一︑はじめに 江戸における︑写実的な風俗描写と会話体を特徴とした洒落本
の嚆矢として田舎老人多田爺著﹃遊子方言﹄︵明和七年頃刊︶を位
置付けることは︑今日の文学史における常識と言えよう︒同作に
よって定着した洒落本の型に基づき︑後続の作品を著そうとする
際︑舞台を吉原以外に設定する手法が多く用いられた︒江戸の各
地にあったという岡場所のうち︑特に深川が東︑品川が南︑そし
て新宿が西と呼ばれる︒これは吉原を別に北里と呼んでいたこと
と関係する︒
安永四年に刊行された﹃甲駅新話﹄は︑新宿を舞台とした洒落
本としては最初の作である︒新宿については︑豊芥子著﹃岡場遊
廓考 1﹄に︑
江戸砂子に云︑内藤家屋敷なり︒後︑町となる︒元禄の頃︑
江戸より高井戸迄四里餘の行程長くして
︑駄馬人足難義ゆ
へ︑願て新駅を建られ︑内藤新宿と唱ふ︒享保の比︑新駅破 壊せらる︒明和九年辰年安永と改元二月再御免ありて再興す︒
とある︒その後の新宿の繁栄については蓬萊山人帰橋著﹃遊婦里
会談﹄︵安永九年序︶に︑
いま岡 おか場 ば処 しよの多き事 こと︑さつまいものふゑたるごとく︑中に取 とり
分 わけ賑 にぎはふは︑北と東と南なり︒鼎 かなへのごとくと云ィたきが︑次 し第 だい
に西方盛 さかんなれは碇 いかりのごとく争 あらそひて︵下略︶︒ と説明されている 2︒つまり︑鼎の脚に喩えられている吉原︑深川︑
品川の三大勢力に︑後から西に位置する新宿が加わって碇のよう
な状況に変貌したと言うのである︒このように︑新宿は再興後し
ばらくして有力な遊興地の一つに数えられるようになったのであ
る︒ただし﹃甲駅新話﹄と刊行時期をほぼ同じくする︑浮世遍歴
齋道郎苦先生著﹃婦美車紫鹿子﹄︵安永三年刊︶中の︑各地遊里を
品評した一節﹁九蓮品定﹂には︑
此浄土はやう〳〵今 こん春 はるじやうじゆし︑しば品 しな川 かわ三 み田 たあるひは 深 ふか川 かわ所 しよ〻 〳〵より入 いり込 こみ︑いまだ風 ふう俗 そくきわまらす︑大ていは品 しな川 がわを
まなぶ︒しかし人からおよばす︒
﹃甲駅新話﹄における宿場女郎の手管
長 田 和 也
と評されている︒﹃甲駅新話﹄が刊行された頃の新宿は︑他の岡
場所からの寄せ集めの人間で営業が行われ︑品川を真似るも及ば
ないという状況であり︑深川や品川といった有力な岡場所と比べ
ると︑やや品下る地域であったことがわかる︒
﹃甲駅新話﹄の作者である山手馬鹿人は︑長らく大田南畝の変 名とされてきた 3︒そのため︑同作への先行する言及は︑一作の洒
落本としては比較的多く備わっている︒
﹃遊子方言﹄の主要な登場人物は通り者とむすこの二人である︒
廓通を自認する通り者は︑むすこ相手に吉原までの道中で自らの
知識を披露する︒しかし実際登楼してみると店の者に相手にされ
ない︒結局︑自分では通と思っているが周囲からは笑い者にされ
ている半可通であることを露呈してしまうのである︒その一方で
むすこは女郎にもてている︒この対比構造が︑半可通の持つおか
しみを際立たせるのである︒
これまで﹃甲駅新話﹄は︑﹁茶屋になつて︑おとなしい金七が
持てゝ︑大きな面をする谷粋が振られるのは洒落本の紋切型では
ある 4﹂︑﹁堀の内詣でから帰りの二人の男が遊女屋に遊んで︑一人 がきらわれ︑一人がもてるという筋立てはいつもの通り 5﹂という
ように︑洒落本の型にはまった作品であることを前提に︑登場人
物のうち谷粋を半可通︑金七をむすこに当て嵌めて読まれてき
た︒そのため︑金七とその相方女郎三沢との関係は﹁金七の相方
三沢は気心のやさしい女郎で︑おとなしい金七によくし︑床に
回って情緒纏綿たるものがある 6﹂と解説されている︒
加えて浜田義一郎氏に︑滑稽を描くという点において岡場所が 吉原を上回ることを指摘する論が備わる 7︒浜田氏は︑岡場所が江
戸市民に対して新鮮な魅力を放つ時代となってもなお︑王座を確
保していた吉原が︑それ故に羽織袴的な窮屈さを抱えてしまうと
述べている︒そして笑いに主眼を置く作品の舞台として岡場所が
相応しいことを論じた上で︑﹁岡場所と云つても相当に洗練され
て来た品川や深川を描くに当つては︑或は情緒描写に或は情話的
要素に赴いた作者の用意が注意される﹂として︑特に新宿を滑稽
と結びつけやすい地域とみなしている︒
確かに﹃甲駅新話﹄は︑漢文の序や目録を有する︒そのため︑
体裁の面で﹃遊子方言﹄を模倣した作であると言えるのである︒
しかし︑登場人物の作中における性格や役割まで同一と看做し︑
土地の風俗を描写している点と︑そこに描かれる滑稽とに注目す
るにとどまる読みは︑型にはまりながらも︑その中で自作に独自
性をもたらさんとした作者の試みを見抜く上で十分と言えるだろ
うか︒本稿では︑﹃甲駅新話﹄にて描かれる︑再興後間もない新
宿における客と女郎とのやり取りに注目し︑新たな読みの可能性
について言及したい︒
二︑金七の性格
会話体の洒落本における登場人物の性格設定は遊里における通
の価値観に基づいて類型的になされる︒半可通とは通を志向しな
がらも︑その実傍目には行き過ぎと映る服装で登楼し︑金もあま
り持たないのに自惚れが過ぎるために茶屋や女郎に冷遇される︑
ふられ役である︒例えば︑夢中山人寝言先生著﹃辰巳之園﹄︵明
和七年序︶では︑如雷という客の出で立ちは︑
髪 かみを大 おゝ本 ほん多 だに結 ゆひ︑飛 とび八 はち丈 ぜうの小 こ袖 そでの少しよごれたるに︑黒繻子
の袖口に︑幅せまの帯に小短大小を落指にさして︑山岡頭巾
を横丁にかむり︑日 ひ和 より下駄をはき︑大キなる顔にて来 きたる︒
と描写される︒流行の本多髷に髪を結い︑少し着古した小袖に幅
の狭い帯というのも通人の好みそのままである︒二本指しである
から武士とわかるが︑くだけた落とし指しである︒丁度茶屋で休
んでいた志厚という客はこれを見て﹁かみさん見ねヱ︑凄ひ男だ﹂
と茶化す︒洒落本の特徴とされる写実的な服装の描写は︑如雷の
ごとき半可通を見た読者に︑一目で志厚と同じような感想を持た
せるのに一役買っている︒
﹃甲駅新話﹄においては谷粋が半可通としての役目を任されて
いる︒外見ばかりに気を遣い︑自分ではもてると思い込んでいる
が︑無駄口ばかり叩き︑女郎からの印象は悪い︒茶屋としても︑
さほど金にならない客と分かっているため︑いい加減な扱いを受
けている︒しかしこうした半可通の役回りは︑優越感の入り交
じった笑いを読者に提供する上で必要不可欠な存在なのである︒
一方︑先行する論は共通して︑金七を女郎にもてるおとなしい
性格の息子株という立場を担う者として認識している︒
息子株がおとなしいと看做されるのは︑半可通の饒舌さと横柄
な態度と対比して︑かえってうぶでおとなしいことが女郎に好か
れる要因であると理解されているためである︒しかしながら︑既
に﹃遊子方言﹄におけるむすこが︑純真の仮面を被った遊蕩児で
あると読者に思わせるような描かれ方をしていることが︑中村幸 彦氏によって指摘されている 8︒つまり︑本所にいる伯父の病気見
舞いを口実に柳橋あたりを歩いているところを通り者に呼び止め
られ︑正燈寺へ紅葉を見に誘われれば断らず供の者を帰してしま
う素直さが怪しいというのである︒船宿ですれ違った人を見て
﹁折ふしこゝらで見る人じやが﹂と言う点も︑むすこが柳橋周辺
によく来ることを暗示しており︑作者としてもむすこをただのお
ぼことして描いてはいないことが理解される︒
それでは﹃甲駅新話﹄の金七は︑作中にてどのように描かれて
いるのか︒まず茶屋でのやりとりに注目したい︒
後こよひは何 ど所 こへお出 いでなさります︒谷おらァ何 どけ所へでも往 いく 気 きだがぬしがまだきまらねへよ︒後なぜで御座ります︒金ど ふも内 うちがやかましうごぜんす︒後それでもとうせ今 いまからお帰 けへ
りはなさりますめへ︒お宿 やどはへ︒金下 した町 まちでごぜんす︒ホンニ何 なん
時 どき
だね
︒
と椽へ出てそらを見る︒後モウおつつけ暮 くれます︒谷サアもふどふで埒 らち
はあかねへ︑お覚 かく悟 ご〳〵︒後何 なんとおつしやつてもモウお返 けへし 申 もふす事 ことでは御座りません︒ソシテもふ遅 おそふ御座ります︒金十町がこわ いろにて モウぜひに及 およばぬ︒
茶屋の後家と谷粋にそそのかされながらも︑家を気遣い乗り気
でない風に見せている金七であるが︑最後には歌舞伎役者大谷広
治の声色 9で谷粋について行く意志を表明した︒うぶな息子とは思
われないような軽薄な態度であるし︑そもそも家がやかましいの
であれば︑茶屋までやってくること自体がおかしい︒初めから今
夜の女郎買いに積極的であったことを匂わせる場面である︒
金七が女郎買いに慣れた者であることは︑三沢との座敷でのや
りとりからも読み取れる︒金七は︑二人きりになるやいなや﹁美 うつく
しい所 とこが気 きに入た﹂と女郎に甘い言葉をかける︒経験を積んでい
るが故に︑女郎の喜びそうな気の利いた台詞が即座に言えるので
ある︒真にうぶな息子とは︑例えば山東京伝著﹃傾城買四十八手﹄
︵寛政二年刊︶﹁しつぽりとした手﹂に登場する︑床におさまって
女郎を前にすると﹁わつちや何ンといつてよいものかしりやせん﹂
と縮み上がってしまう者のことを言うのではないだろうか︒
続いて茶屋に勘定を支払う場面に目を向けると︑親掛かりの身
の上であるが故の金七の金払いの良さがうかがえる︒
谷︑金たがゐに何か耳そうだんして金ふところゟ 弐分出してわたす︒谷取て紙にのせかゝさんサア︒後はいといたゞき紙にひねりお 預 あづかり申ます︒前きんちやくへ入て帯にはさむ︒
恐らくは年長者で︑なおかつ今日の女郎買いの話を持ちかけた
張本人である谷粋に代わって金七が支払いを済ませている︒帰る
段階になって茶屋がおつりを渡そうとしても﹁何 なによしさ︒取 とつて置 おき
な﹂と︑心付けのつもりか受け取らない︒このあたりの経済的な
余裕は︑金を持っておらず﹁あまり物にもならぬ客﹂であること
を茶屋から見抜かれている谷粋と対照的である︒また︑茶屋に祝
儀を渡すことを怠らない気の遣いようも︑遊び慣れていることの
証拠である︒
以上︑金七を遊び慣れた客であると看做せる根拠を作中から見
出した︒同時に︑彼が経済力を背景に茶屋や女郎屋から厚遇され
うる人物であることも︑作者はさりげなく描いていることがわか
る︒ 三︑名代と廻し
客である金七がおとなしい息子株とも言い切れないのと同様
に︑三沢もただの温和な女郎と考えるべきではない︒このことを
論じるために︑まず当時の作者と読者とが知識を共有していた︑
遊里における風習について説明していきたい︒
一人の女郎が一晩に相手をする客は必ずしも一人とは限らな
い︒この場合︑女郎に席を外された方の客は︑一人で部屋にて女
郎を待つことを余儀なくされる︒廓における哀愁を帯びた情景と
言えよう︒しかし当事者にとって悲惨であっても︑傍観者には滑
稽に映るこの状況は︑種々の領域にわたる文芸に取り上げられて
きた︒
名代を浅黄奸 カン淫 インなさんとす ︵﹃柳多留﹄五十一
21︶ この川柳には︑十七文字の中に廓の約束事と︑それに翻弄され
る客とが描かれている︒名代とは︑客の指名した女郎が差し合い︑
すなわち他の客のもとに出ている時︑客の機嫌を損ねないために
妹女郎が代わりに相手をすること︑また︑その女郎のことを言う︒
名代部屋はその際に客を通す部屋のことである︒ただしこの名代
については︑客の相手をしてはいけないという掟が廓には存在す
る︒そのため客は名代部屋で悶々といつ来るとも知れぬ相方女郎
を待たなくてはならない︒
野暮な田舎武士には裏地が浅黄色の着物を着用する者が多かっ
た︒浅黄とは彼らを嘲るのに用いられた語である︒廓法を解さな
い彼が︑たまりかねて名代の女郎に手を出そうとしてしまった瞬
間をこの川柳は描いている︒﹁奸淫﹂の語には掟を守らないで名
代と色事をしようとする浅黄裏への蔑視感情が込められている︒
これとほぼ同じ状況が﹃遊子方言﹄にも描かれている︒
平ううう︑これ〳〵三味線をひかずと︑こゝへは入てね給へ︒新そ ういいゑこうして置ておくんなんし︒又しかられんす︒平其や うな大きな声をするからわるい
︒こそ〳
〵と
︑ちよつと
︒
と︑いふて手を取て引はる︒新そうおがみんすにへ引︒ この平という客は︑登楼前には茶屋の女房に対して馴染みの他
に通っている女郎のいることを話し︑いっぱしの遊び人気取りで
あった︒そして今晩名代がつくことを分かっていた上で﹁名代に
は︑ふかい意 ゐ味 みのあることじや﹂と言って余裕の表情を浮かべて
いた︒しかしいざ名代を前にすると欲望を抑えきれずに新造を困
らせている︒通人とは程遠い迷惑な客であると言わざるを得な
い︒ さて︑この名代という制度だが︑吉原に限らず︑深川や品川と
いった岡場所でも行われていたことが種々の洒落本から確認出来
る︒
お長小便に行て︑隣座敷賑なれは︑そつと見けれは馴染の七兵衛なり︒名代の女郎居るゆへに︑客は知らぬふりにて座敷へ行︒お長おゆるしなんし︒
お中お長さん︑のみねェ︒
深川を舞台にした洒落本﹃辰巳之園﹄の一場面である︒ここで
は︑馴染みの代わりに呼んだ別の女郎のことを名代と言ってい
る︒
客ふけうの顔 かん色 しよくにて︑今夜はさしてゐるか︒といふ︒若者ァィ
おわるくござります︒といふ所へ名代のしんぞうきたりて︑ あねさんがおつしやりやす︑よふ御出なさんした︑わたくしもちよつと参りたふ思ひやすが︑とふも座敷があけにくいゆへ︑のちほど御目にかゝりやせう︑とおつしやりやす︒といへば客どふでもかつてにしたがェァ︒と︑むせうにさしきをにらみまわし︑なんだか今夜はおもしろくねェ︑それげい者の四五人もよんでこい︒としんぞうのむだもかまわず茶屋へいゝ付ヶ︑それからせかいが酒となり梅や三ナ九 きうで〳〵と見
せも引ヶれば︑サア御休み遊と︑げい者も茶屋も早〻にして かへる︒客 きやくは廻り座敷のはださむくねァられもせぬ床の内︑
女郎はなしみなれば︑しやう事なしにモウねなんしたか︒と
床のわきにすわる︒
西奴著﹃東西南北突当富魂短﹄︵天明元年序︶からの引用である︒角書
きの﹁東西南北﹂とは︑やはり前述の吉原︑深川︑品川︑新宿の
ことであるが︑この引用はその内﹁品川の遊び﹂からのものであ
るから︑品川でも姉女郎の伝言役の新造を名代と呼んでいたこと
がわかる︒
ここからは︑先の引用中﹁廻り座敷﹂と呼ばれている場所に関
して考察していきたい︒
岡場所ノ呼出シハ自家ニ客ヲ迎ヘズ青楼ニ於テ双枕ス︒故ニ
一人ノ女郎ニ一客也︒伏玉ハ自家ニ客ヲ迎フ故ニ︑女郎一人
ニ二三客或ハ四五客ヲ異席ニ臥シ一妓屢々是ニ輪淫ス︒江戸
ノ俗是ヲ方言シテ︑マワシト云也︒女郎ハ是ヲ廻シヲトルト
云︒床ヲ廻シ床ト云也︒吉原同之︒
喜田川守貞著﹃守貞漫稿﹄︵天保八年起稿 A︶からの引用である︒
これによれば︑吉原でも︑その他の岡場所でも﹁廻し﹂という言
葉は用いられていた︒ただし︑先述した通り名代という制度が客
を一人で待たせることを避ける手段として機能していたのであ
る︒しかし︑名代も置かれない状況も存在する︒
寝るもうし帰るもつらし廻シ床︵﹃柳多留﹄六十八
18︶ 一人廻し部屋に待機させられ︑このまま寝てしまっては何のた
めに遊びに来たのか分からないが︑腹を立てて帰るのもみっとも
ないと煩悶する客の心境を詠んだ一句である︒
これおいらんの︑聞 きいてくんなんし︒おいらか傾 けいなぞは三 さん夜 やの 三ヶ月様だそうで︑宵 よいにちらりとみたばかりだ︒こゝへきて きけば︑となり座 さ敷 しきで声 こゑがするが︑客 きやくをまはすとやら何 なんとや ら︒源 けん水 すいじやァあんめへし︑あんまりまはしたら︑めか廻 まはり そふなことだ︒とんとよし原などにはねへ点 てんだの︒
︵朱楽菅公著﹃売花新駅﹄安永六年序︶
一日
︑
予黄 たそ昏 かれの徒 つれ然 〳〵なるまゝに︑蝙 かふもりとともに宿 やどを立 たち出 いで︑甲 かふ駅 ゑき
に趣 おもむき︑其 その遊 ゆう意 いを見るに︑青 せい楼 ろふに異 こととして︑名 めう代 だい不 なし入の客 きやく︑
幾 いく人 たりの限 かぎりなし︒ ︵山手山人著﹃駅路風俗双床満久羅﹄天明九年刊︶
いずれも新宿を舞台にした洒落本からの引用である︒これらの
洒落本の記述で強調されるのは︑吉原では廻し部屋に通されたき
り名代もあてがわれないような客が何人もいることはありえない
ということである︒ここから︑廻しは主として岡場所で横行した
風習であることがうかがえる︒
海棠一朶弄芳姿 海棠 一朶 芳姿を弄し 銀燭獨殘夜已移 銀燭 独り残して 夜 已に移る
爲是鶯兒伴春睡 是れ鶯児の春睡に伴はんが為に 總留蜂蝶宿空枝 総て蜂蝶を留めて 空枝に宿らしむ 植木玉厓著﹁西駅竹枝 B﹂からの引用である︒これは︑新宿の風
俗︑風習を描いた三十首の連作である︒竹枝とは︑中唐︑劉禹錫
に始まる風俗詩で︑近世日本においても流行した C︒同作について
森銑三氏は﹁清雋愛すべきものがある﹂と評価し︑﹁洒落本の研
究家も一顧すべきもの﹂と看做している D︒ここでは全三十首のう
ち︑廻しの情景を詠んだ一首を挙げ︑俗文芸たる洒落本や川柳以
外の視点からも廻しについて言及したい︒
﹁海棠一朶﹂は︑楊貴妃の海棠の眠りの故事を踏まえ︑美しい
女性︑ここでは女郎を意味している︒その女郎が︑ともしびの明
かりも消えかかった深夜︑三句目にて﹁鶯児﹂と表現される馴染
み客を自分の部屋に引き入れて懇ろに相手しているがために︑
﹁蜂蝶﹂に喩えられる他の客達を︑廻し部屋で待たせている︑と
いうことを︑一輪だけ花が咲いた海棠の枝には鶯が居座ってお
り︑そのために蜂や蝶は花の咲いていない枝に留まるしかない︑
という自然の風景に重ね合わせている︒﹁空枝﹂が廻し部屋に当
たるのだから︑実際には客はいるのである︒すなわち﹁空﹂とは
自分以外に誰もいないということを意味する︒廻し部屋にいる客
の目線から︑いつまで待っても来ない女郎に対して﹁どうせ馴染
みの所にでも行っているのだろう﹂と悪態をついてみせる一首だ
ろう︒ 写本によって伝わる﹁西駅竹枝﹂には﹁西駅竹枝考証﹂という
注が付されている︒この一首に対する注を挙げる︒
一妓ニシテ一夕数客有ルヲ廻シト云︒往々熟客富客ヲ本房ニ
延テ他客ヲ別房ニ置ク︒是ヲ廻座敷ナド云︒妓多クハ本房ニ
在テ別房ノ客ニ陪侍スルコト少シ又北里ノ如ク雛妓ヲ出シテ
名代新造トナスコトナシ︒
女郎が大切にする客が馴染みや金持ちの客であることが明言さ
れていると同時に︑ここでも︑名代という制度が新宿では一般的
でなかったことが言われている︒
先に述べた通り︑新宿とは岡場所の中でも深川︑品川には劣る
場所であったようである︒吉原はもちろん︑深川︑品川といった
比較的格の高い地域では︑人手に余裕がある分︑名代を用いて女
郎が来るまでの間︑客をなだめることが出来ていたが︑新宿には
それほどの余裕が店側になかったのだろう︒まして﹃甲駅新話﹄
が出版された頃は︑﹁いまだ風俗きわまら﹂ない状況であったの
だから︑まだ完璧に整備された営業が行われていたとも思われな
い︒結果として︑客の数に女郎達が対応しきれず︑廻し部屋で一
人にさせられる客が多かったのではないかと推測させられるので
ある︒
四︑三沢の手管
金銭によって取引される遊廓における男女関係を︑一般社会と
同様のものとは考えるべきではない︒結論から言えば筆者は従来
金七に真情を寄せていたとされる三沢にも独特の手練手管があっ
たと考える︒まずは金七と三沢との床に回ってのやりとりを確認 したい︒
三ぬしやァ何 ど所 こだへ︒金わつちも新やしきさ︒三啌 うそをつきな んし︒今 こん度 どからひとりで来 きなんしよ︒といふ事 こともねへさ︒お さげすみも知 しらねへで︒金来 こねへで︑どうするもんだな︒し かし十 とう日 かほども前 めへから仕 し廻 めへを付 つけずは︑いつでもさしだろう︒
三又 またてうしなんすか︒と︑今度はおき上り金公がうへ江乗かゝりこそぐる︒是よりあじなしうちに成り︑はなしもときれ︑しばらく有て金
アヽあつく成 なつた︒三うちわを上 あげんせうか︒金ウヽかしな︒三手 て
水 うずに往 いつて来 きいすよ︒金そんならどふぞ︑茶 ちやを一 いつ盃 へへ持 もつて来 きてく んな︒三ソレ見 みなんし︒人 ひとの呑 のみなんせんかといふ時 ときは︑呑 のみも しなんせんで︒と︑いひながらかやを出て︑びようぶ引あけ︑ろうかをばた〳〵︒は金公一人成︒世間も物おとしづまりて︑となりの咄手に取ルごと
︵下
略︶︒
一頻り床でのやりとりの済んだ後︑三沢は手水に立つ︒この後︑
三沢の座敷は静まり返り︑隣の座敷へと場面が移り変わる︒谷粋
達と別れてすぐに︑ここまで二人の関係が進展するのである︒
自然な場面転換を促すきっかけとして作者は三沢を手水に立た
せたとも考えられるが︑そのような小説の展開上の都合ではな
く︑実際に女郎が手水に立つ事情を考慮して︑三沢の本心を探り
たい︒ ﹁あじなしうち﹂と含みを持たせて説明される床でのねんごろ
なやりとりを元にして︑今晩三沢は金七に惚れていたと考えるの
は早合点である︒山東京伝著﹃息子部屋﹄︵天明五年刊︶の﹁女郎
の虚 きよ実 じつを知 しる事﹂に﹁うそか誠かを知 しるは︑まづ床 とこにてあいたる 後 のち︑はやく鼻 はな紙 がみを取 とるはうそなり﹂とある︒﹁鼻紙を取﹂とは︑情
交に持ち込むということである︒先に挙げた名代部屋や廻し部屋
の客達の不満は︑目当ての女郎と色事が出来ないことに端を発す
るのであるから︑先に目的を達成させて客を黙らせようとする女
郎の心理が働くのである︒ここから︑座敷に移ってからの展開の
早いことが︑むしろ三沢への疑いの視線をさしむけさせる︒
女郎の座敷に通されたというだけでは︑他の客の有無はおろ
か︑自分が今晩最も厚遇されている客である証拠にもならない︒
扨また二かいの口の六ぜふには小春がいろきやく紙や治兵
へ︒是は部やをもらつていれてもよけれど︑夫ではけつくめ
だつてわるきゆへ︑わざとまわしにおくなり︒
︵中略︶ヲヽさむいちよつとてうづにいつてきよふ︒トまたこの部や
を立出︒とゞはまた紙治が廻し部屋へゆきうわぞふりをたゝ
みのうへまではきあげせうじをたてる︒是はほうばいの女郎
がてうづにいきかへり︑いつでも紙治が部屋にばかりうわぞ
うりがぬいであるゆへ︑おたのしみだのおうらやましいのと
なぶられるがつらさ︒ひとつには︑むねきなほうばいなぞか
ほかの客をふづとめにすると︑だんなへいつゝけやかましく
いわれるがつらきゆへ︑はき上ておくなり︒
︵ ﹃
駅路風俗双床満久羅﹄︶
近松門左衛門の﹃心中天網島﹄の登場人物紙屋治兵衛と小春の
名だけでなく︑二人が恋仲であることまで利用して︑内の者に隠
れて間夫と会う女郎の苦労を描く︒間夫のもとへゆく口実として
﹁ちよつとてうづにいつてきよふ﹂と言っている点も見逃せない︒
当時誰もが使っていた常套手段として︑こうした嘘がつかれてい
たと考えると︑三沢に対しても︑手水に行くと言っておきながら︑ 間夫とまでは限定せずとも他の客のもとへ行ったのではないかという疑いがかけられる︒ 必ずしも三沢が金七に対して心を開いていたわけではないとすれば︑金七が座敷であやなされ︑更に次に合う約束まで取り付けたことに対する理由を別に求める必要がある︒先に分析したように︑金七は経済的にゆとりのある身分で︑金離れもよい︒ここから︑初回のうちから悪いようにはせず︑自分のもとへ通わせ︑金を使わせようという計算が三沢にあったのではないかと思われる︒ 無論︑女郎が金目当てで客に接することは日常茶飯事であり︑そのために騙される客が跡を絶たないことも周知の事実である︒しかしながら︑洒落本の型に嵌め込んで︑客を厚遇する温和な女郎と看做していては︑三沢も他の女郎同様の手練手管の持ち主であることは見抜けない︒ 役者評判記の形式を借りて洒落本を品評した十文字舎恐︑菊屋蔵伎︑並木新作著﹃戯作評判花折紙﹄︵享和二年刊︶は︑同時代読
者の好尚を知る上で引き合いに出されることの多い作品である︒
その中で﹃甲駅新話﹄は︑
頭取新話丈此度金 きん公 こうとなられての仕 し内 うち中ずみをとられたる所 よし︒扨金公第二はんめに谷 や酔 すいをなためらるゝところまてよ し︒それより孫 まご右エ門のおかしみよし︒すへてこのたぐひの
客はおほくあるものなれば評判でごさります︒それよりきり
のまくに三 み沢 さはに︑ほ ママんにかへといふことをのこさせるまて大
ふんさんしきへ落ました︒
と評される︒このうち︑﹁きりのまく﹂とは︑次の場面である︒
三そんなら︑ぬしやァかならずちけへ内に来 きなんしよ︒谷粋 さんとやらは︑どふでモウ来なんすめへ︒金廿七八日時 じ分 ぶんに 来 こよふ︒三けふは三 さん日 ちだね︒そんなら待 まつて居 いいすよ︒金着かへる内を待 かね︑谷二階ゟ おりる︒谷どふだ〳〵きつい感 かん通 つうだの︒人のこゝろも知 しらね へで︒金サアもふよふごぜんす︒五郎モウひとりの女 しよ郎 うろ衆 しゆはへ︒
谷よしさ〳〵︒三どなたも憚 はゞかりもふしんした︒金公がせなかをつゝきてほん にへ引︒ 夜が明けて︑帰る客を女郎が見送る場面は︑一夜の遊興を話の
中心に据える洒落本の結末にふさわしく︑﹃遊子方言﹄以降︑よ
く描かれてきた︒しかしそこでは同時に︑帰り際の客に甘い言葉
をかける女郎の打算が透けて見えるのである︒
平あゝやかましい︒宵 よいからの口きゝが︑やう〳〵出て行そふな︒
さッきからもくゞりのあく音 おとで︑大ぶのぼせた︒名代の新ぞ う入かはり︑馴染の女郎おしつけ奥 おく座 ざ敷 しきに替 かはりんすと︑此やか ましいが︑よくなりんす︒夫 それまでが大 たい体 ていのくろうじやおざん せん︒平はて扨 さて︑宵からあらほどおれがゆつて聞 きかせる通り︑
其 その様 やうにに ママ気がよはくッて成ものか︒新ぞうを出すほうは︑と
ふ成とも︑おれがしてやろう︒今の座敷のほうの事ばかりじ
や︒それも︑おれが様子しだいで︑どうともしてやろ︒女郎
さりとはおうれしうおざんす︒といふていろ〳〵おもしろき事有︒ ︵﹃遊子方言﹄︶ 先ほど︑名代部屋でのやりとりの例として挙げた平の座敷のそ
の後の場面である︒姉女郎に仕えてきた禿が新造として披露され
る際︑すべての費用は姉女郎持ちとなる︒これを新造出しと言う︒ 平は馴染み女郎の新造出しの費用を引受けた上に︑奥座敷へ移る算段もしてやろうと言う︒馴染み女郎と対面して喜ぶ平の頭からは先ほどまで名代の新造をあてがわれていたことなど消えてしまったかのようである︒
女郎かならず後 のちに︑昼 ひるまつたゐいんすにへ︒平いやどふもか
へりがおそいから︑がッてんがいかん︒さりながら︑どふぞ
こよふ︒女郎そんなら︑わッちや中の町までは参りんすまい︒
平そこ所ではない︒あゝおそく成ッた〳〵︒女郎かならず︑ お出なんせへ︒またからすかあ〳〵︒心しらずや明 あけの鐘 かね︒ 別れ際︑次に合う約束をする二人だが︑先ほどの事情を鑑みれ
ば女郎が平に期待するものは第一に金銭的な援助であることがわ
かる︒ ﹃遊子方言﹄の型を踏襲し︑舞台を深川に転じることで趣向を
変えた﹃辰巳之園﹄にも︑この類のやり取りが見られる︒
女お帰りなんすか︒そうりをなおす︒志厚是ははゞかり〳〵︒志厚出て行けれは︑お長何か 用有けにお長志厚さん︒志厚何〳〵︒志厚立帰る︒お長及ひこしになりて︑耳に口を当てナヽ︒志厚 よし〳〵︒烏啼カア〳〵︒
別れ際にお長が志厚に何を囁いていたのか︑はっきりとは描か
れない︒しかし︑この別れの場面以前に︑お長が耳打ちで志厚に
金を無心していると思わせる伏線がある︒
女お長さん︑あけてもよしか︒お長なんたねェ︑明ねェ︒女
セケントコノヲコヒキノ︑カヽネケヲ︑トコリキニキツタ︒
お長イキマカニシキコヽウクサカンカガ︑モコツテクヽルク
カラカ︑ソコレケマカテケト︑イキウクテクヽレケナカサカ
イキ︒
カタカナで表記されている会話は一見意味不明である︒しか
し︑これは客に聞かせるべきでない内容を話す際に用いられる挟
み言葉で︑巻末の﹁通言﹂にて﹁唐 から言 こと﹂として解説されている︒
カ行の音を挟み込むことで咄嗟には理解しかねる言語を話してい
るように見せているが︑ここでは実際には﹁女せんとのをひの︑
かねを︑とりにきた︒お長いまにしこうさんか︑もつてくるから︑
それまてと︑いうてくれなさい﹂という内容の会話をしているの
である︒深川に精通している者であれば︑巻末の解説を見るまで
もなく︑挟み言葉を解して女郎の思惑を知ることが出来る︒特殊
な風習を利用することで︑表面的な接客に隠された裏側のたくら
みをあらわにしており︑作者の工夫がうかがえる︒
平や志厚は︑女郎買いという虚構の世界で︑かりそめの歓待を
受けながらも︑その裏では別の客の存在や金銭の譲渡という現実
的問題に巻き込まれる客として描かれている︒﹃遊子方言﹄にお
いては︑平とその相方との間柄が金銭の力で成り立っているもの
であることがはっきりと描写されている︒しかし︑﹃辰巳之園﹄
では︑唐言という妓楼の風習を用いることで︑お長の魂胆を見抜
く楽しみを読者に提供しているのである︒
﹃甲駅新話﹄の場合︑一見すると金七は三沢に一晩歓待を受け
ていたように思われる︒しかし三沢が手水に立ってから後︑暫く
の間座敷で金七がどのように過ごしたのかは描かれておらず︑読
者の想像力に委ねられている︒新宿で特に横行していた廻しを
知っている読者︑その中でも特に自身が女郎に放っておかれた経 験のある者であれば︑手水に行くと言って金七以外の客を相手にしている三沢の姿を想像した筈である︒そのような展開の上で
は︑金七は三沢にとって出来るだけ金を使わせるために自分の元
へ通わせたい客の一人にすぎないのである︒
宿場女郎のはかない身の上を憐れんで︑あえて三沢の魂胆に気
付かないふりをすることも可能である︒しかし実際に客として女
郎と接しているのではなく︑読者として傍観者の立場を貫いてい
るからには︑作中にて手管を暴露されている他の作品の女郎同様
に︑三沢のたくらみも指摘するべきであろう︒
五︑終わりに
以上︑一見しておとなしい息子株と温和な女郎との円満な間柄
であるかのように描かれている金七と三沢との関係について再検
討を加えてきた︒﹃甲駅新話﹄は﹃遊子方言﹄の影響を受けつつ︑
新宿を舞台にすることで真新しさを出した作品である︒舞台が変
われば遊びの質も変わるというもの︒当時の新宿では︑名代も居
ない廻し部屋で一人待たされるという仕打ちを受ける客が多かっ
た︒作中では廻しの客の有無は露骨には描かれていない︒しかし︑
三沢の行動は他の客の様子を見に行ったのではないかと思わせる
所がある︒
本稿では︑登場人物に対する半可通や息子株といった類型的認
識や︑片方がふられて片方がもてるという従来の図式的な見方か
ら離れ︑名代や廻しといった妓楼の風習を意識しながら作品を読
んできた︒それによって﹃甲駅新話﹄を︑したたかな計算を胸に
秘めた女郎が客を喜ばせて送り出す様子が結末にて描かれている
作品としても読むことが出来るのである︒作者の創意は︑金七に
見せる三沢の態度が嘘か真か︑読者の経験や遊興観によって二通
りの読み方を可能にしている点に見出せるのである︒
注︵1︶ 引用は︑三田村鳶魚校訂﹃未刊随筆百種﹄第一︵米山堂︑昭和二
年四月︶に拠る︒︵2︶ 洒落本の引用はすべて﹃洒落本大成﹄に拠る︒また︑読みやすさを考慮して適宜句読点を加えた︒︵3︶ 馬鹿人を南畝以外の仮号であるとする説としては︑玉林晴朗﹃蜀山人の研究﹄︵中央公論社︑昭和十九年六月︶における朱楽菅江説がある︒また︑近年︑藤井史果﹁大田南畝・山手馬鹿人同一人説の再検討│﹃蝶夫婦﹄と南畝の洒落本を中心に│﹂︵﹃近世文芸﹄第八十七号︒日本近世文学会︑平成二十年一月︶において︑南畝と馬鹿人が同一人物でないことが実証された︒
︵4︶ 森銑三﹁大田南畝洒落本小記﹂︵﹃森銑三著作集﹄第十巻︒中央公論社︑昭和四十九年四月︶︒︵5︶ 水野稔﹃黄表紙・洒落本の世界﹄︵岩波書店︑昭和五十一年十二月︶︒︵6︶ ﹃日本古典文学大辞典﹄︵岩波書店︑日本古典文学大辞典編集委員会編︑昭和五十八年十月〜昭和六十年二月︶﹁甲駅新話﹂浜田啓介 担当の梗概︒︵7︶ 浜田義一郎﹁南畝洒落本小論﹂︵﹃歴史と国文学﹄第八巻四号︒太
陽社︑昭和八年四月︶︒︵8︶ 中村幸彦﹁遊子方言評注﹂︵﹃中村幸彦著述集﹄第八巻︒中央公論社︑昭和五十七年七月︶︒︵9︶ 十町は俳号︒日本古典文学全集﹃洒落本 滑稽本 人情本﹄︵小学館︑昭和四十六年五月︶中野三敏頭注参照︒︵
︵ 年三月︶に拠る︒ 10影印︶ 引用は朝倉治彦編﹃合本守貞漫稿﹄︵東京堂出版︑昭和六十三自筆
拠る︒作者の植木玉厓については森銑三﹁半可山人植木玉厓﹂︵﹃森 11︶ 引用は藤井乙男﹃江戸文学叢説﹄︵岩波書店︑昭和六年九月︶に
銑三著作集 第一巻﹄中央公論社︑昭和四十五年︶に詳しい︒︵
︵ おいて論じられている︒ 江戸後期の風俗詩│﹂︵﹃江戸詩歌論﹄汲古書院︑平成十年二月︶に 12︶ 日本近世における竹枝の流行については︑揖斐高﹁竹枝の時代│
巻︒中央公論社︑昭和四十六年︶︒ 13︶ 森銑三﹁近世漢学者の日本文学的著作﹂︵﹃森銑三著作集﹄第十二
︵附記︶
本稿は平成二十三年十一月二十六日の近世文芸研究と評論の会例
会における口頭発表に基づく︒
成稿にあたりご指導いただいた池澤一郎先生に深謝いたします︒