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人間社会学研究集録 2(2006), (2007 年 3 月刊行 ) 初期分裂病の 特異性 について その批判的検討 * 山崎真也 はじめに 本稿の目的は 中安信夫が提唱する 初期分裂病 概念を批判的に検討することに... ある とりわけ 中安が主張する 初期分裂病の特異的 4 主徴

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http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ Title 初期分裂病の「特異性」について : その批判的検討 Author(s) 山崎, 真也 Editor(s) Citation 人間社会学研究集録. 2006, 2, p.111-136 Issue Date 2007-03-31 URL http://hdl.handle.net/10466/9663 Rights

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初期分裂病の「特異性」について

その批判的検討

山崎 真也*

はじめに

本稿の目的は、中安信夫が提唱する「初期分裂病」概念を批判的に検討することに ある。とりわけ、中安が主張する「初期分裂病の特異的 ... 4主徴」概念が惹起する問題 を中心に検討してみたい。 ここに「初期分裂病の特異的4主徴」とは、極めて大まかに言うなら、分裂病の初 期にのみ..見られる4つの症状、という意味である。換言すれば、この4つの症状(の 幾つか)1が認められるなら、その患者は初期分裂病と診断される、ということだ。こ の4症状には、自生体験、気付き亢進、漠とした被注察感、緊迫困惑気分が挙げられ ている。 だが果たして、これら4症状は本当に「初期分裂病だけに...」認められる症状なのか。 換言すれば、4症状の特異性...(specifity)は、その妥当性を果たして維持されうるのか。 本稿が提起したい問題は、この点にある。 と言うのも、後述するように、例えば自生体験は初期分裂病にのみ出現するのでは なく、強迫神経症にも、解離性障害にも、さらには医薬原性の精神症状としても出現 するからである。とすれば、少なくとも自生体験が初期分裂病特異的であるとは言え まい。 では、もし4主徴が分裂病非特異的であるとすれば、即ち4主徴が(初期)分裂病 以外の疾患にも出現するとするなら、その時、中安のようにそれらが初期分裂病特異 的であると主張し続けることの、いったい何が問題なのだろうか。本稿では、この問 題を取り扱いたい。 具体的には、次のような戦略をとる。第一部は、中安理論の概要を、本稿の関心(初 期分裂病症状の非特異性という問題)に従って要約し、それに対する批判的言説をも * 大阪府立大学人間社会学研究科博士後期課程(人間科学専攻)。 1 4主徴のうち一つでも該当すれば初期分裂病と診断されるのか、それともいくつかが揃って初め て診断されるのか。このことは後述される。1-1節参照。

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概観する。そして第二部において、実際の症例を取り上げつつ、中安が初期分裂病特 異的とした症状が、実際には他疾患にも出現し、且つ他疾患の治療的対応において消 失しうるということ、つまり4主徴には特異性が無いことを示してみたい。そして第 三部において、第二部で得られた結論を顧慮しつつ、中安理論が持つ問題点を、より 明確に描き出してみたい。その際ポイントとなるのは、「確証バイアス」「不確実性」 「他疾患の地平的表象」といった問題群である。 さて、本論に入る前に、本稿の執筆動機について、一言付言しておきたい。筆者は、 第二部で紹介するインターネット上のセカンド・オピニオンを以前から知っていたの だが、その中で、「初期分裂病」症状を示す患者に対して、実に安易に(初期)分裂病 の診断が下され、抗精神病薬が使用され、その結果薬剤の副作用によってかえって病 状を悪化させる人がいることを知った。そしてそれらの患者が、例えば神経症の治療 的対応(SSRI投与など)によって改善しているという事実を知ったのだ。こうし た現状を知るにつけ、何故かくも容易に(初期)分裂病の診断が下されるのか、そも そも初期分裂病の診断根拠について、特にその症状の特異性をめぐって十分な議論が 交わされているのか、大いに疑問に思われたのだ。 本稿は、この疑問に端を発する。そして、初期分裂病症状の非特異性を、非-臨床 医の立場から特に改めて強調することで、上述の如き精神医療の現状に警告を発し、 患者、家族、臨床医、および精神医療に関わる万人が、この問題を考える機縁として 欲しいと考えたのである。本稿にはそのような願いが込められている。

第1部 中安の初期分裂病論について

1-1 初期分裂病の特異的4主徴 中安は1990年発表のモノグラフにおいて、「初期分裂病に見られる特異的症状 (分裂病の特異的初期症状)」2を纏まった形で発表し、この4つの特異的症状を《初 期分裂病の特異的4主徴》と名づけた。最初に、この「特異的4主徴」の具体的な病 像を簡潔に纏めておくことにしよう。 1. 自生体験・・・思ってもいない考えが、突然勝手に湧出したり(自生思考)、昔の記憶 2 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、53頁。

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が突然発作的にどんどん出て来たり(自生記憶想起)、明瞭な視覚的イメージが頭の中 で勝手に広がっていく(自生空想表象)、といった体験。ポイントは、自生体験におい ては「営為に対する自己能動性の欠如」があるが、「自己所属性」は失われていない、 ということである(考えようとして考えるのではなく、「考え」の方が「勝手に」浮か んでくる。しかし、その考えは、「誰かから吹き込まれたもの」ではなく、あくまで自 分のものである)。 2. 気付き亢進・・・今注意を向けている物(例えば、ノート)以外の、周囲の物(机、床、 筆箱・・・)が視野に入ってきて邪魔になったり(視覚性気付き亢進)、意識を向けて いる人の声以外の、周囲の空調の音や他の人の囁きなどに気付いてしまう(聴覚性気付 き亢進)、といった体験。本来ならば地(背景)になるべきものの図化。 3. 漠とした被注察感・・・漠然と人に見られている、注目されている、と感じること。特 に「他に誰もいない自室にいるときにも、背後から誰かに見られている」と感じられる なら、確実に初期分裂病と診断できる、と中安は言う。 4. 緊迫困惑気分・・・何故かは分からないが、何かに追い詰められている、絶体絶命、逃 げ場がない、お先真っ暗などと感じること。但し、この緊張感は患者自身には自覚され 難く、むしろ患者の表出、雰囲気という形で治療者によって感じ取られることが多い、 という。 以上が、中安の言うところの「分裂病にきわめて特異的」3な初期症状である。つま り、依然、幻覚・妄想といった明確な分裂病の症状を顕現発症させてはいないが、そ の段階へと一歩上り始めた最初の段階で出現してくる症状である。 中安によれば、これらの症状が確認されれば、特有の幻覚妄想、自我障害が出現す る以前の段階で分裂病と早期診断し、分裂病としての治療的対応4を敏速にとることが 可能になるのだ。 その場合、「死の3徴候」のように、幾つかの診断基準とされた症状が全部満たされ て初めて初期分裂病と診断されるのか、この中の症状が1つでもあれば診断が可能と なるのかが、問題となるだろう。 3 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、53頁。 4 但し、治療内容は、明確な幻覚・妄想を発現するにいたった極期分裂病とは明確に区別される。 即ち、初期分裂病にはドーパミン遮断剤が無効なのである。具体的に中安は、初期分裂病にはスル ピリドを第一選択薬とし、それが無効の場合はフルフェナジンに変薬、ないし併用するという。中 安信夫「初期分裂病とスルピリド」、中安信夫『初期分裂病/補稿』、星和書店、1996年、15 3頁以下、参照。また最近では、クエチアピンも有効であると言っている。中安信夫「初期統合失 調症」、『精神科治療学』、8(増刊号)、2005年、118-9頁、参照。

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この点で中安自身の態度は実に曖昧である。彼は、疾病分類学的立場からの、初期 分裂病と他の疾患との厳密な鑑別診断学は端緒についたばかりであると表明しつつ、 「したがって、《4主徴》の多くを併せもつ定型例の診断には何ら問題はないが、《4 主徴》のうち一つしか有さないというような非定型例と他の疾患との鑑別診断にはい まだ確たる結論を出しえていないのが現状である」5と述べている。 しかし実際には彼は、「4主徴」の少なくとも一つを確認できれば初期分裂病と診断 できると考えているようだ。例えば、ブランケンブルグの症例アンネを(ブランケン ブルグの主張に抗して)単純型分裂病ではなく初期分裂病だと批判する文脈の中で、 中安は、アンネの訴える「考えが押し寄せてきて苦しい体験」や「昼間はっきり眼が 覚めている状態での《夢》とか《空想》」6を自生思考・自生空想表象(つまり自生体 験)と捉え、「Blankenburgはこの体験の存在に基づいてアンネが分裂病であると確信 しえたのではないか、それゆえ別の訴えである「自然な自明性の喪失」を安んじて分 裂病性の体験として考察しえたのではなかろうかと筆者には思われる・・・」7と述べ ている。また、彼は自らの学位論文8を顧みる中で、そこで報告された自生空想表象や 自生記憶想起、音楽性幻聴を前景とする「経験性幻覚症ないし幻覚性記憶想起亢進症」 の二例を「現時点では・・・初期分裂病であったと判断される症例であった」9として いる(但し厳密には、当該論文における「症例2」10については、自生体験のみなら ず気付き亢進も認められるので、4主徴のうち「自生体験だけ」を単一的に示してい たわけではない)。 以上から、中安が「4主徴」の中の一つの症状を単一に示す場合にも、少なくとも それを「非定型例」と見做しうる限り、「初期分裂病」と診断することがありうること、 従って「4主徴」概念は、「死の3徴候」のように症状が幾つか複合的に纏まって初め て診断されるような厳格な基準ではなく、その中の一つの症状でもあれば「初期分裂 5 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、108頁。 6 ブランケンブルグ『自明性の喪失』、木村敏・岡本進・島弘嗣訳、みすず書房、1973年、70 頁。 7 中安信夫『初期分裂病』、93頁。 8 中安信夫「経験性幻覚症ないし幻覚性記憶想起亢進症の二例」、中安信夫『改訂増補 分裂病症候 学』、星和書店、2001年、481-543頁、参照。 9 中安信夫「第Ⅱ部解説」、中安信夫『改訂増補 分裂病症候学』、星和書店、2001年、477 頁。 10 中安信夫「経験性幻覚症ないし幻覚性記憶想起亢進症の二例」、512頁、参照。「ちょっとした 小さな音でも耳に響いてきて精神的に苦痛となってしまうことがある」。この論文中では、本症状 は「情動の不安定性」と呼ばれていた。

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病」と診断され得るような曖昧なものである11ことがわかる。 1-2 「特異的症状」の特異性について──中安自身の困難 ところで、特異的、というからには、これらの症状は初期分裂病に出現して、それ 以外の疾患には出現しない、ということを含意しているはずである(中安は、これら 4主徴の分裂病「特異性」と、その症状が出現する時期の「初期性」を分けて論じて いる12が、煩瑣なので纏めて論じる) 事実、中安は離人症については「それのみを単一症候的に示す離人神経症のほか、 精神分裂病や鬱病などの内因性精神病にも、あるいはてんかん、その他の外因性疾患 にも、またごく一過性ならばいわゆる正常者にも見られる、疾患特異性に乏しい症状........... である」13と規定している。そしてアンネの「自然な自明性の喪失」を離人症に近縁 の症状と捉えた上で、「非特異的な.....初期分裂病症状」14だと言っている。これに対して、 中安が4主徴については「特異的な....症状」と呼んでいることは、既に見た。 だが実は、本当にこれらの症状が「特異的」であるかという点をめぐって、中安自 身の立場が、当初からかなりぐらついたものだった。以下にこの問題点を詳述しよう。 最初に確認しておきたいのは、中安が「特異的...初期症状」を見出したのは、思弁で はなく観察によってである、ということである。 後述するように中安は、「4主徴」の特異性を証明するに当たり、最終的には ..... 「実証 的方法」ではなく「論証的方法」に訴えた。彼は、初期症状から極期症状への展開の 連続性を精神病理学的に説明することによって、4主徴の分裂病特異性を結局のとこ ろは理論的に証明する戦略をとったのだ。とはいえ、これだけでは、理論的に跡付け られたとしても、本当に4主徴が分裂病特異的であるか、という疑念は避けられない だろう。 11 分裂病診断にあっては、常にこのような問題が噴出する。(パラノイアのような主題的限局性を 持たない)広汎な場面で生ずる被害関係妄想だけで経過する場合を考えればよい。 例えば、長期に渡って強迫神経症状を呈し、一時期明確な「アポフェニー」(コンラート)構造 をもった被害関係妄想のみを単一症候的に呈した場合(他に幻聴等を欠くものとする)、ホックと ポラーチンの「偽神経症性分裂病」概念を考え合わせるなら、大方の人びとは、やはりある種の分 裂病(少なくとも近縁疾患)と考えるのではないか。この場合は、少なくとも一般的には、被害関 係妄想のみが分裂病の診断根拠とされるだろう。 12 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、71頁、参照。 13 中安信夫「離人症の症候学的位置付けについての一試論」、中安信夫『改訂増補 分裂病症候学』、 星和書店、2001年、546頁、強調引用者。 14 中安信夫『初期分裂病』、94頁、強調引用者。

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しかし...、こうした理論的説明は、実は正に「後付け」に過ぎないのだ。村上靖彦と の次の対談は、そのことを明瞭に表している。 村上 少なくともあの4つの徴候というのは、まずは観察から出ていることですよね。 中安 観察です。 村上 理論から演繹して、これがあっても良いという風に出てきたものではなくて、とに かくこれがある、特徴的にこれがあると観察して、これを説明する形で理論が出てきた。そ ういう順序ですよね。 中安 そうです。15 このように、「特異的4主徴」は中安の臨床経験から帰納的に導出されたものなのだ。 例えば、中安自身が「慙愧に耐えない」とした27歳女性の例(当初、視覚性・身体 感覚性気付き亢進や自生思考、面前他者における被注察感、離人症などを訴え、「境界 例」と漠然と診断されていたが、初診後3年にして突然「マスコミが隠しカメラや盗 聴器を仕掛けて私を監視している」などという幻覚妄想状態を呈し、自殺にいたった 例)は、「その概念〔引用者註:初期分裂病の概念〕の形成にかかわった症例でもあ」 16り、特異的4主徴概念の形成に拍車をかけたと思われる。いうまでもなく、こうし た患者(症例)との邂逅が、4主徴の存在→極期分裂病へと進展するという経過型の 存在を、中安に強烈に印象付けたのであろう。中安は、このように自分の臨床経験で 得られた確信──4主徴が分裂病の初期症状である、という確信──を「明証性 (Evidenz)」17と名づけている。 けれども、なるほど確かに4主徴を呈していた患者が、実際に極期分裂病症状を呈 するようになる、という事実が存在することは否定し得ないにしても、4主徴が分裂 病の症状であるとは、積極的に主張はできない。例えば、分裂病の初期症状に出現す る自生思考も存在するが、他方同時に、他疾患の中に現れた自生思考というものも存 在すると、考えられるからである。 そこで中安は、臨床現場での実際の観察によって先の「明証性」が得られていたに 15 中安信夫・村上靖彦編『思春期青年期ケース研究10 初期分裂病』、岩崎学術出版社、156 頁。 16 同書、132頁。 17 中安信夫「「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」における‘奇妙な批判’」、 『精神医学』、43(8)、907頁。中安はこのEvidenz をドイツ観念論由来としているが(これ は台に倣ってのことらしい)、これは不正確であろう(むしろ、デカルト由来だろう)。しかし、こ こでは深くは追求しない。

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もかかわらず、「なお分裂病としての治療に踏み切るには躊躇があり、臨床医としてそ の決断を行うにあたってより確かな根拠を求めて」18、4主徴が真に初期分裂病特異 的であることを理論的に証明しようとしたのだ。 4主徴の特異性の証明には、中安によると、2つの方法がある。一つは「実証的証 明」、もう一つは「論証的証明」である19 「実証的証明」とは、「特異的4主徴」を示した患者が、他ならぬ分裂病の極期症状 へと進展し、それ以外には進展しないことを実際例で以って示すことである。 だが、中安によればこの方法には困難がある。実証的証明のうちの一つ「遡行的方 法」は、分裂病を顕在発症した人に「初期にこのような症状がありましたか」と質問 する方法だ。しかし、初期症状は忘れやすいなどの問題がある。もう一つの実証的証 明である「前行的方法」は「4主徴」を訴える症例を追跡していって、実際に極期分 裂病症状が出現するか否かを観察する方法である。だが、治療的にかかわると、極期 に進展しないかもしれない。かといって実験的に放置することも出来ない。だからこ の方法も困難である。ただし稀に、誤診や治療の失敗・中断によって、顕在発症する 人もいる。こうした場合は不幸ではあるが、「前行的方法」が果たされたことになる、 と中安は言う。とはいえ、いずれにせよ、通常「実証的方法」は困難であるがゆえに、 彼はこの方法を棄却した。 ここに、「論証的証明」によって4主徴の分裂病特異性を証明しよう、とする発想が 生まれる。中安は、4主徴の特異性を証明するに当たっては、こちらの「論証的方法」 を採用した。 論証的証明は、極めて大雑把に言えば、「状況意味失認・内因反応仮説」という分裂 病の病態生理に関する仮説20、および背景思考の聴覚化論21に従って、自生体験等の初 期に出現する4主徴から、定型的顕在症状(幻声、妄想知覚、自我障害、緊張病症候 群)へと連続的に発展しうることを理論的に証示する方法である。これら二つの仮説 については、本稿では詳述しない。 中安によれば、こうした理論的考察は机上の空論ではない。というのも、仮説上確 18 中安信夫・村上靖彦編『思春期青年期ケース研究10 初期分裂病』、岩崎学術出版社、907 頁。 19 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、71-75頁、参照。 20 この理論が展開される基本文献として、中安信夫「背景知覚の偽統合化」、中安信夫『増補改訂 分裂病症候学』、星和書店、2001年、55頁以下、参照。 21 基本文献として、中安信夫「背景思考の聴覚化」、中安信夫『増補改訂 分裂病症候学』、星和書 店、2001年、13頁以下、参照。

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立された、初期症状から極期症状の連続性は、必ず、自験例ないし文献例によって検 証されるからである。中安は、こうした仮説演繹的方法を「仮説-検証的方法」と名 づけている22 ここでは仮説演繹法に内在する一般的問題23については論及しない。ここでポイン トになるのは、中安が純理論的な方法で........4主徴の特異性を証明したことである(但し それは単に理論的なのではなく、仮説演繹的に実例によって検証される)。 さて、ここまでの流れを復習しよう。自身の臨床経験から中安は、4主徴が分裂病 の初期症状であるという確信を得た。しかし、その確信・明証性だけではなお4主徴 を示す患者を分裂病として治療するには躊躇があり、中安は4主徴の特異性を証明し ようとした。その際、実証的方法は困難が付きまとうので、論理的に4主徴の分裂病 特異性が証明されたのだ。 ところが、である。このような特異性の証明にもかかわらず、中安は次のように述 べて4主徴における特異性の不十全性を認めているのである。 ・・・例えば極期の幻声一つを取り上げても、それは他の疾患にも見られうるものである からであり、いわんや筆者の主張している初期の《4主徴》については、前章における特異 性の検討〔引用者註:論証的証明をさす〕にもかかわらず、なおそれらが分裂病以外の疾患 には決して見られないものかどうかの検討がいまだ不足しているからである。このように、 上述の諸症状の分裂病特異性はすぐにでもぐらつくものであるが・・・。24 ここで中安は、現状では4主徴の特異性が分裂病以外の疾患に決して見られないか は分からないとし、正直に「分裂病特異性はすぐにでもぐらつく」ことを認めている。 中安はこの困難を回避するに当たって、分裂病という一つの疾患単位の中に、初期 の症状から極期の症状が理論的に連続的に配置しうることを論証し、病態生理学的仮 説に基づいて動的に疾患単位を構成しうることを示すという戦略を、再び回帰的に提 唱する25 即ち、中安は「上述の諸症状の分裂病特異性はすぐにでもぐらつく」背景として、 「分裂病の成因及び病態生理に関して、どのレベルにおいてもいまだ確たる統一的見 22 「仮説-検証法」については、中安信夫「方法としての記述現象学」、中安信夫『増補改訂 分 裂病症候学』、星和書店、2001年、802頁以下、参照。 23 仮説演繹法の「確証(confirmation)」ないし「検証(verification)」においては、実は帰納ばか りがなされているという問題。 24 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、81頁。 25 同書、同頁、参照。

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解が存せず、従って症状レベルで分裂病を規定しようとしても、それは否応なく仮説 的、操作的にしかならないから」26という理由を挙げた上で、次のように言うのであ る。 ただ、筆者は症状レベルにおける仮説的、操作的な分裂病規定においても、各々の時期の 個々の症状一つひとつの分裂病特異性を問うのではなく、一方では分裂病シュープを初期- 極期-後遺期と連なる一連のセットとみなし、互いの時期の表面上は異なる症状間の関連性 (縦断的症状関連)をさぐり、他方では同時期に存する幾つかの症状の複合の中に一定のパ ターン(横断的症状複合)を見いだし、すなわちシュープに見られる症状全体を互いに関連 する一つのまとまりのある症状群ととらえ、そうした症状群としての特異性を問う方が現段 階においては有用であろうと考える。 「横断的症状複合」の問題は先に触れた。確かに、(ここでの中安の言明に従う限り) 4主徴は「横断的症状複合」と見做されるが、実際には、少なくとも「非定型例」と して、4主徴の中の1症状が単一に出現しても、「初期分裂病」と見做されえたのであ った。 ここでポイントとなるのは、「縦断的症状複合」及び「症状群としての特異性」なる 概念である。つまり、症状間の縦断的連関性を病態生理学的仮説によって、少なくと も理論的に確保するという戦略を採用すれば、幻声という一症状 ... の非特異性という難 問も同時に解消しうるのだ。例えば自生思考から幻声へと連続的に発展しうることが 理論的に証示出来れば、それら両症状..が分裂病という一疾患単位=一つのまとまり(こ こではクレペリン的な厳密な疾患単位概念ではなく、「症状群」の意であるが)の.下位 分子として捉えられる。つまり、仮説的病態生理理論によって、初期症状である自生 思考も、極期症状の幻声も、ともに分裂病の.症状(分裂病という一つのまとまり=症 候群を有機的に構成する一症状)としてはじめて把握しうるのである。しかもその際、 両症状群の理論上の構造的な相互連関が明らかになる。つまり、かかる論証によって、 両症状..の分裂病性(分裂病特異性)が支持されながら、同時に、分裂病という一疾患 単位の動的把握――否、むしろ「分裂病」というまとまり=概念(Einheit)の形成と いうべきだが――もが可能となる。これは、周知の分裂病(概念)の混乱のなかで、 理論的には.....「現段階では有用な」、見事な解決策といえる。 だが、薬剤起因性の表現模写においても、幻声は認められるのである。そのときこ 26 中安信夫『初期分裂病』、星和書店、81頁。

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の幻声を、誰が分裂病症状..と捉えるだろうか。また、側頭葉癲癇の複雑部分発作にも 気付き亢進・自生体験類似症状→数ヶ月間持続する被害妄想という経過をとるものが ある27。ここでも、この被害妄想を「分裂病症状」と捉える人はいないだろう。即ち、 中安のような理論的...戦略が成功するとしても、依然幻声の、被害妄想の、自生体験の 分裂病特異性は支持しがたいのだ。むしろ、幻声や被害妄想が分裂病非特異的であり、 「どの疾患にも出現する」からこそ、臨床医は例えば薬剤起因性の精神症状との「鑑. 別診断...」に気を遣うのではなかろうか。ことほどさように、例えば自生思考という症. 状.を、直ちに分裂病特異的と考えることは出来ない。それが他疾患に出現する可能性 は、依然として棄却し得ないからだ。従って、中安の巧妙な理論的戦略にもかかわら ず、先の引用文で中安自身が述べていたように、4主徴(4つの症状群...)が分裂病以 外の疾患に決して見られない..かは明らかではなく、その特異性は常に揺らぎつつある と考えられるのである。 諸症状を分裂病という一まとまり(一概念)の中で統一的に理解するための「理論 フレーム」による症状把握の成功と、その中に属する諸症状の非特異性という事態は、 全く別の次元に属すると考えられるべきである28 以上で、先の論証的証明にもかかわらず、中安自身が4主徴の特異性に対してはあ る種の疑念を抱いていたこと、いわば影を振り払うかのごとく、中安は理論的な解決 法を提唱したが、それは失敗せざるを得ないこと、が論じられた。 だがここで逆に、筆者としては、4主徴が非特異的であること、即ち他の疾患にも 出現しうることを、具体的に示さねばならないだろう。しかし、それは本稿第2部で の課題である。その前に、「特異的4主徴」の唱導を旨とする中安の「初期分裂病論」 に向けられた批判的議論に、言及しておく必要があるだろう。 1-3 中安理論に対する論争 中安の初期分裂病論が最初に纏まった形で発表されたのは、1990年のモノグラ フである。それから数えて、16年が経過した。中安は2004年の著書で、自身の 27 武井茂樹「妄想と認知障害」、『老年精神医学雑誌』、17(10)、2006年、1069頁。類 似、というのは持続時間などにいわゆる「4主徴」との差異が見いだされるからである。 28 この点に関して、中安が当然このような反論を予想していたはずだ、と思われるだろう。これに ついては、1-3節の加藤忠史との論争で見るように、中安は、ただ単にこの論証が自験例や文献 例による確証を経てきているということを繰返すにとどまる。(実際の)症状がもつ非特異性と、 理論との関係については、彼は何処でも言及していない。

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初期分裂病の概念が「いくつかの施設では頻用されるに至っているが、まだまだ知ら れるところ少なく」29と述べている。しかし、いくつかの施設では頻用されている、 ということになれば、前節で論及してきた4主徴の特異性に関する問題は、十分議論 に付されるに値する課題であるはずだ。 ところが、不幸なことに、この問題についての批判的検討は数えるほどしかない。 この点については、オーストラリアやイギリスの「初期分裂病(early schizophrenia)」 の研究グループが、偽陽性(false positive)の問題を倫理的な地平で繰り返し論じてい るのと対比的である。もちろん、これらの研究はその特性上直ちに中安の理説と等置 するわけにはいかないが、少なくとも最終的な目標点(分裂病の初期予防)は共有し ていると思われる。例えば、Elsevir社の『分裂病研究(Schizophrenia Research)』誌5 1巻(2001年)は、丸々一号を「初期分裂病研究の倫理」特集に充て、マッゴリ ー30やマッグラーシャン31らこの分野の代表的研究者が、「偽陽性」の問題に触れてい る。ここに「偽陽性」とは、マッグラーシャンによれば、「「前駆症状(prodromal symptoms)」が結局のところ消失してしまったり、精神病以外の何かほかの障害の徴 候を示すに至った人」32のことである。偽陽性の問題や他疾患との鑑別診断の問題は、 今年(2006年)も既に論じられている33 さて、中安の「特異的4主徴」に対する国内の批判的考察は、では具体的にどのく らいあるのだろうか。 結論から言うと、4主徴の「特異性」に対して、具体的な疾患名を提示しながら..............異 議を唱えたのは、柴山雅俊の論考だけである。ただし、中安のテーゼに明確に「異論 を唱えて」いるわけではないが、側頭葉癲癇に「初期分裂病」様.の症状が出現するこ とを、武井茂樹と濱田秀伯とが報告している。 柴山は解離性障害に関する論文の中で、中井のいう「偽りの静穏期」に出現する「頭 29 中安信夫・村上靖彦編『思春期青年期ケース研究10 初期分裂病』、岩崎学術出版社、200 4年、3頁。

30 Cf. McGorry, P. D., Yung, A., Phillips, L., “Ethics and early intervention in psychosis: keeping

up the pace and staying in step,” Schizophrenia Research, 51, pp. 17-29.

31 Cf. McGlashan, T. H., “psychosis treatment prior to psychosis onset: ethical issues,”

Schizophrenia Research, 51, 2001, pp. 47-54.

32 Ibid, p. 49.

33 Cf. Haroun, N., Dunn, L., Haroun, A., Cadenhead, K. S., “Risk and Protection in Prodromal

Schizophrenia: Ethical implications for Clinical Practice and Future Research,” Schizophrenia Bulletin, 32(1), 2006, pp. 166-178. 前述のマッゴリー、マッグラーシャンから、このハロウンにい たるまで、特異性の問題は「NNT」、即ち質問紙のどれくらいの項目に丸がついたら抗精神病薬 を投与してよいのか、という問題に還元されてしまっている感がある。

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の中の騒がしさ」(中安においては「自生思考」と捉えられる)が、「統合失調症の特 異的症状であると考えることはできない」34と明確に述べている。この症状は分裂病 だけではなく、解離性障害にも出現するというのである。また、別の箇所35で、「面前 他者における注察・被害念慮」(=本稿の冒頭では、1990年のモノグラフに倣って、 漠とした被注察感とした)が、この症状単独では分裂病と解離性障害との間で鑑別す るのが困難であるとしている。このように柴山は、解離性障害の考察を通して、4主 徴の分裂病非特異性を主張している。ただ、初期分裂病との鑑別診断の必要性を訴え つつも、その具体的な細部の考察は常に予告で終わっており、今後の展開が注目され る。 また武井と濱田36は、複雑部分発作を有する側頭葉癲癇に出現した、気付き亢進、 漠とした被注察感(実体的意識性)や自生記憶想起、自生内言などの諸症状を報告し ている。その際武井らは、初期分裂病に生ずるとされる気付き亢進や自生体験と、側 頭葉癲癇において生ずるそれら症状との経過論的・症候学的差異を剔抉した。即ち、 後者においては、前者と違って症状の持続時間が極端に短いこと、癲癇の視覚表象が 感覚性を強固に帯び鮮明であるのに対し、分裂病においては聴覚性・視覚性ともに漠 然としていること、癲癇発作では情動性が強いのに対して、分裂病では漠然とした不 安にとどまることが多い、といった差異である。そして、「つきつめると前者〔引用者 註:癲癇における初期分裂病様症状〕は意識変容にもとづく症状であり、後者〔引用 者註:初期分裂病〕は人格ないし自我の障害による症状であり、各々やはり成立する 基盤が異なると言いうるかもしれない」37と結論付けている38 4主徴の特異性という我々の目下の関心からいえば、武井らは経過・症候論的差異 を際立たせようとしており、つまりは「初期分裂病症状と似ているが違う」症状を記 述しようとしている。してみれば当然中安の「4主徴」の特異性を批判する文脈に接 続されることはないだろう。勿論筆者としては武井らの試みを批判したいわけではな い。むしろ鑑別診断という重要な事態に言及されているのだから、評価すべきだろう。 34 柴山雅俊「解離性障害にみられた幻聴」、『精神医学』、47(7)、2005年、711頁。 35 柴山雅俊「現代における解離の症候学」、『精神医療』、42、2006年、35頁。 36 武井茂樹・濱田秀伯「側頭葉てんかんと精神分裂病の初期状態」、『臨床精神病理』、19、19 98年、281-288頁、参照。 37 同書、255頁。しかし余談になるが、「自我」とか「人格」といった極度に曖昧な哲学的概念 を無規定なままに使用して何が得られるのかは、引用者にはわからない。 38 但し、武井らはこれに続けて「例えば非定型精神病では、むしろ側頭葉てんかんに近い症状が前 景をしめるので、病態のある水準では移行があることも否定しえないように思う」とも述べている。

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ただ、ここで確認しておきたいのは、武井らの行論によっては、中安の「特異的4主 徴」概念の「非特異性」は証示されないということである39 従って、前述のとおり、具体的な疾患名を挙げた上で、中安の主張する「特異的4 主徴」の非特異性を証示しようとしたのは、以上の柴山のみである。しかも、これに 対する中安の応答論文のようなものは、少なくとも私の知る限りは存在しない。 ほかに特異性をめぐる論争で取り上げるべきは、鑑別すべき具体的な疾患名を提示............... せずに...、4主徴の特異性に疑義を提出するものである。この種の反論は、顕在症状を 示さないうちに症状が消失する患者がいるが、こうした患者が本当に、「既に分裂病が 発症していた」といえるのか、という論点に依拠して展開される。 その代表格が、加藤忠史と中安信夫の論争である。 加藤40は、Evidence-Based Psychiatryの視点から、中安の初期分裂病概念を再検討し ようとした。加藤の論点は多岐に渡るが、4主徴の特異性については、おおよそ、次 のように論じている。即ち、「中安の主張の中で最もEBPの考え方とそぐわないのは、 これらの4主徴が分裂病に特異的な初期症状であることは、すでに精神病理学的論証 によって証明されたとしている点である」41。というのは、中安の言う4主徴を呈す る患者のうち、顕現発症させない患者もいるからである42。こうした「偽陽性」の患 者もいる以上、初期症状を示す患者に、一様に抗精神病薬の長期投与を行うのは危険 である43。だから、可能な限りの高い評価者間一致度を獲得しうる、初期分裂病の操 作的な診断基準を早急に確立した上で、顕在発症率一般や、例えばスルピリドと抗不 安薬との間の顕在発症率の無作為割付二十盲検比較試験を行うべきだ44、としている。 これに対して中安45は、次のように反論する。 1.特異性について。 39 因みに、中安自身も側頭葉癲癇との鑑別については初期の頃から十分に考慮し、やはり綿密な症 候学的差異を剔抉していた。彼の学位論文、中安信夫「経験性幻覚症ないし幻覚性記憶想起亢進症 の二例」、中安信夫『改訂増補 分裂病症候学』、星和書店、2001年、481-543頁、参照。 40 加藤忠史「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」、『精神医学』、42(9)、 2000年、983-989頁、参照。 41 同書、984頁。 42 同書、同頁、参照。 43 同書、985、989頁、参照。 44 同書、989頁、参照。 45 中安信夫「「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」における‘奇妙な批判’」、 『精神医学』、43(8)、905-911頁、参照。

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1a.特異的(specific)という語については「他の人からも異論を呈されたことが ある」46が、何故「特異性」という強い語を用いるようになったかといえば、次の様 な理由があったからだ。即ち、α.初期診断をする際、従来分裂病の初期に出現する とされていた不定愁訴や神経症症状は非特異的で、これでは症候学的診断が不可能で あり、また他方で初期診断のためには面接中の表出や独特の思路の乱れ、人生の「屈 曲点(Knück)」などを「長年の臨床経験」によって総合的に評価せよと言われていた 47。β.上記のような診断方法によって分裂病を疑診しながらも、神経症・診断留保 としたり「気にしすぎでしょう」などとしていた例で、みすみす分裂病の顕在発症を 許す研修医の頃の苦い経験があった。そこで、「より特徴的な体験症状を見いだし、で きるだけ早期に治療を開始することで顕在発症を予防したいと小生が願うようになっ ていたという経緯があった・・・。そのことが旧来の不定の心身的愁訴や神経症様症 状に比してより特徴的で診断に有用と思われた初期症状を見いだした際に、それに「特 異的」という言葉を冠させた理由である・・・」48。ところが、そうした背景・経緯 を加藤はまるで理解していない。 1b.また、加藤は、4主徴の特異性を示すための精神病理学的論証が机上の空論 のように述べているが、自分は「仮説-検証的方法」(前節参照)に則り、自験例や文 献例で常に検証しているから、それは決して机上の空論ではない。 2.「偽陽性」=顕現発症しない患者=分裂病の発症ではないかもしれない、という 加藤の捉え方について。 この捉え方は、中安によれば間違っている。防御メカニズムにより、顕現症状の発 現には進展しないものの、初期症状だけが出現し、場合によってはそれだけで治癒す る疾患など「ごまんとある」49からだ。 この加藤と中安の論争は、加藤の批判と中安の反批判にとどまっており、その後の 46 中安信夫「「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」における‘奇妙な批判’」、 『精神医学』、43(8)、907頁。 47 同書、同頁、参照。中安は様々な箇所で、こうした臨床医の「経験」や直観に依拠する診断の危 うさに対して不快感を表明し、それ故に初期分裂病を確実に見いだすための(特異的症状に基づく) 「症候学的診断」を確立しようと考えたのだ、そのために診断に有用な「特異的症状」を発見した かったのだと語っている。例えば、中安信夫『初期分裂病』、星和書店、1990年、4頁、中安 信夫『思春期青年期ケース研究10 初期分裂病』、岩崎学術出版社、2004年、150頁、な どをも参照。こうした動機自体には深く共感したい。 48 中安信夫「「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」における‘奇妙な批判’」、 911頁。 49 同書、同頁。

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展開に乏しい。また、以下に見るように、中安は加藤の問題提起に誠実に応答してい るとはいえないので、論争とすら言いがたい側面がある。 まずここで、「特異性」に関して重要な見解が表明されている点に注意したい。つま り中安によれば、「特異的」という語は他の人からも異論が呈されていたこと、しかし 如上の「経緯」「背景」があったために、自分は「特異的」という強い語を冠したとい うのである。 中安が「加藤は理解していない」と嘆息する「経緯」とは、言うなれば「心情倫理」 (ウェーバー)であろう。しかしながら、こうした「背景」があるにしても、もし現 実に4主徴が他疾患にも出現するのだとしたら、だからといって「特異性」という語 を用いてよいという理由にはならないだろう(「特異性」とは、一般的には、ある疾患 に見られ他の疾患に見られないことを含意するから)。 しかも中安は、「特異的」を「より..特異的」という相対概念に密かに変形したり、「特 徴的」という語を使用して事態を糊塗したり、「より穏やかにいうなら疾病特徴的 (pathognomic)というべきであるが」50と述べてお茶を濁している。だが、こんな姑 息な操作は要するに、「特異的4主徴」の「特異性」が崩れ去ったということを暴露し ているのではあるまいか? このとき中安が、「他の人からの異論」を暗黙裡に受け入 れたのか否かは判断しかねる。しかしいずれにせよ、これでは、4主徴の特異性に対 して疑念を突きつけた加藤に、中安が誠実な答弁を返していることにならないだろう。 心情倫理を持ち出しても、事態は変わらない。もし4主徴の「特異性」が実は破綻し ているのだとしたら、4主徴の「特異性」を疑問視した加藤の批判を留保なしに受諾 し、「特異的」と称していた症状が、実は非特異的でどの疾患にも出現し得ることを十 分確認すべきであったと思われるのだ。 更にまた、前節で問題になった、精神病理学的理論によって疾患単位(症状の一ま とまり)を確保しつつ、同時にそこに属する諸症状の分裂病特異性を導出するという 解決法に対しても、加藤は「EBPの立場から」疑念を抱いている。これに対して、 中安は上述1bの箇所で、自分は文献例や自験例で「仮説-検証法」的に確認してい 50中安信夫「Evidence-Based Psychiatry の視点から見た初期分裂病」における‘奇妙な批判’」、 『精神医学』、43(8)、907頁。因みに、pathognomic という語は、これまた特異性と同義に 使用される場合がある。例えば、”There are no pathognomic symptoms of schizophrenia; that is, there is no symptom ( or set of symptoms) that is found only in schizophrenia and no other mental disorder.” ( Glynn S. M., “Psychopathology and Social Functioning in Schizophrenia,” in: Mueser K. T. and Tarrier N. (eds.), Social Functioning in Schizophrenia, Allyn and Bacon, 1998, p. 67, emphasis added.)

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るから、精神病理学的論証は「机上の空論」ではないとする。だが、これに対しては、 筆者が前節で論駁しておいた。 このように、加藤-中安論争は、加藤が特異性問題について重大な問題を提起して いるにもかかわらず、中安が誠実な応答をしているとはいえない。そして、より重要 なことは、結局4主徴の「特異性」問題が曖昧なまま放置されてしまったということ である。 ところで、この加藤-中安論争において確認されるべきポイントがある。即ち、加 藤のように、顕在症状への非進展性を論拠にして、中安の「4主徴」の特異性を批判 することは出来ない、ということである。というのも、中安も正当に述べるとおり、 顕在症状を発現しなかった患者は、分裂病を発症したものの、(特異的な)初期症状だ けを呈して、自然治癒してしまった、とも考えられるからである。従って、加藤が提 示して見せたように、explicit な「初期分裂病診断基準」を構築し、それを満たす患者 を inclusion し、然る後に「顕在発症率」を調べ、実は「顕在発症」する患者が統計的 に少ないことを示し、もって4主徴の「非特異性」を主張することはできない....という ことだ。4主徴の分裂病特異性を真に批判するには、具体的な疾患名を対抗的に明示 する、柴山のような戦略をとるしかないであろう。 それを筆者は、第二部で遂行したい。

第2部 症例提示に基づく4主徴の特異性の反駁

第1部では、中安の言う「4主徴」の分裂病特異性が、実は維持されがたく、中安 自身も曖昧な態度をとっていることを論じた。その上で、中安理論に対する代表的な 論争を取り上げて、中安の4主徴の特異性を批判するには、具体的に、対抗的に疾患 名を明示しつつ、4主徴が他疾患に出現していることを示す必要があることが、確認 された。 前節で見たように、既に柴山によって解離性障害については吟味されているのだが、 吟味の対象になっているのは一疾患のみである。この状況は、初期分裂病症状の非特 異性についての綿密な議論が、絶対的に不足していることを裏書きしている。 それでは、ここで具体的な症例を挙げて、4主徴が他疾患に出現しうること、他疾 患の標準的な治療的対応においてそれが同時に消失することを示したい。本稿では、

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主に強迫神経症を取り上げる51 〔症例1〕30歳、男性52 23歳時、過敏性腸症候群と思われる腹痛で、A心療内科を受診した。その後、Bクリニ ックでパニック障害、Cクリニックで強迫性障害として治療を続けるが、軽快せず、精神病 院に6ヶ月入院した。診断は精神分裂病(統合失調症)。ペロスピロン8mg、クロルプロマ ジン25mg、パロキセチン20mg、ビペリデン2mg、エチゾラム0.5mg を服用してい た。その後、笠の下を受診した。 症状は、雑念強迫(強迫観念)、自生思考....。強迫神経症の診断で、クロミプラミン30mg、 パロキセチン20mg、スルピリド150mg、アルプラゾラム2.4mg、エチゾラム1mg より開始し、最終的にはパロキセチン20mg、エチゾラム1mg に落ち着いた。 症例1では、強迫観念に自生思考が随伴していた。入院した精神病院では分裂病の 診断の下、抗精神病薬と抗鬱剤が意味もなく併用されるなどしていたが、クロミプラ ミンとパロキセチン併用による強迫神経症の治療がなされるにいたる。そして最終的 には主剤がパロキセチン一本に絞られた。かくして、強迫神経症の治療によって自生 思考の改善が図られうることが示されるわけだが、慧眼な読者ならば、最初にスルピ リドが投与されていることを指摘するであろう。 恐らくこのスルピリドは食欲不振の対策として投与されたものと思われるが、中安 がスルピリドを初期分裂病治療の第一選択薬としている以上、これが自生思考の軽快 に関与していた可能性も捨てきれない。とはいえ、その後スルピリドが中止され、パ ロキセチン単剤(眠剤としてエチゾラム)とされた後も、改善が持続している。従っ て、抗精神病薬が中止され、強迫神経症の治療、即ちパロキセチン単剤による治療に よって軽快していることを勘案するなら、分裂病特異的とされた自生思考が、強迫神 経症という一疾患単位53の下に出現したこと、それが強迫神経症のための治療(パロ キセチン投与)によって改善したことを主張してもよいはずである。 51 他の疾患、例えばパニック障害などについては、次稿において示したい。また、本稿が布石とな り、この種の議論が広がってくれることを期待したい。 52 笠陽一郎「毒舌セカンドオピニオン」、「症例84」 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/4511/syourei84.htm (2006年8月31日現在)。 53 「強迫神経症」を一疾患単位とするか、それとも単なる症状群とするか、あるいは一症状とする かは議論の分かれるところであろうが、ここでは自生思考が分裂病という単位以外に出現している ことが肝要であり、極めて緩やかな意味で「疾患単位」という語を使用している。

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〔症例2〕21歳、男性54 19歳頃から「被害妄想」で某医を受診していた。イライラによる親への暴力もあり、笠 の下を受診した。前処方は、リスペリドン6mg、ビペリデン3mg。 症状は強迫観念や自生思考 .... 。そこで「精神分裂病」の診断を疑い、処方の見直しと診断の 検討がなされた。新処方は、オランザピン10mg、パロキセチン20mg、ニトラゼパム5 mg。以上で症状は消失した。その後、オランザピン・ニトラゼパムは中止されている。 前医の診断について笠は、「いわゆる雑念強迫や自生思考を幻聴や妄想と見間違って「強 迫神経症」を「精神分裂病」と診断したものと思われる。類似ケースにもう数十例は出会っ ている。診断能力の低さよ!」55と慨嘆している。 具体的な症状の内容が掴めないため、雑念強迫や自生思考が、なぜ幻聴・妄想と混 同されうるのかここからは分からない。ただ、ここで重要なのは、症例1と同様、抗 精神病薬(リスペリドン)による治療──分裂病の治療──から、抗鬱剤(パロキセ チン)を中心とした治療──強迫神経症の治療──に切り替えられたことにより、自. 生体験を含む......強迫神経症の諸症状が消失している点である。かくして、この症例によ っても、自生思考が強迫神経症に出現すること、それが強迫神経症の治療(抗鬱剤の 使用)によって消失することが、証示されたといってよい。 だがしかし、ここで注意深い読者ならば、オランザピンが一時的に併用されている ことを指摘するであろう。北海道大学の安部川ら56は、分裂病の「警告期症候」(=中 安の言う初期分裂病症状+徴候。患者自身によって体験される「症状」+治療者によ って感得される切迫した独特な表出、「徴候」。症状と徴候が纏めて「症候」と呼ばれ ている)を示す患者に、リスペリドン、ペロスピロン、オランザピンなどの非定型抗 精神病薬を投与して改善を見たとしている。その際彼らは、「Risperidone、perospirone の効果が不十分な場合は、olanzapineが有効であった」57と述べている。従って、症例 2において、リスペリドンからオランザピンへの変薬が、症状の改善に寄与した可能 性も否定できない。 しかしながら、その後オランザピンが中止され、パロキセチンのみが処方されて維 54 笠陽一郎「毒舌セカンドオピニオン」、「症例5」 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/4511/syourei5.htm (2006年8月31日現在)。 55 笠陽一郎「毒舌セカンドオピニオン」、「症例5」 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/4511/syourei5.htm (2006年8月31日現在)。 56 安倍川智浩・北川雄士・松山哲晃・小山司「「統合失調症の警告期状態」に対する非定型抗精神 病薬の使用経験」、『精神神経学雑誌』、106(11)、2004年、1357-1372頁、参照。 57 同書、1357頁。

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持していることから推論すると、自生思考を含む強迫症状がパロキセチンによって消 失した、と理解してよいのではなかろうか。 〔症例3〕21歳、男性58 基底に広汎性発達障害があると考えられる。幼少時にチック症状を発症した。中学校1年 時より不登校(以降引きこもり)、それに引き続き13歳ごろ強迫神経症を発症した。強迫 行為(右手で触った物を左手で触らねばならない、手洗いなど)、確認強迫。また視線恐怖 .... 、 「周りのものが自分を攻撃してくる感じ(=他者に共感されない感じのこと)」もあった。 19歳時、父親が「二十歳になったら自分の将来に対する計画書を作りなさい」など、厳 しい言葉を投げかけた。それに呼応するかのごとく、高熱、過呼吸、ベッドから起きられな い状態が続き、その後幻聴、幻覚様の症状を呈した。さらに、入院直前、「自分の中になに か怖いものが入ってくるような気がする」などと自我障害と思われるようなことを訴えて大 きな声で叫び始めた。また、「自分は障害を持っているために対人恐怖がうまくいかず、学 校に行けなくなった。親はそれに早く気がつき、英才教育を施していれば不登校になること はなかった(英才教育を施していれば外科医になれた)」などと親を罵倒し、謝罪を求めた (暴力にまで発展することもあった)。 患者自身が病院に受診希望。病院は2箇所を回り、一つ目の病院では、「軽度の神経症」、 二つ目が「内向的な性格からくる抑うつ状態」という診断であったが、その後、別の医師か ら「統合失調症の可能性あり」と診断された。 一箇所目の病院にて、経口薬のハロペリドール25mg(最初は1.5mg にて開始、徐々 に増量)をはじめとし、デカン酸ハロペリドール100mg(2週に1度深部注射)、ゾテピ ン150mg、クロミプラミン20mg などなど、極めて多数の向精神薬を投与される。そ の際、ジストニア(眼球上転発作、知覚変容発作、口周部の異常運動)や不安の異常亢進、 それに基づく絶叫、アカシジア、離人症など、種々の副作用が出現した。また、副作用と思 われる症状の中に、自生思考....があった。 2005年、前述の罵倒と暴力のため、2度入院した(精神症状のためではない)。 同年、多剤大量処方の見直しのため、別の病院に転院・入院した。減薬・整理の結果、2 006年1月の時点で、クエチアピン600mg、フルボキサミン75mg(後100mg に 増量)、バルプロ酸ナトリウム600mg、ロラゼパム1.5mg にまで整理され、5ヵ月後 にはクエチアピンは中止された(リスペリドン0.5mg に入れ替え。その後、10日間ほ どリスペリドンを試験的に中止してみたところ、調子が良かった)。しかし、現在、患者自 身の希望と主治医の意向により、アスペルガーに対して、アリピプラゾール低用量(3mg) の併用がなされている(が、良眠が得られないため中止された)。現在広範性発達障害起因 的な強迫様の発想などがあるが、一切の抗精神病薬なしに概して安定している。 58 「セカンドオピニオン掲示板 第一カルテルーム」、 http://mental2.hustle.ne.jp/pub/docview.cgi#13 (2006年8月31日現在)、アトム氏の欄。 適宜編集した。

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最後に、父親による自生思考についてのインターネット上への投稿を引用しておきたい。 「ボクの息子も長い間、自生思考で苦しみました。本人に聞いても、自生思考と幻聴の区別 はなかなかつかないようです。 ただ、自生思考のほうは、声になる前段階の考えの嵐のような感じで、親が「男の声?そ れとも女の声?」と聞いても、本人はわからないと答えていました。 本来人間は、「さて、このことについて考えよう」と考え始めるのですが、考えようとし ていないのに次から次へと考えが勝手に浮かんでくるのは、本人にとって見たら、本当に辛 いようですね。 でも、1~2ヶ月前まであった自生思考も、クスリの調整によって、ほとんどなくなって います。」59 ここにクスリの調整とは、クエチアピンおよびフルボキサミンを中心とした処方のことで ある。ジストニア、アカシジア、離人症、自生体験といった副作用は、「クスリの調整」に よって消失したのである。 症例3の患者からは、実に様々な教訓が学び取られるであろう。 症例3では、「初期分裂病」の診断を実際に受けているわけではなかった。むしろ幻 聴用体験や、「自分の中に何かが入る」などの自我障害様の体験が存したことから、極 期の分裂病が疑われる素地があったといえよう(実際に「(初期ではない)統合失調症 の疑いあり」と疑診のレベルで診断されているが、処方内容は分裂病そのもの、しか も分裂病処方にしても過度にアグレッシブな、素人目に見ても多剤大量の悪しき処方 内容であった)。 初期分裂病症状の非特異性を証示しようとしているわれわれの立場からすれば、入 院前から存在したとされる「視線恐怖(=漠とした被注察感)」の症状、および薬剤起 因的に惹起されたと推測される「自生思考」に対して考察を加えねばならない。 前者、即ち「視線恐怖(=漠とした被注察感)」は、症例3の父親によれば、統合失 調症の疑診の根拠とされていた。疑診を下した医師は、「問診表の中で本人が肯定した 「人の視線が気になる」という点について、医者が「レストランに行ったとき、視線 が気になったか?」という質問をしたときに、本人の返事の仕方に葛藤があるとのこ とで「統合失調症」と判断した」60というのである。 59 「セカンドオピニオン掲示板」、 http://mental.hustle.ne.jp/pub/ 2006年1月18日。ア トム氏による投稿。投稿番号1876。 60 「セカンドオピニオン掲示板 第一カルテルーム」、 http://mental2.hustle.ne.jp/pub/docview.cgi#13 2006年8月31日現在、「アトム」氏の欄。

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蛇足になるが、注察念慮の存在を、患者が葛藤をもって答えた場合、それは分裂病 である、という珍説を、私は寡聞にして知らない。そういう説があるのだろうか? さて、いずれにせよ、漠とした被注察感がアスペルガー症候群を強く疑わせる例に........................... おいて出現している.........ことは、十分留意すべきであろう。一般に、アスペルガー症候群 にも漠とした被注察感が生じるという知識は、もはや医学の分野を超えて、哲学的考 察61にさえ入り込んでいる。してみれば、症例3においても、漠とした被注察感(視 線恐怖)が生じたことは不思議なことではない。かくして、漠とした被注察感が.........(初. 期.)分裂病特異的では決してないこと...............、ここでこのことが明晰に理解されねばならな い。そして、症例3から、こうした症状が、(ここでは「初期分裂病」とはされてはい ないが)極めて安易に「分裂病性」とされている実態をも、深く認識しておく必要が あると思われる。 また、症例3の患者において「自生思考」が随伴している点も見逃せない。この自 生思考は、ハロペリドールを大量に投与されているときに最も激しく出現していた。 また、その減薬と変薬によって消失しており、一切の抗精神病薬を中止した後も消失 が維持されている。こうした因果関係から推論する限り、医薬源性の自生思考.........と捉え ることができるだろう。もとより、アスペルガー起因的な強迫症状に随伴した自生思 考と解釈し、抗精神病薬によって増強され、フルボキサミンによって消失したと捉え ることも可能である。ここでは、どちらの解釈が妥当かを直ちに決定することは出来 ない。しかしながら、どちらの解釈を採用するにせよ、症例3において出現した自生 思考を、初期分裂病の一症状と解釈することは、もはや不可能である。ここに、医薬 源性ないしはアスペルガーの反応的な自生思考の存在が立証されるだろう。従って、 中安の主張──自生体験が(初期)分裂病特異的である──は、ここで棄却されなけ ればならないのだ。62 以上3つの症例の考察により、自生体験が強迫スペクトラム圏、ないし医薬源性精 神症状として出現することが実証されたと考えられる。また、漠とした被注察感がア 61 詳細は、村上靖彦「視線の構造──自閉症児の対人恐怖と情動的間主観性の現象学」、日本哲学 会、2005年5月21日、参照。 62 症例3の考察に関連して、もう一つ指摘しておきたいことがある。症例3の患者の父親は、先の 引用文において、自生思考が幻聴と区別されがたかった、と述べている。これは、中安の「背景思 考の聴覚化」論を裏書していると見ていいだろう。しかしながら、「背景思考の聴覚化」が支持さ れたとしても、だからといってこの自生思考が分裂病性のものだということにはならない、という ことも同時に指摘されよう。

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スペルガー症候群圏内に出現することも学んだ。以上の考察から、少なくとも自生思 考および漠とした被注察感が、初期分裂病特異的な症状であると主張する根拠は、決 定的に反駁されたと私は主張したい。 それゆえ、ここでは結論的に次のことが認識されねばならない。4主徴は分裂病特 異的では決してない。それ故、4主徴が確認されたからといって、それを初期分裂病 と診断してしまうのは、極めて性急な態度である、ということだ。 但し、ここでは次のような批判がありうると思う。1.自生思考と漠とした被注察 感については、なるほどその非特異性の証示に成功したが、他の諸症状(例えば自生 空想表象・記憶想起、気付き亢進、緊迫困惑気分)については論破されていない、2. 本稿の考察では強迫神経症とアスペルガー(ないし医薬源性)の症状ばかりが取り扱 われ、他の疾患については全く言及されていない、という批判である。この点につい ては、筆者も論証の不十分さを認めるのにやぶさかではない。これは今後の課題とし、 他症状の分裂病非特異性、他疾患における4主徴の出現を今後証示したいと考える63

第3部「特異性」概念が引き起こす具体的問題

3-1 具体的事例に基づく導入 さて、本稿では第2部の、症例1と2で、強迫神経症における自生思考の随伴の問 題を考察した。中安は、強迫神経症の症状に関する質問紙「自記式Yale-Brown強迫尺 度」を批判する中で、例えば「暴力的あるいは恐ろしい考えや場面などの想像が頭に 浮かんで離れない」とか「頭に浮かび、邪魔をしてくる想像(非暴力的な内容)」とい った自記式Yale-Brown強迫尺度の項目は、自生思考ないし自生空想表象であり、これ は初期分裂病の症状である。それゆえ、こうした項目が強迫神経症の質問紙に紛れ込 んでいる限り、「強迫性障害から分裂病への「移行」を示す例がそれなりの比率で出て くることは否めない」し、「何よりも個々の症例において初期分裂病を強迫性障害とす る誤診を招く」という「不幸な結果」を導くのではないかと中安は「危惧」64してい 63 しかし本来、こうした課題は日々の臨床を実際に展開する医者の職分に属する、という批判もあ りうる。しかし、医者の側でこうした議論が展開された形跡が微塵もないから、仕方なく、門外漢 の筆者が謂わば「代行」したのである。どなたか、臨床家の中でおやりになられる方はいないもの だろうか? 64 中安信夫「強迫性の鑑別診断学」、中安信夫『増補改訂版 分裂病症候学』、星和書店、2001 年、664頁。

参照

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