 ジ テ 云 フ 人 二 依 リ 義 二 依 テ 結 縁 受 明 一 定 セ ザ ル (屍 事 実、 こ の 両 灌 頂 の 作 法 は 全 く 同 じ で、 た だ 正 覚 壇 の 作 法 に 於 て、 結 縁 の 受 者 に は 五 股 杵 だ け を 授 く る の に 対 し、 受 明 の 受 者 に は 法 螺、 輪 宝 等 の 秘 密 道 具 を 授 け る 違 い が あ る だ け で あ る。 従 つ て 実 慧 以 来、 東 密 で は、 伝 法、 結 縁 の 二 灌 頂 だ け を 相 承 し て き た が、 そ の 結 縁 灌 頂 が、 義 に 依 り 人 に 依 つ て、 受 明 の 働 き を し て い る と 解 せ ら れ る し、 或 は 又、 一 尊 受 学 の 初 入 と し て の 受 明 灌 頂 を、 出 家 の み で な く 広 く 在 家 庶 民 に 開 放 し た の が 結 縁 灌 頂 で あ つ た と 解 し て も よ い で あ ろ う。 そ こ で、 結 縁 灌 頂 の 庶 民 化 を 考 え る 場 合 に は、 出 家 の 受 者 を 除 い て、 在 家 に 限 つ て そ の 普 及 の 程 度 を 検 討 す る 必 要 が あ ろ う し、 近 世、 受 明 灌 頂 の 名 目 で 行 わ れ る 灌 頂 で も、 そ の 中 に 在 家 の 受 者 が 含 ま れ て い る 場 合 に は、 こ れ を 結 縁 と 見 な す 必 要 が あ る と 思 わ れ る。 天 宝 十 三 年、 不 空 三 蔵 が、 開 元 寺 に 於 て 行 つ た 灌 頂 に は、 ( 6) ﹁ 士 庶 之 類 数 千 人 衆 威 登 道 場 ﹂ と 記 さ れ て い る 所 よ り 推 測 し て、 庶 民 化 さ れ た 結 縁 灌 頂 を 想 像 す る こ と が で き る。 所 が 本 朝 に お け る 結 縁 灌 頂 は、 古 代 中 世 を 通 じ て そ の 道 場 も 限 ら れ、 従 つ て、 受 者 の 範 囲 も 限 定 さ れ、 実 際 に は 庶 民 に 縁 遠 い 行 事 で あ つ た よ う に 思 わ れ る。 結 縁 灌 頂 が 地 方 寺 院 で 行 わ れ、 地 方 の 庶 民 が 多 数 参 加 す る よ う に な つ た の は 近 世 で あ り、 そ の エ ポ ッ ク を 作 つ た の が 浄 厳 と 蓮 体 で あ つ た こ と を 検 討 す る の が 小 論 の 目 的 で あ る が、 今 回 は 古 代 中 世 の 結 縁 灌 頂 に つ い て 考 察 し た い。 二 古 代 の 結 縁 灌 頂 本 朝 最 初 の 結 縁 灌 頂 は、 空 海 に よ る 高 雄 灌 頂 で あ る が、 灌 ( 7) 頂 記 の 記 録 に よ れ ば、 弘 仁 三 年 ( 八 一 二) 十 一 月 十 五 日 の 金 剛 界 壇 に は、 最 澄、 和 気 真 綱、 和 気 仲 世、 美 濃 種 人 の 四 人 が 受 者 と な り、 次 い で 十 二 月 十 四 日 の 胎 蔵 壇 に は、 大 僧 二 十 二 人、 沙 弥 三 十 七 人、 近 事 四 十 一 人、 童 子 四 十 五 人、 音 声 人 二 十 人 の 歴 名 が 記 さ れ て い る。 大 僧 と 沙 弥 は、 真 言 行 人 と し て 専 門 に 一 尊 の 喩 伽 を 修 学 す る た め の 入 門 と し て 受 灌 頂 し た の で あ る か ら、 在 家 人 で は な い。 童 子 と い う の は、 将 来 得 度 し て 沙 弥 と な る こ と を 予 定 さ れ て、 師 主 に 仕 え て い る 幼 年 者 を ( 8) 指 す の で あ る か ら、 厳 密 な 意 味 で は、 出 家 の 部 に 入 る。 従 つ て、 こ の 時 の 受 者 中 在 家 人 は、 近 事 と 音 声 人 の 六 十 一 人 に 金 剛 界 壇 の 三 人 を 加 え る 程 度 で あ る。 而 も こ れ ら の 在 家 人 は、 宮 廷 貴 族 や 官 吏 等 氏 姓 の は つ き り し た 者 で あ つ た こ と は 歴 名 よ り 察 知 さ れ る 所 で、 少 く と も 庶 民 の 名 に 価 す る 人 々 で は な か つ た。 空 海 以 後、 実 慧 は 東 寺 に 灌 頂 院 を 造 営 し、 春 秋 二 季 の 結 縁 灌 頂 を 恒 規 と す る 官 符 を 得、 八 四 四 年 始 行、 二 年 後 に は 寺 務
繁 多 の 理 由 で 春 季 灌 頂 を 取 り 止 め、 秋 季 の み を 恒 規 と し た。 保 延 五 年 ( 一 一 三 九) 五 月 十 四 日 仁 和 寺 覚 法 親 王 は 美 福 門 院 の 安 産 祈 濤 の 功 賞 と し て、 東 寺 春 季 灌 頂 を 旧 儀 に 復 し、 こ れ を 仁 和 寺 観 音 院 で 行 う 官 符 を 得、 一 一 四 〇 年 か ら 始 行 し て、 以 後 春 季 は 仁 和 寺、 秋 季 は 東 寺、 金 胎 交 互 に 執 行 す る 恒 例 と な ( 9) つ た。 高 野 山 の 灌 頂 院 は 大 御 室 性 信 親 王 の 発 願 施 財 に よ り、 寛 意 の 監 護 に よ つ て 応 徳 三 午 ( 一 〇 八 六) に 完 成 し、 そ の 九 月 二 十 七 日 落 慶 の 当 日 結 縁 灌 頂 を 修 し た の が 高 野 山 で の 始 め で あ ( 10) り、 以 後 東 寺 に 準 拠 し て 春 秋 二 季 に 修 せ ら れ た。 阿 娑 縛 抄 巻 第 十 二 に よ れ ば、 延 暦 寺 の 結 縁 灌 頂 は 嘉 祥 元 年 (八 四 八) が 始 行 か と 云 わ れ、 毎 年 九 月 十 五 日 胎 金 隔 年 に 修 行 さ れ て い た が ﹁ 我 山 結 縁 灌 頂 只 許 一 門 之 僧 衆 不 許 余 道 俗 童 ( 11) 子 等 也 ﹂ と 云 わ れ、 結 縁 と 云 う よ り は 受 明 灌 頂 で あ り、 在 俗 者 に は 開 放 さ れ な か つ た よ う で あ る。 世 に 六 勝 寺 と 云 わ れ る の は 白 河 上 皇 始 め 代 々 の 院 の 御 願 寺 と し て 建 立 さ れ た 伽 藍 で あ る が、 こ の 中、 尊 勝 寺 で は 一 一 〇 四 年 よ り、 最 勝 寺 で は 一 一 二 二 年 よ り 毎 年 結 縁 灌 頂 が 行 わ れ、 最 初 は 慈 覚、 智 証 の 門 徒 及 び 東 寺 の 門 流 が 阿 閨 梨 を 勤 め ( 12) た が、 後 に は 慈 覚、 智 証 の 門 徒 の み で 行 わ れ た。 後 三 条 天 皇 の 勅 願 に よ つ て 創 建 さ れ た 円 宗 寺 で も 一 〇 九 九 ( 13) 年 十 二 月 五 日 に 結 縁 灌 頂 が 始 行 さ れ た 記 録 が あ る。 神 護 寺 の 灌 頂 院 は 本 朝 最 初 の 結 縁 灌 頂 の 道 場 と い う 由 緒 を ( 14) 持 つ が、 ﹁ 未 被 補 阿 闇 梨 寺 僧 等 相 替 勤 其 職 殆 似 無 条 貫 ﹂ と 述 べ ら れ て い る 如 く 恒 規 と は な つ て い な い。 こ の 外、 醍 醐 寺、 大 覚 寺 な ど も 少 し 時 代 が 下 つ て 始 行 さ れ る が、 古 代 に お け る 結 縁 灌 頂 の 道 場 は 何 れ も、 勅 願 寺 御 願 寺 或 は 中 央 の 大 寺 院 で あ つ た ば か り で な く、 灌 頂 の 受 者 も 又、 主 と し て 権 門 及 び そ の 周 辺 の 人 々 に よ つ て 占 め ら れ て い た。 ( 15) 平 城 天 皇 が 弘 仁 十 三 年 空 海 よ り 結 縁 灌 頂 を 受 け ら れ た の を ( 16) 始 め、 嵯 峨 上 皇 が 承 和 八 年 実 慧 よ り 受 け ら れ、 文 徳 天 皇 は 斉 衡 三 年 に、 皇 子 や 藤 原 良 相、 良 綱、 基 経 ら と 共 に 円 仁 よ り 受 ( 17) け ら れ、 清 和 天 皇 は 貞 観 六 年 禁 中 に て 円 珍 よ り 胎 蔵 の 結 縁 灌 頂 を 受 け ら れ た が、、 こ の 時 に は、 藤 原 良 房 を 始 め 三 十 余 人 ( 18) が 入 壇 し た。 寿 永 元 年 十 二 月 十 五 日、 喜 多 院 御 室 守 覚 法 親 王 が 阿 闊 梨 を 勤 め た 仁 和 寺 観 音 院 の 恒 例 結 縁 灌 頂 に は、 後 白 河 法 皇 並 に 八 条 院 が 御 幸 に な り 入 壇 さ れ た こ と が 記 録 に 見 え ( 19) る。 こ の よ う に 当 時 の 結 縁 灌 頂 は、 広 く 貴 賎 男 女 に 開 放 さ れ て い た と は 考 え ら れ ず、 又、 在 俗 庶 民 を 密 法 に 結 縁 さ せ る と い う 本 来 の 目 的 と は 異 な り、 鎮 護 国 家 の た め に 修 行 さ れ て い た よ う で あ る。 東 宝 記 第 四 に、 東 寺 灌 頂 に つ い て ﹁ 依 御 遺 告 ( 20) 為 鎮 護 国 家 被 置 春 秋 二 季 灌 頂 ﹂ と 述 べ て い る の は、 こ の 間 の 事 情 を よ く 物 語 つ て い る と 思 う。 少 し 時 代 は 下 る が、 文 永 結 縁 灌 頂 の 庶 民 化 ( 上 田)
結 縁 灌 頂 の 庶 民 化 ( 上 田) 十 年 ( 一 二 七 三) 行 わ れ た 醍 醐 の 三 宝 院 に お け る 結 縁 灌 頂 の 記 ( 21) 録 に よ る と、 供 養 法 座 数、 諸 真 言 の 遍 数、 灌 頂 受 者 人 員 を 列 記 し た 後 に ﹁ 右 奉 為 金 輪 聖 帝 天 長 地 久 太 上 天 皇 玉 躰 安 穏 兼 天 下 泰 平 万 民 豊 楽 廿 口 等 殊 致 精 誠 奉 修 如 件 ﹂ と 灌 頂 修 行 の 目 的 が 述 べ ら れ て い る の を み て も、 当 時 の 結 縁 灌 頂 は 鎮 護 国 家 の 行 事 と し て の 面 が 強 か つ た も の と い え よ う。 三 中 世 の 結 縁 灌 頂 結 縁 灌 頂 を 追 善 仏 事 と し て 行 じ た 初 例 は、 平 安 末 の 高 野 山 に 既 に 見 ら れ る。 即 ち、 康 和 三 年 ( 一 一 〇 一) 夏 六 月 十 五 日 寛 意 僧 都 が 寂 し た 時、 明 算 は 哀 歎 し て ﹁ 灌 頂 院 興 行 偏 係 此 僧 都 之 績 然 則 巳 後 春 秋 二 季 結 縁 者 秋 季 本 自 奉 為 長 和 王 子 ( 22) 春 季 為 寛 意 僧 都 執 行 之 可 追 薦 也 ﹂ と 述 べ た と 云 わ れ、 大 御 室 と 寛 意 の 追 善 仏 事 と し て 春 秋 二 季 の 灌 頂 が 行 わ れ た こ と が わ か る。 更 に 仁 和 寺 の 一 院 真 乗 院 で は 北 院 御 室 の 御 忌 に、 同 じ く 菩 提 院 で は 宣 陽 門 院 の 追 善 の 為 に 結 縁 灌 頂 が 修 せ ら れ、 一 二 六 一 年 に は 仁 和 寺 の 一 院 開 田 院 に 於 て 金 剛 定 院 御 室 の 十 三 回 忌 追 善 の 為 に、 一 二 九 六 年 に も 開 田 院 に て、 准 三 宮 十 三 年 忌 追 ( 23) 善 の 為 の 結 縁 灌 頂 が 行 わ れ、 以 後 恒 例 と な つ て い る。 徳 治 元 年 ( 二 二 〇 六) 九 月 十 二 日、 後 宇 多 上 皇 の 依 嘱 を 受 け た 禅 助 が 阿 閣 梨 と な つ て、 嵯 峨 大 覚 寺 内 如 来 寿 量 院 灌 頂 堂 に 於 て 行 わ れ た 結 縁 灌 頂 は ﹁ 奉 為 亀 山 院 御 一 周 忌 ﹂ で あ り、 ﹁ 永 為 先 皇 御 追 福 毎 年 可 被 行 此 会 ﹂ と 記 さ れ て い る。 こ の 灌 頂 に は、 後 宇 多 上 皇、 帥 宮、 権 大 納 言 帥 信 卿 以 下 十 人、 女 房 面 々、 直 衣 布 衣 卿 相 雲 客 官 女 よ り 下 部 公 人 等 の 入 壇 終 つ て、 凡 庶 数 百 人 が 入 壇 し た と 記 さ れ、 比 丘 百 人 比 丘 尼 百 八 十 人、 優 婆 塞 七 十 四 人 優 婆 夷 百 五 十 三 人 都 合 五 百 七 人 の 受 者 が あ つ た と 云 ( 24) わ れ る が、 優 婆 塞 優 婆 夷 二 百 二 十 七 人 の 中 に は、 上 皇 を 始 め 月 卿 雲 客 が 多 数 含 ま れ て い る 故、 庶 民 の 実 数 は 百 数 十 人 で あ つ た ろ う か。 建 武 二 年 ( 一 三 三 五) 十 月 十 二 日 に 道 意 阿 閣 梨 に よ つ て 仁 和 寺 の 一 院 勝 宝 院 で 行 わ れ た 結 縁 灌 頂 は、 宣 政 門 院 の 令 旨 を 受 け て 行 ぜ ら れ た が、 後 京 極 院 三 回 忌 追 善 の 為 で あ つ た。 ﹁ 宣 政 門 院 舐 候 女 房 東 御 方、 権 大 納 言 局、 五 条 局 刑 部 卿 局 以 下 密 ( 25) 々 有 結 縁 ﹂ と 記 録 さ れ て い る が 受 者 の 人 数 な ど 不 明 で あ る。 延 文 四 年 ( 一 三 五 九) 四 月 二 十 九 日、 尊 氏 の 一 回 忌 追 善 の 為 に、 東 寺 一 長 者 覚 雄 が 阿 闇 梨 を 勤 め 等 持 寺 に 於 て 結 縁 灌 頂 が 修 せ ら れ た。 受 者 に は 施 主 の 三 品 禅 尼 以 下 比 丘 尼 二 十 余 人、 将 軍 義 詮 以 下 上 下 数 百 人 競 来 し て 翌 朝 巳 初 剋 ま で 続 い た と 記 さ ( 26) れ て い る。 等 持 寺 は、 周 知 の 如 く 尊 氏 の 創 建 で 疎 石 を 開 山 と す る 禅 の 名 刹 で あ る が、 応 安 元 年 ( 一 三 六 八) に も 仁 和 寺 道 淵 を 阿 閨 梨 と し て 義 詮 百 ケ 日 追 福 の 結 縁 灌 頂 を 修 し、 以 後 歴 代 将 軍 の 年 忌 に は 法 華 八 講、 結 縁 灌 頂、 曼 茶 羅 供 等 が 行 わ れ た と
( 27) 云 わ れ る。 康 暦 元 年 ( 一 三 七 九) 十 一 月 晦 日、 義 満 の 継 母 香 厳 院 が 施 主 と な り、 等 持 寺 に 於 て 義 詮 十 三 回 忌 追 善 の 結 縁 灌 頂 が 行 わ れ た。 阿 闇 梨 道 快 は 覚 雄 の 資 で あ り、 延 文 四 年 の 先 例 に よ つ て 行 わ れ、 受 者 に は 将 軍 義 満、 弟 の 詮 満 を 始 め 足 利 一 族 及 諸 大 名、 施 主 香 厳 院 を 始 め 比 丘 尼 女 房 た ち、 都 合 僧 尼 八 十 六 人、 男 女 九 十 四 人、 ﹁ 所 望 之 貴 賎 尚 不 尽 ﹂ と 云 わ れ て い る が、 実 際 ( 28) に は 庶 民 の 受 者 は 極 め て 僅 少 で あ つ た こ と が 察 せ ら れ よ う。 永 和 二 年 ( 一 三 七 六) 六 月 七 日、 光 厳 院 十 三 回 忌 追 福 の 為、 光 厳 院 建 立 の 伏 見 大 光 明 寺 に 於 て 禅 守 阿 闇 梨 が 後 円 融 院 の 命 を 受 け て 結 縁 灌 頂 を 修 し て い る。 受 者 に は、 上 皇、 院 皇 子 無 晶 親 王、 束 帯 公 卿 殿 上 人、 女 房 以 下 ﹁ 比 丘 比 丘 尼 二 百 六 人 優 ( 29) 婆 塞 優 婆 夷 等 二 百 二 十 四 人 ﹂ と 録 さ れ て い る。 先 の 徳 治 元 年 如 来 寿 量 院 の 灌 頂 と 全 く 同 規 模 で あ つ た と み て よ い。 こ の よ う に、 権 門 の 為 の 追 善 仏 事 と し て 結 縁 灌 頂 を 行 う 例 は、 南 北 朝 よ り 室 町 幕 府 の 時 代 に か け て 頻 繁 に 出 て く る。 こ の 場 合、 一 方 に 於 て は、 院 の 令 旨 に よ り 院 が 施 主 と な つ て 行 う 結 縁 灌 頂 と、 他 方、 幕 府 が 施 主 と な り、 幕 府 の 命 に よ つ て 行 わ れ る も の と が 大 部 分 を 占 め て い た。 前 者 の 場 合 に は、 上 皇 を 始 め 月 卿 雲 客 が 受 者 の 中 心 と な り、 後 者 の 場 合 に は、 将 軍 を 始 め そ の 一 族、 諸 大 名 等 武 家 が 受 者 の 中 心 と な っ て、 い ず れ も 非 常 な 盛 儀 を も つ て 行 わ れ た。 い ず れ の 場 合 に も 庶 民 の 参 加 は 許 さ れ て い た が、 あ く ま で も 相 伴 の 域 を 出 て い な か つ た よ う で あ り、 又、 灌 頂 の 道 場 も、 院 や 幕 府 に 縁 故 の 深 い 大 寺 院 が 求 め ら れ て い る。 し か し 右 の 例 と は 異 な り 権 門 を 離 れ た 所 で 行 わ れ た と 推 察 さ れ る 灌 頂 の 記 録 も 残 つ て い る。 弘 安 元 年 ( 一 二 七 八) 丹 波 国 巌 辺 寺 で 行 わ れ た 結 縁 灌 頂 は、 醍 醐 山 座 主 覚 済 が 阿 闇 梨 と な り、 善 了 上 人 が 願 主 と な り、 僧 尼 百 三 十 八 人、 在 俗 男 女 百 四 ( 30) 十 五 人 が 受 者 と な つ て い る。 弘 安 三 年 に も 小 管 寺 で 行 わ れ た ( 31) 灌 頂 の 記 録 が あ る が、 そ の 地 方 も、 規 模 も 不 明 で あ る。 徳 治 二 年 ( 一 三 〇 七) 石 清 水 八 幡 に 於 て 禅 助 が 結 縁 を 行 つ た こ と が 仁 和 寺 御 伝 に み え る。 応 永 十 五 年 ( 一 四 〇 八) に 播 州 清 水 寺 で 快 玄 が 結 縁 灌 頂 を 修 し て い る が、 そ の 快 玄 が 応 永 二 十 四 年 に 東 寺 宝 泉 院 に 於 て 阿 闊 梨 を 勤 め た 結 縁 灌 頂 は、 山 僧 真 運 が 施 主 と な り 亡 父 行 実 坊 の 一 周 忌 追 善 の 為 に 行 つ た も の で、 比 丘 ( 32) 比 丘 尼 在 俗 男 女 の 受 者 は 都 合 百 八 十 余 人 と 記 さ れ て い る。 永 ( 33) 禄 七 年 ( 一 五 六 四) 和 泉 の 愼 尾 寺 で 修 せ ら れ た 灌 頂 の 記 録 も あ る。 こ の よ う な 例 外 的 な 記 録 は、 中 世 に は、 結 縁 灌 頂 が 庶 民 化 の 兆 を 見 せ 始 め る 傾 向 と も 考 え ら れ る が、 な お、 受 者 の 数 に 於 て 遠 く 近 世 の そ れ に は 及 ば ず、 又、 灌 頂 の 功 徳 思 想 が 庶 民 に 説 か れ た 文 献 を 発 見 で き な い 点 で、 中 世 に お け る 庶 民 化 を 即 断 す る こ と は で き な い よ う で あ る。 一 方 承 和 よ り 続 い た 東 寺 の 結 縁 灌 頂 は、 建 武 騒 乱 の 時 尊 氏 結 縁 灌 頂 の 庶 民 化 ( 上 田)
結 縁 灌 頂 の 庶 民 化 ( 上 田) が 東 寺 に 陣 を 置 き 本 堂 を 皇 居 と し た 為、 建 武 三 年 秋 季 よ り 断 ( 34) 絶 す る。 東 寺 と 並 び 行 わ れ た 仁 和 寺 の 灌 頂 も、 塵 添 蜷 嚢 砂 が ( 35) 著 さ れ た 天 文 元 年 ( 一 五 三 二) 頃 ま で に は 断 絶 し て い た。 恐 ら く 中 世 の 終 り に は、 中 央 の 大 寺 院 を 道 場 と し て 行 わ れ て き た 結 縁 灌 頂 は、 兵 乱 の 為 に そ の 道 場 を 失 い、 或 は 外 護 の 権 門 を 失 つ て 殆 ん ど 断 絶 し て い た と 考 え ら れ る の で あ る。 そ し て そ の 再 興 は、 十 七 世 紀 に な つ て 中 央 で は な く 辺 地 寺 院 か ら 行 わ れ る の を 待 た ね ば な ら な い。 1 略 出 経 第 二 ・ 大 正 ・ 十 八 ・ P 二 二 四 上 2 教 王 経 巻 下 ・ 大 正 ・ 十 八 ・ P 一 一 一 七 中 -下 3 大 日 経 疏 巻 四 ・ 大 正 ・ 三 九 ・ P 六 一 七 上 4 大 日 経 疏 巻 四 ・ 大 正 ・ 三 九 ・ P 六 二 四 中 5 シ ン シ ャ 要 秘 釣 第 一 ・ 大 仏 全 P 一 四 6 不 空 行 状 ・ 大 正 五 〇 ・ P 二 九 三 中 7 ﹁ 高 雄 灌 頂 記 ﹂ ・ 弘 法 大 師 全 集 和 第 十、 続 群 書 類 従 二 六 上 釈 寝 8 川 崎 ・ 笠 原 編 ﹁ 宗 教 史 ﹂ P 四 九 9 ゲ ン ビ ラ 釣 巻 二、 東 宝 記 第 四、 高 野 春 秋、 仁 和 寺 御 伝、 10 ﹁ 高 野 春 秋 ﹂ ・ 大 仏 全 叩 七 七 -一 〇 五、 高 野 山 結 縁 灌 頂 の 始 粁 年 代 に つ い て ﹁ 高 野 興 廃 記 ﹂ は ﹁ 堀 河 院 ノ 寛 治 八 年 ( 一 〇 九 四)、 と す る。 11 大 仏 全 ・ 即 一 四 一 -一 四 ニ 12 ﹁ 愚 管 抄 ﹂ ・ 岩 波 文 庫 pp 六 五 -七 〇 ﹁ 阿 娑 縛 抄 ﹂ 大 仏 全 ・ P 一 四 九 13 ﹁ 嘉 元 四 年 結 縁 灌 頂 記 ﹂ ・ 続 群 書 二 六 上 釈 家 P 四 七 〇 14 ﹁ 神 護 寺 文 書 ﹂ 大 仏 全 ・ 寺 誌 叢 書 第 三 即 一 五 九 -一 六 〇 15 ﹁ 平 城 天 皇 灌 頂 文 ﹂ ・ 弘 法 大 師 全 集 和 第 五 16 ﹁ 奉 為 嵯 峨 太 上 太 后 灌 頂 文 ﹂ ・ 弘 法 大 師 全 集 和 第 十 ニ 17 ﹁ 慈 覚 大 師 伝 ﹂ ・ 続 群 書 八 伝 部 第 一 P 六 九 三 18 ﹁ 円 珍 伝 ﹂ 大 仏 全 ・ 智 証 大 師 全 集 第 四 P 一 三 七 二 ﹁ 神 皇 正 統 記 ﹂ に 慈 覚 大 師 よ り 受 け た と 記 す の は 誤 り で あ ろ う。 19 ﹁ 観 音 院 恒 例 結 縁 灌 頂 記 ﹂ 続 群 書 二 六 上 釈 家 ﹁ 仁 和 寺 御 伝 ﹂ 群 書 類 従 ・ 伝 部 20 続 々 群 書 類 従 第 十 二 P 八 一 21 ﹁ 文 永 結 縁 灌 頂 私 記 ﹂ 一 巻 ・ 永 和 二 年 写 ・ 高 野 山 大 図 書 館 22 ﹁ 高 野 春 秋 ﹂ 大 仏 全 P 八 四 23 嘉 元 四 年 結 縁 灌 頂 記 24 ﹁ 嘉 元 四 年 結 縁 灌 頂 記 ﹂、 ﹁ 仁 和 寺 御 伝 ﹂ 25 ﹁ 建 武 二 年 結 縁 灌 頂 記 ﹂ 続 群 書 二 六 上 釈 家 26 ﹁ 延 文 四 年 結 縁 灌 頂 記 ﹂ 続 群 書 二 八 下 釈 家 27 望 月 仏 教 大 辞 典 ・ 等 持 寺 の 項 28 ﹁ 康 暦 元 年 結 縁 灌 頂 記 ﹂ 続 群 書 二 八 下 釈 家、 ﹁ 結 縁 灌 頂 雑 記 ﹂ 道 快 口 ・ 祐 盛 記 ・ 寛 文 三 年 写 一 冊 高 大 図 書 館 蔵 は 同 一 資 料 29 ﹁ 永 和 二 年 結 縁 灌 頂 記 ﹂ 続 群 書 二 六 上 釈 家 30 ﹁ 結 縁 灌 頂 巌 辺 寺 記 ﹂ 二 巻 貞 享 二 年 写 ・ 高 大 図 書 館 31 ﹁ 結 縁 灌 頂 記 ﹂ 貞 享 二 年 写 一 冊 ・ 高 大 図 書 館 32 ﹁ 東 寺 宝 泉 院 結 縁 灌 頂 雑 記 ﹂ 続 群 書 二 六 上 釈 家 33 ﹁ 和 泉 国 棋 尾 寺 結 縁 灌 頂 雑 事 ﹂ 永 禄 七 年 写 高 大 図 書 館 34 ﹁東 宝 記 第 六 ﹂ 続 々 群 書 十 二 P 一 一 六 ﹁ 高 野 春 秋 ﹂ 大 仏 全 P 二 〇 七 35 ﹁ 塵 添 堪 嚢 釣 巻 二 十 ﹂ 大 仏 全 ・ 即 四 九 八 -四 九 九